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Monday Aug 22, 2022
平和経 第319話
Monday Aug 22, 2022
Monday Aug 22, 2022
5.神様のみ旨と韓国
日付:一九八五年十二月十六日
場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館
行事:国際勝共安保決意大会
満場の国内外の貴賓、紳士淑女、および勝共同志の皆様。一年中で最もお忙しい時であるにもかかわらず、このように多くの方々が参席してくださり、深く感謝を申し上げます。
神様の摂理の焦点となっている韓国
きょう私が勝共会員の皆様がお集まりになったこの場をお借りして、皆様にお伝えしたいメッセージについて考えるとき、「神はいない」という共産主義に勝利するには、神様に対する確信と体験がなければいけませんので、そのような観点から題目を「神様のみ旨と韓国」に決めました。韓国は神様の摂理の焦点になっていることと、今日の世界問題の解決の鍵は韓半島にあることを明らかにしようと思います。
今日の世界情勢を様々な面から見つめると、誰もが失望を感じざるを得ません。人類の切なる願いが自由と平和と安全であるにもかかわらず、世界的混乱は日ごとに悪化し、人類の将来は今や絶望状態に至りました。
世界の指導者たちの絶え間ない努力にもかかわらず、世界の問題はより複雑になり、より難しくなりつつあります。民主主義や共産主義も、宗教や哲学も、世界の問題の解決において、全く無力であることが明らかになってしまいました。それは、神様のみ旨が分からないからなのです。人類歴史は神様の摂理歴史なので、神様の摂理のみ旨が分からなくては、世界の問題の解決は不可能な段階に至ったのです。
神様は分断された韓半島に焦点を置いて世界を摂理していらっしゃいます。ですから、神様のみ旨を知るためには、韓半島の分断の意義を理解しなければなりません。韓半島の休戦ラインは、共産独裁体制と自由民主体制が対立しており、左翼と右翼が対立しており、唯物論と唯心論、無神論と有神論が衝突している対峙線です。
今日、世界を思想と体制の面から見たとき、アメリカとソ連を両極として民主陣営と共産陣営に分かれていることが私たちには分かります。ですから、韓半島は世界の縮小型であり、世界は韓半島の拡大型です。ここに神様の深奥な経綸の意義があるのです。それは縮小型である韓半島の統一をまず成し遂げ、同じ方式を拡大型である世界に適用して、世界の思想的、体制的統一を達成しようとする摂理なのです。
休戦ラインとヘブライズム•ヘレニズムの対峙
韓半島の休戦ラインの、もう一つの摂理的意義は、旧約時代のヘブライズムの流れを引き継いだキリスト教文明とヘレニズムの流れを継承した共産主義文明が、この休戦ラインで対峙しているという事実です。へブライズム文明とヘレニズム文明は、ローマを中心としてイエス様によって統一されることになっていましたが、イエス様の十字架の刑によって統一の起点がなくなってしまい、それが今日まで平行線を描いてきました。
時には一方が優勢になったかと思えば、時には他方が優勢になりながら、今日に至り、ヘブライズムの流れはキリスト教文明に連結し、ヘレニズム文明は共産主義文明に受け継がれて、韓半島の休戦ラインを間において対峙しているのです。韓半島においてこの二つの流れの文明が統一されることが神様のみ旨であることを考えるとき、そのような点から休戦ラインは摂理的な意義が大きいと言わざるを得ません。
韓国は、地政学的に四大強国に囲まれていて不利な点もありますが、摂理の焦点が韓国なので、韓半島の成功を世界に広めるには、強大国を通じれば速いという点において有利な立場にあるのです。
それでは神様は韓半島の統一をどのように達成しようとされるのでしょうか。それは一人の人を摂理的中心に立て、彼を通じて神様の愛を実践するように摂理するのです。その愛とは、自分の隣人や自分の国のためだけの愛ではなく、国家を超えて全世界までも愛し、ひいては世界的な怨讐までも愛する愛です。
敵のために祈り、敵のために必要であるならば命までも捧げる愛が神様の愛です。二千年前にメシヤとして来られたイエス様が、正にその愛の主人公でした。イエス様は十字架にかけられてまでも怨讐を愛しました。
休戦ラインは世界分断の摂理的代贖のための民族的十字架
ここでしばらく、イエス様の十字架の刑について触れてみようと思います。皆様はイエス様と共に二人の強盗が十字架にかけられたことは御存じのことと思います。ここにも神様のみ旨があったのです。右の強盗はイエス様を証して善の側になったのであり、左の強盗はイエス様を誹謗することによって悪の側になりました。特に右の強盗は左の強盗に比べ、イエス様を擁護しながら、左の強盗を最後までたしなめました。このようにして十字架は、神様とサタンの対決の決戦場にあり、すべての問題の解決の焦点となるようになったのです。
道であり真理であり命であられるイエス様が、十字架にかけられ、その苦痛の中でも怨讐を愛しながら、両側に善と悪をそれぞれ引き連れたことには、非常に深い摂理の意義があります。そこには神様の愛を中心にした和解の原理、統一の原則が内包されているのです。
それは、善の側と悪の側の対立をはじめとして、すべての種類の対立、闘争、衝突は、犠牲的な愛によってのみ和解し、統一されることを示しているのであり、いかなる困難な状況下においても神様の愛を実践できてこそ、罪人を悔い改めさせ得ることを示してくれているのです。
そして、十字架を中心とした左右の強盗は、遠い将来の歴史的終未点において現実的な善悪の対立として結実する、その種子の立場だという事実を理解しなければなりません。「右翼」と「左翼」の名称が今世紀に現れたのも、イエス様の十字架に起因するものです。
今日の善の側の自由陣営と悪の側の共産陣営の出現は、既に二千年前に十字架を中心として見せてくださったのであり、のみならずこの左右の強盗の対立は、その後の数多くの対立、闘争の原型にもなったのです。今日の左翼と右翼という名称の歴史的起源は実に十字架の左右の強盗にあったのです。
特に、命を懸けて左の強盗に対抗しながらイエス様を証した右の強盗が、死んでから復活して楽園に行ったように、今日、右の強盗と同じ立場にあるアメリカが、左の強盗に該当するソ連に対して、最後まで強力な対決を堅持していったならば、必ず神様の公認を受けて地上天国に入ることができるのです。そのことを示しているのです。
