Episodes
Sunday Apr 16, 2023
真の父母経 第110話
Sunday Apr 16, 2023
Sunday Apr 16, 2023
4 一人の完成格の男性の前に、一人の完成格の女性として、お母様を連結させるための期間が第一次七年路程です。この第一次七年路程が、父母様の家庭基準を設定する期間だというのです。ですから、その時期に父母様が神様を中心として家庭を築いたのです。その時になって、ようやく四位基台の復帰形態として、地上に一つの家庭的な基点を構築しました。
この父母様の家庭を中心として、祝福家庭が完全に団結しなければなりません。家庭を中心として、完全に一つにならなければならない期間が、第二次七年路程です。第二次七年路程は、父母様の家庭を中心として、祝福を受けた家庭が完全に一つになるべき期間だというのです。完全に一つになって、一つのアベル圏になり、民族基準を再び収拾しなければならないのです。
5 一九七四年までの第二次七年路程の期間には、大韓民国の復帰と天国基盤をつくらなければなりません。復帰は、霊と肉を中心として行わなければなりません。ですから、教会的にはみ言を中心として霊的に、世界的には思想を中心として肉的に動かなければなりません。そのため、民主世界がもち得ない勝共思想を、統一教会が掲げていくのです。
これは、モーセが出エジプトをする時、彼らを導いてくれた火の柱と雲の柱に該当します。火の柱と雲の柱を中心として、外においては世界共産圏を屈眼させ、内においては家庭の法度を立てるのです。これが世界舞台に連結されていくようになれば、地上天国が完成するのです。
6 男性や女性が復帰されたとすれば、一人の新婦と新郎を迎えなければなりません。そうして、真の父母の位置が決定されれば、この真の父母を中心とした真の氏族と真の民族を編成して、復帰していかなければなりません。このようにするためのものが第一次七年路程でした。
このようにして、民族編成を終えたあと、国家的基準の蕩減条件を立てることによって、国家的な限界線を越えることができる時代圏内に入るのです。このような国家圏内から世界に越えていける運勢が私たちの前に近づき、韓国がアベルの立場に立つようになったので、カイン的なサタン世界と神側の霊界が、一つの国を形成するための統合運動をしなければなりません。
世界人類が、このような責任を中心として協助できる新しい時代に入ります。ですから、今から統一教会員たちが行く道には、今まであった哀れで悲惨な歴史過程はないというのです。
第二次七年路程において私たちは、世界的な復帰の限界点を越えなければなりません。神様のみ前で、皆さん自身を中心として、民族的な限界点を越えて責任を果たしなさいというのです。そして、祝福を受けた人々はみな、家庭的メシヤの責任を完遂しなければなりません。
7 皆さんが今まで歩んできた第一次七年路程は、イエス様を中心として解怨成就するための蕩減復帰の条件として消耗されましたが、これからは、皆さん自身を中心として蕩減復帰し、自らの願いを解怨成就するための時代に入ります。ですから、皆さん個々人は氏族メシヤになり、世界的な出発をしなければなりません。
それゆえ、皆さんがこのような使命をもって世界に向かう道は、神様のみ旨を伝えながら反対を受ける道ではなく、歓迎を受けながら行ける道になりました。そのような時代圏内に移されたというのです。これが、真の父母を中心とした世界的な復帰の限界点であり、七年の期間を中心として、その基準を越えるようになったのです。
8 一九六八年から第二次七年路程が始まったので、その時から子女の路程が始まりました。子女は、父母が歩んだ路程を見本にして歩まなければなりません。失われた信仰の子女を復帰し、父母の祝福を受けなければならず、万物の祝福まで受けて使命を引き継ぎ、安息の年を迎えなければなりません。もし、これを一九六八年からこの七年間でできなければ、二十一年に延長されます。
「神の日」は、真の父母様が神様の実体として現れる日なので、人間に屈服しなかったサタンが、神様の実体となった真の父母様に屈服する日だというのです。この「神の日」を立てることによって、天使がアダムに屈服し、カインがアベルに屈服したという条件が立てられました。
第二次七年路程は、復帰された長子の立場で出発する期間です。過去には、次子の立場で長子の位置を奪わなければならなかったので迫害を受けましたが、今や長子の位置で福を分け与える立場になったので、私たちを憎むこともなく、迫害もしないでしょう。そのような時になりました。
今や応じなければ、たたいてでも天の子女として復帰すべき使命が長子にあるというのです。第一次七年路程で父母様がメシヤの使命をもって役事したように、第二次七年路程では、皆さんが氏族復帰のためのメシヤの使命を果たさなければなりません。
9 天のみ前から追い出された群れ、天が立てなかった人々を探し出して、彼らを救ってあげるために行く路程が第二次七年路程です。また、イエス様が追い出されていない立場で探し出したのと同じ基準を立てるために、統一教会の息子、娘たちが出動して第二次七年路程を歩むのです。
今は氏族を復帰する時です。父母様が皆さんに「全面的に進撃しなさい」と言いましたが、それは今の時が、イエス様が漁夫を訪ねて弟子にし、教会を築いて家庭的な基盤を立て、全面的に進撃しなければならなかった時と同じであり、地上でも準備が整い、霊界からも協助するようになっているので、完全な作戦を行うことができるからでした。
父母様は、一九六〇年から一九六三年の間に祝福をしてあげることによって、家庭復帰の基準を立てました。したがって、食口たちも第二次七年路程が始まった一九六八年から三年間、すなわち一九七〇年までにこの基準を立てなければならないのです。
10 第二次七年路程では、民族のために忠誠を尽くしたそれ以上の忠誠で、自分の父母兄弟と親戚を復帰しなければなりません。すなわち、氏族全体を神様のみ前に復帰しなければならないというのです。今まで、皆さんの先祖たちは、神様の全体的な復帰摂理と何の関係もない先祖たちでした。
しかし、皆さんが氏族を復帰することによって、真の氏族的な父母の使命を完遂するようになり、霊界の善の聖徒たちも、皆さんと共に再臨復活の恵沢を受けられる特権的な恩賜が広がります。そうして、善の先祖たちが地上に無数に再臨できるようになるのです。
そのような時代が来るので、悪のサタン世界は次第に消え、統一の運勢が新しい世界に次第に越えてくるようになります。ですから、原理的に見るとき、私たちの活動いかんによって、一九七四年までに急進的な発展をするでしょう。
11 国家的な次元で勝利の基準を定めたあとに、第二次七年路程を中心としては、父母様の家庭ではなく、祝福家庭を立たせました。ですから、国のためにその家庭がどのように立つベきかを教えてあげなければならず、国のためにその家庭がどのように奉献して、どのように公的な道を行くべきかを、国民に教育しなければなりませんでした。そのため、祝福家庭全体が動員されました。第二次七年路程は家庭的な路程なので、全祝福家庭が動員されたのです。
一九七〇年に入ってから三年間は、全祝福家庭の妻たちが、子女と夫を残して出動しました。お母様と同じ道を行かなければならなかったからです。
夫と暮らし、息子、娘を抱えて暮らしていた家庭から離れる時は、夫が怨讐であり、息子、娘が怨讐でした。ですから、あらかじめ怨讐視したのです。このように、前もってすべて決定しておいたので、彼らが怨讐として現れたとしても、サタン側になりませんでした。サタンの条件に引っ掛からなかったというのです。それが愛でした。
聖書にある「家の者が、その人の敵となるであろう」(マタイ一〇・三六)というみ言が、統一教会ですべて成就されたのです。これは、言葉だけではありません。歴史がそのようになっています。
12 一九七四年は、第二次七年路程の最後の年です。内的な第一次七年路程に外的な第二次七年路程を結びつけることを、今まで私たちがしてきているのです。それが一九七四年までです。
結局は、統一教会の祝福家庭が第一線に進み出て、総力を挙げてサタンと対決する時期です。ですから、一九七〇年、七一年、七二年のこの三年間、統一教会のすべての祝福家庭の夫人たちは、子女たちと夫、家庭をあとにして出ていったのです。
父母様がその基盤を引き継いで、世界的にようやく父母と子女が一つになれる霊的起源を整えたので、その基盤に乗り、アメリカという国を中心として作戦を行うことができたというのです。
父母様がアメリカにまで来て、このようなことができるというのは、イエス様がイスラエルの国とユダヤ教と霊的に一つになり、ローマに入城して、死なずに伝道するのと同じなのです。
13 一九七四年までの二度の七年路程は、ヤコブの十四年路程に該当する期間です。ヤコブは十四年の期間を通して家庭を探し出し、天地に錨を下ろしました。それと同じように、統一家が第二次七年路程を経ることによって、家庭を中心として初めて、この地上に完全に錨を下ろすのです。
統一教会の祝福を受けた家庭は、どんな家庭よりも幸せで、誰よりも徹底した愛国と愛族の群れであり、神様のみ旨を立てて世界を愛し、人類を愛する群れであることが公認される時が来ます。そのようになれば、祝福家庭が初めてイスラエルの権限をもって、地上に錨を下ろし、足場を固める時になるのです。
第二次七年路程を成功裏に完成すれば、神様の祝福が大韓民国と統一教会に集中することは決定的でしょう。その時は、反対していたイスラエルの国や反対していたユダヤ教と同じように、反対していた大韓民国と反対していたキリスト教の前に、統一教会が対等な位置に立つのです。対等であるだけでなく、統一教会が優位に立つようになるので、その教会と国が付いてこなければ滅びる運勢圏を迎えるというのです。
14 第二次七年路程が終わる前の三年の期間は、世界的な七年路程に前進するための準備期間です。この第二次七年路程の終わる前の三年路程の期間は、世界的な七年路程を本格的に出発するための準備期間でした。これは、イエス様が生きていた当時、ユダヤの国を一つにし、ローマの国を一つにできる基盤を連結させるときの霊的基準に代わる立場です。
それでは、イエス様の時と今の時は、どのような違いがあるのでしょうか。イエス様の時は国家的時代でしたが、今の時は世界的時代です。そのような違いがあります。ですから、この三年路程を中心として、民主世界を代表するアメリカに来てこのような基盤を築くことにより、勝利できることを見せてあげたという点において、歴史的意義があるというのです。
Thursday Apr 13, 2023
真の父母経 第109話
Thursday Apr 13, 2023
Thursday Apr 13, 2023
22 私たちは、「天国を成し遂げた」と言って笑う声が、三千里半島と全地球上に高々と響き渡る、その日のために行進しなければなりません。このような立場にいる私たちなので、休む暇がありません。御飯を食べていても、涙を流しながら痛哭する統一信徒たちにならなければなりません。
なぜ、そうでなければならないのでしょうか。神様が願った(地上)天国を築いてさしあげ、イエス様と聖霊がすべては成し遂げることができなかった恨と、満足に食べることもできずに祭物の過程を経ていった千々万の聖徒たちが、地上天国を完成することができなかった復帰の恨を解いてあげるためです。そのようにしてこそ、彼らが解怨成就されるのです。このような途方もない内容を知り、この途方もない使命を背負った私たちに、休む暇がどこにあるのかというのです。脚が折れるとしても、死ぬとしても、全力を尽くして行かなければならない復帰の道が残っています。ですから、父母様は皆さんに「三年路程を行きなさい」と命じました。
その道を行くときには、誰もが死を覚悟しなければなりません。一片丹心で自分が立てた志を果たすためには、寝ずにおなかをすかせながら、冒険をしてでも行かなければなりません。このような事情を展開させたこの師にも、責任があります。ですから、父母様が願うのは、皆さんがそのような立場に立つとき、誰かに対して不平を言ってはいけない、ということです。
