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Thursday Jan 05, 2023
真の父母経 第8話
Thursday Jan 05, 2023
Thursday Jan 05, 2023
37 キリスト教では聖霊について語ってきましたが、聖霊とは正に、母なる神です。後のエバです。人類の母であるエバが堕落したので、神様は、後のエバとして、母なる神である聖霊を送られたのです。穴が開いたならば、開いたその穴を埋めなければならず、失ってしまったものがあれば、失った所に行って探さなければならないように、エバによってこの地上の人間がすべて死亡世界に入ったので、聖霊が来て、再び産みの苦しみを経ていくのです。
聖書を見ると、「女が慎み深く、信仰と愛と清さとを持ち続けるなら、子を産むことによって救われるであろう」(テモテI2・15)とあります。これは、今日、地に住んでいる婦人たちに対して語った言葉ではなく、エバに対して語った言葉です。
エバが堕落せずに人類の真の先祖になっていたならば、この地上に善なる息子、娘を生んだはずですが、堕落してサタンの子女を生んだので、エバが再び生まなければ、人間は救いを得られないということです。ですから、聖霊がこの使命を背負い、今日、人類を抱えて産みの苦しみを経ているのです。その出産がすべて終わってこそ、エバが救われ、聖霊の使命が終わるのです。
38 人間が堕落することによって、霊と肉が断絶したので、霊と肉が一致した立場に立たなければなりません。イエス様は、この地に来て、聖霊を立てましたが、それだけではいけないのです。イエス様は、再臨の約束を残して逝ったので、その約束を果たすために、再び来なければなりません。その再臨の理想とは、エデンの園で失ってしまった実体の母を探すことです。
イエス様の願いの成就は、霊肉が合わさり得る一つの理念世界において可能となります。そのようになってこそ、霊肉を備えた父母が天地間に現れるのです。
39 神様の復帰摂理を中心として、女性たちが世界を動かし得る一時代が来たというのは、この地上に女性を代表し得る一人の聖霊の実体、この地上に復帰し得るエバが現れる時になったことを例証しています。そのような方になるためには、真の妻となり、真の母にならなければなりません。その資格をもつ人になったのちには、真の女王にならなければなりません。この三つの素性をもたなければならないのです。そのような行いに、責任をもって余りある人格をもった女性にならなければなりません。
神様は、天の国の真の母になることができ、真の妻になることができ、真の王妃になって余りある女性を求めるのです。神様のそのような召命を受けるときは、勇敢無双(他に類を見ないほど勇敢なこと)にサタン世界を退けて進んでいける女性でなければなりません。
40 母を復帰する路程が、どれほど熾烈だったかを知らなければなりません。アダム一人を取り戻すために、数多くの闘争をしながら、血を流す曲折を経てきたのがこれまでの歴史でした。それと同様に、母を取り戻してくるときにも、どれほど犠牲的代価を払ったか分かりません。母の基準を引き継いでいくために、数千年前に啓示を受けて準備した人から代を引き継いで、この時代を迎えたのです。
ろうそくの火を受け継いでいくのと同じです。聖火を中心として消えないようにしながら、地上の「終わりの日」までつないできたのです。どれほど多くの犠牲的代価を払ったか分かりません。
41 聖霊は、霊的な母のことを意味します。イエス様と聖霊が一つになり、霊的な子女を繁殖させ、世界的な基盤を築いたのがキリスト教です。そのように、霊的にのみ世界的救援摂理の基盤を築いてきたので、このキリスト教の基盤を中心としては、霊肉を中心とした神様のみ旨を実現することはできません。ですから、イエス様が再臨しなければならないというのは、必然的な帰結です。肉的世界が未完成でとどまっているからです。
霊的キリスト教世界の基盤を、肉的世界基盤まで連結させなければ、霊肉を中心として、神様の新しい世界的歴史に越えていくことはできません。
42 イエス様は、アダム家庭で失敗したことを、国家的に復帰しようとしました。しかし、イスラエル民族がイエス様の命を奪ったため、国家的カイン、アベルが現れ、それが世界にまで連結されたのです。イエス様は、国家基準を越えられなかったので、恨を抱いて逝きました。
そうして、イエス様は、国なき霊的開発の哨所(先鋒の施設)として現れるようになりました。母なる神である聖霊は、体がありません。ですから、油のような聖霊、水のような聖霊、風のような聖霊として、すべての人々に感動を与え、体をまとうことができる新婦創造の役事をしてきたのです。
そうして、お父様の時代になって、世界的基準でお母様を立てました。それにより、地上で実体圏解放まで成し遂げられたのです
43 お母様は、母方の祖母と大母様、お母様自身まで、三代を経なければなりません。そのようにしなければ、母の位置に立てないのです。母方の祖母は聖主教、大母様は腹中教を経てきました。そして、大母様は、実体の主に侍ろうと、故郷の地を離れ、茫々たる荒野で独り暮らしをしながら、お母様を育てたのです。
44 お父様は、いい加減に結婚することはできません。三代のエバの役事を経た娘を新婦として迎えなければならないのです。お母様は、そのような役事を経てきました。聖主教、腹中教の代を継いできて、一次エバ(趙元模)、二次エバ(大母様)の祝福を受けてきたのです。大母様を通してそのような役事をしてきたのです。
蕩減復帰の原則に従ってそのような過程を経ることにより、来られる主を勝利の版図に立てるべき責任があるのです。イエス様が結婚できなかったのも、このような蕩減復帰の原則に合わなかったからです。
45 真の父母は、カインとアベルが一つになった基盤の上に現れます。真の父母が現れる時になったので、母である聖霊と父であるイエス様が、初めて霊界からこの地上に訪ねてきて、真の父と真の母の実体と共に、祝福を成し遂げるのです。そうして、一九六〇年に家庭出発をすることによって、血統を接ぎ木して祝福家庭をつくるようになり、霊界の解放圏と地上の解放圏を連結させて、サタンまで屈服させたのです。
46 今や、真の父母が地上に現れたので、イエス様はお父様と一つになり、聖霊はお母様と一つになるのです。イエス様の母親であるマリヤと、洗礼ヨハネの母親であるエリサベツが協力できずに、イエス様が亡くなりました。本来、イスラエルの国とユダヤ教の人々全体がイエス様の前に一つとなって、イエス様の新婦を準備しなければなりません。そうして、人類を再び生まなければならないのです。
そのように、世界的な舞台においてイエス時代に横的にできなかったことを、この時代に蕩減しなければなりません。お母様を通して上がっていかなければなりません。それが平面的に広がることによって、全世界的にお母様を宣布するようになるのです。世界人類は、お母様のおなかの中に再び入り、お父様と一つにならなければなりません。
47 家庭には、母と子女がいます。家庭において男性(夫)は、天使長の位置にいます。そのため、まずアダムの位置にいるお父様を中心として、一つにならなければなりません。そして、真の母の分身として、世界のすべての女性は、父と一つにならなければなりません。そうして、本来の父の息子、娘だったという条件を掲げ、再び生まれて復帰されるのです。お父様の息子、娘として再び生まれたという立場に立たなければなりません。
アダムとエバが結婚する前、アダムの骨髄に赤ん坊の種として存在していた、その場にまで入っていかなければならないというのです。それを、真の愛によって連結させるのです。発電所の電気が、出ていっては(巡り巡って)戻ってくる作用をするように、連結されなければなりません。そうして、真の愛によって重生しなければならないというのです。お母様は、聖霊の実体と同じです。
48 お母様は、世界を代表した女性として、息子、娘を抱きかかえています。お母様に従う女性たちは、お母様の分身になります。お母様を、自分の夫以上に愛さなければなりません。お母様は聖霊です。聖霊に背いては、赦しを受けられないのです。再び生まれる道がありません。赦そうとしても、その根拠がないのです。お母様は、生命を復活させる方です。再び生んで祝福するのです。
Wednesday Jan 04, 2023
真の父母経 第15話
Wednesday Jan 04, 2023
Wednesday Jan 04, 2023
第二章 真の父母様の聖婚と真の父母時代
第一節 真の父母様の聖婚と「小羊の婚宴」
聖婚式と「小羊の婚宴」
ヨハネの黙示録第十九章に預言された「小羊の婚宴」は、真の父母様の聖婚式によって実現された。創世記で失われたアダムとエバを、ヨハネの黙示録で取り戻して一致させるのである。御夫妻の聖婚式は、人類歴史の終末時代に、第三アダムとして来た再臨のメシヤが、その配偶者であり第三エバである聖霊の実体を新婦として迎え、神様が真なる人類始祖の夫婦として祝福してくださる式であった。誤って生まれた人類は、生まれ変わらなければならないため、真の父母が必要である。
アダムとエバが成長期間の長成期完成級で堕落して偽りの父母に転落し、またイエス様までもイスラエル選民から不信され、十字架を背負われるようになったことを蕩減復帰した位置で、真の父母様の聖婚式が挙行されたのである。
1 本来、人間始祖は、善なる父母として出発しなければなりませんでしたが、悪なる父母として出発したため、人間は、すべて悪なる父母の血統を受け継いで生まれました。神様の愛を「私」への愛としてそっくりそのまま受け、神様の懐に抱かれて、神様の直系の愛を通した血族として残された息子、娘にならなければならないのですが、そのようになれなかったというのです。ですから、その本来の立場に帰らなければなりません。これが正に、新郎と新婦を迎える「小羊の婚宴」です。
主がこの地上に新郎として来て、一人の新婦を探し、一つの基準の上に接ぎ木しなければならないというのです。それがキリスト教の主張する内容です。その基準を設定し、確固たる目的を立てた宗教が、キリスト教です。ですから、今日、民主世界がキリスト教文化圏において発展するのです。真の父母を迎えようとすれば、そのように発展しなければなりません。
今まで宗教は、一人の真の息子をつくるために努力してきました。神様は、一人の真の息子を探し出すために、今まで苦労されたというのです。ですから、世界宗教の教主たちの中には、女性がいないのです。(041-028;1971-12-12))
