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Thursday May 11, 2023
真の父母経 第148話
Thursday May 11, 2023
Thursday May 11, 2023
7 アジアで、韓国、日本、台湾の三ヵ国を中心として連結してこようとしたのがお父様の作戦でした。それが今や、世界時代に越えていきます。アジアで防ぐことができなかったため、それが世界にまで及ぶのです。これを、第二戦線であるアメリカが防がなければなりません。アメリカで防げなければ、第三戦線はドイツになります。
一九七七年は、一九一七年に共産国家が出発してから六十年がたつ年です。それで、お父様はアメリカに行き、「一九七七年、七八年になれば、アメリカは共産世界の脅威を防ぐことができなくなるだろう」と話しました。
そのようになる前に、統一教会員たちは三年間でそれを準備しょうというのです。三年間準備して完全に防御戦線を拡大することが、お父様の第三次世界巡回の中心的計画でした。
アジアの日本と韓国と台湾に続き、第二防御線を準備しなければならないので、西洋で自由世界を代表する国家を中心として、アダム国家型、エバ国家型、天使長国家型を備えなければなりません。これらの国が、アメリカとイギリスとドイツです。
ですから、今まで韓国が築いてきた基盤を、そこに植えてあげるのです。連結させるのです。今や、父母様が韓国だけに住まなくてもよい時が来ました。第三次世界巡回路程を終えて韓国の地に帰り、責任を果たせば、韓国の(国家レベルの摂理)時代は過ぎていきます。
8 キリスト教は、霊的救いの宗教です。実体を失ってしまいました。今までは僕復帰の歴史、言い換えれば、天使長復帰の歴史だったのです。今までの霊界の役事がそうです。
イエス様は、亡くなって霊界に行っていますが、愛を受けられる息子の使命を担いました。息子になれば、父の家に行かなければならないのですが、父の家に入ることができずに楽園に入っているので、天使長復帰の使命に責任をもってきたのが、キリスト教の霊的救援摂理です。ですから、これから統一教会が霊肉を中心として、イエス様が追われていったとき以上の基準さえつくっておけば、天使長世界は屈服するようになっています。
イエス様が父の家に入れなかったのは、国家基準で勝利できなかったからです。国家基準を抜け出すことができる基準さえ立てば、天使長世界は地上に絶対服従するようになるのです。そのようになれば、霊的アダムを中心とした本然の世界圏が形成されます。その基準を立てるためのものが、第三次世界巡回路程です。
9 統一教会は、霊肉を中心として、国家基準で、いまだにアベル的な勝利の基盤を築くことができていません。しかし、霊的な基準で国家基準と世界基準を見るとき、思想的な面では私たちが先頭に立ちました。私たちの理論は、誰にも負けません。宗教で言えば、統一教会が内外に公認される時が来ました。ですから、外的にはまだですが、内容ではそのようになったというのです。霊的基準で、国家を越えたアベル基準を復帰したというのです。
霊的基準でアベル復帰を完成したので、霊的基準でカイン復帰の完成に向かって出発できるのです。お父様は第三次世界巡回路程で、霊的カイン世界であるキリスト教文化圏に「悔い改めよ、天国は近づいた」と宣布しました。アメリカはカイン国家の代表国なので、その代表国に宣戦布告をしたのです。
昔、イエス様の時代には、霊肉を中心としたアベルの立場を宣布して、イエス様は命を奪われました。したがって、国家に対して霊的な立場で宣布をしたのですが、命を奪われることなく、反対されずに帰ってくるとき、そして、歓迎を受けたという立場に立つときには、肉的復帰の出発時代に入っていくというのです。原理がそうなっています。そのために行ったのが第三次世界巡回路程です。そのようにして帰ってくれば、韓国は肉的復帰の内的基盤がつくられていくというのです。
10 今回、アメリカで大衆集会を開くようになれば、それはお父様の生前において初めてのことになるでしょう。少なくとも、七ヵ都市でこのような集会を行う計画です。各都市で三日間ずつ行い、二十一日かかるでしょう。これは、公的にみ言を宣布する路程の最初の出発です。皆さんは、この計画に対して責任感をもたなければなりません。反対や迫害があるでしょう。また、歓迎する人もいるでしょう。ですから、ラジオと新聞を利用しなさいというのです。そうして、皆さんが各都市の細部計画と日程を立てれば、お父様がみ言を語るでしょう。また、ドイツとイギリスでも集会を開催します。これは、歴史的な事件です。今回が第三次世界巡回なので、お父様が自ら語らなければなりません。お父様は、この日を待ってきたのです。
11 父母様が韓国を出発する時には、霊的基準で既に韓国を越えていたのです。韓国が統一教会の方向に従ってこざるを得ない霊的基準を、既に設定してきたというのです。それは、現政府やキリスト教が、統一教会の活動と行く道を標榜せざるを得ない段階に入ってきたということです。霊的基準では、キリスト教の権威を越えて、国家基準を越える蕩減条件を成就することができました。一九七二年、七三年、七四年の三年路程の期間に、韓国を離れ、民主世界の中心国家であるアメリカを中心として、全世界に連結させなければなりません。キリスト教民主世界について見てみれば、アダム国家型がアメリカであり、エバ国家型がイギリスであり、天使長国家型がドイツです。ですから、霊的な面でこの三ヵ国を連結させる運動のために行ったのが、一九七二年の三ヵ国を中心とした講演会でした。これは、イエス様の当時に、ユダヤ教を中心としてローマまで連結させなければならなかったように、その相対的国家を中心として連結させる、新しい福音宣布の戦争なのです。
12 アメリカの七ヵ都市をはじめ、イギリスとドイツで講演会を開催しました。なぜアメリカで七ヵ都市を選んだのでしょうか。アメリカは世界的主導国なので、世界に影響を与え得るこれらの地域を選ぶことによって、イギリスやドイツにとって一つの基準になるため、そのような作戦をせざるを得ませんでした。これは、どこまでも霊的な運動です。ですから、肉的基準を連結しようとすれば、このようなことを通して、韓国と連結しなければなりません。一九七二年に入り、そのような基盤を中心として私が新たに出発し、日本食口とドイツ食口、そしてイギリス食口たちを動員したのです。アメリカを中心として、アメリカ食口はもちろんのこと、イギリス食口、ドイツ食口、日本食口など、主導的な国家の食口たちが動員されました。お父様が築いたその霊的な一次基盤の上に、一九七二年から七四年まで、全世界の統一教会員たちを連れてきて、この基盤と一致させる運動をしてきたのです。霊的にするのであって、肉的にするのではありません。お父様だけが霊的基盤を築けばよいのではなく、食口たちが相対的に霊的基盤で一つにならなければなりません。
世界宣教の基盤造成
真の父母様は、一九七二年十一月二十一日に韓国を出発し、日本を経由して、二十三日にアメリカに到着された。第四次世界巡回というタイトルで韓国を出発したが、実際には、アメリカに滞在して宣教活動を集中的に展開し、八ヵ月後の一九七三年七月二十二日に帰国された。このときのアメリカ訪問の目的は、世界宣教の基盤造成と世界統一十字軍(国際伝道機動隊)の再教育であった。第三次世界巡回当時に編成された世界統一十字軍の実績を検討し、国家を超越して世界的な舞台で活動ができるように、拡大、改編したのである。また、真のお父様は、一九七二年十一月二十三日から二十六日まで、ニューヨークで開かれた第一回「科学の統一に関する国際会議」において、「世界の道徳啓蒙に対する統一科学の任務」というタイトルで基調演説をされた。
13 お父様は、国家なら国家を中心として、統一の一族であれば統一の一族を中心として、成し得る限界まではすべてやりました。今からは、皆さんがお父様のために生き、み旨のために生きることにおいて、より大きな範囲で責任をもち、全世界的に活動しなければならない時になっていきます。
言い換えれば、今までは皆さんがお父様についていきながら活動してきましたが、これからは、それではいけないのです。反対に、皆さんが(自ら)訪ねていって活動できる立場に立ってこそ、お父様が定着することができます。
今、お父様個人を見れば、いまだに定着できていないのです。環境的にもそうです。父母様の家庭が定着してこそ、祝福を受けた家庭が順番に定着していくのです。祝福を受けた家庭が、すべて定着しなければなりません。そのような基盤が広がり、このような一つの国家さえ成立すれば、世界復帰は短期間のうちに成就されるというのです。
14 皆さん自身が、お父様の使命を引き継ぎ、責任を果たせるかが問題です。お父様が国のために闘い、国のために迫害を受けたのであれば、皆さんは国のために迫害を受けるより、世界のために迫害を受ける覚悟をしてこそ、国が保護を受けられる圏内に立つようになるのです。言い換えると、お父様が個人的に侵犯を受ける問題が生じるようになれば、それを皆さんが世界的に責任をもって防げるか、守れるか、ということが問題になります。
父母様の第三次世界巡回路程と同じように、皆さんも世界に対して巡回路程のような新しい道を、三回以上行かなければなりません。個人的にも行かなければならず、家庭的にも行かなければなりません。父母様の家庭が直面する受難の道や、外的に直面する何かがあるとすれば、そのすべてに責任をもち、サタンから守ろうという決意をもった家庭がなければならないのです。
15 今の世界の国々を見るとき、アメリカも共産党に襲われやすい状況であり、日本も、韓国も、ドイツもそのようになっています。すべて、サタン圏に追われる立場にいるのです。その闘いの標的、目的を失い、いかなる方向に進んでいるのかを、自由主義国家圏では誰も知りません。そのような時が来れば、その時が終末です。
その反面、統一教会は、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、このように復帰の基盤を広げて、条件的には既に世界の横的基盤までつくりました。父母様は、三次の世界巡回路程を中心として、韓国で二十年以上闘って収めたその実績を、そのまま横的に世界に連結させる運動をして帰ってきたのです。
16 私たちは、外的な世界時代に向かって前進しなければなりません。ですから、「死線を越え、命を懸けて行きなさい」と言えば、無条件に行かなければなりません。このようにして、韓国だけでなく、世界的な機動戦線をつくらなければなりません。一つは共産圏であり、一つは民主圏ですが、世界を中心として、このような内外の戦線を守護すべき責任があるので、一九七二年は「統一戦線守護」という目標が出てきたのです。
このようなことを私がアメリカでしょうとするのですが、そこでも、サタンがどれほど反対するか分かりません。アメリカの食口たちに一次、二次と話をし、三次まで話をしても、信じなかったというのです。信じないようになっています。ですから、父母様が自ら先頭に立ち、経費を出してその基盤を築いてあげて帰ってきた路程が、第三次世界巡回路程でした。今度は伝道機動隊を再教育するために行きます。これが第四次世界巡回路程です。再教育をして強い組織をつくり、徐々に世界的な舞台に拡大していくでしょう。
17 お父様は、第三次世界巡回路程中、時間がないにもかかわらず、一週間でアメリカの上院議員十人に会いました。そして、下院議員十五人にも会いました。今や、お父様は有名になりました。「ニューヨーク・タイムズ」と、「ワシントン・ポストIの一面を使って記事が出ました。アメリカの七大都市で復興会をし、リンカーン・センターを借りて、彼らもできないことを今までしてきたので、お父様が「会おう」と言えば、上院議員も好奇心からでも会うようになっているのです。
会って、これからのアメリカの展望について話をしました。また、今後、共産党に引き込まれてはいけないと警告したことが問題になっています。上院議員百人のうち、十人に会ったのですから、十分の一に会ったことになります。その人たちに会って国際情勢について話したため、お父様の言葉は、すべてうわさになるようになっています。ですから、第四次世界巡回中にアメリカに行けば、またどのような影響を及ぼすだろうかと、あらゆる人が注目しています。
大韓民国では、国会議員を一人も門の中に入れず、訪ねていくこともしなかった私が、なぜアメリカでは、そのようなことをしなければならないのでしょうか。それは、今後の作戦のためです。大韓民国が問題ではないというのです。
18 父母様はそう遠くない将来、第四次世界巡回路程に出発するでしょう。これからニューヨークに行けば、一九七二年十一月二十三日に、「科学の統一に関する国際会議」で講演しなければなりません。それは、私が創設しました。世界的に優秀な人々を、韓国に呼び集めなければなりません。そのようにしてこそ、韓国を生かせるのです。統一教会員たちが、今後、世界に行く道も築いておくのです。
世界的な環境ができるのも、そう遠いことではありません。父母様は、世界巡回に出発すれば、何ヵ月間か滞在し、また帰ってくるでしょう。韓国を完全に離れるのではありません。アメリカに早く統一教会の食口をたくさんつくり、韓国人を家庭ごと連れてきて一緒に住みたいと思うような状況にしておけばよいのです。ですから、そのような基盤を造成しなければなりません。

Thursday May 11, 2023
真の父母経 第147話
Thursday May 11, 2023
Thursday May 11, 2023
強行軍の中で世界の食口を激励
真の父母様は、第二次世界巡回の期間を強行軍で歩み、各国の宣教師と食口たちを激励して新たな指針を下さった。特に、第二次世界巡回の期間にアメリカ、ドイツ、日本において、十ヵ国、四十三双の祝福結婚式を主宰された。
