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Saturday Jan 07, 2023
真の父母経 第18話
Saturday Jan 07, 2023
Saturday Jan 07, 2023
3 皆さんは今、神様の顔を見ることができません。皆さんは、神様の顔を見ることができないので、おなかの中で暮らしているのと同じです。今日の人間は、このような事情に置かれているのです。ですから、重生しなければなりません。霊的な救援摂理は完結し、霊的には重生しましたが、それだけではいけません。霊肉共に重生しなければならないのです。将来、主が来られるというのですが、その主は真の父母として来られます。実体をもった人類の父として来られるのであり、実体をもった新郎としてこの地上に来られ、実体をもった人間の中から新婦を探し出すのです。そうしてこそ、堕落していない真の父母になるのです。
アダムとエバが堕落することによって、真の父母を失ってしまったので、今日の人間には、堕落した父母はいますが、堕落していない真の父母はもつことができずにいるのです。ですから、復帰摂理を経て、実体をもって真の父母の使命を完結するために来られる方が再臨主なのです。歴史的な真理をもって来られる主は、イエス様の霊的救いを基盤として、霊肉共に完全な息子、娘を生むことができなかったので、それを完結しなければなりません。
4 イエス様は、この地上に後のアダムとして来られました。聖霊もこの地上に来て新婦の体をもつことができませんでした。霊界に行ってみると、聖霊は母なる神です。イエス様が地上において実体を備えれば、新婦は天道のすべての内容を知り、すなわち真理の中で新婦の資格を完遂して、メシヤが来るのを待ち望み、彼を迎える準備をしなければなりません。そうして一つの家庭を準備し、一つの国家を準備し、世界を準備しなければなりません。これが、新婦の果たすべき責任です。
ですから、一九六〇年代に入って、女性運動が世界的に広がったのです。この地上に人がいくら多くても、すべて悪なる血統を受けて生まれた堕落の子孫なので、母としての愛を施せる、真の女性が現れなければなりません。「終わりの日」が近づけば近づくほど、そのような代表的な存在が現れる時が近づくので、世界的な女性運動が広がるのです。
これからは、多くの女性が男性を凌駕できるのです。終末期は、堕落したことを女性が復帰できる時なので、終末期である今、女性は天的なエバを代表して立ち上がれる恵沢圏にいます。今日、女性たちが解放とともに、そのような立場に立てるようになったので、この時に真の母が現れなければなりません。私たちは、その母に地上で侍ることができなければなりません。人類は、このような時を迎えて神様を求めていくので、地上に新婦が立てられなければならないのです。
5 統一教会は父母の宗教です。僕の宗教から養子の宗教、庶子の宗教、その次に直系の息子、娘の宗教、息子、娘の宗教から母の宗教を通して発展してきました。
神様は、今まで母を探し求めてきました。相対がいなかったのです。神様は、男性格の主体なので、女性格の相対がいなければなりません。その方は、神様の相対であると同時に、この地の王妃であり、氏族の王の王妃であり、家庭の王の王妃です。ですから、祖母の代身であり、母の代身であり、妻の代身であり、娘の代身です。母がそうです。本来、母がいれば、すべてそうなるのです。天の国の王妃になり、この国の王妃になり、その次に自分の先祖たちの祖母になり、母になり、妻になり、娘になるのです。それをすべて合わせたものが母の価値です。
6 皆さんは「家庭を信じる」という言葉を聞いたことがありますか。キリスト教徒たちに「誰を信じるのか」と尋ねれば、「イエス様を信じる」と言うのであって、「イエス様の家庭を信じる」とは言いません。仏教徒たちに尋ねても「お釈迦様を信じる」と言うのであって、「お釈迦様の家庭を信じる」とは言いません。これからは、家庭救世主宗教が現れなければなりません。それが真の父母主義です。真の父母宗教です。真の父母宗教は、四位基台を造成する真の父母の生活宗教です。そうなれば、父母が息子、娘の救世主になります。聖書のヨハネの黙示録を見ると、復帰歴史に関する内容が出ています。それで、聖書は偉大だというのです。このような復帰の原則があるので、聖書の最終章に復帰の内容を入れるようになったのです。
ヨハネの黙示録に「御霊も花嫁も共に言った、『きたりませ』。また、聞く者も『きたりませ』と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい」(二二・一七)と記録されていますが、花嫁とみ霊とは何か分かりますか。花嫁は主の妻になり、み霊は霊的なものなので、ここに霊肉が合わさった母が現れなければなりません。イエス様は、人類の父であり男性なので、女性の中から母を探し出して新しい世界へと救わなければなりません。
7 お父様は、立派なお母様を迎えました。顔が美人だから立派なのではありません。心が美しいので、顔が美しいのです。心が美しいので、声も美しく、容姿も優雅なのです。お父様は、神様の哲学を自らが成し遂げ、教える師です。その原理どおりに行くために、お母様を神様の代わりに称賛しながら生活してきたのであり、大衆に称賛して宣伝したのです。それが原理に通じるからです。
8 世の中の人々は、お母様のことを「美人だ」と言うのですが、どのような人が本当の美人か、私は研究しています。
美人とは、顔がきれいだからといって美人であるわけではありません。心がきれいであってこそ、「美人だ」と言えるのです。それでこそ、千年過ぎても、その美貌を損なわず、和気あいあいとした、清い姿を保てるのです。そのような女性が、環境を美しく輝かせ、かき抱いてあげることができます。そのような女性が美人の中の美人なのです。そのようなお母様なので、私は、お母様が美人の中の美人だと思うのです。
9 お母様は、とても知恵深い女性です。お母様は、目が素晴らしいのです。にこっと笑う時には、私はその笑う魅力的な目に惚れ惚れしてしまうのです。そのような魅力的な目をもっています。それから、私は、お母様の鼻が本当に好きです。良いことがありそうであれば、鼻がひくひくと笑います。それがお母様の魅力なのか分かりませんが、夫をそのように感動させるのです。
それから、深刻な時は、お母様はできるだけ口を突き出さないようにします。そのような口が美しいのです。そして、態度が美しいのです。お母様は、本当にきれいなところがたくさんあります。女性たちがそのような武器をもてば、「万事亨通」(すべてが思いどおりにいくこと)する秘密の鍵をもつことになると思います。
10 お母様の特別なところは何かというと、霊感が鋭いことです。天性的な素質をもっています。そして、お父様が「しなさい」と言うことは何でも「する」と決意し、また、その決意したことをいつも忘れずにいるので、受難の道も克服できたのです。それは、目的を中心とした忍耐心に当たるものです。また、私がお母様に有り難く思うことは、自分の貴いものを自分の息子、娘ではなく、皆さんに、ためらうことなく一〇〇パーセント与えようとするところです。それは、神様が贈り物として下さった性格だと思っています。
11 お母様は、二十年間で十二人以上の息子、娘を生んで、ヤコブの家庭を完全に蕩減復帰しなければなりません。イエス様の十二弟子が一つになれず、どのようにしたでしょうか。結局は、イエス様を売ってしまいました。別々の氏族で結ばれた兄弟圏が問題でした。ヤコブ家庭は、四人の女性が生んだ息子、娘なので問題になりました。その問題を克服するためには、二十年以内に十二人以上の息子、娘を生まなければ、お母様の使命が不可能になるのです。そのような面から見ると、二十歳を越えれば、お母様になることができません。満十八歳までです。韓国の年では十九歳までです。
ですから、四十歳のお父様が十七歳のお母様と結婚したのです。お父様が十六歳の時に、あらゆることを決心して立ち上がったように、女性も十六歳を越えてその基準に合わせなければ、女性の解放圏を連結する道がありません。
12 歴史において、女性たちが経たあらゆる惨状の過程を経たとしても、不平を言わず、夫のために生きることができ、さらに苦労ができる女性はいませんでした。ですから、「本当に、み旨の前に立っている私は、何一つ弁明の余地がありません」と言う人はそのような風霜をたくさん経験したのでむしろ私が落胆する時に、慰められる対象になるのです。そのようなところから始めるのです。
心情的な蕩減をしなければなりません。上がっていく時も引っ掛からず、下がってくる時も引っ掛かってはいけません。二十歳前まで下がってきて、二十歳前の少女を天が相対として許可すれば、その少女は、どんな困難な立場に立たされても、順応できなければなりません。ですから、孤独な背後から探すのがよいのです。お母様には、父親もなく、兄もなく、みないませんでした。ただ一人、天のためには何でもするという、洪という母が背後にいるだけでした。
13 お母様は、聖婚式の時に十七歳でした。お父様は四十歳でした。四十歳の男性が十七歳の娘をお母様として迎えることにしたのです。しかし、摂理史では仕方がないことです。そのようなお母様を迎えて成し遂げてきたのです。ですから、約婚する時、お母様に「私はこのように行かなければならない」とすべて話しました。プログラムどおりに行くので、お父様を尊敬するのです。
このように攻撃されるときにはこのように越えなければならず、ここから攻撃されるときにはこのように越えなければならない、と教えてあげたのです。その道のとおりに行くので尊敬するのです。その道が困難であっても越えなければならず、行かなければなりません。
14 私(お母様)は、聖婚式の一ヵ月前に、お父様が夢に現れ、天から特別な啓示を受けました。「その日が近づいたので準備しなさい」と、啓示が下りたのです。その時は、いわば天が求婚したというより、天の訓令が下されたのです。訓令があった時、私は完全に自我を離れた立場にいました。私はその時、天の摂理でなければ、そのような大きなことを判断できる能力がなかったので、無我の境地になる以外になかったのです。
そして、祈らざるを得ませんでした。「今まで私は、み意のままに生きてまいりました。今、神様のみ意が何だったとしても、神様の摂理の目的がどのようなものだったとしても、命じられるままに従います」と、私は啓示に対して答えました。それは、私が満十七歳の時の二月頃でした。私は、完全に無我の立場で準備していたので、当時の事情などを分析したいとは思いませんでした。神様のみ意のままに応じることを、ひたすら願っていました。
15 私(お母様)の母方の家に伝説のような物語があります。私の母方の祖母である趙元模の趙氏一族に、趙漢俊の弥勒についての記録があります。一九九一年に、お父様と北朝鮮に行ったとき、そのようなものがあるかと聞いてみました。するとまだその弥勒はあるということでした。
