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Monday Jul 03, 2023
真の父母経 第194話
Monday Jul 03, 2023
Monday Jul 03, 2023
6 私は、興進君の車の事故が起きた現場を見に行きました。丘の道からトラックが下ってくる途中でブレーキを踏んだのですが、車がくるっと回ったのです。くるっと回ったので、直線で止まったのではなく、斜めに道を塞いだというのです。そして、興進君の車は右側を走っていて、興進君は左側で運転していました。運転する人は、自律神経の自動的な反応によって、瞬間的に危険を避けようとハンドルを切るのが原則なのですが、そのようには切らずに、車が斜めになっていたというのです。運転していて、なぜ反対にハンドルを切ったのかというのです。反対に切って、正面から突っ込んでいったのです。
それは、興進君が、一緒に乗った祝福二世の兄弟を愛していたからです。「あの兄弟たちには父親がいない」と言って、本当に愛したのです。夜、勉強する際にも、冷蔵庫から食べる物を探してきては一緒に食べたりしました。そのように愛したのです。「父親がいないから、私が愛さなければならない」と言っていました。その兄弟を意識して、ハンドルを反対に切ったのです。それで、興進君が代わりに犠牲になったというのです。私はそれを見て本当に感謝しました。
7 イエス様が十字架で亡くなる時、右の強盗と左の強盗がいました。それは、民主世界と共産世界です。共産主義は「神はいない」と言い、民主主義は「いる」と言います。今回、車の事故が起きて興進君が死にましたが、一緒に乗っていた二人の子供は助かりました。興進君は、本当に良いことをして逝ったのです。
いくらでも車を回すことはできたのですが、なぜ興進君は車を自分の側がぶつかるようにしたのかというのです。それが問題です。トラックの角にぶつかったのです。同乗していた二人は、「自分たちを意識してハンドルをそのように切った」と言いました。民主世界と共産世界を代表する犠牲の祭物として逝ったという理論的根拠を、ここで知ることができます。車に乗っていたその二人は、民主世界と共産世界を代表する、イエス様の右の強盗と左の強盗のような立場ですが、興進君は彼らの身代わりになって逝ったというのです。
イエス様の時代にはすべて死んでいきましたが、お父様の時代には興進君一人が祭物になったため、二人は助かり、民主世界と共産世界の道が開かれるのです。
8 興進君は、国家的蕩減基盤の上で、自由世界と共産世界のために犠牲になりました。国家的基盤で共産世界と民主世界、この二つの世界を連結したのです。アメリカで事故が起きましたが、埋葬されるのは韓国でした。体は祖国に帰ってきて埋葬されたのです。それによって、興進君は、国家的基盤を築いた真の父母の勝利的基盤の上に立ったので、国家的な次元でいつでも霊界にいることができ、地上にも定着できる霊的基盤が与えられるのです。
イエス様が国家基盤を完成できなかったことを蕩減復帰すると同時に、イエス様自身が地上の国を訪ねてこられる基盤が、興進君によって連結されるというのです
9 お父様が最高裁判所で法廷闘争をするのは、イエス様が十字架にかかるのと同じです。しかし、今は十字架にかかって死ぬのではなく、十字架を背負って進む時です。イエス様の時代には、イエス様に反対してユダヤ教が砕けていき、ローマも砕けていきましたが、今は法廷闘争を中心として、キリスト教とアメリカがお父様と直接衝突するのではなく、一つになったので、イエス様の時代に失敗したことを蕩減復帰した時代に入ってきたのです
なぜ興進君が蕩減条件に引っ掛かったのかが問題です。父母様が十字架を背負っている時ですから、興進君も自動的にその圏内にいるというのです。神様とイエス様の立場を見ると、神様は父であり、イエス様は息子です。神様が十字架を背負っていくのではなく、息子が十字架を背負わなければなりません。
このような時代に、神様の代身の立場が父母様であり、興進君がイエス様の立場なので、息子であるイエス様が世界的な十字架を背負わなければならない蕩減的内容とぴったり一致しているというのです。
イエス様をサタンが打ったあとに神様が復活させたのと同じように、興進君をサタンが打ったあと、世界史的な内容として父母様が復活させたのです。ですから、イエス様は亡くなって霊的な門を開きましたが、興進君は肉的な門まで開きました。
イエス様の時代の五旬節の時と同じように、今は世界的な新しい霊肉を合わせた五旬節の時代だというのです。蕩減復帰です。キリスト教が反対したために失敗したことを、蕩減しなければなりません。イエス様が五旬節に聖霊と共に再臨し、百二十門徒と共に二千年間、キリスト教を中心としたキリスト教文化圏をつくって再臨主のみ前に奉献したならば、五旬節は必要ないというのです。ところが、反対したので、すべてが崩れたのです。
「愛勝日」宣布
真の父母様は、一九八四年一月三日午前四時、アメリカ、ニューヨークのべルベディア修練所で、文興進様が聖和された一月二日を「愛勝日」として宣布された。文興進様が祭物路程を行くことにより、死亡圏に勝つようになったことはもちろん、今までサタンが支配していた愛を神様が主管できる新しい出発の基準が立ったため、「愛勝日」と命名されたのである。
10 父母様が共産世界と民主世界の頂点で、興進君に責任をもち、一九八三年十二月三十日(現地時間)に病院を訪問して統一式をしてあげました。その場は、並大抵の深刻さではありません。誰よりも愛した立派な息子が突然、霊界に逝くのですが、涙を流すことはできません。統一式をしてあげたあと、葬儀を執り行う三日間にも、涙を流せないのです。その期間に「愛勝日」、(愛が)死に勝ったという式をしたのですが、父母様がそこで悲しんではいけないのです。
アダムとエバが誤ることによって死亡の谷間と死亡の地獄、天上世界の地獄と地上世界の地獄をつくり、神様と人間を分け隔てたこの峠を切り開くのです。その頂点に立ち、整備して息子を捧げました。ですから、どれほど深刻でしょうか。時間を遅らせることができるならば遅らせたいのが父母の心ですが、既に起きたことなので、そのようなときは、ためらうことなく、父母として天のみ前に喜びの心をもって送ろうというのです。お母様にも、「涙を流したら大変なことになる」と言いながら、「涙を流してはいけない」と言いました。そのように韓国で聖和式を行い、送り出してから、父母として涙を流したのです。すべて送り出してから、その行く道に対して祝賀の涙を流したというのです。
11 皆さんが自分の生命より以上に父母様を愛する限り、サタンはこれ以上侵犯できません。興進君が、皆さんに代わって逝ったからです。その上で、興進君以上に父母様を愛する皆さんになれば、サタンは身動きできないのです。今までサタンが愛を支配しましたが、これからは、神様が愛を支配するというのです。ですから、そのような基準で天と一つになり、「愛勝日」を宣布しました。
今や、皆さんが活動することに比例して、サタン世界が早く崩れ落ちていきます。ですから、「愛勝日」を中心として三年間は昼夜なく走らなければなりません。昼夜なく走りなさいというのです。そうして、興進君が昼夜なく、休むことなく民主世界の若者たちと共産世界の若者たち、霊界のあらゆる先輩、後輩たちを動員して活動しているので、それに負けないように活動しなければなりません。そのような決意をしなければなりません。
「愛勝日」が出てくることによって、カインがアベルを歓迎できる時になりました。昔は、愛すれば蕩減を受けなければならなかったのですが、今は、愛すれば福を受けるというのです。昔は、カインがアベルを愛すると、サタンに命を奪われて苦労しましたが、今ではもう、そのような時は過ぎ去りました。神様が福を下さる時が来たというのです。
12 一九八四年一月三日、「愛勝日」を設定してあげることにより、原理結果主管圏と直接主管圏内で、サタンの愛によって塞がっていたものを取り除いてしまいました。そのように取り除いてしまい、神様の愛をもつようになれば、地獄でもどこでも、境界線がなくなるのです。どん底まで思いどおりに降りていけます。そのようにして、上がってこなければなりません。天の世界の人に、サタン世界の人が屈服するようになっているからです。ですから、「愛勝日」です。
天の愛が過去・現在・未来圏まで身代わりして、サタン世界の死亡圏を取り去り、一掃してしまわなければなりません。そのようにしてこそ、それが勝利したことになるのです。「愛勝日」です。その場は、祭物になった息子を前にして、その息子に対して悲しい思いを抱いてはいけない難しい場です。その道を行かなければなりません。ですから、責任者たちは、興進君のようにしなさいというのです。皆さんが興進君のように仕事をしなければなりません。興進君はお父様に似ているといいます。神様が今に至るまで休んでいないように、お父様には二十四時間、復帰の一念以外はありません。実践しなければなりません。きれいに整備しなければならないというのです。興進君のようにしなければなりません。
13 あの国(霊界)では、興進君が愛の主体になっています。これは直接主管圏内です。堕落圏内を抜け出して逝ったので、神様が「私の息子である。サタン世界を越えた私の息子である」と言って愛することができる息子だというのです。ですから、お父様が幼かった時に愛せなかった歴史も蕩減するのです。
神様が興進君を愛するのは、真の父母を愛することなのです。今まで愛せなかったことに対しても、愛したという条件を立てることによって、すべてのことが解けて越えていくというのです。ですから、イエス様を解放し、お父様が過去に神様の愛を受けられなかったこと、完成級の位置で愛を受けられなかったことを、解怨成就できる基準になるのです。
イエス様が三十三歳で亡くなったので、三十三歳以下の若者たちは、イエス様の恵沢を受けられずに霊界に行きましたが、興進君が行くことによって、十代圏全体が愛の圏内に入っていけるようになるのです。十代圏が長成期完成級に連結されたので、原理結果主管圏がサタン圏の干渉から抜け出す時代に入ってきたというのです。
長成期完成級が、アダムとエバが堕落した年齢ですが、それを連結させることにより、十代はもちろん、幼かった時から、堕落していない圏内に越えていくようになるのです。それを蕩減してあげたのです。原理結果主管圏内にいるサタンが地上で権限を行使できず、後退する時代に入ってきたということです。
原理的に見るとき、真の父母様の息子をサタンに引き渡す条件はありません。犠牲になってはいけないのです。同じように、神様の息子であるイエス様を渡す必要はなかったのです。しかし、イスラエルの国とローマとユダヤ教を救うために、引き渡したのです。このように、父母様が興進君をサタンに渡さなければならない何の条件もありませんが、キリスト教、自由世界、全世界のために、興進君を渡したのです。
Monday Jul 03, 2023
真の父母経 第193話
Monday Jul 03, 2023
Monday Jul 03, 2023
17 お父様には世界のために行く道が残っています。アメリカのほかに、行く道がまだあるのです。それでは、アメリカはどのようになるでしょうか。皆さんが公判廷に立って、お父様以上に犠牲になって働こうという決意を固めなければ、アメリカの行く道、アメリカの将来が暗澹としたものになるというのです。
この国がお父様とこのように向き合うのであれば、どのようにして世界の国家の前に立つのでしょうか。既に傷を負っています。公義の天理はそのように教えるのだと、お父様は教えました。お父様に責任がないというのではありません。責任を負っているので、このようなことを言うのです。皆さんがこのような荷を負わなければならないことを知るとき、皆さんに対する思いはもつと深刻になります。子女たちの将来を祝福しようとするのが父母の心です。公義の道は、そのような法度の道です。ですから、法度の道を踏んでいくべ道が残っているというのです。