皆さんはそのような立場で倒れ、犠牲になっても、嘆いてはいけないというのです。天国を建設するために足場を築く勇士に対して、どうして怨讐の矢が向かってこないでしょうか。どうして怨讐が自らを包囲することがないでしょうか。そのようなことがあり得るというのです。
しかし、師のために、神様のために生きる思いは、自分自身のためのものではなく、この民族のためのものであり、世界のためのものです。ですから、その場は神聖な場です。たとえその道が遠くても、近道を探し求めて、喜んで行かなければならないのが、統一勇士たちの歩みです。
23 父母様は、イスラエル民族の立場である大韓民国とこの民族が、責任を果たせない立場に立つのではないかと心配しています。皆さんを前に立てて栄光があれはその栄光を先に皆さんに与えたいのです。それを知って第一次七年路程の残りの四年期間を歩まなければなりません。今は皆が疲れてしまいかねない時なので、さらに奮闘しなければなりません。
アダムとエバが堕落して、カインとアベルという実を結んだので、これを、食口たちを中心として蕩減復帰しなければなりません。祝福家庭を中心として蕩減復帰しなければならないというのです。もし各地域において、他人が行こうと行くまいと忠誠を尽くして進む孝子、孝女の家庭があるとすれば、その家庭は、その目的に向かって、父母様に代わり、涙と血と汗で民族的な恨の峠を越えていきつつあるとみなすことができます。
この民族のために、涙で福を願いながら、一日一日を感謝して暮らす人がいるとすれば、その人は父母様の相対になります。そのような人々によって天的な歴史が(峠を)越えていくようになります。ですから、第一次七年路程の後半の四年期間、皆さんは責任を果たし、民族的な勝利的主管者にならなければなりません。そうすれば、民族的な勝利の日を皆さんが迎えると同時に、神様が迎えるようになります。
皆さんはこれを知って、「日久月深」(願いが時とともに強くなる様子)で祈らなければなりません。そのようなことが終わったあとは、世界的な勝利的主管者にならなければなりません。それによって、万民がそのような恵沢圏内にとどまるようになって神様をたたえる時、私たちは初めて解放されるのであり、「神の日」を完全な勝利の日として立てるようになるのです。
24 父母様は、一九六五年十二月三十一日と一九六六年一月一日の両日にかけて、韓国の七ヵ所に聖地を立てました。このような基準を立てて、国家的基準において個人復帰、家庭復帰、氏族復帰が始まったのです。
私たちは、神様が取り得る個人的な勝利の基盤、家庭的な勝利の基盤、氏族的な勝利の基盤、民族的な勝利の基盤を備えなければなりません。
ここにおいて氏族は、統一教会の祝福家庭を意味し、民族は、このような氏族によって形成された統一民族を意味します。今後、私たちは、統一民族を編成しなければなりません。ですから、私たちは、韓国でカイン・アベルが立てるべき天的な位置と中心を蕩減して立てなければならないのです。このような使命分野に向かって総進軍することが、第一次七年路程において果たすべき使命です。
25 第一次七年路程出発の最初の年の標語が、「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」です。これは男性として、母を探し求めようということです。
二年目の標語は、「父の代身者となろう」です。初めてお母様を探し出したので、復帰された天国に向かって、父なる神様の代わりに役事できるのです。これは、お父様の一生について語った言葉です。
三年目の標語は、「見せてあげて誇り得る者となろう」です。見せてあげて誇れるのは息子、娘です。これは、皆さんの復帰路程を中心として語った言葉です。ですから、この標語は皆さんの標語と同じです。
皆さんは、第一次七年路程を中心として、天のみ前に生涯最高の年にしなければなりません。失われた男性によって失われた女性を探し出す、最高の年にしなければなりません。
そうして、神様の代身者になり、見せてあげて誇らなければならないのです。
その次には、勝利的主管者にならなければなりません。四位基台を完全に復帰したので、勝利圏を主管しなければならないのです。
一九六〇年にお父様が「今回の七年路程が過ぎれば、私が必要とし、私が動かせる完全な基盤ができるだろう」と話したとき、皆さんは夢のような話だと思いましたが、今見れば、その時に話したとおりになっています。
26 第一次七年路程を勝利しましたが、父母様は七年路程において血の涙をたくさん流しました。いくら難しいことがあるとしても、夜も昼も一つの目的を達成するために駆け回りました。「誰々が行かない」と言って恨むこともなく、「友達がいない」と言って恨むこともありません。神様が既に定めた摂理の結果を収めるべき使命があるので行くのです。
そうして、この世界に広がっている善の結実を収めなければなりません。心情の鎌で刈ることによってこのような結実を収め、分かれた自らを統一し、分離した天情と人情を統一しなければなりません。
私たちの体自体は、たとえ切れ味の良くない鎌の刃先だとしても、収穫するときに用いられる道具としての実体にならなければなりません。このような実体を通して、今日、滅びていく世界を正しく導き、神様の心情を中心として、新しい中心の世界に越えていかなければなりません。それが統一教会員たちの使命です。
27 私たちは、一九六〇年を中心として新しい勝利の基盤を準備することができました。すなわち、二千年前にイエス様が願った基準を、この地上で復帰できる摂理の基盤を準備したというのです。このような途方もない歴史的な基点が準備できたので、一九六〇年から新しい歴史時代に入るようになりました。
第一次七年路程の七年間に、民主主義が世界を収拾できず、共産主義が世界を支配するようになれば、すべて滅びるようになります。ですから、皆さんは、滅びつつあるものを栄えさせ得るこの七年の期間を中心として、民族を復帰し、国家的な民族形態を形成しなければならず、ひいては世界が一つになれるようにしなければなりません。この七年の期間内に、すべて復帰しなければなりません。
イエス様がこの地に来て願ったことは、イエス様自身を中心として、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を探し出し、その探し出された「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を中心として、サタンが讒訴できない絶対的な権限をつくり、神様のみ前に栄光をお返しできる「神の日」を探し出すことでした。
これをイエス様が願ったので、私たちはこの目標を中心として、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を立てたのであり、第一次七年路程を越えるために、一九六八年一月一日を「神の日」として設定したのです。
第二節 国家・世界復帰の基台を築いた第二次・第三次七年路程
第二次七年路程と私たちの責任
真の父母様は、第一次七年路程は父母の路程であり、その後、一九七四年までの第二次七年路程は子女の路程でもあると語られた。特に、この期間の年頭標語である「全面的な進撃をしよう」、「勝利的統一戦線」、「統一基盤確保」、「統一戦線守護」にもよく表れているように、国家復帰の基台造成のために全力を傾けた期間である。
第二次七年路程は、祝福家庭が氏族(的)メシヤの使命を果たし、先祖の位置を復帰しなければならない期間であった。この期間には、民族・国家復帰の基盤を築くために、まず氏族を復帰しなければならないと語られた。
1 一九六〇年から一九六七年までの第一次七年路程では、父母が縦的な基準を中心として勝利しました。ですから、第二次七年路程は皆さんの時代です。ここからは、皆さんが横的に闘わなければなりません。第二次七年路程は長成時代です。歴史はいつでも、二番目を中心として決戦を行いました。それと同じように、韓国がどうなるかという問題が、第二次七年路程にかかっています。
第二次七年路程が終わる一九七四年までには、韓国が統一教会のみ旨に協助しなければなりません。そのようにせずにみ旨を遮り、この原則に符合しなくなるときには、神様が許さないでしょう。このような基盤を中心として、私たちは前進しなければなりません。
第二次七年路程が終わる時には、国家基準を越えなければならず、第三次七年路程を越える時には、世界基準を越えなければなりません。
第三次七年路程が終わるのは一九八一年です。その時までには、世界基準を越えなければなりません。これは、原理の軌道を蕩減復帰するに当たって、横的に過ぎ去った歴史を再現しなければならないからです。
2 第一次七年路程を通して、「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を成就することにより、イエス様が果たせなかった父母の役割を果たせる責任基準を立てておきました。その次には、真の父母として責任を果たした勝利の基盤に従って、子女たちもその国を探して立てられる時まで、これを内外で一つにしなければなりません。そのようにしてこそ、イエス様がこの地上で生きて成就すべきであった本来のみ旨を完結するというのです。
真の父母が勝利した基盤に従って、子女たちがその基盤を再び国家基準を越えられるところまで築いていくのが第二次七年路程です。ですから、一九六八年から七年の期間は、国であれば国の全体分野まで、イエス様当時のユダヤ教が反対し、イスラエルの国が反対した基準を越える期間に該当します。
3 一九六八年からは、家庭的な十字架を背負っていく時です。六千年の歴史は、個人的に十字架を背負ってきました。しかし、家庭的に十字架を背負っていくべき期間が残っているというのです。
今までその十字架を、誰も背負おうとしませんでした。イエス様も、民族と国家に代わる十字架を背負い、家庭を築いて、世界に向かって進まなければなりませんでした。しかし、民族と国家の十字架を背負って亡くなられたので、再蕩減しなければならないのです。それによって、個人的な十字架の道、家庭的な十字架の道が残るようになりました。このように、六千年の歴史が険しい峠の道を経てきたので、両面的な蕩減をしていかなければなりません。
これをするために、お父様は一九六〇年まで、個人的な十字架の道を歩んできたのです。この十四年路程は、ヤコブが歩んだ十四年路程と同じ期間です。その期間を越えてこそ、家庭を築いて、その家庭の四位基台を中心として地上に定着し、伸びていけるのです。
Monday Apr 10, 2023
真の父母経 第102話
Monday Apr 10, 2023
Monday Apr 10, 2023
第五節 『聖歌』の発刊
聖歌の起源と意味
聖歌には、真の父母様の苦難と勝利の歴史が余すことなく含まれている。特に、真の父母様は、瞑想と深い祈りを通して多くの聖歌を作られ、神様に賛美と栄光をお返しして、食口たちが歌うことができるようにされた。真のお父様は、一九四六年八月十一日、平壌の大同保安署で苦難に遭われ、約百日後の十一月二十一日、瀕死の状態で釈放され、一九四七年の初め、食口たちを集めて集会をされながら、「勝利者の新歌」を作られた。これが最初の聖歌であった。そして、一九五〇年十月十四日、興南監獄から出て自由の身になられ、二十数日後の十一月初め、平壌で「聖励の新歌」と「栄光の賜物」を作詞された。「聖励の新歌」(の韓国語の歌詞)には、「新」という接頭語が十三回も出てくるほど、新たな出発の決意に満ちあふれており、「栄光の賜物」には、新しい世界と新しい歴史の建設に対する感激と希望が躍動している。真のお父様は、一九五一年、釜山避難時代にボムネッコルの土塀の家で「悩める心に」を、一九五三年、水晶洞の三番目の家で「復帰の園」、「聖苑のめぐみ」を、一九五九年二月十七日、第一回全国伝道師修練会の参加者のために「朝日に輝く」を、一九六一年、全国四十日伝道に派遣された食口を激励するために「統一勇士の歌」を作詞された。特に、「悩める心に」には、釜山避難時代にサタンの勢力から挑戦を受け、追われる生活の姿と、罪人の立場を抜け出して救いの道に向かう聖徒たちの心情が、とても切実に表現されている。「復帰の園」にも、釜山の水晶洞(スヂョンド)教会時代、あらゆる困難の中でもあとに引くことができなかった真のお父様の、復帰路程に対する覚悟と決意が深く込められている。そして、「聖苑のめぐみ」には、神様に対して常に喜びの心をもって賛美し栄光をお返ししながら、大きな恵みに報いようという覚悟が込められている。聖歌には、食口たちが作詞した歌と、外部の歌だが、食口たちが好んで歌ってきたものがある。食口たちが作ったものとしては、「我は行く」、「苦難と生命」、「東の勇士」、「わが身の十字架」、「誓い」、「宴のとき」、「栄光の日」、「成和勇士の歌」、「我は供物」、「輝く御国」、「復帰の心情」、「成和青年歌」、「日曜学校こどもの歌」、「成し遂げよう」、「光は東より」、「すべて捧げて」、「一つに集え」、「われら統一勇士」、「新エデンの歌」、「主は来たる」「農園の歌」、「主はわがすべて」がある。そして、外部の人士たちが作った歌として聖歌に編入されたものは、「園の歌」、「召されし身」「わが仔羊」、「嘆きを吹きとばせ」、「主の道」、「捜し出された羊」、「心には願えど」、「園の春」がある。一九五六年十月四日、真のお父様と食口たちが作詞した曲を集め、『聖歌』の初版が発行された。
