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Wednesday Oct 05, 2022
平和経 第359話
Wednesday Oct 05, 2022
Wednesday Oct 05, 2022
私たちはこのような世界の基本理念を「神主義」、または「頭翼思想」と称します。ために生きる愛、互いにために生きるところに平和があるのは当然のことであり、そのような世界を宗教的に表現すれば、「地上天国」といいます。少なくとも全知全能であられる神様の作品であるならば、このような平和と幸福の世界をつくられたはずであり、そうでないとすれば、そのような神様はいらっしゃらないのです。これが創造本然の真の平和の理想だったのです。
ところが、このように神様の美しい理想世界を実現しようとする人類歴史の最初に、エデンの園で、人類の始祖は神様を失ってしまいました。言い換えると、人類の始祖である一男一女が神様のみ前に罪を犯し、神様の国から追放されたのです。その瞬間、人間は神様の聖殿になれず、悪魔の巣窟となってしまったのです。そして、その悪魔は利己主義の本山です。
人類の始祖からこのようになったので、その子孫、すなわち今日の人類は、神様が自分たちの父であられることや自分たちが真の兄弟姉妹であることを忘れてしまったのです。そして、人間は怨讐同士の関係になってしまいました。本来は他人の命を奪えば、それは取りも直さず自分の命を奪うことになるのですが、霊性が鈍くなった人間は、兄弟の命を奪っても心の痛みが感じられなくなっているのです。
そこにおける人間は、自分だけがいて全体がないので、利己主義が個人から家庭、社会、国家、世界に広がるようになりました。そうなれば、自分と利益がぶつかる場合には、互いに争い合うようになります。戦争を起こします。それが戦争の起きる原因なのです。
それでは、創造主であられる神様は、この堕落した世界をどのようにしようとされるのでしょうか。神様は厳然として生きていらっしゃいます。神様は、今も全知全能であられます。また、その神様は、愛の神様であるといいます。その神様は真の平和の世界を再び見いだそうとするのです。言い換えると創造本然の世界を復帰、または再創造しようとしていらっしゃいます。ここから私たち人類は、真の平和に対する希望をもつことができるのです。神様は、人間一人一人から邪心を追い出し、御自身が住まわれる聖殿に復帰させようとされるのです。
ですから世界平和は、一個人の完成から始まるのです。個人個人が神様の聖殿として完成した人間にならなければ、世界平和は芽生えません。世界平和の出発点は、正しく皆様一人一人なのです。
皆様。皆様は、私たち一人一人の体の中で、常に戦争が続いていることを御存じでしょうか。それは、個々人の体の中における心と体の熾烈な闘いです。本来、心と体は切り離そうにも切り離すことのできない、一つのものでした。人間の心は神様の心であり、人間の体はその心を入れる器でした。ところが、人間の堕落は人間の体を悪魔に引き渡したのです。その時から人間の体は悪魔の僕になりました。
人間の良心は、神様を代表する心です。良心は自分のために存在しません。天の義のために存在します。良心は常に善に向かって走ろうとします。それに対して体は反抗します。体は自分だけが安らかであろうとし、利己的であり、本能的欲求に従って肉欲のままに行おうとします。良心はこの体を叱責し、心に従わせようとします。ここに常に血の出るような葛藤と闘争が、一つの体の内で起こるようになるのです。
ですから、昔から歴史を通じて、すべての宗教は自分の体を打つ道を教えてきました。宗教とは、肉欲を制御し、体を心に屈服させる道場なのです。人間を創造本然の人間へと引っ張っていく道場です。
しかし、神様を自分の内に迎えることができなければ、誰一人として自分の体を征服できる人はいません。ひたすら神様の真の愛と真理の力を中心としてこそ、主体である心は対象である体を従わせ、神様と一体理想を完成するようになっているのです。これが、宗教が語る完成した人間なのです。
このように神様を中心として体を屈服させ、完成した男性と女性、すなわち、善男善女が神様の祝福を受け、夫と妻として結ばれるとき、地上に天が計画された理想的な一つの家庭が出発するのです。そしてその理想家庭は、理想的社会、国家、世界の基礎になるのです。
「家和万事成」という言葉があります。一つの家庭が平和であるならば、万事がうまくいくという言葉です。完成した家庭は平和の家庭であり、それは天国の基礎となります。家庭の原動力は真の愛です。自分よりも神様、あるいは対象を命のように愛する、純粋で美しい犠牲的な愛、それが真の愛なのです。神様はこの宇宙に、真の愛の力よりも大きい力を創造されませんでした。真の愛は神様の愛なのです。
神様は万物と人間の創造のために、すべての力を投入されました。すべてを投入し、また投入されました。他のものは投入すれば、すべて消耗しますが、真の愛だけは投入すれば投入するほど、もっと盛んになり生み出されます。真の愛は、百を投入すると百二十が返ってきます。ですから、真の愛を実践する人は、滅びるように見えても、滅びることなく永遠に栄えながら永生するのです。
このように真の愛で築かれた家庭が基礎となって社会が形成され、国家が形成され、世界が形成されます。そのような社会、国家、世界は、真の愛が原動力となる相互奉仕の社会であり、国家であり、世界です。そこには葛藤の代わりに和睦が、誤解の代わりに理解が、分裂の代わりに団結が、自分の利益の追求の代わりに全体の利益の追求がある、犠牲と奉仕が美徳になる社会、国家、世界なのです。そのような神様の理想実現が、すなわち真の世界平和の理想なのです。
聖書にある「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記一•二七)という聖句は、見ることのできない無形の神様が、人間として実体化されたことを意味します。人間の始祖アダムとエバが神様の理想を実践していたならば、彼らによって歴史の中で最初の家庭が完成されたのであり、そこから繁殖される完成した子孫たちが、正しく理想社会、国家、世界を形成したのです。
ですから、無形の神様は、真の愛を中心とした縦的な真の父母であられ、人間始祖アダムとエバは、真の愛を中心とした横的な真の父母として、永遠に人間の歴史上に君臨したのです。
完成したアダムとエバは人類の真の父母であり、人類はこの真の父母を中心として人類大家族、同胞として兄弟主義を完成したのです。ところが人類は、この真の父母を失うことによって孤児となってしまい、兄弟がすなわち怨讐になり、国と国は反目し、敵対視する関係になってしまいました。
ですから、人類歴史の新しい出発に先立ち、神様が必ず成し遂げなければならないことは、失ってしまった人類の真の父母を探し立てられ、人間たちを孤児の状態から解放されることです。ですから、人類の真の父母の顕現は、神様の摂理の中心役事なのです。
Wednesday Oct 05, 2022
平和経 第358話
Wednesday Oct 05, 2022
Wednesday Oct 05, 2022
8.世界平和に向かう道
日付:一九九-年八月二十八日
場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館
行事:「世界平和連合」創設大会
尊敬する元•現職国家元首、各国から参加された世界の指導者の皆様、敬愛する学者、世界の宗教指導者の皆様、そして紳士淑女の皆様。きょう私は、「世界平和連合」を創設する歴史的なこの式典に、尊敬する世界の指導者の皆様がこのように大挙して参席してくださり、満場の盛況を博してくださったことに、心からの謝意を表する次第です。
人類歴史が始まって以来、平和を切望しなかった時代がなく、平和を望み求めなかった人は一人もいませんでした。しかし、人類歴史は、人類の希望とは正反対に、常に絶え間ない戦争と罪なき血で染められてきました。これはなぜでしょうか。
近代史に至っては、世界は二回にわたって世界大戦を起こしました。一九一四年、サラエボでオーストリアの皇太子が暗殺される一発の銃声によって点火された第一次世界大戦は、たちまちのうちにヨーロッパ全域を火の海にし、十六ヵ国が参戦した中で三千万人の死傷者を出す凄惨な戦争となりました。
このヨーロッパの惨状を見た世界の指導者たちは、いかなる代価を払ってでも、もう再び戦争を起こしてはならないという痛切な覚醒から、アメリカのウィルソン大統領の提唱により「国際連盟」を結成しました。しかし、「国際連盟」は四十種余りの国際紛糾を処理したものの、強大国間の紛糾の処理に失敗し、ウィルソン大統領の偉大な夢は跡形もなく消え去り、アメリカ上院の批准も得られないまま、「国際連盟」は結局、失敗で幕を下ろしてしまったのです。ここに、戦争を防ごうとする人類の渇望は挫折しました。
そして、それから二十年もたたずして、再び世界は第二次世界大戦の惨禍の中に巻き込まれていきました。第二次世界大戦は大西洋のみならず、太平洋までも火の海にしました。数千万の人類が殺傷され、ついに二発の原子爆弾の投下とともに辛うじてその終結を迎えました。世界が再びこのような生き地獄になるのを防ぐために、今度は一九四五年四月二十五日、サンフランシスコで「国際連合」、すなわち国連を創設するに至りました。「国際連合」の歴史は一九九一年現在まで、四十六年になります。
それでは、過去四十六年間、人類は戦争を知らずに平和に生きてきたでしょうか。そうではありませんでした。戦争は再び数限りなく起こりました。韓国動乱、ベトナム戦争、湾岸戦争をはじめとして、実に六十回以上も人間同士が殺し合う歴史が繰り返されたのです。
なぜ、このように平和というのは難しいのでしょうか。きょう私たちは、「世界平和連合」の創設に先立ち、平和が成し遂げられないその理由を先に究明しなければなりません。そうでなければ、今後も前轍を踏むのは火を見るより明らかだからです。
紳士淑女の皆様。これまで人間は、平和を叫んでいただけであって、その真の平和の意味を知ることができませんでした。平和の真の哲学をもてなかったのです。ですから、真の平和を成し遂げる方法が現れなかったのです。貴賓の皆様、その理由は、分かってみると簡単なことです。人間は神様を見失うことによって、平和をも失ってしまいました。また人間は、神様を差し置いて、人間同士で平和を見いだそうとしたのです。それは根本的な誤りであり、それが真の平和を得られない根本的理由なのです。
