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Wednesday Apr 19, 2023
真の父母経 第118話
Wednesday Apr 19, 2023
Wednesday Apr 19, 2023
20 家庭教会がなければ、故郷に進むことができず、故郷に進むことができなければ、祖国に進むことができず、祖国に進むことができなければ、天国に進むことができません。家庭教会をつくれば、故郷がつくられ、祖国がつくられ、世界がつくられ、天国がつくられます。
どんな人よりも愛して、一つになるようにしなければなりません。霊界の人や、世界の人や、すべての存在を一つにしなければなりません。愛によって一つになるようにしておかなければならないのです。そのようになれば、家庭教会を中心として、小さな太陽、小さな星のようなものが昇るのです。一つ出てきて、二つ出てきて、真っ暗なこの世の中に、光り輝く天国が開門されるというのです。その時には、この地上に、太陽のような神様がお出ましになれるのです。
21 家庭教会に行く時、義務的に行かないでください。愛の心に満ちあふれて行かなければなりません。自分の息子、娘が監獄に入っていたり、自分の愛する人が監獄に入っていたりすれば、「私は監獄に訪ねていかなければならない」と考えて行くのではなく、我知らず監獄に向かうのです。そのような心情で行かなければなりません。そのような愛の心をもって、愛の鐘の音を聞きながら、「私は行く」と考えて行くのではなく、自分も知らないうちに、行かざるを得なくて行く所が家庭教会です。
その家庭教会は、私を滅ぼすのではなく、私を天国の愛、神様の愛の相続者にするための所です。そのようにするために神様が私を導いていることに対して、感謝しなければなりません。
統・班中心の活動
真の父母様は、一九八八年一月一日から、南北統一と南北総選挙に備えて本格的に統班撃破(トンパンギョッパ)運動を展開することを指示された。そして、社会組織の根幹である統と班の支部長教育を大々的に実施した。また、家庭教会活性化のためにも、統・班中心に活動展開することを強調された。
家庭教会活動の基盤が統・班組織であるため、そこから四方に向かって、家庭全体を一元化して消化するための運動が統・班中心の活動であり、このような活動を通して全国民の信仰化が成し遂げられなければ、この国を生かすことはできないと語られたのである。
22 真の父母主義を中心として、世界に新しい春の風が吹き始めました。皆さんの心に新芽が出てきているのです。ですから、韓国の統班長を教育し始めました。花は、新しく出てきた柔らかい枝に咲きます。統支部長所属の班長を中心とした家庭は、新芽に該当します。その新芽から花が咲けば、韓国に希望があるでしょう。統支部長から班長を中心として芽が出てくれば、それを枝として育て、植えなければなりません。そうして、根を張り、新しく生まれるその家庭は大韓民国に代わり得る家庭になれるのです。
その技は、木を身代わりすることができます。その枝を中心として咲いた花は、同じ花になることができ、同じ実を収穫できるので、それは宇宙の宝物であり、人類の宝物としての価値をもちます。そのようになれば、「種をもらっていってはいけない」と言っても、間違いなくもらっていくでしょう。それを見通して、父母様が先頭に立ちました。今や統支部長の編成がすべて終わりました。
しかし、残った班をどのように編成して定着させるかが問題です。ソウルで組織(編成)が終われば、全国組織があっという間にできます。今や皆さんは、花を咲かせることができる活動をしなければなりません。
家庭に花が咲かなければなりません。皆さんの息子、娘が愛国思想を受け継いでこそ、根を下ろすことができます。そのようにしてこそ、新しい実として土着化し得る基盤を強固にできるのです。
23 家庭教会をするときに一番重要なのが、統支部長と班支部長です。その次には洞支部長です。洞支部長、統支部長、班支部長、この三人が三位一体にさえなれば、すべて終わります。そのためには、地上に定着させなければなりません。父母様が枝だとすれば、根を張らなければならないというのです。そのようにしてこそ、世界的に育ちます。
歴史始まって以来、初めて韓国で天国の根を下ろすのです。ですから、班支部長を中心として班の定例会を行い、十家庭でも二十家庭でも消化運動をするのです。ここに栄養を与えて根が伸びるようにします。すべての枝の栄養、幹の栄養、葉の栄養が枝を伸ばすようにしてこそ、木が大きくなるのです。
統一教会の組織全体は、根になり得るその班の支部長や班の定例会を中心として、その都市の全家庭に対し、真の父母に侍るカイン・アベル圏をつくらなければなりません。カインである班支部長を中心として皆さんがアベルになり、その次には班の定例会を中心として、イエス様の前における十二弟子と同じように、十家庭以上が団結しなければなりません。
そのようになれば、この地にサタンの基盤が存在できません。これが目標です。その根が次第に深く張っていくようになるとき、私たちの枝、父母様の枝は、世界に伸びていくのです。
24 お父様が統支部長と班支部長を立てるまで、四十年かかりました。四十年間投入して努力し、ようやくそれを立てておきました。郡責任者もいくらでも立てることができ、洞責任者もいくらでも立てることができますが、統支部長と班支部長をどのように連結して生かすかが問題です。その人々を生かしておかなければなりません。
一人は縦的代表であり、一人は横的代表なので、その二人が復活すれば、その都市がよみがえります。これが、私たちの基地です。そのようにしておけば、キリスト教が反対しても、統班支部長が守るようになるのです。統班支部長を中心として、キリスト教の要員たちを消化できる能力があれば、キリスト教の反対やあらゆる副作用はすべて解決されます。これが、統班撃破運動の焦点です。
25 統、班には大統領も入り、長官たちも入り、みな入っています。ですから、統一教会の細胞組織がすべきことは、統班撃破です。家庭でひっくり返して打ち込んだので、家庭で正さなければなりません。国でもありません。そのため、個人の信仰を徹底化して、家庭を中心として拡大できる主体になり、環境的条件を相対として一つになれば、より大きな分野の主体的立場に立ち、より大きな環境を収拾するのです。そのように、さらに大きく拡大し、国と世界まで連結されるのです。カイン・アベルの消化運動です。
カインを消化できなければ、アベルになることができません。カインに勝利した上で、アベルになるのです。相対的立場ではありません。消化して吸収したあとに、アベル圏が成立するのです。そのようにしなければ永遠にアベル圏が成立しないので、救援摂理の完結が地上で成し遂げられません。
体と心を中心とした家庭で定着しなければなりません。根を下ろさなければならないのです。ですから、統班撃破というものが、どれほど偉大か分かりません。
26 父母様は、流れていくことができません。万民の前に父母として来て、今やサタン世界を整備し、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界圏で、「頭翼思想」を中心として、左右を収拾しようと進み出ることができる最高の頂上まで上がってきました。
ここに上がってくる時までの恨多き事情を誰が知っているでしょうか。しかし、私は流れていきませんでした。悪がはびこってきたこの歴史を貫いて上がってきて、このような基盤を築きました。これを蹂躙してはいけません。血の代価によって綴られたものに、世話になろうとしてはいけません。血の代価によって連結しなければなりません。それが恩賜に報いる道であり、父母様のみ前に立って、自分の姿を正しく表すことのできる道です。
それが統班撃破です。家庭に根を下ろさなければならないというのです。
今まで、私たちが追求してきた目標、理想的な定着点とは何でしょうか。神様の愛を中心とした父と母、そして、息子、娘を中心とした新しい家庭が根を下ろさなければなりません。根が深くなれば深くなるほど、芽は出るものです。そこで悪魔の根を切ってしまい、芽を切ってしまわなければなりません。どこから切らなければならないのでしょうか。班から切らなければなりません。これをしなければ、南北統一は不可能です。
27 父母様を中心として、挙国的な活動をしなければなりません。ですから、全国的に皆さんが自分の故郷に帰り、影響を与えて根を下ろさなければならないのです。根を下ろすようになるとき、神様が収穫できる新しい実を結ぶ木になるでしょう。
それでは、その種をどこに蒔かなければならないのでしょうか。畑に蒔くのではありません。自分の一族に蒔かなければなりません。父母と兄弟たちに蒔かなければならないのです。それが四位基台です。創造理想は四位基台の完成です。愛の理想の完成です。
ですから、愛の理想の中心である家庭に植えなければなりません。父母を通して種が生じたのと同じように、そこに行って(実を)取り入れ、一周回ってこなければなりません。これが循環法度です。循環論理によって実を取り、父母の愛のもとに(その種を)植えなければなりません。このようにして、父母と兄弟が喜べる深い愛の根を下ろせば、生き残るのです。これが統班撃破の目的です。
28 韓国と北朝鮮を解放する近道が統班撃破です。北朝鮮に自分の父母、自分の従兄弟、あるいは親戚がいるとすれば、彼らに会う時、しがみついて泣くように、今や各家庭を訪ねていって、心情的に涙を流すことができなければなりません。
このような心情的な絆ができ、神様と共に同伴し得る環境ができれば、「私」によってその家庭が、神様が訪ねたいと思う愛らしい家庭として誕生します。そのような喜びの歓声とともに、解放のその日が私の目の前に近づいてくることを知っているので、このようなことをするのです。ですから、皆さんは真の兄弟の関係を経て、神様が求めている愛の家庭が形成されるように、神様の心情的通告者としての使命を果たさなければなりません。

Wednesday Apr 19, 2023
真の父母経 第117話
Wednesday Apr 19, 2023
Wednesday Apr 19, 2023
9 今は世界的な時です。父母様が、「百二十人を伝道しなさい」と言って祝福家庭の婦人たちを動員した年が一九七〇年でした。その時は国家的な時でしたが、今は世界的な時です。イエス様を中心とした国家的な時を蕩減復帰して解放されたので、迫害がない所で、世界的な基準を中心として氏族メシヤになるのです。
氏族メシヤとは何でしょうか。皆さんが家庭教会をつくって使命をすべて果たせば、氏族メシヤになります。ですから、自分の信仰の息子、娘たちを連れてきて、教育しなければなりません。親族です。霊的な信仰の息子、娘たちを中心として一つになり、氏族的なメシヤ圏を復帰することによって、霊界の他の一族も後援するのです。そのようになれば、連合的な戦線ができ上がります。
10 三百六十家庭教会をなぜするのでしょうか。三十六は十二数の三倍です。十二数は天理の度数です。これは、霊界の十二の真珠門のことを意味します。三十六家庭の数と同じです。また、旧約時代、新約時代、成約時代の三段階の運勢を連結させることができます。それは、天道を解くために出てきたのです。
三百六十日の一日というのは、永遠を代表する一日です。皆さんがそのような観点で一日一日、家庭教会を訪ねていくことは、歴史時代の数多くの日を、神様のみ前に勝利の日として立てるための活動なのです。三百六十家庭は、人類が天の国を建てられず、勝利の日を立てられなかったことを取り戻すためのものです。言い換えれば、三百六十家庭は、三百六十日を神様のみ前に立てるためのものであり、天の国を人類と共有するようにするためのものです。ですから、三百六十家庭が必要なのです。
