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Sunday Mar 05, 2023
真の父母経 第65話
Sunday Mar 05, 2023
Sunday Mar 05, 2023
18 「統一教会」という名前をもって生まれたという、それ自体が冒険です。「統一教会」と言えば、すべての宗教を統一しようという教会です。どれほど膨大で、どれほど途方もない内容でしょうか。キリスト教の歴史を見ても、二千年の間、その伝統を選別していくために、数多くの学者や数多くの教派を通して新しい学説が出てくるようになり、またそれが良くないとしてひっくり返したりしながらキリスト教文化圏を形成し、一つの世界的基盤を備えました。そのようにしながら、キリスト教は数多くの教派に分かれたのです。キリスト教自体が統一できていません。このようなキリスト教を統一するだけでも問題なのに、宗教だけではなく、ひいては世界を統一し、その次は霊界まで統一しようというのです。
19 皆さんが神様のみ言を絶対視し、神様と一つになって悪のサタン世界を打ち破り、サタン世界の主権を天の主権に戻すために闘わなければ、来られる主は、そのような闘いを再びしなければならないのです。再び来られる主が孤独な立場でそのような境遇に遭ってはいけないので、いかなる苦労の道でも自ら責任をもっていくという運動が、世界的に起こらなければなりません。そうでなければ、今後のキリスト教の行く道は塞がってしまうのです。
それで、統一教会では何をしようというのでしょうか。神様のみ言を絶対的に信じる群れになろうというのです。いくらサタン世界の反対があったとしても、私たちは神様と一つになろうというのです。そうして、神様の愛を中心として、サタン世界を解放する運動をしようというのが、統一教会の使命です。この地上には民族を超越した新しいキリスト教の基盤がないので、世界的にそのような基盤を築こうというのです。昔、イスラエル民族がつくりあげられなかった主権形態の基準を、この地上で備え、再び来られる主が新しい世界的な役事ができる基盤を築こうというのです。
20 宗教の真理とは、どのような真理でなければならないのでしょうか。内容だけを説明する真理は必要ありません。体と心と心情が「そうです」と言えるものが現れなければなりません。そのような主義、そのような理念が必要なのです。そのようなものが私たちの周囲から聞こえてきたり、関係を結んだりするようになると皆さんの心はそこに引かれていくでしょう。時間と空間を超越して引かれるような感じを受けるみ言があれば、皆さんは荷物をすべてまとめて、そこに従っていきなさいというのです。滅びることはありません。その人は歴史とともに残るでしょう。
そのような人になろうとすれば、皆さんは昔のその姿ではいけません。ふさわしくない仮面を脱ぎ捨ててください。宗教家は宗教家の仮面を脱ぎ捨ててください。良心家は良心の仮面を脱ぎ捨ててください。宗教の看板を外してください。皆さんは今、統一教会に通っていますが、私は統一教会の看板を外す日を待ち望んでいます。統一教会の看板を掲げたのは、相対的な条件があるからであり、闘争相手が現れたからです。看板を外してしまわなければなりません。心の世界や心情の世界に何の看板が必要でしょうか。何もなくても自分自ら分かります。何もなくても、自らするようになるのです。それが、解決できる第一基準です。
21 統一教会の創立目的は、私たちの教会だけに局限されたものではありません。統一教会の創立の日を、範囲を広げて、この国をみ旨の前に新しく立てるための日に連結しなければならず、全世界的には、この地上に天が願う天国を立てるための創立の日に連結しなければなりません。その使命を果たすために、統一教会が創立されました。統一教会は、今まで歴史過程において現れた普通の教会とは異なり、全体的な摂理に代わって総蕩減をし、総決算をすると同時に、未来における希望の標準の前に、神様が喜び得る勝利基盤を残さなければならない、全般的な責任を担っているのです。
ですから、統一教会の創立は、一介の教派の創立ではなく、全体の摂理を身代わりして、み旨を中心とした一つの基盤を地上に立てるためのものです。このように創立された教会の基盤の上で、個人が天のみ前に新しく立てられなければならず、その個人を通して新しい家庭、氏族、民族、国家、世界へと進んでいける伝統的思想を強固にしなければなりません。
食口の意味と使命
協会は、真の愛の食口共同体を志向する。食口は、一つの食卓を囲んで座り、一緒に食事をする家族を意味する。食口たちは、神様の愛と創造理想を中心として、この地に天国を実現すべき使命をもっている。そして、イエス様が父母と親戚、教会、民族、国家、世界を愛せなかった恨を解いてさしあげるべき責任がある。そのため、統一家の食口は、理念と宗教、人種、国境など、すべての障壁を飛び越え、神様のもとの一つの世界を実現するために、全力で邁進しているのである。
22 今日、選ばれた地上の聖徒たちが団結して、天の家庭から天の氏族、天の民族をつくりあげ、イエス様がイスラエル民族と四千年の歴史を代表したように、皆さんが民族の次元を超え、世界と六千年の歴史を代表して現れるようになれば、神様の審判の行使は撤回されるでしょう。このような基準を成就するために、私たちは「統一教会」という看板を掲げるようになったのです。
また、私たちは、互いに「食口」と呼んでいます。私たちは食口です。私たちは、兄弟ならぬ兄弟として、氏族ならぬ氏族として、一つの兄弟と氏族になって、天倫のみ旨に責任をもつイスラエルを形成していっています。私たちは、このことのために、イエス様の悲しみを体恤しながら開拓の道を行かなければならず、サタンとの闘いの路程を経て、神様のみ旨を完成する立場にまで進んでいかなければなりません。
23 私たちは、統一教会をつくりました。これは、失ったユダヤ教を再び捜して立てたのと同じことです。また、統一の一族たちは、失った氏族を捜して立てたのと同じことであり、失った兄弟を再び捜して立てたのと同じことなのです。
そのような意味で、統一教会の私たちは一つの兄弟です。その兄弟の関係を経なければ氏族を形成できません。また、兄弟の関係を結ばなければ、教会も、民族も、国家も形成されません。ですから、この兄弟の関係を中心として連結させるべき使命が統一教会にあるのです。そのような意味で、「食口」という言葉が成立します。食口を通してこそ兄弟の関係が結ばれるので、この「食口」という言葉は、天国を造成するときの下地になるのです。ですから統一教会は食口という言葉を使います。したがって、統一教会の食口同士で、互いに愛を与え合わなければならないのです。
24 統一教会は、「食口」という名称をもっていますが、皆さんの家庭でも、その一員を「食口」と言います。それでは、私たちは何を中心として「食口」という言葉を使っているのでしょうか。神様の愛と神様が人類を愛したいと思う高貴なその縁とその関係、そして、神様が本来探し求めている創造理想を中心として「食口」と言っているのです。
ですから、私たちの関係は、歴史上のすべての人たちが願っていたものです。そのような関係が、私たちの「食口」という言葉の中にあるのです。このように、私たちは中心的な関係をもって現れたので、直接的に愛する立場にいたとしても、誰よりも近い立場で愛の関係をもって愛さなければなりません。また、間接的な立場にいたとしても、この世の誰よりも高い立場で愛さなければなりません。
25 皆さんが寝ている時間にも、み旨を抱いた私たちの兄、姉、または食口たちの中には、眠らずに涙を流す人たちがいるでしょう。自分が満腹の時に飢えている食口がいるのです。ですから、御飯を食べても涙のにじむ心、眠っても涙のにじむ心をもって、彼らのために霊的な力で助けてあげ、祈りで訴え、祭壇をつくってあげなければなりません。
「常に祭壇をきれいに掃除して待機していますので、夜昼も私を供え物として捧げられるようにしてください」と祈らなければなりません。自ら行動し、実際の責任を十分に果たすことができないならば、そのような内的準備だけでも共にして闘っていく皆さんになってこそ、患難の途上で十字架の過程を経る食口としての縁だけでもつかんでこられるのです。そうでなければ、一緒に闘っている彼らとは、遠からず分かれてしまいます。そうなれば、皆さんは脱落し、敗残兵になってしまうというのです。
第二節 青坡洞本部教会
摂理の中心基地となった青坡洞・旧本部教会
一九五四年五月一日、ソウル市城東区北鶴洞の三つの門の家に協会が創立されたのち、一九五五年一月十七日に、本部教会が城東区興仁洞二四一の四四番地に移転された。そして、四月二十七日には、本部教会が中区奨忠洞一街三七番地にある庭園付きの二階建ての建物に移転され、真のお父様がソウルの西大門刑務所から出監された直後、一九五五年十月七日には、龍山区青坡洞一街七一の三番地に再び移転された。それ以降、協会は、一九六三年五月三十一日、この住所で社会団体第二百六十一号として政府に登録された。真のお父様は、ここで血のにじむ祈りと精誠によって摂理を拡大させていき、昼夜、食口たちを教育しながら、世界に向けた本格的な摂理を準備されたのである。
1 今日、世界で神様のために死んだ人がどれほどいるのかという時、エリヤが「ただわたしだけ残りました」(列王紀上一九・一〇)と言ったように、その言葉しか語れません。天地の中で、このような父の心を中心として、堕落した世界に救いの基盤を広げてきた所が、このように悲惨でみすぼらしい青坡洞一街七一の三番地の統一教会です。ここを見つめながら、六千年の恨を晴らそうと歩んでこられた神様は、どれほど哀れでしょうか。そのような私自身を見つめると涙があふれます。
皆さんも、神様以上に沈鬱な立場でそのような境地に入れば、涙があふれるのです。皆さんはそのような心情にどれほど接してみたでしょうか。情的に深い統一教会で、このような心情を捧げて神様と向き合えるかというのです。皆さんは、今までそのことを考えられずにいたのです。
Sunday Mar 05, 2023
真の父母経 第64話
Sunday Mar 05, 2023
Sunday Mar 05, 2023
北鶴洞の三つの門の家で協会出発
協会の看板を掲げた北鶴洞の三つの門の家は、軒先に手が届くほどのみすぼらしい家だった。そのため、看板は近所の子供たちが外しては遊びに使ったり、反対する人がたたきつけて割ってしまったりしたため、再びつなげて掛けるなど、何度も壊された。頭を下げて三つの門を通過し、家の中に入ると、二、三坪の広さの庭の片隅に井戸があり、その横に甕を置く小さな台があった。右には、三人が横になればいっぱいになり、足がつく半坪ほどの居間があり、左には、一坪にならないサランバン(客間を兼ねた主人の部屋)があった。居間には男性たち、サランバンには女性たちが寝泊まりした。低い天井は、頭がつくと板が傾いた。このように、協会は草ぶき小屋のような所から出発したのだった。
真のお父様は、少ない人数しかいなくても、まるで数千人いるかのように、上着が汗でびしょぬれになるほど、大きく力強い声で祈り、み言を語られた。一人に対してみ言を語られるときも、一時間以上、涙を流しながら切実に祈られた。神霊に満ちた恩恵によってその場にいる全員が痛哭し、涙で床をぐしょぐしょにぬらした。一九四五年の光復後、準備されたキリスト教が真のお父様を受け入れなかったため、蕩減路程を経たのちに協会を立てて、世界復帰の出発基台を築かれたのである。
7 私が一番初めに付けた統一教会の看板は「世界基督教統一神霊協会」でした。キリスト教を統一することも大変なのに、神霊まで統一しようと言ったのです。当時、お父様はお金が一銭もありませんでした。横になると足が(壁に)つくくらいの部屋なのですが、それも借りたものでした。そこから始めたのです。訪ねてくる人たちのために、僕のような立場で私はやるべきことをすべてやりました。私が、僕の立場、養子の立場でそのようにして、合格していくのです。そうして私が解放されていくのです。
8 最初に統一教会の看板を付けた家は、粗末な家でした。その家には三つの門がありました。私のように、背が高くて太っている人が入ろうとすれば、体を横にして頭を下げて入らなければなりません。そこに「世界基督教統一神霊協会」という看板を付けました。世界のキリスト教を統一しても、ものすごいことなのに、神霊的な世界までも統一しようと言ったのです。世界のキリスト教も統一しますが、神霊的な世界も統一しようという協会なのです。どれほどすごいでしょうか。軒先に「世界基督教統一神霊協会」という看板を付けたのですが、のぞいて見ると、門が三つです。
9 統一教会の看板をソウルの北鶴洞にある家に付けたのですが、当時、その家は、恐らくソウルで最も小さな家だったでしょう。部屋に入って横に寝れば、足が(壁に)つきます。縦に寝れば、何とか足を伸ばして寝られます。そのような部屋が一つあり、そのほかにも部屋がありましたが、その部屋も同じような部屋でした。それで、その家が有名なのは、門が三つあるということで、「三つの門」と言います。その門は、大きいものではなく、頭を下げなければ入れないほどの小さな門です。また、看板を付けたのですが、軒先が手の届く所にあるので、看板の位置は子供も触れられるほどの高さでした。看板を、大きな家に付けることができず、想像もできない、誰も信じられない最も小さな家に付けたのですから、誰がそこに関心をもつでしょうか。看板が同情されるほど、どれだけぞんざいに扱われたか分かりません。近所の子供たちが遊ぶ時は、これを外して遊び道具に使ったりもしました。それにどれほど傷がついたか分かりません。また、反対する人が来ては、「キリスト教を統一するとは異端だ!」と言いながらそれをたたきつけて二つに割ったこともありました。それでも、そのような歴史的な看板をそのまま捨てられないので、その看板に釘を打ちつけてつなげてから、また掛けたのです。