18 公義の天理を皆さんが引き継いで、お父様と共に監獄生活をするという思いをもち世界がか歓迎する時まで行こうと考えてください。脱税容疑でアメリカの法廷で闘争する期間は深刻でした。「私はこのように行く」と決めて出発したのです。私は悪意をもってアメリカを呪ったことはなく、アメリカの検事と判事を呪ったこともありません。
私は、神様のみ前に行っても堂々としています。アメリカの善なる先祖たちの前で堂々としているというのです。彼らは私の味方です。これからの子孫たちはお父様の味方です。その時、自分の子孫たちが知れば、どのようになりますか。ですから、善なる人、義人が行く道は決まっていますが、悪人が行く道は定まっていません。悪人は、いつでも滅亡するのです。
19 キリスト教がローマにおいて四百年で蕩減したことと、ヤコブから今までのユダヤ教を中心とした四千年間の蕩減路程を、お父様が四十年で帰結させようというのです。イエス様の三年路程の期間に該当するのが、この三年間の法廷闘争を中心とした総攻撃時代です。逆さまに蕩減するのです。蕩減路程は、逆さまになるというのです。ユダヤ教の時代を蕩減できるキリスト教が、父母様を迎えた今、この時がそうです。お父様がアメリカの法廷で闘争する三年間は、イエス様が世界的舞台でローマと闘って築かなければならなかった勝利基盤を、(再臨の)メシヤとしての三年路程において民主、自由世界で築く期間に該当します。今が勝利によって越えていく時だというのです。
その期間にイエス様が十字架に打ち付けられたように、お父様がアメリカに来て十字架に打ち付けられるのです。打ち付けられる出来事が法廷闘争です。
ですから、第一次ニューヨーク地方裁判所を経て、第二次ニューヨーク連邦高等裁判所まで行ったのは、イエス様が死んで生き返ったのと同じです。主審判事は私の味方でしたが、副審判事二人が反対したのです。それは、長成時代に該当します。第三次の連邦最高裁判所を中心として闘うときは、世論が動いて、「先生を釈放しなければならない」と主張しました。世界的基準で自由世界全体が完全に一つになり、キリスト教全体が一つになるのです。お父様が十字架を背負う場で、アメリカ国民と自由世界、キリスト教が一つになり、右側の強盗のようにお父様を支持したのです。
20 アメリカが反対していますが、お父様はアメリカを越えて、アメリカ(が願うこと)以上の願いをもって歩んでいます。きのうよりもあすが大きく、あすよりも一年後がもっと大きいでしょう。神様の願いである、世界人類が一つになる道を整えることができるとすれば、その道を選んで行こうとするのが、お父様の思想です。最高裁判所の判決が下りたとき、「神様!次は何を下さろうとするのですか」と言ったのですが、キリスト教が統一教会のもとに帰ってきたというのです。今回、法廷闘争で監獄に行くことにより、これから受け継ぐことになる大きな祝福は何かというのです。世界人類が、お父様の側に回ってくるでしょう。
私が行く道には、世の中にない統一された家庭が付いてきており、統一された民族と統一された国、統一された世界が付いてきています。ですから、この峠を越えて立つとき、その場では、統一された世界の群れが私を待っているというのです。
私が行くこの道は、希望の道だと思います。それゆえ、お父様は十字架の道を希望と歓喜の道として行こうと思うのです。きょうという日があるがゆえに、統一の伝統が父母様から息子、娘、祝福家庭、キリスト教、アメリカ、世界へと列を成して連結されるという事実を、私は知っています。これは、次第に大きくなるでしょう。
そのように素晴らしい道を出発しているこの日に、皆さんが涙でお父様を見送るということを、私は望んでいません。
涙を流すなら、お父様以上に十倍、百倍、この国とこの世界のために涙を流しなさいというのです。心が痛み、悲しいというなら、私が出てくる時に、千人を一つにし、一万人を一つにすることのできる統一の役軍(担い手)にならなければなりません。
21 み旨の道を歩みながら監獄生活をたくさんしましたが、私の生命が絶えない限り感謝して行こうという立場で歩んできました。ですから、それを喜びとして迎え、その結果は天のみ前に委ねるのです。私は死ぬしかないとしても、み旨を立てられた神様のかわいそうな立場を考えるのです。そうして、私にこのような苦痛を与えて峠を越えさせ、かわいそうな神様の摂理を継承するようにさせたと考えるのです。
今の時も同じです。この世界、精神世界が、お父様を中心として一つに統合されていくこの時に有終の美を飾るためには、犠牲を覚悟していかなければならないというのです。そのような伝統の道が残っていることを知らなければなりません。
第二節 文興進様の聖和と「愛勝日」の宣布
祭物として逝った文興進様
真の父母様は、一九八三年十二月十四日から二十三日まで、北朝鮮の赤化統一の野心を退けるために、韓国の八大都市で勝共決起大会を主管された。当時、真の父母様を暗殺しようとする群れが、最後の大会の場である光州に派遣されたという情報により、緊張が高まる中で行われた講演の時間に、次男である文興進様がアメリカで交通事故に遭い、一九八四年一月二日、聖和された。キリスト教国家が反対し、共産主義の脅威が増大する状況で、真の父母様に代わって蕩減の祭物になられたのである。
1 一九八三年十二月、韓国で、全国八大都市勝共決起大会を通して、全国民を完全に一つにする運動を行いました。また、世界とキリスト教を代表する七十二ヵ国の「世界平和教授アカデミー」の代表たちを集めて一つにしました。そのようにして、全国を完全に席巻したのです。サタンと激戦を繰り広げました。ですから、韓国全体がお父様の運動によって完全に沸き立ってしまいました。このようにしてサタンを治めようというのです。
その時、父母様の家庭は混乱時代でした。父母様の家庭が全世界を代表し、家庭的攻撃を受ける時だったのです。ところが、サタンはお父様を直接、攻撃できそうにないので、興進君を攻撃したのです。最後の光州勝共決起大会で講演する時間に、興進君の自動車事故が起きました。
2 私が一九八三年の十二月に韓国へ行くことに、アメリカも関心をもち、日本も関心をもっていました。三ヵ国が一つの方向に引っ張られたのです。
サタンがお父様をいくら侵犯したくても、蕩減条件を立てて越えたので、お父様が勝ったのです。民主世界が統一教会に反対しましたが、その反対する人たちに対して私が蕩減条件を立てて勝ちました。しかし、お父様の子女はまだ皆さんの代表の立場なのです。それで、興進君がそこで相対になったというのです。
サタンはいつも、最後にたたきます。全国八大都市勝共決起大会が成功裏に終わるその時間に、興進君の自動車事故が起きました。最後の光州大会の時、お父様が講演をするその時間です。十一時に始まるのに、十時には会場がぎっしり埋まってしまいました。お父様に危害を加えようとする工作員が活動できないよう、超満員になってしまったのです。動くこともできないほど、ぎっしりと埋め尽くされていました。工作員たちを自然に防ぐ、良い環境になったのです。ですから、サタンは仕方なく、お父様が最も愛する息子を連れていったのです。
3 お父様が韓国に帰ってきて勝共決起大会をするのですが、最後に残った所が光州でした。その時、霊通する人々は、お父様に対して「光州には行ってはいけない」と言いました。共産党がすべて集まり、お父様を隅に追い込んで一気に捕まえようとしているので、行ってはいけないというのです。「行ってはいけない」と言われて、行くのをやめるでしょうか。公的な人は、命を差し出して行くのです。ところが、天が役事しました。座っていた人が立ち上がれないほど、会場が超満員になったのです。それが、保護を受けられる道だったというのです。その時に多くの問題がありました。正にその時間に、興進君の自動車事故が起きたのです。
4 興進君の犠牲により、多くのことが成し遂げられました。彼は一番の孝行息子でしたが、今や真実で清い神様の子女として、神様の懐に抱かれたのです。もし興進君の犠牲がなかったならば、二つの不幸な大事件が発生していたかもしれません。北朝鮮が韓国を武力で侵犯したかもしれないし、お父様が地上における生涯を終えていたかもしれません。
しかし、韓国で勝共決起大会を通して勝利したため、サタンがお父様をこれ以上侵犯することはできなくなりました。ですから、韓国で勝利を収めるのと同じ時刻に、興進君を犠牲の祭物として要求したのです。
5 興進君は、二番目の息子として生まれ、お父様の保安問題に対して誰よりも心配した人です。お父様の前にもし悪者の頭が現れて銃を撃つならば、自分がその銃弾を代わりに浴びなければならないと考えていました。
イースト・ガーデンで祝福家庭を動員して、その訓練をしました。夜、祝福家庭を四方に配置し、秘密裏に襲撃させるのです。このようにして、警護員が本当に警護員としての仕事をするかということまで試験しながら、お父様の保安問題について心配したのです。
さらに、シカゴの「科学の統一に関する国際会議」では、警護員と共に夜を微して警護をしたこともあります。警護員を信じることができないというのです。子女が父を思う心情的基準とは程遠いと考えていました。もし銃弾を浴びなければならない場面に立てば、その人々は逃げていくけれども、「私は違う!」と言うのです。そのような精神的訓練を祝福家庭に行い、そのような行動ができるようにする訓練までしました。お父様のために命を捧げようというのです。
Thursday Jun 29, 2023
真の父母経 第182話
Thursday Jun 29, 2023
Thursday Jun 29, 2023
12 監獄では、夕方に御飯を食べてしまえば、することがありません。ただ座って時間ばかりやり過ごさなければなりません。話すことしかすることがないので、世間話から何から、話題にならない話がありません。一番初めは自分が罪を犯した話から、自分の親の話など、すべて出てきますが、それから何ヵ月か過ぎると、話すことがありません。何も話さなかった人は私しかいないのです。ですから、私に話をしてくれとせがむようになっています。
それで、「どんな話をしてもいいのか」と念を押したあと、短編小説、長編小説を作って話をするのです。毎日のように小説を一編ずつ語るのです。誰の小説でもなく、どこかの文学作品に既にある内容ではありません。私が題名をつけて創作するのです。私には、そのような頭があります。長編小説を一晩でも何編もつくり出すことができます。顔を見ながら三日くらい話をしてあげれば、どんな話をしても、しきりに「おもしろい」と言うようになります。そのあとは、私が一番隅の狭い所に座っていれば、何度も引っ張り出されるのです。「嫌だ」と言っても、監房長が何度も引っ張り出すのです。私はどこに行っても最も悪い場所、便器の横で過ごしていたのですが、私が「出ていかない」と言えば、監房長が「私がそこに座るから、あなたはあそこに座りなさい」と言うのです。それが、本然の世界です。
13 収容者たちにとって最もうれしいこととは何でしょうか。監獄でも一度、思う存分に休みたい、仕事をする時間でも一度休みたい、というのが切実な望みです。ですから、作業する組を編成するときに、互いに仕事が上手な人同士で組になって超過達成をしようとします。仕事をすれば、私は誰にも負けません。何でも上手にやります。肥料かますを縛って運ぶにしても、何の仕事をするにしても、やれば、誰かに負けたりしません。ですから、私と同じ組に編成され、私が指示するとおりに働きさえすれば、組のノルマを早く終えます。そのようにして普通、午後一時半から二時には終えてしまうのです。それは誰も付いてくることができません。
