Episodes
Friday Apr 28, 2023
真の父母経 第137話
Friday Apr 28, 2023
Friday Apr 28, 2023
天地父母の理想である自由平和幸福の天一国安着万歳
7 「天一国」の「天」の字は、「二人」を意味します。そして、「二の字は、上の水平と下の水平のことを意味するのです。天上世界と地上世界が平和にならなければなりません。ですから、天宙平和という意味が含まれるのです。「天一国」の水平(一)は、統一の「一」の字です。それで、二〇〇一年の標語は、「二人が真の愛を中心として、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨を完成しよう」というものでした。
真の愛でなければ、み旨を完成できません。絶対、唯一、不変、永遠、絶対的愛、唯一的愛、不変的愛、永遠の愛のみ旨を完成しようというのです。それが、二人が一つになった国、天一国です。天宙という言葉は、天地の家を意味します。男性も女性も水平になって、天に侍らなければなりません。侍る天を中心として、「私」の体と心が一つにならなければならず、その次に、夫婦が一つにならなければならず、父母と子女が一つにならなければならず、兄弟が一つにならなければなりません。すべて二人です。
主体と対象圏がどこでも一つになるには、真の愛でなければ駄目なのです。真の愛が中心になります。個人的中心、家庭的中心、次第に大きくなっていきます。その次には、父母と子女の中心、兄弟の中心になります。そうして、家庭定着です。
家庭定着ができれば、家庭を中心として氏族と一つになり、氏族が一つになれば、氏族を中心として民族と一つになり、民族が一つになれば、民族を中心として国家と一つになり、国家は世界と、世界は天宙と、天宙は神様と一つになった統一的国家にならなければなりません。そのようになれば、横に行っても縦に行っても、ぶつかることはないのです。
8 二〇〇二年の標語は、「天地父母の理想である自由平和幸福の天一国安着万歳」ですが、その自由、平和、幸福は、真の愛を中心として語る言葉です。真の愛を中心とした自由、真の愛を中心とした平和、真の愛を中心とした幸福です。これは家庭にも入り、すべてに入ります。一人で幸せになることはできません。幸福の基礎は家庭しかないので、これを連結できる家庭がたくさん繁殖しなければなりません。
四位基台は、祖父母、父母、自分たち夫婦であり、息子、娘まで含めれば四代です。これが一つのカテゴリーです。四位基台の上で、アダムの孫からは数十双が出てきても大丈夫です。これが種になっていて、モデルが出てきたので、ここから十二支派が出て、数百支派が出てくることができます。息子、娘をたくさん生んでペアをつくるほど、アダムの家庭が栄えるのです。
ですから、四位基台完成のもとで四系列が出てきます。祖父母、父母、自分たち夫婦の三代が暮らせば、息子、娘が出てきます。三代を中心として、創造本然のアダムとエバの息子、娘と孫たちが出てくるのですが、この四代からは種になって、結婚さえすれば、天国にそのまま入ります。それが一つのモデルなのです。
真の愛で私たちの家庭が天一国の孝子忠臣聖人聖子の真の家庭を完成できますように
9 二〇〇三年の標語は、「真の愛で私たちの家庭が天一国の孝子忠臣聖人聖子の真の家庭を完成できますように」です。ここに、神様の創造理想の全体が入っています。個人、家庭、氏族、民族、国家において、真の家庭を中心とした孝子の伝統を受け継ぐのが忠臣であり、忠臣の伝統を受け継ぐのが聖人であり、聖人の伝統を受け継ぐのが聖子です。
そして、聖子の伝統を受け継いで王権が樹立されます。ここでの相続は、神様の王権を占領した基盤で成し遂げられるようになるのです。
堕落した世界の個人の所有権や国に属しているものは、すべて否定されなければなりません。それは、結局は堕落した世界の結果物です。神様が願わない怨讐の血統に連結され、汚された世界です。神様は、その影がかかることさえも好みません。戦争によって大勢の人たちが死に、興亡盛衰を経てきたこの悪の世界を、神様が管掌(かんしょう:役目の権限をもってつかさどること)することはできないというのです。
10 真の愛によって、私たちの家庭は天一国の主人になり、孝子にならなければなりません。主人になるというのは、孝子になったあとに語る言葉です。
その次には、忠臣、聖人、聖子の真の家庭になってこそ主人になります。それは、ただ盲目的に語った言葉ではありません。これは、天理原則において避けることができない一つの礎石を据えた立場なので、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をして、自分は千辛万苦の受難の道も感謝しながら、百回、千回死んでも、無限大の世界のために行かなければなりません。
神様が宗教圏を中心として愛し、信じることのできる、御自身の側にいる人が犠牲になっても、耐えるしかなく、助けてあげられない(神様の)無念な心情を皆さんが体恤し、行く道を前にして涙が前を遮り、血と汗が自分の周囲にしみ渡っていてこそ、サタンが皆さんに入ってくることができないのです。ために生きて涙を流し、ために生きて血を流したその跡があるので、サタンが来ることができないというのです。サタンは利己主義です。利己主義なので、その場を侵犯できません。
11 家庭のモデルが忠臣と通じ、忠臣のモデルが聖人と通じ、聖人のモデルが聖子と通じ、聖子のモデルが王権と通じます。ですから、真の父母がいらっしゃる天一国には、真の父母、真の主人、真の師、真の王が行くのです。孝子、忠臣、聖人、聖子、王権と同じです。その位置まで越えていってこそ、相続を受けます。はっきりと教えてあげるのです。いくらうまやっても、中間では駄目です。福を受けようとしてみなさいというのです。死んだのちには、墓場に行かなければなりません。これは、墓場ではなく、天国に行ける間違いのない道です。今や、世の中がすべて知っています。
ですから、二〇〇二年七月四日、ワシントンDCで天の解放宣布式を行うとき、霊界の決意文を宣布しました。第一は、「絶対真の父母である神様と真の父母様を知って信じる」、次に「絶対真の師である神様と真の父母様を知って信じる」、その次に「絶対真の主人である神様と真の父母様を知って信じる」、また、その次に「真の父母様を神様の実体として、真の父母、真の師、真の主人として信じて行動する!」です。
王です。王にならなければなりません。真の父母、真の師、真の主人です。王は一人しかいません。ですから、「統一家の祝福家庭は、父母様を王として、侍りなさい」と言いました。そうしてこそ、相続を受けます。王の前に行って王子になってこそ、相続を受けるのです。聖子になってこそ相続を受けます。それを受けられなければ、あの国(霊界)に行って引っ掛かるのです。
神の祖国と平和王国時代宣布
12 二〇〇四年一月一日、きょうから「神の祖国と平和王国時代」に入ります。宣言ではなく宣布です。宣布というのは、そのような時代になったということです。これは、個人だけでなく、全世界、天地に及ぶので、宣布の内容は既に宣言時代を通り過ぎたのです。
その言葉は、神様の祖国光復はもちろん、神様の平和王国時代も既に宣布されたので、そのような世界に生きる人として、そのような立場に立ち、神様の平和王国を完成しようということです。
13 「神の祖国」という言葉を二〇〇四年一月一日のけさ、宣布したので、これから神の祖国が始まります。そして、平和王国を宣布しました。神の祖国と平和王国が始まったので、その場は堕落した世界と何の関係もない場です。堕落する前、神様が願った神の国、神の祖国です。その祖国の領土で親族が暮らすことができ、民族が暮らすことができ、国々が暮らすことができます。全体が天の国になり得るのです。仮想ではない実存的存在圏です。
この祖国の上から、すべてのものが始まり、議論されなければなりません。「祖国」とは、このように貴い言葉だというのです。祖国がないところで成し遂げられたものは、すべてなくなります。国がなければ、「大韓民国」という言葉も、「白衣民族」とい言葉もあり得ません。
神様が願う祖国の地の内容が、歴史時代を経て個人から家庭、氏族、民族、国家に連結され、世界の祖国光復を宣布できるその時になれば、このすべてのものが、祖国の上で存在し始めるというのです。しかし、そこから脱落したので、蕩減法で代用するために、今までは条件的基準を中心として生きてきました。神の祖国の領土ができたという時には、過去の条件的立場でその名分を立ててきたものをすべて踏みつけ、断ち切り、ひっくり返して、この祖国の領土の上に再び立てて改造しなければならない時代になるというのです。
14 皆さんが夢の中でも考えなければならないことは、神の祖国と平和王国です。神様は祖国を願い、人間は平和王国を願いました。天が願い、地が願ったことを所願成就したので、死ぬとしても感謝しなければなりません。皆さんがこの地上に生きて、死ぬ時になれば、地に対して感謝し、万物の前に恥ずかしくないように忠孝の涙を流さなければなりません。自分自身の享楽のために生き、楽しみのために生きて涙を流す、恥ずかしい息子、娘になってはいけません。
Friday Apr 28, 2023
真の父母経 第136話
Friday Apr 28, 2023
Friday Apr 28, 2023
第五節 天一国理想の実現に力点を置いた二〇〇〇年代
真の父母様は、二〇〇〇年代を迎え、神人愛一体理想を成し遂げて天一国理想を実現し、天地人真の父母勝利解放完成を目標とする年頭標語を発表された。すなわち、二〇〇〇年は「真の愛の天宙化は新千年天国完成」、二〇〇一年は「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という標語において、真の愛を通した一体化を強調された。続いて、二〇〇二年は「天地父母の理想である自由平和幸福の天一国安着万歳」、二〇〇三年は「真の愛で私たちの家庭が天一国の孝子忠臣聖人聖子の真の家庭を完成できますように」、二〇〇四年は「神の祖国と平和王国時代宣布」、二〇〇五年は「内外天一国理想が完成されますように」、二〇〇六年は「天宙平和理想モデル摂理安着時代」、二〇〇七年は「天宙平和天一国太平聖代億万歳」、二〇〇八年は「天宙平和連合天一国双合七八禧年万歳」など、天一国と関連した年頭標語を提示された。そして、二〇〇九年は「天地父母天宙安息圏絶対性真の愛真の生命真の血統権勝利宣布時代」、二〇一〇年は「真の愛天宙安息権清心一萬勝一萬歳」、二〇一一年は「天情父母地和子女定着終最一体完了天宙定着天一国萬歳」、二〇一二年と一三年は「天地人真の父母勝利解放完成時代」など、天地人真の父母様の一体化と勝利を標語として発表され、二〇一四年から二〇年までは、年頭標語として「創造主、天の父母様に似た、真の愛を実践する天一国の真の主人になろう」を発表された。
真の愛の天宙化は新千年天国完成
1 二〇〇〇年の標語は、「真の愛の天宙化は新千年天国完成」です。「真の愛の天宙化」という言葉は、真の愛の家という意味です。存在世界の真の愛の天宙化です。「天宙」とは、神様の家を意味します。神様がとどまり得る家は、新しい千年を通じて完成するという標語です。真の愛の天宙化を通して、神様がどこにでも永遠に住める新千年時代の天国完成が出発するというのです。
2 天国は、自由が永遠にある所であり、希望が永遠にある所であり、幸福が永遠にある所であり、真の愛と真の生命が永遠にある所です。神様の家で暮らしながら、神様とすべてが一つになっているので、間違いがありません。ですから、統一教会では、互いに愛することによって、世界のすべての人々が「私の家である。私たちの家である」と考え、一緒に暮らしていくのです。統一教会の人々は食口です。
家庭と食口が天地安息圏の中心にいるので、このような公式原理に従って、統一教会は家庭第一主義、兄弟第一主義、食口第一主義を主張するのです。それが、真の愛を中心として、真の血統と連結された真の家庭です。
3 二〇〇〇年の標語は、「真の愛の天宙化は新千年天国完成」です。千年王国時代を築かなければならないというのです。「新千年天国完成」時代に越えていくというのです。漠然としていません。家庭が国家を探し出すことによって、エバが堕落した長成期の基準を越え、アダムとエバの完成基準を越えて、家庭、氏族、民族、すべてを祝福し、天地のすべてが向きを変えるのです。それにより、第三次アダム時代に蕩減を解消し、解放的第四次アダム圏時代になったので、国家を越えた家庭にならなければならないというのです。
国に戸籍を登録できる時代になったので、自由勝利の定着圏になるというのです。ですから、家庭の解放です。エデンの園で入籍が必要のない家庭になったので、ここでは自由です。父母様が教えるみ言のとおり、一つになって生きれば、自主的な立場で、地上と天上のどこに行っても行路の制限を受けない、解放時代に向かっていくので、もはや国境はすべてなくなるのです。ですから、自主的な立場で祈らなければなりません。今までは「切に願います」と祈りましたが、これからは報告です。善意の報告なのです。
解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように
4 「家庭盟誓」の八節の終わりに、最も重要な一つの単語があるのですが、それが「解放」という言葉です。神人愛一体理想を成し遂げ、地上天国と天上天国の解放圏を完成しようというのです。二〇〇一年の標語は、「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」です。「真の愛の主体性」とだけ言えばよいのに、「真の愛の主体性」の次に、「絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」が入ります。
