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Monday Jan 16, 2023
真の父母経 第24話
Monday Jan 16, 2023
Monday Jan 16, 2023
19 四千年の期間に相当する過去四十年間、父母様は、安らかに寝ることができませんでした。全人類と全国家が反対してきました。その期間、どのように個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙圏を克服できるかということに対して、身もだえしました。その峠を何度も越えていく道は、サタン世界とは全く違う道でした。天宙の背後にいらっしゃる神様と交流して、サタン世界の塀を一つ一つ崩しました。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の塀まで、一つずつ崩して高速道路を造ったのです。そのようにして人類は、アダムとエバが堕落する前の立場に復帰されたのです。
その時には、アダムとエバが行く所なら、どこへでも神様が付いていくことができます。そのような立場を再び取り戻したのです。天の世界が来て、サタン世界は退きます。サタンは、父母様が行く道を妨害できないというのです。サタンは常に屈服するしかありません。
20 私の前にある個人的な塀、家庭的な塀、国家的な塀を含め、積み重なっていた八つの塀をすべて突破しました。四十年間で、アダムとエバがいくらでも回っていくことができ、行ったり来たりできる道をすべて築いてきたのです。その道は、私が個人的に回って余りある道です。数多くの宗教と国家が反対しました。しかし、私は突き進みました。それで、死なずにここまで生きてきたのです。
今や、すべて成し遂げました。すべて成し遂げたので、死んでも何の問題もありません。真理が残っているからです。原理が残っています。これは、神様の法廷で判決を受けた勝利の公布文です。サタンも否定できません。
21 復帰というものや完成というものは、アダムが一代でしなければなりません。真の父母一代で、すべてのことを整理しなければならないのです。ですから、どれほど忙しいか分かりません。そのため、宣布式をするのです。宣布式をしてこそ、神様がそこに旗を立てることができるからです。ですから、数多くの宣布式をすることによって、神様が主人になる旗を立てるのです。旗を立てた所は、真の父母と神様が主管できる権利圏内に入ってくるのであって、サタンの権利圏内には入っていかないのです。
父母様は、アメリカを経て、ソ連を経て、韓国に帰って真の父母宣布式を全国的に行いました。そのことによって、民族が反対せず、環境的条件が歓迎したという杭を打ち込むのです。それからは、サタンは後退しなければなりません。その宣布の内容を信じて従う人々が、その宣布圏内に入ってくるようになれば、サタンが引っ張っていくことはできません。国をもたずに暮らしていた人でも、国境が設定されたのちには、その国の法と環境に合わせて従っていくようになれば、その国の民になるのと同じです。
22 お父様が、正に天から印を受けて顕現した、人類が何よりも待ち望んできた救世主、再臨のメシヤ、平和の王だということを明らかにしなければ、霊界でも地上でも問題になります。ですから、宣言をしたのですが、宣言したものは、憲法を決定して宣布したのと同じなので、その法に一致していない人は失敗者になり、法に一致することを宣言して立ち上がった人は、永遠に残ることができるのです。すべての完成標準になることはもちろん、法の決定標準になる憲法以上の位置にあるので、包み隠さず、すべて発表しなければならないのです。
今までは発表しませんでしたが、お父様自身が今後、逝く時には「すべて成し遂げた」と言うことができ、み旨を中心として関与したその環境圏内で、お父様と関係を結んでいないものはないという事実を明らかにしてから逝ってこそ、天上世界でも初めて安着するのです。
それと同時に、地上でもそこに相対となって一つになることによって、平和の天国が連結されるのです。驚くべき話です。お父様自身も、生死の境を乗り越え、死なないように最高の精誠を込めてこの位置にまで来たのであり、このことを宣布しているというのです。(504-203, 2005/08/16)
23 目に見えない神様ですが、見える実体以上に真の父母として、侍ろうと思わなければなりません。暗闇を除去し、光の中で光の道に従い、地獄の解放圏まで、天上世界にサタンの足跡や影もなくなるその場まで、解決すべき責任があるのです。そのため、この責任分担を果たさなければなりません。神様の責任分担を果たして、神様が「私の天下だ。私の天宙だ」と言えるようにならなければなりません。
ですから、昼夜に限界線がなく、常に二十四時間、光明天地なので、光明天地の王になるのです。神様だけが王になることができます。私も、すべてを神様に引き渡してこそ、「蕩減、解放、釈放を成し遂げた」と言うことができます。これが責任分担の完成圏であり解放圏です。天の国に境界線がなく、地獄に境界線がないというのです。霊界の大きな谷間を平地にするのです。そうして、誰もが思いどおりに霊界の先祖と共に暮らすのです。先祖を呼べば来るようになっていて、先祖の言葉を聞いて実践できるのです。そのような天国本来の基準をつくって、神様が「すべて成し遂げた」と宣布しなければなりません。
私が創造理想も完成したので、神様の責任分担完成となります。原理原則を知らずに堕落したので、真の父母が教えて一体圏をつくらなければなりません。そうであってこそ、解放圏地上理想天国、本郷の地に平和が宿り、神様に侍ることができる祖国光復が始まります。(598-108, 2008/09/19)
24 お父様は、既にすべて越えました。私が考えても、夢のようなことを成し遂げたのです。どのようにして、このようなことをすべて成したのかというのです。自分がやったとは夢にも思いません。天が内外においてすべて整えておいて、枠組みを築き、訓練して、また枠組みを築いて、すべて成し遂げたのです。天がより苦労したというのです。ですから、私は不平を言わずに生きる人です。(311-107, 1999/08/19)
25 人間は、堕落によって故郷と祖国を失ってしまいましたが、地球星が私たちの故郷の地であり、神様がいる所が私たちの祖国です。どのように孝子、忠臣、聖人、聖子になり、どのように王になるかをすべて知りました。知らないことがありません。ですから、地上天国と天上天国が成し遂げられるのです。
第四次アダム圏時代が来ます。それゆえ、「七・八節」を中心として真の父母の完全定着、そして「九・九節」と「三・十節」を中心として解放圏を宣布しました。偽りの父が、神様が創造したすべてのものを消し去り、破壊したので、真の父母が再創造してすべて復帰完成し、統一世界、家庭理想一体地上天国時代を開いたというのです。解放圏を中心として、第四次アダム圏の堕落していない本然の世界、何千年もの間、空いていた天国を一度にもってきて合わせられるようになりました。
ですから、神様が解放され、サタンまでも赦されて天国に入っていける基盤がすべてできたのです。父母様も今や、解放されなければなりません。そうして、最もどん底の谷間にいる人々まで、天国に連れていかなければならないというのです。(313-282, 1999/12/26)
26 お父様は一生の間、迫害を受けながら、ために生きてきたので、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な反対圏をすべて収拾しました。ですから、お父様は、個人完成と同時に家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階の完成を間違いなくしたのです。六千年の歴史がかかっても完成できなかったことを、すべて成し遂げました。ですから、今の世界には蕩減がありません。
第四次アダムの心情圏を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対投入をする場合には、相対的に上がっていくようになるのです。高速道路があれば、自動的に宮殿の前まで直行できるのと同じです。何も妨害するものがありません。問題は、どのように運転するかということと、ガソリンがあるかということです。ガソリンだけ供給してもらえれば、いくらでも走ることができる時代になりました。(332-042, 2000/09/04)
27 神様は、一代だけでなく、数千年の救援摂理を継続し、この時まで四千年の復帰歴史を導いてきました。全体は六千年ですが、イスラエル選民圏を中心とした四千年の復帰歴史がねじ曲がっていったのです。ですから、お父様が、これを四十年間で蕩減復帰しなければなりません。
そのようにして、一生を通して築いておいたあらゆる道を、お母様にすべて伝授してあげました。夫を自分の祖父のように信じ、自分の父のように信じ、自分の兄のように信じなければならないのですが、そのように生きてきたというのです。それがお母様の立派なところです。(256-219, 1994/03/13)
28 摂理的禧年(すべてのものが元の位置に戻る、喜びの年)の二〇〇七年を迎えて、父母様を中心としてすることとは何でしょうか。お父様は、無形の神様に代わってこの地上に現れ、天の機密、地の秘密、人間の秘密をすべて解き明かし、蕩減して、勝利した基盤をお母様に譲り渡しました。お母様は、これを中心として百八十ヵ国で、そして、カインとアベルが一つになって、四十ヵ国で一体圏家庭を中心に収拾したのです。その次には、皆さんの家庭が行かなければなりません。
神様が一代、アダムが二代、それからアダム家庭のカインとアベルが三代ですが、三代圏を失ってしまったので、お父様がこれを越えて勝利したのです。お母様がこれを越えることによって、エバ圏が勝利して、父母様が勝利したのです。(569-071, 2007/07/22)
29 お父様は、監獄を訪ねていきました。平壌に行く時、既にどのような人に出会うかという約束がありました。どのような人に出会い、どのようなことをしなければならないかが分かったのです。イエス様が監獄に行く時、十二弟子がいましたが、すべて裏切りました。しかし、お父様は、獄中を経ながらも、十二弟子以上を取り戻したのです。失ってしまったものをすべて捜し立ててこそ、蕩減復帰になります。
ですから、今後、記念塔を建てる場所はどこでしょうか。お父様が獄中生活をした場所が、記念になり得る実体の位置を築いた場所です。ダンベリーの苦難以上の基準を中心として、お父様とお母様が一つになり得る一体圏を発表したのです。(566-183, 2007/06/19)
30 真の父母様は、すべての蕩減復帰摂理歴史を完成、完結、完了され、新時代を開いてくださいました。天一国の時代を開いてくださいました。今や皆さんは、み旨を知らない多くの皆さんの隣人と、さらには多くの国の人々を教育して、天の父母様と真の父母様のみ旨と一つになれるように導かなければなりません。その道だけが、天のみ前に負った負債を返す道であり、世界の前に使命を果たす道になるのです。(真のお母様、2013.10.22, 日本・神戸)
Monday Jan 16, 2023
真の父母経 第23話
Monday Jan 16, 2023
Monday Jan 16, 2023
11 今までお父様が、どれほど困難な立場にいたか分かりません。普通の人であれば、数百回でも放棄し、逃げ出したいと思うほど、恐ろしく、深刻な立場でした。しかし、その立場でびくともしませんでした。その道を行くことが使命だと思ったからです。もしこの道が簡単な道だったならば、サタンが先に選んでいたでしょう。サタンが行くことのできない道をお父様は行きました。