9 世界を巡回しながら外国の食口たちに、「願いは何か」と尋ねてみると、皆が「韓国に送ってほしい」と言いました。実際は、父母様が送ってあげるのではなく、自分たちで、自ら来ればいいのですが、来るときは、ただ来るのではなく、条件を備えていなければなりません。その条件とは、韓国語ができなければならないということです。今は英語が世界共通語になっていますが、これから見ていなさい。父母様が生きている間に伝統を立てておけば、今後、世界語は間違いなく韓国語になるでしょう。
第二次世界巡回路程中、ドイツで十一ヵ国の宣教師を集めて会議を行いました。少なくとも一九七〇年四月までには、聖地を選んだ四十ヵ国に宣教師を派遣する計画です。そして、三年後には百二十ヵ国にまで宣教師を派遣するでしょう。今や私たちの時が近づきました。皆さんは、私たちの思想が途方もないものであるという事実を知らなければなりません。また、私たちの民族がこれから世界的に誇り得る民族になることを知り、統一教会に入ったことを誇りに思わなければなりません。
10 世界各地を回るたびに、外国の人たちがお父様にすがって涙を流すのを見るとき、うれしい反面、悲しい心情にもなりました。数多くの人々の中で、彼らが私を慕い、私が行ってしまうといって涙を流すその絆は、どこから出てきたのでしょうか。六千年前から出てきたというのです。
アダムとエバが罪に対して全責任を背負って神様の懐を離れるとき、(絶望の)涙を流していったので、そのときの絶望によって分かれていった人類が、歓喜の希望の中で出会うためには、この地上に涙の海ができなければなりません。そうでなければ、それを蕩減復帰することができないのです。
民族と国家を越え、東洋と西洋の文化を超越し、その方が涙の交差路を行くとき私も行き、その方が死ぬとき私も死ぬという決心をしなければなりません。そうすれば、たとえ自らが滅んでも、自分は勝利者であるということを感じるでしょう。
11 私が数十ヵ国を巡回しながら、数多くの民族に願ったこととは何でしょうか。その人々は、韓国人のことを取るに足らないものと思っていました。それなのに、韓国にいる私という人の何が良くて、従わなければならない運命に置かれているのかというのです。私が願うことは、私に従うのではなく、神様に従うことです。私を愛そうとするなら、神様を愛してから愛しなさいというのです。
このような人々と向き合うとき、私が責任者として、一つ忘れないことがあります。それは、彼らに負債を負っていくのか、負債を負わせていくのかということです。私は絶対に負債を負いません。彼らが夜を徹して精誠を捧げたとするならば、私も夜を徹するというのです。ですから、眠気に襲われ、疲れていても、それが問題ではありません。この国を経てきた数多くの恨多き霊人たちが、私を仰ぎ見ているとすれば、彼らのために悩まなければならないのです。彼らの心情とどのように一致するかが問題です。絶対に負債を負わないというのです。ですから、私が行った国で与えたものに対しては、蕩減しなければなりません。
12 父母様は、第二次世界巡回をしながら、各地にいる私たちの宣教師に指示をしました。そうして「一九六九年六月一日から四ヵ月間は、全世界的に信仰の祖国である韓国のために精誠を捧げなさい」と言ったのです。世界の食口たちが、朝になれば韓国に向かって切実に祈っているというのです。
今回の世界巡回の期間は、父母様にとって本当に大きな闘いの期間でした。疲れも限界に達しました。彼らは数年間、父母様が来るのを心から待ち望み、ようやく会ったのですから、時間制限というものがありませんでした。夜十二時になろうと、一時になろうと、父母様が少しでも長くいてくれることを願う彼らの気持ちが分かるので、それを無視して、疲れたからといって思いどおりに休むことはできませんでした。アメリカから、ドイツをはじめとするヨーロッパ、日本を経て帰ってくるときには、それこそ精神力で持ちこたえることができたのであって、そうでなければ倒れていたでしょう。本当に無理をしました。
13 第二次世界巡回路程中にも、父母様はアメリカと日本とドイツで、多くの人を祝福してあげました。祝福家庭でも他の家庭でも、男性と女性が一緒に暮らすのは同じです。それでは、何が違うのでしょうか。一番貧しい人と一番のお金持ちの人を互いに比較してみると、何が違うのでしょうか。同じように目があり、鼻があり、口があり、耳があるというのです。韓国で一番のお金持ちでも、乞食の服を着せておけば、乞食と変わらないように見えます。乞食ではなくても、乞食の振る舞いをすれば、乞食に見えるというのです。しかし、たとえ乞食の服を着たお金持ちが死んだとしても、世の中の人々は「お金持ちが死んだ」と言うのであって、「乞食が死んだ」とは言いません。
このように、表に現れた姿は同じだとしても、その内容が違うのです。これと同じように、統一教会が違うのも、その内容が違うというのです。神様を中心とした家庭は貴いのです。
第三節 第三次世界巡回
世界的宣教基盤を築いた第三次巡回
真の父母様は、一九七一年十二月五日から七二年五月八日まで、十五ヵ国を対象に第三次世界巡回を行われ、この期間、特にアメリカ、イギリス、ドイツの三ヵ国の主要都市で講演会を主宰された。真の父母様は、アメリカのビザの問題で日本とカナダを経由し、十二月十八日、紆余曲折の末、アメリカに入国したのち、巡回講演をされるなど、目覚ましい活動を展開された。そして、一九七二年三月十六日にイギリスのロンドンに到着し、二十日から二十二日まで巡回講演を行われ、三月二十三日にはドイツのエッセンに到着して、二十八日から三十日まで巡回講演を行われた。三月三十一日、オランダに到着された真の父母様は、フランス、オーストリア、イタリア、ギリシャ、イスラエル、イラン、インド、タイ、台湾、日本などの地を経由して、帰国の途に就かれた。真の父母様は、第三次世界巡回を通してアメリカに滞在しながら、その間、個別的に行われていた宣教活動を組織化し、食口たちを直接、教育することによって、宣教の新しい時代を開かれた。
1 第三次七年路程が一九七五年から出発するので、三年前から基盤を築かなければなりません。その基盤を築くことができなければ、世界的な第三次七年路程で、有効かつ適切な勝利を収めることができないのです。それで、一九七二年から三年間を準備期間に定めたのです。三年の間に、この峠を乗り越えなければなりません。
父母様は、第三次七年路程を通して、大韓民国を世界に連結させる責任を果たさなければならないので、今まで大韓民国で築いた基盤を中心として、一九七二年にアメリカなど、世界の重要な国家に相対的な基盤を築いて帰ってこなければならないのです。その基盤を築くのが第三次世界巡回路程です。
2 一九七〇年、十ヵ国が参加する中、韓国で七百七十七双の祝福結婚式が行われました。それは、第三次世界巡回を準備するためのものでした。また、韓国で築いた基盤をその国々に連結させるためのものであり、その基盤を他の国々に横的に拡大するためのものでした。したがって、この祝福結婚式に参加した人々は、韓国に来なければならなかったのです。
3 お父様は、第三次世界巡回路程において世界的な計画を立てています。今までは韓国のキリスト教を救おうとしましたが、これからは韓国のキリスト教よりも、世界のキリスト教とアメリカを救ってあげなければなりません。ですから、新しい角度に方向を定め、国際的な活動を準備しようと思います。そのようにするためには、相当な資源が必要です。そして、講師たちや若い人々を準備しておかなければなりません。
遠くない将来に、韓国を代表する世界的な復興団が出現する時が来るでしょう。全世界を代表する復興団が世界を歴訪するでしょう。そして、国家を代表する復興団が世界を歴訪できる組織を、遠くない将来につくります。そのようにして、何ヵ国かの復興団が一つのチームとしても活動し、あるいは何ヵ国かにおいて同時に活動する作戦も実施しようと思います。
4 今からは、世界的な基盤を築くための準備をしなければなりません。国内外で統一教会が追われる時は過ぎていきます。私たちが世界に旋風を巻き起こさなければなりません。共産党が新たな整備をして世界進出を夢見るのと同じように、これに備えて天の側も新たに整備し、外的な世界に影響を及ぼしていかなければなりません。ですから、世界本部を建てよと汝矣島の土地を買い、世界的な修練所を造らなければならないので、清平の土地を買うのです。世界的な大学を建てるためにも土地を買いました。外的に備えて世界に進軍しなければならない時になったので、このような準備をしてきたというのです。ですから、今回、世界巡回に出れば、少なくとも四十ヵ国以上に宣教部を設置して帰ってこなければならないという使命を感じています。そして、数年以内に百二十以上の国に宣教部をつくらなければなりません。
5 「六・二五動乱」は、北朝鮮が韓国を打つことによって起きた戦争です。この時、民主世界が韓国を支援し、北朝鮮の侵攻を防いでくれたため、韓国を守ることができたのです。ここには十六ヵ国が参戦したのですが、これは四数に四数を掛けた数です。それでは、なぜ民主世界の代表国家が韓国に来て戦ったのでしょうか。摂理的な次元から見るとき、韓国は彼らの祖国のような立場なので、彼らが祖国光復のために血を流さなければ、民主世界が生き残る道がないからです。それによって、民主世界がお父様を助けてくれたことのようになり、国を助けてくれたことのようになりました。
言い換えれば、お父様が獄中から出てくることができるようにしてくれ、国が滅びるところを助けてくれたので、その両方を助けてくれたのと同じ立場になったというのです。ですから、民主世界が再び福を受ける道が開かれるようになったのです。
今、アメリカも落ちていき、イギリスも落ちていっています。このような時に、私がその恩を返す活動をしているのです。アメリカも引き上げてあげなければならず、イギリスも引き上げてあげなければなりません。統一教会が神霊を中心として、霊的基準において勝利できる完全な内外の基盤を築いたという立場に立ってこそ、霊的民主世界のキリスト教圏を協助しこのように引き上げることができるというのです。統一教会がそのような立場で世界を連結させるためのものが、第三次世界巡回路程です。
6 一九七一年は、第二次七年路程の中間の年です。この年に父母様は、第三次世界巡回をしているのですが、これには大きな意味があります。韓国を出発して日本に行き、カナダに寄つてアメリカに来ました。アメリカに来るまで多くの障害物と闘わなければなりませんでしたが、そのような困難は次第に減っていくでしょう。
カナダは、アメリカに対してエバの立場にあります。カナダはエバの立場にあるイギリスの延長だからです。父母様は、韓国で収めた勝利的な基盤を、日本、カナダ、そして、アメリカに連結させようとしていました。カナダを経由してアメリカに来たのですが、カナダがアメリカに対してエバの立場にあるので、そのようにすることができたのです。
父母様がアメリカにその勝利的基盤を連結させようとしたので、サタンはそれをさせないようにしようと全力を尽くしたのです。ここに来るのに多くの困難があった理由が、そこにあります。また、アメリカの国務省もじっとしてはいませんでした。そのような条件を打破することによって、天が韓国で復帰した勝利の基盤を皆さんが相続できるようになったのです。
アメリカの次は、ドイツに行く予定です。イギリスを経由して行かなければなりません。それが成功すれば、そのような条件はなくなるでしょう。復帰摂理は、公式なくしては成し遂げられません。徹底的に公式に従わなければならないのです。

Thursday May 11, 2023
真の父母経 第146話
Thursday May 11, 2023
Thursday May 11, 2023
アジアおよび日本第二次巡回
真のお父様は、一九六五年九月七日、インドのニューデリーに到着したのち、アジア八ヵ国を歴訪しながら聖地を選定された。七日から十一日までニューデリーに滞在していた元サラワク王のアンソニー・ブルック卿からは、特別な案内を受けられた。十二日からインドのコルカタ(カルカッタ)を回られ、二十八日まで、シンガポール、マレーシア、タイ、ベトナム、フィリピン、香港、台湾などを歴訪された。九月二十九日、日本に到着された真のお父様は、十月一日に日光、五日、六日に箱根、熱海を訪問され、エバ国家である日本の使命などについて語られた。そして、真のお父様は、出国から二百五十六日ぶりとなる十月十日、韓国に戻ってこられたのである。
46 お父様がアジアの南方国家を歴訪しながら、最も大変だったのが暑さでした。暑い所で宣教をするのが一番難しいというのです。インドのコルカタ(カルカッタ)に行って約一週間滞在したのですが、温度が摂氏四十一度まで上がりました。ここで伝道をしようとすれば、本当に大変だろうと思いました。
皆さんの中で、そこに行く人はいますか。アジアでどこに人がより多く住んでいるかと考えてみるとき、極東地方より熱帯地方にたくさん住んでいるのです。中国でも、全人口の半分が暑い地方で暮らしています。割合で見れば、アジアでも、北より南に人が多くいるというのです。
47 皆さんは、日本統一教会の最も困難な立場に立つことができ、困難なことに責任をもつことができる人にならなければなりません。私たちの目的を達成するためには、果てしなく前進しなければなりません。皆さん一代で成し遂げることができなければ、二代、三代の子孫を通してでも、必ずやその目的を達成しなければなりません。世界的な波が打ちつけてくるとき、その中に飛び込む人の数によって、民族的な勝利が決定されます。統一教会の食口たちは、目に見えない世界的な運動をしていますが、それはある一時になれば、この地上に現れ、問題になるでしょう。そのような時期が間違いなく来るでしょう。その時になって、日本が一番目になれば、日本は世界の中心になるのです。