11 アダムとエバが堕落することによって、神様を地球上から追放してしまいました。皆さんが三百六十家庭をもつことによって、その三百六十家庭に神様を顕現させることができるのです。
その次に、アダムとエバが堕落することによって追放してしまった天使世界が、地球上に顕現できる基盤になります。また、堕落することによって万物を失ってしまいました。三百六十家庭は地球星と同じであり、失われた宇宙の象徴なので、万物がその中にすべてあるのです。
その次に、世界人類を失ってしまいました。三百六十家庭は、世界の三百六十氏族のような全体を表象的に象徴した代表数なので、そこには万民を代表する数の人がいます。それをすべて復活させなければなりません。
復活させて、神様のみ前にお返しすることによって、皆さんは、過去の歴史において、堕落した私たちの先祖たちが失敗したすべてのことを復帰するのです。神様の顕現、天使世界の顕現とともに、万物の復帰、人間の復帰をして、この世界から地上天国化するのです。
12 なぜ家庭教会をしなければならないのでしょうか。長子復帰をしなければならないからです。長子を復帰してこそ、父母が復帰されるのです。
今、復帰歴史は、アベル、次子として長子復帰の路程に向かっていく途中です。世界的カイン、長子を屈服させて、復帰できる基盤が家庭教会です。ですから、カイン圏の長子復帰圏基盤とアベル圏の長子復帰圏基盤が一つになれば、氏族メシヤ圏の使命が終わり、氏族的真の父母の位置に登場するようになります。そうして、真の父母を中心とした氏族自体が、天国に入れるのです。
皆さんの中で、一九八一年まで三年間、三百六十家庭圏で絶対服従した人は、努力しなくてもそのまま天国に入っていける恵沢を受けます。これは恵み多い事実です。今や、ようやく統一教会時代に入ってきて、長子カインが次子アベルを打った歴史から、アベルが長子の位置に立ち、カインを屈服させられる時を迎えるようになりました。これからは統一教会に反対すれば、即座に被害を受けるようになるのです。即座に裁かれます。そうして、これが世界的な版図に展開されるでしょう。
13 神様は、今までメシヤを送り、人類を救おうとしました。神様が人類をどれほど救いたかったでしょうか。父母様の時代になって家庭教会をつくったという事実は、天の勝利となり、摂理の終局であり、すべての歴史の終局であり、サタン世界の終局であり、天国の始発点になるというのです。ですから、皆さんは、父母様の伝統を受け継がなければなりません。
14 統一教会が主張してきたのは、伝統を受け継がなければならないということです。神様の復帰摂理における心情の伝統を受け継がなければなりません。
その次には、父母様がこの伝統を立てるために歩んできた一生のあらゆる心情を、皆さんが引き継がなければなりません。
これを引き継げる一つの基盤が家庭教会であり、その運動が家庭教会運動です。家庭教会をもたなければ、天の国に行く時、父母様に付いていくことができません。これから家庭教会が、全世界的に二十四万になれば、全人類に対して配置するのです。そのようになれば、教会は完全になくなります。
韓国人は、これから家庭教会の配置を受けることができる恵沢圏内にいます。いまだに世界の至る所で家庭教会が配置されていないため、民族大移動をしなければなりません。家庭教会の配置を受けるために、全世界に大移動する時代に入るというのです。
15 これから皆さんは、家庭的に愛をもってサタン世界を攻撃するのです。家庭をもって、腐敗したサタン世界を攻撃するのです。すべて壊してしまわなければなりません。そのような時が来ました。ですから、皆さんに対して、「一気に家庭を動かすことができ、氏族を動かすことができ、民族を動かすことができる家庭教会運動をしなさい」と言ったのです。これさえ終わらせ、これさえできれば、世界を引っ張ってくることができます。「これさえ成し遂げれば、私が天国を築くことができる」と言える時が来たというのです。
16 お父様が今まで四十年間闘ってきたすべてのものを総合して、決算できる場が家庭教会です。家庭教会第一主義時代です。家庭教会は今後、何にならなければならないのでしょうか。皆さん自身の家庭教会が、氏族教会にならなければなりません。家庭教会ではなく、今や氏族教会に発展していかなければなりません。
皆さんの金氏や朴氏という氏族教会さえ連合すれば、民族は自然に生じます。氏族復帰の基盤さえできれば、国家は自然に生じます。氏族教会、民族教会、国家教会、世界教会、天宙教会に連結されるのです。
家庭教会は愛の実践場
真の父母様は、「三百六十家庭(軒)とは、世界的蕩減基盤を連結した世界を代表する一つの中心型であり、ここにおいて勝利すれば、自分の氏族は世界的氏族圏に登場し、同じ価値の位置で蕩減するようになる」と語られた。そして、三百六十家庭の中に私を愛してくれる人がいないと考えるのではなく、私が愛してあげられなかったことを無念に思うことを強調された。愛してあげられなかったことを嘆かれる神様と同じ心で、三百六十家庭で、「遮るものはどこにもない」と言える勝利者になることを願われたのである。また、三百六十家庭は、すべての人を自分の兄弟や父母よりも愛するようにする修練場であり、どのような人でも愛することができるようになるとき、完全な主体になることを明言された。
17 皆さんの心で愛の鐘の音を聞きなさいというのです。そのようになれば、「私の口は愛の言葉だけを語るようになっていて、そうでない言葉は語らないようになっている」と言うようになるでしょう。愛の言葉でないものは、耳が聞かないようにし、愛でないものは目が見ないようにするのを感じなければなりません。
そのように生きれば、間違いなく皆さんは、遠からず神様の愛に酔うことができる境地に入るでしょう。霊界と直接通じ、家庭教会に関する難しい問題を、上手に、無意識のうちに、たやすくすべて解決できる主人公になります。三百六十家庭のどんな問題でもすべて解決できる、神様を身代わりする主人になるでしょう。
私がそのような愛の場に入っていけば、話をしないようにしようとしても、言葉が出てきます。本当に不思議なことがたくさん起こります。ありとあらゆることが起こるのです。自分が恐ろしい人であることを感じるようになります。このように、愛において、すべてのことが決定されるのです。
18 女性として生まれ、お嫁に行くようになれば、本家を離れて自分の夫に付いていくのと同じように、統一教会を信じてからは、家庭教会の活動をしていかなければなりません。そのようにしてこそ、天国に入ることができます。お嫁に行くのと同じです。それを経なければ、天国に入れません。いくら父母様に付いていこうとしても、付いていけないのです。それができなくなれば、皆さんの息子、娘がしなければなりません。
ですから、夫が妻のために生きる以上に、妻が夫のために生きる以上に、そして父母が子女のために生きる以上に、家庭教会をしなければなりません。そうして、家庭教会圏内の人々が「このように私たちを愛してくださり、私たちはこの愛を学ぶことができたので、あなたに愛をお返しします」と言うその内容が、家庭教会圏内にすべてカバーされるとき、そこは神様の領域であると言うことができます。地上の天国圏だと言えるのです。新しい文化、新しい運動によって一つになり、新しい復興を起こすことができるのです。
19 家庭教会は、皆さん夫婦から出発しなければなりません。夫は、愛を探し求める家庭教会の基盤であり、妻は、愛を探し求める家庭教会の基盤だというのです。愛を主管しなければなりません。ですから、夫は、妻を愛する以上に家庭教会を愛さなければなりません。妻より愛することができなければ、その愛は真の愛になり得ません。皆さんの息子、娘以上に愛することができなければならないのです。
なぜ、そのようにしなければならないのでしょうか。悪の世界から本然の世界に入るために、その境界線を突破しなければならないからです。それは家庭や国よりもさらに大きいので、自分の妻や子女よりもさらに愛するという基準を立てなければならないというのです。そうでなければ、家庭教会をいくら動かしても効果がありません。それ以上でなければならないというのです。
真の愛を携えていくようになれば、そこには神様が付いてきます。宇宙が付いてきます。誰も遮る人はいません。そこにおいては自然に環境が溶け出し、すべてが押し寄せてくるようになっています。そこにある木が慕わしく、そこにある道が慕わしく、そこにある家々が見たくて行かざるを得ないというのです。無意識のうちに訪ねていきます。知って、行かなければならないと思って行くのではなく、我知らず訪ねていくというのです。そのようにさせる運動が起こってこそ真の愛が拡大されるのです。

Wednesday Apr 19, 2023
真の父母経 第116話
Wednesday Apr 19, 2023
Wednesday Apr 19, 2023
17 一九七〇年代は、外的に活動をするとしても、ごく少数の人に限って活動させるのではなく、食口全体を動員して活動させ、最後の限界線を越えておかなければなりません。
ですから、一九七〇年十二月一日から三年間、祝福を受けた婦人たちが総動員されました。さらに、この期間は、今まで精誠を尽くして努力してきたすべてのものを投入し、最後の限界線を越えられるか(どうか)、その勝敗を決定する重要な期間だと見ています。
ですから、婦人たちが十人一組に編成され、百二十ヵ所の伝道任地に出動することになります。各地区本部から地域本部、区域本部にまで出動し、一九七二年までには、私たちの教会の内的な精鋭食口を十二万人以上、確保しなければなりません。現在いる食口たちが一ヵ月に一人ずつ伝道するようになれば、今より倍以上の数を実質的に確保するだろうと考えています。
18 祝福家庭の婦人たちが動員されるのですが、幸いなことは、一人だけで行くのではないという点です。本来は一人で行かなければならない道ですが、世の中があまりにも険悪なので、皆さんの同志である姉妹たちと一緒に行くのです。ですから、ここにおいては環境に侵犯される条件が完全になくなります。ひたすらみ旨だけのために協助できる互いの基台が形成されるというのです。
もし、自分本位に過ごして互いに争いが起きたり、何かの問題が起きたりすれば、それは大きな問題になります。班員たちの間で問題が起きれば、全体の責任は、班長が負わなければなりません。一番先頭に立って働かなければならない人が班長です。
班長としてまずすべきことは、十人の班員を一つにすることです。イエス様に従った十二弟子が分裂したその立場を、今日、皆さんが蕩減しなければなりません。男性たちができなかったことを、女性たちが代わりにするのです。ですから、み旨を中心として完全に一つにならなければなりません。
ここにおいて十数は、十二数に該当します。本来は一班を十二人で編成しようとしました。これは、イエス様の弟子たちが分裂した環境を女性たちが身代わりして、一体となった環境を整え、天のみ前に一つになるためのものであり、一つになれずに分裂したイスラエルの族長編成の基盤に代わり得る基盤として完結するためのものです。このような二重的な使命が皆さんにあることを知って、まず一つにならなければなりません。
19 一九七〇年に祝福家庭の婦人たちが動員されて基盤を築くことによって、父母様が国家的基準に立つようになりました。三年が過ぎてみると、状況が変わったのです。「統一教会は正に愛国団体であり、統一教会員のようにならなければ、我が国が生きることはできない」という世論が全国化したのです。