このようにしてその領域を家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで拡大するのです。それで、真の男性の立場で、神様と断絶した世界人類の仲保者として立ちました。そして、高速道路を築いて神様をお迎えしてくるのです。そうすれば、神様が天宙基盤から世界、国家、民族、氏族、家庭基盤にまで降りてきます。神様が降りてきてとどまる場は、父母圏の位置です。今ではもう、サタンが越えてくることのできない領域をつくりました。
12 お父様は、有名な王国の王子として生まれたのではありません。誰も認めてくれませんでした。韓国は、戦争で傷ついた小さな国なので、そこに再臨主が来るとは誰も思いません。再臨主は、イエス様が死ぬことによって始まった民主と共産、イスラームとキリスト教の四大怨讐圏の争いが世界的に発展して収穫期になった時に来て、これを収拾して統一しなければなりません。名実共にそのようなことをしました。すべて成し遂げました。
そこで大成功するまで、多くの複雑な内容があります。一家族が巻き込まれて苦労することとは比較になりません。一国の苦労は何でもないのです。忍耐力をもって、すべて整理してきました。
13 主が再び来て、左翼と右翼の世界を統一しなければならず、宗教世界を統一しなければなりません。左翼と右翼の世界を一つにし、宗教世界を一つにすることを、お父様がしています。アメリカ政府がしたのではなく、ソ連政府がしたのではありません。来られる主は、イエス様が成し遂げられなかったことを、成し遂げなければならないのです。このようにしなければ、復帰することはできません。これを乗り越えていくことができないというのです。歴史は、そのまま成し遂げられるのではありません。
歴史は、摂理と共に進むのです。お父様が出てくることによって、摂理と共に歴史が進み、神様が生きていることを歴史的に証できるようになりました。神様を否定できない時代に来たのです。
14 祝福家庭は、イエス様の立場にいるので、国を復帰しなければなりません。イスラエルは、南と北に分かれました。北朝の十支派と南朝の二支派に分かれたのです。レアとラケルによって一つにならなければならなかったものが、紛争によって国家的な基準で分裂してしまいました。イエス様は、そのような立場で亡くなったのです。それを象徴するのが、右側の強盗と左側の強盗です。それがカインとアベルの立場で世界的な基準になっているので、その基準の上に再臨主が来て転換し、勝利圏を形成して統一しなければなりません。
ですから、再臨主の使命をもった人は、共産主義を整備しなければなりません。それで、お父様は、共産主義を打倒する世界一のチャンピオンとして働かざるを得ませんでした。民主主義を一つにしなければならず、世界を一つにしなければならず、アメリカまでも収拾してあげなければなりません。そして、宗教界と政界がすべて一つになるようにしなければならないのです。
15 真の父母には、間接主管圏と直接主管圏を連結させる責任があります。サタンに引っ掛かっている個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の塀を、どのように壊すかということが問題です。サタンはサタンなりに、継続するこの神様の役事をどのように遮るかと考えています。このように、互いに対決してきているのです。サタンがしつこく、神様に敵対しているというのです。ですから父母様は、サタンと神様の中間で、いつもサタンを除去する業をしてきたのです。サタンの讒訴を受けない位置で、このことを進めていかなければなりません。それで、蕩減路程が出てきたのです。それが人間の責任分担です。
今まで人間は、責任分担を果たせませんでした。サタンは、それがメシヤの責任であることを知っています。ですから、すべてのサタンの勢力を総動員して、真の父母を攻撃したのです。父母様は、サタンの塀を壊す業を、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、霊界まで経てなしてきました。
16 昔は、主流宗教を信じて善なる名を残し、善なる霊界に行っている霊たちが神様のみ意に従って、地上の摂理を助けました。そこを通さなければ、地上と関係を結べる道が今までなかったのです。真の父母様がこの地上に現れ、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的伝統を立てて闘い、勝利して越えてきたので、これからは宗教圏解脱です。世界的な勝利の版図を備えたため、真の父母時代には宗教がなくなります。
アダムとエバ自体が堕落しないで真の父母になっていたならば、宗教は必要ありません。そのようになっていたならばそれ自体を中心として、永遠に天と一体となって合徳するようになり、その一体的理想を中心として、先祖たちがいつでも、地上で暮らす自分の子孫と連結するようになるのです。イスラエルの民族的選民圏、キリスト教の世界的選民圏、統一教会の天宙的選民圏を中心として、すべてのものを蕩減復帰したため、宗教圏解脱時代が来るのです。ですから、霊界が地上世界と平面的に接することのできる時になるのです。
そのため、宗教を信じない人々も、選民圏を通して宗教を経て、霊界と連結され、過去の時代が過ぎていくようになります。真の父母の勝利によって、宗教を信じない人々も宗教主流圏内で旧約完成時代、新約完成時代、成約完成時代に連なっていき、霊界に行ったすべての先祖が、いつでも地上の自分の子孫たちを訪ねてきて、協助する時が来るというのです。
真の父母様の最終一体・救援摂理完結宣布
真の父母様は、二〇一〇年、天暦五月八日(陽暦六月十九日)午前二時二十分と、五月十五日(陽暦六月二十六日)午前三時二十五分、アメリカのラスべガスにおいて、神様と縦的に一心、一体、一念、一和、一核を成し、御夫妻が横的に最終一体を成し遂げた基盤の上で、旧約・新約・成約時代の完成、完結、完了と、全体、全般、全権、全能の時代を宣布された。
そして二〇一一年、天暦十一月十七日(陽暦十二月十一日)、天正宮博物館において、「天地のすべての存在が焦点を合わせ、創造主、神様が探して立てられた創造本然の基準のもとで、すべての摂理の完成、完結、完了と最終勝利を宣言する」と語り、「すべてのことを成し遂けた!」と発表された。
海洋天正宮において、天暦十一月十七、十八日「天一国最大の勝利の記念日」という宣布文を記し、「神様と真の父母様一体完了!神様が完成、完結、完了!아주! 侍奉天国成る。祝文鮮明、アーヂュ!」と宣布された。また、真のお父様は、二〇一二年、聖和(天暦七月十七日、陽暦九月三日)される二十一日前の天暦六月二十六日(陽暦八月十三日)、地上の生涯における最後の公式宣布文を次のような要旨で残された。
「きょう、最終的な完成の完結をお父様のみ前にお返しし、今までの一生をお父様にお捧げすることを知っておりますので、そのみ旨のままに、今や精誠を捧げてすべての生を終了する時間を備え、氏族メシヤが三百八十七ヵ国さえ復帰すれば、すべて終わることを宣布します。そのことのためのすべてを成し遂げました!すべて成し遂げました!アーヂュ!」。
17 お父様は、精神的にもそうですが、この体でも、すべてのことにおいて、誰も付いていくことができない伝統を立てています。天地を思って精誠を尽くしています。その精誠がしみ渡って天地に連結されるようになるとき、その精誠が主流となってサタンが侵犯できないのです。天の眷属とすべての霊人たちが橋を架け、この道を通ってお父様が築いた基盤上に来ることに対しては、サタンが反対できません。今や完全にみ旨をすべて成し遂げたというのです。
18 お父様が行く道を、皆が反対しました。アメリカとソ連、中国が反対し、金日成主席が反対し、すべて反対しました。それをすべて越えたのです。左翼を崩壊させ、共産世界の解放とともに、サタン圏を完全に統一して、一つの基準で束ねるのがお父様の使命です。今や、この道を行くとき、塀がありません。今まではありとあらゆる塀がありましたが、すべて崩しました。個人から神様、八段階まで行ったので、塀のない中を帰ってくることができるのです。これが統一です。個人統一、家庭統一、氏族統一、民族統一、国家統一、世界統一、天宙統一です。お父様がサタン世界の塀をすべて崩し、統一された環境をつくって、祖国を訪ねるのです。
Monday Jan 09, 2023
真の父母経 第21話
Monday Jan 09, 2023
Monday Jan 09, 2023
真の子女の誕生と四位基台完成
聖婚以後、真の父母様の家庭には、長女・譽進様と長男・孝進様を筆頭に、十四人の真の子女様がお生まれになった。長男と長女の誕生は、イエス様が果たせなかった四位基台を成し遂げるものであり、真の父母の家庭の四位基台完成は、復帰摂理上において人類が手本とし、成し遂げなければならない里程標となった。真のお母様が一線に立つ食口たちと共に麦御飯を召し上がるなど、同じ心情で生活しながらお生みになったのである。
食口たちはカイン的子女として、真の子女様と愛によって一つとなり、双子のような立場で、再び生まれる条件を立てなければならなかった。それゆえ、真の父母様は、子女様の奉献式の際、食口たちに三大祭物条件として三つの贈り物を配られたのち、わかめスープと御飯と牛乳を振る舞われた。
10 父母様の家庭に息子と娘が生まれることによって、皆さんも再び生まれる道ができました。そのような条件を立てるためには、一緒に生まれたという条件を立てなければならないので、赤ん坊が母親のお乳を飲むのと同じ条件を立てる式がなければなりません。ですから、譽進が生まれた日を期して、全国的に全食口が御飯とわかめスープを食べる式を行いました。孝進の時も全国的にこの式を挙行しました。このように、お母様のお産とともに生まれたという条件を立てなければならないのです。
11 皆さんは、お父様のおなかの中に入り、生まれていない赤ん坊の種のような立場で条件を立て、お母様のおなかの中を通して、再び生まれたという条件を立てなければなりません。皆さん一人では生まれることはできないので、父母様の息子、娘を通して再び生まれたという条件を立てなければならないのです。そのために、父母様の息子、娘を中心として、お母様と共にすべての食口が、御飯とわかめスープを食べる式を行ったのです。
ですから、ここで譽進が登場してくるのです。譽進が最初の娘です。これですべての条件を蕩減し、すべての女性たちが、お母様のおなかの中から再び生まれたという条件を立てました。実際は、皆さんが三年間一つになるという式を行わなければなりません。孝進は最初の息子です。男性たちも同様です。したがって、女性たちは、譽進の誕生日をアベル的誕生日として記念しなければならず、男性たちは、孝進の誕生日をアベル的誕生日として記念して、一つになったという実体的条件期間が必要なのです。
12 一九六三年、陰暦四月が過ぎる前に、食口同士のわだかまりを、すべて解かなければなりません。そのようにしてから、怨讐のために福を祈ってあげなければなりません。この期間は、一九六二年以前に教会を出ていった人たちに、再び戻ってこられる恵沢を付与する期間です。そうすることによって、サタン世界に対して「門を開けよ」と言える条件を立てることができるのです。このような時があることを知っているので、怨讐を憎みませんでした。
一九六三年一月十八日は、孝進が誕生して二十一日目になる日です。この日は、皆さんがより一層、喜ばなければなりません。
13 「真の父母」という言葉が成立するためには、子女と一つになる起源がなければなりません。
