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Monday Oct 30, 2023
真の父母経 第311話
Monday Oct 30, 2023
Monday Oct 30, 2023
5 宗教の目的は、ただ神様のみ旨の完成にあります。宗教はそのために貢献しなければなりません。数多くの宗教が善を語り、愛を語りますが、その善と愛は、国家や民族、宗教圏内にとどまるものではなく、これを超越して世界的基盤を越え、人類に向かう善と愛を論じるところまで連結されなければなりません。
今まで宗教自体の中の世界を追求する人はたくさんいましたが、宗教自体を一つにし、それから抜け出して、世界に責任をもって救わなければならないと考える人は多くありませんでした。宗教は国家を越えなければなりません。
これが神様のみ旨であるにもかかわらず、宗教は国家内に位置し、国家内だけでなく、文化圏内からも抜け出すことができずにいます。また、その宗教の教理を抜け出すことができない立場で、自分自身の救いや完成を目標として、今まで歩んできているのです。それゆえ、神様は世界を外的に収拾し、宗教を内的に収拾して、一つの世界へと歴史発展の方向を指導せざるを得なかったのです。
6 エベレストの山頂を中心として見るとき、一つのエベレストの山頂を造っておくことによって、その連峰として造られた山脈が存在するようになるのと同じように、宗教も、今まで生き残って歴史時代に貢献してきたという立場に立たなければなりません。エベレスト山に連結された峰々が一つになってその山頂を仰ぐことのできる基準に属しているように、宗教圏もそれと同じであってこそ、霊界に行って、解放が始まるというのです。主峰のない状況で、連峰がいくら自己主張をしても、それは無価値なのです。
ですから、すべての宗教圏を束ねて、神意の時代に進んでいける新しい宗教は、歴史とともに、そして、時代とともに、漠然とした観念的な神様を主張するのではなく、実際の生活で主導的な役割を果たすことのできる、生活の裏側にある動機的要素として生活行動を制裁し、主導できる宗教背景を備えなければなりません。このようになることにより、宗教解放が成されるようになります。宗教という名前がなくなるのです。そうして、宗教の理想的結実を実現した生活圏に越えていかなければなりません。そのような世界が、一つの方向を備えるようになるとき、地上天国が実現されるのです。
7 神様は、良心基盤を世界的に拡張させて、終着点を中心として糾合する統一的良心基準を確定しなければなりません。ですから、誰かが宗教連合運動、宗教統合運動をしなければならないのです。しかし、プロテスタントはプロテスタントを中心として一つになろうと主張し、ローマ・カトリックは、カトリックを中心として一つになろうと主張しています。神様を中心として一つになろうと主張しなければならないのですが、このことが分からずにいます。神様を中心として、すべて一つになろうと主張しなければならない原理を、彼らは忘れてしまっているというのです。
8 神様は、世界をすべて収拾して統合する運動をしてきています。サタンにとって一番の問題は、一つの世界になることです。一つの世界に帰っていくようになれば、人類がすべて奪われてしまうので、サタンはこれに対して無神論、「神はいない」という否定的思想を主張し、その次に、宗教を崩壊させようとする宗教戦争を計画しているのです。現在は、共産主義という思想体系を中心として、世界を風靡しています。共産主義が背後でコントロールし、宗教を分立させ、宗教戦争を助長しているというのです。特に、主流文化圏であるキリスト教文化圏の核心である白人が世界を支配しているので、黒人と白人の問題、すなわち人種差別問題を提起し、宗教戦争を誘導してくるでしょう。これが今後の世界的危険性です。
そのような時代的環境に追い立てる歴史時代を御存じの神様は、必ず宗教を統一する運動をされるのです。キリスト教を連合し、すべての人種を糾合し、思想的に共産主義の浸透を防いで、宗教戦争と人種戦争を起こそうとすることに対して防御する準備をせざるを得ません。この世界を一つにする統一運動を、神様がせざるを得ないというのです。世界的共産主義侵略からの防衛(運動)と、キリスト教のすべての宗派を超越した超教派運動、そして、宗教を超越した超宗教運動がこの「終わりの日」に出てこなければ、天の側が世界を収拾できる道はあり得ないのです。
韓国宗教協議会とアメリカ聖職者連合運動
統一教会は、一九七〇年四月十五日、韓国宗教協議会に加入するとともに既成教団と手を取り合って宗教連合運動に乗りり出した。真の父母様は、超教派運動とともに、多くの教団が参加する宗教協議会の活動を通して、宗教を中心とした内的統一基盤を造成し、これを、勝共運動を通した外的統一基盤に連結させることにより、国家と世界的統一の土台を整えようとされたのである。また、第二イスラエルであるアメリカのキリスト教の教派が一つにならなければ、世界的な宗教圏の統一は成し遂げられないと考えられ、アメリカのキリスト教聖職者たちの糾合のために、多くの精誠を傾けられた。特い、二〇〇〇年五月、キスト教聖職者百二十人を中心に、「米国聖職者指導者会議(ACLC)」を創設し、アメリカのキリスト教が超宗教圏を通して世界平和実現の先頭に立つようにされた。
9 統一教会は、一九七〇年四月十五日を期して、韓国宗教協議会に加入しました。ここには、七大宗教が加入しています。この過程で、初めは三つの宗派が分裂しました。それでも私たちは、「反対するなら反対してみなさい」という姿勢を貫いていくと、反対していた宗派がすべて戻ってくるようになりました。そうして、七大宗教と関係を結ぶようになり、統一教会は八番目として入ることになったのです。
私たちは、この協議会をどのようなことがあっても前面に立て、この協議会を通して対社会活動を展開していかなければなりません。
10 私たちが「宗教協議会」や「国際勝共連合」の活動をする理由とは何でしょうか。宗教界にとって最も緊急な問題が、数多くの教団が一つになることであり、国にとって最も緊急な問題が、反共運動をすることだからです。この国のために、統一教会が反共運動をしています。
このように、統一教会が内外に活動しているというのは、大韓民国だけでなく、全世界の人類も認めざるを得ない事実です。宗教を中心とした統一運動も、私たちがしていきます。もちろん、そこには様々な困難が伴うでしょう。物質的損害や人的損害があるでしょう。しかし、私たちはそれを覚悟しています。これは、統一教会のためだけのことではありません。国のためにすることであり、世界のためにすることなのです。
11 一九七〇年に韓国宗教協議会の三大目標を定めるとき、救国を中心思想にしました。その救国の方向とは何でしょうか。勝共思想で武装しようというのです。そのようにして、共産党に反対し、闘って勝とうというのです。このようにすれば、私たちが今まで韓国宗教協議会を中心として築いてきた内的な基盤が、各教団の宗教者を中心に外的な基盤となっていくのです。
結局、「国際勝共連合」の基盤を中心とした外的な国家基準と、宗教協議会を中心とした内的な教会基準が互いに一致すれば、内外がぴったり合うようになります。その次には、修練をさせれば、人が増えるようになります。私たちは、韓国宗教協議会を中心として、世界的に発展していくでしょう。今、キリスト教が復興している以上に成長するでしょう。
ですから、私は今、「国際勝共連合」の活動を中心として外的な活動を行い、内的には、韓国宗教協議会を中心として救国を教えているのです。これは国民的な願いであり、民族的宿願である南北統一をしようということです。南北統一は、宗教者たちが立ち上がってしなければなりません。
12 一九六〇年代は、個人で蕩減する時でしたが、一九七〇年代は家庭で蕩減する時です。家庭的アベルを立てるべき時だというのです。そうして、家庭的アベルを中心として氏族的アベル圏をつくろうとするので、家庭的カイン圏にある既成教会を愛しなさいというのです。
ですから、私は、他の人が知らないところで、キリスト教のためにたくさんのお金を使うのです。妻子に食べさせることができなくても、統一教会員たちを養えずに苦労させたとしても、彼らを愛さなければなりません。自分が愛する最高のものをすべて与えたという条件、自分の生命までも彼らのために与えたという条件を立てなければ復帰ができないので、このようなことをしてきているのです。
それで、数多くの宗教を糾合し、韓国宗教協議会の活動を主導するのです。数多くの宗教団体を一つに糾合しようとすれば、どんな宗教よりも愛したという立場に立たなければなりません。自分の最も貴いものを祭物にして与えることのできる立場で、愛さなければなりません。そのように愛すれば、天命によって一つになるのです。引っ張られてくるようになるのであり、屈服するようになるのです。

Monday Oct 30, 2023
真の父母経 第310話
Monday Oct 30, 2023
Monday Oct 30, 2023
多様な超教派活動
統一教会と長老派教会、メソジスト教会の代表が講師となった連合復興会が、一九六六年八月十五日から三回にわたり、真の父母様は、一週間ずつソウルで開催された。これをきっかけに、一九六六年十一月七日、「基督教超教派運動本部」を創立され、これは、一九七四年、「超教派基督教協会」に改称された。また、一九八一年三月二十八日には、「国際クリスチャン教授アカデミー(ICPA)」を、一九八一年十一月十四日には「国際基督学生連合会(ICSA)」を創立された。
17 一九六八年九月九日、クリスチャン・アカデミーハウスにおいて、「新興宗教研究の集い」という名称で、統一教会がキリスト教界と正式に対話をするようになりました。その時には、キリスト教界の最高指導者など、私に反対していた指導者約四十人が参加しました。私たちは時期的に見て、このような時を迎えなければなりません。
彼らは数年前から反対してきた人々でした。彼らから見れば、私たちはみすぼらしい姿でしたが、時が過ぎてみると、彼らが考えていたものとは違うというのです。今や彼らに対し、同情の思いをもって現れる立場になりました。結局、その人々が私を迎え、統一教会の真理を推挙できるようになったということは、彼らが頭を下げるような段階に入ってきたことの傍証となるのです。