48 今後の問題は、世界を動かすことです。そのためには、第一に理念の徹底化、第二に組織の強化、第三に共同活動で一致しなければなりません。ですから、私たちは共産主義に対して、共産主義以上に強い組織力と活動力をもって対決しなければなりません。さらに進んで、組織化しなければならないのです。私たちには夜も昼もありません。食事も忘れてしまうのです。私は、そのような人々をたくさん育てようと思います。
日本もそうです。近いうちに日本でも、政府が統一教会に対して注目しなければならないようになっています。そのような時期が来るというのです。皆さんによって日本は救われるのです。その基盤が立てられれば、ある峠を越えてからは、組織運動をしなければなりません。
第二節 第二次世界巡回
世界宣教に拍車を掛けた第二次巡回
真の父母様は一九六九年二月二日から五月二日まで世界二十一ヵ国を対象に、第二次世界巡回を行われた。二月二日、日本の東京にある本部で地区長会議を主宰し、三日には名古屋に到着して、リトル・エンジェルスの日本における最終日の公演を参観された。二月四日、アメリカ巡回に出発された真の父母様は、三月十六日からはポルトガル、スペイン、イギリス、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、スイス、オーストリア、イタリア、ギリシャ、エジプト、キプロス、イスラエル、イランなどの地を巡回された。そして、イランのテヘランを出発し、インドのニューデリー、タイのバンコク、香港を経由し、四月十八日午前零時頃、日本の東京に到着、五月二日に帰国された
1 一九六九年は、失われた世界を取り戻すために、民族の運命から国家の運命、すなわち最高の峠を越えなければならない非常に重要な時期です。アジアで、さらに最高の峠を越えていかなければならない時です。父母様は、このような覚悟で約百日間、世界を巡回しようと思います。
新しく入ってきた統一教会員たちも、過去、どのように生きてきたにせよ、この途方もない思想を中心として、伝統を立てなければなりません。年を取った人は、過去を否定して犠牲になり、年の若い人は、統一教会の未来のための役軍にならなければなりません。そうして、この思想をこの民族と国家の前に一つの基点として立て、その目的が達成される瞬間まで総進軍しなければなりません。
ですから、民族を愛し、国を愛する中で、神様に侍って生きていける三千里半島になり、三千万の民族がもろ手を挙けて神様を歓迎するようになって、この国の主権全体が神様をたたえる世界的な事件が起こる三千里半島になるようにしなければなりません。そのようにして、世界を統一するだけでなく、指揮することができ、二十世紀だけでなく、数十世紀以降にまで新しい歴史時代を開く、源泉的動機となる基盤を整えようというのです。これが統一教会員たちの行く道です。
2 一九六八年に入ってから時代が変わりました。「神の日」を設定したというのは、エデンの園で失ってしまった本然の基準を、勝利的に探して立てたことを意味します。ですから、今までは神側の人々を犠牲にして救援摂理をしてきましたが、今からは蕩減歴史の方向が変わったので、反対の現象が起こります。神側の人を犠牲にして祭物にするのではなく、サタン側の人を打つことによって蕩減する時代に入ったというのです。ですから、国際情勢を見ても、東ヨーロッパでも新たに西欧の思想が芽生えるようになったのです。そして、世界的に優れていると誇る人々の勢いが、それ以上に上がらず、(勢いを)そがれて下がっていきます。最高の基準で世界を動かしてきた彼らの勢力が、今や下がっていかなければならない運命の時代に入るようになります。父母様は、一九六八年から一九七〇年までの三年の期間を、摂理的に一つの過程として見ています。したがって、摂理的に見るとき、この三年の期間は、私たちが全体的に一つの過程を革新して清算し、越えていかなければならない期間です。アジアの情勢も慌ただしい状態に置かれています。その上、韓国を中心として見るとき、韓半島の情勢は、今年、一九六九年が危険な峠なのです。
3 今の時代は、相当に緊迫した時です。世界を巡回しながら感じたことは、全世界が私たちの(目指す)み旨を緊急に求めているという事実です。一九六五年と一九六九年では、天地の差があります。世界には想像もできないほど、多くの変化がありました。アメリカやヨーロッパなど、世界のどこに行っても、今や私たちの(目指す)み旨でなければ世界は収拾できないことを、目の前の事実として感じられました。歳月が流れれば流れるほど、私たちの(目指す)み旨は広がっていき、世界はだんだんと死亡圏内に落ち込んでいくようになるでしょう。
4 これから、皆さんは、統一を中心として祈らなければなりません。また、聖地を中心として祈るのですが、父母様が世界巡回を終えて帰ってくるまで、男女を問わず、時間ができ次第、聖地で祈りなさいというのです。早朝に行けなければ、昼や夕方に聖地に行って祈るのです。
父母様が草創期に、この聖地で涙を流しながら祈ったことを考えてください。これまで聖地を選定し、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を定めるまで、どれほど苦労の道を歩んできたかを考えてください。それを中心として、一九六八年一月一日、「神の日」を定めるまで、どれほど苦労したかを知らなければなりません。
神様もかわいそうだったのであり、父母様もかわいそうだったのであり、統一教会員たちもかわいそうでした。今や、統一の起源を全世界に打ち立てなければならない責任が皆さんにあります。たとえ硬い石の上に座って祈るとしても、石が涙を流し、山や川が頭を下げるほど祈らなければなりません。私が世界巡回をする間、皆さんは、本当は昼食を抜かなければならないのですが、そのようにさせたいとは思いません。その代わりに、聖地祈祷を熱心にしなさいというのです。「統一の歌」を一生懸命に歌い、その心が民族感情と人類および神様の復帰摂理に対する統一的な感情をもつようにして、万民が手本とすることができるよう、聖地を中心として精誠の限り、祈りなさいというのです。また、父母様が帰ってくるときには、数多くの民族に統一の起源を立てる責任を果たして帰ってくることができるように、祈らなければなりません。
5 お父様が世界を巡回しながらエルサレムに寄った際、オリーブ山に登って、古いオリーブの木が立っているのを目にしました。二千年前にイエス様がぺテロ、ヤコブ、ヨハネの三弟子を率いてゲッセマネの園に登り、三度の祈りを捧げた時、その三弟子が、恐らくその木の下で居眠りしたのでしょう。そこは、イエス様に叱責を受けた場所であり、弟子のユダが来てイエス様を売り渡した場所ですから、口では言い表せない所です。ところが、そこに来る人々はみな、「私たちの主は、死ぬためにここに来られ、私のために死んでくださった。よくぞ死んでくださった」と考えるというのです。本当に口では言い表せない所なのです。
6 一九六九年に二十一ヵ国を歴訪しながら、一九六五年に四十ヵ国を歴訪した時とは、世界的な情勢に多くの違いがあることを感じたのですが、神様の復帰摂理を中心として見るとき、今や、神様が目指すみ旨と、この世界の情勢が一つになる時が近づいたという結論を下すことができました。一九六五年にお父様がアメリカに行った時、アメリカ人の社会生活を見て感じたことは、民主主義の先導国家として、自分たちの国でなければ世界を収拾できないという自負心を、いつももっているということでした。それを、彼らの社会の中でかいま見ることができたのです。
しかし、今回行って感じたことは、アメリカ自体の力では、アメリカはもちろん、民主世界全体の問題を収拾できないことを、全国民が認識しているということでした。このような社会的状況と社会的流れを全般的に推し量ってみるとき、私たちが果たすべき使命の時期が差し迫ってきていることを切実に感じました。
東南アジアと、その他のアジアは言うまでもなく、ヨーロッパ一帯のすべての国が、アメリカと同じだというのです。ですから、このような時に、「統一理念」を中心として、世界的な使命を果たすべき統一勇士たちの世界的な任務は、極めて重大だというのです。
7 私はアメリカの食口たちに、「アメリカという国が太平洋の遠くにあるからといって、ベトナムから手を引いてうまくいくと思いますか。共産党はアメリカの中にもあります。もしベトナムから手を引いてしまえばブラジルやメキシコのような国がそばにあるではないですか。私が一九六五年に南米一帯を調査してみた結果、南米の大部分が反米思想をもっていました。ここで、キューバの近隣諸国のうち、一国だけでも共産圏に加担し、メキシコのような国に火をつければ、アメリカの鼻の先でベトナム戦争のようなことが起こるのが、なぜ分からないのですか。十年以内に共産党がそのような政策をもって、アメリカの地に火を放つことを考えないのですか。アメリカはそのようになっています」という話をしました。間違いなく、そのようになっているのです。
ですから、アメリカが対共作戦で後退することはあり得ないというのです。それで、私がこれに備え、アメリカにおける防衛網を張るために全力で活動するように強調してきました。
8 神様の六千年の歴史を通して解けなかったすべての歴史的な問題を、お父様の一代で解きました。もはや死んでも、「統一原理」は世界を制霸するようになります。いくら日本の一億の国民が反対しても、「統一主義」には勝てません。神様は、日本自体だけを求めるのではなく、世界を必要とするからです。霊界と地上世界、天宙を必要とするからです。神様は、環境を先に造られました。今は、少しだけ動けば、世界がすぐに動く時代圏に入ってきています。統一教会の青年たちは、「神様がいない」ということを夢にも考えることができません。神様は、観念的な神様ではなく、生活圏内に実存される神様です。神様の心情は、感傷的な心情ではなく、実証的な心情です。復帰の路程を完全に通過しなければ、言い換えると、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙のあらゆる圏内に入ってサタンに讒訴されない基準を立てなければ、祝福の条件を立てたと言うことはできません。

Thursday May 11, 2023
真の父母経 第145話
Thursday May 11, 2023
Thursday May 11, 2023
34 アメリカがいくら暮らしやすいといっても、神様の本然の心情を中心として見るときには、神様の喜びの資料になることができず、栄光の象徴に近づくことができずにいます。このように、アメリカの天地が悲しみと嘆息のどん底に引き込まれていくのを神様が見るとき、唖然としてしまうというのです。
ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルに行って祈ったことがあります。アメリカの燦爛たる文化として造り上げた、世界で最も高いというビルです。「このニューヨークの地で、お前を中心として天と縁を結ぶ人々がどれくらいいるのか。お前にも蕩減の道を歩ませよう」と考えました。ニューヨークの地をいくらくまなく探しても、神様と本然の心情に通ずる真の父母がこの地上に来られるとき、真の血縁的な絆を結んで息子、娘になれる人がいませんでした。ニューヨーク市民の中で、一人でもいるかというとき、いなかったのです。アメリカ国民をくまなく探し回っても、いませんでした。アメリカ人が住む前から、アメリカの主人は神様です。インディアンが住む前から、神様が主人なのです。したがって、神様が最も愛する人が、アメリカの主人になるのです。
35 今日のアメリカ合衆国は、二千年前のローマ帝国と同じ立場にいます。「二十世紀のローマ」と言えるアメリカは、自分たちの文化ばかりを誇っていた一世紀のローマのようになってはいけません。また、他国を支配するためだけに苦心する国であってもいけません。
神様の祝福は、絶対的に公的なものです。その祝福は、ある個人だけのためのものではなく、またある家庭だけのためのものでもなく、ある国家だけのためのものでもありません。また、世界だけのためのものでもありません。神様の祝福は、宇宙全体のためのものです。アメリカの兄弟姉妹の皆さんは、神様がこの地の上に大きな祝福を下さり、この場を準備されるまで、どれほど多くの苦難に遭ってこられたのかを知らなければなりません。今や、偉大な理念が本当にこの地上に誕生しなければなりません。世界人類は一つの兄弟であるという、偉大なイデオロギーが誕生しなければならないのです。
36 私は、韓国を愛しています。しかし、私の使命は、韓国よりもつと大きく、世界的なところにあります。私の祈りと関心は、韓国を越えて全世界に集中しています。同じように、アメリカの兄弟姉妹たちも、アメリカだけのために祈ったり、あるいはアメリカに対してのみ関心をもったりしてはいけません。
皆さんは、アメリカの人々だけのために十字架を背負ってはいけません。全世界のために十字架を背負わなければならないのです。アメリカだけのために泣いてもいけません。涙を流すならば、世界のために涙を流さなければなりません。皆さんは、全世界のために血と汗を流さなければならないのです。世界を愛するがゆえに、アメリカを愛するという立場に立たなければなりません。
37 一九六五年にアメリカに行った時、アイゼンハワー元大統領に三大条件を実践しなさいと話しました。歴史的な問題、宗教的な問題、そして、思想的な問題をどのようにするのかについて尋ねました。初めは、面会時間が五分間と定められていました。ところが、二十分超過したのです。「帰る」と言うと、彼は名残惜しそうにしながら、私を二階に連れていき、自分の生活館を見せてくれました。そして、彼は、自分の一世一代の忘れ難い記念品をくれました。また、チャーチルやスターリンのような人たちとどのようにしたということなどを誇つたりもしました。
統一教会は、アメリカを第一飛行場にしなければなりません。そして、統一教会の一人の青年が現れ、全世界に向かって何かを語ったとき、「事実がそうである」と人類が共感すればよいのです。