人間が堕落したので、外的な子女と内的な子女、カインとアベルがいるのです。ですから、一九六一年から一九六三年の間に、譽進と孝進の二人の子女が生まれたということは、復帰摂理において、この上なく貢献する出来事になるのです。このようになることによって「万物の日」を立て、第一次七年路程が終わって、初めて「神の日」を宣布することになったのです。
第一次七年路程が終わったのちの一九六八年から、統一教会は順調な発展を始めました。「神の日」を定めたということは、エデンの園で、堕落せずに完成基準に到達したことを意味するのです。
14 イエス様は、イスラエル民族に排斥されたので、そのイエス様の位置を復帰するためには、再臨をして果たすべき困難なことが残されているのです。もちろん既に肉身をもって生まれ、成長してしまった私たちは、文字どおり完成したアダムの体内にある種の立場に戻っていくことはできません。ですから、私たちは、真の父母様から生まれた真の子女と一体にならなければなりません。それによって、生まれ変わるための条件を立てていくのです。
カインがアベルに完全に屈服することによって、両者は共に復帰されるという原理があるので、この原理によって、カインの立場にいる人は、アベルの立場である罪のない真の子女と、一体化しなければならないのです。彼らと一体化することによって私たちは復帰された子女として同じ恵沢を受けることができます。そのようなわけで、罪のない真の子女が真の父母を通して生まれる時に、皆さんは、食べ物やその他、同じ成分の物を分けてもらったという条件を立てなければなりません。
このようにして、皆さんは、真の子女の立場に同参する路程を通過していかなければなりません。誰を通して真の子女と一体化し、新しく生まれ変わる子女として条件を立てるのでしょうか。父だけでは十分ではありません。真の父母を通さなければなりません。いくら父が重要だとしても、父だけではなく、父母とその子女を通さなければならないのです。
15 韓国では、一九六〇年から一九六三年までの三年の期間に、国家基準を中心として、全祝福家庭が復帰の路程を歩みました。この期間は、イエス様が国家を失ってしまったので、国家復帰の使命を果たすために、全体が出ていって活動した時でした。その時は、お父様もお母様も、一線に出て活動する人たちと共に麦御飯を食べました。お膳の上で食べたのではありません。腹中にいる子女たちも、そのようにして一緒に食べたという条件を立てる生活をしなければなりません。
16 譽進と孝進が生まれる時に、わかめスープを食べた人がいるでしょう。カインとアベルが一緒に生まれたという条件を立てたのです。祝福を受けたカインの立場の家庭は、神様以上にアベルに侍らなければなりません。真の父母以上に侍らなければならないのです。そこには、この世の概念があってはいけません。腹中から一つになっていなければなりません。双子として生まれなければならないのです。そうして長子権を復帰するのです。
タマルの息子ペレヅとゼラが腹中で入れ替わったように、生んですぐに絶対信仰、絶対愛、絶対服従圏を家庭的に連結してこそ、入れ替わるのです。これは言葉だけではありません。創造以前に神様が、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の立場で造ったので、皆さんの家庭を、そのような環境的条件を中心として、父母様に連結しなければ、自分の相対的な存在圏が生じないのです。
17 皆さんは、お母様のおなかの中に入ることができないので、父母様の子女たちと一つにならなければなりません。皆さんは三年間、腹中の子女の立場に立たなければなりません。ですから、皆さんに一九六〇年から一九六二年までの三年間の標語を、第一に「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」、第二に「父の代身者となろう」、第三に「見せてあげて誇り得る者となろう」に定めました。ここで見せてあげて誇りなさいというのは、四位基台の復帰を意味します。
皆さんは、この三段階を中心として、腹中にいる赤ん坊と共に食べ、共に暮らしたという条件を立てていくのです。お母様も三年間は、皆さんが麦御飯を食べる時、共に麦御飯を食べ、皆さんが出ていって活動する時、同じ条件の活動をしました。譽進と孝進は、お母様が麦御飯を食べて生んだのです。言い換えると、お母様も皆さんと同じ心情で生活したということです。
18 天使長は、アダムとエバが創造されたその時から、彼らが結婚する時まで、仕え、奉仕し、敬わなければなりませんでした。天使世界がアダムとエバを敬うことができずに堕落したので、その恨を解くのです。この復帰の過程は、最初にアダムとエバが創造されたことと同じです。
ですから、皆さんは、信仰の三子女を立てて、彼らを皆さんの子女が腹中にいる時から仕える立場に立たせなければなりません。それができなければ、天国に入ることはできません。皆さんの息子、娘だけでは、天国に行くことができないのです。しかし、皆さんがそのような蕩減条件を立てて祝福を受け、息子、娘を生めば、その息子、娘には血統復帰が必要ありません。ところが、それができなければ、天国に行く前に引っ掛かってしまうのです。
父母様は、一九六〇年代に、子女たちを中心として腹中から復帰してくることによって、そのような条件をすべて立てました。当時、皆さんはわかめスープを食べ、牛乳も飲み、御鈑も食べました。そのすべてが条件です。
19 一九六三年まで、父母様も麦御飯を食べながら活動をしてきました。三年間は蕩減しなければなりません。家庭的蕩減をしなければなりません。そのようにしながら、皆さんは外に出ていって闘うのです。父母様が麦御飯を食べる時に、一緖に食べなければなりません。内的な面と生活の面において、世界的な供え物の過程を経ていきながら、息子、娘を捧げなければならないのです。そのようにしてきました。皆さんは、譽進が生まれたあとに御飯とわかめスープを食べましたが、それはお母様の血を受けることを意味します。お母様が御飯とわかめスープを食べる時に、その血を受けるのです。
孝進を生む時も、その基準を中心としてそのようにしました。このようにして「子女の日」を探し出しました。それから「万物の日」を探し出してきました。父母様は、そのような基準を中心として、祝福の一日を立ててきたのです。そのようにして、第一次七年路程が終わり、父母様の家庭が解放されるとともに「神の日」を設定したのです。
Sunday Jan 08, 2023
真の父母経 第12話
Sunday Jan 08, 2023
Sunday Jan 08, 2023
第四節 真の父母は神様の実体
神様は縦的父母、真の父母は横的父母
神様の実体対象として創造した男性格の代表がアダムであり、女性格の代表がエバである。二性性相の中和的主体として自存しながらも、無形でいらっしゃる神様が、太初に人間を一男一女として創造された目的は、実体世界と相対するに当たって必要な体をまとうためであった。アダムとエバの二人の体をまとい、実体世界と自由自在に交流し、作用するためだったのである。体をまとっていない無形の神様では、有形実体世界と相対するときに限界があるからである。
したがって、アダムとエバが心の中に神様をお迎えし、一体となって完成した基盤の上で結婚し、子女を生んで家庭を築けば、アダムとエバは外的で横的な真の父母となり、神様は内的で縦的な真の父母になるのである。
1 神様は、無形でいらっしゃるため、死んで霊界に行っても見ることができない方です。したがって、肉身をもって生きる人間と関係を結んで暮らすためには、神様も体をもった父として、この地上に顕現されなければなりません。このような天理ゆえに、神様は、人類の最初の先祖であるアダムとエバを創造されました。彼らを通して、神様は御自身の姿を有形と無形の両面で顕現させようとされたのです。有形世界と無形世界が調和して一つになる姿であり、宇宙が一つになることの象徴でもあります。
肉身をもって生まれた人間として、どのようにすれば無形でいらっしゃる神様の体になることができるのでしょうか。神様の属性は、絶対、唯一、不変、永遠です。神様のこのような属性を完全に伝授し、創造した最高の傑作が人間です。有限な物質世界の原理原則を基にして造った肉身は、永遠ではありません。ですから神様は、アダムとエバが完成に至れば、彼らの中に内在し、完全一体となることによって、アダムであると同時に神様であり、神様であると同時にアダムであるという、永遠なる真の愛の関係を結ぼうとしたのです。
もし、アダムとエバが堕落せず、神様の戒めを守って個人完成を成し遂げ、神様の祝福のもと、結婚式を挙げることさえできていたならば、彼らの子女たちはもちろん、子々孫々、永遠に神様の属性を相続して生きる神様の体になったでしょう。
2 神様は、御自身を絶対投入して、愛の絶対対象を造られました。愛の実体対象が必要で造られたのです。地上世界はもちろん、天上世界においても、実体がなければ、実体の子女に相対できないので、形状として体をまとわなければならないというのです。これが完成した真の父母の形態です。
そして、神様は、地を中心として愛することのできる愛の対象が必要だったので、創造の摂理をされました。その基台の上に、神様は、御自身の絶対対象として造った人間が永存するようにするため、繁殖の機能をお許しになったのです。これが、神様の三大創造要素です。
神様は、愛の根であり、生命の根であり、血統の根であり、地上天国と天上天国の根です。堕落がなかったならば、アダムとエバが結婚するとき、神様はアダムとエバの心の中に入り、彼らと一体となって愛を実現したでしょう。そうして、神様は縦的な真の父母、アダムとエバは横的な真の父母になったでしょう。二つの父母から血肉をもらって生まれた人間の心は縦的な自分になり、体は横的な自分になって、一心、一体、一念、一和の人生を営むことができたのです。
3 神様の体のような方が、真の父母です。真の父母は、完成したアダムとエバです。完成したということは、縦的な神様と横的なアダムとエバが一つになったということです。ですから、アダムとエバは神様の体になり、神様はアダムとエバの心のようになっているのです。真の愛が、そのようなことを可能にするのです。
縦的な神様も、横的なアダムとエバも、互いにために生きる愛を実践するのです。天と地の全体を身代わりして存在しているのです。
4 人間は、神様と真の父母に侍らなければ、その存在価値さえなくなるのです。神様と真の父母、すなわち縦的な真の父母と横的な真の父母の二つの真の父母が一つになってこそ、「私」が出てくるのです。言い換えれば、神様は縦的な真の父母、完成したアダムとエバは横的な真の父母となって、その二つの父母が一つになった基台の上で私の心身統一が実現し、天国と神様が連結されるということです。したがって、神様と真の父母に侍らなければ、何もできないというのです。
天宙の代表的家庭とは、堕落する前、アダムとエバが神様と共に理想としていた家庭です。ですから、天宙の代表的家庭と中心的家庭とは、天上における代表であり、地に降りてくれば、八段階の円形で垂直に位置する家庭です。垂直の立場で、天上の代表と中心が一つになった位置だというのです。
5 神様は、愛の起源であり、生命の起源であり、血統の起源なので、それが人間の愛と生命と血統と一つになり得る場がなければなりません。神様は、縦的な父母の位置にいます。堕落していない人間は、横的な父母の位置に立つのです。アダムとエバは、子女であると同時に兄弟であり、夫婦であり、のちには息子、娘を生んで、神様の位置に上がるのです。息子、娘を生んで愛するというのは、神様が人間を創造して喜んだ、そのすべてのものを相続することです。
真の愛によって相続するのですから、自分の息子、娘はそれほど貴いというのです。天地とも換えることができず、自分の一身とも換えることができない価値をもつようになるのです。