御飯のことを考えていては、御飯が人を捕って食べてしまうのです。御飯のことを考えてはいけません。仕事をするなら、その仕事をおもしろく思って、「きょうは私が昼食時に一かますでも多く縛ろう。人よりもたくさんやろう」という一念で、一かますでもより多く縛ることに楽しみを感じながら働けば、疲れません。そうしてこそ、体を保っていくことができます。かますをいくつか片づけただけで「御飯を食べよう」と考える人は長続きしないのです。
14 肥料をかますに入れて秤に掛け、かますを運ぶのに、私たちの組は五分から十分かかりますが、私は平均五分間でやってのけます。他の組は十五分かかります。このように時間がかかっていては、責任分担を果たすことができません。山を崩していきながら秤を移動させるのですが、秤を四、五メートル以上移していれば遅れます。ですから、ほとんど動かさずに行う方法を研究しました。誰もこの方法のとおりに従わないので、仕方なく一人でしました。そのようにして、お父様が千三百かますのうち半分以上を一人でやっていると、みな良心があるので付いてくるようになるのです。
お父様は模範労働者でした。共産党から毎年、模範労働者賞をもらいました。その頃は体重が七十二キログラムでした。外見からはそれほど体重はないように見えますが、骨が重いのです。ほかの収容者たちはやつれていくのですが、私はやつれませんでした。ですから、あらゆる人の研究対象でした。
15 興南の肥料工場の硫酸アンモニウムには硫酸が入っているので、肌に付くとひび割れして、毛が抜けるようになります。肌が肥料かますに触れるので、ひび割れるのです。朝、血がぽたぽた流れます。硫酸アンモニウムがひび割れたところに入り、朝になって血が出たりすると落胆しかねません。それでも、「お前たちがいくらそのようにしても、私は生き残らなければならない」と思いながら、それを克服しなければなりません。これよりひどくなったとしても、やらなければならないというのです。
そこで人間の精神力がどれほど偉大かを知りました。そのような環境に少しも屈せず、堂々と最高の位置に立つことができたのです。ですから、監獄にいる人たちまでも、あとからお父様のことを尊敬するようになりました。仕事ができる誰それといって、賞をもらいました。そのようなことが起きたのです。結局は切り抜けたというのです。どんなに困難な監獄でも切り抜けていく余力がなければなりません。それを克服できなければならないということです。
空腹と寒さを克服しなければなりません。暑さはそれでも克服しやすいのです。また、睡眠を克服しなければなりません。たとえ死んだとしても、「お前は負けずに、勝利して死んだ」という思想を残さなければならないと思いました。このような基盤を霊的に残さなければ、再び地上で活動できる基盤を失ってしまうと考えたのです。
16 私が精誠の限りを尽くし、涙で勧告しながら教えた人たちが、興南の監獄でたくさん死んでいきました。そのような所でも私を呼びながら、「私の両親に、私はこのように死にますが、あなたと共に良い日を過ごしたと伝えてください」と言って、死んでいった人たちがいます。その時は、どれほど空腹だったか分かりません。御飯を口に入れて、かみながら死んでいく人もいます。するとその横にいる人たちが、先を争ってその御飯を取り出して食べるのです。それは、皆さんには理解できません。
そのような場所で、父母にならなければならず、そのような場所で、兄にならなければなりませんでした。そのような場所で、「私がこのようにしているのだから、あなたたちも倒れてはいけない」と言って、私が見本にならなければなりませんでした。ですから、そのような環境で、お父様は毎年表彰を受けました。他の人たちが「難しくてできない」という仕事があれば、私が行って、その仕事をしました。互いに易しい仕事をしようとする中でも私は最も難しい仕事を探し回ったのです。
17 私は学生時代に、共産主義の理論を勉強した友達と理論闘争もしてみましたが、その理論どおりにしてはいけないと思い、共産主義者たちと闘ってきました。共産主義がどのようなものか、詳細に知っています。(興南)監獄の組織は、共産党の組織の中で最も緻密な組織です。そのような中でも、お父様は自己批判をしませんでした。二年五ヵ月の間、自己批判書を書きませんでした。それで、要注意人物になったのです。
そのような中で、黙々と一等の労働者にならなければなりませんでした。生き残る方法は、それしかありません。少しでも後退し始めれば、生き残れないのです。ですから、すべてのことにおいてチャンピオンです。誰も私にかないません。肥料を詰めることにおいても私が一番であり、運ぶことにおいても、縛ることにおいても、また貨車に積むことにおいてもそうです。ですから、毎年、表彰されたのです。
監獄で花咲かせた真の愛
真のお父様は、最悪の場でも天に背くことなく、かえって天を慰労された。そのため、監獄の囚人はもちろん、ひいては共産党員たちまでも、真のお父様を尊敬し、従ってきた。特に、監獄で勝利する道は、ために生きて自らを犠牲にする道しかないと考え、真の愛を実践された。真のお父様は、死の道でもイエス様の恨を解き、再臨主の使命を果たそうとされたのである。
18 私が監獄にいる時、はったい粉をもらっても、一人では食ベませんでした。すべて分けてあげました。そのように分けてあげてみると、私の食べる分がなくなり、横の人たちが集めて私にもってきてくれるということが起きたのです。ですから、そこにいる人たちは、お父様に対して何も言えません。
また、三十人以上が一つの部屋で寝るのですが、私が最も悪い場所で眠りました。寝ている途中で起きて用を足しにいこうとすれば、便器が隅にあるので、人を踏みつけていくことになります。あまりにもぎゅうぎゅうに詰めて寝ているので、強く押しても駄目なら、足で蹴りつけるのです。そのようなことがよく起きました。
しかし、その人たちが、私に足蹴りをしてしまったとしても、次の日の朝に来て、「すみませんでした」と言います。ほかの人であれば、「きのうの夜、なぜそんなことをしたんだ」と言ってけんかが起きるのです。また、急ぎの時には、私のおなかを踏んで越えていったとしても、私であることに気づけば、「気がつかなくてすみません」と言います。お父様はそのように生きました。
19 私が興南の監獄にいる時、母が定州から興南にまで来て私に会おうとすれば、証明書を十八枚ももらわなければなりませんでした。母がそれをもらって、息子のためにと、はったい粉を持って訪ねてくるのです。はったい粉を作る米や麦があるでしょうか。あとで知ったことですが、村中を回りながら、物乞いをしたそうです。遠い親戚の所に行って、「息子がこのようになってかわいそうなので、哀れに思ってください」と涙を流しながら物乞いをして、はったい粉を作り、毎月持ってきてくれました。また、冬には凍え死ぬのではないかと思って母が服も作って持ってきてくれました。
そのようにして持ってきてくれたはったい粉を、その場ですべて分けてあげました。私一人で積み上げて、食べることはできません。良心が許しません。服は、囚人服を着ることはあっても、面会に来た時に持ってきてくれた綿入れのズボンの服は着ることができません。何年監獄にいても、面会に来る人がいない人がたくさんいます。彼らの前でそれを着て自慢する立場には立てません。その服も、もらったらすぐにすべて分けてあげました。そうして、破れた囚人服、肌の見える服を着ました。そのように風になびく服を着ている姿を見るとき、母はどれほど唖然として言葉が出なかったでしょうか。聖子の行くべき道は、このような道です。聖子の道理、愛国者の道理、忠臣の道理を果たそうとすれば、このような道を行かなければなりません。
20 興南はどれほど寒いか分かりません。「冬の風が吹くと、砂利も飛ぶ」と言われる所です。面会に来た母が息子を見ると、冬に下着も着ずに、ほとんど破れた単衣の囚人服をそのまま着ているのです。ですから、「持ってきてあげた下着はどこにやったのか。持ってきてあげた綿入れの服はどうしたのか」と尋ねました。母から見れば、はらわたが煮えくり返るのです。
私は母に、「自分よりもかわいそうな境遇の人にあげました。震えても一緒に震え、飢えても一緒に飢えようというのに、それが悪いでしょうか」と言いました。堂々としているというのです。天地の何人の前でも堂々としています。
そうすると、母が来て私に忠告します。「お母さんの事情も知らず、そんなことができるのか」と言うのです。「お母さんがお前のためにこのように準備してきたのに、それを誰が人にあげなさいと言ったのか」と言うのです。ですから、私が母に向かって、「私はそのような金某の息子ではありません。私は、そんなお母さんをお母さんと思っていません。むしろ(お前は)母親よりも立派だと褒めながら、『欲しい物があればもっと持ってきてあげよう』と言うべきなのに、それが忠告だと言うのですか」と言うと、母はただただ大粒の涙をぽろぽろとこぼしました。そのことを、私は忘れることができません。
Thursday Jun 29, 2023
真の父母経 第188話
Thursday Jun 29, 2023
Thursday Jun 29, 2023
第二節 西大門刑務所での受難
流言飛語から始まった受難
梨花女子大学と延世大学の教授および学生たちの退職・退学事件は、真のお父様の受難へと続いた。キリスト教団体は、統一教会で起きた神霊の役事を、様々な流言飛語で妨害した。一九五五年七月四日、真のお父様が兵役法違反と徴発特別措置令違反の容疑で警察に連行、拘束される、いわゆる「七・四事件」が起きた。その後、教会幹部の四人も相次いで拘束された。
1 韓国の全国民が統一教会に反対しました。反対しない人はいませんでした。政府から教会、学校、宗教団体はもちろんのこと、家庭がすべて反対しました。お父様が悪く、統一教会が悪いために反対を受けたのではありません。
歴史時代の誤ったことや悪いことをすべて私たちにかぶせて、反対する要因をつくりました。キリスト教が私たちを憎み始めたのです。賢い人なら、統一教会の原理を聞けば、一週間以内にみな復帰されます。
当時は、原理のみ言をお父様が指導しました。ですから、来る人来る人、みな霊的現象を体験するようになりました。もし教会に行かなければ、霊的に気合を入れられたりしました。このようになったので、大変な問題になったのです。理論的に聞いてみると、賢い人たちはみな統一教会に行くので、でうすることもできず私たちをたたき潰すためにありとあらゆることをしたのです。
2 キリスト教徒たちは統一教会に対して、最初はキリスト教の歴史における邪教集団を悪く言いながら、「彼らと同じだ」と言いました。すべてをなすりつけるのです。そのようにして十年ほど過ぎると、情報機関で調査するようになりました。しかし、十年以上にわたって広がったうわさを、四十日しか調査しなかったのです。四十日間調査をして、「何もない」と言いましたが、それは、その機関が知っているだけであって、国家的に「統一教会の文某は何の問題もないので、これまでの話はすべてうそである」と言ったわけではないというのです。お父様が無罪判決を受けた時、新聞記事には数行しか載りませんでした。そのように全国的に広まった否定的な印象を何によって変えられるというのでしょうか。
ですから、統一教会の宣伝をしても反対し、そのうわさをひっくり返そうとしてもみな反対しました。それで、法的問題になって闘争が起き、警察部で私たちを調査した内容をもって「統一教会はそのような所ではない」と発表しても、信じないというのです。また、警察がそのように言うとすれば、すぐに「統一教会員たちが買収したのだ」と言っているのです。
3 夫婦で仲良く暮らしながら息子、娘をしっかりと養育し、「夫がいなければ生きていけない」と言っていた女性たちが、統一教会に入ってきたあとに変わったのです。教会に来て、午後五時になれば、家に帰って夕飯の支度をしなければならないのに、み言が始まると再び座り込んで、夜通しみ言を聞くというのです。当時は、明け方の四時まで語りました。平均二時間睡眠でした。