1 統一教会の聖歌の中で、「統一勇士の歌」の内容は、第一が心情です。一番は、「心情の因縁で世界は生き」で始まります。真理の因縁で世界が生きるのではありません。人が生きていくのは、生命の源泉である愛によってです。神様の愛によって、生きていくのです。真理は道しるべです。実体と関係を結ぶための橋と同じであり、心情を伝達するための中間形態です。「心情の因縁で世界は生き」というときの心情は、神様の心情です。
この心情は、神様が今に至るまで堕落したこの世界に対して抱いている、蕩減復帰すべき恨の心情ではなく、解怨しようとする心情です。神様の恨を解いてさしあげようとすれば、まず神様の恨とは何かを知らなければなりません。神様の恨は、御自身が真実に愛し得る個人を探し出せなかったことであり、家庭を探し出せなかったことであり、氏族、民族、国家、世界、天宙を探し出せなかったことです。
2 神様の第一の願いとは何でしょうか。神様が探し出そうとされた個体が恨の条件に引っ掛かっているので、「私によって生じたすべての恨の条件を、私が解きますので、受け取ってください」と言い得る個体としての解怨が成就されなければなりません。そうして、家庭か解怨成就され氏族、民族、国家、世界が解怨成就されることが、神様の願いです。
しかし、一つに結んでくださった神様の心情に通じなければ、絶対に一つになれません。人間の権力ではできません。神様の心情から見るとき、世界は一つです。「一つに結ばる本然の縁」が、本来の私たちの関係です。堕落したこの世界の関係は、私たちの関係ではありません。一つに結んでくださったこの心情が、本来の関係なのです。
その次に、「永遠に授受するわれらの故郷」です。本然の縁によって一つに結ばれることにより、永遠に与え合うようになります。本然の心情を中心として永遠に与え合う、そこにおいて初めて、私たちの本郷が広がるのです。その次に、初めて「幸福」という言葉が出てきます。
3 復帰の心情をもって進む民族は、韓民族です。全世界に光を照らしてあげるので、全世界がその光の中で兄弟になり、願われた善の父母に永遠に侍るのです。そうして、必ずや一つの世界を成し遂げるようになります。「統一勇士の歌」の一番は、心情です。心情の因縁によって、永遠に与え合う私たちの本郷は、すべての人間が暮らす所です。本郷が良いというのは、父母と家族がみないるからです。ここで重要なのは心情です。すべての幸福の道を築いておいた所が、私たちの本郷、幸福の基地です。
二番は、人格です。無限の(愛の)人格によって光を放つ人でなければならないのですが、堕落した人間は、これを失ってしまいました。人格によって光を放つのは、無限だというのです。無限の(愛の)人格によって光を放ち、造られた万物の栄光の灯台にならなければなりません。そうして、生命が湧き立つ本然の姿にならなければなりません。これが、人間の価値の主体になるのです。ですから、それ自体が永遠に、万世に希望の価値として花を咲かせるのです。永遠の万世に希望の価値をもった存在として、全宇宙に花を咲かせる人になるのです。
三番は、真理の世界です。「秩序の基に真実を立て」の「秩序」とは、真理の世界を意味します。真理による秩序の基の上に、「真実」を立てなければなりません。それは、人類が必要とする「真実」を立てるためです。「真実」とは、永遠を約束するものです。永遠を約束する不変の値値、高く立てられる真理の標柱です。このような標柱をもった人は、変わらない価値をもった人です。揚々たる善なる日を美しく飾るのです。永遠に伸びていく善なる一日一日を美しく飾るというのです。
四番は、「東方に明ける輝く文化、全ての民は同胞と、願いし善き父母永遠に侍り、誓いて成さん一つの世界」です。このように見るとき、心情によって人格をつくりあげるのですが、人格をつくりあげようとすれば真理がなければならないということです。その次に、一つの世界に栄光が臨むようになるのです。皆さんはそのような栄光を得るために、これから進まなければなりません。
4 「勝利者の新歌」は、私が作ったものです。この歌の四番に、「創りし主のみ旨」が出てきます。このみ旨を出発しながらつくった昔の歴史が、きょう、花を咲かせた現場、新しい天国の名前を代表する天一国の広場を前に、最初の年、最初の朝の集まりでこの歌詞を聞きながら、本当に感慨深かったのです。その夢は、偽物の夢ではなく(神様の夢であり)、神様の代わりに(私が)夢見たものだったので、間違いなく成し遂げられるというのです。
5 「栄光の賜物」というときは、栄光の言葉よりも、苦労した話が先に出てきます。苦労が、すべてのものを支える土台になっていることを知っているからです。地上世界と天上世界が一つになるようにしようとしたので、「迎えん」という言葉を繰り返しました。そのように生きた人は、涙なくして向き合うことができません。
監獄から出てきて作ったのです。東方に寂しく来て、西方に行けば、福が来ると思ったのですが、反対を受けました。願いに願ったあらゆることをすべてしてみました。すべて、徒労だというのです。私一人で行かなければなりません。アメリカと国連までも救う道を行かなければならないと思い、今、ここに入ってきて、忙しくそのことを清算するのです。
6 興南監獄から出てきて、平壌で食口たちを収拾するとき、私が精誠を尽くしながら作った歌が、「栄光の賜物」です。その歌を聞けば、その時の状況がどのようなもので、お父様の立場がどのようなものであるかが、よく描かれています。
そのような過程を経てみてこそ、その歌が自分の歌になるのです。そのように生きなければなりません。他人の歌ではありません。「私」の歌であると同時に、私の家庭の歌であり、私の家庭の歌以上に私の一族の歌であり、私の国の歌であり、私の世界の歌だというのです。
そのような過程を経てこそ、永遠のあの国(霊界)に行き、父母様に侍って一緒に喜び、幸福を享受できる解放された王子、王女になることができます。皆さんは、そのような過程を経なければなりません。
7 「園の歌」を歌いながら酔いしれ、涙を流し、「壁も私の友達だ」と言いながら暮らした頃が懐かしいときが多くあります。この「園の歌」とは、夫と妻の夫婦で暮らすその園、そのような環境のことです。そのように生きなければなりません。お互いが主になり、主の相対になって、すべてが喜び得る花が咲いたので、香りが漂わなければならず、蝶と蜂が和動しなければなりません。千種類のものが和合し、和動しなければならないというのです。町内に住みながら、関心を残せる夫婦になれなければ、その町内で負債を負うのです。
統一教会員は、「園の歌」の歌声が聞こえれば、いくら遠くにいても、みな喜びます。その歌声がする所に行ってみたくなるのです。そこに行って一緒に歌えば、良かったり悪かったりという喜怒哀楽が同伴するようになります。言葉というのは有り難いものであり、言葉の中でもさらに有り難いものが、歌です。
Monday Apr 10, 2023
真の父母経 第101話
Monday Apr 10, 2023
Monday Apr 10, 2023
第四節 『原理解説』と『原理講論』の発刊
『原理解説』と『原理講論』
『原理解説』の執筆作業は、『原理原本』を基礎として、劉孝元協会長により一九五五年五月から進められた。一九五七年に入ってから真のお父様の監修を受けた原稿が、毎月「成和」に掲載され、最終校正作業を経て、八月十五日、『原理解説』という名で発刊された。この日、真のお父様が直接署名された二百十二冊が、地方伝道地に発送された。一九六六年五月一日には、『原理解説』をより体系化し、講義しやすくした『原理講論』が発刊された。
1 解放後、七年目に私がすべき召命的責任を果たすため、教本、教材である『原理原本』を作りました。『原理解説』を発表したのが一九五七年であり、『原理講論』は一九六六年に出ました。一九五七年と一九六六年には九年の差がありますが、九年間に、お父様は原理のすべてを準備して進み出たのです。
2 『原理原本』を中心として『原理解説』を出版しました。何ももたずに教育することはできないので、本が必要だったのです。小学校さえ卒業すれば、誰でも本をもって教育できるので、伝道の一線に出ていきました。十五歳以前に伝道に出た人もいます。エバは十六歳の時に堕落しました。ですから、純真な心情が燃える時に伝道を始めたのです。そのような歴史は、統一教会しかありません。中学生の時から伝道に出たのです。
3 統一教会の責任者たちが伝道に出ていく時は、二人ずつ送り出しながら、旅費も持たせず、手ぶらで出発させたこともありました。そのまま行って、起草しておいた『原理原本』を中心として伝道をしたのです。その時は、『原理原本』を書き写しなさいと配ってあげたのですが、それを書き写した人たちがいます。
金元弼は、私の書いた『原理原本』を直接書き写して、自分で勉強し、「ああ、神様はこうだ」とおおよそ分かっていました。そのような立場で『原理解説』が出たので、本格的な教育を行いました。一週間あれば十分です。これは、読むことさえできれは教育できます。『原理解説』の骨子だけを選んで覚え、教育するのです。
4 お父様に会うこともなく、従った最初の人が劉孝元協会長でした。彼は『原理原本』を読んで、お父様に従っていこうと決心したのです。彼は手紙を書きました。劉協会長は、お父様よりも六歳年上でした。洗礼ヨハネはイエス様よりも六ヵ月年上でした。ですから、劉協会長は洗礼ヨハネの立場です。彼は、洗礼ヨハネの立場で原理を解説しなければなりませんでした。劉協会長が原理の本を書く時、彼に、「このように、またはあのように書きなさい」と指示したのです。
5 お父様は、釜山避難時代の一九五一年に、『原理原本』を書き始めました。詩のように書いたのです。それは、誰もが理解できるわけではありません。私が説明をしてあげて、初めて分かるようになっています。『原理原本』を誰にでも分かるように解説しておいたのが『原理解説』です。
6 『原理講論』を書くとき、すべて文章を鑑定し、間違っていれば直させました。ですから、『原理講論』は、お父様と霊的に連結されているのです。電球は、発電所と送電所、配電所を経た電気がソケットを通して連結されることによって、光を発するようになります。見境なく引っ張ってきても駄目です。
ですから、これから歴史が過ぎれば過ぎるほど、お父様のほかに、誰でも本が書けるというわけにはいかなくなるのです。私の語ったことが、いつでも問題になります。私がどのように語ったのかが問題になるのであって、他の人が語ったことは問題にならないというのです。他の人たちが語ったことは霊的に連結されません。
7 『原理解説』の次に出てきたのが『原理講論』です。『原理解説』を通して学んだ人が『原理講論』まで教えるので、その水準は大学以上です。国が歩み得るあらゆることが『原理講論』の中に入っています。『原理講論』に、政治問題、経済問題、社会問題、歴史問題に関する内容がすべて出てきます。『原理講論』に精通しさえすれば、世界のどんな国の大学教授にもなることができ、大学教授をも教育して余りある実力者になるというのです。
「統一原理」と『原理講論』