6 アダムの息子、娘は、神様の愛の圏内に至ることができませんでした。堕落していないアダムの息子、娘になっていれば、横的に連結され得る地上天国が成し遂げられていたはずですが、縦横が連結されなかったので、天国ができませんでした。
ですから、息子、娘は、二つの国を受け継がなければなりません。天上の国と地上の国、縦的な国と横的な国、縦的な父母と横的な父母の血統を受け継いだので、縦的な父母の内的なすべてのものと、横的な父母の内外のすべてのものを伝授された息子、娘だというのです。
天の皇族は、二つの国を受け継いだ生活を実際にするのです。皇族になれば、二つの国でいつでも受け入れられる完成的な基盤の上に立ちます。その生活を通して、子女の愛、兄弟の愛、夫婦の愛、父母の愛を拡大しなければなりません。
それが公式化され、完成することによって、縦的な国と横的な国を受け継いだ天地の完成的家庭になるのです。神様の内的な心情と、アダムとエバの外的な実体のあらゆるものを体験できる家庭生活をした人々が、天の国の皇族圏に属するのです。真の愛を中心として、神様は縦的な父母であり、アダムとエバは横的な真の愛の父母であり、息子、娘はこの二つの世界の理想を受け継いだ血族だというのです。
7 神様を一代とすれば、二代になるべき方が真の父母です。その二代が神様の祝福を受け、真の血統を連結させなければ、三代が生じません。その三代復帰が、統一教会の理想です。神様は縦的な父です。霊界まで無限に連結される父です。そして、実体の横的な父がいます。縦的な父が神様であり、横的な父が真の父母です。それが九〇度で、愛によって出会うのです。そこが、夫と妻も一つになる所です。
夫と妻が一つになる定着地が、男性と女性の生殖器です。その生殖器を通じなければ、男性と女性の生命が一つになりません。それが一つとなって、血統が連結されるのです。神様の愛を中心として、真の生命を相続し、完成したアダムとエバが主体と対象を形成することによって、神様の見えない性相と形状の結婚式となるのです。そのように、無形実体と有形実体が一つになるのが結婚式ですが、そのように結婚した初夜に、神様の愛を体恤します。
その結婚は、人間としてのアダムとエバが結ばれるのではないのです。これは、宇宙の根本的な問題です。皆さんの前には、神様と真の父母だけがいなければなりません。神様の愛、生命、血統と真の父母の愛、生命、血統以外には、何もあってはいけません。
8 神様は縦的です。アダムとエバが横的にやって来て出会うときには、中央で出会い、直接向き合わなければなりません。男性と女性は、縦的基準において平等です。二人が抱き合って一つになろうとするとき、必ず縦が現れるのです。縦を中心として、互いに回るのです。愛は一体を形成します。「父子一体」、「夫婦一体」、「兄弟一体」という言葉は、愛を離れてはあり得ません。
男性と女性の体は、神様の実体であり、体です。これが一つになるとき、縦的な基準を求めて上がっていくのです。縦的な基準が先に連結されます。縦は、引力により引っ張られて降りてくるのです。横よりも早く降りてきます。縦的な基準が中心となって一つになり、回るようになれば、全体が一点を中心として球形を形成するのです。これが核となり、アダムとエバは客体となって、愛の球形体を完成するのです。それが息子、娘が完成した愛の実体です。
Sunday Jan 08, 2023
真の父母経 第10話
Sunday Jan 08, 2023
Sunday Jan 08, 2023
9 霊界の地獄世界を撤廃し、天国の門が閉ざされているのを完全に撤廃する、宿命的な事業の曲折を解くために、生涯を捧げてきました。私がこれを認めなくても、環境が認めて侍ることができる、その基盤の上で命令できなければなりません。私は「真の父母」という言葉を言いませんでしたが、霊界から直接、啓示を受けて、真の父母であり、メシヤであり、救世主であると認めたのです。
個人的なメシヤ、個人的な真の父母、個人的な救世主はいくらでもいます。天宙的なメシヤであると、天と地が公認しなければなりません。「あの方は、私たちの真の父母でありメシヤである」と公認する霊界の統一的基盤で、そのように仰ぎ見ることができる勝利の覇権の位置に立たなければなりません。
10 メシヤは、国家を代表して、世界的アベルとして来るため、カインがアベルの命を奪った歴史を蕩減できる国家的基準が完結すれば、その基盤の上に初めて、父母の内容を備えて来られるのです。ユダヤの国とユダヤ教が一つになり、カインとアベルが歪(ゆが)ませた歴史を一つにできる国家的基盤が完結することによって、初めてイエス様は真の父母の位置に立つのです。
復帰歴史においては、兄弟が一つになったあとに、父母が現れるのです。国家的基準においてユダヤ教とイスラエル民族が一つになり、ユダヤ教と祭司長がカイン復帰を通して一つになることによって、その国家的基盤の上にメシヤが顕現できるというのです。その方がイエス様でした。イスラエル民族とメシヤが一つになっていたならば、エデンの園でアダムを中心として分立されていたカインとアベル、分立されていた国家的基準を一つに完結することによって、メシヤは父母の形態を備え、新しい家庭編成と同時に、世界的に顕現することができたでしょう。
11 第二次世界大戦以降、アメリカを中心として全体が長子圏でした。長子権、父母権、王権を成し遂げなければなりません。そうして、父母を迎えなければなりません。長子権はすべて成し遂げましたが、父母を知りません。来られる再臨主、父母を迎えて王権復帰をしなければならないのです。ですから、「神様のもとの一つの国」ではありません。父母が来てからは、「神様のもとの一つの世界、一つの宇宙、一つの天宙」をつくらなければなりません。そのような世界になれば、地上天国が実現するというのです。
この自由世界の歴史には、「神様のもとの一つの世界」であるとか、「神様のもとの一つの宇宙」であるとか、「神様のもとの一つの天宙」という概念がありません。神様のみ旨が成就し得る最後の時に、地上に真の父母が来て、父母権復帰、王権復帰をすることによって、「神様のもとの一つの世界、一つの宇宙、一つの天宙」になり得るのです。イエス様がユダヤの国において、国を探して立てることができず、「神様のもとの一つの国」を成し遂げられなかったので、これを取り戻すために世界的頂上に来たのです。
しかし、「神様のもとの一つの国」では、霊界が入っていません。これは一つの宇宙、一つの天宙ではないので、「神様のもとの霊界と肉界」になっていないというのです。再臨主が来て、それを成し遂げるのです。
イスラエルを中心として、イエス様が「神様のもとの一つの国」をつくってローマまで占領したならば、一つの世界になり、その次には霊界まで統一したならば、「神様のもとの一つの宇宙、一つの天宙」になるのですが、それを完成できなかったため、このことが残っています。これは誰も知らずにいます。ただ神様と来られる再臨主だけが知っているというのです。
12 メシヤは、父として来なければなりません。兄として来れば、争うようになります。父母として来てこそ、最後になるのです。ですから、「真の父母」という言葉は驚くべき言葉です。真の父母がいるので、真の父がいて、真の母がいて、真の愛があるのです。真の愛を中心とした真の父母から、真の息子、娘が生まれることができるのです。真の家庭がそこに存在することができ、真の家庭を連ねて横的に拡大すれば、「神様真の氏族、民族、国家、世界、天宙になります。そこに神様が君臨するということは、理論的に異議がありません。
真の父母は、過去にも存在せず、後代にも存在しません。歴史上に一組しかいない真の父母が現れたという事実は、これ以上に喜ばしいことがないというのです。それとともに、血縁的関係、父子関係をもったというときには、真の父母の勝利の覇権を、ためらうことなく相続しても恥ずかしくないのです。それは、自分を超越して、無限の世界にまで「私」を案内してくれます。「真の父母」という言葉が、どれほど途方もないものか分かりません。神様は、真の父母を表題にして、人間を創造しました。その真の父母の愛の中で、真の家庭と世界、真の地上天国と天上天国が連結されるのです。
13 堕落の峠を越え、真の父母の勝利的足場を中心として、新しい地上・天上天国の解放・釈放時代を宣布できる時に入ります。堕落しなかった基準を取り戻していくことができる時になったというのです。ですから、霊界と肉界が一つにならなければなりません。霊界を知らなければ脱落するのです。神様と聖人、偉人がすべて統一決議をし、霊界の楽園から地獄までも決議して解放を宣布したので、地上もそのような立場に立ててあげようとするのです。
救世主、メシヤ、真の主人である再臨主が来て、すべて完成しました。「真の父母」の名を中心として、神様と愛によって一体となり、新しい解放の世界に越えていけるようになったというのです。そのため、神様が玉座から降りてきて、地上で一緒に暮らしながら、関係を結ぶことができる時代に入りました。
復帰摂理を完成された真の父母様
神様の復帰摂理歴史は、アダムとエバが堕落したことを蕩減復帰して、人類の真の父と真の母、すなわち真の父母が登場される時まで継続する。真の父母は、堕落した人類に救いのみ手を差し伸べ、行くべき方向を提示する唯一の中心モデルとして顕現される。歴史はここから収拾され、実を結び、出発するのである。それゆえ、失われた過去が復帰されるのも、分裂した世界が一つの世界に収拾されるのも、その一つの世界が起源となって天国が成し遂げられるのも、真の父母によるのである。そのため、真の父母は復帰摂理の完成者となられる。
真の父母は、人間の最高、最終の希望であるがゆえに、歴史的願いは真の父母が顕現してこそ成就されるのである真の父母が現れたその時代が、歴史完成の出発点である。
14 真の父母とは、神様が創造の出発から創造の過程、蕩減復帰歴史路程において、目標としてきた願いです。
真の父母の顕現が実現されなければ、世の中を正すことはできません。神様は、個人の理想的な愛を中心とした完成体の中心であり、家庭的完成体の中心であり、氏族、民族、国家、世界的完成体の中心です。
アダムを中心に地上でその完成体中心の対象的基盤をつくろうとしたものが、サタンによってすべて閉じられてしまいました。そのため、真の父母が来て、再び完成的個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙基盤まで連結しなければなりません。真の父母と一つになることによって、天国に入って自動的に神様と一つになれるようにすることが、救援摂理歴史の目的です。
15 堕落がなかったならば、「真の父母」という言葉が必要なく、「救援摂理」や「復帰摂理」、「再創造摂理」、「復活摂理」などの言葉も必要ないでしょう。堕落することによって救援摂理が存在するようになったのであり、救援摂理を成し遂げることのできる救世主が現れるようになったのです。その救世主は、食い違った過去の出来事を清算するために、神様を代表し、人間を代表して現れた主人公です。
この主人公がすべきことは、サタンを取り除くことです。これは、神様自らがすることはできません。アダムの支配を受けるべき立場にいる天使長が、アダムをひっくり返してしまいました。アダムを主管したのです。ですから、アダムが失った主人の位置を再び取り戻すために救世主が現れなければなりません。そうして、神様に侍り、原理的内容を提示して、僕であるサタンを自然屈伏させ得る立場に立たせなければ、神様の創造理想的な平和の基点を地上に実現できないのです。