38 私はアイゼンハワー元アメリカ大統領に会い、「六・二五動乱」の参戦問題を中心として話をしました。「民主世界が作戦を立てて共産世界を防ぐ立場に立たなければ、民主世界が共産世界に勝ったとしても、共産世界はイスラーム圏を通して、再び民主世界に対抗してくる」と言ったのです。
サタン側である左翼は、外的な共産世界と内的な宗教型(イスラーム原理主義)を中心に一つになっているのですが、神側の立場にある右翼は、外的な民主世界と内的なキリスト教が一つになれませんでした。神様が六千年間計画した人を送るために準備したアメリカが、右翼的な立場で天を擁護しなければならないにもかかわらず、カイン圏と手を結んで同調するというのはあり得ないことです。
アメリカは、民主世界の主導的な責任を担って今まで歩んできました。アメリカ国民は、神様がアメリカを二百年間、無限に祝福してくださったことを知らなければなりません。サタン世界のものを奪い返して与えたのです。サタン世界を凌駕できる力を与え、次に、怨讐の国民よりも大勢の国民をもたせました。その次に、物質主義が問題になることを御存じの神様は、物質主義を防止できる祝福をアメリカに下さいました。アメリカは、右側の強盗の責任を担当し、どんなことがあっても神様を擁護し、キリスト教を擁護し、物質中心の生き方になることを防ぐために最後まで責任をもたなければなりません。
中南米、ヨーロッパ、中東巡回
真のお父様は、一九六五年七月三日にパナマ、四日にコロンビア、五日にチリ、七日にアルゼンチン、八日にブラジルなど、中南米の五ヵ国を歴訪された。そして、七月九日にブラジルを出発し、アフリカのセネガルを経由して十日、ポルトガルに到着され、八月二十四日までヨーロッパの十七ヵ国を巡回された。続いて、八月二十四日にギリシャのアテネを出発し、エジプトのカイロに到着したあと、九月六日まで中東六ヵ国を歴訪し、世界の食口たちを激励された。特に八月三十一日、エルサレムの聖地巡礼の際、イエス様がゴルゴタの山頂まで十字架を背負って登られた路程を回想しながら、哀切なその事情を酌んで深く慰労された。
39 お父様がブラジルに行ったとき、現地の言葉も話せないある日本の食口が、神様のみ旨を伝えるため、若い年齢でありながら、自ら進んで十字架を背負うのを見ました。その荒地のような場所に行って苦労しているのを見て、心が痛みました。
心情の世界は、国境と武力で遮ることはできず、いかなる思想も遮ることができません。その人は、既に日本人ではありませんでした。韓国人より、もっと心情的でした。たそがれ時の飛行場に立ち、飛び立つお父様を涙で見送るその忠誠にあふれた姿を、私は今も忘れられません。世界に向かって祭物として訪ねていく、その涙の基盤の中で統一の役軍(担い手)に出会うことができなければ、このみ旨と使命は民族的なものにしかなれないというのです。
40 ヨーロッパを巡回しながら祈って考えてみましたが、アルプスを越えるのは問題ではありません。ヒマラヤを越えるのも問題ではありません。それ以上の困難な所、最前線に行って闘うのです。これがお父様の作戦です。この道は復帰の道なので、原理原則に合わなければ解けません。私たちは、切迫した時を迎えています。
共産党がどうして「自分たちの怨讐は宗教である」と言ったのかというのです。「宗教の怨讐は共産党である」という世界的命題のもと、私たちは闘っているのです。
41 ローマのバチカン宮殿の前で神様に祈りを捧げました。「神様、二千年の歴史をもち、六億以上の信徒をもつ教会がここに建つています。しかし、彼らがどのようになるかを考えるとき、心配せずにはいられません。数え切れないほど分裂した教派と教団を、父なる神様が願われるとおりに、一つに統一いたします」と祈ったのです。
そこは、ヨーロッパ文明の総本山の地であり、また集結地です。ヨーロッパ文明の真髄が集まっている所です。しかし、神様が私と共にあるので、今に見ていなさいという気持ちで祈りを捧げました。真と偽りがぶつかれば、偽りが砕けるのが原理です。
42 ナセルを中心として軍部が治めているエジプトを訪問した日は、エジプト軍創設記念日でした。それで、その国の軍事規模など、いろいろなことを調べたのですが、エジプト軍も最新型の武器で武装していることが分かりました。それから、エジプトの首都カイロでは、彼らの工業や産業の発展状況を見ることができなかったので、カイロから四十里以上離れたアレクサンドリアに行って、彼らの産業と工業の発展状況を見たところ、エジプトがいくら大きなことを言ってもかなわないだろうと思いました。
見てみると、その時のエジプトは、イスラエルより十年ないし二十年は遅れていました。ですからお父様は、「エジプトが東西冷戦を利用して計画したことが、第一次は的中して発展したが、今や方向転換しなければならないだろう」と思って帰ってきたのです。
43 お父様は第一次世界巡回の時に、シリア、イスラエル、ヨルダンを中心として、中東一帯を注意深く調べてみました。それは、彼らの背後にいる霊人たちがどのように動いたかを知りたかつたからです。
また、新たに入ってきたイスラエル民族には、「野営地」とも言える彼らの収容地があります。この民族は、主権を復帰しようという復古思想をもち、昔アブラハムが祝福を受けた地を再び訪ねてきたのです。
このようなことを見るとき、イスラエル民族からその選民思想を抜き取ることはできないと感じました。彼らの選民思想は、彼らがどのような環境に追い込まれても、終始徹底しているというのです。
44 お父様がエルサレムを訪問した時、イエス様がゴルゴタの山頂まで登っていく途中で倒れたという所に、立て札が立っていました。三回も転んだというその場所を見つめながら、「イエス様は、このような蕩減の道を通っていったのだ」と思いました。
その場でお父様は、「暗黒のような二千年前に、新しい天的な使命を背負い、砂漠と荒野のような、このまっただ中に訪ねてこられたイエス様の事情は、どれほどやるせなかったでしょうか。しかし、大きく豊かな多くの民族をすべて押しのけ、このようにひどくみすぼらしく、ひどくやせたイスラエル民族を訪ねてこられたのは、民族復帰の恨を一日も早く解こうとした父の事情があったからだということを知りました」と祈ったのです。
そこを訪問する人はみな、イエス様が抱いた事情を深く慰めてさしあげる祈りをしてこなければなりません。そのようにしてこそ、その場でサタンは気をもみ、神様は慰労をお受けになることができるのです。ですから、サタンは悲しくて泣き、神様はうれしくて泣くことができなければなりません。アダムが堕落することによって、神様が痛哭し、サタンもアダムも涙を流しました。復帰の道では、神様とサタンに涙を流させなければならないのです。「私」の涙が神様を泣かせ、サタンまでも泣かせられなければ、復帰することはできません。
45 お父様は、エルサレムに行った時、多くのことを感じました。そこに行ってみれば、半分は砂漠地帯です。らくだを見て、あの大きな体格でおなかいっぱい食べることができるのだろうかと思うほど、草のない半砂漠地帯でした。そこを眺めながら、韓国は福地の中の福地だと悟りました。
そこのぶどうのつるは、一抱えにもなりません。昼には太陽の熱で、三分の一が枯れてしまいます。その葉があまりにもしおれて、ぶどうのつるなのか、何のつるなのか分からないほどです。他のつるのようです。ところが、昼が暑い分、夜と明け方には露がたくさん降ります。その露で、植物が再び生気を取り戻すのです。このように、イスラエルの地、ユダヤの地で育っている植物のごとく、ユダヤの民たちも明け方を待ち、その静かな早朝に、神様のみ前で絶叫して祈ってきた民族であることを切々と感じました。
また、彼らの目をじっとのぞいてみると、何かあるのです。感動のようなものがあります。感動して歌う歌が最高の叫びであり、心霊のこもった祈りなのです。ですから、「ここから新しい歴史が始まったのだ」と感じました。

Thursday May 11, 2023
真の父母経 第144話
Thursday May 11, 2023
Thursday May 11, 2023
23 お父様は、私たちの教会がある所に行くたびに、「これからアベル的な存在の基盤を復帰しなければならない」と祈ります。このための摂理的な計画によって、聖地を選定してきました。
聖地を選定することは、環境復帰の基盤を整えることでもあります。ですから、それぞれの場所にアベル的な財政支援をしなければなりません。それで、訪ねた国ごとに貯金をしてあげました。アメリカに行けばアメリカのお金で、日本に行けば日本のお金で、ドイツに行けばドイツのお金で、預金通帳をつくってあげました。
その通帳に預金できるというのは、子女が、万物と向き合える心情的な関係に同参(一緒に参加すること)できる特権を父母から付与されたのと同じです。皆さんがお父様の行く道に同参するのは、世界史的な誇りです。それは、物質復帰のためのアベル的な祭壇を築くときに重要な条件になります。
24 世界四十ヵ国の百二十ヵ所に設定した聖地では、火が消えてはいけません。そして、韓国が一つの放送局になり世界に電波を送らなければなりません。韓国から電波を送れば、世界の聖地でその電波を受信し、天のみ前に感謝と頌栄を捧げることができるのです。聖地は、神様の地上の哨所(先鋒の施設)であるにもかかわらず、その哨所を守る人がいません。統一教会の預言者や食口たちは、神様のみ前に悲しみの群れとなってはいけません。聖地に対する神様の思いはこの上なく深いのに、子女たちが現れないので、神様の心はどれほど悲しいでしょうか。聖地に対する神様の悲しい気持ちに対しては、皆さんが謝罪することもできますが、神様のみ前に忠孝の道理を立てると約束しておいて、その約束を履行できず、神様がそれによって悲しみを感じるようになるときには、取り返しがつかなくなります。このようになれば、再び忠臣、烈女になることができないのです。
日本第一次巡回
真のお父様御一行は一九六五年一月二十八日、第一次世界巡回の最初の地である日本の羽田空港に到着し、日本の食口たちから熱烈な歓迎を受けられた。この日、日本の本部で歓迎大礼拝が行われた。翌日、真のお父様は、統一旗を日本教会に授与され、統一教会の印を押したハンカチを全員に下賜された。その後、東京と名古屋などの地を歴訪しながら聖地を選定され、二月十二日の午前、アメリカに向かわれた。
25 お父様は、日本を離れてから二十年ぶりに日本に来ました。日本についての思い出がたくさんあります。命を懸けてこの道を出発し、今まで歩んできました。何度死ぬ覚悟をしたか分かりません。悲惨な死の状況に直面したときに、どのような態度を取るかを決定してから出発したのです。私が韓国で今までこのようなことをしてきたのは、食べるものがなかったからではありません。名誉に駆られてではありません。誰かが慕わしくてではありません。ただ、神様と神様の心情を知っているからなのです。
26 世界の人類全体ができないことを、日本の国民が先頭に立って行えば、日本の国民は世界をリードする国民になります。そのような人格にふさわしく、そのような理念をもって、神様の心情を体恤しながら暮らす人は、神の国に残り得る天国の民です。
まず、日本を復帰しなさいというのです。お父様以上に国を愛してください。お父様が愛する以上に世界を愛してください。お父様が愛する以上に父なる神様を愛しなさいというのです。もし、皆さんの前でお父様が倒れても、泣いてはいけません。お父様が愛する神様を誰が愛し、お父様が愛する人類を誰が愛し、お父様が愛する天宙を誰が愛し、お父様が担っている責任を誰が担うのかというのです。そのように愛することができない立場で、神様に嘆いてはいけません。これが、皆さんに残したい言葉です。
27 お父様は、皆さんに会い、皆さんの苦労をたたえ、涙で「立派だ」と言ってあげたいのですが、まだ言うことができません。闘って疲れている皆さんに、「さらに行かなければならない」と言いたいのです。私たちの道は、世界的な城壁を積み上げていくものです。それは、私たちの血と肉で積み上げなければなりません。(ですから、)皆さんに「十字架を背負いなさい」と言うのです。死ぬ場に出ていきなさいということです。神様が闘志に満ちた心情をもつ勇士を送り、打ってまた打っても終わらないサタン世界です。六千年の怨讐です。人類の怨讐であるサタンをこの手で屈服させなければなりません。私たちが神様の子女として生活してきた忠孝と、私たちが残した功績に対して、すべての万物が公認しています。その公認の価値は、いかなるサタンでも讒訴できません。このような立場に立って闘う一人の人が日本にいるとすれば、神様は日本を捨ててでも、その一人を選ぼうと言われるでしょう。世界にそのような一人がいるとすれば、世界を捨ててでも、その一人を選ばれるのです。
28 お父様は、日本の地に足を踏み入れたとき、心の中で「神様の心情にふさわしい、真をもった私を迎え入れる人がいれば、その心情を神様が記憶してください」と祈りました。私は、いまだに行かなければならない十字架の道を残しています。この十字架の道で、兄弟たちの迎え入れる心が衰えることはないと感じました。
私たちは、神様の世界、希望の一つの世界、神様が理想とされる目的の地を建設するまで、涙で歩まなければなりません。歩む道には、蕩減もあり、茨の道もあり、崖道もあるでしょう。一発の砲弾となって敵中に飛び込んでいかなければならないこともあるでしょう。しかし、私が逝ったあと、「誰がこの心情を引き継いで歩んでくれるのか」と尋ねる神様を刺激できる勇猛な心をもって歩む人がいるとすれば、その人は人生路程における勝利者です。私たちはいつでも、「神様の目的に応えているか、その真ん中に立っているか、すべての生活がその目的に向かっているか」と、自らを分析してみなければなりません。
