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Saturday Mar 25, 2023
真の父母経 第95話
Saturday Mar 25, 2023
Saturday Mar 25, 2023
第五篇 摂理基盤の拡大と年頭標語
一九六〇年四月十一日(陰暦三月十六日)の真の父母様の聖婚式は、新しい摂理歴史が出発する基点である。この日から、第一次七年路程が始まり、対外基盤拡大のための多様な活動が本格的に展開された。そして、全国に教会が建ち、食口が増加して地方組織も強化された。毎年、冬・夏季啓蒙伝道活動が展開され、大学原理運動、超教派運動、勝共運動などを通し、宗教界と社会に対して活動を展開していった。
真の父母様は、「啓蒙運動を始め、行く道を知らずに苦しむ韓民族の前に、生命の鉄の杖を持って進み出て叫びなさい」と食口たちを督励された。食口たちの血と涙の努力により、国民は統一教会を改めて認識するようになり、協会が政府に登録され、安定した活動基盤が整った。
一九六三年、協会は創立十年目にして、摂理史的に第三イスラエルとして祝福を受け、社会団体として政府に正式登録された。ユダヤ教の立場を復帰する土台を整え、ローマ帝国に相当するアメリカでの登録に続き、韓国でも登録を行うことにより、神様の摂理が一段階、前進する契機となったのである。
真の父母様は、一九五七年に『原理解説』を出版されていたのに続き、一九六六年、『原理講論』を発刊された。『原理講論』が出版されることにより、社会に向けた原理の伝達に、より拍車を掛けることができるようになり、原理公聴会、原理大講演会、特別復興会などを通して、「統一原理」でなければ、この国と、この民族の行く道はないことを示したのである。そして、大学では、「全国大学原理研究会」の活動を展開して、共産主義思想の浸透を防ぎ、教授と学生にこの国とこの民族のために行くべき道を提示した。
真の父母様は、一九六〇年から三次の七年路程を設定され、内外の基盤の拡大に拍車を掛けられた。特に、第一次七年路程は、真の父母様が韓国の解放直後、復帰できなかった個人、家庭、氏族の復帰を通して統一氏族を編成し、民族復帰の基盤を造成することに力を注いだ期間であった。この期間に、真の父母様は、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を制定、宣布されたのち、「神の日」を探して立てられた。また、毎年初めに年頭標語を発表され、その年の摂理的目標を定めて、新たな年を出発された。
そして、真の父母様は、「第一次七年路程と第二次七年路程の勝利基盤の上に、世界舞台に進み出ることができるようになった」と語られた。

Thursday Mar 23, 2023
真の父母経 第93話
Thursday Mar 23, 2023
Thursday Mar 23, 2023
第三節 祝福家庭の共同体生活
三位基台を立てることになった
真のお父様は、祝福家庭に対して三位基台を編成してくださり、三位基台を兄弟以上に愛することを願われた。「共同体生活も、この三位基台を基盤にして始まる」と語られた。三位基台は、エデンの園におけるアダム家庭のカインとアベル、セツの夫婦が復帰された家庭をつくり、神様の創造理想を実現するモデル的基台を意味する。
1 私たちの教会では、男性三人、女性三人、このように三位基台をつくりました。なぜこのようにしたのかというと、主に侍るべき私たちは、アダム家庭のアダム夫婦とその三人の息子と三人の嫁の型に代わり得る、モデルを備えなければならないからです。ですから、この三人が一つにならなければ、また破壊される恐れがあるのです。
特に三人の男性が一つにならなければなりません。死のうと生きようと、霊的に一つになり、一つの体のようにならなければなりません。ですから、ある時間的な限界圏内の基台ではなく、時間性を超越した主体的な一つの型を備えなければなりません。そのようにしなければ、再び来られる主のみ前に立つ面目がないのです。
もし三位基台の三人が一つになって、み旨に代わり得る原則的な足場をつくるとすれば、言い換えれば、何が起こっても私たちは変わらないという覚悟をもった三位基台になっているとすれば、天はこのような基台の上でみ旨を成し遂げられるでしょう。このような内容を備えるために、皆さんを中心として三位基台を編成しました。
アダム家庭の三数を復帰する路程が、今日、私たちの教会の三位基台編成です。したがって、三位基台を中心として互いに一つになれなければ、天のみ前に立つことはできません。三位基台が一つになることによって、アダムの家庭で失ったものを復帰しようとされる神様の摂理を、成し遂げることができるのです。
ですから、二千年が過ぎたヤコブの時になって、十二人兄弟を探して立て、摂理されるのです。これと同様に、三数を基本として十二弟子を探し出して一つになったあとで、初めて皆さんは父母を迎えられるようになり、さらには一つの支派に代わり得る氏族圏内に入ることができます。これが、アダム家庭の時からヤコブ家庭の時まで、二千年の歴史を蕩減するための絶対的基準でした。ですから、モーセもこの道を通らなければならず、イエス様もこの道を通らなければならなかったのです。
3 真の父母を迎えるためには、真の夫婦になって、真の家庭をつくらなければなりません。そうしてこそ、その上に真の父母を迎えることができるのです。皆さんは、父母様を信じて従いますが、その気持ちと同じくらい、他の人が皆さんを信じて従う存在にならなければなりません。そのようにして、イエス様が探し求めた家庭の型を備えなければなりません。そのような時に、万民は兄弟になります。このようにするために三位基台を編成しました。
ですから、皆さんはこれから、何かをする時は一人でしてはいけません。伝道をするとしても、一人でしてはいけないのです。このような三位基台を造成し、自分たちが父母の立場に立った時でも、兄弟同士でさせてはならず、彼らと一つになってしなければなりません。父母と兄弟が一つになってこそ家庭が成立するのです。そして、これが一つの民族型を備えようとすれば、このような家庭が十二家庭いなければなりません。十数以上になってこそ、民族的な条件を代わりに引き受けることができるのです。
4 信仰の道は一人では行けません。信仰の同志が必要です。三人以上が一つにならなければなりません。ですから、三位基台が必要なのです。人間の性稟の主体であられる神様も、三つの基準を望んでいらっしゃいます。神様は、人間が過ちを犯したとしても、直接教えることはできません。縦的には教えることはできませんが、三人が一つになっていれば、一人が誤ったとしても、二人が誤らなければ、その人の過ちを教えてあげられるのです。
山での祈りも、三人以上が共にしてこそ恩恵が早く降りてきます。祈ったあとには、自分たち同士で互いに話し合わなければなりません。他の人と話し合えばサタンが侵犯します。三人が心から信頼し合える美しい姿を備えるようになれば、それを見て、周囲の人々が羨ましく思うようになり、そのようになれば、神様のみ旨は自然と繁殖するのです。神様が助けてあげなくても、三人が一つになれば、そこから新芽が生えるようになるのです。食口と接するときはその人を傷つけないように注意し、信仰生活の助けにならない話をしてはいけません。
5 皆さんは、現在置かれている立場において、怨讐を選別しなければならず、それから、自分の置かれている立場が昼なのか夜なのかを知らなければなりません。言い換えると、恩賜が共にある立場なのか、恩賜が離れた立場なのかを知らなければならないということです。
前進するにしても、神様が協助する舞台を備えて前進しなければなりません。一人で前進せずに、同志と共に前進しなさいというのです。そのためには、自分の環境が昼なのか夜なのかを知らなければなりません。そのようにしなければ、自らの能力では持ちこたえることができません。同志が必要です。ですから、み言に三位基台の法度が出てくるのです。
したがって、三位基台を備えて合同で前進しなければなりません。神様は、一人で前進することを好みません。一人で前進すると、失敗する可能性が高いからです。合同作戦を行いながら前進しなさいというのです。
6 将来の理想世界は、家庭の三位基台を中心として成立しなければなりません。創造目的とは、四位基台を完成することです。人間が先に四位基台を完成しなければならないので、すべて家庭を形成するのです。人間は神様に似るのであり、人間を中心とした社会は、神様を中心とした人間に似るのです。
今に至るまでお父様は、世界各国に統一教会を立てて、そのようにしようとしています。世界がすべて、そのようにならなければならないことを知っていますが、それを公にできずにいます。しかし、このような原則を通して、世界がそのようになるというのです。理想世界は、全世界が一人の人間の姿を形成する世界です。そこでは、国家と民族を超越するのです。
7 神様が結んでくれた三位基台、この三位基台の価値を感じられてこそ、神様の理念を感じることができます。三位基台の価値を感じられてこそ、神様の生活を代わりに地上ですることができるのです。
三位基台を編成する目的は、行動統一と生活統一、その次に理念統一をするためです。そのために、私たちは三位基台の組織をつくるのです。生活統一と行動統一と理念統一です。理念のある行動は、組織的で原理原則的なのです。
祝福家庭の三位基台と氏族復帰
祝福家庭は、三位基台が一つの家で一緒に暮らしながら、兄弟の愛を体験しなければならない。そして、堕落していないアダム家庭の三人の息子によってつくられるはずだった三位基台をモデルとして、各氏族を復帰できる基台を立て、氏族メシヤの道を行かなければならない。真の父母様は、「祝福家庭は、家庭的三位基台を完成したのち、真の父母様の家庭を中心に四位基台を成し遂げるようになるとき、天国に入るようになる」と語られた。
8 祝福家庭は、三位基台を編成して暮らさなければなりません。その家庭に子女が生まれれば、四位基台が成立します。三位基台の家庭の中で、子女のいない家庭があれば、その家庭に自分の子女を養子として送ることができなければなりません。しかし、その家庭で子女が生まれるようになれば、自分の子女を返してもらうこともできるのです。
9 家庭は、全体に代わる最小単位です。家庭の過ちが全体の過ちにつながるので、個人の過ちは赦されても、家庭の過ちは赦されません。個体の喜びを全体の喜びにしようとする心情にあふれていなければなりません。個人的な事情と主観と希望を捨てて、全体の事情と主観と希望を立ててこそ、より大きなものに融合できるのです。
家庭は全体を生かすためのものです。ですから、家庭は送電所のようなものです。家庭を通じて全体と和合していけるようにしなければなりません。それゆえ、三位基台は一つの家で暮らさなければなりません。今は、家庭を再整備すべき時です。
10 統一教会は、「食口」という言葉を使います。三位基台を中心として見れば、すべて兄弟です。お父様は、この責任を担って今まで歩んできながら、僕の立場にいる人を深く愛し、兄弟を深く愛し、子女を深く愛しました。そのようにしながら、僕の時代を通過し、兄弟の時代を通過し、子女の時代へと上がってきたのです。皆さんは、父母に侍って生きることができなければなりません。
それでは、父母に侍って、どのように生きるのでしょうか。高潔に美しく生きなければなりません。これが今、お父様が心配していることです。これから皆さんの生活が変わらなければなりません。創造目的は、真の父母に侍り、孝の法度を天宙に立てて進んでいくことです。これが、天地創造の原則でした。
11 祝福家庭の三位基台は、完全に一つにならなければなりません。三位基台が経済問題で互いに助け合わなければならないのです。自分個人や自分の家庭の問題ばかりを心配するのではなく、三位基台の家庭が互いに同じ立場で助け合い、慰労しながら一つになって進みなさいというのです。そうして、三位基台の家庭が経済問題を超越して精神的に一つに結合し、一緒に食べて暮らせる基準ができたならば、そこから新しい歴史が始まります。怨讐が彼らに侵犯しようとしても、三位基台の三家庭が完全に一つに団結して歩んでいけば、退けることができるのです。したがって、三位基台を中心とした体制を強化しなければなりません。これが、家庭としての基準を立て、この時代の新しい起源を備えるところで重要な条件になります。
三位基台の家庭は、十二家庭のために生きなければなりません。十二家庭が神様のみ前に公的な立場に立ち、功を立てるために生きなければならないのです。そうして、三位基台の家庭が中心となって、東の方なら東の方、西の方なら西の方、南の方なら南の方、北の方なら北の方、そして、一年の四季と十二ヵ月を代表した絶対的で公式的な形態を備えなければなりません。「私」の家庭が動機となって、どのようにその基準にまで引き上げるのかが問題です。そうして、三家庭が互いに動機となって引き上げるようになれば、この三家庭を中心として三十六家庭まで広げていくことができます。これが統一教会の発展原理です。私たちは、家庭を中心としてこのような体制をつくらなければなりません。
12 三位基台を中心として団体活動をするには、皆さんは主体と対象の観念が透徹していなければなりません。言い換えれば、神様のみ前において、いつも主体と対象の関係を考えなければならないということです。自分が対象の立場なのか主体の立場なのかを、いつも考えなければなりません。そうして、対象は対象として絶対的な対象になり、主体は主体として絶対的な主体になりなさいというのです。もし、これが成立しなければ、団体運動はうまくいきません。
三つの家庭が三位基台になったのであれば、そこにおいて一つの家庭は必ず主体の立場に立ち、他の二つの家庭は対象の立場に立って、主体の立場に立つ家庭を中心として一体になり、天の家庭を糾合しなければなりません。主体と対象の関係が結ばれたなら、授受作用が成されなければなりません。授受作用が一〇〇パーセント成されてこそ、神様が臨在されるのです。そうでなければ、神様は臨在されません。
13 私たち自体内において、主体と対象の観念をもつことが重要です。主体と対象の関係は縦的な関係です。そして、公私の関係は横的な関係です。主体と対象の関係は、言い換えればカインとアベルの問題になります。それでは、どのような人が主体になるのでしょうか。心情的に熱い人が主体になるのです。三位基台の三人の中で、一人が死の境地に直面したり、一番困難であったりしたとき、その人に対して心情的に温かく接してあげる人が主体性をもつのです。理知的な人よりも情的な人、理論的な人よりも神霊的な人が主体になるのです。