趙漢俊の弥勒についての伝説によると、天の王女を送ると約束し、国のための精誠を記憶し、忠誠の家門で私が生まれるようにしたというのです。その母方の祖母から大母様が誕生され、大母様を通して私が生まれました。再臨のメシヤを迎え、再臨のメシヤの相対を育て上げるための神様の環境創造が、その趙漢俊の弥勒から始まり、私にまで連結されたのです。皆さんがみ旨や天のみ前に精誠を尽くしたものは、必ず天が記憶してくださいます。ですから、私は、お父様に会った時にすべてが分かったのです。環境創造の中で誕生し、育ったので、私が果たすべき、私が成し遂げるべき使命が分かったというのです。

Saturday Jan 07, 2023
真の父母経 第17話
Saturday Jan 07, 2023
Saturday Jan 07, 2023
18 お父様は、個人的に霊的な世界で勝利しました。そのために、この地上で激しい嵐に襲われながらも、「死んではならない」と何千万回、決心したか分かりません。怨讐に出会う峠を越えていくたびに、「私は倒れてはいけない。私は死んではいけない。私が死んだらこのみ旨を誰が立てるのか。いくら苦労をしたとしても、四肢が切られ、不自由な体になって寝たきりで暮らすことになったとしても、私は死んではいけない」と、どれほど心の中で誓ったか分かりません。そのようにしながら、今まで困難な道を歩んできました。
基盤のない状態で、名が知られることを恐れるのです。基盤を固める前に、名が知られるのではないかと恐れました。そのような場合には、サタンの攻撃があるのが原則だからです。それで、死なずに四十歳の峠を越える日を待ち望みながら、歳月が早く過ぎていくことだけを黙って願っていました。アブラハムが復帰の基準を立てた以降の四千年の歴史を、「終わりの日」に四十数を立てて越えなければならないことを知って、四十の峠が早く過ぎていくことを指折り数えて待ったのです。また、それはお父様の宿願でした。天宙の前に一身を立て、死なずに責任を果たすために、身もだえしながら今まで歩んできたのです。
19 神様は、四千年を経てイエス様を送られました。イエス様は、長い歴史を経て来られた方です。生まれる時は、母親のおなかを通して十ヵ月で生まれたのですが、地上に来るために、四千年前から準備された方なのです。そのような歴史的な由来をもって生まれたので、その時までの四千年の歴史を蕩減できたのです。
イエス様は、四十歳の時にそのような歴史的な蕩減をすべきでしたが、ユダヤ民族の不信によってそれができなかったので、私たちが七年路程において蕩減しなければなりません。皆さんは、「四十数復帰」ということを学んだはずです。イエス様が四十歳の峠を越えられなかったので、私たちには、四十代の峠を見つめていくべき路程が残っているのです。つまり、そのような蕩減路程が残っているので、再び来られる主も、七年の大患難に逢着せざるを得ません。そのような原理的根拠があるのです。
20 一九六〇年の四十の峠をいかにして越えるのでしょうか。原理が教えてくれる四十の峠を、どのように越えなければならないのでしょうか。イエス様は、三十三歳で亡くなったので、その後の四十の峠を迎える七年を越えることができませんでした。それで、人間の世界に七年の大患難が残されているのです。ですから、この峠をいかにして越えるかというのです。
この峠を越えるためには、ヤコブが経てきた復帰路程と、数多くの先祖たちの絡み合った蕩減路程を遡らなければなりません。その道には、友もなく、同僚もいませんでした。「従います」と言った人たちは、行く道の前に重荷になり、とげを刺し、荒れ地をつくったのであって、そこで助けになった人は(一人も)いませんでした。
21 お父様一代から見ると、四十歳までは個人の勝利基準を中心として、初めて横的な基盤へと越えていく時でした。今まで復帰歴史の目的は、アダム一人を立てることだったので、一九六〇年代は、アダムを中心として勝利するための基盤を築く時でした。その勝利は、イエス様が失敗した国家基準での勝利です。
ですから、一九六〇年代の統一教会は、イエス様が失敗せざるを得なかった運命圏を、お父様の満四十歳を基準として、実体的に蕩減して越えなければなりませんでした。そのような過程にあった統一教会は、一九六〇年代に激しい迫害を受けました。お父様に勇気がなく、神様のみ前に人間として善悪を分別するという、決定的な宣誓ができていなければ、歴史は遅延していたでしょう。
22 父母様の聖婚式は、地上において記念するに値する天宙的な大事件でした。世界的基準で縦的蕩減条件を、横的にこの地上で解決する実体として、霊肉共に勝利の基準を立てたのです。お父様は、聖婚式の前にイエス様の三弟子、反逆したその弟子を復帰しなければならない立場にいました。
聖婚式の目的は、アダム家庭を蕩減する条件を立てることです。人間の父母であるアダムとエバは、夫婦関係において堕落しました。堕落が夫婦を通して起きたので、復帰は一人ではできません。男性一人では復帰されません。女性一人でも天国に行けません。したがって、二人で解決していかなければならないのです。堕落したアダムとエバの立場を復帰して、真の父母の基準を地上で立てなければならないというのです。三弟子の約婚という問題を中心として、解決しなければなりません。
23 復帰は、アダム家庭の復帰を目標として行うのです。アダム家庭が失敗したので、そのみ旨がノア家庭に移されました。神様は、ノア家庭を中心として、世界のすべての人々を洪水審判で滅ぼし、サタン侵入の条件を越えた家庭を立てて、摂理の基盤を地上に構築しておこうとされました。それがアブラハム、イサク、ヤコブ、モーセに移され、イエス様につながって、私たちの時代まで来たのですから、そのすべてのものを蕩減しなければなりません。
アダム家庭を基準にして蕩減しなければならないのです。アダムが失ってしまった三人の信仰の子女を復帰しなければ、真の父母の立場に立つことができません。それで、イエス様には、三人の弟子が絶対に必要なのです。その三人は、アダムとエバにとって、三天使長を象徴します。三天使長が一つになって、アダムとエバに服従しませんでした。侍らなかったのです。その結果、堕落世界になったので、完成した父母の境地に立つためには、三天使長格である三弟子がいなければなりません。再臨主も、完全に服従する三人の信仰の子女をもたなければ、真の父母の立場に立つことができないというのが公式になっています。
自分の生死の境地を乗り越えて、迫害のまっただ中でも従っていき、孝の道を行くことができる三人の弟子をもたなければなりません。お父様は、そのような三弟子を一九六〇年四月に探して立てました。復帰路程というのは、逆に探し求めて上がっていくものなので、祝福は子女の立場に立っている人が先に受けるのです。家庭圏はヤコブ家庭なので、十二数の基準を基盤にしなければなりません。三人の弟子、三人の子女を中心として、それと同じ基準を通過しなければならないのです。
24 父母様は、一九六〇年に聖婚式をしたあとに聖塩を作りました。真の父母様は、堕落した世界の物に相対できないからです。そのような物に、神様の息子、完成した父母は相対できないのです。そのため、すべて燃やしてしまわなければなりません。燃やす条件として聖塩を採択したので、これを振りかけることによって、サタン世界を清算してしまい、天の側が取り得る条件的、方便的な物として使用できるようになるのです。天の国が設定されれば、この世の国のすべての骨董品、この世の国のあらゆる物は、そのまま使うことはできません。
第二節 真の父母様の聖婚式
聖婚と真のお母様
イエス様は、アダムとエバの堕落によって始まった歴史を終結し、神様の創造理想世界を復帰するために、この地に来られたが、ユダヤ民族とユダヤ教徒の不信によって、このみ旨を成就することができず、再臨の約束を残されたまま、霊界に行かれた。真のお父様は、イエス様のあとを継ぎ、一九四五年八月十五日、韓国の地で、光復とともにメシヤとしての公式路程を出発された。
しかし、メシヤとキリスト教徒が一つになるための最初の摂理路程が、彼らの不信により失敗することによって、キリスト教に代わる新しい摂理団体の基盤を築くため、三大祝福の条件復帰のための蕩減路程と受難路程を歩まれるようになったのである。
そうして、一九五四年五月一日、ソウルで「世界基督教統一神霊協会」を創立し、その時から、新約時代の全体を蕩減復帰する七年路程を歩み、聖誕から四十年の蕩減路程を勝利することによってサタン分立路程を立て、ついに一九六〇年四月十一日、真のお母様と共に、神様から最初の真の父母として、栄光の聖婚式を行われるようになったのである。
1 二千年前に使命を果たすことができず、十字架で亡くなられたイエス様の願いを、二千年過ぎた今、私たちが果たさなければなりません。第一次でユダヤ民族を中心として成し遂げようとしてできなかったので、今、私たちが第二次としてキリスト教の世界的な版図を中心として、父と母の出会いを実現してさしあげなければなりません。このような基点をつくらなければ、神様の真の直系の息子、娘になれません。ですから、このような基準を連結させて合わせようとするのが再臨理想です。
再臨理想においてもまた、真の家庭があってこそ天道が出発するのであり、これがあってこそ真の愛と真の幸福が出発するのです。
2 故障したものは、元の状態に修理しなければなりません。世界も新しい世界、国も新しい国、民族も新しい民族、人も新しい人、息子も新しい息子、娘も新しい娘になることを願います。ですから、新しい息子であるイエス様が来られたので、新しい娘もいなければなりません。
ところが、新しい娘を探している途中で、イエス様は亡くなりました。宇宙の希望である一人の母を探して立てるためのイエス様の路程には、苦難も多く、迫害も多かったのです。あの村からこの村に、あの野からこの野に追われ、逃げて歩きながら迫害を受けた哀れなイエス様でした。ダビデの系統であるヨセフの家庭を中心として、み旨を立てようとしたイエス様が、家庭でみ旨を立てることができなくなることによって、家を出て三年の公生涯の道を歩んだのです。

Saturday Jan 07, 2023
真の父母経 第16話
Saturday Jan 07, 2023
Saturday Jan 07, 2023
10 天地ができて以来、人間が初めて神様のみ前に孝子、孝女となって、新郎、新婦として登場する日、神様が「地上の様々な逆境の中で、天の心情を求め、天の父母を訪ねてくるのに、どれほど苦労したか」と語られ、無形の神様の代わりに、実体をもつ真の父母として祝福してくださる祝宴が「小羊の婚宴」です。真の新婦の約束と理念を備えた基準と、真の孝子、真の孝女の基準の上に立てて、式を挙げるのが「小羊の婚宴」です。この祝福を受けたその日から真の父母になります。無形の神様を身代わりした有形の実体をもつ、人類の真の父母になるのです。
人間は本来、堕落していなければ、善なる世界で立派に育ち、神様の愛の祝福を受けて、神様の心情に通じる子女になることができました。ですから、神様が「あなたたちは私の心情を受け継ぐことができる孝子、孝女だ」と言える心情関係を完結しなければなりません。心情が通じなければ孝子、孝女になれないのです。神様がどのような路程を歩んできたかを知らなければなりません。そうして創造理念の前に掲げられる、本然のアダムとエバの形態を整えなければならないのです。「小羊の婚宴」は、正にその形態を整える式です。
