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Wednesday May 07, 2025
父の祈り 第174話
Wednesday May 07, 2025
Wednesday May 07, 2025
メシヤを迎えるにふさわしい姿とならせてください
今日、私たちの生涯路程は悲惨なる路程であり、
生活環境は複雑で、
私たちは
善と悪を分別できない
混沌状態で生きています。
このような地に
一つの生命の道を開拓してくださるために、
天は骨折られ、
人類の前に
一つの真なる人の姿と、
真なる理念と
天宙の真の姿を紹介するために、
数多くの先知者たちがこの地上に来ては逝ったのを
知っています。
その中でも万民のメシヤとしてこの地上に現れ、
十字架上でわらくずのように消えながらも、
万民のために福を祈ることのできた
イエス・キリストの尊厳なる人格と
彼から流れ出たその心情、
染み通った彼の理念を
慕うべき時が来ました。
自分を軽視すべきこの時であるにもかかわらず、
自分を高くし、
万物万象を蔑視し、
天を蔑視した罪深き自分であったことを
受け入れてくださいますよう、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
私たちが真なる心、
真なる善に向かい動こうとするなら、
天地の前に負債を負った者であり、
人類歴史路程で、
言うに言えない険悪なる痛手を負った
罪悪の氏族であることを悟らせてください。
今、私たちには
お父様を尋ね、捜し歩くことのできる心、
本然の自我を尋ね、捜し歩くことのできる忠節、
それだけが必要ですので、
お父様、
それを備えるよう許諾してください。
イエス様が生きてきた生涯路程が
悲惨なる涙の道であったことを、
私たちは否認することができませんし、
経てきた歴史のひとこまひとこまも、
血のにじんだ血みどろの闘いで綴られたことを、
私たちは知っております。
そうして
私たちは、
歴史的な何かを解明することができず、
時代的に誇るべき何ものをも持てなかった
宇宙史的な落伍者の立場であることを
分からせてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
それゆえに真なる指導者、
真なる生命と真なる心情を持った指導者が必要であり、
天が人間の前に送られた方が救い主であり、
メシヤであると私たちは信じています。
しかし、私たちが
メシヤたるその方の前に出るために、
彼にふさわしい志操と忠節と心情を備えたかを、
自らたどって調べるようにしてください。
天はメシヤを迎えるにおいて、
人間が
最高の情熱と
最高の忠誠と
最高の真心を、すべて傾けるのを
待ち望まれることを知っていますし、
サタンを相手にしない最高の至誠と
燃える心情を要求されることを知っています。
今、私たちが
そのような立場に達することができなくとも
その立場を慕う心だけでも持って
ひざまずき、贖罪の恩賜を願うことのできる
謙遜な幼い息子・娘たちとなるよう導いてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・七・一九)

Wednesday May 07, 2025
父の祈り 第173話
Wednesday May 07, 2025
Wednesday May 07, 2025
み意に背いたイスラエルを教訓とさせてください
選民の権限を誇り、
選ばれた民であることを誇りながら、
祝福圏内に生きた
イスラエルはどこに行ったのかと嘆息なさる
お父様の悲しい涙が、この地に残っているということを
私たちは知っています。
お父様が四千年の間、
歴史的な悲しさに耐えながら、
選んだイスラエル民族をつかんでこられたのは、
メシヤお一人をお送りになるためであったにもかかわらず、
彼らはメシヤをほうっておき、サタンの懐に抱かれたがゆえに、
それを見つめておられたお父様の悲しさは、
その時だけの悲しさではなく、
億千万年歴史の悲しさとして
残されたという事実を知るものです。
当時、選ばれたイスラエル民族は
このような事実を知ることができなかったということを
私たちが回想するとき、
きょう体をかがめ、心を整理して
歴史的な犯罪性を暴露し、
その歴史的な罪悪を
身代わりして悔い改めるべき責任が私たちにあることを、
私たちは悲しく思わないわけにはいきません。
イエス様は天の物悲しい心情を抱き、