私たちは、韓国で多大な関心を呼び起こしてきました。「統一教会は恐ろしい。キリスト教も手を付けることができない。理論的に到底かなわない」と言うようになりました。統一教会は、そのような迫害の中でも、復帰の道を開拓してきました。天下のすべてのものが立ち上がって反対しても、私は海のような包容力をもって、そのすべてのものを迎えようというのです。
18 統一教会がアベルであれば、カイン教会を復帰しなければなりません。私たちは、アベルのために全力を注ぐのではなく、カインのために全力を注がなければなりません。それゆえ、統一教会は一九七一年に入ってから、キリスト教の牧師たちを対象に、「統一原理」公聴会を開催してきたのです。完全なアベルになるためには、カイン圏を復帰しなければなりません。そのようにしなければ、アベルとして勝利の位置に戻ってくることはできません。ですから、今日の統一教会が、統一教会のためだけに存在することはできません。それは歴史的運命です。
カインとアベルによって、そのように堕落の癌が生じたので、それを解消してあげなければ帰れない私たちです。それゆえ、統一教会はアベル教団として、カイン教団を屈服させる限界線を越えなければなりません。このようにカイン・アベルが和合し、同じ方向に進むようになるとき、大韓民国はアベル型の国家として吸収されるのです。キリスト教と統一教会が一つになった基盤の上で、民族と国家を中心にして、アベル的使命に責任をもち、進んでいくことができるのです。
19 統一教会は、これまで反対を受けてきましたが、一九七一年の末になって、昔の祭司長のような人々が原理を学び、秘密文書を書く状況にあります。「協会に加入する」と言う人々が大勢います。キリスト教が変わったというのです。
昔は、統一教会員が現れるだけで、目を三角にして大騒ぎしていた牧師たちが、今では統一教会員たちに、「来なさい」と言います。歓迎する人々が多くいるのです。それで最近は統一教会の牧会者たちが、「キリスト教の牧師だけを対象にするのではなく、長老たちまで対象にして原理公聴会をしてほしい」と言っているのです。
20 キリスト教の牧師たち、百人以上が統一教会の原理を聞きました。彼らは原理を聞いて感化され、「これまで、統一教会の文先生がどのような人なのか、知らなかった」と言いながら、昔は何も知らずに「文某を追い出そう」と言っていたというのです。
世の中が変わりました。今や、牧師たちも壇上に立って、「統一教会に行ってはいけない」という話ができなくなりました。名のある牧師たちは、すべて参加しました。自分たちが統一教会の原理を聞き、学んでおきながら、信徒たちに対して「統一教会に行ってはいけない」とは言えないというのです。
21 韓国の有名な神学者の一人が、ソウルのある教会で(「統一原理」を評価するような)講演をすることによって、統一教会は到底取り除くことができないものとして認識され、統一教会に対して恐怖を感じる群れまで現れました。
また、私たちの超教派運動に対して、キリスト教指導者たちの関心が高まりました。そのような立場になったので、私たちは対キリスト教の活動と大学生の運動を活発に展開しなければなりません。思想的な面では、統一教会でなければならないことを全国的に認識させなければなりません。今から、世界のどこに行っても、統一教会の歌声が聞こえるようにしなければならないのです。
22 全国的に、私たちを歓迎する局面に入ってきています。ですから、新しいブームを起こすことができるように努力しなければなりません。一番の近道は、復興会をすることです。ソウルですれば、全国をカバーできる起源になります。ソウルでできなければ、各地方ででもしなければなりません。一つの道ででもすることができれば、そこに集中して、キリスト教徒たちと統一教会員たちの和合運動をしなければなりません。そのようにしてこそ、国が生き、世界が生きます。摂理の方向が、そのようにある一点から解けていくのです。その一点が韓国になるとすれば、世界的に祖国の使命を果たしたというしるしが付くのです。
23 クリスチャンの学生たちは、原理を一度でも聞けば先発隊になります。一般人がそのようになるためには、原理を聞いて六ヵ月から一年半はかかりますが、クリスチャンの学生たちは、一週間だけ原理を聞けば、先発隊になるのです。
今、大学にいるクリスチャンたちを誰が動かすかが問題です。「全国大学原理研究会」の学生たちと「世界平和教授アカデミー」の教授たちでは動かせません。しかし、大学にいるクリスチャンたちを中心として、クリスチャンの教授とクリスチャンの学生が一つになれば、一般の教授までも動かすことができるのです。
24 キリスト教の最高責任者たちに、私が「聖地巡礼をさせてあげよう」と言いました。ですから今、キリスト教が大騷ぎしています。私がキリスト教を復興させてあげるために行うのです。長老や牧師たちが八時間だけ私の話を聞けば、完全に私たちの側につきます。彼らが反論せず、すべて「良い」と言うというのです。
既に夕方になり、日も沈んで真っ暗になってきているのですが、明かりは統一教会の上を照らすのです。否応なく、そのようになります。そのような意味で、キリスト教と統一教会にとって転換期になったというのです。この転換期は、キリスト教を中心として見れば、歴史的で重要な時期です。霊的基盤しかなかった時代から、肉的基盤を相続できる時代に入るのです。
第四節 宗教連合運動と世界平和
神様を中心とした宗教連合運動
真の父母様は、各宗教において信奉する中心存在はすべて、唯一なる神様に帰一することを明らかにされ、神様を中心とした宗教連合運動を展開された。特に、「世界平和を実現するためには、宗派主義を克服し、宗教の背後で役事される神様を正しく知らなければならない」と語られた。
1 今日、世界的な大宗教として、キリスト教、イスラーム、仏教、儒教があります。これらの宗教は、文化背景が異なる各地域を収拾して、一つの世界に連結させることのできる道を形成してきました。そのような宗教文化圏を背後にして、一つの世界に前進していかなければなりません。ですから、絶対的な神様の摂理を中心として、「終わりの日」が近づけば近づくほど、宗教連合運動に連結されていくのです。
2 この世界では、一つの世界、平和の世界を追求する理想主義者たちが現れて、これを主張しています。それにもかかわらず、宗教者たちはいまだに宗派主義を脱皮できずにいます。これは、神様のみ旨から見るとき、この上なく後退的であり、分別のない立場です。
神様は多くの宗教を必要としません。神様は、宗教が神様のみ旨に依拠して互いに一つとなり、世界の解放のために生きて、この地上の悪を撤廃し、善の世界をつくるために前進していくことを願っています。宗派的な立場で争う宗教は願いません。
このように見るとき、次元の高い文化が次元の低い文化を吸収したのと同じように、次元の高い宗教は次元の低い宗教を吸収するようになるのです。無理やりそのようにするのではなく、自然にそのようにならざるを得ないのです。なぜなら、それはより良い世界に発展していくために、避けられないことだからです。
3 神様が願う世界は、二つではありません。一つです。神様は絶対的なので神様が計画し願う世界は一つです。そうだとすれば、その神様が始めた創造時代から今に至るまで、人類を中心として綴っていくすべての歴史的な方向は、一つでなければならないはずですが、一つではありませんでした。これは、何ゆえでしょうか。
人間が堕落したので、このように多様な方向を経ていく人類の姿になったことを否定できません。このように多様な方向を、いかに一つの目的に向かわせることができるようにするかが、今に至るまで混乱と苦痛の中に置かれている人類を救おうとする神様の摂理なのです。
宗教で信じる神様は、様々な名前をもち、その表現が違います。しかし、その宗教で信奉する中心存在は、唯一の神様に帰一します。その宗教が教える方向と目的は、いつでも一つです。宗教は、それを標準として進んでいます。ですから最後にはすべての宗教が自分なりの道を収拾し、一大変革時代を迎えなければなりません。
4 この地上には数多くの宗教があります。人類が分散されているので、人類を収拾しようとすれば、自然と各民族に合った宗教が必要になります。それぞれの歴史と環境、文化の背景と風習、習慣が異なるので、このような様々な形態を一つの目的に収拾するためには、数多くの宗派がなければなりません。例えば、川を見ると、上流には数多くの支流があります。この数多くの支流が降りてくれば降りてくるほど、互いに合流しながらその数が次第に減ってきて、結局は一つの川になって大海に入っていくのです。同じように、数多くの宗教も一つの流れに合わさり、最後には神様を心の中に迎え、神様の愛を占領する所にとどまるようになるのです。

Monday Oct 30, 2023
真の父母経 第309話
Monday Oct 30, 2023
Monday Oct 30, 2023
超教派運動の必要性とその方向性
真の父母様は、アベル圏である統一教会とカイン圏であるキリスト教団を一つにさせることにより、神様に侍ることのできるアベル型国家として大韓民国を立てようとされた。このような趣旨のもと、一九六〇年代の中盤から本格的に展開された超教派運動は、教派間の和合と一致運動の典型として定着しながら、韓国の宗教界において大きな新風を巻き起こした。
6 アベルはカインを屈服させ、実体基台を立てて子女を復帰すると同時に、父母を復帰する条件を立てなければなりません。その条件を立てようとすれば、アベル一人ではできず、カインと一つになって立てなければなりません。そのような面で、アベル的教団である統一教会とカイン的教団であるキリスト教が一つにならなければなりません。
このように、互いが協助し、サタンを完全に屈服させることができる時が来るのです。ですから、私たちは、カイン・アベルが一つになる条件を立てるために、超教派運動をしています。
7 私たちの前には、今、超教派運動が次第に急迫した問題となっています。統一教会は今まで、アベル的な基準に立ち、エサウに排斥されたヤコブや、兄弟に排斥されたヨセフのような立場で歩んできました。しかし、今の時は、私たちが排斥された基準から次第に上がっていくのです。
ヤコブで言えば、還故郷をしたとき、自分が離れる前の故郷を再び回復できる時代に帰ってくるのです。