この標語は、新千年紀の期間にも必要なものですが、特に子女たちと父母が共にこれを成し遂げて、地上天国を完成しなければならないというのです。神様だけでなく、皆さんも成し遂げなければなりません。父母様だけではありません。
解放された天地父母と解放された子女が成し遂げなければならないのです。一心一体になって成し遂げなければなりません。そして、真の愛の主体性、主流思想です。主体性と言えば、骨子について言っているのです。神様が成し遂げようとした絶対の愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛のみ旨を成し遂げなければならないというのです。
5 二〇〇〇年十二月三十一日までの二千年の期間は、第二イスラエル圏を中心として、世界的な蕩減路程を歩んできた時代でした。今やそのような時代は過ぎ去り、黎明が訪れ、新しい成約時代を迎えて、祝福の理想が天宙化される時代になりました。ですから、「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という標語は、一時だけでなく、永遠に続くあの世でも皆さんに残る課題だというのです。そして、家庭がどれほど貴いかを知って、一心同体になり、天地父母様のみ旨を完成してさしあげなければなりません。
そのためには、世界主権を復帰してさしあげなければなりません。すべての主権下にある家庭が、天地父母、神様の伝統思想に従っていけばよいのです。個人を復帰し、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階の真の愛の理念的国家観を形成しなければなりません。また、真の父母の理念となる国家観を完成しなければなりません。そのよな責任が、祝福を受けた家庭である皆さんにあるので、きょうからは祈りの内容が変わります。
今までは、「真の父母の勝利圏を祝福によって受け継いだ…」でした。祝福がなければ、真の父母の勝利圏に同参(一緒に参加すること)できません。真の父母と血縁的関係を結び、断ち切られた血統を新たに連結させたので、真の父母の息子、娘の絆を掲げているのです。
永遠不変の神様に統治されるこのすべてが、堕落していないアダムとエバの実体圏として祝福を受けたとすれば、神様の愛と神様の生命が連結され、神様の血統が第一代の祖であるアダムとエバの家庭から束ねられ、これが種になって拡大されたはずですが、三代を通じたこの結実的血統の種が植えられませんでした。これが堕落です。父母様が一代だとすれば、皆さんは二代ですが、皆さんが息子、娘を誤って育てれば、堕落した後裔のその伝統から抜け出すことができないというのです。
6 今後、父母様の所に思いどおりに訪ねてくることはできません。条件を提示するでしょう。国ができれば、厳格にするのです。世の中の法のうちで、大韓民国の法が問題ではありません。その十倍以上の法を中心として、越えていくべき道が残っているというのです。一生において、それを越えていかなければなりません。そのような過程が残っているので、これから皆さんは、どのように生活しなければならないのでしょうか。祈祷時代は過ぎ去りました。救世主がいてこそ、祈りも通じるのです。救世主が解放圏にすべて導きました。解放圏を開いておいたのです。
ですから、二〇〇一年の標語は「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」です。一緒に協力するのです。協力して、報告することがうまく行ったのか、行かなかったのかを見て、うまく行かなかったときは、挽回しなければなりません。挽回するまでは報告できません。祈祷ではなく、報告です。良い報告ができる実績をもてなかった人は、父母様がいる場に来ることができません。
Friday Apr 28, 2023
真の父母経 第125話
Friday Apr 28, 2023
Friday Apr 28, 2023
第四節 「万物の日」宣布献貢式と「万物の日」宣布
真の父母様は、一九六三年、陰暦六月六日(陽暦七月二十六日)、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で献貢式を開催された。天の子女の名で、サタン圏に属していた天下の万物を神様のものとして取り戻し、お捧げする儀式であった。真の父母様は、この献貢式を期して、陰暦五月一日に遡り、翌年から毎年、この日を「万物の日」として記念するようにされた。真の父母様は、三年路程の終結宣布の翌日である一九六三年、陰暦五月一日(陽暦六月二十一日)を「万物の日」と定められたのである。
1 きょう、献貢日を迎えた皆さんは、今やすべての条件を立てて、国がなく、民がなく、領土がなくて悲しまれる父のみ前に、「これから天国の民を立て得る神様の息子、娘が現れ、その息子、娘が勝利して家庭を築き、家庭を束ねて民族と国家を築き、国家を動かして世界的基盤を築く歴史が始まりますので、喜んでください!」と言うことができなければなりません。
統一教会を中心として見るとき、宗教的に一次的な勝利の基盤を築いておき、聖婚式を通して二次的な出発を宣布するようになりました。私たちが今までこの国に宣布した中心内容は、私たちの真理と祝福です。聖婚家庭を通して、そのようなことを宣言してきました。このように、一次、二次を経てきながら、国家的な大行事として宣布し得たというのは、私たちが今後、天国を建設するのに、国家と縁を結ぶようになる、時代的な恵沢圏内に入ってきていることを意味します。
2 人間は、信仰、心情、実体を失って堕落しました。お父様は、神様に最も忠誠を尽くすために、最も信じられないことを語る人は誰か、と探し求めました。「私は神の夫人である」と語る人、「私が主である」と語る人などを訪ね、彼らが歴史を代表する信仰をもっているか、心情をもっているか、実体になったかを試験したのです。
信仰を決定したのちに、心情復活と実体復活を宣布しました。そして、縦的に取り戻してきたものを横的に立てたあとに祝福をしたのです。この基準の上で(天が)褒美を与えたということです。
また、このように横的な基準が立てられたあとに聖地を選定しました。このような背景で、神様にすべてのものを捧げるという条件の献貢式をすることによって、縦的なものが横的に展開され、平面的な基準が生じるようになったのです。
3 きょう、献貢日を迎えて、皆さんが参加したこの場に来るまでの道は、涙の道でした。この場は涙の場です。どれだけ泣いても止められない涙の場であり、痛哭しても形容し難く、どんなものによっても遮ることができない場です。ただ、自らの心の奥深くに、他の人が知らない抱負をもったとすれば、何か外的な物をもっていることが福であると思うのではなく、心の奥深くにもっているこの怨恨とこの悔しさを、億万のお金とも換えられない無限の価値のものとして感じなければなりません。これを貴く思うことができ、これを完結するための責任を背負うことができる心が必要です。
その心を、皆さん全体の中心心情として仰ぐようになるとき、神様はここで初めて、六千年の深い悲しみを私たちに相続させることができるというのです。
この場は、神様の悲しみ全体を厳粛なものとして相続する場です。それを相続しておいて、父が立てようとされた本然の万物を、万宇宙と世界に、父の喜びのものとして復帰してさしあげる基盤を築こうという信念だけが、皆さん自身にとどまらなければなりません。そのようになってこそ、ここに参加できる資格をもつことができるのです。悲しい歴史をもった天の曲折を忘れてはいけないというのです。
4 (天の)お父様、この献貢金は、万物をすべてお父様のみ前に捧げる条件の祭物でございます。これを締めくくるために真の父母を立てられ、真の家庭を立てられ、真の聖地を立てられました。
この聖地を基盤として、精誠の込められた心の基盤の上に条件を立て、数多くの子女たちが集めたこの献貢金をお父様のみ前にお捧げいたします。これは、この国全体を象徴するものであり、これは全天宙を象徴するものであり、これはお父様の六千年間の悲しみを解怨してほしいという、この上なく微々たる条件物でございます。物質それ自体を御覧にならず、その背後に連結された心情だけを御覧になるお父様であることを知っておりますので、この条件をお父様のみ前にお捧げいたします。
ここには血の涙が混ざっています。統一信徒たちが聖地を探し求め、涙を流しながらお父様のみ前に訴えた心情の絆が連結されていますので、エデンの地の上に、韓半島の上にある万物をお父様のものとして今や掌握してくださり、お父様の民として、お父様の国として掌握してくださって、全世界を掌握できる勝利の基盤として受け取ってくださることを、お父様、切にお願い申し上げます。
5 私たちは、天地万物を造った神様に、蕩減基金をお捧げしなければなりません。聖別してお捧げしなければならないのです。アブラハムが祭物を捧げるとき、鳩だけを裂かないことによって、すべてのことが失敗に帰しました。天地がすべてひっくり返ったというのです。アブラハムが祭物を誤って捧げることによって、すべてのものが落ちてしまったのです。
今回、私たちがすることの中には、ありとあらゆることがあるでしょう。血を売って差し出す人もいて、あらゆる苦労をしながら商売をする人もいるでしょう。皆さんがそのようにできなければ、恨になります。そのような歩みを見るたびに、涙を流す立場に立たなければなりません。宇宙的な理念を中心としたみ旨であるとすれば、その理念圏内に立った父母を中心とした兄弟、そのような兄弟を中心とした家庭、そのような家庭を基盤とした天宙が必要です。ですから、万物を復帰する一日」を制定したのです。
6 ユダヤ教がイエス様の命を奪うことによって、神様のみ前に非常に大きな釘の跡を残しました。積み重なったその恨を解かなければ、天と地を復帰できません。完全復帰のためには、本来、万物の祭物時代、子女の祭物時代、父母の祭物時代を経なければなりません。ところが、アダムとエバが神様に背いてから、ただの一度も父母の立場で祭物を捧げたことがありませんでした。
しかし、皆さんの前に「父母の日」が立てられるようになったので、父母を通じた「子女の日」が出てこなければならず、「万物の日」が出てこなければなりません。これによって、神様の心情を解怨成就し、父母の心情、子女の心情、万物の心情(嘆き)を解怨成就しなければなりません。そのようにしてこそ、アダムは堕落しましたが、私たちは堕落しなかったという条件を立てて、嘆息圏を抜け出せるようになります。ですから、私たちは、そのような日々を定めるとき、逆さまにして、まず「父母の日」を定め、それから「子女の日」、「万物の日」を定めたのです。
7 「万物の日」は、どのようにして出てきたのでしょうか。エデンの園でアダムとエバが堕落することによって蒔いた罪の種が、彼らの息子たちであるカインとアベルとして収穫されました。ですから、罪の種を蒔いた父母が復帰されなければなりません。そして、天宙史的な父母復帰の基台を中心として、忠孝の道理を果たすことができる子女の基準を復帰しなければなりません。この基準が決定されたあとに、初めて「万物の日」が出てくるようになったのです。
この地上に広がっている万物は、この上なくかわいそうな立場にいます。神様が希望の中で造った万物であり、神様があらゆる精誠をすべて尽くして造った万物でしたが、人間が堕落することによって、万物は人間に代わって贖罪の過程を経なければならなかったのであり、悲しく犠牲にならなけれしばなりませんでした。人の命を奪って祭祀を捧げることはできないので、万物を祭物として犠牲にする祭祀を捧げてきたというのです
8 復帰路程においては、万物を復帰し、子女を復帰し、父母を復帰してきました。万物を祭物として捧げ、その次に、息子を祭物として捧げました。その次には、父母に向かって上がってきました。ですから、霊的に父母がその十字架を負ったのです。イエス様と聖霊が、そのような迫害を今まで受けてきました。キリスト教がそうだというのです。それゆえ、逆さまに上がってきたのです。
私たちの時代には、これをまた逆さまに立ててこなければなりません。ですから、「父母の日」を定めたのは、この十字架の長成段階を越えることを意味します。「子女の日」もそうであり、「万物の日|もやはり同じです。このようなことをすべてしておいて、「神の日」を設定したのです。
「万物の日」に対する姿勢
万物は、本来神様に属したものであるため、すべての財産は神様に奉献しなければならない。特に祝福家庭は、所有物を神様のみ前に捧げ、神様の名によって再び相続を受けなけれfならないのである。真の父母様は、万物が、真の主人に出会い、公的な権限と価値を賦与され、真の愛の管理を受けなければならないと語られた。また、日常生活のすべての必需品は、被造万物を象徴した物であるため、いい加減に扱ってはならず、貴く扱い、評価することを強調された。
9 「万物の日」を通して、これから第三の父母との絆を私たちが結んでいかなければなりません。ですから、万物を愛さなければなりません。慈悲の思いをもって万物を愛する心を育み、鳥を愛し、動物を愛し、すべてのものを愛する心を育んでいくことによって、今後、父母に対する愛も実践でき、人に対する愛も実践できるのです。