2 数多くの宗教の経書の中で聖書が偉大なのは、神様が人類の親であると掲げてきたからです。これがキリスト教思想の源泉です。その次に、イエス様は「ひとり子である」と言いました。ひとり子は、父なる神様の愛を初めて受けることができる息子です。その次に、キリスト教思想は新婦思想です。イエス様はそのようなひとり子なのですが、新郎として来たのです。そのため、新婦が必要です。ひとり子がいるので、ひとり娘が必要だというのです。
新郎と新婦は、男性と女性です。新郎新婦の宴の日とは、神様が初めて愛の旗を掲げて現れる日です。そのような婚宴の席が、エデンの園から願われてきたのです。これが台無しになったので、人類世界の終末において、この婚宴の席を再び回復しなければならないというのです。(135-125; 1985-10-04)
3 イエス様は、「私は神様の息子だ」と言いました。そして、「神様は私の父だ」と言いました。その次に、「私はひとり子だ」と言いました。ひとり子は、初愛を受けることができる王子です。神様の息子の中でも、初愛を受けることができるひとり子だというのです。初愛を独占できる息子なのです。その次に、ひとり娘がいなければなりません。新郎はひとり子であり、新婦はひとり娘です。結婚式をしなければなりません。それが「小羊の婚宴」です。主がこの地上に来て婚宴をするのです。
「小羊の婚宴」をするようになれば、家庭をつくるようになります。神様が願うものが家庭です。神様が願うのは、人類を神様の愛を中心としてひとり子とひとり娘とし、神様が本当に愛し得る家庭をつくることなのです。(160-272; 1969-05-17)
4 聖書を見ると、「終わりの日」には、メシヤが来て「小羊の婚宴」をするという内容が書かれています。「小羊の婚宴」とは、神様の血統関係を中心として夫婦になることです。そのようにして、人類の真の父母が現れたとすれば、サタンは存在できません。血縁的関係を中心として、その血統を結んでくれるのが、父と母、男性と女性、性相と形状の実体です。
神様の愛を動機として生命を動かし、愛と生命と血統が一つになって渦巻くのです。その中で女性と男性の主人が入れ替わり、二人が一つになって共に「主人だ」と言えるところから、生命の種、子孫が連結されるのです。それが創造理想です。ところが、そのようなものがすべて壊れてしまいました。それを取り戻すためには、代わりに万物を取り戻し、人間を取り戻し、父母を取り戻さなければなりません。これが救援摂理の骨子です。(325-131; 2000-06-30)
5 再臨主が来られて婚宴をすると言われています。婚宴、つまり「小羊の婚宴」をするには、イエス様を中心として新婦がいなければなりません。その新婦が、堕落する前のアダムの前にいたエバです。イエス様は第二次のアダムであり、来られる再臨主は第三次のアダムです。ですから、第三次のアダムが、堕落する前のアダムとして来て、堕落する前のエバを探し出し、「小羊の婚宴」をしなければならないのです。
結婚することによって人類の父母になるべきアダムとエバが、堕落したことによって悪なる父母になりました。それで、私たちが堕落する前の善なる父母に出会うようになれば、復帰されるのです。ですから、人類には善なる父母がいなければなりません。「小羊の婚宴」をするのは、善なる父母として即位するためです。
6 人間は本来、堕落せず、時と環境を整えて神様の祝福を成就した真の先祖にならなければなりませんでした。ところが、それができずに堕落した先祖になったので、万民の前に堕落していない善の先祖が登場しなければなりません。その人は、天にいる霊人たちにとっても父であり、地に暮らす人たちにとっても父になれる方です。そのような方を、キリスト教では再臨のイエスといいます。
「小羊の婚宴」は、再臨のイエスが父として来られて、母を立てる祝宴です。キリスト教の真理とは、正にこのことなのです。キリスト教の中心はイエス様であり、イエス様の中心は愛です。聖書の中心も愛です。愛の中心は新郎と新婦であり、新郎と新婦の中心は「小羊の婚宴」です。この「小羊の婚宴」の中心的な意味は、本来、神様が許可した時と環境を整えて、天と地を相続できる真の人間先祖として祝福を受けることなのです。
7 神様は、失ってしまったアダムとエバの代わりの存在を求めています。聖書では、イエス様を後のアダムと言い、完成したアダムを生命の木と言っています。ですから、イエス様は、失ってしまった生命の木の代わりとして来られた方です。
しかし、イエス様は、使命を完結することができませんでした。神様と息子が喜ぶことができる一日をもつことができなかったので、再臨という言葉を残すようになったのです。神様がイエス様と共に喜ぶことができる一時、六千年の恨の心情を吐露し、神様と、あるいは今後来られる主と息子、娘の関係を結ぶ日が来るのです。神様のひとり子、イエス様がこの地上に来られて、もし亡くなっていなければ、イエス様がひとり子だと語ったので、神様は彼のためにひとり娘も送られたでしょう。
神様の二千年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です。イエス様は、真の息子の姿で現れましたが、真の娘の姿がないので、神様のみ旨を成し遂げることができませんでした。ですから、二千年のキリスト教の歴史は、娘を求めるための歴史です。聖霊は、神様の娘として来られました。神様を解怨するその日が、「小羊の婚宴」の日です。(004-303; 1959-10-11)
8 今まで宗教は、理想的な一人の男性と理想的な一人の女性を求めてきました。神様が「この人は、私がありったけの愛を注ぐ人だ」と言い得る、一人の男性と一人の女性を求めてきたのです。キリスト教でいう新郎と新婦とは、世界をすべて網羅して、神様の愛を受けることができるひとり子とひとり娘を探し出すことを意味します。完成した男性と女性がこの地上で出会い、婚宴を行ってこそ、新しい世界が開かれるのです。ですから、来られる再臨主は、新婦を探し出して「小羊の婚宴」をしなければなりません。(041-027; 1971-02-12)
9 人間が堕落していなければ、原罪のない息子、娘を生み、そのまま天国に行ける家庭をもっていたはずです。そこに立った父母は真の父母です。また、その家庭は、神様と一つになった家庭です。その息子、娘は、神様の家庭の子孫です。このようなみ旨を創世記で成就できなかったので、ヨハネの黙示録に至って、新郎と新婦の名を立てて成就しようというのです。
新郎は、完全な真の父として来られる方です。新婦は、神様が愛することのできる真の母として登場する方です。アダムとエバが堕落していなければ、神様を中心として結婚式をしたはずですが、堕落したことによって、サタンを中心として結婚式をしてしまったので、それを取り戻して神様を中心に初めて聖婚式を行うというのが、ヨハネの黙示録にある「小羊の婚宴」という言葉なのです。
Wednesday Jan 04, 2023
真の父母経 第7話
Wednesday Jan 04, 2023
Wednesday Jan 04, 2023
24 統一教会で言う真の父母も、やはり人です。人と言えば、男性と女性を意味します。その男性と女性(が誰かということ)は、神様を中心として論じなければなりません。アダムとエバが偽りの父母になったので、真の父母がそのアダムとエバを身代わりした位置に来て、善の父母にならなければなりません。言い換えれば、アダムとエバが未完成で偽りの先祖になったので、代わりに真の父母は、神様を中心として完成、成就できる位置に立たなければならないのです。
本来、神様が創造当時に、完成したアダム理想として見いだそうとしていたその位置が、真の父母の位置なので、その位置を再びはんだ付けして、その理想を主張している人がお父様です。統一教会では「真の父、真の母」と言いますが、外見を見れば、皆さんと異なるところがありません。しかし、根が違います。皆さんは、サタン世界の堕落した父母を通した堕落の根をもって生まれましたが、真の父母は根が違うというのです。神様を根として、初めて歴史上に真の愛の論理を中心とした統一論理をもって現れた、主人公だというのです
25 お父様が血統的にサタンの讒訴を受けるようなことがあっては、何にもなりません。皆さんを祝福する式は、イエス様が亡くなったのち、二千年の間苦労して再臨し、新郎新婦となった位置を引き継がせてあげる式です。その式は、統一教会の祝福家庭を立てる式です。皆さんが祝福を受ければ、天国に入る門は常に開かれています。サタンが讒訴できなくなってくるというのです。
26 堕落以降、すべての罪悪が全人類の体を征服しました。サタンの血統が連結されたのです。それを否定できる道が蕩減路程です。真の父母は、それをすべて清算しました。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的な段階で蕩減しました。真の父母によって真の血統に連結され、すべて終えたのです。皆さんは、小メシヤの位置にいます。
父母様は、サタン側の血統に属しているのではなく、神側の血統に属しています。根が違います。皆さんの根はサタン側であり、父母様の根は神側です。神様から始まる本然の真の愛を真の父母が相続し、それを皆さんに連結してあげるのです。皆さんも接ぎ木されたあとに、真の父母に属するようになるのです
27 お父様は、この地に来て、サタン世界を中心として、縦的八段階と横的八段階を勝利しました。アダムが罪を犯し、サタン圏内に入ったのです。罪さえなくなれば、本来の位置に帰ってくることができます。しかし、自分自身が原罪を清算することはできないのです。真の父母が、真の愛によって清算できるというのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様、八段階を中心として、すべて清算しました。
アダムが十六歳で堕落したので、十六歳になるまでは、本然のアダムの体です。(アダムは)天の国にある神様のあらゆるものを相続できる本然的な、堕落していない完成に向かう男性でした。このアダムが失敗したので、再臨主が来て、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙においてまで闘い、サタンを追い払いました。罪を清算したのです。原罪を抜き取ってしまったというのです。お父様は、アダムの十六歳から今までのアダム世界とは関係のない、勝利したアダムの位置で全人類を取り戻したのです。
28 私は、韓国の田舎のある農民の息子として生まれましたが、その根源が違います。人の中には、世の中に生まれながらにして(道理を)知っている人がいます。それを「生而知之(生まれながらにしてこれを知る)」と言います。また、学んで知る人がいます。それは「学而知之(学びてこれを知る)」と言います。