16 復帰摂理は、再創造の摂理です。神様が再創造を行うには、本然の創造原理を通して行わなければなりません。その創造原理の中心が、一人の完成した男性であり、一人の完成した女性です。そのような完成した男性と女性は、夫婦となり、愛の道を行かなければなりません。愛の橋を架けなければ、神様のみ前に行けません。これが創造理想の道理です。
今まで、神様は、アダム一人を再び探そうとしましたが、探し出すことができませんでした。人間が堕落したその日から、今まで再創造の原理原則に従って、アダムを求めてきたのが宗教です。世界的宗教には、再臨思想があります。教主たちが再び来て、平和の世界、理想的世界に導くという再臨観があります。その方が何人もいるのではありません。一つの中心、完成したアダムを標準としてきたのです。
Saturday Jan 07, 2023
真の父母経 第11話
Saturday Jan 07, 2023
Saturday Jan 07, 2023
17 アダムとエバは、(天の)父母によって完成し、(天の)父母と一つになることによって、アダムとエバのすべての息子、娘が勝利圏に立つことができます。このようになるには、八段階を通過しなければなりません。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階を越えなければなりません。堕落したのはアダムとエバの個人ですが、堕落圏は天宙に及んでいます。個人であるアダムとエバが堕落したのですが、その結果は、この世界だけでなく、天宙的に連結されています。地上から霊界まで連結されているのです。この圏を奪還しなければ、解放は不可能です。ですから、数多くの宗教がこれを越えるために、多くの蕩減を払ってきたのです。
しかし、堕落の子孫であるがゆえに、ここから抜け出すのは、自分の力では不可能です。これを招いた張本人は、どこまでもアダムとエバです。アダムとエバがその先祖です。その悪なる先祖によって堕落したので、完成した先祖が来てすべてのことを解明し、誰もが抜け出せるように、その内容を教示しなければなりません。そのように勝利した主人でなければ、その峠を抜け出すことはできません。その方が結局は、再臨主であり、真の父母です。ですから、真の父母は、個人完成、家庭完成、氏族完成、民族完成、国家完成、世界完成、天宙完成を成し遂げ、最後には神様まで解放しなければならないのです。
18 人類は本来、神様の子女として造られましたが、怨讐サタンの血統を受け継いだために、サタンの主管を受けるようになりました。そうして、今まで人類は、怨讐の子女としての扱いを受けてきたのです。
したがって、真の父母は、子女を取り戻さなければならず、歴史的な先祖にならなければなりません。真の父母は、歴史過程において汚されたすべてのものを清算し、サタンが讒訴できない立場を立てておかなければなりません。肉界から霊界に上がったり、霊界から地上に降りてきたりしても、サタンが讒訴できない立場を築いておかなければなりません。真の父母が往来する道において、サタンが讒訴できる条件を遮らなければなりません。サタンが讒訴できるようになったのは、人類の先祖が失敗したからです。ですから、人類の真の先祖として来られる真の父母は、過去、現在、未来に通じることができる道を、完全に築いておかなければなりません。
19 歴史始まって以来、今に至るまで、神様とサタンが闘っています。神様もその闘いをやめさせることができず、サタンもやめさせることができません。その闘いは、アダムとエバの堕落によって起こったものです。それでは、これをどのように正すことができるのでしょうか。
神様は、再創造をしたいと思うのです。復帰路程は再創造の路程です。再び創造しなければ、解決することができません。ですから、宗教を通して再創造しようとするのです。数多くの宗教の中で、ユダヤ教、キリスト教、統一教会が中心です。三段階で上がって、「終わりの日」の再臨の時、真の父母が顕現するのです。
その真の父母は、神様の秘密、サタンの秘密、そして人間の秘密まで、すべてのことを知っています。サタンの世界は前後、左右、上下が無秩序です。再臨のとき、真の父母がこの地上に現れて、それを清算し始めるのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、霊界まで清算するのです。その次に、人間が願う神様の創造理想が、主流として登場します。ですから、この主流を形成することが統一教会の目標です。そのような高速道路を造るのです。その道に従って走るようになれば、理想世界、天国が連結されます。
そこには妨げとなるものがあり得ず、サタンが存在できません。きれいな世界です。人間の目的がすべて成し遂げられるのです。そこから、霊界と肉界の解放が広がります。そのような世界が私たちの本郷です。このように悲惨になったのは、人間の堕落のためです。これは誰も解決することができません。この地上に真の父母が現れることによって、そのすべてのことが問題なく清算されるのです。
20 父母様が行く道は、そのまま平坦に行くのではありません。いくつもの谷間を埋めて、越えてきました。神様は、私の父母だというのです。千年の恨、万年の恨を抱き、天の父母と地上の父母の恨を合わせて解いて、責任を果たさなければならないイエス様の使徒、キリスト教の信者たちの中に、そのような心情をもって、天と地の父母を解放しようという心をもった人はいません。彼らは、信じて福を受けようとしています。それは、霊界ですべて引っ掛かります。神様は、滝のように涙を流しています。その神様を解放することが父母様の使命です。
21 再臨主は、人類の真の父母の立場で再び真の愛の家庭を探し出し、天地父母の位置を経て、人類の救援摂理を完成しなければなりません。メシヤは、アダムとエバが堕落せずに完成した家庭よりも、さらに栄光をもって、立派に神様に侍ることができる孝子、孝女の家庭から出発しなければなりません。メシヤは、真の愛を中心とした父の位置で、真の生命と真の血統を連結し、新たに出発しなければならない、人類の理想的核となる家庭の主人です。
ここから祝福結婚家庭を連結し、地上天国と天上天国を完成するのです。
22 永遠の愛に酔いしれて永生を賛美し、永生の価値を神様と共に永遠に賛美できる栄光の場が、キリスト教で言うところの新郎と新婦が新たに出会う場です。新郎と新婦が出会う場は、数多くの人間を代表した場、神様と人間が出会う場です。
しかし、新郎と新婦という位置が、本来の人間として希望した最高峰ではありません。新郎と新婦の位置は、過程にすぎません。
父母から生命が出発するとき、父母と同じ位置から出発したのですから、父母である神様のみ前に帰る道を求めなければなりません。生命の起源が神様と同じ位置に立たなければなりません。その位置に立って、神様の愛の保護圏内で育てられ、現れなければならないのが新郎と新婦です。ですから、新郎と新婦の位置が理想ではありません。
人間が行くべき最後の終着点は、真の神様を父母として侍り、その真の息子、娘になるところです。そこが、人間の願う最後の希望峰であることは間違いありません。このような観点から、統一教会は真の父母理念を提示しました。
新郎と新婦の過程を経て、堕落していない本然の息子、娘の位置に入り、神様によって造られた人間が堕落したので、これを再び復帰して完成し、神様を真の父母として侍り、永遠の価値の一体であり、永遠の生命の一体であり、永遠の愛の一体と化して、新しい再出発をしなければなりません。そうして、この地上に顕現することが、復帰の途上における人間が行くべき最後の終着点です。
このような目標に向かって行く道が、復帰の路程です。今まで神様が人類に対して救援摂理をしてきたのも、このような目的に到達させるためでした。
23 神様に侍ることのできる真の男性と女性が一つになり、互いに離れようとしても離れられず、別れようとしても別れられない真の夫婦となり、真の息子、娘を生まなければなりません。神様を中心とした真の父母、真の夫婦、真の息子、娘となって、四位基台をつくらなければなりません。このような真の息子、娘が、宇宙と人類の中心になります。彼らを中心とした国が、中心国家になるのです。中心がない国は滅び、中心がない世界は落ちていくのです。そのため、文化は世界を回りながら発展していきます。このような中心をもって出発し、発展した文化は、絶対に滅びません。
それゆえ、真の父母は、神様をお迎えして、すべての家族の中心にならなければなりません。その生活制度は、万民が生活できる生活制度であり、ここから見つめる国家観、ここで議論される世界観、ここで教えてくれる理念は、全世界の万民が共通してもつべき国家観であり、世界観であり、理念です。人類は、一つの門に向かって、「終わりの日」の時を願いながら、今まで歩んできました。
真の父母の願いは、人類が神様を中心として、真の家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙をつくり上げることです。そのようになれば、神様の愛までも復帰することができるのです。
Saturday Jan 07, 2023
真の父母経 第18話
Saturday Jan 07, 2023
Saturday Jan 07, 2023
3 皆さんは今、神様の顔を見ることができません。皆さんは、神様の顔を見ることができないので、おなかの中で暮らしているのと同じです。今日の人間は、このような事情に置かれているのです。ですから、重生しなければなりません。霊的な救援摂理は完結し、霊的には重生しましたが、それだけではいけません。霊肉共に重生しなければならないのです。将来、主が来られるというのですが、その主は真の父母として来られます。実体をもった人類の父として来られるのであり、実体をもった新郎としてこの地上に来られ、実体をもった人間の中から新婦を探し出すのです。そうしてこそ、堕落していない真の父母になるのです。
アダムとエバが堕落することによって、真の父母を失ってしまったので、今日の人間には、堕落した父母はいますが、堕落していない真の父母はもつことができずにいるのです。ですから、復帰摂理を経て、実体をもって真の父母の使命を完結するために来られる方が再臨主なのです。歴史的な真理をもって来られる主は、イエス様の霊的救いを基盤として、霊肉共に完全な息子、娘を生むことができなかったので、それを完結しなければなりません。
4 イエス様は、この地上に後のアダムとして来られました。聖霊もこの地上に来て新婦の体をもつことができませんでした。霊界に行ってみると、聖霊は母なる神です。イエス様が地上において実体を備えれば、新婦は天道のすべての内容を知り、すなわち真理の中で新婦の資格を完遂して、メシヤが来るのを待ち望み、彼を迎える準備をしなければなりません。そうして一つの家庭を準備し、一つの国家を準備し、世界を準備しなければなりません。これが、新婦の果たすべき責任です。
ですから、一九六〇年代に入って、女性運動が世界的に広がったのです。この地上に人がいくら多くても、すべて悪なる血統を受けて生まれた堕落の子孫なので、母としての愛を施せる、真の女性が現れなければなりません。「終わりの日」が近づけば近づくほど、そのような代表的な存在が現れる時が近づくので、世界的な女性運動が広がるのです。
これからは、多くの女性が男性を凌駕できるのです。終末期は、堕落したことを女性が復帰できる時なので、終末期である今、女性は天的なエバを代表して立ち上がれる恵沢圏にいます。今日、女性たちが解放とともに、そのような立場に立てるようになったので、この時に真の母が現れなければなりません。私たちは、その母に地上で侍ることができなければなりません。人類は、このような時を迎えて神様を求めていくので、地上に新婦が立てられなければならないのです。