10 私は、いくら軒の下や、穴蔵にいたとしても、「私が神様をここにお迎えしなければならないのに、この場は精誠が足りない」と思いました。「復帰原則において、最も小さな家で世界的な精誠を尽くせる代表者が現れなければならないのではないか」と思ったのです。これがお父様の思想です。それから、「もう少し大きな家で世界的な代表に適応する精誠を尽くさなければならないのではないか」と考えたのです。
このように、統一教会は小さな所から出発しました。北鶴洞の三つの門の家から発展して、このように大きくなってきたのが統一教会です。これが統一教会の主流思想です。そのような立場で、天下にすべて知られるほどうわさを立てながら歩き回っても、「統一教会は小さい」と非難する人は一人もいませんでした。その立場で何をしたのかが問題です。
「世界基督教統一神霊協会」の意味と目標
「世界基督教統一神霊協会」の創立は、キリスト教が果たすべき使命を代わりに果たすという意味がある。もちろん、「世界基督教統一神霊協会」は、神様の復帰摂理を最終的に担当すべき父母宗教である。そのため、その名称に「世界基督教」という言葉が入った。「統一」は、キリスト教はもちろん、他の宗教、世界人類まで一つに束ねるという意味である。「神霊」は、真理とともに霊肉界の調和を通して、地上と天上に天国の基盤を立てようという意味を内包している。「協会」は、霊肉界統一圏を完成し、創造本然の理想世界を実現する団体という意味をもっている。
11 今まで「世界基督教統一神霊協会」という看板をどうして掲げてきたのでしょうか。「基督教」という文言を付けてきたので迫害されました。それを外してしまえば、旧約聖書と新約聖書を捨てなければなりません。旧約がなければ新約は出てくることができません。それが誤ったので、新しい約束なのです。新約がなければ成約は出てくることができません。旧約の上に新約が出てきて、新約の上に成約が出てきたので、キリスト教と連結されなければならないのです。
キリスト教はユダヤ教の延長です。それを捨てれば、お父様の立つ位置がありません。サタンの支配する国家的基準は長成期完成級ですが、それを越えて、お父様が自主的な基盤を獲得するまでは、キリスト教の上に、新約と旧約の上に立たなければなりません。
12 お父様は、「世界基督教統一神霊協会」という途方もない名前を付けました。果たして統一は可能なのでしょうか。それは間違いなくそうなるでしょう。キリスト教だけを見ても、今まで四百以上の教派に分かれて争ってきました。しかし、私は、それがそれほど難しいものとは思っていません。
ために存在するという鉄則をもった教派なら、またその教派以上にすべての教派が努力するなら、そこでは必ず一つになると考えます。もし異教だとしても、その宗教が主張する、その精神以上の努力ができるなら、その宗教まで一つになると考えるのです。
主体でいらっしゃる神様がそのような方なので、そのような方の相対的な位置を守っていけば、自然に神様の力によって一つになれるはずです。この話は論理的です。
したがって、一つになるというのは、それほど難しいことではありません。このような原則の上に立って、統一教会は始まりました。
13 「統一」の「統」の字は、「指導を受ける」という意味ではなく、「統治する」という意味の字です。統治しなければなりません。統治するためには、統治できる内容がなければなりません。主体者としてすべてを備えなければならないのです。主体者は責任をもたなければならず、保護しなければならず、育成しなければなりません。ですから、統一教会は、天地に対する責任をもたなければなりません。その範囲が違ってくるのです。その次は、保護しなければなりません。悪の世界から侵犯されているこのすべての実相世界を聖別して、保護しなければならないのです。善のみの環境体制で保護してあげなければならないのです。悪いものはなくしてしまわなければなりません。それだけではなく、発展しなければなりません。統一教会は、統治して一つにしようというのです。統一教会を中心として一つにしようというのではありません。この全宇宙を創造した根本である神様、主体である神様を中心として一つになろうというのです。
14 統一は簡単です。統一という言葉は、一番の福音です。皆さんが父や母の前に自信をもって出ようとすれば、心と体が一つになった立場に立たなければなりません。良心から見て、自分の体の行動から見ても、教育的な道理の基準から見ても、行動が外れていない一致した立場、一つになった立場においては堂々としているのです。統一された基盤の上では堂々としているのです。孝子は、父母の前で、情的な面でも、生活的な面でも、堂々としています。堂々としたその基盤の上で父母も生きようとし、その家門も立てようとするのが天地の道理です。ですから、「統一教会」という言葉、それ自体が偉大なのです。天地をすべてかき分けて調べてみると、これでなければならないので、お父様は「統一教会」という言葉を付けたのです。
15 新約と旧約を通したすべての宗教のみ旨を代表し得る息子の宗教は、僕の宗教と養子の宗教と通じるのです。それが連結されると同時に、その息子の宗教を通し、父母の宗教圏を通して、霊界と神様の世界にまで公認される一つの体系が形成されなければなりません。そのようになる時、世界のキリスト教は自動的に統一されます。このような内容をもって「世界基督教統一神霊協会」という看板を掲げました。キリスト教の統一のための神霊的な協会です。「統一協会だ」と思うかもしれませんが、「統一協会」ではなく、「統一のための神霊的な協会」です。ですから、世の中では統一教会の人のことを「何かに取りつかれたような人たちだ」と言います。「統一教会の人たちは普通ではない」と言うのです。また、「統一教会の人たちは狂った人たちだ」とも言いますが、韓国語では「狂った」と「達した」は同じ発音です。ですから、これは目的に到達したという意味です。新約聖書と旧約聖書の内容に到達し、霊界にいるすべての霊人たちが、神様の愛を中心として成就することを願う、そのみ旨に到達した宗教なのです。ですから、統一教会は、神霊的な役事が続くのです。
16 統一教会も、神様の協助を受けなければなりません。もちろん、韓国の善なる霊人たち、皆さんの善なる先祖のような善なる霊人たちの協助も受けますが、世界の聖人たちの協助を受けようというのです。範囲が広いのです。
キリスト教だけの協助を受けていてはいけません。それは、あくまでもキリスト教系列の世界一つだけを考えることなので、それではいけないのです。全世界を一つにするためには、キリスト教の霊人たち、イエス様を中心とした霊人たちだけの協助を受けてはいけないのです。超宗派的協助を受けなければなりません。皆さんの善なる先祖たちの協助を受け、大韓民国の忠臣、烈女たちの協助を受け、ひいては全世界の聖人たちの協助まで受けなければならないのです。
17 神様が人間の堕落以降、六千年の間、歴史を導いてこられた最後の目的とは何でしょうか。天地をかけて祝福してあげられる息子、娘を探し出すことであり、忠臣を探し出すことであり、烈女を探し出すことです。この歴史は、地上のある地域を中心として成就するでしょう。その場で心情を通して天の代わりに宣布する言葉に、天上が動くのです。その言葉が真の良心をもつ人々の心に伝播すれば、彼らの心は激動し、その動きがこの地上に起こる場合には、サタン世界は崩壊するでしょう。このような目標のもとに、世界に向かって、天地に向かってのろしを揚げた皆さんは、「世界基督教統一神霊協会」という途方もない看板を掲げた以上、絶対にこの一時代で倒れてはいけません。私たちは、天のお父様の心情を察して、個人を通し、家庭を通し、社会を通し、国家を通し、世界を通して、天宙にまで行ける内容を備えなければならないのです。それができなければ、看板を外してしまわなければなりません。今に至るまで皆さんが従っているお父様は、一生の目標を、この道を突破することに置いています。
Sunday Mar 05, 2023
真の父母経 第70話
Sunday Mar 05, 2023
Sunday Mar 05, 2023
草創期の伝道活動の雰囲気
真のお父様は、全国各地に伝道隊員を派遣するに当たり、片道の交通費と服二着だけを持っていくようにされた。また、「麦御飯より良い食べ物を食べてはならない」と言われた。伝道隊員たちは、はったい粉を水に混ぜて飲み、時には犬の餌をもらって食べながら、最低の位置で開拓伝道をしたのである。一日働いて一食食べるのがやっとだった
その時代、伝道隊員は、満足に食べることができず、歩きながら足がもつれることも多かった。み言を伝える前に、朝早くから起きて村の掃除をしたり、畑の草取りなどをしたりしながら関係を築いた。草創期には、大部分の人がすべてを置いて出てきたので、家族や世の中の友達、隣人から激しい反対を受けた。一九六〇年以降から、食口たちによって、ソウル市内の主要な公園をはじめ、地方の各都市でも街頭での伝道活動が活発に展開された。
8 私たちは、年を取った方々や幼い人たちを問わず、これまで血のにじむ闘争をしてきました。あらゆる試練が前途を塞ぎましたが、ただみ旨だけを考えながら打ち勝ってきました。食べることもできず、着ることもできず、涙と血と汗を注いで足場を築きました。
私は皆さんに、三年路程を出発する時、罪人のように行こうとお願いしました。ですから、三年間、罪人ならぬ罪人となって歩んできたのです。私は、皆さんがサタンに奪われないように、後退しないように闘ってきたことを知っています。任地を守るために、血を売ってまで闘ってきた食口がいることも知っています。皆さんは、制限された環境で苦労をしましたが、その苦労には途方もない背後がありました。その苦労は、前途のためにあらかじめ備えたものなので、新しい方向に向かっていく基盤になるでしょう。
9 当初、統一教会が伝道する時は、人の口では伝道しませんでした。夢のお告げを通して、「統一教会に行きなさい」と言われ、行かなければ(霊界から)棒でたたかれたりして伝道された人たちがたくさんいます。霊界から伝道したのです。霊界から息子、娘に、「どこそこに行けば、文先生という人に会えるだろう」と言われて、伝道されました。行こうとしなければ、追い立てたり、追い出したりしてでも、必ず行かせました。そのようにして集まった人たちが統一教会の食口です。
10 草創期に伝道に出ていた責任者たちは、迫害が激しいので、これ以上ないほど寂しい思いをしたのです。互いに消息が分からず、気になれば、中高生や大学生たちを通して連絡を取り合って会うのです。ところが、その距離が大概、五里、十里です。「いついつに二人で会おう」と言って中間で会うことになります。五里の道なら、二・五里ずつ歩いてきて会うのです。(しかし、)会う場所があるでしょうか。ですから、十字路や派出所の前、橋の下など、名が知られている所で会うのです。そのようにして会っても、食べる物があるでしょうか。そのように久しぶりに会ったなら、昼食を食べるとか、夕食でも一緒に食べなければならないのが人情の常であるにもかかわらず、そのようにできない立場で別れるのです。その中には、兄のような人もいて、姉のような人もいて、弟や妹のような人もいます。そこで交差する心情の切なさは、到底言葉に表すことができません。
ですから、過去に自分の兄弟や父母を中心として暮らす中では、もつことのできなかった情熱を、投入するようになるのです。「今度来る時は、何としても昼食を御馳走してあげなければ。鶏肉を買ってもてなそう!」と思ったあと、一週間働いてでもそれを準備するのです。そのようにしながら、働いたという話はしません。あとで、働いてそれを買ってきたという事実を知った時には、血が沸くのです。感激して涙を流すようになれば、口元が先に震えます。そのような境地で再び会えば、二人で抱き合い、祈りながら張り上げる声がどれほど大きいか分かりません。近所の人たちが周りをぐるりと取り囲んでいることも知らずに祈った、当時のそのような出来事は、すべて歴史的な資料となるのです。
11 韓国で開拓地に行って伝道した当時は、一日働いた稼ぎで一日暮らすのが大変でした。一日働いた稼ぎで、一食食べて暮らすのが大変な時だったのです。若い人たちが道を歩きながら、足がもつれることがいくらでもありました。伝道師たちがある町に開拓に行ったのですが、食べる物がないとき、その町で働こうとすれば、町にうわさが立って迫害がひどくなりかねないので、仕方なく十里以上離れた所に行って働いた人たちがたくさんいます。
伝道師たちが本部からお金を持っていって伝道したのではなく、そのような事情の中で開拓伝道をしたのです。それでも、絶対に食口たちに自分の事情を話しませんでした。ですから、食口たちは分かりません。六ヵ月たち、一年たってからそれを知っては、痛哭するのです。そうして、指導者に弁当を持ってきて食べさせてあげる運動が起きました。ですから、その御飯を食べなければならない指導者の心はどれほど悲惨でしょうか。また、弁当をくれたその学生が、学校に行って昼食を抜くことを考えざるを得ないのです。このような中で、互いにそれを克服しながら、「私たちは死んでもみ旨を成し遂げよう」と言って、心情的な連帯感に浸っていたのです。