ですから、これから皆さんが主体を決める時、三位基台の中で、み旨のためにより公的な基準を中心として多くの努力をし、多くの涙を流し、多くの血の汗を流した人を主体に選ばなければなりません。世の中では、賢く、たくさんの知識をもっていて、手際の良い人を投票で選びますが、天の法はそうではありません。情緒的な面で心情的にその幅が広く、度量が大きく、熱い人が主体になるのです。
すべての問題がここに帰結します。主体と対象の関係、公私の関係において、神様を介入させるのかサタンを介入させるのか、ということが問題です。
14 皆さんは、いまだに家庭的な真の父母の位置に入れない立場に置かれています。ですから、家庭的な真の父母の位置を探し求めていかなければならないのですが、その父母をそのまま探し出すことはできません。落ちて下がっていったので再び探し求めて上がっていくためには、兄弟の橋を架けなければなりません。すべてを犠牲にしたとしても、真の父母を探し求め、自分自身が真の父母になるためには、歴史的な解怨の条件をもって蕩減したという基準を立てなければなりません。そうでなければ、天は皆さんを受け入れることができないのです。
皆さんは父母に侍るべき立場にいるので、父母に侍る兄弟の基盤を築かなければなりません。これが三位基台の意義です。三位基台の兄弟たちが、天の父母に侍る中心を備えて、三兄弟が一つになり、十二兄弟が一つになる時、初めて天の国の家庭として資格が与えられるのです。その家庭は、教団なら教団、民族なら民族、国家なら国家を代表する形態を備え、その上に父母を迎える基準を準備しなければなりません。そうしたのちに教団的な形態を備え、世界的な父母を迎える準備をしていかなければならないのです。
15 祝福家庭は、父母様の家庭を中心として四位基台を造成しなければなりません。このようにして形成された家庭が、本来アダムが形成すべきだった家庭の型です。これができなければ、氏族メシヤとして、イエス様のみ旨をもって出発することができません。神様を中心として四位基台を造成した家庭が四方性を備えると、十二家庭が形成されます。イエス様を中心として、三弟子が祝福を受けて四位基台を造成しなければなりません。そのようになれば八人家族になるのですが、これはアダム、またはノアの八人家族を身代わりするようになります。しかし、イエス様はこのみ旨を成し遂げることができませんでした。祝福を受けなければ、天の子女にはなれません。
父母様の家庭と皆さんの三位基台の家庭が、神様を中心として一つになれば、サタンのすべての讒訴条件を断ち切って、氏族メシヤの立場で世界に向かって進んでいくことができます。そのように四位基台を造成して、八人家族が一つにならなければなりません。

Thursday Mar 23, 2023
真の父母経 第94話
Thursday Mar 23, 2023
Thursday Mar 23, 2023
16 肉的世界はサタンの活動舞台、霊的世界は神様の活動舞台になって、常に行き違ってきました。これが復帰摂理時代に恨の要件として残っていることは間違いない事実ですが、これを行き違うようにさせてはいけません。神様を中心とした心情圏と、神様を中心として統制を受ける身体圏をつくらなければなりません。生活圏内でこれを発展させることによって、統一基盤が確立されるのです。
これが一致した男性と女性が一つになれば、一つの家庭的一致点になります。そして、その家庭的一致点をもつ家庭が三位基台を中心として、十二数なら十二数が一つにならなければなりません。そのようになることによって、氏族的な境地を越えて民族的な境地の立場になるとともに、一つの伝統的起源、統一的起源を形成するに当たって、新しい伝統がつくられるのです。
17 父母様を中心として三十六家庭が存在するように、金氏なら金氏の家門で、先に祝福を受けた家庭を中心として、金氏家門の三十六家庭型がなければなりません。三十六家庭を満たせなければ、十二家庭型の先祖にでもならなければならないのです。
それは、皆さんが、皆さんの息子、娘を中心として三位基台を造成してつくっていかなければなりません。そうして、皆さんが、皆さんの氏族の先祖になり、皆さんの家庭を中心とした新しい支派編成をしなければなりません。それが十二支派型です。十二支派の形態と同じように十二弟子がいなければならず、十二弟子が中心となって七十人門徒がいなければならず、さらに百二十人門徒のような形態を備えていかなければなりません。これが直系の氏族です。
18 皆さんを祝福するのは、父母様の特権です。父母様の特権を通じて祝福を受けるのです。この祝福は、予約的な祝福です。これを実現するためには、内的基準をきちんと仕上げなければなりません。それで、内外の家庭でその立場を代わりにするのです。すなわち、アベル家庭である父母様の家庭の前に、皆さんの家庭がカイン家庭の立場で立つ道しかありません。そうなれば、皆さんの家庭はその基準に達していませんが、父母様の家庭を中心としては、そのようになることができるのです。
そのためには、皆さんの家庭を中心として、父母様の家庭の代わりに息子の家庭の立場で、カインの家庭を探して立てなければなりません。
その家庭を立てるために、皆さんが氏族復帰をしなければならないのです。それで「氏族メシヤになりなさい」と言うのです。皆さんが氏族を復帰することによって、皆さんの家庭はカイン的家庭の先祖になり、さらに長孫(韓国では、長男の長子を指し、祭祀をつかさどる人を意味する)的な家庭になって、父母様の家庭はアベル家庭になるのです。家庭的三位基台を復帰して、父母様の家庭を中心に四位基台を造成しなければなりません。これは公式です。天国は、信仰の三子女を立て、自分の家庭と完全に一つにし、父母様の家庭に侍って行かなければなりません。それが天国に入る方法です。
19 統一教会で祝福を受けようとする未婚の男女たちは、誰彼を問わず、信仰の三子女を復帰して、家庭を築かなければなりません。家庭を復帰してからは何をするのでしょうか。家庭だけでは世界復帰はできません。ですから、支派を編成しなければなりません。氏族を復帰しようとすれば、皆さんが祝福を受けることによって、三人の息子が家庭を身代わりするのと同様の立場に立たなければなりません。ですから、皆さんが祝福を受けたあとに、家庭的な三位基台がつくられるのです。
父母様に関して言えば、皆さんが家庭を中心として父母様と四位基台を連結しなければなりません。皆さんの家庭の三位基台が一つになって、父母様の家庭と完全に一つにならなければなりません。そうでなければ、天国に入れないのです。これが成し遂げられることによって、個人の四位基台よりも、氏族的な三位基台がつくられます。家庭編成ができるのです。それによって支派編成が成し遂げられるというのです。
20 皆さんは、原則的な秩序を立てなければなりません。僕として合格し、養子として合格しなければなりません。そうして、心情的な関係を通して神様のみ前に忠誠を尽くした度数が極限に達するようになる時、三位基台の家庭基盤を中心として忠誠を尽くしたという時には、祝福家庭を天に代わる息子、娘と考え、夫婦の契りを結ばせてあげようというのです。これが復帰の道です。
その道を新しい伝統とし、私たちの文化の起源とし、私たちの生活の土台として、私たちの国と世界に永遠に残すようになるとき、天の国は建設されるのです。これが「統一思想」です。
そのようになれば、この伝統的思想を立てるに当たって、先祖になるのです。祝福を受けた家庭は、そのような先祖にならなければなりません。氏族に代わって氏族のメシヤにならなければなりません。これは誰もがしなければならないことです。このこと以外には、考えることも、行動もしてはいけません。それが、統一教会の信徒たちがすべきことです。ましてや、祝福を受けた家庭は言うまでもありません。
三位基台と共同体生活
真の父母様は、「私たちが統一されなければ世界を統一することはできない」と語られ、三位基台は三年間、一つの家族のように暮らしながら、一つの兄弟の心情を体恤し、互いに愛する訓練をしなければならないことを強調された。そして、「氏族を越え、国と世界が一つになり得る共同体生活の伝統を立てることによって、天国に直行できるようになる」と語られた。
21 皆さんは、三位基台を編成しなければなりません。三つの家庭が、必ず一つの家で暮らさなければなりません。今までは堕落した人間なので、すべて分かれていましたが、その分かれていたものが、復帰時代を通過するとともに、一つになっていくのです。ですから、自分を中心として、自分の家庭だけがうまくやろうとしていた時代は過ぎました。これからは、皆さんが自分の一家庭ではなく、三家庭を中心として共同生活をしなければならないのです。その三つが合わさって、少なくとも十二家庭が一つにならなければなりません。
そして、その家に、ある食口が訪ねていけば、自分の生活基準に従って、いつでも精誠を込めた姿で接しなければなりません。もしお父さんが来られて、「御飯が欲しい」と言われれば、いつでも即座に準備してあげられるようにならなければならないのです。そのような公的な概念をはっきりとさせなければなりません。
22 本来、三位基台は、三年以上共に暮らさなければなりません。三位基台は子女を取り替えて暮らしても、自分の子女と全く同じように感じられなければなりません。それを煩わしく思えば落第生です。三位基台のうち、一つの家庭の夫が死んでも、生活などの心配はしなくてよいというのです。そのような時は、残りの二つの家庭が共に責任をもたなければなりません。私たち(の現状)は、み旨からどれほど遠い距離にいるでしょうか。サタンが「カインをアベルと同じく愛しました」と公認し得る基準を立ててこそ、サタンは離れていくのです。
三位基台の家庭の子女たちを連れてきて育てるときは、自分の子女よりも、二倍、三倍の精誠を尽くして育てなければなりません。三位基台が一つにならないのにどうして世界を統一できるでしょうか。三つの国が一つにならなければなりません。イエス様を愛した以上にこの世を愛さなければならないのです。三位基台は一つの兄弟です。この三人が一つになれば、父母様の代わりになることができます。三位基台を忘却して、自分の家庭本位に生活すれば、滅びるようになっているのです。名前だけ父母様の代わりになるのではなく、責任と心情において、父母様の代わりにならなければなりません。
23 皆さんは、平面的な基準において、縦的な三時代型を横的に蕩減する型です。それで、すべて三位基台にくくるのです。三位基台は、蘇生、長成、完成を経なければなりません。ですから、蘇生、長成、完成であって、一人で完成することはできません。三家庭が一つであって、一家庭で一つではありません。皆さん一人だけの家庭では立つことができません。ですから、お父様も三家庭を立てたのです。一人で立つことはできません。
また、そこにおいて良い物があれば、「私から!」と言ってはいけません。完成した位置に立つためには、二つの時代の恵沢圏を経なければなりません。完成しようとすれば、蘇生、長成を経なければならないのです。自分がいくら完成しているとしても、蘇生、長成を通過して、完成の位置に立っているのです。良い物があれば、彼らに三分の二以上を分けてあげなければなりません。お互いにそのようにしなければならないのです。ですから、これから共同生活をしなければなりません。その三位基台が共同生活をして、一から十まで完全に「間違いない。サタンも讒訴できない」と言うことができなければなりません。そうしたのちに、サタンが分立されていくのです。
24 皆さんが三位基台を造成するためには、何をしなければならないのでしょうか。一つの家で暮らさなかったので、一つの家で暮らしながら、皆さんが蕩減復帰をしなければなりません。ですから、これからアパートを建て、そこに日本人、韓国人、アメリカ人、ドイツ人が一緒に暮らすようにして、生活的に訓練しようと思います。それと同様に、韓国でも三位基台の家庭が一つの家で暮らしていかなければなりません。御飯を食べるにしても、粗末なお粥を食べるにしても、三家庭が共に食べて暮らさなければなりません。
絶対に後援を受けてはならないというのです。縦的に後援を受けるのではなく、横的に後援を受けなければなりません。自立しなければならないというのです。三兄弟が一つになり、六人が一つになれば、何でもできます。天地をすべてひっくり返すこともできるというのです。二人か、三人の人が祈れば天が共にあるといいますが、三位基台が一つになれば、できないことはないのです。これが統一教会の誇りです。今から、私が直接指示して、三十六家庭からすべて、一つの家で三家庭ずつ暮らせるようにしなければなりません。三兄弟が一緒に住んでから、世間に出ていかなければなりません。一つになるまでは出ていけないのが原則です。ですから、この世の兄弟に優る復帰家庭を立てなければなりません。私たちが統一されなければ、世界を統一することはできないのです。
25 天国には家庭が入るようになっています。今後、四位基台、父母様を中心として三家庭が一つにならなければなりません。父母様が教えるすべての天理の規約を中心として一体化できるように、一つにならなければならないのです。
黒人、白人、黄色人が信仰の三位基台になった場合は、そこで三年間、一つになる訓練をしなければなりません。個別の生活はできないのです。そうして、その周辺の十二家庭、または三十六家庭で一つの地域になっていれば、その全体の公認を受けた家庭は、自由解放だというのです。
26 アダムとエバが一体化すれば、カインとアベルも一体化して出発するようになります。そのようになれば、東洋で韓国と日本を中心に、新しい理想的な出発が始まり、東洋と西洋の一体化が成就するようになります。そして、真の父母が還国、国に帰るのです。神様の環境のもとに帰っていくのです。神様の還国時代です。天の父母様、完成した父母様が初めて帰国時代、国に帰っていく時代になったというのです。思想的にも、心情的にも、すべてにおいて統一世界が可能です。ですから、生活共同体ができるようになります。
日本人と韓国人、ドイツ人とアメリカ人が、すべて一つの家庭でその訓練をしなければなりません。民族感情や、氏族、民族、あるいは文化の細部に至るまで、様々に絡み合った過去の讒訴的派閥であるサタンの権限を、完全に消化して一つになる環境をつくらなければなりません。そのために生活共同化時代へと入っていくのです。祝福家庭は二人だけではありません。八人にならなければなりません。四ヵ国の家庭が父母様のために訓練しなければなりません。八人の共同体と同じです。四人が各自ペアを組めば、八人になります。韓国人と日本人とアメリカ人とドイツ人が一つの家庭の中で、一緒に生まれた双子、四つ子のように生活共同体を形成しなければならないのです。今からそのような生活訓練をするつもりです。