ヨセフで言えば、自分の兄たちが訪ねてきた時、彼らは怨讐の立場にいたのですが、飢えてかわいそうな境遇にいるので、養ってあげなければならないのです。そして、その兄弟たちの難しい環境が、ヨセフによってすべて解放されなければなりません。そのためには、エジプトの物、すなわちヨセフの管轄圏内の物を持ってきて、与えなければならないというのです。
また、ヤコブがもっている物もすべて持ってきて、与えなければなりません。このように財物を与え、ヨセフは父親から天の相続を受けようとし、(かつて)ヤコブも父親から祝福を受けようとしたのです。それが目的です。これを、兄たちが喜ぶ立場で受け取るようになれば、この世にある物質は問題ではありません。兄さえ訪ねてくれば、サタン世界の物質は根こそぎ入ってくるというのです。そのようにすることによって、すべて蕩減復帰されるのです。
8 兄のカインに会える時が来ました。キリスト教に会える時になってくるので、超教派運動をしなければならないのです。ヤコブが物質を中心として犠牲になり、自分の兄を生かすために苦労したのと同じように、私たちは、大韓民国を生かすために、物質を基準として、この国で奉仕しなければなりません。原理的な条件を明確に立てて蕩減していかなければ、押されていくのです。ですから、超教派運動をするのです。
キリスト教を兄のように思って接するのです。キリスト教は兄と同じです。ハランに避難したヤコブは、故郷に帰ってくる時、自分が二十一年間、精誠を尽くして集めた僕と財産をエサウにすべて捧げようとしました。そうして、エサウは物質を手にし、神様の祝福を受けました。私は、たとえ負債を背負うことになるとしても、そのようなことをするでしょう。
9 今や、いかなる教団も、世界的な宗教と連結されなければならず、哲学も、世界的な哲学基準に連結されなければならず、政治も、世界的な政治と連結されなければなりません。私たちは、このような基準を国家的次元で築いておかなければなりません。そのようにしなければ、天が守勢の立場から攻勢の立場に変わることができないのです。
そのようにしようとすれば、キリスト教を中心として、統一教会が多くの宗教を糾合しなければなりません。そのために、一九六六年から超教派運動を展開しているのです。
言い換えれば、キリスト教を中心として超教派的活動を展開して、彼らと私たちが共通の立場を取っていることを自他共に公認し、国家的な次元でも、統一教会の教理がいかなる宗教の教理よりも優れていることを公認させなければなりません。
10 私が今まで天宙史的な責任を背負いながら苦心してきたこととは、この民族とキリスト教と私たちが一つになるその一日を、どのようにして迎えるかということでした。この民族とキリスト教と私たちは、一つにならなければなりません。今まで復帰摂理において、神様が時代的な使命を背負った人々を送るときは、どのようにして既成宗教と国を収拾し、一つになる基点を立てるかということが常に問題でした。ですから、既成宗教に歓迎される一つの方向を模索しなければならないのです。一つにならなければならないというのです。
11 超教派運動は、すべての教会を救ってあげるためのものです。その昔、弟アベルの命を奪ったカインを復帰しなければならないのです。アベルが打てば滅びます。愛によって抱いてあげなければなりません。これが統一教会の運動です。ですから、借金をしてまで、この運動をしているのです。
宗教をどのようにして糾合するかが問題です。これが私たちの課題です。ここには、皆さんが分からない苦しみがあります。
そこにお金が必要になれば、私が借金をしてでも、足場を築かなければなりません。そして、私の子女を愛する前に、彼らを愛によって屈服させなければなりません。愛する子女をあとにして、まず怨讐のために尽くさなければならないのです。自分の子女よりも、怨讐をもっと愛したという立場に立たなければならないというのです。そのようにするとき、解放の門が開かれます。統一教会は、今までそのために努力してきました。
12 本来、メシヤは、実体基台を完成し、教会と民族圏を中心として来られる方です。ユダヤ教とイスラエル民族がイエス様を迎えることができる基準は、長成期完成級に該当します。ですから、統一教会は、国だけでなく、キリスト教に対しても新たな影響を及ぼさなければなりません。そうして、ユダヤ教とイエス様が一つになり、イエス様とイスラエル民族が一つになるべきだった基準に立たなければなりません。
ユダヤ教とイスラエル民族はイエス様を打つ立場に立ちましたが、今は、そのようになってはいけません。イエス様がユダヤ教とイスラエルの国に影響を及ぼすことのできる位置を完結しなければならないのです。そのようにしなければならない使命が、私たちにあります。これを合わせるために、超教派運動と宗教協議会の活動をするのです。
13 私たちは、キリスト教徒たちに、「私たちは等しく、神様を父と信じているのは間違いないのではないか。ぶどうの木ややまぶどうの木のように、枝が少し違うだけで、形は一緒ではないか」と言って、説得しなければなりません。そのようになれば、私たちの教会は超教派運動もすることができ、宗教協議会の運動もすることができます。このように、キリスト教と一つになって、宗教を信じない人々が神様を信じるように導かなければなりません。
私たちが主動的な立場に立って、信仰をもっていない人々を伝道しなければなりません。そのためには、キリスト教が復興会をするとき、統一教会員たちが行って、伝道もしてあげなければなりません。私たちがそれこそ、親和を図る行動をしなければならないというのです。
14 超教派運動をしている人々は、もともと私の怨讐だった人たちです。私たちは麦だけの御飯を食べて貧しくしていますが、彼らに同情することができるので、どれほど偉大かというのです。そのような人々に対して悪口を言うのではなく、同情し、慰労して、彼らのために祈る人は、どれほど偉大かというのです。宗教者でなければ、誰がこれをするのかということです。
そうして、神様が「歴史始まって以来、私が愛することができる人に出会った」と私に言われるならば、私は「畏れ多いお言葉です。私は後ろに退きますので、統一教会の群れを愛してください」と言うのです。これがお父様の思想です。「私は愛を受けなくても大丈夫です」と言うのです。これが神様の思想であり、イエス・キリストの思想です。
15 私たちは、善悪の分岐点に立っています。このことをいつも考えなければなりません。私は、(ここから)転換していきます。それでは、どのような道が最も早い道でしょうか。怨讐を愛する道は、一八〇度で転換することができます。それを見れば、イエス様は、このような世界を知っていた方です。私が霊界からすべてのものを探し求め、人生のどん底や高い所をすべて調べてみると、その方は正に真理、真の世界の深い内情を知っていた方でした。
ですから、統一教会のためよりも、キリスト教のために、超教派のために、経費をより多く使っているのです。皆さんが飢えても、皆さんを苦労させても、そのようにしています。
なぜでしょうか。統一教会が、既成教団を愛することによって端から端に、国の怨讐を愛することによって端から端に、転換する幅が広がるのです。
16 キリスト教から見れば、ユダヤ教が兄の立場にあり、統一教会から見れば、キリスト教が兄の立場にあると私は信じ、主張しています。キリスト教とユダヤ教が一つになったならば、今日、この世界は、このような悲惨な世界にならなかったでしょう。
イエス様のみ旨を中心として見るとき、再臨という言葉をめぐって、今日の歴史は数多くの犠牲的代価を払い、現在の世界的な情勢、思潮圏内に入ってきています。
この時代に新しい宗教である統一教会が出てきて、キリス教にとって問題になり、世界にとって問題になっていますが、これがある個人の一念から始まったものであるとは、微塵も考えることができません。間違いなく、背後で神様が役事(働き)したというのです。私の生涯を通して、成し遂げることができないような様々な出来事を経験するたびに、天との直接的な解決方策に従って順応することにより、困難な峠道を経て、今日の名声をもつ統一教会になったのです。私たちは、神様を中心として、神様のみ旨を成就するために、ユダヤ教とキリスト教、そして、統一教会がその道を行くと考えるのです。

Thursday Oct 26, 2023
真の父母経 第308話
Thursday Oct 26, 2023
Thursday Oct 26, 2023
19 最後の心情世界を連結させることができる宗教とは、神様が一番かわいそうだということを詳細に教えてくれる宗教です。(今日まで)神様は、素晴らしくて偉大だとばかり言われてきたのですが、そうではありません。かわいそうで、無念な神様、悔しくて恨があふれる神様です。ですから、これを詳細に教えてくれる宗教が出てこなければなりません。悲しみの神様を知らなければ、解放してくれる神様、審判する神様(という本当の意味)も分からないのです。
それゆえ、歴史的な神様の心情に通ずる宗教が出てきてこそ、歴史的な宗教の使命を果たすのであり、時代的な神様の心情を教えてくれる宗教が出てきてこそ、時代的な宗教の使命を果たせるのです。そして、未来的な神様の心情を教えてくれ、そのような心情に通ずるようにし、その心情に代わって神様を慰労できる宗教をつくってこそ、その宗教が「終わりの日」に残る宗教になるでしょう。
20 宗教には様々な種類があります。僕の宗教があり、その次には、養子の宗教があり、息子の宗教があります。そして、最後には父母の宗教が出てこなければなりません。人間が堕落したので、宗教が必要であり、救世主も必要なのです。人間が堕落していなければ、救世主も宗教も、すべて必要ありません。直ちに神様と一つになり、永遠なる神様の愛を中心としてこの地で暮らし、そのような父母から生まれた息子、娘と子孫が、すべて天の国に入っていくのです。地上天国から天上天国に入るのです。
ですから、最高基準の宗教を、何によって決定するのでしょうか。人間が堕落していない本来の善なる立場で、創造主である神様と、その対象である人間が出会うことのできる、原則的な内容を基準として選択せざるを得ないのです。それが、神様の息子になることであり、神様と一体になることであり、創造の能力を行使することであり、創造の偉業を受け継いで喜びを感じるようになることです。これが四大要件です。これに符合する内容に従って宗教の等級が決定するというのです。
21 数多くの宗教がありますが、宗教の中で最後の宗教は、神様の原理を中心として、完全に一つにしてくれ、私たち自身を再び生んでくれる父母の宗教です。