12 統一教会の成和学生会は、中高生たちで構成されているのですが、その中高生たちが統一教会の伝道師たちを食べさせて助けました。父母の反対があまりにもひどいので、父母が作ってくれた弁当を順番に伝道師に持っていってあげたのです。学生たちが三十人とすると、一日に三人ずつ弁当を置いていけば、十日間に一度回ってくるので、朝昼晩と順に持っていってあげるのです。このように学生たちの弁当を食べながら開拓した歴史があります。
それを父母が来て見たとすれば、どれほど痛哭したでしょうか。しかし、それが問題ではありません。国をつかみ、み旨の世界のためには、そのようにしてでも、これから迎える栄光の日を称賛しようとしたのです。
13 統一教会に入る前までは、誰よりも良い弁当を持って通っていた学生が、統一教会に入ってからは、弁当を持たずに来て、昼食の時間は一人で校庭にこっそり隠れていて、また教室に戻ってくるのです。それが友達に見つかったりもしました。自分の親に知られたら大変なことになるのです。
一度や二度ではなく、ずっとそのようなことをしているので、友達が彼の母親のところに行って、「息子さんは、以前は弁当をきちんと持ってきていたのに、最近、統一教会に入ってからは持ってきません。なぜ、お母さんなのに、昼食も用意してあげないのですか」と話す出来事が起きたのです。それで、その母親が息子に、「お前、学校で弁当を食べていないそうじゃないか。どうなっているんだい」と問い詰めれば、事実を話さざるを得ません。親たちがこの事実を知るようになると、ますます強く反対します。
そのようなことが全国的に頻発しました。その上、全国のキリスト教徒たちは、「神様の羊を奪っていくおおかみの群れが入ってくる」と言いながら反対しました。そのような環境で、彼らを指導していたお父様の心は、いかばかりだったでしょうか。
14 今まで私たちは、外的な分野を中心として、私たちの前を塞いでいる国の恨多き壁を崩すために、受難の道を歩んできました。お父様は、この国と、この民族に対して恨みを晴らそうという気持ちもありましたが、神様のみ旨を知っているので、いかなる困難も甘んじて受けてきました。
この三千里半島を、誰が血の汗を流して守り、神様の心情を抱き締めて、誰が忠誠を尽くしてきたのかという時、神様を中心として、私たちだけが主張できる内容をもっているので、私たちだけが、訪れる天運を迎えることができるのです。
第五節 日本とアメリカの宣教
海外宣教師の派遣
真のお父様は、四十日伝道を通して韓国内の伝道活動がある程度定着すると、海外宣教に取り組まれた。西大門刑務所における受難の翌年である一九五六年、忠南(チュンナム)の鶏龍山(ケリョンサン)・甲寺(カプサ)で祈りを捧げる中で、日本がアジアで再び重要な位置に立つ時が来ることを予感されたお父様は、ソ連と中国が北朝鮮を後援する立場にいるので、その難局を打開する一つの道を開くためには、日本に宣教師を送らなければならないと考えられた。もし、日本が共産圏に立てば、必ずや韓国が脅威にさらされると考えられたのである。そのため、怨讐の国だった日本を愛することによって、神側の相対国家として立てようとされたのだった。困難な条件の中でも、日本に宣教師を送らなければならなかった意義がここにあった。これとともに、イエス様当時のローマに当たるアメリカにも宣教師を派遣し、世界宣教の中心国家として立てようとされたのだった。
1 お父様は、自分の父や母に侍るように、心から人々に侍りました。さらには、社会や国家復帰のための基台を立てるために、面識のない人たちにもそのように接してきました。このような原則のもとでは、自分の国家だけを気遣うことはできませんでした。最もひどい迫害を受けている中でも、祈りと関心は韓国のためのものではありませんでした。日本とアメリカに宣教師たちを送るために最善を尽くしたのです。
日本に宣教師を送る当時は、韓国と日本の間に国交正常化が成立していませんでした。ですから、宣教師は、正常な手続きを踏めないまま、小さな船に乗ってひそかに日本へと渡っていかなければなりませんでした。アメリカに宣教師を送る時も、私たちがどれほど多くの苦難に遭ったか十分に見当がつくでしょう。その当時、私たちがアメリカに宣教師を送るということは、誰も考えられないことでした。そのような環境だったにもかかわらず、私はアメリカに原理の種を蒔くために、誰かを送らなければならないと決心し、日夜、苦労を惜しみませんでした。
復帰摂理の原則は、外部から内部へと訪ねてくるのです。したがって、国が神様から栄光の祝福を受けるためには、摂理のみ旨が外部から内部へと訪ねてくるように、事を進めていかなければなりません。
Sunday Mar 05, 2023
真の父母経 第69話
Sunday Mar 05, 2023
Sunday Mar 05, 2023
継続して行われた原理講義
草創期は、劉孝元協会長が伝道対象者に対する原理講義を担当した。初めての人は、夕方に講義を聞かせ、三日が過ぎた人は、大抵三日間、泊まり込みながら、修練会方式で講義を聞いた。体が不自由な劉協会長は、横になったまま用紙に講義内容を書き記して講義を行った。講義のあとには、真のお父様が全身汗だくになるほど、渾身の力を尽くしてみ言を語られた。
新しい食口が、この過程を通して深奥な原理のみ言に感化を受け、感服して、み旨の道を行くことを決断した。劉協会長は、一日に十八時間講義をするという記録を立てたこともある。
19 昔、劉孝元協会長は、三年八ヵ月の間、一日も休まず講義をしました。そのような歴史があります。彼は不自由な体でそのようにしたのです。それを考えると私は無慈悲な人です。今のように食口がたくさんいたわけではありません。新しい人が来ると、その一人を座らせて講義し、新しい人が来なくても、そのまま食口たちに毎日続けて講義をしたのです。そのようなことを見た人もたくさんいるでしょう。
20 劉孝元協会長に講義をさせているとき、私は寝ませんでした。中二階の部屋に座って、すべて聞いていました。誰が来て聞いているという報告をすべて受けました。夕方、講義をしに降りてきて、話し始めてから一分もしないうちに居眠りするのを見て、お父様は涙を流して祈りました。そのような涙の交わりがあったのです。
そのような事情かあります。そのように統一教会の歴史はとても悲惨でした。何ゆえに私がそのようにしなければならず、何ゆえにその人がそのようにしなければならないのかというのです。それは神様ゆえです。それでも霊界が役事しないとすれば、霊界はないというのです。
21 教会に人がいなくても、戸を開けて、痛哭しながら説教をしてみてください。そうすれば、周囲の人たちが、どうしたのかと聞いてくるでしょう。人々がそれを見物するために入ってくるのです。その時、「私の話を少し聞いてみてほしい」と言って、講義をするのです。皆さんが、涙を流しながらそのようにしてみなさいというのです。
その涙は、誰のために流すのでしょうか。国のため、人類のため、世界のため、神様のために流すのです。その道しかありません。
もし講義をしている途中で倒れたら、私が看護してあげましょう。そのようにして死んだら、私が葬儀もしてあげます。そうすれば、霊界に行っても弁明の余地があるのです。「お父様の言うとおりに、喉が張り裂けんばかりに講義をしていて倒れた」と言えます。ですから、それはどれほど深刻でしょうか。生きるか死ぬかの覚悟でしなければなりません。そのようなことをしたので、神様がお父様を押してくれたのであり、世界的な人物になったのです。
22 一週間、統一教会に来て、修練を受けてから市内に出ると、何千年も前の電車が走っているとか、バスが逆に走っていると思うほど、全くの別世界に見えます。人々が前に歩いていくというのに、すべて後ろに歩いていくように見えるのです。それほど変わります。そのように感じた人たちに、「統一教会に来てはいけない」と言えば、来ないでしょうか。
昔、草創期に、正門を閉めて鍵をかけても、垣根を乗り越えて入ってきたり、「入ってきてはいけない」と正門から追い出しても、裏門から入ってきたりして、わんわん泣きながら夜を明かして祈るのです。夜を明かすのが常でした。そのような雰囲気が必要です。大騒ぎになるようになっていました。
そのためには、昼夜なく講義をしなければなりません。それで、劉協会長に「一日十八時間講義をしなさい」と言ったのです。
第四節 韓国百二十地域の最初の四十日開拓伝道
百二十地域における四十日開拓伝道
真のお父様は、一九五七年七月一日、食口たちと七日断食を共にされたのに続き、七月二十日から全国百二十ヵ所に二人ずつ四十日開拓伝道師を派遣された。このように、本格的な伝道活動によって食口たちが増え、地方の至る所に教会が建てられると、一九五八年には、地方伝道体制を強化された。一九五九年には、協会主管の四十日全国伝道師修練会が三次にわたって開かれ、以後、継続して四十日原理修練会が指導者の教育課程として実施された、
1 神様のみ旨を成就してさしあげなければならない私たちは、どのように生きるべきでしょうか。自分自身の内外の問題ばかりを解決する人生になってはいけません。自らの問題を越えて全体的な問題と関係を結び、永遠の価値を実現させようという責任感をもって立ち上がらなければならないのです。そのようにするとき、皆さんは天的な福音のみ旨を成就してさしあげることができます。皆さんがそのような使命感をもって伝道の道に進めば、神様が共にいらっしゃるのです。皆さんがそのような心をもって「ために生きる生活」をすれば、そこには必ず愛の再創造の役事が展開するというのです。
2 四十日特別活動は、一九五七年七月二十日から始まりました。韓国統一教会の全食口が、七月一日から一週間断食を始めました。一週間断食をしながら出発したのです。お父様もその時に、断食をしながら四十日特別活動を宣言しました。統一教会では、常に七月二十日を中心として、夏季四十日伝道活動をします。この時期は、学校も夏休みに入る最も暑い時です。一番暑い時に、み旨のために汗を流しながら努力しなければなりません。それが蕩減条件を立てる上で有用なのです。大きな蕩減条件になります。ですから、その期間を選んだのです。最も大変な時です。
伝道に出る時は、お金を持たずに行きます。お金があれば、すべて一ヵ所に集め、ほかの人に分け与えてから行くのです。自分の生活は現地に行って解決するのです。血の汗を流して労働をしたり、何かをしたりして生活しながら、その地方の人々を助ける運動をしなければなりません。それが訓練です。
一九五七年に、統一教会として初めて百二十ヵ所に、(食口を)伝道に送り出したのですが、その時は、お金は行きの交通費だけを持ち、服も二着だけ持たせました。「四十日の間、断食もするのだから、行って、はったい粉を食べながら、四十日間、活動しなさい」と言ったのです。そして、「働きながら食べる物をもらうところから始めなさい」と言いました。そのように(して任地に)行って、それを克服してきました。人間として最低の立場から始めたのです。お父様は三年間、誕生日に断食をしました。食卓もなく、御飯を床に置いて食ベました。また、おかずはキムチ、しょう油をはじめ、三つだけ食べました。このようにして上がってきたのです。蕩減復帰です。服も、もらい物を着たのです。
4 草創期に食口たちが伝道に出ていく時、不平を言ったり、お金のことで愚痴をこぼしたりしながら出発することはありませんでした。人から批判されながらも、一人の生命を救おうとして、明け方に町中のあらゆる犬からほえられたのです。ですから、町の人々から後ろ指をさされて、その町では働くことができないので、早朝に起きてバスに乗り、働くために十里の道を行かなければなりませんでした。そうして、町に帰ってきて、働いて稼いだお金でポン菓子を買い、宴を開きながら人を集めて講義をしました。そのようなことが輝かしい摂理史の資料として残っています。初代教会の歴史に残り得る資料を残したのです。
5 一九五七年から伝道期間を定めておき、伝道に出掛けました。互いに道端で出会って喜んだその時間や、また互いに別れる時、山腹を巡りながら再会を期して涙で離別した時間は、皆さんが億万のお金を出しても買えない時間です。それにどのような価値があるのか、皆さんは分かっているでしょうか。
この上なく貴い事情をすべて流してしまうとすれば、何が貴いと言えるのでしょうか。今後、国内だけでなく、世界的舞台まで、皆さんはお父様と同行し、万民の前に天の伝統を誇り、新しい思想を植えてあげられるみ業をしなければなりません。それでは、皆さんはいつその材料をつくり、いつその材料を収拾するのでしょうか。この時しかありません。
6 一九五〇年代、統一教会を出発する以前に、お父様は多くの人にあらゆる訓練をさせました。断食をさせ、開拓伝道をさせながら、すべての分野の訓練をしたのです。
お父様に会いたくて訪ねてきて、帰るのが遅くなれば送ってあげ、夜を明かして行ったり来たりすることがたくさんありました。それはお父様だけでなく、食口たちもそうでした。
当時、韓国には自動車があまりなく、みな歩いて通いました。月夜や夜明けに、互いに涙を流しながら、国のために、天のために、未来のために誓って出発した、そのような忘れられない事情がたくさんあります。そこから愛国心が生まれるのです。
この世で初恋に夢中になる、それ以上に次元の高い霊的雰囲気の中で活動していたことが、いつも懐かしく思われます。そのような絆をいかに誘発するかということが、教会を指導する人たちの責任であり、自分たちの活動目標として立てるべき事柄です。その伝統基盤をいかに連結させるかということが、皆さんが努力すべき標準なのです。