大韓民国の国民より、私たちがもっと犠牲になり、キリスト教より私たちがもっと犠牲になりました。より犠牲になる人が祝福を受け、伝統の道を占有するのです。安楽に過ごそうとする人々、自分だけが豊かに暮らそうという人々は、落伍します。その活動が終わる前の一九七二年以前に、既に統一教会は愛国の団体として、国や国民の間で、「統一教会のようにならなければならない」という意見が一般化され、広まり始めました。
三年以内に国家的蕩減基準を立て、反対するキリスト教と闘ってキリスト教以上の国家基準を立てたので、その基盤を中心として、父母様は海外に、世界の舞台に進出するようになりました。そのようにして、アメリカを連結したのです。
第五節 家庭教会と統班中心の活動
家庭教会と氏族メシヤ活動
真の父母様は、一九七八年三月十五日、アメリカの州責任者会議で、家庭教会活動を強調され、四月一日から三万人の食口確保を目標に、『原理講論』と原理講義のカセットとビデオテープを配るなど、本格的に活動することを強調された。
そして、一九七八年九月二十五日に帰国され、「堕落した人間が復帰できる蕩減条件が三百六十家庭教会である」と語られ、全食口に十月一日から、家庭教会活動を行うことを指示された。
十八歳以上の食口は全員参加するが、祝福家庭は家庭ごとに、その他は個人ごとに、三百六十家庭(軒)を復帰するために活動することが原則であった。こののち氏族メシヤとなり、真の父母様が世界的に成し遂げられた勝利基盤を受け継ぐことを願われたのである。
また、一九七九年は「家庭教会を通じた天国完成」、一九八〇年は「家庭教会は天国基地」、一九八一年は「家庭教会は私の天国」など、年頭標語を通してこのことを強調された。
1 一九七八年十一月十二日、きょうを期して、皆さんにメシヤの資格がある者として家庭教会の区域に出ていきなさいと命令します。これからは、そこに出掛けるのです。家庭教会をつくるまでは、帰ってこられないことを知らなければなりません。死ぬまで帰ってくることができません。霊的にも帰ってくることができないのです。
2 父母様は、世界的に反対を受けながら、世界的基盤の上に蕩減条件を立て、第三次七年路程の三年路程において、二年目を越えていく一九七六年九月十八日にワシントン大会を勝利して基盤を築き、初めて故郷に錦を飾ることになります。そうして、故郷の韓国に戻ってきて、氏族メシヤになれるという贈り物を皆さんに渡してあげるのです。
今から統一教会がすべきこととは何でしょうか。この氏族メシヤ圏の三百六十家庭を伝道して、彼らが歓迎できる基盤さえできれば、自分の故郷に帰っていくようになっているので、このような圏内で世界的に統一教会を歓迎すれば、どのようになるでしょうか。この三年の期間に、その基盤を築かなければなりません。
イエス様は、三年の公生涯路程においても氏族メシヤになれませんでした。世界に走っていける道は、ここしかありません。人類全体がそのような価値ある位置、父母様の犠牲的功労を相続できる時代に入ったというのです。そのように相続を受けられる条件は、父子関係の絆をもっているからです。
3 統一教会がすべきことは、家庭教会です。復帰摂理の終着点は、家庭教会です。私たちが一九五四年の協会創立以降、二十五年目に家庭教会運動まで宣布できたことは、偉大な成功です。天地がすべて祝賀する成功になるのです。
父母様が苦労したのも、これをつくるためであり、イエス様が亡くなったのも、これをつくるためであり、神様が六千年間摂理されたのも、これをつくるためでした。このようにしてこそ、天国が広がります。この時に、天国の門が開かれます。そのため、イエス様がぺテロを通して天国の門の鍵を地上に残していったというのです。
4 家庭教会は、天宙を縮小したものであり、世界を縮小したものです。そこにはイギリスも入り、アメリカも入り、ソ連も入り霊界も入っています。すべて入っているのです。また、旧約時代、新約時代、成約時代がすべて入り、無宗教の人、良心的な人、宗教者がすべて入り、その次にイスラーム、仏教、キリスト教など、すべての宗教が入っています。
全天宙を代表した一つの表象であり、その縮小体が家庭教会です。
誰がそのようにしておいたのでしょうか。自然になったのではありません。父母様が、サタン世界のエッセンスをすべて集約させておきました。そこでために生きることは、皆さんの家庭から氏族、民族、国家、世界、天宙においてまでために生きる条件になり、そこで犠牲になり奉仕することは、全世界のために一生の間、犠牲になり奉仕したことに代わり得る条件になるのです。皆さん夫婦が、この過程を経ていかなければなりません。
5 父母様を中心として、完全に一つになった立場で結束したという条件基盤を皆さんに伝授してあげたのが家庭教会です。家庭教会は蕩減条件ですが、この蕩減条件のことを皆さんは知りません。
個人の責任分担においてサタンが侵犯することにより、家庭の責任分担に拡大されました。個人の責任分担で終わるはずのものが、堕落することによって家庭の責任分担に拡大され、氏族の責任分担、民族の責任分担、国家の責任分担、世界の責任分担、天宙の責任分担に拡大されました。地獄世界にまで拡大されてしまったというのです。
このような責任分担圏が残っています。これを越えていく道がありませんでした。しかし、お父様が来て、今まで四十年の期間にこれをすべて越えていける条件を立てました。
皆さんには、五パーセントの責任が残っています。この道を行かなければなりません。この道を完成するためには、家庭教会の三百六十家庭を中心として、一つにならなければなりません。讒訴を受けずに、どこの家でも歓迎される立場に立ちなさいというのです。そのようになれば、父母様が今まで築いておいたすべての歴史的勝利の蕩減条件を伝授してあげるのです。
6 家庭教会とは、世界的な勝利の全体版図を最小単位に縮小した、一つの祭壇です。三百六十家庭は、世界の三百六十の一門にもなるのです。三百六十は、縦的な時間を意味し、横的な空間を意味します。そして、三百六十は、世界を代表したカイン圏です。
皆さんの前に、世界を代表する長子の立場のカイン世界が残っています。天国になるにはアベル、弟として、兄を屈服させなければなりません。ですから、長子復帰をしなければ、父母様を迎えることができません。アダムとエバが堕落することにより、カインが長子の立場で生まれたので、これを解消するためには、次子の立場で世界を代表した長子圏を屈服させなければなりません。一度に屈服させなければならないのです。
皆さんは、お父様が世界的条件を中心として勝利した基盤の上にいるので、その心情を受け継がなければなりません。家庭教会は、歴史時代に、神様のみ前において、長子復帰の世界史的なすべてのものを一時に蕩減することができる祭壇です。
7 家庭教会の三百六十家庭は、世界的な蕩減条件を築いたものに連結して、世界を代表した一つの中心型として現れたものです。ここで勝利すれば、自分の氏族は世界的氏族圏に登場し、同じ価値の位置で蕩減するようになります。そうして、初めて彼らを一つにして蕩減し、父母の位置に登場するのですが、メシヤの資格を備えて、氏族メシヤ、すなわち自らは新郎の位置に立って新婦を迎えることにより、氏族的真の父母になるのです。
8 家庭教会は氏族基盤です。イエス様の当時、ヨセフ家庭とザカリヤ家庭が一つになれなかったので、それを蕩減復帰しなければなりません。それがすべて残っています。イエス様は家庭をもつことができませんでした。ですから、皆さんが家庭をもたなければならないのですが、そのためには氏族基盤をもたなければなりません。氏族基盤がなければ家庭をもてないのです。皆さんの家庭がその中心に立たなければなりません。氏族的な基盤があってこそ、家庭が救われます。
皆さんが家庭をもとうとすれば、家庭教会をしなければなりません。家庭教会運動をすれば、イエス様ができなかったことを蕩減できるというのです。それは、洗礼ヨハネの家庭やヨセフ家庭と同じです。イエス様は、洗礼ヨハネとヨセフ家庭が一つにならず、家庭をもてなかったので十字架に打ち付けられました。私たちは、それを蕩減しなければなりません。家庭をもとうとすれば、そこからしなければならないのです。ですから、家庭教会がどれほど重要かを知らなければなりません。家庭教会さえ完成すれば、自動的に世界国家になります。一つの世界になっていくのです。

Wednesday Apr 19, 2023

Sunday Apr 16, 2023
真の父母経 第110話
Sunday Apr 16, 2023
Sunday Apr 16, 2023
4 一人の完成格の男性の前に、一人の完成格の女性として、お母様を連結させるための期間が第一次七年路程です。この第一次七年路程が、父母様の家庭基準を設定する期間だというのです。ですから、その時期に父母様が神様を中心として家庭を築いたのです。その時になって、ようやく四位基台の復帰形態として、地上に一つの家庭的な基点を構築しました。
この父母様の家庭を中心として、祝福家庭が完全に団結しなければなりません。家庭を中心として、完全に一つにならなければならない期間が、第二次七年路程です。第二次七年路程は、父母様の家庭を中心として、祝福を受けた家庭が完全に一つになるべき期間だというのです。完全に一つになって、一つのアベル圏になり、民族基準を再び収拾しなければならないのです。
5 一九七四年までの第二次七年路程の期間には、大韓民国の復帰と天国基盤をつくらなければなりません。復帰は、霊と肉を中心として行わなければなりません。ですから、教会的にはみ言を中心として霊的に、世界的には思想を中心として肉的に動かなければなりません。そのため、民主世界がもち得ない勝共思想を、統一教会が掲げていくのです。
これは、モーセが出エジプトをする時、彼らを導いてくれた火の柱と雲の柱に該当します。火の柱と雲の柱を中心として、外においては世界共産圏を屈眼させ、内においては家庭の法度を立てるのです。これが世界舞台に連結されていくようになれば、地上天国が完成するのです。
6 男性や女性が復帰されたとすれば、一人の新婦と新郎を迎えなければなりません。そうして、真の父母の位置が決定されれば、この真の父母を中心とした真の氏族と真の民族を編成して、復帰していかなければなりません。このようにするためのものが第一次七年路程でした。
このようにして、民族編成を終えたあと、国家的基準の蕩減条件を立てることによって、国家的な限界線を越えることができる時代圏内に入るのです。このような国家圏内から世界に越えていける運勢が私たちの前に近づき、韓国がアベルの立場に立つようになったので、カイン的なサタン世界と神側の霊界が、一つの国を形成するための統合運動をしなければなりません。
世界人類が、このような責任を中心として協助できる新しい時代に入ります。ですから、今から統一教会員たちが行く道には、今まであった哀れで悲惨な歴史過程はないというのです。
第二次七年路程において私たちは、世界的な復帰の限界点を越えなければなりません。神様のみ前で、皆さん自身を中心として、民族的な限界点を越えて責任を果たしなさいというのです。そして、祝福を受けた人々はみな、家庭的メシヤの責任を完遂しなければなりません。
7 皆さんが今まで歩んできた第一次七年路程は、イエス様を中心として解怨成就するための蕩減復帰の条件として消耗されましたが、これからは、皆さん自身を中心として蕩減復帰し、自らの願いを解怨成就するための時代に入ります。ですから、皆さん個々人は氏族メシヤになり、世界的な出発をしなければなりません。