『原理講論』は、真の父母様が明らかにされた「統一原理」を体系化し、講義しやすいように整理したものであり、創造と堕落、復帰など、神様の摂理史全般を解き明かした根本真理を収めている。真の父母様は、一九六〇年代の初めから、変化、発展する時代相に合うよう、「統一原理」の叙述方法と内容の伝達において、より平易で論理化された体系が必要であることを感じ、劉孝元協会長に執筆を指示された。劉協会長は、「統一原理」を宣布された真のお父様の代筆使命者として、『原理講論』の原稿の一つの行、一つの単語の中に、真の父母様の心情と真理を、より完全に込めるため、徹頭徹尾、渾身の力を注いだ。
8 「統一原理」としてこれまで発表した内容の中で、新たに(検討を)試みるものが部分的にあります。しかし、最初から最後まで、啓示の基本的な内容は少しも変更されません。例えば、「創造原理」、「堕落論」、「メシヤの降臨とその再臨の目的」などで見られる中心思想は、決して変わらないでしょう。「統一原理」は、それに対して協議をして変えたり、人々が好まないからといって変わったりするものではありません。そのようなことは決してあり得ないというのです。
9 「統一原理」は、一つの哲学でもなく、学説でもなく、言葉それ自体のように「神様の原理」です。これは神様の不変の真理です。一度その真理が明らかになれば、その原理どおりに生きなければならず、その原理のもとで行動しなければなりません。少なくとも、その原理の成就のための基台が造成されなければならないというのです。そうすれば、サタンが侵犯できません。
ある一人の人が真理と完全に一体になったときには、サタンが彼を神様から引き離して連れていくことができません。例えば、神様とアダム、エバが真理を中心として完全に一つになっていたとすれば、サタンが侵犯する余地はなかったでしょう。
真理は実体化されなければなりません。真理は、生きている人間の中で存続し、完成されなければならないのです。そのようにならなければ、真理はサタンに奪われ、誤って利用され得るのです。ですから、私は、あらゆる条件が造成され、真理がある線まで実体的に具現される時までは、新しい真理を公表しません。
10 「統一原理」は、私の生涯の記録でもあります。それは、私自身の生活経験です。この「統一原理」は私の中にあり、私は「統一原理」の中にいます。多くの人々は、私がただ真理の発表者であり、その伝達者にすぎないと言いますが、私は真理のとおりに生きており、それを具現しました。
したがって、人々が私と私の行動を理解する唯一の方法は、「統一原理」に通じることのみです。「統一原理」を知って研究することによってのみ、私を理解することができます。原理を研究すればするほど、私をさらによく理解できるというのです。
11 お父様が発表すべきことは非常に多くありますが、もう少ししてから発表しようと思います。『原理講論』がすべてではありません。皆さんは、お父様がどこでどんなみ言を語ったかを、まず知って行動しなければならないのですが、そのようにできずにいます。『原理講論』には、お父様について明らかにされていません。『原理講論』にはイエス様までのことが入っています。イエス様を中心として語ったのです。それなのに、『原理講論』だけを重要視すれば十分であるかのように思っています。
お父様がどのようなみ言を語ったのか、心で従い、苦しみを共にして同調しながら、そして、その生活に感激し、あすの歴史創造の旗手として責任を果たせる統一教会の信徒たちにならなければなりません。このような心情が欠如すれば、発展しないのです。
12 お父様は、数多くの学者たちが研究したものをすべて否定するわけではありません。調べてみて、事実ではないことだけを否定するのです。霊界に入り、隅々まで探してみて、(「統一原理」が)事実だということが分かったので、悪口を言われながら、その内容をもって世界と向き合ってきました。
ですから、統一教会のみ言は、「そうだろう」ではなく、「そうだ」です。真理が、「そうだろう」という話がどこにあるでしょうか。物理や化学の公式では「そうだろう」という言葉はありませんが、真理も同じです。実証的で科学的、論理的な結果が出なければなりません。「統一原理」は、「そうだろう」ではなく、「そうだ」です。
私たちが語る心情というものも、漠然としたものではなく、具体的です。私たちが語る人格も、漠然としたものではなく、具体的な人格です。み言も、漠然としたみ言ではなく、具体的なみ言です。この具体的な心情と人格とみ言は、普遍的な妥当性をもってこの現実世界に符合し、この現実世界において永遠の位置を決定して、現実世界のすべてのものを統合し得る内容でなければなりません。
Sunday Apr 09, 2023
真の父母経 第100話
Sunday Apr 09, 2023
Sunday Apr 09, 2023
16 今後、大学原理研究会を核心的な活動体制にしようと思います。ですから、彼らの中で決意が徹底している人々を地域要員として配置し、活動させようと思うのです。このように活動を強化しておけば、これから短期間のうちに私たちの教会が発展し、原理研究会も大きく発展するだろうと思います。今後、そのような面で推し進めていこうと考えているので、皆さんは全般的な内容を知って、新しい分野で決意しなければなりません。
そして、原理研究会を世界的に組織し、国際大会をたくさん開催しなければなりません。韓国だけでなく、日本やアメリカなど、多くの国で開催しなければなりません。今後、原理研究会の重要なメンバーたちを各国の核心要員として活動させるために、超国家的な要員として養成しようと思います。
17 お父様に対して気に掛けつつ、今まで甲論乙駁しながらいろいろと批判していた人々が、「科学の統一に関する国際会議」に参加し、私たちのことを宣伝する状況にまでなりました。大学で理論的な人、哲学を研究するとか、宗教や思想を研究する人が何人かだけ私たちのことを宣伝するようになれば、自然科学や社会科学を研究する人々は、そのまま付いてくるようになります。
ですから、その教授たちが私たちの教会に対してある程度関心をもつようになれば、大学原理研究会の活動を何としてでも急進的に展開して、彼らをここに連結させることを考えています。原理研究会の機動隊をつくって出動(伝道)させたのも、彼らを連結させるためでした。
そのため、アメリカの各州の代表たちと各都市の責任者たちは、今まで「科学の統一に関する国際会議」を通して連結されているすべての教授たちを自分の祖父や父、叔父のように思い、積極的につき合いなさいというのです。そうして、その人々を中心として一般の学生たちを推薦してもらい、外的な原理研究会の形態をつくることもできるのです。
18 大学原理研究会の正会員は、大学に旋風を起こさなければなりません。勉強をすべき青春の男女たちのその元気旺盛な熱気をすべて発散させて、天理原則の価値ある愛の深い谷間を掘り下げていかなければなりません。そうして、世界に伸びていける道を築かなければならないのです。
天のみ意は、共産勢力と教会の没落、青少年の淪落を心配しています。淪落の道に陥る青年男女をつかみ、信仰が破綻していくキリスト教をつかまなければなりません。そして、キリスト教思想が壊れ崩れる、そこに乗じて入ってくる共産勢力の侵入を防がなければなりません。
19 大学において活動する大学原理研究会に対して、大きな期待をもっています。教会復興活動や勝共活動を、原理研究会に結びつけなければなりません。原理研究会が、超教派運動よりも、YMCAやYWCAのような団体とどのように連合し、大学で活動するかというのです。また、復興会活動を通して大学生たちが伝道されれば、私たちがその人々とどのように連帯関係を結ぶかという問題を中心として、原理研究会の活動に集中しようと思います。
今後、原理研究会の活動は、大学内の活動だけで終わってはいけません。大学生であれば、中学、高等学校を卒業したので、必ず母校があります。そして、現在自分が在籍している学校があります。学校には自分個人だけがいるのではなく、学校の同僚たちと友人がいて、自分の専攻学科を中心としては同期たちがいます。このような同窓や友人、同期たちと私的に接することができる活動体制を強化していかなければなりません。
20 大韓民国の政府当局が、私たちの活動に対して「勝共」という名称を認定したのは、ヤコブがヤボク川のほとりで天使と競って勝つことによって、イスラエルという名前を得たのと似たような事例です。このような点から見て、み旨を成就できる勝利の立て札は、既に立てられたと考えます。今や縦的な勝利の基準はできたので、これを基盤として横的にも勝利すべき組織が必要です。キリスト教だけではできません。世界を統一の理念で復帰しなければならないのです。このためには、学問的で思想的な土台を中心に行わなければなりません。このような一連の活動を具体的に調べてみれば、思想を中心に学界と関連づけて展開しているのが勝共運動であり、教会を中心に展開しているのが対外伝道活動であり、学生を中心に展開しているのが大学原理研究会の運動です。
21 大学内で、共産思想をもった赤色分子たちが浸透する路線を、勝共活動をして事前に封鎖しようというのです。このような点で、大学原理研究会のすべき仕事が、どれほど重要なことかを知らなければなりません。
「統一原理」の最後の勝敗は、世界的な学界によって決定されます。それゆえ、「統一原理」を世界に提示するためには、まず国内の各大学の宗教学科や哲学科の権威ある教授たちに「統一原理」を紹介しなければなりません。そうして、この教授たちが「統一原理」を世界の学界に提示し、世界化できるようにしなければなりません。
そのようになる前に、私たちは、対内的、対外的に基盤を築いておこうというのです。
22 共産党は、労働者と農民、あるいは労働組合を中心として活動しています。また、大学を中心として、教授と学生たちを操っています。これが今まで、共産党が世界を侵食してきた一つの方便です。
大学で教授と学生を団結させて、労働者と農民を扇動し、大衆デモを中心として混乱を起こしてくるのですが、それを防ぐために、大学原理研究会は必ず教授たちを収拾しなければなりません。そのような意味で、随分前から「世界平和教授アカデミー」を立てて活動してきたのです。この「世界平和教授アカデミー」と原理研究会が一つになって進まなければなりません。
23 日本とアメリカの大学原理研究会は、共産勢力と第一線で闘っています。韓国では、地下活動をする共産主義者たちと闘うことはできますが、彼らが誰か分かりません。文書を通して活動できる環境条件だけそろっているのであって、直接、白昼に生死を懸けた対決をする立場には出ていくことができていないというのです。しかし、日本では白昼に出ていって、生死を懸けて対決する闘いにおいて、私たちが勝利の立て札を立てました。
そして、アメリカでは、一九七九年から原理研究会がこのことを展開し、一九八〇年の末には、既にアメリカ全域で大学を席巻していた共産主義一色のすべての風潮を食い止めました。日本で勝利したのと同じ結果をもたらしたというのです。数百人の共産党系列の学生たちがデモを行う所に、原理研究会の会員五人が行って収拾した事例もあります。ですから、アメリカの大学の共産勢力は、「原理研究会の学生たちに会ってはいけない」と言っているのです。日本で行ったのと同じ結果が、アメリカの原理研究会でも起きているというのです。
24 日本では、YMCAやYWCAのようなキリスト教団体の活動は微弱です。私たちがそれに代わる組織をつくり、教育していきながら活動をしようとしたので、時間がかかりました。学校の当局も反対し、教師たちも反対する中でこのことをしているというのは、どれほど胸の詰まることかというのです。共産党の言葉にすべて乗せられたのです。それがどれほど悲惨だったかを、私の目で見て、報道でも見ました。皆さんはそのようなあきれ返る事情が多かったことを知らないでしょう。
お父様は日本のために闘いました。日本の中心大学から闘っていったのです。政治的な面で影響圏をつくり、社会分野で共産党の基地を討伐しなければなりません。ですから、日本共産党がお父様をどれほど恐れているか分かりません。「統一教会が存在せず、原理研究会さえ存在しなければ、日本は間違いなく共産化され、赤化されるはずなのに、統一教会のせいで大変なことになった」と言っています。そのような準備をしてきました。