堕落圏内において、三大嘆息圏を神様から、人類の父母から、人類から、万物から解怨成就できる道は、ただ統一教会の道しかありません。そのような道を開門する最初の出発の日々が「父母の日」であり、「子女の日」であり、「万物の日」です。万物は第三の父母です。ですから、自分の体を愛するように、万物を愛し得る皆さんにならなければなりません。愛する主人には、すべてのものが付いてくるようになっているのです
10 「万物の日」を祝う理由は何でしょうか。皆さんの所有する万物を、神様のみ前に結束させるためです。そのためには、皆さんの私有財産はもちろん、共同財産である国のすべてのものを、神様のみ前に復帰してさしあげなければなりません。これが皆さんの責任です。また、世界、地球星を神様のみ前に奉献してさしあげなければなりません。皆さんには、この地球星を神様のみ前に奉献してさしあげる責任があるのです。
奉献するときは、必ず父母の名を通してお捧げしなければなりません。そのような所有の権限が、どんな天地にも連結される領域をつくっておいてこそ、「万物の日」を祝う目的が達成されるのです。
11 人間を再創造しようとすれば、アダムとエバが創造される前の世界から再創造しなければなりません。ですから、アダムとエバの前に造られた被造万物がなければなりません。しかし、人間が堕落することによって、そのような被造万物が「私」にはありません。
そのため、統一教会では、七数の半分となる三年ないし三年半の路程で、必ず自らを再創造できる天の物質的要件を復帰しておかなければならないのです。それは、神様がするのではありません。
六数は蕩減路程期間であり、七数は安息圏であると考えるとき、三年ないし三年半の路程は必須です。このようにして、自分の血と肉を注がなければなりません。自分の血を与えたからといって、それが物質的条件になるのではありません。血と肉を投入して、サタン世界の物質を聖別できる立場に立たなければならないのです。それは、自分の欲心のための物質ではなく、宇宙的で公的な物です。天の公的な物にならなければなりません。神様の物にならなければならないのです。
12 お父様は、草創期に狩りに行きました。早朝に出掛け、夕方に太陽が沈み、真っ暗になるまで山から下りず、夜はそこで眠ってまで狩りをしてきたのです。韓国の高い山という山は、すべて踏破しました。
ある時は、猪を捕まえようと出発したのですが、十四日が過ぎるまで、猪の足跡一つ見つけられなくても続けました。他の人々は、「お父様はなぜこのようなことをするのか」と不平を言いました。猪を捕まえようと歩いたのではなく、山を踏破したのです。高い山と低い山、深い谷間を踏破しました。それがすべて終わったので、その次は海に行きました。
海に行って、船に数十年間乗りました。一九六三年に「天勝号」を造ったのです。アメリカでは、船を造って乗り始めてから、生涯にわたって乗り続けました。早朝五時に出ていって、夜十二時に帰ってくるのです。雨が降っても雪が降っても、毎日のように出掛けました。だからといって、魚を捕まえようとしたのではありません。精誠を捧げたのです。これは、神様が造った隠された宝物です。永遠に生きる実体として造っておいたのです。ですから、五大洋をくまなく探し、すべて踏査したのです。
Friday Apr 28, 2023
真の父母経 第128話
Friday Apr 28, 2023
Friday Apr 28, 2023
勝利的主管者となろう
9 一九六三年の標語は、「勝利的主管者となろう」です。過去三年間は、人間として相続できるすべての条件を備えるベき期間でした。しかし、一九六三年からはその段階を越えて、万物を復帰する年に入るので、これからは継続して同じ標語を用いるでしょう。それで、聖地復帰が必要なのですが、何としてでも聖地(となる地)を買わなければならず、一旦買えば、絶対に売ることはできないのです。生きても聖地の近くに行って生き、死ぬとしても聖地の近くに埋葬されようとしなければなりません。
聖地(となる地)は、血の代価を集めて買わなければなりません。すなわち、人類の父母として来られたイエス様を売った血の代価を払って、買わなければならないというのです。万物の主管主になるためには、まず勝利しなければなりません。勝利は、神様を中心とした勝利です。それが最高の勝利です。(それが)私たちの標準なのです。
10 私たちは、生きた資料を作るために苦労しなければなりません。一九六三年から五年間は、「勝利的主管者となろう」という標語を中心として活動しなければなりません。よく耐え、我慢してきたので、今から攻勢をかけましょう。今からは万物を復帰しなければなりません。
皆さんを生きた教本にしようと思うのです。教会的な使命時代は過ぎ去り、民族を懸けた闘いが始まるでしょう。個人を中心とした家庭の時代が過ぎ、家庭を中心とした民族の時代が来るので、天を中心とした民族をつくらなければなりません。
11 皆さんが勝利的主管者になろうとすれば、全体の勝利を願う前に、まず個体の勝利的な基台を築いていかなければなりません。この「勝利」というものは、過去にも願い、現在にも願い未来にも願っていくべき言葉です。神様も願ってこられ、地も願ってきて、私たちの先祖たちも願ってきた言葉でした。しかし、堕落したその日から今日まで、人類と神様は、お造りになったこの理念の世界において「勝利」という言葉を携えることができず、「悲しみ」と「悲惨」という言葉を携えてきているのです。生活環境の中から私たちが願わないすべての要件を完全に除去するまでは、完全な勝利はあり得ません。
12 皆さんは、どのような勝利的主管者になるべきでしょうか。信仰を中心として、信じることにおいて勝利的主管者にならなければなりません。そのためには、闘って勝たなければならないのです。完全に勝利するためには、すべてから公認を受けなければなりません。闘って勝つのはもちろんのこと、勝ったあとは天地の公認を受けなければならないのです。そのようにして、初めて信仰を中心とした勝利的主管者になります。公認を受けるのですが、ある限定された時間圏内でのみ公認を受けてはいけません。現実の舞台でのみ公認を受けても駄目なのです。過去、現在、未来に通じる立場で公認を受けなければなりません。そこには、個人から世界まで、すべて入っていなければなりません。そのような公認を受けなければなりません。希望においても同じであり、愛においても同じです。
13 第一次七年路程の中で、後半の四年路程の標語を「勝利的主管者となろう」としました。この期間に私たちは、神様のみ前に地を探して立ててさしあげなければなりません。個人から家庭、氏族、民族、国家まで、どこに行っても全体が歓迎できる安全で自由な環境を整えることが、この四年路程の期間に皆さんが果たすべき責任です。
神様は勝利的な立場で天地を主管できませんでした。勝利的な基盤の上で、栄光の姿で天と地と万民を主管できずにいらっしゃるというのです。復帰路程に従ってきた数多くの先祖たちも、勝利的な主管者になることができませんでした。
二千年前、神様のひとり子であるイエス様も、その使命を完結するために来ましたが、その方もまた、この地上で勝利的な主管者になれませんでした。それで、イエス様と聖霊が今まで二千年間、勝利的主管者の基盤を整えるために闘ってきているのです。
この勝利的主管者の最後の基準は、神様です。必ず、神様が先にこの勝利的な基準に上がらなければなりません。神様が勝利的な位置に上がるまでは、この地の誰も勝利的な位置に上がることはできません。天と地の勝利的な主管者の位置を確立するために来られる方が、再臨主なのです。
14 統一教会は、勝利的な父母に侍らなければならず、勝利的な子女をもたなければならず、勝利的な養子をもたなければならず、勝利的な僕の群れを備えなければなりません。ですから、私たちはどんな立場であっても出ていって、サタンを退けることができなければなりません。僕として出ていってもサタンを退け、養子として出ていってもサタンを退け、直系の息子、娘の名分で出ていってもサタンを退けなければなりません。さらに、父母の名で出ていってもサタンを退けなければならないことは、言うまでもありません。このような立場に立ってこそ、勝利的主管者という名をもてるのです。
僕の立場における勝利的主管者、養子の立場における勝利的主管者、直系子女の立場における勝利的主管者、父母の立場における勝利的主管者のうち、どの位置でも備えなければならないというのです。皆さんがこのような立場ですべて団結し、勝利的な決定権をもったとすれば、何らかの制限された環境で動いてはいけません。勝利的主管者の権限を、民族であれば民族全体が歓迎しなければならず、ひいては、その威信と権威が民族を越えて地上で勝利を決定することはもちろん国家的な最高の権限をもって、世界に対して命令できる基準まで行かなければなりません。そのようにしてこそ、神様が地上に定着でき、天国の建設が地上で本格的に始まるのです。
お父様には、僕の僕、僕、養子、子女、父母の立場まで経てこなければならない歴史的な宿命があります。全体に責任を負ったお父様は、縦的に流れてきた歴史を横的に蕩減する勝利的な実体として立ち、これを収拾しなければならないというのです。
15 第一次七年路程の期間は、峠だとすれば最も高い峠であり、谷間だとすれば、一番深い谷間です。父母様が流した血と汗と涙が、この谷間にたまっています。この峠や谷間をそのままにしておいてはいけません。平地にしなければなりません。平地にするのですが、山を削って谷間を埋めるのではなく、この峠を根こそぎ運び出さなければなりません。
原則的に、この七年路程はたった一度だけです。復帰摂理歴史において、二回目はあり得ません。ですから、一片丹心で最後の峠を越え、勝利的主管者にならなければなりません。この勝利的主管者になれなければ、天国に入ることはできません。
全面的な進撃をしよう
16 一九六八年に、私たちはどのような道を行くべきでしょうか。今年は「平和を先導する全面的な攻勢をかけよう」、すなわち「全面的な進撃をしよう」という標語を中心として、第二次七年路程を出発しようというのです。これが、新年の初めから全国と全世界に広がっている統一教会員たちに勧告する課題です。
17 一九六八年の標語は、「全面的な進撃をしよう」です。「進撃」を「前進」と言うこともできます。「進撃」は過激な言葉だと言うのであれば、「全面的な前進をしよう」と言うことができるというのです。
この「全面的前進」という標語のもとに活動するためには、第一に内的整備、第二に目標意識の確立、第三に敗者となった結果を体恤しなければなりません。私たちは、以上の三つを備えて、必ずや勝利しなければなりません。内容を整備して前進するのですが、無謀に取り組んではいけません。そして、怨讐を推察して作戦を行うのですが、夜も昼もその環境を選別して行わなければなりません。
18 一九六八年は、第二次七年路程の出発と同時に、「全面的な進撃をしよう」という標語を立てて、推し進めてきた年でした。全面的な進撃は、ある個人を中心として行うのではなく、全体を中心として行い、世界を動かしていかなければならないのです。統一教会がそうであるように、韓国もそのような時があるでしょう。韓国がそうであるように、アジアもそのような立場で進まなければならず、世界もそのような立場で進まなければなりません。
ところが、世界もアジアも私たちの国もすべて、はっきりとした目的がありません。ですから、目的なく流れていく時代思潮に従って苦難を経なければ、新しい問題を中心として、個人的な分野を全体的な動向に合わせることができないのです。
しかし、統一教会は天的な目的を中心として、全面的な進撃という標語のもとで現れました。ところが、ここで全面的な勝利を成就できなければ、標語だけが残るようになります。すなわち、私たちは全面的な進撃という標語を中心として出発しましたが、その目的を達成するまでは、いまだ多くの過程が残っているというのです。ですから、最低限、大韓民国を中心として、国家的に統一教会が全面的に是認される基準まで行かなければなりません。
その時までは、私たちがこのような体制を続けなければならないので、一九六九年も同様に、「全面的な進撃」を標語にするようになったのです。ですから、一九六九年までは「全面的な進撃」という標語を中心として、体制と活動を強化しながら動くことを皆さんに宣言します。
Friday Apr 28, 2023
真の父母経 第127話
Friday Apr 28, 2023
Friday Apr 28, 2023
第四章、年頭標語と段階的摂理目標の設定
第一節、摂理的基盤の造成に総力を傾けた一九六〇年代
真の父母様は、一九六〇年から毎年、年頭標語を発表され、すべての食口に摂理の方向と目標を設定してくださった。一九六〇年代には、聖婚式と真の子女様の誕生、祝福家庭の輩出はもちろん、真の父母様が直接、先頭に立って七年路程を歩まれ、全世界の統一食口が行くべき方向を提示された。
そのため、年頭標語も、一九六〇年は「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」一九六一年は「父の代身者となろう」、一九六二年は「見せてあげて誇り得る者となろう」、一九六三年から六七年までは「勝利的主管者となろう」、一九六八年と六九年は「全面的な進撃をしよう」など、総力を挙げての活動を督励する内容に定められた。
そして、特に一九六八年一月一日午前三時、「神の日」を宣布され、真のお父様の二十一年路程と食口たちの第一次七年路程を終えて、第二次七年路程を出発されたのである。
生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう!