そこには、神様の願われる世界だけが存在しなければならず、神様との関係だけが存在しなければならず、その意味だけが存在しなければなりません。神様に対する希望、神様に対する事情と心情だけが存在しなければなりません。神様を中心とした独立性と融合性、統一性だけが存在しなければならないというのです。そのような人間になれば、その人は世界をリードすることができます。
29 私たちは、日本に与えられた使命に対して、責任感をより強くもたなければなりません。天を代表する人に、「平安に暮らしたい」という考えは決して許されません。神様がどんな願いをもっているのか、直接体験しない限りは分かりません。自分が死ななければ、その心情を知ることはできず、苦労を通してのみ、それが初めて分かるのです。神様の心情の中に生きる人にならなければなりません。お父様は、全世界が反対しても、必ずこの道をかき分けていくでしょう。一人でも闘うという決心が既にできているのです。
北米巡回
真のお父様は、一九六五年二月十二日、アメリカのハワイ、ホノルルを経由し、十三日にサンフランシスコ国際空港に到着された。そして、三月二十九日までの四十三日間、アメリカの四十八の州を走破される旅程の中で、五十五の聖地を選定された。また、三月三十一日に再びワシントンDCに到着したのち、三ヵ月間の滞在中、アメリカ全域にわたる宣教基盤の確立と、世界十二ヵ国の宣教地のために陣頭指揮を執りながら、具体的な方法を練られた。そして、二十一日修練会などに参加した食口たちに、多くのみ言を語られた。六月二十五日には、ペンシルベニア州のゲティスバーグで、アイゼンハワー元大統領を表敬訪問し、会談された。
30 お父様は、外国人はあまり泣かないと思っていました。ところが、アメリカに行ってみると、むしろもっとよく泣くというのです。私が何時に到着するか分からないのに、その日に来るという知らせだけを聞き、飛行場に来て一日中待っていたのです。待ちわびて気持ちが高ぶっていたのか、お父様が到着して飛行場にゆっくり現れると、待っていた人々の中には、泣く人、笑う人など、様々な人がいました。
文化が違い、歴史が違いますが、同じ統一教会員になってみると、笑うのもみな同じであり、泣くのもみな同じでした。笑うときに歯が見えて、泣くときに涙を流すのも、韓国人と大差なかったというのです。
31 私はアメリカにおいて、四十三日間で四十八の州を巡回しました。一日に七百キロメール以上、車で走らなければなりませんでした。サンフランシスコでは、ツインピークスという名の聖地を選定しました。母の聖地と父の聖地です。アメリカ全体で、五十五ヵ所の聖地をつくりました。その聖地を守る人がいません。聖地を守る人がいないので、統一教会が発展できないのです。
一週間のうちに、東部で大会を行い、西部でも行いました。三日に一度ずつ、東西を行き来しながら行ったのです。車に乗って、ロッキー山脈を一週間に一度ずつ越えました。アメリカに愛国者がいたとしても、私に学ばなければなりません。私の記録を破ることはできないのです。
エピソードもたくさんあります。ホテルに行って眠るのではなく、車の中で眠り、砂浜があれば砂浜で眠ったりもしました。眠りから覚めて、寝袋から顔を出すと、星が光り輝きながら「ぐっすりお休みになりましたか」と言うのです。そのような時でも、夢を多く抱いていました。
32 アメリカの四十八の州を回る時、食パンとベーコンだけを持って回りました。それを一食に一切れずつ食べたのです。パンとベーコン、それからキムチです。若い人なら一食に三つずつ食べても足りないのですが、一つずつしか食べませんでした。逸話がたくさんあるのです。
夜十二時頃になると、早朝五時に起きなければならないので、三時間眠るためにホテルに行くことはできません。ですから、「車が故障した」と言って、道端に車を停めて休むのです。道端で一眠りすればよいのです。四人なので、ホテル代が一人、八十ドルだとすれば、三百二十ドルを節約できます。それだけあれば、一週間食べて暮らせるというのです。そのように節約しました。
そのようにしながら、いくら大変でも、一日に七百キロメートル走らなければなりません。千三百キロメートルまで走ってみたこともあります。そのようにして、四十三日間で四十八の州を巡回したのです。
33 お父様は、アメリカに行った時、民主主義思想を基盤としてつくられたアメリカ文化を見て回りながら、「全世界に号令をかけることができる中心本部が正にここだ。これから創建する新しい文化世界は、ここを踏み上がることができる世界でなければならない」と考え、そのために祈りました。
なぜ、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルを誇るのでしょうか。これは、流れていく一時代の自慢の種にはなり得るかもしれませんが、新しい世界を創建するときには、一つの立て札にも、塔にもなれないのです。新しい福地の文化を中心として、新しい世界、新しい歴史を創建しようとされる神様の願いは、それよりもっと高い境地にあるというのです

Thursday May 11, 2023
真の父母経 第132話
Thursday May 11, 2023
Thursday May 11, 2023
祖国創建
11 一九八四年の標語は「祖国創建」です。私たちには世俗的な国がありますが、私たちは、そこで安住することができず、放浪する現代のロマのようにさまよっています。私たちは、永遠なる幸福の国に定着することを望んでおり、真の父母の国である祖国を待ち望んでいます。最近になって、父母様によって、数多くのキリスト教の宗派が、和合と一致のための運動に参加しているのを目にすることができます。
「終わりの日」になったとき、彼らが訪ねてきて、それまでの過ちを悔い改め、赦してほしいと切に願う場面を想像してみてください。父母様が完全な勝利をする場に誰が同参するでしょうか。参加するのと参加しないのとでは、天と地ほどの違いがあります。
一九八四年は、摂理史においてこの上なく重要な転換期です。私たちは、勝利の街道を走っています。一九八三年三月、アメリカで伝道機動隊を編成し、全体を動員しました。その活動は、福音伝道のための最も遠大な最初の事業でした。父の国である祖国創建のためなのです。
12 皆さんは、統一教会の民族を通して天国に行くのでしょうか、統一教会の国家を通して天国に行くのでしょうか、統一教会の世界を通して天国に行くのでしょうか。世界がある前に国がなければならず、国がある前に民族がなければなりません。今は、民族はありますが、国がありません。
この国は世界万民が理想とする国家なので、国境を超越し、民族を超越し、氏族を超越し、すべての人種を超越して糾合された一つの国です。これが正に、神様の願う地上天国です。ですから、この国をつくることが私たちの目標です。神様の世界を通してこそ、神様の天宙を造ることが可能なのです。
13 今まで、歴史過程のカイン・アベルを中心として長子権復帰の基準を取り戻し、父母様が世界的蕩減路程をすべて準備しました。そうして、真の父母様の家庭を中心として、長子と次子の権限を世界的基準で連結させることができるこの祝福の日を、神様がどれほど待ち望み、父母様がどれほど待ち望んだでしょうか。人類がどれほど待ち望んだでしょうか。「祖国創建はここから始まるのです。ここから祖国創建の曙光(しょうこう)がさしてきます。
今、新しい時が熟しました。外的にすべて熟していくのです。お父様が語る環境に合うように、外的に熟していくので、皆さんさえ完全に一つになって、長子と次子を中心として闘争がなくなれば、ここから統一家を中心として地上天国理念が実現されていくのです。このようにしておいてこそ、家庭教会の出発ができます。家庭教会は天国の基地、天国の定着地であると教えてあげましたが、これが終わらなければならないのです。
天国創建
14 一九八六年、新年の年頭標語は「天国創建」です。今までは「祖国創建」でした。天国を創建するには公式があります。その公式が、歴史路程におけるカイン・アベル問題です。堕落しなかったならば、アダムとエバが長子となり、長女になって、神様の直系の子女になったはずですが、堕落することによって、長子の位置を奪われました。
人間の堕落以降、今までサタンが長子の立場を取ったので、神様は次子を支配できる立場で歩んできたのです。ですから、これを復帰しなければならないのですが、無理やり復帰することはできません。サタンの愛によって神様が長子圏を失ったので、長子圏を復帰するためには、サタンの愛以上の愛をもたなければなりません。そのようにしなければ、長子圏を取り戻す道がありません。
堕落した父母、あるいは堕落した兄、堕落した世の中がもっているあらゆる愛は、すべてサタン圏に属した愛ですが、このサタン圏の愛が、長子圏に属した愛です。今日までの、世の中の人々の夫婦の愛、父母の愛、子女の愛など、これらすべての愛は、長子圏、堕落圏に属した愛です。
ですから、この長子圏を越えていくためには、次子の立場から反対に蕩減復帰しなければなりません。蕩減というのは、そのまま越えていくことができません。必ず代価を払わなければならないのです。
15 祖国といえば自分の国です。これは、世の中の国の観念です。祖国といえば自分の国の観念であって、天国の概念ではありません。ですから、地上世界で、まずアベル圏を設定しなければなりません。それが祖国創建です。今や「天国創建」です。天国になるためには、カインとアベルが一つにならなければなりません。この地上と霊界、地上の国と霊界の国がカイン・アベルを中心として一つになった立場に立たなければ、天国創建はできません。
一九八六年の標語は「天国創建」です。ソ連とアメリカが一つになれば、その次は地獄と天国が一つになります。地獄と天国がいつ一つになるのでしょうか。
一九八五年二月一日、その門を開く「開天門の日」を宣布しました。お母様はイースト・ガーデンに、お父様はダンべリーにいながら、午前三時に祈り、愛の道理を立てて橋を架けました。今や一九八五年が過ぎ去り、一九八六年が始まりましたが、その祈りをすることによって、世の中が反対に回るようになりました。時計の針が回るように回ったとすれば、一周すべて回り終え、今からは逆に回り始めるということです。今までは統一教会が世の中に踏まれながら歩んできましたが、一九八六年からは、統一教会が世の中に現れる時になったのです。
祖国統一
16 一九八七年、新年の統一教会の標語は「祖国統一」です。この祖国統一を漠然と考えてはいけません。その標語が世界的で天宙的であるというときには、問題が大きいのです。この道を打開していく公式的方法について、私たちはこのように言います。「個人は家庭を克服しなければならず、家庭は氏族を、氏族は民族を、民族は国家を、国家は世界を、世界は天宙を克服しなければならない」。統一教会が歩む公式的方法を、このような摂理的過程を中心として提示しているのです。個人完成と家庭完成、これは一つのチームと同じです。
個人が完成しようとすれば、体と心の争いを克服しなければなりません。内的な基準で体と心の争いを克服し、一つにならなければなりません。そのようにしてこそ、外的還境の家庭圏に影響を及ぼすことができます。体と心の争いを整備しなければなりません。そして、家庭から氏族に進んでいこうとすれば、もちろん家庭のあらゆる困難なことを克服しなければなりません。そうでなければ、氏族圏に進むことができないのです。また、氏族圏内で氏族のすべてが統一されなければ、民族圏に進めません。
それでは、「祖国統一」という標語は国家的基準でしょうか、世界的基準でしょうか。問題となる内的なアメリカの国民性と国を収拾してから、世界に越えていくことができます。国のすべての苦痛を克服してこそ、世界の環境を消化できるのです。このように行くのが公式路程です。それが世界的なものを越えて天宙的だという時には、この地上のあらゆる問題を克服しなければなりません。地上の地域問題からあらゆる問題を克服してこそ、天上世界の問題を環境的に消化して、神様の愛の圏内に入っていくのです。
17 一九八八年の標語を、一九八七年と同じく「祖国統一」と定めました。いまだに南北統一が私たちの前に残っているからです。皆さんが精誠の限りを尽くして霊界を動かし、このことを遂行するとき、韓国の全体的な組織編成を強化することにより、対処していかなければなりません。私たちが準備することによって、北朝鮮の政治風土が変わるようになります。祖国統一は、誰彼なしに、北朝鮮も韓国も、いずれ成し遂げなければならない宿命的課題として残っています。
南北に分かれたのは、大韓民国の国民が誤ったからではありません。世界の強大国によって分かれたのです。ですから、韓半島の統一は大韓民国の人だけではできません。強大国が協助できる道を開かなければ、いくら北朝鮮が韓国を解放して統一したとしても、その統一は永続することはできず、いくら韓国が軍事力を強化して北朝鮮を統一したとしても、それが永続することはできません。
強大国をまとめて南北統一をする道だけが、悠久なる統一方案になるというのです。それは、摂理史的見地とも一致するのです。
18 今日、韓国の領土が神様の祖国光復の基地になるという驚くべき事実を知れば、この韓民族が眠れるでしょうか。「してはいけない」と言っても、昼夜を分かたず生命を投入するでしょう。財産が問題ではありません。自らの全体と韓国全体を投入してでも、これを成就しなければならないという義務感をもつ大韓民国となるに違いありません。
今日、父母様が祖国統一を願うのは、滅びるしかない国家背景を中心としたものではありません。これまでの歴史になかった超国家的な祖国光復、神様が探し出そうとする祖国光復のための途上で、すべてのものを消化できる思想的体系を備え、論理的な教育を通して社会を変化させることができ、吸収、消化できる主体(的な)思想をもった人を育てていこうと思うのです。ですから、共産主義が問題ではなく、民主主義が問題ではありません。それで、共産主義が私を恐れ、民主主義が私を恐れるのです。丸ごと食べられてしまうと考えるのです。