倒れていく民族を訪ねてくださり、
彼らをかわいそうに思い、
自らの生命をも惜しまず、彼らを訪ねてくださいましたが、
選ばれた民族であると自称していたイスラエル民族は、
天がお送りになったメシヤと準備された洗礼ヨハネを、
自分たちの勝手に扱い、
歴史的な悲しみの陰に隠してしまったという事実を、
今日、私たちは知っています。
きょう、ここに集ったあなたの息子・娘たちをして、
その時のイスラエルの人々が
私たちよりも劣っていて天に背反したのでなく、
天のために生きる心情が
私たちよりも劣っていて天を忘れてしまったのではなかったことを
知るよう許諾してください。
新しい時代に対する希望が足らず、
新しいメシヤの理念を持ってこられる主の姿が
大きいだろうと思っていたのに、
いざ現れたメシヤが、
あまりにも悄然としてかわいそうで、小さな姿であったがゆえに、
彼らが排斥したのだという事実が
分かるよう許諾してください。
今、私たち自体が
どのような立場に置かれているかを
察するよう許諾してくださり、
今日、私たちはよく
歴史的なイスラエル民族を誹謗し、
当時の事情を批判することがありますが、
その時の事情や今日の事情に
差がないことを知るようにしてください。
私たちがその時にいたなら、
彼らと同じ群れであったことでしょうし、
私たちがその時代にいたなら、
彼らと同じ立場にいたであろうことを
自認する心を持つようにしてくださり、
そのような歴史的な罪の痕跡をもっている
自らだということと、
サタンの魔の手が私たちの体をにらんでいるということを
知るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・二・二二)

Wednesday May 07, 2025
父の祈り 第172話
Wednesday May 07, 2025
Wednesday May 07, 2025
イエス様の悲しい心情をつかみ立つ子女とならせてください
今日私たちは、
歴史上に来て逝かれた
イエス様を知り、信じていますが、
その当時イスラエル民族に
追い回された悲惨なるイエス様、
この村で追われればあの村へ、
この都で追われればあの都へと彷徨した
イエス様の心情を知って、信じる者はいませんでした。
天の心情を身代わりして現れた
イエス様の姿を知る者は、
歴史上で見いだすことができませんでした。
メシヤを待ち望んだイスラエル民族が、
メシヤを迎える望みを抱き、
数千年間耐えながら闘ってきて、
メシヤはいつこられるのかと言いながら待ち望んできましたが、
いざその望みの的が現れた時には、
自分たちの事情と
自分たちの置かれた環境に偏ったあまり、
天の心情を知らないまま
深い眠りに陥っていたことを、
私たちは思い起こさずにはおれません。
このように嘆かわしい歴史があったことを思い起こし、
きょう私たちに、
お父様の心の中に染み渡っている恨みを
解いてさしあげるべき責任があるとするなら、
来られたイエス様を見間違えたイスラエルの罪状を、
私たちが身代わりして担当し、
解いてさしあげられるようにしてください。
イエスを悲しませた
イスラエルの失敗に責任を持ち、
身代わりして悔い改めることのできる
私たちとなるよう許諾してください。
イエス様は悲しい三十余年の生涯をお送りになられました。
その上に
自分のすべてのものを捧げた三年公生涯がありましたが、
誰が彼の心情を知り、
誰が彼の事情を知っていたでしょうか?
一人もいませんでした。
甚だしくは、喜怒哀楽を共にし、
悲しい時、共に悲しみ、
寂しい時、共に寂しがり、
師と侍っていた弟子たちも知りませんでした。
師が死の道を行くことを案じ、
懇切なる心情で天をつかみ
訴えるべき弟子たちが、
かえってイエス様が誰であるかと言って
問い返す立場にあったので、
三年の公事が無駄であったことを感じられたイエス様の心情、
悲しみがあるとするなら
これ以上の悲しみがどこにあり、
悔しいことがあるとするなら
これ以上悔しいことがどこにあるでしょうか?
権能をお使いになったイエス様を
あがめ侍ることのできるクリスチャンはいますが、
踏まれ押しつけられたイエス様のその足跡を
つかんで生きようとするクリスチャンはいません。
お父様、
かわいそうなイエス様の心情を
つかんで立ち上がることができる息子・娘たちが、
この万民の中にたくさん現れることを
私たちは
血涙で訴えないわけにはいきません。
生きておられ、
歴史の背後を操られるお父様!