1 一九六〇年の標語は、「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」です。一九六〇年は、縦的な歴史を横的に蕩減復帰する年です。ですから、神様のみ前に最大の実績を残さなければならない年です。最大の実績を残すためには、環境を吸収して出発しなければなりません。外的には、サタンの讒訴条件を除去できる年が一九六〇年です。
それゆえ、この期間に民族的、国家的なメシヤの基準を立てなければなりません。その時は社会から迫害を受けた時期で、私たちが自由にみ言を伝えられる時がいつ来るかと、気をもんだ時期でした。今は、天のものとして(実績を)立てるべき時です。「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」というのは、実績を立ててサタンの讒訴条件から抜け出さなければならないことを意味します。
2 「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」というのは、どのような意味でしょうか。人間はサタン世界で生きているので、蕩減の因縁を整え、サタン世界と分別された立場で、歴史的なすべての罪悪を蕩減復帰して勝利しよう、すなわち個人復帰をしようということです。それが人間の希望です。個人復帰をすることによって、神様の息子、娘になり、神様の代わりにサタンを審判できる権威をもった子女になろうというのです。
3 私は一九六〇年、この年の初めに、「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」、すなわち「この一年に、一生を通して忘れられない最も大きなことをしなさい」と、皆さんの前で宣言しました。
皆さんの手の中にお金がありますか。皆さんの生涯において、一身の幸福のためにお金を稼ごうと闘ったことはありますか。そのようなお金があるならば、天の国のために使わなければなりません。豪華な家にしがみついて今まで闘ってきたのですか。天の民を安息させるために、そのようなものは忘れてしまわなければなりません。このような悲壮な覚悟をしなければならないのです。今日、世界の人類がそのような立場に立てば、平和の世界になるでしょう。平和の王者は、そのような道を行く人です。平和を建設できる人は、そのような人です。
三千万の民族が泣き叫ぶ所に向かって進んでいくとき、「血と汗を流す所があるなら、私が行こう。罵(ののし)られる所があるなら、私が行こう」と言いながら、歯を食いしばる立場で、父を呼び求めながら涙を流す絆を残すことを、私は皆さんに強調しているのです。私はそのような道を歩んできました。今も、皆さん以上に胸が痛む思いがあります。天のためであれば、どんなことでもすべて行う覚悟ができているというのです。
父の代身者となろう
4 一九六一年の一年間、私たちが標語にして進むべきことは、「父の代身者となろう」です。皆さんは、これからこの一年間に、父の代身者であることを自ら体験するように願います。神様は、天と相対になるものとして地を造り、御自身に代わる実体対象として人類の先祖を造られました。神様のかたちをかたどって私たち人間を造られ、人間のかたちを象徴的にかたどって、先に万物を造られたのです。すべての被造物は、大きく見れば一つの塊であり、小さく見れば、すべて神様の代身存在として造られています。
私たちが代身存在の立場に立つためには、まず中心についてはっきりと解明しなければなりません。すなわち、私たちが神様の代身存在だとすれば、「神様はどのようなお方か。神様と私はどのような関係か」ということを解明しなければならないというのです。神様と「私」は本来、一体であることを忘れてはいけません。神様と私は、引き離そうとしても引き離せない一体の関係です。天が頭だとすれば、私たちは胴であり、天が胴だとすれば、私たちは肢体です。私たちと引き離そうとしても引き離せない立場にいる神様だというのです。
5 私たちは、世界的な混乱の時期に置かれています。混乱の時代に置かれている私たちが考えるべきこととは何かといえば、神様が私たち人間を造った本然の中心目標がどこにあったかということです。父と私たちは一つです。天と地は一つです。二つではありません。ですから、私たちは一つの中心の前に、死のうと生きようと、一つにならなければならない必然的な立場に置かれています。
ある目的があるとすれば、その目的を達成するためには、志が同じで、事情が同じで、心情が同じでなければなりません。そうでなければ、その目的を完全に成就することはできないのです。神様には、堕落した人間を、事情が通じ、心情が一つになり得る希望の園に導かなければならない責任があるので、神様と一つになるべき立場に立った人間も、やはり志が一つでなければなりません。二つではいけません。
神様のみ意であると同時に「私」の志であり、神様の事情であると同時に私の事情であり、神様の心情であると同時に私の心情だということを皆さん自身が体得し、そのような立場に立ったという自信をもたない限り、神様の代身者になることはできません。代身者になろうとすれば、必ず一つにならなければなりません。一つにならなければ、代身者にはなれません。ですから、堕落した私たち人間が目指すべき目標は、神様と一つになることです。
一つになるためには、願いが同じでなければならず、事情が同じでなければならず、ひいては心情的な一致点を備えなければなりません。そうでなければ、堕落した私たち人間は、神様と一体になることができないのです。
6 統一教会員たちは、今まで困難な道を歩んできましたが、消え去ることはありませんでした。最後まで残る人が父の代身者です。神様は皆さんに対して、息子、娘として、そして、代身者として、この国の三千万の同胞のために行きなさいと、喉が痛むほど泣き叫んでいらっしゃいます。至る所に、父の代身者、父の愛を受ける息子、娘を送りたいと思われるのです。
「あなたは私の代身者であり、息子、娘である」と言うことができ、サタンを退けて神様の真の愛を受ける人になることを願われるのです。皆さんが行く道は、豪華絢爛な道ではなく、神様の代わりに死ななければならない道です。天の父に代わって死の道をも行くべき立場にいる皆さんなので、息子、娘ですが、死の道を前にして闘っていかなければならないというのです。
見せてあげて誇り得る者となろう
7 一九六二年の標語は、「見せてあげて誇り得る者となろう」、すなわち「見せてさしあげられる者になろう、誇れる者になろう」ということです。逃げていくサタンを、どこまでも追っていかなければなりません。神様は個人を現して誇りたいと思われ、家庭を現して誇りたいと思われるので、このために闘って勝利しなければなりません。そのようにしてこそ、霊界と肉界を連結できる息子、娘になります。闘いに勝ってこそ、誇れるのです。皆さんは、天の家庭の復帰のために闘わなければなりません。一九六二年には、見せてあげることができ、誇ることができる基準を立てなければなりません。
闘う時は、神様を中心として、または天の家庭を中心として闘わなければなりません。そうして、勝利しなければならないのです。闘うとしても、最も苦しい場で闘わなければなりません。一番難しくて大変な労働者、あるいは乞食の中の乞食から始めて、頂上を圧倒して屈服させなければならないのです。父母と合同作戦をしなければなりません。父母と子女が力を合わせ、伝道しなければならない時です。父母と子女、一つの家庭が銃床(じゅうしょう)を並べて闘い、天的な家庭、氏族、民族を形成して全世界を復帰しなければなりません。これからは家庭を中心として闘わなければならないのです。
8 一九六二年は、歴史的に二度とない年です。それでは、この年をどのように迎えなければならないのでしょうか。神様が願われることを、何人かの統一教会の信徒だけでも解怨してさしあげようという目標のもと、新年を迎えなければならず、また、責任をもたなければなりません。
今年は、皆さんがサタンの讒訴を避け、神様の心配の対象にならず、前後、左右、上下、内外に不足のない存在にならなければなりません。神様が今まで摂理しながら誇りたいと思われた願いの実体にならなければなりません。また、天と地、全被造万物に認定され、ひいてはこの地とサタン世界にまで見せてあげ、誇り得る実体にならなければなりません。この一年はそれを実践し、やり遂げる皆さんにならなければなりません。
Friday Apr 28, 2023
真の父母経 第124話
Friday Apr 28, 2023
Friday Apr 28, 2023
第三節 「子女の日」宣布
「子女の日」の意義
真の父母様は、一九六〇年、陰暦十月一日(陽暦十一月十九日)、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で、感謝祭礼拝を自ら主宰され、翌年、この日を「子女の日」として公布された。「子女の日」が決定されることにより、アダムとエバが蒔いた罪悪の種を抜き取ってしまい、人類を悪から解放できる起源がつくられた。この日は、堕落人間たちが歴史始まって以来、初めて子女として勝利し、神様の字宙的な栄光の場に同参できるようになった記念の日である。
1 神様は、「父母の日」が立てられることを六千年間、待ち望んでこられました。本来は、堕落した人間の子孫たちが待ち望むべき日であるにもかかわらず、かえって創造主であられる神様が、六千年間、その日を待ち望んでこられたのです。ゆがんだ歴史が始まったその日から、数多くの峠の道で、神様には悲しいことも難しいことも多くありましたが、その中でもたった一つ願ったものが「父母の日」でした。
その日が探し出されることによって、神様は御自身が共にいられる人類の真の父母を立てて、「あなたたちは人類の真の父母である」と命名できるようになるのです。そうして、神様が立ててくださる父母の名をもって出てくることによって、父母の祝福の基準が立てられます。ここにおいて真の子女が立てられるようになり、それによって、地上で「子女の日」を迎えることができるのです。
2 一九六〇年、「父母の日」(一九六一年に宣布)を設定したあと、「子女の日」を設定しました。人類の父母が登場するとき、子女も決定されるのです。子女を決定する場に進む前に、父母の出発線があるというのです。
しかし、復帰路程では、父母だけでなく子女の縁も固めなければなりません。横的な縁である子女を中心として見れば、「父母の日」がまず出発し、「子女の日」はあとから出発しなければなりませんが、復帰しなければならない立場では、「子女の日」が先に出発し、「父母の日」はあとから出発するのです。横的な基準で「父母の日」を設定し、「子女の日」を宣言したのです。そうして、天地の間の歴史が始まって以来、初めて「子女の日」が現れるようになりました。
この日は、天地の間に勝利の歓声を上げることができる日です。この日が設定されることによって、霊界は時を迎えたので、絡まっていたものがほどけていきます。ですから、この地上の悪の勢力は、次第に消滅していくのです。
3 「子女の日」を迎えれば、どのようにしなければならないのでしょうか。まず、皆さんの息子、娘の家に行って宴をし、その次に自分の家に集まって宴をし、その次に、教会に出てきて宴をしなければなりません。このように、蘇生、長成、完成の三時代の形で宴をしなければなりません。象徴復帰、形象復帰、実体復帰の立場に合わせなければならないのです。
息子、娘たちが「子女の日」を迎えることができずに死ねば、天上に恨が残るという事実を知らなければなりません。ですから、私たちの息子、娘を中心として世界を復帰しなければならず、私を中心として楽園に行っているすべての善霊人たちを復帰しなければならず、教会を中心として天地の道理を探し出してこなければなりません。このような三段階の原則を経なければならないのです。