統一教会は、父母の宗教の使命を完結し、僕の宗教でできなかったこと、養子の宗教でできなかったこと、息子の宗教でできなかったことを、代わりにすべて完成する使命を果たそうというのです。これが神様のみ旨の中から出てきたので、この宗教のみを中心として、人類は願いを成就することができるのです。そこから統一が可能です。
また、堕落した父母によって、私たち人間が悪の血統を受け継いだので、これを完全に蕩減復帰した善の父母が出てこなければなりません。そうして、神様の本然の血統に復帰してあげることができなければなりません。そのような基準を完全に備えなければ、本然の完成した人間、体と心が争わない完全な人間が出てくることはできません。
22 宗教は、どこに行かなければならないのでしょうか。真の父母との関係を尋ねていかなければなりません。神様の愛の門を通過して、本然の関係、すなわち、本然の真の父母を中心として、神様の子女の立場を復帰しようとするのが、今までの宗教の最終目的なのです。このような目的を追求する宗教が、正にキリスト教です。それゆえ、キリスト教が名実共に世界的な宗教になり、「終わりの日」に世界の文化を支配できる宗教になることができなければ、神様はいないという思想が出てくるようになるというのです。
統一教会は、神の愛を中心とした本然の男性と女性になることによって、失われた父母の関係を決定する責任を果たそうというのです。これができなければ、いくら世界を統一するとしても、本当の意味での統一とは言えません。
私たちは、神様の愛を中心として、堕落前の本然の男性の姿を探して立てなければなりません。神様の内的な心情が連結されたその男性を中心として、神様が喜ぶ中で女性を探して立て、一組の真の父母をこの地上に誕生させることができなければなりません。このような宗教にならなければ、この宇宙のすべての宗教を統合することはできず、全人類を統一することはできないのです。
23 旧約時代までは物質を祭物にした時代であり、新約時代は愛する息子、娘を祭物にした時代でした。言い換えれば、旧約時代までは物質を祭物にして息子、娘の生きる道を築いてきたのであり、新約時代は息子、娘を犠牲にして、再臨主が来る道を築いてきたのです。再臨主は父母様なので、父母様が来る道を築いてきたというのです。また、父母様が今まで歴史的路程で犠牲になってきたのは、神様をこの世にお迎えするためでした。この道が、宗教を通した救援摂理の道だということを、初めて解き明かしたのです。
宗教が行く道には、僕の宗教があり、養子の宗教があり、庶子の宗教があり、直系子女の宗教があります。その基盤の上に父母の宗教が出てきて、平和の天国に向かって進んでいのです。
第三節 超教派運動とキリスト教との対話
神様は唯一であられる
キリスト教は、絶対者であられる神様に従いながらも数多くのの教派に分かれてきた。超教派運動は、すべての教派が互いの利害関係を離れ、唯一なる神様のもとに手をつなごうというものである。真の父母様は、教派を超越して共に神様に侍って暮らすことこそ、すべてのキリスト教徒たちが実現すべき本質的道理と使命であることを強調し、超教派運動を展開された。
1 天地を創造された神様は、二人ではありません。もし二人の神様がいらっしゃるならば、創造目的も二つにならざるを得ません。創造目的が二つであってはいけません。ですから、神様はお一人でなければならないのです。唯一の神様が造られたすべての被造万物が、二つの目的をもっているというのは、あり得ないことです。
唯一の神様が一つの創造目的を立てられ、その一つの目的を完成するために、すべての存在物を造られたのです。そして、万物が一つの目的を志向するようにされました。唯一の神様が一つの目的を中心としてすべての天地万物を造られたので、この歴史がいくら興亡盛衰を繰り返したとしても、一つの目的に向かって前進するのです。
2 今日、人類が信じている神様は、「私」の神様であると同時に、人類の神様です。私たちの神様であると同時に、世界的な神様であり、世界的な神様であると同時に、天地の神様です。それと同時に、宇宙的な父母です。
世界には、神様を唱える教派が多くあります。しかし、教派圏内で唱える神様は、もはや必要ありません。教派を超越して、全天地の中心として信じ、唱えることができ、全体に代わって神様を「私の父」と呼べる資格がある存在が集まってこそ、この地上に神様を迎えることができるのです。
3 神様は、必ず地上に宗教を立てて世界の救援摂理をされるのですが、その宗教は、世界性を帯びるようになります。ですから、一つの宗教を模索しなければなりません。その宗教の教理には、一つの世界をつくるという内容がなければならないのです。その一つの世界は、神様と関係ない一つの世界ではありません。神様を主体として、天と地が完全に一つになった宗教的教理の内容をもっていなければならないのです。そして、すべての主義や思想と闘うのではなく、それを自動的な立場で消化できる主体的な能力がなければなりません。
そこでは、自分に味方する人や自分の民族、自分の文化背景と一つになるだけではなく、自分と反対の内容をすべて吸収し、消化できる能力がなければなりません。自分が好きな人とだけ一つになるのではないのです。自分の怨讐は取り除いてしまい、自分の味方とだけ一つになるための主張ではなく、怨讐までも漏らさず、一つになろうという宗教の内容がなければなりません。
このような宗教を神様は願い、イエス・キリストもそのような宗教を目標にしてきたのです。ところが、今日のキリスト教は、数百の教派に分かれています。キリスト教がもし、この大宇宙とともに世界を救うという目標をはっきりともっていたならば、このように分裂することはなかったのです。
4 皆さんは祈るとき、「神様は世界的な神様であるがゆえに、世界を最も愛されるので、神様の息子である私も世界を愛します」と言わなければなりません。すべての国の人々が、自国だけのために祈るとすれば、神様はどれほど困るでしょうか。そのようになれば、神様が何百人もいらっしゃらなければならないでしょう。神様は、全世界の神様です。
神様は、世界を一つの愛の圏内に抱こうとされるお方なので、たとえ大韓民国を愛さなくても、私は恨みません。神様は、大韓民国だけの神様ではないというのです。大韓民国を捨ててでも世界を取ろうとする神様だというのです。ですから、世界を愛し、世界のために身もだえする人は、自分の国が滅びても、その国を再び復活させて世界を相続できるのです。
神様が世の中を救われるとき、善人は救い、悪人はすべて捨てるのではありません。善人を遺わして悪人を救われるのです。もし、神様がキリスト教だけを残し、残りはすべて葬り去ってしまうとすれば、その神様は、暴虐で残忍な神様です。神様は真理の本体であられ、道理に合うお方です。それなのに、キリスト教徒たちは、自分たちだけの神様だと思っています。神様は、万民の神様です。どこの誰かだけの神様ではなく、私たち全員の神様です。

Thursday Oct 26, 2023
真の父母経 第307話
Thursday Oct 26, 2023
Thursday Oct 26, 2023
12 今まで人々は、自分一人が救いを受けるために信仰してきました。私たちの信仰は、そのような信仰とは根本的に異ならなければなりません。内容が異ならなければならないのです。「私一人の救いのためであれば、世界を捨て、国家を捨て、氏族を捨て、家庭を捨てよう」というのが、今まで宗教が追求してきた道でした。
しかし、今日、統一教会が行く道は、これとは異なります。個人を必要とするのは、家庭をつくるためです。家庭を必要とするのは、氏族をつくるためです。氏族を必要とするのは、民族をつくるためです。民族を必要とするのは、国家を形成するためです。その国家をつくるのは、国家自体のためではなく、世界をつくるためです。根本的に違うというのです。
ですから、国家形成の基本は家庭です。したがって、私たちは、個人の救援を目的とするのではなく、家庭の救援を目的としなければなりません。過去に、私たちは神様と縦的な立場で相対的関係を結びましたが、この時代には、縦的な立場でのみ相対的関係を結んではいけません。それは、どこまでも自分に限定されたものです。
今までの信仰生活は、自分に限定されたものでした。縦的な内容を備えて自分が主体となり、縦的な一つの実体となって、その実体は横的な一つの相対的基盤を決定しなければなりません。これは、今まで信仰者たちが信仰生活をしてきたものと異なります。
今までの一般の宗教が願う立場と、今日、統一教会が願う立湯は全く違うというのです。
13 この世には数多くの人がいますが、大きく二つに分けてみれば、男性と女性に区分されます。彼らが一つになることのできる秘法を模索することが、私たちの根本目的です。今までそのような結実的な家庭の起源が出てこなかったので、私たちはそれを模索していくのです。そのような起源が現れて種を蒔けば、新しい木になるでしょう。これが統一教会の祝福です。
知恵深い人は、個人的な頂上から家庭的な頂上に、いかに飛び越えるかを考えます。また、どのように家庭的頂上から氏族的頂上に飛び越えるかを考えるのです。そのために歩む人がいてこそ、家庭が救われ、そのような家庭があってこそ、氏族が救われるのです。また、その氏族は、民族の頂上を越えていかなければならず、その民族は国家的頂上を越えていかなければなりません。その次に、国家が世界的な頂上を乗り越えれば、世界復帰は簡単に実現されます。
このように、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の七段階を越えていかなければなりません。この七段階を越えて八段階に上がれば、神様と通じ合うようになるのです。
14 イエス様は、「神様は私の父である。私は神様のひとり子である」と言いました。そのひとり子は、父の愛を根こそぎ受けるようになります。イエス様は、神様と人間の関係をはっきりと明らかにしました。天地の核心を説いたのです。また、「神様のひとり子として、その初愛を受けた」と言いました。そのような神様の愛を中心として論じれば、イエス様以上の人はいないという結論が出てきます。
その次に、イエス様は御自分のことを新郎、信徒のことを新婦と言いました。相対がすべて新婦になるというのです。実際、新郎と新婦以上に近いものはありません。また、イエス様は「私はあなたがたと兄弟である」と言いました。それは、神様を中心とした神意による家庭と、人意による家庭について語ったのです。
