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Saturday Apr 29, 2023
真の父母経 第135話
Saturday Apr 29, 2023
Saturday Apr 29, 2023
真の父母様への誇りと愛は三百六十万双祝福完遂
16 一九九七年の標語は、「真の父母様への誇りと愛は三百六十万双祝福完遂」です。「真の父母様を誇り愛そう」は、一九九六年の標語でした。今年、三百六十万双の祝福が完成すれば、これは天宙史的な事件になります。
三百六十万双の祝福が完成したとすれば、その次は三千六百万双の祝福をするのです。サタン世界のあらゆる完全数を越える勝利的覇権が、地上に設定されると見るのです。
三千六百万双を完成したのち、三億六千万双、三十六億双をするようになれば、人類がすべて祝福を受けるのに何年あれば終わるか、考えてみなさいというのです。
家庭は、アダムとエバの時から、男性と女性にとって必ず必要だったように、どんな時代、どんな延長の歴史を経ても、この公式は変わりません。そのような二人が一つになって着地するのが、アダム家庭でした。そのアダム家庭は、歴史性を超越し、永遠に続くというのです。
17 「真の父母を誇り愛そう」という言葉を、皆さんの前に掲げるためには、父母様が神様を誇り、愛さなければなりません。そうして、神様が見るとき、「本当によくやった。愛した」という条件を立てたことを受け継いで、皆さんも真の父母様を誇り愛さなければなりません。父母様が神様を誇り、愛したのと同じように、皆さんも神様を誇り、愛さなければならず、真の父母を誇り、愛さなければならないというのです。そのような伝統的内容を知らなければなりません。
父母様が世界的メシヤだとすれば、国家的メシヤの立場でなければ、父母様を誇れる道がありません。国家的メシヤが、そのもとにいる人々に誇るために教育しようとすれば、氏族的メシヤをもたなければなりません。そして、氏族的メシヤが自分のもとの後代と先祖に誇るためには、家庭的メシヤの系列をもたなければならないのです。それがメシヤ思想であり、真の父母が行くべき道です。
メシヤと言えば真の父母のことですが、真の父母になろうとすれば、神様を誇るのと同じ伝統を家庭に立てて、自分の父母を誇らなければなりません。神様を愛するのと同じように愛さなければならないのです。そのような家庭的な愛と誇りの圏を中心として国家的な愛と誇りの圏、世界的な愛と誇りの圏、天宙的な愛と誇りの圏に上がっていき、天の祝福に代わって下りてきて、初めて天国の家庭として、解放圏を手にして生活できるというのです。
真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切
18 一九九八年の標語は、「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。「真の父母様への誇りと愛は三百六十万双祝福完遂」は、一九九七年の標語です。
今年の標語は、「三億六千万双の祝福完成」であり、その次には「サタン世界の血統断切」です。それさえ刻みつければよいのです。昨年は「真の父母」でしたが、今からは「真の神様」です。そして、三億六千万双の祝福完遂であり、サタン世界の血統断切です。このために神様が苦労したのです。この根を抜いてしまわなければなりません。これを抜き取れる力が、父母様にはあるというのです。
19 私たちは、祝福行事をして、今まで四千万双の祝福を完成しました。これは世界的事件です。一時に通り過ぎる事件ではなく、歴史にただ一度しかない事件です。誰も再び行うことはできないのです。過去にもなく、未来にもありません。この三億六千万双の祝福は、歴史に一度しかないのです。一度しかないこの三億六千万双の峠を前にして、私たちが歴史をすべて清算するのです。
神様を解放し、サタン追放、汚したサタンの血統を完全に断切、撤廃しなければなりません。大転換と大転覆の時代が果るのです。私たちが今まで成し遂げた四千万双の祝福は、世界がすべて知っています。知らない国がありません。
ですから、皆さんは現地に行って、青少年の問題を解決しなければなりません。青少年の問題は、私たちの家庭も、私たちの町も、私たちの国も責任をもてず、どんな環境も責任をもつことができません。すべてにとって問題です。
青少年の時に堕落することによって、アダム家庭が破綻したのですが、エデンにおいて春の季節にそのような種を蒔いたものが、秋の収穫期の「終わりの日」になって、世界的に実を結んだのです。これをまとめて、すべて燃やしてしまわなければなりません。残すもの、収めるものは一つもないというのです。大転覆させなければなりません。
真の祝福天宙化とサタン血統根絶
20 一九九九年の年頭標語は、「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。サタン血統根絶は、サタン世界と関係がないということです。真を中心とするとき、偽りが相対の位置に立つことはできないというのです。ですから、一九九八年には「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」として、「真」という言葉を使いました。神様が真の位置に立たなければならないというのです。
今までは神様が救援摂理をしてきたので、サタンに押さえられてきました。しかし、アベル的基準でカイン的基準を自然屈伏させ得る環境を経るために、「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」という言葉を使ったのです。三億六千万双の祝福をすれば、サタン世界の血統を断切できるのです。
既に一九九八年九月三十日を中心として、越えていくことができる時代に入ったので、今や天と地において、相対的関係の闘争的時代が過ぎ去ります。峠を越えたというのです。今、地上における三億六千万双の祝福完成は、この峠に集まってするのではありません。本然のアダムとエバの位置に立ち、世界人類を祝福することによってこの峠を越え、本来、アダム家庭の位置に立つべき人たちが祝福を受けた立場に立ったので、天と地を塞いでいた塀が崩れていくのです。
ですから、一九九九年はサタン血統根絶です。根を抜いてしまわなければなりません。そのためには、祝福の恵沢圏を天宙、霊界と肉界に一元化しなければならないというのです。
21 今年は一九九九年ですが、九九九の九数はサタン数です。九九九は、蘇生、長成、完成ですべて十数に近づきます。解放数になるとみなすのです。真の祝福とは、祝福が完成したという意味です。ただの祝福ではありません。真の祝福の天宙化です。神様の心に最後に残った宇宙的解放の定着、完全に定着できる真の家庭を祝福してあげようというのです。
その次には、サタンの根を根絶しようというのです。最後です。一九九九年を逃すことなく、精誠と愛の心を宇宙に拡大して祝福するようになれば、世界は自然に従ってきます。「私」がプラスになっているので、マイナスが付いてくると考えるのです。そのような心をもって、皆さんの町に祝福を受けていない人がいないようにしなければなりません。皆さんが、家ごとに愛の絆を残していない所がないようにしなければなりません。そのようにしてこそ、神様が主体として愛の心で日の光のごとく照らしてくださるように、解放圏が広がっていくというのです。
それを知っても行くことができなければ、脱落して、あの国(霊界)に行っても嘆くことすらできません。ですから、福を受けようと考えず、理解してほしいと思ってはいけないというのです。父母様がそのように生きてきました。神様が関心をもっていなくても、それをしたのです。報告もせずにしたのです。そのようにしてみると、自然にできたというのです。自然の道理です。アダムとエバが報告して完成するようになっていますか。自然の道理によってできるようになっています。ですから、神様に報告しなくても、その前に出ていって、報告したこと以上の価値として実を結ばせるというのが天理大道の原則です。
22 一九九九年の標語は、「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。「断切」には様々な方法があります。葉も断切し、枝も断切し、大きな幹も断切します。「断切」という言葉は、根を抜くという「根絶」とは違うのです。
女性の根を抜かなければならず、男性の根を抜かなければなりません。根の出発はサタンです。サタンが先に根を下ろしました。皆さんはその根につながっています。皆さんに堕落性が残っているのは、サタンが関係を結んだからです。
神様の最後の願いは、皆さんの家庭を一つ一つ救うことではありません。サタン世界の根をどのように抜くかということです。この根を抜くときは、神様が怨讐のようにたたいて抜くのではありません。偽りの愛によってこれを植えたので、抜くときは真の愛で抜かなければ、抜けないというのです。

Saturday Apr 29, 2023
真の父母経 第134話
Saturday Apr 29, 2023
Saturday Apr 29, 2023
新しい家庭と統一祖国
7 一九九三年、新年の年頭標語は、「新しい家庭と統一祖国」です。今や、全世界が心を一つにして祈り、精誠を捧げた一九九二年が過ぎ去りました。去る一年間は、お母様を中心として世界史的な役事(働き)を行った年であり、歴史始まって以来、初めて女性解放を宣布した年でした。
今までは、超国家的に女性たちが解放されませんでした。女性が堕落をもたらしたので、この堕落したことを越えていかなければ、女性解放時代が訪れません。摂理的に見るとき、そうなのです。神様の摂理歴史は、救援することです。救援摂理は復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理です。このように見るとき、救援摂理は女性を探し出すための歴史でした。これが、今まで誰も分かりませんでした。
救援摂理は男性を探し出すためのものではなく、女性を探し出すためのものです。人類歴史が誤ったのは、女性が誤ったからです。女性が愛の道を誤って行ったために、今日までの歴史がこのように偽りの歴史になりました。これを復帰しようとすれば、再創造の役事をしなければなりません。再創造歴史の過程を経なければならないのです。
8 私たちは、一つになった祖国を成し遂げていかなければなりません。それは家庭から始まります。新しい家庭から、一つの祖国、統一された祖国が生じるというのです。祖国統一ではありません。祖国統一といえば、祖国が分かれたものを統一するという意味になります。
しかし、「統一祖国」という言葉は、新たに統一された祖国が始まることを意味するのです。ですから、「新しい家庭と統一祖国」が新年の標語になるのです。新しい国で統一しなければなりません。新しい国の統一が祖国の光復です。そのような時代に越えていきます。
9 今年の標語は「新しい家庭と統一祖国」ですが、これは、まず「私個人」が統一されてこそ、成し遂げられる言葉です。私個人が統一されなければ、何もできないのです。そして、男性は女性によって生まれたので、絶対的に女性と統一されなければならず、女性は絶対的に男性と統一されなければなりません。適当にではありません。御飯を食べること、おなかがすくことよりも、さらに真実(なこと)です。深刻な問題です。絶対的な真理です。アダムとエバが祝福を受けたとすれば、その場は初愛を交わす場です。初愛は絶対的なのです。
ところが、初愛を売り飛ばす人々が多くいます。そのようにして夫に接すれば、幸せに暮らせるようにはなりません。今までは、男性に節操がありませんでした。男性に「貞操を守りなさい」と言っても、守れませんでした。女性にだけ貞操を守ることを強要しました。それは、エデンの園で女性が貞操を失ってしまったからです。今後、統一教会では、女性の貞操より、男性の貞操をもっと重要視しなければなりません。