全知全能であられる神様は、愛の神様であられ、平和の神様であられます。その神様が、互いに争い、命を奪い合う世界をつくられたはずは絶対にありません。神様は、人間を神様の形状どおりに造られ、人間は正しく神様の聖なる霊が住まわれる家のような聖殿として造られたのです。
人間一人一人が神様の聖殿として、神様をお連れして暮らす家として完成したならば、どうして人間同士の闘争と殺戮があり得るでしょうか。創造本然の世界において、人間が争うということは、右腕が左腕と争うのと同じことであり、自分が自分の手で自分の目を抜いてしまうのと同じことなのです。そのような本然の世界では、戦争は起きようにも起こり得ませんし、互いに愛し合い、仲睦まじく暮らす世界であり、いかにして神様にもっと栄光を捧げるかという善意の競争だけがある世界です。
そこには葛藤があり得ず、誤解もあり得ず、美しい協調と相互協助でただただ和睦団結して、美、真、善を追求する平和の世界のみが永続するのです。その世界は神様に似た世界であり、神様の理想と本質のために生きる世界なのです。
Wednesday Sep 28, 2022
平和経 第352話
Wednesday Sep 28, 2022
Wednesday Sep 28, 2022
アメリカ建国二百周年の祝祭に、レバレンド•ムーンがなぜ大騒ぎするのかと反対する人もいますが、皆様、考えてみてください!家中が病気にかかれば、医者は外部から来なければならないではないですか。火事が起きた場合にも、消防隊を外部から呼ばなければならないではないですか。このような使命で神様の召命を受けて、この文という人が外部から来たのです。体に効く薬は口には苦く、病気に対して手術をしようとすれば、痛みが伴うものです。救おうとする手が痛いところに触れたからといって、その手を払いのけるべきでしょうか。
私は三年間、千辛万苦してアメリカの青年たちを教え導いてきました。彼らは、天を中心とした家庭と教会と国家の設計を明確に知っています。病にかかって完全に死ぬ前に、火がついてすっかり燃え尽きてしまう前に、このアメリカを救わなければならない緊迫した天の事情をあまりによく知っているので、彼らは夢中になって、熱狂的に命を懸け、深刻な努力を必死にしているのです。皆様の立派で愛らしい息子、娘たちが、神様のみ旨に従って悪と対決する最前線で、天の十字軍となって勇敢に戦っています。悪の勢力を完全に打ち破り、神様の国をこの地球上に建設することが万民の神聖な義務なのです。すなわち、まず神様がかくも愛し、準備されたこのアメリカの地に、地上天国のモデルを立てようとするのです。
皆様。嘆息と涙のない世界を築くために、ここにため息をつき、涙を流しながら立ち上がった青年の群れがいることを覚えておいてください。苦難と闘いを知らない世界を建設するために、きょうも苦労して闘っていることを知ってくださることを願います。私たちの闘いは神様対サタンの闘いです。神様のみ名にかけて闘うとき、いずれ私たちは、いかなる犠牲をおったとしても、絶対に後退することなく必ず勝利するでしょう。
この文という人に反対し、迫害することが問題ではなく、そのことが、神様のみ旨に反対し、神様を迫害することになるのではないかと恐れなければなりません。神様のみ旨でなければ、そのまま放っておいても遠からず自然と減んでいきますが、神様のみ旨である場合は、いくら迫害しても滅びません。文という人は何ゆえにアメリカに来て、このように受難の道を歩んでいるのでしょうか。名誉のためでしょうか。違います。お金のためでしょうか。それはあり得ないことです。権力のためでしょうか。断じて違います。このアメリカという国は、私の愛する神様が非常に愛しておられる国です。ですから、この国の国民たちが神様に背いたとしても、神様は到底見捨てることはできず心を痛めておられるので、そのような神様を父として侍る私としては、苦労を顧みずに命令に従ってきたのです。
御自身がお選びになった国、このアメリカを先に救い出したのちに、アメリカをして全世界を救わせようとされる大きなみ旨があることを、私はあまりによく知っているからです。それを知らずにサタンと組んでいては必ず滅びるのであり、神様をお連れすれば必ず勝利するのです。
皆様。二百年前、建国当時に皆様の先祖たちが独立軍を起こし、神様のみ名によって闘うときに、ジョージ・ワシントンは、フォージ渓谷でひざまずいて神様に祈りました。ついに世界が震えたイギリス軍との闘いで堂々と勝利したのは、神様が義と認め、共にいてくださったからです。その時に神様は、世界の中心となる国家の土台を築いてくださったのです。それから百年後、神様のみ旨に背いた、甚だしい人種差別を御覧になった神様は、エィブラハム•リンカーン大統領を立てて奴隷を解放させ、南北戦争に勝利させることによって、世界の中心となる超民族的土台を築いてくださいました。この時はアメリカとアメリカの国民にとって、外的な試練の時でした。しかし、建国二百周年を迎える今日のアメリカは、現在、大きい内的な試練の時期にぶつかっているのです。それは宗教の試練期であり、世界史的思想の試練期なのです。
一方、神様を否認する悪魔の思想、共産主義が世界的に総攻撃を始めています。神様が、特別お選びになって立てられたこの国アメリカこそが、彼らの最高の目標となっています。今、正にアメリカが、神様のみ前に立つか倒れるかの試練を受けているのです。その内的思想の闘いにおいても、み言と思想の根本であられる神様に侍らなければ、決して勝利することはできません。神様に侍るアメリカが中心となって、唯心民主主義世界と唯物共産主義世界との対決において、共産主義無神論の世界を完全に克服し、超民族的であり、超国家的でありながら、世界的な次元で神側が勝利を収めなければなりません。そうなれば、神様はこの国に、新しい次元の世界的な思想の土台を築いてくださるでしょう。
第三世紀へと向かう今日のアメリカは、建国当時、宗教的迫害に耐えられず、各国から集まってきたプロテスタントの信徒たちを結束し、神様のみ名によって一つの国、すなわち「神様のもとの一つの国家」を建てました。同様に今は、思想的迫害に耐えられず、共産圏から自由世界に越えてきた新たな国民たちを結束して、超キリスト教的であり、超世界的な神様のみ名を中心として、ついには共産世界にまで勝利して、神様のみ名によって一つの世界、すなわち「神様のもとの一つの世界」を必ず成し遂げるでしょう。
そのためには、今日のキリスト教は一つにならなければなりません。今のままでは絶対にいけません。新たな宗教改革が起きなければならないのです。キリスト教は各教派を超越して、より高い次元で超キリスト教的、超思想的革新運動を起こし、世界の宗教を統合する方向に前進しなければなりません。
キリスト教はこの西欧的なキリスト教だけでは絶対にいけません。アジアを連結し、東西の文化と思想を統合して、神様のみ前に結束できる世界的思想の土台を整えなければなりません。そのような膨大な内容を備えた新宗教運動が必ず起きなければならないのですが、そのような意味で統一教会が出発したのです。アメリカでそのような運動が成就してこそ、即座に世界へと波及していくことができるのです。
私たちは、キリスト教に立脚した「神主義」の思想でアメリカを覚醒させ、この地に神様の理想国家のモデルを建設するために立ち上がらなければなりません。それが成就する日、全世界はアメリカを模範として、人種と国境を超越した地上天国の建設に加担するようになるので、神様を父母として迎える兄弟姉妹として、互いに愛し合い、仲良く幸せに暮らす人類大家族理念の世界、言うなれば、神様がはるか昔の太初から計画された永遠の理想世界、地上天国を私たちの手で築き上げなければなりません。
それが私たちの至上課題であり、神様が私たちに与えてくださった神聖な義務です。神様は今、私たちを通して声高に叫ばれるので、その声に呼応し、その号令に足並みをそろえて、理想世界へと邁進しましょう!統一の群れが万難をものともせず、先頭に立つでしょう。
親愛なる市民の皆様。きょう私たちは、この場で聖なる神様のみ前に、この神聖な義務に従って成し遂げてさしあげることを共に誓いましょう!満場の皆様。神様のみ名のもとに結束、団結して、地上天国建設へと総進軍しましょう。
私たちは固く団結し、神様に限りない感謝と栄光をお返しし、ここに世界万民の名によって、偉大なアメリカの建国二百周年を祝い、三百年代のアメリカの将来に、より一層大きな神様の祝福があることを祈りながら、私の話を終えようと思います。皆様とアメリカに永遠の神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうございました。
Tuesday Sep 27, 2022
平和経 第355話
Tuesday Sep 27, 2022
Tuesday Sep 27, 2022
6.世界平和のための挑戦と可能性
日付:一九八七年六月一日
場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル
行事:第一回「世界平和のための頂上会議」
尊敬する議長、元大統領、政府首脳、内閣首相、王族、貴族、内外の来賓および紳士淑女の皆様。平和を追求する一念により、この場にお集まりいただきました世界の指導者の皆様に、このようにしてお話しできますことは、私の無量の喜びとするところです。
歴史を通して見るとき、人間は常に平和を渇望し、その達成のためにあらゆる面において努力を重ねてきました。人類は、平和を得るために他を征服したり、時には平和のために降伏したりすることもありましたが、今世紀に入ってからは、戦争以外の方法により国際間の対立を解決しようと試みた、二つの貴重な事例があります。それが正に「国際連盟」と「国際連合」です。しかし、このようなあらゆる努力にもかかわらず、人類は平和を成就することができず、歴史は紛争を繰り返しており、破壊と暴力が頻発しています。