ですから、日本人は日本人なりに、韓国人は韓国人なりに生活してはいけません。伝統の原理的方式によって生活環境を改造することで、未来の世界はそれに従い、皆さんの子孫も天国直行の完成圏に入っていくようになるのです。
27 韓国を中心として、四ヵ国から十二ヵ国まで連結しなければなりません。その十二ヵ国さえ連結するようになれば、十二支派が編成されるのです。ですから、これから大移動が起きます。
韓国人たちは外国に出ていき、また外国人たちは韓国に来るのです。それゆえ、韓国語を学ばなければなりません。いつでもそれができるわけではないので、皆さんが外国に出ていって、韓国語を教えてあげるために小学校を建てなければなりません。
これから祝福を受けた家庭は、小学校を建てなければなりません。各国の教会を中心として、皆さんが出ていって韓国語を教えてあげ、伝統的信仰基準を中心に祝福家庭を束ね、共同生活をしながら、今後、成長する子女たちを養育できる小学校を造っておかなければならないというのです。
28 世界を一つの大きな木と考えれば、自分の家庭は、その木における小さな枝の中の枝に該当します。自分の家庭は、樹齢が数千年にもなる大木の一本の枝です。自分が最も愛する基盤となる枝のために、またその芽のために互いに尽くそうという気持ちで授受する共同体を形成するようになれば、天運が保護するので、自動的に理想圏へと成長していきます。
自分の家庭は、自分一個人の家庭ではありません。また、男性と女性は、その家庭を代表すると同時に、世界的で天宙的な存在です。人間の体でいえば、一つの細胞は、数十兆にもなる全体の細胞を代表するのです。その数十兆にもなる細胞は、一つ一つ愛によって満たされます。すべてが愛に同参(一緒に参加すること)するのです。したがって、真の愛を中心として完全に統一された家庭は、天宙と連結されるのです。
ですから、自分の家庭ばかり考える人は長続きしません。自分の国ばかり考える人も、長く続かないのです。

Wednesday Mar 22, 2023
真の父母経 第82話
Wednesday Mar 22, 2023
Wednesday Mar 22, 2023
5 七百七十七家庭は、三年間は先頭に立たなければなりません。最後の使命を遂行しなければならないというのです。今まで祝福家庭は、そのようなことがありませんでした。このように祝福が全般的に成就されることによって、神様の願いは今、地上で成し遂げられつつあるのです。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界へと行くために、カインとアベルが一つにならなければなりません。上がるためには、カインとアベルが勝利しなければならないのです。それが原則です。ですから、世界のために犠牲にならなければなりません。各国がそのようになれば、世界統一は自動的に訪れるのです。お父様はその戦法で歩んでいます。
世界的に注目を集めた千八百双祝福結婚式
千八百双国際祝福結婚式が、一九七五年二月八日、ソウルの奨忠(チャンチュン)体育館で挙行された。この日の祝福式には、韓国から八百九十二双(在日同胞十八双を含む)、日本から八百十一双、欧米から百十一双、台湾から二双など、合計千八百十六双が参加した。この中で、八十七双が国際的なカップルとなり、合計二十ヵ国の人々が参加した。祝福式では国土統一院長官の祝辞が述べられ、行事後、ソウル市内でパレードが行われた。
6 一九七五年二月八日に千八百双の祝福結婚式を挙行しました。統一教会が個人的に初めて公に姿を現し、家庭的に初めて公に姿を現すときは、父母様の家庭だけではなく、全世界の統一教会員たちが、世界の前に現れなければなりません。このような神様のみ旨があるので、家庭的に勝利して一つの杭を打たなければならないのですが、第一次七年路程、第二次七年路程の功績を土台として、第三次七年路程の上に、父母を中心として皆さんの家庭を平面上に横的に展開させ得る、一つの示威、一つの攻戦を広げたのが、千八百双の祝福行事でした。
7 第三次七年路程に入って、すぐに千八百双の祝福が行われました。第三次七年路程は、神様のみ旨から見ると、堕落圏ではなく完成期圏内に突入したので、皆さんがこれを歴史的に輝かしい伝統として残さなければなりません。千八百家庭の祝福は世界的な祝福です。二十ヵ国から集まってきて世界史的な祝福を受けたのです。
世界の超民族的な伝統基準を立てるに当たって、韓国を代表する皆さんは、恥ずかしい男になってはいけません。各国がその競争です。韓国ではたくさんの家庭が祝福を受けたのですから、主体国として輝かしい伝統を立てなければなりません。アダムとエバが自分たちの思いどおりにして堕落しましたが、それと同じようにして再び堕落するのではなく、神様と父母様のみ言を絶対的な支えとして、神様が願い、父母様が願う家庭にならなければなりません。
二千七十五双と六千双祝福結婚式
一九八二年七月一日、アメリカ、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで、二千七十五双国際祝福結婚式が開催された。真のお父様が法廷闘争をしている過程で開催されたという点で、その意義は大きい。この祝福式には、一九七九年五月に約婚式を挙げた七百五双と、一九八〇年十二月に約婚式を挙げた八百四十三双、一九八二年六月に約婚式を挙げた六百五十三双が参加した。一九八二年十月十四日には、ソウルの蚕室(チャムシル)室内体育館で六千双国際祝福結婚式が開催された。六千双の祝福結婚式には、韓国から千五百双、日本から三千六百双、東南アジアから九十双、アメリカから百五十双、中南米から百双、ヨーロッパから四百双、アフリカから六十双など、八十五ヵ国から参加した。
8 一九八二年七月一日に、二千七十五双の祝福結婚式を行いました。結婚というのは、一双だけがしてもその近所で祝祭をするのに、数千双が結婚することに反対するというのは、道理から外れていることです。この祝福行事でデモをする人がいないので、警察が驚いたでしょう。西欧社会においては大きな衝撃だったはずです。これから皆さんは、私たちの祝福結婚式を大いに誇らなければなりません。
9 今、お父様は、アメリカで法廷闘争をしています。普通の人であれば、喪中の家のようになり、(泣き叫んで)大騒ぎになることかもしれませんが、二千双以上を結婚させてあげました。これには重要な意義があります。お父様の歴史を記録するとすれば、こういう時であるほど、このようなすべてのことが、より貴重な価値をもつというのです。お父様に反対するその国のために、このような公的なことをしているという事実は、歴史がひっくり返ることです。そのようなことを、なぜこのように急がせるのでしょうか。それは、お父様がモスクワ大会のために行くべき道が残っているからです。
10 六千双の祝福結婚式は、摂理史的に見ると、歴史的な一つの終着的な結末をつける行事でした。韓国から出発した統一教会が、今まで韓国にそのままとどまっていれば、全世界に影響を与えたり、全世界の人々の心情を一つに合わせたりする結果をもたらすことはできなかったはずです。それで、国際的な舞台に拡張する世界的な拡張運動を通して、全世界の人々の心情を糾合させられた良いひと時だったと考えるのです。ここに参加した国は、八十五ヵ国です。自由世界はもちろん、共産圏にいる人たちまでもここに参加したことは、歴史的な事実です。
この大会自体は、霊的に見れば、数多くの霊界の先祖たち、八十五ヵ国の先祖たちがみな団結する場でした。摂理上には様々な祝福すべきことや誇るべきことがたくさんありましたが、霊的世界全体が超国家的な立場で団結できる時は、神様の摂理歴史の過程を通してこのひと時が初めてでした。そして、世界八十五ヵ国の若者たちが、この場で祝福を受けるその瞬間の環境や、祝福を受ける本人たちもまた、国家を超越して一つの焦点を合わせていたというのです。霊界が見つめる焦点と地上で見つめる焦点が一致し得た時は、今まで歴史上にもありませんでしたが、今後もないでしょう。これは、超世界的な慶事でした。ですから、神様の立場から見るとき、誇らしいことだというのです。
11 統一教会は、愛の世界をつくるために祝福結婚式をします。統一教会は人種差別を認めません。真の愛においては、「白人は異なり、黒人は異なる」と言うことはできません。統一教会が偉大であり、統一教会員たちの違うところはその点です。六千双の国際祝福結婚式の時にも、私は日本の女性たちと黒人たちを七十双ほど結婚させました。強制したのではなく、自分たちが望んでしたのです。
12 六千双の祝福を受けた人を世界に配置しました。そうすることによって人種が完全に束ねられ、縦横の歴史が完全に転換するのです。上下の歴史が完全にひっくり返り、東西が入れ替わるというのです。それにより、すべての歴史的な潮流が変わるという話です。潮流が変わります。家庭的理想は、愛を中心として成就するのですが、世界で有史以来、初めて愛の潮流が神側から押し寄せ始めたのが今回の祝福です。
初めて地球星に愛の思春期が訪れるのです。六千双の祝福結婚式によってそのようになります。六数はサタン数ですが、サタン圏内を撃破できるのが六千双です。愛の六千双の旗を翻すことによって、サタン世界は完全に退くのです。
第四節 六千五百双、三万双、祝福二世の祝福結婚式
交叉祝福時代を開幕した六千五百双祝福結婚式
六千五百双国際祝福結婚式が、一九八八年十月三十日、一和の龍仁(ヨンイン)工場で挙行された。この祝福結婚式には、十七ヵ国からの参加があったが、韓国の新郎と日本の新婦千四百三十五双、韓国の新婦と日本の新郎九百七十三双など、日韓の交叉結婚が相当数を占めた。また、日本の新郎と日本の新婦三千六百六十双も参加した。真の父母様はこの約婚式で、主に写真を御覧になって結婚相手を決めてくださった。
1 六千五百双を祝福する時、日本人と韓国人を交叉結婚させました。なぜそのようにしたのでしょうか。アダム国家は韓国であり、エバ国家は日本です。アダムとエバが自分勝手に結婚することによって世界を失ってしまったのですが、今や国家的基準でひっくり返しておいたのです。
2 国家基準の二世たちが交叉結婚をすることによって、サタン世界は崩壊し、父母様の全権時代の土台の上で、理想天国が出発するようになります。その歴史の象徴物として集まってきたのが六千五百双です。これを一週間以内にしました。最初、日本の幹部たちは「そのようなことはできません」と大騒ぎしましたが、死に物狂いでやるようにというお父様の命令に従ってやってみたところ、日本政府の機関が協力するようになり、韓国大使館が協力するようになりました。日本も助けたという条件を立て、韓国も助けたという条件を立てたのです。
3 一九八八年十月三日に「世界統一国開天日」を宣布しました。そのように宣布することによって、国が生じるのです。アダムとエバが個人的に堕落してサタンのもとに行ったので、これを蕩減し、復帰していくときに、サタン世界を代表するアダム国家とエバ国家の二世たちを中心として歩んでいくようになるのです。彼らはカナンに復帰したのと同じです。イスラエル民族は、カナンに復帰してカナン七族に染まり、結婚を誤って病にかかったのです。ですから、道義がすべて破壊され、乱れた社会環境になりました。
そのように、すべて流れていくしかない環境の中で、父母様が韓国の二世たちと日本の二世たちを交叉結婚させたのです。それは国家と国家が結婚したのと同じです。エデンの園で個人的に結婚を誤ることによってサタン世界になったのですが、天の父母と真の父母を中心として、アダム国の代表とエバ国の代表が交叉結婚をすることにより、国家的に天に抱かれ得る門が開かれるのです。
4 韓国と日本は怨讐の国ですが、これを押しのけて、韓国で交叉結婚をしました。韓国も反対できず、日本も反対できませんでした。写真を見て結婚し、言葉も通じない国の人たち同士が結婚するというのは、歴史上になかったことです。六千五百双の祝福行事を、すべてが歓迎する中で神様の名によって行うので、サタンは付いてこられなかったというのです。

Wednesday Mar 22, 2023
真の父母経 第98話
Wednesday Mar 22, 2023
Wednesday Mar 22, 2023
11 五千年の歴史を経てきながら、私たちの民族は様々な苦労の道を歩んできました。悲しみがあっても、どこかに行って訴えることができず、憤りや悔しさがあっても訴えることができない中で、この民族は歩んできました。
それでは、民族をつかんで、皆さんはどのようにすべきでしょうか。孤児のようなこの民族ですが、私たち同士で手を握って痛哭することができなければなりません。そうしてこそ、この民族が生きることができるというのです。兄弟に過ちがあろうとなかろうと、天が許した同じ血と骨肉をもって生まれた兄弟なので、自分個人の事情を越え、父母の歴史的な血統と心情に結合するために泣くことができる、雅量のある人たちが現れなければなりません。そのような青年たちが求められているのです。
そのような青年たちの血潮がたぎる情熱が、一身の出世と欲望のためのものであれば、それは一個人の限界圏内で終結するでしょう。
12 人間の本来の理念は、無限大の(限界)線を何度も越えて神様をつかみ、喜ぶことを願うのです。したがって、人間本来の理念のために、情熱を注がなければなりません。
この民族が経てきた歴史路程に神様の摂理があったとすれば、その摂理の終局に、神様はどのような群れを求められるでしょうか。それは、神様のみ旨を成し遂げるために泣くことでしょう。一つのみ旨に思い悩んで泣き、一つの心情に思い悩んで泣き、一つの行動に思い悩んで泣きながら、先に供え物になろうという群れです。神様は、そのような群れを求められるのです。
13 私たちが良心的な基準を探し求めていくところには、悪が対立していて、サタンが反駁できる余地があります。ですから、私たちは、私たちの心と天の心が一体となるその基点の上で人情と天情が一体になり、私たちの理念と天的な理念が一体となるその基点の上で私たちの生命と天の生命が一つになり、私たちの愛と天的な愛が一つに絡み合うその基点の上で、天と絆を結ばなければなりません。