十字架上の善の側と悪の側の対立として象徴される、現実のすべての対立と闘争の状況は、韓半島の休戦ラインがそのまま集約的に表現しています。ですから、南北に分断された休戦ラインは、世界の分断の摂理的な代贖のための民族的十字架なのです。ここで韓半島は、十字架上のイエス様に該当し、再臨の基地でもあります。
Monday Aug 22, 2022
平和経 第324話
Monday Aug 22, 2022
Monday Aug 22, 2022
皆様。愛する夫、愛する妻がいるでしょう。どれだけ愛していらっしゃいますか。実は、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。すべてために生きようとする真の愛のためです。男性と女性をして調和によって愛の理想を成し遂げさせるために、神様がそのように創造されたのです。
それでは、ペア•システムになっている天地の被造物の中で、神様御自身にとって最大の愛の相対であり、主人の位置に立てた傑作の存在とは果たして誰でしょうか。人間です。「女性」という言葉は男性が先にいて出てきた言葉です。また「男性」という言葉は女性を先有条件として出てきた言葉です。「上」という言葉は下を考え、「右」という言葉は左を先に認めて語る言葉です。したがって、「横」という言葉は縦を確定して語る言葉です。このように、先有条件を認めるということは、ために存在する相対圏を認めることであり、ために生きることを目的として成立したのが真の愛による創造だったというのです。
神様の真の愛は、投入し、与え、また投入して、また与えても忘れる愛です。与えたという記憶が残っている限り、愛は無限に回ることはできないのです。愛は無限に運動するものなので、与えたという記憶に留まっていてはいけないのです。与えて、また与え続けても記憶に残らないので、流れるのです。
神様は、この無限の価値をもった愛を父の立場で与えても忘れ、仮にその愛を受けた息子、娘たちが天に背いたとしてもまた与えられるので、そのような限りない神様の愛のゆえに、きょう皆様もこの場に来て座っていられるのです。したがって、真の愛の行く道は、受けるための道ではなく、与えるための道だという結論が出るのは当然のことです。それで、神様御自身も愛の相対を創造されるときは、神様御自身が与える立場に立ち、御自身のもっておられるすべてのものを一〇〇パーセント投入し、また投入したいと思うのです。
そのような心をもっている本然の中心存在が、天地を創造された神様です。それで真の愛は、ために生きることにおいても一〇〇パーセント、一〇〇〇パーセント与えて真空状態になるのです。空気で言えば、絶対低気圧が生じるようになれば、高気圧は自動的に循環運動が起きるようになるのと同じ理屈です。ですから、絶対にために生きようとするところには、無限の力が連結されるのです。神様は正に、このようにさらに与えようとする本性の作用が絶えず続くことによって永存されるのです。したがって、真の愛の道には、永生の論理が介在するのです。
皆様。私たちは何を中心として、きょうも生き、あすも生き、十年、百年、千年、万年を生きたいと思うのでしょうか。お金ではありません。この世の国ではありません。統一の絶対的起源となる神様の真の愛です。このように、神様の真の愛はために生きようとするところに根を下ろしているのに反して、今日の人間世界の愛は自分のために生きてくれることを願うところに根を下ろしているのです。堕落したために生じた結果です。自分だけのために生きてほしいという、そのような論理の中には統一がありません。これは、相対圏が犠牲となって破壊をもたらします。ですから、全宇宙が独裁者を支援することはないのです。理想的な相対を破壊するもの、それが悪魔です。それで、統一教会が医者となって治癒しなければならない召命を受け、実践しているのです。
それならば、このように救世的責任をもつべき統一教会が主張する教理も、理論に合わなければなりません。真の愛を中心として、統一的理論の根拠をどこに立てるのでしょうか。神様がいて、それからアダムとエバがいますが、男性であるアダムは大きく、女性であるエバは小さいですが、神様さえ占領すれば万事OKなので、アダムが前を行き、エバはついていって神様を発見したというとき、その神様を誰が先につかまえるのでしょうか。
自分を主張するところには、統一はありません。しかし、神様と共にために生きるという立場で考えるとき、アダムが「私が先に神様をつかまえようとするのは、あなたのためです」と言えば、小さなエバが、「早くつかまえてください!」と言うのです。
また女性が「私が神様を先につかまえようとするのは、あなたのためです」と言うとき、夫も喜ぶようになります。ここで統一が成し遂げられるのです。このように、神様のために生きようとする天地の真の愛の世界から統一の理論を発見できたために統一教会が現れたのです。
私は、怨讐の側にいる衛星国はもちろん、ソ連の主要都市に統一教会の宣教師たちを配置して、救援のための準備をしたのですが、彼らが極限的な迫害の中で死刑宣告を受け、国境を越え、また越えて、一度も出会ったことのない師に従い、最後に東方の韓国に向かって「私は逝きます」と両手を合わせて祈り、最期の道を行った彼らを、引き止めることができず、生かしてあげることのできなかった文総裁の心情を皆様はお分かりになるでしょうか。
悪魔からの苦難を受け、苦痛を受けて、捕虜兵となっている彼らを不憫に思う天の心を知りながらも、昼も夜も前進を決意せざるを得ませんでした。私はまた、共産主義は七十三年を超えることができないことを、天理を通して知ったので、待ち続けました。そうしたところ、なぜかソ連は、私たち統一教会の真理を調べ、これこそが偉大な真理であり、ソ連に新しい希望を植えつける真の真理であることを知るようになったのです。しかし、このような大きな国と天宙の和合も問題ですが、私自身の和合がより先決問題なのです。
皆様。私たち人間は、人生を生きる間、自分に最も近く、天下を与えても変えることのできない主人がいるにもかかわらず、知らずに罪に捕らわれて生きる哀れな群れだということを知らなければなりません。その主人は、正に自分の良心です。この良心がどれほど皆様のために忠告し、疲れることを知らずに昼も夜も、悪い考えをすれば「おい、こいつ!」と言って引っ張り、峠を越え、川を渡るために、どれほど気をもんだことでしょうか。
真の主人の姿をもって私を保護しようとする心を裏切ったこの体、一つしかない宇宙から貴い師として与えられた先生であるにもかかわらず、その先生を容赦なくぞんざいに扱ったこの体、また私の本然の愛の心を引き継ぐことができるよう、父母の代わりに送ってくれた良心を容赦なく蹂躙したこの体、このように心の怨讐になったこの体を、皆様は愛するのですか。それではいけません!