真の父母と成約時代安着
一九九四年の標語は、「真の父母と成約時代安着」です。安着は、定着と意味が違います。安着は、すべてのことが成就して位置を定めるという言葉です。人間が堕落することによって、個人が未完成となり、家庭が未完成となり、氏族が未完成となり、民族、国家、世界、天宙が未完成となりました。創造主であられる神様にとっても、創造理想を完成しようとしたすべてが失敗に終わったというのです。しかし、神様は失敗の立場に立つことができないので、再創造過程を経て、これを蕩減復帰して本然の位置に戻すのです。そのような役事をするのが救援歴史です。
11 個人で真の父母と成約時代を安着させ、家庭で安着させようというのです。そうして、国で安着させるのです。これが神様の創造理想です。天の国を求めなければなりません。その国は、天国と通じるのです。三大原則です。個人で安着させようというのです。ですから、体と心を統一しなければなりません。夫婦が真の愛で統一されなければなりません。争ってはならず、涙があってはいけません。自己主張をしてはいけません。自己主張をするとしても、天理原則に従って主張しなさいというのです。父母様はすべて教えてあげました。四大心情圏、三大王権を中心としてすべて教えてあげたので、今からそのように生きなければなりません。
自分の家庭は、地上天国と天上天国のモデルです。そこには、祖父母、父母、夫婦、息子、娘まで、四代の系列が存在します。世界の各国も、祖父母、父母、自分たち夫婦、息子、娘のような四代の系列になっています。個人は家庭、家庭は氏族、氏族は民族、民族は国家、国家は世界のために犠牲にならなければなりません。より大きなもののために犠牲になる原則を中心として、世界の人々を自分の家庭にいる祖父母、父母、自分たち夫婦、息子、娘以上に敬わなければなりません。世界の人々を自国の国民以上に敬えば、天国の本宮と一致した立場で完成し、天国のどこにでも入っていけるのです。
真の父母様の勝利圏を相続しよう
12 一九九五年の標語は、「真の父母様の勝利圏を相続しよう」です。勝利圏というのは、天地のすべての伝統、今の人類と、今後生まれてくるすべての子孫たち、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、このようなすべてにおいて勝利したということです。神様が救援摂理をしながら、歴史時代に失敗したすべてのことが恨として残っているのですが、真の父母様がアダム家庭から綴られてきた恨の根を抜き取りました。このような内容の勝利的記録を残したのです。
今まで、サタンが歴史を支配してきました。このサタンの歴史を取り除かなければならないというのです。世界がサタンの世界的勝利圏を受け継いできたため、その恨の根を抜き取らなければなりません。アダム家庭から、ノア家庭、アブラハム家庭の恨の根、ヤコブからモーセ、その次に、洗礼ヨハネとイエス様の時代のあらゆる恨を抜いてしまわなければなりません。
このサタン世界に、何をもって勝利するのかというのです。父母様のみ言と一つになる道しかありません。真の父母様の歴史的なこのすべてのみ言は、勝利の覇権を提示するための一つの宣言文です。ですから、年頭標語に「真の父母様の勝利圏」という言葉を使ったのです。
13 南北統一の運勢が近づいています。一九九五年を中心として南北統一をし、天のみ前に奉献して、三千里半島に神様の解放の場を探し出さなければなりません。お父様は一生の間、誰一人からも補助を受けずにこの道を行ったので、皆さんも誰かの補助を受けてはいけません。お父様の補助も受けてはいけません。父母様の補助を受けずに父母様以上のことを成し遂げるとき、父母様が訪ねていって、父母様がもつ財産まで相続させてあげるというのです。そのような孝子、忠臣の道理を備えたあとには、世界史的な聖人、聖子の道を難なく占有できる道が一九九五年の自らの行動いかんによって決定されます。脱落する天の孝子、忠臣、烈女にならないように、真の父母様の勝利圏を相続させるのです。
ですから、平面上で代を継ぐことは問題ありません。家庭で孝子になれば、忠臣の代を継ぐことは問題ありません。国で忠臣になれば、聖人の代を継ぐことは問題ありません。天の国の直系の王子の立場に立てば、平面上で聖子の道理も問題ないのです。そのため、孝子の基盤は忠臣の足場になるのであり、忠臣の足場は聖人の足場になるのであり、聖人の足場は聖子の足場になるのです。
父母様が天の悲しい事実を蕩減復帰して、初めて孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を地上で完結したので、この全体を一九九五年の元旦に、統一教会と世界にいる人々に相続させるのです。
真の父母様を誇り愛そう
一九九六年の標語は、「真の父母様を誇り愛そう」です。一九九五年の標語は、「真の父母様の勝利圏を相続しよう」でした。
神様の願いや人類の願い、すべての万物の願いとは、真の父母がこの地に現れて、神様の真の愛が出発することです。それが創造の始まりであり、創造の過程であり、創造の目的と結果でした。人間が堕落しなかったならば、真の父母がこの地上に現れ、真の愛を中心として家庭を築いていたでしよそれが神様の願いであり、神様が人間を創造した理想でした。
堕落していないアダムとエバが、この地の真の父母になったならば、神様の真の愛を中心として、鉱物世界、植物世界、動物世界、被造世界の全体が一つになっていたでしょう。それにより、真の父母を中心として、すべての被造物が神様の愛の懐に抱かれていたでしょう。ですから、神様は、この地のアダム家庭を中心として、アダムとエバと共に一つになりこのすべての万物を主管しながら、愛の中で暮らさなければならなかったというのです。それが神様の願いでした。
15 真の父母様を誇り、愛さなければなりません。愛するのですが、自分の夫よりも、自分の息子、娘よりも、自分の国よりも、この地の堕落した人類のすべてのものよりも愛さなければなりません。世の中になかった愛をもって父母様を愛してこそ、皆さんも世の中にない愛の世界を相続するというのです。そうしてこそ、神様の息子、娘になり、天の国の皇族になり、天の国の民になるのです。そのようになり得る時代圏に入るのです。一九九七年に三百六十万双が祝福結婚をすれば、天国が展開するようになります。
天国はどれほど遠いでしょうか。ですから、天国に入ろうとすれば、真の父母を誇らなければならず、真の父母を証しなければならず、真の父母を愛さなければなりません。それを準備せざるを得なかったので、一九九六年の元旦に「真の父母様を誇り愛そう」という標語を定めたのです。

Saturday Apr 29, 2023
真の父母経 第133話
Saturday Apr 29, 2023
Saturday Apr 29, 2023
韓国統一
19 今までは、いくら祖国光復を叫んでも、その国がどこにあるのか分かりませんでしたが、今や分かりました。今、一九八八年が過ぎ去ったので、それが韓国であることを明らかにするのです。ですから、この国、韓国で摂理的転換期を宣布し、「世界統一国開天日」を宣布しました。ソウルオリンピック大会を前後して、世界の二世たち(オリンピック選手)と統一教会の二世たち(宣教師)が内的に結束したことを条件として、新しい転換時代において、すべての問題を中心に希望的な世界に行けることを宣布しました。
この基盤は、人間世界はもちろん、霊界でもそのようになるのです。私がこれを宣布することによって、日本の先祖たちが韓国に来て助けることができるようになります。怨讐の国同士、互いに愛することができる愛の時代に入ったので、日本の善霊たちが、日本を犠牲にしてでも韓国の統一を後援できるようになり、アメリカでもイギリスでも、どんな国でも関係なく、世界のあらゆる国の善霊たちが、韓国統一のために後援できる霊的勢力基盤が地上に連結されたというのです。
20 今日、韓半島の統一をどのように成し遂げるべきでしょうか。数多くの宗派があり、数多くの集団があり、数多くの家庭があり、数多くの政党がありますが、それ自体が愛に和合した存在となり、自らを投入して共鳴体的な相対を創造できる行動をしていません。
政党が行くべき道は、国の富、国の利益のために役立つことです。政党は、国の利益のために心配しなければなりません。一方向的な党の利益ばかりを中心とするようになれば、国を蹴飛ばしてしまうのです。
韓国にこのような中心がないので、父母様が全世界の統一教会員たちをこの地に連れてきて、新しい氏族編成を中心として、民族編成を完結し、国のために統一運動をしなければならないというのです。韓国を愛の共鳴圏に感化させなければなりません。それを一九八九年、新年の初日から始めなければなりません。そのようになるとき、統一韓国が誕生するのです。それ以外に道がありません。その時、神様が個人と家庭、氏族、民族に訪ねてくるのです。
第四節 真の父母を誇り、祝福に力を注いだ一九九〇年代
真の父母様は、一九九〇年と一九九一年は「ネナラ(私の国)統一」、一九九二年は「セナラ(新しい国)統一」、一九九三年は「新しい家庭と統一祖国」など、一九九〇年代の序盤に、統一問題を中心に年頭標語を発表された。そして、一九九四年は「真の父母と成約時代安着」、一九九五年は「真の父母様の勝利圓を相続しよう」、一九九六年は「真の父母様を誇り愛そう」など、一九九〇年代の中盤には、真の父母に対する誇りと愛を中心に年頭標語を提示された。そして、終盤に祝福目標の完遂を年頭標語の主要主題として掲げられた。すなわち、一九九七年は「真の父母様への誇りと愛は三百六十万双祝福完遂」、一九九八年は「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」、一九九九年は「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」など、その年の祝福目標を中心として発表されたのである。
ネナラ(私の国)統一
1 一九九〇年の標語は、「ネナラ統一」です。「私の国の統一」です。摂理史から見るとき、一九八〇年代は重要な時代でした。この一九八〇年代に摂理史的転換期を迎えられなければ、摂理史にこの上なく大きな難関が残ったでしょう。これが、父母様が苦心したことでした。しかし、一九八〇年代を中心として、全摂理史において蕩減すべきすべての内容を越えました。統一家が世界の頂上の位置に登ってくるまでに、四十数年の歳月が流れたのです。
2 今年の標語は「ネナラ統一」ですが、これはまず、個人の心と体が一つにならなければなりません。また、夫と妻が一つにならなければならず、父母の前に子女が一つにならなければなりません。神様を中心として一つになり、本源地的自覚を再認識する「私」を探し出すまでは、国の理想圏にも接することができません。
ですから、きょうから全体を代表する私にならなければなりません。神様を代表し、宇宙と世界、国、民族を代表するとともに、家庭では夫と妻、息子、娘を代表する私にならなければなりません。家庭の祖父母、父母、息子、娘を拡大したものが世界人類です。三段階の階層で連結されています。祖父母、父母、息子、娘です。
ところが、自覚すべきあらゆる基準を失ってしまいました。皆さんの家庭を代表する総合的な核の基準を(失い)、アダムとエバの家庭から世界に連結できる本源地を失ってしまったのです。今やその本源地を確定すれば、凍りついた氷山が春の日を迎えて溶けていくように、世界(の問題)は自動的に解消されていくでしょう。ですから、このように自覚した私から始まる私の国を求めなければなりません。
3 一九九〇年に私が、一九九一年も同じ標語をもって年頭の辞とすることにしたので、一九九一年の標語も「ネナラ統一」です。昨年も「ネナラ統一」になり、今年も「ネナラ統一」です。その次の三年目となる来年は、これを完結するための「セナラ統一」になるでしょう。ですから、一九九二年まで、私たちはこれを実践しなければなりません。