天と私たちの心が一つになり、生命が一つになり、理念が一つになり、愛が一つになった絆を、何によって断つことができるでしょうか。堕落した人間同士が結んだ情の絆も切ることができず、泣き叫んで大騒ぎするのに、天情に絡めて一つになったその絆を誰が断ち得るでしょうか。いくら罪悪の力が強く、地の権勢が強いとしても、この心の根本で結ばれた情的な流れの一つの基準を曲げることができるものは、何もないというのです。
そのような基準を見つけ出す時まで、歴史は苦しみ、人類は塗炭の苦しみの中でうめくのですが、これを防ぐ勇者は地上にいないのでしょうか。このような責任を担い、このような使命の路程を開拓するために、自分の体を一つの爆弾として、一つの原子爆弾として、サタンの都城を崩してしまおうという、火のついた爆発的な心情をもった勇者がいることを、私は期待します。このような勇猛さを備えた天の精兵たちが、大勢現れることを天は願っています。
14 最後に残る一つの理念の場に向かって動いていくようにするのは心情です。心情が最終的に「私」のすべてを決定してくれるのです。この心情一つだけをつかみ、注意深く探し求める人が、聞かせてくださるみ言を聞くことができ、見せてくださる幻想を見ることができ、生活におけるあらゆる実情を分析することができます。
自分に与えられた責任を感じつつ、気をもむ心情と不安な心を抑えながら、新しい理念を探し求めて動く青年男女たちがいて、彼らの泣き叫ぶ声が聞こえる、そのような心情の動きがあるなら、皆さんは、彼らの心情を通して、歴史的なすべてのことと、長い間感じてきたすべてのことを一度に感じられるでしょう。その心情を感じ、自己を覚醒して、「天が求めていた理念の主体がこれだったのか。世界が求めていた真の姿と、天地の前に立てて誇り得る姿がこれだったのか」と、我知らず叫ぶ瞬間をもつ人だけが、歴史の主人であり、摂理の主人であり、天倫の主人なのです。
今日、皆さんは、関係と絆の世界において責任を果たし、実績を残さなければならない人生行路を歩んでいます。そのようになれば、自分を誇ることができ、「本然の人間に代わる勝者の姿が私だった」という覚醒が訪れるでしょう。そのような瞬間に、この世界と宇宙は皆さんのものになり、神様も皆さんの神様になるでしょう。
15 私たちによって、天と地と人類の幸福の基点がこの地上に現れなければなりません。このことに誰かが責任をもたなければなりません。涙が前を遮って歩くことができず、身もだえしながらこれに責任をもとうと、ひれ伏して訴える人がいれば、その人の膝に頭を埋めて痛悔しなければなりません。凄惨で絶望的な境遇にありながらも、自分の一身を顧みず、その立場で感謝する心をもって、天のために、み旨のために血と汗を流しながら進んでいく群れがいるなら、決死的に彼らに従っていくことができなければなりません。このような信者、このような良心的な人士がこの民族の中から、特にこの民族の青年男女たちの中から現れなければ、この民族は滅びます。
「私が、神様の永遠不変の理念的な足場です。この姿は、たとえぼろを着て、おなかをすかせ、備えたものがないとしても、心情においては、私でなければあなたの手をつかんであげる人がなく、私でなければあなたの服をきれいに整えてあげる人がなく、私でなければあなたの履物を直してあげる人がいません。あなたのいかなる一部分も、私でなければなりません」と言える群れが集まれば、闘わなくても、このサタンの天下を征服できるのです。重要なのは、私たち自身です。
第三節 「成和学生会」と「全国大学原理研究会」
「成和学生会」と成和同窓会
統一教会の初期の活動は、成和出身者たちが主導した。一九五五年十月二十三日、中等部と高等部の「成和学生会」がそれぞれ結成され、それ以後、教会活動の中枢的役割を担った。「成和学生会」を修了した正会員と、仮修了した準会員で構成された全国成和同窓会の創立総会が、成和七期までの卒業生が参加する中で、一九六三年十一月八日から十五日まで開催され、以後、毎年総会が開かれた。
1 「成和」という名前を、なぜ若者たちに付けてあげたのでしょうか。血が沸き立つ若者、純潔の血が沸き上がり、神様の感情に同化され得る血をもった若い青少年たちが必要だというのです。それで、若者たちに「成和」という名前を付けてあげました。成和の意味は、「成し遂げて和合する」ということです。一つの目的を成し遂げて和合するのです。和合したので、二つではなく一つです。麹と同じです。
家庭には、祖父、祖母、あるいは父、母がいますが、ほほえましい姿の子女たちもいなければなりません。それでこそ、その家に笑顔の花が咲くのです。そのような意味で、成和の若者たちがもつ責任は大きいのです。これから成和学生の皆さんは、神様を解放してさしあげる旗手になるという信念をもたなければなりません。神様が六千年間、闘ってこられた信念以上の信念をもった人がいるとすれば、み旨を成就できなくても、神様はその人に仕事を任せるのです。
2 「成和」の「成」は、創造理想の完成を意味します。すなわち、宇宙全体の完成を意味するのです。本来、完成(期)の基準を立てる時期は、人間始祖が堕落した年齢である十六歳の時からです。ですから、二十歳前後の成和を中心として、すべてのことが成就されるのを願われる神様です。未来完成の位置を占有できるのは、青少年の時期です。
お父様は、青少年期に願いの標準と生涯の目標を立てて決心しました。皆さんは、神様の正しい系統を引き継いだ者として、直行しなければなりません。
3 堕落した子孫たちは、嘆息圏内で生きています。皆さんは、このような嘆息圏内で善の基台をつくろうという信念をもって闘争していかなければなりません。より大きな善を創造しようとすれば、信念をもって誤った環境を踏み越え、闘争しなければなりません。このように能動的に行動するとき、悪の環境も善の環境に吸収されるでしょう。第二の創造が始まるというのです。
どんな環境にぶつかっても、どんな波が打ちつけてきても、これを克服していこうという信念をもった人が多ければ、この国は滅びません。お父様もこのような信念をもって闘っています。
再創造をしようとすれば、相対的な位置ではなく、主体的な位置に立つ存在にならなければなりません。再創造の価値をもつことができないので、「成和学生会」が発展できないのです。行く途中で倒れれば、結局、滅びます。皆さんは、再創造の目標を立てて行進していかなければなりません。自分自身から再創造しなければなりません。「善を創造する私」、「善を代弁する私」として再創造しなければなりません。
「私」は善を立てることもでき、善を壊すこともできる存在です。二股に分かれた道に立った母体です。より良いものを願う欲望を満たそうとすれば、神様のみ前に対象の位置に立たなければなりません。私たちは、地上で善を擁護し、悪を憎む人たちになろうというのです。
4 統一教会は、今まで歩んできましたが、まだ世界舞台に向かっていくべき道が残っています。ですから、父母様は世界に向かっていくのです。行く時は、誰にも屈せず、負けません。また、何かの問題を解決するための勇猛さも誰にも負けず、闘いにおいても、誰にも負けませんでした。このような心をもって進まなければ、世界的な勝利を期待することはできません。今、いくら民族的な勝利をしたとしても世界的な勝利の道は遠いというのです。
今まで皆さんがどんな立場で若い時期を送ったのかを考えなければなりません。神様のみ旨と統一の理念圏内で生きていますが、いつでも父母様が目指し、神様が目指す勝利の世界に行くために、自らの立場を批判できなければなりません。そして、その批判によって自ら悲しみを感じる小心者にならず、それを基に発展できる大きな器にならなければなりません。したがって、皆さんはこれから天上世界が許す天の王子になり、王女になり、栄光の天国を完成するために、若い時期によく準備しなければなりません。
5 私たちは、サタンの鉄条網から抜け出せる時まで、神様のみ旨に従って進まなければなりません。神様は、本当に「私」の父であり、私は神様の息子、娘であることを知って、忘れることができずに残っている神様の恨を解いてさしあけるべき責任があります。
私たちは、神様の恨を解くことによって、神様を解放してさしあげなければなりません。そして、自由な神様として万国を統治するとき、少しでも妨げになる障害物があるとすれば、「私」が責任をもってすべて取り除き、自由と平和の天国として万国を主管する堂々たる絶対者としてお迎えしようと思わなければなりません。
そのような信念をもった成和学生、若者がいるとすれば、その人は本当に偉大な若者です。このような若者たちによって、今後、世界は新しい方向に進むようになるでしょう。皆さんが実際にこのような若者になったとすれば、いくらみすぼらしい姿をしていても、それは見苦しい姿ではありません。そこには無限の希望が宿っているのであり、その姿は神様の希望と幸福の基盤になるのです。

Wednesday Mar 22, 2023
真の父母経 第97話
Wednesday Mar 22, 2023
Wednesday Mar 22, 2023
第二節 「成和青年会」
「成和」の意味と「成和青年会」
一九五四年十二月三十一日、協会に初めて「成和基督学生会」が出帆した。「成和」という名称は、真のお父様が直接、命名してくださったものであり、以後、多くの団体にその名称が活用された。み言によれば、「成和」は、完成と和動、すなわち互いに和して完成していくという意味である。「成和基督学生会」は、一九五五年三月二十七日、「成和青年会」に名を変え、一九六〇年まで協会活動の中心となった。この日、機関誌「成和」創刊号が発刊された。
1 皆さんは、「成和青年会」というこの字の意味を知らなければなりません。「成和」という言葉は、何かの刺激によって受動的な立場で和合しなさいということではありません。能動的に和合しなさいということです。
このような意味を中心として出発した皆さんなのに、朝は喜んでいても、夕方には泣いて騷ぎ、また夜になれば自分のしたいようにすべてしています。それではいけません。神様のみ旨を知る人たちであれば、朝に泣き、夕方や夜には喜ばなければなりません。それにもかかわらず、皆さんは、初めは喜んでいても、あとになって「ああだこうだ」と言って多くの条件を付けるのです。
ですから、成和学生の卒業生たちに苦労をさせるのです。皆さんを最前線に送り出して、倒れさせ、死の淵に追い込んでこそ、民族を救えるとすれば、そのようなことをさせなければなりません。
2 「成和」という言葉は、どのような意味があるのでしょうか。化学の「化」は本質まで変わりますが、成和の「和」は違います。絶対的な相対性と神様の本質としての「成和」だというのです。皆さんは、正にこの「成和」としてみ旨を果たしていくのです。
皆さんは、自分を中心とした世界観と生活観、自分を中心とした天的な心情を強固にしなければなりません。そうして、完全な種として結実して、殼を脱がなければなりません。それでこそ、真の穀物になるのです。それなのに、「先生の姿は立派だが、弟子たちの姿はそうではない」と言われてはいけません。
3 成和の「和」は、個性がそのまま生きているのです。「個性真理体」という言葉があります。ここに千人いれば、この千人はみなそれぞれ違います。個性をもっているのです。その個性を中心として一つになるのが「成和」です。「化合」は、個性が変わって一つになることですが、「成和」は、個性をもったまま一つになることを言います。
「成和」は、すべての個性が合わさって成し遂げたという意味なのです。そのように成し遂げることを「統一」と言います。各自の個性が連結されて完成すれば、完全に一つになるというのです。統一が成し遂げられるのです。
4 「成和青年会」の「成和」という字を調べてみると、「成」は完成を意味し、「和」は和動を意味します。「互いに和して完成していく」という意味になるのです。そのためには、第一に、皆さんがみ言の過程を通過しなければなりません。第二に、皆さんは、神様が相談できるほどの人格をもつ存在にならなければなりません。一つ一つ相談しなくても、心情的に通じなければならないのです。そして、何よりも、和動の中心にならなければなりません。前後、上下、左右に和合できる人格体にならなければならないのです。そうして、祝福の実体になることが標準です。
イエス様も、青年時代にみ旨の一線で働きました。三十歳前後の青年時代は、人生で最も重要な時期に該当します。お父様の若さに皆さんの若い情熱をプラスして働かなければなりません。再創造の偉業に加担して、栄光の条件を備えることができるのは、この一時しかありません。
私たちは徹頭徹尾、世の中の人たちに対して、「私はあなたたちと同じではない」という心情を備えなければなりません。「あなたたちは成し遂げることができないのか。私はできる!」、このような精神を常にもっていなければなりません。いかなる困難の中でも、「私はあなたたちと同じではない。歴史的にも、時代的にも、平面的にも、どこを見てもそうだ」と言えなければなりません。あらゆる困難なことに対して、「私」が動かなければならないという決心がなければなりません。
5 皆さんの中に、生命が躍動している青年男女はいるでしょうか。そのような人がいるとすれば、教会の牧師、長老の前に天倫を立証し、彼らの人格を批評して、天的な価値の前に審判できる資格を備えなければなりません。神様の心情に外れたことは、天上のいかなる存在も、地上のいかなる存在も受け入れないという覚悟をもたなければなりません。
皆さんは、統一教会に入ってきたのであれば、既成宗教の観念を超越しなければなりません。懐疑的な信仰観念を踏み越えて立たなければなりません。
今までの信仰観念の立場は、神様が臨在できる安息所になることができず、イエス様の実体に侍ることができる安息所になれないので、それを情け容赦なく踏み越えることができる勇断さをもたなければなりません。
6 若い人々は、その若い時期が長く続かないことを知らなければなりません。どのみちみ旨を知った人として、天のみ前に献身しようと進み出たのですから、貴い青春時代を何の未練もなく天のみ前に完全に捧げようというのです。そうすれば、それがどれほど貴いか、考えなければなりません。
時々、青春時代をみ旨と共に無意味に過ごしたと後悔する人々を目にします。そのような人々は、み旨がどのようなものであり、若い時代にみ旨と共に過ごしたことがどれほど価値のあることかを忘却した立場で不平を言い、嘆息するのです。
この若い時代には、必ず峠があります。各自には、必ず最高の絶頂期と言える青春時代があるのですが、その一時を誰と共に過ごすかが問題です。自分の一身や一家の幸福のために過ごすことより、国と世界のために、歴史とともに永遠に残り得る問題を中心として生きることが貴いというのです。