私は、生まれながらにして知っていたり、学んで知ったりしたのではありません。「天而知之(天によりてこれを知る)」だというのです。天のみ旨の中で生まれれば、知るようになるのです。神様の心まで分かるというのです。そのため、今まで世の中から反対を受けながらも、その世界で死なずに生き残ったのです。
29 皆さんが神様と一致すれば、神様はあらかじめ、創造的な準備をしてくださいます。皆さんがそのような立場に立つようになれば、霊界から教えてくれるというのです。
以前、私に一度も会ったことがないのに、私が生まれる前から私に侍ってきたという人がいました。私よりもずっと年配の人が、私が生まれる前から、既に私と出会い、侍ってきたのです。
それは、神様の予定によって、そのようになり得るのです。中心となる一人を世の中に送り出すときは、性相的にも形状的にも、同じ基準を中心として役事しなければなりません。ですから、神様は、私が生まれる前から、私の形状を使って役事されたのです。
30 お父様は、ある家門の息子として、この地に生まれたのではありません。私自身は、十歳を越えてから、既に世の中のあらゆることが分かりました。ですから、身内や隣近所で有名でした。その世界が分かるように、天が何千年も前から準備して生まれたというのです。私が生まれる前に、私に会った人が多くいるのです。私は地上には現れていなかったのですが、私よりも年配で、通じる人々は、既に私に指導を受けていたというのです。
再臨主として来られた真のお父様と聖霊の実体として来られた真のお母様
イエス様は、イスラエル民族の不信により、十字架にかかって亡くなられ、地上で真の父母の道を歩むことができなかった。その後、復活したイエス様は、霊的な新婦を探し出されたが、その方がすなわち聖霊である。イエス様は霊的な真の父、聖霊は霊的な真の母として、堕落した人類を霊的にのみ重生させる、限定的な救援摂理をされるようになった。霊肉ともの救援摂理を成し遂げるため、イエス様は再臨されなければならない。それゆえ、再び来られるイエス様は、肉身をもって地上に誕生される第三アダム、すなわち再臨のメシヤとして、準備された聖霊の実体を新婦に迎え、人類を霊肉共に完全に重生させる実体の真の父母にならなければならないのである。原罪をもっている人類は、実体の真の父母を通して原罪を清算し、霊肉の完全なる救いを可能にする重生、すなわち血統転換の恩寵を受けるようになる。
31 アダムが失敗したために、代わりに送られたイエス様は、第二アダムです。聖書でも、イエス様のことを後のアダムと言いました。先祖を失ってしまったので、真の先祖を復帰しなければなりません。
イエス様は、人類の真の父格です。そして、聖霊は人類の真の母格です。このように、真の父と真の母を霊的に立てて、これを実体の形状としてこの地上に現すことが再臨の目的です。人類の前に真の息子、娘が現れる時が、「終わりの日」です。
真の先祖を失うことによって堕落した子孫となり、真の父母と血統的な関係を結ぶことができなかったので、反対の経路を通して、失ってしまった息子、娘を探す時なのです。
32 キリスト教の中心は、イエス様です。新郎であられるイエス様が、新婦を迎えるのです。これが正に、「小羊の婚宴」です。「小羊の婚宴」とは、イエス様と聖霊である一人の女性が、実体をまとって結婚式を挙げることです。キリスト教では、「父」は神様であり、「子」はイエス様だと言います。「聖霊」は母なる神です。
母なる神であるため、その聖霊を受けなければ、重生することができません。母なる神である聖霊が生んであげなければなりません。父母の愛を通さなければ、人が生まれるということはありません。これが天理です。
イエス様は父であり、聖霊は母です。すなわち、イエス様は新郎であり、聖霊は新婦なのです。皆さんの心に聖霊が臨み、新郎であるイエス様を聖霊が思慕する力と皆さんの心が一致するとき、火を受けます。生まれ変わるのです。それにより、霊的父母との愛の関係を通して、新しい生命が注入されるのです。これが、キリスト教で言う重生です。
33 真の父は、完成したアダムです。アダムが堕落して、人類の真の先祖になれなかったので、私たちはすべて、真の先祖ではない、偽りの先祖の子孫です。ここにおいて、真の先祖として来られた方が、メシヤです。真の父だというのです。それで、キリスト教では三位神について語っています。イエス様は真の父であり、聖霊は真の母なので、この父母の愛を受けてこそ、重生できるというのです。
子女は、父母の愛なくしては生まれることができません。そのため、ヨハネの黙示録に「御霊も花嫁も共に言った、『きたりませ』。また、聞く者も『きたりませ』と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい」(22・17)とあります。
そのような日は、聖霊が実体をまとう日です。その時が再臨時代です。新婦の身支度を終える日です。「小羊の婚宴」は、失ってしまった真の父母を、逆に迎え入れる日です。
34 イエス様は父です。聖霊は母なる神です。母なる神によって感動を受けなければなりません。エバ、母によって失ってしまったので、完成した母なる神が来て「私」の心と体を清め、完成した父と霊的に一つになる体験をしなければなりません。そのような体験をしなければ、重生する道はないのです。
「聖霊に逆らう人は赦しを受けることができない」と言われています。天の父と人の子に逆らうことは赦しを受けられますが、聖霊に逆らえば赦しを受けられないというのです。
聖霊は母なる神です。母の胎中を通らなければ、人が出てくることはできません。間違って生まれたので、再び生んであげなければなりません。偽りの愛で間違って生まれたのですから、真の愛によって、真の父と真の母の立場で再び生んであげなければならないというのです。
35 イエス様が家庭基盤を備えるためには、新婦である聖霊を迎えなければなりません。実体の聖霊を迎えれば、平面的な基準を中心として、思いどおりに活動することができます。ところが、弟子たちが息子、娘の基準を立てられなかったために、イエス様は霊的な条件のみを立てたのです。これがイエス様の恨です。このように、地上で完全蕩減の基準を立てられなかったので、イエス様は仕方なく、昇天するようになったのです。
男性は天の代身であり、女性は地の代身です。イエス様は人類の真の父であり、聖霊は人類の真の母です。したがって、聖霊が実体をまとって降臨しなければならないのですが、実体であるひとり娘が現れなかったので、そのみ旨を成し遂げられなかったというのです。
36 天国は、男女が共に家庭を築いて入る所です。しかし、イエス様は、この地に来られて、新婦を探し出すことができず、息子、娘をもつことができずに亡くなられたので、今に至るまで、楽園で二千年間、祈りながら、聖霊に役事をさせているのです。
女性が先に罪を犯したので、女性神である聖霊が母として現れ、罪を清めて世の中をきれいにすれば、イエス様は再び新郎として、新しい種をもって再臨しなければなりません。再充電し、新しい天地の真の父母の血族によって、神様を中心とした新しい世界をつくろうというのが、神様の目的です。このような世界がつくられてこそ、「神様の計画がみ意のとおりにすべて成し遂げられた」と言うことができるのです。
Wednesday Jan 04, 2023
真の父母経 第14話
Wednesday Jan 04, 2023
Wednesday Jan 04, 2023
16 万民にとって、神様は永遠なる無形の内的父母であり、完成したアダムとエバは、永遠なる有形の外的父母になります。最大の愛は、主体と対象が永遠の愛を与え合い、完全に一つになるときに現れ、結実します。真の愛の中では、自動的に統一が起こり、また、生命が連結し、理想が実現するのです。神様のみ前に最も貴い対象存在であるアダムとエバに、神様の愛を中心に父母と子女として、主体と対象として、また無形の創造主と有形の実体として、完全に調和統一された、永遠の愛と生命の理想を実現させることが神様のみ旨でした。
よく「創造主と被造物が対等の位置に立つことはできない」と言われてきました。もしそうだとすれば、その創造主の前に、愛の理想を実践することは不可能です。神様の愛の理想は、子女であるアダムとエバを有形実体対象として立て、永遠に彼らと合一しようとするものでした。神様は、人間の中に住むことを願われます。無形の神様の愛の理想が、実体の人間を通して実現する基点は、人間が神様の対象体として完成する瞬間です。
17 地上の王はアダムとエバで、横的な真の父母であり、天上の王は神様で、縦的な愛の王です。男性と女性が愛し合うその時が、創造主と被造物が真の父母として合徳する時間です。地上天国、すなわち横的天国を出発させ得る王の顕現と、縦的な天上天国の王の顕現が、その愛から出発するのです。
世の中の貴いすべてのものの中心、本宮が男性と女性の生殖器です。その宮の主人は一人です。王宮の主人は一人の男性であり、一人の女性です。生命の王宮も、血統の王宮も同じです。地上天国の王も一人であり、天上天国の王も一人です。アダムとエバが結婚する日が、神様の結婚式の日だということです。アダムとエバが愛の関係を結ぶことによって、初めて神様を完成させ、解放の位置に立たせてあげるのです。
18 人間は、神様を身代わりした生命の種です。神様は生命の種の根本です。神様の種を相続した人間が、横的な子女を繁殖しなければなりません。種の主人が真の父母です。そこから繁殖して、それを横的に幾筋にも伸ばし、拡張するのです。それが公式です。
最も多くの祝福を受けた父母は、息子、娘が多い父母です。息子、娘が多い家庭の父母が、祝福をたくさん受ける基盤を立てるのです。個人の価値を完成すれば、この家庭基盤を自動的に相続するのです。結婚をすれば、前後左右が一つになります。ここが正に、完成点になります。そこに神様がいらっしゃるのです。子女の完成がここで実現され、兄弟の完成、夫婦の完成、父母の完成がここで実現されます。すべて見えない神様と連結されるのです。
心で願うすべてのことは、これに似ます。この位置が見える神様の位置です。その中に兄弟の愛、夫婦の愛、父母の愛があります。ですから、彼らは息子、娘を相続するのです。
見えない神様の創造が始まったとき、見える世界に登場するのと同じです。父母の理想、夫婦の理想、兄弟の理想、子女の理想、この四つが父母の中にあります。それで子女を生むのです。子女が徐々に成長し、兄弟になり、夫婦になり、父母になって、完全に一つとなって四方を回るようになるとき、完成するというのです。そこから再創造が始まります。見えない神様が顕現したのが夫婦です。これが理想的な夫と妻です。彼らの結婚初夜、そこに神様が訪ねてこられるのです。