お父様が、そのようにこの基盤を築いてきた伝統を尊重し、伝統と教育と行動を考えながら、自分の後継者たちを育てなければなりません。今いくらうまくやったとしても、未来の後継者たちが今よりも劣るならば、落ちて下がっていくのです。今よりも未来のほうがさらに良くならなければなりません。未来のために今、投入しなければならないことを忘れないでください。
7 責任者たちは、み言の宣布も重要ですが、必ず実績を刈り取ることができなければなりません。蒔く責任者になるのではなく、蒔いたあとに刈り取る責任者になりなさいというのです。刈り取るまでには三年以上かかります。すぐに刈り取ろうとしてはいけません。それが原理です。ですから、三年苦労しなさいというのです。
それで、お父様は、一九五七年に百二十ヵ所の伝道地を設定し、派遣しながら、「皆さんは、三年間、服役し、そこに売られていって奉公するという立場で、村なら村に行って忠誠を尽くしなさい。そして、彼らに忠誠の道理を教えてあげなさい。それだけでなく、実践して見せてあげなさい。そうすれは必ず、皆さんが語らずとも、自分たちができることを引き継ごうと言ってくるだろう。誰も彼もがそのように言ってくるとき、皆さんはその村で完全に定着することができる」と言ったのです。
Saturday Mar 04, 2023
真の父母経 第64話
Saturday Mar 04, 2023
Saturday Mar 04, 2023
北鶴洞の三つの門の家で協会出発
協会の看板を掲げた北鶴洞の三つの門の家は、軒先に手が届くほどのみすぼらしい家だった。そのため、看板は近所の子供たちが外しては遊びに使ったり、反対する人がたたきつけて割ってしまったりしたため、再びつなげて掛けるなど、何度も壊された。頭を下げて三つの門を通過し、家の中に入ると、二、三坪の広さの庭の片隅に井戸があり、その横に甕を置く小さな台があった。右には、三人が横になればいっぱいになり、足がつく半坪ほどの居間があり、左には、一坪にならないサランバン(客間を兼ねた主人の部屋)があった。居間には男性たち、サランバンには女性たちが寝泊まりした。低い天井は、頭がつくと板が傾いた。このように、協会は草ぶき小屋のような所から出発したのだった。
真のお父様は、少ない人数しかいなくても、まるで数千人いるかのように、上着が汗でびしょぬれになるほど、大きく力強い声で祈り、み言を語られた。一人に対してみ言を語られるときも、一時間以上、涙を流しながら切実に祈られた。神霊に満ちた恩恵によってその場にいる全員が痛哭し、涙で床をぐしょぐしょにぬらした。一九四五年の光復後、準備されたキリスト教が真のお父様を受け入れなかったため、蕩減路程を経たのちに協会を立てて、世界復帰の出発基台を築かれたのである。
7 私が一番初めに付けた統一教会の看板は「世界基督教統一神霊協会」でした。キリスト教を統一することも大変なのに、神霊まで統一しようと言ったのです。当時、お父様はお金が一銭もありませんでした。横になると足が(壁に)つくくらいの部屋なのですが、それも借りたものでした。そこから始めたのです。訪ねてくる人たちのために、僕のような立場で私はやるべきことをすべてやりました。私が、僕の立場、養子の立場でそのようにして、合格していくのです。そうして私が解放されていくのです。
8 最初に統一教会の看板を付けた家は、粗末な家でした。その家には三つの門がありました。私のように、背が高くて太っている人が入ろうとすれば、体を横にして頭を下げて入らなければなりません。そこに「世界基督教統一神霊協会」という看板を付けました。世界のキリスト教を統一しても、ものすごいことなのに、神霊的な世界までも統一しようと言ったのです。世界のキリスト教も統一しますが、神霊的な世界も統一しようという協会なのです。どれほどすごいでしょうか。軒先に「世界基督教統一神霊協会」という看板を付けたのですが、のぞいて見ると、門が三つです。
9 統一教会の看板をソウルの北鶴洞にある家に付けたのですが、当時、その家は、恐らくソウルで最も小さな家だったでしょう。部屋に入って横に寝れば、足が(壁に)つきます。縦に寝れば、何とか足を伸ばして寝られます。そのような部屋が一つあり、そのほかにも部屋がありましたが、その部屋も同じような部屋でした。それで、その家が有名なのは、門が三つあるということで、「三つの門」と言います。その門は、大きいものではなく、頭を下げなければ入れないほどの小さな門です。また、看板を付けたのですが、軒先が手の届く所にあるので、看板の位置は子供も触れられるほどの高さでした。看板を、大きな家に付けることができず、想像もできない、誰も信じられない最も小さな家に付けたのですから、誰がそこに関心をもつでしょうか。看板が同情されるほど、どれだけぞんざいに扱われたか分かりません。近所の子供たちが遊ぶ時は、これを外して遊び道具に使ったりもしました。それにどれほど傷がついたか分かりません。また、反対する人が来ては、「キリスト教を統一するとは異端だ!」と言いながらそれをたたきつけて二つに割ったこともありました。それでも、そのような歴史的な看板をそのまま捨てられないので、その看板に釘を打ちつけてつなげてから、また掛けたのです。
10 私は、いくら軒の下や、穴蔵にいたとしても、「私が神様をここにお迎えしなければならないのに、この場は精誠が足りない」と思いました。「復帰原則において、最も小さな家で世界的な精誠を尽くせる代表者が現れなければならないのではないか」と思ったのです。これがお父様の思想です。それから、「もう少し大きな家で世界的な代表に適応する精誠を尽くさなければならないのではないか」と考えたのです。
このように、統一教会は小さな所から出発しました。北鶴洞の三つの門の家から発展して、このように大きくなってきたのが統一教会です。これが統一教会の主流思想です。そのような立場で、天下にすべて知られるほどうわさを立てながら歩き回っても、「統一教会は小さい」と非難する人は一人もいませんでした。その立場で何をしたのかが問題です。
「世界基督教統一神霊協会」の意味と目標
「世界基督教統一神霊協会」の創立は、キリスト教が果たすべき使命を代わりに果たすという意味がある。もちろん、「世界基督教統一神霊協会」は、神様の復帰摂理を最終的に担当すべき父母宗教である。そのため、その名称に「世界基督教」という言葉が入った。「統一」は、キリスト教はもちろん、他の宗教、世界人類まで一つに束ねるという意味である。「神霊」は、真理とともに霊肉界の調和を通して、地上と天上に天国の基盤を立てようという意味を内包している。「協会」は、霊肉界統一圏を完成し、創造本然の理想世界を実現する団体という意味をもっている。
11 今まで「世界基督教統一神霊協会」という看板をどうして掲げてきたのでしょうか。「基督教」という文言を付けてきたので迫害されました。それを外してしまえば、旧約聖書と新約聖書を捨てなければなりません。旧約がなければ新約は出てくることができません。それが誤ったので、新しい約束なのです。新約がなければ成約は出てくることができません。旧約の上に新約が出てきて、新約の上に成約が出てきたので、キリスト教と連結されなければならないのです。
キリスト教はユダヤ教の延長です。それを捨てれば、お父様の立つ位置がありません。サタンの支配する国家的基準は長成期完成級ですが、それを越えて、お父様が自主的な基盤を獲得するまでは、キリスト教の上に、新約と旧約の上に立たなければなりません。
12 お父様は、「世界基督教統一神霊協会」という途方もない名前を付けました。果たして統一は可能なのでしょうか。それは間違いなくそうなるでしょう。キリスト教だけを見ても、今まで四百以上の教派に分かれて争ってきました。しかし、私は、それがそれほど難しいものとは思っていません。
ために存在するという鉄則をもった教派なら、またその教派以上にすべての教派が努力するなら、そこでは必ず一つになると考えます。もし異教だとしても、その宗教が主張する、その精神以上の努力ができるなら、その宗教まで一つになると考えるのです。
主体でいらっしゃる神様がそのような方なので、そのような方の相対的な位置を守っていけば、自然に神様の力によって一つになれるはずです。この話は論理的です。
したがって、一つになるというのは、それほど難しいことではありません。このような原則の上に立って、統一教会は始まりました。
13 「統一」の「統」の字は、「指導を受ける」という意味ではなく、「統治する」という意味の字です。統治しなければなりません。統治するためには、統治できる内容がなければなりません。主体者としてすべてを備えなければならないのです。主体者は責任をもたなければならず、保護しなければならず、育成しなければなりません。ですから、統一教会は、天地に対する責任をもたなければなりません。その範囲が違ってくるのです。その次は、保護しなければなりません。悪の世界から侵犯されているこのすべての実相世界を聖別して、保護しなければならないのです。善のみの環境体制で保護してあげなければならないのです。悪いものはなくしてしまわなければなりません。それだけではなく、発展しなければなりません。統一教会は、統治して一つにしようというのです。統一教会を中心として一つにしようというのではありません。この全宇宙を創造した根本である神様、主体である神様を中心として一つになろうというのです。
14 統一は簡単です。統一という言葉は、一番の福音です。皆さんが父や母の前に自信をもって出ようとすれば、心と体が一つになった立場に立たなければなりません。良心から見て、自分の体の行動から見ても、教育的な道理の基準から見ても、行動が外れていない一致した立場、一つになった立場においては堂々としているのです。統一された基盤の上では堂々としているのです。孝子は、父母の前で、情的な面でも、生活的な面でも、堂々としています。堂々としたその基盤の上で父母も生きようとし、その家門も立てようとするのが天地の道理です。ですから、「統一教会」という言葉、それ自体が偉大なのです。天地をすべてかき分けて調べてみると、これでなければならないので、お父様は「統一教会」という言葉を付けたのです。
15 新約と旧約を通したすべての宗教のみ旨を代表し得る息子の宗教は、僕の宗教と養子の宗教と通じるのです。それが連結されると同時に、その息子の宗教を通し、父母の宗教圏を通して、霊界と神様の世界にまで公認される一つの体系が形成されなければなりません。そのようになる時、世界のキリスト教は自動的に統一されます。このような内容をもって「世界基督教統一神霊協会」という看板を掲げました。キリスト教の統一のための神霊的な協会です。「統一協会だ」と思うかもしれませんが、「統一協会」ではなく、「統一のための神霊的な協会」です。ですから、世の中では統一教会の人のことを「何かに取りつかれたような人たちだ」と言います。「統一教会の人たちは普通ではない」と言うのです。また、「統一教会の人たちは狂った人たちだ」とも言いますが、韓国語では「狂った」と「達した」は同じ発音です。ですから、これは目的に到達したという意味です。新約聖書と旧約聖書の内容に到達し、霊界にいるすべての霊人たちが、神様の愛を中心として成就することを願う、そのみ旨に到達した宗教なのです。ですから、統一教会は、神霊的な役事が続くのです。
16 統一教会も、神様の協助を受けなければなりません。もちろん、韓国の善なる霊人たち、皆さんの善なる先祖のような善なる霊人たちの協助も受けますが、世界の聖人たちの協助を受けようというのです。範囲が広いのです。
キリスト教だけの協助を受けていてはいけません。それは、あくまでもキリスト教系列の世界一つだけを考えることなので、それではいけないのです。全世界を一つにするためには、キリスト教の霊人たち、イエス様を中心とした霊人たちだけの協助を受けてはいけないのです。超宗派的協助を受けなければなりません。皆さんの善なる先祖たちの協助を受け、大韓民国の忠臣、烈女たちの協助を受け、ひいては全世界の聖人たちの協助まで受けなければならないのです。
17 神様が人間の堕落以降、六千年の間、歴史を導いてこられた最後の目的とは何でしょうか。天地をかけて祝福してあげられる息子、娘を探し出すことであり、忠臣を探し出すことであり、烈女を探し出すことです。この歴史は、地上のある地域を中心として成就するでしょう。その場で心情を通して天の代わりに宣布する言葉に、天上が動くのです。その言葉が真の良心をもつ人々の心に伝播すれば、彼らの心は激動し、その動きがこの地上に起こる場合には、サタン世界は崩壊するでしょう。このような目標のもとに、世界に向かって、天地に向かってのろしを揚げた皆さんは、「世界基督教統一神霊協会」という途方もない看板を掲げた以上、絶対にこの一時代で倒れてはいけません。私たちは、天のお父様の心情を察して、個人を通し、家庭を通し、社会を通し、国家を通し、世界を通して、天宙にまで行ける内容を備えなければならないのです。それができなければ、看板を外してしまわなければなりません。今に至るまで皆さんが従っているお父様は、一生の目標を、この道を突破することに置いています。
Thursday Mar 02, 2023
真の父母経 第62話
Thursday Mar 02, 2023
Thursday Mar 02, 2023
第四節 釜山と大邱の開拓伝道
釜山開拓時代