25 アメリカの若者たちの心に火をつけなければなりません。大学原理研究会の活動を中心として大学を正常化させ、家庭を訪ねていって、家庭教会を中心として伝道しなさいと命令したのです。アメリカの家庭の若者も、私たちのような若者にしなければならず、大学では私たちの青年のような青年にしなければなりません。そうして、アメリカが反対せず、お父様を支持する環境になっていけば、その次は共産勢力をつかむのです。
お父様が今まで韓国で勝共活動をしたその伝統を日本に伝授し、アメリカに伝授し、ソ連にまで伝授しなければなりません。大学では原理研究会がどんな活動をしなければならず、現在の家庭教会活動はアメリカでどんな伝統を残さなければならないかを知らなければなりません。そうして、私たちは、共産主義の問題と青少年の淪落問題を解決しなければなりません。皆さんが原理と徹底した家庭的基盤を中心として、彼らを教育しなければならないのです。
26 皆さんは、天意に従う若者たちにならなければなりません。そこには異議がありません。お父様が歩んだのと同じように、黙って自分の行くべき道を決意しながら、進まなければなりません。皆さんを通してそのような雰囲気が大学に拡大し、一つの風潮になるとすれば、大韓民国の大学において新しい希望の灯台となるでしょう。
日本の大学原理研究会は、韓国の大学原理研究会よりも先を行っています。今や、アメリカの大学原理研究会が動いています。ドイツのベルリンに原理研究会の若い青年たちを集め、ベルリンの壁の問題を提起させるでしょう。数多くの若者たちを集めて、ベルリンの壁を私の手で崩そうというのです。皆さんにそのようにする勇気がないとすれば、大韓民国を守護する若者にもなれず、世界を守護する統一家の原理研究会会員にもなることはできません。私たちは、その目標に向かって、強く雄々しく前進しなければなりません。
27 私たちが大学の学生たちと教授たちを動かせなくなれば大韓民国は生きる道がありません。西ヨーロッパの国々もすべてそのようになっています。
ベルリンで共産勢力が反対し、市民たちが反対する中、大学原理研究会の世界大会を行うのです。第一次、第二次、第三次の大会を終わらせ、今回、ベルリンの壁を撃破するでしょう。大学生を中心に問題を起こし、共産勢力を追い出す運動をするのです。それは、ただ座っていてできることではありません。それは考えられません。誰かが血と汗を流さなければならないのです。銃弾を浴び、血を流しながらも、しなければならないのです。そのようにしなければ、南北を統一することはできません。
28 大学で左翼系列の人々を連れてきて、教育しなければなりません。現在、世界的に見れば、共産主義体制はなくなりましたが、民主主義体制も瓦解状態に入ってきています。かえって、共産主義という反対勢力がここに反作用を起こし得る動機となり、自体内において自覚をもたせる活性剤の役割を果たしました。共産主義が崩れることによって、民主世界が思いどおりにできるという考えは、誤った考えです。かえって、共産主義がなくなったあとに、民主世界の崩壊状態はより一層進むでしょう。
左翼系列も混乱状態に入っており、民主世界も混乱状態に入っているので、それこそ、両面の教育をすべき時が来ます。
それでは、教授たちにそのようなことを教育するだけの実力があるかといえば、そうではありません。学校でも、それに対する対策を立てて防げる内容がないというのです。そのような防御的な教育を私たちが提案しなければなりません。ですから、大学原理研究会を中心とした大学活動を衰退させてはいけない時だと見るのです。
Friday Apr 07, 2023
真の父母経 第105話
Friday Apr 07, 2023
Friday Apr 07, 2023
11 清平修練所の前にある湖を「天心湖(チョンシムホ)」と名づけました。そして、前の山は「仙人峰(ソニンボン)」と名づけ、それから「天成山」の右にある山を「天善山」と名づけました。修練所のすぐ前にある山の名前を、お父様が頂上に登っていって「仙人峰」と命名したのです。
そして、ここの修練所の右に、「天聖山」に向かってずっと伸びて上がっている所を「天引台(チョニンデ)」と名づけました。今後、私たちの修練所の本館を造る場所です。そこは精誠の度数が満ちていて、外国から訪ねてくる特別な人々以外は絶対に入れません。聖域地帯をつくって王宮のようにするのです。あの山の下には、一万五千坪ほどの平地を造れる所があります。そこから道を造ろうとしているので、神様が導かれるという意味で、「天引台」と名づけたのです。このように、すべてその名前を解き明かせば、理想の園が現れるようになっています。
12 世界の人々のために尽くすことができる場所がなければなりません。そこが清平です。この清平の地に国際修練場を造るのです。今後、そこには何を造るのでしょうか。私たちの宣教部がある各国のブロック、つまり日本であれば日本ブロック、アメリカであればアメリカブロックを造ります。膨大な地域を買い、アメリカブロックであればアメリカ人たちに任せるのです。アメリカ人たちが来て修練を受けられるように、アメリカ人たちの趣向に合う村を造ります。各国の文化を総合できる環境都市、総合村落を造るのです。
そして、その中央に私たちの修練所を造るというのです。そうして、外国で苦労した人々は、必ずこの本部に来て修練を受けさせ、本部に来て修練を受けて帰ることを光栄だと思えるようにしようというのです。そのようにするためには、景色が良くなければなりません。そして、外国の人々が韓国に来て巡回するとき、印象に残る所にしなければなりません。
清平修練所の建設
真の父母様は、一九七一年七月十二日、ソウルの青坡洞と京畿道九里市の水澤洞に続く、摂理史の完成的聖地として、京畿道加平郡雪岳面松山里山七五の一番地に、清平修練所を建てられた。この修練所は、建坪九十三坪、講堂七十坪で、二百人以上が寝泊まりできる木造スレートぶきの建物だった。真の父母様は、梅雨期の悪天候の中でも毎日現場を訪れ、一つ一つ監督された。修練所の最初の集会は、十二日から五日間、二十八人のキリスト教牧師が参加する中で開かれた全国牧師夏季修養会だった。
13 清平に修練所を造るとき、二ヵ月ほどかかるところを、八日で完成させました。七月一日に「土台を築きなさい」と言って、二日から建築を始めました。ですから、一週間ですべて造ったのです。清平に造った修練所は九十三坪です。修練所の講堂だけでいえば約七十坪になるので、二百人以上は寝ることができます。
そのような建物の建築を、一週間でやり遂げたのです。きょうまで入れれば、満十日になります。きょうは一九七一年七月十一日ですが、本来はきのうまでに終えようとしました。ですから、きょうを越えてはいけないというのです。このように、八日間ですべて終わらせ、その次には色を塗るのです。ペンキを塗って、約三、四日間で飾り付けをします。しかし、その飾り付けは、大げさにするようにはなっていません。なぜなら、今は避難する最中にお嫁に行くのと同じだからです。美しく装うことなくお嫁に行っても、新郎に会って幸せに暮らせばよいのです。
14 清平で修練所を造るのに、天気さえ悪くなければ計画どおりに進行したでしょう。ところが、梅雨になったので問題です。きょうか、あすくらいに作業が終わると思っているのですが、終わらなくても、あすはキリスト教の牧師たちが集結することになっています。きのうは、雨が激しく降り注いでいるのに、材料を購入してきて仕事をしなければなりませんでした。
そうかといって、電話があるわけでもないので、直接出掛けて材料を購入しなければなりませんでした。仕方なく、お父様が土砂降りの雨を浴びながら船に乗って出てきました。雨がどれほど激しく降っているのか、船に乗って出てくる姿が、あたかも逃げ出す人のようでした。後ろから機関銃で撃ってくるので、それを避けるために逃げ出してくる、そのような立場と同じでした。そのようなことが、本当にたくさんあったのです。
15 天幕を張っておき、キリスト教の牧師たちを迎えて修練をするのは、私たちの教会で初めてのことです。天気は雨が降ってじめじめしているのに、テントから出たり入ったりしなければならないので、本当に悲惨だというのです。このような立場で全般的な計画を立て、「一九七一年七月八日までに修練所を建てなさい」と言ったのです。
このような状況で、働く人々を何としてでも集めなければなりませんでした。ですから、今回、約三十人を地方に人事異動するとともに、地区長のもとにあった部長クラスのポストがなくなったので、その人々に対して、すぐに上がってきなさいと伝えました。清平で特別修練会をしながら、彼らに地面を掘るように言ったのです。
16 清平で働く人々は、今まで数十日間、地面を掘りました。そのようにしながらも、普通四時間から五時間しか眠ることができません。ですから、死にそうだというのです。きのうは、私が「負傷者は立ちなさい」と言うと、二十六人中、八人が立ちました。三分の一が負傷者でした。それで状態を見たのですが、ひどい負傷ではありませんでした。その場は、蕩減する場です。私は今回、地区を新しい編制に改編しましたが、地区で実務の責任をもっていた人々を計画的に呼んできたのです。
17 私は大工ではありませんが、何十年と家を造ってきた人がする仕事も、私がコーチをしてこそ、きちんと仕上がるのです。そのようなことを見れば、専門家というのがほかにいるのではありません。深刻な立場でその標準の価値を中心として観察するようになれば、それが合うのか合わないのかすぐに分かるのです。オンドルを敷くのも、お父様が「オンドルはこのように敷かなければならない」とコーチするのです。
ある時は、井戸を掘る人々が来て、井戸をどこに掘るベきかと尋ねたのです。大工たちが仕事を誤って私に厳しく言われ、再び取り外して作業をするのを見て、自分たちも間違ったら(厳しく)言われそうなので、私の所にやって来て尋ねるのです。ですから、「井戸は、固い土地と柔らかい土地の境目があれば、その境目が直線に伸びて折れる所を掘れば、水が出てくる」と答えると、「いつ井戸を掘る方法をみな学んだのですか」と言うのです。私が何を学んだというのでしょうか。道理がそのようになっているというのです。
今まで統一教会を指導する責任者として、すべての問題を解決してきたことが、今やすべて公式化されています。さっと見て、このようにしなければならない、ということがすぐに分かるのです。今はこうだが、結果はこのようになるだろう、ということが分かるのです。見るときは、一ヵ所だけを見るのではなく、全体を見ます。家の敷地をならすときも全体を見てならすのです。すべてがそうです。
18 清平修練所の屋根にスレートを載せるのですが、スレートを持ってくるように三日前から契約していました。ところが、その時、連絡を取る人がどこかに行ったので、工事の最終日にもスレートが到着しませんでした。大変なことになったというのです。全国牧師夏季修養会に参加するためにキリスト教の牧師たちが来るのに、その日に終わっていなければ、あらゆるものがすべて崩れるのです。
ですから、お父様が追い回しながら、「お金を出さなければスレートを渡すことはできない」と言うところを頼み込み、さらに小型の発動機船を借りて夜十一時半にようやく修練所に積んできました。それをすべて降ろすと、午前二時半頃になりました。ですから、発動機船は帰らなければならないのですが、既に夜が更け、通行禁止の時間になっていたので、その主人がここで一晩泊まることになったのです。
ところが、その人が寝て朝起きてみると、夜の間にスレートはもちろん、屋根の棟まで載っていたのです。その人は、その時、雨が降っていたので、「臨時であのように載せておいたのだろう」と考えたのですが、どうしたことか、載せられたスレートの上には、働いている人が一人も見えないのです。夜中の数時間の間に、完全にスレートを載せて屋根を覆ったのです。ですから、この家には、「お化け屋敷」という別名が付きました。
これをよく見てみれば、色を塗っておいたのでよく似合います。また、立って眺めてみると、平たいものがひれ伏して修行する形になっています。ですから、お父様は今後、この地域が世界的に有名になると考えるのです。
Friday Apr 07, 2023