私を守ろうとし、私の主人と師と父母の位置に立って、私を正しい人にし、天地の大父母であられる神様、天地の大師匠であられる神様、天地の大主人であられる神様のみ前に一致させるために努力する第二の主人である良心を蹂躙し、無視し、冷遇したこの体を保護すべきでしょうか、占領すべきでしょうか。体をつかんで心のようにために生きる自分になったときに、幸福が訪れるのです。そこに神様が臨在されるのです。それで、「家和万事成」という言葉があります。私の家、私個人が安らかであるためには心と体が一つにならなければなりません。
Monday Aug 22, 2022
平和経 第323話
Monday Aug 22, 2022
Monday Aug 22, 2022
7.私たちの時代の真の平和 韓国の統一と東西協力
日付:一九九〇年二月二日
場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル
行事:第二回「世界平和のための頂上会議」および第八回「中南米統合機構」総会
親愛なる議長、そして尊敬する元国家元首、首相、国会議員、大使とその他の紳士淑女の皆様。この重要な会議のために韓国にお越しくださった皆様に、歓迎の辞を述べることができますことを喜ばしく思い、また光栄に思います。
対決の時代から和解の時代に転換する国際情勢
私たちは、第二回「世界平和のための頂上会議」に共に参席し、「韓国の統一と東西協力」という主題について論議できることを、心から喜ばしく思います。
また、本頂上会議の開催と同時に、過去七年間にわたってラテン•アメリカの和合と団結という面で多大な業績を収めてきた団体として、いわゆる「AULA(アウラ)」と呼ばれる「中南米統合機構」の第八回総会を開催できますことを、一層喜ばしく思う次第です。
私は、本会議が開催されるこの時点のもつ意義は、極めて重要であると思います。この時点は、一九九〇年の始まりであり、新しく開かれる一九九〇年代の出発だからです。あと十年で私たちは西暦二〇〇〇年を迎えることになります。私たちは自分の生涯の中で、新しい世紀の出発を目撃するようになるのです。
このように重要な時期を生きながら、人間生活の劇的な変化を目撃するのみならず、人間生活を変化させる事件の数々を実際につくっていくという事実の重要性を、私たちは感じなければなりません。「新しい世紀は、真の平和の世紀」になればいいというのが、私たちの共通の念願です。これを実現するためには、今後十年間、多くの挑戦を克服し、努力も傾けなければならないでしょう。
きょうこの場で開催される「世界平和のための頂上会議」と「AULA」は、今後十年間、極めて重要な役割を担当しなければなりません。今まで平和達成のために尽くしてこられた皆様の労苦と業績に深い称賛の言葉を申し上げながら、同時に皆様に対して、一九九〇年代も続けて平和の闘士となっていかれることを督励する次第です。
第二次世界大戦の終結時から四十年余りの期間は、互いに正反対に対立するイデオロギーを崇敬する二大陣営の対決の時代だったと見ることができます。世界の所々で、人々の間の紛争および国家間の紛争が数え切れないほど起き、軍備の支出も競い合うように増加し続けてきました。この時期に、人々が心の中で平和を感じることができた瞬間は、実際にはありませんでした。
ところが一九八五年から、ゴルバチョフ氏がソ連の政権を取り、一連の変化を見せ始めました。彼は、ソ連内により多くの表現の自由を保障し、ソ連経済の構造的な改編を断行しましたが、それよりも重要なことは、彼がブレジネフ•ドクトリン(制限主権論)*を否認したことです。そうしたことで、この短い期間内に、ソ連陣営では劇的な政治的変化が連日のように起きました。
去る数ヵ月間に、私たちは、ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、チェコスロバキア、ブルガリア、そしてついにはルーマニアまでもが民主化されるのを目撃しました。これらの事件に続いて、東西対決の象徴であるべルリンの壁が崩壊しました。その後、和解の新しい時代が開かれつつあります。
私たちをして新しい協力の時代を迎えることができるよう、このような建設的な変化を主導できた勇気と指導力を備えもつゴルバチョフ書記長に、私は心から称賛の言葉を伝えたいと思います。私は、個人の人権を尊重し、経済改革、そしてもっと重要な信仰の自由を実現しようとするソ連の真の努力を支持することをお約束いたします。
皆様も既に御存じのとおり、私は中華人民共和国と共に仕事をすると約束したことがあります。その巨大な国家は、世界の四分の一に当たる人口を有しています。ですから、この十三億の中国人を抜きにしては、世界の平和を論ずることはできないと思います。必要な雇用創出、技術提供、および所得向上を援助するために、私は今、中国に世界最大規模の自動車組み立て工場を建設しています。これは、私たちの世界平和を成し遂げるための努力の一環なのです。
さらに皆様も御存じのように、一九八一年に私は、国際平和高速道路プロジェクトに着手しました。この高速道路が完工すれば、乗用車で東京からロンドンまで行くことができるようになります。私は今、日本、韓国、そして中国政府とこのプロジェクトについて真剣に論議しており、ソ連もこのプロジェクトを歓迎してくれることを願っています。