家で「教会に行ってはいけない」と言っても行くので、問題が起きました。「死んでも行く」と言うので、教会の牧師たちが中心となって反対したのです。篤実な信徒たちが病気になったというのです。そのようになると、ありとあらゆるぬれぎぬを着せられました。しかし、お父様は「かまわない。すべてかぶせてみよ」と言って弁明しませんでした。西大門刑務所の事件が起きた時にも、調査の結果、無罪で釈放されました。しかし、私が無罪で釈放されたことをキリスト教で言及するのを、一言も聞いたことがありません。
4 統一教会員たちが激しく反対され、迫害されていた頃は、おばさんたちが、買い物かごを下げて「市場に行く」と言って出ていくのですが、気がついてみると統一教会に着いているのです。そのようなことが普通に起こりました。珍しいことでもありませんでした。ですから、狂ったとか、何か電気装置を仕掛けたと言うのです。そのようなことが起きました。
実際の生活に影響を及ぼすというのです。そうならざるを得ません。催眠術のようなものも、そのような体験を通して可能になるのです。神様を中心として神霊的な道に通じれば、そのようにならざるを得ないというのです。祈りの能力がどれほど偉大かを、皆さんは知っているでしょう。その境地で、そのようなことが起きるというのてす
5 梨花女子大と延世大の事件の時にも、政府の五大長官(大臣)が出てきてお父様をたたき、統一教会を全滅させようとしました。罪状がないので、兵役忌避でたたこうとするのです。兵役忌避でたたこうとして、彼らは、「年齢を二歳も上げて兵役を逃れようとした」と言いました。ところが、いくら調査してみても、引っ掛かるものがないので、無罪で釈放されたのです。
6 私が、梨花女子大と延世大を中心として、六十日間ほど伝道をしてみると、二つの大学が大騒ぎになりました。放っておけば大変なことになりそうなので、お父様を異端として追い払い、ぬれぎぬを着せましたが、いくら調査しても罪がなかったのです。家庭を破壊し、人妻を強奪したとして調査してみても、何もありませんでした。ないというのです。
それで仕方がないので、今度は「兵役逃れをした」と言ったのです。私が兵役忌避をしたでしょうか。六・二五動乱のとき、私が頭を刈っていたために、初めは人民軍だと思われました。私が「軍隊に行く」と言ったにもかかわらず、「軍隊は駄目だ」と言われ、兵役免除に該当する「丙」の字を押されたのです。ですから、引っ掛かるところがありませんでした。そのように引っ掛ける罪状がないので、三ヵ月間騒いだ挙げ句、無罪で釈放したのです。
大部分の人は、私が無罪放免になったことを知りません。キリスト教の牧師たちは、お父様が無罪で釈放されたことを知っていますか。無罪と言っても、新聞はその記事をとても小さく載せたのです。統一教会員たちが「声明を出しましょう」と言いましたが、反対声明が問題ではありません。監獄に入ったことが問題になるのです。大韓民国が私を裏切りました。私はこの国を怨讐視すべきところですが、この国を復帰するためには、世界を経由して帰ってこなければなりません。蕩減復帰をしなければならないのです。
西大門刑務所での収監生活
真のお父様は、囚人番号三百九十番を付け、金元弼、劉孝元(ユ・ヒョウォン)、劉孝永(ユ・ヒョヨン)、劉孝敏(ユ・ヒョミン)など、幹部四人の弟子と共に西大門刑務所に入監された。記録に残る面会の行列をつくった食口たちに対し、真のお父様は、決して動揺しないことを願われた。一方、看守をはじめとする刑務所の幹部と監房の囚人たちの中には、真のお父様の人格に感化され、敬意を表する者もいた。
7 一九五五年に西大門刑務所に入ったことがあります。その時、「統一教会の文先生はああだこうだ」と言って、大変なうわさになりました。私が手錠をかけられて入ると、拘置課長が私を呼び、気合を入れようと乱暴に振る舞いました。私は心の中で、「あなたが一ヵ月以内に私に屈服するかしないか、今に見ていなさい」と思いました。
最初、入る時には、動物園の猿でも見物するかのように、猿扱いしようとしたのです。ですから私は、「どれ、あなたたちがやりたいようにやってみなさい!私はあなたたちのようなつまらない男ではない」と思いました。こうして一週間以内に、そこにいる看守たちをすべて意のままにしました。監獄でも「先生」という言葉を聞くようになりました。出所する時には、所長まで出てきて、「文先生!」と言ったのです。
8 私が西大門刑務所にいるとき、そこの拘置課長が、私のことをあざ笑いました。そのとき、私は相当に気分が悪く、一言、釘を刺しておいて、「ここで必ず所長まで屈服させて出ていこう」と考えました。何日か過ぎると、その人が朝、私の所に来て、「ぐっすりお休みになりましたか」と言いました。ある時は、じっとしていると、朝やって来て、そのままさっと通り過ぎます。「あなたはただ通り過ぎていくが、行く途中でまた戻ってこなければならない」と考えると、案の定、振り返るというのです。そうして、こちらに来てから、また行くのです。私が「あなたはもう一度来て、挨拶をしなければならない」と考えていると、また、そのようにするというのです。ある日、拘置課長が私のところに来て、「朝、餅を作って食べたのだが、餅が喉に引っ掛かってのみ込めない」と言うのです。餅がなぜのみ込めないのでしょうか。先祖が引っ掛かるようにしているというのです。彼の先祖たちが、お父様を冷遇すれば大変なことになると知っているので、そのようにするのです。ひそかに餅を作って食べたら、ひどい目に遭ったというのです。
私はそのようなことを既に知っていました。ですから、そのような話をしてあげたところ、私を見て「先生」と呼ぶのです。そのようなことがあってからは、お父様の言うことをよく聞いてくれました。そうこうするうちに、私が出る頃には、所長まで訪ねてきて、夏だからといっては、まくわうりを買ってくれたり、すいかを買ってくれたりするようになりました。そのようにしながら、兄弟の間でもできなかった話をするのです。お父様と一緒に生活する数ヵ月の間に、自分が(今まで)経験したことを話すのです。私が証をしてもらおうとして、彼を伝道するでしょうか。お父様が伝道しなくても、伝道されるというのです。
9 西大門刑務所で監獄暮らしをするとき、お父様に会おうと食口たちが必死の思いで面会に来ました。監獄暮らしをするお父様と面会すれば、それは歴史に残ることです。その時の面会証を持っている人たちに対して、あとで表彰します。それを持っている人がいれば、結婚する時に胸に抱いていき、その家庭の宝物として大切に保管しなければなりません。
監獄から出てくる時は、看守たちや所長まで出てきて見送り、看守たちの中には、お父様に従って教会に通うようになった人もいます。このように、天が行く道には怨讐が現れますが、必ずその道は開拓されるというのです。アベルになるためには、必ず神様と一体にならなければなりません。どのような受難の道を行くとしても、自分一人で行くと考えてはいけません。神様は、サタンの讒訴を受けない場で、アベルを決定するのです。
真の宗教は監獄から出発します。サタンも嫌う人間たちの集まったその世界でも、普通の人間がもつ、それ以上の希望と望みをもつようになれば、そこから新しい世界の歴史が出発します。そのようにしてこそ、サタン世界の讒訴を受けることなくまた高い位置に上がっても干渉されません。そこから、新しい世界まで連結される新しい出発の起源が生じます。そこから神様と一つになるのです。
Thursday Jun 29, 2023
真の父母経 第187話
Thursday Jun 29, 2023
Thursday Jun 29, 2023
梨大・延大退学事件の波紋
一九五五年の三月から七月の間に、梨花女子大学と延世大学は、統一教会に通っているという理由で、教授と学生たちに「学校か、教会か」という二者択一を迫った。このとき、梨花女子大学の教授五人と学生十四人が、毅然と退職、退学の道を選んだ。そして、延世大学でも、教授一人が退職処分を受け、学生二人が強制退学になった。マスコミは、大学の対応について非難する記事を掲載した。当時、キリスト教と政府が統一教会を受け入れていたならば、国家的基準で新たな出発ができる基台が造成されるはずであった。
8 一九五五年に起きた梨花女子大事件は、挙国的でした。キリスト教と一つになった李承晩政権の五大長官(大臣)たちが、統一教会をなくすために総動員されました。
しかし、その闘いの舞台を克服したのちに、統一教会は暗々裏に内外の基盤を固めたのです。そこで勝利して現れ、キリスト教を否定し、大韓民国を否定して、新しいキリスト教の基盤を代わりに置き、すべての国家の国民を代わりに置ける再編成運動を繰り広げました。言い換えると、二世によって新しい統一教会、新しい国民の形成が可能になったというのです。
9 お父様は、神様を中心として、「人類の代わりに祭物となり、激しくむち打たれたとしても、人類を手放すことはできない」と言いながら、闘いに一人、責任をもってきました。
キリスト教が統一教会の言うことさえ聞いていれば、うまく回っていくようになっていました。七年以内に韓国がみ旨の中に立てば、世界のキリスト教を一つの方向に向かわせて、地上天国の理念世界と一致させるのです。キリスト教がお父様を迎えていれば、どのようになっていたでしょうか。梨花女子大と延世大は、アダムとエバと同じです。キリスト教の二世たちです。二世の核心を完全に握るのです。一世は堕落世界に半分が蝕まれています。昔はサタンが貴いものを取りましたが、今は神様が貴いものを取るのです。
10 梨花女子大と延世大事件の時、三ヵ月の間に梨花女子大がひっくり返るような出来事が起きました。三ヵ月の間に百人以上の学生が統一教会に通ったのですが、学校側が反対して通わせないようにしたため、「お風呂に行く」と言っては統一教会に行くようなことまで起きました。ですから、学校側が緊急対策を立てて防がざるを得ませんでした。それで、「統一教会か、梨花女子大か、二者択一しなさい」と言ったのです。どれほど切迫していれば、そのようなことを迫るでしょうか。統一教会に通う学生たちはみな、「退学する」と言いました。お父様が制したので、十四人だけが退学しました。その時、黙っていたならば、四十数人が退学していたでしょう。そうなれば、歴史的に問題を起こしかねないのです。そのような環境にありました。
11 梨花女子大の事件当時、あと六ヵ月あれば、三百人以上が暮らしていた寮が完全にひっくり返るようになっていました。燎原の火のごとく広がっていくのを防ぐすべがなく、学校全体がどれほど切迫していれば、学生たちに「二者択一しなさい」と言うでしょうか。二者択一を迫るなどということが、あり得ることでしょうか。ありとあらゆる子供たちがみな通っているにもかかわらず、「統一教会はいけない」と言ったのです。サタンが働いたということです。
それで、金活蘭(キムファルラン)総長が「統一教会について調査しなさい」と言って、そこの社会事業課長を務めながら神学や宗教問題について全権を握り、責任をもっていた金永雲博士を送りました。そのようにして金永雲が来たのですが、一週間で一八〇度ひっくり返ってしまいました。それで、学校に戻っていって話をするので、またキリスト教徒たちが来て、ひそひそささやくのです。じっと見ていると、み言さえ聞けば、すべてひっくり返るのです。ですから、一斉にひっくり返ってしまうことを恐れて、反対したのです。
12 梨花女子大の事件当時、寮にいた三百人以上の学生の中で、大勢の頭の良い学生たちが統一教会の原理のみ言を聞きました。このように、そっくりそのまま移ってしまいかねない状況になったので、梨花女子大が、あたかも火山が噴火したようになりました。ですから、大変なことになったというのです。