私たちに、ほのかに行く所を教えてくださることを知るものです。
お父様、
過去のイエス様を慕う
私たちとならないようにしてくださり、
時代的なイエス様を証すためにあえぐことのできる
私たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
今、私たち、
お父様の前に行かなければならなかった
イエス様の心情に同情し、
その心情の前に頭を下げられるようにしてくださり、
イエス様が喜ばれ、願われた何かがあるとするなら、
それを成し遂げてさしあげることのできる
私たちとなるよう許諾してください。
二千年前、人類の生命問題を解決しなければならなかった
イエス様の心情に徹することができ、
彼の心情と関係を結べる
息子・娘となるよう、お導きくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・七・一九)

Wednesday May 07, 2025
父の祈り 第171話
Wednesday May 07, 2025
Wednesday May 07, 2025
イエス様を通じた歴史的痛恨の心情を感じさせてください
待ちに待った望みのひと日を迎えるために摂理してこられたお父様、
不信した人間たちをお捨てになることができず、
数多くの寂しい群れを抱かれるために、
イスラエル選民を祝福しておき、
歴史を導いてきて、
約束していた一存在を送られたその日は、
お父様の栄光が天に染み渡らなければならず、
万民の歓喜の心情をもって
天上にも地上にも喜びが充満しなければならなかったのに、
四千年の悲しみが
イエス様お一人に対して加えられたという
歴史的な恨めしく悔しい事実を、
お父様、
私たちは知っています。
馬屋で誕生して生きられた三十余年の生涯は、
それほどまでに悲惨であり、
それほどまでに寂しく、
それほどまでに頼る所もありませんでした。
地上にそれほどまでに信じる者がいなかったイエス様、
地上で自分の胸襟を開いて、
その懇切なる心情を伝えることができないまま、
恨みの主人公として逝かれたイエス様であったということを、
今日私たちは知っています。
勧告すべき天的なみ言が残っていましたが、
受けるべき人間が信じることができないことにより、
そのみ言をすべて語れず、抱き逝かれた悲しみ、
二千年前のイエス様の悲しみを
知らずにいる万民をお許しください。
それでも、天に従った弟子たちを集めて
勧告なさり、期待されたみ言と祈祷を
私たちは聞きました。
あなたの因縁と天の因縁が相合うその瞬間、
天の喜びが現れなければならず、
ひいては地上に
新しい国が建設されなければならなかったのに、
その瞬間喜びは消え去り、
嘆息と悲しみが始まり、
恨みの十字架の道が生じた
歴史的な恨めしく悔しい事実を知っています。
私たちの先祖たちは天の前に負債を負い、
私たちも天の前に
宇宙的な負債を負っているのに、
それを蕩減しようとせず、
自分の安逸のために
あえぐ群れとなったことを受け入れてくださいますよう、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
悲惨なる心情を体恤し、
地を案じ、
天を案ずる心を持った息子・娘たちが、
この地上にどれほどいますでしょうか?
お父様、
とても珍しく貴重であるということを知っています。
哀れな万民を救われるため、
数多くの苦労も意に介することなく、
寂しい私たちに勧告なさるために
月日を経てこられたお父様、
私たちの前に新しい約束をお立てください。
この者たちに
新しい約束と、新しい時代の使命を任せようとなさる
天的なみ旨があるとするなら、
お父様、
役事してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・五・一七)

Wednesday May 07, 2025
父の祈り 第170話
Wednesday May 07, 2025
Wednesday May 07, 2025
イエス様の悲しい心情を感じさせてください
お父様!
二千年前のイエス様の聖なる姿が慕われます。
み言をお伝えになったイエス様の前には、
索漠たる世の中が置かれていて、
自分を主とし、自分を高くしようとする
群れがいましたが、
そのような群れを眺められたイエス様の視線に、
限りなく悲しい心情が流れていたことを
知るものです。
ユダヤ教団は教派同士で闘い、
信徒たちは信徒たち同士で争う実情を
眺めておられたイエス様!