それゆえ、皆さんがこのような使命をもって世界に向かう道は、神様のみ旨を伝えながら反対を受ける道ではなく、歓迎を受けながら行ける道になりました。そのような時代圏内に移されたというのです。これが、真の父母を中心とした世界的な復帰の限界点であり、七年の期間を中心として、その基準を越えるようになったのです。
8 一九六八年から第二次七年路程が始まったので、その時から子女の路程が始まりました。子女は、父母が歩んだ路程を見本にして歩まなければなりません。失われた信仰の子女を復帰し、父母の祝福を受けなければならず、万物の祝福まで受けて使命を引き継ぎ、安息の年を迎えなければなりません。もし、これを一九六八年からこの七年間でできなければ、二十一年に延長されます。
「神の日」は、真の父母様が神様の実体として現れる日なので、人間に屈服しなかったサタンが、神様の実体となった真の父母様に屈服する日だというのです。この「神の日」を立てることによって、天使がアダムに屈服し、カインがアベルに屈服したという条件が立てられました。
第二次七年路程は、復帰された長子の立場で出発する期間です。過去には、次子の立場で長子の位置を奪わなければならなかったので迫害を受けましたが、今や長子の位置で福を分け与える立場になったので、私たちを憎むこともなく、迫害もしないでしょう。そのような時になりました。
今や応じなければ、たたいてでも天の子女として復帰すべき使命が長子にあるというのです。第一次七年路程で父母様がメシヤの使命をもって役事したように、第二次七年路程では、皆さんが氏族復帰のためのメシヤの使命を果たさなければなりません。
9 天のみ前から追い出された群れ、天が立てなかった人々を探し出して、彼らを救ってあげるために行く路程が第二次七年路程です。また、イエス様が追い出されていない立場で探し出したのと同じ基準を立てるために、統一教会の息子、娘たちが出動して第二次七年路程を歩むのです。
今は氏族を復帰する時です。父母様が皆さんに「全面的に進撃しなさい」と言いましたが、それは今の時が、イエス様が漁夫を訪ねて弟子にし、教会を築いて家庭的な基盤を立て、全面的に進撃しなければならなかった時と同じであり、地上でも準備が整い、霊界からも協助するようになっているので、完全な作戦を行うことができるからでした。
父母様は、一九六〇年から一九六三年の間に祝福をしてあげることによって、家庭復帰の基準を立てました。したがって、食口たちも第二次七年路程が始まった一九六八年から三年間、すなわち一九七〇年までにこの基準を立てなければならないのです。
10 第二次七年路程では、民族のために忠誠を尽くしたそれ以上の忠誠で、自分の父母兄弟と親戚を復帰しなければなりません。すなわち、氏族全体を神様のみ前に復帰しなければならないというのです。今まで、皆さんの先祖たちは、神様の全体的な復帰摂理と何の関係もない先祖たちでした。
しかし、皆さんが氏族を復帰することによって、真の氏族的な父母の使命を完遂するようになり、霊界の善の聖徒たちも、皆さんと共に再臨復活の恵沢を受けられる特権的な恩賜が広がります。そうして、善の先祖たちが地上に無数に再臨できるようになるのです。
そのような時代が来るので、悪のサタン世界は次第に消え、統一の運勢が新しい世界に次第に越えてくるようになります。ですから、原理的に見るとき、私たちの活動いかんによって、一九七四年までに急進的な発展をするでしょう。
11 国家的な次元で勝利の基準を定めたあとに、第二次七年路程を中心としては、父母様の家庭ではなく、祝福家庭を立たせました。ですから、国のためにその家庭がどのように立つベきかを教えてあげなければならず、国のためにその家庭がどのように奉献して、どのように公的な道を行くべきかを、国民に教育しなければなりませんでした。そのため、祝福家庭全体が動員されました。第二次七年路程は家庭的な路程なので、全祝福家庭が動員されたのです。
一九七〇年に入ってから三年間は、全祝福家庭の妻たちが、子女と夫を残して出動しました。お母様と同じ道を行かなければならなかったからです。
夫と暮らし、息子、娘を抱えて暮らしていた家庭から離れる時は、夫が怨讐であり、息子、娘が怨讐でした。ですから、あらかじめ怨讐視したのです。このように、前もってすべて決定しておいたので、彼らが怨讐として現れたとしても、サタン側になりませんでした。サタンの条件に引っ掛からなかったというのです。それが愛でした。
聖書にある「家の者が、その人の敵となるであろう」(マタイ一〇・三六)というみ言が、統一教会ですべて成就されたのです。これは、言葉だけではありません。歴史がそのようになっています。
12 一九七四年は、第二次七年路程の最後の年です。内的な第一次七年路程に外的な第二次七年路程を結びつけることを、今まで私たちがしてきているのです。それが一九七四年までです。
結局は、統一教会の祝福家庭が第一線に進み出て、総力を挙げてサタンと対決する時期です。ですから、一九七〇年、七一年、七二年のこの三年間、統一教会のすべての祝福家庭の夫人たちは、子女たちと夫、家庭をあとにして出ていったのです。
父母様がその基盤を引き継いで、世界的にようやく父母と子女が一つになれる霊的起源を整えたので、その基盤に乗り、アメリカという国を中心として作戦を行うことができたというのです。
父母様がアメリカにまで来て、このようなことができるというのは、イエス様がイスラエルの国とユダヤ教と霊的に一つになり、ローマに入城して、死なずに伝道するのと同じなのです。
13 一九七四年までの二度の七年路程は、ヤコブの十四年路程に該当する期間です。ヤコブは十四年の期間を通して家庭を探し出し、天地に錨を下ろしました。それと同じように、統一家が第二次七年路程を経ることによって、家庭を中心として初めて、この地上に完全に錨を下ろすのです。
統一教会の祝福を受けた家庭は、どんな家庭よりも幸せで、誰よりも徹底した愛国と愛族の群れであり、神様のみ旨を立てて世界を愛し、人類を愛する群れであることが公認される時が来ます。そのようになれば、祝福家庭が初めてイスラエルの権限をもって、地上に錨を下ろし、足場を固める時になるのです。
第二次七年路程を成功裏に完成すれば、神様の祝福が大韓民国と統一教会に集中することは決定的でしょう。その時は、反対していたイスラエルの国や反対していたユダヤ教と同じように、反対していた大韓民国と反対していたキリスト教の前に、統一教会が対等な位置に立つのです。対等であるだけでなく、統一教会が優位に立つようになるので、その教会と国が付いてこなければ滅びる運勢圏を迎えるというのです。
14 第二次七年路程が終わる前の三年の期間は、世界的な七年路程に前進するための準備期間です。この第二次七年路程の終わる前の三年路程の期間は、世界的な七年路程を本格的に出発するための準備期間でした。これは、イエス様が生きていた当時、ユダヤの国を一つにし、ローマの国を一つにできる基盤を連結させるときの霊的基準に代わる立場です。
それでは、イエス様の時と今の時は、どのような違いがあるのでしょうか。イエス様の時は国家的時代でしたが、今の時は世界的時代です。そのような違いがあります。ですから、この三年路程を中心として、民主世界を代表するアメリカに来てこのような基盤を築くことにより、勝利できることを見せてあげたという点において、歴史的意義があるというのです。

Thursday Apr 13, 2023
真の父母経 第109話
Thursday Apr 13, 2023
Thursday Apr 13, 2023
22 私たちは、「天国を成し遂げた」と言って笑う声が、三千里半島と全地球上に高々と響き渡る、その日のために行進しなければなりません。このような立場にいる私たちなので、休む暇がありません。御飯を食べていても、涙を流しながら痛哭する統一信徒たちにならなければなりません。
なぜ、そうでなければならないのでしょうか。神様が願った(地上)天国を築いてさしあげ、イエス様と聖霊がすべては成し遂げることができなかった恨と、満足に食べることもできずに祭物の過程を経ていった千々万の聖徒たちが、地上天国を完成することができなかった復帰の恨を解いてあげるためです。そのようにしてこそ、彼らが解怨成就されるのです。このような途方もない内容を知り、この途方もない使命を背負った私たちに、休む暇がどこにあるのかというのです。脚が折れるとしても、死ぬとしても、全力を尽くして行かなければならない復帰の道が残っています。ですから、父母様は皆さんに「三年路程を行きなさい」と命じました。
その道を行くときには、誰もが死を覚悟しなければなりません。一片丹心で自分が立てた志を果たすためには、寝ずにおなかをすかせながら、冒険をしてでも行かなければなりません。このような事情を展開させたこの師にも、責任があります。ですから、父母様が願うのは、皆さんがそのような立場に立つとき、誰かに対して不平を言ってはいけない、ということです。
皆さんはそのような立場で倒れ、犠牲になっても、嘆いてはいけないというのです。天国を建設するために足場を築く勇士に対して、どうして怨讐の矢が向かってこないでしょうか。どうして怨讐が自らを包囲することがないでしょうか。そのようなことがあり得るというのです。
しかし、師のために、神様のために生きる思いは、自分自身のためのものではなく、この民族のためのものであり、世界のためのものです。ですから、その場は神聖な場です。たとえその道が遠くても、近道を探し求めて、喜んで行かなければならないのが、統一勇士たちの歩みです。
23 父母様は、イスラエル民族の立場である大韓民国とこの民族が、責任を果たせない立場に立つのではないかと心配しています。皆さんを前に立てて栄光があれはその栄光を先に皆さんに与えたいのです。それを知って第一次七年路程の残りの四年期間を歩まなければなりません。今は皆が疲れてしまいかねない時なので、さらに奮闘しなければなりません。
アダムとエバが堕落して、カインとアベルという実を結んだので、これを、食口たちを中心として蕩減復帰しなければなりません。祝福家庭を中心として蕩減復帰しなければならないというのです。もし各地域において、他人が行こうと行くまいと忠誠を尽くして進む孝子、孝女の家庭があるとすれば、その家庭は、その目的に向かって、父母様に代わり、涙と血と汗で民族的な恨の峠を越えていきつつあるとみなすことができます。
この民族のために、涙で福を願いながら、一日一日を感謝して暮らす人がいるとすれば、その人は父母様の相対になります。そのような人々によって天的な歴史が(峠を)越えていくようになります。ですから、第一次七年路程の後半の四年期間、皆さんは責任を果たし、民族的な勝利的主管者にならなければなりません。そうすれば、民族的な勝利の日を皆さんが迎えると同時に、神様が迎えるようになります。
皆さんはこれを知って、「日久月深」(願いが時とともに強くなる様子)で祈らなければなりません。そのようなことが終わったあとは、世界的な勝利的主管者にならなければなりません。それによって、万民がそのような恵沢圏内にとどまるようになって神様をたたえる時、私たちは初めて解放されるのであり、「神の日」を完全な勝利の日として立てるようになるのです。
24 父母様は、一九六五年十二月三十一日と一九六六年一月一日の両日にかけて、韓国の七ヵ所に聖地を立てました。このような基準を立てて、国家的基準において個人復帰、家庭復帰、氏族復帰が始まったのです。
私たちは、神様が取り得る個人的な勝利の基盤、家庭的な勝利の基盤、氏族的な勝利の基盤、民族的な勝利の基盤を備えなければなりません。