青年に対する時代的要求と使命
協会創立以降、中心となったのは青年と学生であった。意気衝天の勢いをもつ青年と学生は、教会の力であり、花だった。そして、草創期の食口たちは、大部分が社会的に地位のある人々であり、錚々(そうそう)たる顔ぶれだった。そのため、「統一教会は知識人だけが行く教会だ」といううわさも広まった。青年たちは、草創期の教会の柱として、民族と世界を復帰する先兵の役割を果たし、真のお父様も青年たちを野外に連れ出しては、克己訓練をさせ、自然と親しむ機会をもたせるなど、彼らを指導者として育成するために尽力された。
7 一般の大学生たちは、学校を卒業すれば社会に出ます。それから、家庭を築くようになります。それは、皆さんももちろんであり、お父様も同じです。形は似ています。学校を卒業したあと、大韓民国の国民の一員として国に貢献できる道を探し求めていくのです。
ですから、社会なら社会のある道徳圏内で生活をするようになります。男性は男性として、女性は女性として、家庭を築いて暮らすようになるでしょう。このように、向かっていく方向はみな同じです。しかし、社会に出た人は、その歩みが社会でとどまり、家庭に入った人は家庭でとどまるでしょう。その家庭と社会を越えて、国家と世界に向かい得る、自律的で自主的な信念で一日一日の生活を開拓していくことができず、その日その日を、生き甲斐をもって送り得る能動的な実体になれなければ、いつも悲観と失望の中で生きていくようになるのです。今、若者たちの中には、そのような人も多いでしょう。
しかし、私たちは、彼らとは行く方向は同じですが、立場が違います。家庭ができれば、私たちはその家庭の家長になりますが、一つの家庭の家長だけで終わるのではなく、自分を中心とした個人的な家庭の環境を打破し、氏族に連結され得る家庭の道をつくらなければなりません。そうして、民族を統合できる核心的な家庭の形態を備え、世界の家庭へと向かっていかなければなりません。このように、私たちは一般の青年たちと立場や考える範囲が違います。
私たちは、このような使命を果たすべき個体なので、このような面で影響力を発揮できる主体的な個体として能動的に実践するためには、外的に実力を備えなければなりません。そうして、力の母体にならなければならないのです。力がなければ、このすべてのことを達成し得ません。
8 青少年がもつべき誇りとは、どのようなものでなければならず、神様が訪ねてこられる青少年とはどのような人でしょうか。これが問題です。
それは、不信の先祖であるアダムとエバが汚した路程に従っていく青少年ではありません。疑ったり、不平不満を言ったりする若者たちではありません。「絶対犠牲、絶対信仰、絶対服従、絶対順応するのみである」と言える純粋な青少年でなければいけません。復帰時代の限界点が近づくこの時に生まれた成和の中高生、統一教会の青少年の皆さんが立っている立場は、流れていった歴史時代とは違います。皆さんは、霊界と肉界の統一的な基盤を備え、肉的(実体的)なアベルの基盤を備えて、新しい世界に登場しなければなりません。
「統一思想」を携え、この境界線を越えて、新しい旗手として旗を持って進み出るべき群れは、年を取った壮年や老人ではなく、血潮がたぎる若者たちです。そのような輝かしい青少年の群れを、この地球上のどこか一ヵ所からでも発見できるその日が来てこそ、神様の六千年の恨が解けるのであり、アダムの怨恨の基盤になっている罪悪の根を抜いて覆すことができるのです。これを発見できず、これと出会えなくなる時は、天宙が暗黒のまま延長されます。ですから、神様が呼び求めている世代は、青少年世代なのです。
9 皆さんは、先祖たちの歩んでいった路程を経なければなりません。私たちは今、荒野に出たイスラエル民族と同様です。モーセとイスラエル民族は、荒野で追われて苦難に遭い、イエス様は民族とユダヤ教から排斥され、家庭から不信されましたが、皆さんも、そのような悲しく悔しい立場を経なければなりません。だからといって、落胆しないでください。
皆さんがこのような悔しい立場で果たすべきことがあるとすれば、それは歴史的に苦難を受けられた父の心情を体恤し、先祖たちの苦痛は自分の苦痛だと思って、千年、万年、そのみ旨のために変わらずに団結し、サタンに対する敵愾心を抱いていかなければならないということです。そのようにできる青年男女を、天は求めているのです。このように、天的なみ旨に徹する本物の青年たちを、天は探し求めてこられました。
民族に代わって私たちにこのような使命を任せたとすれば、私たちは父の怨恨の心情を感じ、父の悲しみを自分の身に抱いて、怨讐に向かって進撃できる精兵にならなければなりません。そのために皆さんは、皆さんの生活と理念を統一させなければなりません。天の悲しみと、イエス様の悲しみと、先祖たちの悲しみと、子孫たちの悲しみを解怨するために、進まなければならないのです。
10 青年男女の皆さんは、自分自身が着飾る前に、この三千万の民族が着飾るようにしようという心、自分自身を考える前に、この地上の万民を考える心が湧き出なければなりません。さらには、一株の草までもつかんで泣いてあげられる心が、自分も知らぬ間に心中で爆発しなければなりません。このような心情をもつことができなければ、完全な神様の息子、娘になれないのです。そのような人間は、神様の涙の実であり、神様の苦痛の実であり、また神様の血の祭壇の上に上がる供え物なのです。
それでは、この民族の行く道を開拓する人は誰でしょうか。本当にこの民族のために地をたたき、胸を打ちながら痛哭する人が現れなければなりません。この世界を救う人は、青年男女たちなのです。
第二節 「成和青年会」
「成和」の意味と「成和青年会」
一九五四年十二月三十一日、協会に初めて「成和基督学生会」が出帆した。「成和」という名称は、真のお父様が直接、命名してくださったものであり、以後、多くの団体にその名称が活用された。み言によれば、「成和」は、完成と和動、すなわち互いに和して完成していくという意味である。「成和基督学生会」は、一九五五年三月二十七日、「成和青年会」に名を変え、一九六〇年まで協会活動の中心となった。この日、機関誌「成和」創刊号が発刊された。
1 皆さんは、「成和青年会」というこの字の意味を知らなければなりません。「成和」という言葉は、何かの刺激によって受動的な立場で和合しなさいということではありません。能動的に和合しなさいということです。
このような意味を中心として出発した皆さんなのに、朝は喜んでいても、夕方には泣いて騷ぎ、また夜になれば自分のしたいようにすべてしています。それではいけません。神様のみ旨を知る人たちであれば、朝に泣き、夕方や夜には喜ばなければなりません。それにもかかわらず、皆さんは、初めは喜んでいても、あとになって「ああだこうだ」と言って多くの条件を付けるのです。
ですから、成和学生の卒業生たちに苦労をさせるのです。皆さんを最前線に送り出して、倒れさせ、死の淵に追い込んでこそ、民族を救えるとすれば、そのようなことをさせなければなりません。
2 「成和」という言葉は、どのような意味があるのでしょうか。化学の「化」は本質まで変わりますが、成和の「和」は違います。絶対的な相対性と神様の本質としての「成和」だというのです。皆さんは、正にこの「成和」としてみ旨を果たしていくのです。
皆さんは、自分を中心とした世界観と生活観、自分を中心とした天的な心情を強固にしなければなりません。そうして、完全な種として結実して、殼を脱がなければなりません。それでこそ、真の穀物になるのです。それなのに、「先生の姿は立派だが、弟子たちの姿はそうではない」と言われてはいけません。
3 成和の「和」は、個性がそのまま生きているのです。「個性真理体」という言葉があります。ここに千人いれば、この千人はみなそれぞれ違います。個性をもっているのです。その個性を中心として一つになるのが「成和」です。「化合」は、個性が変わって一つになることですが、「成和」は、個性をもったまま一つになることを言います。
「成和」は、すべての個性が合わさって成し遂げたという意味なのです。そのように成し遂げることを「統一」と言います。各自の個性が連結されて完成すれば、完全に一つになるというのです。統一が成し遂げられるのです。
4 「成和青年会」の「成和」という字を調べてみると、「成」は完成を意味し、「和」は和動を意味します。「互いに和して完成していく」という意味になるのです。そのためには、第一に、皆さんがみ言の過程を通過しなければなりません。第二に、皆さんは、神様が相談できるほどの人格をもつ存在にならなければなりません。一つ一つ相談しなくても、心情的に通じなければならないのです。そして、何よりも、和動の中心にならなければなりません。前後、上下、左右に和合できる人格体にならなければならないのです。そうして、祝福の実体になることが標準です。
イエス様も、青年時代にみ旨の一線で働きました。三十歳前後の青年時代は、人生で最も重要な時期に該当します。お父様の若さに皆さんの若い情熱をプラスして働かなければなりません。再創造の偉業に加担して、栄光の条件を備えることができるのは、この一時しかありません。
私たちは徹頭徹尾、世の中の人たちに対して、「私はあなたたちと同じではない」という心情を備えなければなりません。「あなたたちは成し遂げることができないのか。私はできる!」、このような精神を常にもっていなければなりません。いかなる困難の中でも、「私はあなたたちと同じではない。歴史的にも、時代的にも、平面的にも、どこを見てもそうだ」と言えなければなりません。あらゆる困難なことに対して、「私」が動かなければならないという決心がなければなりません。
5 皆さんの中に、生命が躍動している青年男女はいるでしょうか。そのような人がいるとすれば、教会の牧師、長老の前に天倫を立証し、彼らの人格を批評して、天的な価値の前に審判できる資格を備えなければなりません。神様の心情に外れたことは、天上のいかなる存在も、地上のいかなる存在も受け入れないという覚悟をもたなければなりません。
皆さんは、統一教会に入ってきたのであれば、既成宗教の観念を超越しなければなりません。懐疑的な信仰観念を踏み越えて立たなければなりません。
今までの信仰観念の立場は、神様が臨在できる安息所になることができず、イエス様の実体に侍ることができる安息所になれないので、それを情け容赦なく踏み越えることができる勇断さをもたなければなりません。
6 若い人々は、その若い時期が長く続かないことを知らなければなりません。どのみちみ旨を知った人として、天のみ前に献身しようと進み出たのですから、貴い青春時代を何の未練もなく天のみ前に完全に捧げようというのです。そうすれば、それがどれほど貴いか、考えなければなりません。
時々、青春時代をみ旨と共に無意味に過ごしたと後悔する人々を目にします。そのような人々は、み旨がどのようなものであり、若い時代にみ旨と共に過ごしたことがどれほど価値のあることかを忘却した立場で不平を言い、嘆息するのです。
この若い時代には、必ず峠があります。各自には、必ず最高の絶頂期と言える青春時代があるのですが、その一時を誰と共に過ごすかが問題です。自分の一身や一家の幸福のために過ごすことより、国と世界のために、歴史とともに永遠に残り得る問題を中心として生きることが貴いというのです。
青年に対する時代的要求と使命
協会創立以降、中心となったのは青年と学生であった。意気衝天の勢いをもつ青年と学生は、教会の力であり、花だった。そして、草創期の食口たちは、大部分が社会的に地位のある人々であり、錚々(そうそう)たる顔ぶれだった。そのため、「統一教会は知識人だけが行く教会だ」といううわさも広まった。青年たちは、草創期の教会の柱として、民族と世界を復帰する先兵の役割を果たし、真のお父様も青年たちを野外に連れ出しては、克己訓練をさせ、自然と親しむ機会をもたせるなど、彼らを指導者として育成するために尽力された。
7 一般の大学生たちは、学校を卒業すれば社会に出ます。それから、家庭を築くようになります。それは、皆さんももちろんであり、お父様も同じです。形は似ています。学校を卒業したあと、大韓民国の国民の一員として国に貢献できる道を探し求めていくのです。
ですから、社会なら社会のある道徳圏内で生活をするようになります。男性は男性として、女性は女性として、家庭を築いて暮らすようになるでしょう。このように、向かっていく方向はみな同じです。しかし、社会に出た人は、その歩みが社会でとどまり、家庭に入った人は家庭でとどまるでしょう。その家庭と社会を越えて、国家と世界に向かい得る、自律的で自主的な信念で一日一日の生活を開拓していくことができず、その日その日を、生き甲斐をもって送り得る能動的な実体になれなければ、いつも悲観と失望の中で生きていくようになるのです。今、若者たちの中には、そのような人も多いでしょう。
しかし、私たちは、彼らとは行く方向は同じですが、立場が違います。家庭ができれば、私たちはその家庭の家長になりますが、一つの家庭の家長だけで終わるのではなく、自分を中心とした個人的な家庭の環境を打破し、氏族に連結され得る家庭の道をつくらなければなりません。そうして、民族を統合できる核心的な家庭の形態を備え、世界の家庭へと向かっていかなければなりません。このように、私たちは一般の青年たちと立場や考える範囲が違います。
私たちは、このような使命を果たすべき個体なので、このような面で影響力を発揮できる主体的な個体として能動的に実践するためには、外的に実力を備えなければなりません。そうして、力の母体にならなければならないのです。力がなければ、このすべてのことを達成し得ません。
8 青少年がもつべき誇りとは、どのようなものでなければならず、神様が訪ねてこられる青少年とはどのような人でしょうか。これが問題です。
それは、不信の先祖であるアダムとエバが汚した路程に従っていく青少年ではありません。疑ったり、不平不満を言ったりする若者たちではありません。「絶対犠牲、絶対信仰、絶対服従、絶対順応するのみである」と言える純粋な青少年でなければいけません。復帰時代の限界点が近づくこの時に生まれた成和の中高生、統一教会の青少年の皆さんが立っている立場は、流れていった歴史時代とは違います。皆さんは、霊界と肉界の統一的な基盤を備え、肉的(実体的)なアベルの基盤を備えて、新しい世界に登場しなければなりません。