アメリカのメソジスト教会の財団から一年に数十万ドルすつ、それ以外のところからも様々な支援を受けていたのですが、その支援が打ち切られそうなので、これを歓迎することはできないというのです。ですから、政府を通してお父様をたたき潰すために、大統領まで動かしたのです。
13 六千年の春は一度だけ訪れます。いつでも訪れるわけではありません。アダムとエバを中心として、思春期というのは一度だけです。婚姻を決定する時まで春の風が吹くのですが、復帰摂理を中心として、数千年、数万年の歴史を経て、ついに韓国の地にその春の風が吹いたのです。梨花女子大事件もそうなのです。三百人以上の女子大生たちに風が吹き込んだのです。ですから、学校の塀を乗り越えたり、「お風呂に行く」と言って飛び出したりしたのです。
14 韓国は、厳しい日本統治下四十年の受難の道を経て、解放を迎えるとともに、アメリカを中心として宣教師たちと完全に一つにならなければなりませんでした。梨花女子大学と延世大学の事件が起きなければ、そのようになっていたでしょう。その大学生たちは二世です。お父様は復帰歴史をよく知っています。二世から逆に上がっていったというのです。
梨花女子大・延世大事件が起きなければ、その時、景武臺(キョンムデ)(当時の大統領官邸)と連結され、キリスト教全体が連結されていたのです。当時、金永雲氏は梨花女子大の社会事業課長でした。重要な教授たちがみな復帰されていたので、そこでは金活蘭総長が反対するようにはなっていませんでした。ところが、金永雲が報告をしたにもかかわらず、キリスト教の何人かの人たちが反対して、このような状況をつくったのです。
当時、梨花女子大と延世大さえ復帰され、反対していなければ、韓国のキリスト教はすべて復帰されるようになっていました。そして、その時、梨花女子大の五人の教授が退職させられ、十四人の学生が退学処分を受ける、歴史に類を見ない事件が起きたのです。復帰歴史はそのように大変なのです。その習慣化された伝統というものが、どれほど恐ろしいかを知らなければなりません。習慣化された伝統をもっているという事実が恐ろしいというのです。社会で暮らしてきたその風習や習慣がすべて残っています。神様は、それを認めません。新しく生まれた基準から出発するのは大変だというのです。
15 韓国で梨花女子大と延世大が統一教会をなくすために立ち上がるように、誰が操ったかというと、宣教師たちです。梨花女子大と延世大が、その時にお父様を中心として復帰されていれば、朴マリヤと李承晩大統領などの最高のリーダーを中心として、世界的な旗を掲げて登場できるように命令を下せたはずです。そうなっていれば、五千年の歴史を通して犠牲になった民族の上に訪れた天運を中心として、たった一度だけ受けた福をもって、国家創建とともに世界に号令できる盟主の立場に立つようになっていたでしょう。ところが、これをひっくり返してしまったのです。
16 梨花女子大騒動の張本人である金活蘭総長はどうなったでしょうか。それこそ患難を受けました。学校の教権という看板をもって、他の宗教団体を犠牲にしようとし、学生たちを犠牲にしました。正義に立脚したことではありませんでした。不義に立脚していたので、その代価を追及されるのです。
その時、金活蘭が統一教会を歓迎していれば、韓国は世界のすべての国家を踏み越えて、世界を動かす国家になっていたでしょう。四十年の歴史の重大な峠が、キリスト教を中心とした梨花女子大・延世大事件です。その四十年を失ってしまいました。
Thursday Jun 29, 2023
真の父母経 第186話
Thursday Jun 29, 2023
Thursday Jun 29, 2023
第二章 梨大・延大退学と西大門刑務所での受難
第一節 梨大・延大退学事件
キリスト教の二世糾合と梨大・延大事件
一九五四年の協会創立とともに、摂理の主流は、キリスト教の一世圏から二世圏に移された。大学において、学生たちを中心に「統一原理」が伝播し始めた。その中で、梨花(イーファ)女子大学と延世(ヨンセ)大学は、キリスト教系の学校として、二世の典型的な代表格であった。しかし、政権と結託したキリスト教の反対と迫害により、一九五五年の三月から七月の間に、いわゆる「梨大(イーデ)・延大(ヨンデ)事件」が発生し、社会問題に飛び火したのである。
1 キリスト教は新婦の宗教です。キリスト教は、再び来られる新郎の前に、新婦一人を準備するために、ローマ(帝国時代)から数多くの迫害を受けてきました。このような歴史を経て、初めてキリスト教文化圏時代に新郎が来て、統一天下を築こうとしたのです。それが、第二次世界大戦の時です。第二次世界大戦以降に、キリスト教を中心として世界が統一されなければなりませんでした。世界が一つにならなければならなかったのです。争ってはいけません。
第二次世界大戦で、連合国であるイギリス、アメリカ、フランスが、枢軸国である日本、ドイツ、イタリアと戦って勝利しました。そのような勝利的基盤の上に、エバ国家とカイン国家とアベル国家が、来られる再臨主を迎えなければなりません。その時に再臨主を迎えていれば、この世界は統一天下をつくり上げていたはずです。お父様に会わなければならなかったということです。そうしていたならば、お父様が全権をもって、この世界を収拾していたはずです。中国、ソ連、日本、アメリカをはじめとして数多くの国々を、すべて収拾していたのです。
しかし、お父様を迎えることができなかったので、梨花女子大・延世大事件が起きました。延世大と梨花女子大、これは(キリスト教における)二世の男性と女性の最高の代表でした。そこでみ旨が成就していたならば、この国のすべての組織の中心になっていたでしょう。
2 韓国での延世大と梨花女子大の事件は、二世を中心として連結されていきます。キリスト教の一世と二世は、縦的には父子関係です。縦的に見れば父子関係になり、横的に見れば相対的関係になります。梨花女子大と延世大は、それ自体を相対的に見ると横的関係です。横的関係がアダムとエバのような立場になれば、縦的関係に当たる父母である一世と子女である二世が自然に一つになるというのです。原理原則において、一世と二世が完全に一つになれば、カインは屈服するようになっています。
二世が天の側に立っているからです。サタン側ではありません。神様の保護圏に入っているので、二世のアベル圏が一つになれば、一世たちは自然と一つになるようになっています。イスラエル民族において、一世は荒野で死にましたが、今は天の側の保護圏にあるので、一世は二世と共にカナンの地に入ることができます。そのような道理です。そのような環境を中心として、韓国で連結させようとしましたが、梨花女子大・延世大事件が起きたのです。
3 お父様は、日本統治下で地下に潜っていった神霊的な指導者と一つになり、解放後、それまで神社参拝をしたキリスト教の指導者と国まで収拾すべき責任がありました。しかし、彼らのもっている信仰観が異なっていたので、決裂してしまいました。その時、地下に潜って活動していたあらゆる指導者たちが、より一層反対しました。国と一つになって、当時、日本の帝国主義に協助していた人々も反対する立場に立つことにより、問題が起きました。一世に対する摂理は、一世である当時のキリスト教指導者たちを一つにすることでしたが、彼らが神様のみ旨に完全に反対する立場に立ったので、再び、二世たちを中心とした糾合運動が起きたのです。梨花女子大と延世大の事件は、それゆえに起きました。
4 お父様が生きているうちにすべきこととは、一世たちが反対するので、二世を中心として糾合することです。ですから、梨花女子大と延世大を中心として摂理が始まりました。その時、梨花女子大は、朴マリヤ(副総長であり、李起鵬-イギブン-副大統領の夫人)を中心として李承晩大統領の夫人とつながっていました。彼らが、宣教師の基盤を中心として、政府と完全に一つになっていたのです。これはアダムとエバと同じです。
一世たちが誤ったことを、二世を糾合して完全に一つにしなければなりません。その二世の中には、神霊的な人の息子、娘もいて、神社参拝をした人の息子、娘もいて、それから、宗教を信じない人の息子、娘たちもいて、すべて入っていました。すべてがまとまっていたのです。この二世たちと完全に一つになったとすれば、そこから一世たちが誤ったことを復帰して、国と教会を収拾し、世界の舞台へと進んでいったはずなのです。
5 韓国に主が来るようになれば、その当時のキリスト教では駄目で、さらに跳躍でき、飛躍できる新しい次元の道を歩まなければなりません。国家の独立が問題ではありません。世界を生かし得る思想的な何かがあれば、完全に一つになるのですが、それがありませんでした。解放直後の三年半の間に、お父様がそのことを果たそうとしましたが、すべてから反対され、私は一人、追い込まれました。そうして、アメリカ軍政時代が始まったのです。
その後も、梨花女子大事件が起きずに、支持されてさえいれば、宗教は自由なので、梨大の総長と李承晩政権を中心として、カインとアベルの位置の頂点に上ることができました。
梨花女子大・延世大事件によって、それが成就されなかったのです。そこにお父様を立てていれば、李承晩大統領とアメリカを中心としたカインとアベルの上に立ち、天下にまたとない飛躍をしていたはずです。お父様が四十歳の時には、天下統一が成就されていたでしょう。
6 キリスト教を基盤として出発しなければならないのが統一教会の運命ですが、キリスト教を失ったので、キリスト教と対等な教団を再びつくらなければなりません。それで、キリスト教の二世たち、キリスト教から追い出された二世たちを集めて基盤を築き、苦労させながら歴史的なすべてのものを蕩減していかなければならないのです。
すなわち個人的な垣根を崩し、家庭的な垣根を崩し、氏族的な垣根を崩し、民族的な垣根を崩しながら、キリスト教が世界史的な基準を中心として責任を果たせなかったことによって怨讐になったので、これに代わる霊的、肉的な基盤を築くために、統一教会は犠牲的代価を払わなければなりませんでした。
7 アダムとエバを中心として見ると、延世大と梨花女子大は堕落していない若い青年男女のような立場なので、父子関係で一つになれば、家庭的な四位基台圏を造成した形と同じです。その中には個人もあり、家庭もあり、氏族もあって、民族編成ができるというのです。そうして李承晩政権と完全に一つになれば、キリスト教を中心として国が一つになるので、国家的基準で父母が立てる位置が決定されるのです。そのようになっていれば、韓国を中心として、真の父母の理想は堅固な基盤をもって出発していたでしょう。
この国とキリスト教の背後に、宣教師とアメリカがいました。国を代表するアメリカ軍政の責任者である駐韓米軍司令官がいて、教会を中心としては宣教師たちがいましたが、この宣教師たちが反対することによって、すべてが行き違ってしまいました。イエス様の時代にユダヤ教が反対したことと、全く同じようになりました。これによって、お父様は、とんでもない異端者として追い込まれ、追放されたのです。荒野に追い出されたのです。四千年の間、天が準備したすべてを失ってしまいました。
これを再び収拾して上がっていかなければなりません。そうするためには、お父様が、キリスト教とアメリカが果たせなかった責任、大韓民国とキリスト教が果たせなかった連帯的な責任を負わなければなりません。大韓民国のキリスト教と政府は国家的基準です。世界的な時代を迎えてからは、世界的基準でキリスト教と国を収拾しなければなりません。
Thursday Jun 29, 2023
真の父母経 第185話
Thursday Jun 29, 2023
Thursday Jun 29, 2023
平壌で四十日間、弟子を収拾