人間が願うのは家庭です。男性も女性も、成長すれば家庭を築きます。人情の安息所は、家庭から始まるのです。天情の安息所も、家庭から始まります。イエス様は、神様を中心とすると同時に人間を中心とした、すなわち、神様と人間が一つになった家庭を模索しました。理想的な世界は、神様と人間が合一した家庭が出てきてこそ、実現されるのです。
神様の解放と父母の宗教
宗教の究極的目標は、人類を罪悪と苦痛から解放し、神様が構想されていた創造本然の世界を回復することにより、神様を解放してさしあげるところにある。そのため、真の父母様は、一生涯、子女を失った神様の恨を解怨するために全力投球され、ついに二〇〇一年一月十三日、神様王権即位式を挙行されることにより、実体的に神様を解放してさしあげたのである。また、世界には数多くの宗教が出現したが、これらの宗教は復帰摂理歴史の進展に従って、異なる時代的使命を担ってきた。真の父母様は、「僕の宗教、養子の宗教、息子の宗教時代を経て、父母の宗教が登場する」と語られ、統一教会が父母の宗教の役割を果たさなければならないことを強調された。そして、父母の宗教は、神様の愛を中心として創造本然の父母を探し出すことにより、すべての宗教を統一し、人類を一つにできる最後の宗教であると説明された。
15 宗教を信じるのは、「私」が救いを受けるためではありません。イスラームを信じ、キリスト教を信じるのは、私が救いを得るためではないのです。神様を解放するためです。ムハンマドも、自分より人類と神様を愛することを願い、イエス様も、自分よりも人類をより愛し、神様をより愛することを願うというのです。お父様も、自分よりも人類を愛し、神様をもっと愛しなさいと教えています。
自分以上に人類を愛し、また人類より神様をもっと愛するというのが鉄則です。宗教者たちの目的は、人類を解放し、神様を解放することです。
16 復帰路程は、個人復帰にのみ該当するものではありません。個人を種として家庭を復帰しなければならず、家庭を種として氏族を復帰しなければならず、氏族を中心として民族、国家、世界、ひいては天宙復帰を完成してこそ、神様の解放が起きるのです。神様が今まで解放されなかったというのです。御自身の創造理想を通して立てた経綸が、天宙史的な立場で完成を見ることのできる立場に立てなかったため、今まで神様が計画したすべてのものが失敗した立場に落ちたのです。それゆえ、神様も今に至るまで、解放された立場にいらっしゃらないというのです。そのように失敗したことから解放されるようになるとき、初めて神様の解放が起きるのです。
ですから、宗教の使命は、正に人類を解放することです。その人類を解放する目的は、人類の解放だけで終わるのではなく、神様までも解放しなければならないからです。人類が完成するとき、神様のみ旨が完成し、人類的で天宙史的な幸福の起源が、神様を中心として出発するのです。このような原則が国家にも適用され、氏族にも適用され、家庭にも適用され、個人にも適用されるのです。
17 今まで、救いの目的とは何かを誰も知りませんでした。定義を下すことができませんでした。このような混乱した世界で、統一教会は救いの定義を明確にしました。それで、救援摂理は復帰摂理だというのです。「復帰」という言葉は、偉大な発見です。アダムとエバが罪を犯す前、神様の愛を直接受けることができるその世界に帰ろうというのが、救援摂理の究極的な目的です。ですから、神様の救援の目的やメシヤの救援の目的、私たちが救いを受ける目的は一つです。すべて同じだというのです。
私たちが宗教を信じる目的は、罪のない世界、神様と本然の世界を訪ねていくこと、それしかありません。そして、兄弟である世界人類が一つになり、共に神様の愛の世界に帰ろうというのです。皆が神様に帰ろうというのが理想です。ですから、神様の目的と、メシヤの目的と、人類の目的は一つです。私たちは、この三つをすべて統一することができます。これが統一という命題です。
神様を解放し、メシヤを解放し、人類が解放され、皆が喜ぶ愛の世界をつくろうというのです。統一教会は、そのような観点を中心として出てきました。統一教会を通して、宗教を統一しようというのです。いかなる宗教でも、地上でこのような神様のみ旨に一致する宗教にならなければなりません。
18 私の生涯は、それこそ形容し難い茨の道であり、闘争と逆境の道でした。死の境に立ち、「これで最期だ」と思ったことも、一度や二度ではありません。事実、私が今も生きていること自体が、むしろ奇跡であると言わざるを得ません。私は、生きていらっしゃる私の父なる神様を知ってからは、一分一秒も他のことを考えることなく、ただただ天にいらっしゃる私の父のみ旨を成し遂げてさしあげなければならないという一念で、一生を貫いてきました。
神様は、人類をこの上なく愛していらっしゃいますが、この地上には、神様の愛を本当に知っている人は多くありません。神様は、この地上の全人類を幸福にしようという思いと、地上に天国を建設しようという思いに燃えておられます。神様の本性は真の愛であられ、本来、神様と人間の関係は父子関係でした。しかし、歴史を通して、人間はその神様を知らずにいるばかりでなく、その神様の胸に不孝の釘を打ち続けてきました。
天にいらっしゃる人類の父は、子女を失った父母と同様の断腸の思いと悲しみの恨を抱えていらっしゃることを、私は発見しました。私の人生の目標は、神様の積もり積もったその恨を解いてさしあげることです。神様を、悲しみと寂しさと苦悩から解放してさしあげることが、私の生きてきた目的でした。

Thursday Oct 26, 2023
真の父母経 第306話
Thursday Oct 26, 2023
Thursday Oct 26, 2023
4 宗教の目的は、救うことです。争いの場所から救うのです。紛争する世界を越えて、平和の世界に行こうというのが救いです。「救い」という言葉自体について考えてみるとき、本来、人間はそのように争いをする姿ではありませんでした。皆さんは、病院に入院して、すっかり回復して出てくれば、「助かった」と言います。「その人を救おう」というのは、「状況が悪くなったので本然の状態に戻そう」ということです。ですから、堕落したので、堕落していない本然の位置に帰らせようということです。本然の位置に帰れば、どのようになるのでしょうか。神様と人間の関係が、新たに結ばれるというのです。
5 神様が宗教を立てた目的は、全世界の野生のオリーブをなくすためです。野生のオリーブを真のオリーブとして完成させるのが宗教の責任であり、宗教者の使命です。ですから宗教は、「神様から離れて罪人になったので、善人になって神様に帰ろう」と言うのです。神様に帰る運動が宗教です。したがって、宗教の目的は、人類を救って神様に帰らせることです。
これまで、宗教者たちが信仰生活をする目的は、「私が宗教を信じて救いを受け、私が幸せになろう」というところにありました。しかし、世界の人類を救い、人類を連れて神様に帰ろうというのが正しい信仰者の道です。
ですから、真の宗教者は、「私が宗教を信じるのは、この国を神様にお返しし、この世界を神様にお返しするためである。そして、私の息子、娘、私の子孫をまず救うのではなく、国を先に救い、世界を先に救おう」と言う人です。このようにして、国家が救いを受ければ、「私」の家庭と息子、娘がみな、救いを受け、世界が救いを受ければ、私の国も一度に救いを受けるのです。それゆえ、真の宗教は、人類を救おうという宗教であり、人類を救い、その人類を連れて神様に帰ろうという人が真の宗教者です。
6 神様のみ旨、神様の願いは、キリスト教を統一したのちに、その残りのすべての宗教を廃品のように掃き捨ててしまうことでしょうか。そうだとすれば、神様が世界を救おうという、その救いの概念が変わってしまうのです。世界を救おうという神様なので、キリスト教を統一してから、その次にはその周辺にある宗教を収拾しなければなりません。
神様の救援摂理は、この地球星だけでなく、天宙までも救わなければなりません。過去、現在、未来の人間を救わなければならないのです。この地球星に生きては死んだ、すべての人まで救わなければならないというのです。地獄があるとすれば、地獄にいる人までも救わなければなりません。
神様が本当の主人であり、本当の愛と慈悲をもった主体であるとすれば、宗教を統一したあとは、必ずこの世界を一つにして、世界全体を救わなければならないというのです。
7 宗教が求めようとするのは、天の国です。神様を中心として天の国を建てるのです。歴史路程で人間が求めてきたのも天の国です。天の国とは、この世界のことです。ですから、神様を中心とした世界をつくろうというのです。そのような世界をつくるために生まれ、そのために生き、そのために死んでいった人は、その国の民の中でも、忠臣にほかなりません。それだけではなく、父母の前には孝子にほかなりません。ですから、私たちはそのような教えを中心として全人類の前に手本となり得る近道を提示してあげなければなりません。その道は、万民が共通に欽慕し、従っていくべき道なので、その道から統一が始まるでしょう。
個人救援から家庭救援の時代へ
真の父母様は、人間社会の基本単位が個人だけではなく家庭であることを明らかにされ、「神様を中心とした家庭を正しく立て、その家庭から救いの版図を全世界に広げていかなければならない」と語られた。このために、宗教は個人だけではなく家庭を救うことにより、世界復帰の先頭に立たなければならないというのである。一九五四年に「世界基督教統一神霊協会」を創設したのち、四十周年となる一九九四年に「世界平和統一家庭連合」を発表したのも、家庭救援の重要性を強調されたものである。
8 今までの宗教は、個人を救うための宗教でした。これが歴史始まって以来、今まで宗教が越えようとした一つの峠でした。この個人の峠を越えれば、家庭の峠があります。統一教会は、個人の救いを目標とする教会ではありません。六千年間、個人の救いを中心としてきた宗教形態から抜け出し、家庭を救うための宗教にならなければなりません。これが今後、統一教会が解決すべき歴史的課題です。
今まで、家庭の救援を目標にしてきた宗教はありませんでした。今まで歴史過程を経てきた数多くの宗教は、国家を建てる位置に上がることができませんでした。救いの目的が個人の救援だったからです。(家庭の救いに基づいた)社会の救援、国家の救援を目的としたのではありませんでした。ただ個人の救援を宗教の目的としてきたのです。