19 無形の父母であられる神様が、アダムとエバの形状をまとい、有形世界に永存される父母になるのです。このときアダムとエバは、真の父母、真の先祖になります。神様が体をもった父になるので、見えない無形と有形が一つになるのです。それは、天宙が一つになることを象徴します。そのため、神様の形状に似た、体を備え得る姿としてアダムとエバを造ったというのです。
そうして、アダムとエバを天の国の王宮の王座に登らせ、その王の心の中に神様の王宮を造るのです。王国は、愛の王国です。
20 アダムとエバが神様の体を備えれば、神様は彼らの心の中にお住みになり、有形世界である地上世界と無形世界である霊界を治めるようになったでしょう。これは、神様が治めることであると同時に、アダムとエバが治めることでもあります。
この地に神様の王国、すなわち平和王国をつくっていったでしょう。アダムとエバは、地上天国の王であると同時に、天上天国の王になったでしょう。神様の属性をそのまま受け継ぎ、アダムとエバはすべての被造物の上に、絶対的存在であり、唯一の存在であり、永遠で不変なる真の愛の実体の父母、実体の王、実体の主人、実体の師になったでしょう。今日の人類は、すべて神様の体をまとって生きる分身体になっていたのです。
Tuesday Jan 03, 2023
真の父母経 第13話
Tuesday Jan 03, 2023
Tuesday Jan 03, 2023
9 真の縦的父母が神様であり、真の横的父母が真の父母様なので、父母を知らない人は、天宙の祝福権を相続する権限がありません。真の愛によって結ばれた心情圏においては、父母も子女も、神様も真の父母様も、平等な所有権をもつようになるのです。縦的父母は神様です。横的父母は真の父母様です。それをはっきりさせなければなりません。
10 神様は、垂直的に唯一の愛の主人公なので、「縦的父母」と言います。堕落していない本然の人間の先祖は、横的で水平的な父母です。そのため、九〇度になっています。これは周回しても、どこでも同じ位置が維持されるのです。水平と垂直が九〇度になっているものは、東西が上下になっても不平はありません。
神様の位置が男性と女性の位置に来てもよく、息子、娘の位置が母、父の位置に行ってもよく、祖父と祖母の位置が孫と孫娘の位置に行っても通じるというのです。ここにおいて、統一圏が形成されるのです。人間の家庭構成理念のための統一的基盤が生じるのです。ここでは消耗がなく、闘争がないので、平和の真理が万年にわたって作動できるのです。
神様は真の父母の形状で永存
創造本然の世界では、アダムとエバが完成し、真の夫婦の愛によって完全一体となれば、その上に神様が臨在して人類の真の父母になられる。無形の神様の姿にそのまま似た実体対象であるアダムとエバが完成し、神様と一体となった真の父母として子女を繁殖することにより、理想家庭と理想世界を築くのである。そのようになれば、完成した人間を通して霊界と地上界が連結される。人類の最初の先祖であるアダムとエバが真の父母となり、地上での生涯をすべて終えて、完成した霊人体として霊界に入れば、そこにおいても神様は、真の父母であるアダムとエバの形状をもって顕現されるようになる。すなわち、神様は、完成したアダムとエバである真の父母に臨在し、二人の形状で永存されるのである。それゆえ、堕落した罪悪世界を創造本然の世界に蕩減復帰し、創造理想世界を完成された真の父母様は、地上と霊界において、神様の永遠なる形状になられるのである。
11 神様が二性性相に分立して本性相と本形状の実体となり、本陰性と本陽性の実体となって地上に顕現することによって、天宙のすべての存在は神様の実体になります。神様は、二性性相の中和的存在であり、位置や次元においては男性格主体だというのです。
その男性格主体が、真の父母を中心として実体の中に入ってきて、血統が一つになり、愛と生命が一つになるのです。そのような一体の位置において、天の国の眷属として、創造理想が完結した全体、全般、全能の世界の相続者として、皆さん各自が永生の天国で主人家庭の位置を占有しなければなりません。神様も、霊肉が勝利した実体世界を願っています。
12 神様は、なぜ人間を創造したのでしょうか。神様も体をまとわなければならないからです。アダムとエバが神様の体になるのです。その次には、愛の対象が必要で人間を創造しました。そして、天の国の民を繁殖するために、神様の実体対象を立てたのです。そうして、神様の息子、娘たちを生み、子女として天国に迎え入れさせようというのです。そのために、神様は人間を創造しました。
皆さんが霊界に行けば、そのような本然の形態を備えなければなりません。神様の代わりに、民を率いなければならないのです。神様の代わりになる愛の対象がいなければなりません。それをこの地で完成していくのが夫婦です。凹凸が初めて一つになるのです。これは、天地が一つになることです。男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。男性も女性も、愛の対象をもたなければなりません。その次に、神様の形状にならなければなりません。神様のようにならなければならないのです。神様と同じものをもっているので、小さな神様であることは間違いありません。
人間が永遠の世界において、自分の位置と価値と栄光の場を占有できる所に訪ねていくこと、それが「亡くなる」ということです。「亡くなる」というその言葉は、啓示的です。(韓国語の「돌아가다 (亡くなる)」という言葉には「帰る」という意味がある)そのような目的で生活し、そのような実体を収めて霊界に行き、神様の家庭的、氏族的、民族的、国家的対象になり、すべての栄光の実体として、無限の世界で永存することが、存在する私たちの理想です。
13 宇宙は、神様の形を中心とした象徴的な実体です。その次に、形象的な実体であり、実体的な実体です。すべてのものが、本体に似ているというのです。最もよく似たものが形象的なものであり、形象を主体として似たのが象徴体です。象徴世界、形象世界、実体世界は、別々になっているのではなく、一つになっています。象徴、形象、実体を中心として見るとき、それを三段階と見るのですが、その中心はたった一つしかないというのです。一つなので、統一された位置にならざるを得ません。象徴も一つを願い、形象も一つを願い、実体も一つを願います。この世の中の象徴的な存在は万物です。形象的な存在は人間です。実体的な存在は神様です。
神様は、見えない無形としていらっしゃいます。その無形の神様が有形の神様として顕現するためのものが、創造理想です。神様は見えない世界の実体にもなりますが、また、見える世界の実体にもなりたいと思うのです。そのため、見える世界の実体を再び造っておいたのが人間なのですが、その人間の出発基地が真の父母だというのです。真の父母は、見える世界において象徴的中心存在であり、形象的中心存在であり、実体的中心存在です。それゆえ、この見える世界の真の父母の中心は、見えない世界の神様を身代わりした実体と一体になっているのです。
霊界も同じです。霊界にも象徴世界があり、形象世界があり、実体世界があります。内容が見えないだけであって、見える世界と同じように、内外になっているというのです。すべての中心は一つです。見える世界の中心も一つであり、見えない世界の中心も一つです。見えないこの実体の中心は、霊界に行って定着するためのものなのです。
14 本来、アダムとエバは、神様を見ながら育つのです。霊眼で見るというのです。神様は、実体としては、アダムとエバを通して現れます。自己伝授です。見えない神様をすべて伝授して、アダムに現れ、体をまとうのです。心は見えませんが、心のことが分からないのではありません。分かります。心が主体として、すべて引っ張って回るのです。
アダムとエバは、自分勝手に生きることができません。心を中心として、一つになって進む立場で生きるようになっているというのです。ですから、私たちは、心を絶対視しなければなりません。心は、父母に優り、師に優り、神様に優るというのです。愛が理想とすることは、自分の何千万倍、優れていることです。そのため、神様自体を、アダムとエバ自体がすべて感じるのです。自分一人で行動できないというのです。アダムとエバが神様を感じ、形体としても分かるのです。「私のように一つになっているのだなあ!」ということを感じるというのです。
15 霊界に行けば、神様は真の父母として現れます。真の父母の心の中に神様が入るので、見えるというのです。神様は、対象を必要として創造しました。対象がいなければ、愛を感じられません。完成のために対象を造り、体をまとうために造りました。その次に、繁殖するために造りました。地に実体がなければ、繁殖できないのです。
この三大要件ゆえに、神様は創造を行いました。神様も体をまとわなければなりません。体をまとうためには、対象が必要です。対象の体を身につけさせたのが、アダムとエバです。そのため、アダムとエバのその姿が、神様の姿になるのです。
Tuesday Jan 03, 2023
真の父母経 第6話
Tuesday Jan 03, 2023
Tuesday Jan 03, 2023
14 人間は、家庭から出発しました。家庭を縮小してみれば、夫と妻によってできているので、ひとり子になったのであれば、ひとり娘を迎えなければなりません。このひとり子とひとり娘は、堕落していない本然のアダムとエバにならなければならないのです。ひとり子とひとり娘は、息子、娘を生まなければなりません。
真の父母に侍り、息子、娘を完成させようとすれば、与えられた環境において、祖父、祖母、母、父、四方のために生きることができなければなりません。息子、娘は父母のために生き、父母は息子、娘のために生き、その父母はまた、(彼らの)父母のために生きなければなりません。祖父は孫のために生き、孫は祖父のために生き、夫は妻のために生き、妻は夫のために生きれば、それは祖父母、夫婦、兄弟がすべて入るというのです。
このような原則において、一つの家庭の標本を中心として見るとき、互いにために生きる家庭であれば、天国家庭であることは間違いないという論理が出てきます。
原罪がないイエス様と再臨主
人類の始祖アダムとエバは、サタンの誘惑に陥り、善悪の実を取って食べることによって罪を犯し、それが原罪となった。原罪は、神様の血統を汚した不倫なる性犯罪であった。神様の愛によって代を継いでいくべき人類が、サタンの偽りの愛によって子孫を繁殖したのである。