それでは、なぜ今日に至るまで平和を成就できなかったのでしょうか。その理由は、実に個々人の内部における闘争が解決されないまま、果てしなく続いてきたからです。世界の紛争は、このような個人の内面における闘争の発露なのです。人間の理想と現実の間には矛盾があり、その矛盾の焦点は、正に個人の霊肉間の闘争にあるのです。
人間の精神は、高い理想を追求します。人間の精神は、すぐに神様にまで到達するようになります。肉身は、私たちのその理想を具現する道具なのです。しかし、そこには、努力と鍛錬と自己犠牲が要求されます。人間の精神が追求することと肉身が追求することとの間には絶えず緊張が生じます。
人間の歴史には二つの平行する思潮が生まれました。その一つは、理性的で外面的な肉身の優位を強調するものです。例えば、肉体的な満足や、肉体的な美、そして科学に重点を置くものなどですが、これらすべては身体的感覚を土台にした実証を重視するものです。もう一つの思潮は、宗教的伝統であり、これは人間の肉身を超越する価値を重視するものです。それは精神的法則や価値、また神様の啓示など、科学の実証対象とはなり得ないものです。人間の生活において見ることのできるこれら二つの思潮が、正に今日の世界で見る二つの対立したイデオロギーの根源なのです。
民主世界、すなわち自由世界は宗教的伝統から出発し、発展しました。民主主義の現代的概念は、正に「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記一・二七)という聖書のみ言に見いだすことができます。人間が神様の子女であるがゆえに、民主世界においては人間を尊重するということです。ですから、人間に対して選択の自由を最大限に許容するのです。なぜならば、自由なくして人間の行動は価値をもつことができないからです。
一方、共産主義は、人類歴史において、より外面的で世俗的な思潮が結実したものです。啓蒙思潮とフランス革命を経たのち、マルクスは暴力と社会工学的技法を応用して、神様に対する信仰を退け、暴力による社会秩序の構築を主張しました。マルクス主義の社会工学的技法は、神様を否定する人間観を根拠にしています。
しかし、その結果はどうでしょうか。たとえマルクスの見解や主張を擁護する人たちがいたとしても、マルクスの理論を実験し、実践してきた七十年の歴史をもつソ連などにおける結果は、一言で言って、ただ悲劇的な失敗であるとしか言えません。共産主義の勢力を堅固にするために、一億五千万の罪なき人命が犠牲となってきましたが、マルクスが約束したような正義と繁栄の世界は、どこにもその実体を見いだすことができません。今日、これら二大イデオロギーとそれを信奉する国々は、地球上でお互いが正面切って対決し、かつて想像することもできなかった巨大な破壊力をもって、全世界を脅かしているのです。
私は、このような観点から、世界平和の問題に対する解決方案として、次の根源的な三つの段階を厳粛に言明しようと思います。この提案は、最も根本的なものなので、大変理想主義的にも見えます。しかし、いかなる建物であっても、粗末な基礎を直さない限り、建物としての役割を果たせないように、私の平和のためのこの提案は、根源的な基礎から出発しています。まず、究極の世界平和とは、神様と人間との平和、次に人間相互間の平和、そして世界の平和という、この三段階を経なければなりません。
私は、全生涯を捧げて修養の道を歩んできました。さらに、宇宙の根本と神様の実在という問題について、誰よりも苦悶してきました。血と涙の出る修道の過程を経て、私は生きた神様の実在を明白に知ることができました。そして私は、生きておられる神様と直接対面する体験までもつに至ったのです。そこで、宇宙の根本であられる神様との平和を得ることができなければ、この地球上において真の平和を論ずることはできないことを悟ったのです。
神様は、宇宙の第一原因であられ、森羅万象の創造主です。そして私たちの愛する父であられます。神様は、特別なみ旨を成就するために万物を創造されたのですが、その目的は、正に愛の具現にありました。神様は真の愛の根源であられますが、いかに全能の神様であっても、お一人では決して愛の喜びを感じることはできません。神様は愛の対象が必要であり、その対象から自発的な愛が返ってくることを願っておられるのです。その対象としての最高の被造物が、すなわち私たち人間なのです。このような理由から、人間には目的があるのです。人生の目的は、成熟して神様と永遠の真の愛の関係を実現することにあります。正に、これが神様と人間との間に、平和を築くことのできる根本原理なのです。
神様と人間との平和関係を樹立したのちに、私たち人間相互間の平和を成就できるのです。人間相互間の平和のために、根本的に必要な関係とは何でしょうか。それもやはり、愛の関係以外にはあり得ないのです。ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、そして他のすべての世界宗教は、私たちが全能の創造主、すなわち神様の子女であることを教えています。
これはすなわち、私たちは兄弟姉妹であるという意味です。ですから、私たちは神様のかたちどおりに創造された者であることを理解することによって、互いが兄弟姉妹であることを悟らなければなりません。神様の子女を愛することが、神様に栄光を帰す最善の道となるのです。私たちがこのことを正しく理解することによって、人間相互間の真の平和の関係を設定する根拠を得ることができるのです。
世界平和の達成こそは、人類の長い間の念願でした。ところが、その達成もまた、本質的には、先ほどお話しした、人間個々人の平和を成就するのと同じ方法によるのです。世界は今、現実的には二大体制が対立しています。しかし、それは単に自|||世界と共産世界の葛藤だけではありません。それはより根本的に対立する価値観の葛藤なのです。
一方は、神様を肯定する価値体系であり、もう一方は神様を否定する価値体系です。共産主義の出現は、ある面から見れば、そもそも人間が神様の道徳律を実践できなくなったところから始まったのです。共産主義は、ある一面非難のイデオロギーです。それは神様を信奉する人たちが神様の理想を具現できなかったことに対する非難なのです。彼らが非難を受けても当然の内容があったので、共産主義は膨脹することができたのです。
しかし、実際に神様の創造本然の理想世界が具現する時には、共産主義は立場を失ってしまうのです。ですから、世界の問題は、根本的には精神の問題です。世界の問題の解決は、神様の実在を肯定するところから始まるのです。
今日、世界の救いのために必要なことは、正に次元の高い精神的覚醒です。世界は神様の実在を悟り、有神論的原理に基礎をおく世界観によって再武装しなければなりません。この神様中心の世界観のみが、今日の価値の混乱を克服できるのです。
もちろん、このような精神的価値観の運動は、外的には政治、経済、軍事面における結果的現実として現れます。しかし、精神的覚醒の根本は、縦的には神様に対する信仰と横的には人間相互間の真の愛で成就されるものでなければなりません。
このように、高次元的な価値で覚醒した土台の上で、国家間の関係が変化していかなければなりません。これまでは、経済発展の背後における原動力は、利潤に対する欲求でした。それによって人間の潜在能力が大いに発揮され、巨大な世界的発展を成し遂げ、先進経済大国をつくってきたのです。
しかし、このような先進国が利潤追求の動機を超えなければならない時代を迎えました。利他的愛が国際関係の次元に適用されなければなりません。先進国はむしろ、他のために奉仕するその目的のゆえに、神様の祝福を受けていることを悟って、世界の発展途上国のために犠牲を甘受できなければなりません。そのようにして、悲惨な発展途上国の惨状を解消するために、先進国が先頭に立たなければなりません。
皆様。もし豊かな国がそのような態度をもったとすれば、その国は委縮したり、急激に衰退したりするようになると思いますか。決してそういうことはありません。かえって、その反対になります。しかし、もし先進国が利潤追求以上の高貴な理念をもち得ないならば、彼らがいくら努力したとしても、その繁栄は、衰退に転じ、歯止めが掛からないでしょう。隣人が飢餓、疾病、または無知のゆえに犠牲となって死んでいくときに、どうして世界が平和であり得るでしょうか。すべての先進国が結束しさえすれば、飢餓、疾病、無知の三大悪を退ける、世界平和のための前線を構築できるのです。
最後に、国家間の利害を超越する関係を土台として、実際に神様をお迎えした世界共同体が出現しなければなりません。二十世紀の後半に入った今日、世界が日増しに沈滞していく現状に、私たちは気づかざるを得ません。いかなる国も、今や離れ小島ではいられません。また、いかなる人であっても、他の人との相互依存的関係なくして、繁栄を期待することはできません。
したがって、相互理解と信頼を増進するために、国々の共同繁栄を追求する共同体が建設されなければならないのです。世界は今や地球村と言われるほどに、急速に狭まってきています。すべての人々の生存と繁栄が、正にこの協同精神にかかっています。人類は、神様のもとの一つの大家族であることを悟らなければなりません。この協同を通してのみ、私たちは環境を保護することができ、またすべての人々の文化水準の向上と自由、正義および尊厳性の確保を期待し約束できるのです。このような協同精神の土台となるのは何でしょうか。それは、世界共同体のすべての国々は、ただ神様のみに根源をおく共通の価値体系と永遠不変の原理を尊重することです。
私たちは共通の夢をもっていますが、それは、理想世界実現という念願です。かつて預言者たちは、これを「地上天国」と呼んできました。これは今まではるか遠い目標のように思われてきましたが、今や実現可能であり、なおかつ必ず成就すべき目標なのです。なぜならば、正にこれが創造主の本来の理想だったからです。「世界平和のための頂上会議」の重要な意義が、正にここにあるのです。
私たちがあすを展望するとき、ある面においては暗澹たるものがあります。しかし、私は失望しません。なぜならば、神様が本来の理想をこの地上に実現されるという聖書のみ言、すなわち「わたしはこの事を語ったゆえ、必ずこさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行う」(イザヤ書四六・一一)という約束の中に、神様の決断を見ることができるからです。ですから私は、世界の平和は必ず訪れるという確信をもっています。