もちろん、これは極めて高次元の夢です。しかし、すべての偉大な事業は夢から始まります。少し前までは人が月面を歩くということは、誰一人として夢にも見ることができませんでした。しかし、将来を見通したビジョンと勤勉な努力の結果として、それが現実として迫ってきたのです。同様に国際平和高速道路も、夢ではなく現実になるでしょう。
*注:「社会主義陣営全体の利益の為には、そのうち一国の主権を制限しても構わない」という考え方(wikipedia, weblioより)
混乱した世界を救うことのできる「神主義」
ここまでは、私の未来に対する楽天的な大きな希望を皆様にお話ししましたが、これからは、一部の人たちが平和の到来を性急に考えている危険な動向についてお話ししようと思います。
たとえベルリンの壁は崩れたとはいえ、両陣営はいまだに途方もない困難を抱えています。自由世界の主導国家群は、膨大な物質的富を享有しながらも、道徳的な堕落の問題に直面しています。彼らは、湧き上がる物質主義の犠牲者であり、自由も時として濫用されています。特に西欧での無神論的な世俗主義の蔓延は、道徳的基準の没落をもたらしました。
その結果、西欧社会は、家庭の破綻、麻薬の常習的な服用、性犯罪および性病の蔓延、政府の無能力化といった深刻な社会悪に染まっています。端的に言って、東西が直面している問題は、究極的には同じ源泉、つまり価値観の混乱から来るものです。
共産主義は、マルクス主義の価値観が虚偽であることが立証されたために失敗しました。私が生涯をかけて常に、共産主義に対して熱烈に反対してきたことは既によく知られています。私が共産主義に反対した理由は、神様を否認し、闘争を通して進歩が達成されると信じることでは、決して理想社会を成功裏に建設できないことをよく知っていたからです。
直接的な生活経験を通じて私は、神様は真の方であられ、人生で最も大切なものは真の愛であることを確信するようになりました。そして人類の進歩は、人類が神様に仕え、愛を最も大切にするときに可能なのです。はっきりと申し上げれば、現在、共産主義や自由世界は共に、平和の二十一世紀へと人類を導く準備ができていません。
一九九〇年代を迎えて早急に必要なことは、自由世界と共産世界の価値観の崩壊によって発生した価値観の真空状態を満たすのは、真の価値観の確立です。この新しい価値観は、神様を中心とする世界観である「神主義」に基礎を置かなければなりません。全生涯を通じて私は、この神様を中心とした世界観に対する理解の幅を広げるために、すべての宗教、宗派の人たちと共に努力してきました。このような方法で、絶対的な価値観の探求と真の平和の樹立を目標とする広い基盤をもった多くの学術団体、および宗教団体を創設することができました。
私はまた、芸術機関はもちろん、教育機関と言論機関も設立しました。世界的な私たちの財団は、皆様のように真の世界平和を成し遂げようと努力する人たちを援助する準備が常にできています。真の世界平和は、万人が共有できるはっきりとした価値観なくしては達成できません。価値観が明確になるとき、人類はこれ以上暗黒の中にとどまることはなくなります。
「神主義」は、各個人をして自らの人生の意味と価値を明確に見つめることができるようにしてくれます。したがって、各個人は責任ある人生を送り、他人に奉仕し、自分の心霊的な喜びを追求できるようになります。正にこれが苦難の中の世界を救う究極的な解決策なのです。
言い換えれば、私たちの世界が救援されるために今日、必要なことは、劇的な霊的覚醒です。世界は、神様の実体の中に覚醒して入ってこなければならず、神様を肯定する原理に立脚した世界観をもたなければなりません。この世界観こそ、両陣営の価値観の混乱状態を除去してくれるものです。国家間の関係の本質も、このようなより崇高な価値観の覚醒に立脚して変わらなければなりません。
今まで経済発展の原動力は、利益を得ようとする欲求でした。これを原動力として、人間の途方もない潜在能力が啓発、発揮されたのであり、輝かしい世界発展が遂げられてきました。しかし、利益を得ようとする欲求は、すべての人々が神様の子女だという根本的な理解と均衡を取らなければなりません。
Thursday Aug 18, 2022
平和経 第309話
Thursday Aug 18, 2022
Thursday Aug 18, 2022
韓半島は人類文明の結実地
神様は韓国を愛されて、この地に全世界を代表する「総和文明」の結実体を成し遂げようとされているのです。人類文明は神様の摂理的なみ旨に従って、その次元を高めながら世界を一周し、ついにその結実を見ることになるのです。
人類の古代文明は大陸で発生しました。エジプトのナイル川河畔で胎動した文明は、半島文明へと変遷し、ギリシャ、イタリア半島で地中海文明圏を築きました。その半島文明は、再び島嶼文明に移り、島国イギリスを中心として大西洋文明圏を形成しました。ついにイギリスの島嶼文明は大西洋を渡り、アメリカ大陸において現代文明の奇跡を起こして太平洋文明圏を形成したのです。