聖書のマタイによる福音書の記録には、イエス様がキリストとして生まれるまでの血統的系譜が出てくる。堕落したアダムの後裔の中から、善悪の血統を分立、転換しながら、千年にわたってサタンとの血縁的関係を清算してきた蕩減復帰摂理歴史の基台の上で、ついに原罪のない、イエス様が神様のひとり子として誕生されたのである。
このように、原罪と関係なくお生まれになったイエス様は、人類の真の父として、真の母を迎え、真の父母の位置に進み、原罪のない直系の子女を誕生させる一方で、堕落した人類を重生させ、原罪を清算させるために地上に来られた。しかし、イスラエル民族の不信により十字架にかからなければならなくなるやいなや、このすべての課業を、再臨して成し遂げることを約束されたのである。
それゆえ、第三アダムとして来られる再臨主は、イエス様を中心としたあらゆる蕩減復帰摂理の歴史的伝統と結実を、霊肉共に相続すると同時に、メシヤの立場から出発し、真の父母の位置に登極することにより、地上で神様の創造理想を実現する使命を完遂されるのである。
15 イエス様は、サタンが讒訴できる位置を抜けだした立場で生まれたので、原罪がない方です。サタンの主管圏内においてサタンと相対したのが原罪ですが、イエス様はサタンの讒訴条件を越えてお生まれになった方なので、原罪とは関係がないというのです。このために入れ替える歴史があったのです。エサウとヤコブの時に入れ替え、また、ペレヅとゼラの時に入れ替えて、勝利の基盤を築いてきました。ですから、イエス様は、原罪と関係のない人間として生まれたのです。
16 イエス様は、神様の主管下で生まれた息子なので、原罪を免れた立場に立ちました。サタンの讒訴条件をもっているがゆえに原罪があるというのですが、原罪を免れた立場に立っているため、本然の基準、堕落する前のアダムの位置に帰ることができるのです。ですから、イエス様だけが第二次のアダムになることができます。人類の先祖として、アダムが失敗したことを復帰できます。アダムの位置を身代わりできるのです。ここから新しい歴史時代に入ります。
イエス様は無原罪で生まれたので、サタンの讒訴から完全に脱しました。サタンの讒訴から脱すると同時に、サタンを完全に屈服させました。天使長を屈服させたというのです。イエス様は、このように神様の息子として、堂々と本然のアダムの位置に立つことができました。
17 聖書には、ヤコブが母であるリベカと一つになって、兄エサウと父イサクを欺き、祝福される話があり、また、タマルが舅と関係を結んで生んだペレブとゼラを中心として、ユダの支派が祝福を受けるようになったという内容が出てきます。このような、人倫や道徳観において解決できない内容が、どうしてあるのかということが問題です。
そして、マタイによる福音書を見れば、四大淫女についての話が出てきます。タマルが出てきて、バテシバが出てきて、ラハブが出てきて、ルツが出てきます。マタイによる福音書は創世記に相当するものですが、歴史時代において、最初の章になぜこのような神聖ではない、汚点をもっている女性たちが出てきたのかというのです。
このようなすべての問題は、堕落論を知らなければ解決するすべがありません。お父様の時代になって、初めてそれをすべて明らかにしてあげたのです。
18 ヨセフと婚約したマリヤは、エバとちょうど同じです。アダムとエバは、堕落する時、婚約した立場にいました。アダムとエバが婚約段階にいる時に堕落したのと同じなので、これを蕩減復帰するためには、リベカの伝統を引き継がなければならず、タマルの伝統を引き継げる女性がいなければなりません。そのため、血統を清めた女性を代表した基準で、それを相続できる位置に立った人がマリヤでした。
マリヤは、神様の息子、娘を生むために生命を捧げることを覚悟し、犠牲になる道でも、神様のみ旨を立てた女性でした。タマルのように、イスラエルの王権を立てることを最高の希望と思い、自分の身がどうなろうと、死のうと生きようと、自分を通して神様のみ旨を継承しようとした歴史的な女性でした。
19 マリヤは、自分の生命を懸けて、神様のみ旨を誰よりも熱心に追求する女性でした。ちょうどタマルのように、志操を守って忠節を尽くし、貴い天の血統を残すためには、いかなる冒険でも強行できる大胆な立場に立っていた女性が、正にマリヤでした。
天使ガブリエルが現れ、マリヤに「あなたはみごもって男の子を産むでしょう」(ルカ1・31)と告げたとき、マリヤは、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」(ルカ1・34)と答えました。そして、天使が再び、「神には、なんでもできないことはありません」(ルカ1・37)と言うと、マリヤは、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ1・38)と答えたのです。その立場は、死を覚悟しなければ行くことができない立場です。
その当時、未婚の女性が身ごもれば、モーセ五書に基づいて、石で打たれて殺される時代でした。神様は、自分の命よりも神様のみ旨を尊重し、自分の威信や体面よりも神様のみ旨を尊重するマリヤを通して、イエス様を懐妊するようにさせたのです。ですから、イエス様は、神様のみ旨によってマリヤのおなかを通して生まれた、歴史上初めての神様の息子です。
20 マリヤの腹中にいるイエス様に対しては、サタンが讒訴できません。イエス様が生まれるようになったのも、マリヤが動機になったのではなく、神様のみ旨を中心として、神様の命令によって生まれたので、神様が動機となったのであり、また出生に至る過程も、腹中の勝利の基盤をもつマリヤの腹中から生まれたイエス様だったので、イエス様には、サタンのいかなる讒訴条件もあり得ないというのです。
歴史時代に、腹中から始まったアダムとエバ以降のあらゆる闘いの基盤を、初めて腹中から分別したというのです。このような血統をもって現れた人がイエス様でした。
ですから、イエス様は、いかなる預言者や、いかなる世界的な宗教指導者とも、その根本が違うというのです。イエス様は、サタンが讒訴できない血統的な内容を備えて来られた世界的な代表者です。また、歴史的な内容をすべて清算して来られた方なので、正に神様を中心とした血統的な内容をもって生まれた最初の人に違いありません。イエス様は、このような動機や過程を経て、神様の真の息子として、この地上に誕生するようになったのです。
21 イエス様の父親は、ヨセフではありません。天の側の天使長圏の人物です。堕落した天使ではありません。神様がそのようにさせました。
サタン世界を凌駕し、天の側となり得る基盤を築き、種を植えて、そこで神様の心情圏を受け継いでこそ、本然のアダムとして認められるのです。イエス様は、そのような位置で、血統的に分別された種を受けて生まれました。そのような人は、歴史始まって以来、一人しかいません。ですから、メシヤ、救世主になることができるのです。初めて神様を中心として、愛の絆を通して生まれた代表的で唯一の人なので、「ひとり子」という言葉が成立するのです。
22 人類歴史上、国家的次元で万王の王権をもって来るイエス様は、血統を転換して勝利的伝統を受け継いで来ました。ですから、マリヤの腹中で妊娠しても、サタンが「彼は私の息子である」とは言えないようになっています。タマルの心情的伝統を受け継いだ歴史的な基準の上に、国家的次元でマリヤが身ごもったため、エバの失敗を蕩減復帰したのです。
女性たちが行くべき道において結実の位置に立ち、血統転換、すなわち長子復帰完成基準の心情圏の上で身ごもったので、腹中にいるときから、サタンが「私の息子である」と主張できないのです。イエス様は、歴史的に清められた血統的基盤の上でマリヤの腹中に宿ったため、長子圏内で身ごもったとしても、サタンが「自分の息子である」とは言えないというのです。
腹中から長子権を主張できる息子が地球星に生まれなければ、神様の長子の血族圏を立てることができません。イエス様は、堕落の人類歴史の上に、神様の心情を受け継ぐことができる最初の代表者になり、歴史的な代表者となることによって、初めて「私は神様のみ前にひとり子である」と言うことができました。これは、愛を中心とした長子権復帰において代表者になったので、メシヤになることができる、ということです。
23 イエス様は、血統を清めた上で来ました。双子の時代、すなわちエサウとヤコブを通して長子権を復帰し、タマルの腹中でペレブとゼラの、歴史にない闘いを通して、ひっくり返すことによって、血統転換をしました。歴史がすべて見せてくれたのです。
聖書は、本当に啓示的です。世界史、文化史、宗教史において欠かせない宝典です。人類歴史に関する曲折の事情と秘密が、すべて含まれています。それを解かなければなりません。このようにして、血統を復帰しなければならないのです。マリヤの腹中から生まれたイエス様は、サタン世界の血統が転換されています。血統が転換された位置から来たので、イエス様の相対となり得る新婦も、血統転換歴史の過程を経なければなりません。
Tuesday Jan 03, 2023
真の父母経 第5話
Tuesday Jan 03, 2023
Tuesday Jan 03, 2023
4 イエス様が地上に来られることによって、初めてひとり子という名をもつようになりました。神様が失ってしまった歴史時代、アダムとエバの失敗した歴史時代に、初めて神様の愛を受けることができる血統的内容を中心として、地球星にひとり子が生まれたのです。しかし、ひとり子は生まれましたが、ひとり娘はいませんでした。
神様は、四千年間の救援歴史を通して、完成したアダムを再び創造したのと同じです。神様は、アダムに似せてエバを造りました。アダムの相対になることができるように、アダムを造られた原則、その青写真に基づいて造ったのです。聖書を見ると、男性のあばら骨を取って女性を造ったと記録されています。それは、骨子をまねて造ったということです。ですから、完成したアダムは、この地で失ってしまったものを取り戾すことができるひとり子です。
神様は、直系の真の愛の血統を通してアダムを取り戻しましたが、エバは取り戻すことができませんでした。エバを取戻そうとすれば、今までの堕落以降の歴史を、家庭から再び復活させ、接ぎ木して国をつくらなければなりません。そのために準備しておいたのが、ヤコブからのイスラエル民族の十二支派です。選民思想を中心として、ヤコブの十二人の息子が着地し、世界に勝利の版図を拡大させたものが、イエス様が来られる時までの二千年間のイスラエルの国とユダヤ教なのです。