私たちのこの「世界平和のための頂上会議」は、世界平和を論議する最も次元の高い集まりとなるでしょう。この会議は神様の霊感を受けて召集されたものであると私は感じています。私たちは世界平和のために、神聖かつ荘厳な召命を受けてこの場に集まったのです。これから私たちが達成する課業は、私たちの子孫と全人類に残す貴重な遣産となるでしょう。
世界平和の主導的役割を担当するために、皆様が遠い旅路を経て、地球の片隅にある韓国に来られましたことを、心から感謝し、祝賀申し上げます。私は皆様の経験と智恵と卓越した政治的指導力を大いに信頼するとともに、私たちのこの課業を通して、二十一世紀には新しい平和の時代がこの地上に到来することを信じています。皆様が慎重かつ思慮深く始められるこの「世界平和のための頂上会議」の上に、神様の栄光と祝福が共にありますことをお祈りいたします。ありがとうございました。
Thursday Sep 22, 2022
平和経 第334話
Thursday Sep 22, 2022
Thursday Sep 22, 2022
12.韓国統一と世界平和
日付:一九九二年八月二十二日
場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル
行事:第五回「世界平和のための頂上会議」
尊敬する元•現職の大統領、国家元首と首相の皆様、ならびに各界からお集まりの世界の指導者の皆様。きょう私は、「世界文化体育大典」の一環として開催される第五回「世界平和のための頂上会議」の開幕を心からお祝い申し上げます。
また「韓国統一と世界平和」を大きな主題とする今回の会議に参加するために、世界各国から私の祖国を訪ねてこられた、たくさんの指導者の皆様に熱い感謝を捧げます。
未来の新しい理念
今日の世界問題は、あらゆる多様な分野が相互複合的に連結されていることがその特徴です。したがって今回、「世界文化体育大典」という名のもとに、思想や政治分野をはじめとする学術、宗教、言論、科学、芸術など、すべての文化的分野の世界問題を幅広く一つ所で扱うようになったことは、世界平和の真の道を模索する上で画期的な貢献となるだろうと思います。
さらに今回の会議は、体育オリンピックと共に開催され、人間社会の精神的な面と肉体的な面を、均衡を保ちつつ発展させる方向性を提示する意義をもっています。
特に世界百三十ヵ国から、国籍と人種を超越して三万組の善男善女たちが集まる中で挙行される、歴史上最大規模の合同祝福結婚式は、二十一世紀とともに新しい歴史時代を迎える世界人類が、神様を中心に互いに和合することによって世界平和を実現する、平和の大道を見せてくれる壮挙になるでしょう。
過ぎ去った人類の歴史を振り返ってみると、一瞬たりともこの地上に真の自由と平和と幸福が実現された日はありませんでした。実際に、経済的平等という理念のもと、「人類を搾取から解放する」と言った共産主義は、むしろ闘争と貧困の凄惨な結果ばかりをもたらしました。
そればかりでなく、自由の理想を前面に立てて共産主義と対決してきた自由民主主義も、結局は、甚だしい利己主義と道徳的価値観の崩壊の中で呻吟しているという事実を、私たちは目撃しているのです。戦争の砲煙がこの地球上から消えるどころか、かえって一層激烈な葛藤と混沌ばかりが横行し、未来の世界を暗くしています。
しかし人類は、自ら経験してきた数多くの試練や苦痛に対して、誰も恨むことはできません。なぜならば、人間自らが、歴史の背後から人類を摂理してこられた神様の理想と目的を完全に排除したまま、人間のみを中心とした思想体系を立ててきたからです。
たとえ神学的な思考が時折考慮されたことはあったとしても、神様の根本的なみ旨と理念をはっきりと知らないまま、歴史の究極的な方向に対して、皮相的な観察ばかりが行われてきたからです。
したがって、未来の新しい理念は、人間に対する神様のみ旨と理想をはっきりと究明するだけではなく、神様と人間の関係を明確にできなければなりません。
真の愛は世界共通の平和の原理
本来人間の心と体は、神様の真の愛を中心として、完全な一つの統一体を形成すようになっています。そして、このように神様の真の愛で心と体が一つになった男性と女性が、神様の真の愛を中心として出会い、夫と妻として一つの家庭を完成するようになれば、その家庭は、神様の真の愛を中心として一体となることによって、真の自由と平和と幸福の根源地になるのです。
神様の真の愛は、相対のために無限に与えようとするものです。愛の心をもつ父母は、自分の子が自分たちよりも立派になってくれることを願うので、子女のために多くのものを与えては、またもっと多くのものを与えようとするのです。愛する夫と妻もまた、相手が自分よりも優れた人になることを願うので、相手のために投入してはまた投入して、それを忘れるのです。
このように真の愛の特性は、相手のために投入してはまた投入しようとするところから、その作用が誘発され始めるのです。神様は、このように人間のために与える真の愛の主体的な立場にいらっしゃり、与えてはまた与える愛の本性がその作用を継続させることによって永存されるのです。人間は、神様のみ前に永遠の愛の対象として立ち、神様と共に永遠に愛を受けては返す、愛の一体関係をつくることが、神様のみ旨であり、人間の理想でした。
このように、神様と人間が真の愛を中心として、その理想の統一点を共有するようになるとき、初めて人間は、真の自由と平和と幸福を享受するようになるのです。このような原理は、一人の個人だけでなく、家庭と社会と国家、そして世界に至るまで共通の平和の原理として適用されるのです。このように人類は、神様の真の愛を中心として、神様と統一体の理想を成し遂げていかなければなりませんでした。それが人類歴史の根本的な方向だったのです。
韓国と北朝鮮を一つに統一する根本原則
しかし人類歴史は、このような神様の方向と一致した道を歩んでくることができませんでした。それは正に人間の堕落のゆえです。人類歴史を通して、誰一人として、神様の真の愛を中心とした一体になった夫と妻になれなかったのであり、したがって、神様の真の愛に基づく真の父母の理想を成し遂げることができなかったのです。
反対に人類は、悪魔を中心とした結婚生活を通して、偽りの愛と生命と血統を受け継いできたので、これを清算して、神様の本然の愛と生命と血統を再び取り戻すために、真の父母として来られるメシヤを待ち望み、準備してこざるを得なかったのです。人類歴史が初めからこのような神様の理想的方向と一致していたならば、人類は、幾重にも分かれて互いに争い、葛藤と搾取と抑圧によって屈折した、そのような姿を見せることはなかったはずです。真の愛を中心とした真の父母、真の家庭、そして真の社会と国家と世界の統一的歴史をつくってきたはずなのです。
分断された韓国と北朝鮮を一つに統一する根本原則は、神様の真の愛を通して心と体が一つになった真の個人と真の家庭を完成するときに初めて可能なのです。さらにこの原則は、取りも直さず、世界が真の自由と平和と幸福を実現するための平和の原則にも拡大できるのです。
ですから、韓半島の統一は、未来の統一された一つの世界、さらに神様と人間までも一つにできる重要な契機をつくるものなのです。
きょう「韓国統一と世界平和」について議論する、ここ韓半島は、人類歴史を通じて葛藤してきた神本主義であるヘブライズムと人本主義であるヘレニズムの二つの思潮が、自由民主主義と共産主義という名のもとに鋭く対峙する、理念的対立の歴史的現場です。ですから、韓半島での理念的な分断克服は、すなわち統一された一つの世界を指向する理念的指標になるでしょう。
一九五〇年に勃発した韓国動乱は、第二次世界大戦後、全世界が米ソ両国を中心とする冷戦時代に突入する最も具体的な始発点でもありましたが、実に韓国動乱は、世界の民主陣営と共産陣営が鋭く対立する縮小版として、歴史の二つの系統となってきた神様の勢力と悪魔の勢力が対決する最前線だったのです。
このような観点から考えてみるとき、韓国動乱は、世界の善側を代表して悪魔の勢力と戦った聖戦とならざるを得なかったのです。今、冷戦時代の始発地域である韓半島が統一されなければ、本当の冷戦時代の終息は期待できません。
去る一九八八年にソウルで開催された第二十四回オリンピックがもつ意味は、大変大きなものです。十二年間も米ソ両陣営が互いにボィコットしたオリンピックに、初めて東西の両陣営が共に参加し、東西和合の始発点がつくられました。また類例なく世界から百六十ヵ国の国々が参加し、全世界の和合の象徴になったりもしました。
そしてこのオリンピックは、世界を健全なものにするには、肉体的な面だけではなく、精神文化的な面での発展がより一層重要だという認識をもたらす契機にもなりました。
そうして私は、八八年のソウル•オリンピックの幕が下りると同時に、全人類の精神と肉体の両面を、均衡を保ちつつ啓発させることのできる、新しい次元の人類の大祝典「世界文化体育大典」を開催するための準備に着手し始めたのです。
霊的な大覚醒が必要な時
韓半島の葛藤は、先進国と発展途上国との間の葛藤だけではなく、東西文化の葛藤までもよく現しています。ですから、韓半島の統一は、世界平和と不可分の関係にあるだけでなく、未来の世界問題の解決に対し、重要な方向性を提示する指標になるのです。今日の世界は、霊的な大覚醒が必要な時を迎えています。
個人や国家や世界のすべてが、神様の実在に対する新たな理解だけではなく、神様と人間が再び出会い、切っても切れない本然の関係を再び取り戻さなければなりません。このために私が提唱したのが、真の愛を中心とする「神主義」なのです。この「神主義」は、左翼でもなく、右翼でもない「頭翼思想」と呼ばれています。
私は、真の父母の使命を引き継いだのち、この「神主義」を通して世界平和を実現するために、あらゆる受難と試練を経験してきました。この「神主義」は人々に、人類歴史を通して人本主義に押し出され、物本主義によって忘れ去られた神様を再び探し出させ、神様と人間が共に出会う一致点を教えています。
無神論の本山として知られている旧ソ連でも、既に数万人の政治指導者、学者、宗教人などが、四泊五日の修練会を通して、「神主義」を悟り、新しい霊的ルネサンス運動に拍車を掛けています。