しかし、統一教会が行くべき道の前には、家庭の峠があります。この家庭の峠を越えるには、自分一人で越えては駄目なのです。必ず二人(夫婦)が一緒に越えていかなければなりません。一緒に越えていくのですが、前後関係で越えていくのではなく、左右関係で越えていかなければなりません。エバは天使長、アダムはエバに従っていくことで堕落が起きたからです。左右に同じ立場、平等な立場、同等な立場で行ってこそ、相対的な救いが成立するのです。
9 今まで教会は、個人救援時代でした。今からは、祝福を受けた家庭を中心とした家庭救援摂理時代です。家庭が連合するようになれば、氏族救援摂理、国家救援摂理時代に越えていくようになります。氏族が祝福を受ければ、氏族が救いを受けるのです。国が祝福を受ければ、国が救いを受ける時代に入っていくのです。次元が飛躍するというのです。ですから、教会(を中心とした摂理)時代は過ぎ去ります。
アダムとエバの個人が堕落することによって家庭をひっくり返したので、これを復帰しなければなりません。体と心が一つになり、家庭が一つになり、国が一つになり、世界が一つにならなければなりません。統一しなければならないというのです。
アダム家庭では、サタンによって偽りの血統が連結されることにより、すべて分裂しました。今や、真の父母が来ることにより、体と心が一つになった夫婦を中心として家庭が一つになった基盤の上で、全世界が復帰される平準化時代、統一時代に入りました。真の父母様が真の血統をもってきて、個人の体と心を連結することにより、完全に一つになった男女が、家庭を中心として完成し、結合するようになります。そうして、このような完成家庭が拡大し、自動的に横的拡張を成した世界が、神様の統治される天国です。
10 今までの宗教は、どこまでも個人の救援を目的としながら、個人を悪から救うという内容を教えてきました。しかし、これから世界が必要とする宗教は、個人を中心としたそのような宗教ではなく、家庭の土台を整える宗教です。
天意によって保障を受けることができ、人意によって公認を受けることができ、天情と人情が合わさった場で、いかなる試練にも耐え忍ぶことのできる家庭の救援運動が新たに現れるようになるとすれば、そのような宗教運動は世界的に広がるでしょう。それは、韓国という特定の国を中心としたものではなく、超国家、超民族的な基準で、家庭の理念を中心として現れる運動になるでしょう。そのような運動をする宗教があるとすれば、その宗教は今後、この世界に絶対必要な宗教になるでしょう。
11 私たちは、個人の救援を目標として行くのではありません。家庭救援の土台を立てなければなりません。家庭は、社会形成の基礎になり、国家形成の基盤になります。ですから、真の家庭が現れなければなりません。真というものは、「真なるもの同士で一つになってはいけない」と言っても、一つになるのです。しかし、水と油はいくら一つにしようとしても分離します。一つにしようとすればするほど、分かれるというのです。
本質的に、和合できる内容を備えた家庭、統一の要件を備えた家庭になったとすれば、そのモデル的な家庭によって、氏族形成が可能になるでしょう。
その家庭は、今まで私たちが習慣的に生活してきた家庭とは内容が異なります。今までの現実的な社会制度や世界情勢に観点を置き、そこに一致させて、新しい方案を模索していく家庭とは異なります。
モデル的な家庭が一致させようとするのは、今日、私たちが暮らしているこのような社会ではなく、このような環境ではありません。これを超越するのです。

Thursday Oct 26, 2023
真の父母経 第305話
Thursday Oct 26, 2023
Thursday Oct 26, 2023
18 宇宙主管を願う前に、自己主管を完成しなければなりません。キリスト教徒や宗教を信じる人々は、それを知らなければなりません。誰もが優れた人になることを願いますが優れているとは、どういうことでしょうか。優れた人になる近道は、まず自分から正すことです。体と心が毎日のように争っていて、休戦できずにいます。(このままでは)祖父から自分、自分の息子、娘、孫、千年、万年たってもこの争いは続くでしょう。数多くの聖人たちが来ては去りましたが、解決できませんでした。
しかし、お父様がこの問題を解決したのです。ですから、真の愛によって一つになり、共鳴の境地に至れば、修道を通さなくても、すべて分かるのです。私はこれまで、迫害を受け、追われる身の上になりましたが、その渦中で生き残ったのは、私自身が行く道を知っていたからです。
神様の垂直下に入れば、行く道が分かるのです。方向を知っているので、いくら大騒ぎしても、私の行くべき道を行くのです。お父様は、「滅びるだろう」と言われましたが、滅びませんでした。
19 皆さん個人の体と心が分離しています。しかし、アベル的な立場に立っている心は、体のために今まで犠牲になってきました。投入して忘れ、また投入して忘れることを、一生の間続けるのです。ですから、心を中心として、体が一つにならなければなりません。体と心が一つになったところに天が共にあるのです。そのような男性とそのような女性は、カイン・アベルと同じ立場に立っているので、その二人が一つになるとき、神様が臨在できるのです。
愛の関係を中心として、一つになったカイン・アベルの立場を探して立てなければ、発展することはできません。個人時代から家庭、氏族、民族、国家時代までそれを整理して、勝利的基盤を成立させなければ、神様の解放、アダム・エバの解放、子女の解放圏は成り立たないのです。
20 宗教がすることは二つです。第一は、心に強い力で刺激を与えることです。宗教を信じれば、精神が引き込まれるほどの刺激を受けます。体のあらゆることを忘れてしまえるように、心に強い衝撃を与えることによって、神様がいることを初めて知って、「ああ、主人は神様なのだなあ。この体と関わりがある悪魔ではなく、神様なのだなあ」ということが分かるように、心に強い力を補給しなければなりません。皆さんは今、心と体の力が同等なので争うのです。心に三倍から五倍くらいの力さえ吹き込めば、心が体に勝つことができます。
第二は、体を打つ力を強化することです。これと、心に強い力を補給することが、宗教の二大役事(働き)です。心を強くしようとすれば、三年間だけ、体を引っ張っていき、心の思うとおりにすればよいのです。
心と体の力が同等なので、体が屈服できるようにひたすら苦労させるのです。宗教では「断食をしなさい。温柔、謙遜でありなさい」と言います。体は「温柔、謙遜になろう」とはしません。ですから、「温柔、謙遜でありなさい!犠牲になりなさい!」と言うのは、二つのうち一方を強調するためです。(それで)宗教では、苦労しなさいと教えるのです。
21 主体と対象である心と体が、一つにならなければなりません。私が修養しながら、最も苦労したことがそれです。体と心は、簡単に一つにはなりません。一番の問題は、眠ることと食べることです。おなかがすけば、精神が乱れます。眠気に襲われれば、目が言うことを聞きません。その次には、男性として、女性に対する問題です。これが三大怨讐です。
この問題をすべて清算し、きれいにしなければ、天の国に行けません。そのような問題にぶつかるので、標語が「宇宙主管を願う前に、自己主管を完成せよ」だというのです。私がいくら天下を牛耳り、天下を統一すると言っても、私自体の統一を果たせなければ、すべてが一時に崩れるのです。
22 世界が必要とする宗教とは、いかなる宗教でしょうか。平和を提示する宗教です。そのような宗教になるには、自分を重要視し、また、自分を中心とした所有観念や所有欲をもっていては不可能です。それは、歴史時代に、自分の祖国と自分の民族を中心とする主体的観念に支配されていた形態を抜け出すことができません。これを抜け出させるために「自分を犠牲にしなさい」と言うのです。
しかし、自己の利益を追求する世界の歴史に付いていけば、戦争歴史それ自体から抜け出せません。それを知る天は、「自分を犠牲にしなさい!自分を否定しなさい!」と言うのです。また、「自分が主体の立場に立っても、主体である自分の利益を追求するのではなく、相対の利益を追求する道を選びなさい」と言います。そうして、犠牲を強調し、奉仕を強調し、自分自らを否定する道を尋ねていくのが宗教の道です。
第二節 宗教を通じた人類救援と神様の解放
宗教の目的は人類の救い
宗教は、救援摂理を通して人類を創造本然の姿に復帰し、創造目的を完成するところに目標がある。真の父母様は、このために、対内的にはみ言と愛によって食口たちを教育され、対外的には宗教連合運動を通して、救援摂理を拡大していかれた。
1 人間が最も願うこととは何でしょうか。人間に何らかの欲望があれば、それは自分のための欲望ではなく、神様につなげて、神様と関係のある欲望として、新たに出発できる欲望の道を探し求めていかなければなりません。そして、自分が絶対的な価値を追求するとしても、それを自分の立場ではなく、絶対的なお方と関係を結んだ立場で追求しなければならないのです。
堕落した人間は、そのような立場を経なければ、堕落の因縁から抜け出すことができません。そして、この因縁から抜け出さなければ、私たちがいくら幸福の要件を手にしたいと思っても、それは私たちと関係がないのです。ですから、この環境よりも強く、この環境を造り出した者(サタン)よりも強いお方と共に、強い人にならなければならないのです。そのようにしなければ、これを解決する方法がありません。神様は、人類がこのようにかわいそうな立場にいるので、そのような道を教えてあげるために、歴史時代に責任をもち、救援摂理をしてこられるのです。
2 歴史は、必ず愛の道に従っていくようになります。人間は神様の愛を中心として出発したので、愛で統一された目的世界に越えていって勝者と敗者が決定されるのです。これが、人倫生活の道理です。そのようなことを知っているので、私がこのことに対して命を懸けて闘いながら実践した経歴を、自信をもって報告するのです。このような事情を経ていく人類歴史の中で、宗教の歴史を見れば、長い歴史とともに「終わりの日」まで神様の救援摂理は続くので、主流的宗教形態がなければならないというのです。神様の愛の道を歩んで愛の家庭を築くことにより、愛の氏族を形成し、愛の国を築こうとすることが主流宗教の最終目的です。