真のお父様は、釜山に到着された一九五一年一月からほぼ半年間、転々と居所を移しながら、避難民生活をされ、同年八月、ポムネッコルに土塀の小屋を自ら建てて住まわれ、新しい食口を迎える準備をされた。神様が失ってしまった子女を探し求めてこられた、それ以上の慕わしさをもって、山に登って涙の祈りを捧げるなど、多くの精誠を注がれたのである。その結果、神様の啓示に従い、食口たちが一人、二人と集まり始めた。『原理原本』の執筆を終えた日の一九五二年五月十日、高麗神学校の二年生だった姜賢實伝道師が導かれ、その年の十二月一日、早くからキリスト教団で牧会をしていた李耀翰(イヨハン)牧師が加わるなど、天は準備された聖徒たちを送ってくださった。真のお父様は、一九五三年一月、食口たちが増え、一部で反対が激しくなると、ポムネッコルの土塀の小屋から水晶洞へと引っ越し、水晶洞でも何回か居所を移された。
1 お父様は、「六・二五動乱」の時に釜山に避難し、そこで三年の期間を過ごすとき、大勢の人たちが声を張り上げる中、かつて会おうと約束していた人の呼ぶ声が聞こえてくるように感じましたが、会う方法がありませんでした。その慕わしさは、胸が締めつけられるほどのものでした。それは、神様が人間を捜し求めてきた思慕の心情を、地上にいる息子に体恤させる良い時期でした。自分の父母が慕わしくて涙を流すのではなく、父母のために夜を明かすのではありません。
天が進むための足場であるカインとアベルを中心とした復帰の原則を、どのように解決するのでしょうか。それは、自分の血族でもできません。外的な血族を中心として、勝利の基盤の上に氏族基盤を立て、民族的基盤へと行かなければならないのが復帰の路程です。
2 お父様は、釜山の凡一洞で、神様と縁を結ぶ食口たちを慕っていた時に、あらゆる精誠を尽くして待ちました。霊的に見ると、彼らが来ることは来るのですが、実際には近くに来ていないのです。ですから、時が来るのを待つしかありませんでした。凡一洞では、食口といえるのは、お父様まで合わせて三人しかいなかったのです。その頃、私たちは霊的に交流しながら、山河を友として暮らしていました。
3 お父様が凡一洞にいた頃、本当に人が慕わしく、一人で座ってしきりに独り言を言う時が多かったのです。白い紙一枚隔てた向こう側から、大衆の話し声がすべて聞こえます。聞こえることは聞こえるのですが、顔は見えません。その白い紙一枚さえ取り除いてしまえば、大衆が来ることができるのです。そのように捜し求めている人の声が聞こえるというのです。ですから、人を慕わしく思うのです。朝起きてから夕方まで、時間が過ぎるのも忘れて人を慕わしく思います。
人を慕わしく思う心は、この上なく貴いものです。その度数が満ちれば、人が訪ねてくるのです。その心をもって、その人と向き合うようになれば、人は霊的な存在なので、その場から立ち上がろうとしても、足が固まって立ち上がれません。不思議なことが起きるのです。その環境に完全に包まれるようになります。統一教会の出発には、そのような役事があったことを、皆さんは知らなければなりません。皆さんは、人を慕わしく思わなければなりません。自分の妻子が問題ではないのです。み旨のために、人を慕わしく思わなければなりません。
4 「父母の心情で、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために」というみ言を、いたずらに主張したのではありません。お父様がそのように生きました。
その標語のとおりに、出ていって伝道してみなさいというのです。お父様の言うことが本当かうそか、テストしてみなさいというのです。食口がいなければ、戸を開けたまま、食口を慕わしく思うようになると、人が訪ねてくる音がすべて聞こえます。そのように慕わしく思うのです。そうすれば、必ず道は開かれるようになっています。姜賢實が初めてポムネッコルに私を訪ねてきた時も、お父様は失った我が子を慕わしく思う気持ちで過ごしていました。
5 ボムネッコルの土塀の家の時代に、「凡一洞の頂にサタンの魁首が現れたので、キリスト教徒たちは行ってはいけない」といううわさが立ちました。私たちだけで礼拝を捧げても、既にその近所の教会がみな知って、「行ってはいけない」とこそこそ言いふらすのです。しかし、絶対に失望はしませんでした。私は、山に登って祈りながら、霊的にサタンの胸ぐらをつかんでたくさん闘いました。「この闘いでお前が勝たない限り、お前が私に屈服する日が来るだろう」と言いながら闘ったのです。そのようにして出発しました。
6 釜山のボムネッコル時代、凡一洞に教会が一つありました。その教会の人たちが私たちを見て、人も良く、聖書もたくさん知っていて、教会にも通ったという話を聞いたので、伝道しよとしたのです。お父様は、彼らの話を聞いてあげました。彼らが話をする時、よく聞いてあげたのです。それで、私が間違いなく自分たちの教会の信徒になると思って喜び、最初の日はそのまま帰りました。その翌日に、間違いなくまた来ます。その時は、私が「一つ尋ねてみましょう」と言いながら話をするのです。そのように尋ねれば、彼らは答えられません。彼らに、「イエス様とはそんなに無知なのですか。聖書はいい加減にできているようですね」と、このように一言、言っておくのです。私が優れているからこのように言うのではありません。その人が聖書をよく知らないので、そのような話をしたのですが、誰も聖書が間違っているとは言えないようになっています。聖書を知らない人がどうやって伝道をするのですか。お父様は、「私は教会には通っていませんが、私が知っている聖書の話を一度聞いてみませんか」と言いながら、話をそれとなく始めていきます。
最初は、その人が聞いて消化不良を起こすような話は絶対にしません。様子を窺って、神経質な人ならば、私は神経の鈍い人のように話をします。そのように数時間だけ話をすると、私の言うことを聞くようになっているのです。
7 釜山避難時代、凡一洞に家を建て、三人が集まって伝道したり、祈ったりしました。当時、彼らに話をするとき、お父様は、三人を前にして話をするとは考えませんでした。三人ではなく、三千万人であると考えたのです。「今この人たちに話をしているが、現在の数億のキリスト教徒と、全人類に対して話をしているのだ」と考えました。三人を前にしても、汗を流しながら、町内に響き渡るように話をしたのです。
聖日にさえなれば、近所で「あの人、また大騒ぎしている!」と話すほどでした。膝を突き合わせて、こそこそ耳打ちをしても、すべて聞こえるはずなのに、およそ百五十メートル離れた井戸のそばにいるおばさんにまで聞こえるように話をするのです。そのようにするので、その近所の教会に通っていたおばさんが、通りすがりに聞くようになりました。それで聖日のたびに来て、外で聞くおばさんがいました。未婚の男性たちが住む部屋には入りづらかったのです。そのおばさんがのちに入ってきてみると、むちゃくちゃです。世の中にはない話や、世界が揺れ動くような話をひたすらするのですが、座っている様子を見ると哀れなのです。しかし、世界を統一するとか何とか言いながら、「神様は私の父であり、私は神様の息子である。天国が建設され、地獄が崩壊する」と言っているのです。
8 凡一洞に井戸があるのですが、そこに水をくみに来た人たちは、私たちが礼拝を捧げ始めると、「あの家はけんかをしない家だとうわさになっていたが、この頃はけんかをしている」と言って不思議に思ったのです。ある時には、神学校に通う人が来て、「あなたよりも立派な人が歴史上にたくさん現れて統一世界を夢見たのに、みな成し遂げられませんでした。それなのに、ここであなたが統一するのですか」と言うのです。その時、私が話をしながら、よくよく考えてみても、本当に哀れでした。水が流れるように溝を掘り、その上に家を建てたので、オンドルの下では、ちょろちょろちょろと水の流れる音がするのですが、そのような家に座って、そのような途方もない話をするのですから、誰が信じるでしょうか。
彼らは、私より良い物を食べ、良い服を着て、良い暮らしをしているのですから、私の話には信じられるところがないというのです。そうして私の話を聞いてみると、うぶな顔つきで、そのような人には見えないのに、「何がどうだこうだ」と言いながら大騒ぎしているのを見てからは、近所の話題の種になりました。お父様が語る話を聞いてみると、世界が行ったり来たりし、天地がひっくり返ったりする内容です。お化けが出そうな家に住んでいますが、世界を手の上に載せて思いのままにしたり、天地をひっくり返したりしながら、韓国と世界を統一するという途方もない話をするので、うわさが立ったのです。「あの近くに行ってみると、井戸端では無口だったあの人がものすごかった」といううわさが立ったので、人々がどんどん集まってくるのです。
9 私が釜山の凡一洞の谷間で避難生活をしていたとき、釜山港のたくさんの船を見て、「私の手で造った船に乗って、一度釜山港に帰ってこなければならない」と思いました。すべての港口に出入りする大きな船を見て、「私の愛する息子、娘があの船に乗って世界に号令できるその日、自由と平等の舞台の上で、そのようにできる環境が整うひと日がいつ来るのか」と思いながら、神様が日久月深(イルクウォルシム)(願いが時とともに強くなる様子)、千万年史を行き来しつつ望んでいたことを考えるとき、その先頭に立って、大洋を目指して前進する航路に立つならば、それは驚くべき事件です。
10 釜山は、避難民が集まってきた所でした。ですから、韓国にいる篤実な信仰者たちにも、みな会える所です。そのような過程を経ながら、教会が出発しました。学生時代における黒石洞の教会の歴史、平壌の教会の歴史、それからソウルの教会の歴史、このような歴史がすべて絡まっているのです。そして、北朝鮮の監獄から出てきて、(その後、韓国で)三人の女性と一人の男性の、四人を立てました。男性は天使長の代わりに立てたのです。女性は、玉世賢(オクセヒョン)おばあさん、池承道(チスンド)おばあさん、李奇完(イギワン)さんです。李奇完さんはソウルにいました。そうして、四人を中心として、初めて新しく釜山から出発したのです。そして、水晶洞で、以前に日本人が所有していた家屋を一つ手に入れて、教会を始めました。
大邱開拓伝道
真のお父様は、新しい食口が集まると、李耀翰牧師に有名な牧師と神霊的な指導者たちを訪ねさせるなど、伝道に目を向けられた。特に一九五三年七月二十日、姜賢實伝道師に、「生きていらっしゃる神様が、私たちの側に立って協助していらっしゃることを忘れてはならない」という激励のみ言をかけられ、服一着だけを持たせて、大邱の開拓伝道に出発させられた。この時、初めて原理が公に宣布されたのである。そして、八月中旬、李耀翰牧師を再び大邱に派遣された。姜伝道師が築いた土台の上に教会を建てる、というみ意があった。そのようにして、三、四十人の新しい食口が集まり、礼拝を始めるなど、キリスト教団の迫害と反対の中でも、教会が早々に出発できたのである。
11 草創期には、私一人でした。そのように始め、何人かの食口たちを集めて、全国にいる神霊的な人たちを訪問させました。その中に、伝道のため大邱に送った姜賢實伝道師がいました。その伝道師は、凡一洞の天幕教会に責任をもっていた女性でした。凡一洞の谷間には寺しかなかったのですが、一番端の家におかしな青年がいるといううわさを聞いて、伝道しようと訪ねてきたのです。それで、その時、み言を語ってあげたのですが、神様が役事をして、毎日毎日訪ねてくるようになりました。
そうするうちに、その天幕教会を捨てて統一教会を信じる決心をしたのです。
そうして、その後、伝道のために大邱に送りました。大邱は、以南(現在の大韓民国)のエルサレムといわれる地域なので、そこに送ったのです。送る時は、何も持たせずに送り出しました。旅費も与えず、「出ていって伝道しなさい」と言って送り出すしかない、その時の事情がありました。ですから、霊界からたくさん役事しました。大邱に行ったのですが、行く所がないので、霊界がコーチして、会うべき人に会わせてくれたのです。
大邱教会は、そのようにして始まりました。
12 姜賢實伝道師に、「大邱に行って開拓伝道をしなさい!」と言いました。それで、開拓伝道に出て泣きながら歩いているので、神様が勧告したのです。大邱に行った時、「あなたは今ここに来て泣いているが、私は千年の恨を抱いて働いている」と神様から勧告されたので、逃げようとまとめていた荷物を再びほどいたそうです。よくよく見ると、神様は、こちらの事情を一つも聞いてくれません。(ただ、)開拓伝道をしなさいというのです。
ですから、「私の代わりにどこそこに行きなさい」と言われて行くと、ある時は汽車の切符を買って待つ人がいたり、行く道中に祝いのお膳の支度をして待つ人もいたりしたのです。
13 伝道をする時は、座って心配ばかりしてはいけません。お金を使ったからといってできるものではないので、精誠を尽くさなければなりません。そうして祈ると、天が教えてくれるのです。足に豆ができるほど活動し、事を起こしてこそ、そこから役事が始まるのです。
姜賢實の証を聞いてみてください。知人が一人もいない大邱の真ん中に、開拓伝道に行ったのですから、誰か歓迎する人がいたでしょうか。通りをさまようしかないので、どれほど落胆するでしょうか。「神様、どこに行かなければなりませんか」と自分の身の上を嘆くと、「あなたは今、一日でそのような状態になるのか。千年、万年の間、そのようにし続けてきた神の心情と比べれば、話にもならないではないか」と言われたそうです。苦労をもっとしなければならないというのです。