「統一思想」を携え、この境界線を越えて、新しい旗手として旗を持って進み出るべき群れは、年を取った壮年や老人ではなく、血潮がたぎる若者たちです。そのような輝かしい青少年の群れを、この地球上のどこか一ヵ所からでも発見できるその日が来てこそ、神様の六千年の恨が解けるのであり、アダムの怨恨の基盤になっている罪悪の根を抜いて覆すことができるのです。これを発見できず、これと出会えなくなる時は、天宙が暗黒のまま延長されます。ですから、神様が呼び求めている世代は、青少年世代なのです。
9 皆さんは、先祖たちの歩んでいった路程を経なければなりません。私たちは今、荒野に出たイスラエル民族と同様です。モーセとイスラエル民族は、荒野で追われて苦難に遭い、イエス様は民族とユダヤ教から排斥され、家庭から不信されましたが、皆さんも、そのような悲しく悔しい立場を経なければなりません。だからといって、落胆しないでください。
皆さんがこのような悔しい立場で果たすべきことがあるとすれば、それは歴史的に苦難を受けられた父の心情を体恤し、先祖たちの苦痛は自分の苦痛だと思って、千年、万年、そのみ旨のために変わらずに団結し、サタンに対する敵愾心を抱いていかなければならないということです。そのようにできる青年男女を、天は求めているのです。このように、天的なみ旨に徹する本物の青年たちを、天は探し求めてこられました。
民族に代わって私たちにこのような使命を任せたとすれば、私たちは父の怨恨の心情を感じ、父の悲しみを自分の身に抱いて、怨讐に向かって進撃できる精兵にならなければなりません。そのために皆さんは、皆さんの生活と理念を統一させなければなりません。天の悲しみと、イエス様の悲しみと、先祖たちの悲しみと、子孫たちの悲しみを解怨するために、進まなければならないのです。
10 青年男女の皆さんは、自分自身が着飾る前に、この三千万の民族が着飾るようにしようという心、自分自身を考える前に、この地上の万民を考える心が湧き出なければなりません。さらには、一株の草までもつかんで泣いてあげられる心が、自分も知らぬ間に心中で爆発しなければなりません。このような心情をもつことができなければ、完全な神様の息子、娘になれないのです。そのような人間は、神様の涙の実であり、神様の苦痛の実であり、また神様の血の祭壇の上に上がる供え物なのです。
それでは、この民族の行く道を開拓する人は誰でしょうか。本当にこの民族のために地をたたき、胸を打ちながら痛哭する人が現れなければなりません。この世界を救う人は、青年男女たちなのです。

Wednesday Mar 22, 2023
真の父母経 第96話
Wednesday Mar 22, 2023
Wednesday Mar 22, 2023
第一章 協会登録と内的基盤拡大
第一節 協会の法人登録と聖殿の建設
協会の法人登録
一九六〇年十月十四日に協会機構が初めて確定したのち、教会の発展に伴い、組織にも多くの変化があった。一九六三年五月三十一日、創立十年目にして、協会が社会団体として政府に正式登録され、十月四日、維持財団の法人認可も獲得した。これにより、真の父母様は、民族復帰のために、内外に対してより一層の拍車を掛けることができたのである。
1 私たちは、一九六〇年まで激しい迫害を受けました。それ以降ももちろん迫害を受けましたが、私たちは、次第に成長してきたのです。復帰摂理は、カインとアベルにおける闘いです。私たちが協会を政府に登録しようとしたとき、文教部(日本の「文部科学省」に当たる韓国の中央行政機関「教育部」の旧名称)で登録業務を扱っていたのですが、その時、文教部長官が私たちの申請を拒否しました。私たちは、それと闘わなければなりませんでした。
一週間後にそれが覆されたのです。その一週間は、七十年、七百年、または七千年に該当します。その当時、それが覆されなかったとすれば、私たちは、どんな宗教的な運動もできなかったでしょう。それは覆されるようになっていたのです。ついに、一九六三年五月三十一日、協会が政府に、正式登録されました。
2 統一教会は、第三イスラエルとして祝福され、忠孝の道を相続できるユダヤ教の立場に復帰されました。ですから、協会の政府登録証が出たのです。ローマ帝国と同じ(立場の)アメリカにも登録され、ユダヤの国と同じ(立場の)韓国にも登録されました。
このように、宗教を中心として世界的な舞台を築いておいたので、今からは誰も私たちを追放できず、抑え込もうとしても抑え込むことができないのです。ユダヤ教は、イスラエル民族の思想的な分野を担当し、新しい天地に向かっていく方向を教えてあげるべき使命がありました。これからその方向を教えてあげる責任を、統一教会が果たさなければなりません。
3 私たちの教会が政府に登録されたのは喜ぶべきことでしたが、お父様は喜びませんでした。なぜなら、また別の闘いが残っていたからです。神様がお喜びになる時、共に喜ぼうと思うのです。あと四年が過ぎれば、第一次七年路程が終わり、お父様の二十一年路程も終わります。
この民族は、次第に混乱に陥っていきます。私たちは、この時に備えなければなりません。贖罪の祭壇は、統一教会しかありません。四年が過ぎたあとには、この民族を代表して動員され、世界のために犠牲となり、奉仕しなければならないのです。そうして、涙と血によって世界を復帰しなければなりません。韓国が問題ではないのです。世界と天宙を神様にお返しするために祈らなければなりません。
4 お父様は、他の人々が知らないことを知ったので、かわいそうな人になりました。ですから、第一次七年路程の三年の期間は、足を伸ばしては眠れなかったのです。老若男女が頭を下げて「指導してほしい」と言い、民族と国家が従ってくるようにしなければなりません。統一教会が政府に登録されることによって、どんな権勢も、行く道を遮れない立場に立つようになりました。神様は、再び来られる主が死ぬことがないようにしようと、民主主義を立てられました。(しかし、)協会が登録されたといって安心することはできません。
5 今日、統一教会は、どのような立場に置かれているのかというのです。どのような時代的な過程に置かれているのでしょうか。第一次七年路程の三年の期間は、どのような期間なのでしょうか。イエス様は、三年の公生涯路程の末に、十字架を背負いました。そのため、民族を中心として勝利の足場を築く期間が崩れたのです。そうして、神様のみ旨が延長されたのですが、いつまでも延長されるのではありません。日本統治下の四十年と三年のアメリカ軍政期間は、原理的に、イスラエル民族のエジプト苦役四百三十年の期間に該当します。
それでは、三年のうちの最初の年は、どのような年だったのでしょうか。最初の年は、立つ場がないので、肉界と霊界が一つになって立場を整える年でした。統一教会としては、生死を決定する年でした。お父様が一九六〇年に聖婚することによって、初めて個人が定着するようになりました。一つの基点を立てたのです。それは、どのような基点でしょうか。モーセが紅海を渡る前の三日期間に立てたのと同じ基点です。復帰歴史のすべてのものが、この三年の期間にすべて入っています。この期間を終えることにより、造成された四位基台を中心として、協会登録をしたのち、一九六三年の陰暦四月十三日に、宣布式を行うようになったのです。
世界本部の敷地購入および地方教会の建設
世界宣教本部建設のため、一九七一年四月十四日、ソウルの汝矣島において一万四千坪以上の敷地を購入した。食口たちも、一坪ずつ購入することを通して精誠の条件を立てたのである。真の父母様は、世界巡回を終えて帰国されるたびに、ここに寄って祈られた。そして、全国の教会聖殿建設のために資金を支援され、一九七四年六月十日、忠南(チュンナム)教区の新灘津(シンタンヂン)教会を皮切りに、一九七六年まで、全国で百八十八棟のAタイプ聖殿が建てられた。
6 父母様が地方に行って、みすぼらしい教会の門をくぐるとき、教会がこのように悲惨なことを誇りに思います。「この悲惨な姿が、今の時代には悲惨なものとして流れていくかもしれないが、歴史的な時代が訪れるようになれば、この悲惨さは、旗を高々と掲げて万国、万民の前に誇りとなるだろう」と考えるのです。
他の人の世話をして眠りに就く人には平和の解放が訪れ、勝利の栄光の称賛の声が準備されているというのです。ですから、統一教会は次第に上がっていくのです。それゆえ、私はどこに行っても恥ずかしいことがなく、どのような人に会っても堂々としています。
7 本部と言っても、青坡洞の本部が世界本部ではありません。私は外国の食口たちに、「この青坡洞の本部は、これこれこのような歴史を中心とした何かをもっている所なので、みすぼらしいけれども、ここを忘れてはいけない」と言いました。しかし、ここが世界本部にはなり得ません。
世界本部というものは、一番だという意識を与えなければなりません。また、世界本部は新しい所に造らなければなりません。そのような意味で、汝矣島に土地を買うことになったのです。世界本部の土地を買おうとすれば、新たに出発できる所に買わなければなりません。そのような所に世界本部を造らなければならないというのです。世界のために世界本部がなければなりません。
8 今や、統一教会も時が来たので、本部を造らなければなりません。ですから、韓国に四ヵ所の土地を設定しておいたのです。四位基台を復帰できる経済的基盤を築かなければならないので、このことをしています。国家や世界に対して、今後、私たちが必要とする基地を用意するため、これに着手しているのです。
9 世界本部は、世界を指導しなければならない殿堂です。世界本部を建てようとすれば、二万一千坪は買わなければならないのですが、今は買おうとしても買えなくなりました。ですから、仕方なく一万四千坪の土地だけでも買わなければならないと考えています。
その土地は、韓国の食口たちが買わなければなりません。父母様は、精誠の限りを尽くして国を越えに越え、このようなことをしているのですが、み旨を知った人として、ここに加担できなくなるとすれば、千秋万代に恨が残るでしょう。
10 韓国を見れば、今や私たちが立ち上がるべき時になりました。また、汝矣島にも世界本部を立派に建てなければなりません。今後、汝矣島は、ソウルの中心街になるでしょう。それを見れば、神様が保護され、私が予想したことがすべてぴたりと当たりました。そして、世界本部の前に広場ができるのです。
11 これから、全国に教会を建てなければなりません。ですから、土地の準備をしなければなりません。皆さんが協力し、本部も協力して、何としてでも教会を建てなければならない時が来ました。一九七五年には千人の国際機動隊が日本を訪れ、韓国まで来ます。そうすれば、千人全員がソウルに一度にとどまることはできないので、八大都市を歴訪させなければならないでしょう。ですから、教会を造らなければならないというのです。皆さんが互いに協力して一つになり、教会を建てなければ、その教会は長くもたないのです。
皆さんが精誠を尽くし、血と汗を流しながら建てなければなりません。それを建てる時に大変であれば大変であるほど、その教会を見つめるたびに信仰を維持できる、一つの表象的な殿堂になるのです。
12 私は、A型教会建設運動をしようと思います。その費用の半分は、皆さんが用意しなければなりません。その半分を用意した所から造ってあげます。材料を持っていって組み立てさえすればよいのです。「どこどこに準備できました」と言えば、本部でその場所が適しているか否かを鑑定するのです。
建物を避難場所のような所に建てておくと、建物が死にます。趣や前後、左右のすべての環境が、建物を造ることによって合うか、合わないかを鑑定するのです。そのように鑑定して不合格になれば、他の所に建てなければなりません。もし合格した敷地があれば、次は基礎を造るチームが行くのです。そのチームが先に行って、基礎だけを築きます。
その次に、そこに骨組み、骨格を建てればよいのです。トラックに材料を載せていって柱と門を建てるのです。そのように骨格を建てておけば、瓦を載せればよいのです。雨が漏れないようにしておき、その次に左官作業をする人が行って壁を塗り、床張りをする人が床を張ります。そのように責任を分担させ、移動しながら一気に教会を建てるのです。
13 一九七五年の「希望の日」晩餐会の集会以降、キリスト教が私たちに反対するとしても、一般国民は支持し得る段階に入りました。迫害を受ける時は困難でしたが、歓迎を受けられる時になったので、皆さんも故郷の山河を訪ねていき、皆さんの氏族を訪ねて天の国の族譜を作る時に加入させなければなりません。皆さんの一族を族譜に編入させなければ、皆さんは先祖から讒訴を受け、今後、子孫から讒訴を受けるでしょう。
父母様は、本部教会を建てる土地を買っておき、地方教会を造っておきました。そして、清平で、世界の若者たちを教育できる修練所と大学の敷地を買うようになりました。

Tuesday Mar 21, 2023
真の父母経 第81話
Tuesday Mar 21, 2023
Tuesday Mar 21, 2023
21 私は、家庭で自分の好きなように生きてきた人にも、すべて道を開いてあげる特赦を下しました。祝福を受けなさいというのです。自分の父と母を、堕落していないアダムとエバの立場、堕落していない天の国の息子、娘の立場に立ったのと同様の価値として認定するのです。統一教会でそのように認定すれば、世界的にも認定せざるを得ません。
お父様が「世界平和女性連合」の創設とともに、女性解放運動を通して門を開け放つことによって、家庭を中心として堕落したアダムとエバが、再び家庭基準に帰ってきた立場に立ったので、外的世界の家庭に特赦を与えるのです。それがいつでもあるわけではありません。この期間が過ぎれば、すべての既成家庭が祝福を受けるためには、氏族メシヤの前に出ていかなければならなくなります。氏族メシヤたちが祝福をするのです。
22 太陽は、朝、昇る時間になれば、自動的に昇ってきます。ですから、与えられた難しい条件の中でも、世界の人たちのために環境を創造して祝福をするのです。それは歴史的です。本格的な祝福は一九六一年からです。そして、祝福が世界化するのは一九九二年からです。その時までは忍耐し、一九九二年から拡張させたのです。統一教会の祝福を世界化したというのです。女性時代の到来とともに、そのようにしました。
23 キリスト教とイスラームは、イスラエルの立場から見れば怨讐です。彼らは、自分たちが一つになるとは夢にも思っていません。しかし、彼らを一つにしなければなりません。ですから、一九九二年四月十日、世界既成家庭祝福結婚式を通し、お父様がお母様と共に、彼らを祝福してあげました。イエス様が亡くなることにより、真の母を探し出せませんでした。それゆえ、今回の祝福結婚の祝宴とともに、すべてを連結したのです。イエス様の復活圏です。それは国家基準です。