ここにおいて氏族は、統一教会の祝福家庭を意味し、民族は、このような氏族によって形成された統一民族を意味します。今後、私たちは、統一民族を編成しなければなりません。ですから、私たちは、韓国でカイン・アベルが立てるべき天的な位置と中心を蕩減して立てなければならないのです。このような使命分野に向かって総進軍することが、第一次七年路程において果たすべき使命です。
25 第一次七年路程出発の最初の年の標語が、「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」です。これは男性として、母を探し求めようということです。
二年目の標語は、「父の代身者となろう」です。初めてお母様を探し出したので、復帰された天国に向かって、父なる神様の代わりに役事できるのです。これは、お父様の一生について語った言葉です。
三年目の標語は、「見せてあげて誇り得る者となろう」です。見せてあげて誇れるのは息子、娘です。これは、皆さんの復帰路程を中心として語った言葉です。ですから、この標語は皆さんの標語と同じです。
皆さんは、第一次七年路程を中心として、天のみ前に生涯最高の年にしなければなりません。失われた男性によって失われた女性を探し出す、最高の年にしなければなりません。
そうして、神様の代身者になり、見せてあげて誇らなければならないのです。
その次には、勝利的主管者にならなければなりません。四位基台を完全に復帰したので、勝利圏を主管しなければならないのです。
一九六〇年にお父様が「今回の七年路程が過ぎれば、私が必要とし、私が動かせる完全な基盤ができるだろう」と話したとき、皆さんは夢のような話だと思いましたが、今見れば、その時に話したとおりになっています。
26 第一次七年路程を勝利しましたが、父母様は七年路程において血の涙をたくさん流しました。いくら難しいことがあるとしても、夜も昼も一つの目的を達成するために駆け回りました。「誰々が行かない」と言って恨むこともなく、「友達がいない」と言って恨むこともありません。神様が既に定めた摂理の結果を収めるべき使命があるので行くのです。
そうして、この世界に広がっている善の結実を収めなければなりません。心情の鎌で刈ることによってこのような結実を収め、分かれた自らを統一し、分離した天情と人情を統一しなければなりません。
私たちの体自体は、たとえ切れ味の良くない鎌の刃先だとしても、収穫するときに用いられる道具としての実体にならなければなりません。このような実体を通して、今日、滅びていく世界を正しく導き、神様の心情を中心として、新しい中心の世界に越えていかなければなりません。それが統一教会員たちの使命です。
27 私たちは、一九六〇年を中心として新しい勝利の基盤を準備することができました。すなわち、二千年前にイエス様が願った基準を、この地上で復帰できる摂理の基盤を準備したというのです。このような途方もない歴史的な基点が準備できたので、一九六〇年から新しい歴史時代に入るようになりました。
第一次七年路程の七年間に、民主主義が世界を収拾できず、共産主義が世界を支配するようになれば、すべて滅びるようになります。ですから、皆さんは、滅びつつあるものを栄えさせ得るこの七年の期間を中心として、民族を復帰し、国家的な民族形態を形成しなければならず、ひいては世界が一つになれるようにしなければなりません。この七年の期間内に、すべて復帰しなければなりません。
イエス様がこの地に来て願ったことは、イエス様自身を中心として、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を探し出し、その探し出された「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を中心として、サタンが讒訴できない絶対的な権限をつくり、神様のみ前に栄光をお返しできる「神の日」を探し出すことでした。
これをイエス様が願ったので、私たちはこの目標を中心として、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を立てたのであり、第一次七年路程を越えるために、一九六八年一月一日を「神の日」として設定したのです。
第二節 国家・世界復帰の基台を築いた第二次・第三次七年路程
第二次七年路程と私たちの責任
真の父母様は、第一次七年路程は父母の路程であり、その後、一九七四年までの第二次七年路程は子女の路程でもあると語られた。特に、この期間の年頭標語である「全面的な進撃をしよう」、「勝利的統一戦線」、「統一基盤確保」、「統一戦線守護」にもよく表れているように、国家復帰の基台造成のために全力を傾けた期間である。
第二次七年路程は、祝福家庭が氏族(的)メシヤの使命を果たし、先祖の位置を復帰しなければならない期間であった。この期間には、民族・国家復帰の基盤を築くために、まず氏族を復帰しなければならないと語られた。
1 一九六〇年から一九六七年までの第一次七年路程では、父母が縦的な基準を中心として勝利しました。ですから、第二次七年路程は皆さんの時代です。ここからは、皆さんが横的に闘わなければなりません。第二次七年路程は長成時代です。歴史はいつでも、二番目を中心として決戦を行いました。それと同じように、韓国がどうなるかという問題が、第二次七年路程にかかっています。
第二次七年路程が終わる一九七四年までには、韓国が統一教会のみ旨に協助しなければなりません。そのようにせずにみ旨を遮り、この原則に符合しなくなるときには、神様が許さないでしょう。このような基盤を中心として、私たちは前進しなければなりません。
第二次七年路程が終わる時には、国家基準を越えなければならず、第三次七年路程を越える時には、世界基準を越えなければなりません。
第三次七年路程が終わるのは一九八一年です。その時までには、世界基準を越えなければなりません。これは、原理の軌道を蕩減復帰するに当たって、横的に過ぎ去った歴史を再現しなければならないからです。
2 第一次七年路程を通して、「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を成就することにより、イエス様が果たせなかった父母の役割を果たせる責任基準を立てておきました。その次には、真の父母として責任を果たした勝利の基盤に従って、子女たちもその国を探して立てられる時まで、これを内外で一つにしなければなりません。そのようにしてこそ、イエス様がこの地上で生きて成就すべきであった本来のみ旨を完結するというのです。
真の父母が勝利した基盤に従って、子女たちがその基盤を再び国家基準を越えられるところまで築いていくのが第二次七年路程です。ですから、一九六八年から七年の期間は、国であれば国の全体分野まで、イエス様当時のユダヤ教が反対し、イスラエルの国が反対した基準を越える期間に該当します。
3 一九六八年からは、家庭的な十字架を背負っていく時です。六千年の歴史は、個人的に十字架を背負ってきました。しかし、家庭的に十字架を背負っていくべき期間が残っているというのです。
今までその十字架を、誰も背負おうとしませんでした。イエス様も、民族と国家に代わる十字架を背負い、家庭を築いて、世界に向かって進まなければなりませんでした。しかし、民族と国家の十字架を背負って亡くなられたので、再蕩減しなければならないのです。それによって、個人的な十字架の道、家庭的な十字架の道が残るようになりました。このように、六千年の歴史が険しい峠の道を経てきたので、両面的な蕩減をしていかなければなりません。
これをするために、お父様は一九六〇年まで、個人的な十字架の道を歩んできたのです。この十四年路程は、ヤコブが歩んだ十四年路程と同じ期間です。その期間を越えてこそ、家庭を築いて、その家庭の四位基台を中心として地上に定着し、伸びていけるのです。

Monday Apr 10, 2023
真の父母経 第102話
Monday Apr 10, 2023
Monday Apr 10, 2023
第五節 『聖歌』の発刊
聖歌の起源と意味
聖歌には、真の父母様の苦難と勝利の歴史が余すことなく含まれている。特に、真の父母様は、瞑想と深い祈りを通して多くの聖歌を作られ、神様に賛美と栄光をお返しして、食口たちが歌うことができるようにされた。真のお父様は、一九四六年八月十一日、平壌の大同保安署で苦難に遭われ、約百日後の十一月二十一日、瀕死の状態で釈放され、一九四七年の初め、食口たちを集めて集会をされながら、「勝利者の新歌」を作られた。これが最初の聖歌であった。そして、一九五〇年十月十四日、興南監獄から出て自由の身になられ、二十数日後の十一月初め、平壌で「聖励の新歌」と「栄光の賜物」を作詞された。「聖励の新歌」(の韓国語の歌詞)には、「新」という接頭語が十三回も出てくるほど、新たな出発の決意に満ちあふれており、「栄光の賜物」には、新しい世界と新しい歴史の建設に対する感激と希望が躍動している。真のお父様は、一九五一年、釜山避難時代にボムネッコルの土塀の家で「悩める心に」を、一九五三年、水晶洞の三番目の家で「復帰の園」、「聖苑のめぐみ」を、一九五九年二月十七日、第一回全国伝道師修練会の参加者のために「朝日に輝く」を、一九六一年、全国四十日伝道に派遣された食口を激励するために「統一勇士の歌」を作詞された。特に、「悩める心に」には、釜山避難時代にサタンの勢力から挑戦を受け、追われる生活の姿と、罪人の立場を抜け出して救いの道に向かう聖徒たちの心情が、とても切実に表現されている。「復帰の園」にも、釜山の水晶洞(スヂョンド)教会時代、あらゆる困難の中でもあとに引くことができなかった真のお父様の、復帰路程に対する覚悟と決意が深く込められている。そして、「聖苑のめぐみ」には、神様に対して常に喜びの心をもって賛美し栄光をお返ししながら、大きな恵みに報いようという覚悟が込められている。聖歌には、食口たちが作詞した歌と、外部の歌だが、食口たちが好んで歌ってきたものがある。食口たちが作ったものとしては、「我は行く」、「苦難と生命」、「東の勇士」、「わが身の十字架」、「誓い」、「宴のとき」、「栄光の日」、「成和勇士の歌」、「我は供物」、「輝く御国」、「復帰の心情」、「成和青年歌」、「日曜学校こどもの歌」、「成し遂げよう」、「光は東より」、「すべて捧げて」、「一つに集え」、「われら統一勇士」、「新エデンの歌」、「主は来たる」「農園の歌」、「主はわがすべて」がある。そして、外部の人士たちが作った歌として聖歌に編入されたものは、「園の歌」、「召されし身」「わが仔羊」、「嘆きを吹きとばせ」、「主の道」、「捜し出された羊」、「心には願えど」、「園の春」がある。一九五六年十月四日、真のお父様と食口たちが作詞した曲を集め、『聖歌』の初版が発行された。
1 統一教会の聖歌の中で、「統一勇士の歌」の内容は、第一が心情です。一番は、「心情の因縁で世界は生き」で始まります。真理の因縁で世界が生きるのではありません。人が生きていくのは、生命の源泉である愛によってです。神様の愛によって、生きていくのです。真理は道しるべです。実体と関係を結ぶための橋と同じであり、心情を伝達するための中間形態です。「心情の因縁で世界は生き」というときの心情は、神様の心情です。
この心情は、神様が今に至るまで堕落したこの世界に対して抱いている、蕩減復帰すべき恨の心情ではなく、解怨しようとする心情です。神様の恨を解いてさしあげようとすれば、まず神様の恨とは何かを知らなければなりません。神様の恨は、御自身が真実に愛し得る個人を探し出せなかったことであり、家庭を探し出せなかったことであり、氏族、民族、国家、世界、天宙を探し出せなかったことです。