神様と人間が出会って一つになる場は、正に真の愛の場です。真の愛の中で、人間は神様に会い、永生を追求できるようになることによって、すべての世界問題を克服できるのです。すなわち、自分を犠牲にして、他のために生きる真の愛を通して、人種間の対決や、暴力、貧富の葛藤、環境破壊などに関する解決点を見いだすことができるのです。そして、真の愛を中心として一つになった家庭は、永遠と連結されるので、倫理、道徳の腐敗や青少年の堕落を防止できるのです。
真の愛によって一つになるとき、人類の未来は明るい
二十一世紀の新しい歴史は、神様と人間が真の愛を中心として再び一体化するところから、その出発の起点を探し出さなければなりません。個人や家庭、社会、国家、世界のすべてが、真の愛の中で一つになるとき、人類は明るい未来が約束されるのです。
尊敬する世界の指導者の皆様。今日の時代は、既に政治、経済、文化などすべての面で国境を越えた超国家主義時代に差し掛かっています。これまで皆様が責任を負い、奉仕してきた国家単位の時代は過ぎ去り、これからは世界が一つに協力しなければならない新しい世界の舞台が開かれつつあるのです。
今日のこの世界はわずか何人にもならない小数の指導者たちによって、影響を受けて導かれています。この場にお集まりの皆様すべてが団結して、世界の人類を導く小数の指導者を教育し結束させるために先頭に立つ人になるならば、世界の未来は、皆様の手に委ねられるでしょう。
平和世界の達成は、すぐ目の前に見えています。二泊三日の皆様の会議が成功裏に行われ、人類の未来に新しい里程標がつくられることを願います。皆様のすべてに神様の加護が共にあることをお祈りします。ありがとうございました。
Thursday Sep 22, 2022
平和経 第351話
Thursday Sep 22, 2022
Thursday Sep 22, 2022
3.アメリカは神様の希望
日付:一九七六年六月一日
場所:アメリカ、ニューヨーク、ヤンキー・スタジアム
行事:アメリカ合衆国建国二百周年記念講演会
親愛なるアメリカ市民の皆様。そして世界からいらした尊敬する代表者の皆様。私はきょう、「アメリカは神様の希望」と題してお話ししたいと思います。
きょう私たちは、壮大なヤンキー・スタジアムでアメリカ独立二百周年を祝う歴史的な祭典に集まりました。ヤンキー•スタジアムでのきょうの集会は、次のような意味で唯一無二のものであると言えます。その第一に、私たちが開くこの祝祭が徹頭徹尾神様の名によって行われたことです。
今日、私たちは、「世界における自分の国」を考えながら暮らさなければならない、新しい次元の時代に差しかかっています。私たちが暮らしているこの地上には、二種類の人たちがいますが、その一つは自分だけを中心として生きる人であり、もう一つは個人と家庭を越え、国家と世界のために生きる人です。古今東西を問わず、主導的役割を果たしてきた人たちは、より公的な生活をした人たちでした。個人よりも家庭のため、家庭よりも国家のため、国家よりも世界のため、世界を越えて神様のために生きる人が、より公的な人と言えるでしょう。義人や聖人は、全人類と神様のために生きた人たちですが、イエス様は正にその代表的な人物です。そして、神様こそが最高の公的な方であられます。堕落して御自身に背いた人類を見捨てずに、一途な心で人類を罪悪と塗炭の苦しみから救おうとされるのです。
救援摂理の目的は、ひとり子イエス様を送り、最悪の場合には彼を犠牲にしてまでも、世界を救うことでした。選民イスラエルを立てたのも、彼らを通して世界を救うためであり、キリスト教を立てたのも、それを通して全世界を救おうとされたからです。
ですから、ヨハネによる福音書三章十六節には、「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」とあるのです。ひとり子を犠牲にしてまでも世界を救おうとされた神様は、今も中心宗教であるキリスト教を犠牲にしても、世界を救うことを願っておられるという事実を、すべてのキリスト教徒たちは、夢にも思わずにいるのです。神様が願われる家庭と教会と国家は、人種を超越しなければならず、国籍を超越しなければなりません。すなわち、五色人種が仲良く混じって暮らす統一した混合民族型、それこそが神様の喜ばれるみ旨なのです。
それでは、アメリカを見てみましょう。アメリカは果たして神様がお建てになった国でしょうか、それとも人間の意志によって建てられた国でしょうか。このことをはっきりと知らなければなりません。皆様、アメリカはあくまでも神様がお建てになった国なのです。
アメリカの先祖である移民者の中には、二種類の人がいたのですが、一つは自分を中心として一獲千金を夢見て来た人と、神様を中心として自由理想の国をつくろうと、より公的な夢を抱いて来た人です。前者が中心になっていれば、国籍の違う異色民族同士の分裂と闘争が絶える日がなく、不義と罪悪にあふれた国になっていたはずです。しかし、神様が関与されたお陰で、天を中心としたヨーロッパのキリスト教徒たちの移民によって、色の違う民族がみ旨の中で一つになって、家族となり、教会となり、国家となったのです。それがほかでもない、皆様の先祖が建てたアメリカの誇り高い伝統なのです。
皆様の家庭を御覧ください。国籍を超越した異色の民族が混合した世界統一型の家庭です。皆様の血統の中には、五色人種の血が流れています。先祖の時代から互いに怨讐同士だった様々な氏族の血が一つに混ざり合って調和した一つの家庭なのです。そのような家庭が教会を形成し、国を形成するとき、超民族型の家庭から超民族型の教会、そして超世界的家庭が成立するのです。そのようにして神様の理想国家が成立するのです。このような国は歴史上にアメリカしかありません。それは明らかに神様によって成し遂げられたことを知らなければなりません。
アメリカの人々は、世界万邦からやって来ました。ここでは人種を問わず、信仰による差別はなく、文化の背景を問題としません。この地上のどこから来ようと、「私の家」と言える国、それが正にアメリカです。したがって、アメリカは世界の縮小体であり、人種と国籍を超越した理想のモデルとして、長い間隠されてきた新大陸の上に神様が直接お建てになった国です。復帰摂理の中で、特別に油を注いで立てられ、保護し、育成しながら、わずか二百年の間に豊かな祝福を与えてくださった国であることを、はっきりと知らなければなりません。祝福は決して独りでにやって来るものではありません。そこには必ず責任が伴います。それを投げ出すならば、神様を投げ出す恩知らずとなり、天の祝福は余すところなく奪われ、最も悲惨な絶望の国となるでしょう。既にそのような兆候が見えているではないですか。
愛するアメリカの市民の皆様。神様の怒りを恐れ、深く悔い改めなければならない時が来ました。神様を中心とした真の超人種主義者であり、超国家主義者であり、超世界主義者であり、そしてそのような家庭と教会と国家をもつことを誇りと考える人であってこそ、真のアメリカ人と言えるでしょう。神様の目には黒人も、白人も、黄色人種もありません。このような「神主義」的観点から人間を見て、世界を見ることができなければなりません。
皆様の先祖たちが血と汗を流して成し得た建国精神に立ち返りましょう。「神主義」思想に立ち返りましょう。アメリカの建国は、神様が動機であり、原因であり、根本です。常に神様が中心となるならば、一つになって繁栄しますが、神様を無視する日には、人間の力だけでは到底一つになることはできません。
皆様。アメリカには本当に神様はいらっしゃいますか。皆様の教会に本当に神様はいらっしゃいますか。皆様の社会に、国家に、本当に神様はいらっしゃいますか。神様がいらっしゃるならば、コンクリートのように強く団結できますが、神様が離れた場合には、洪水の時に砂の一粒一粒が散らばるように、一度に跡形もなく流れていってしまうでしょう。神様と一つになることによってのみ、アメリカは、誇り高き最高の先進国家として祝福を失うことなく、世界的権威と指導力を維持できるのです。もしもそれができず、神様が間違いなく離れていかれる日には、この国がサタンの手に渡ってしまうのであり、そうなればアメリカは今後、世界において最も悲惨な生き地獄と化すのです。神様の与えてくださった祝福が大きいだけに、試練もそれに比例して大きいことを知らなければなりません。
一九六〇年代当時は、世界の希望はアメリカであり、アメリカの希望はこのニューヨークでした。しかし、今、アメリカの国際的信望は地に落ちてしまい、ニューヨークは罪悪の都城、悪魔の都市へと変わりつつあります。シカゴやロサンゼルスもそうです。このようにサタンがアメリカの全域において主人となるならば、神様は顔を背けるしかなく、挙げ句の果てにアメリカを離れざるを得なくなるでしょう。今がそのような時であることをはっきりと知らなければなりません。異色民族の団結の力となっていた神様が離れるので、家庭は破綻し、教会は分裂し、この国は細胞が腐っていく人体のように、体中が致命的な病にかかっているのです。その隙に乗じて、共産主義の火の手が、この国を丸ごとのみ込んでしまおうとしています。じっとしている時ではありません。誰かが何とかしなければならない切迫した状況なのです。
Wednesday Sep 21, 2022
平和経 第333話
Wednesday Sep 21, 2022
Wednesday Sep 21, 2022
11.真の父母様北京到着の談話文
日付:一九九一年十二月七日
場所:中国、北京空港
行事:北朝鮮訪問後の北京到着談話文
私は今回、妻と共に北朝鮮政府の招請を受けて、平壌を訪問することになりました。これは、私が北朝鮮を最後に離れた一九五〇年十二月から、満四十年と十一ヵ月ぶりに実現した歴史的機会でした。
私は、北朝鮮に対して恨が多いと言えば誰よりも多い人間です。私は、宗教指導者であることと一貫した反共の信念のため、北朝鮮政権から到底語ることのできない迫害を受けた者です。また、到底形容できない拷問を受けながら、三年近く興南で監獄生活をする中で、多くの罪なき囚人たちが死んでいくのを見ました。私が今日、健在なのは一つの驚くべき奇跡であり、ただ神様の特別な加護と恩賜によるものであると思います。しかし今回、私は統一教会の創始者として、真の愛の精神で北朝鮮に行ってきました。真の愛というのは「愛することができないものまでも愛する精神」です。ですから、イエス様も「汝の敵を愛せよ」とおっしゃったのではないかと思います。