真の父母経 第104話
Friday Apr 07, 2023
Friday Apr 07, 2023
第六節 清平聖地の開発と修練所の建設
清平聖地の選定
真の父母様は、一九六〇年代から人種と文化、宗教、国境などを超越して、世界の人々が共に集まって暮らす天一国共同体モデルを立てるため、京畿道加平郡にある清平湖一帯を中心に、多くの精誠を注がれた。特に、釣りとテント生活を通して精誠を尽くされながら清平一帯の土地を購入し、摂理の基盤とされた。真の父母様は、一九七二年七月十日、清平修練所の前の蔚業山(ウロプサン)の頂上から、この一帯二十一ヵ所の名前を新たに命名された。裏山である天聖山(チョンソンサン)は本来、長楽山(チョンナクサン)と言い、塀風(びょうぶ)の形をしている。真の父母様は、山頂から少し下った所にある平地を本殿聖地と定められた。今日の天正宮博物館が建てられた所である。周辺の山野は、修練所を中心に牡丹の花の形をしており、復帰されたエデンの園を象徴している。
1 お父様は、韓国全土の山河をすべて回ってみました。一九六〇年代に皆さんを全国各地に配置して、全国の名山をすべて踏査してみたのです。統一教会の錨をどこに下ろすか、この基盤をどこに築くかを念頭に置いて、踏査しました。良い場所は、必ず湖を挟んでいなければなりません。しかし、東海岸はソウルからあまりにも遠いのです。西海岸は都市が集中していて、干満差が非常に激しく、海水が引けば干潟になり、また泥水なので良くありません。ソウルから(車で)三十分くらいの場所を探し求めたところ、雪岳面の松山里(ソンサルリ)を選ぶことになりました。その地域は本当に素晴らしいのです。私が清平地域で最も良い場所に定着したのです。
2 お父様がここ清平に来てみると、良い場所でした。ですから、ここに定着して祈り始めました。私が一生の間、精誠を捧げて祈る道をつくり始めたのです。どんなグループでも、最高のグループは、精誠の基盤の上に立てられています。このようにして、独りで蔚業山の頂上に登って祈ったのが、ついきのうのことのようです。私は、一握りの基盤しかない人ですが、決心したことで、今までできなかったことはありませんでした。一度やると言ったことは、必ず成し遂げてみせるのです。
3 お金は、国家的、世界的で、天的な内容を中心として使わなければなりません。そのように考えるので、父母様は清平に土地を買っているのです。そこに土地を買うのは、世界のためです。世界のために働ける基盤を築いておくために、清平に土地を買うというのです。今や民族時代を過ぎ、漸進的な世界時代の前に立ったので、この時代のための国際的な教育機関を造らなければなりません。ですから、堂々としているのです。そのためには、いくらお金を使っても良心の呵責を受けません。
4 清平の地は、世界の祖国の地、全人類の心情的故郷の地にならなければなりません。天地が仰ぎ得る勝利的創造理想を完成させ、天地が連結されて神様の心情を解怨成就できる地になるだけでなく、世界の故郷の地になり得る神聖な土地になることを祈ってきたのですが、これが本格的に出発できる時点に達しました。ですから、この周辺の八百万坪の土地を買ったのです。
山とこの周辺の土地は、私たちの未来の故郷のための地です。すべての信仰者の故郷になり得る基地になっています。今、世界百八十五ヵ国に私たちの基地がありますが、父母様の願いは、ここをその百八十五ヵ国のあらゆる歴史的伝統を展示できる歴史的な基地にすることです。それだけでなく、この基地で各国の文化を背景にした伝統を新たなものにすることができ、天との関係をどのように結ぶかを教える修練所、教育場所を用意するのです。そのようにするために準備した土地として祈っていたことが、そのまま歴史的な事実として連結され得るようになりました。このような世界版図を統一教会がもったことは、驚くべき勝利の結果であると考えているのです。
5 お父様は、よく清平に行きます。待っている人がいるから行くのではありません。誰もいないのです。私が昔、この道を築きながら苦労したその場所が慕わしく、山野が慕わしく、聞こえてきた風の音と鳥の声が慕わしくて行くのです。その流れいく自然の摂理を通して、天の感動的な世界に接触したその気分が慕わしくて行くのです。その慕わしさは、死ぬまで誰も抜き取っていくことはできません。
困難な立場で、おなかをすかせた立場で耐え、瞑想をしながら天と共に絆を結んだ、その時間が慕わしいというのです。吹いてくる風の流れを感じるとき、それが過去の認識を現実の生活圏内において促してくれるからです。過去に感じたそれが刺激的な動機になったとすれば、現実では生活的な動機として顕現し得る立場になるので、それを好むのです。
6 父母様は、清平の地形が良いことを知り、土地を買い始めました。清平湖を中心として、私たちの修練所を造る場所を準備したのです。今、修練所があるその場所は、本来、家を建てられる敷地が全くありませんでした。そこには墓が一つと、桑の木が十五本くらいしかありませんでした。清平全体の山野を回りながら見てみると、そこが中央地帯でした。ですから、仕方なくそこにテントを張り、土地を買い始め、修練所を建てたのです。
今まで土地をたくさん買ったのは、今後、ここを国際修練所、世界の若者たちが来て修練を受けられる世界本部のような所にしようという計画があったからです。ここにあるそれぞれの谷間を、アメリカ村、イギリス村、ドイツ村などに定めるのです。そのようにしておけば、世界の人々がここを誇り、仰ぎ見る、一つの観光地にもなるだろうと考えます。
7 清平は、すべてのものが完全に定着して、新しい出発ができる所です。その名称もそうです。清平の「清」は清いことを意味し、「平」は平らなことを意味します。すなわち、清平は清く平らなことを意味するのです。ですから、すべての整地作業ができているので、設計して柱さえ立てればよいのです。いつでも出発できるというのです。
8 清平修練所の前を右に渡っていけば、平らな土地に私たちの別荘があります。その別荘は「天留荘(チョニュヂャン)」というのですが、その裏に行って見れば、本当に絶妙な所です。この地域全体が牡丹の花のようになっているのです。
平壌に牡丹峰(モランボン)があるでしょう。その牡丹峰はなぜ有名なのでしょうか。牡丹の花を見ると、花びらにぐるりと囲まれたその真ん中に、黄色(の雄しベと雌しベ)が調和をつくり出すようにして存在しています。それは、種を産む所だからです。平壌の牡丹峰は、そのような地形なので有名なのです。
それと同じように、この地域は、天聖山を中心としてそのようになっています。この山を越えると、全く風情がなく、登って見てみれば、好き勝手になっています。しかし、天聖山を塀風として、前に連結されているすべての山野が、牡丹の花びらのようになっているのです。
9 清平修練所の前庭から眺めると、川の水が流れているのを感じることができません。川の水がどこから流れてきて、どこに行くのか分からないのです。川の水が入ってくる道も分からず、出ていく道も分からず、湖のように思えるほどです。そして、この修練所から見下ろせば、それこそ絶景です。ここは、湖畔と山野が調和した美しい場所として、世界に誇る価値があります。このような景色の良い所に来て修練をしてこそ、修練生たちが山を眺めても、庭を眺めても、高尚な考えをもつようになるのです。夕暮れの山頂、一番高い峰に沈んでいく太陽や、明け方、高い峰に昇る太陽、その中を飛んでいる鳥、その中で働く人々の風景など、このようなすべてが調和するようになるとき、思わず見とれて夢想圏内に入っていきます。空想したり、夢を描いたりもするというのです。これによって、若い人々の気迫が大きく上昇します。
ですから、未来において一度、この水に乗って大西洋を渡り、あの山を越えてヒマラヤ山脈とインドを通過するなど、このようにいくらでも連想できるあらゆる材料になるのです。人々が景色の良い所を好むのは、新しいアイデア、新しい夢を描けるからです。飛んでいく鶴が一幅の絵のように調和したり、青い湖に小舟が一艘浮かんでいたりしても、詩を詠むようになります。また、うれしくなれば思わず立ち上がり、拍子を合わせて踊りも踊るのです。そのようにできる環境的条件を備えた所が清平修練所です。
10 清平修練所一帯を見れば、本当に形が整っています。この修練所の裏山全体を「天勝台(チョンスンデ)」と名づけました。そして、裏山は本来、「長楽山」というのですが、私が「天聖山」と名づけました。「天聖山」をはじめ、三つの峰があるのですが、その真ん中の峰は「聖」の字を書いて「天聖山」、右側の峰は「成」の字を書いて「天成山」、左側の峰は「城」の字を書いて「天城山」としました。
三つの「チョンソン山」は、それぞれ「神聖」を表し、「完成」を表し、「保護」を表すのです。この三つの「ソン山」を定めるとき、一里以内にこの山よりも高い山があってはいけないと考えました。さらに高い山がある山脈が、その山並みを伸ばして長楽山を経ていくようになっていてはいけないというのです。それで、お父様が登ってみると、長楽山が高々と直線になっていたというのです。それこそ、本当に形が整っていて、塀風のようになっていました。
そして、ここの水は、一日に何百回と、いつでも変化します。これは造化を意味します。造化というのは、希望を意味し、無限を意味し、全体の繁栄を意味するのです。そのような点から見るとき、この清平修練所の位置は、非常に明堂(ミョンダン)(風水説でとても良いとされる敷地)だというのです。
Wednesday Apr 05, 2023
真の父母経 第103話
Wednesday Apr 05, 2023
Wednesday Apr 05, 2023
真の父母様の愛唱曲
真の父母様は、各種の集会で自ら歌を歌われたり、食口たちを呼んで歌を歌わせたりしながら、雰囲気を盛り上げられた。「サランへ」、「オンマヤ、ヌナヤ」は、名節行事や和動会で御夫妻が一緒に歌われ、食口たちと合唱した歌である。真の父母様は、本郷を失ってしまった人類の救いを思われ、故郷を慕う歌詞が記された歌(「カゴバ」、「故郷無情」、「郷愁」)と、寒い冬に打ち勝って春に芽生える新芽のように、新しい生命と希望が躍動する春の歌(「春の乙女」、「四月の歌」など)も好んで歌われた。真のお父様は、麗水の清海ガーデンで海洋摂理を主管されながら、「舟歌」を日本の食口たちと熱唱され、日本の歌である「故郷」や「赤とんぼ」も食口たちと共に合唱された。孤独なみ旨の道を象徴する独島(竹島)に関する歌詞が記された「ホルロアリラン」と、変わることのない衷情を歌った「千年岩」も好まれた。聖和の直前には、お孫様を膝や机の上に座らせて、「翁草」を一緒に歌って楽しまれた。「大韓八景」や「祖国賛歌」などを歌い、神様の国が早く訪れることを念願された。
9 「ホルロアリラン」は、独島(竹島)に関する歌ですが、「トクト」は、「独」の字に「道」と考えることができます。台風に遭い、小さな顔(島)がどのように一晩を過ごしたかというのです。白頭山の澄んだ水と、雪嶽山の澄んだ水が東海(日本海)に(流れ)、東の方を訪ねていきます。日が昇る所を訪ねていくのです。その次に、船に乗っていくのですが、独島を訪ねていき、錨を下ろして、朝日を浴びるというのです。統一教会員たちは、この歌をみな知らなければなりません。
独島は、寂しい島ではありません。島は、エバを意味するのです。エバが道を修める「独道」です。女性たちが子女たちを抱き、この独島の歌を教えてあげなければなりません。これは、涙なくしては歌うことができません。内容が深いというのです。
10 「千年岩」の歌は、お父様にダンベリー生活を回想させる歌です。お父様は、監獄に行くからといって寂しいのではなく、離れているからといって寂しいのではありません。太陽の光は、夜も昼も、どこでも遮られることなく、明るい光の王権をいつでも維持できるというのです。ダンベリーを思いながら、この歌を歌わなければなりません。
二番は、夕方になり、夜が更けるようになることを意味します。夜更けになれは、私が息をして暮らしている所を明るくするのです。暗闇の世界に行っても、み旨の道を証しなければならず、監獄にも天国の光を照らさなければならないというのです。そのような意味で、お父様は「獄中の聖者」という言葉を残しました。