4 一九九〇年代を出発するこの日、父母様が世界を再収拾して、統一天下に向かって前進すべき時点で、皆さんが命令を受けているこの瞬間が、どれほど厳粛な時間なのかを知らなければなりません。
「ネナラ統一」が成し遂げられるその時は、歴史始まって以来、何万年、何億万年、摂理史を中心として待ち望んでいた神様の願いが着地できる、息詰まる瞬間です。また、数多くの宗教者たちが無念な思いを抱きながら血を流し、「自分たちの悔しい恨を解いてほしい」と天に祈って所願成就の一日を願ったすべてのことが、地において成就されていません。それが地に成就される息詰まる時間が目前に現れたというのです。
ここで言う「ネナラ統一」は、この韓半島だけを中心としたものではありません。世界の国家を代表するものです。世界国家です。本来は「ネナラ統一」に「ネセゲ(私の世界)統一」を入れて、「ネナラ統一とネセゲ統一」としなければなりません。それを略して「ネナラ統一」としたのです。
世界の人々が、各自、自分の国を統一して韓国に連結すれば、世界になるのです。「私の国統一」のために、今までのどんな愛国者や忠臣よりも、さらに精誠を尽くしていく歩みを早めながら、涙とともに「さらに行かなければならない」と拍車を掛ける日々の生活を誇らなければなりません。天の伝統を記録するとき、一行でも登場できる歴史的な資料を残さなければならないのです。
セナラ(新しい国)統一
5 アメリカで一九九二年一月一日にメモした内容です。「セナラ統一」という題名のもとに四つ(の項目が)あります。
第一は長子権復帰です。「セナラ統一」をしようとすれば、長子権復帰をしなければなりません。民族的に復帰しなければならず、国家的に復帰しなければならないということです。
第二は父母権復帰です。氏族メシヤを中心として、新しい父母が設定され、連結されなければなりません。父母権設定、長子権復帰です。長子権の父母が現れなければなりません。これが真の父母です。長子権が復帰されれば、長子権の父母が現れなければならないというのです。
次に、第三は王権復帰です。長子権の父母が王の中の王ですが、父母権復帰、王権復帰にも、長子の意味が入らなければなりません。王権も長子権の王権です。それが天の国の王であり、地の国の王であり、万王の王です。これは、真の父母に対して語る言葉です。
その次に、皇族圏復帰が出てくるのです。神の国の王を中心として、皇族が設定されていません。イエス様が万王の王として来たと言いますが、皇族がいないというのです。自分の血統を通した直系の王子、王女の家庭がないというのです。それが復帰されなければなりません。本来、エデンの園で、アダムとエバは皇族でした。この皇族圏から、すべて連結されてこなければならなかったのです。
6 アダムが失敗し、イエス様が失敗し、キリスト教が失敗したことだけでなく、真の父母に侍る再臨時代に失敗したすべてのことまで、お父様一身が責任をもたなければなりません。これを知って収拾し、復帰できる人は誰もいません。ただお父様しかいないというのです。
アメリカを中心として、世界的版図を勝利的に収拾しようとしたことまで、すべて失ってしまいました。これにも責任をもたなければなりません。そのすべてのことに、キリスト教やアメリカのようなどこかの国が責任をもつことはできないのです。お父様と一つになるべき相対圏に立っていた、これらすべてのものが破壊され、喪失したので、これを再創造しなければなりません。再びこれを収拾しなければならないというのです。
ですから、一九四五年に七年を足した一九五二年、この時に、既にきょう語る「セナラ統一」、新しい国が統一されなければなりませんでした。アメリカは、新教を中心とした独立国家です。新教国家として、アベルです。この新教を中心としたアメリカ、第二イスラエル圏が、全世界を抱くようになるというのです。世界を抱いて主人になるのは、アメリカではありません。来られる真の父母と連結されなければなりません。そのようになることによって、真の父母を中心として、宗教と国家が一つになる基盤の上に立つのです。
この宗教は、全世界的に統一された立場に立ちます。それが、カインとアベルが一つになることです。体と心が分かれたものが、世界的に統一されなければなりません。ここには主義があるのですが、その主義は真の父母主義であり、アダム主義です。

Friday Apr 28, 2023
真の父母経 第138話
Friday Apr 28, 2023
Friday Apr 28, 2023
内外天一国理想が完成されますように
15 二〇〇五年の標語は、「内外天一国理想が完成されますように」です。ここで「内外」というのは、内的な天の国と外的な天の国のことを意味するのです。天一国というのは、二人が一つになった国です。心と体が一つになり、男性と女性が一つになり、父母と子女、天と地が神様と一つになったものです。内外の「内」は神様を意味し、「外」は真の父母を意味するのです。ですから、「内外天一国」を解いて言えば、内外的な天宙平和統一王国という意味です。
内的な天一国自体では、完成できないようになっています。外的な天一国を通して完成するのです。外的なこの体によって、天と地がすべて破壊されたからです。今や、内外天一国です。天一国時代が到来し、平和統一王国時代が到来し始めるというのです。
16 皆さんは、父母の前に子女の名分、国の前に忠臣の名分、世界の前に聖人の名分、天地の前に聖子の名分を備えることができなかった子女の道理を、皆さん一代で完結しなければなりません。皆さんは祝福を受けましたが、すべて個別的です。皆さん個人がエデンの園で失ったものを探し出すためには、父母の血統を連結した一つの血族として、父母に代わり、息子、娘の道理を中心として、孝子の家庭、忠臣、聖人、聖子の家庭を備えなければなりません。
そのようにして、どの家庭、どの国、どの民族にも、世界、地球星のどこにも境界線、限界線がない、父母様が自分を主張できる解放、釈放の基盤の上で、自由天地のごとく活動できるように、皆さんの家庭と国と天地に一元化され、愛の血統で連結された解放天地をつくらなければなりません。そのようにしてこそ、地上・天上天国が解放され、神様に侍ることができなかったところから復帰完成した億千万世の太平聖代、億万歳と褒めたたえ得る太平時代が来るというのです。
ですから、天宙平和統一王国を完成するのも「私」であり、天一国の王権を完成するのも私だというのです。私の家庭だというのです。皆さんの家庭が、そのような責任を果たさなければなりません。
天宙平和理想モデル摂理安着時代
17 二〇〇六年の標語は、「天宙平和理想モデル摂理安着時代」です。摂理安着時代の中には、摂理家庭安着時代、摂理国家安着時代、摂理世界安着時代、地上天国安着時代まですべて含まれます。天宙平和理想モデル摂理安着時代で、その摂理の中では、モデル摂理家庭安着時代、モデル摂理国家安着時代、モデル摂理世界安着時代まで一つになっているのです。
18 二〇〇五年に、真の父母様が百二十ヵ国を巡りながら語ったみ言の題名が、「神様の理想家庭と平和世界のモデル」です。それが二つとも成就されていません。神様の理想家庭というとき、堕落した世界でその理想をどのようにして探し出すのでしょうか。
平和世界のモデルというのは、「終わりの日」に、新しい世界の新しい建国理念を中心として出発できる内容です。世の中に数多くの歴史を経て家庭モデルが一つ現れ、地上・天上天国のモデルが一つ現れてくるので、「神様の理想家庭と平和世界のモデル」と題名を定めました。そこには歴史がすべて入るのです。
19 「天宙平和理想モデル摂理安着時代」が二〇〇六年の標語ですが、モデル家庭時代は旧約時代を意味します。次に、モデル国家時代は、イエス様の時代である新約時代を意味します。その次に、モデル世界時代は、霊界と肉界の統一世界時代である成約時代を意味するのです。
再臨主が闘争と争いなしに難なく突破し、天宙平和理想モデル摂理安着時代を発表したのですが、これがどれほど素晴らしいことか分かりません。家庭安着時代も過ぎ去り、国家安着時代も過ぎ去り、今や世界安着時代だけが残っているのです。
天宙平和天一国太平聖代億万歳
20 二〇〇七年の年頭標語は、「天宙平和天一国太平聖代億万歳」です。天宙平和連合は、統一教会が今、展開している世界平和運動の主題です。「天宙平和連合」という言葉は、神様が暮らせる地と家を意味します。人にはまだそれができていません。神様が暮らせる家と地、あるいは万物が連帯的責任を負っているのですが、万物は、神様が家を建てて暮らすのに必要な慰労の対象です。愛の象徴として重要な物だというのです。万物は、それぞれが個性真理体として、どんな存在でも自分自身を誇らないものがありません。優劣に関係なく、すべてそうなのです。
しかし、人間は、自分を誇る人をたたえることはありません。温柔、謙遜でなく、自分を中心として考える人には、「後ろに下がりなさい」と言います。しかし、自分を離れて公的なことを考える人には、「福を受けてください」と言うのです。神様も、そのような人を好むというのです。
21 二〇〇七年の標語は「天宙平和天一国太平聖代億万歳」ですが、何が太平聖代なのでしょうか。いくら天一国があっても、神様の創造本然の理想、神様と共に暮らせる環境がなければ、天一国の意味がないということです。環境的内容が具備されなければ、そうだというのです。美人だとしても、美人としての身なりを整えてあげてこそ、美人としての価値を感じるのと同じように、天一国がいくら良くても、神様が暮らしたいと思う家として、内外の内容を十分に具備し、誰でも入って暮らしたいと思うことができなければならないというのです。
そして、息子、娘として永遠に暮らしたいという思いをもてる、情にあふれた所にならなければなりません。その情をさらに与え、情を輝かせることが、神様の創造、天宙平和創造の理想の境地だというのです。そのような美しさが内外に満ちあふれていることが理想なのですから、どんな人でも慕わざるを得ないほど良い所だとすれば、太平聖代になるのです。
天宙平和の起源である神様に侍って暮らす家から、平和が訪れるというのです。そのような意味で、「太平聖代」という言葉は、幸福が途絶えることなく永遠に続く誇らしい時代、誇らしい世界だということです。億万世、億万年にわたって喜びの解放権限をもち、誇りをもって暮らすことができるのです。
22 「天宙平和天一国太平聖代億万歳」という標語で語っている太平聖代の時代が、私たちの生活圏を既に通過しています。天運が通過しています。その通り過ぎる運勢を、私は知っているのです。ですから、今、皆さんが大革命、大変革を起こし、入れ替えるべき問題とは何でしょうか。
お父様一人を信じて従っていくことは、歴史的な証人たちを立てるだけで、いつでも歴史時代に再現できます。お父様が去ったあと、皆さんはどうするのかというのです。今、知って、聞いて、またそのもろもろのことが事実ならば、どのようにすべきなのでしょうか。神様がいらっしゃることができる宮があるという事実、祖国があるという事実、郷土があるという事実を忘れてはいけません。
しかし、その祖国が、私の望む祖国の形を備えることができず、郷土も、私が願う基準になっていません。私が頼みたいことは、私が旅立つとしても、私が願うとおりに、より次元の高い祖国を創建し、より美しい理想郷を残せるようにしなければならないということです。

Friday Apr 28, 2023
真の父母経 第137話
Friday Apr 28, 2023
Friday Apr 28, 2023
天地父母の理想である自由平和幸福の天一国安着万歳