神様と出会い、神様のみ旨を探し求めていくのは、易しいことではありません。
14 お父様が大邱にいた時は、一ヵ月間に十三回も引っ越しをしました。そこでは、私を知らない人がいませんでした。キリスト教徒たちが写真を持って歩きながら、私の顔さえ見かければ、「文誰それが現れた」と大騒ぎでした。どこそこに現れたというと、教会で毎日のように「異端の頭である誰それを追放せよ」と大騒ぎしながら、その都市全体がうなり声を上げて追放しようとしたのです。
Wednesday Mar 01, 2023
真の父母経 第68話
Wednesday Mar 01, 2023
Wednesday Mar 01, 2023
9 お父様は、一九五七年頃、約四百人の食口のためにいつでも祈ってあげていました。最近は、私は祈らないようにしています。しかし、ある限界点まで越えていくためには、祈ってあげなければなりません。祈ると、どのような心霊状態なのかが分かります。祈れば、自分と関係している食口たちは枝のようなものなので、神様が必ず教えてくれます。
精誠を捧げてみてください。食口たちのために精誠を捧げれば、彼らの心霊状態が傷つくときは、様々な姿で見せてくれます。うなだれている時もあり、ふろしきで顔を覆う時もあり、様々な姿で見せてくれるのです。気分の良いことがあった食口の場合は、すぐに笑う姿が見えます。また、悲しいことがある時もすぐに分かります。
10 精誠を捧げる時間がなければなりません。明け方に起きる時は、休んでいた視神経が目覚める境界線にあるので、必ず見せてくれます。それを見て、「きょうは教会で何かが起きそうだ。きょうはこのような食口が来るようだ」といったことを感知しなければなりません。
有能な医者は、患者の顔色だけを見ても、何の病を患っているのか分かります。歩く姿だけを見ても分かります。そのように、皆さんも霊的なアンテナを高くして、鑑定する能力がなければなりません。そのためには、精誠を捧げなければなりません。
祈りというのは、本当に恐ろしいものです。無言でいながら、その環境を完全に占領するのが祈りです。お父様は、どこに行っても、自分の目標を中心として二十四時間祈ります。御飯を食べながらも、息をしながらも祈ります。それは、自分のためのものではありません。人類のためであり、神様のための祈りなのです。
そのような一念を中心として、精誠を込めて四方を一周すれば、平衡を保って円形になります。私が祈ることによって上がっていけば、この圏内は天が主管し得る領域になるので、この圏内の良心的な人士たちは引っ張られてくるのです。会えば、我知らず引っ張られてくるのです。ですから、いつでも精誠を捧げなければなりません。
草創期の熱気と愛の風
一九五〇年代、真のお父様は、真心を込めて食口を指導された。夜が更けるまで食口の事情を最後まで聞いてあげ、多くのみ言を語られた。壇上に立たれるときは、涙を流しながら説教をされた。食口たちは、真のお父様のことを慕いながら常に教会を訪ね、教会に来れば、なかなか家に帰ろうとしなかった。このような神霊と真理、愛にあふれた雰囲気の中で、教会は受難を踏み越え、新たな跳躍の足場をつくり上げたのである。
11 お父様は昔、食口たちを育てるのが一番楽しいことでした。夜遅くまで話をします。夜十二時になって、食口たちが帰りたくても、話をする喜びに酔いしれて語り続けるのです。お父様は、午前一時、二時、三時になっても話をするのですが、居眠りする食口たちもいます。それはどれほどの差があるでしょうか。
講義しながら酔いしれ、講義しながら涙を流し、講義しながら感謝し、講義しながら考えるのです。地獄に行く生命でも、注射を一本だけ打ってあげれば、良くなってくるのです。それはどれほど興奮することかというのです。天が共にあるので、そこには電気が通るのです。
何億ボルトが通っていくような力が共にあり、世の中が揺さぶられる気分がします。どれほど痛快でしょうか。そのような時は目をつぶろうとしても、つぶることができません。寝ていても、はっとして目が開きます。
12 皆さんは、神様の心情に代わり、神様の創造的役割に代わって、人々を救ってあげるために、どれほどの努力をしたでしょうか。深刻な問題です。
お父様は講義もし、説教もたくさんしましたが、一九五〇年代は、涙なくして説教した日がありませんでした。痛哭しない日がありませんでした。あらん限りの力を尽くし、血の汗を流して気が遠くなる境地や、「私は死ぬ」と言って倒れた境地から立ち上がろうとしてこそ、天が慰労してくれ、役事してくれるのです。
ですから、皆さんが今まで出掛けていって働き、伝道をたくさんしたならば、寝る前にその村のために祈ってあげなければなりません。自分が責任をもつ郡ならば郡のために、最も高い山に登って祈り、高い山に登れなければ、最も深い谷に行って祈りなさいというのです。止まってはいけません。それから、最も神聖な所、聖殿に行って祈るのです。聖殿において涙が乾いてはいけません。
13 歴史に残るのは、実力ではありません。実績が残るのです。準備が残るのではなく、基盤が残るのです。これはどこにでも適用されることです。これはお父様の言葉ではありません。学校や、どこに行っても同じです。ですから、語る時は、そのまま語ってはいけません。実績をもって語らなければなりません。
講義する時は、痛哭してでも感動を与えなければならないのです。ですから、お父様は草創期、その激しい迫害の渦中でも、血の汗を流しながら説教をしました。喉が張り裂けんばかりに説教をして、集まった人に感動を与えました。きのう以上にきょう、より迫害を受けて疲れたとしても、これから行くべき道が残っているので、力を投入するのです。力を投入しようとするので、消耗戦をしなければなりません。ですから、私はあらん限りの精力をすべて注ぎ込むのです。そのようにして引っ張ってきました。なぜならば、実績を残さなければならないからです。
14 一九五七年と一九五八年頃、お父様はどのような人だったでしょうか。どんなおばあさんでも、どんな人でも、その人の話を最もよく聞いてあげる先生でした。彼らから、「大韓民国で自分の話を一番聞いてくれる人」と言われていました。
ですから、おばあさんたちが来ると、嫁いだ日から夫をどのように愛したかという話まで、すべて私にするのです。今まで話したかつたことをすべて打ち明けるのです。お父様を訪ねてくる人は、誰もが「先生は私の話をすべて聞いてくれる」と言いました。それからは話すことがないので、お父様が話すのです。ここに器があれば、その器を逆さにしてすべて出しきってから入れれば、入ります。
話を聞いてあげる時には、本当に興味をもって聞いてあげます。夜を明かしながら聞いてあげるのです。話を心から聞いてあげ、また、心を込めて自分の話をするのです。それが秘訣です。そのように与え合うのです。
15 私が伝道をする時は、八十歳になる老人が訪ねてきても、若い人に接する時と変わらずに接しました。そのような思いをもって接するので、天地において誰も嫌だとは言いません。そのような人が来れば、先祖に出会ったように喜んで接しなければなりません。自分の祖母より喜んで接するのです。天からすぐに(結果が)出てくることはありません。ですから、そのような気持ちで接しなさいというのです。そのおばあさんに接するのは、天の秩序的法度です。年を取った人と接することは、天の道理に従った橋を架けることになるのです。神様こそ、最も年を取ったおじいさんです。
16 お父様に従ってきた人たちは、心情的な絆で結ばれているので、お父様を思いながら涙を流す人がたくさんいます。息子もいて、孫もいて、夫もいるのですが、涙をぼろぼろと流すのです。皆さんもそのようにすることができなければなりません。食べ物があれば、とっておいて、あとで一緒に分け合って食べようとし、ひたすら和動して、大変なことを解いてあげようとし、困難なことがあれば、私が開拓してあげようとします。ですから、町中で大騒ぎになり、国から追放しようとするにもかかわらず、お父様に従ってくるのです。
昔、私たちにはそのような雰囲気がありました。伝道に出掛けて、人が伝道されれば、自分を伝道してくれた人に無性に会いたくて、毎日教会にやって来るという雰囲気がありました。「そのような雰囲気をつくって指導しなさい」と言ったのです。新しく入ってきた人たちを、そのように指導しました。自分の家よりも良いので、家に行こうともせず、学校よりも良いので、学校に行こうともせず、職場よりも良いので、職場にも行こうとせず、みな教会に集まろうとしました。それが問題になったのです。
17 草創期、統一教会の女性たちは、教会に行きたくて行きたくて仕方がありませんでした。心の中で、「ああ、行きたい」と声を張り上げるのです。その声が聞こえ始めます。声が聞こえると、もう別世界の言葉を語り出します。霊界に通じるのです。神様の愛が電気だとすれば、その愛に通じ得る電線が連結されているのと同じです。その境地に入るようになれば、もうすべてが見えるのです。自宅にいながら、お父様が何をしているのかすべて分かります。「きょうは気分が悪いので、私が行けば先生も気分が良くないだろう」ということがすべて分かるというのです。それでも、行かないわけにはいかずに訪ねてきます。
この青坡洞の峠は、不思議な峠です。磁石が南北に向くのを誰も止めることはできません。「教会に行かない」と決心し、部屋から出て庭をぶらぶらしようと思っていたのに、門を開け、いつの間にかバスに乗って教会に向かっているというのです。我知らずに来てしまうのです。そのように不思議な力があります。そのようなことを感じたことのない人たちは、本当の愛が分からないのです。
18 統一教会員たちは、追われに追われる最も哀れな人たちです。雪の降る冬の夜に、家から追い出された哀れな境遇の食口たちや、追い出されて行き先もなく、壁にすがるようにして祈っていたその人たちを私は知っています。このような恨が胸に残っているのですが、天の耐え忍ぶその心を私は知っているので、反対する家族を赦しました。
彼らが知らずに犯した罪なので、赦すのです。様々な事情があります。その胸に天と地の恨を抱いて歩いていることを誰が知っているでしょうか。私はそのように歩んできながら、多くの涙をのんだのです。
Wednesday Mar 01, 2023
真の父母経 第67話
Wednesday Mar 01, 2023
Wednesday Mar 01, 2023
11 本部に対して自分が願っていた基準と違うからといって、それを中心として悪く批評すれば、その人が今まで本部を慕わしく思った、その慕わしさが瞬時に消えてしまいます。もし「私たちの願った所がここなのか」と思い、口を開いてそのような言葉を一言でも言ったなら、その人がその時までいくら精誠を尽くしてきたとしても、その精誠を尽くしたものがそこで無効になってしまうのです。
みすぼらしい本部を見ながら、「私が精誠を尽くしてきた所がこれでよいのだろうか。私がいかなる犠牲的代価を払ったとしても、この本部をどんな教会の本部よりも立派な本部にしよう」と決意して、涙とともにこの場で天のみ前に訴える人がいれば、彼は誰よりも次元の高い、天の懐に抱かれる良い同志になるだろうと思います。外国の食口たちなら、誰もがすぐにそのような思いを感じざるを得ないという話を、間接的に、または直接的にたくさん聞いてきました。外国の食口がそのように考えるのなら、本国にいる統一教会の食口として、この本部を見ながら感じる思いが、その外国の食口たちと比較して引けを取ってはいけません。
12 青坡洞の本部教会で歴史にない聖婚式を挙行しました。ここで、歴史にないことをしたのです。「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を定めました。ここで一九六〇年に聖婚式をしました。三十六家庭を祝福し、七十二家庭を祝福しました。歴史的な場所です。この場所を汚してはいけません。ここに教会を建てようと思えば、すぐにでも建てられます。この建物を壊してしまい、韓国のどの教会にも負けない教会をすぐに建てることができるのです。お父様は、精誠を尽くさなかったり、神様を中心とした動機にならなかったりすれば、欲をもったり、何かを願ったりする人ではありません。真実の伝統の歴史というものは、(形だけの)手段や方法を通してできるものではありません。
13 皆さんの目の前にある統一教会がすべてではありません。その背後の何を見つめているのかというのです。私は、世界の数十ヵ国を回りながら、数多くの宮殿をすべて見物しました。その宮殿に行って見るたびに、「私は小さい家で世界を生かそう」と思って帰ってきた人です。
この小さな家で、世界の豪華な家で捧げる以上の精誠を尽くし、神様が記憶される精誠と心情の泉をつくれば、喉の渇いた人がこの泉を訪ねてくるのではないかというのです。岩穴でも山の尾根の高いどんな所でも意に介さず、湧き水があふれ出る所なら、誰もが訪ねていくのです。そこから出てくる水が真の湧き水なら、そこに都市もできます。そこは文化の発祥地になり得るのであり、歴史の起源地になり得るのです。
14 本部教会の柱を見ると、私がある時、この柱を抱えて涙を流したことが思い出されます。歴史が回想され、当時、国が私たちに反対していた状況が目の前にはっきりと浮かびます。そのような刺激が必要です。
ですから、愛する人の一枚のハンカチを一生の間、宝の中の宝として胸に抱き、愛の幸福を感じる人たちがいるのです。ほかの人であれば、持っていって簡単に捨ててしまうかもしれないハンカチですが、自分の命よりも貴く思い、何よりも大切にする人がいます。値段からすれば、いくらにもなりませんが、そこに愛が宿っている時は、無限の価値をもつようになるのです。