平壌に入っていく私の心情は、秋の空のように晴れ渡ったものでした。怨讐の家に行くのではなく、私の故郷、私の兄弟の家に行くようでした。「許せ、愛せ、団結せよ!」という私の終生の信条をもって北朝鮮の地を踏みました。
また、私が過去四十年の東西冷戦時代に、世界の誰よりも徹底した反共主義者であり、「国際勝共連合」の創始者として一生を勝共闘争に捧げてきたことは、世界中の知るところです。しかし、私の勝共思想は共産主義者を葬る思想ではなく、彼らを生かす思想、すなわち人類救援の思想です。私はベルリンの壁の崩壊以後、共産国家が崩れると、すぐに彼らに新しい価値観を教育し、それらの国を生かしていくことに全力を尽くしてきました。特にソ連と東欧のみならず、新生民主主義国家の政治家、知識人、教授、大学生たち数千人が、私の招待でアメリカと日本に来て、真の民主主義を学び、「神主義」と「頭翼思想」に感銘を受けて帰り、進んで自分の国を活かす運動の先頭に立っていることは、既に広く知られている事実です。冷戦時代の終焉とともに到来した平和の運勢を世界的に拡散させるために、私は「世界平和連合」を創設し、国際的な平和運動を主導しているのも、私の信念の所産なのです。
私は北朝鮮で、離れていた家族と会った瞬間、喜びと同時に胸が張り裂けるような痛みを感じました。それは、愛する人たちが南と北に別れて、きょうも再会の喜びをもつことができずにいる数多くの同胞たちを思い起こしたからです。そのうちの多くの人は、永遠にその機会をもてずに死別してしまうしかないことを考えたとき、我が民族の分断と離散の悲劇を一日も早く終結させなければならないと骨身にしみて自覚させられました。そして、このたび金日成主席との会談で、私は南北離散家族相互訪問問題を前向きに解決していく努力をしてくれるよう要請しました。しかし、共産主義問題を解決し、世界平和を実現することは、ただ理念的な対立の解決や教育だけでは達成できないと考えます。世界を生かすには経済的支援も非常に重要なことだからです。ですから、私は既に中国に二億五千万ドルを投入して、「パンダ自動車工業都市」を建設しているのです。
私が北朝鮮を見る視点も同じです。一つ違うことは、北朝鮮は他人の国ではなく、私の同族の国であり、私と血統を同じくする兄弟姉妹だという点です。「血は水よりも濃い」と言います。私は北朝鮮の二千万同胞を私の兄弟姉妹として愛しています。熱い心で彼らを愛しています。しかし、我が民族の宿願である祖国統一は、政治的、経済的、軍事的方法だけでは成し遂げられません。それよりも先行しなければならない基本要件があります。真の愛を原動力とした政治、経済、軍事問題の関係改善が統一の土台にならなければならないという点です。真の愛というのは、父母の愛のような無条件の愛です。そして、隣人のために自分の生命をちりのように捨てることのできる犠牲精神がすなわち真の愛です。そのような意味で、私は北朝鮮との経済協力および交流を広げ、経済開発事業に積極的に参与する意思があることを表明しました。
私は今回、「平和の使徒」として平壌に入城しました。私は、どんなことがあっても、この韓半島に再び同族同士の戦争を自ら招くことがあってはならないという固い信念をもっています。その意味で最近、アメリカの朝野で持ち上がっている北朝鮮の核施設空襲論は極めて危険な発想です。北朝鮮はイラクではありません。これは、全面戦争を引き起こすことは明らかであり、その恐るべき結果は誰も予測できません。アメリカは、韓国国民の生存権を脅かすことに対して、何よりも慎重に判断することを願います。
北朝鮮との核問題については、平和的に解決できると私は考えます。相互に尊重する真の対話を通して、必ず平和的に解決しなければなりません。私はその対話の道を開こうと平壌に行ったのです。そして、対話を通して平和的に解決しようとする使命感でその道を大きく開いて帰ってきました。私は、今回の北朝鮮訪問の成果が、大韓民国政府と北朝鮮当局者間の発展的な対話と交流を増進させていく良き契機となることを心から願う気持ちで、北朝鮮を訪問したのであり、今やそれが成功裏に成し遂げられるという確信をもつに至りました。
今日、私たちの課題は祖国統一です。これは私たちの宿命であり、私たちが生涯をかけて成し遂げなければならない終生の聖業です。私は、今まで神様のみ旨に従って統一の聖業を成し遂げる一念で生き、残りの人生もひたすら神様のみ旨を成し遂げる一念で生きていくつもりです。統一を念願する韓国と北朝鮮七千万同胞のすべてが、これから葛藤と闘争を終息させ、和解と愛で、民族の同質性を回復する事に、民族を挙げて取り組んでくださることを願う次第です。「銃や刀を溶かして、すきとくわを作る」時が今であると考え、統一祖国の明るい新世紀を迎える準備を急がなければなりません。
Monday Sep 19, 2022
平和経 第332話
Monday Sep 19, 2022
Monday Sep 19, 2022
10.真の父母様北朝鮮訪問晩餐の辞
日付:一九九一年十一月三十日、十二月六日
場所:北朝鮮、平壌、牡丹館(モランクァン)招待所、ソジェゴル招待所
行事:真の父母様北朝鮮訪問歓迎および歓送晩餐会
<歓迎晩餐辞>
私は四十年ぶりに平壌にやって来ました。そして、平壌が世界的都市として美しくつくられているのを見て、とても驚きました。あの清くて青い大同江(テドンガン)の水が、「今までどこに行っていたのか」と私を歓迎してくれているかのようでした。私は北朝鮮の約二千万人の同胞を本当に愛しています。「血は水よりも濃い」と言います。私たちは同じ血統を引いた歴史的兄弟姉妹です。
親愛なる北の兄弟姉妹の皆様。家族たちと会った瞬間、私は喜びと同時に胸が引き裂かれるような痛みを感じざるを得ませんでした。愛する人たちが南と北に別れ、きょうも出会いの喜びを分かち合うことのできない一千万人の同胞たちがおり、多くの人たちは、永遠に再会の機会を得ることがないまま、死に別れるしかないということを考えるとき、民族分断の悲劇は一日も早く終結しなければならないことを、きょうほど痛切に感じたことはありません。
我が民族は単一民族として悠久なる歴史において輝かしい文化を誇ってきました。しかし不幸なことに、我が民族は外部の意思によって強要された分断四十六年を生きてこなければなりませんでした。
これからは、二度と外部の勢力によって民族の運命が左右されることがあってはいけません。しかし、神様が守ってくださり、今では統一の時が近づいています。統一は民族の宿命であり、私たちの時代の課題です。私たちの時代に祖国の統一を実現できないならば、私たちは、先祖や子孫に永遠に頭を上げることができないでしょう。
祖国統一の聖業に関する深い対話を期待
七千万同胞が対話と和解で大同団結し、今回の出会いを契機として万難を克服し、統一のその日に向かって躍進していかなければなりません。そのために私たちは協力しなければなりません。祖国の経済復興も共に成し遂げなければなりません。私は祖国統一のために身命を捧げる覚悟ができている人間です。私が、ここの同胞たちのために何をするかは、金日成主席と金正日秘書の構想を聞いて決定しようと思います。
このたびの私の北朝鮮訪問が還故郷の意義深いものであることは言うまでもありませんが、この歴史的な機会に金主席にお会いし、直接感謝の言葉をお伝えし、民族の団結と祖国統一の聖業に関して深く話し合う機会があることを切に願う次第です。
最後に、祖国統一に向かって私たちが共に総進軍することを誓い、祝杯を挙げましょう。ありがとうございました。
<歓送晩餐辞>
尊敬する尹基福(ユンギボク)委員長、そして尊敬する金達玄(キムダルヒョン)副総理、また今夜この場にお越しになった北朝鮮同胞の皆様。私は去る十一月三十日、夢にまで思い描いた故郷の地、北朝鮮にやってまいりました。これはもっぱら金日成主席の温かい御配慮があったからこそ可能だったと思います。私は北朝鮮に滞在中、歴史も深い、美しく建設された平壌はもちろん、名実共に世界一の名山である金剛山も生まれて初めて鑑賞し、四十八年ぶりに私の故郷、定州も訪れる機会をもつことができました。
故郷を訪ねてみると、私の生まれ育った家が七十二年も過ぎた今日まで、そのまま保存されており、家族や親戚たちが四十二人も集まり、私たち一行を歓迎してくれました。年を取れば取るほど、遠く離れていれば離れているほど、行ってみたくなる所、会ってみたくなる人たちのいる所が故郷です。私はその故郷に来たのです。しかし私は、家族と会った瞬間、喜びと同時に胸が引き裂かれるような痛みを覚えました。それは、今日、私と同じように幸福になれないでいる一千万人の離散家族たちのことを思ったからです。
私も、もはや七十歳を超えていますが、私のような高齢者たちは、愛する人たちと会うこともできず、近いうちにこの世を去らなければならなくなるでしょう。このような悲劇がどこにあるでしょうか。
ところが、思いがけず、金日成主席の温かい人道主義的な御配慮によって、悲惨な離散家族たちが再会できる希望が生まれました。来年から離散家族が再会できる制度を設けることを約束したのです。
皆様。私にとって南に持って帰る贈り物で、これ以上良いものはありません。離散家族再会のこの知らせは、南の約四千万人の血を沸き立てるでしょう。南では、にわかに金日成主席の徳望に感謝して敬うようになるでしょう。
統一の原動力は真の愛
私はきょう、金日成主席と長時間にわたって会談する機会を得たことを、光栄の至りと存じます。もちろん、人それぞれ意見や見解の差はあるのは事実ですが、寛大で温かく、徹頭徹尾民族を愛されるその愛国精神は、私に大きな感銘を与えてくれました。私は今回、金主席にお会いし、直接感謝の気持ちを伝える機会をもつことができ、私にとってこれ以上の幸せはありません。
皆様。私は今回、八日間の故郷訪問中、国賓として手厚いおもてなしを受けました。尹基福委員長、そして金達玄副総理、その他私たち一行のために御苦労された方々に、熱い感謝を捧げます。皆様は真心をもって私をもてなしてくれました。私も心から北朝鮮同胞の皆様を愛しております。