一九八八年の年始めに立てた標語は「祖国統一」ですが、その祖国は、本然の主体である神様が願う祖国です。この全宇宙の国は一つです。この世界は神様の民が暮らせる基盤です。霊界は、私たちが永遠に暮らせる一つの理想的住宅であり、国なのです。

Wednesday May 10, 2023
真の父母経 第131話
Wednesday May 10, 2023
Wednesday May 10, 2023
第三節 家庭教会活動と祖国創建に重点を置いた一九八〇年代
真の父母様は、一九八〇年一月一日、ニューヨークの世界宣教本部において、年頭標語を「家庭教会は天国基地」と発表されたのに続き、一九八一年は「家庭教会は私の天国」、一九八二年は「家庭教会の勝利」、一九八三年は「家庭教会は我々の定着地」など、一九七九年から八三年までの五年間、家庭教会と関連した年頭標語を立てられ、本格的な家庭教会活動を展開された。そして、一九八四年と八五年は「祖国創建」、一九八六年は「天国創建」、一九八七年と八八年は「祖国統一」、一九八九年は「韓国統一」など、一九八四年からは、神様を中心とした祖国創建と韓半島統一を追求する年頭標語を発表された。
家庭教会は天国基地
1 統一教会員たちは、一九八〇年代に、どこに向かうのでしょうか。一九八一年からは、本格的に家庭教会活動を展開しなければなりません。第三次七年路程が終われば、完全に家庭教会体制が展開されなければなりません。それがみ旨から見た観点です。ですから、一九七九年には、皆さんが「家庭教会を通じた天国完成」という年頭標語をもって一年間過ごしてきたのであり、一九八〇年には「家庭教会は天国基地」という標語をもって、一年間進んでいこうと考えています。
家庭教会がなければ、天国が実現されないというのです。家庭教会がなければ、すべてのことができません。家庭教会は天国の基地です。天国とはどのような所でしょうか。天国という所は、安息する所であり、幸福が宿る所であり、愛が宿る所であり、平和な所です。
それでは、安息するのですが、「私」一人だけが安息するのでしょうか。もちろん、私がいなければならず、父母がいなければならず、子女がいなければならず、家庭がなければならず、氏族がなければならず、民族がなければなりません。全世界がそこに入るのです。いくら私個人が安息したくても、父母が安息できず、妻が安息できず、子女が安息できないとすれば、安息することはできないのです。皆さんは「真の父母様に侍っている」と言いますが、その真の父母様が安息できない立場にいるとすれば、その真の父母様のもとにいるすべての人々も安息できないのです。
2 「家庭教会は天国基地」という言葉は、意味もなく語る言葉ではありません。家庭教会を探し出すまで、どれほど蕩減を払ったか分かりません。家庭教会を探し求めるために、歴史時代において宗教者たちが血の涙を流しました。血肉を削って求めてきたのです。「家庭教会」という言葉が出てくるまで、神様は嘆息されていたというのです。
この家庭教会が出てくることによって、お父様が翼を広げ、天下に堂々とした男として現れることができ、統一教会が誇れる圏内に来たというのです。皆さんは家庭教会を誇らなければなりません。父母よりも誇り、兄弟よりも、愛する人よりも、子女よりもさらに誇らなければなりません。今や家庭教会活動は、次第に簡単になってきています。今年変わり、来年も変わります。だんだんと易しくなっていくというのです。
家庭教会は私の天国
3 一九八一年の標語は、「家庭教会は私の天国」です。統一教会員たちは、早く家庭教会活動をしなければなりません。メシヤが家にいるべきでしょうか。使命を果たすためにイエス様が家を出たのと同じように、皆さんも家を出なければなりません。そのようにすべき時なので、一九八一年には皆さん全員、家庭教会活動をしなければなりません。
私が家庭教会について、一九七八年、七九年、八〇年、三年間、教えてあげました。時間があるたびに、教えてあげたのです。今や準備がすべてできているので、皆さんは家から出掛けなければならないというのです。
4 統一教会の皆さんがすべきことは、三百六十軒の家庭教会活動です。皆さんは、いずれにしても、個人基準を越えて家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙基準まで蕩減条件を立てることはできません。ですから、父母様が皆さんに世界的な蕩減をさせるため、縮小した舞台として決定してあげたのが家庭教会です。これは、全体を代表した型として、サタンと神様のみ前に決定的な条件になります。そのため、ありとあらゆることをうまくやっても、家庭教会活動ができなければ、天国に行くことはできません。
天国とは、サタンが讒訴できない環境、すなわちサタンの讒訴圏を抜け出した環境です。ですから、そのような環境天国をつくろうというのが家庭教会です。それでは、アダムは何ゆえに堕落したのでしょうか。環境天国をもてなかったからです。氏族圏ができれば、家庭天国は自動的に所有できるのです。本来、神様の理想は、家庭天国の実現です。その氏族圏の中で、家庭天国は自然に形成されるのです。また、環境天国の勝利圏を確保することができます。統一教会に入って家庭教会活動をしなければ、父母様に侍ることができず、天とも通じることができません。
5 一九八一年からは、皆さんの時代です。今まで父母様が引き受けていた天のすべての責任を皆さんに伝授してあげて、皆さんがとどまる中で、父母様の仕事を代行してみ旨を成就できる時が来たというのです。一九七九年から八〇年、八一年まで三年目ですが、今や家庭教会を中心として、皆さんが活動する時代に入りました。家庭教会という標語を掲げたのは一九七九年ですが、その時は「家庭教会を通じた天国完成」であり、その次に、八〇年は「家庭教会は天国基地」でした。そのような標語をもって、皆さんは二年間、準備してきました。
その基盤の上で、八一年の年頭標語として「家庭教会は私の天国」を立てました。その「私の天国」というのは、父母様の天国ではありません。皆さんを中心とした天国です。父母様の天国ではなく、皆さんを中心とした「私の天国」だというのです。今まで、「家庭教会を通じた天国完成」と「家庭教会は天国基地」は全体を標準としたものでしたが、今や皆さんを中心として成し遂げられる、直接的な時代に入ったのです。
家庭教会勝利
6 一九八二年の標語は、「家庭教会勝利」です。家庭教会は、堕落した父母が現れたので必要なのです。それを復帰するためにイエス様が父母として来たのですが、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一つにならなかったので、イエス様は亡くなりました。それを蕩減しなければなりません。その罪を蕩減しなければ、天の国に入れないのです。
それでは、家庭教会だけで終わるのでしょうか。氏族教会ができなければならず、民族教会ができなければならず、国家教会ができなければならず、世界教会ができなければならず、天宙教会ができなければなりません。
7 家庭で勝利してこそ、氏族基盤ができます。家庭教会があるので、結果的に氏族基盤もあるのです。家庭で勝利してこそ、氏族基盤に向かって前進できます。カインとアベルの二人が一つになれば、その家庭を中心としてアベル家庭になるのです。その次に、アベル氏族圏が広がります。氏族基盤を築いてこそ、家庭が完成するのです。氏族基盤が垣根にならなければ、家庭が安息する所がないというのです。
氏族基盤が備わったあとにこそ、家庭が完成するのです。また、氏族基盤を復帰してこそ、自分の家が安息できます。その次に、自分の息子、娘も、そこで安息できるというのです。
家庭完成後には休むこともできますが、それで終わるのではありません。また上がっていかなければなりません。その次は、氏族勝利です。家庭勝利をしたので、氏族勝利をしなければなりません。
家庭教会は我々の定着地
8 一九八三年の標語は、「家庭教会は我々の定着地」です。これは空想ではありません。プログラムによってすべて合わせてきているのです。「統一原理」を教えてあげる先生、宗教を統合し、共産主義を収拾して「統一思想」を教えてあげられる先生にならなければ、世界人として地上天国に行くことができません。地上天国に入れば、宗教も超越し、共産主義も超越するのです。
その主流思想は、知識でもありません。権力でもありません。お金でもありません。それは愛です。今まで人間の愛は、自分を中心としていましたが、神様の愛は自分を犠牲にするのです。簡単なことです。ですから、父母様も今までアメリカで犠牲になりました。愛を植えるためでした。怨讐を愛したという伝統を残そうとしたのです。
9 父母様が定着できなければなりません。自由世界に対する責任を果たしたというのです。家庭教会に行って、定着しなければなりません。ですから、一九八三年は非常に重要な年です。全世界が今後、統一教会を新たに研究しようとします。そして、そのようにできる万全の準備が整えられ、今や峠を越える時が来ました。太陽が昇る時だというのです。
世界の有名な学者たちを動員し、神学者を動員して、その位置を引き継がせてあげるかもしれません。白人たちができないのならアジア人を連れてきてでも配置しアメリカに住む少数民族を動員してでも配置するでしょう。
10 一九八二年の標語は「家庭教会勝利」でしたが、皆さんは勝利したでしょうか。一九八一年は、「家庭教会は私の天国」としたのですが、私の天国をどれほど愛しましたか。一九八〇年は「家庭教会は天国基地」としたのですが、それについてどれほど考えてみましたか。また、一九七九年は「家庭教会を通じた天国完成」でしたが、天国完成のためにどれほど努力しましたか。
韓国のすべての祝福家庭に動員命令を下しました。日本の祝福家庭も動員し、アメリカの祝福家庭まですべて動員するでしょう。これに参加できなければ、皆さんも流浪するロマ(ジブシー)の行脚を永遠に続けなければならないでしょう。定着できないというのです。霊界に行っても、父母様を訪ねてくることができません。キリスト教で言う個人的楽園が生じたのと同じように、家庭的楽園が生じるというのです。
家庭的楽園では、妻が讒訴し、息子、娘が讒訴するでしょう。サタンが讒訴するのではありません。皆さんの妻や夫、皆さんの息子、娘が讒訴するというのです。それがどれほど悲惨なことかを知らなければなりません。

Wednesday May 10, 2023
真の父母経 第130話
Wednesday May 10, 2023
Wednesday May 10, 2023
天国実現
11 一九七五年は、「天国実現」という表題を掲げて歩まなければなりません。皆さんは、このみ旨に従って、どのようにしなければならないのでしょうか。これからは、何が一番早い道でしょうか。世の中に出掛けていって伝道して回る必要はなく、すべて自分の故郷に帰りなさいというのです。故郷に帰って、世の中で働いていたより、もっと一生懸命にやりなさいというのです。もう少しだけやれば発展します。これを知って、家庭を中心として氏族を糾合し、民族を糾合できる道に従って、進まなければなりません。
一九七五年からは、これが完成的な基準なので、自分の氏族に平面的な基準で接触できる時が来ます。ですから、今後はすべての道が容易に開かれるだろうと見るのです。皆さんがどれくらいの版図で天国実現を可能にするかによって、天の国にとどまる皆さんの所有権が決定されるのです。誰であっても、実践する人に与えるというのです。皆さんが天国実現に対する新しい方案を中心として、実践しなければなりません。
12 一九七五年の標語を「天国実現」と定めたのですが、私たちがすべきことは、天国を実現することです。言葉だけでなく、天国をどのように実現するかが、大きな課題になっています。天国を実現するのですが、本来の天国基準は、神様の創造原則を中心として設定されるのです。
堕落したその世界は地獄になりましたが、堕落していないその世界は天国でした。神様は絶対的な方なので、その方が立てたみ旨は変わりません。唯一無二であられるその方のみ旨なので、人間が堕落したとしても、そのみ旨は唯一無二のみ旨として残っているのです。ですから、その絶対的なみ旨を立てて完結しなければ、創造主として、全知全能であられる神様として、威信と権威を立てることはできないのです。
そのため、今まで僕の僕の時代、僕の時代、養子の時代、子女の時代を経て、父母の時代へと反対に通過して上がってきたのが歴史的な路程でした。このような観点から、天国には神様が再び現れなければなりません。創造の過程が必要ない立場に立たなければならないというのです。再創造しなければならない立場では、天国実現はできません。創造が終わり、創造目的が実現されてこそ、天国が成し遂げられるのです。
子女による天国実現
13 一九七六年の標語は、「子女による天国実現」です。皆さんによる天国実現であって、父母様による天国実現ではありません。一九七五年までは、漠然と「天国実現」と言いましたが、今や子女による天国実現なので、天国実現の内容が具体的です。
愛の公約を中心として宇宙が回るようになるとき、全体の影響圏が「私」によって広がるので、私は個人ですが、天国の雰囲気を導くことができ、家庭が天国にとどまることができるのです。すべて通じます。また、統一教会の氏族圏において天国が広がり、国家圏において天国が広がり得るのです。このようになってこそ、地上天国が実現されるのです。
14 一九七六年一月一日のみ言の題名は、「子女による天国実現」です。神の子女による天国が実現されるためには、昔の息子、娘ではできません。完全に変わらなければならないというのです。皆さんが完全に変われば、ここから新しい分野の天国実現が一歩一歩、近づくのです。ですから、神様によって天国が実現されるのではなく、息子、娘によって天国が実現されるということです。アダムとエバが神様を絶対的に信じたならば、神様の息子、娘になったでしょう。