皆さんは、家庭的な環境から、この日を記念しなければなりません。子女たちが、その日が来るのを待ち望めるようにしてあげなければならないというのです。世の中の子供たちが「晴れ着を着て、おいしい物を食べられる、その日がいつ来るのか」と言いながら祝日を待つ、そのように指折り数えて待つ心をもち、「子女の日」が来ることを喜ぶ立場で準備しなければなりません。
4 人間が堕落することによって、父母を失ってしまい、子女を失ってしまい、万物を失ってしまいました。これを蕩減する基準を立てるためには、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を立てなければならなかったのですが、その中でも立てるのが一番難しい日が「子女の日」です。アダムとエバが真の子女になれなかったからです。それでは、真の子女になろうとすれば、どのようにすべきでしょうか。
一つの血統をもって生まれなければなりません。真の子女になるためには、父母の前に孝行の道を全うしなければなりません。孝子は、どんな困難な環境も収拾しなければならず、その環境から認定を受け、父母から認定を受けなければなりません。
神様は、アダムとエバに「万物を主管しなさい」と言われましたが、アダムとエバは、「万物を主管できる」と認定を受けなければなりません。そして、希望の中心として、み旨に責任をもてる子女だという認定を受けなければなりません。父母の心情に一致しなければならないのです。過去と現在、未来に差異があっては孝子と言えません。忠臣と言うこともできません。孝子や忠臣は変質してはいけないのです。孝子や忠臣は、過去を代表し、現在を代表し、未来を代表できなければならず、神様の心情を中心として、時間と空間を超越した立場で認定を受けなければなりません。
「私の誓い」制定
真の父母様は、一九六二年十月二十八日、第三回「子女の日」を期して、全文五節からなる「私の誓い」を制定、公布された。真のお父様は、「誓いとは、神様と未来を前にして約束するものである」と語られた。そのため、誓いを述べようとすれば、神様と心情が通じなければならず、「私の誓い」で各自が真の息子、娘になるという誓いをすることによって、神様と心情一体を成し遂げられることを強調された。「私の誓い」は、一九九四年五月一日に「家庭盟誓」が制定されるまで斉唱された。
5 皆さんが誓いを立てることができるか、一度考えてみてください。今まで神様のみ前に誓いを立てた人はいません。僕としても誓うことができず、息子、娘としても誓うことができませんでした。誓いを立てようとすれば、心情が通じなければなりません。この誓いは、真の息子、娘になるという意味の誓いです。
一、天宙の中心存在として、父のみ旨(創造目的)と任せられた責任(個性完成)を全うし、喜びと栄光を帰し奉る善き子女となり、創造理想世界において永遠に父に仕え奉る真の孝子女となることを私はお誓い致します。
二、 父は六千年間供え物として十字架路程を忍ばれ、死したる私を真の子女として活かすべく、み言と人格と心情を与え一体化せしめて、天宙の相続権を与えたまわんとなさる聖なるみ旨を私は受け、完全に相続することをお誓い致します。
三、 怨讐によって失われた子女と天宙を復帰せんがため、父は父母の心情を抱かれ僕の体を受肉したまい、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流され、私の身代わりに歴史路程における怨讐サタン粉砕の武器を与えたまい、それらを完全に審判するまで父の性相を受け、真の子女私は敵陣に向かって勇進することをお誓い致します。
四、 父は平和と幸福と自由と理想の源泉であらせられ、父を奉る個人と家庭と社会と国家と世界と天宙は、本性の人間を通じてのみ心情一体の理想世界を完結することができ、私は真の人間となり、心情の世界において父の代身者となることによって、被造世界に平和と幸福と自由と理想をもたらし、父に喜びと満足を帰し奉る真の子女となることを私はお誓い致します。
五、 我々は神を中心とした一つの主権を誇り、一つの民を誇り、一つの国土を誇り、一つの言語と文化を誇り、一つの父母を中心とした子女となったことを誇り、一つの伝統を受け継いだ血族であることを誇り、一つの心情世界を成す役軍(担い手)であることを誇り、これを実現せしめることを私はお誓い致します。
このような義務と使命を成就せしめるため、責任をもって生命を懸けて闘うことを私は、宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。
6 なぜキリスト教は再臨思想を語るのでしょうか。それは、神様の愛と生命と血統を中心として、新しい種を受けなければならないからです。アダムとエバが堕落することによって、偽りの種を受けました。ですから、新しい種を受けなければなりません。そのようにしてこそ、新しい種をもってくる真の父母の名をもった真の息子、娘の真の愛と真の生命を中心として、真の血統的論理を中心として、邪悪な世の中を克服して余りあるのです。また、そのような自主的な力をもった民になるのです。
「私の誓い」に出てくる内容のとおりに、私たちは、一つの主権を誇ります。その次に一つの民を誇ります。その次は一つの血族です。それから一つの国土です。この地は、「私」のものです。私たちのものです。人間は、誤って生まれました。誤って生まれたがゆえに、再び生まれさせようとするので、天が加担し、双胎(双子を身ごもること)で摂理するのです。双胎時代です。エサウとヤコブのように双胎です。腹中まで訪ねて入っていくのです。誤って生まれたので、新しい型を通して腹中まで探索して入っていきます。再び生まれなければ救いはないというのです。「重生」という言葉は、キリスト教にだけ存在するのであって、他の所にはありません。
7 皆さんは「私の誓い」を聖日ごとに唱えますが、それを習慣的に唱えてはいけません。この誓いで最も重要なのが五節です。神様を中心とした一つの主権を誇るのですが、一つの国にならなければなりません。ところが、なぜ多くの国になったのでしょうか。愛のゆえです。愛によって、そのようになったというのです。今日、このすべてのものが、一つの愛の道を行けず、様々に枝分かれして自分だけを主張する愛に付いていったために、そのようになったのです。その愛の主人になれる人は、男性と女性です。
個人を愛し、家庭を愛し、国を愛し、世界を愛するという愛の標準が変われば、自然に分かれていきます。ですから、いつでも現世の人が重視されます。男性と女性が分かれることは、愛がないところから始まるのです。
8 「私の誓い」の五節の中に、「一つの言語と文化を誇り、一つの父母を中心とした子女となったことを誇り、一つの伝統を受け継いだ血族であることを誇り、一つの心情世界を成す役軍であることを誇り」という内容があるのですが、「一つの言語と文化を誇る」というのが、なぜ血統や心情よりも先に出てきたのでしょうか。人は生まれて、言葉を知ったあとに血統と心情を知るようになるからです。原理に従って、すべてそのように書いたのです。
Friday Apr 28, 2023
真の父母経 第129話
Friday Apr 28, 2023
Friday Apr 28, 2023
第二節 統一基盤と天国実現の土台を築いた一九七〇年代
真の父母様は、一九六〇年代に家庭と教団の基盤を築いてきたとすれば、一九七〇年代には、世界に影響を及ぼし得る国家的基盤を築かなければならないとされ、勝共および超教派運動など、対外的な活動に集中された。そのため、一九七〇年は「勝利的統一戦線」、一九七一年は「統一基盤確保」、一九七二年から七四年までは「統一戦線守護」などの年頭標語を定められた。一九七〇年から五年間は、世界進出のための陣営を整え、本格的な活動を展開する期間であった。特に一九七二年以降、新年をアメリカで迎えられ、四十ヵ都市の講演など、アメリカ中心の世界宣教活動を準備された。そして、一九七五年一月一日、青坡洞一街の旧本部教会で「天国実現」を年頭標語に定められ、第三次七年路程の出発を宣布された。続いて、一九七六年は「子女による天国実現」、一九七七年は「理想家庭による天国実現」、一九七八年は「公式路程を通しての天国実現」、一九七九年は「家庭教会を通じた天国完成」などの年頭標語を通して、理想家庭実現と家庭教会活動による天国実現のための具体的方案を提示された。
勝利的統一戦線
1 今、私たちは一九七〇年を迎えました。今年は、「勝利的統一戦線」という標語を立てて、一年間、走らなければなりません。第二次七年路程の前半期の二年間は、「全面的な進撃」という標語を中心として進まなければならないと言いました。勝利をもたらすためには、全面的進撃という過程を経なければならないからです。そのようにしなければ、勝利できません。
今年は、私たちがアジアだけでなく、世界を中心として際立った活動をしなければなりません。そのような責任を果たすべき時代になったので、「勝利的統一戦線」という標語を立てざるを得ないのです。勝利をするというのは、簡単なことではありません。神様が今まで復帰摂理を遂行してこられた唯一の目的も、勝利するその日を迎えるためでした。アダム家庭からノア家庭を経て、モーセ時代を経て、洗礼ヨハネとイエス様の時代を経て、六千年の歴史をつないできた神様が、今まで闘ってこられたその唯一の目的も、勝利の一時を迎えるためなのです。
2 一九七〇年代を新たに迎えるけさ、ユダヤ教に代わる統一教会が、民族を糾合する使命を遂行するための最初の一歩を踏み出します。今は個人的な勝利の基準が既に立てられ、家庭的な勝利の基準も既に立てられ、氏族的な勝利の基準も立てられました。ですから、今や宗教的な勝利の基盤を決定し、新しい舞台に向かって進出しなければなりません。これは、神様のみ旨をただそのまま迎えることができた、ユダヤ教とイスラエルの国のような時代圏内に入ることを意味します。
このような時代圏を用意するために、神様は歴史を通して今まで準備してこられたのであり、外的世界もそれに符合するように、時代の思潮を導いてこられました。そうして、私たちを引っ張ってきた結果が、今現れている情勢なのです。ですから、私たちが波紋さえ起こせば、新しい歴史がアジアを越え、世界的に反響を巻き起こしていくでしょう。そのようにできる時が、正に一九七〇年代だというのです。
私たちは、今まで怨恨の時代、蕩減の時代、代価を払わなければならない無念な時代を生きてきましたが、この一九七〇年からは、そのようなものをすべて終息させ、新しい歴史時代に入らなければなりません。今まで私たちがこの国、この民族のために闘ったことが、栄光の結実として収められる時が来たのです。
3 皆さんは、個人から勝利的統一戦線を展開しなければなりません。勝利的統一戦線とは、神様の愛を中心として一つになることです。個人の心と体が一つになったとき、そこに神様が臨在されます。このように与え合うところに神様が臨在されれば、そこには必ず繁殖が起きるのです。神様が臨在されないとすれば、繁殖が起きません。天地創造の原則がそうなのです。
すべてのものは神様の愛が動機となって造られたので、神様を抜きにしては繁殖が起きることはありません。与え合えば、そこに神様が臨在され、また繁殖も起きるのです。このような統一戦線を、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界に展開していかなければなりません。