ローマを踏み越えて世界的版図の上で再び生き、二千年歴史を超越して勝利的版図を固めて救い、お母様を世界的エバ圏として立てておいたのです。ですから、女性解放時代が来るのです。今や最後です。祝福をしてあげれば、すべて終わります。そうすれば、地獄に行く道が一八〇度、回るのです
24 今まで全世界にいる祝福家庭は、すべて同じ水準の位置に入ってきています。キリスト教徒や他の宗教人を問わず、真の父母の特権によって、すべての家庭を同じ位置に立ててあげるのです。
アベルを祝福したのは、カインを祝福してあげるためです。ですから、同じ位置に立てるのです。
祝福家庭の父母たちは、自分の好きなように結婚して、統一教会に反対した人たちです。その父母たちを、氏族メシヤという名を中心として、堕落していないアダムとエバの位置に上げなければなりません。このようにして、真の父母様を中心として、家庭、氏族、民族、国家、世界的なすべての中心分野に連結されるのです。
ですから、一九九二年八月の「世界文化体育大典」の時に、全世界的に一般の既成家庭に門をすべて開けてあげるのです。祝福を受ける立場に立てば、天の血族圏内に入ってこられる道が開かれるようになります。
独身祝福式
最初の独身祝福式が、一九六三年三月二十八日、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で挙行された。年齢問題などの事情により、地上で相対を迎えて祝福を受けられない場合、まず独身祝福を受け、霊界において相対に出会えるようにしたのである。この日の祝福式には、入教六年、六十歳以上になった食口四十一人(男性一人、女性四十人)が参加した。以後、数回にわたって独身者の祝福式が開催された。
25 年を取っているために、嫁ごうにも嫁げない六十歳以上の人たちに対して、一九六三年の「父母の日」に集まるように言いました。彼らが死んだあとに行く、家庭的な楽園型をあの世につくってあげるためです。今までの楽園は、家庭的な楽園ではありません。相対関係が決定されていませんでした。天使世界のように、すべて相対がいません。しかし、この時代において父母様が、そのような年を取った人たちに、この地で相対理念をもたせて、あの世に約束された楽園的な家庭をつくっておかなければなりません。
天国は本来、家庭を中心として、父母や妻子を引き連れて入る所なのですが、それができなかったので、父母様が、楽園的な天国がつくられるようにしなければなりません。ですから、その人たちを保護してあげなければならないのです。地上で相対と結ばれずに死んで霊界に行くようになれば、霊人たちの相対になれるという約束の基準だけでも立てておかなければなりません。
26 お父様がアダムの立場で、堕落したエバを復帰してこそ、この復帰されたエバを通して、自分の相対を復帰してあげられます。お父様がエバを復帰してあげるので、初めて天の側に立つようになることによって、未来の夫を探してあげられるというのです。アダムがエバの言うことを聞いて付いていって堕落しましたが、復帰時代には、完成したエバの言うことを聞ける霊人を探し出し、それと一つになることによって復帰するのです。
そのように霊界で相対を探し出して約婚式をし、エバ復帰式をして、その次に、聖酒を通して霊的に愛を復帰してあげる式をするのです。それをしていってこそ、皆さんがあの世で選択権をもてるのです。そこには待っている霊人たちがたくさんいます。数多くの霊人たちが自分を相対として選んでくれることを願っています。そのような特権があるのです。ところが、特権があるからといって、皆さんが先に行って「私たちだけで暮らしましょう」とは言えません。父母様が行く時まで待たなければならないのです。私が霊界に行って承諾しなければなりません。皆さんの思いどおりにはできないというのです。
27 一九七八年十一月七日午後五時五十三分を期して、百一双の約婚式を挙行しますので、聖なる(天の)お父様の名によって許諾してください。この地上にいる娘たちと、霊界にいる息子たちが一つになり得る縁を許諾してください。地上の娘と霊界の息子を相対として結んであげるに当たって、未来に永遠なる世界に行き、家庭を築ける権限を天の名と真の父母の名によって与えますので、お父様、お受けください。
全霊界の霊人たちが願う崇敬の的として、一人一人が残ることを知っております。彼らと共に、地上のある期間を過ごし、霊界に行って結ばれ得る一つの縁をここに決定いたしますので、お父様、お与えください。そうして、霊界に行っても真の父母の名とともに一つになることによって、永遠なる夫婦の縁を設定することを願いますので、お父様、許諾してください。地では実体をもち、霊界では未来の条件的な霊的実体として祝福の道を開くことを願いますので、お父様、許諾してください。この百一双の約婚を許諾してくださることを願いながら、これより挙行する結婚式も許諾してくださることをお願い申し上げます。
第三節 七百七十七双、千八百双、二千七十五双、六千双の祝福結婚式
国際祝福結婚時代を開幕した七百七十七双祝福結婚式
七百七十七双国際祝福結婚式は、一九七〇年十月二十一日、ソウルの奨忠(チャンチュン)体育館で開催された。この日の祝福式には、韓国から五百三十九双、日本から二百三十五双、欧米から十六双など、十ヵ国から合計七百九十双が参加し、祝福式後、新郎と新婦たちは、四十二台の大型バスに分乗して、ソウル市内でパレードを行った。真の父母様は、「七百七十七家庭の祝福を通して、祝福結婚式を世界的に拡大する意味がある」と語られた。
1 一九六九年に、世界の数多くの国を代表する四十三家庭を祝福してあげました。国家基準の四百三十家庭の前に、四十三数の相対的家庭です。韓国のすべての氏族たちが天の圏内に加わる特別な恩恵を受けたのですが、これは世界の民族が加われる内的基盤になりました。この相対的基準を連結させれば、外的世界の氏族も内的世界の蕩減基準にある韓国民族と連結され得るというのです。ですから、それ以降は、国際結婚時代に入ります。
韓国の統一教会員は、韓国の民族的統一教会員ではなく、世界的統一教会員になるのです。ドイツの統一教会の食口がいれば、その食口はドイツの民族的統一教会の食口ではなく、民族的統一教会の食口を越えて、世界的統一教会の食口圏内に入ります。結婚国際連合時代です。そのような時代に入るので、その時から七百七十七双を中心として、国際結婚時代が始まるのです。
2 世界は、統一教会の運勢圏に入ってきて、次第に動くようになります。ですから、一九七〇年十月二十一日に、初めて国際祝福結婚式をしました。それが七百七十七双です。これは、世界的にすべてのものが近づいてきていることを意味します。七百七十七双を祝福する前までは、父母様が直接行って祝福をしてあげました。韓国に連れてきて祝福をしてあげてはいけないというのです。
ところが、初めて韓国で世界的に七百七十七双の国際祝福結婚式をしました。そこに十ヵ国の人が参加しました。このようにして家庭理想を中心として、世界のどの国であっても、神様に帰っていける道が完成したのです。この時を中心として、世界の運勢は統一運勢へと戻ってこられるようになりました。
3 父母様が、一九七〇年の七百七十七双祝福式に十ヵ国を参加させたのは、世界を代表して十数を蕩減するためでした。それによって、家庭を中心として世界的に新しい支派を編成できます。世界的に結んだので、世界的な支派を編成できるのです。
超民族的な基準で新しい支派編成ができる基準を立てておいたというのです。そうしなければ、韓国人以外はここに入ってこられません。韓国民族本位で進むようになれば、超民族にはなれません。しかし、このようにすることによって、超民族的な道が開かれるのです。キリスト教が世界的な基盤を築いてきたその型を、私たちが摂理的なみ旨の前に民族編成をし、世界を代表する蕩減的な民族型としてまとめておいたのです。
4 七百七十七家庭の祝福を通して、世界のどの民族であっても天に行けるように橋を架けました。十ヵ国を中心として役事をしたのです。四十三双も十ヵ国の人が参加しました。十数以上にならなければなりません。世界の十ヵ国が初めて天と共に、横的に左右に往来でき、家庭がどこに行ったとしても引っ掛からないように門を開けておいた世界的な宣布式が、七百七十七双の祝福です。三掛ける七は二十一、三数と七数の恨の峠を蕩減復帰する目的は、二十一年路程において、霊肉界と男女を中心として、サタンの讒訴圏から逃れるためです。
世界的に祝福家庭が讒訴圏から逃れ得る完全な基盤を、十ヵ国を中心として築いておいたのが七百七十七家庭です。それが終わったので、韓国のものは世界のものになり、世界のものは韓国のものになるのです。

Saturday Mar 18, 2023
真の父母経 第80話
Saturday Mar 18, 2023
Saturday Mar 18, 2023
十ヵ国、四十三双祝福結婚式
真の父母様は、一九六九年の第二次世界巡回路程中、十ヵ国、四十三双祝福結婚式を主宰された。そして、「世界巡回中に行われた十ヵ国、四十三双の祝福は、韓国の四百三十双と連結させ、世界に祝福を連結させる意味がある」と語られたのである。真の父母様は、二月二十八日にアメリカのワシントンDC教会で十三双(新婚七双、既成六双)、三月二十八日にドイツのエッセン教会で八双(新婚七双、既成一双)、五月一日に日本の東京教会で二十二双(新婚十二双、既成十双)を祝福された。
13 一九六八年から始まった第二次七年路程を中心として、世界が回っていきます。世界では、カインとアベルが闘っていたのと同じ立場で、右翼と左翼が闘っています。この争う世界を収拾して、新しい家庭、新しい社会、新しい国家、新しい世界を築いて、発展していかなければなりません。それが原理観です。それが、統一教会の果たすべき使命です。
こうして、一九六八年一月一日を中心として、「神の日」をこの地上に設定しました。この日は、統一教会として勝利した日です。そうして、四百三十双まで祝福してあげました。このような勝利の日を横的に、世界的に連結させなければならないので、父母様は一九六九年に世界を歴訪しながら、四十三双を祝福してあげました。これは、韓国における四百三十双の祝福と連結したものです。
四十三双を祝福してあげることにより、十ヵ国を横的な舞台に連結させたのです。韓国で成し遂げられたことを世界化しなければならないというのです。
14 四十三双の祝福は、国際結婚が多いのです。アメリカ人はドイツ人、オランダ人はイギリス人、このように国際結婚をさせました。(欧米では)同じ国の人同士では、ほとんど結婚させませんでした。世界を復帰するためには、民族的な感情や愛を超越して、世界的な感情をもたなければなりません。それで、国際結婚をさせたのです。そのようにしても、全員が「うれしい」と言うので、それを見るお父様も気分が良かったのです。
お父様が祝福をしてあげたあと、彼らに「韓国のために何をするのか」と尋ねました。彼らはみな「何でも仰せのとおりにします」と答えました。歴史上に、アジア人の一人として、ヨーロッパでこのようなことをした人は今までいません。このようなことを見ながら、「統一思想」がどれほど途方もないものかを、いま一度感じさせられました。
15 四百三十家庭を祝福することによって、大韓民国が統一教会と連結され得る立場に立つようになりました。それは、韓国の国民が、統一教会を信じてはいないのですが、四百三十家庭を中心として第三イスラエル圏の恵沢を享受できる圏内で、蕩減条件を立てたのと同じだというのです。ですから、大韓民国が選民圏になったのです。
四百三十家庭を祝福したその次は、世界的に大韓民国の領土と国民を拡大させなければなりません。ます聖地を選定しそれから四百三十家庭に接ぎ木の役事をしなければなりません。ですから、第一次世界巡回で四十ヵ国を中心として聖地を選定し、第二次(世界)巡回において四十三家庭の祝福をしました。四百三十家庭に相対する数の四十三家庭を、日本とアメリカとドイツを中心として連結させるのです。これは世界史的です。そうすることによって、世界の数多くの信仰をもっていない人類も、イスラエル圏の恵沢を受けられるようになりました。
四千年あるいは六千年の間、ユダヤ教とキリスト教の歴史を経てきましたが、そのように伝統を引き継いで信じてきた彼らと同じ恵沢圏内に、たとえ信じていなくても、平面的時代において加われる特権を与えるというのです。このような基盤が形成されました。
既成家庭の祝福結婚式
既成家庭だけの最初の祝福結婚式が、一九六三年二月八日、二十六双が参加する中、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で挙行された。そして、四月七日、二回目として、二十七双に対する祝福式が開催された。彼らは、祝福結婚式を受ける前に家庭を築いていた夫婦であり、大部分が協会の草創期に貢献した、教会の元老クラスの食口たちであった。真の父母様は、彼ら既成家庭が、後輩家庭の手本となり、垣根にならなければならないことを強調された。一方、一九九二年四月十日、「世界平和女性連合」創設大会の直前行事として、千二百六十七双の世界既成家庭祝福結婚式が行われた。この日は、韓国と日本をはじめ、三十三ヵ国から参加者が集った。特に、真の父母様は、中東のイスラーム圏九ヵ国から四十五双が参加することにより、宗教と国家を超越して祝福が公に開放されたと語られた。
16 既成家庭とは、この世において自分たち同士二人で結婚して築いた家庭です。その家庭が、神様の願う家庭として認められるためには、原理的な立場から見るとき、男性ならその男性が、神様が家庭を中心として探し求めてくる歴史において、代表的な中心者にならなければなりません。さらにまた、歴史的な伝統を引き継げる男性にならなければなりません。アベルからノア、アブラハム、モーセに至るまで、私たちの先祖たちが神様の歴史を支えた伝統的起源を、そっくりそのまま引き継ぐべき代表的存在が、家庭をもった人なのです。
それでは、その家庭を代表する男性が身につけていくべき思想や生活観、生涯路程とは、どのようなものであるべきでしょうか。既成家庭を中心として愛していた、その愛以上の立場に、男性が先に立たなければなりません。それにより、昔家庭をもって夫婦同士で愛し合っていた立場を否定して、新たに結ばれた夫婦として、歴史時代にない新しい愛の絆を立てなければなりません。
17 既成家庭は、既成家庭ではない家庭の垣根にならなければなりません。言い換えると、歴史時代にアベルが犠牲になったことを蕩減してあげられ、家庭的摂理においてアベルが信じられる家庭にならなければなりません。