3 この世は、悪なる世の中、悪が占領している世界です。このような世の中で、どのようにして善なる人を育て上げるのでしょうか。この天地を創造した主人がいるとすれば、これは、そのお方にとって重大な課題にならざるを得ません。それゆえ、善なる人を育て上げることが、今まで神様がこの地に対して成してこられた摂理でした。そして、この善なる人を育て上げる手段として立てられたのが宗教です。
ですから、堕落したその日から、人間には宗教が必要でした。人間は堕落しましたが、人間の本心の深い所には、宗教をもつことのできる心の根、すなわち信仰をもつことのできる心の根があるのです。それは本来、悪が生じる以前から、人間に善民の基準、神様の創造目的を完成できる基準が設定されているからです。すなわち、創造目的を成就していける本性をもっているというのです。その本性は、いつでも神様が志向する善の目的に向かわせるようにしました。それは、自動的な現象として現れます。そして、私たちの良心は、私たちが善に向かって動かざるを得ないように作用しているのです。

Thursday Oct 26, 2023
真の父母経 第304話
Thursday Oct 26, 2023
Thursday Oct 26, 2023
8 人間世界に天宙的な理念をもった主義や主張があるとすれば、それは宗教です。宗教以上の主義や主張はないというのです。目に見えない創造主について、「そのお方が私たちの父であり、私たちはその息子、娘である」と言うことができる関係、すなわち、離そうにも離すことができない父子の関係と、その価値を土台として出発したものが宗教です。
したがって、真の宗教は、単にある民族的次元にとどまっていることはありません。未来の国家、未来の世界、ひいては、天宙を見つめることができなければなりません。また、創造主は、創造理想を中心として造られた地と人間を、三位一体的な関係で一つにするという目的をもって働いてきました。正にこのような関係を回復しようとするのが宗教なので、宗教は今まで主従関係を重視し、何が先で何が後かという前後関係などの秩序的関係を結んできました。天倫がそのようになっているのです。
9 真の父母は、永遠に一組しかいません。アダムとエバ、最高の先祖は、二組ではなく、一人の女性と一人の男性です。彼ら人間の先祖が真の父母にならなければならなかったのですが、堕落することによって偽りの父母となりました。ですから、絶対的な父母を再び探し出さなければ、神様の創造理想を実現することはできません。このような論法に照らしてみれば、愛し合う新郎と新婦を中心とした真の家庭、真の理想国家、真の理想世界をつくろうという内容を教えてくれる宗教でなければ、真の宗教ではありません。真の宗教とは、真の父母が現れなかったので、真の父母が現れてこそ、真の家庭を築くことができるという理論をもった宗教です。
宗教は堕落人間の修理工場
宗教の使命は、堕落した人間を神様の子女として復帰し、神様が本来、構想された創造本然の世界を実現することである。真の父母様は、「堕落した人類は、あたかも故障した機械のようになってしまったため、宗教は故障した人間を直す修理工場の使命を果たさなければならない」と語られた。
10 宗教は、天地創造の原則に符合する天倫の道理に従っていきます。すなわち、唯一の神様が天地万物を創造され、一つの目的の世界に向かって摂理してこられるので、その方向に向かって進むように教えるのが宗教です。
ですから、宗教は肉的生活全体を否定します。仏教もそうであり、キリスト教もそうです。次元の高い宗教であるほど、「否定しなさい」というものが多いのです。聖書の言葉も、そのようなことを教えてくれています。堕落した人間は、神様とそのままでは一つになれません。完全な解放を受けなければなりません。一つの目的を追求する人間につくり変えられなければならないのです。そのため、宗教が必要だというのです。
私たちは、盲目的な宗教生活をしてはいけません。神様は必ず公式的な法度を通して摂理されるので、その公式を知らなければなりません。このような公式的な法度を教えてくれる所が統一教会であり、このような公式的な法度が入っているのが統一教会の教えです。統一教会の教えは、過去から現在まで、復帰摂理歴史がどのようにつながってきたかを、はっきりと教えてくれています。これが統一教会の教えの中で最も重要な内容です。
11 宗教は何をする所かと言えば、人をつくり変える所です。どのようにつくり変えるのでしょうか。体と心が永遠に争わない平和の場で、天宙の大主宰を代表する一つの相対的資格と、実体的神様のような人格的資格をもって、永遠無窮に変わらない人間としての価値をもつ生涯を享受できる人間をつくろうというのです。これを、人間だけがするのではなく、神様と合同作戦を行って完遂しようというのが宗教です。
12 人間の本来の主人は、絶対的で統一的な神様です。そして、人間の心は神様に属しているので、磁石のように自然に主体の前に引っ張られていくのです。そのため、人間は高い所をあがめ、絶対的なものを欽慕できる心を啓発してきました。この分野の使命を担ってきたのが宗教です。体よりも強い心の主体性を備えて、この体を完全に主導するようにさせることが宗教の使命です。
13 真の愛さえ臨めば、体と心は自動的に一つになります。神様の愛が臨むようになれば、体と心が完全に一つになるのです。神様は、このような原則を中心として人間を救うために、宗教を立ててきました。宗教世界は、間違った人間を修繕する修理工場です。部品を作り、故障したものを直すためのものが宗教です。
宗教の教えは、体と心を一つにすることに主眼を置いています。いくら修道をし、研究をしても、体と心を一つにしなければ、すべて壊れていくのです。十年どころか、千年努力したとしても、水泡に帰すのです。このような人間の体と心を、どのように統一するのでしょうか。それを教えてくれた聖人がいませんでした。
「私」の体と心を一つにできるのは、真の愛です。神様の真の愛と、なぜ接することができなかったのかが深刻な問題です。
14 人間は、神様の創造理想を実現したのではなく、理想世界を見つめて進む途中で堕落することにより、故障した存在になりました。そのため、人間は自分がどこに向かい、どのような主人に従って、どのような世界に行くべきかが分からず、右往左往しながら生きています。これが現世の人類社会です。
僕がいるとすれば、その僕よりも劣り、万物があるとすれば、万物よりも劣る価値の位置に落ちたのが人間です。これを回復するには、ただ盲目的にすることはできません。再創造原理を通してあらゆる歴史を収拾し、修理工程を経て、再びつくらなければなりません。堕落した人間を再び収拾し、故障した人間を再創造するために修理工場としてつくっておいたのが宗教です。
15 皆さんは、正に故障した人たちです。ラジオが故障すれば、「ピーピー」と鳴るばかりで本来の音は出ません。そのように故障した人間なので、心が行こうとするにもかかわらず、行くことができないのです。このように故障した人間を修理することができるならば、神様は存在されるのであり、それができないとすれば、神様はいらっしゃらないのです。
神様がなぜ、故障した人間たちを修理するための工場を造ったのか、また、修理できる技術者をなぜ送ったのかが問題になります。その修理工場が宗教です。宗教は、人間が堕落したのち、シャーマニズムなどから発展してきました。小さな修理工場から始めて、世界的な修理工場に造り上げてきたのです。
16 世界の文化圏は、宗教思想圏と宗教文化圏から成り立っています。すべての文明の発源地は、宗教です。文明は、宗教を基盤として出てきたというのです。この宗教が、修理工場の責任を担ってきました。そのため、世界は、四大宗教文化圏内にすべて包含されています。この修理工場で腕と脚と首と頭を造ったとすれば、組み立てなければなりません。ですから、この全体を組み立てる総合工場がなければならないのです。その総合工場が、統一教会です。
今日、このような状況で、宗教を統一しなければならないという看板を掲げて現れただけでも、素晴らしいことです。ですから、統一教会に、仏教を信じていた人も入り、キリスト教を信じていた人も入り、儒教を信じていた人も入るのです。また、宗教を信じていなかった人も入ります。それゆえ、統一教会は総合宗教です。総合的に組み立てるのです。名実共に、総合修理工場になったのです。
体と心の統一と自己主管
真の父母様は、人間の堕落によって分かれた心と体の闘いから、人類の葛藤と紛争が始まったと考えられ、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」と強く主張された。そのため、宗教は、体と心を統一した基盤の上で、すべての人間が真の愛を通した犠牲と奉仕の生活を実践することにより、神様のもとの一つの世界を実現することを、最高の目標に置かなければならないのである。
17 皆さんは、体と心を統一しなければなりません。これは歴史的な叫びです。福音の中の福音です。このことが実現されなければ、愛もすべて無駄になるのです。人間の定義を論じることができる、論理的起源の基盤がないというのです。その起源の基盤がない論法というものは、現実と関係ありません。ですから、「私」の心と体において、「完全に統一された」と言えるようにならなければなりません。神様は、「真の愛を通して心と体を一つにしなさい」と言われます。
神様御自身の体と心が一つになっているのは、互いにために生きる愛をもっているからです。体は心のために生き、心は体のために自分以上のものを投入しようとするので、永存できるのです。投入し、さらに投入できるので、理論的な永生の論理が出てくるのです。

Thursday Oct 26, 2023
真の父母経 第303話
Thursday Oct 26, 2023
Thursday Oct 26, 2023
第一章 超教派運勤と宗教連合運動
第一節 宗教の真の意味
神について正しく教えるべき宗教
真の父母様は、一九四五年の光復とともに公式摂理路程を出発し、宗教を前に立てて、救援摂理と世界平和を主導しようとされた。そのため、宗教の役割について多大な関心をもたれ、一生涯、宗教間の和合のための努力をやめることはなかったのである。真の父母様は、無形でいらっしゃる神様の存在を強く認識させ、神様がどのような方かを正確に教えられる宗教が、真の宗教であると語られた。