自分の粗は隠し、
人の粗を探して、自分を主張するためにあえいでいた
その時の時代相を私たちが回顧するとき、
やはり世の中と時代に責任を持って来られた
イエス様の心が、無限に悲しかったことを知るものです。
それでも、
「求めよ、そうすれば、与えられるだろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、
そうすれば、あけてもらえるであろう*」と叫ばれた(*マタイ七・七)
イエス様の心情が推し量られます。
求め、捜し、たたくべき者たちは
民族であり、教団であり、個人でしたが、
求めるべき者たちが求めようとせず、
捜すべき者たちが捜そうとせず、
たたくべき者たちがたたこうとしないのを
眺められるイエス様は、
人間を身代わりして求めなければならない立場におられ、
人間を身代わりして捜さなければならない立場におられ、
人間を身代わりしてたたかなければならない立場におられたので、
お父様、
悲しいのはこのことでした。
人間が訪ねてくれるのを待ち望んで送ったメシヤが、
むしろ訪ねるべき立場におられ、
人間たちが侍ってくれるのを望みながら、
天は長い歴史路程を準備したのに、
人間たちから侍られない立場におられた
イエス様の物悲しい心情を、
私たちがこの時間感じるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
イエス様は地の人間に対するとき、
涙して嘆くしかない事情でしたが、
むしろお父様が
祝福してくださることのできる地となることを待ち望まれました。
イエス様のその聖なる姿が、
きょう私たちの目前に顕現するよう役事してくださり、
私たちが彼の命じられる声を聞き、
黙々とその内心に流れる天的な心情を思慕し、体恤して、
涙しながら敬拝を捧げることのできる
群れとならせてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
今、私たちは
お父様に向かって手を挙げ
裸同然の姿で現れましたので、
哀れにお思いください。
私たちの心には、
お父様しかいないよう許諾してくださり、
私たちの望みと私たちの欲望と
私たちの一切の要求条件は、
お父様のこと以外にはないよう許諾してください。
無限なるお父様の心情に染み渡った
その心をつかんで生き、
その心を体恤しながら生き、
その心と共に闘いながら生きることのできる
息子・娘とならせてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・四・二六)

Wednesday May 07, 2025
父の祈り 第169話
Wednesday May 07, 2025
Wednesday May 07, 2025
メシヤを迎えられる姿とならせてください
お父様!
三十余年間、荒野でいなごとはちみつを食べて修道した、
洗礼ヨハネが抱いた願いは何であったでしょうか?
彼の願いのすべては、
来られるメシヤを迎えることであったことを知っています。
メシヤを証した彼は、
メシヤと一つにならなければならない
天倫の因縁でございましたが、
彼が私の心にあり、
私が彼の中にあって、
彼のものは私のものであり、
彼の心情が私の心情であり、
彼の生涯が私の生涯だという、
すなわちイエス様のすべてのものが
洗礼ヨハネの心中に反映され、
一体をなさなければならなかったのですが、
彼はそのようにはできませんでした。
ヨルダン川の多くの群れの前で
手を挙げ、天の息子だと
証した記憶を持っていた洗礼ヨハネは、
悲しく寂しい姿で獄に閉じ込められ、
自分の物悲しい身の上を
嘆息せずにはおれない立場で、
自分が証したメシヤ、
天が証し立ててくださったメシヤに
弟子たちを送り、
「『きたるべきかた』はあなたなのですか。
それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか*」と(*マタイ一一・三)
聞き返した場面は、歴史的な悲しい場面であり、
天が越え難い悲しい場面であったことを
私たちは知りました。
歴史の流れの中に、洗礼ヨハネの路程は
そのまま残っています。
新しい理念を見つけるためにあえいでいる私たち、
新しい歴史を待ち望みながら準備するという私たちが、
今、洗礼ヨハネを自分と交換して
考えることのできる者たちとなるよう
許諾してください。
天の民が天のみ旨を排斥した事実を、
歴史を通して知りましたので、
今日私たちが
そのような歴史的な二の舞いを
再び踏む私たちとならないよう主管してくださり、
荒野で装わせ準備をさせられた、そのみ旨を
失う者たちとならないようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
きょう私たちの体と心が、
お父様の前に面目ないことを
悟るよう許諾してください。