第三節 真のお父様の精誠と信仰指導
精誠と投入
真のお父様の西大門刑務所出監と、青坡洞一街の旧本部教会定着以降、一九五七年の前半期までは、新しい段階への発展のために体制を整える期間だった。真のお父様は、旧本部教会を中心に、食口教育に心血を注がれ、劉孝元協会長の原理講義とともに、伝道に注力する時期だった。また、よく野外に行っては訓練をし、親睦も深めた。信仰の熱意や礼拝、原理講義など、実質的な信仰生活は、この上なく熱烈なものだった。真のお父様は、ジャンパー姿で礼拝を執り行われ、狭い聖殿であったが、礼拝の時には昼夜を問わず、食口であふれ返った。その中には、十数人の大学教授をはじめ、高学歴の婦人食口と青年食口が多く参加していた。伝道活動は、自発的に行われていた。
1 一九五七年から開拓伝道をする時、お父様は一日に二時間しか眠りませんでした。食口たちを連れて、夜を明かしながらひれ伏して祈りました。そうして、一九六〇年代に新しい世界へと出発する際、私自身が天のみ前に恥ずかしくない二十一年路程を勝利するために、七年間、その準備をしながら訓練したのです。
2 統一教会をつくったあとは、部屋にかがんで座り、毎日のように七年間、午前三時、四時まで精誠を尽くしてきました。「私の精誠をすべて注ごう。倒れるまで注ごう。おなかがすいても注ごう。眠気が襲ってきても注ごう。天が公認するときまで」、このように心情で種を植えつけたので、今日、統一教会の教会員たちに受け入れられなかったとしても、この種は、神様の心情を通して世界に連結されていくでしょう。必ずそれがいつか刈り取られる日が来るので、韓国で刈り取ることができなければ、世界で刈り取られるだろうと考えました。
3 統一教会の草創期に、お父様は鼻血を流しながら祈りました。「歴史的な血に代わって、万民が恥ずかしく思うだけでなく、万民が痛哭しても報いることのできない鼻血になり得るなら、それはどれほど光栄だろうか」と考えました。「万民が受けるむちを私が受けるのだと叫ぶ立場で打たれるなら、どれほど栄光のむちになるだろうか」と考えたのです。事実がそうです。
それでは、愛国者の中で最高の愛国者とはどのような人でしょうか。国のためにむちを十回打たれた人と、百回打たれた人がいれば、百回打たれた人のほうが愛国者です。また、千回打たれた最高の愛国者がいても、もし一万回打たれた人が現れれば、その人が福をもっていくのです。それでは、一万回打たれた人の前に、十万回打たれた人が現れればどうなるでしょうか。その時は、福をもつまいとしても与えられるのです。福を受ける道は、その道しかありません。
4 お父様が青春時代に犠牲になって準備したものを、皆さんが引き継ぎ、それこそ勝利の場、万国が称賛する場で、万国を愛し、万国のために生きていくことによって、お父様以上の栄光の場に出ていかなければなりません。座って何もせずに、ただ福だけを受けられるでしょうか。皆さんは、これから先頭に立たなければなりません。お父様は、草創期に、邪悪なこの世で流れていく人にならないよう、食口たちを昼夜訓練したのです。
雨の降る日、ざあざあと降る雨に打たれながら冠岳山(クァナクサン)に登るのです。登る途中で滑ったりしても登るのです。登らなければなりません。今後、国家と闘い、世界と闘う広大な戦場に進み出て、敗北者や敗残兵にならないようにするために訓練してきました。ありとあらゆる批判を受けながら、そのような訓練をしたのです。
5 お父様は、一九五七年に食口を育てるとき、一対一作戦をしました。残るものは一対一作戦です。一人の前で講義をする時も、百人、千人の前で講義をすると考えてしたのです。その一人に数千、数万人の人がつながっていると考えました。私がどんな命令をしても聞くことができる人にするためには、私がそれだけの精誠を尽くし、そのようにできる動機をつくってあげなければなりません。
そうなる時に、三段階の関係が結ばれるようになります。私と皆さんが一つになり、皆さんと地方にいる食口が一つになるのです。このようにならなければなりません。なぜ三段階になっているのでしょうか。神様とアダムが一つになり、アダムとアダムの息子が一つになったことと同じなのです。それが原理です。三段階の完成ができなければ、四位基台の完成圏が現れません。ですから皆さんは、自分と同じような人をつくっておかなければなりません。
6 お父様は、誰かが私に心情的なことを一言だけ語っても痛哭します。そのような、心情をもっています。いつでも神様のことを思うと胸が詰まり、背骨がきしんで突き刺さるかのような、何かがあります。私自身も、どうすることもできません。そのような領域があるので、祈らなくても、生活のすべてが祈りの生活です。ですから、喉が締めつけられて倒れ、木にしがみつき、電信柱にしがみつく、このような神様の抑え難い唖然とする事情があり、悔しくて胸が痛む事情がいくらでもあるのです。ある時は、体を支えていられないほどの心情を体恤するのです。
その理由を調べてみると、その時間に神様にとって悲しい出来事があるのですが、どの場所でそのようなことが起きるのかを教えてくれるのです。それは、私が中心的な責任をもって地上に来たので、霊肉を中心として収拾してあげ、心情的基盤を連結させなければならない使命があるがゆえに、必ず私に連結させて通告するのです。
7 統一教会はみな、麦御飯を食べているので、乞食たちまでが「行っても麦御飯しかくれないので、行ってはいけない」と言った時もありました。一番下から始めて、一歩一歩踏み上がってきました。私は誕生日のお祝いをしませんでした。この地上に生まれた人の中で、誕生日も迎えられずに死んでいった人がどれほど多いでしょうか。そのようなことを考えると、私がそのような人たちに同情してあげ、霊界に行って関係を結ぶために、三年間、誕生日に断食をしたのです。
また、昔は、この壇上では背広を着て説教をしませんでした。労働服から出発したのです。説教をする時、一人しかいなかったとしても、その一人を前にして、血の汗を流し、涙を流しながら精誠を尽くして説教をしたのであって、通りすがりの客を迎えるようにはしませんでした。今では、そのようなことが懐かしく思われます。
8 お父様は、伝道するために、生涯にわたってあらゆるものを投入してきました。患者が病院に来れば、医者は、寝るのを忘れてその患者のために生命を投入する責任と義務があるように、お父様は、統一教会の食口たちを育てるためには昼夜も忘れるのです。朝御飯を食べていながら、これは夕御飯だと思うことがたくさんありました。そのような伝統的な歴史があります。
皆さんが伝道するとき、流れていく水もとどまって称賛したいと思い、魚たちまでも、皆さんの食膳に上がれたらよいと思って同情し得る環境を残さなければなりません。
そうなると、それらを食べて暮らしている人が動き出すのです。ですから、自分が責任をもつ所は、入ったことのない家がないほど、十回でも、百回でも回らなければなりません。
神様は千回、万回、回りながら、人間を探し求めてきました。皆さんがそうしてこそ、神様の息子、娘となって、相続を受けることができるのです。ですから、皆さんも村々を訪ねて、百回、千回、回るのだと思い、回ることができなければ、涙を流しながら悔い改めなければなりません。人の心霊に責任をもつ指導者たちは、そのようにしなければなりません。そうして、正しい真の父母、縦的な真の父母と横的な真の父母の道理を代身者として受け継いでこそ、(食口たちは)曲がることなく、まっすぐな方向に合わせて位置をつかみ、従ってこようとするのです。
Wednesday Mar 01, 2023
真の父母経 第66話
Wednesday Mar 01, 2023
Wednesday Mar 01, 2023
2 私たちが結んできた絆は、立体的な絆です。それは、今まで歴史上にあった何かの思想を基調として現れたものではありません。神様の心情と神様の創造理想を基調として、本性の人格を標準として始まった絆です。これは、あらゆる絆の核心なので、絶対視しなければなりません。その絆がここ青坡洞で現れました。「青坡」とは、青い丘を意味し、青い丘というのは理想を象徴しています。彼岸の理想世界を望みながら歌う人々が暮らす所、生き生きとした希望を謳歌するのが青坡洞です。ですから、平面的な四位基台を出発できる基盤が、青坡洞の統一教会本部だというのです。
3 青坡洞の本部の場所には、昔、ある寺があったのですが、日本統治下の時代に日本人が所有していた建物です。これがまた、歴史的な建物なのです。一九五五年に、当時、西大門刑務所に入っていた私が釈放され、行き来する所もないので、非常手段を使って手に入れたものです。自ら用意したのです。
最初、ここはお化け屋敷のようでした。真っ黒になっていた柱をすべて洗濯用の苛性ソーダで磨いたのです。
歴史的な因縁がぶつかり合った家です。「この家から、怨恨に満ちた恨を解かなければならない。むちを打った群れを屈服させなければならない。(私を)追い出した群れを、逆に追い込まなければならない」という信念をもって歩んできました。今もその信念は失っていません。いくら一人でいても、天下をつかんで打てる気迫は、いつも宿っています。
4 私たちは、韓国を生かせる旗を立てなければなりません。その旗が高々と掲げられる先々で神様の勝利をたたえるため、私たちはここに集まりました。この場所は、外見的に見れば何でもありません。お父様は、土窟のような、とても小さなみすぼらしい家で暮らしながらも、世界を一度指導してみようという夢をもっています。ある人は、青坡洞の本部教会の建物を見て、「統一教会は世界的に話題になっているにもかかわらず、本部の建物はどうしてこんなにみすぼらしいのか」と言います。お父様が見てもみすぼらしいのです。屋根が壊れてめちゃくちゃです。それでもそれをそのままにしておくのは、壊れたその瓦屋根を直すお金がないからではありません。屋根を直すそのお金を節約して、民族のために使うためです。
これがいつか芽を出して育つ日には、この民族は統一教会を理解するでしょう。私たちが、この民族のために闘ってきたという歴史的な事実を知るとき、この民族は痛哭するでしょう。三千里の山河にそのような一日が来ることを宿願としながら、その日を迎えるために今も進軍しているのです。私の家に傷がつくことが問題ではありません。この国と、この民族に傷がある以上、私の家は安らかではいられません。
5 これからは、本部の権威を守らなければなりません。本郷を見たいと思い、行きたいと思い、暮らしたいと思って、(本部を)慕わしく思う彼らに対し、何度見ても永遠に見たいと思い、また会いたいと思い、暮らしたいと思う心を一層かきたててあげ、士気を高揚させてあげなければなりません。神様に代わって全人類と向き合うことができる立場に立てなければ、本郷の人ではありません。
そのように会いたくて訪ねてくる外国の食口たちを、一日、二日、あるいは一年でも喜んで迎え、額を突き合わせて暮らせる心をもたなければなりません。また、彼らが私を好きになれば、私が彼らと苦楽を共にして過ごそうという、ゆとりのある心の準備をしておかなければ、祖国であり本郷だといって訪ねてくる多くの外国の食口たちに、大きな傷を与えることは間違いありません。
青坡洞は、今日の青坡洞で終わるのではありません。これから統一教会が建てられるあらゆる所から、数多くの食口たちがこの韓国を「本郷の地、祖国の地」と思いながら訪ね、それ以上に青坡洞を愛して訪ねてくるでしょう。かといって、私たちの現在の環境的な不備を落胆する必要は全くありません。今後、人々は、良い場所を選んで雄大な中で礼拝を捧げる所を慕うのではなく、正に青坡洞のここを慕いながら訪ねてくるのです。
本部教会は歴史的聖地
ソウル青坡洞一街の旧本部教会には、一階に礼拝堂、二階に真のお父様の寝室、協会本部事務室、式典会場、相談室および職員の宿所などがあった。当時、日曜日になると、聖殿が手狭になるほど食口が集まった。真のお父様のみ言によって恩恵が夕立のように降り注ぎ、礼拝の雰囲気はいつも神霊に満ちていた。毎日行われる劉孝元協会長の原理講義を通して、食口はさらに復活した。聖殿は、常に精誠を捧げる年配の女性をはじめとした食口たちであふれ、霊的な役事が相次いで起こった。祈りと涙と笑い、報告と証、原理講義と賛美の声が途絶えることのない、心情の溶鉱炉であった。また、ここは、真の父母様の聖婚式と四大名節の制定、真の子女様の誕生、三十六家庭、七十二家庭の祝福式などが行われた歴史的なゆかりのある、始まりの地である。全国の食口が旧本部教会に向かって敬拝をしたり、祈りを捧げたりするなど、すべての精誠がここに集められた。青坡洞の旧本部教会は、真の父母様の涙の跡がにじむ神聖な祭壇であり、歴史的聖地である。そのため、み旨を知る人であれば、世界各地からここを慕い、訪ねてくるようになる。真のお父様は、むやみに改造してはならず、原形を大切に保存しなければならないと語られた。ここは、たとえみすぼらしかったとしても、歴史的な事情と曲折がしみ込んでおり、懐かしさにかられる聖なる所だからである。