私は今まで、統一の原動力は真の愛であると強調してきました。私は今回、北と南の間に真の愛の絆が結ばれたことを経験しました。
私は、最初にここに来たとき、「血は水よりも濃い」ということを強調しました。今、この地を離れるに当たり、民族をつなぐ愛が永遠であることをお祈りいたします。そして、ここを発つに当たって一言申し上げたいのは「愛は血よりも濃い」ということです。
二十一世紀の経済的奇跡と祖国統一
皆様。昨日、尹基福委員長と私は共同声明を発表いたしました。そこにおいて私たちの祖国統一は、外勢の介入や干渉なく、自主的に対話と交渉を通して、平和的に実現しなければならないことで意見が一致しました。
また私たちは、我が民族が二度と戦争の惨禍を被ることがないように、南と北が相互不可侵に合意し、核エネルギーは、ただ平和的目的にのみ利用し、韓半島においては、核兵器の製造や配置があってはならないと主張しました。このような北朝鮮の平和的な真意を曲解する人がどこにいるでしょうか。また私たちは、北朝鮮に向けた海外同胞たちの経済的投資を歓迎し、私は北朝鮮当局が推進している経済事業に、様々な形で投入していく用意があることを披瀝しました。
私は、北朝鮮の豊かな資源と訓練された労働力と賢明な知恵、それに世界的な技術と資本が合わされば、二十一世紀の経済的奇跡は、正にここ北朝鮮の地で起こるという事実に微塵の疑いもありません。これはまた、統一に向かう偉大な建設なのです。
皆様。結論として、私は、北朝鮮訪問を通して受けた、熱い感激を胸に抱いてここを発ちます。統一への熱望はより一層熱くなり、統一の可能性は目に見え始めました。私たちは共に和解し、理解し、愛し合い、そして一致団結して、私たちの宿願である祖国統一の日を一日でも早めていきましょう。最後に、尊敬する金日成主席と金正日秘書の御安泰をお祈りしつつ、祝杯を挙げましょう。ありがとうございました。
Saturday Sep 17, 2022
平和経 第350話
Saturday Sep 17, 2022
Saturday Sep 17, 2022
当時、神様のみ旨を成就しようと理想的国家を夢見て立ち上がった清教徒運動者とプロテスタント運動者が合致して、イギリス全体が一つになっていたとすれば、超国家的な立場で、神様のみ旨の中で一つになり、名実ともの「ユナイテッド•キングダム(United Kindgom:連合王国)」という世界的な国家形態を築いたのです。
しかし、イギリスは、この重大な使命を悟り得ず、神様の祝福をイギリスだけのためのものとして享受し、一方、清教徒を迫害し、植民地から搾取する立場に陥ってしまったので、そこで神様のみ旨は再び移らざるを得なくなったのです。
当時、清教徒が、反対と迫害に耐えかね、苦難を打開し、信仰の自由を求めて、教会と国を捨てて立ち上がったカナンの地のような所がアメリカ大陸でした。天のみ旨を携えて、命を懸けて大西洋を渡ってきた代表的な群れが、皆様の先祖「ピルグリム•ファーザーズ」だったのです。彼らと共に天の祝福はアメリカ大陸に移りました。そのようにしてここに集まった超民族的清教徒の群れは、信仰の自由のために神様のみ旨の中で強く団結し、独立軍を起こしてイギリスと戦った結果、神様の加護のもとに勝利しました。このようにしてプロテスタントを中心とした超民族的な国家が形成されたのですが、これが正にアメリカの建国の歴史です。
そのようにしてアメリカは、神様のみ旨を中心として世界救援の旗手となり、教会と国家が一つに団結し、神様の歴史的な願いである全世界救援のみ旨を果たす重大な使命を負うようになったのです。アメリカの建国理念が「神様のもとに一つの国」だったことは、何も偶然なことではなく、すべて神様のみ旨の中でそのようになったのです。
このように、神様は六千年の摂理歴史を勝利で完結させる目的のために、イスラエルの失敗以後の二千年歴史を、第一イスラエルの国とユダヤ教に代わる立場で相続、継承したのがアメリカとキリスト教でした。
イエス様以降二千年間に失敗した内外の条件を、二百年の歴史を通じて清算し、アメリカは精神文明と物質文明を兼ね備えて、神様のみ旨の中で世界を救うために再び来られるメシヤを迎える条件を具備した国になったのです。そうしてキリスト教とアメリカが一つになって、神様のみ旨を世界的に完結すべき、第二イスラエル型の世界的国家となったことを、皆様は知らなければなりません。
アメリカ国民は神様のみ旨を知って覚醒すべき
今や、アメリカ国民は、今日のアメリカを築いた神様の祝福が、決してアメリカだけのための祝福と思ってはいけません。この祝福は世界のための祝福であり、またアメリカ自体も、アメリカだけのための国ではなく、世界人類のためのアメリカであることを深く悟り、全世界人類の救援のために、いかなる犧牲や十字架も避けてはいけません。
イスラエルとローマ帝国とイギリスが、神様のみ旨を受けたにもかかわらず、その使命完遂に失敗した内容を知って、アメリカは必ず神様のみ旨を成し遂げる国にならなければなりません。アメリカは、超民族的に構成された国という意味で、世界を救うことのできる最もよい条件を具備しています。このように五色人種が合わさって暮らす国は、かつて歴史上になかったのであり、神様の加護がなかったとすれば、既に分裂し、争いながら滅んでいくしかなかったはずですが、むしろ祝福を受けて栄えることができたのは、驚くべき神様のみ旨があったからです。アメリカの国民は、今や神様の祝福の意味を知って、深く覚醒しなければなりません。
アメリカは、精神文明と物質文明の極致を築き上げた、神様のみ旨の中に準備された代表国家として、第一イスラエルがメシヤを渇望したように、再び来られる主を待ち望み、迎えて、創造理想を完結した統一世界を成就する国にならなければなりません。
第一次、第二次世界大戦を勝利に導いたのも神様であり、アメリカをして国連を編成させたのも神様のみ旨でした。本来国連は、キリスト教を中心とした世界の国々が結束する本営にならなければなりませんでした。共産主義国家の加盟は、絶対に神様のみ旨ではなかったのです。
またアメリカは、戦後の処理を間違えました。第二次世界大戦に勝利した連合国と三国同盟国(日独伊)がもっていた国までも適切に保護し、管理する責任が、アメリカにありました。もしアメリカが神様のみ旨を知っていたならば、サタン側の国家であるソ連を堂々と制圧し、世界万邦の自由国家を集め、民主世界に結束させて、神様のみ旨の中で全世界を復帰しなければなりませんでした。その時こそ、それができる良い機会でした。しかし、アメリカは、当時アジア諸国と東欧衛星国家を実質上共産圏に与えてしまい、韓国とドイツを分断させてしまいました。
第二次世界大戦の勝利は、神様の版図を広めて、世界へと進出させようとした神様の祝福の結果でした。しかし、アメリカは、結果的に若者たちの血の犠牲を無駄にしてしまい、神様を否定する不倶戴天の怨讐、共産主義世界を有利にしてしまったのです。その時、犠牲となった若者たちの怨恨の血の叫びが、いまだ絶えずにあることを、アメリカは知らなければなりません。
さらにアメリカは、自由陣営を守護すべき聖職から後退することによって、ベトナムのようにその保護下にいた国を一夜にして悲運の供え物としてしまったがゆえに、アメリカの国際的信義は地に落ちてしまい、怨みの声が日々高まっています。国連はその機能を喪失したまま、共産主義国家の独り舞台となり、イスラエルとアメリカと韓国は片隅に追われる恥辱を受けています。そればかりでしょうか。アメリカにおいては、様々な尋常ではない国内問題が日増しに深刻になっています。人種問題はもちろん、麻薬問題、青少年の淪落と家庭破錠、犯罪問題などです。どれ一つ取ってみても深刻でないものはありませんが、中でも共産主義問題は致命的です。
神様に侍るとい宗教会が、これらの問題を解決する主役を担わなければならないのですが、教会は日に日に若者を失い、ある所は養老院化しつつある状況です。家庭と国家と世界を見つめながら全体のために生きるという神様のみ旨に背き、極度の個人主義的な人生観と価値観によって生きるアメリカ人は、神様の審判を免れることができないことを恐れなければなりません。このままでは、神様は離れていかれ、そうなればアメリカは祝福を奪われて悲惨になるのです。既にそのようになりつつある現実を直視しながら、誰よりも国会議員の皆様をはじめとする為政者の皆様が覚醒し、頑張っていただきたいと願います。
皆様の心の中には神様はいらっしゃいますか。皆様の家庭に、皆様の町に、皆様の社会に、皆様の国家に神様はいらっしゃいますか。またホワイトハウスに神様はいらっしゃいますか。もっと重要なことは、教会に神様がいらっしゃるかということです。今では、それさえも疑問です。
神様はすべてを一つにさせる力なので、神様が共にあってこそ、個人の心と体もう一つになり、夫婦と家庭が一つになり、民族が一つになり、国家が一つになり、東洋と西洋が一つになり、世界が一つになり、天と地もう一つになり、神様と人間が一つとなった統一の世界が来るのです。そのような世界になれば、共産主義は影すらもなくなるでしょう。神様さえいらっしゃれば万事が解決されるのですが、神様を失う日にはすべてを失ってしまうのです。
そのようなことを知ったからには、すべてを犠牲にし、アメリカ全体を犠牲にしてでも、探さなければならないのが神様であり、全世界の人類であることをはっきりと知らなければなりません。アメリカが覚醒し、国民が団結して、神様を中心として再び結束する運動を起こさなければならないのです。キリスト教を団結させ、すべての宗教を糾合して、次元の高いみ旨の世界に向かうアメリカとなれるように、精神的革新運動が起こらなければなりません。
アメリカは世界のために先頭に立つべき
しかし、今のキリスト教のままでは、それはできません。汎国民的に教育して、徹頭徹尾精神武装させる新しい指導理念が絶対に必要です。それは現在の民主主義理念だけではできません。共産党を追放し、神様を中心とした愛と真理で、新しい社会秩序を樹立する運動が起こらなければなりません。そのような目的に向かって青年たちを結束、団結させ、アメリカを覚醒させて、世界的使命を担当しようと準備、訓練しているのが正に統一教会運動なのです。