その次に、最後の部分は、世の中に羨むものはないということです。今やすべて知り、すべて体験し、すべて探し出しました。そして、「歳月が行き来する町角」では、角度を合わせなければ落ちるというのです。そのようなことを考えなければなりません。
自分勝手にしていては、脱落してしまうのです。自分が行くべき道をまっすぐ訪ねていって、天が願う理想天国を創建し、主人になりなさいということです。
11 「カゴバ」は、アリラン峠を越えて、故郷を愛し、国を愛する道を訪ねていこうという歌です。アリランの十二峠を越えていくのです。それが、統一教会が行く道と合います。復帰路程に一致するというのです。歌詞の内容が、故郷を慕いながら、本郷の地を求め、祖国光復のために行くべき復帰路程と同じなので、この歌を歌うのです。
その歌詞が問題ではなく、その歌の内容をどのように消化するかが問題です。夜には昼を慕いますが、黎明が過ぎれば、昼が訪れてきます。迫害を受けるのは、怨讐世界のあらゆるものを相続させるための神様の経綸です。ですから、迫害は悪いものではありません。
迫害を、自ら進んで探し求めていく人には、峠の向こうに平地があり、さらに大きな山を越えれば、さらに大きな平地が生じるのです。そこに湧き水が流れ、続いて小さな川ができて、さらに大きな川となって、国を東西に貫いて包容できる波として流れていくその周辺には、無限の平原、広野が生じるというのです。故郷を離れたのちに帰ってくる切実なその心情が、復帰の心情を求めていく統一教会の事情と一致するのです。
12 「広野の男」という歌があります。男であれば、すべてのことを放り投げて、荒涼とした広野を走るのもよいのです。
一度、そのように生きてみる必要があります。妻が伝道の一線に出ているときに、夫がずだ袋で食べ物を背負い、お金をもってその妻を訪ねていく気分は素晴らしいものです。道端の大きな木の下で、哀れな姿で出会い、過去の自分の過ちを悔いる心をもって、「お前、どれほど苦労しただろうか。座ろう。お前は寂しい立場で困難を克服しながら、私を背後から支えるために苦労してくれた」という場において、千年の愛の絆が結ばれるのです。
13 「輝く大韓」に出てくる「ディンドンデンドン」というのは、詩的で音楽的です。統一教会を「ディンドンデンドン教会」と言ってもよいのです。どこに行っても、高い所、低い所に拍子を合わせられる、良い内容の言葉です。
統一教会は、本当におもしろい教会です。年を取った人、若い人など、様々な人々が集まって話をすれば、通じることができ、理解することができます。塀が高くないので、和合することができるのです。友達になり、親しく縁を結べる良い所であることを、私は感じます。誰かに初めて会っても、距離が遠くなく、塀で塞がれていないことを感じられるのは、幸せな環境です。
皆さんが信仰生活をするとき、そのような面を備えて、一生の間、生きるその影響圏というのは、どのようなものでしょうか。どこに行っても影響を及ぼして生きることができ、記憶に残る指導者たちが多く生まれるでしょう。このような願いを抱いて、私もこのことを続けているのです。
14 「大韓地理歌」の内容が良いのですが、そこに愛国思想が入っています。統一教会を信じる世界の人々は、この歌詞の内容に従い、韓国に関する知識基盤を中心として、思想と伝統を受け継がなければなりません。その次に、白衣民族、倍達民族の弘益(ホンイク)理想をもって、神様のみ旨に従える民にならなければなりません。そのような思想的骨子がすべて入っているので、著者が誰か、私が調べてみたところ、牧師である私の従祖父がこの文を書いて、私の父に教えてくれたというのです。
15 統一は、私たちの精誠によって、私たちの力によって、私たちの努力によって成就しなければならないという思いをもって、「統一の歌」を力強く、一度歌ってみましょう。私たちが行くべき道は、韓国と北朝鮮を復帰することです。しかし、共産主義は世界的な体制を整えて、がむしゃらに根を張っています。ですから、共産主義を屈服させ、三千里半島から追放する時まで、私たちは茨の道を行かなければなりません。この国を早く復興させなければなりません。
私たちの家庭が内外に団結し、南北を統一して、自主的な国家を形成しなければならないのです。私たちは、世界的な怨讐サタンと対決しています。ですから、内的な復興をしなければなりません。外的な復興は、内的な復興の上で自然に存在するようになります。神様を愛し、真の父母を愛し、氏族を愛し、家庭を愛すれば、復興するのです。
Wednesday Apr 05, 2023
真の父母経 第99話
Wednesday Apr 05, 2023
Wednesday Apr 05, 2023
6 若者たちは、「価値あるものがない」と言って落胆するのではなく、「より価値のあるものを創造しよう」という信念をもって生活していかなければなりません。そのような生活をしていくとき、第二の希望を抱くようになり、また、その希望に向かって発展していけるのです。腐っていく木の枝のような若者たちを再創造し、環境を整理していこうという信念をもたなければなりません。
成和学生たちの中には、反対する環境を克服してきた人もいるでしょう。様々な環境を経てここまで流れてきたと思いますが、これからは、ひたすら神様の創造理念をもって、より良く、より価値のある環境を創造していこうというのです。
7 神様のみ旨に責任をもち、この時代を収拾しようとする責任者がいるとすれば、その人は、受動的な人ではなくリーダーです。統一教会も今まで、考える時代から、準備する時代と実践する時代を経てきて、ある程度までは基準が立っているので、統一教会や統一教会の食口たちは、受動的な立場ではなく、主動的な立場に立っています。
しかし、いくらそうだとしても、個人的な勝利の基盤を築かなければ、個人的なリーダーの立場に立つことはできず、ひいては家庭、氏族、民族、国家、世界的なリーダーの立場にも立つことができません。そのため、成和卒業生の皆さんは、み旨から見て今がどのような時代かを知り、そこに合わせて、まず個人的な勝利の基盤を築かなければなりません。今は氏族と民族が一気に連結され、氏族的な勝利の基盤の上で、民族を収拾しなければならない時代です。
8 成和学生の卒業証を受け取ってから離れた人たちがいるのですが、その人たちは、モーセがイスラエル民族を率いてカナンに行く途中、荒野で不平不満を言い、「行けない」と言って反対してモーセを追い出そうとした群れと同じです。皆さんは、自分が考える内的な世界において、心を中心として闘い、勝利の基盤を築かなければなりません。そして、その場で誓って、たゆまず準備し、善なる自分にならなければなりません。そうして、最後の実践舞台である世界舞台において立派に闘い、勝利することによって、最高の栄光の場に参加できなければなりません。
9 歴史の主人は、不平を言い、腹を立てる人々の中にはいません。不平を言い、腹を立ててばかりいる人は、神様も嫌い、友達も嫌い、父母や兄も嫌います。不平を言う人を好む人はいません。かえって、不平の思いを変化させて感謝し、あすの希望にあふれ、望みに燃えて、国と世界のために「私」が生まれたという思いをもたなければなりません。
自分がもっているものを分け与えたいという思い、自分が着ているものを与えたいという思い、自分が食べているものを分け与えたいという思い、自分はいくら粟飯を食べ、粗末なお粥を食べても、他の人にもっと与えたいという思いがなければなりません。
このような心をもって、他の人のために与えることができない立場で悲しみを感じながら祈り、それを考える人がいるとすれば、その人はその国の主人です。それゆえ、勉強するのも自分のためにするのではなく、生まれたのも自分だけのために生まれたのではないというのです。世界のために、歴史のために生まれたのです。
10 私たちは、狭い心を広げなければなりません。広げて、さらに広げなければなりません。神様を解放し、イエス様と聖霊を解放し、霊界にいるあらゆる千々万の聖徒を解放して、南北統一を私たちの手で成就しなければならないのです。
左右に分かれて混乱したこの世界の方向を定め、統一の地上天国に変革しなければならない使命が、青少年の皆さんの双肩に掛かっています。そのような私として寝床に入り、そのような私として朝起きるとき背負わされた重責が自分を押さえつけているのが分かるので、敗者や愚か者になって倒れるのではなく、これを貫いて上がっていき、輝く価値を「私」によってプラスさせ、神様と子孫に渡してみせるという決意に徹しなければなりません。これが、この時代における統一教会の青少年たちの使命です。
11 若者は、どんな環境でも勝利しようとします。敗者になることは、絶対に嫌います。皆さんは若者として、天の側に立ち、大韓民国を発展させなければなりません。ですから、社会の各分野で歴史的な業績を残さなければならず、それらの分野を新しく変えなければなりません。皆さんは、そのようにすべき立場にあります。皆さんは全員、青年たちです。
今、世の中の大部分の青年たち、特に大学生たちは、自分自身を中心として、自分の国でどのように出世をするか、または自分の幸福な人生をどのように築くかという問題をめぐって苦心しています。しかし、統一教会の若者たちは、そうであってはいけません。
自分自身だけの幸福を考えるより、さらに次元の高い倫理観に立脚し、民族のために、世界のために考えなければなりません。そのように次元が高く、広い視野の幸福観をもたなければならず、その幸福観を実践できなければなりません。皆さんは、このような中心的な使命意識をもたなければならないのです。
韓国の「全国大学原理研究会」
真の父母様は、一九六六年一月九日、第二回大学生および青年特別修練会において、「今後、大学に大きく関心をもって、行くべき道を探し出せずにさまよっている大学生たちを目覚めさせ、糾合する努力をしなさい」と語られた。そのみ言が動機となり、修練会に集まった若者が志を一つにして、大学の原理運動の旗手になることを誓い、一月十日、韓国の「全国大学原理研究会」が創立された。「全国大学原理研究会」は各大学にサークルとして登録され、「統一原理」を伝え、勝共活動を行う先頭に立った。
12 民主と共産の二つの陣営を統一するのが、私たちの使命です。それをするためには、全国の二千四百の面に、少なくとも一人ずつは配置しなければなりません。三位基台を造成して配置しようとすれば、七千人以上はいなければなりません。その人々は、大学出身者以上でなければならないのです。梨花女子大学と延世大学を中心として行おうとしたことが崩れて、方向が変わりました。それで、中高生を中心に行うようになったのです。
第一次七年路程の三年路程の期間は、この民族に、統一信徒たちと(行動を)共にしなければならないことを見せてあげるべき期間でした。
韓国は、現在の状態では共産主義の浸透を防ぐ道がありません。彼らは、中流層以下に浸透します。ですから、私たちは、地方にいる人々に原理を伝え、生活指導と啓蒙運動を続けてきました。各面の三位基台は、理念指導と生活指導と啓蒙運動に責任をもたなければなりません。
大学生たちを一年ずつ地方に送って、中等教育に責任をもたせるようにすれば、彼らは農村の事情も体得し、愛国心ももつようになるでしょう。民族のために祭物となる真の思想を大学に残しておかなければなりません。そのためには、審判者の責任を果たせる若者を立てなければなりません。これが、「全国大学原理研究会」の創立目的です。
13 国家の興亡は、その国の若者たちにかかっています。あすの自分を創造すべき人々を立てるために、全国大学生修練会を行うのです。植物の芽が育つためには、適切な環境がそろわなければならず、環境に適応できなければなりません。歴史的な向上線に立った先祖がいたとすれば、その人は幸福な人です。「私以降の未来をどうするのか」と考えながら、「私」と子孫が一貫した目的をもって進むことができるとすれば、その道は幸福な道だと言えます。歴史の中では、正しい方向に向かうほど発展します。
今日、この地上に数多くの人間が暮らしていますが、彼らの目的は一つです。それは、多くの植物が日の光に向かうのと同じです。神様は、中心の芽を立て、横的な環境を形成する歴史を綴ってきました。今も神様は、その芽になり得る個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を訪ねてきます。