7 「天一国」の「天」の字は、「二人」を意味します。そして、「二の字は、上の水平と下の水平のことを意味するのです。天上世界と地上世界が平和にならなければなりません。ですから、天宙平和という意味が含まれるのです。「天一国」の水平(一)は、統一の「一」の字です。それで、二〇〇一年の標語は、「二人が真の愛を中心として、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨を完成しよう」というものでした。
真の愛でなければ、み旨を完成できません。絶対、唯一、不変、永遠、絶対的愛、唯一的愛、不変的愛、永遠の愛のみ旨を完成しようというのです。それが、二人が一つになった国、天一国です。天宙という言葉は、天地の家を意味します。男性も女性も水平になって、天に侍らなければなりません。侍る天を中心として、「私」の体と心が一つにならなければならず、その次に、夫婦が一つにならなければならず、父母と子女が一つにならなければならず、兄弟が一つにならなければなりません。すべて二人です。
主体と対象圏がどこでも一つになるには、真の愛でなければ駄目なのです。真の愛が中心になります。個人的中心、家庭的中心、次第に大きくなっていきます。その次には、父母と子女の中心、兄弟の中心になります。そうして、家庭定着です。
家庭定着ができれば、家庭を中心として氏族と一つになり、氏族が一つになれば、氏族を中心として民族と一つになり、民族が一つになれば、民族を中心として国家と一つになり、国家は世界と、世界は天宙と、天宙は神様と一つになった統一的国家にならなければなりません。そのようになれば、横に行っても縦に行っても、ぶつかることはないのです。
8 二〇〇二年の標語は、「天地父母の理想である自由平和幸福の天一国安着万歳」ですが、その自由、平和、幸福は、真の愛を中心として語る言葉です。真の愛を中心とした自由、真の愛を中心とした平和、真の愛を中心とした幸福です。これは家庭にも入り、すべてに入ります。一人で幸せになることはできません。幸福の基礎は家庭しかないので、これを連結できる家庭がたくさん繁殖しなければなりません。
四位基台は、祖父母、父母、自分たち夫婦であり、息子、娘まで含めれば四代です。これが一つのカテゴリーです。四位基台の上で、アダムの孫からは数十双が出てきても大丈夫です。これが種になっていて、モデルが出てきたので、ここから十二支派が出て、数百支派が出てくることができます。息子、娘をたくさん生んでペアをつくるほど、アダムの家庭が栄えるのです。
ですから、四位基台完成のもとで四系列が出てきます。祖父母、父母、自分たち夫婦の三代が暮らせば、息子、娘が出てきます。三代を中心として、創造本然のアダムとエバの息子、娘と孫たちが出てくるのですが、この四代からは種になって、結婚さえすれば、天国にそのまま入ります。それが一つのモデルなのです。
真の愛で私たちの家庭が天一国の孝子忠臣聖人聖子の真の家庭を完成できますように
9 二〇〇三年の標語は、「真の愛で私たちの家庭が天一国の孝子忠臣聖人聖子の真の家庭を完成できますように」です。ここに、神様の創造理想の全体が入っています。個人、家庭、氏族、民族、国家において、真の家庭を中心とした孝子の伝統を受け継ぐのが忠臣であり、忠臣の伝統を受け継ぐのが聖人であり、聖人の伝統を受け継ぐのが聖子です。
そして、聖子の伝統を受け継いで王権が樹立されます。ここでの相続は、神様の王権を占領した基盤で成し遂げられるようになるのです。
堕落した世界の個人の所有権や国に属しているものは、すべて否定されなければなりません。それは、結局は堕落した世界の結果物です。神様が願わない怨讐の血統に連結され、汚された世界です。神様は、その影がかかることさえも好みません。戦争によって大勢の人たちが死に、興亡盛衰を経てきたこの悪の世界を、神様が管掌(かんしょう:役目の権限をもってつかさどること)することはできないというのです。
10 真の愛によって、私たちの家庭は天一国の主人になり、孝子にならなければなりません。主人になるというのは、孝子になったあとに語る言葉です。
その次には、忠臣、聖人、聖子の真の家庭になってこそ主人になります。それは、ただ盲目的に語った言葉ではありません。これは、天理原則において避けることができない一つの礎石を据えた立場なので、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をして、自分は千辛万苦の受難の道も感謝しながら、百回、千回死んでも、無限大の世界のために行かなければなりません。
神様が宗教圏を中心として愛し、信じることのできる、御自身の側にいる人が犠牲になっても、耐えるしかなく、助けてあげられない(神様の)無念な心情を皆さんが体恤し、行く道を前にして涙が前を遮り、血と汗が自分の周囲にしみ渡っていてこそ、サタンが皆さんに入ってくることができないのです。ために生きて涙を流し、ために生きて血を流したその跡があるので、サタンが来ることができないというのです。サタンは利己主義です。利己主義なので、その場を侵犯できません。
11 家庭のモデルが忠臣と通じ、忠臣のモデルが聖人と通じ、聖人のモデルが聖子と通じ、聖子のモデルが王権と通じます。ですから、真の父母がいらっしゃる天一国には、真の父母、真の主人、真の師、真の王が行くのです。孝子、忠臣、聖人、聖子、王権と同じです。その位置まで越えていってこそ、相続を受けます。はっきりと教えてあげるのです。いくらうまやっても、中間では駄目です。福を受けようとしてみなさいというのです。死んだのちには、墓場に行かなければなりません。これは、墓場ではなく、天国に行ける間違いのない道です。今や、世の中がすべて知っています。
ですから、二〇〇二年七月四日、ワシントンDCで天の解放宣布式を行うとき、霊界の決意文を宣布しました。第一は、「絶対真の父母である神様と真の父母様を知って信じる」、次に「絶対真の師である神様と真の父母様を知って信じる」、その次に「絶対真の主人である神様と真の父母様を知って信じる」、また、その次に「真の父母様を神様の実体として、真の父母、真の師、真の主人として信じて行動する!」です。
王です。王にならなければなりません。真の父母、真の師、真の主人です。王は一人しかいません。ですから、「統一家の祝福家庭は、父母様を王として、侍りなさい」と言いました。そうしてこそ、相続を受けます。王の前に行って王子になってこそ、相続を受けるのです。聖子になってこそ相続を受けます。それを受けられなければ、あの国(霊界)に行って引っ掛かるのです。
神の祖国と平和王国時代宣布
12 二〇〇四年一月一日、きょうから「神の祖国と平和王国時代」に入ります。宣言ではなく宣布です。宣布というのは、そのような時代になったということです。これは、個人だけでなく、全世界、天地に及ぶので、宣布の内容は既に宣言時代を通り過ぎたのです。
その言葉は、神様の祖国光復はもちろん、神様の平和王国時代も既に宣布されたので、そのような世界に生きる人として、そのような立場に立ち、神様の平和王国を完成しようということです。
13 「神の祖国」という言葉を二〇〇四年一月一日のけさ、宣布したので、これから神の祖国が始まります。そして、平和王国を宣布しました。神の祖国と平和王国が始まったので、その場は堕落した世界と何の関係もない場です。堕落する前、神様が願った神の国、神の祖国です。その祖国の領土で親族が暮らすことができ、民族が暮らすことができ、国々が暮らすことができます。全体が天の国になり得るのです。仮想ではない実存的存在圏です。
この祖国の上から、すべてのものが始まり、議論されなければなりません。「祖国」とは、このように貴い言葉だというのです。祖国がないところで成し遂げられたものは、すべてなくなります。国がなければ、「大韓民国」という言葉も、「白衣民族」とい言葉もあり得ません。
神様が願う祖国の地の内容が、歴史時代を経て個人から家庭、氏族、民族、国家に連結され、世界の祖国光復を宣布できるその時になれば、このすべてのものが、祖国の上で存在し始めるというのです。しかし、そこから脱落したので、蕩減法で代用するために、今までは条件的基準を中心として生きてきました。神の祖国の領土ができたという時には、過去の条件的立場でその名分を立ててきたものをすべて踏みつけ、断ち切り、ひっくり返して、この祖国の領土の上に再び立てて改造しなければならない時代になるというのです。
14 皆さんが夢の中でも考えなければならないことは、神の祖国と平和王国です。神様は祖国を願い、人間は平和王国を願いました。天が願い、地が願ったことを所願成就したので、死ぬとしても感謝しなければなりません。皆さんがこの地上に生きて、死ぬ時になれば、地に対して感謝し、万物の前に恥ずかしくないように忠孝の涙を流さなければなりません。自分自身の享楽のために生き、楽しみのために生きて涙を流す、恥ずかしい息子、娘になってはいけません。

Friday Apr 28, 2023
真の父母経 第136話
Friday Apr 28, 2023
Friday Apr 28, 2023
第五節 天一国理想の実現に力点を置いた二〇〇〇年代
真の父母様は、二〇〇〇年代を迎え、神人愛一体理想を成し遂げて天一国理想を実現し、天地人真の父母勝利解放完成を目標とする年頭標語を発表された。すなわち、二〇〇〇年は「真の愛の天宙化は新千年天国完成」、二〇〇一年は「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という標語において、真の愛を通した一体化を強調された。続いて、二〇〇二年は「天地父母の理想である自由平和幸福の天一国安着万歳」、二〇〇三年は「真の愛で私たちの家庭が天一国の孝子忠臣聖人聖子の真の家庭を完成できますように」、二〇〇四年は「神の祖国と平和王国時代宣布」、二〇〇五年は「内外天一国理想が完成されますように」、二〇〇六年は「天宙平和理想モデル摂理安着時代」、二〇〇七年は「天宙平和天一国太平聖代億万歳」、二〇〇八年は「天宙平和連合天一国双合七八禧年万歳」など、天一国と関連した年頭標語を提示された。そして、二〇〇九年は「天地父母天宙安息圏絶対性真の愛真の生命真の血統権勝利宣布時代」、二〇一〇年は「真の愛天宙安息権清心一萬勝一萬歳」、二〇一一年は「天情父母地和子女定着終最一体完了天宙定着天一国萬歳」、二〇一二年と一三年は「天地人真の父母勝利解放完成時代」など、天地人真の父母様の一体化と勝利を標語として発表され、二〇一四年から二〇年までは、年頭標語として「創造主、天の父母様に似た、真の愛を実践する天一国の真の主人になろう」を発表された。
真の愛の天宙化は新千年天国完成
1 二〇〇〇年の標語は、「真の愛の天宙化は新千年天国完成」です。「真の愛の天宙化」という言葉は、真の愛の家という意味です。存在世界の真の愛の天宙化です。「天宙」とは、神様の家を意味します。神様がとどまり得る家は、新しい千年を通じて完成するという標語です。真の愛の天宙化を通して、神様がどこにでも永遠に住める新千年時代の天国完成が出発するというのです。
2 天国は、自由が永遠にある所であり、希望が永遠にある所であり、幸福が永遠にある所であり、真の愛と真の生命が永遠にある所です。神様の家で暮らしながら、神様とすべてが一つになっているので、間違いがありません。ですから、統一教会では、互いに愛することによって、世界のすべての人々が「私の家である。私たちの家である」と考え、一緒に暮らしていくのです。統一教会の人々は食口です。
家庭と食口が天地安息圏の中心にいるので、このような公式原理に従って、統一教会は家庭第一主義、兄弟第一主義、食口第一主義を主張するのです。それが、真の愛を中心として、真の血統と連結された真の家庭です。