5 統一教会は父母の宗教です。僕の宗教から養子の宗教、庶子の宗教、その次に直系の息子、娘の宗教、息子、娘の宗教から母の宗教を通して発展してきました。
神様は、今まで母を探し求めてきました。相対がいなかったのです。神様は、男性格の主体なので、女性格の相対がいなければなりません。その方は、神様の相対であると同時に、この地の王妃であり、氏族の王の王妃であり、家庭の王の王妃です。ですから、祖母の代身であり、母の代身であり、妻の代身であり、娘の代身です。母がそうです。本来、母がいれば、すべてそうなるのです。天の国の王妃になり、この国の王妃になり、その次に自分の先祖たちの祖母になり、母になり、妻になり、娘になるのです。それをすべて合わせたものが母の価値です。
6 皆さんは「家庭を信じる」という言葉を聞いたことがありますか。キリスト教徒たちに「誰を信じるのか」と尋ねれば、「イエス様を信じる」と言うのであって、「イエス様の家庭を信じる」とは言いません。仏教徒たちに尋ねても「お釈迦様を信じる」と言うのであって、「お釈迦様の家庭を信じる」とは言いません。これからは、家庭救世主宗教が現れなければなりません。それが真の父母主義です。真の父母宗教です。真の父母宗教は、四位基台を造成する真の父母の生活宗教です。そうなれば、父母が息子、娘の救世主になります。聖書のヨハネの黙示録を見ると、復帰歴史に関する内容が出ています。それで、聖書は偉大だというのです。このような復帰の原則があるので、聖書の最終章に復帰の内容を入れるようになったのです。
ヨハネの黙示録に「御霊も花嫁も共に言った、『きたりませ』。また、聞く者も『きたりませ』と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい」(二二・一七)と記録されていますが、花嫁とみ霊とは何か分かりますか。花嫁は主の妻になり、み霊は霊的なものなので、ここに霊肉が合わさった母が現れなければなりません。イエス様は、人類の父であり男性なので、女性の中から母を探し出して新しい世界へと救わなければなりません。
7 お父様は、立派なお母様を迎えました。顔が美人だから立派なのではありません。心が美しいので、顔が美しいのです。心が美しいので、声も美しく、容姿も優雅なのです。お父様は、神様の哲学を自らが成し遂げ、教える師です。その原理どおりに行くために、お母様を神様の代わりに称賛しながら生活してきたのであり、大衆に称賛して宣伝したのです。それが原理に通じるからです。
8 世の中の人々は、お母様のことを「美人だ」と言うのですが、どのような人が本当の美人か、私は研究しています。
美人とは、顔がきれいだからといって美人であるわけではありません。心がきれいであってこそ、「美人だ」と言えるのです。それでこそ、千年過ぎても、その美貌を損なわず、和気あいあいとした、清い姿を保てるのです。そのような女性が、環境を美しく輝かせ、かき抱いてあげることができます。そのような女性が美人の中の美人なのです。そのようなお母様なので、私は、お母様が美人の中の美人だと思うのです。
9 お母様は、とても知恵深い女性です。お母様は、目が素晴らしいのです。にこっと笑う時には、私はその笑う魅力的な目に惚れ惚れしてしまうのです。そのような魅力的な目をもっています。それから、私は、お母様の鼻が本当に好きです。良いことがありそうであれば、鼻がひくひくと笑います。それがお母様の魅力なのか分かりませんが、夫をそのように感動させるのです。
それから、深刻な時は、お母様はできるだけ口を突き出さないようにします。そのような口が美しいのです。そして、態度が美しいのです。お母様は、本当にきれいなところがたくさんあります。女性たちがそのような武器をもてば、「万事亨通」(すべてが思いどおりにいくこと)する秘密の鍵をもつことになると思います。
10 お母様の特別なところは何かというと、霊感が鋭いことです。天性的な素質をもっています。そして、お父様が「しなさい」と言うことは何でも「する」と決意し、また、その決意したことをいつも忘れずにいるので、受難の道も克服できたのです。それは、目的を中心とした忍耐心に当たるものです。また、私がお母様に有り難く思うことは、自分の貴いものを自分の息子、娘ではなく、皆さんに、ためらうことなく一〇〇パーセント与えようとするところです。それは、神様が贈り物として下さった性格だと思っています。
11 お母様は、二十年間で十二人以上の息子、娘を生んで、ヤコブの家庭を完全に蕩減復帰しなければなりません。イエス様の十二弟子が一つになれず、どのようにしたでしょうか。結局は、イエス様を売ってしまいました。別々の氏族で結ばれた兄弟圏が問題でした。ヤコブ家庭は、四人の女性が生んだ息子、娘なので問題になりました。その問題を克服するためには、二十年以内に十二人以上の息子、娘を生まなければ、お母様の使命が不可能になるのです。そのような面から見ると、二十歳を越えれば、お母様になることができません。満十八歳までです。韓国の年では十九歳までです。
ですから、四十歳のお父様が十七歳のお母様と結婚したのです。お父様が十六歳の時に、あらゆることを決心して立ち上がったように、女性も十六歳を越えてその基準に合わせなければ、女性の解放圏を連結する道がありません。
12 歴史において、女性たちが経たあらゆる惨状の過程を経たとしても、不平を言わず、夫のために生きることができ、さらに苦労ができる女性はいませんでした。ですから、「本当に、み旨の前に立っている私は、何一つ弁明の余地がありません」と言う人はそのような風霜をたくさん経験したのでむしろ私が落胆する時に、慰められる対象になるのです。そのようなところから始めるのです。
心情的な蕩減をしなければなりません。上がっていく時も引っ掛からず、下がってくる時も引っ掛かってはいけません。二十歳前まで下がってきて、二十歳前の少女を天が相対として許可すれば、その少女は、どんな困難な立場に立たされても、順応できなければなりません。ですから、孤独な背後から探すのがよいのです。お母様には、父親もなく、兄もなく、みないませんでした。ただ一人、天のためには何でもするという、洪という母が背後にいるだけでした。
13 お母様は、聖婚式の時に十七歳でした。お父様は四十歳でした。四十歳の男性が十七歳の娘をお母様として迎えることにしたのです。しかし、摂理史では仕方がないことです。そのようなお母様を迎えて成し遂げてきたのです。ですから、約婚する時、お母様に「私はこのように行かなければならない」とすべて話しました。プログラムどおりに行くので、お父様を尊敬するのです。
このように攻撃されるときにはこのように越えなければならず、ここから攻撃されるときにはこのように越えなければならない、と教えてあげたのです。その道のとおりに行くので尊敬するのです。その道が困難であっても越えなければならず、行かなければなりません。
14 私(お母様)は、聖婚式の一ヵ月前に、お父様が夢に現れ、天から特別な啓示を受けました。「その日が近づいたので準備しなさい」と、啓示が下りたのです。その時は、いわば天が求婚したというより、天の訓令が下されたのです。訓令があった時、私は完全に自我を離れた立場にいました。私はその時、天の摂理でなければ、そのような大きなことを判断できる能力がなかったので、無我の境地になる以外になかったのです。
そして、祈らざるを得ませんでした。「今まで私は、み意のままに生きてまいりました。今、神様のみ意が何だったとしても、神様の摂理の目的がどのようなものだったとしても、命じられるままに従います」と、私は啓示に対して答えました。それは、私が満十七歳の時の二月頃でした。私は、完全に無我の立場で準備していたので、当時の事情などを分析したいとは思いませんでした。神様のみ意のままに応じることを、ひたすら願っていました。
15 私(お母様)の母方の家に伝説のような物語があります。私の母方の祖母である趙元模の趙氏一族に、趙漢俊の弥勒についての記録があります。一九九一年に、お父様と北朝鮮に行ったとき、そのようなものがあるかと聞いてみました。するとまだその弥勒はあるということでした。
趙漢俊の弥勒についての伝説によると、天の王女を送ると約束し、国のための精誠を記憶し、忠誠の家門で私が生まれるようにしたというのです。その母方の祖母から大母様が誕生され、大母様を通して私が生まれました。再臨のメシヤを迎え、再臨のメシヤの相対を育て上げるための神様の環境創造が、その趙漢俊の弥勒から始まり、私にまで連結されたのです。皆さんがみ旨や天のみ前に精誠を尽くしたものは、必ず天が記憶してくださいます。ですから、私は、お父様に会った時にすべてが分かったのです。環境創造の中で誕生し、育ったので、私が果たすべき、私が成し遂げるべき使命が分かったというのです。
Saturday Jan 07, 2023
真の父母経 第17話
Saturday Jan 07, 2023
Saturday Jan 07, 2023
18 お父様は、個人的に霊的な世界で勝利しました。そのために、この地上で激しい嵐に襲われながらも、「死んではならない」と何千万回、決心したか分かりません。怨讐に出会う峠を越えていくたびに、「私は倒れてはいけない。私は死んではいけない。私が死んだらこのみ旨を誰が立てるのか。いくら苦労をしたとしても、四肢が切られ、不自由な体になって寝たきりで暮らすことになったとしても、私は死んではいけない」と、どれほど心の中で誓ったか分かりません。そのようにしながら、今まで困難な道を歩んできました。
基盤のない状態で、名が知られることを恐れるのです。基盤を固める前に、名が知られるのではないかと恐れました。そのような場合には、サタンの攻撃があるのが原則だからです。それで、死なずに四十歳の峠を越える日を待ち望みながら、歳月が早く過ぎていくことだけを黙って願っていました。アブラハムが復帰の基準を立てた以降の四千年の歴史を、「終わりの日」に四十数を立てて越えなければならないことを知って、四十の峠が早く過ぎていくことを指折り数えて待ったのです。また、それはお父様の宿願でした。天宙の前に一身を立て、死なずに責任を果たすために、身もだえしながら今まで歩んできたのです。
19 神様は、四千年を経てイエス様を送られました。イエス様は、長い歴史を経て来られた方です。生まれる時は、母親のおなかを通して十ヵ月で生まれたのですが、地上に来るために、四千年前から準備された方なのです。そのような歴史的な由来をもって生まれたので、その時までの四千年の歴史を蕩減できたのです。
イエス様は、四十歳の時にそのような歴史的な蕩減をすべきでしたが、ユダヤ民族の不信によってそれができなかったので、私たちが七年路程において蕩減しなければなりません。皆さんは、「四十数復帰」ということを学んだはずです。イエス様が四十歳の峠を越えられなかったので、私たちには、四十代の峠を見つめていくべき路程が残っているのです。つまり、そのような蕩減路程が残っているので、再び来られる主も、七年の大患難に逢着せざるを得ません。そのような原理的根拠があるのです。
20 一九六〇年の四十の峠をいかにして越えるのでしょうか。原理が教えてくれる四十の峠を、どのように越えなければならないのでしょうか。イエス様は、三十三歳で亡くなったので、その後の四十の峠を迎える七年を越えることができませんでした。それで、人間の世界に七年の大患難が残されているのです。ですから、この峠をいかにして越えるかというのです。
この峠を越えるためには、ヤコブが経てきた復帰路程と、数多くの先祖たちの絡み合った蕩減路程を遡らなければなりません。その道には、友もなく、同僚もいませんでした。「従います」と言った人たちは、行く道の前に重荷になり、とげを刺し、荒れ地をつくったのであって、そこで助けになった人は(一人も)いませんでした。