1 今まで、世界的に多くの宗教がありましたが、その諸宗教は、何を教えなければならないのでしょうか。すべての宗教は、まず神様について正しく教えなければなりません。神様について教えるとき、漠然と教える宗教は、あやふやな宗教です。
神様がいらっしゃるならば、どのようなお方としていらっしゃるのか、神様の愛とはどのようなものかなどについて教えてくれる宗教が、真の宗教です。世界的な宗教の中で、このような、内的で深い事情をもって歩んできた宗教がキリスト教です。
キリスト教では、神様は父であると教えてきました。イエス様がこの地に来られて、「私は神様のひとり子である。人間の世の中に神様の息子として生まれた人は私しかいない」と宣布したのです。父の息子として生まれたというのは、父の骨髄、父の血肉を受けて生まれたということです。そのような父子の関係は、世の中のいかなる公式や法度でも断ち切ることができず、いかなる権勢や名誉でも否定することができません。
このような観点で、イエス様がこの地上で神様を父と呼んだのは、万代を治めることのできる特権的な中心使命をもってきたという事実を、万有の前に明らかにするものでした。
2 今日まで、人間は目に見える物質だけを追求してきた結果、二十世紀の物質文明を形成しました。しかし、見える物質世界だけを研究し、その価値だけを追求することが、人間の本来の欲求ではありませんでした。物質世界を超越した目に見えない世界と、無形の神様が存在するという事実を教えてくれるのが宗教です。
ですから、このような宗教理念によって、無形の神様のみ前に進み出ることを望み、神様のみ意を尋ねていく群れ、そのような民族、国家、人類がいるとすれば、彼らを中心として、二十世紀の物質文明を超越した新しい神様の世界、見えない世界が価値の中心となる新しい世界が成し遂げられるでしょう。
結局、人間が物質世界を追求していけば、物質の第一原因となる力の世界を経て、見えない世界に到達せざるを得ません。そして、究極的には、見える世界を主管する神様の世界に到達するようになるでしょう。
このように、見える世界は、見えない世界と相応的な関係を結びながら存在しています。そのため、一生懸命に祈り、精誠を捧げ、見えない世界に代わって、神様の胸の中に隠されている深い内的心情を体恤し、イエス様と聖霊の心情を体恤するようになれば、天上のすべての秘密を解き明かすことができるでしょう。
3 宗教とは、絶対に人間だけを中心にして語るものではありません。神様を母体とした教えが宗教です。これが宗教の発源であり、本源なので、神様を抜きにした宗教というものはあり得ないのです。そして、宗教を中心とした圏内でのみ、聖人になることができます。聖人になるためには、天意に従わなければならず、天情を紹介しなければなりません。
私たちがたたえる四大聖人たちは、教祖、または預言者です。そうだとすれば、聖人たちを誰がそのようにさせたのでしょうか。もし人間がさせたとすれば、人を中心とするはずですが、天意を中心としているのを見れば、神様が聖人たちを立てたとみなすことができます。そのようにしてつくられたのが、宗教文化圏世界です。
4 真の宗教は、架空の理想や架空の人類愛を説明するよりも、本然の問題に入っていき、人間が絶対に否定できないよう、神様に対する認識を何よりも強く植えつけられる宗教でなければなりません。それ以上に真の宗教と言えるものはありません。その価値は、今日この世界で最も貴いと言われるものを一千個、一万個渡しても、取り替えられないのです。歴史上のいかなる偉人や聖賢たちを統合しても、取り替えられないというのです。
そして、神様の実存に対する自覚をもった人がいるとすれば、歴史はその人から発展するようになります。そのような自覚された境地における個人的な認識観、国家観、世界観、宇宙観などが問題になるのです。
統一教会では神様の心情を語っていますが、これより次元が高いものはありません。心情問題は生活圏内で起きます。父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛というものは、すべて生活圏内で始まるのです。ですから、神様の心情を語るとすれば、次元が違うというのです。
5 世界のあらゆる文化の歴史を見れば、その思想的な裏づけとなるものが宗教です。人類歴史と宗教は、運命を共にする関係にあります。ある時は時代を先取りしたり、ある時は後れたりしながら、今まで続いてきたのです。ですから宗教は、神様が理想世界と理想天国を築くための基盤です。
その宗教で教えてくれることは、たった一つです。神様を教えてくれるのです。神様を愛しなさいと教えます。人間の本心は、人類を創造し、この宇宙を創造した神様を尋ね求めていきたいと思うのです。ですから、宗教は、神様の原理を教えてあげなければなりません。
「宗教」の「宗」の字は、屋根の棟(むね)を表す「宗」の字です。宗教というのは、棟になる教え、すなわち、大梁(おおはり)になる教えです。そうだとすれば、神様の愛を教えてくれる以上に、何があるというのでしょうか。これ以上のことを教えてくれるところがありますか。
人間の欲望や人間の良心が最高に願うのは、神様を占領し、神様の愛を占領することです。人間が最高に希望するその頂上を教えてくれるのが宗教です。次元の高い宗教であるほど、神様を強調し、絶対者であるこの宇宙の創造主を畏敬し、その愛を教えるのです。
6 絶対的な神様がいるかいないかということは、この上なく重大な問題です。これは今世紀だけでなく、歴史を前にして、いかなる識者層や、いかなる聖人たちを通してでも解決すべき人類の課業です。時代的な課業であり、歴史的な課業だというのです。
そのため、思想的な面で神様を探し求めていく哲学的な世界の観点がありますが、それとは異なり、神様に出会って、神様から出発する神学的な世界観もあります。神様に出会って、神様と共に生活をするところから始め、世界の人類力どのようにして幸福に生きるかという問題を探究してきたのが宗教です。
宗教は、神様と共に生活する環境から出発しました。その生活舞台は、個人の生活だけでなく、家庭から社会、国家、世界の生活圏まで発展していきます。神様の生活理念を世界化するためには、全人類が文化的に異なり、地域的に異なり、歴史的な背景が異なり、また習慣が異なるので、そこに適応する宗教的な内容を中心として、神様と共に生活しなければならないというのです。
シャーマニズムを見てもそうです。神様と人間が関係を結ぶことにおいて、方向性を提示できなかったので、シャーマニズム化したのです。もし、そこに方向性があったとすれば、私たちが生きていく個人生活圏、家庭生活圏、民族生活圏、国家生活圏、世界生活圏を通して、偉大な宗教に発展してきたでしょう。
7 宗教は、真理だけで形成されたものではありません。宗旨というものは、真理だけではないのです。主義と思想は、真理を中心として進んでいきますが、宗教は、真理以外に心情が内包されるのです。これが違います。主義と思想には心情がありません。しかし、宗教は、子女と父母が言葉なくして愛し合うのと同じように、その何かが絡み合っています。論理的な条件を越えて動く、ある内容を備えているのです。しかし、主義はそうではありません。主義は組織的な結合です。心情的な結合ではなく、組織的な結合なのです。
私たちは、目標に向かって走る競争者として、その歴史的なコースに関する知識を備えなければならず、時代的な実情をよく把握しなければなりません。その次に、未来的な内容、その計画をある程度までは知っていてこそ、目標に向かって走っていけるのです。
このように、天に向かって自分の生命を懸けて進んでいくことにおいて、天の歴史的な心情、時代的な心情、未来的な心情まで備えた人がいて、神様が今までこのコースを立て、築いてくるためにどれほど苦労されたかを感じる人がいるとすれば、その人はいかなる困難にぶつかっても、難なく突破して進んでいくだろうと見るのです。

Thursday Oct 26, 2023
真の父母経 第302話
Thursday Oct 26, 2023
Thursday Oct 26, 2023
第十一篇 超宗教平和運動と霊界解放の摂理
人類は、人間先祖の堕落により、神様との心情的関係が切れるとともに、霊的世界に対して全く無知の状態で生きてきた。神様がこのような人類の霊的無知を打開し、救援摂理を完成するための核心的な手段として立てられたのが、宗教であり、宗教は、時代と地域によって、聖人たちの教えを中心に人類を覚醒させてきた。そして、ついに真の父母様がこの地に来られ、「父母の宗教」時代を開き、すべての宗教が一つになって神様のみ旨を実現するように導くため、宗教の連合と一致運動に生涯を捧げられたのである。
真の父母様はいち早く、一九六〇年代の中盤から超教派運動を展開し、統一教会とキリスト教団の和解と一致のために努力された。また、一九七〇年代には、韓国宗教協議会を中心に、宗教連合運動の先頭に立たれた。超教派運動と宗教連合運動は、宗教者たちを和合と統一に導く二つの軸として、一九八〇年代からは、同家的段階を越え、世界的な超宗教平和運動に発展した。このために、真の父母様は「国際宗教財団」と「世界宗教議会」、「世界平和宗教連合」、「世界平和超宗教超国家連合」などを立てられた。
真の父母様のこのような宗教連合活動は、全人類を神様の子女として生み変えることに、その究極的目標がある。そのため、真の父母様は、宗派を超越した超宗教祝福結婚式を通して、これを具体化された。二〇〇二年には、アメリカのワシントンDCを中心として、世界で「十四万四千双超宗教聖職者祝福結婚式」を挙行するなど、数回にわたって超宗教祝福式を主宰されることにより、宗教間の壁を崩し、世界を神様のもとの一つの家族として束ね、世界平和を実現するために努力された。
真の父母様がこのように、超宗教平和運動を導いてくることができたのは、神様の心情を誰よりも深く体恤する場で、霊界全体の実相を自ら経験することにより、今後実現すべき天一国に対する確信をもっていらっしゃったからである。真の父母様は、霊肉界にわたって蕩減復帰摂理路程を勝利していかれ、堕落の歴史により霊界と地上において、幾重にも囲まれた障壁を崩して地上天国と天上天国の基盤を築き、霊界解放の道を開かれた。そうして、神様が地上と霊界を思う存分に治めることができ、霊界の霊人たちと地上人たちが自由に通じ合える霊肉界一体圏の時代を宣布されたのである。