6 統一教会の本部は、ソウルの青坡洞にあります。皆さんは、果たして本部にいる資格があるでしょうか。言葉では言いませんが、お父様は一日に数十回も涙を流します。お父様がどのように過ごしているのか、側近たちはみな知っているでしょう。お父様は一言語っただけで、ひたすら痛哭するのです。非常に敏感な人です。三千里半島に散らばり、この時間にもおなかをすかせた立場で哀切な祈りを捧げる食口がいて、自由のない環境で迫害を受け、困難に遭っている食口たちがいます。そのような食口たちに心情関係を伝達すべき媒介体が皆さんです。本部にいる人は罰を受けるとしても、より大きく受けます。ですから、お父様は新しいみ言を語るたびに、本部では語りません。先に地方に行って語り、それから本部で語ります。本部にいる人たちより、地方にいる人たちのほうがたくさん祈ります。本部にいる人として、「天地に恥ずかしくない」と言える人にならなければなりません。
7 皆さんは、青坡洞の本部の写真を見たり、本部を思い出したりしただけでも涙を流す人がいることを知らなければなりません。また、皆さんは、痛哭しながら訪ねてくる彼らを、心から喜んで歓迎し、切実な心で接してあげ、心の友となって慰めてあげることができなければなりません。
皆さんは、本部で生活しながら、今まで関係を結び、共に風霜を経てきたので、無事に天のみ前に祝福を受け、天のみ前に誇れる人たちになるようにしたい、というのがお父様の気持ちです。
8 狭い本部教会にたくさんの人が座っているので、無理があることは知っています。しかし、これは私たちだけが知っているのではありません。神様はもっとよく御存じです。このような姿をこの世の人が見れは、あざ笑うかもしれませんが、お父様はそのように思いません。神様に「私たちの教会を建ててください」とは祈りませんでした。このような場にいることを、むしろ光栄に思っています。
本部教会で、ある集会が行われるとき、入り口の後ろで押し合いへし合いしながら、先を争って入ろうと大騒ぎです。これを哀れに見るのではなく、これを御覧になる神様の切ない心情を慰めてさしあげるために、「一時はこのようなことがあってもよいのではないでしょうか」と祈ることができる心をもって参席しなければなりません。このような人がいてこそ、これからこの世を蕩減復帰できるのです。
このような環境は、悲惨な境地にいる私たちの民族だけがもち得る真実な財産であり、蕩減復帰し得る材料になるのです。このような環境が、不幸の要件ではなく、むしろそれによって神様の内面の事情に深く入っていくことができ、私たちの教会を造ってあげたいと思う神様の心情的な基準を、私たちに連結させることのできる恵沢と恩賜の条件になるというのです。
9 これから青坡洞の本部教会を、全世界の人々が訪ねてくるようになるでしょう。夢のような話ではありません。私がここで暮らし、ここでみ旨を探し求めて歩んできたので、私が指導する理念に従って、国境を越えて訪ねてくるでしょう。家を新しく建てようとすれば、すぐにでも建てられます。しかし、この家は歴史的な行事をした所であり、天地が痛哭した所です。多くの人が痛哭した場です。血を流し、身もだえしながら訴えた場です。永遠に忘れられない曲折によって流された涙の跡がにじんでいる所です。涙がしみ渡った聖なる祭壇です。(それを知らずに)適当に入って、適当に出ていく所ではありません。お父様は、そのようにしませんでした。
10 お父様が精誠を尽くしたこのすべての基盤を、皆さん自身が蹂躙してはいけません。統一教会が神様の六千年歴史を経て天のみ旨と向き合ってきた教会であるとすれば、この道を通ってきながら、涙の跡を残せる歩みのできない人は、天の人になることができません。私はそのように信じています。
この床に涙しながら伏して祈るとき、この場が、千年、万年、父が待ち望んできた希望の一つの基盤であることを感じてみたでしょうか。骨髄からにじみ出て、血肉が結ばれた心情で、自分の一身のあらゆる意識を忘れ、涙だけで始まり、涙だけで終えることはできない悲しみと切なさが、自分を占領したことがあったでしょうか。そして、自分の環境を忘れて訴えた時が皆さんの生活の中であったかというのです。もしそれがないというとき、お父様がそれ以上の立場を通して基盤を築いておいた土台があれば、その土台の精誠が皆さんを讒訴するでしょう。
お父様も、神様が億千万世の受難の道を歩まれながら、み旨のために尽くした精誠が私を審判するだろうと思います。その精誠を中心として、私が審判の場に立つので、それが最も恐ろしいのです。精誠を尽くした神様のみ前に、いかにして同情を受ける一時を私の環境に残すかという問題を中心として、この上なく身もだえする生活を、お父様はしてきているのです。
Wednesday Mar 01, 2023
真の父母経 第61話
Wednesday Mar 01, 2023
Wednesday Mar 01, 2023
第三節 『原理原本』の執筆
神様から公証を受けた原理
真のお父様は、一九五一年五月十一日、『原理原本』の執筆に入られ、翌年の五月十日に完了された。食口がそばで忙しく鉛筆を削ってさしあげなければならないほど、執筆に没頭された。『原理原本』を書かれる間、涙を流しながら聖歌を歌われ、また、涙を流しながら祈られた。時には、裏山にある小さな平地まで登り、歌を歌い、瞑想を続けながら心血を注いで書いていかれたのである。「記録第一巻」から「記録第五巻」に分けて記述された『原理原本』は、各巻ごとに四ヵ所の穴を開けて束ねられ、合計六百九十ページ以上に達した。本文の内容は、主に鉛筆でハングルと漢字の横書き草書体で書かれ、校正と校閲作業は、黒と青、茶色のインクを使い、ペンで行われた。薄く下線を引くときには赤い色鉛筆が使われた。特に、中間の十ページほどの分量(二百九十一—三百ページ)の本文は、青色のインクぺンで書かれている。『原理原本』は自筆で作成され、現存する最初の原理記録であるという点で、その意味は甚大である。初期には、この『原理原本』を弟子たちが筆写し、順番に読んでいた。
1 原理のみ言を語るときに、私は聖書を参考にしません。聖書にない内容です。神様から直接伝授されたものです。新約聖書は、イエス様が直接書いたものではありません。使徒たちが編集した内容が多いのです。
真は真のものとして、そのままにしておきなさいというのです。自分の神学観や自分の理論をもってきて、こぶのようにつけ加えてはいけません。神様の公証を受けたのか、自分の理論を加えなさいという許可を受けたのか、というのです。私は許可を受けていないものを発表したことはありません。私が行った上で発表してきました。間違いありません。ですから、滅びないのです。
2 凡一洞にいる時は、粗末な服を着て、頭はぼさぼさのまま、男性二人で土窟のような家で過ごしました。他の人からは、哀れに見えたはずです。金元弼が「お金を稼いでくる」と言うので、私は「そうしなさい」と言いました。その当時は、『原理原本』を書いていましたが、同志一人がどれほど貴く、従ってくる一人の人がどれほど貴かったか分かりません。
皆さんも、このように、人に対する味を知らなければなりません。ですから、金元弼が会社に出掛けるときは、必ず一キロ以上付いていったものですが、そのようにして初めて気が楽になりました。また、夕方になって帰ってくる頃になると、必ず迎えに出たのですが、その会う時の気持ちは、言葉では言い表せないものでした。そのように帰ってきて夜眠るのですが、布団がなくて、おくるみ一枚だけをかぶって寝たものです。その時は、そのように暮らしました。
3 お父様は、埠頭が見下ろせる凡一洞で「原理」を書きました。『原理原本』を起草したのです。詩のように書きました。私が骨子を抜き出して書いたので、説明しなければ、他の人々はよく分かりません。そのように、『原理原本』を起草しておいて、一九五二年五月に『原理原本』の執筆を終えました。『原理原本』以降、『原理解説』、そして、『原理講論』が発刊されました。
4 お父様は、聖書だけを見て原理を探し出したのではありません。「創世記が人間の堕落を記録した章ならば、ヨハネの黙示録は復帰の章である。これが生命の木としてこのようになったのなら、生命の木として復帰されるのだ。それが合わなければ聖書はうそである」と思いました。種を植えて生えたものは、種に返るのです。これが合わなければなりません。種から出た芽は上に伸びるべきであって、横に伸びてはいけません。それが合わなければならないのです。
今日の原理の教えは、推理的な方法を通して摂理史観に一致しているのです。名実共に神様が生きている限り、その神様が愛を中心として摂理のみ旨を展開していく限り、世界は必ずその文化圏を中心として統一時代を迎えなければなりません。そして、天地創造がどのように成し遂げられ、なぜ神様が愛を好むのかなどを明らかにしたのです。
5 神様は、すべての悲しむ人たちを慰労してくださいます。また、神様は、生死禍福を主管される主人でいらっしゃいます。ですから、あらゆることをその方に委ねようとするのです。人のために心配できる心をもったところには、神様の相対的な形態が備わっているので、「いらっしゃらないでください」と言っても、いらっしゃるのです。善なるところには、「いらっしゃらないでください」と言っても、神様がいらっしゃるというのです。ですから、『原理原本』を見れば、対象や対象の価値という内容までも、すべて異なる形で解釈しています。与え合えば、必ず相対性が備わるので、与え合うほど対象の基台ができるようになります。それで、神様や善、真を中心として動けば、それは残るようになっているのです。
6 皆さんが「原理」の本を持ち歩くときは、この上なく大切に扱わなければなりません。この本が一冊しかないと考えてみてください。お父様がこの本の原稿を草案するとき、その原稿の管理をどれほど深刻にしたか考えてみなさいというのです。もしそれがなくなり、私が死んでしまったらどうなるでしょうか。世界が左右されるのです。
この「原理」の本一冊で一族の興亡が決まり、一国の興亡が決まり、この世界の興亡が決まり、天地の興亡が決まり、永遠の生命が左右されることを、考えてみたことがあるのかというのです。そのようなことを考えてもみなかった人たちが、心情世界の様々な人たちとつながろうとすれば、どれほど遠いかを考えてみてください。
7 お父様は原理を中心として、原理とともに今まで歩んできました。苦労で築かれた基盤です。原理の本には、血と汗と涙が入り混じっています。ページごとの内容に入り混じっているお父様の血の涙が、皆さんに訴えかけていることを知らなければなりません。お父様が若い青春を犠牲にしてここに投入したのです。血と涙が皆さんに訴えかけているというのです。そこに引っ掛かってはいけません。無価値な原理ではありません。神様が粛然として頭を下げるのです。仰ぎ見る原理です。
真理の真髄、『原理原本』
真のお父様は、『原理原本』について、真理の真髄を圧縮して記録したものであることに加え、本然の心情を通して愛の力を爆発させることができる歴史性を備えたみ言であるため、論文的表現よりは、詩的表現を用いて記述せざるを得なかったと強調された。様々な宗教の経典を隅々まで探究していた劉孝元協会長は、『原理原本』に初めて接し、驚くべき真理の世界に心酔して、一ページを筆写するのに何日もかかるほど、涙を流し続けたと告白した。
8 お父様は『原理原本』を書く時、詩的に書いたので、一枚の中に数十枚分の解説が必要な内容を編成しておきました。一般の人たちはよく理解できません。
劉孝元が医学を勉強したというので、「その内容について一度説明してみなさい」と言うと、「できません」と答えるのです。そこでお父様が一ページの内容を解説してあげると、その場で敬拝をしました。「いくら説明しようとしても、私の頭では及ばない内容があることが(今までは)分かりませんでした」と言ったのです。
9 釜山に避難してきて、一九五一年五月十一日、『原理原本』を書き始めました。『原理原本』は詩的に書きました。それは、誰が見ても分からないのです。私が劉孝元に説明してあげたので、頭がすっきりしたのです。そうして、「なんと、このような内容だったとは!」と言いながら、その原本を見てページごとに涙を流すので、涙でぬれた原稿になりました。キリスト教の根本、共産主義の根本が、すべて砕けていくというのです。
10 劉孝元協会長は、私の話を聞く前に、『原理原本』を読んで、「自分の体が永遠に天のみ前に捧げられる祭物になったとしても感謝します」と書面で誓ったのです。私が孤独な時に、その人に出会いました。このようなことが神様の役事です。その時のお父様の心情は深刻でした。深刻なので、その場で神様が役事したのです。神様があらゆる役事をしてくれるのです。そのようにして、今まで歩んできました。
11 お父様は、劉孝元協会長に、原理の全幅的な体系を備えることができるように教えてあげました。『原理原本』は詩的に書いたものです。かなり飛躍し、圧縮して書きました。
劉協会長がその本を見て痛哭したのです。『原理原本』の内容に感動した、恐らく歴史的にも、統一教会の原理に接した代表的な人だと見るのです。ですから、劉協会長は、私に会いもしないうちに、「弟子になる」と言ったのです。手紙を書いて、「私はこのみ言をもって永遠に先生に仕える弟子になります」と誓った人です。それで、私はソウルから釜山の影島(ヨンド)に下っていき、二十一日間修練会をしました。修練会をするとき、劉協会長は自分が初めてお父様に会うので、いかにして会うのかという問題について心配していたのです。そして、お父様に会うやいなや、自分の過去の深刻だった事情をすべて話したのですが、私が今でも忘れられない内容がたくさんあります。その時の影島での修練会ですべての人が霊界に通じ、霊的体験をしました。その修練会が終わってから世の中に出てくるとき、修練生たちは、「このような世界があったのか」と思うほどの変化を感じたのです。