しかし、歴史の流れはそこで終わりません。この文明圏は、太平洋を渡ってイギリスに相当する島国の日本で新しい島嶼文明の花を咲かせ、イタリア半島に該当するこの韓半島で、昔のローマ文明に相当する総和文明を成し遂げて、アジア大陸に連なる一つの世界を成し遂げ、新しい統一文明圏を形成しようとするのが神様のみ旨であることを私はよく知っています。
韓国は新しい時代の寵児であり、韓民族は神様がお選びになった民族です。韓国は神様が願われる新しい文明の揺籃です。ですから、世界文明の結実体として、神様の摂理を決定する国なのです。これは神様の愛する韓国人の誇りでなければなりません。
「統一思想」は統一世界を成し遂げる思想体系
偉大な子女を生むときには、まず陣痛が来るのは不可避なことです。韓国は今その陣痛期にあるのです。私たちが今受けている試練が正にそれです。神様はこの試練を通して私たちの底力と闘志と資格をテストし、陣痛を克服したのちの栄光の子女の出産を期待しておられるのです。
ですから、サタン側の強大国は、神側の韓国を欲し、狙っているのです。私たちはこのような試練に、神様を愛する信仰と希望で勝利しなければなりません。私たちが危機に瀕しても、その最も困難な逆境を克服して、共産主義に徹頭徹尾勝利するということは、今後、いずれ神様のみ旨である勝共による統一世界の構築において、韓国がその主導権を握るということです。それはまた韓国が世界の旗手になるということです。
そのためには、それにふさわしい思想と理念が絶対になければなりません。これが統一教会の主張です。韓国が生んだ宗教統一の「原理」が正にこれなのです。「勝共理念」が正にこれです。「統一思想」が正にこれなのです。
神様を父として侍るすべての宗教は、「神はいない」という不倶戴天の怨讐である共産主義に立ち向かうのです。統一の結束のもとに、愛と真理によって彼らに勝利し、誤りを悟らせ、最後は彼らを兄弟として受け入れなければなりません。このような「原理」に立脚した「勝共理念」は、共産主義を分析、批判し、それを克服できる確実な代案を提示しています。また「統一思想」は、今日の世界の様相をつくったすべての間違った哲学や主義思想を暴き、神様を中心として一致団結できる統一された思想体系です。
このような原理と理念と思想が韓国で生まれたのです。これがすなわち「神主義」です。神様を中心とし、神様に問い尋ねながら国を治めるのですから、与野の区別があってはいけません。すべての宗教人たちと良心のある人士たちは、誰彼を問わず政府と一体となり、「神主義」で悪魔の共産主義を退かせ、祖国の地と我が民族を統一する時が訪れたのです。その時が正に今この瞬間なのです!
東方の光となる韓国
苦労のあとに楽が訪れ、逆境の中から新たな道が開かれるものです。私たちはこの時に一度、天に侍る倍達民族(韓民族のこと)の底力を、遺憾なく満天下に発揮しましょう!あまりにも有名なインドの詩聖タゴールは、預言的な詩を次のように歌いました。
心には恐れがなく
頭は空高く上げられる所
知識は自由であり
狭い塀で分けられていない所
真理の深い所からみ言が湧いてくる所
絶え間ない努力が完成に向かい
両手を広げる所
知性の清い流れが
固まつた習慣の砂原においても道を失っていない所
無限に広がりゆく想いと行動で私の心が導かれる所
そのような自由の天国へと
我が父よ、我が国を目覚めさせたまえ
また、タゴールは日本統治下の韓国に対して次のような詩も詠んでいます。
かつてアジアの黄金時代に
灯火の一つだったコリア
その灯火が再び明かりを照らす日に
あなたは東方の明るい光となるであろう。
愛する同胞の皆様。韓国は遠からずして東方の光となって満天下を照らすでしょう。全世界の万民が天のお父様の治められる輝く大韓民国を祖国として侍る日が必ず来るでしょう。いや、既に来ているのです。
神様の名によって平和統一世界を成し遂げよう
皆様。韓国を信仰の祖国として、世界万邦に伸びゆく百二十ヵ国の統一信徒たちは、ただ、父なる神様の名のもとに、人種と国境と言語を超えた兄弟姉妹として一致団結し、神様の怨讐金日成主席と、天人共に許し難い悪魔的な共産主義打倒に全員、総進軍しましょう!
愛する自由韓国の兄弟姉妹の皆様!きょうの課題は何よりも、「共産主義」は人類の敵である以前に神様の不倶戴天の怨讐であることを悟ることです。ですから、きょう私たちは神様の名によって金日成主席を糾弾するのです。
神様は金日成主席の南侵を絶対に見逃さないことをはっきりと宣言いたします。そして、自由世界と韓国の名をもって、金日成主席と共産主義国家を打ち倒すために命懸けで闘いましょう!勝利するまで闘いましょう!
神様が共におられて永遠に守られる我が大韓民国の愛する同胞の皆様!私たちには天下に恐れるものがありません。強く大胆に、神様の名によって総和団結、勇敢に前進しましょう!
神様の地であるあの北朝鮮を再び取り戻す時まで、血肉を分け合った私たちの兄弟たちを再び取り戻す時まで、死を決する覚悟で闘いましょう!
神側の全世界の自由主義諸国は、サタン側の共産主義諸国を完全に解放させ、平和な統一世界を神様の名によって必ず成し遂げましょう!
神様は私たちの味方として闘われますので、勝利は必ず私たちのものです。
神様の名によって固く団結して総決起しましょう!
総進軍しましょう!総進撃しましょう!