5 イエス様が堕落した人間たちに対して、神様の息子、娘であることを示したことや、「私は神様の息子だ。神様のひとり子だ」と語った事実は、偉大なことです。そして、「ひとり子」という名が地上に現れたという事実は、神様が数千年の蕩減歴史を経てくる中で、吉報中の吉報です。それで、ひとり子を中心として、ユダヤの国とユダヤ教、カインとアベルを入れ替え、血統を入れ替えなければなりません。
しかし、イエス様は、ひとり子という名をもって来ましたが、ひとり娘に出会うことができませんでした。そのような人に出会うには、そのままでは出会うことができません。準備された基盤がなければならないのです。個人と家庭、氏族を基盤として連結されていかなければなりません。このようにして個人、家庭から血統を転換させなければなりません。
6 人類が生まれてから四千年ぶりに、この天地間に神様のひとり子が生まれました。良い知らせです。幸福な知らせです。それで、キリスト教で「福音」という言葉が出てくるようになったのです。福音とは、幸福な音信です。その時まで神様のひとり子が現れることができず、人類が神様を中心とした愛の関係を結ぶことができなかったために、人類にとってそれが恨でした。しかし、その恨を解いてあげる一人の代表的な男性が現れたので、それ以上に幸福な音信はないのです。
もしひとり子が現れていなかったとすれば、大変なことになります。歴史上にそのような人が現れたので、全人類が彼の側にならなければならず、天地も彼の側にならなければならず、創造主も彼の側にならなければなりません。ですから、その道を妨げる人は滅び、歓迎する人は栄えるようになります。
ひとり子が現れたことが幸福です。神様は、先にひとり子を送られました。それで、今までの歴史は、男性がつくってきたのです。ひとり子が来たならば、その次には、ひとり娘がいなければなりません。
7 神様は、真の愛を中心として、縦的な父母としていらっしゃる方です。垂直は一つです。横的な位置で垂直になるのは、九〇度の一点です。男性の位置も九〇度の一つであり、女性の位置も九〇度の一つです。二つではありません。人類歴史で初めて、その九〇度に合わせて愛を受けた人が、ひとり子です。
そのひとり子の前には、ひとり娘がいなければなりません。メシヤはひとり子として来て、ひとり娘を求めなければならないのです。しかし、そのまますぐに求めることができるわけではありません。アダムを通してエバを造ったので、この世の中に来て、エバを探さなければならないのです。サタンが奪っていったエバを取り戻さなければなりません。
ひとり子であるイエス様が、神様の息子として、ひとり娘を迎えて、男性と女性が九〇度の角度で一つになれる道を合わせておかなければ、天地が通じません。神様には二性性相があるので、ひとり子とひとり娘が一つになった、その場に神様が入ってきて臨在するのです。
8 神様は、アダムとエバの堕落以降、失ってしまった子女が戻ってくることを、ただ待っていることはできませんでした。神様は、人間がサタンの讒訴条件を抜け出すことができる道を探し求めてこられたというのです。その路程が、どれほど大変で、悲惨だったでしょうか。サタンが王になっている世界で、神様の立場はどのようなものだったでしょうか。
ひとり子イエス・キリストを、サタンの讒訴条件を免れた位置で誕生させるまでの神様の苦労は、到底言い表すことができませんでした。その時、イスラエル民族がひとり子であるイエス様と一つになっていたならば、ローマを越え、世界に進むことができました。真の父母にならなければならなかったのです。
しかし、ユダヤ教とイスラエル民族が責任を果たせなかったので、イエス様は「再び来る!」と言われました。神様は、四千年ぶりにひとり子を探して立てましたが、ひとり娘は探し立てられなかったのです。神様がアダムとエバを創造したように、ひとり子がいれば、ひとり娘もいなければなりません。イエス様と聖霊の摂理が、正にそれです。
私たちは、原理を通して、中心人物や民族が責任を果たせないとき、神様が代身者を立てることを学びました。したがって、イスラエル民族が責任を果たせないことによって、ひとり娘を立てることができなかったので、神様はひとり娘を別に育ててこられたのです。
9 人間世界で神様が愛の主人であれば、その愛を中心とした神様の家庭がこの地上になければなりません。その神様の本郷の地があれば、その本郷から本郷の一門が始まり、その一門から民族が始まり、その民族から国家と世界が始まり、それによって、地上に天国が広がるでしょう。
人間の本郷は、人類が願い、神様が願う所であり、天地が和合して万宇宙の存在が「幸せでうれしい」と言い得る所、神様が踊りを踊ると同時に、万宇宙が神様を中心として踊れる所です。そのようにできる日を迎える本郷が現れていたならば、今日、この世界は、不幸な世界にはならなかったでしょう。
神様の愛を中心とした息子、娘すなわち、ひとり子とひとり娘が、神様の愛を中心として完全に一つとなって家庭を築いたならば、その血統を受けて生まれた息子、娘たちは、心と体が一つになっているのです。
10 イエス様は、イスラエルの国を中心として、世界を平和の王国にするためにこの地に来られましたが、いくら彼に能力があり、実権があって、それを成し遂げると考えたとしても、家庭を築くことができなければ失敗するのです。
世界は、家庭が集まってできるのです。この家庭は、心と体が闘う人たちでは築けません。いくら絶対的な権威をもって死の峠が迫ってくるとしても、天道を捨てる人になるならば、神様が願われる家庭を築くことはできないのです。
心と体が一つになったひとり子が、心と体が一つになったひとり娘を迎えて家庭を築くのです。家庭をつくるまでは、世界を復帰したとしても、それをまた失うようになります。家庭は、血統が連結されたものです。民族全体が血統で連結されれば、同族になるのです。
11 イエス様がこの地に来られた目的は、新婦を迎えることです。愛を中心とした人格的な新婦を求めようとしたのです。ですから、キリスト教を代表して、世界的なキリスト教の舞台に新郎を迎え、その新郎を中心として結婚してこそ、新郎と新婦の愛圏がつくられるのです。新郎と新婦が一つになり、神様が取り得る愛園が始まります。
ひとり子の愛圏をもって、ひとり娘の愛圏を手にすると同時に、このひとり子とひとり娘を中心として、新郎と新婦の愛圏が確立します。いくら国が大きく、歴史が長く、優れた文化背景をもっているとしても、それは問題ではありません。
神様を中心としてひとり子とひとり娘が一つになる、夫婦の愛の基準が貴いのです。
堕落によってこれを失ってしまったので、これを取り戻さなければ、世の中の万事は無意味なものです。したがって、神側においてひとり子とひとり娘となり、新郎と新婦として夫婦の愛圏をつくらなければなりません。夫婦の愛圏が成立すれば、自動的に子女の愛圏が成立するのです。
12 イエス・キリストは、「私は神様のひとり子だ。神様は私の父だ」と言いました。ひとり子というものは、神様の初愛をそっくりそのまま受けたということです。神様のひとり子はいたのですが、ひとり娘がいません。ひとり娘に出会うことができなかったので、神様の初愛をすべて受けるひとり娘に出会うために、イエス様は再臨するのです。
再臨主が来て「小羊の婚宴」、すなわち婚姻をしなければなりません。神様の初愛をそっくりそのまま受けた男性と、神様の初愛をそっくりそのまま受けた女性が、家庭をつくらなければならないのです。その位置が、堕落していないアダムとエバの位置です。
13 メシヤは、神様の本然の直系の息子の立場で、神様の愛、絶対愛を中心として、生命の種をもって来る方です。その息子を再び探して立てることが、神様の救援摂理史の主目的です。
メシヤは、この地上に来るとき、何ももってくることはできません。彼には国もありません。何もないのです。相対を失ってしまったので、相対もいません。エバとカイン、アベルを失ってしまったので、主人の役割を果たせないのです。それで、それを取り戻しに来るのです。ですから、キリスト教は、新郎として来られるメシヤを迎える新婦の宗教です。
キリスト教の核心真理は、驚くべきものです。イエス様のことをひとり子と言いました。ひとり子とは、アダムのことです。堕落したので、ひとり子がいなくなり、ひとり娘がいなくなったというのです。ひとり娘は、サタンに奪われました。神様が造ったものを、サタンがすべて台無しにしたので、それを取り戻さなければなりません。アダムを中心としてエバを造ったのと同じように、天の新しい息子の種を送って、エバを再び創造しなければなりません。
Tuesday Jan 03, 2023
真の父母経 第4話
Tuesday Jan 03, 2023
Tuesday Jan 03, 2023
10 本来のアダムは、個人であると同時に、家庭の中心であり、国家の中心であり、世界の中心です。文化も、アダムの文化です。そこから言葉が始まり、すべての関係が広がります。真の父母を中心として結ばれた関係から始まる歴史も、新しい文化創造の起源になり得るのです。ここから初めて、人類の真の歴史が始まるというのです。真の家庭と、真の社会、民族、国家、世界が顕現するのです。その伝統的思想が、いつにおいても中心になります。
今までの歴史においては、未来に希望の世界を求めてきましたが、これからは未来を見つめて進むのではありません。ここにおいて築かれたその思想を中心に、それを手本として歴史が発展していくのです。それが中心になります。このように、過去、現在、未来の中心を決定し得るものが、国を中心として設定されます。その国が成立すれば、その国の文化が過ぎ去っていくことは、永遠にありません。その国の文化は、世界的に連結され、生き生きと栄え続け、文化的源泉として残るのです。統一です。始めと終わりが同じだというのです。
真の父母は真のオリーブ
聖書の創世記に出てくる、エデンの園の生命の木と善悪を知る木は、完成した父と母を象徴する。そして、堕落せずに完成した人間始祖アダムとエバを根とした人類は、本来、地上天国で生き、死後には天上天国に行って、永遠に生きるようになるのである。神様の創造目的は、人類が神様を中心とした家庭を築き、同じ兄弟、同じ親族になることである。
堕落した人間は野生のオリーブであるため、真のオリーブである真の父母により接ぎ木され、真の人間に生まれ変わらなければならない。それにより、神様の創造理想世界、すなわちエデンの園において出発しなければならなかった永遠の理想天国が成し遂げられるのである。人類の願いは、真の父母を迎え、神様を中心とした善なる家法を代々伝授し、一つの言語、一つの文化、一つの天の主権を中心に統一世界をつくることである。