21 お父様一代から見ると、四十歳までは個人の勝利基準を中心として、初めて横的な基盤へと越えていく時でした。今まで復帰歴史の目的は、アダム一人を立てることだったので、一九六〇年代は、アダムを中心として勝利するための基盤を築く時でした。その勝利は、イエス様が失敗した国家基準での勝利です。
ですから、一九六〇年代の統一教会は、イエス様が失敗せざるを得なかった運命圏を、お父様の満四十歳を基準として、実体的に蕩減して越えなければなりませんでした。そのような過程にあった統一教会は、一九六〇年代に激しい迫害を受けました。お父様に勇気がなく、神様のみ前に人間として善悪を分別するという、決定的な宣誓ができていなければ、歴史は遅延していたでしょう。
22 父母様の聖婚式は、地上において記念するに値する天宙的な大事件でした。世界的基準で縦的蕩減条件を、横的にこの地上で解決する実体として、霊肉共に勝利の基準を立てたのです。お父様は、聖婚式の前にイエス様の三弟子、反逆したその弟子を復帰しなければならない立場にいました。
聖婚式の目的は、アダム家庭を蕩減する条件を立てることです。人間の父母であるアダムとエバは、夫婦関係において堕落しました。堕落が夫婦を通して起きたので、復帰は一人ではできません。男性一人では復帰されません。女性一人でも天国に行けません。したがって、二人で解決していかなければならないのです。堕落したアダムとエバの立場を復帰して、真の父母の基準を地上で立てなければならないというのです。三弟子の約婚という問題を中心として、解決しなければなりません。
23 復帰は、アダム家庭の復帰を目標として行うのです。アダム家庭が失敗したので、そのみ旨がノア家庭に移されました。神様は、ノア家庭を中心として、世界のすべての人々を洪水審判で滅ぼし、サタン侵入の条件を越えた家庭を立てて、摂理の基盤を地上に構築しておこうとされました。それがアブラハム、イサク、ヤコブ、モーセに移され、イエス様につながって、私たちの時代まで来たのですから、そのすべてのものを蕩減しなければなりません。
アダム家庭を基準にして蕩減しなければならないのです。アダムが失ってしまった三人の信仰の子女を復帰しなければ、真の父母の立場に立つことができません。それで、イエス様には、三人の弟子が絶対に必要なのです。その三人は、アダムとエバにとって、三天使長を象徴します。三天使長が一つになって、アダムとエバに服従しませんでした。侍らなかったのです。その結果、堕落世界になったので、完成した父母の境地に立つためには、三天使長格である三弟子がいなければなりません。再臨主も、完全に服従する三人の信仰の子女をもたなければ、真の父母の立場に立つことができないというのが公式になっています。
自分の生死の境地を乗り越えて、迫害のまっただ中でも従っていき、孝の道を行くことができる三人の弟子をもたなければなりません。お父様は、そのような三弟子を一九六〇年四月に探して立てました。復帰路程というのは、逆に探し求めて上がっていくものなので、祝福は子女の立場に立っている人が先に受けるのです。家庭圏はヤコブ家庭なので、十二数の基準を基盤にしなければなりません。三人の弟子、三人の子女を中心として、それと同じ基準を通過しなければならないのです。
24 父母様は、一九六〇年に聖婚式をしたあとに聖塩を作りました。真の父母様は、堕落した世界の物に相対できないからです。そのような物に、神様の息子、完成した父母は相対できないのです。そのため、すべて燃やしてしまわなければなりません。燃やす条件として聖塩を採択したので、これを振りかけることによって、サタン世界を清算してしまい、天の側が取り得る条件的、方便的な物として使用できるようになるのです。天の国が設定されれば、この世の国のすべての骨董品、この世の国のあらゆる物は、そのまま使うことはできません。
第二節 真の父母様の聖婚式
聖婚と真のお母様
イエス様は、アダムとエバの堕落によって始まった歴史を終結し、神様の創造理想世界を復帰するために、この地に来られたが、ユダヤ民族とユダヤ教徒の不信によって、このみ旨を成就することができず、再臨の約束を残されたまま、霊界に行かれた。真のお父様は、イエス様のあとを継ぎ、一九四五年八月十五日、韓国の地で、光復とともにメシヤとしての公式路程を出発された。
しかし、メシヤとキリスト教徒が一つになるための最初の摂理路程が、彼らの不信により失敗することによって、キリスト教に代わる新しい摂理団体の基盤を築くため、三大祝福の条件復帰のための蕩減路程と受難路程を歩まれるようになったのである。
そうして、一九五四年五月一日、ソウルで「世界基督教統一神霊協会」を創立し、その時から、新約時代の全体を蕩減復帰する七年路程を歩み、聖誕から四十年の蕩減路程を勝利することによってサタン分立路程を立て、ついに一九六〇年四月十一日、真のお母様と共に、神様から最初の真の父母として、栄光の聖婚式を行われるようになったのである。
1 二千年前に使命を果たすことができず、十字架で亡くなられたイエス様の願いを、二千年過ぎた今、私たちが果たさなければなりません。第一次でユダヤ民族を中心として成し遂げようとしてできなかったので、今、私たちが第二次としてキリスト教の世界的な版図を中心として、父と母の出会いを実現してさしあげなければなりません。このような基点をつくらなければ、神様の真の直系の息子、娘になれません。ですから、このような基準を連結させて合わせようとするのが再臨理想です。
再臨理想においてもまた、真の家庭があってこそ天道が出発するのであり、これがあってこそ真の愛と真の幸福が出発するのです。
2 故障したものは、元の状態に修理しなければなりません。世界も新しい世界、国も新しい国、民族も新しい民族、人も新しい人、息子も新しい息子、娘も新しい娘になることを願います。ですから、新しい息子であるイエス様が来られたので、新しい娘もいなければなりません。
ところが、新しい娘を探している途中で、イエス様は亡くなりました。宇宙の希望である一人の母を探して立てるためのイエス様の路程には、苦難も多く、迫害も多かったのです。あの村からこの村に、あの野からこの野に追われ、逃げて歩きながら迫害を受けた哀れなイエス様でした。ダビデの系統であるヨセフの家庭を中心として、み旨を立てようとしたイエス様が、家庭でみ旨を立てることができなくなることによって、家を出て三年の公生涯の道を歩んだのです。
Saturday Jan 07, 2023
真の父母経 第16話
Saturday Jan 07, 2023
Saturday Jan 07, 2023
10 天地ができて以来、人間が初めて神様のみ前に孝子、孝女となって、新郎、新婦として登場する日、神様が「地上の様々な逆境の中で、天の心情を求め、天の父母を訪ねてくるのに、どれほど苦労したか」と語られ、無形の神様の代わりに、実体をもつ真の父母として祝福してくださる祝宴が「小羊の婚宴」です。真の新婦の約束と理念を備えた基準と、真の孝子、真の孝女の基準の上に立てて、式を挙げるのが「小羊の婚宴」です。この祝福を受けたその日から真の父母になります。無形の神様を身代わりした有形の実体をもつ、人類の真の父母になるのです。
人間は本来、堕落していなければ、善なる世界で立派に育ち、神様の愛の祝福を受けて、神様の心情に通じる子女になることができました。ですから、神様が「あなたたちは私の心情を受け継ぐことができる孝子、孝女だ」と言える心情関係を完結しなければなりません。心情が通じなければ孝子、孝女になれないのです。神様がどのような路程を歩んできたかを知らなければなりません。そうして創造理念の前に掲げられる、本然のアダムとエバの形態を整えなければならないのです。「小羊の婚宴」は、正にその形態を整える式です。
11 「小羊の婚宴」の日は、六千年前に失った真の父母を迎えて祝宴を開く日です。本来、堕落していない人間は、子女の立場から父母が開く祝宴を見ることはできません。父母があとから来たので逆になったのです。真の父母を迎え、真の子女を生み、新しい世界を建設しなければならないのですが、堕落した人間が繁殖したので、逆になったのです。皆さんの願いは、真の父母に会うことです。
逆になったものを、反対に再び探していかなければなりません。これが蕩減復帰です。したがって、逆に生まれた人間は、すべて反対に行かなければなりません。世の中が願うこととは異なる、反対の道を行かなければならないのです。
12 イエス様は、新婦を探すことが一代で果たすべき目的であったにもかかわらず、この使命を成し遂げることができませんでした。そうして、御自身は新郎であり、信徒は新婦であるいう遺言を残されたのです。ですから、神様は、第二イスラエル圏内にある世界で、国を問わず最もよく信じる信徒たちを中心に、特等新婦を求めていらっしゃるのです。その新婦を求めてきたのが、イエス様以後の二千年歴史です。新婦を探し出すことによって、真の先祖が現れ、真の先祖が現れることによって、真の父母が現れるのです。
本来、エデンの園で真の先祖である真の父母が現れなければならなかったのですが、人間の堕落により、六千年が過ぎた今になって、初めて神様は再臨時代を中心として、真の先祖を探し出したのです。言い換えれば、サタン世界の前に勝利した一人の男性が現れ、一人のエバを再創造した基準において神様の祝福を受け、聖婚式を行うことによって、初めて、六千年前に人類の真の先祖が立てられるべきだった基準を復帰したのです。数多くの堕落の子女が繁殖した六千年を経て、ようやく反対に、真の父母が現れたのです。
真の父母の聖婚式は救援摂理史の転換点
一九六〇年四月十一日に挙行された真の父母様の聖婚式は、蕩減復帰歴史において、長成期完成級の蕩減の峠を越える歴史的な瞬間であった。真の父母様の聖婚式は、世界的で天宙史的な事件である。長い長い摂理史の基盤の上に、完成したアダムとして来られた真のお父様は、地上での摂理基盤を築いたのち、エバである真のお母様を迎えられた。天の代身である真のお父様と、地の代身である真のお母様が一つになり、分かれていた天と地が初めて連結されるようになった。アダムとエバが堕落して互いに怨讐となり、神様と断切させていた塀が崩れるようになる救援摂理史の歴史的転換点を迎えたのである。
13 「歴史は、一九六〇年代から大変遷時代に入った」と歴史家たちは言います。「統一原理」を中心として言えば、「一九六〇年代に、神様の名を中心として地上のすべての困難をかき分け、キリスト教文化圏がすべて失敗し、その基地となる韓国が反対する環境にもかかわらず、初めてこの地上で神様と真の父母の名を中心として聖婚式をしたところから、歴史は新しい方向に変わるようになった」と言うことができます。変化するその歴史の環境が死亡世界へと次第に落ちていき、人類が分裂して破綻の世界へと向かうように思えますが、変化する歴史時代は、次第に互いに異なる地域的環境を越えて、世界へと進む時代に急変していくというのです。
神様と共に、父母様の血族を中心として横的に拡大すべき摂理時代を迎え、思想の混乱が起き、伝統の混乱が起きます。揺さぶるのです。キリスト教もすべて揺さぶるのです。それゆえ、解放されてから十四年がたつまで、韓国のキリスト教を見ると、再建教会も、神社参拝をした教会も、同様でした。
そこから、韓国を中心として、世界に向かって跳躍できる神様の摂理の道が開き始めるのです。その始発点が、正に一九六〇年四月の聖婚式でした。この聖婚式をして、「父母の日」が設定されることによって、人類歴史において偽りの父母から受け継いだ、汚れた愛と生命と血統を初めて清算し、神様を中心とした本然の新しい愛と生命と血統の関係が、この地上に根を下ろし始めたというのです。この世界は今まで、堕落した天使長の血統を引き継いできましたが、一九六〇年に父母様が現れたその日からは、本然のアダムとエバの血統が、神様の愛を中心として根を下ろし始めたのです。