2 神様の第一の願いとは何でしょうか。神様が探し出そうとされた個体が恨の条件に引っ掛かっているので、「私によって生じたすべての恨の条件を、私が解きますので、受け取ってください」と言い得る個体としての解怨が成就されなければなりません。そうして、家庭か解怨成就され氏族、民族、国家、世界が解怨成就されることが、神様の願いです。
しかし、一つに結んでくださった神様の心情に通じなければ、絶対に一つになれません。人間の権力ではできません。神様の心情から見るとき、世界は一つです。「一つに結ばる本然の縁」が、本来の私たちの関係です。堕落したこの世界の関係は、私たちの関係ではありません。一つに結んでくださったこの心情が、本来の関係なのです。
その次に、「永遠に授受するわれらの故郷」です。本然の縁によって一つに結ばれることにより、永遠に与え合うようになります。本然の心情を中心として永遠に与え合う、そこにおいて初めて、私たちの本郷が広がるのです。その次に、初めて「幸福」という言葉が出てきます。
3 復帰の心情をもって進む民族は、韓民族です。全世界に光を照らしてあげるので、全世界がその光の中で兄弟になり、願われた善の父母に永遠に侍るのです。そうして、必ずや一つの世界を成し遂げるようになります。「統一勇士の歌」の一番は、心情です。心情の因縁によって、永遠に与え合う私たちの本郷は、すべての人間が暮らす所です。本郷が良いというのは、父母と家族がみないるからです。ここで重要なのは心情です。すべての幸福の道を築いておいた所が、私たちの本郷、幸福の基地です。
二番は、人格です。無限の(愛の)人格によって光を放つ人でなければならないのですが、堕落した人間は、これを失ってしまいました。人格によって光を放つのは、無限だというのです。無限の(愛の)人格によって光を放ち、造られた万物の栄光の灯台にならなければなりません。そうして、生命が湧き立つ本然の姿にならなければなりません。これが、人間の価値の主体になるのです。ですから、それ自体が永遠に、万世に希望の価値として花を咲かせるのです。永遠の万世に希望の価値をもった存在として、全宇宙に花を咲かせる人になるのです。
三番は、真理の世界です。「秩序の基に真実を立て」の「秩序」とは、真理の世界を意味します。真理による秩序の基の上に、「真実」を立てなければなりません。それは、人類が必要とする「真実」を立てるためです。「真実」とは、永遠を約束するものです。永遠を約束する不変の値値、高く立てられる真理の標柱です。このような標柱をもった人は、変わらない価値をもった人です。揚々たる善なる日を美しく飾るのです。永遠に伸びていく善なる一日一日を美しく飾るというのです。
四番は、「東方に明ける輝く文化、全ての民は同胞と、願いし善き父母永遠に侍り、誓いて成さん一つの世界」です。このように見るとき、心情によって人格をつくりあげるのですが、人格をつくりあげようとすれば真理がなければならないということです。その次に、一つの世界に栄光が臨むようになるのです。皆さんはそのような栄光を得るために、これから進まなければなりません。
4 「勝利者の新歌」は、私が作ったものです。この歌の四番に、「創りし主のみ旨」が出てきます。このみ旨を出発しながらつくった昔の歴史が、きょう、花を咲かせた現場、新しい天国の名前を代表する天一国の広場を前に、最初の年、最初の朝の集まりでこの歌詞を聞きながら、本当に感慨深かったのです。その夢は、偽物の夢ではなく(神様の夢であり)、神様の代わりに(私が)夢見たものだったので、間違いなく成し遂げられるというのです。
5 「栄光の賜物」というときは、栄光の言葉よりも、苦労した話が先に出てきます。苦労が、すべてのものを支える土台になっていることを知っているからです。地上世界と天上世界が一つになるようにしようとしたので、「迎えん」という言葉を繰り返しました。そのように生きた人は、涙なくして向き合うことができません。
監獄から出てきて作ったのです。東方に寂しく来て、西方に行けば、福が来ると思ったのですが、反対を受けました。願いに願ったあらゆることをすべてしてみました。すべて、徒労だというのです。私一人で行かなければなりません。アメリカと国連までも救う道を行かなければならないと思い、今、ここに入ってきて、忙しくそのことを清算するのです。
6 興南監獄から出てきて、平壌で食口たちを収拾するとき、私が精誠を尽くしながら作った歌が、「栄光の賜物」です。その歌を聞けば、その時の状況がどのようなもので、お父様の立場がどのようなものであるかが、よく描かれています。
そのような過程を経てみてこそ、その歌が自分の歌になるのです。そのように生きなければなりません。他人の歌ではありません。「私」の歌であると同時に、私の家庭の歌であり、私の家庭の歌以上に私の一族の歌であり、私の国の歌であり、私の世界の歌だというのです。
そのような過程を経てこそ、永遠のあの国(霊界)に行き、父母様に侍って一緒に喜び、幸福を享受できる解放された王子、王女になることができます。皆さんは、そのような過程を経なければなりません。
7 「園の歌」を歌いながら酔いしれ、涙を流し、「壁も私の友達だ」と言いながら暮らした頃が懐かしいときが多くあります。この「園の歌」とは、夫と妻の夫婦で暮らすその園、そのような環境のことです。そのように生きなければなりません。お互いが主になり、主の相対になって、すべてが喜び得る花が咲いたので、香りが漂わなければならず、蝶と蜂が和動しなければなりません。千種類のものが和合し、和動しなければならないというのです。町内に住みながら、関心を残せる夫婦になれなければ、その町内で負債を負うのです。
統一教会員は、「園の歌」の歌声が聞こえれば、いくら遠くにいても、みな喜びます。その歌声がする所に行ってみたくなるのです。そこに行って一緒に歌えば、良かったり悪かったりという喜怒哀楽が同伴するようになります。言葉というのは有り難いものであり、言葉の中でもさらに有り難いものが、歌です。

Monday Apr 10, 2023
真の父母経 第101話
Monday Apr 10, 2023
Monday Apr 10, 2023
第四節 『原理解説』と『原理講論』の発刊
『原理解説』と『原理講論』
『原理解説』の執筆作業は、『原理原本』を基礎として、劉孝元協会長により一九五五年五月から進められた。一九五七年に入ってから真のお父様の監修を受けた原稿が、毎月「成和」に掲載され、最終校正作業を経て、八月十五日、『原理解説』という名で発刊された。この日、真のお父様が直接署名された二百十二冊が、地方伝道地に発送された。一九六六年五月一日には、『原理解説』をより体系化し、講義しやすくした『原理講論』が発刊された。
1 解放後、七年目に私がすべき召命的責任を果たすため、教本、教材である『原理原本』を作りました。『原理解説』を発表したのが一九五七年であり、『原理講論』は一九六六年に出ました。一九五七年と一九六六年には九年の差がありますが、九年間に、お父様は原理のすべてを準備して進み出たのです。
2 『原理原本』を中心として『原理解説』を出版しました。何ももたずに教育することはできないので、本が必要だったのです。小学校さえ卒業すれば、誰でも本をもって教育できるので、伝道の一線に出ていきました。十五歳以前に伝道に出た人もいます。エバは十六歳の時に堕落しました。ですから、純真な心情が燃える時に伝道を始めたのです。そのような歴史は、統一教会しかありません。中学生の時から伝道に出たのです。
3 統一教会の責任者たちが伝道に出ていく時は、二人ずつ送り出しながら、旅費も持たせず、手ぶらで出発させたこともありました。そのまま行って、起草しておいた『原理原本』を中心として伝道をしたのです。その時は、『原理原本』を書き写しなさいと配ってあげたのですが、それを書き写した人たちがいます。
金元弼は、私の書いた『原理原本』を直接書き写して、自分で勉強し、「ああ、神様はこうだ」とおおよそ分かっていました。そのような立場で『原理解説』が出たので、本格的な教育を行いました。一週間あれば十分です。これは、読むことさえできれは教育できます。『原理解説』の骨子だけを選んで覚え、教育するのです。
4 お父様に会うこともなく、従った最初の人が劉孝元協会長でした。彼は『原理原本』を読んで、お父様に従っていこうと決心したのです。彼は手紙を書きました。劉協会長は、お父様よりも六歳年上でした。洗礼ヨハネはイエス様よりも六ヵ月年上でした。ですから、劉協会長は洗礼ヨハネの立場です。彼は、洗礼ヨハネの立場で原理を解説しなければなりませんでした。劉協会長が原理の本を書く時、彼に、「このように、またはあのように書きなさい」と指示したのです。
5 お父様は、釜山避難時代の一九五一年に、『原理原本』を書き始めました。詩のように書いたのです。それは、誰もが理解できるわけではありません。私が説明をしてあげて、初めて分かるようになっています。『原理原本』を誰にでも分かるように解説しておいたのが『原理解説』です。
6 『原理講論』を書くとき、すべて文章を鑑定し、間違っていれば直させました。ですから、『原理講論』は、お父様と霊的に連結されているのです。電球は、発電所と送電所、配電所を経た電気がソケットを通して連結されることによって、光を発するようになります。見境なく引っ張ってきても駄目です。
ですから、これから歴史が過ぎれば過ぎるほど、お父様のほかに、誰でも本が書けるというわけにはいかなくなるのです。私の語ったことが、いつでも問題になります。私がどのように語ったのかが問題になるのであって、他の人が語ったことは問題にならないというのです。他の人たちが語ったことは霊的に連結されません。
7 『原理解説』の次に出てきたのが『原理講論』です。『原理解説』を通して学んだ人が『原理講論』まで教えるので、その水準は大学以上です。国が歩み得るあらゆることが『原理講論』の中に入っています。『原理講論』に、政治問題、経済問題、社会問題、歴史問題に関する内容がすべて出てきます。『原理講論』に精通しさえすれば、世界のどんな国の大学教授にもなることができ、大学教授をも教育して余りある実力者になるというのです。
「統一原理」と『原理講論』
『原理講論』は、真の父母様が明らかにされた「統一原理」を体系化し、講義しやすいように整理したものであり、創造と堕落、復帰など、神様の摂理史全般を解き明かした根本真理を収めている。真の父母様は、一九六〇年代の初めから、変化、発展する時代相に合うよう、「統一原理」の叙述方法と内容の伝達において、より平易で論理化された体系が必要であることを感じ、劉孝元協会長に執筆を指示された。劉協会長は、「統一原理」を宣布された真のお父様の代筆使命者として、『原理講論』の原稿の一つの行、一つの単語の中に、真の父母様の心情と真理を、より完全に込めるため、徹頭徹尾、渾身の力を注いだ。
8 「統一原理」としてこれまで発表した内容の中で、新たに(検討を)試みるものが部分的にあります。しかし、最初から最後まで、啓示の基本的な内容は少しも変更されません。例えば、「創造原理」、「堕落論」、「メシヤの降臨とその再臨の目的」などで見られる中心思想は、決して変わらないでしょう。「統一原理」は、それに対して協議をして変えたり、人々が好まないからといって変わったりするものではありません。そのようなことは決してあり得ないというのです。