統一教会は、それを成し遂げる内容と理念と実践力をもっています。アメリカを中心とする神様のみ旨とその計画を理論的に明らかに教えてあげ、アメリカをはじめとする西洋の物質文明と東洋諸国の精神文明をつなげて、全世界に統一文化圏を築き上げることによって、神様のみ旨である創造目的を完成した理想世界をこの地球上に建設しようとしているのです。韓国は、西洋文明と東洋文明が連結するアジアの高きやぐらであり、最後に残された基点となるのです。
そのような意味で、アメリカが韓国を保護せざるを得ないのは、神様のみ旨によるものであることを知らなければなりません。そのように東西を連結するという驚くべき歴史的使命を悟れず、自国だけで定着しようとするアメリカを再び覚醒させ、その使命を果たさせるために、神様はレバレンド•ムーンをアメリカに送られ、活動するように命令されたのです。
神様のみ旨の中で、アメリカの果たすべき至上課題は、イスラエルとローマ帝国、イギリスのような国々の前轍を踏まずに、その建国精神に立ち返って、徹頭徹尾神様に侍る国として、み旨の公式どおりに教会と国家が一つになり、アメリカを犠牲にしてでも全世界を救おうとする立場で、神様と共に力を尽くして地上天国を築く時まで先頭を走る旗手としての使命を果たすことです。そうすれば、アメリカは永遠であられる神様のみ旨を完成させ、永遠に祝福を受ける国となるでしょう。
きょうこの会場、この時間が、将来訪れる統一された理想世界、すなわち地上天国の礎を据える契機となることを願います。皆様と皆様の御家庭、皆様の仕事場、皆様の国に、万福が宿ることを願いながら、私のお話を終わらせていたたきます。ありがとうこざいました。
Saturday Sep 17, 2022
平和経 第349話
Saturday Sep 17, 2022
Saturday Sep 17, 2022
2.アメリカを中心とした神様の計画
日付:一九七五年十二月十八日
場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂コーカス•ルーム
行事:第二回アメリカ国会上下院議員招請講演会
親愛なるアイコード議員、国会議員の皆様、そして紳士淑女の皆様。まず私はアイコード議員の親切な御紹介の言葉に対し、衷心より感謝の意を表し、また御多忙中にもかかわらず、このように参加してくださった皆様に感謝申し上げます。
アメリカ人は洗脳されるほど愚かではない
きょう私は、美しいアメリカ国会のこの殿堂で、皆様にお話しすることができ、光栄に存じます。優秀であられるアメリカの国会議員各位をお迎えして、お話しできるこの機会は、私にとって二度目です。その最初の機会は一九七四年十月八日でした。それから約十四ヵ月が過ぎたきょう、私は再びこの殿堂に立ちました。
これまで十四ヵ月が経過する間、私は次第にアメリカのマスコミにおいて論難の的になりました。全国の各新聞は、私に対する記事を大書特筆し、いくつかの雑誌は私の写真を表紙に載せ、カバーストーリーとして扱いました。ある写真は、本人よりも見栄えよく写っているように感じられるものもありました。広告代を一銭も払っていないのに、私のことをこのように有名にしてくれたアメリカの言論機関の各位に、どう感謝の言葉を申し上げたらよいか分かりません。
アメリカの言論機関が物議の焦点としているのは、私がアメリカの青年たちを洗脳していると思っていることです。それでは、賢明なアメリカ人の皆様に、一言お聞きいたします。いったいアメリカの人々は、このレバレンド•ムーンによって洗脳されるほど愚かな人々でしょうか。いいえ、違います。私の答えも同じです。私は、アメリカの人々を尊敬しています。それにもかかわらず尊敬するアメリカの人々がこのような非難をすることが理解し難いのです。暴力を使ってまで非難するのは理解できないことです。
しかし、きょうは、弁明するためにここに来たのではありません。私は神様が伝えるようにと言われたみ言を証すために来たのです。その他は歴史が証明するでしょう。今から私がお話ししようとする題目は「アメリカを中心とする神様の計画」です。
創造理想世界復帰のための神様の摂理
私たちが神様の計画を知ろうとすれば、まず神様のみ旨が何であるかを知らなければなりません。神様は、永遠、不変、唯一、絶対的な方です。したがって、神様のみ旨も、永遠、不変、絶対的なものにならざるを得ません。神様が人間を創造される際に、その目的と理想があったのですが、その目的が成し遂げられていれば、その世界は、愛によって統一された世界となり、神様を父母として侍り、全人類が兄弟姉妹として仲むつまじく暮らす単一世界となり、人類大家族の世界となっていたでしょう。
言うなれば、その世界は、み旨の中で一つに統一された世界なのです。この統一という課題が、今日人間にとって最も重要なものであり、そのために極めて難しいものとして残されているのです。個人においては心と体が一つになり、家庭と家庭が一つになり、民族と民族、国家と国家、東洋と西洋、神様と人間が一つに統一された世界なのです。言い換えれば、神様の創造目的が完成した世界が、統一の世界です。
しかし、今日の現実はこのような理想世界からは、あまりにかけ離れたものであり、何かが根本的に間違っていることは明らかです。それは何でしょうか。人間の先祖アダムとエバの堕落によって、神様のみ旨が成就しなかったのです。ですから、個人の心と体が分かれ、家庭と家庭、民族と民族、国家と国家、東洋と西洋、神様と人間のそれらすべてが分かれ、分裂と不調和の中で生きているのです。このように分裂した人間自体は、本然の機能を失ってしまった病気の状態にあるのです。神様の人類救援の目的は、この病に伏した人間を診察、処方して治療する医者を送り、病気になる以前の状態に原状復帰させようとすることであり、この救援の摂理は、すなわち復帰摂理と言えるのです。ここにおいて医者として来られる方がすなわちメシヤなのです。
それでは、メシヤの降臨に先立ち、神様は何をどうされたのか、そしてメシヤは来て何をしようとしたのかが問題です。神様はみ旨を成就させるために必要な中心宗教を立て、それを基盤として神様の選民である中心国家を立て、その中心宗教と中心国家を通じて世界全体を救援し、復帰しようと摂理してこられたことをはっきりと知ることができます。その中心宗教がすなわちユダヤ教であり、その中心国家がイスラエル選民国家でした。その宗教とその国家の使命は、メシヤを迎えて、全世界を救援するみ旨を完成することです。神様のみ旨成就に先立ち、たとえ困難に直面し、犠牲の十字架を背負うようなことがあったとしても、全世界を救わなければならないのが、その中心宗教の使命であり、またその中心国家の使命なのです。
このような明らかな公式的み旨があって、神様はメシヤを送る前に、ユダヤ教を立て、彼らを通してイスラエル民族を訓練し、メシヤを迎える準備をさせてきたのです。そうして、神様のみ旨であり、民族のみ旨である人類救援の摂理は、メシヤによって完結され、統一された理想世界が成し遂げられるはずでした。
中心宗教と中心国家の使命がキリスト教とアメリカに移る
しかし、二千年前に、メシヤが来られたとき、どうなったでしょうか。ユダヤ教とイスラエル民族は、世界万邦が自分たちの足もとで制覇され、イスラエル民族だけが栄光の座に着くことを夢見ていたのです。彼らは、世界の救援という至上課題を先に考えるべきだったにもかかわらず、自分の国を先に考えたのです。そこから、世界のことを先に考え摂理される神様やメシヤと彼らとの間に、大きなずれが生ずるようになったのです。
そのような中で、メシヤとして来られたイエス様は、ユダヤ教とイスラエルを基盤として世界を救援するために、教会と民族に対して世界に向かう革新的な言動を取っているうちに、既存の立場を固守するユダヤ教とイスラエル国家の反対に追われ、ついに十字架に架けられて亡くなってしまったのです。その後、み旨成就に失敗したユダヤ民族は悲運の道を歩むようになり、イエス様を中心としたキリスト教は、国家の基盤を喪失したまま、信徒たちは迫害の中で多くの殉教の代価を払いながら、ローマ帝国でみ言を広め始めました。
ここで知らなければならないことは、選ばれた者がその使命を果たせなかった場合に、神様は、み旨を成し遂げるにふさわしい宗教を再び立て、そこにふさわしい中心国家を再び立てるということです。そこでキリスト教がその中心宗教として、み旨のためのより高い立場でユダヤ教の使命を受け継ぎ、当時世界的な国家だったローマ帝国にとどまるようになったのです。
そのようにして準備したユダヤ教とイスラエルの国は失われてしまったのですが、キリスト教は、ユダヤ教とイスラエルの国の失敗を清算するための四百年間の迫害の末、ローマに国教として受け入れられるほどの基盤を築くようになりました。
当時、教皇庁が中心に立ち、ローマ帝国と完全に一つになって、全世界の救援を目指して前進しなければなりませんでした。もしもローマ教皇庁が、そのようなみ旨をはっきりと知って、国家と一つになり、いかなる犠牲の十字架を負ったとしても屈せずに前進していたならば、世界を救って余りあったでしょう。しかし、教皇庁は、神様のみ旨に背き、自分たちを中心として国家を動かし、そのもとに隸属させる機関と化してしまったのです。
このように神様のみ旨とは反対の道を行くので、神様は教皇庁から離れるようになり、中世暗黒時代が到来するようになりました。その後、教皇庁の威信は人本主義の思潮に襲われ、地に落ちてしまいました。ですから、神様はプロテスタント運動を起こし、世界救援の道を再び整えなければならなくなったのです。このような風潮に乗じて、自分の離婚を正当化しようとしたイギリスのヘンリー八世は、カトリックに対して反旗を翻し、議会を動かし、首長令を発することによって、ついにイギリス国教会を打ち立てました。
その時のイギリスは、プロテスタントと和合できる良い機会をもっており、ヘンリー八世は自ら悔い改め、次元の高い教会と国家を目指して前進できる立場に立っていました。神様のみ旨は、ローマ帝国を離れてイギリスに移り、世界救援の道を整えていたので、イギリスという小さな島国が、数百年の間にその版図を広げ、「五大洋六大州に日の沈むところがない」といわれる世界的な強大国になりました。
神様がこのように、イギリスに文明の極致を享受させ、輝かしい祝福を与えたのは、イギリスだけのためではなく、世界を救おうとされる神様のみ旨を成就させるためでした。