お父様の勧告なさるみ言を聞くことができ、
イエス・キリストの悲しい心情を
引き継ぐことができるようにしてくださり、
天的な悲しい心情を抱き、
人間たちが知ることのできない
新しい理念の主人公を迎えることのできる
心と体となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
この時代を守りいく主人公は誰であり、
この時代に残ることのできる民族は
どのような民族であるかを案じ、
そのような姿を慕いながら
悲しい心情に徹することのできる
このひと時となるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
聞こえてくるみ言と聞こえてくる声に耳を傾け、
そこに同調し反応する生活をする私たち、
今、私たちが歩んできた道を振り返り、
新しく目覚めるべき時が来ました。
混乱と混沌の中に置かれ、
生死を決めるべき立場にある
自分自身を案じる立場から、
私たちが抜けられるようにしてください。
信じることのできない社会であり、
信じることのできない世界であることを知り、
信じることのできる理念の世界に浸り、
その理念の世界と因縁を結ぶことができるよう
自ら目覚め、
自我を認識し
天をつかむべき時となり、
心の変革を起こさなければならない時に
なったということを知っています。
このような環境に置かれている自分であることを肝に銘じ、
新しい「私」を追求することができるよう導いてください。
恨みの染み渡った悲しみの峠を越えに越えて、
歓喜の姿を迎えることのできる
私たちとならせてくださり、
その姿を慕い、
その世界に引かれ、
その世界と和することができるようにしてください。
今日この社会環境が自由であり得ず、
悲しみが染み渡っていることを悲痛に感じて、
これを遮って闘うことのできる
力を、勇猛さをお与えください。
永遠であられ絶対的なる天がおられるなら、
罪悪の一切を押し出すことのできる能力を
加えてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・四・一二)

Wednesday Apr 30, 2025
父の祈り 第168話
Wednesday Apr 30, 2025
Wednesday Apr 30, 2025
十字架を越えて復活の栄光を歌わせてください
お父様!
時が近づけば近づくほど、
復活の主に出会うのを
ためらう心がわき出てきます。
時が近づけば近づくほど、
死の悲しい因縁を抱かれたイエス・キリストの姿が
連想されるようにしてください。
刑具に掛けられ亡くなられた彼は、
恨みを抱いて逝かれた方であったことを知りました。
彼が徘徊されたゴルゴタの山頂は、
因縁の涙の峠であることを知りました。
彼が流された血と汗は、
今日まで因縁の歴史に生き残り、
人類の一人ひとりの心中に
復活し、入っていくことを知りました。
このすべてのものが、
因縁の歴史的な摂理のみ旨の中で
流された血と汗があったがゆえに、
その因縁が存在する間、
その血と汗によってすべてのものが動いていくことを知っています。
今日、そのような心情に徹する私たち、
そのような境地にいる私たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
このように行かれた主、
新郎であられる主は、因縁の歴史を経て
再び訪ねてあげようとおっしゃいました。
主が自分の心、体を傾け、
私たちを訪ね立てようとする心情が懇切であられることを知っていますので、
私たち自身を備え、
万民の前に装った姿を誇りたい心が
懇切でありますよう許諾してください。
その道を行こうとしても、悪なる世の中であり、
主が行かれたその道が残っているので、
耐えに耐え、また耐えて、
民族の残った峠を歩まなければならず、
世界の残った峠を歩まなければなりません。
今、地に残された十字架の峠を越えることのできる
殉教の歴史を耐えることによって、
持ちこたえなければならないことを
私たちは初めて知りました。
今、新しい心で因縁を感じ、
新しい心で待ち望み、
新しい心で耐えながら、
お父様につかまり痛哭することのできる
その日まで進むことのできる
私たちとなるようにしてくださり、
積もった悲しみの因縁を越えることのできる
私たちとなるよう許諾してください。
喜びの因縁を誇ることのできるその時間まで、
耐えて残され、死亡の権限を押さえ、
復活の栄光を歌うことのできる
息子・娘たちとならせてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・三・二九)

Wednesday Apr 30, 2025
父の祈り 第167話
Wednesday Apr 30, 2025
Wednesday Apr 30, 2025
排斥されたイエス様の悲しい事情を洞察させてください
お父様!