3 二〇〇〇年の標語は、「真の愛の天宙化は新千年天国完成」です。千年王国時代を築かなければならないというのです。「新千年天国完成」時代に越えていくというのです。漠然としていません。家庭が国家を探し出すことによって、エバが堕落した長成期の基準を越え、アダムとエバの完成基準を越えて、家庭、氏族、民族、すべてを祝福し、天地のすべてが向きを変えるのです。それにより、第三次アダム時代に蕩減を解消し、解放的第四次アダム圏時代になったので、国家を越えた家庭にならなければならないというのです。
国に戸籍を登録できる時代になったので、自由勝利の定着圏になるというのです。ですから、家庭の解放です。エデンの園で入籍が必要のない家庭になったので、ここでは自由です。父母様が教えるみ言のとおり、一つになって生きれば、自主的な立場で、地上と天上のどこに行っても行路の制限を受けない、解放時代に向かっていくので、もはや国境はすべてなくなるのです。ですから、自主的な立場で祈らなければなりません。今までは「切に願います」と祈りましたが、これからは報告です。善意の報告なのです。
解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように
4 「家庭盟誓」の八節の終わりに、最も重要な一つの単語があるのですが、それが「解放」という言葉です。神人愛一体理想を成し遂げ、地上天国と天上天国の解放圏を完成しようというのです。二〇〇一年の標語は、「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」です。「真の愛の主体性」とだけ言えばよいのに、「真の愛の主体性」の次に、「絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」が入ります。
この標語は、新千年紀の期間にも必要なものですが、特に子女たちと父母が共にこれを成し遂げて、地上天国を完成しなければならないというのです。神様だけでなく、皆さんも成し遂げなければなりません。父母様だけではありません。
解放された天地父母と解放された子女が成し遂げなければならないのです。一心一体になって成し遂げなければなりません。そして、真の愛の主体性、主流思想です。主体性と言えば、骨子について言っているのです。神様が成し遂げようとした絶対の愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛のみ旨を成し遂げなければならないというのです。
5 二〇〇〇年十二月三十一日までの二千年の期間は、第二イスラエル圏を中心として、世界的な蕩減路程を歩んできた時代でした。今やそのような時代は過ぎ去り、黎明が訪れ、新しい成約時代を迎えて、祝福の理想が天宙化される時代になりました。ですから、「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という標語は、一時だけでなく、永遠に続くあの世でも皆さんに残る課題だというのです。そして、家庭がどれほど貴いかを知って、一心同体になり、天地父母様のみ旨を完成してさしあげなければなりません。
そのためには、世界主権を復帰してさしあげなければなりません。すべての主権下にある家庭が、天地父母、神様の伝統思想に従っていけばよいのです。個人を復帰し、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階の真の愛の理念的国家観を形成しなければなりません。また、真の父母の理念となる国家観を完成しなければなりません。そのよな責任が、祝福を受けた家庭である皆さんにあるので、きょうからは祈りの内容が変わります。
今までは、「真の父母の勝利圏を祝福によって受け継いだ…」でした。祝福がなければ、真の父母の勝利圏に同参(一緒に参加すること)できません。真の父母と血縁的関係を結び、断ち切られた血統を新たに連結させたので、真の父母の息子、娘の絆を掲げているのです。
永遠不変の神様に統治されるこのすべてが、堕落していないアダムとエバの実体圏として祝福を受けたとすれば、神様の愛と神様の生命が連結され、神様の血統が第一代の祖であるアダムとエバの家庭から束ねられ、これが種になって拡大されたはずですが、三代を通じたこの結実的血統の種が植えられませんでした。これが堕落です。父母様が一代だとすれば、皆さんは二代ですが、皆さんが息子、娘を誤って育てれば、堕落した後裔のその伝統から抜け出すことができないというのです。
6 今後、父母様の所に思いどおりに訪ねてくることはできません。条件を提示するでしょう。国ができれば、厳格にするのです。世の中の法のうちで、大韓民国の法が問題ではありません。その十倍以上の法を中心として、越えていくべき道が残っているというのです。一生において、それを越えていかなければなりません。そのような過程が残っているので、これから皆さんは、どのように生活しなければならないのでしょうか。祈祷時代は過ぎ去りました。救世主がいてこそ、祈りも通じるのです。救世主が解放圏にすべて導きました。解放圏を開いておいたのです。
ですから、二〇〇一年の標語は「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」です。一緒に協力するのです。協力して、報告することがうまく行ったのか、行かなかったのかを見て、うまく行かなかったときは、挽回しなければなりません。挽回するまでは報告できません。祈祷ではなく、報告です。良い報告ができる実績をもてなかった人は、父母様がいる場に来ることができません。

Friday Apr 28, 2023
真の父母経 第125話
Friday Apr 28, 2023
Friday Apr 28, 2023
第四節 「万物の日」宣布献貢式と「万物の日」宣布
真の父母様は、一九六三年、陰暦六月六日(陽暦七月二十六日)、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で献貢式を開催された。天の子女の名で、サタン圏に属していた天下の万物を神様のものとして取り戻し、お捧げする儀式であった。真の父母様は、この献貢式を期して、陰暦五月一日に遡り、翌年から毎年、この日を「万物の日」として記念するようにされた。真の父母様は、三年路程の終結宣布の翌日である一九六三年、陰暦五月一日(陽暦六月二十一日)を「万物の日」と定められたのである。
1 きょう、献貢日を迎えた皆さんは、今やすべての条件を立てて、国がなく、民がなく、領土がなくて悲しまれる父のみ前に、「これから天国の民を立て得る神様の息子、娘が現れ、その息子、娘が勝利して家庭を築き、家庭を束ねて民族と国家を築き、国家を動かして世界的基盤を築く歴史が始まりますので、喜んでください!」と言うことができなければなりません。
統一教会を中心として見るとき、宗教的に一次的な勝利の基盤を築いておき、聖婚式を通して二次的な出発を宣布するようになりました。私たちが今までこの国に宣布した中心内容は、私たちの真理と祝福です。聖婚家庭を通して、そのようなことを宣言してきました。このように、一次、二次を経てきながら、国家的な大行事として宣布し得たというのは、私たちが今後、天国を建設するのに、国家と縁を結ぶようになる、時代的な恵沢圏内に入ってきていることを意味します。
2 人間は、信仰、心情、実体を失って堕落しました。お父様は、神様に最も忠誠を尽くすために、最も信じられないことを語る人は誰か、と探し求めました。「私は神の夫人である」と語る人、「私が主である」と語る人などを訪ね、彼らが歴史を代表する信仰をもっているか、心情をもっているか、実体になったかを試験したのです。
信仰を決定したのちに、心情復活と実体復活を宣布しました。そして、縦的に取り戻してきたものを横的に立てたあとに祝福をしたのです。この基準の上で(天が)褒美を与えたということです。
また、このように横的な基準が立てられたあとに聖地を選定しました。このような背景で、神様にすべてのものを捧げるという条件の献貢式をすることによって、縦的なものが横的に展開され、平面的な基準が生じるようになったのです。
3 きょう、献貢日を迎えて、皆さんが参加したこの場に来るまでの道は、涙の道でした。この場は涙の場です。どれだけ泣いても止められない涙の場であり、痛哭しても形容し難く、どんなものによっても遮ることができない場です。ただ、自らの心の奥深くに、他の人が知らない抱負をもったとすれば、何か外的な物をもっていることが福であると思うのではなく、心の奥深くにもっているこの怨恨とこの悔しさを、億万のお金とも換えられない無限の価値のものとして感じなければなりません。これを貴く思うことができ、これを完結するための責任を背負うことができる心が必要です。
その心を、皆さん全体の中心心情として仰ぐようになるとき、神様はここで初めて、六千年の深い悲しみを私たちに相続させることができるというのです。
この場は、神様の悲しみ全体を厳粛なものとして相続する場です。それを相続しておいて、父が立てようとされた本然の万物を、万宇宙と世界に、父の喜びのものとして復帰してさしあげる基盤を築こうという信念だけが、皆さん自身にとどまらなければなりません。そのようになってこそ、ここに参加できる資格をもつことができるのです。悲しい歴史をもった天の曲折を忘れてはいけないというのです。
4 (天の)お父様、この献貢金は、万物をすべてお父様のみ前に捧げる条件の祭物でございます。これを締めくくるために真の父母を立てられ、真の家庭を立てられ、真の聖地を立てられました。
この聖地を基盤として、精誠の込められた心の基盤の上に条件を立て、数多くの子女たちが集めたこの献貢金をお父様のみ前にお捧げいたします。これは、この国全体を象徴するものであり、これは全天宙を象徴するものであり、これはお父様の六千年間の悲しみを解怨してほしいという、この上なく微々たる条件物でございます。物質それ自体を御覧にならず、その背後に連結された心情だけを御覧になるお父様であることを知っておりますので、この条件をお父様のみ前にお捧げいたします。
ここには血の涙が混ざっています。統一信徒たちが聖地を探し求め、涙を流しながらお父様のみ前に訴えた心情の絆が連結されていますので、エデンの地の上に、韓半島の上にある万物をお父様のものとして今や掌握してくださり、お父様の民として、お父様の国として掌握してくださって、全世界を掌握できる勝利の基盤として受け取ってくださることを、お父様、切にお願い申し上げます。
5 私たちは、天地万物を造った神様に、蕩減基金をお捧げしなければなりません。聖別してお捧げしなければならないのです。アブラハムが祭物を捧げるとき、鳩だけを裂かないことによって、すべてのことが失敗に帰しました。天地がすべてひっくり返ったというのです。アブラハムが祭物を誤って捧げることによって、すべてのものが落ちてしまったのです。
今回、私たちがすることの中には、ありとあらゆることがあるでしょう。血を売って差し出す人もいて、あらゆる苦労をしながら商売をする人もいるでしょう。皆さんがそのようにできなければ、恨になります。そのような歩みを見るたびに、涙を流す立場に立たなければなりません。宇宙的な理念を中心としたみ旨であるとすれば、その理念圏内に立った父母を中心とした兄弟、そのような兄弟を中心とした家庭、そのような家庭を基盤とした天宙が必要です。ですから、万物を復帰する一日」を制定したのです。
6 ユダヤ教がイエス様の命を奪うことによって、神様のみ前に非常に大きな釘の跡を残しました。積み重なったその恨を解かなければ、天と地を復帰できません。完全復帰のためには、本来、万物の祭物時代、子女の祭物時代、父母の祭物時代を経なければなりません。ところが、アダムとエバが神様に背いてから、ただの一度も父母の立場で祭物を捧げたことがありませんでした。