ありがとうございました。
Thursday Aug 18, 2022
平和経 第308話
Thursday Aug 18, 2022
Thursday Aug 18, 2022
神様の名によって共産主義を打破しよう
きょう、世界六十ヵ国から集まってきた統一教会の信徒たちは、正にこのような決意のもとでその使命を果たすために、この意義深い広場で、神様と全世界の人々の名によって決起し、結束するのです。
統一教会は、このように「共産主義はほかでもない神様の不倶戴天の怨讐である」という信念で、自由世界の先鋒に立って、共産主義と闘う旗手、橋頭堡の役割を果たしてきました。神様のことを明らかに示す宗教、このような宗教は、共産主義に勝つことのできる真理と信念と思想を明確に悟らせるのです。
韓国において、すべての宗教人たちが解決すべき目標は平壌でなければなりません。共産主義の奴隷になった北朝鮮の同胞たちは、神様による解放を待っています。金日成主席の徒党は、南侵を目標にトンネルを掘ったのです。私たち宗教人たちは、より次元の高い自由統一のトンネルを平壌の真下まで掘り、愛と事情が通じる解放の日を必ずつくるのだという気概にあふれなければなりません。
あの平壌の真ん中に、神様の愛と真理の爆弾を爆発させるために、祈るだけでなく、闘わなければなりません。北朝鮮同胞千四百万は、今、神様の救いの手を切に待ち望んでいます。ですから、私たちのこの手が、正に神様の救いの手にならなければなりません。
旧約聖書を見ると、九尺の長身で槍と剣を持って立ちはだかる巨人ゴリアテに対して、少年ダビデはただ素手に石を持って闘う場面があります。きょう、私たちはそのダビデの叫び声を聞かなければなりません。
ダビデは「怨讐よ、私の石を受けてみよ」とは言いませんでした。「私はたとえ体が小さくとも力持ちだ。目に物見せてやる!」とも言いませんでした。ダビデは大きく叫んで、「わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう」(サムエル記上一七•四五)と言いました。そして、主の力によって、将軍ゴリアテを見事に倒してしまったのです。
私たちは金日成主席に立ち向かうときも、毛沢東主席を打ち破るときも、ソ連を打倒するときも、すべて神様の名によってしなければなりません。勝利は信念からのみ、もたらされるものです。私たちは、強く大胆な信念の陣を張りましょう!そして、神様の聖なる闘いのために命を懸けて最後まで闘いましょう!勝利は必ず私たちのものです。神様は私たちの味方であられます。
共産主義者たちの偽装された平和攻勢
皆様。また、私たちはきょう、共産主義の戦略をはっきりと知らなければなりません。ここに立った私は、誰よりも共産主義のことをよく知っていると言えるでしょう。私は解放後、北で布教している間、何度も共産党に命を奪われそうになりました。私は共産党に反動の罪を着せられ、一九四八年に興南の監獄に閉じ込められたのですが、その強制労働収容所というのは、政治犯や思想犯をじわじわと抹殺していく死刑場だったのです。
その鉄格子の中で三年近くの長い歳月を送り、一九五〇年に神様が派遣された国連軍によって解放されるまで、私は共産主義の真相を真底から知り尽くしてきたのです。私は彼らの戦略と策謀をあまりにもよく知っています。
一九三一年、ソ連共産党中央委員会の重要幹部だったドミトリー•マヌイリスキーが、レーニン政治戦略学校の核心党員たちに、次のように共産主義の基本戦略を説いたのです。「共産主義と資本主義との共存はあり得ない。今は、我々が攻撃するにはまだ早い。我々のチャンスは二十年ないし三十年後に来るであろう。勝利は必ず奇襲によってもたらされる。資本主義世界を何としても飽食させ、眠らせるのだ。そのための一番良い方法は、いまだかつてない平和攻勢を敷くことである。彼らは、何も知らずに太平聖代を謳歌し、話し合おうと言えば、どんなことにでもすぐに飛びついてくるであろう。このように資本主義国家は自ら墓穴を掘って協力してくれるであろう。我々は友のように偽装し、時間を稼ぐのである。そうするうちに彼らが油断している時に、我々は鉄拳で一撃を加え、一度に打ち倒すであろう」。
これが正に、レーニンが使ったソ連の赤化戦略であり、毛沢東主席の中国制覇の戦略であり、北べトナムがベトナムを制覇した戦略だったのです。彼らはみな成功しました。そして、これは虎視眈々と南侵を狙う北朝鮮の金日成主席の戦略なのです。しかし私たちは、この戦略に二度とだまされないでしょう。また、私たちは絶対に金日成主席に対して再び誤算を繰り返さないでしょう。私たちはきょう、金日成主席に私たちの実力を見せつけましょう!
統一聖徒は信仰の祖国韓国を死守する
祖国を愛する五千万の同胞たちは、命を懸けて祖国の領土を守るでしょう。私たちは絶対に一寸の土地も彼らに譲歩しないでしょう。そしてまた、私たちには強力な友邦がいます。アメリカが正にそのような友邦国であり、日本がまたそのような友邦国です。「天は自ら助くる者を助く」と言われるように、私たちが神様の名によって金日成主席を糾弾し、神様の名によってこの地を守るとき、私たちは第二のベトナムになることは絶対にないのです。
それだけではありません。北朝鮮の金日成主席が知らなければならないもう一つの力が、きょうこの五•一六広場の救国世界大会において示されています。韓国と韓国国民が知らなければならない、そして信じられるいま一つの大きな友がいます。それは韓国を自分たちの信仰の祖国として信じている世界の統一教会の信徒たちです。
彼らは徹頭徹尾、勝共主義者たちであり、絶対的に韓国を愛する若者たちです。彼らは果たしてどの程度韓国を愛するでしょうか。彼らが韓国を愛することは宗教的な信念によるものなので、韓国は彼らにとって信仰の祖国、聖域となるのです。
篤実な信仰者にとって、自分の聖域が侵されるということは、取りも直さず自分の体と自分の家が侵されることと同じ痛みを感じるのです。これは正に世界の統一信徒たちは、韓国を自分の体のように愛するということなのです。ですから、信仰の祖国である韓国を守ることは、世界の統一信徒たちの信条です。ですから、もし韓国が北朝鮮から侵略を受けたときに、信仰の祖国、聖域である韓国を共産主義の魔の手から守ることは、世界の統一信徒たちの神聖な義務なのです。
皆様。きょうここに参加した六十ヵ国の代表者千人の人たちは、このように命懸けで韓国を守ってくれる、韓国に最も近い、そして固い信念で結ばれた救国同志たちです。彼ら世界代表たちはこの歴史的な広場で、有事の際、すなわち北朝鮮が大韓民国に対して武力侵略を敢行するときには、信仰の祖国である韓国を死守することが神様のみ旨であると信じ、世界統一十字軍を編成し、義勇軍として参戦し、韓国と自由世界を守護することを決意するでしょう。
神様が愛する国、韓国
「東海の水が乾き、白頭山が擦り減るまで、神が守り給う我が国、万歳」。私たちは解放以来ずっとこの「愛国歌」を歌ってきました。実にこの「愛国歌」は我が民族に下された神様の啓示だったのです。「大韓民国万歳」は、ただ神様がお守りになってこそ成し遂げられるものとして啓示されたのです。
神様は大韓民国を最も愛しておられます。檀君聖祖以来、あらゆる風霜を経ながら他の国を一度も侵略したことがなく、強大国の間にはさまれながらも、単一民族のその正しい気風と伝統を守るようにしてくださった神様!国を奪われた私たちに、感激の八•一五解放をもたらしてくださった神様!六・二五動乱の際、ベトナムのように滅びるほかなかった韓国を、十六ヵ国を動員して守ってくださった神様!