愛する弟子たちを前に置いて、
遠からず地上での生涯を終結し、
お父様の国へ行くことを語らなければならなかった、
イエス様の物悲しい心を
洞察することのできる私たちとなるよう許諾してください。
時間的に見るなら、
イエス様と私たちの間には
二千年という間隔がありますが、
心情の世界では
時間を超越することができることを知っていますので、
きょうもイエス様の悄然とした姿と
物悲しい心情に涙ぐみ、
一言一言懇々と戒められた
聖なる姿を眺めることのできる、
直接的な体恤の役事を呼び起こしてください。
このような場面は、人間たる私たちとして
慕わざるを得ない場面です。
この地上の誰が
イエス様の心を知ったでしょうか?
物思いに沈んだその姿を見て、
心深く染み渡ってくる天の悲しみを
体恤した人がー人もいませんでしたので、
天はこのような人間たちを置いて
嘆息するしかなかったことを知るものです。
天の心情を知って
「主よ!」と呼ぶ
弟子の一人も持てなかったイエス様が、
疑心で点綴(一つひとつをつづり合わせる意)された
生涯路程を行かなければならず、
また疑われ、
その物悲しい生涯の終末を迎えなければならなかった悲しみを、
この時間私たちが
心で同情できるようにしてください。
イエス様が懇切なる天の心情を抱き、
天のすべての遺業を抱き、
人間を尋ねてこられましたが、
人間たちはそのようなイエス様に
自分勝手に対応し、
排斥し放題に排斥したものです。
寂しい立場に追い込み放題に追い込んだものです。
しかし、悲しみに沈み嘆息の立場を
余すところなく経てこられながらも、
イエス様はそのような人間たちをお捨てになることができず、
生命の圏に向かう一つの道を開拓なさるために、
彼らを引っ張り
ゲッセマネの園に向かわなければならないということと、
ゴルゴタの十字架の道を行かなければならないということを思われる
イエス様の悲惨なる心の前に、
頼もしい弟子一人いなかったやるせない心情を、
私たちが分かるようにしてください。
きょう私たちが
このような事実を考えながら、天上に対することができ、
孤児のような立場であったイエス様の心情を持って
「お父様!」と訴えることができ、
その時に心情と通じることができるようにしてください。
この者たちをして、心を開き、
信じることのできる弟子たちとなるようにしてくださり、
イエス様を証すことのできる
存在となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
イエス様の悲しみが
どれほど大きかったかということを知ることのできなかった弟子たち、
このような弟子たちを残しておいて
一生涯を終結すべき立場にあったイエス様の心情、
生涯のすべてを人間のために生きたにもかかわらず、
その生涯の結実をみることができず、
懇切な心情に沈んで
天を案じられたイエス様の心に、
私たちが同情できるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・一・一一)

Wednesday Apr 30, 2025
父の祈り 第166話
Wednesday Apr 30, 2025
Wednesday Apr 30, 2025
この日、イエス様の心情を酌み取らせてください
お父様!
地上のすべての人々は
この日を知ることができず、
胸にこびりついた天の悲しみを悟ることができず、
限りなく悲しいあなたの心情は
もっともっと分からないのです。
その日の嘆かわしい事実を知らない私たちに、
お父様、
この日を許諾してくださり、
万民が理解できないこのひと日を、
キリストの誕生日として祝うことのできる
栄光の恩賜を許諾してくださったことを
感謝せざるを得ないものです。
今、この日を祝うことが、
二千年間悲しまれたイエス様の心情を
慰労することのできる契機となるよう許諾してください。
悲しい立場で誕生し、
三十余年の生涯を捧げ、
ゴルゴタの道を意に介されず行かれた
キリストを回想しながら、
彼の戦跡を遺業として受けることのできる
この時間となるよう許諾してください。
その方が生前お残しになった遺業を、
私たちの使命として引き継ぐことのできる
この時間とならなければならないということを
私たちが知っています。
お父様!