過去においては違いました。過去にはお互いに反発の要因になりました。しかし今は、問題があれば訪ねていって相談することもでき、相談だけではなく、自分を訪ねてきた家庭を誰よりも心配し、保護してあげられる家庭にならなければなりません。家庭として見れば、兄の家庭と同じだからです。カインは兄です。アベルは弟です。皆さんはすべて兄弟たちです。既成家庭が兄ですが、これは願わざる兄の立場に立ったのと同じです。
したがって、祈るにしても、どちらがたくさんしなければならないのでしょうか。過去にはアベルたちが、よりたくさんしました。カインを救うために、アベルが天のみ前に多くの精誠を捧げたのです。しかし、今の時代は、カイン家庭がアベル家庭のために、より多くの精誠を捧げなければなりません。
18 大抵、既成家庭は、今まで暮らしてきた習慣的な生活をそのまま保っていきやすいのです。昔と違うところがありません。祝福を受けて変わったこととは何かというのです。昔のその男性と同じ立場、その女性と同じ立場にいるので、まかり間違えば常習化しやすいのです。そのような立場にとどまってはいけません。新たに家庭を編成したので、その家庭は昔の家庭よりも歴史的な家庭にならなければなりません。男性が女性のために生き、女性が男性のために生きるとき、昔とは異ならなければなりません。昔は自分たち二人だけのために生きましたが、今は自分たちだけのために生きるのではなく、神様のために生きなければなりません。
アダムとエバは、神様のために生きられなかったことによって堕落し、悲しみの家庭として出発しました。既成家庭の人たちが、そのような神様の秘められた心情を解いてさしあげ、解怨成就してさしあげられる夫婦になる時、神様はその家庭を基盤として新たに訪ねてくる息子、娘を中心として、希望がもてるのです。
19 既成家庭で育っている子女は、祝福を受ける以前の子女とは違います。また、父母とも全く違います。そのように格段の差を決定し得る責任は、まず男性にあり、その次に女性にあります。夫婦がこの責任を十分に果たさなければなりません。また、この夫婦がすべきこととは何でしょうか。妻は、堕落した男性に侍る立場に立ってはいけません。また、男性は、堕落した妻に侍る立場に立ってはいけません。結局は、堕落しなかったアダムとエバの基準を立てて、初めて侍ったと誇れなければなりません。ですから、既成家庭は、昔と次元が異なる立場にいる家庭であることを知らなければなりません。
祝福を受けた家庭として、なおかつ既成家庭として、再び結ばれたその家庭が、天のみ旨を中心として一つにならなければなりません。一つになれなければ、天のみ前にそれこそ面目がありません。
過去においては、天のみ旨を知らない立場で悲しみの歴史を綴ってきました。み旨を中心として新たに結ばれても、昔の伝統と習慣に染まった生活形態を反復すれば、それは天のみ前に二次的な悲しみを呼び起こすのです。そのようなことがあってはいけません。ですから、昔とは著しく変わらなければなりません。新しい歴史の流れをわきまえて、新しい伝統を樹立すべき責任が既成家庭にあるのです。
20 既成家庭は、新しく祝福を受けた家庭の人たちが、よく見ていることを知らなければなりません。新しく祝福を受けた家庭の人たちは、自分たちだけで新たに家庭を出発したので、家庭に関することをよく知りません。また、子女を育てることにおいても、既成家庭と比較し、まねしやすいのです。このような点から見ると、既成家庭は極めて重要な立場にいます。ですから、既成家庭は、過去とは違う立場に立って模範にならなければなりません。過去とは異ならなければならないというのです。著しく違わなければなりません。著しく違うものにならなければ、天の家庭、天が願う家庭として立つことはできません
また、カインの立場だとしても、自分一人ではありません。新しく祝福を受けた家庭の前に、カイン的な家庭として模範にならなければならず、そこにプラスにならなければなりません。このような伝統が、統一教会の既成家庭を中心として成立しない限り、今まで自分たち同士で結婚した世界の数多くの家庭は、復帰される道がないのです。

Thursday Mar 16, 2023
真の父母経 第79話
Thursday Mar 16, 2023
Thursday Mar 16, 2023
第二節 七十二双、百二十四双、四百三十双の祝福結婚式
七十二双は、カイン・アベルの氏族的復帰型
七十二双の祝福結婚式が、一九六二年六月四日、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で開催された。七十二双は、カイン・アベルの二つの型として立てられた家庭であり、三十六家庭を基盤にした家庭型を氏族型に復帰した家庭である。この時から祝福結婚式委員会が結成され、祝福結婚式の趣意書が発表された。祝福式は、二十四双ずつ、三回にわたって行われた。
1 アダムとエバの息子であるカインとアベルから闘いが始まりました。それで、この世界をこのように台無しにしてしまいました。それは、その子孫たちが闘争の世界をつくったということです。これを蕩減復帰しなければなりません。そのためには、三十六代の息子、娘たちが、神様のみ前で、闘わずに一つになったという条件を立てなければなりません。ですから、カインとアベルに分立した数、すなわち三十六の二倍の数である七十二家庭を立てたのです。この七十二家庭が立てられることによって、カインとアベルが闘わずに四位基台をつくり上げる、歴史的な先祖の基盤を築いたのです。サタンに対して防備できる絶対的な基準が立てられたというのです。
2 神様の願いは、個人の救いだけではありません。家庭の救いを求め、氏族の救いを求めるのです。ですから、イスラエル十二支派の支派長だけではいけません。族長が必要だというのです。三十六家庭のカインとアベルが必要なので、これを内外として、横的に二つの家庭を連結させ、七十二家庭を立てました。これは横的世界の出発のためです。これは族長になります。族長圏が生じるのです。
3 七十二家庭は、イエス様の七十人門徒に該当します。この家庭は、イエス様が十二弟子と七十人門徒を中心として氏族を編成しようとしたものを実現した型です。イエス様の十二弟子と七十人門徒を家庭型で復帰した氏族型が七十二家庭なのです。言い換えると、三十六家庭と七十二家庭は、イスラエル民族を中心としたイエス様の十二支派と七十人門徒のようなものであり、イスラエル民族を指導できる代表的な型を復帰した型です。これは、神様がイスラエルを中心として復帰しようとした基本数がすべて復帰された型なのです。
公開された最初の祝福行事、百二十四双
百二十四双の祝福結婚式が、一九六三年七月二十四日、ソウル市民会館で開催された。百二十四双は世界を代表し、イエス様の百二十門徒を象徴する。百二十四双の祝福結婚式は、韓国人だけで行った最後の祝福であり、公開して開催された最初の祝福である。祝福結婚式後、新郎と新婦たちは、百五十台の自動車に分乗してソウル市内でカーパレードを行い、市民の注目を集めた。
4 私たちが祝福結婚式を外部に公開するようになったのは、百二十四家庭からです。それは世界型だからです。大韓民国は、既にキリスト教圏から見ても、世界的な現時点から見ても、世界の運勢を中心として摂理を推進する主体国なので、百二十四家庭を世界の代表として設定する時だと考えたのです。百二十四家庭は、世界を代表する型です。三十六家庭と七十二家庭の祝福は、私たちの教会内で行いました。これは、ユダヤ教を中心として民族形成の基盤を築くのと同じことなので、私たちの教会を中心として内的基盤を確保するものです。その次に、外的基盤を見ると、世界史的なキリスト教文化圏と接触するために、百二十四家庭を中心として世界基盤を拡大していくのです。百二十四家庭が祝福を受ける時には、国連の加盟国も百二十四ヵ国になるべきなのですが、それが間違いなく合うようになります。それは、世界国家の代表である韓国において、内的蕩減の要因を確立させる世界史的な条件を立てる祝福だったというのです。
5 イエス様の十二弟子の十二数を十倍した百二十数は、平面的な世界を代表できる数です。ですから、この百二十人門徒と同じ数を合わせるために、百二十双の祝福をしたのです。本来は百二十家庭ですが、四方数である四双を加えて、百二十四家庭を祝福しました。イエス様の百二十人門徒に代わる百二十四家庭は、世界的な型です。
その人たち自体に世界を統治し、世界を支配できる権限があるというのではなく、世界の代表型として、世界的な蕩減条件を立てる基盤になるということです。ですから、百二十四家庭を立てることによって、神様が世界的に訪ねてこられ得る基準を立てるようになったのです。それゆえ、国連の加盟国が百二十ヵ国を超えれば、その時が終末だと言えるのです。
6 百二十四家庭の祝福をする時、その中には前科者の四家庭を入れました。必ず、前科者たちを入れなければならないので、入れたのです。天の役事(働き)は、犠牲にするための役事ではなく、万民を救うための役事なので、信仰をもつ信者はもちろんのこと、信仰をもたない良心的な人、罪を犯した人、監獄に入っている人までも、みな救ってあげなければならないというのです。ですから、世界的な国家代表を立て、家庭的な門を立てて、世界万民が入ってこられるようにしたのです。
それと同時に、今までに罪を犯して獄中で呻吟している人までも通れる門を立てて、開けてあげなければなりません。そのような意味で、百二十四家庭を中心とした祝福の基盤が成立するようになったのです。
7 百二十四家庭の祝福結婚式をする時は、とても素晴らしかったのです。結婚式が終わってから、みなタクシーに乗ってソウル市内を回りました。百五十台のタクシーが走るので、市民たちはみな驚きました。首都ソウルがひっくり返り、三千里半島が揺らぐ立場で挙げるこの結婚式は、男性でも女性でも、一度やってみる価値がある結婚式ではないでしょうか。今後、世の中が私たちに付いてくるかこないか見てみようというのです。次は外国人たちも連れてきて祝福式を行う予定です。
四千三百年を蕩減する四百三十双祝福結婚式
四百三十双祝福結婚式が、一九六八年二月二十二日、ソウル市民会館で開催された。四百三十双は、韓国歴史四千三百年を蕩減復帰する型である。真の父母様は、日本からの三人を含めることにより、祝福を外国に連結する条件を立てられた。この祝福結婚式後、新郎と新婦たちは観光バスと自動車に分乗し、ソウル市内でカーパレードを行った。
8 統一教会が韓国で、まだ国家基準の蕩減ができていない状態で執り行われたのが四百三十双の祝福でした。四百三十という数字には、どのような意味があるのでしょうか。祝福をした年の檀紀四千三百年と、イスラエル民族のエジプト苦役路程四百三十年に該当するのが、四百三十という数字です。イスラエル民族の理想である民族解放の基準を中心として、韓国のすべての国民が、神様のみ旨の前に立てる道を開いてあげたのです。それは相対理想の道です。
今までの宗教のように、個人の理想を中心として道を開いてあげたのでは役に立ちません。統一教会は、相対理想の道を四方八方に開いてあげました。ですから、全国民を動かし、歴史を通して歴史的蕩減の実体を自分の一代で成し遂げなければなりません。
9 韓国が開国してから四千三百年となったその年に、四百三十家庭が祝福を受けました。ですから、四百三十家庭は、すべての氏族を代表しているのです。大韓民国のすべての氏族を代表して参加したのです。一人も入れなかった姓氏があったとしても、親戚関係、母方の実家や叔母の家などから入るので、すべてが連結されます。各姓氏がみな四百三十家庭と連結されるというのです。ありとあらゆる人がすべて入りました。
また、歴史を見る時に、赦されない罪を犯した人も入っています。大韓民国の全国民にも、四千三百年間経過する中で、罪を犯して天のみ前に立てなかった人にも、道を開いてあげたのです。すべてひもを付けて橋を架けてあげました。そうなることによって、大韓民国がおのずと生きる道ができ、天の国と連結され得る道ができるのです。
10 三数と四数は天と地を象徴します。四数と三数を掛ければ十二数になります。十二数は調和数です。天地の調和数が十二数なので、全体数を代表します。ですから、大韓民国において四千三百年目に、四百三十数に該当する祝福をしてあげたのです。大韓民国において、四百三十数を合わせて祝福してあげたのは、大韓民国の家庭は、誰でもみな、いつでも自由に天国に入っていけるという意味です。ですから、天国にすべて入っていけるという条件を立てたのが、四百三十家庭の祝福なのです。国家基準を中心として見れば、誰でも天国に入っていける基準が、四百三十家庭の祝福によって設定されました。
11 一九六〇年を中心として、三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭を中心に今まで歩んできているのです。そして、七年路程の最後の峠を中心として、四百三十双(実数は四百三十六双)を祝福してあげようと思います。それは、六百六十六数以上の祝福数を立てなければならないからです。六数はサタン数であり、その位置は神様のみ前では怨讐の立場です。私たちは、この六数を越えなければなりません。ですから、既成家庭まですべて合わせて七百六十家庭が、七年の期間内に祝福を受けることになるのです。
12 お父様は、エバを復帰し、天使長を復帰したので、ついに責任を果たしました。アダムとしての責任を果たしたというのです。このような環境で、家庭を中心として息子、娘たちを愛し得る時になれば、善なる人が蕩減する時代ではなく、悪なる人に蕩減させて、善が利益を得る時代に変わるのです。これからは統一教会の運勢圏に入ってくるようになります。皆さんが祝福を受けて一つになり、氏族メシヤとして家庭的四位基台の基盤を整え、お父様のように四方に上がるようになる時、天運はここから動くというのです。天の復帰摂理は、この原理を通過しなければなりません。このような世界を中心にしなければ、天国を完成できません。
ですから、皆さんの家庭は、父母様の家庭と完全に一つにならなければならないのです。中心を離れた枝はあり得ません。お父様は、四百三十家庭を祝福する時に、「氏族メシヤになりなさい」と言いました。言い換えると、イエス様と聖霊と同じ使命、すなわち「復活したイエス様」と「聖霊」の実体として、その氏族を救う役事をする氏族メシヤになりなさいということです。霊的ではなく、実体としての氏族メシヤの使命を果たしなさいというのです。