11 「小羊の婚宴」の日は、六千年前に失った真の父母を迎えて祝宴を開く日です。本来、堕落していない人間は、子女の立場から父母が開く祝宴を見ることはできません。父母があとから来たので逆になったのです。真の父母を迎え、真の子女を生み、新しい世界を建設しなければならないのですが、堕落した人間が繁殖したので、逆になったのです。皆さんの願いは、真の父母に会うことです。
逆になったものを、反対に再び探していかなければなりません。これが蕩減復帰です。したがって、逆に生まれた人間は、すべて反対に行かなければなりません。世の中が願うこととは異なる、反対の道を行かなければならないのです。
12 イエス様は、新婦を探すことが一代で果たすべき目的であったにもかかわらず、この使命を成し遂げることができませんでした。そうして、御自身は新郎であり、信徒は新婦であるいう遺言を残されたのです。ですから、神様は、第二イスラエル圏内にある世界で、国を問わず最もよく信じる信徒たちを中心に、特等新婦を求めていらっしゃるのです。その新婦を求めてきたのが、イエス様以後の二千年歴史です。新婦を探し出すことによって、真の先祖が現れ、真の先祖が現れることによって、真の父母が現れるのです。
本来、エデンの園で真の先祖である真の父母が現れなければならなかったのですが、人間の堕落により、六千年が過ぎた今になって、初めて神様は再臨時代を中心として、真の先祖を探し出したのです。言い換えれば、サタン世界の前に勝利した一人の男性が現れ、一人のエバを再創造した基準において神様の祝福を受け、聖婚式を行うことによって、初めて、六千年前に人類の真の先祖が立てられるべきだった基準を復帰したのです。数多くの堕落の子女が繁殖した六千年を経て、ようやく反対に、真の父母が現れたのです。
真の父母の聖婚式は救援摂理史の転換点
一九六〇年四月十一日に挙行された真の父母様の聖婚式は、蕩減復帰歴史において、長成期完成級の蕩減の峠を越える歴史的な瞬間であった。真の父母様の聖婚式は、世界的で天宙史的な事件である。長い長い摂理史の基盤の上に、完成したアダムとして来られた真のお父様は、地上での摂理基盤を築いたのち、エバである真のお母様を迎えられた。天の代身である真のお父様と、地の代身である真のお母様が一つになり、分かれていた天と地が初めて連結されるようになった。アダムとエバが堕落して互いに怨讐となり、神様と断切させていた塀が崩れるようになる救援摂理史の歴史的転換点を迎えたのである。
13 「歴史は、一九六〇年代から大変遷時代に入った」と歴史家たちは言います。「統一原理」を中心として言えば、「一九六〇年代に、神様の名を中心として地上のすべての困難をかき分け、キリスト教文化圏がすべて失敗し、その基地となる韓国が反対する環境にもかかわらず、初めてこの地上で神様と真の父母の名を中心として聖婚式をしたところから、歴史は新しい方向に変わるようになった」と言うことができます。変化するその歴史の環境が死亡世界へと次第に落ちていき、人類が分裂して破綻の世界へと向かうように思えますが、変化する歴史時代は、次第に互いに異なる地域的環境を越えて、世界へと進む時代に急変していくというのです。
神様と共に、父母様の血族を中心として横的に拡大すべき摂理時代を迎え、思想の混乱が起き、伝統の混乱が起きます。揺さぶるのです。キリスト教もすべて揺さぶるのです。それゆえ、解放されてから十四年がたつまで、韓国のキリスト教を見ると、再建教会も、神社参拝をした教会も、同様でした。
そこから、韓国を中心として、世界に向かって跳躍できる神様の摂理の道が開き始めるのです。その始発点が、正に一九六〇年四月の聖婚式でした。この聖婚式をして、「父母の日」が設定されることによって、人類歴史において偽りの父母から受け継いだ、汚れた愛と生命と血統を初めて清算し、神様を中心とした本然の新しい愛と生命と血統の関係が、この地上に根を下ろし始めたというのです。この世界は今まで、堕落した天使長の血統を引き継いできましたが、一九六〇年に父母様が現れたその日からは、本然のアダムとエバの血統が、神様の愛を中心として根を下ろし始めたのです。
14 復帰摂理における絶頂であり頂点は、一九六〇年でした。その時、お父様は、国家と国民、すべての教会、そして、すべての人たちから迫害を受けたのです。その当時、死ぬか生きるかを決定しなければならない、切迫した立場でした。統一教会が生き残るか滅びるかの瀬戸際にありました。その困難を切り抜けて聖婚式を挙行したのです。
その時点から新たな歴史が出発しました。その時が歴史の転換点だったのです。多くの歴史家たちも、「一九六〇年は歴史の転換点だった」と言っています。その時からすべての問題が解決し始めたのです。
15 父母様が聖婚した一九六〇年四月十一日、その日は外的に見ると平凡な日であって、特別に変わったことはありません。しかし、その日、聖婚式をしたことが、他の日とは全く違うというのです。
聖婚式をしたので、今や歴史は、一人の人によって左右されるようになりました。その一人の人が現れるまでの時間が、民族的で世界的な関係をもったものだったのか、また、その期間が歴史的な関係を経て、時代的な関係を経て、未来の関係を経ていける基盤になっているのか、現れたものは簡単に見えますが、それが全体を集約させた代表的な核になる時、歴史はその日を研究するようになるのです。
16 人類の先祖であるアダムが、長成期完成級でエバの言葉に従うことによって主管権を失ったので、これを蕩減復帰するために、イエス様は、神様の愛と一致する完全な人格を備え、創造目的を完成する人間としてやって来て、そこに一致する人の女性を探さなければなりません。アダムを通してエバを創造したように、再創造の順序を経て、エバ、すなわち新婦を立て、新しい家庭を成立させて初めて、完成世界に向かって上がっていけるのです。
その時が正に堕落した時代の「終わりの日」であり、新しい時代が出発する時なのです。その時が一九六〇年でした。今日この地球上に、真の父母を中心とした関係が現れたことは、天宙史的な出来事にほかなりません。
17 神様の目的と創造の偉業は、アダムとエバが祝福を受けることによって、すなわち聖婚式をすることによって成し遂げられます。このようなことを成し遂げるために役事してくる復帰過程を考えてみるとき、人類の先祖が堕落したのは長成期完成級なので、今日の人類は、これを再び尋ね求めて上がっていかなければなりません。蘇生期は僕の時代に該当し、長成期は養子の時代、完成期は嫡子の時代に該当します。したがって、僕の時代である旧約時代を経て、イエス様の福音がこの地上に現れることによって、歴史は養子の時代圏に越えていくようになったのです。
人類始祖が養子圏である長成期完成級で堕落したので、その息子の外的な形態と関係を整えて再びつくり直し、長成期完成級の位置まで上げておいて、初めて実子圏を相続できるのです。すなわち、人類始祖が長成期完成級から落ちたため、この長成期完成級に行ってこそ、復帰することができるというのです。しかし、堕落は家庭で起きたので、復帰するときにおいても、この家庭の形態を備えなければ、その基準に上がっていくことができません。それで、統一教会では、父母様を中心として、一九六〇年にその基準を越えたのです。

Friday Jan 06, 2023
真の父母経 第9話
Friday Jan 06, 2023
Friday Jan 06, 2023
第三節 真の父母は復帰摂理の完成者
真の父母は再臨主、救世主、メシヤの使命完成者
堕落した人類の前に顕現された真の父母は、真の愛なる神様の実体である。真の父母は、神様の救援摂理を展開する再臨役事の主人であり、人類を偽りの愛と悪なる血統から真の愛、真の生命、真の血統に転換し、宗教を一つに統一する救世主、メシヤの使命をもっている。真の父母を中心とした家庭の伝統を受け継ぎ、新しい文化を創造する本然の世界では、神様と一つになって完全なる愛の授受作用を行うようになるので、救世主が必要なく、原罪がない立場であるがゆえに、父母、夫婦、子女、家庭全体が、神様と共に永遠に暮らすことができるのである。それが、神様が摂理してこられる歴史の最終目的である。そのようになれば、初めて神様の復帰摂理の目的と人類が願う理想世界が成し遂げられるのである。
1 神様の復帰摂理は、神様が地上に定着するためのものです。地上で完成基盤を失ってしまったので、再び復帰して完成しなければならない責任が神様にあるのです。その目標に向かって、これまで復帰摂理をしてきたのです。神様が完成した夫と妻を立てることが、メシヤを送られた目的です。
旧約と新約の最終摂理の目的は同じです。新約時代は、旧約時代の完成圏を形成しなければなりません。成約時代は、新約時代の完成圏を越えなければなりません。そのため、完成した成約時代の中には、新約完成圏と旧約完成圏がすべて入っています。イエス様は、旧約時代を完成するために来ました。イエス様の中に旧約時代がすべて入って完成することによって、一つになるのです。それが新約時代です。イエス様を中心にそのことを成し遂げようとしたのですが、できなかったので、再臨時代に延長されたのです。
ですから、再臨時代である成約時代には、旧約時代の完成と新約時代の完成が成し遂げられなければなりません。すべてのことが、再臨主によって収拾されます。この再臨主によって、旧約時代圏と新約時代圏、歴史的なすべてのことが収拾され得る出発が実現されるのです。
2 アダムとエバが堕落することによって、怨讐の愛と、生命と、血統を受け継いで、神様のすべてのものを破壊しました。イエス様の時代に、国家的な基準において霊界と肉界が統一されていれば、第二イスラエルの国は必要ありません。イエス様は、ローマまで一つにし、イスラエルの国と天地、霊界と肉界を統一しなければなりませんでした。それができなかったので、お父様が一時代、高い次元に延長させて二千年を合わせ、アダム家庭での失敗、イエス様家庭での失敗をはじめ、塞がったすべての塀を崩さなければなりません。霊界と肉界、霊界の楽園と地獄の塞がった塀を崩してしまわなければなりません。
そのために神様は、「文鮮明は救世主である!再臨主である!メシヤである!真の父母である!」と宣布するのです。「真の父母」と言えば、「救世主、メシヤ、再臨主」と言う必要はありません。真の父母と一体化したものと見ればよいのです。
3 真の父母は、救世主です。世の中を救ってあげなければなりません。偽りの父母が偽りの愛によって世の中を生み出したので、世の中を救うには、真の父母の真の愛によって救わなければなりません。
宗教を一つにする人がメシヤです。宗教を統一させ、真の愛を中心として、家庭定着を目指すのです。世の中も家庭定着を目指し、平和を目指します。宗教も平和統一を目指すのです。その次に、第一イスラエルであるユダヤの国と第二イスラエル圏も、その国を中心として家庭の失敗、国家の失敗、世界の失敗、このすべてのことを取り戻すために、第一アダム、第二アダムを経て、第三アダムを中心として進んでいくのです。そうして、天上世界と地上世界の失ってしまったすべてのものを初めて取り戻し、その上に立っている方が真の父母です。