一九六一年、国民の和合が揺れ動き、またもやこの国が共産侵略の危機の中にあったとき、強力で献身的な新しい指導者として現大統領を立てられ、この国の綱紀を立ててくださった神様!アジアで責任を果たすことができずに、ベトナムとカンボジアから後退するアメリカを覚醒させて韓国を再び守らせ給う神様!
今度はこの地に統一教会の名により、新しい真理運動と精神運動を立てられ、早くから世界に跳躍させ、今我が祖国がもう一度危機に瀕すると、六十ヵ国の統一教会の熱血青年たちを動員してこの地に送られ、有事の際には水火も辞さずにこの地を死守させようとされる神様!韓国において世界的な決戦のために、第一次世界大戦や第二次世界大戦の時のように、北朝鮮、中共、ソ連と韓国、日本、アメリカを対決させ、神様とサタンの最後の決戦を私たちの側に勝利させようとされる神様!その神様の特別な恵みと保護のもとで、私たちはきょう勇気を出して、総決起しなければなりません。
Thursday Aug 18, 2022
平和経 第307話
Thursday Aug 18, 2022
Thursday Aug 18, 2022
第八篇 韓国統一と世界平和
1. 世界の中の韓国
1.世界の中の韓国
日付:一九七五年六月七日
場所:韓国、ソウル、汝矣島広場
行事:救国世界大会
敬愛する同胞の皆様。この場に参加された内外の貴賓、そして六十ヵ国から集まってこられた世界の統一教会信徒の皆様。この五•一六広場(汝矣島広場)は歴史的な場所です。この歴史的な広場で、きょうまた一つの歴史がつくられる救国世界大会に御参加されました皆様に、厚く感謝申し上げます。
救国世界大会の意義
きょう、一九七五年六月七日は、私にとっても、また神様にとっても、歴史的な宣布の日となります。これまで、一つになるこの広場では、インドシナ事変に乗じて、虎視眈々と再び南侵を狙う北朝鮮の金日成主席を糾弾する大会が行われ、人々の喊声は既に天に達し、全天地を揺れ動かしました。安保総力のための決起大会も幾度かありました。
しかし、この救国世界大会は、二つの意味から唯一無二の歴史的な大会となるのです。その一つは、きょうのこの集まりが、国民の名と人類の名だけではなく、神様の名によって、北朝鮮の金日成主席を糾弾する大会なのです。そして二つ目は、この大会が、大韓民国の人だけが集い、韓国の自由と韓国主権の守護を決意するものではなく、人種、血統、言語、風習が異なる世界万邦を代表して、六十ヵ国から集まった一千人以上の代表たちが、ここに席を共にして、自由の韓国と全世界の守護を決意する世界的大会なのです。
この救国世界大会は、全世界が決起して韓国の自由守護のための決意を満天下に誇示する世界的祭典です。この世界大会の目的は、カンボジアとベトナムの赤化によって引き起こされた祖国の緊迫した情勢の前に、内的には、祖国安保の次元の高い実力を誇示して祖国を死守しようとする五千万韓国国民を総団結させ、外的には、世界の人々の行くべき方向と座標を立てようとするところにあるのです。
そしてその結果として、北朝鮮の金日成主席に対し、軽挙妄動して六•二五動乱のような誤算と悲劇を再び招かないよう糾弾し、自粛するよう警告するところに、その意義があります。
共産主義は人類の怨讐である以前に神様の怨讐
皆様。共産主義とは何でしょうか。私たちは、共産主義が一九一七年、ボルシェビキ革命から始まり、過去半世紀の間に世界の半分を襲いながら、人類に対して犯してきた残虐無道な蛮行と罪悪の様相をあまりにもよく知っています。共産主義は恐ろしい悪魔の哲学であり、その実践は恐怖に満ちた犯罪と破壊力をもっています。
そして私たち韓国人は、世界中の誰よりも、彼らが敢行した犯罪の被害者として、彼らの悪辣さを体験したため、骨身にしみて知っているのです。私たちは、共産主義のゆえに誰よりも大きな犠牲を払った民族です。そしてこの瞬間にも、あの北方では千四百万の同胞たちが、悪の頭、共産主義の供え物となっているのです。しかし共産主義の犯罪は、これに尽きるものではありません。
きょう、私たちは共産主義を糾弾し、地上からその罪悪を一掃しなければならない、もう一つの重大な新たな理由を発見しました。それは共産主義が人類の敵である以前に、神様の敵だということです。共産主義は、政治や経済の思想体系である以前に、無神論に立脚した一つの宗教形態なのです。なぜならば、共産主義は人間の考えや哲学や行動を完全に支配するからです。それはただ宗教のみがもつことのできる力です。ところが、この共産主義は「神はいない」と語る宗教です。そして「神はいない」と言うだけではなく、その主義自体が、人間の思考や哲学や行動の中に、神様の代わりに登場し、人間を奴隷や機械のように扱っています。ですから、共産主義は、神様に挑戦する、許すことのできない怨讐です。神様をこの地上から抹殺してしまおうとする悪魔の宗教なのです。共産主義がこの地球上を完全に支配するということは、神様がこの地球上から完全に追放されるということであり、それは民主主義や自由世界の敗北である以前に、神様の敗北を意味するのです。ですから、共産主義は人類の怨讐である以前に神様の怨讐となるのです。