9 「統一原理」は、一つの哲学でもなく、学説でもなく、言葉それ自体のように「神様の原理」です。これは神様の不変の真理です。一度その真理が明らかになれば、その原理どおりに生きなければならず、その原理のもとで行動しなければなりません。少なくとも、その原理の成就のための基台が造成されなければならないというのです。そうすれば、サタンが侵犯できません。
ある一人の人が真理と完全に一体になったときには、サタンが彼を神様から引き離して連れていくことができません。例えば、神様とアダム、エバが真理を中心として完全に一つになっていたとすれば、サタンが侵犯する余地はなかったでしょう。
真理は実体化されなければなりません。真理は、生きている人間の中で存続し、完成されなければならないのです。そのようにならなければ、真理はサタンに奪われ、誤って利用され得るのです。ですから、私は、あらゆる条件が造成され、真理がある線まで実体的に具現される時までは、新しい真理を公表しません。
10 「統一原理」は、私の生涯の記録でもあります。それは、私自身の生活経験です。この「統一原理」は私の中にあり、私は「統一原理」の中にいます。多くの人々は、私がただ真理の発表者であり、その伝達者にすぎないと言いますが、私は真理のとおりに生きており、それを具現しました。
したがって、人々が私と私の行動を理解する唯一の方法は、「統一原理」に通じることのみです。「統一原理」を知って研究することによってのみ、私を理解することができます。原理を研究すればするほど、私をさらによく理解できるというのです。
11 お父様が発表すべきことは非常に多くありますが、もう少ししてから発表しようと思います。『原理講論』がすべてではありません。皆さんは、お父様がどこでどんなみ言を語ったかを、まず知って行動しなければならないのですが、そのようにできずにいます。『原理講論』には、お父様について明らかにされていません。『原理講論』にはイエス様までのことが入っています。イエス様を中心として語ったのです。それなのに、『原理講論』だけを重要視すれば十分であるかのように思っています。
お父様がどのようなみ言を語ったのか、心で従い、苦しみを共にして同調しながら、そして、その生活に感激し、あすの歴史創造の旗手として責任を果たせる統一教会の信徒たちにならなければなりません。このような心情が欠如すれば、発展しないのです。
12 お父様は、数多くの学者たちが研究したものをすべて否定するわけではありません。調べてみて、事実ではないことだけを否定するのです。霊界に入り、隅々まで探してみて、(「統一原理」が)事実だということが分かったので、悪口を言われながら、その内容をもって世界と向き合ってきました。
ですから、統一教会のみ言は、「そうだろう」ではなく、「そうだ」です。真理が、「そうだろう」という話がどこにあるでしょうか。物理や化学の公式では「そうだろう」という言葉はありませんが、真理も同じです。実証的で科学的、論理的な結果が出なければなりません。「統一原理」は、「そうだろう」ではなく、「そうだ」です。
私たちが語る心情というものも、漠然としたものではなく、具体的です。私たちが語る人格も、漠然としたものではなく、具体的な人格です。み言も、漠然としたみ言ではなく、具体的なみ言です。この具体的な心情と人格とみ言は、普遍的な妥当性をもってこの現実世界に符合し、この現実世界において永遠の位置を決定して、現実世界のすべてのものを統合し得る内容でなければなりません。

Sunday Apr 09, 2023
真の父母経 第100話
Sunday Apr 09, 2023
Sunday Apr 09, 2023
16 今後、大学原理研究会を核心的な活動体制にしようと思います。ですから、彼らの中で決意が徹底している人々を地域要員として配置し、活動させようと思うのです。このように活動を強化しておけば、これから短期間のうちに私たちの教会が発展し、原理研究会も大きく発展するだろうと思います。今後、そのような面で推し進めていこうと考えているので、皆さんは全般的な内容を知って、新しい分野で決意しなければなりません。
そして、原理研究会を世界的に組織し、国際大会をたくさん開催しなければなりません。韓国だけでなく、日本やアメリカなど、多くの国で開催しなければなりません。今後、原理研究会の重要なメンバーたちを各国の核心要員として活動させるために、超国家的な要員として養成しようと思います。
17 お父様に対して気に掛けつつ、今まで甲論乙駁しながらいろいろと批判していた人々が、「科学の統一に関する国際会議」に参加し、私たちのことを宣伝する状況にまでなりました。大学で理論的な人、哲学を研究するとか、宗教や思想を研究する人が何人かだけ私たちのことを宣伝するようになれば、自然科学や社会科学を研究する人々は、そのまま付いてくるようになります。
ですから、その教授たちが私たちの教会に対してある程度関心をもつようになれば、大学原理研究会の活動を何としてでも急進的に展開して、彼らをここに連結させることを考えています。原理研究会の機動隊をつくって出動(伝道)させたのも、彼らを連結させるためでした。
そのため、アメリカの各州の代表たちと各都市の責任者たちは、今まで「科学の統一に関する国際会議」を通して連結されているすべての教授たちを自分の祖父や父、叔父のように思い、積極的につき合いなさいというのです。そうして、その人々を中心として一般の学生たちを推薦してもらい、外的な原理研究会の形態をつくることもできるのです。
18 大学原理研究会の正会員は、大学に旋風を起こさなければなりません。勉強をすべき青春の男女たちのその元気旺盛な熱気をすべて発散させて、天理原則の価値ある愛の深い谷間を掘り下げていかなければなりません。そうして、世界に伸びていける道を築かなければならないのです。
天のみ意は、共産勢力と教会の没落、青少年の淪落を心配しています。淪落の道に陥る青年男女をつかみ、信仰が破綻していくキリスト教をつかまなければなりません。そして、キリスト教思想が壊れ崩れる、そこに乗じて入ってくる共産勢力の侵入を防がなければなりません。
19 大学において活動する大学原理研究会に対して、大きな期待をもっています。教会復興活動や勝共活動を、原理研究会に結びつけなければなりません。原理研究会が、超教派運動よりも、YMCAやYWCAのような団体とどのように連合し、大学で活動するかというのです。また、復興会活動を通して大学生たちが伝道されれば、私たちがその人々とどのように連帯関係を結ぶかという問題を中心として、原理研究会の活動に集中しようと思います。
今後、原理研究会の活動は、大学内の活動だけで終わってはいけません。大学生であれば、中学、高等学校を卒業したので、必ず母校があります。そして、現在自分が在籍している学校があります。学校には自分個人だけがいるのではなく、学校の同僚たちと友人がいて、自分の専攻学科を中心としては同期たちがいます。このような同窓や友人、同期たちと私的に接することができる活動体制を強化していかなければなりません。
20 大韓民国の政府当局が、私たちの活動に対して「勝共」という名称を認定したのは、ヤコブがヤボク川のほとりで天使と競って勝つことによって、イスラエルという名前を得たのと似たような事例です。このような点から見て、み旨を成就できる勝利の立て札は、既に立てられたと考えます。今や縦的な勝利の基準はできたので、これを基盤として横的にも勝利すべき組織が必要です。キリスト教だけではできません。世界を統一の理念で復帰しなければならないのです。このためには、学問的で思想的な土台を中心に行わなければなりません。このような一連の活動を具体的に調べてみれば、思想を中心に学界と関連づけて展開しているのが勝共運動であり、教会を中心に展開しているのが対外伝道活動であり、学生を中心に展開しているのが大学原理研究会の運動です。
21 大学内で、共産思想をもった赤色分子たちが浸透する路線を、勝共活動をして事前に封鎖しようというのです。このような点で、大学原理研究会のすべき仕事が、どれほど重要なことかを知らなければなりません。
「統一原理」の最後の勝敗は、世界的な学界によって決定されます。それゆえ、「統一原理」を世界に提示するためには、まず国内の各大学の宗教学科や哲学科の権威ある教授たちに「統一原理」を紹介しなければなりません。そうして、この教授たちが「統一原理」を世界の学界に提示し、世界化できるようにしなければなりません。
そのようになる前に、私たちは、対内的、対外的に基盤を築いておこうというのです。
22 共産党は、労働者と農民、あるいは労働組合を中心として活動しています。また、大学を中心として、教授と学生たちを操っています。これが今まで、共産党が世界を侵食してきた一つの方便です。
大学で教授と学生を団結させて、労働者と農民を扇動し、大衆デモを中心として混乱を起こしてくるのですが、それを防ぐために、大学原理研究会は必ず教授たちを収拾しなければなりません。そのような意味で、随分前から「世界平和教授アカデミー」を立てて活動してきたのです。この「世界平和教授アカデミー」と原理研究会が一つになって進まなければなりません。
23 日本とアメリカの大学原理研究会は、共産勢力と第一線で闘っています。韓国では、地下活動をする共産主義者たちと闘うことはできますが、彼らが誰か分かりません。文書を通して活動できる環境条件だけそろっているのであって、直接、白昼に生死を懸けた対決をする立場には出ていくことができていないというのです。しかし、日本では白昼に出ていって、生死を懸けて対決する闘いにおいて、私たちが勝利の立て札を立てました。
そして、アメリカでは、一九七九年から原理研究会がこのことを展開し、一九八〇年の末には、既にアメリカ全域で大学を席巻していた共産主義一色のすべての風潮を食い止めました。日本で勝利したのと同じ結果をもたらしたというのです。数百人の共産党系列の学生たちがデモを行う所に、原理研究会の会員五人が行って収拾した事例もあります。ですから、アメリカの大学の共産勢力は、「原理研究会の学生たちに会ってはいけない」と言っているのです。日本で行ったのと同じ結果が、アメリカの原理研究会でも起きているというのです。
24 日本では、YMCAやYWCAのようなキリスト教団体の活動は微弱です。私たちがそれに代わる組織をつくり、教育していきながら活動をしようとしたので、時間がかかりました。学校の当局も反対し、教師たちも反対する中でこのことをしているというのは、どれほど胸の詰まることかというのです。共産党の言葉にすべて乗せられたのです。それがどれほど悲惨だったかを、私の目で見て、報道でも見ました。皆さんはそのようなあきれ返る事情が多かったことを知らないでしょう。
お父様は日本のために闘いました。日本の中心大学から闘っていったのです。政治的な面で影響圏をつくり、社会分野で共産党の基地を討伐しなければなりません。ですから、日本共産党がお父様をどれほど恐れているか分かりません。「統一教会が存在せず、原理研究会さえ存在しなければ、日本は間違いなく共産化され、赤化されるはずなのに、統一教会のせいで大変なことになった」と言っています。そのような準備をしてきました。
25 アメリカの若者たちの心に火をつけなければなりません。大学原理研究会の活動を中心として大学を正常化させ、家庭を訪ねていって、家庭教会を中心として伝道しなさいと命令したのです。アメリカの家庭の若者も、私たちのような若者にしなければならず、大学では私たちの青年のような青年にしなければなりません。そうして、アメリカが反対せず、お父様を支持する環境になっていけば、その次は共産勢力をつかむのです。