真の父母は、世の中の救世主の王です。真の父母はメシヤの王です。真の父母は、旧約時代、新約時代、成約時代の王です。真の父母は、見えない神様を身代わりする実体です。真の父母は、神様のために生まれたというのです。自分のためではありません。神様も、真の父母のために存在します。真の父母も神様も、真の愛によって一つになるのです。
4 メシヤ、救世主がこの地に来て、空腹から解放してあげることも必要であり、また、その国が受難の中にいれば、そこから解放してあげることも必要です。しかし、それよりも先に、救世主が来て何を解放すべきかというのです。
第一に、愛を解放してあげなければなりません。救世主は、愛を中心とした解放者です。その次には、生命の解放者です。その次には、血統の解放者です。血統が変わったので問題なのです。血統が同じだというときは兄弟圏に入っていくのですが、血統的に変わったのです。言い換えれば、私たちが生まれるときに、根本である血統を中心として解放してあげることが、(メシヤがもつ使命の)骨子だというのです。
5 人間は、堕落していなければ、神様が分かるようになっています。心で分かるのです。世の中が何と言おうと、自分がどこに行くべきかが、自然に分かるというのです。体は自然に心と一つになるようになっているのであって、心と体が闘うようにはなっていません。堕落したので、角度が合わないのです。
この角度を合わせようとするので、宗教世界では必ず体を打ちなさいというのです。そのため、断食をし、奉仕をし、犠牲となって、血を流さなければなりません。悲惨で哀れな状況に直面しなければ、本然の位置に行くことができません。そのようにして、角度を個人的に合わせなければならず、家庭的にも合わせなければならず、氏族的にも合わせなければならず、国家的にも合わせなければならず、世界的にも合わせなければなりません。そのようにするために、真の愛を中心として、世界的に角度を合わせるモデルとして来られる方がメシヤです。
6 お父様が再臨主であり、メシヤであり、真の父母であることを、人々は、そのままでは信じません。再臨主であるなら、再臨主となり得る実績と実権がなければならないのです。サタン世界に勝ち、彼らが公に認める証拠をもった上で立たなければ、メシヤの自覚性(自分の立場や能力、本分などを自ら悟る稟性)や真の父母の自覚性を見いだすことはできません。
ですから、数多くの苦労と困難を経て、地上世界や天上世界で、真の父母、救世主として侍ることができる基盤の上に立ってこそ、メシヤや真の父母の自覚性が天地を越える基準まで進むのです。それができなければいけません。ですから、お父様一代で数多くのことをしました。どの国にもできないこと、どの個人も夢にも見ることができないことを、すべて成し遂げてきたというのです。
7 メシヤとして召命された責任とその観をめぐって、「私がメシヤだ」ということを、お父様が自分の思いで決めてはいけません。環境的に見て、「メシヤなのだな。行かざるを得ない」という自覚が先立たなければなりません。
堕落は、エデンの園のアダムとエバが自分自体を自覚することから起きたのです。復帰も同じです。その基準は、言葉だけではありません。神様が祝福するからといって、立てられるものではありません。祝福したならば、祝福したとおりに実践し、それに間違いがなければ、同居し、同位圏に立って相続することができます。同参(一緒に参加すること)、同位、同居することによって相続するのです。「間違いなく真の父母であり、間違いなくメシヤである」と思わなければなりません。夜に光る灯台と同じです。
灯台は間違いなく、夜に光を照らしてくれます。ですから、メシヤは、世の中がどんなに暗くても、暗い世の中に明るい光を放たなければなりません。
8 万物は、神様のものです。万物の主人が神様なのです。ところが、今に至るまでサタンが主人の振る舞いをしています。愛には、同位権、同参権が存在し、祝福と相続が関わっているので、自動的にサタン圏に移っていくのです。神様のみ座に座ったまま、その周囲まで侵入して主管しています。それが解放される道はありませんでした。今まで何千年の歴史を経てくる間、解放される道がなかったのです。そうして、創造以来、本来の家庭理想基準を復帰するために、今まで苦労してきました。
お父様が生まれて、初めてその前後左右のすべてを整理し、サタン圏から防備するための対策と公式を立ててきたのです。ですから、サタンは後退せざるを得ないというのです。そこに異議を唱えれば、引っ掛かってしまいます。真の父母は、そのようなことをすべて勝利しました。個人的な勝利圏家庭的な勝利圏をすべて立てたというのです。

Thursday Jan 05, 2023
真の父母経 第8話
Thursday Jan 05, 2023
Thursday Jan 05, 2023
37 キリスト教では聖霊について語ってきましたが、聖霊とは正に、母なる神です。後のエバです。人類の母であるエバが堕落したので、神様は、後のエバとして、母なる神である聖霊を送られたのです。穴が開いたならば、開いたその穴を埋めなければならず、失ってしまったものがあれば、失った所に行って探さなければならないように、エバによってこの地上の人間がすべて死亡世界に入ったので、聖霊が来て、再び産みの苦しみを経ていくのです。
聖書を見ると、「女が慎み深く、信仰と愛と清さとを持ち続けるなら、子を産むことによって救われるであろう」(テモテI2・15)とあります。これは、今日、地に住んでいる婦人たちに対して語った言葉ではなく、エバに対して語った言葉です。
エバが堕落せずに人類の真の先祖になっていたならば、この地上に善なる息子、娘を生んだはずですが、堕落してサタンの子女を生んだので、エバが再び生まなければ、人間は救いを得られないということです。ですから、聖霊がこの使命を背負い、今日、人類を抱えて産みの苦しみを経ているのです。その出産がすべて終わってこそ、エバが救われ、聖霊の使命が終わるのです。
38 人間が堕落することによって、霊と肉が断絶したので、霊と肉が一致した立場に立たなければなりません。イエス様は、この地に来て、聖霊を立てましたが、それだけではいけないのです。イエス様は、再臨の約束を残して逝ったので、その約束を果たすために、再び来なければなりません。その再臨の理想とは、エデンの園で失ってしまった実体の母を探すことです。
イエス様の願いの成就は、霊肉が合わさり得る一つの理念世界において可能となります。そのようになってこそ、霊肉を備えた父母が天地間に現れるのです。
39 神様の復帰摂理を中心として、女性たちが世界を動かし得る一時代が来たというのは、この地上に女性を代表し得る一人の聖霊の実体、この地上に復帰し得るエバが現れる時になったことを例証しています。そのような方になるためには、真の妻となり、真の母にならなければなりません。その資格をもつ人になったのちには、真の女王にならなければなりません。この三つの素性をもたなければならないのです。そのような行いに、責任をもって余りある人格をもった女性にならなければなりません。
神様は、天の国の真の母になることができ、真の妻になることができ、真の王妃になって余りある女性を求めるのです。神様のそのような召命を受けるときは、勇敢無双(他に類を見ないほど勇敢なこと)にサタン世界を退けて進んでいける女性でなければなりません。
40 母を復帰する路程が、どれほど熾烈だったかを知らなければなりません。アダム一人を取り戻すために、数多くの闘争をしながら、血を流す曲折を経てきたのがこれまでの歴史でした。それと同様に、母を取り戻してくるときにも、どれほど犠牲的代価を払ったか分かりません。母の基準を引き継いでいくために、数千年前に啓示を受けて準備した人から代を引き継いで、この時代を迎えたのです。
ろうそくの火を受け継いでいくのと同じです。聖火を中心として消えないようにしながら、地上の「終わりの日」までつないできたのです。どれほど多くの犠牲的代価を払ったか分かりません。
41 聖霊は、霊的な母のことを意味します。イエス様と聖霊が一つになり、霊的な子女を繁殖させ、世界的な基盤を築いたのがキリスト教です。そのように、霊的にのみ世界的救援摂理の基盤を築いてきたので、このキリスト教の基盤を中心としては、霊肉を中心とした神様のみ旨を実現することはできません。ですから、イエス様が再臨しなければならないというのは、必然的な帰結です。肉的世界が未完成でとどまっているからです。
霊的キリスト教世界の基盤を、肉的世界基盤まで連結させなければ、霊肉を中心として、神様の新しい世界的歴史に越えていくことはできません。
42 イエス様は、アダム家庭で失敗したことを、国家的に復帰しようとしました。しかし、イスラエル民族がイエス様の命を奪ったため、国家的カイン、アベルが現れ、それが世界にまで連結されたのです。イエス様は、国家基準を越えられなかったので、恨を抱いて逝きました。
そうして、イエス様は、国なき霊的開発の哨所(先鋒の施設)として現れるようになりました。母なる神である聖霊は、体がありません。ですから、油のような聖霊、水のような聖霊、風のような聖霊として、すべての人々に感動を与え、体をまとうことができる新婦創造の役事をしてきたのです。
そうして、お父様の時代になって、世界的基準でお母様を立てました。それにより、地上で実体圏解放まで成し遂げられたのです
43 お母様は、母方の祖母と大母様、お母様自身まで、三代を経なければなりません。そのようにしなければ、母の位置に立てないのです。母方の祖母は聖主教、大母様は腹中教を経てきました。そして、大母様は、実体の主に侍ろうと、故郷の地を離れ、茫々たる荒野で独り暮らしをしながら、お母様を育てたのです。
44 お父様は、いい加減に結婚することはできません。三代のエバの役事を経た娘を新婦として迎えなければならないのです。お母様は、そのような役事を経てきました。聖主教、腹中教の代を継いできて、一次エバ(趙元模)、二次エバ(大母様)の祝福を受けてきたのです。大母様を通してそのような役事をしてきたのです。
蕩減復帰の原則に従ってそのような過程を経ることにより、来られる主を勝利の版図に立てるべき責任があるのです。イエス様が結婚できなかったのも、このような蕩減復帰の原則に合わなかったからです。
45 真の父母は、カインとアベルが一つになった基盤の上に現れます。真の父母が現れる時になったので、母である聖霊と父であるイエス様が、初めて霊界からこの地上に訪ねてきて、真の父と真の母の実体と共に、祝福を成し遂げるのです。そうして、一九六〇年に家庭出発をすることによって、血統を接ぎ木して祝福家庭をつくるようになり、霊界の解放圏と地上の解放圏を連結させて、サタンまで屈服させたのです。
46 今や、真の父母が地上に現れたので、イエス様はお父様と一つになり、聖霊はお母様と一つになるのです。イエス様の母親であるマリヤと、洗礼ヨハネの母親であるエリサベツが協力できずに、イエス様が亡くなりました。本来、イスラエルの国とユダヤ教の人々全体がイエス様の前に一つとなって、イエス様の新婦を準備しなければなりません。そうして、人類を再び生まなければならないのです。