しかし、アダムとエバは、神様のみ言を絶対的に信じることができなかったことにより、サタンの息子、娘になりました。堕落してしまったというのです。ですから、この時に神様のみ言を絶対に信じる息子、娘にならなければならないというのです。そのため、父母様のみ言を神様のみ言として絶対的に信じるようになれば、神様の息子、娘になるのです。
理想家庭による天国実現
15 一九七七年の標語は、「地上天国と理想家庭」、すなわち「理想家庭による天国実現」です。今まで神様の願いは何だったのでしょうか。堕落した世界で、サタンの讒訴を受けない世界的な道の上に立った一つの家庭を追求してきたのが、復帰摂理のみ旨です。堕落することによって、神様の直接主管を受けられる家庭の起源を迎えることができなくなりました。ですから、完成した家庭が出てくるためには、サタンの侵犯を受けて堕落することなく、神様の愛を直接受ける圏内に入って、神様と一つになり得る家庭の起源を、言い換えれば、理想的なアダムとエバの完成基準を成就しなければなりません。
これからは、統一教会を中心として、神様の愛を直接受けられる家庭圏内に入ることによって、サタンが反対すればするほど、かえって天に利益をもたらすことができ、天に復帰され得る反作用的作用をする時代に入ります。ですから、これからは、反対すれば反対するほど、その反対する程度によって、サタン世界は崩れていき、私たちは拡大していくでしょう。
16 統一教会の当面の課題は、天国を実現することです。そのようにするためには、理想的な家庭の基盤を皆さん各自で、あるいは皆さんが置かれた所で、成就しなければなりません。そのようにしてこそ、崩壊したサタン世界圏をすべて吸収する一つの起源になり、足場になり得るのです。
今から皆さんは、どのような考えをもたなければならないのでしょうか。堕落していない本然の世界で、神様とアダムとエバが完全に一つになったのと同じ生活圏(を形成し)、真の父母を中心として、その父母と内的な生活においても外的な生活においても、すべての環境的な生活が一致化する生活圏を形成しなければなりません。そのようにしなければ、神様が主管できる真の家庭になれません。本来、神様の創造理想から見れば、子女は父母と永遠に一緒に暮らすことができ、永遠に別れることができません。そのような立場にいることを自ら感じる自分たちにならなければなりません。父母様と皆さんが父子の関係にあるとすれば、ここに真の父母と真の息子の関係が成立しなければならないのです。
ところが、その真の父母と真の息子の関係は、皆さんと父母様がいくら結ぼうとしても、結ぶことはできません。神様がここに介在しなければならないのです。父母様の家庭に神様が共にあると同時に、皆さんにも神様が共にあって、神様が束ねてくれてこそ、ここで新しい天の家庭の心情を体恤することができるのです。
公式路程を通しての天国実現
17 一九七八年の統一教会の標語は、「公式路程を通しての天国実現」です。これを成し遂げようとすれば、まず父子の関係である父母と息子、娘が、神様を中心とした一つの心情を備えなければなりません。家庭と同じように、責任者たちは母の立場なので、そのような心情的絆のつながりをもたなければなりません。それを中心として、雄々しく勇進しなさいというのです。そのように闘っていかなければなりません。ですから、神様の愛を中心としてこの表題を掲げ、実践していきなさいというのです。
18 家庭を拡大したものが国です。アメリカは、数多くの民族が集まっています。数多くの民族が集まったその背後には、数多くの文化的背景がそろっています。国の主権者は、国の神様です。国において、神様の代身者だというのです。また、国の主権者は国の父です。皆さんの家では、父母が神様です。神様の代身者です。
同じ公式が国家にも適用されます。その主権者が妻と完全に一つになり、息子、娘と完全に一つになれば、その国が完全に一つになるのです。その主権者と息子、娘たちは、自分の家庭のために生きる人々ではなく、国のために生きる人々です。国のための生命であり、国のための愛でなければならず、国を中心とした環境で生活しなければなりません。大統領も、神様を中心として個人天国を実現することができ、夫婦同士、家庭を中心として家庭天国を実現できなければなりません。それを核心として、国と一つにならなければならないのです。
家庭教会を通じた天国完成
19 一九七九年、新年の標語は「家庭教会を通じた天国完成」です。家庭教会という言葉は本来、エデンの園から始まらなければなりません。教会と言えば、宗教のことを言うのですが、宗教は神様を抜きにしては語ることができません。宗教という文字を解いてみれば、「宗となる教え」です。家で言えば、棟のことです。すべての教えにおいて、原理的であり、原則的であり、中心になる教えという意味があります。ですから、神様を抜かせば、宇宙はすっかり崩れてしまうというのです。
宗教は、新しい宇宙の家を造るための摂理の基盤なので、土台を築き、柱を立て、すべてのものを備えたとしても、この棟木を載せなければ、すべてのものができ上がらないのです。
20 家庭教会の役軍(担い手)は、神様のように教えてあげることができ、神様のように愛することができる人でなければなりません。父母の立場で愛し得る教会、そのような人、そのような国民、そのような世界人類になれば、神様が地上のどこにでもお出ましになって、天国になり得るのです。第一は教育、第二は愛です。ですから、犠牲にならなければなりません。そのようになるとすれば、そこからは神様が離れることができず、神様を父母のように侍らざるを得ず、神様を師のように侍って学ばざるを得ず、神様と一緒に暮らさざるを得ないというのです。
このような思想を立て、このような思想を教えてあげるために、アベル的な人、天の側の人がいなければなりません。そのアベルの中に、王がいなければならないのです。個人的チャンピオン、家庭的チャンピオン、氏族的チャンピオン、民族的チャンピオン、国家的チャンピオン、世界的チャンピオンがいなければなりません。歴史始まって以来、天地を中心とした神様の摂理の中で、初めて全体を代表したチャンピオンがいなければならないというのです。

Tuesday May 02, 2023
真の父母経 第143話
Tuesday May 02, 2023
Tuesday May 02, 2023
12 統一教会がしようとすることは、イエス様がこの地に来てしようとしたことです。イエス様が探し出そうとした個人完成、家庭完成、氏族完成、民族完成の基準、すなわち神様が探し出そうとされた家庭と氏族と民族の基準を、私たちが広げてきました。そして、百二十四家庭を韓国の各地に配置しながら、聖地を選定してあげたのです。
その聖地を中心として、一体的な関係を備えていきながら、使命を果たすことを要請しました。このようにすれば、個人的な使命を果たしたことが基準となり、世界史的な全体の責任を中心として、世界と連結される勝利の時代が訪ねてくるようになります。それで、ソウル地域に東西南北の四大聖地と中央聖地まで、五つの聖地を選定したのです。
このようにして、世界と連結される勝利の時代が来たので、一九六四年十二月三十一日と一九六五年一月一日を期して、ソウルの五ヵ所の聖地から土と石を採って、外国に持っていく準備をしました。この土と石は何でしょうか。アダムが堕落することによって、神様はアダムだけを失ったのではなく、世界をすべてサタンに奪われました。しかし、今や神様が訪ねてくることができる勝利的な基盤が整えられたので、地を取り戻せる時代圏内に入ってきました。ですから、聖地にある土と石は、神様が臨在される基盤になるのです。ですから聖地を宣布したのです。
13 聖地を条件にして、三千里半島を愛さなければなりません。この地で暮らしたいと思い、この地で汗を流したいと思わなければなりません。この地に血のにじむ歴史の伝統があることを知って、父を記憶しなければならないというのです。祝福を受けるのは、途方もないことです。祝福を受けた人は、神様に代わって、「私が決めれば天宙も従う」という思いをもち、主人として振る舞える人にならなければなりません。このような条件が具備されて、天が私たちを中心として生活理念を立てることができるのです。
聖地と聖物を守ることができなければなりません。これらを守ることに総力を傾けなければなりません。祝福を受けた家庭を貴重に思わなければならないのです。祝福家庭は、皆さんが守らなければならないというのです。高潔に生きて死ぬことができる、神聖な地を探し求めなければなりません。聖地と聖なる民を、早く復帰しなければならないのです。
14 神様と人間と聖地が一致すれば、どのような関係が広がるでしょうか。堕落する前のアダムとエバが復帰された基準を立てることができるようになります。聖地を選定することはエデンの園で失われた人と地と万物を復帰できる地を備え、人を探し出し、神様と向き合える焦点を決定することです。
また、聖地を決定すれば、どのようなことが起きるでしょうか。アダムとエバが堕落する前は、霊界が正に天使世界でした。天使世界は、アダムとエバが早く完成し、神様の愛を受けられる生活圏内に入ることを願っていました。天使世界は、アダムとエバを協助し、アダムとエバが神様の子女となり、神様を中心とした家庭を形成して、神様の愛を受けられる平和の基盤を築くことを願ったのです。ですから、聖地は神様から祝福を受けた家庭のように聖別された所なので、そこに霊界が協助することができるのです。
15 今後、民族的な運勢とともに、世界的な運勢が歩調を合わせていく時が来ます。ですから、韓国の首都ソウルで選んだ聖地を、世界的に連結するのです。国内だけでなく、世界的に連結するのです。このように聖地を選んだ基盤の上に、神様が愛する息子、娘を送れば、神様をお迎えできる基盤を築けるようになります。そのようになれば、霊界が協助しなければならないのです。
世界の国々を歴訪しながら聖地を選定しておき、統一信徒たちを一日も早く配置しなければならないと考えました。ここに配置される人々を、復帰されたアダムとエバの基準に立て、今まで霊界が接し得なかった基準を蕩減させるでしょう。そうすれば、地上で横的な闘いを展開できるようになります。天使が堕落させたので、天使たちがこの地に来てサタンを追放するために、協助しなければなりません。これが蕩減復帰の原則です。霊界を動員し、地上からサタンを追放しなければなりません。
第一次世界巡回で百五ヵ所の聖地を選定しました。聖地を百二十ヵ所、選定しなければなりません。これによって天の領土が生じるのです。このように聖地を祝福することによって、国家主権が天の側に越えてくるようになるのです。
16 人を探し出したあとは、地を探し求めなければなりません。お父様が四十ヵ国を巡回した理由は、聖地を選定するためでした。韓国で堕落前の基準を立てたので、聖地を選定することができたのです。世界四十ヵ国で百二十ヵ所の聖地を選ばなければなりません。百二十家庭は、百二十ヵ国を象徴します。韓国では七十数を中心として、七十二ヵ所を探し出して条件を立てなければなりません。アメリカよりさらに多くの聖地がなければなりません。聖地が選ばれたということは、人間を創造する前に地を造ったのと同じ立場です。ここに聖徒が立てば、人間と地が創造されたのと同じです。ですから、天使世界と霊界が協助せざるを得ません。それゆえ、百二十ヵ所の聖地をもつことは、百二十ヵ国の領土をもったことになるのです。
17 百二十四家庭を祝福することによって、イエス様が願われた相対的な理念を取り戻した基盤ができました。それによって、人間をすべて取り戻した基準ができたのです。その次に、万物を取り戻すべき立場に立ちました。このような立場で、四位基台を中心として、世界の国家を代表した四十ヵ国に百二十ヵ所の聖地を定めました。
四十ヵ国を中心とした百二十ヵ所の聖地は、百二十ヵ国を象徴します。それは、お父様が四十歳の時、すなわち一九六〇年に聖婚式を行ったので、四十年を代表したものです。その四十歳を基盤として、世界的に百二十ヵ国と連結させたのです。四十ヵ国で百二十ヵ所の聖地を選んだということは、世界的百二十ヵ国と私たちのみ旨が、物質的関係において一致したことを意味します。万物を復帰できる条件を立てたというのです。
それによって、統一教会は、神様が取り戻そうとする息子、娘を探し出し、氏族と民族を代表する代表者を探し出し、世界を代表する人を探し出し、万物を代表する聖地を探し出したので、ここから天の国の運勢は、統一教会を中心として回り始めるようになったのです。
18 世界的に百二十ヵ所の聖地を選定しましたが、その時、お父様と崔元福(チェウォンボク)、金永雲(キムヨンウン)、崔奉春(チェボンチュン)がそこに参加しました。摂理的に見れば、崔奉春はエバ国家である日本を代表し、金永雲は世界的な天使長国家であるアメリカを代表する立場で、アダム国家を中心として四位基台の型が備えられたので、この四人が世界を巡回することになったのです。
そこにおいて、男性がエバ国家の立場になり、女性が天使長国家の立場になりました。このように互い違いになったというのです。それは、内的なアダムとエバを象徴的に合わせておいたのです。
このように重要な巡回が第一次世界巡回路程でした。その時、世界を巡回しながら、主にその国の中央官庁や博物館を訪問しました。歴史と現実の主権とを結びつけて見てみようとしたのです。
そのようにしながら、韓国から持っていった石と土を聖地の至る所に埋めて、その国の石と土を持ってきたのです。韓国から土と石を持っていったというのは、み旨を中心として「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を定めた勝利的基盤全体を持っていったのと同じ結果になります。それをそこに埋めたというのは、その国に福を運んであげたのと同じです。また、そこから持ってきたというのは、韓国がその国とやり取りできる恵沢圏内に入る道を開く基盤になるというのです。