興南監獄を出られた真のお父様は、十日後に平壌に到着され、多くの人々が避難の途に就く状況でも、四十日間、散り散りになった弟子たちを一人一人捜し求められた。故郷の定州はそれほど遠くなかったが、父母や兄弟に会いに行かれなかったのは、アベルよりもカインを先に愛さなければならないという、蕩減復帰の道を行かなければならなかったからである。そして、金元弼と朴正華を連れ、南下の途に就いて、ようやく新しい出発をされたのである。
8 考えただけでも身震いをするほどの平壌でしたが、興南の監獄から出てきて、平壌を訪ねていきました。そこに食口たちがいたからです。世の中の人であれば、当然、自分の故郷を訪ねていくでしょう。私が監獄に入ったとき、私のことを考えてくれた何人かの食口が残っていることを知り、また、私がこのような生活をするようになったのは、天が動機となっていたからです。
そうして、以前、平壌にいたときに関係のあった食口たちをすべて捜してみました。反対していた人や離れていった人まで捜してみたのです。その人たちは、私が監獄に入ったから離れてしまったのであって、私がいる時に離れたのではありません。監獄に入る前に、私のことを信じると誓った人たちです。私に「離れる」と報告もせず、通告もしていないので、私には師としての責任があるというのです。彼らは裏切るとしても、天のみ前に「信じる」と誓い、約束した基準があります。その人たちに自ら会って、彼らが冷遇する時は、天もまた諦めるのですが、天がいまだに私に関心をもっている以上、それまでは師として誓った責任を取らなければなりません。
ですから、散らばっているすべての食口たちを捜したのです。私が自ら行くことができなければ、金元弼を遣わして会わせたりしていたので、故郷に行くことができませんでした。一週間、捜し回ったのに見つけられない人もいました。
9 お父様が興南の監獄から出てくる時に付いてきた人は四人です。イエス様は一人で逝きました。しかし、お父様が監獄から出てくる時は、四人が一緒に出てきたのです。咸鏡南道から平安南道まで、最も険しい山岳地帯を歩いてきました。東海岸を中心として、金剛山、雪嶽山のて太白(テベク)山脈、江原道、咸鏡道、平安道の三角地帯を越えてきたのです。
その時、北朝鮮の人民軍が太白山脈を通って逃げていきました。軍隊があちらこちらにいる巣窟を経由してきたのです。人民軍は逃げていくのに、私たちは南の方に行こうとしていたので問題になりました。迂回しようとすれば、四日、五日を無駄にしてしまうからです。(軍隊は、)連れていった囚人たちを銃殺して逃げていく状況でした。そのような危険地帯を経てくる時にも、「監獄から出てきた人にとっては、すべてが危険地帯だ。行けない所がどこにあるか」と言いながら、わざわざそのような所をたどってきたのです。そのようにして平壌に着きました。
避難民生活をしながら、平壌で伝道した時に集まっていた人たちを捜しました。「私が監獄に行く時に涙を流したその人たちを忘れずに捜すのだ」と思って捜したのです。中共軍が平壌に入城するという報道を耳にしましたが、会えずにいた一人のおばあさんを捜しに行きました。そのおばあさんが亡くなったことを知ってから、避難してきたのです。
10 北朝鮮で共産党があらゆる宗教団体を迫害してなくそうとしましたが、最後まで残った団体が私たちでした。当時は統一教会という名前はありませんでした。お父様が教える一つの集団だったのです。監獄から出てきてやるべきことは、教会の活動を続けることでした。ですから、まず平壌にいる昔の食口たちに会ってみました。お父様が三年近く監獄にいて、共産党が迫害をするので、あからさまに宗教生活ができる環境ではありませんでした。そのため、だんだんと地下に入っていったので、監獄から出てきてからも、そのようなことが全くできませんでした。
その時、以南に下る前に、昔、関係を結んでいたすべての食口たちに会ったのです。監獄に入るとき、彼らが涙を流して悲しんだことが鮮明に思い出されます。私が手錠をかけられ、五年の刑を宣告されて、「五年の間、元気に暮らしてまた会おう」と言った時、涙を流したそのことを思うと、今でも(その場面が)鮮明に浮かびます。監獄から出てきて、み旨の中で結ばれた食口たちを再び糾合するために、年老いた人から若い人に至るまで、思いつくすべての人たちを捜しました。
11 私が興南の監獄から平壌に出てきたのちに、三度も人を送って訪ねた人がいます。最初に行った時も門前で断られ、二回目に行った時も、三回目に行った時も門前で断られました。私としては、「背を向けよ」という神様の指示があるまで、最高の精誠を尽くさなければなりません。見捨てることはできないのです。ほかの人たちはみな以南に避難していくのに、十二月二日の夕方まで人を送って連絡させました。
そこで私が果たすべき責任は、すべて果たしました。天下のどこに行っても恥ずかしくないというのです。心情の理念をもって歩み始め、心情に受けた傷、私の胸中に植えつけられたすべての傷を抜き取り、新たな心情を神様のみ前に連結させ得るという自信を得てから、初めてそこを離れました。ですから、夜、平壌を出発したのです。
指導者はこのように、慎重に責任を負わなければなりません。死ぬような立場においても、神様が任せてくれた責任分野を終結させていかなければ、その人の行く道が塞がってしまいます。ですから、そのときに関係を結んだ人に対して、結論を出さなければならないのです。そうして、私が天地を前にして、現世や来世で、彼らの先祖が同情し、子孫が同情し得る場に立たなければなりません。そのようなことを考えたため、その人々を訪ねていったのです。
12 私は、八人の兄弟をすべて捨てた人です。北朝鮮で監獄生活をする時、これからの情勢がどうなるかを予想していた人です。平壌に行って、四十日間滞在していましたが、そこから二十八里だけ行けば私の故郷です。二日あれば故郷に行ってくることもできましたが、故郷にいる親兄弟たちには会いに行かず、み旨と向き合っていた人たちを一人残らず訪ねていきました。天のみ前に誓った人たちに会うために歩き回ったのです。故郷にいる父母や親戚を顧みず、食口一人のために命を懸けて捜し回りました。
13 私が平壌に行っている時、二日だけ歩けば、兄を連れてこられました。しかし、兄以上に国を愛したという条件を立てておかなければ、連れてくることができないのです。父母以上に国を愛するという条件を立てておかなければ、父母を連れてくることはできません。これが完全な蕩獄復帰です。アベルになるためには、カインを愛さなければなりません。
その次に、真の父母を迎えるためには、まずサタン世界の父母に侍らなければなりません。ですから、私はそのような役事をしたのです。それで、おばあさんたちを連れて出てきました。原則がそのようになっています。おばあさんたちを三位基台として結び、母子協助をすることができるサタン世界の三人の息子、娘を立ててきたのです。皆さんもこの原則どおり、そのようにしなければなりません。
Thursday Jun 29, 2023
真の父母経 第184話
Thursday Jun 29, 2023
Thursday Jun 29, 2023
第五節 興南監獄解放と食口収拾
六・二五動乱と興南監獄解放
一九五〇年六月二十五日、六・二五動乱が勃発した。国連軍が結成され、連合軍が参戦した最初の戦争であった。この戦争は、民主世界と共産世界の対決の場であり、アベル型の人生観を集約した神本主義の唯心思想とカイン型の人生観を集約した無神論の唯物思想が対立した戦争であった。真のお父様は、国連軍の爆撃によって、戦争の勃発から百十二日目の十月十四日、興南監獄から解放された。国連十六ヵ国が参戦した六・二五動乱は、摂理から見れば、再臨のメシヤを神様が救出されるための聖戦であった。
1 六・二五動乱は、世界十六ヵ国の人々が血を流しながら、勝利を主張し、標榜した戦争です。そのような出来事は、神様の摂理に従ってきた人類の歴史上、初めてのことでした。一国の内乱のようですが、神様の摂理歴史の中で、このような戦争は初めてでした。それがお父様と連結されれば、天のメシヤ精神と連結されるのです。ですから、この戦争の歴史を明らかにすることで、全世界が受ける影響がいかに大きいかというのです。そのような意味で、メシヤが生まれた所が祖国です。人類の祖国になる韓国を保護し、祖国光復を成し遂げるために、六・二五動乱に多くの国を動員したのです。
2 お父様が興南の監獄にいる時、六・二五動乱が起きたので、共産党は、監獄にいるすべての囚人を、最前線の三十八度線に立てて殺害する計画を立てました。事態がますます緊迫してくるので、そこにいるすべての囚人たちの中で刑期の長い人たちは、より遠い場所に後退させ、残りの約三分の二は最前線に送り出そうとしました。人海戦術を行うために、良くも悪しくもすべて引っ張っていったのです。命令に従わない時には、すべて銃殺してしまう計画でした。
その時、八百人以上を興南から定平(チョンピョン)まで引っ張っていきました。本来、興南から元山までは汽車が通っていましたが、その時は国連軍の爆撃で線路が寸断され、十二里ほどを歩いていかなければなりませんでした。七十人余りしか残さずに、すべて連れていったのです。その時、お父様も連れていかれましたが、夜八時に出発し、夜通し歩いて夜明け頃には八里ほどの所まで行きました。昼は爆撃があるので歩くことができませんでした。汽車もまた夜の時間を利用しなければならないので、早朝四時前に到着するようにしたのです。一日では着かないので、二日かけて行く計画で、初日の夜は夜通し歩き、朝方に立ち止まりました。
ところが、中央から私たちを乗せるために下ってくる汽車に途中で事故が起き、仕方なく数日間そこに停車して留まることになったのです。そこにそのまま滞在すると、かなりの支障を来します。この囚人たちを連れていく途中で、万が一事件でも起きれば、問題が生じるような状況になったというのです。そうして、看守たちはほんの数人しかおらず、囚人たちはたくさんいるので、問題が起きるのではないかといって戻ることになりました。戻ってきてから、また三日後にその八百人以上の囚人を連れていったのですが、その時は、私は残ることになり、監獄から出てくるようになったのです。
3 興南の監獄から解放されて出てくる時、私の後ろに四人の人が付いてきました。「先生が行かれるところに付いていきます」と言ったのです。妻も子もすべて捨てて、私に付いてきました。その中に、文氏の姓をもった人が一人いました。文氏の中にカインが一人できたのです。「自分たちの故郷には帰らない」と言って、出てくる時に四人の人が平壌まで付いてきましたが、その文氏はある所に連絡を取りに行き、その間に私たちが南に下ることになったため、離れ離れになってしまいました。
彼はカインとして以北に残り、私はアベルとして以南に来たのです。私が北朝鮮に行くことになったとき、彼が死んでいなければ訪ねてくるでしょう。もしも死んでいたなら、私が彼の墓を訪ねていって、石碑を一つ建ててあげなければならないと思っています。「あなたの精誠が途絶えることがなければ、韓国と北朝鮮がこれから出会う日があるだろう」と思って、今も祈っています。私は、父や母のためには祈りませんが、彼のためには祈っているのです。
4 興南の監獄から出てくる時に、監獄から私のあとに付いてきた人の中に文氏という人がいます。この人は咸興(ハムン)にある咸鏡南道(ハムギョンナンド)の道庁で課長をしていた人ですが、名前を文正彬(ムンヂョンビン)といいました。部下が過ちを犯して捕らえられたのです。私と同じ監房にいたのですが、霊界から教えを受けて、お父様と縁をもった人です。
興南から平壌に出てくる時、私の後ろに付いてきました。彼には妻がいて、息子、娘がいました。私は監獄から出て、彼の家に立ち寄り、別れの挨拶をしてきたのですが、彼が付いてきたのです。これから平壌から南側に行こうとする時でした。金元弼の母親が教会の食口だったのですが、その母親が順安(スナン)に商売に行っていて不在でした。数日後には出発しなければならないのに、戻ってこないので、仕方なく金元弼の母親を連れてきなさいと、文正彬を送りました。