そのように、世界的な舞台においてイエス時代に横的にできなかったことを、この時代に蕩減しなければなりません。お母様を通して上がっていかなければなりません。それが平面的に広がることによって、全世界的にお母様を宣布するようになるのです。世界人類は、お母様のおなかの中に再び入り、お父様と一つにならなければなりません。
47 家庭には、母と子女がいます。家庭において男性(夫)は、天使長の位置にいます。そのため、まずアダムの位置にいるお父様を中心として、一つにならなければなりません。そして、真の母の分身として、世界のすべての女性は、父と一つにならなければなりません。そうして、本来の父の息子、娘だったという条件を掲げ、再び生まれて復帰されるのです。お父様の息子、娘として再び生まれたという立場に立たなければなりません。
アダムとエバが結婚する前、アダムの骨髄に赤ん坊の種として存在していた、その場にまで入っていかなければならないというのです。それを、真の愛によって連結させるのです。発電所の電気が、出ていっては(巡り巡って)戻ってくる作用をするように、連結されなければなりません。そうして、真の愛によって重生しなければならないというのです。お母様は、聖霊の実体と同じです。
48 お母様は、世界を代表した女性として、息子、娘を抱きかかえています。お母様に従う女性たちは、お母様の分身になります。お母様を、自分の夫以上に愛さなければなりません。お母様は聖霊です。聖霊に背いては、赦しを受けられないのです。再び生まれる道がありません。赦そうとしても、その根拠がないのです。お母様は、生命を復活させる方です。再び生んで祝福するのです。

Wednesday Jan 04, 2023
真の父母経 第15話
Wednesday Jan 04, 2023
Wednesday Jan 04, 2023
第二章 真の父母様の聖婚と真の父母時代
第一節 真の父母様の聖婚と「小羊の婚宴」
聖婚式と「小羊の婚宴」
ヨハネの黙示録第十九章に預言された「小羊の婚宴」は、真の父母様の聖婚式によって実現された。創世記で失われたアダムとエバを、ヨハネの黙示録で取り戻して一致させるのである。御夫妻の聖婚式は、人類歴史の終末時代に、第三アダムとして来た再臨のメシヤが、その配偶者であり第三エバである聖霊の実体を新婦として迎え、神様が真なる人類始祖の夫婦として祝福してくださる式であった。誤って生まれた人類は、生まれ変わらなければならないため、真の父母が必要である。
アダムとエバが成長期間の長成期完成級で堕落して偽りの父母に転落し、またイエス様までもイスラエル選民から不信され、十字架を背負われるようになったことを蕩減復帰した位置で、真の父母様の聖婚式が挙行されたのである。
1 本来、人間始祖は、善なる父母として出発しなければなりませんでしたが、悪なる父母として出発したため、人間は、すべて悪なる父母の血統を受け継いで生まれました。神様の愛を「私」への愛としてそっくりそのまま受け、神様の懐に抱かれて、神様の直系の愛を通した血族として残された息子、娘にならなければならないのですが、そのようになれなかったというのです。ですから、その本来の立場に帰らなければなりません。これが正に、新郎と新婦を迎える「小羊の婚宴」です。
主がこの地上に新郎として来て、一人の新婦を探し、一つの基準の上に接ぎ木しなければならないというのです。それがキリスト教の主張する内容です。その基準を設定し、確固たる目的を立てた宗教が、キリスト教です。ですから、今日、民主世界がキリスト教文化圏において発展するのです。真の父母を迎えようとすれば、そのように発展しなければなりません。
今まで宗教は、一人の真の息子をつくるために努力してきました。神様は、一人の真の息子を探し出すために、今まで苦労されたというのです。ですから、世界宗教の教主たちの中には、女性がいないのです。(041-028;1971-12-12))
2 数多くの宗教の経書の中で聖書が偉大なのは、神様が人類の親であると掲げてきたからです。これがキリスト教思想の源泉です。その次に、イエス様は「ひとり子である」と言いました。ひとり子は、父なる神様の愛を初めて受けることができる息子です。その次に、キリスト教思想は新婦思想です。イエス様はそのようなひとり子なのですが、新郎として来たのです。そのため、新婦が必要です。ひとり子がいるので、ひとり娘が必要だというのです。
新郎と新婦は、男性と女性です。新郎新婦の宴の日とは、神様が初めて愛の旗を掲げて現れる日です。そのような婚宴の席が、エデンの園から願われてきたのです。これが台無しになったので、人類世界の終末において、この婚宴の席を再び回復しなければならないというのです。(135-125; 1985-10-04)
3 イエス様は、「私は神様の息子だ」と言いました。そして、「神様は私の父だ」と言いました。その次に、「私はひとり子だ」と言いました。ひとり子は、初愛を受けることができる王子です。神様の息子の中でも、初愛を受けることができるひとり子だというのです。初愛を独占できる息子なのです。その次に、ひとり娘がいなければなりません。新郎はひとり子であり、新婦はひとり娘です。結婚式をしなければなりません。それが「小羊の婚宴」です。主がこの地上に来て婚宴をするのです。
「小羊の婚宴」をするようになれば、家庭をつくるようになります。神様が願うものが家庭です。神様が願うのは、人類を神様の愛を中心としてひとり子とひとり娘とし、神様が本当に愛し得る家庭をつくることなのです。(160-272; 1969-05-17)
4 聖書を見ると、「終わりの日」には、メシヤが来て「小羊の婚宴」をするという内容が書かれています。「小羊の婚宴」とは、神様の血統関係を中心として夫婦になることです。そのようにして、人類の真の父母が現れたとすれば、サタンは存在できません。血縁的関係を中心として、その血統を結んでくれるのが、父と母、男性と女性、性相と形状の実体です。
神様の愛を動機として生命を動かし、愛と生命と血統が一つになって渦巻くのです。その中で女性と男性の主人が入れ替わり、二人が一つになって共に「主人だ」と言えるところから、生命の種、子孫が連結されるのです。それが創造理想です。ところが、そのようなものがすべて壊れてしまいました。それを取り戻すためには、代わりに万物を取り戻し、人間を取り戻し、父母を取り戻さなければなりません。これが救援摂理の骨子です。(325-131; 2000-06-30)
5 再臨主が来られて婚宴をすると言われています。婚宴、つまり「小羊の婚宴」をするには、イエス様を中心として新婦がいなければなりません。その新婦が、堕落する前のアダムの前にいたエバです。イエス様は第二次のアダムであり、来られる再臨主は第三次のアダムです。ですから、第三次のアダムが、堕落する前のアダムとして来て、堕落する前のエバを探し出し、「小羊の婚宴」をしなければならないのです。
結婚することによって人類の父母になるべきアダムとエバが、堕落したことによって悪なる父母になりました。それで、私たちが堕落する前の善なる父母に出会うようになれば、復帰されるのです。ですから、人類には善なる父母がいなければなりません。「小羊の婚宴」をするのは、善なる父母として即位するためです。
6 人間は本来、堕落せず、時と環境を整えて神様の祝福を成就した真の先祖にならなければなりませんでした。ところが、それができずに堕落した先祖になったので、万民の前に堕落していない善の先祖が登場しなければなりません。その人は、天にいる霊人たちにとっても父であり、地に暮らす人たちにとっても父になれる方です。そのような方を、キリスト教では再臨のイエスといいます。
「小羊の婚宴」は、再臨のイエスが父として来られて、母を立てる祝宴です。キリスト教の真理とは、正にこのことなのです。キリスト教の中心はイエス様であり、イエス様の中心は愛です。聖書の中心も愛です。愛の中心は新郎と新婦であり、新郎と新婦の中心は「小羊の婚宴」です。この「小羊の婚宴」の中心的な意味は、本来、神様が許可した時と環境を整えて、天と地を相続できる真の人間先祖として祝福を受けることなのです。
7 神様は、失ってしまったアダムとエバの代わりの存在を求めています。聖書では、イエス様を後のアダムと言い、完成したアダムを生命の木と言っています。ですから、イエス様は、失ってしまった生命の木の代わりとして来られた方です。
しかし、イエス様は、使命を完結することができませんでした。神様と息子が喜ぶことができる一日をもつことができなかったので、再臨という言葉を残すようになったのです。神様がイエス様と共に喜ぶことができる一時、六千年の恨の心情を吐露し、神様と、あるいは今後来られる主と息子、娘の関係を結ぶ日が来るのです。神様のひとり子、イエス様がこの地上に来られて、もし亡くなっていなければ、イエス様がひとり子だと語ったので、神様は彼のためにひとり娘も送られたでしょう。
神様の二千年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です。イエス様は、真の息子の姿で現れましたが、真の娘の姿がないので、神様のみ旨を成し遂げることができませんでした。ですから、二千年のキリスト教の歴史は、娘を求めるための歴史です。聖霊は、神様の娘として来られました。神様を解怨するその日が、「小羊の婚宴」の日です。(004-303; 1959-10-11)
8 今まで宗教は、理想的な一人の男性と理想的な一人の女性を求めてきました。神様が「この人は、私がありったけの愛を注ぐ人だ」と言い得る、一人の男性と一人の女性を求めてきたのです。キリスト教でいう新郎と新婦とは、世界をすべて網羅して、神様の愛を受けることができるひとり子とひとり娘を探し出すことを意味します。完成した男性と女性がこの地上で出会い、婚宴を行ってこそ、新しい世界が開かれるのです。ですから、来られる再臨主は、新婦を探し出して「小羊の婚宴」をしなければなりません。(041-027; 1971-02-12)
9 人間が堕落していなければ、原罪のない息子、娘を生み、そのまま天国に行ける家庭をもっていたはずです。そこに立った父母は真の父母です。また、その家庭は、神様と一つになった家庭です。その息子、娘は、神様の家庭の子孫です。このようなみ旨を創世記で成就できなかったので、ヨハネの黙示録に至って、新郎と新婦の名を立てて成就しようというのです。
新郎は、完全な真の父として来られる方です。新婦は、神様が愛することのできる真の母として登場する方です。アダムとエバが堕落していなければ、神様を中心として結婚式をしたはずですが、堕落したことによって、サタンを中心として結婚式をしてしまったので、それを取り戻して神様を中心に初めて聖婚式を行うというのが、ヨハネの黙示録にある「小羊の婚宴」という言葉なのです。

Wednesday Jan 04, 2023
真の父母経 第7話
Wednesday Jan 04, 2023
Wednesday Jan 04, 2023
24 統一教会で言う真の父母も、やはり人です。人と言えば、男性と女性を意味します。その男性と女性(が誰かということ)は、神様を中心として論じなければなりません。アダムとエバが偽りの父母になったので、真の父母がそのアダムとエバを身代わりした位置に来て、善の父母にならなければなりません。言い換えれば、アダムとエバが未完成で偽りの先祖になったので、代わりに真の父母は、神様を中心として完成、成就できる位置に立たなければならないのです。