現在、統一教会は、民族を中心として、国家を探し求めていける立場まで上がってきました。民族と国家に影響を及ぼすことができる時代圏に来たというのです。世界的な情勢は、万全の準備をして私たちの門前にまで来ています。今や一皮だけ剥ければ、飛躍するようになっているのです。
統一基盤確保
4 一九七一年の年頭標語は、「統一基盤確保」です。言い換えれば、統一の基盤を確保しなければならないということです。このような意味で、この標語を設定しました。今までは「全面的な進撃」や「勝利的統一戦線」という標語を設定し、み旨が外部に向かって進むことができる環境を、一九六〇年以降から十年間、開拓してきました。
一九六〇年以降から一九七〇年まで、それこそ消耗戦をしてきたのです。自分たちの利益のために闘ったのではなく、外的な環境の困難、言い換えれば、統一教会が行く道の前に横たわっている障壁を崩すために、多くの犠牲的代価を払ってきました。
私たちは、ソウルであればソウル、中央であれば中央の最高の位置から出発したのではありません。み旨が願う標準を中心として見るとき、最高の基準から出発しなければならないにもかかわらず、私たちは、この民族と数多くの教団から反対を受けることによって、それとは反対に、最低の末端、下部から出発し、上部へと今まで発展してきたのです。その期間に、数多くの個人が犠牲になったのはもちろんのこと、統一教会の家庭も多くの犠牲を払いました。韓国だけでも、統一教会に属した人々を中心として、その背後にいる親戚や、心情的な基盤を通して関係している数多くの人々が、私たちのゆえに困難に遭いました。
とにかく、私たちは一つの目標を中心として、この国で必要、かつ適切な時を迎えるために、外部に広がっているあらゆる迫害の障壁を崩して勝利の一路を開拓するために、一九六〇年から十年間、あらゆる努力を投入してきたのです。そうして、一九七一年から一九八〇年までの十年間は、私たち自体の中に、強固な基盤を築かなければならない状況に置かれているというのです。
5 私たちの願いは、統一することです。心と体が一つになり、夫と妻が一つになり、息子、娘と父母が一つになり、家庭と氏族が一つになり、氏族と民族が一つになり、民族と国家が一つにならなければなりません。これが統一です。このような基準を立てようとして、一九七一年の標語に「統一基盤確保」を掲げたのです。
統一基盤は、個人から家庭と、氏族と、民族と、国家基準まで広がってこそ、確固として立てられます。それでこそ、神様が統一できる主体的な基準を、国家を中心として初めて立てられるのではないかというのです。
統一戦線守護
6 一九七二年の標語を、「統一戦線守護」という言葉で掲げました。これは、今年が私たちの教会の歴史的な一つの基点になるということです。結論として、「統一戦線守護」とい標語を立てたのは、内部を安定させようということです。
外部の人が全体に責任をもち、何としてでも内部を安定させようとするとき内部は安定するのでありそれによって全体が上がっていくのです。ですから、全世界にいる統一教会の食口たちは、中心のために互いが一つの方向に動かなければなりません。そのような個人、家庭、氏族、民族、国家が多ければ多いほど、個人が世界的であり、家庭が世界的であり、氏族が世界的であり、民族が世界的であり、国家が世界的になるのであり、そのようになるとき、自動的に天国ができるようになります。世界的に現れるのです。
統一戦線を守護するところには、このような原則的な思想的基盤、生活的基盤、活動的基盤ができていなければなりません。そうでなければ、理想的な天国は不可能です。一九七二年から、そのような使命を果たさなければならないことを感じたので、一九七二年の標語を「統一戦線守護」と定めるようになったのです。
7 国家の危機と世界の危機を防ぐためには、防御線を張らなければなりません。それで、「統一戦線守護」という言葉が出てきたのです。韓国に築いておいたあらゆる基盤の上に、世界的に網を張り巡らせなければなりません。霊界が協助しているのです。問題は簡単です。
皆さんは、どれほど団結した立場で、国のために総動員されるのでしょうか。統一教会は、一〇〇パーセント動員されなければなりません。ここにおいては、男性も女性も関係ありません。イスラエル民族がエジプトからカナンの福地に向かって出発する時は、老若男女を問わず、すべて立ち上がらなければなりませんでした。それと全く同じ時です。世界的なカナンの福地に向かって、世界に新しい国の選民圏を形成するために立ち上がるイスラエルの国の出発と同じなので、父母様が指示するところに全体が動員されなければなりません。
8 一九七二年に、私たちは「統一戦線守護」という膨大な(内容をもつ)標語を掲げてきました。この守護の限界線は、自分の一身の限界を言うのではありません。国家が限界線になり、国家を越えて世界を守らなければならないという、重大な使命を背負うという意味における防御を言うのです。
ここでまず守らなければならないこととは何でしょうか。天が地から攻撃を受けるようになるとすれば、この時は直接、天が攻撃するでしょう。その目的は、世界を守ろうということ、世界的な摂理において被害を防ごうということです。世界のために生きる神様の心情に、安息の基盤を築くことができる道を造ろうというのです。
9 これから、どんな国ももてなかった伝統を立てなければなりません。どんな国も動かせない伝統を立てなければならないというのです。このようになれば、民主世界を守れる天的な基盤が条件的にでも残ります。このような点から見るとき、私たちの国が一つになるだけでなく、多くの国の人が完全に一つになることが、個人の統一戦線を守護できると同時に、家庭、氏族、民族、国家、世界の統一戦線を守護できる天の伝統的基準になるというのです。
そのため、個人的な統一戦線守護よりも、家庭、氏族、民族、国家、世界的な統一戦線守護をどのように確保するかが、統一教会に任せられた使命です。ですから、今後、皆さんが完全に一つになり、これを成就していかなければなりません。もし、皆さんがアメリカでそのような基盤を築いて一つになれるとすれば、アメリカ全域にこのようなブームが起き始めるのです。そうすれば、共産世界は下り始めます。善が上がっていく時、悪は一緒に上がれません。下がっていくのです。
ここで事が成就されれば、日本がいくらサタン圏内にあり、韓国がいくらサタン圏内にあるとしても、救い出せる道が生じるのです。これを父母様がアメリカで、一九七二年から七四年までの三年間に計画しています。一九七四年まで、超国家的な団体として、世界の数多くの人々がアメリカ全域で活動していますが私たちがアメリカで見本になり得る団体であることを提示しなければなりません。その次からは、すべてのことがうまく解けていくと考えるのです。
10 一九七二年、七三年、七四年は「統一戦線守護」という標語のもとに、私たちは前進しています。これは、ある個人に対して語る言葉ではなく、ある限定的な地域に対して語る言葉でもなく、ある国に対して語る言葉でもありません。私たちは、全世界に対して統一戦線を守護しなければならないと、天のみ前に誓い、進み出た群れです。
統一戦線を守護しなければならないというのは、全世界と連結して神様のみ旨を成就するとき、サタン世界に侵犯を受けないように保護、育成し、前進できる立場を確保しなければならないということです。
Thursday Apr 27, 2023
真の父母経 第126話
Thursday Apr 27, 2023
Thursday Apr 27, 2023
第五節 「神の日」宣布
「神の日」宣布の意義と背景
真の父母様は、一九六八年一月一日、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で、歴史的な「神の日」を宣布された。「神の日」は、「父母の日」と「子女の日」と「万物の日」を探して立てた勝利的基盤の上で宣布された。真の父母様は、一九六〇年、神様の祝福の中で聖婚式を挙げられて以降、第一次七年路程を勝利で締めくくられたのち、「神の日」を宣布されたのである。真の父母様の聖婚後、八年目となる正月一日に、この日は、神様の創造理想が実現し、神様が地上に安着される、歴史始まって以来、初めて迎える喜びの日であると語られた。
1 「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」はありますが、まだ「神の日」はありませんでした。神様は天地を創造されましたが、その天地の中で、神様を中心として喜べる日は迎えられませんでした。ですから、一九六八年一月一日を「神の日」として設定しようとするのです。
2 一九六八年一月一日は、神様が初めて愛を中心として霊界を統合し、地上を統合するために着陸された記念の日です。神様の愛を中心として父母の絆が結ばれたその父母を、「真の父母」と言います。
一九六八年一月一日は、初めて神様が、地上で創造理想を中心として願われた日であり、アダムとエバが神様の愛を中心として一体となることによって、歴史始まって以来、初めて神様が地上に着陸できる喜びの日です。その日が「神の日」です。
天下がすべて反対しても、この日は神様にとって、歴史始まって以来、創世以後、初めての喜ばしい日であり、良い日なのです。
3「神の日」に対する歴史的動機を探ってみれば、一九六八年に統一教会で制定したためにできた日ではありません。この日は、神様が天地を創造する前からありました。ただ現れていなかっただけであって、神様の創造理想の中にあった日であり、神様が万物を主管できる栄光の位置に登場する時、自動的に生じ得た日です。ですから、神様は、その願いの基盤の上に万物を造り始めたのです。
神様は、造られた万物を見て「この上なく良(善)い」と言いました。「神の日」が成し遂げられれば、万物自体が愛の条件になり得るので、その日を祝い、高めるという意味で、「良(善)い」と言ったのです。創造の偉業に喜びと賛美の条件が伴うのは、「神の日」を中心として語られたからです。
神様がアダムとエバを造って、万物をその指揮下に入れ、主管しなさいと祝福した動機とは何だったのでしょうか。神様は、御自身のみ旨が成就されたあと、直系の子女であるアダムとエバが、神様に侍る家庭を編成する日を迎えることを願いました。神様は、その日を中心として、アダムとエバを祝福するのです、その日以前には、永遠に残る喜びと栄光はあり得ないというのです。
4 第一次七年路程の期間に、何をしたのでしょうか。家庭に入り込むサタンの因縁をすべて切らなければなりませんでした。そのような過程を経て、一九六八年を迎えながら、神様が訪ね得るこの家庭を中心として、民族と国家と世界を代表する立場で、サタンの讒訴条件を内外ですべてえり分けなければなりませんでした。それを平面的な立場でえり分けると同時に、過去の歴史路程において、来ては逝ったアダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭、モーセとイエス様が果たせなかったことを中心として、内的な蕩減をしなければなりません。
これができなかったことによって、キリスト教が二千年間、十字架の路程を歩んできたので、私たちもこれを内的、あるいは実体的に蕩減しなければなりません。これをした期間が第一次七年路程です。このようにして、一九六七年を越え、ようやく一九六八年の一月一日を「神の日」として設定したのです。
5 世の中では、誕生日を迎えて祝い、結婚記念日を迎えて祝いますが、「神の日」を迎えられないとすれば、人間としては祝賀の日々を迎えることができません。私たちが祝える日がないというのです。