しかし、皆さんの前に「父母の日」が立てられるようになったので、父母を通じた「子女の日」が出てこなければならず、「万物の日」が出てこなければなりません。これによって、神様の心情を解怨成就し、父母の心情、子女の心情、万物の心情(嘆き)を解怨成就しなければなりません。そのようにしてこそ、アダムは堕落しましたが、私たちは堕落しなかったという条件を立てて、嘆息圏を抜け出せるようになります。ですから、私たちは、そのような日々を定めるとき、逆さまにして、まず「父母の日」を定め、それから「子女の日」、「万物の日」を定めたのです。
7 「万物の日」は、どのようにして出てきたのでしょうか。エデンの園でアダムとエバが堕落することによって蒔いた罪の種が、彼らの息子たちであるカインとアベルとして収穫されました。ですから、罪の種を蒔いた父母が復帰されなければなりません。そして、天宙史的な父母復帰の基台を中心として、忠孝の道理を果たすことができる子女の基準を復帰しなければなりません。この基準が決定されたあとに、初めて「万物の日」が出てくるようになったのです。
この地上に広がっている万物は、この上なくかわいそうな立場にいます。神様が希望の中で造った万物であり、神様があらゆる精誠をすべて尽くして造った万物でしたが、人間が堕落することによって、万物は人間に代わって贖罪の過程を経なければならなかったのであり、悲しく犠牲にならなけれしばなりませんでした。人の命を奪って祭祀を捧げることはできないので、万物を祭物として犠牲にする祭祀を捧げてきたというのです
8 復帰路程においては、万物を復帰し、子女を復帰し、父母を復帰してきました。万物を祭物として捧げ、その次に、息子を祭物として捧げました。その次には、父母に向かって上がってきました。ですから、霊的に父母がその十字架を負ったのです。イエス様と聖霊が、そのような迫害を今まで受けてきました。キリスト教がそうだというのです。それゆえ、逆さまに上がってきたのです。
私たちの時代には、これをまた逆さまに立ててこなければなりません。ですから、「父母の日」を定めたのは、この十字架の長成段階を越えることを意味します。「子女の日」もそうであり、「万物の日|もやはり同じです。このようなことをすべてしておいて、「神の日」を設定したのです。
「万物の日」に対する姿勢
万物は、本来神様に属したものであるため、すべての財産は神様に奉献しなければならない。特に祝福家庭は、所有物を神様のみ前に捧げ、神様の名によって再び相続を受けなけれfならないのである。真の父母様は、万物が、真の主人に出会い、公的な権限と価値を賦与され、真の愛の管理を受けなければならないと語られた。また、日常生活のすべての必需品は、被造万物を象徴した物であるため、いい加減に扱ってはならず、貴く扱い、評価することを強調された。
9 「万物の日」を通して、これから第三の父母との絆を私たちが結んでいかなければなりません。ですから、万物を愛さなければなりません。慈悲の思いをもって万物を愛する心を育み、鳥を愛し、動物を愛し、すべてのものを愛する心を育んでいくことによって、今後、父母に対する愛も実践でき、人に対する愛も実践できるのです。
堕落圏内において、三大嘆息圏を神様から、人類の父母から、人類から、万物から解怨成就できる道は、ただ統一教会の道しかありません。そのような道を開門する最初の出発の日々が「父母の日」であり、「子女の日」であり、「万物の日」です。万物は第三の父母です。ですから、自分の体を愛するように、万物を愛し得る皆さんにならなければなりません。愛する主人には、すべてのものが付いてくるようになっているのです
10 「万物の日」を祝う理由は何でしょうか。皆さんの所有する万物を、神様のみ前に結束させるためです。そのためには、皆さんの私有財産はもちろん、共同財産である国のすべてのものを、神様のみ前に復帰してさしあげなければなりません。これが皆さんの責任です。また、世界、地球星を神様のみ前に奉献してさしあげなければなりません。皆さんには、この地球星を神様のみ前に奉献してさしあげる責任があるのです。
奉献するときは、必ず父母の名を通してお捧げしなければなりません。そのような所有の権限が、どんな天地にも連結される領域をつくっておいてこそ、「万物の日」を祝う目的が達成されるのです。
11 人間を再創造しようとすれば、アダムとエバが創造される前の世界から再創造しなければなりません。ですから、アダムとエバの前に造られた被造万物がなければなりません。しかし、人間が堕落することによって、そのような被造万物が「私」にはありません。
そのため、統一教会では、七数の半分となる三年ないし三年半の路程で、必ず自らを再創造できる天の物質的要件を復帰しておかなければならないのです。それは、神様がするのではありません。
六数は蕩減路程期間であり、七数は安息圏であると考えるとき、三年ないし三年半の路程は必須です。このようにして、自分の血と肉を注がなければなりません。自分の血を与えたからといって、それが物質的条件になるのではありません。血と肉を投入して、サタン世界の物質を聖別できる立場に立たなければならないのです。それは、自分の欲心のための物質ではなく、宇宙的で公的な物です。天の公的な物にならなければなりません。神様の物にならなければならないのです。
12 お父様は、草創期に狩りに行きました。早朝に出掛け、夕方に太陽が沈み、真っ暗になるまで山から下りず、夜はそこで眠ってまで狩りをしてきたのです。韓国の高い山という山は、すべて踏破しました。
ある時は、猪を捕まえようと出発したのですが、十四日が過ぎるまで、猪の足跡一つ見つけられなくても続けました。他の人々は、「お父様はなぜこのようなことをするのか」と不平を言いました。猪を捕まえようと歩いたのではなく、山を踏破したのです。高い山と低い山、深い谷間を踏破しました。それがすべて終わったので、その次は海に行きました。
海に行って、船に数十年間乗りました。一九六三年に「天勝号」を造ったのです。アメリカでは、船を造って乗り始めてから、生涯にわたって乗り続けました。早朝五時に出ていって、夜十二時に帰ってくるのです。雨が降っても雪が降っても、毎日のように出掛けました。だからといって、魚を捕まえようとしたのではありません。精誠を捧げたのです。これは、神様が造った隠された宝物です。永遠に生きる実体として造っておいたのです。ですから、五大洋をくまなく探し、すべて踏査したのです。

Friday Apr 28, 2023
真の父母経 第128話
Friday Apr 28, 2023
Friday Apr 28, 2023
勝利的主管者となろう
9 一九六三年の標語は、「勝利的主管者となろう」です。過去三年間は、人間として相続できるすべての条件を備えるベき期間でした。しかし、一九六三年からはその段階を越えて、万物を復帰する年に入るので、これからは継続して同じ標語を用いるでしょう。それで、聖地復帰が必要なのですが、何としてでも聖地(となる地)を買わなければならず、一旦買えば、絶対に売ることはできないのです。生きても聖地の近くに行って生き、死ぬとしても聖地の近くに埋葬されようとしなければなりません。
聖地(となる地)は、血の代価を集めて買わなければなりません。すなわち、人類の父母として来られたイエス様を売った血の代価を払って、買わなければならないというのです。万物の主管主になるためには、まず勝利しなければなりません。勝利は、神様を中心とした勝利です。それが最高の勝利です。(それが)私たちの標準なのです。
10 私たちは、生きた資料を作るために苦労しなければなりません。一九六三年から五年間は、「勝利的主管者となろう」という標語を中心として活動しなければなりません。よく耐え、我慢してきたので、今から攻勢をかけましょう。今からは万物を復帰しなければなりません。
皆さんを生きた教本にしようと思うのです。教会的な使命時代は過ぎ去り、民族を懸けた闘いが始まるでしょう。個人を中心とした家庭の時代が過ぎ、家庭を中心とした民族の時代が来るので、天を中心とした民族をつくらなければなりません。
11 皆さんが勝利的主管者になろうとすれば、全体の勝利を願う前に、まず個体の勝利的な基台を築いていかなければなりません。この「勝利」というものは、過去にも願い、現在にも願い未来にも願っていくべき言葉です。神様も願ってこられ、地も願ってきて、私たちの先祖たちも願ってきた言葉でした。しかし、堕落したその日から今日まで、人類と神様は、お造りになったこの理念の世界において「勝利」という言葉を携えることができず、「悲しみ」と「悲惨」という言葉を携えてきているのです。生活環境の中から私たちが願わないすべての要件を完全に除去するまでは、完全な勝利はあり得ません。
12 皆さんは、どのような勝利的主管者になるべきでしょうか。信仰を中心として、信じることにおいて勝利的主管者にならなければなりません。そのためには、闘って勝たなければならないのです。完全に勝利するためには、すべてから公認を受けなければなりません。闘って勝つのはもちろんのこと、勝ったあとは天地の公認を受けなければならないのです。そのようにして、初めて信仰を中心とした勝利的主管者になります。公認を受けるのですが、ある限定された時間圏内でのみ公認を受けてはいけません。現実の舞台でのみ公認を受けても駄目なのです。過去、現在、未来に通じる立場で公認を受けなければなりません。そこには、個人から世界まで、すべて入っていなければなりません。そのような公認を受けなければなりません。希望においても同じであり、愛においても同じです。
13 第一次七年路程の中で、後半の四年路程の標語を「勝利的主管者となろう」としました。この期間に私たちは、神様のみ前に地を探して立ててさしあげなければなりません。個人から家庭、氏族、民族、国家まで、どこに行っても全体が歓迎できる安全で自由な環境を整えることが、この四年路程の期間に皆さんが果たすべき責任です。
神様は勝利的な立場で天地を主管できませんでした。勝利的な基盤の上で、栄光の姿で天と地と万民を主管できずにいらっしゃるというのです。復帰路程に従ってきた数多くの先祖たちも、勝利的な主管者になることができませんでした。
二千年前、神様のひとり子であるイエス様も、その使命を完結するために来ましたが、その方もまた、この地上で勝利的な主管者になれませんでした。それで、イエス様と聖霊が今まで二千年間、勝利的主管者の基盤を整えるために闘ってきているのです。
この勝利的主管者の最後の基準は、神様です。必ず、神様が先にこの勝利的な基準に上がらなければなりません。神様が勝利的な位置に上がるまでは、この地の誰も勝利的な位置に上がることはできません。天と地の勝利的な主管者の位置を確立するために来られる方が、再臨主なのです。
14 統一教会は、勝利的な父母に侍らなければならず、勝利的な子女をもたなければならず、勝利的な養子をもたなければならず、勝利的な僕の群れを備えなければなりません。ですから、私たちはどんな立場であっても出ていって、サタンを退けることができなければなりません。僕として出ていってもサタンを退け、養子として出ていってもサタンを退け、直系の息子、娘の名分で出ていってもサタンを退けなければなりません。さらに、父母の名で出ていってもサタンを退けなければならないことは、言うまでもありません。このような立場に立ってこそ、勝利的主管者という名をもてるのです。
僕の立場における勝利的主管者、養子の立場における勝利的主管者、直系子女の立場における勝利的主管者、父母の立場における勝利的主管者のうち、どの位置でも備えなければならないというのです。皆さんがこのような立場ですべて団結し、勝利的な決定権をもったとすれば、何らかの制限された環境で動いてはいけません。勝利的主管者の権限を、民族であれば民族全体が歓迎しなければならず、ひいては、その威信と権威が民族を越えて地上で勝利を決定することはもちろん国家的な最高の権限をもって、世界に対して命令できる基準まで行かなければなりません。そのようにしてこそ、神様が地上に定着でき、天国の建設が地上で本格的に始まるのです。