本来、神様が創造当時に、完成したアダム理想として見いだそうとしていたその位置が、真の父母の位置なので、その位置を再びはんだ付けして、その理想を主張している人がお父様です。統一教会では「真の父、真の母」と言いますが、外見を見れば、皆さんと異なるところがありません。しかし、根が違います。皆さんは、サタン世界の堕落した父母を通した堕落の根をもって生まれましたが、真の父母は根が違うというのです。神様を根として、初めて歴史上に真の愛の論理を中心とした統一論理をもって現れた、主人公だというのです
25 お父様が血統的にサタンの讒訴を受けるようなことがあっては、何にもなりません。皆さんを祝福する式は、イエス様が亡くなったのち、二千年の間苦労して再臨し、新郎新婦となった位置を引き継がせてあげる式です。その式は、統一教会の祝福家庭を立てる式です。皆さんが祝福を受ければ、天国に入る門は常に開かれています。サタンが讒訴できなくなってくるというのです。
26 堕落以降、すべての罪悪が全人類の体を征服しました。サタンの血統が連結されたのです。それを否定できる道が蕩減路程です。真の父母は、それをすべて清算しました。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的な段階で蕩減しました。真の父母によって真の血統に連結され、すべて終えたのです。皆さんは、小メシヤの位置にいます。
父母様は、サタン側の血統に属しているのではなく、神側の血統に属しています。根が違います。皆さんの根はサタン側であり、父母様の根は神側です。神様から始まる本然の真の愛を真の父母が相続し、それを皆さんに連結してあげるのです。皆さんも接ぎ木されたあとに、真の父母に属するようになるのです
27 お父様は、この地に来て、サタン世界を中心として、縦的八段階と横的八段階を勝利しました。アダムが罪を犯し、サタン圏内に入ったのです。罪さえなくなれば、本来の位置に帰ってくることができます。しかし、自分自身が原罪を清算することはできないのです。真の父母が、真の愛によって清算できるというのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様、八段階を中心として、すべて清算しました。
アダムが十六歳で堕落したので、十六歳になるまでは、本然のアダムの体です。(アダムは)天の国にある神様のあらゆるものを相続できる本然的な、堕落していない完成に向かう男性でした。このアダムが失敗したので、再臨主が来て、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙においてまで闘い、サタンを追い払いました。罪を清算したのです。原罪を抜き取ってしまったというのです。お父様は、アダムの十六歳から今までのアダム世界とは関係のない、勝利したアダムの位置で全人類を取り戻したのです。
28 私は、韓国の田舎のある農民の息子として生まれましたが、その根源が違います。人の中には、世の中に生まれながらにして(道理を)知っている人がいます。それを「生而知之(生まれながらにしてこれを知る)」と言います。また、学んで知る人がいます。それは「学而知之(学びてこれを知る)」と言います。
私は、生まれながらにして知っていたり、学んで知ったりしたのではありません。「天而知之(天によりてこれを知る)」だというのです。天のみ旨の中で生まれれば、知るようになるのです。神様の心まで分かるというのです。そのため、今まで世の中から反対を受けながらも、その世界で死なずに生き残ったのです。
29 皆さんが神様と一致すれば、神様はあらかじめ、創造的な準備をしてくださいます。皆さんがそのような立場に立つようになれば、霊界から教えてくれるというのです。
以前、私に一度も会ったことがないのに、私が生まれる前から私に侍ってきたという人がいました。私よりもずっと年配の人が、私が生まれる前から、既に私と出会い、侍ってきたのです。
それは、神様の予定によって、そのようになり得るのです。中心となる一人を世の中に送り出すときは、性相的にも形状的にも、同じ基準を中心として役事しなければなりません。ですから、神様は、私が生まれる前から、私の形状を使って役事されたのです。
30 お父様は、ある家門の息子として、この地に生まれたのではありません。私自身は、十歳を越えてから、既に世の中のあらゆることが分かりました。ですから、身内や隣近所で有名でした。その世界が分かるように、天が何千年も前から準備して生まれたというのです。私が生まれる前に、私に会った人が多くいるのです。私は地上には現れていなかったのですが、私よりも年配で、通じる人々は、既に私に指導を受けていたというのです。
再臨主として来られた真のお父様と聖霊の実体として来られた真のお母様
イエス様は、イスラエル民族の不信により、十字架にかかって亡くなられ、地上で真の父母の道を歩むことができなかった。その後、復活したイエス様は、霊的な新婦を探し出されたが、その方がすなわち聖霊である。イエス様は霊的な真の父、聖霊は霊的な真の母として、堕落した人類を霊的にのみ重生させる、限定的な救援摂理をされるようになった。霊肉ともの救援摂理を成し遂げるため、イエス様は再臨されなければならない。それゆえ、再び来られるイエス様は、肉身をもって地上に誕生される第三アダム、すなわち再臨のメシヤとして、準備された聖霊の実体を新婦に迎え、人類を霊肉共に完全に重生させる実体の真の父母にならなければならないのである。原罪をもっている人類は、実体の真の父母を通して原罪を清算し、霊肉の完全なる救いを可能にする重生、すなわち血統転換の恩寵を受けるようになる。
31 アダムが失敗したために、代わりに送られたイエス様は、第二アダムです。聖書でも、イエス様のことを後のアダムと言いました。先祖を失ってしまったので、真の先祖を復帰しなければなりません。
イエス様は、人類の真の父格です。そして、聖霊は人類の真の母格です。このように、真の父と真の母を霊的に立てて、これを実体の形状としてこの地上に現すことが再臨の目的です。人類の前に真の息子、娘が現れる時が、「終わりの日」です。
真の先祖を失うことによって堕落した子孫となり、真の父母と血統的な関係を結ぶことができなかったので、反対の経路を通して、失ってしまった息子、娘を探す時なのです。
32 キリスト教の中心は、イエス様です。新郎であられるイエス様が、新婦を迎えるのです。これが正に、「小羊の婚宴」です。「小羊の婚宴」とは、イエス様と聖霊である一人の女性が、実体をまとって結婚式を挙げることです。キリスト教では、「父」は神様であり、「子」はイエス様だと言います。「聖霊」は母なる神です。
母なる神であるため、その聖霊を受けなければ、重生することができません。母なる神である聖霊が生んであげなければなりません。父母の愛を通さなければ、人が生まれるということはありません。これが天理です。
イエス様は父であり、聖霊は母です。すなわち、イエス様は新郎であり、聖霊は新婦なのです。皆さんの心に聖霊が臨み、新郎であるイエス様を聖霊が思慕する力と皆さんの心が一致するとき、火を受けます。生まれ変わるのです。それにより、霊的父母との愛の関係を通して、新しい生命が注入されるのです。これが、キリスト教で言う重生です。
33 真の父は、完成したアダムです。アダムが堕落して、人類の真の先祖になれなかったので、私たちはすべて、真の先祖ではない、偽りの先祖の子孫です。ここにおいて、真の先祖として来られた方が、メシヤです。真の父だというのです。それで、キリスト教では三位神について語っています。イエス様は真の父であり、聖霊は真の母なので、この父母の愛を受けてこそ、重生できるというのです。
子女は、父母の愛なくしては生まれることができません。そのため、ヨハネの黙示録に「御霊も花嫁も共に言った、『きたりませ』。また、聞く者も『きたりませ』と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい」(22・17)とあります。
そのような日は、聖霊が実体をまとう日です。その時が再臨時代です。新婦の身支度を終える日です。「小羊の婚宴」は、失ってしまった真の父母を、逆に迎え入れる日です。
34 イエス様は父です。聖霊は母なる神です。母なる神によって感動を受けなければなりません。エバ、母によって失ってしまったので、完成した母なる神が来て「私」の心と体を清め、完成した父と霊的に一つになる体験をしなければなりません。そのような体験をしなければ、重生する道はないのです。
「聖霊に逆らう人は赦しを受けることができない」と言われています。天の父と人の子に逆らうことは赦しを受けられますが、聖霊に逆らえば赦しを受けられないというのです。
聖霊は母なる神です。母の胎中を通らなければ、人が出てくることはできません。間違って生まれたので、再び生んであげなければなりません。偽りの愛で間違って生まれたのですから、真の愛によって、真の父と真の母の立場で再び生んであげなければならないというのです。
35 イエス様が家庭基盤を備えるためには、新婦である聖霊を迎えなければなりません。実体の聖霊を迎えれば、平面的な基準を中心として、思いどおりに活動することができます。ところが、弟子たちが息子、娘の基準を立てられなかったために、イエス様は霊的な条件のみを立てたのです。これがイエス様の恨です。このように、地上で完全蕩減の基準を立てられなかったので、イエス様は仕方なく、昇天するようになったのです。
男性は天の代身であり、女性は地の代身です。イエス様は人類の真の父であり、聖霊は人類の真の母です。したがって、聖霊が実体をまとって降臨しなければならないのですが、実体であるひとり娘が現れなかったので、そのみ旨を成し遂げられなかったというのです。
36 天国は、男女が共に家庭を築いて入る所です。しかし、イエス様は、この地に来られて、新婦を探し出すことができず、息子、娘をもつことができずに亡くなられたので、今に至るまで、楽園で二千年間、祈りながら、聖霊に役事をさせているのです。
女性が先に罪を犯したので、女性神である聖霊が母として現れ、罪を清めて世の中をきれいにすれば、イエス様は再び新郎として、新しい種をもって再臨しなければなりません。再充電し、新しい天地の真の父母の血族によって、神様を中心とした新しい世界をつくろうというのが、神様の目的です。このような世界がつくられてこそ、「神様の計画がみ意のとおりにすべて成し遂げられた」と言うことができるのです。

Wednesday Jan 04, 2023
真の父母経 第14話
Wednesday Jan 04, 2023
Wednesday Jan 04, 2023
16 万民にとって、神様は永遠なる無形の内的父母であり、完成したアダムとエバは、永遠なる有形の外的父母になります。最大の愛は、主体と対象が永遠の愛を与え合い、完全に一つになるときに現れ、結実します。真の愛の中では、自動的に統一が起こり、また、生命が連結し、理想が実現するのです。神様のみ前に最も貴い対象存在であるアダムとエバに、神様の愛を中心に父母と子女として、主体と対象として、また無形の創造主と有形の実体として、完全に調和統一された、永遠の愛と生命の理想を実現させることが神様のみ旨でした。