14 復帰摂理における絶頂であり頂点は、一九六〇年でした。その時、お父様は、国家と国民、すべての教会、そして、すべての人たちから迫害を受けたのです。その当時、死ぬか生きるかを決定しなければならない、切迫した立場でした。統一教会が生き残るか滅びるかの瀬戸際にありました。その困難を切り抜けて聖婚式を挙行したのです。
その時点から新たな歴史が出発しました。その時が歴史の転換点だったのです。多くの歴史家たちも、「一九六〇年は歴史の転換点だった」と言っています。その時からすべての問題が解決し始めたのです。
15 父母様が聖婚した一九六〇年四月十一日、その日は外的に見ると平凡な日であって、特別に変わったことはありません。しかし、その日、聖婚式をしたことが、他の日とは全く違うというのです。
聖婚式をしたので、今や歴史は、一人の人によって左右されるようになりました。その一人の人が現れるまでの時間が、民族的で世界的な関係をもったものだったのか、また、その期間が歴史的な関係を経て、時代的な関係を経て、未来の関係を経ていける基盤になっているのか、現れたものは簡単に見えますが、それが全体を集約させた代表的な核になる時、歴史はその日を研究するようになるのです。
16 人類の先祖であるアダムが、長成期完成級でエバの言葉に従うことによって主管権を失ったので、これを蕩減復帰するために、イエス様は、神様の愛と一致する完全な人格を備え、創造目的を完成する人間としてやって来て、そこに一致する人の女性を探さなければなりません。アダムを通してエバを創造したように、再創造の順序を経て、エバ、すなわち新婦を立て、新しい家庭を成立させて初めて、完成世界に向かって上がっていけるのです。
その時が正に堕落した時代の「終わりの日」であり、新しい時代が出発する時なのです。その時が一九六〇年でした。今日この地球上に、真の父母を中心とした関係が現れたことは、天宙史的な出来事にほかなりません。
17 神様の目的と創造の偉業は、アダムとエバが祝福を受けることによって、すなわち聖婚式をすることによって成し遂げられます。このようなことを成し遂げるために役事してくる復帰過程を考えてみるとき、人類の先祖が堕落したのは長成期完成級なので、今日の人類は、これを再び尋ね求めて上がっていかなければなりません。蘇生期は僕の時代に該当し、長成期は養子の時代、完成期は嫡子の時代に該当します。したがって、僕の時代である旧約時代を経て、イエス様の福音がこの地上に現れることによって、歴史は養子の時代圏に越えていくようになったのです。
人類始祖が養子圏である長成期完成級で堕落したので、その息子の外的な形態と関係を整えて再びつくり直し、長成期完成級の位置まで上げておいて、初めて実子圏を相続できるのです。すなわち、人類始祖が長成期完成級から落ちたため、この長成期完成級に行ってこそ、復帰することができるというのです。しかし、堕落は家庭で起きたので、復帰するときにおいても、この家庭の形態を備えなければ、その基準に上がっていくことができません。それで、統一教会では、父母様を中心として、一九六〇年にその基準を越えたのです。
Friday Jan 06, 2023
真の父母経 第9話
Friday Jan 06, 2023
Friday Jan 06, 2023
第三節 真の父母は復帰摂理の完成者
真の父母は再臨主、救世主、メシヤの使命完成者
堕落した人類の前に顕現された真の父母は、真の愛なる神様の実体である。真の父母は、神様の救援摂理を展開する再臨役事の主人であり、人類を偽りの愛と悪なる血統から真の愛、真の生命、真の血統に転換し、宗教を一つに統一する救世主、メシヤの使命をもっている。真の父母を中心とした家庭の伝統を受け継ぎ、新しい文化を創造する本然の世界では、神様と一つになって完全なる愛の授受作用を行うようになるので、救世主が必要なく、原罪がない立場であるがゆえに、父母、夫婦、子女、家庭全体が、神様と共に永遠に暮らすことができるのである。それが、神様が摂理してこられる歴史の最終目的である。そのようになれば、初めて神様の復帰摂理の目的と人類が願う理想世界が成し遂げられるのである。
1 神様の復帰摂理は、神様が地上に定着するためのものです。地上で完成基盤を失ってしまったので、再び復帰して完成しなければならない責任が神様にあるのです。その目標に向かって、これまで復帰摂理をしてきたのです。神様が完成した夫と妻を立てることが、メシヤを送られた目的です。
旧約と新約の最終摂理の目的は同じです。新約時代は、旧約時代の完成圏を形成しなければなりません。成約時代は、新約時代の完成圏を越えなければなりません。そのため、完成した成約時代の中には、新約完成圏と旧約完成圏がすべて入っています。イエス様は、旧約時代を完成するために来ました。イエス様の中に旧約時代がすべて入って完成することによって、一つになるのです。それが新約時代です。イエス様を中心にそのことを成し遂げようとしたのですが、できなかったので、再臨時代に延長されたのです。
ですから、再臨時代である成約時代には、旧約時代の完成と新約時代の完成が成し遂げられなければなりません。すべてのことが、再臨主によって収拾されます。この再臨主によって、旧約時代圏と新約時代圏、歴史的なすべてのことが収拾され得る出発が実現されるのです。
2 アダムとエバが堕落することによって、怨讐の愛と、生命と、血統を受け継いで、神様のすべてのものを破壊しました。イエス様の時代に、国家的な基準において霊界と肉界が統一されていれば、第二イスラエルの国は必要ありません。イエス様は、ローマまで一つにし、イスラエルの国と天地、霊界と肉界を統一しなければなりませんでした。それができなかったので、お父様が一時代、高い次元に延長させて二千年を合わせ、アダム家庭での失敗、イエス様家庭での失敗をはじめ、塞がったすべての塀を崩さなければなりません。霊界と肉界、霊界の楽園と地獄の塞がった塀を崩してしまわなければなりません。
そのために神様は、「文鮮明は救世主である!再臨主である!メシヤである!真の父母である!」と宣布するのです。「真の父母」と言えば、「救世主、メシヤ、再臨主」と言う必要はありません。真の父母と一体化したものと見ればよいのです。
3 真の父母は、救世主です。世の中を救ってあげなければなりません。偽りの父母が偽りの愛によって世の中を生み出したので、世の中を救うには、真の父母の真の愛によって救わなければなりません。
宗教を一つにする人がメシヤです。宗教を統一させ、真の愛を中心として、家庭定着を目指すのです。世の中も家庭定着を目指し、平和を目指します。宗教も平和統一を目指すのです。その次に、第一イスラエルであるユダヤの国と第二イスラエル圏も、その国を中心として家庭の失敗、国家の失敗、世界の失敗、このすべてのことを取り戻すために、第一アダム、第二アダムを経て、第三アダムを中心として進んでいくのです。そうして、天上世界と地上世界の失ってしまったすべてのものを初めて取り戻し、その上に立っている方が真の父母です。
真の父母は、世の中の救世主の王です。真の父母はメシヤの王です。真の父母は、旧約時代、新約時代、成約時代の王です。真の父母は、見えない神様を身代わりする実体です。真の父母は、神様のために生まれたというのです。自分のためではありません。神様も、真の父母のために存在します。真の父母も神様も、真の愛によって一つになるのです。
4 メシヤ、救世主がこの地に来て、空腹から解放してあげることも必要であり、また、その国が受難の中にいれば、そこから解放してあげることも必要です。しかし、それよりも先に、救世主が来て何を解放すべきかというのです。
第一に、愛を解放してあげなければなりません。救世主は、愛を中心とした解放者です。その次には、生命の解放者です。その次には、血統の解放者です。血統が変わったので問題なのです。血統が同じだというときは兄弟圏に入っていくのですが、血統的に変わったのです。言い換えれば、私たちが生まれるときに、根本である血統を中心として解放してあげることが、(メシヤがもつ使命の)骨子だというのです。
5 人間は、堕落していなければ、神様が分かるようになっています。心で分かるのです。世の中が何と言おうと、自分がどこに行くべきかが、自然に分かるというのです。体は自然に心と一つになるようになっているのであって、心と体が闘うようにはなっていません。堕落したので、角度が合わないのです。
この角度を合わせようとするので、宗教世界では必ず体を打ちなさいというのです。そのため、断食をし、奉仕をし、犠牲となって、血を流さなければなりません。悲惨で哀れな状況に直面しなければ、本然の位置に行くことができません。そのようにして、角度を個人的に合わせなければならず、家庭的にも合わせなければならず、氏族的にも合わせなければならず、国家的にも合わせなければならず、世界的にも合わせなければなりません。そのようにするために、真の愛を中心として、世界的に角度を合わせるモデルとして来られる方がメシヤです。
6 お父様が再臨主であり、メシヤであり、真の父母であることを、人々は、そのままでは信じません。再臨主であるなら、再臨主となり得る実績と実権がなければならないのです。サタン世界に勝ち、彼らが公に認める証拠をもった上で立たなければ、メシヤの自覚性(自分の立場や能力、本分などを自ら悟る稟性)や真の父母の自覚性を見いだすことはできません。
ですから、数多くの苦労と困難を経て、地上世界や天上世界で、真の父母、救世主として侍ることができる基盤の上に立ってこそ、メシヤや真の父母の自覚性が天地を越える基準まで進むのです。それができなければいけません。ですから、お父様一代で数多くのことをしました。どの国にもできないこと、どの個人も夢にも見ることができないことを、すべて成し遂げてきたというのです。
7 メシヤとして召命された責任とその観をめぐって、「私がメシヤだ」ということを、お父様が自分の思いで決めてはいけません。環境的に見て、「メシヤなのだな。行かざるを得ない」という自覚が先立たなければなりません。
堕落は、エデンの園のアダムとエバが自分自体を自覚することから起きたのです。復帰も同じです。その基準は、言葉だけではありません。神様が祝福するからといって、立てられるものではありません。祝福したならば、祝福したとおりに実践し、それに間違いがなければ、同居し、同位圏に立って相続することができます。同参(一緒に参加すること)、同位、同居することによって相続するのです。「間違いなく真の父母であり、間違いなくメシヤである」と思わなければなりません。夜に光る灯台と同じです。
灯台は間違いなく、夜に光を照らしてくれます。ですから、メシヤは、世の中がどんなに暗くても、暗い世の中に明るい光を放たなければなりません。
8 万物は、神様のものです。万物の主人が神様なのです。ところが、今に至るまでサタンが主人の振る舞いをしています。愛には、同位権、同参権が存在し、祝福と相続が関わっているので、自動的にサタン圏に移っていくのです。神様のみ座に座ったまま、その周囲まで侵入して主管しています。それが解放される道はありませんでした。今まで何千年の歴史を経てくる間、解放される道がなかったのです。そうして、創造以来、本来の家庭理想基準を復帰するために、今まで苦労してきました。
お父様が生まれて、初めてその前後左右のすべてを整理し、サタン圏から防備するための対策と公式を立ててきたのです。ですから、サタンは後退せざるを得ないというのです。そこに異議を唱えれば、引っ掛かってしまいます。真の父母は、そのようなことをすべて勝利しました。個人的な勝利圏家庭的な勝利圏をすべて立てたというのです。