お父様には、僕の僕、僕、養子、子女、父母の立場まで経てこなければならない歴史的な宿命があります。全体に責任を負ったお父様は、縦的に流れてきた歴史を横的に蕩減する勝利的な実体として立ち、これを収拾しなければならないというのです。
15 第一次七年路程の期間は、峠だとすれば最も高い峠であり、谷間だとすれば、一番深い谷間です。父母様が流した血と汗と涙が、この谷間にたまっています。この峠や谷間をそのままにしておいてはいけません。平地にしなければなりません。平地にするのですが、山を削って谷間を埋めるのではなく、この峠を根こそぎ運び出さなければなりません。
原則的に、この七年路程はたった一度だけです。復帰摂理歴史において、二回目はあり得ません。ですから、一片丹心で最後の峠を越え、勝利的主管者にならなければなりません。この勝利的主管者になれなければ、天国に入ることはできません。
全面的な進撃をしよう
16 一九六八年に、私たちはどのような道を行くべきでしょうか。今年は「平和を先導する全面的な攻勢をかけよう」、すなわち「全面的な進撃をしよう」という標語を中心として、第二次七年路程を出発しようというのです。これが、新年の初めから全国と全世界に広がっている統一教会員たちに勧告する課題です。
17 一九六八年の標語は、「全面的な進撃をしよう」です。「進撃」を「前進」と言うこともできます。「進撃」は過激な言葉だと言うのであれば、「全面的な前進をしよう」と言うことができるというのです。
この「全面的前進」という標語のもとに活動するためには、第一に内的整備、第二に目標意識の確立、第三に敗者となった結果を体恤しなければなりません。私たちは、以上の三つを備えて、必ずや勝利しなければなりません。内容を整備して前進するのですが、無謀に取り組んではいけません。そして、怨讐を推察して作戦を行うのですが、夜も昼もその環境を選別して行わなければなりません。
18 一九六八年は、第二次七年路程の出発と同時に、「全面的な進撃をしよう」という標語を立てて、推し進めてきた年でした。全面的な進撃は、ある個人を中心として行うのではなく、全体を中心として行い、世界を動かしていかなければならないのです。統一教会がそうであるように、韓国もそのような時があるでしょう。韓国がそうであるように、アジアもそのような立場で進まなければならず、世界もそのような立場で進まなければなりません。
ところが、世界もアジアも私たちの国もすべて、はっきりとした目的がありません。ですから、目的なく流れていく時代思潮に従って苦難を経なければ、新しい問題を中心として、個人的な分野を全体的な動向に合わせることができないのです。
しかし、統一教会は天的な目的を中心として、全面的な進撃という標語のもとで現れました。ところが、ここで全面的な勝利を成就できなければ、標語だけが残るようになります。すなわち、私たちは全面的な進撃という標語を中心として出発しましたが、その目的を達成するまでは、いまだ多くの過程が残っているというのです。ですから、最低限、大韓民国を中心として、国家的に統一教会が全面的に是認される基準まで行かなければなりません。
その時までは、私たちがこのような体制を続けなければならないので、一九六九年も同様に、「全面的な進撃」を標語にするようになったのです。ですから、一九六九年までは「全面的な進撃」という標語を中心として、体制と活動を強化しながら動くことを皆さんに宣言します。

Friday Apr 28, 2023
真の父母経 第127話
Friday Apr 28, 2023
Friday Apr 28, 2023
第四章、年頭標語と段階的摂理目標の設定
第一節、摂理的基盤の造成に総力を傾けた一九六〇年代
真の父母様は、一九六〇年から毎年、年頭標語を発表され、すべての食口に摂理の方向と目標を設定してくださった。一九六〇年代には、聖婚式と真の子女様の誕生、祝福家庭の輩出はもちろん、真の父母様が直接、先頭に立って七年路程を歩まれ、全世界の統一食口が行くべき方向を提示された。
そのため、年頭標語も、一九六〇年は「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」一九六一年は「父の代身者となろう」、一九六二年は「見せてあげて誇り得る者となろう」、一九六三年から六七年までは「勝利的主管者となろう」、一九六八年と六九年は「全面的な進撃をしよう」など、総力を挙げての活動を督励する内容に定められた。
そして、特に一九六八年一月一日午前三時、「神の日」を宣布され、真のお父様の二十一年路程と食口たちの第一次七年路程を終えて、第二次七年路程を出発されたのである。
生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう!
1 一九六〇年の標語は、「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」です。一九六〇年は、縦的な歴史を横的に蕩減復帰する年です。ですから、神様のみ前に最大の実績を残さなければならない年です。最大の実績を残すためには、環境を吸収して出発しなければなりません。外的には、サタンの讒訴条件を除去できる年が一九六〇年です。
それゆえ、この期間に民族的、国家的なメシヤの基準を立てなければなりません。その時は社会から迫害を受けた時期で、私たちが自由にみ言を伝えられる時がいつ来るかと、気をもんだ時期でした。今は、天のものとして(実績を)立てるべき時です。「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」というのは、実績を立ててサタンの讒訴条件から抜け出さなければならないことを意味します。
2 「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」というのは、どのような意味でしょうか。人間はサタン世界で生きているので、蕩減の因縁を整え、サタン世界と分別された立場で、歴史的なすべての罪悪を蕩減復帰して勝利しよう、すなわち個人復帰をしようということです。それが人間の希望です。個人復帰をすることによって、神様の息子、娘になり、神様の代わりにサタンを審判できる権威をもった子女になろうというのです。
3 私は一九六〇年、この年の初めに、「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」、すなわち「この一年に、一生を通して忘れられない最も大きなことをしなさい」と、皆さんの前で宣言しました。
皆さんの手の中にお金がありますか。皆さんの生涯において、一身の幸福のためにお金を稼ごうと闘ったことはありますか。そのようなお金があるならば、天の国のために使わなければなりません。豪華な家にしがみついて今まで闘ってきたのですか。天の民を安息させるために、そのようなものは忘れてしまわなければなりません。このような悲壮な覚悟をしなければならないのです。今日、世界の人類がそのような立場に立てば、平和の世界になるでしょう。平和の王者は、そのような道を行く人です。平和を建設できる人は、そのような人です。
三千万の民族が泣き叫ぶ所に向かって進んでいくとき、「血と汗を流す所があるなら、私が行こう。罵(ののし)られる所があるなら、私が行こう」と言いながら、歯を食いしばる立場で、父を呼び求めながら涙を流す絆を残すことを、私は皆さんに強調しているのです。私はそのような道を歩んできました。今も、皆さん以上に胸が痛む思いがあります。天のためであれば、どんなことでもすべて行う覚悟ができているというのです。
父の代身者となろう
4 一九六一年の一年間、私たちが標語にして進むべきことは、「父の代身者となろう」です。皆さんは、これからこの一年間に、父の代身者であることを自ら体験するように願います。神様は、天と相対になるものとして地を造り、御自身に代わる実体対象として人類の先祖を造られました。神様のかたちをかたどって私たち人間を造られ、人間のかたちを象徴的にかたどって、先に万物を造られたのです。すべての被造物は、大きく見れば一つの塊であり、小さく見れば、すべて神様の代身存在として造られています。
私たちが代身存在の立場に立つためには、まず中心についてはっきりと解明しなければなりません。すなわち、私たちが神様の代身存在だとすれば、「神様はどのようなお方か。神様と私はどのような関係か」ということを解明しなければならないというのです。神様と「私」は本来、一体であることを忘れてはいけません。神様と私は、引き離そうとしても引き離せない一体の関係です。天が頭だとすれば、私たちは胴であり、天が胴だとすれば、私たちは肢体です。私たちと引き離そうとしても引き離せない立場にいる神様だというのです。
5 私たちは、世界的な混乱の時期に置かれています。混乱の時代に置かれている私たちが考えるべきこととは何かといえば、神様が私たち人間を造った本然の中心目標がどこにあったかということです。父と私たちは一つです。天と地は一つです。二つではありません。ですから、私たちは一つの中心の前に、死のうと生きようと、一つにならなければならない必然的な立場に置かれています。
ある目的があるとすれば、その目的を達成するためには、志が同じで、事情が同じで、心情が同じでなければなりません。そうでなければ、その目的を完全に成就することはできないのです。神様には、堕落した人間を、事情が通じ、心情が一つになり得る希望の園に導かなければならない責任があるので、神様と一つになるべき立場に立った人間も、やはり志が一つでなければなりません。二つではいけません。
神様のみ意であると同時に「私」の志であり、神様の事情であると同時に私の事情であり、神様の心情であると同時に私の心情だということを皆さん自身が体得し、そのような立場に立ったという自信をもたない限り、神様の代身者になることはできません。代身者になろうとすれば、必ず一つにならなければなりません。一つにならなければ、代身者にはなれません。ですから、堕落した私たち人間が目指すべき目標は、神様と一つになることです。
一つになるためには、願いが同じでなければならず、事情が同じでなければならず、ひいては心情的な一致点を備えなければなりません。そうでなければ、堕落した私たち人間は、神様と一体になることができないのです。
6 統一教会員たちは、今まで困難な道を歩んできましたが、消え去ることはありませんでした。最後まで残る人が父の代身者です。神様は皆さんに対して、息子、娘として、そして、代身者として、この国の三千万の同胞のために行きなさいと、喉が痛むほど泣き叫んでいらっしゃいます。至る所に、父の代身者、父の愛を受ける息子、娘を送りたいと思われるのです。
「あなたは私の代身者であり、息子、娘である」と言うことができ、サタンを退けて神様の真の愛を受ける人になることを願われるのです。皆さんが行く道は、豪華絢爛な道ではなく、神様の代わりに死ななければならない道です。天の父に代わって死の道をも行くべき立場にいる皆さんなので、息子、娘ですが、死の道を前にして闘っていかなければならないというのです。
見せてあげて誇り得る者となろう
7 一九六二年の標語は、「見せてあげて誇り得る者となろう」、すなわち「見せてさしあげられる者になろう、誇れる者になろう」ということです。逃げていくサタンを、どこまでも追っていかなければなりません。神様は個人を現して誇りたいと思われ、家庭を現して誇りたいと思われるので、このために闘って勝利しなければなりません。そのようにしてこそ、霊界と肉界を連結できる息子、娘になります。闘いに勝ってこそ、誇れるのです。皆さんは、天の家庭の復帰のために闘わなければなりません。一九六二年には、見せてあげることができ、誇ることができる基準を立てなければなりません。