韓国は、このような芽の立場に立たなければならず、そのためには試練を経なければなりません。芽は、すべての枝が受ける試練を一時に受けますが、前進して克服しなければなりません。このように、私たちも世界的な試練を克服しなければならないのです。
14 統一信徒は、泉にならなければなりません。泉の水は湧き上がります。滝とは反対です。山の獣も泉の水を求めてきます。泉がない山は、名山になることができません。
特に大学生の皆さんは、腐敗した大韓民国を清くする泉にならなければなりません。泉の水は、湧き上がって、(汚れを清めながら)清さそれ自体を汚さない所に流れていこうとするでしょう。泉の水が人間の生命と関わりをもつためには、その純粋性を失ってはいけないのですが、純粋な泉の水とは、岩を貫いて出てきた水です。ですから、誰もがそのような水を飲もうとするのです。皆さん全員が泉になることを願います。
15 大学原理研究会の核心的な会員が、どれくらいになるかが問題です。そのような基準で、大学を中心に社会活動を展開するために学舎を造り、運営することにしました。学舎を各大学に一つずつ造らなければなりません。このようにすれば、相当な効果が出るようになっています。
ですから、原理研究会を中心とした学舎と、成和学生たちとの関係を強化しなければなりません。そして、三年生、四年生になればみな、原理講義ができる責任者にならなければなりません。このようになれば、この人たちを各大学の各学科に配置して、私たちの思想を指導できるようにしなければならないのです。このように組織を強化しておけば、短期間で急速に発展すると思います。
また、大学出身者たちを全国に配置しようと考えています。大学生たちは、社会や教会で主導的な役割を果たさなければなりません。教会で主人の役割を果たし、自分の責任を果たさなければならないというのです。皆さんは教会の雰囲気を知り、若い人々が教会にとって希望の標準となり得る雰囲気を形成しなければなりません。
Tuesday Apr 04, 2023
真の父母経 第108話
Tuesday Apr 04, 2023
Tuesday Apr 04, 2023
12 私たちは、第一次七年路程において六千年の罪悪歴史を終結しようとされた神様のみ意があったことを知っています。また、二千年前のイエス様以降、キリスト教が血のにじむ殉教の祭壇を築きながら、残された摂理の因縁を終結するために苦労してきたという事実も知っています。イエス様と聖霊はもちろんのこと、み旨のためにこの地に来て、一時の恨を残したまま、サタン世界を心でのみ踏み締め、志を立てて誓いながら、犠牲の場、あるいは死の場に進んだ数多くの先知先烈(先駆けて道を悟った先人、義のために命を捧げた烈士)たちがいることも知っています。このように、歴史の要求は一つの時代と一つの基点に集中し、サタンと神様の決戦を提示してきました。
それでは、この闘いを終結させる使命を果たすべき責任者とは誰でしょうか。この民族の中で、追われ、追い出されてきた統一の群れが、このような重大な責任を担っているという事実を、世の中の人々は知らずにいます。しかし、神様は御存じなので、今に至るまで私たちと共に険しい道を開拓し、賛同してくださるのです。これは、私たちだけがもった特権であり、私たちだけがもてる誇りです。歴史過程においてこれを感じられる、やり甲斐のある期間が第一次七年路程です。
13 皆さんは、二十一年前にお父様が公式路程を出発した時点に置かれています。お父様はキリスト教から迫害を受け、国から追われ、多くの霊通人から反対を受けました。しかし、今はそのような時代ではありません。皆さんは、これから国と宗教と数多くの教派と霊通人たちが世界的に証し、歓迎できる時代圏内にいます。そのような点から見れば、皆さんはお父様より恵まれた立場に立っています。
過去においては、活動をしても、まかり間違えばすべてひっくり返して蕩減しなければなりませんでしたが、もはや皆さんにとっては、そのような時代は過ぎ去りました。すべての条件が良くなったのです。それこそ、蕩減の時代は過ぎ去り、栄光の時代が私たちの前に近づいてくる良い時代だというのです。これが、子女の立場にいる皆さんに該当する期間です。
父母が誤り、人類の前に苦難の基準が立てられました。しかし、お父様が父母の立場で責任を完結したので、子女の立場にいる皆さんは、すべての迫害と讒訴の基準を越え得る位置に出発できるのです。この期間が、正に第一次七年路程です。
民族復帰のための基台を築いた第一次七年路程
第一次七年路程は、真の父母様が歩まれた路程であり、祝福家庭にとっては模範となる路程であった。一九四五年の光復(失った主権を取り戻すこと)以降、真のお父様は、個人的十四年路程を勝利され、聖婚以降の七年路程から、食口たちが真の父母様のあとに従い始めた。
特に、真のお父様のみ言によれば、七年路程の前半三年間は、失ってしまった父母と子女を探し求める期間であり、後半の四年間は、物質的・環境的基盤の造成と同時に、民族的基盤を開拓するための期間だった。真の父母様の路程に同参する子女たちの立場での七年路程は、個人の目を完全に開かせ、立ち上がらせ、走らせて、個人が実績を立てながらみ旨の前に栄光の勝利者となることに主眼を置いた期間であった。
14 皆さんが七年路程の期間に果たすべき使命とは何でしょうか。個人的な勝利の主管圏を備えなければならず、家庭的な勝利の主管圏を備えなければならず、氏族的な勝利の主管圏を備えなければならず、民族的な勝利の主管圏を備えなければならず、国家的な勝利の主管圏を備えなければなりません。
しかし、堕落の子孫である皆さんは、自分で七年路程の道を行くことはできません。ですから、神様は、真の父母を立て、霊界と肉界にその道をつくるようにして、皆さんを行かせるのです。
15 アダムとエバが堕落することによって、真の父母を失ってしまいました。また、真の子女を先ってしまいました。その次に、万物を失ってしまいました。それから、神様を失ってしまいました。失ったこの四つを取り戻さなければなりません。
アダムとエバが堕落することによって、長成期完成級から落ちて堕落した人類の先祖になり、堕落した息子、娘になりました。また、万物も堕落圏内において胸の痛む恨をもった万物になりました。人間がサタン主管圏内に入ったので、すべて失ってしまったというのです。
統一教会でこのようなことを復帰した基準を立てた時期が、第一次七年路程である一九六〇年から一九六七年までの七年間です。この期間に、失ったものを復帰できる基準に上がったというのです。
16 皆さんを、なぜ一九六〇年から第一次七年路程に加担させたのでしょうか。その前から加担させずに、なぜ一九六〇年から加担させたのかを知らなければなりません。復帰歴史は、蘇生、長成、完成の三段階を経ていくようになっています。七数を中心として三段階を経なければならないので、二十一数期間が過ぎてこそ、その基盤が築き上げられるのです。
ところで、蘇生期と長成期までは、堕落によってサタンの侵犯を受けた期間です。父母の立場にいる人が堕落したので、蘇生と長成の期間には、父母が果たすべき使命があります。父母が立てるべき試練と苦痛の基準に、子女たちは参加できません。子女たちは、完成段階に該当する七年の期間に、復帰の道を行かなければなりません。この期間は、サタンの侵犯を受けていない基準で、復帰の道を行ける期間です。この七年の期間に皆さんが苦労したことは、蕩減の内容になるのではなく、実績として残るのです。
17 聖婚式をしたのち、この地上に神様を中心とした真の父母が現れました。歴史始まって以来、悪の父母が生まれたことはありましたが、神様を中心とした善の父母の基準は、この地上に設定されませんでした。これが設定されれば、サタンは、歴史始まって以来、今まで人類を支配してきたすべてのものを奪われるのです。ですから、サタン勢力は、あらゆる力を尽くして本格的に反旗を翻し、迫害せざるを得なくなります。
なぜ聖婚式をしてからも迫害を受けなければならないのでしょうか。それは、聖婚した基準が長成期完成級であり、まだ七年路程が残っているからです。この七年路程をどのように越えるかが問題です。この七年路程を越えてこそ、直接主管圏に到達します。
原理結果主管圏を経て直接主管圏まで到達するには、責任分担というものがあります。アダムとエバは神様を中心として、絶対的に一つになれる愛の理想を備え、それが分かれようにも分かれられない位置にまで進んで、直接主管圏内で神様を中心とする愛を主とした家庭基盤を築かなければなりませんでした。そのようにしていたならば、その基盤から天地が合徳し、男女が合徳することにより、新しい愛の基盤、新しい生命の基盤、新しい血統の基盤を中心として、四方に平面的な拡大が展開していくのです。
18 統一教会の食口たちにとって、第一次七年路程は、お父様が民族の運命を決定できるアベル的な路程に同参(一緒に参加すること)する期間です。お父様が東に行けば東に付いていき、西に行けば西に付いていって、皆さんは葉になろうと枝になろうと、落ちてはならず、折れてはいけません。この七年路程は、枯れたとしても、折れない枝と、落ちない葉の立場に立てておくための期間です。
ですから、この七年路程の期間に、できれば皆さん全体が動員されなければなりません。この期間には、世界的なサタン全体が集中して攻撃してきます。その時期が一九六〇年からです。その時は、大韓民国のすべての人が反対しました。お父様を捕まえて投獄しようと、行列をつくって警察署に投書しました。このように全体が反対する立場に立たなければ、蕩減にならないというのです。
19 第一次七年路程は、お父様の二十一年路程の終局を準備するためにありました。皆さんは個人で第一次七年路程に参加しましたが、世界史的な意義から見れば、これは歴史的な数多くの人間を代表して参加したのです。その期間に皆さんが捧げた精誠は、決して無駄にならないでしょう。これは千秋万代にわたって地上の絆として残り、天上に行けば数多くの善の霊たちが賛辞を捧げ得る基盤になるでしょう。このような期間は、地球上に再び訪れることはないのです。
歴史の恨を解くために、三千里半島において統一の旗印を掲げてきた私たちは、今まで迫害と非難の矢を受けながら歩んできました。しかし、私たちは、歩みを止めませんでした。追われ、追い出されても、自身を内的に成長させると同時に、外的に整備することを怠りませんでした。そのようにすることによって、今や大韓の三千里半島のどこにおいても、統一教会が行く道を遮る人はいません。
どんな銃剣でも遮ることができない基準を立てなければならないという決心が、天的な基準から見るとき、このような途方もない勝利をもたらしました。このような条件を立てたので、それを中心として、新しい歴史を創造することができたのです。
20 第一次七年路程の期間に父母様は、家庭的な基準を立て、氏族的な基準を立てながら、教会を通して民族的な蕩減条件を立ててきました。このような内的な基準は、イエス様の当時に成し遂げなければならないことでしたが、失敗したので、再蕩減したのです。ですから、この七年路程の期間にこれを合わせるために、尽力してきたのです。
21 第一次七年路程の三年路程を通過しながら、皆さんはかわいそうなこの民族に代わって何をすべきなのでしょうか。もう一度、倒れながらでも、走っていかなければなりません。善の世界を建設する役軍(担い手)として準備し、鍛錬する試練の途上において、サタン世界から讒訴を受けない伝統を立てなければなりません。
鍛錬を受ける過程で立てた伝統を、新しい天国理念の世界でも永遠に残る伝統として残さなければなりません。そのようにしなければ、「人生において行くべき道をすべて行った」と言うことができず、人生において果たすべき責任を全うしたとみなすことができません。
皆さんが天のみ前に忠誠を尽くすことを願い、天の真の孝子、孝女になることを願えば願うほど、苦痛が伴い、試練が伴っても、それに備えなければなりません。未来において全人類が「私」の価値をたたえ、万宇宙が感謝する立場に立ち、万宇宙の前に幸福の条件をつくってあげるためには、皆さんがしっかりと準備しなければならないのです。