よく「創造主と被造物が対等の位置に立つことはできない」と言われてきました。もしそうだとすれば、その創造主の前に、愛の理想を実践することは不可能です。神様の愛の理想は、子女であるアダムとエバを有形実体対象として立て、永遠に彼らと合一しようとするものでした。神様は、人間の中に住むことを願われます。無形の神様の愛の理想が、実体の人間を通して実現する基点は、人間が神様の対象体として完成する瞬間です。
17 地上の王はアダムとエバで、横的な真の父母であり、天上の王は神様で、縦的な愛の王です。男性と女性が愛し合うその時が、創造主と被造物が真の父母として合徳する時間です。地上天国、すなわち横的天国を出発させ得る王の顕現と、縦的な天上天国の王の顕現が、その愛から出発するのです。
世の中の貴いすべてのものの中心、本宮が男性と女性の生殖器です。その宮の主人は一人です。王宮の主人は一人の男性であり、一人の女性です。生命の王宮も、血統の王宮も同じです。地上天国の王も一人であり、天上天国の王も一人です。アダムとエバが結婚する日が、神様の結婚式の日だということです。アダムとエバが愛の関係を結ぶことによって、初めて神様を完成させ、解放の位置に立たせてあげるのです。
18 人間は、神様を身代わりした生命の種です。神様は生命の種の根本です。神様の種を相続した人間が、横的な子女を繁殖しなければなりません。種の主人が真の父母です。そこから繁殖して、それを横的に幾筋にも伸ばし、拡張するのです。それが公式です。
最も多くの祝福を受けた父母は、息子、娘が多い父母です。息子、娘が多い家庭の父母が、祝福をたくさん受ける基盤を立てるのです。個人の価値を完成すれば、この家庭基盤を自動的に相続するのです。結婚をすれば、前後左右が一つになります。ここが正に、完成点になります。そこに神様がいらっしゃるのです。子女の完成がここで実現され、兄弟の完成、夫婦の完成、父母の完成がここで実現されます。すべて見えない神様と連結されるのです。
心で願うすべてのことは、これに似ます。この位置が見える神様の位置です。その中に兄弟の愛、夫婦の愛、父母の愛があります。ですから、彼らは息子、娘を相続するのです。
見えない神様の創造が始まったとき、見える世界に登場するのと同じです。父母の理想、夫婦の理想、兄弟の理想、子女の理想、この四つが父母の中にあります。それで子女を生むのです。子女が徐々に成長し、兄弟になり、夫婦になり、父母になって、完全に一つとなって四方を回るようになるとき、完成するというのです。そこから再創造が始まります。見えない神様が顕現したのが夫婦です。これが理想的な夫と妻です。彼らの結婚初夜、そこに神様が訪ねてこられるのです。
19 無形の父母であられる神様が、アダムとエバの形状をまとい、有形世界に永存される父母になるのです。このときアダムとエバは、真の父母、真の先祖になります。神様が体をもった父になるので、見えない無形と有形が一つになるのです。それは、天宙が一つになることを象徴します。そのため、神様の形状に似た、体を備え得る姿としてアダムとエバを造ったというのです。
そうして、アダムとエバを天の国の王宮の王座に登らせ、その王の心の中に神様の王宮を造るのです。王国は、愛の王国です。
20 アダムとエバが神様の体を備えれば、神様は彼らの心の中にお住みになり、有形世界である地上世界と無形世界である霊界を治めるようになったでしょう。これは、神様が治めることであると同時に、アダムとエバが治めることでもあります。
この地に神様の王国、すなわち平和王国をつくっていったでしょう。アダムとエバは、地上天国の王であると同時に、天上天国の王になったでしょう。神様の属性をそのまま受け継ぎ、アダムとエバはすべての被造物の上に、絶対的存在であり、唯一の存在であり、永遠で不変なる真の愛の実体の父母、実体の王、実体の主人、実体の師になったでしょう。今日の人類は、すべて神様の体をまとって生きる分身体になっていたのです。

Tuesday Jan 03, 2023
真の父母経 第13話
Tuesday Jan 03, 2023
Tuesday Jan 03, 2023
9 真の縦的父母が神様であり、真の横的父母が真の父母様なので、父母を知らない人は、天宙の祝福権を相続する権限がありません。真の愛によって結ばれた心情圏においては、父母も子女も、神様も真の父母様も、平等な所有権をもつようになるのです。縦的父母は神様です。横的父母は真の父母様です。それをはっきりさせなければなりません。
10 神様は、垂直的に唯一の愛の主人公なので、「縦的父母」と言います。堕落していない本然の人間の先祖は、横的で水平的な父母です。そのため、九〇度になっています。これは周回しても、どこでも同じ位置が維持されるのです。水平と垂直が九〇度になっているものは、東西が上下になっても不平はありません。
神様の位置が男性と女性の位置に来てもよく、息子、娘の位置が母、父の位置に行ってもよく、祖父と祖母の位置が孫と孫娘の位置に行っても通じるというのです。ここにおいて、統一圏が形成されるのです。人間の家庭構成理念のための統一的基盤が生じるのです。ここでは消耗がなく、闘争がないので、平和の真理が万年にわたって作動できるのです。
神様は真の父母の形状で永存
創造本然の世界では、アダムとエバが完成し、真の夫婦の愛によって完全一体となれば、その上に神様が臨在して人類の真の父母になられる。無形の神様の姿にそのまま似た実体対象であるアダムとエバが完成し、神様と一体となった真の父母として子女を繁殖することにより、理想家庭と理想世界を築くのである。そのようになれば、完成した人間を通して霊界と地上界が連結される。人類の最初の先祖であるアダムとエバが真の父母となり、地上での生涯をすべて終えて、完成した霊人体として霊界に入れば、そこにおいても神様は、真の父母であるアダムとエバの形状をもって顕現されるようになる。すなわち、神様は、完成したアダムとエバである真の父母に臨在し、二人の形状で永存されるのである。それゆえ、堕落した罪悪世界を創造本然の世界に蕩減復帰し、創造理想世界を完成された真の父母様は、地上と霊界において、神様の永遠なる形状になられるのである。
11 神様が二性性相に分立して本性相と本形状の実体となり、本陰性と本陽性の実体となって地上に顕現することによって、天宙のすべての存在は神様の実体になります。神様は、二性性相の中和的存在であり、位置や次元においては男性格主体だというのです。
その男性格主体が、真の父母を中心として実体の中に入ってきて、血統が一つになり、愛と生命が一つになるのです。そのような一体の位置において、天の国の眷属として、創造理想が完結した全体、全般、全能の世界の相続者として、皆さん各自が永生の天国で主人家庭の位置を占有しなければなりません。神様も、霊肉が勝利した実体世界を願っています。
12 神様は、なぜ人間を創造したのでしょうか。神様も体をまとわなければならないからです。アダムとエバが神様の体になるのです。その次には、愛の対象が必要で人間を創造しました。そして、天の国の民を繁殖するために、神様の実体対象を立てたのです。そうして、神様の息子、娘たちを生み、子女として天国に迎え入れさせようというのです。そのために、神様は人間を創造しました。
皆さんが霊界に行けば、そのような本然の形態を備えなければなりません。神様の代わりに、民を率いなければならないのです。神様の代わりになる愛の対象がいなければなりません。それをこの地で完成していくのが夫婦です。凹凸が初めて一つになるのです。これは、天地が一つになることです。男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。男性も女性も、愛の対象をもたなければなりません。その次に、神様の形状にならなければなりません。神様のようにならなければならないのです。神様と同じものをもっているので、小さな神様であることは間違いありません。
人間が永遠の世界において、自分の位置と価値と栄光の場を占有できる所に訪ねていくこと、それが「亡くなる」ということです。「亡くなる」というその言葉は、啓示的です。(韓国語の「돌아가다 (亡くなる)」という言葉には「帰る」という意味がある)そのような目的で生活し、そのような実体を収めて霊界に行き、神様の家庭的、氏族的、民族的、国家的対象になり、すべての栄光の実体として、無限の世界で永存することが、存在する私たちの理想です。
13 宇宙は、神様の形を中心とした象徴的な実体です。その次に、形象的な実体であり、実体的な実体です。すべてのものが、本体に似ているというのです。最もよく似たものが形象的なものであり、形象を主体として似たのが象徴体です。象徴世界、形象世界、実体世界は、別々になっているのではなく、一つになっています。象徴、形象、実体を中心として見るとき、それを三段階と見るのですが、その中心はたった一つしかないというのです。一つなので、統一された位置にならざるを得ません。象徴も一つを願い、形象も一つを願い、実体も一つを願います。この世の中の象徴的な存在は万物です。形象的な存在は人間です。実体的な存在は神様です。
神様は、見えない無形としていらっしゃいます。その無形の神様が有形の神様として顕現するためのものが、創造理想です。神様は見えない世界の実体にもなりますが、また、見える世界の実体にもなりたいと思うのです。そのため、見える世界の実体を再び造っておいたのが人間なのですが、その人間の出発基地が真の父母だというのです。真の父母は、見える世界において象徴的中心存在であり、形象的中心存在であり、実体的中心存在です。それゆえ、この見える世界の真の父母の中心は、見えない世界の神様を身代わりした実体と一体になっているのです。
霊界も同じです。霊界にも象徴世界があり、形象世界があり、実体世界があります。内容が見えないだけであって、見える世界と同じように、内外になっているというのです。すべての中心は一つです。見える世界の中心も一つであり、見えない世界の中心も一つです。見えないこの実体の中心は、霊界に行って定着するためのものなのです。
14 本来、アダムとエバは、神様を見ながら育つのです。霊眼で見るというのです。神様は、実体としては、アダムとエバを通して現れます。自己伝授です。見えない神様をすべて伝授して、アダムに現れ、体をまとうのです。心は見えませんが、心のことが分からないのではありません。分かります。心が主体として、すべて引っ張って回るのです。
アダムとエバは、自分勝手に生きることができません。心を中心として、一つになって進む立場で生きるようになっているというのです。ですから、私たちは、心を絶対視しなければなりません。心は、父母に優り、師に優り、神様に優るというのです。愛が理想とすることは、自分の何千万倍、優れていることです。そのため、神様自体を、アダムとエバ自体がすべて感じるのです。自分一人で行動できないというのです。アダムとエバが神様を感じ、形体としても分かるのです。「私のように一つになっているのだなあ!」ということを感じるというのです。