闘う時は、神様を中心として、または天の家庭を中心として闘わなければなりません。そうして、勝利しなければならないのです。闘うとしても、最も苦しい場で闘わなければなりません。一番難しくて大変な労働者、あるいは乞食の中の乞食から始めて、頂上を圧倒して屈服させなければならないのです。父母と合同作戦をしなければなりません。父母と子女が力を合わせ、伝道しなければならない時です。父母と子女、一つの家庭が銃床(じゅうしょう)を並べて闘い、天的な家庭、氏族、民族を形成して全世界を復帰しなければなりません。これからは家庭を中心として闘わなければならないのです。
8 一九六二年は、歴史的に二度とない年です。それでは、この年をどのように迎えなければならないのでしょうか。神様が願われることを、何人かの統一教会の信徒だけでも解怨してさしあげようという目標のもと、新年を迎えなければならず、また、責任をもたなければなりません。
今年は、皆さんがサタンの讒訴を避け、神様の心配の対象にならず、前後、左右、上下、内外に不足のない存在にならなければなりません。神様が今まで摂理しながら誇りたいと思われた願いの実体にならなければなりません。また、天と地、全被造万物に認定され、ひいてはこの地とサタン世界にまで見せてあげ、誇り得る実体にならなければなりません。この一年はそれを実践し、やり遂げる皆さんにならなければなりません。

Friday Apr 28, 2023
真の父母経 第124話
Friday Apr 28, 2023
Friday Apr 28, 2023
第三節 「子女の日」宣布
「子女の日」の意義
真の父母様は、一九六〇年、陰暦十月一日(陽暦十一月十九日)、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で、感謝祭礼拝を自ら主宰され、翌年、この日を「子女の日」として公布された。「子女の日」が決定されることにより、アダムとエバが蒔いた罪悪の種を抜き取ってしまい、人類を悪から解放できる起源がつくられた。この日は、堕落人間たちが歴史始まって以来、初めて子女として勝利し、神様の字宙的な栄光の場に同参できるようになった記念の日である。
1 神様は、「父母の日」が立てられることを六千年間、待ち望んでこられました。本来は、堕落した人間の子孫たちが待ち望むべき日であるにもかかわらず、かえって創造主であられる神様が、六千年間、その日を待ち望んでこられたのです。ゆがんだ歴史が始まったその日から、数多くの峠の道で、神様には悲しいことも難しいことも多くありましたが、その中でもたった一つ願ったものが「父母の日」でした。
その日が探し出されることによって、神様は御自身が共にいられる人類の真の父母を立てて、「あなたたちは人類の真の父母である」と命名できるようになるのです。そうして、神様が立ててくださる父母の名をもって出てくることによって、父母の祝福の基準が立てられます。ここにおいて真の子女が立てられるようになり、それによって、地上で「子女の日」を迎えることができるのです。
2 一九六〇年、「父母の日」(一九六一年に宣布)を設定したあと、「子女の日」を設定しました。人類の父母が登場するとき、子女も決定されるのです。子女を決定する場に進む前に、父母の出発線があるというのです。
しかし、復帰路程では、父母だけでなく子女の縁も固めなければなりません。横的な縁である子女を中心として見れば、「父母の日」がまず出発し、「子女の日」はあとから出発しなければなりませんが、復帰しなければならない立場では、「子女の日」が先に出発し、「父母の日」はあとから出発するのです。横的な基準で「父母の日」を設定し、「子女の日」を宣言したのです。そうして、天地の間の歴史が始まって以来、初めて「子女の日」が現れるようになりました。
この日は、天地の間に勝利の歓声を上げることができる日です。この日が設定されることによって、霊界は時を迎えたので、絡まっていたものがほどけていきます。ですから、この地上の悪の勢力は、次第に消滅していくのです。
3 「子女の日」を迎えれば、どのようにしなければならないのでしょうか。まず、皆さんの息子、娘の家に行って宴をし、その次に自分の家に集まって宴をし、その次に、教会に出てきて宴をしなければなりません。このように、蘇生、長成、完成の三時代の形で宴をしなければなりません。象徴復帰、形象復帰、実体復帰の立場に合わせなければならないのです。
息子、娘たちが「子女の日」を迎えることができずに死ねば、天上に恨が残るという事実を知らなければなりません。ですから、私たちの息子、娘を中心として世界を復帰しなければならず、私を中心として楽園に行っているすべての善霊人たちを復帰しなければならず、教会を中心として天地の道理を探し出してこなければなりません。このような三段階の原則を経なければならないのです。
皆さんは、家庭的な環境から、この日を記念しなければなりません。子女たちが、その日が来るのを待ち望めるようにしてあげなければならないというのです。世の中の子供たちが「晴れ着を着て、おいしい物を食べられる、その日がいつ来るのか」と言いながら祝日を待つ、そのように指折り数えて待つ心をもち、「子女の日」が来ることを喜ぶ立場で準備しなければなりません。
4 人間が堕落することによって、父母を失ってしまい、子女を失ってしまい、万物を失ってしまいました。これを蕩減する基準を立てるためには、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を立てなければならなかったのですが、その中でも立てるのが一番難しい日が「子女の日」です。アダムとエバが真の子女になれなかったからです。それでは、真の子女になろうとすれば、どのようにすべきでしょうか。
一つの血統をもって生まれなければなりません。真の子女になるためには、父母の前に孝行の道を全うしなければなりません。孝子は、どんな困難な環境も収拾しなければならず、その環境から認定を受け、父母から認定を受けなければなりません。
神様は、アダムとエバに「万物を主管しなさい」と言われましたが、アダムとエバは、「万物を主管できる」と認定を受けなければなりません。そして、希望の中心として、み旨に責任をもてる子女だという認定を受けなければなりません。父母の心情に一致しなければならないのです。過去と現在、未来に差異があっては孝子と言えません。忠臣と言うこともできません。孝子や忠臣は変質してはいけないのです。孝子や忠臣は、過去を代表し、現在を代表し、未来を代表できなければならず、神様の心情を中心として、時間と空間を超越した立場で認定を受けなければなりません。
「私の誓い」制定
真の父母様は、一九六二年十月二十八日、第三回「子女の日」を期して、全文五節からなる「私の誓い」を制定、公布された。真のお父様は、「誓いとは、神様と未来を前にして約束するものである」と語られた。そのため、誓いを述べようとすれば、神様と心情が通じなければならず、「私の誓い」で各自が真の息子、娘になるという誓いをすることによって、神様と心情一体を成し遂げられることを強調された。「私の誓い」は、一九九四年五月一日に「家庭盟誓」が制定されるまで斉唱された。
5 皆さんが誓いを立てることができるか、一度考えてみてください。今まで神様のみ前に誓いを立てた人はいません。僕としても誓うことができず、息子、娘としても誓うことができませんでした。誓いを立てようとすれば、心情が通じなければなりません。この誓いは、真の息子、娘になるという意味の誓いです。
一、天宙の中心存在として、父のみ旨(創造目的)と任せられた責任(個性完成)を全うし、喜びと栄光を帰し奉る善き子女となり、創造理想世界において永遠に父に仕え奉る真の孝子女となることを私はお誓い致します。
二、 父は六千年間供え物として十字架路程を忍ばれ、死したる私を真の子女として活かすべく、み言と人格と心情を与え一体化せしめて、天宙の相続権を与えたまわんとなさる聖なるみ旨を私は受け、完全に相続することをお誓い致します。
三、 怨讐によって失われた子女と天宙を復帰せんがため、父は父母の心情を抱かれ僕の体を受肉したまい、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流され、私の身代わりに歴史路程における怨讐サタン粉砕の武器を与えたまい、それらを完全に審判するまで父の性相を受け、真の子女私は敵陣に向かって勇進することをお誓い致します。
四、 父は平和と幸福と自由と理想の源泉であらせられ、父を奉る個人と家庭と社会と国家と世界と天宙は、本性の人間を通じてのみ心情一体の理想世界を完結することができ、私は真の人間となり、心情の世界において父の代身者となることによって、被造世界に平和と幸福と自由と理想をもたらし、父に喜びと満足を帰し奉る真の子女となることを私はお誓い致します。
五、 我々は神を中心とした一つの主権を誇り、一つの民を誇り、一つの国土を誇り、一つの言語と文化を誇り、一つの父母を中心とした子女となったことを誇り、一つの伝統を受け継いだ血族であることを誇り、一つの心情世界を成す役軍(担い手)であることを誇り、これを実現せしめることを私はお誓い致します。
このような義務と使命を成就せしめるため、責任をもって生命を懸けて闘うことを私は、宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。
6 なぜキリスト教は再臨思想を語るのでしょうか。それは、神様の愛と生命と血統を中心として、新しい種を受けなければならないからです。アダムとエバが堕落することによって、偽りの種を受けました。ですから、新しい種を受けなければなりません。そのようにしてこそ、新しい種をもってくる真の父母の名をもった真の息子、娘の真の愛と真の生命を中心として、真の血統的論理を中心として、邪悪な世の中を克服して余りあるのです。また、そのような自主的な力をもった民になるのです。
「私の誓い」に出てくる内容のとおりに、私たちは、一つの主権を誇ります。その次に一つの民を誇ります。その次は一つの血族です。それから一つの国土です。この地は、「私」のものです。私たちのものです。人間は、誤って生まれました。誤って生まれたがゆえに、再び生まれさせようとするので、天が加担し、双胎(双子を身ごもること)で摂理するのです。双胎時代です。エサウとヤコブのように双胎です。腹中まで訪ねて入っていくのです。誤って生まれたので、新しい型を通して腹中まで探索して入っていきます。再び生まれなければ救いはないというのです。「重生」という言葉は、キリスト教にだけ存在するのであって、他の所にはありません。
7 皆さんは「私の誓い」を聖日ごとに唱えますが、それを習慣的に唱えてはいけません。この誓いで最も重要なのが五節です。神様を中心とした一つの主権を誇るのですが、一つの国にならなければなりません。ところが、なぜ多くの国になったのでしょうか。愛のゆえです。愛によって、そのようになったというのです。今日、このすべてのものが、一つの愛の道を行けず、様々に枝分かれして自分だけを主張する愛に付いていったために、そのようになったのです。その愛の主人になれる人は、男性と女性です。
個人を愛し、家庭を愛し、国を愛し、世界を愛するという愛の標準が変われば、自然に分かれていきます。ですから、いつでも現世の人が重視されます。男性と女性が分かれることは、愛がないところから始まるのです。
8 「私の誓い」の五節の中に、「一つの言語と文化を誇り、一つの父母を中心とした子女となったことを誇り、一つの伝統を受け継いだ血族であることを誇り、一つの心情世界を成す役軍であることを誇り」という内容があるのですが、「一つの言語と文化を誇る」というのが、なぜ血統や心情よりも先に出てきたのでしょうか。人は生まれて、言葉を知ったあとに血統と心情を知るようになるからです。原理に従って、すべてそのように書いたのです。