しかし、今までそのような日々を祝うことができたのは、より良い日を国家的な日として、より良い日を世界的な日として立ててきたからです。世界における労働の日や女性解放の日などの日は、すべて「神の日」を探して立てるための方便的な祝賀の日です。その祝賀の日々は、それ自体で喜びを享受する日ではなく、今まで「神の日」を探し求めてくる過程で必要な方便的で条件的な祝賀の日であって、絶対的な名称を使える祝賀の日にはなり得ません。人間が最高に祝える日は「神の日」です。
ですから、人間は、神様を祝う日、神様が喜ばれるその日を迎えられなければ、いくら良い日があっても、その日を祝うことはできないというのです。しかし願うその一日を前にして、その日を憧憬しながら、世界的な喜びの日として(その日と)連結させるために祝う記念の日であるとすれば、その日は(祝うことを)許されるのです。
6 「神の日」とは何か知っているでしょうか。世の中の何が反対し、何がどうだとしても、妻の夫に対する心が変わってはいけません。夫が行く道を行こうという思いが変わってはいけないというのです。
エバが、信じることができない立場で堕落したので、神様が信じ得る立場に立たなければならず、また、神様が信じ得る立場とともに、夫が一〇〇パーセント信じ得る立場に立たなければなりません。
エバがアダムを滅ぼしたので、女性は一〇〇パーセント信じることができない歴史を経てきたのですが、初めてお母様を神様が一〇〇パーセント信じ、お父様が一〇〇パーセント信じることによって、「神の日」を設定できたというのです。それが一九六八年です。
7 サタン世界に対して、決定的な勝利の基盤を内的にも外的にも整えたので、初めてエデンにおける「神の日」を定めるようになりました。本来、完成したアダムとエバが愛の絆を結んだならば、「神の日」が始まったでしょう。そのように始まらなければならなかったのですが、第一次七年路程が終わることによって、初めて「神の日」を宣布するようになりました。ですから、完成基準の父母の絆を中心として、神様の愛と一致できるのです。
「神の日」が定められることによって、神様の愛を中心として新しい家庭が出発したその基準は、エデンの園で堕落せずに成熟したアダムとエバを神様が祝福し、愛の絆を結んでくれた基準に匹敵するというのです。そのため、サタン世界が讒訴をしたり、蕩減条件を提示したりするのではなく、天の権限をもって天使長を統治できる家庭的時代圏に上がるようになりました。今や時が変わったというのです。
8 「神の日」は、人間始祖が夢にまで願っていた完成段階の位置に立てる日であり、創造本然の世界が願う日であり、神様が万物を造って願われた日です。被造物と創造主が願っていた日です。したがって、この日は、アダムとエバが祝福の目的を実現できるその日になります。また、この日は、人類の善の先祖になるアダムとエバが、たとえ個体は違っても、神様を中心として生命の一体化を実現できる基点になる日です。
アダムとエバが神様と分離された立場で(神様とは)異なる生命の絆を継承し、悪の先祖として出発した、あらゆる恨の条件を越えて善の立場に上がり、神様の新しい生命の絆を備え、神様の愛を中心として再出発できる立場に立つようになることによって、初めて「神の日」が設定されたのです。
神様の主管権回復時代
真の父母様は、「『神の日』宣布を契機として、サタン世界が天の国の王権、父母の王権、子女たちの王権、万物に対する王権の支配下に入った」と語られた。「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を宣布することによって、すべてのものが神圏、真の父母圏、真の子女圏、真の万物圏に属しているため、いかなるものも、サタンが略奪していくことはできないということである。
この日をもって、真のお父様の二十一年路程と、食口たちの第一次七年路程を締めくくり、第二次七年路程を迎えるようになった。
9 神様が救援摂理をしてきた基盤は、死亡圏であり、悪の主管圏でした。神様が直接主管できる基盤を喪失したのです。神様は、愛によって造ったこの天地万物の愛の主人としてアダムとエバを立てておいたので、アダムとエバと万物が一体になれば、その基盤の上で、神様が直接主管することができます。しかし、万物の中心である人間が神様の愛と一体になることができず、サタンと一体になったので、神様が直接主管できる基盤がサタン世界に移されたのです。
サタン世界の非原理的な愛の因縁を通して築かれたこの世界は、神様との関係が断たれた世界なので、神様は創造原理によってこの世界を収拾してこなければなりませんでした。
10 「神の日」が探し出されるまで、七年の歳月がかかりました。父母様がこの七年路程を行かなければなりません。神様に出会うのは直接主管圏ですが、原理結果主管圏の三段階を経て、十数の段階を越えるようになるとき、愛を中心として神様と連結されるのです。その日を訪ねていこうとするので、七年の期間を費やしたのです。
一九六〇年、父母様の聖婚式以降、子女たちを率いてすべての日を定め、満七年になって八年の最初の日となる一九六八年一月一日を、ようやく「神の日」として定めたので、そこから父母様は、世界的に影響を及ぼしていくことができます。世界的な宗教として、統一教会が成長していけるというのです。
11 人類と神様が出会える道を失ったのは、人間始祖の堕落によって家庭を失ったからです。失った家庭を探し出して、一九六八年一月一日を「神の日」として設定することにより、神様の直接主管圏内に入るのです。このように、神様の直接主管圏内に入ったので、この位置は、アダムとエバが堕落したこととは関係のない位置です。この位置は、天使長も完全に屈服しなければならない位置です。
ですから、今やサタン側の長子の基準を蕩減復帰し、神側の長子の基準を立てた立場なので、サタン自身も完全に屈服しなければならない時代に入ったのです。一九六七年までは、アベルがカインを屈服させてこなければならないので、神様は愛する人を犠牲にして、蕩減復帰してくる時代でした。
Thursday Apr 27, 2023
真の父母経 第123話
Thursday Apr 27, 2023
Thursday Apr 27, 2023
第二節 「父母の日」宣布
「父母の日」宣布の背景
一九六〇年、陰暦三月一日(陽暦三月二十七日)、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で挙行された真の父母様の約婚式は、事実上、真の父母様がこの地に顕現された日である。そのため、真の父母様は翌年一九六一年、陰暦三月一日の約婚記念日を、「父母の日」として発表された。また、一九九四年の第三十五回「父母の日」には、主要な名節に「真の」の字を付けて「真の父母の日」のように称すると語られた。
1 神様は、「神の日」と「父母の日」と「子女の日」をもてませんでした。神様が目指される創造の理想は、心情一体です。神様、アダムとエバ、子女に続く心情的な一直線を形成するためのものが、創造目的です。神様は、調和の道理を立てて創造されました。したがって、神様は、再創造の方法とその設計も、この原則によってされるのです。神様は、「子女の日」をもつと同時に「父母の日」「神の日」を立て万民が祝う日をもってこそ、すべての記念日を完結するようになるのです。
2 「父母の日」は、歴史時代に父母が誤ったすべてのことを、霊的、肉的に蕩減した勝利基盤の上でのみ設定されます。アダムとエバが真の父母にならなければなりませんでしたが、彼らが堕落することによって、メシヤであられるイエス・キリストが来て、イスラエル選民圏を中心に、国家的基準で真の父母の基盤を築かなければならないのです。これが原則です。
3 真の父母が、この地上で真の父母として立つためには、必ず実力で勝敗を決しなければなりません。真の父母としての資格を備え、勝利しなければならないのです。まずサタンを屈服させ、その次に霊界に行って、養子の父母を屈服させなければなりません。このようにして、蘇生、長成、完成の父母の三代の歴史を経ていかなければなりません。そのようにしたのちには、この地上に子女の立場で生まれた人間を救える心情的内容や、生きる道を開いておける全般的な条件を備えなければなりません。そのようにしなければ、父母になることができないのです。
この地上の人間が、なぜこのようになったのでしょうか。父母が誤ったからです。ですから、その父母には、死んだ子女を生かさなければならない責任があります。それゆえ、子女を生かす方策を立てなければ、父母になることができません。したがって、歴史過程は、蘇生、長成、完成の三時代の父母の歴史を経てきます。その中で最後に残る父母は、肉界でも霊界でも、サタン世界で勝利の決定権をもって現れる父母なのです。
4 天と地が統一されなければ、すなわち、霊的な世界と地上世界が統一されなければ、完全な統一を実現することはできません。いくら偉大な人物が出てきて世界を一つの思想で統一しようとしても、天倫の法度が残っており、神様が厳然と存在する限り、それは妄想にすぎません。
今日、統一が実現できない原因はどこにあるのでしょうか。すべてのものが塞がっているからです。これを崩すまでは、統一が実現されません。心情の基盤から心の基盤、生活の基盤だけでなく、存在するすべての世界で隔たりがあり、溝ができているので、それを清算しておかなければ、統一されないのです。清算すべき溝は、地上だけでなく天上世界にまで無限に連結されていますが、この溝を何によって打開するのでしょうか。これは人間に責任があるので、人間が解決しなければなりません。ですから、主がこの地上に来るためには、塞がった霊界と無限の闘争をしなければならないのです。
今日、地上に統一的な世界観が立てられつつあるのも、実は霊界で統一的な役事(働き)が起こっているからです。その霊界の役事が地上に反映され、実体的な現実として展開されています。統一は、どのように成し遂げられるのでしょうか。地上に「父母の日」を立てることによって成し遂げられるのです。「父母の日」は、天地の間に勝利を決定する日であり、神様が願ってきた勝利の日として立てられる日であり、人間が願ってきた歴史的な実を結べる日であり、万宇宙の失われた主人を探し出せる日なのです。
5 今まで、善の中で現れるべき真の父母の血統がこの地上に現れなかったので、今日、人類は孤児のような立場にいます。すなわち、サタンの息子と娘であり、怨讐の息子、娘として生まれたというのです。しかし、神様の愛の法度から見て、人間は天の国に帰ることができます。ところが、サタンが人間を鉄の鎖で縛り、(天の国に)行けないように蹂躙しているというのが今日の状況です。その鉄の鎖を切ってしまい、最後の生死を決断できる人類の希望の起点が「父母の日」です。
6 真の父母は、(男性と女性の)二人がいなければなりません。二人いなければ、真の父母の基準の上に立つことができません。そして、霊的な闘いで勝利の基準を立てたとしても、地上に実体の真の父母が立てられなければ、実体世界で勝利の基準が立てられません。いくら霊界で勝利の条件を立てたとしても、地上に真の父母が立てられなければ、霊的世界の足場に該当する基盤を、この地上に築くことはできないというのです。ですから、今後、来られる真の父母は、このために生命を捧げ、地と天に代わって闘っていかなければならないというのです。このような闘いの期間が、四十年の期間です。
真の父母は、この四十年の期間にどんな闘いを経なければならないのでしょうか。まず、霊界で霊的な試練を経なければなりません。その次に、地上で実体的な試練を経なければなりません。その中でも倒れることなく、中心をもって進み出て、初めて霊肉合わせて真の父母を立てることができるのです。すなわち、六千年の摂理歴史の願いを果たせるということです。「父母の日」は、霊肉合わせて真の勝利の基点を定めた日であり、真の父母の理念が出発した日です。