15 霊界に行けば、神様は真の父母として現れます。真の父母の心の中に神様が入るので、見えるというのです。神様は、対象を必要として創造しました。対象がいなければ、愛を感じられません。完成のために対象を造り、体をまとうために造りました。その次に、繁殖するために造りました。地に実体がなければ、繁殖できないのです。
この三大要件ゆえに、神様は創造を行いました。神様も体をまとわなければなりません。体をまとうためには、対象が必要です。対象の体を身につけさせたのが、アダムとエバです。そのため、アダムとエバのその姿が、神様の姿になるのです。

Tuesday Jan 03, 2023
真の父母経 第6話
Tuesday Jan 03, 2023
Tuesday Jan 03, 2023
14 人間は、家庭から出発しました。家庭を縮小してみれば、夫と妻によってできているので、ひとり子になったのであれば、ひとり娘を迎えなければなりません。このひとり子とひとり娘は、堕落していない本然のアダムとエバにならなければならないのです。ひとり子とひとり娘は、息子、娘を生まなければなりません。
真の父母に侍り、息子、娘を完成させようとすれば、与えられた環境において、祖父、祖母、母、父、四方のために生きることができなければなりません。息子、娘は父母のために生き、父母は息子、娘のために生き、その父母はまた、(彼らの)父母のために生きなければなりません。祖父は孫のために生き、孫は祖父のために生き、夫は妻のために生き、妻は夫のために生きれば、それは祖父母、夫婦、兄弟がすべて入るというのです。
このような原則において、一つの家庭の標本を中心として見るとき、互いにために生きる家庭であれば、天国家庭であることは間違いないという論理が出てきます。
原罪がないイエス様と再臨主
人類の始祖アダムとエバは、サタンの誘惑に陥り、善悪の実を取って食べることによって罪を犯し、それが原罪となった。原罪は、神様の血統を汚した不倫なる性犯罪であった。神様の愛によって代を継いでいくべき人類が、サタンの偽りの愛によって子孫を繁殖したのである。
聖書のマタイによる福音書の記録には、イエス様がキリストとして生まれるまでの血統的系譜が出てくる。堕落したアダムの後裔の中から、善悪の血統を分立、転換しながら、千年にわたってサタンとの血縁的関係を清算してきた蕩減復帰摂理歴史の基台の上で、ついに原罪のない、イエス様が神様のひとり子として誕生されたのである。
このように、原罪と関係なくお生まれになったイエス様は、人類の真の父として、真の母を迎え、真の父母の位置に進み、原罪のない直系の子女を誕生させる一方で、堕落した人類を重生させ、原罪を清算させるために地上に来られた。しかし、イスラエル民族の不信により十字架にかからなければならなくなるやいなや、このすべての課業を、再臨して成し遂げることを約束されたのである。
それゆえ、第三アダムとして来られる再臨主は、イエス様を中心としたあらゆる蕩減復帰摂理の歴史的伝統と結実を、霊肉共に相続すると同時に、メシヤの立場から出発し、真の父母の位置に登極することにより、地上で神様の創造理想を実現する使命を完遂されるのである。
15 イエス様は、サタンが讒訴できる位置を抜けだした立場で生まれたので、原罪がない方です。サタンの主管圏内においてサタンと相対したのが原罪ですが、イエス様はサタンの讒訴条件を越えてお生まれになった方なので、原罪とは関係がないというのです。このために入れ替える歴史があったのです。エサウとヤコブの時に入れ替え、また、ペレヅとゼラの時に入れ替えて、勝利の基盤を築いてきました。ですから、イエス様は、原罪と関係のない人間として生まれたのです。
16 イエス様は、神様の主管下で生まれた息子なので、原罪を免れた立場に立ちました。サタンの讒訴条件をもっているがゆえに原罪があるというのですが、原罪を免れた立場に立っているため、本然の基準、堕落する前のアダムの位置に帰ることができるのです。ですから、イエス様だけが第二次のアダムになることができます。人類の先祖として、アダムが失敗したことを復帰できます。アダムの位置を身代わりできるのです。ここから新しい歴史時代に入ります。
イエス様は無原罪で生まれたので、サタンの讒訴から完全に脱しました。サタンの讒訴から脱すると同時に、サタンを完全に屈服させました。天使長を屈服させたというのです。イエス様は、このように神様の息子として、堂々と本然のアダムの位置に立つことができました。
17 聖書には、ヤコブが母であるリベカと一つになって、兄エサウと父イサクを欺き、祝福される話があり、また、タマルが舅と関係を結んで生んだペレブとゼラを中心として、ユダの支派が祝福を受けるようになったという内容が出てきます。このような、人倫や道徳観において解決できない内容が、どうしてあるのかということが問題です。
そして、マタイによる福音書を見れば、四大淫女についての話が出てきます。タマルが出てきて、バテシバが出てきて、ラハブが出てきて、ルツが出てきます。マタイによる福音書は創世記に相当するものですが、歴史時代において、最初の章になぜこのような神聖ではない、汚点をもっている女性たちが出てきたのかというのです。
このようなすべての問題は、堕落論を知らなければ解決するすべがありません。お父様の時代になって、初めてそれをすべて明らかにしてあげたのです。
18 ヨセフと婚約したマリヤは、エバとちょうど同じです。アダムとエバは、堕落する時、婚約した立場にいました。アダムとエバが婚約段階にいる時に堕落したのと同じなので、これを蕩減復帰するためには、リベカの伝統を引き継がなければならず、タマルの伝統を引き継げる女性がいなければなりません。そのため、血統を清めた女性を代表した基準で、それを相続できる位置に立った人がマリヤでした。
マリヤは、神様の息子、娘を生むために生命を捧げることを覚悟し、犠牲になる道でも、神様のみ旨を立てた女性でした。タマルのように、イスラエルの王権を立てることを最高の希望と思い、自分の身がどうなろうと、死のうと生きようと、自分を通して神様のみ旨を継承しようとした歴史的な女性でした。
19 マリヤは、自分の生命を懸けて、神様のみ旨を誰よりも熱心に追求する女性でした。ちょうどタマルのように、志操を守って忠節を尽くし、貴い天の血統を残すためには、いかなる冒険でも強行できる大胆な立場に立っていた女性が、正にマリヤでした。
天使ガブリエルが現れ、マリヤに「あなたはみごもって男の子を産むでしょう」(ルカ1・31)と告げたとき、マリヤは、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」(ルカ1・34)と答えました。そして、天使が再び、「神には、なんでもできないことはありません」(ルカ1・37)と言うと、マリヤは、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ1・38)と答えたのです。その立場は、死を覚悟しなければ行くことができない立場です。
その当時、未婚の女性が身ごもれば、モーセ五書に基づいて、石で打たれて殺される時代でした。神様は、自分の命よりも神様のみ旨を尊重し、自分の威信や体面よりも神様のみ旨を尊重するマリヤを通して、イエス様を懐妊するようにさせたのです。ですから、イエス様は、神様のみ旨によってマリヤのおなかを通して生まれた、歴史上初めての神様の息子です。
20 マリヤの腹中にいるイエス様に対しては、サタンが讒訴できません。イエス様が生まれるようになったのも、マリヤが動機になったのではなく、神様のみ旨を中心として、神様の命令によって生まれたので、神様が動機となったのであり、また出生に至る過程も、腹中の勝利の基盤をもつマリヤの腹中から生まれたイエス様だったので、イエス様には、サタンのいかなる讒訴条件もあり得ないというのです。
歴史時代に、腹中から始まったアダムとエバ以降のあらゆる闘いの基盤を、初めて腹中から分別したというのです。このような血統をもって現れた人がイエス様でした。
ですから、イエス様は、いかなる預言者や、いかなる世界的な宗教指導者とも、その根本が違うというのです。イエス様は、サタンが讒訴できない血統的な内容を備えて来られた世界的な代表者です。また、歴史的な内容をすべて清算して来られた方なので、正に神様を中心とした血統的な内容をもって生まれた最初の人に違いありません。イエス様は、このような動機や過程を経て、神様の真の息子として、この地上に誕生するようになったのです。
21 イエス様の父親は、ヨセフではありません。天の側の天使長圏の人物です。堕落した天使ではありません。神様がそのようにさせました。
サタン世界を凌駕し、天の側となり得る基盤を築き、種を植えて、そこで神様の心情圏を受け継いでこそ、本然のアダムとして認められるのです。イエス様は、そのような位置で、血統的に分別された種を受けて生まれました。そのような人は、歴史始まって以来、一人しかいません。ですから、メシヤ、救世主になることができるのです。初めて神様を中心として、愛の絆を通して生まれた代表的で唯一の人なので、「ひとり子」という言葉が成立するのです。
22 人類歴史上、国家的次元で万王の王権をもって来るイエス様は、血統を転換して勝利的伝統を受け継いで来ました。ですから、マリヤの腹中で妊娠しても、サタンが「彼は私の息子である」とは言えないようになっています。タマルの心情的伝統を受け継いだ歴史的な基準の上に、国家的次元でマリヤが身ごもったため、エバの失敗を蕩減復帰したのです。
女性たちが行くべき道において結実の位置に立ち、血統転換、すなわち長子復帰完成基準の心情圏の上で身ごもったので、腹中にいるときから、サタンが「私の息子である」と主張できないのです。イエス様は、歴史的に清められた血統的基盤の上でマリヤの腹中に宿ったため、長子圏内で身ごもったとしても、サタンが「自分の息子である」とは言えないというのです。
腹中から長子権を主張できる息子が地球星に生まれなければ、神様の長子の血族圏を立てることができません。イエス様は、堕落の人類歴史の上に、神様の心情を受け継ぐことができる最初の代表者になり、歴史的な代表者となることによって、初めて「私は神様のみ前にひとり子である」と言うことができました。これは、愛を中心とした長子権復帰において代表者になったので、メシヤになることができる、ということです。
23 イエス様は、血統を清めた上で来ました。双子の時代、すなわちエサウとヤコブを通して長子権を復帰し、タマルの腹中でペレブとゼラの、歴史にない闘いを通して、ひっくり返すことによって、血統転換をしました。歴史がすべて見せてくれたのです。
聖書は、本当に啓示的です。世界史、文化史、宗教史において欠かせない宝典です。人類歴史に関する曲折の事情と秘密が、すべて含まれています。それを解かなければなりません。このようにして、血統を復帰しなければならないのです。マリヤの腹中から生まれたイエス様は、サタン世界の血統が転換されています。血統が転換された位置から来たので、イエス様の相対となり得る新婦も、血統転換歴史の過程を経なければなりません。