ところが、そこは、歩いていったとしても一日、二日もあれば戻ってくる距離なのに、戻ってこないのです。事態はますます緊迫してきて、中共軍に完全に包囲されそうだったので、このままでは駄目だと思い、仕方なく先に出発しました。ですから、それこそ「先生のために命を捧げる」と言って付いてきたその文氏という人は、出てくることができませんでした。金元弼の母親を連れてこようとして、南の方に出てくることができなかったのです。
5 私が監獄から出てきて平壌に行く時、付いてきた人がたくさんいました。「自分の故郷には行かない」と言ったのです。監獄から出たら、すぐに自分の故郷に帰らなければならないはずですが、帰らないというのです。彼らをみな帰し、四人だけ連れてきました。平壌に着くと、「自分の故郷に行ってきなさい」と言って、全員送りました。「何日何時まで来るように」と言いましたが、わずかにその日に間に合わずに後退したので、みなが従ってくることはできませんでした。
いつか、その人たちにまた会うでしょう。天のために忠誠を尽くし、天のために精誠を尽くす人は滅びません。天はお父様のことを愛しています。世の中の誰も知らない中で、寂しい時に天がそのように協助してくださった事実を体験しています。そのようなことが一度や二度ではありません。一度や二度ではないそのような過去を回想してみれば、その恩を忘れることはできないというのです。
6 私は、興南の監獄だけでも二年と五ヵ月間いました。そこから出てくるとき、労働しながら着ていた服を持ってきました。服の中で、作業着、ランニングシャツ、パンツ、このようなものはすべて木綿でできたものです。硫酸アンモニウム肥料工場で働いたので、木綿にそれ(硫酸アンモニウム)が付けば、木綿が溶けるのです。木綿は酸に弱いので、引っ張るとすべて破れてしまいます。ですから、長く着ていると穴が開いたり、ぼろぼろに腐食したりして、それを着ると乞食の中の乞食になります。臭いがして、どうしようもありません。服をこすると粉になってしまいます。それを捨ててはいけません。これが統一教会の歴史的な財産として宝物になるのです。
これを捨てることができないので、すべて布団の中にぎゅうぎゅうに詰め込みました。すべて布団の中に詰め込んだのです。そして、寝る時にはそれを敷いて寝ます。布団の綿を抜き取って、二年半の間着ていたぼろの包みを代わりに詰め込んだのです。監獄から出てくる時、持ち出す財産が何かあるでしょうか。興南から平壌までの十日間、それを背負ってきたのです。他の所帯道具はすべて投げ捨てて、それを持って出てきました。
そのようにして出てくる時、それをある食口に預けながら、「絹のチョゴリ、スカート、高級な絹の布団をすべて捨てたとしても、これだけは間違いなく私のところに持ってきなさい」と言ったのですが、それを先に捨てて自分たちの物だけをまとめて持ってきたのです。それで、それをなくしてしまいました。もしも今その(歴史を証する)材料があれば、私が説明をする必要はないでしょう。天下とも交換できない貴い材料です。
7 私が興南の監獄から出てくる時に、それまで着ていたそのぼろを持って出てきました。それを売ったところで一銭にもなりません。廃品回収業者にあげても、見返りに飴の半分もくれないのです。三年近い歳月を送りながら、絹のズボンとチョゴリは人にあげてしまい、その囚人服だけを着て暮らしていました。触るとぼろぼろと綿のように崩れていくそのぼろが、何のために必要だったかというのです。それは、十年、一世紀、あるいは数十世紀が過ぎたのちには、億万のお金を出しても買えない宝物になるのです。
今、エルサレムにイエス様が使っていた箸が一膳でもあるとすれば、それはたとえイギリスを渡すといっても買えず、アメリカを渡すといっても買えないでしょう。このような言葉を、今日の若者たちが聞けば笑うかもしれませんが、千金、万金よりもさらに貴いので、困難な環境を克服してまで、それを持って出てきたというのです。
Thursday Jun 29, 2023
真の父母経 第183話
Thursday Jun 29, 2023
Thursday Jun 29, 2023
21 朝食を食べてから昼の十二時まで、どれほどおなかがすいたか分かりません。舌がすれて高熱が出た時のような臭いがします。そのような環境で、私もおなかがすくのですが、同じ囚人たちを慰労するために、一場の長編小説を話し続けるのです。そうすると、一ヵ月もたたないうちに、彼らが差し入れてもらったものを私のところに持ってきて、「先生の好きなように処理してください」と言ったのです。それは驚くべきことです。
原理は簡単です。ために生きる愛をもって完全投入すれば、そのようになるのです。天理の根本がそのようになっているので、その根本を私が抱き締めていくところには、それを破壊する人がいません。私がそのように行動すれば、出力は強くなります。悲壮な決意と涙が交差する誓いをして、代わりに死の道を行くという旗印を掲げて進み出る群れが現れました。ですから、これは間違いなく真理の道です。
22 私が監獄にいる時、忘れられない出来事がありました。私の誕生日でした。監獄は殺風景な所です。そこに平壌の人がいたのですが、その人が私の誕生日であることを知って、朝、自分が食べ残しておいた一杯のはったい粉をくれたことが、生涯忘れられません。いつか、何千倍にして返してあげなければならないと思います。
私は世話になるのが本当に嫌いな人です。世話になったら、必ず返さなければならないというのです。私は世話をするために来たのであって、世話になるために来たとは考えません。私が「やる」と言って進み出た道では、絶対に最下位にはなりません。
23 私が興南の監獄にいる時、私に従った人たちがいました。その人たちは、食べる物があれば、私に持ってきてくれました。はったい粉を紙に包み、汗の臭いがする股のところに入れて、分け合って食べようとして持ってくるのです。検査をするので、見つかったら大変なことになります。それが、どんなに豪華な晩餐よりも印象的なのです。
生きてきてみれば、それが一生の間、記憶に残ります。すべての認識器官がそこに浸らなければならず、そこで体恤された感覚をもって霊界に行かなければなりません。それが祝福です。自分のために生きるのではありません。自分よりも全体のために生きるのです。
24 私は、北朝鮮の興南の監獄にいる時、共産党の要員たちや囚人など、ありとあらゆる人たちを愛するために先頭に立って闘った人です。ですから、その監獄の共産党要員たちが、私を保護するために気遣ってくれるのが分かりました。自分たちが犠牲になったとしても、お父様の秘密を保護しようとしました。共産世界の極悪性が集約された組織が監獄ですが、そのような監獄の世界でも、私を保護する道があることを発見したのです。そのたった一つの道は、犠牲になって愛する道です。これを私は発見してきました。
その監獄で共産党の幹部だった人は、家からはったい粉が送られてくると、それを練って餅を作り、股の間に隠して、仕事をする所まで一里以上の道を歩いてくるのです。うっかりすると落ちて出てきてしまうので、隠していることが見つかる可能性があります。見つかれば大変なことになるのです。お父様と一緒に分け合って食べようとして、そのようにしたというのです。そのように自分の命まで懸ける危険なことがいくらでもあります。そうしながら、昼食時まで汗を流して働くのです。落ちて見つかると大変なことになるので、股間の奧深いところに隠します。そうすると、汗がしみて臭いがします。新聞紙のような物で包んだからといって、はったい粉に汗がしみ込まないでしょうか。汗がしみたからといって、それを捨てるわけにはいきません。
それを分けてくれるその時は、億万の宇宙を買って余りあるほどの愛の爆発が起こるのです。活火山が噴火するのです。そこでも、天の同志が蘇生するのをはっきりと見ました。ただその愛の道だけが、この世界を消化できることを知ったのです。
獄中の弟子を立てて蕩減復帰を勝利
真のお父様は、獄中の苦難を踏み越えて勝利された。監獄では、自らみ言を伝えて伝道することは不可能だったが、愛を実践することによって夢や啓示など霊界の協助を導き出し、十二人以上の獄中の弟子を立てられた。真のお父様は、イエス様が十字架にかかられるとき、イエス様に背いた十二弟子を復帰する蕩減条件を立てることによって、再臨主としての新しい出発のための基台を造成されたのである。
25 監獄には、私が「脱獄しよう」と言えば、命を懸けて付いてくる人たちがいました。死地においてイエス様の十二弟子が逃げたことを復帰しなければなりません。自動的に復帰しなければならないというのです。私が口を開かなくても、霊界が動員されて伝道してくれました。
お父様の囚人番号は五九六(韓国語の発音では、オ・グ・リユク)番でした。ある意味では、「悔しい(オグル)」という言葉に聞こえる番号です。ある人には、夢に先祖が現れ、差し入れのはったい粉を、少しも手を付けずにお父様のところに持っていくようにと命令をしたこともありました。それで、その人がはったい粉の袋を持ってとぼとぼと歩いてきて、「ここに五九六番はいますか。誰ですか」と言うのです。このように霊界が動員されて、食べる物を持ってきてくれたりしました。
その後、私が何も言わずに、平壌を経由して韓国に避難する際、四人の人が付いてきました。四位基台の復帰です。教会を中心とした四人を連れてきたのです。このように歴史は、復帰の原則を外れることはできません。
26 お父様は監獄で、極悪な死刑囚たちにも天の哀れみがあることを願いました。イエス様は、十字架で亡くなるとき、右の強盗に「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ二三・四三)と言いました。お父様は、涙が重なり合う事情をもった人々に、新しい望みと希望を与えるために闘ってきました。監獄に入っても、そのようなことをしたのです。
その人たちを慰労してあげ、私が監獄を出る時に、親が自分の元を去るよりもさらに切ない気持ちで涙を流す場を、彼らに残してあげなければなりませんでした。そのようにしなければ復帰の使命に責任をもてないことを悟り、そのような気持ちで生きてきました。ですから、監獄を出る時、私にしがみついて痛哭する人たちをたくさん見ました。そのようにしたので、私が興南の監獄を出て韓国に来るときに、四人の人が、自分の親や妻子を捨てて私に従ってくるということが起きたのです。
27 お父様の監房から離れた他の部屋に、私に従う人が十二人以上いました。そのように離れて過ごしていても、工場への出発命令が下れば、十五分間ですべて行列をつくるのです。その時は、出てきてトイレにも行ったり来たりするのですが、ほかの人たちと一緒に大勢で行くとトイレが満員になります。それで、監房別に座るのですが、看守が見張っているので、お父様がいる所に行こうとしても行けません。境界線を越えられないのです。
その人たちにとっては、お父様に会うことが一日の中で最も光栄なことであり、生命の道でした。ですから、看守が立っているその下を腹ばいになり、這いつくばるようにして通過しながら、会いにくるということが起きました。見つかった場合には、逃走を企てたとして銃床の端でたたかれ、独房生活を一週間から三週間しなければなりません。三回見つかれば刑罰が重くなります。問題が複雑になるというのです。そのような中でも彼らは、お父様に会って挨拶をしていくことを一日の栄光と思い、そのように行動しました。また、自分たちに食べる物があれば、自分も空腹なのに、私のところに持ってきて分け合って食べるのを光栄なことと思ったのです。そのような心情的絆が、皆さんの知り得ない歴史的背後の伝統として残っているという事実を知らなければなりません。