「父母の日」の意義
アダムとエバが神様を中心として真の父母になっていたならば、その時、「父母の日」が立てられていたはずである。しかしアダムとエバが堕落することによって立てられなかった「父母の日」を取り戻すため、神様は今まで摂理してこられた。このように「父母の日」は、アダムとエバが誤ったことを、真の父母が霊的、肉的に蕩減した勝利基盤の上で設定されたのである。
7 メシヤとは、神様の愛をもって体と心が一つになった、本然の理想的な男性の型を備え、堕落性を超越した立場で来られる方です。そのような方が一つの中心となり、世界の人をそれと同じように育て、天国に入らせるために来られるのです。そのメシヤは、何を探し求めなければならないのでしょうか。
メシヤは新郎として来られるのですが、新郎は新婦を探し求めなければなりません。新婦はエバです。エバを失ってしまったので、メシヤはこの地上に来て、エバを探し出さなければなりません。統一教会では、「真の父母」という言葉を中心として、歴史上、初めて「父母の日」を発表しました。神様の本然の愛を中心とした男性と女性が夫婦になる「父母の日」を設定したのです。神様を中心として、男性の体と心、女性の体と心が、水平線で完全に一つになり、神様が願った理想的な完成圏が出発した日が「父母の日」です。
8 人間始祖が堕落したので、今、この地球上には神様が愛し得る直系の子女が存在せず、養子たちだけがいます。神様も、天地間の偉業を相続させてあげなければならないのですが、血統が違う養子だけがいるので、たやすく相続させてあげたいと思うでしょうか。父母であれば、突然現れた他人の子女に、天地間の偉業を相続させてあげたいでしょうか。それは、本来の創造の原則に外れることなのです。天地創造の原則は、本来の息子、娘に偉業を相続させるようになっています。
本来の息子、娘を取り戻すためにあったのが今までの歴史です。神様の実の息子の使命と資格を備えてこられる方が再臨主です。ですから、最高の新婦は、再臨主の妻になる人です。彼らは、人類の真の父であり、真の母です。そのような父と母が出てきたあとは、その方々の息子、娘が出てこなければなりません。この父と母が現れる日が、正に「父母の日」です。この日は、統一教会における誇らしい日です。今、ようやく歴史上に「父母の日」が現れました。失われた神様の栄光を代わりに現し、人類の勝利をたたえ、悪に対して公義の法度で裁きの権限を行使できる、私たちの父母が現れたというのです。これが、この地上では福音の中の福音です。
これを宣布したのが「父母の日」なのですが、(この日が)正に陰暦の三月一日です。人間が堕落しなかったならば、(今日の)私たちに「父母の日」は必要ありません。アダムとエバが堕落せずに子女を生んだとすれば、その子女たちがアダムとエバを「お父さん、お母さん」と呼ぶその日が「父母の日」であり、「神の日」だったでしょう。
9 私たちは「父母の日」を立てましたが、この「父母の日」が、統一教会だけの「父母の日」になってはいけません。私たちだけが迎える「父母の日」になってはいけないというのです。世界万民が迎える「父母の日」にならなければなりません。この日には、万世の恨が積もった峠を越えるために、今も呻吟している父母様の心情が宿っています。ですから、切迫した心情を抱き、この罪悪の世界を破綻させ、解放のラッパの音と解放の歓声が天地に満ちる、その一日を迎えられるようにしなければなりません。
私たちは、このような解放軍としての使命を果たさなければならないのです。そのようにしなければ、その父母の息子、娘として「忠孝の道理を果たした」と言うことはできません。この日は、統一教会の垣根の中の少数の群れだけが祝える日ではなく、万民が祝える日です。すべての歴史にわたって、永遠にたたえることができる日です。未来の万民たちが、誇らしい日、喜びの日、栄光の日として永遠に記念し、たたえることができる日なのです。
10 皆さんは、「父母の日」を本当に自分の「父母の日」として立てなければならず、皆さんの家庭の「父母の日」として立てなければならず、社会の「父母の日」として立てなければならず、国家の「父母の日」として立てなければなりません。そのようにしてこそ、世界の「父母の日」として立てられるのです。
世界の「父母の日」として立て、天宙の「父母の日」として立ててこそ、本来、神様が真の父母を立てようとした創造理念が完結し、人間が堕落することによって「父母の日」を立てることができなかった恨が解怨されるのです。さらには、この天上天下に「父母の日」を立ててこそ、復帰の恨が完全に解怨されるというのです。
Monday Apr 24, 2023
真の父母経 第121話
Monday Apr 24, 2023
Monday Apr 24, 2023
18 「世界平和教授アカデミー」を通して、全世界的に原理研究教授会をつくります。今、韓国と日本でそれをしています。そうして、教授たちが「統一原理」を研究し、しきりに発表しています。
私たちは今まで、「科学の統一に関する国際会議」をたくさん行い、多くの学者たちをまとめてきたのですが、そのような学者たちを中心に、どのようにすればその国の責任者たちが統一原理公聴会をすることができるようになるかを研究しなければなりません。
反対するキリスト教の責任者たちと教授が対話しなければならないというのです。教授と対話するようになれば、牧師たちは完全に頭を下げます。
その次には、今の既成宗教と一つになって、たくさんの人と接触させなければなりません。教会が一気にこちら側に来れば、人々が一遍にやって来るというのです。
このように多角的な活動を展開して、何としてでも六百人ずつ行い、三万人を完全に確保して教育しなければなりません。私たちが国家的に動けば、若い人々が押し寄せるのです。
指導者に対する「勝共思想」教育と海外研修
真の父母様は、一九六八年一月十三日に「国際勝共連合」を創設され、韓国では各界各層の指導者たちを対象に、南北統一に備えて「勝共思想」および「統一思想」の教育を持続的に実施された。そして、「国際勝共連合」は、アメリカと日本で研修を行い、「勝共思想」と真の父母様の世界的活動を紹介することによって、韓国の社会指導者たちに多くの感動を与えた。
19 南北統一に備えて、組織編成をしておかなければなりません。平和大使たちを「勝共理論」と「統一思想」、「統一原理」で武装させることにより、世界を収拾していかなければなりません。
何としてでも、百二十ヵ所に平和大使を配置しなければならないのです。平和大使たちを班里面(パンリミョン)、班統洞(パントンドン)に配置しなければなりません。地方や首都圏もみな同じです。そのようにすれば、全体がまとまった組織になります。そのような組織をつくって、毎日のように思想武装をしなければなりません。
20 お父様のことを愛国者だと認定する人々から、必ず教育しなければなりません。国会議員たちに「原理」と「勝共理論」、「統一思想」まで教育しなければなりません。お父様に勝つことのできる何かがないのなら、付いてきなさいというのです。韓国の政治の風潮では、何もうまくいきません。アメリカや日本も同じです。
お父様は絶対価値を中心として、今まで平和運動を行ってきました。そのようにした人は私しかいません。世界がこれを大いに尊敬しています。尊敬することで終わってはなりません。尊敬した基盤を歴史の伝統にして、後世に残さなければならないのです。着地が必要です。
21 キリスト教徒たちが「統一原理」を聞いて、驚いています。アメリカ研修に参加した校長たちの中にも、キリスト教徒たちがたくさんいます。そこには異議があり得ません。良いといううわさをみな聞いたというのです。昔は、同じみ言を聞いても、悪いと考える目で見て、そのような耳で聞いて、そのような心をもって聞いたので、それがすべて、自分をたたき潰そうとし、食いものにしようとする言葉にばかり聞こえたというのです。
今や、うわさがたくさん立ったので、一度聞かなければならないと思って、心の門を開いて聞いてみると、一〇〇パーセント響くのです。最近、国家を導いていける思想として教育するに値するものがないので、教育部(日本の文科省に当たる韓国の中央行政機関)から私たちの責任者の所に何日かごとに訪ねてきては、「教育してほしい」と言うのです。
今や、互いにアメリカ研修に参加しようと言って列をつくっています。今回は、キリスト教の長老たちを連れていこうと思います。既に教育を受けた人は二万人近くなりますから、今や中流階層はほぼすべて通じます。知らない人がいないというのです。
22 今まで、「国際勝共連合」と統一教会を通して訓練を受け、教育された人々は本当にたくさんいます。皆さんが今まで関わりをもってきたその人々を、すべてまとめなければなりません。
その次には、アメリカ研修に行った教授と小学校、中学校の校長、教頭、教師たちをすべてまとめるのです。ですから、今回、私たちの協会の組織を一元化しました。今まで原理研究会の学生たちは別途に活動しましたが、今やそのような時は過ぎ去りました。みな一つの家に入ってきて暮らすべき時が来たのです。怨讐たちはすべて倒れました。ですから、みな一つに束ねたのです。
今に学生局ができるでしょう。学生局は、教授たちと中学、高校の校長たち、小学校の教師たちまで束ねて配置しておくのです。すべての家庭が、教育機関に関係しています。家庭には小学校や中学、高校、大学に通わない子女たちがいないので、このような教育機関で中心となって動けば、その家庭は相対的に、自然に動くようになっています。
学生さえ復帰しておけば、学校の先生や家庭がすべて動くというのです。私たちは学生を動かすことができます。学生たちを連れてきて一週間だけ原理を教えてあげれば、すべて回っていくのです。
23 アメリカ研修に行ってきた人が、五万人を突破しなければなりません。今までアメリカ研修に行ってきた人が三万人を超えると考えます。五万人に研修を受けさせれば、一つの郡(地域)では二百人になります。
アメリカ研修をさせたのは、今後、国家を動かすときに、中心となって動く人脈が必要だからです。彼らは教育を受けたあと、「これから私たちの国は、統一教会のこのみ旨を中心として収拾しなければ希望がない」と感じるというのです。また、国家基準だけでなく、世界に通じ、世界に発展し得る人脈と連結させる所は、統一教会の基盤以外にはないことが分かるというのです。彼らが、希望の方向を私たちに向けているのです。
24 父母様は、中学、高校の活動に力を注ごうと思います。アメリカ研修に行ってきた中学、高校の教師たちと校長、教頭たちの中で、三分の二ほどが私たちの体制圏内に入ってきました。今後、校長、教頭を中心として一つになれば、学生たちを教育することに問題はありません。
これから、これを学制に引き上げるに当たって、一番早い道は、大学教授よりも中学、高校の先生たちです。教職員を中心とした活動と学生の教育が、絶対に必要なのです。この時に定着しさえすればよいのです。大学では、もはや一段階落ちます。大学は学科別になっているので、卒業の同期だといっても、心情的な絆がうまく結べません。
しかし、中高生たちを見れば、同じ科目圏内で、単一の責任を受け持った先生がすべて教えてくれるのです。ですから、同じ父母をもつ兄弟のような心心情的絆を結ぶことができます。
それゆえ、一番重要なのは、中学、高校のような教育機関にどのように思想的な内容を植えておくかということです。これは必須的な条件です。
このような強大な背後の勢力基盤を教育するのです。そして、校長が称賛し、学生たちが称賛するようになれば、父兄たちは自動的に付いてくるのです。彼らを教育することにより、食口化運動をしなければなりません。