お父様が今まで韓国で勝共活動をしたその伝統を日本に伝授し、アメリカに伝授し、ソ連にまで伝授しなければなりません。大学では原理研究会がどんな活動をしなければならず、現在の家庭教会活動はアメリカでどんな伝統を残さなければならないかを知らなければなりません。そうして、私たちは、共産主義の問題と青少年の淪落問題を解決しなければなりません。皆さんが原理と徹底した家庭的基盤を中心として、彼らを教育しなければならないのです。
26 皆さんは、天意に従う若者たちにならなければなりません。そこには異議がありません。お父様が歩んだのと同じように、黙って自分の行くべき道を決意しながら、進まなければなりません。皆さんを通してそのような雰囲気が大学に拡大し、一つの風潮になるとすれば、大韓民国の大学において新しい希望の灯台となるでしょう。
日本の大学原理研究会は、韓国の大学原理研究会よりも先を行っています。今や、アメリカの大学原理研究会が動いています。ドイツのベルリンに原理研究会の若い青年たちを集め、ベルリンの壁の問題を提起させるでしょう。数多くの若者たちを集めて、ベルリンの壁を私の手で崩そうというのです。皆さんにそのようにする勇気がないとすれば、大韓民国を守護する若者にもなれず、世界を守護する統一家の原理研究会会員にもなることはできません。私たちは、その目標に向かって、強く雄々しく前進しなければなりません。
27 私たちが大学の学生たちと教授たちを動かせなくなれば大韓民国は生きる道がありません。西ヨーロッパの国々もすべてそのようになっています。
ベルリンで共産勢力が反対し、市民たちが反対する中、大学原理研究会の世界大会を行うのです。第一次、第二次、第三次の大会を終わらせ、今回、ベルリンの壁を撃破するでしょう。大学生を中心に問題を起こし、共産勢力を追い出す運動をするのです。それは、ただ座っていてできることではありません。それは考えられません。誰かが血と汗を流さなければならないのです。銃弾を浴び、血を流しながらも、しなければならないのです。そのようにしなければ、南北を統一することはできません。
28 大学で左翼系列の人々を連れてきて、教育しなければなりません。現在、世界的に見れば、共産主義体制はなくなりましたが、民主主義体制も瓦解状態に入ってきています。かえって、共産主義という反対勢力がここに反作用を起こし得る動機となり、自体内において自覚をもたせる活性剤の役割を果たしました。共産主義が崩れることによって、民主世界が思いどおりにできるという考えは、誤った考えです。かえって、共産主義がなくなったあとに、民主世界の崩壊状態はより一層進むでしょう。
左翼系列も混乱状態に入っており、民主世界も混乱状態に入っているので、それこそ、両面の教育をすべき時が来ます。
それでは、教授たちにそのようなことを教育するだけの実力があるかといえば、そうではありません。学校でも、それに対する対策を立てて防げる内容がないというのです。そのような防御的な教育を私たちが提案しなければなりません。ですから、大学原理研究会を中心とした大学活動を衰退させてはいけない時だと見るのです。

Friday Apr 07, 2023
真の父母経 第105話
Friday Apr 07, 2023
Friday Apr 07, 2023
11 清平修練所の前にある湖を「天心湖(チョンシムホ)」と名づけました。そして、前の山は「仙人峰(ソニンボン)」と名づけ、それから「天成山」の右にある山を「天善山」と名づけました。修練所のすぐ前にある山の名前を、お父様が頂上に登っていって「仙人峰」と命名したのです。
そして、ここの修練所の右に、「天聖山」に向かってずっと伸びて上がっている所を「天引台(チョニンデ)」と名づけました。今後、私たちの修練所の本館を造る場所です。そこは精誠の度数が満ちていて、外国から訪ねてくる特別な人々以外は絶対に入れません。聖域地帯をつくって王宮のようにするのです。あの山の下には、一万五千坪ほどの平地を造れる所があります。そこから道を造ろうとしているので、神様が導かれるという意味で、「天引台」と名づけたのです。このように、すべてその名前を解き明かせば、理想の園が現れるようになっています。
12 世界の人々のために尽くすことができる場所がなければなりません。そこが清平です。この清平の地に国際修練場を造るのです。今後、そこには何を造るのでしょうか。私たちの宣教部がある各国のブロック、つまり日本であれば日本ブロック、アメリカであればアメリカブロックを造ります。膨大な地域を買い、アメリカブロックであればアメリカ人たちに任せるのです。アメリカ人たちが来て修練を受けられるように、アメリカ人たちの趣向に合う村を造ります。各国の文化を総合できる環境都市、総合村落を造るのです。
そして、その中央に私たちの修練所を造るというのです。そうして、外国で苦労した人々は、必ずこの本部に来て修練を受けさせ、本部に来て修練を受けて帰ることを光栄だと思えるようにしようというのです。そのようにするためには、景色が良くなければなりません。そして、外国の人々が韓国に来て巡回するとき、印象に残る所にしなければなりません。
清平修練所の建設
真の父母様は、一九七一年七月十二日、ソウルの青坡洞と京畿道九里市の水澤洞に続く、摂理史の完成的聖地として、京畿道加平郡雪岳面松山里山七五の一番地に、清平修練所を建てられた。この修練所は、建坪九十三坪、講堂七十坪で、二百人以上が寝泊まりできる木造スレートぶきの建物だった。真の父母様は、梅雨期の悪天候の中でも毎日現場を訪れ、一つ一つ監督された。修練所の最初の集会は、十二日から五日間、二十八人のキリスト教牧師が参加する中で開かれた全国牧師夏季修養会だった。
13 清平に修練所を造るとき、二ヵ月ほどかかるところを、八日で完成させました。七月一日に「土台を築きなさい」と言って、二日から建築を始めました。ですから、一週間ですべて造ったのです。清平に造った修練所は九十三坪です。修練所の講堂だけでいえば約七十坪になるので、二百人以上は寝ることができます。
そのような建物の建築を、一週間でやり遂げたのです。きょうまで入れれば、満十日になります。きょうは一九七一年七月十一日ですが、本来はきのうまでに終えようとしました。ですから、きょうを越えてはいけないというのです。このように、八日間ですべて終わらせ、その次には色を塗るのです。ペンキを塗って、約三、四日間で飾り付けをします。しかし、その飾り付けは、大げさにするようにはなっていません。なぜなら、今は避難する最中にお嫁に行くのと同じだからです。美しく装うことなくお嫁に行っても、新郎に会って幸せに暮らせばよいのです。
14 清平で修練所を造るのに、天気さえ悪くなければ計画どおりに進行したでしょう。ところが、梅雨になったので問題です。きょうか、あすくらいに作業が終わると思っているのですが、終わらなくても、あすはキリスト教の牧師たちが集結することになっています。きのうは、雨が激しく降り注いでいるのに、材料を購入してきて仕事をしなければなりませんでした。
そうかといって、電話があるわけでもないので、直接出掛けて材料を購入しなければなりませんでした。仕方なく、お父様が土砂降りの雨を浴びながら船に乗って出てきました。雨がどれほど激しく降っているのか、船に乗って出てくる姿が、あたかも逃げ出す人のようでした。後ろから機関銃で撃ってくるので、それを避けるために逃げ出してくる、そのような立場と同じでした。そのようなことが、本当にたくさんあったのです。
15 天幕を張っておき、キリスト教の牧師たちを迎えて修練をするのは、私たちの教会で初めてのことです。天気は雨が降ってじめじめしているのに、テントから出たり入ったりしなければならないので、本当に悲惨だというのです。このような立場で全般的な計画を立て、「一九七一年七月八日までに修練所を建てなさい」と言ったのです。
このような状況で、働く人々を何としてでも集めなければなりませんでした。ですから、今回、約三十人を地方に人事異動するとともに、地区長のもとにあった部長クラスのポストがなくなったので、その人々に対して、すぐに上がってきなさいと伝えました。清平で特別修練会をしながら、彼らに地面を掘るように言ったのです。
16 清平で働く人々は、今まで数十日間、地面を掘りました。そのようにしながらも、普通四時間から五時間しか眠ることができません。ですから、死にそうだというのです。きのうは、私が「負傷者は立ちなさい」と言うと、二十六人中、八人が立ちました。三分の一が負傷者でした。それで状態を見たのですが、ひどい負傷ではありませんでした。その場は、蕩減する場です。私は今回、地区を新しい編制に改編しましたが、地区で実務の責任をもっていた人々を計画的に呼んできたのです。
17 私は大工ではありませんが、何十年と家を造ってきた人がする仕事も、私がコーチをしてこそ、きちんと仕上がるのです。そのようなことを見れば、専門家というのがほかにいるのではありません。深刻な立場でその標準の価値を中心として観察するようになれば、それが合うのか合わないのかすぐに分かるのです。オンドルを敷くのも、お父様が「オンドルはこのように敷かなければならない」とコーチするのです。
ある時は、井戸を掘る人々が来て、井戸をどこに掘るベきかと尋ねたのです。大工たちが仕事を誤って私に厳しく言われ、再び取り外して作業をするのを見て、自分たちも間違ったら(厳しく)言われそうなので、私の所にやって来て尋ねるのです。ですから、「井戸は、固い土地と柔らかい土地の境目があれば、その境目が直線に伸びて折れる所を掘れば、水が出てくる」と答えると、「いつ井戸を掘る方法をみな学んだのですか」と言うのです。私が何を学んだというのでしょうか。道理がそのようになっているというのです。
今まで統一教会を指導する責任者として、すべての問題を解決してきたことが、今やすべて公式化されています。さっと見て、このようにしなければならない、ということがすぐに分かるのです。今はこうだが、結果はこのようになるだろう、ということが分かるのです。見るときは、一ヵ所だけを見るのではなく、全体を見ます。家の敷地をならすときも全体を見てならすのです。すべてがそうです。
18 清平修練所の屋根にスレートを載せるのですが、スレートを持ってくるように三日前から契約していました。ところが、その時、連絡を取る人がどこかに行ったので、工事の最終日にもスレートが到着しませんでした。大変なことになったというのです。全国牧師夏季修養会に参加するためにキリスト教の牧師たちが来るのに、その日に終わっていなければ、あらゆるものがすべて崩れるのです。
ですから、お父様が追い回しながら、「お金を出さなければスレートを渡すことはできない」と言うところを頼み込み、さらに小型の発動機船を借りて夜十一時半にようやく修練所に積んできました。それをすべて降ろすと、午前二時半頃になりました。ですから、発動機船は帰らなければならないのですが、既に夜が更け、通行禁止の時間になっていたので、その主人がここで一晩泊まることになったのです。
ところが、その人が寝て朝起きてみると、夜の間にスレートはもちろん、屋根の棟まで載っていたのです。その人は、その時、雨が降っていたので、「臨時であのように載せておいたのだろう」と考えたのですが、どうしたことか、載せられたスレートの上には、働いている人が一人も見えないのです。夜中の数時間の間に、完全にスレートを載せて屋根を覆ったのです。ですから、この家には、「お化け屋敷」という別名が付きました。
これをよく見てみれば、色を塗っておいたのでよく似合います。また、立って眺めてみると、平たいものがひれ伏して修行する形になっています。ですから、お父様は今後、この地域が世界的に有名になると考えるのです。