19 お父様は、なぜ世界を巡回したのでしょうか。今まで勝利した基準を、世界的に分配してあげなければならなかったので、世界巡回を行ったのです。韓国で成し遂げた使命は、韓国を中心とした勝利的基準なので、それを世界の全人類に分け与えなければなりません。
聖地を決定すれば、堕落する前の天地が生じた基準と同じです。人間を創造する前に、万物が生じたのと同じです。ですから、霊界が地上に役事(働き)する基台が成立し、そこにアベル格であるアダムの勝利圏、堕落していない心情基準をもった私たちの天の子女を送れば、その人を中心として、み言の実体再創造と心情基準の出発が成し遂げられます。それで、世界的に宣教師を早く送ろうとするのです。
20 お父様が聖地を選び、祈ることができる地を定めておきました。追われ追い回されるとき、祈る所がなかった私たちにとって、神様のみ前に訴え得る聖地が選定されたということは、歴史的であり、世界的な勝利の立て札を立てたことになります。このような基準を拡大するために、一九六五年に世界を歴訪しながら、四十ヵ国に百二十ヵ所の聖地を選定しました。多くの経費を使いながら、様々な国に聖地を選定し、そこの石と土を韓国に持ってきたのですが、(それは、)そのようにしなければならない神様の摂理があるからです。このようなことは、歴史にないことです。
このようなことをするのは、天地の運勢に拍子を合わせ、神様の摂理的なプログラムに合わせるためです。四十ヵ国、百二十ヵ所の聖地は、神様の選民圏を守ってくれる地です。この地は、肉身をもった人々が守れないとしても、霊界の霊人たちが守ってくれます。神様が共にいらっしゃることのできる立て札を打ち込んで闘える基盤をつくり、民族復帰運動の闘いを勝利に導く基点を立てるためのものなのです。
21 私が聖地を探し出すのに一番難しかった所は、レバノンのベイルートでした。ベイルートの海辺は、軍隊が守っていました。軍隊が守っているのに、午前三時に月と星が輝く天を見ながらそこに向かい、ベイルートの海岸地帯に聖地をつくりました。中東で聖地をつくった所が、レバノンとシリアです。
シリアの聖地とレバノンの聖地をつくるために、夜にこっそりと、誰にも分からないように四人が入って聖地の選定をしました。そして、イスラエルのエルサレムまで行って聖地をつくりました。闘いの中でも、これほどの闘いはないという激戦の途上で、聖地の境界線をつくったのです。
22 シリアに行って聖地を選ぶときは、七時間以上かかりました。ですから、世界の聖地の中で最も印象に残っている所がシリアです。そこに行った時、東ヨーロッパを中心とした国際博覧会が開かれていました。そこで、ソ連の衛星国家が自国の産物を展示していました。私はソ連の展示館に入ったのですが、その時の印象が忘れられません。
昼には聖地を選ぶことができず、夜に選んだので、多くの時間を消耗しました。昼に道で立って祈るキリスト教徒がいれば、人々が石でたたき殺そうとするのです。それで、一緒に座っていたセルビア人の助けを借りて聖地を選定しました。このように聖地を選んだのが、ついきのうのことのようです。

Sunday Apr 30, 2023
真の父母経 第122話
Sunday Apr 30, 2023
Sunday Apr 30, 2023
第三章 主要な名節の宣布
第一節 「心情復活の日」と「実体復活の日」宣布
「心情復活の日」「実体復活の日」宣布の背景
真の父母様は、三子女の祝福式を執り行った翌日の一九六〇年四月十七日を「心情復活の日」、一九六一年四月十七日を「実体復活の日」として宣布された。真の父母様の聖婚式以降、心情復活、実体復活、万物復活の基台を築き、失ってしまった神様の心情圏を実体で復活させることによって、「父母の日」を通して子女と万物を探して立てたのである。
1 本来、「父母の日」は、「心情復活の日」と「実体復活の日」が宣布されたあとに現れなければなりません。復活の過程を探ってみると、心情復活、実体復活、万物復活となっていきます。太初に神様は、人間の堕落によって万物を失ってしまい、実体を失ってしまい、心情を失ってしまったので、逆に心情復活、実体復活、万物復活をしてこられるのです。それを通して、「父母の日」と「子女の日」、そして「万物の日」が探し出されるのです。
これを成し遂げるために、お父様自身が茨の道を歩みながら蕩減してきました。このように蕩減条件を立てたので、サタンの讒訴条件を免れて、祝福された「父母の日」を設定することができたのです。
2 人類始祖であるアダムとエバが堕落することによって、「父母の日」と「子女の日」、「万物の日」、「神の日」を立てることができませんでした。それで、統一教会では、これらの日を定めたのです。このような事実は、歴史上、空前絶後の出来事です。
「神の日」や「子女の日」は、何の価値もない日ではありません。「子女の日」が現れるためには、堕落したすべてのものを復帰しなければなりませんでした。堕落することによって心情的問題に引っ掛かり、実体的問題に引っ掛かり、それから天使長に引っ掛かりました。堕落した順序を見れば、天使長が問題になり、それから体と心を通して心情まで問題になりました。すべて引っ掛かってしまったというのです。このように、すべて引っ掛かっています。
これを復帰するためには、神様と一致する心情をもって現れなければなりません。ですから、統一教会には「心情復活の日」があるのです。「心情復活の日」が宣布されなければなりません。心情復活が先です。堕落は、サタンと人間の体が一つになることによって、心情が被害を受けたのです。ですから、復帰路程では、反対にしなければなりません。「心情復活の日」を先に宣布し、それから「実体復活の日」を宣布しなければなりません。
3 一九六〇年に聖婚式をすることによって、父母の立場を縦的に決定しました。ですから、復帰の過程を経る皆さんは、そのような形の道を歩まなければなりません。それで、「父母の日」を設定して、横的な立場で「子女の日」を宣布するようになったのです。そうして、父母様を通して、み言復活、心情復活、実体復活が出てきました。このようになったので、初めて一人の男性を中心として祝福を成し遂げ、新しい歴史時代へと入っていけるようになったのです。そうして、皆さんに対しては父母になったので、皆さんを新時代の息子、娘として祝福してあげるのです。
ですから、皆さんは、蕩減路程において、父母様のように実体復活の過程を経なくてもよいというのです。父母様がそれをすべてつなげてきたので、父母様に付いていきさえすれば、皆さんはサタンの讒訴を受けずに進んでいけるのです。
4 アダムは、心情世界が不十分な立場で堕落しました。神様の心情を知らずに堕落したのです。心情を体恤してきた人は、この歴史時代においてイエス様しかいません。しかし、イエス様は心情復帰の基準を立てることができませんでした。アダム一人が神様の心情を蹂躙したのではなく、アダムとエバが共に蹂躙したので、彼らが心情的に一致するまでは、神様の心情解放の基準を立てることができないというのです。ですから、イエス様が再び来て、心情復活圏をつくりあげなければなりません。
キリスト教が二千年間ありとあらゆる犠牲を払ってきましたが、このような理念をもった原理と天理を通した心情的背景を備えて、「今から神様の心情を解いてください!」と言える基準は現れませんでした。ですから、このような夫婦が現れてこのようなことをしてこそ、神様の心情解放が起き、それにより、天の国の「心情の門」が開くとともに、人間の夫婦においては、真の心情の天国型が(ここから)始まるのです。
5 神様の心情的壁をつくったことに対して、一人の男性と一人の女性が蕩減条件を立てることにより、心情的基準と心の方向が一致した立場で、「あなたが背負った十字架を代わりに引き継ぎ、個人と家庭と氏族と民族と国家と世界を中心として実体的に闘って勝利いたします」と言うことができなければなりません。それにより、神様の心情世界から人間の心情世界へと移されなければなりません。それは、アダムとエバが堕落したので、人間の先祖の立場から解かなければならないのです。神様を解放し、神様の心情的十字架を解かなければならないというのです。
そのためには、心情的な受難の道を通して、愛の十字架を担おうという夫婦がいなければなりません。その十字架を背負って、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的峠を越えなければなりません。そうして、その峠を越えたと宣言する日がなければならないのです。「神様が子女を愛し、万物を愛するように、この二人が、そのようにいたします」と言わなければなりません。それで、一九六〇年四月十一日の父母様の聖婚式が過ぎて七日目となる四月十七日を期して、「心情復活の日」を宣布したのです。天と地上に心情復活を宣布した日です。人間世界に残された心情問題さえ世界的に解決すれば、地上天国と天上天国は必ず成し遂げられるのです。
6 地上に顕現する神様の愛を中心とした心情的復活圏を成就しなければ、完成の基準を立てることはできません。そのような復活を中心として、統一教会で「心情復活の日」を宣布しました。その心情復活を基盤にしなければ、実体復活を探し出す道がありません。
結局は、心情と神様の愛を中心として、心が神様と一つになり、その一つになった心と神様の愛を中心として、体が一つにならなければなりません。横的に体が心情圏を形成するためには、今までサタン圏内から侵犯されていた讒訴基準を超越しなければならないのです。越えなければなりません。ですから、実体復活圏を成就しなければ、神様の心情を横的に連結させることはできないのです。一九六〇年と一九六一年にそれぞれ「心情復活の日」と「実体復活の日」を宣布することによって、初めて完成したアダムならアダム、完成したエバならエバが、ここから現れることができるというのです。
心情復活と実体復活
真の父母様は、「心情復活の日」について、六千年を通して初めて、神様と人間が公式的に心情の紐帯を結んだ日であることを強調された。そして、すべての人間は、再び誕生する実体復活の条件を立ててこそ、祝福を受け、神様のみ前に立ち得る恩賜圏内に入ることができると語られた。
7 私たちは、いずれにしても心情の門を通過しなければなりません。心情の門を通過したという条件を立てなければ、復活できません。イエス様も、心情の問題を解決できなかったので、天国に入れませんでした。ですから、一番目も心情であり、千番目、一万番目も心情です。この心情の門を開いてこそ、天国の門が開かれるのです。天国の門が開かれる日、その体と心と心情に傷を受けていない人が天国に入っていけるのです。
8 復活するには、私たちの心情が問題です。天の願いどおりに、現実において価値のある味を出す人にならなければなりません。今まで復活を完結したという人が天にも地にもいなかったのに、この哀れな民族が暮らす韓半島から復活が成し遂げられるということは、頭を下げて感謝しなければならないことです。この基準を達成した人がいるとすれば、その人は億万のお金とも交換できない人です。
その人は、すべてを失ってしまった人のようですが、すべてをもっている人です。心情の主導権を握って来られる父のみ前に、喜びと幸福と楽しみをお返しする息子であり、娘です。ですから、私たちは、その人の心情世界につながらなければなりません。神様は私たちの父であり、主は私たちの新郎です。
神様は、私たちに慕わしさと「神主義」と忠誠を教えてくださいました。今から私たちは、父子の心情、夫婦の心情、君臣の心情をもって、主義を統一させていかなければなりません。その父の名のもとでは、互いに赦せないことがなく、曲折が残ることがありません。新郎の名によっては、譲れないことがないのです。一人の君主の名のもとで忠誠を尽くすのですから、一つにならざるを得ません。これが心情復活の総結論です。
9 アダムとエバが堕落する時には、神様と心情的基準が一致していませんでした。ですから、それ以上に上がらなければなりません。神様の命令であれば何でもやらなければならない、地上のあらゆるものを断ち切ってやらなければならない、とひたすら思わなければなりません。このような自覚が生じなければならないのです。すなわち、心情復活の段階がなければならないというのです。ですから、父母様がこの道のために、心情復活式をしたのです。
10 皆さんが、実体復活できる存在になろうとすれば、歴史的な基準を蕩減し、現実の闘いで倒れずに勝利しなければなりません。そうしてこそ、実体復活ができるのです。そのようになる日が「実体復活の日」です。この地に、イエス様の使命を受け継ぎ、神様の心情を受け継いで来られる方がいらっしゃるとすれば、その方がこの世界の主人公です。実体復活は心情まで通じなければなりません。その日は、天地が回っていく日です。
「実体復活の日」が現れるためには、実体の父母がいなければならず、実体の子女を立てなければなりません。皆さんは、実体復活を通じて栄光の立場に進んでいかなければなりません。そのためには、血みどろの闘いをしなければならないのです。そうして、栄光の主権を立てなければなりません。この道は、死のうと生きようと行かなければならない道なのです。
11 統一教会に来ると不思議です。いっそのこと荷物をまとめてきて、教会にずっといたいと思うのです。家から荷物をまとめてくることが、どれほど希望に感じられるか分かりません。ですから、逃げるようにして来るということがなければならないのです。そのように感じ、そのようにしなければなりません。そのようになれば、それが実体復活です。体が天の領域に入ったという切符をもらうのです。実体復活圏だというのです。そのように心情復活と実体復活圏がつくられてこそ、神様の愛を通じた血統的絆の連結が出発するのです