11 真の父母は、絶対的な神様の愛と血統と完全に一つになった方です。そのような真の父母が結婚して築いた家庭を真のオリーブの家庭とするならば、堕落した世界の人々は、野生のオリーブだというのです。その野生のオリーブの枝を切ってしまい、真のオリーブの枝と芽を接ぎ木すれば、それがのちに真のオリーブの家庭になるのです。そこに、神様の真の愛、真の生命、真の血統、真の良心が再び連結され、それが完成すれば、地上・天上天国が広がります。
神様は、三代目となる孫と孫娘をもつことができませんでしたが、サタンは孫と孫娘をもち、氏族をもちました。それが繁殖し、数多くの国家をつくり上げたというのです。今まで神様は、完成した一人の男性をもつことができませんでした。完成した一人の女性ももつことができませんでした。その完成した男性として来られる方が、メシヤです。メシヤがやって来て、真の父母の位置を立てなければなりません。その次に、本然の家庭を復帰することができるのです。
12 アダムとエバが人類の真の先祖になっていれば、救い主も必要なく、宗教も必要ありません。宗教が必要ない善なる世界は、神様が喜ばれる世界です。神様は、地上にそのような世界がつくられることを願われるのですが、地上にそのような世界はつくられませんでした。
堕落とは、一つになれなかったことです。そうして、真の父母になれず、偽りの父母になったのです。ですから、私たちは、悪なる父母の血統をすべて消してしまい、真の父母の血統を受けて、天に帰らなければなりません。皆さんは、野生のオリーブとして生まれました。真のオリーブにならなければならないのに、野生のオリーブになったので、これを切ってしまい、真のオリーブの木を接ぎ木されなければならないのです。
13 天の真のオリーブとして来られる方は、皆さんを再び生んでくださる真の父母です。生命は、必ず父母を通して受けるのが天理だからです。真の父母は、天の真の愛、真の生命、真の血統の根をもってこの地に顕現されます。サタンの偽りの愛を根として生まれた人類を、きれいに根元から切ってしまい、真の愛の芽を接ぎ木する使命を果たすために来られる方が、正に真の父母です。このように、私たち人類が求めるべき真のオリーブの根は、神様の真の愛の根です。その根は、真の父母からのみ出発し得るのです。
14 真の父母は、真の愛と真の血統をもって来ます。偽りの父母は、偽りの愛と偽りの血統をつなぎ合わせてきました。堕落していない本然の世界では、神様を中心として真の家庭を築かなければなりません。真の息子、娘の家庭を築こうとすれば、真の血統が連結されなければならないのです。真の父母の子女になろうとすれば、真の父母と血統が連結されなければなりません。
「父母」や「子女」という言葉、「父」または「子」という言葉は、血統が連結されなければ、絶対に成立しません。それは、神様も引き離すことができません。サタンも引き離すことができないのです。
ですから、成約時代を迎え、真の父母様による祝福結婚を通して、旧約時代と新約時代の失敗を蕩減復帰することができるのです。本然の基準である神様の真の血統につながれて、野生のオリーブ畑であっても真のオリーブ畑にならなければならず、真の愛を中心として、真の父母様と一体、一心、一念にならなければなりません。
15 真の父母とは、完成したアダムとエバのことを言います。そのアダムとエバから家庭、氏族、民族、国家、世界、地上天国と天上天国が連結され、神様まで解放されなければなりません。真の父母は、すべてのことを完成できる立場にいます。神様が地上に送られた最も貴い方です。その真の父母に絶対信仰、絶対愛、絶対服従で従っていけば、自動的にすべてのことを克服していけるのです。父母は、愛、生命、血統を相続させます。その愛、生命、血統を相続するのが、息子、娘です。すべての宗教の目的も、地上に真の父母の完成基盤を築くことです。
人類を救う唯一の方法は、真の愛、真の生命、真の血統を連結させることなのです。偽りの父母がそれとは異なる愛、生命、血統を連結させて堕落した世界になったので、地獄に落ちるようになりました。それを一八〇度転換させるために、真の父母が現れて、真の愛、真の生命、真の血統を連結するのです。祝福を通して神様の真の愛を連結し、真の生命を連結し、真の血統を連結するのです。野生のオリーブに真のオリーブを接ぎ木するのが祝福です。
真の父母は、この世界の偽りの子女、野生のオリーブのような子女たちに真のオリーブを接ぎ木して、堕落していない実として収穫し、天の国の倉庫に再び入庫しなければなりません。これが、この地上でメシヤが果たすべき責任です。メシヤは、真の愛を中心として、真の息子、娘の種をもって来るというのです。
堕落することによって、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の因縁を通して、神様が願わない怨讐の子女となりました。
このように、血統的に偽りの愛の因縁が結ばれたので、救援摂理を通してきれいにするのです。
第二節 再臨主である真の父と聖霊の実体である真の母
真の父母になるべきひとり子とひとり娘
神様の願いは、アダムとエバが創造本然の姿のまま成長、完成し、真の家庭を築くことであった。神様は、絶対愛によって精誠を尽くし、御自身のすべての願いを懸けて、ひとり子アダムとひとり娘エバを造られた。しかし、堕落が起きたため、神様は彼らに代わる存在として、まずひとり子であるイエス様を送られた。創造の順序に従い、本然のアダムを先に復帰されたあと、そのアダムを通してエバを復帰しようとされたからである。したがって、本然のアダムに代わる、後のアダムとして来られたイエス様は、本然の後のエバを探し出し、夫婦になることによって、人類の善なる始祖である真の父母にならなければならなかった。
1 イエス様の思想の中で最も偉大なことは、神様が自分の父であり、自分は神様のひとり子であると主張したことです。ひとり子ということは、父なる神様の初愛を占有しているということです。初愛を受けられる立場に立ったというのです。
神様がキリスト教を世界的な宗教にせざるを得なかった理由は、イエス様が「私は神様のひとり子である」と主張する立場に立ったからです。ひとり子というのは、神様の愛を強調した言葉です。ひとり子は、神様の初愛と結ばれた個人なのです。
2 エデンの園のアダムは、神様のひとり子です。エバは、神様のひとり娘です。彼らが成長し、春の日になって花が咲くとき、二人が互いに春の歌を歌いながら、「あなたは私のお兄さんではないですか」、「あなたは私の妹ではないですか」と言えば、神様はどのようにするでしょうか。明るく咲いた花が香りを漂わせるようになれば、神様が(二人を)結んでくださったでしょう。
神様が結婚式をしてあげることによって成し遂げようとしていた創造の最高の理想が、アダムとエバを中心として成し遂げられるのです。彼らがひとり子とひとり娘としてよく育ち、思春期まで行こうとすれば、期間が必要なのです。
3 イエス様は、「私は神様のひとり子だ」と言いました。ひとり子に必要なのは、ひとり娘です。イエス様がこの地上で世界を救うために出発しようとすれば、一人ではできません。家庭の土台を整えなければなりません。
ひとり子だと主張したイエス様の目的は、世界を統一して号令することです。それをする前に家庭をつくらなければならないのです。イエス様は、家庭をつくることができませんでした。ですから、この地上の人間たちを救おうとすれば、「このようにしなければならない」と言える家庭が出てこなければなりません。一つのモデル家庭が出てこなければならないのです。
イスラエルの国を救う前に、家庭をつくらなければなりません。もしイエス様が、神様のひとり子としてひとり娘に出会って結婚式をするとすれば、その結婚式の主礼は、間違いなく神様がしてくださるのです。救援摂理の最高の目的は、神様が愛する一つの家庭をつくることです。それで、神様の愛を中心として、ひとり子とひとり娘の立場で成長し、神様を父としてお迎えできる場で祝福を成し遂げ、人類の真の先祖の基盤を整えるのです。その場を失ってしまったので、再び取り戻さなければなりません。
Thursday Dec 29, 2022
真の父母経 第3話
Thursday Dec 29, 2022
Thursday Dec 29, 2022
第一章 真の父母の復帰摂理史的意味
第一節 真の父母は人類の真の始祖
真の父母は、完成したアダムとエバ
神様は、永遠に喜びを享受するために人間を創造された。人類の始祖として造られたアダムとエバは、神様の絶対的な真の愛の対象である。人類はただ一双の始祖から始まるため、この一男一女以外に、他の真の愛の血統がつくられることはない。もし、アダムとエバが神様の絶対愛を通して完成し、善なる子孫を栄えさせていたならば、創造主であられる神様を縦的な無形の真の父母としてお迎えし、完成したアダムとエバは、地上の横的な実体の真の父母となり、理想家庭が実現したはずである。また、真の家庭を根源として繁栄したアダムとエバの一族が民族、世界へと拡大し、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ」と言われた神様の三大祝福を完成した世界が成し遂げられていたはずである。その世界がすなわち、神様が地上で実現しようとされた理想天国である。
1 神様が男性性稟と女性性稟を併せ持っていらっしゃるということは、神様のかたちに造られたというアダムとエバを見て、知ることができます。それが一つになってアダムとエバを創造したというのです。それゆえ、神様の位置で、主体と対象の人間、すなわち完全な男性と女性が一つにならなければなりません。
神様がアダムとエバを創造されたのと同じ愛を中心として、そこから初めて息子、娘が生まれるのです。神様が創造した最高の傑作である人間も、結論として、人間(自身)が創造したという位置に立ててあげるために、男性と女性を造ったというのです。ここから、夫婦が完全に一つになることによって生まれる息子、娘は、神様がアダムとエバを造って喜ばれた喜びの偉業までも、相続することができるのです。
神様は、息子、娘を生んで愛することができる愛まで、人間に下さいました。言い換えれば、絶対的な神様がもっているすべてのものを、愛する息子、娘の立場にいる人間に、そっくりそのまま賦与されたというのです。