28 お父様が共産治下の興南の監獄に行って、残忍な圧制と虐待を受けるようになったのは、実体的な復帰の天命を帯びていたからです。サタンの銃剣の前でも、この獄門を開けて出ていくことができる天の人を、天は探し出せるようにしてくれました。直接語らなくても、霊界の霊人たちが伝道して、お父様に従わせました。私は口を閉じていましたが、自分の先祖たちが直接現れて伝道したのです。そうして、お父様は、イエス様を捨てて逃げていった十二弟子以上の弟子を監獄で探し出したのです。
監獄から工場に出発する時間になると、共産党の物々しい監視の中でも、彼らはお父様に会おうとしました。すべての人々が仕事に行くために外に出て、ざわざわとしているのですが、そこで看守たちが銃を持って見張っているにもかかわらず、床を這って私を訪ねてきたのです。天が選んで会わせてくれた人たちは、そのように這ってきてでも、まず挨拶をしようとしました。神様はそのように役事(働き)されます。そこで蕩減基準、四位基台復帰の基準を立てたのです。
Thursday Jun 29, 2023
真の父母経 第181話
Thursday Jun 29, 2023
Thursday Jun 29, 2023
第四節 模範的な監獄生活と勝利
獄中の聖者
興南監獄の収監者たちにとっては、御飯と休憩ほど大切なものはなかった。しかし、真のお父様は、忠母様が面会の際に持ってきた服と食べ物を、他の収監者たちに分け与えるなど、困難な状況でも、かえって神様を慰労し、蕩減復帰路程を歩むべき孝子、忠臣、聖子としての道を歩んでいかれた。真のお父様は、獄中で最も困難な仕事を一手に引き受けて行うなど、模範的な監獄生活を送られたため、共産党から三度にわたって模範労働者賞を受けられた。サタンからも認定されたのである。
1 興南の監獄で囚人たちは、少量の食事と重労働で、常に栄養をきちんと摂取できずにいました。胃は常に働かなければならないのですが、次の日の朝、起きると、自分のおなかが板のようになっていることに気づきます。それが共産党の労働者収容所の生活です。
監獄から作業場までの距離は、一里以上の道のりでした。毎朝監獄から作業場まで歩いていく時は、手をつないで四列に並ばなければならず、横には小銃と拳銃で武装した警備員たちが監視しています。もしも、列が乱れたり、手をつないでいないことが発見されたりすれば、その人たちは脱出をたくらんでいるとみなされるのです。ですから、自分の頭をまっすぐに上げることができません。いつもこのような状況でした。
お父様はそのような環境の中で、どのようにして生き残ることができたのでしょうか。人間は肉身だけではありません。もしも囚人たちが、食べ物だけを食べて生きるようになっていたならば、彼らは死んでいたはずです。精神力が重要です。
2 お父様は、興南の監獄にいながら、ほかの人の二倍まで仕事をしようと決心しました。仕事をするたびに、常に試験を受けていると考えたのです。より一生懸命に仕事をするとき、私の肉身がどのような影響を受けるのかを分析し、研究しました。時々速度を上げると、私の体が変化しました。もし普通に仕事をしていれば、私の体はどのように反応していたでしょうか。
私の組の十人の中には、何人か体の弱い人もいました。ですから、自分のノルマを完遂できない人たちの分を補うために、私のノルマ以上の仕事をしました。毎日そのようなことを続けました。作業をする間に御飯のことを考えていれば、働くことができません。ですから、仕事をする時、御飯のことは考えませんでした。常に、そうするような運命に定められている、そのような仕事をするために生まれてきたと考えました。まるで復帰摂理を行うかのように、常にすべての心情と誠意をその仕事に注いだのです。
3 お父様は監獄で作業する間、常に霊界で経験したことを考え、後日、子孫たちや従う人々に見せてあげる映画の主人公であると考えました。お父様に従う人々や子孫たちは、私が仕事をするのを見ながら感動するだろうという思いをもって働きました。
作業は、午前九時から始まり、十時過ぎに十五分間の休憩時間があるのですが、その時間にトイレに行きます。しかし、お父様は決してそのことを考えませんでした。休憩時間を告げるベルが鳴っても聞こえませんでした。周りに誰もいないことに気づいて、初めて休憩時間であることを知りました。体は仕事をしていましたが、霊は休んでいたのです。そのような精神で働いたので、体重が減らず、ほとんどそのままの体重を維持しました。体重がほとんど減らなかったというのです。ですから、看守たちはとても驚きました。
また、働きに行くたびに、常に最も困難な仕事を探して、それをしました。数ヵ月後、最高の労働者と呼ばれるようになりました。脱出の陰謀を企てることができないように毎日組み替えをしたのですが、組を新しく編成するたびに、囚人たちはみな、この最高の労働者と同じ組になることを願ったのです。お父様の後ろには多くの人たちが並んでいました。
4 お父様は、青春時代に疲れ果てそうになる時も多かったのですが、疲れ果てないようにしようとどれほど気をもんだか分かりません。それは、ただ何もせずにできることではありません。囹圄(牢獄・獄舎)の身になったときも、「神様、私に同情なさらないでください」と言いました。困難な状況でも、絶対に祈りませんでした。深刻でした。一週間でも、一ヵ月でも話をしません。これは何を意味するのでしょうか。難しければ難しいほど、「私の最高の知恵を絞り、最高の精誠を込めて、私によって神様がこの難しい環境を打開できる道を、いかにして模索するか」と考えました。
私によって私が救いを受けようと考えたのではありません。「この難しい心情的動機をつなげて、いかにして神様が痛哭し、悔しさと無念な思いをもちながら、これを強く打つことができるようにするか。怨讐の敵陣を撃破できる心情の爆発力をいかにして刺激させるか」という面を考えたというのです。そして、「早くここから出なければならない」とは考えませんでした。おなかがすけば、「腹よ、空腹になるならなってみよ」と思いました。これから世界が行かなければならない蕩減復帰路程を掲げて、空腹以上に深刻な立場で、神様を強く抱き締めて涙を流した時はありましたが、その場を免れるための努力はしなかったというのです。
5 千万の男がみな後退してしまうような峠がいくらでもあります。監獄に入って、「私がこの死の場で生き残るためには、御飯を半分だけ食べても生きようという決心をしなければならない」と思い、二、三週間、私の御飯の半分を他の人に分けてあげました。他の人の半分だけ食べて生きようというのです。ですから、いつでも心理的に御飯を食べなければなりません。半分しか食べられない境遇で、さらに半分もらって食べられるという心理的余裕が、生命を引っ張っていける力になることを発見しました。数ヵ月もすると体に変化が起こる理由が何か、すべて分かるので、死にゆく若い青年たちをたくさん生かしてあげました。
6 自分の体力を保全するためには、運動をしなければなりません。お父様が興南の監獄にいる時に考案した運動法があります。この運動をすれば、とても効果があります。そのようなことを続けたので、私は食べるのは少しですが、精神力で補充しながら体を鍛錬してきました。今の体とそれほど差はありませんでした。少しやつれていただけです。その時、監獄にいても、約七十二キログラムはありました。他の人たちは、ただ骨と皮ばかりになり、背中がやや曲がって、屍のように感じるほどでしたが、私は絶対に、そのようにはなりませんでした。
7 興南の監獄にいる時、普通の人たちは日曜日には休みます。あのきつい重労働をして日曜日になると、どれほどうれしいことか、それこそ安息日だというのです。ただありったけの力を振り絞って土曜日の夕方までは、どうにか我を忘れて働きます。正気ではありません。肥料工場に出掛け、仕事をして帰ってきたあとは、骨の髄から参ってしまいます。ただぐったりとするのです。御飯さえ食べたら、そのあとは倒れて起き上がることもできません。土曜日の夜と日曜日は、それでも自由が与えられるので、その場で食べて寝るのです。
しかし、寝るのが災いのもとです。お父様は三年近くその監獄にいましたが、昼寝を一度もしませんでした。絶対に昼寝をしないのです。心に決めた睡眠、心に決めた食べ物以外は欲しませんでした。
8 人は死ぬ時に、王子なら王子の権威を備えて死ななければならず、忠臣なら忠臣の姿勢を備えて死ななければなりません。のたれ死にすることはできません。お父様は、興南の監獄にいる時も、体を拭き、毎日のように冷水浴をしました。一日中肥料の山で仕事をしたので、硫酸アンモニウムが体に付いていて、皮膚がただれる可能性があります。そのような体を、夕方に飲むように与えられる水を飲まずに、明け方に起きてその水で手拭いをぬらし、冷水浴をしたのです。「出役(働きに出掛けること)!」という声がして準備するその時間に、サッサッサッサッと拭きました。
収容者たちに、便所で使うような水で沐浴させていましたが、私は死んでもその水ではしませんでした。ですから、水を飲むことが問題ではありません。自分の体を保護しなければならないのです。私は監獄にいながらも、ふくらはぎを人に見せたことがありません。いい加減な生活はしませんでした。興南の監獄で「獄中の聖者」という名前を残した人物なのです。
9 天に侍る人は、監獄にいるからといって、体をなおざりにすることはできません。これ以上ないほど疲れる労働をしても、座る場所を選んで座り、土曜日や日曜日には昼寝をしたことがありません。他の人たちは、重労働をして帰ってくると、御飯を食べるやいなや寝てしまいますが私はそのまま寝たことがありません。監獄で一緒に生活する人たちは、重労働で疲れて先に寝るので、お父様の寝る姿を見たことがないという話が出たのです。そして、明け方には誰よりも早く起きます。また、夜は必ず一人で運動をします。そこでは飲み水がどれほど貴いか分かりません。一口の水が命と同じです。
そして、小さな部屋に数十人がいるので、夏の暑い時には、汗をかき、服を脱いで絞れば汗水が出るのです。ですから、ひしゃくで何杯も水を飲まなければ生きられません。自分の体を清めた、その立場で天に侍るのが道理です。
そこでは、どんなに暑くても自分の肌を見せませんでした。肥料工場から出てくる肥料が窯で熱せられて出てくるので、どれほど暑いでしょうか。そのような暑い所でも、下半身を見せませんでした。貞節を守る女性以上の訓練をしてきたのです。いくら監獄での生活が険悪でも、私の行く道を遮ることはできません。
10 興南の監獄に入って肥料工場で仕事をするとき、とても暑い陰暦五月から六月の盛夏でも、お父様はズボンの裾を締めるひもを結んで仕事をしました。すねも出しませんでした。最近は半袖の服も着ますが、昔はそのような服が本当に嫌いでした。私の体を神様のみ前に捧げなければならない神聖な道が残っているので、神様のために精誠を尽くすところでは、誰にもこの体を見せたくないと思ったのです。ですから、一人で寝る時も、手足を広げて眠りませんでした。上に神様がいらっしゃるというのです。寝る時にも礼法があるのです。
11 私が共産党の統治下で監獄生活をしていたときは、要注意人物でした。その監房には、誰々を監視せよという命令を受けた二、三匹の犬がいました。その犬というのは、動物ではなく、「臭いを嗅ぐ人問」だというのです。それが分かったので、私は話をしませんでした。半月たつても話をしませんでした。そして、日曜日は寝ないことで有名でした。また、明け方に起きて冷水摩擦をすることで有名でした。
いくら困難な環境に置かれていても、天に侍る責任があります。地獄に行っても、そこで天国人としての生が光り輝かなければなりません。いくら薄手の服を着て寒くても、いくら追われる哀れな立場にいたとしても、自分が選ぶべき天との関係を優先させてきました。