イエス様が残された恨みが
地上にまだ残っているということを、
この地上にいる人間たちが知らずにいます。
今、ここに集まったあなたの息子・娘たち、
その体と心が
あなたの心情に捕らわれるよう許諾してくださり、
こもったイエス様の心情を知り、
死の境地に陥ったイエス様の心情を悟り、
慰労してさしあげるよう許諾してください。
貴重なこの日、
私たちが新しいみ旨をあがめるとしても、
一つの条件を立て、
お父様の前に勝利の標的を残さなければならない
重要な日ですので、この日を記憶してください。
喜びをもって顕現なさることを懇切にお願いし、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・一・三)

Wednesday Apr 30, 2025
父の祈り 第165話
Wednesday Apr 30, 2025
Wednesday Apr 30, 2025
イエス様の悲しみを解怨するひと日とならせてください
愛するお父様!
私たちは、
到底言い表すことができない悲劇を、悲しみを残した
歴史の事実を知っていますし、
エデンの園を眺めながら
喜ばれたお父様の心情が、
アダムとエバの堕落によって
悲しみの心情と化し、
それが六千年という長い長い歳月を通じ、
歴史的な悲しみとなったということを
私たちは知っています。
また、
私たちが心と体を尽くし、
お父様の案じられる心情をつかみ、
失われたエデンの園を回復してさしあげるべき
歴史的な責任を背負っていることも
知っています。
お父様!
失われたアダムとエバを再び捜し出すために、
お父様が四千年間苦労した果てに、
アダムの形状を備えてこの地に送られた方が
イエス様であったということを私たちは知っています。
イエス様が誕生する時までの
お父様の苦労が大きければ大きいほど、
その苦労によって誕生されたイエス様の姿は、
天の自慢の種にならなければならす、
被造万物と人間の誇りとならなければ
ならない姿でした。
そのような事実を天は知っていましたが、
地は無知で知らず、
天はこれを歓迎しましたが、
地は知らずに歓迎できなかったことを、
今日、私たちが
恥すかしく思わないわけにはいきません。
苦労されたお父様の望みの視線が、
飼い葉桶に横たわった
イエス様の哀れな姿にとどまらなければならなかった
この物悲しい事実を、私たちが回想しながら、
先祖たちが不信し、先祖たちが不忠であったことを
痛切に感じるものです。
アダムとエバの堕落の過ちを、
人類たちが再びその場で表したという
このような事実を知っていますので、
今日私たちは
歴史的な物悲しい事実を心で感じ、
ひどく悲しむしかないものです。
昔、お父様を慰労してさしあげられなかった
そのイスラエル民族、
選ばれた選民を身代わりして、
私たちがお父様の悲しみを慰労してさしあげられるよう、
許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
イエス様が来られ逝かれてから、
いつの間にか二千年が経過しましたが、
心情の世界は時間を超越することを知るものです。
歴史を超越しておられるお父様、
悲しい心情を抱かれ、天の城に行かれた
イエス・キリストの心情を抱き、
この時間慰労してさしあげられる
私たちとなるよう許諾してください。
イエス様が来られ逝かれた以後の二千年の悲しみを、
きょうこの時まで天と地に残された
染み渡った恨みを私たちが知り、
イエス様が誕生されたその当時の姿を、
私たちが心で仰ぐことのできる
このひと時となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
きょうその日を記念するこのひと時を、
お父様、
祝福してくださり、
イエス様が願われた
その喜びの栄光を表してくださり、
二千年前に来て逝かれたイエス様の悲しまれたことが、
このひと日によって
解怨されるよう許諾してください。
すべての内的心情を知っている私たちが、
この日を記念しようと思いますので、
人間たちが知ることができずに残されたすべての過去の悲しみが、
このひと時によって
蕩減を受けられるよう許諾してくださり、
私たちがお父様の前に立つことができるよう許諾してくださり、
イエス様が喜ばれ、
お父様の慰めを受けられますことを
懇切にお願い申し上げます。
私たちが心を束ね、
お父様にお捧げすることが
歴史的な解怨の祭物となるよう許諾してくださり、
残された天宙の恨みを
私たちによって解怨することをもって、
幸福の起源を尋ねることができる聖なる時間となるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・一・三)