2 本来のアダムとエバは、神様の体です。実体をまとった神様として現れるための存在が、人類の善なる始祖だったというのです。神様が彼らの心の中に入ってきて、体と一つになり、与えて、また与えたいと思うので、回るようになります。そして、発動機が回るように回り、さらに回って、完全に統一されるのです。そのような種を蒔いたとすれば、そのような種の実を結ぶようになるので、その種はいくら裂いてみても、そのような内容を備えた種にならざるを得ません。
しかし、堕落したので、造り直さなければなりません。神様を再びお迎えし、種を改良しなければならないというのです。神様は、共に生命を分かち合い、共に愛するために、天地を創造しました。ですから、男性と女性は、無形の神様を永遠に愛の実体として登場させるのです。愛の中心実体として登場させるのが、人類の善なる先祖、真の父母です。
3 アダムとエバは、真の父母です。家庭を中心として見るときは、父母が中心なので、家庭の王であり、王妃です。その息子、娘は、未来の王、王妃になり得る後継者です。堕落していない本然のアダムとエバを中心として見るとき、祖父は神様の王権を私たちの家庭に運んできてくれた立場であり、父母は万国に広がる家庭を代表した家庭の王です。本来の家庭の王です。その次に、息子、娘は未来の王孫(王位継承者の長子)として、王権を受け継ぐ王子、王女の立場です。
4 人間始祖の堕落によって、神様が経綸し、神様が創造理想として立てようとされた人類の真の先祖を失ってしまいました。いくら立派で何不自由なく暮らしている人がいて、天下をすべて動かす人がいるとしても彼らは堕落した先祖の血統を受けて生まれました。これが、最も痛恨なことです。堕落した始祖をもった人類は、サタンの地獄に向かって猛進しているので、これを遮り、真の先祖として来て、真の子女として抱いてくれる本然の主人、本然の父母を求めてさまよってきたのが人類の歴史です。
そのため、神様は、四千年の歴史を通して復帰の道を歩み、また歩んで、堕落前のアダム、エバと同じ立場の位置を訪ねてくるのです。
5 堕落していないアダムとエバは、人類の真の先祖です。真の父と真の母です。体をまとった人類の真の父母です。そのアダムとエバが堕落したため、人類がサタンの子孫になったのです。アダムとエバが堕落せずに、本然の神様の心情に通じて、神様が喜ばれる中で、善男善女として聖婚式を執り行い、人類の真の父母になったとすれば、万物はアダム、エバと和動しながら、喜んでその家庭に必要とされるものになったでしょう。
アダムとエバが幸福を謳歌し、神様を永遠の父として、侍ることができる人類の真の父母となり、人類の標本となる真の夫婦となり、神様のみ前には真の子女となったならば、誰も、彼らを奪っていくことはできないというのです。それは、主人が一人だからです。心情の主人も一人であり、愛の主人も一人です。そのようなお方が神様であられます。
6 堕落がアダム家庭から始まったので、本然の姿に帰っていく復帰の目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。神様は、世界と国を求める前に、民族と教会を求める前に、御自身の相対を求め、一つの中心家庭を求めるのです。
神様は、歴史を通して、御自身の理想的な対象になり得る真の家庭を求めてこられました。この真の家庭は、私たちが習慣的に生活してきた家庭とは、内容が根本的に異なります。神様を中心とした理想的な真の家庭を探し出すことができなければ、理想的な国も世界も探し出せません。本然の真の家庭を先に立てなければならないという原則が、ここにあるのです。ですから、個人が救いの目標ではなく、真の家庭が救いの基本単位となります。
堕落しなかったならば、アダムとエバは真の愛による理想的な真の夫婦になり、さらには真の父母となって、その子孫と全人類の真の先祖になったでしょう。アダムとエバを真の父母として繁栄した人類は、一つの大家族をつくり、アダム文化圏の平和世界を成し遂げたでしょう。
7 神様の復帰摂理歴史は、悲しい歴史です。神様がアダムとエバを失ってしまったことが悲しいのです。それだけではなく、アダムとエバを失ってしまうと、その二人でとどまるのではありません。
アダムとエバを失ってしまったということは、アダムとエバの一族を失ってしまったことになるのです。その一族が拡大されて民族になり、一つの国家を形成し、一つの世界に拡大されていたはずなのですが、すべて失ってしまったというのです。ですからアダムとエバを失ってしまうことによって、天の国の王権を中心としたその王国を失ってしまい、天の国の民族を失ってしまい、天の国の氏族を失ってしまい、天の国の家庭を失ってしまったのです。天の国の男性と女性、ひとり子とひとり娘を失ってしまったのです。
ですから、救いの歴史である復帰摂理歴史は、これを取り戻す歴史です。
アダムとエバが堕落していなければ、子孫が繁栄し、今日、数十億の人類がすべて天の国に登録され、家庭がそのまま天国に入っていくようになっているのです。
8 人類始祖が堕落することによって、人類は真の先祖をもつことができず、真の子孫になれませんでした。神様も真の神様の位置に立つことができませんでした。神様を中心とした真の家庭、民族、国家を形成しようとした、そのすべてのことが成し遂げられなかったというのです。そのため、私たちは、再び真の根を求めなければならず、真の家庭が住める国を求めなければなりません。
ですから、神様は、救援摂理を通して希望の世界、真の平和の世界、愛の世界、統一の世界、一つの世界を追求してきたのです。それを成し遂げるために、神様は救世主を送ってくださるのです。真の父母がこの地に来て、個人的な中心、家庭、氏族、民族、国家、世界の中心を教えてあげることによって、全人類を本然の世界に戻そうというのが摂理歴史です。
9 再び来られる主が、空中から雲に乗って来て、霊的に、妄想的な国家を創設するというのが、神様の願いではありません。その方が再び来られるのは、この地を足場として、神様のありったけの愛を受けることができる一人の新婦を迎え、人間の先祖が六千年前に人類の真の先祖になれず、偽りの先祖となることによって失ってしまったものを、取り戻す役事(働き)をするためです。
それゆえ、神様の愛と一致し得る位置に立てる完全な男性と、神様の愛に通じ得る位置に立てる完全な女性が、歴史時代に必ず現れなければなりません。
今この時が、新郎として来られる主を迎える新婦として立つことができる時です。ですから、この位置は、エデンの園でアダムとエバが愛を受けた、それ以上の位置であり、アダムとエバを祝福してくださった、それ以上の位置です。地上にそのような基点が生じてこそ、サタンが侵犯できません。人間始祖アダムとエバが、そのような勝利の位置に立つようになったとすれば、天使長はサタンにならず、完全なる僕の位置で人間に侍る立場に立ったでしょう。これが創造原則です。このような位置を失ってしまった人類は、孤児です。ですから、このような位置を取り戻すことができる人類の真の父母が、この地上に現れなければなりません。
Wednesday Dec 28, 2022
真の父母経 第2話
Wednesday Dec 28, 2022
Wednesday Dec 28, 2022
一九四五年八月十五日、韓半島が光復とともに南北に分断される時、真のお父様は韓国でキリスト教を中心として公式路程を出発された。しかし、予定されていた神霊教団の不信によって、北朝鮮の平壌に行かれて伝道活動をされたが、ここでもキリスト教団の嫉妬と共産党当局による罪の捏造によって監獄での苦難を経験され、二度にわたり厳しい苦難の道を行かれなければならなかった。真のお父様は、六・二五動乱によって興南監獄から出獄される時まで、霊肉共に蕩減復帰の勝利的基台を立て、南に下ってついに一九五四年五月一日、ソウルで「世界基督教統一神霊協会」を創立された。これは、真のお父様が三十四歳になられた年の出来事であり、イエス様の三十三牢の受難の生涯を蕩減復帰する条件を立てられた土台の上で、キリスト教団に代わってアベル型教団を立てて新しく出発されたのである。
協会創立以降、真のお父様が発表する原理のみ言に感動し、数多くのキリスト教徒たちか押し寄せるようになるとこれに脅威を感じた一部のキリスト教団が、真のお父様をより一層、迫害し、(真のお父様が)投獄されるという事態にまで至った。しかし、従う弟子たちが真のお父様を再臨されたメシヤとして、それまで以上に固く信奉するようになり、長成期完成級に復帰する勝利的条件を探して立てるようになった。
これにより、光復後、公式路程の十四年を経た一九六〇年四月十一日、ついに天が特別に聖別し、大切に育てて準備してこられた聖霊の実体である真のお母様を新婦に迎え、天の祝福により、「真の父母様聖婚式」が挙行された。再臨のメシヤが準備された聖霊の実体である新婦を迎え、真の夫婦となる聖婚儀式を意味するヨハネの黙示録第十九章の「小羊の婚宴」が、ついに成し遂げられたのである。太初に天地を創造された神様の創造理想が実現する関門が開かれ、創造本然のアダムとエバが、真の父母として顕現される歴史的な日を迎えた。ついに人類は、霊肉共に原罪を完全に清算できる重生の恩賜を受けられるようになったのである。
真の父母様は、真のお父様が「世界基督教統一神霊協会」を創立してから四十年となる一九九四年、これに代わって「世界平和統一家庭連合」の創立を宣布された。人類の真の父母である御夫妻が一つとなり、サタンを屈服させるためのあらゆる条件を蕩減復帰されたため、「世界平和統一家庭連合」を共同で創立なさることができたのである。これは、復帰された人類の真の始祖として来られた真の父母様を中心とした理想家庭を、全世界的に拡大して成し遂げられる世界こそが、理想世界であることを意味する。
真の父母様は、二〇〇一年一月十三日の「神様王権即位式」と、二〇〇六年六月十三日の「天正宮博物館入宮式および天宙平和の王真の父母様戴冠式」を通して、神様の恨を解怨成就することにより、神の国がこの地に安着できる土台を築かれ、二〇一三年天暦一月十三日を天宙平和統一国(天一国)の基元節と定められた。真のお父様は、聖和(二〇一二年、天暦七月十七日、陽暦九月三日)される二十一日前、地上の生涯における最後の公式宣布報告を通して、救援摂理の「最終完成の完結」を宣言され、すべての祝福家庭が国家を代表する氏族(的)メシヤとなれという祝福とともに、「すべて成し遂げた!」と宣布された。
真の父母様こそ、無形の神様の二性性相を、有形の実体として完成された真の人間の原型であり、真の父母様がその人生と行跡を通して立てられた伝統と教えは、人類が手本とし、学ばなければならない模範である。絶対、唯一であり、あとにも先にも現れることのない真の父母様は、人類歴史において、永遠に神様の愛と真理の光を照らす根源であられるのである。