しかし、全知全能の神様は敗北者にはなり得ません。また、共産主義の地上制覇を傍観される神様でもありません。ですから、きょうこの大会で私たちは、「神はいない」と主張する悪の宗教、共産主義に対して、「神はいる」と主張する統一教会をはじめとする多くの善の宗教によって勝利することを、はっきりと覚醒しなければなりません。神様を殺そうとする不倶戴天の怨讐、共産主義は、神様を父と呼ぶ統一教会員とすべての宗教人たちが孝と誠と信念をもって撃退しなければならないことを、厳粛に宣言する次第です。
ですから、私たちすべての信仰者はもちろん、統一教会員たちは、勝共戦線の最前線に召された神様の闘士であり、神様とサタンの闘いにおいて先頭に立った大将であり、旗手であることをはっきりと知らなければなりません。武力にばかり頼っていては、決して共産主義に勝つことはできません。人間の固い信念は、武力や原子爆弾では到底打ち壊すことができないからです。
共産主義を倒す神様の闘い
偽りに勝つ力は、真の真理と信念と理想です。誤った共産主義の妄想に勝つことのできる力は、ただ真に立脚した次元の高い、いま一つの精神的信念と思想なのです。
今日、私たちは国力を養わなければなりません。防備し得る武力も備えなければなりません。堅固な陣を張らなければなりません。しかし、それよりも重要なことは、真理で武装することであり、固い信念と思想で精神武装することです。私たちは、「神はいる」という思想で武装しなければならず、天のお父様のみ旨を行うために命も惜しまないという信念と決意で精神武装されなければなりません。共産主義者たちの誤った信念と思想は、より強い真の信念と思想によってのみ勝利できるのです。
「神はいない」とする真っ赤なうその思想は、神様が厳然として存在されることを示すことのできる真の思想だけが滅ぼすことができるのであり、偽りの上に立った共産主義思想は、その偽りが白日のもとに暴露されるとき、完全に砕かれてしまうのです。これが、私たち統一教会員とすべての宗教人と全世界の人々が果たすべき至上課題です。そして、これが共産主義の根を絶やし、共産主義に完全に勝利する方法なのです。
今日、この世界では「神はいる」という思想と「神はいない」という思想が対決しています。一つは物質を中心とする世界であり、もう一つは精神を主とする世界です。「神はいる」という世界は神側であり、「神はいない」という世界はサタン側です。この二つの世界が衝突するとき、その結果は神様の存亡を決定するのです。ですから、共産主義を倒すこの闘いは、すなわち神様の闘いとなるのです。
この二つの世界の力の対決が、今韓国において熾烈に起きています。韓国は、世界の相反する二つの理念が衝突しようとする決戦の場なのです。韓国の自由守護は、韓国だけのためではなく、自由民主陣営の永遠の自由を守護するものであり、さらには、神様に勝利をもたらすものです。これが正に、自由を守護するためにこのように世界の人々、自由愛護の烈士たちが決起しなければならない理由となるのです。
自由世界の人々にとって、韓国の安保は他人事ではありません。これが自由世界の存亡に直結するものであり、自由世界の安保はすなわち神様の安保となるからです。ですから、韓国の自由守護のために六•二五動乱の時も、神様は十六ヵ国の人々を送られ、血を流してまでもこの地を守らせたのですが、今回もしも北朝鮮が再び南侵してくるならば、十六ヵ国でなく、六十ヵ国の熱血青年たちが血を流してでもこの地を死守しようとするのです。
Tuesday Aug 16, 2022
平和経 第313話
Tuesday Aug 16, 2022
Tuesday Aug 16, 2022
韓国は苦難の中で選ばれた国
韓国の五千年の歴史は、苦難と試練の歴史でした。韓国は長い間、貧しく、外国勢力から苦しめられる中で涙の味を知り、悲しみの味を知る民族でした。苦難の歴史の中で試練に遭ってきた韓国の事情は、堕落した人類、すなわち、死んだ子女を見て嘆息される神様の事情と同じでした。韓国人は涙の味を知っています。ですから、涙の神様を理解できるのです。韓国人は古くから悲劇を好みました。それが、堕落という悲劇を体験した神様に同情できる資格なのです。諺に、「やもめの心情はやもめが知る」という言葉があります。私たちは、喜びと栄光の中に権勢を享有される神様であると思っていましたが、その神様は、実は子女を失って涙を流される、悲痛で孤独な父だったのです。その神様の心情を慰労する真の孝子となることを信じ、神様は私たちを捜し求めてこられたのです。
韓国人は古くから、忠孝の志操が強い民族です。国軍の日を迎え、五•一六広場に招待され、国軍の威容を見て心温まる思いがしました。その国軍の勇士たちが査閲台の前を過ぎるときに叫ぶ「忠孝」という掛け声は、本当に印象的でした。神様に選ばれた民族として叫ぶこの掛け声は、あまりにも啓示的でした。世界のいかなる国でも、このような掛け声を叫ぶ軍人はいないでしょう。
韓国は最終的に、神様に忠誠を尽くし、孝の道を尽くす民族であるがゆえに、その忠孝精神が今日、国家の中心思想になったのです。沈清(シムチョン)の親に尽くす哀切な孝、春香(チュニャン)の夫のための志操、鄭夢周(チョンモンヂュ)の王に仕える忠誠、柳寛順の殉国精神といった忠孝の志操は、古今東西、どこにも類例を見ない韓民族の魂です。このような忠孝精神と不変の志操は、今後成し遂げられる地上天国の中枢的な思想と精神になるのです。天国は神様の国なので、その国のために永遠に忠誠を尽くさなければならず、神様は人類の父なので、その父に永遠に孝の道を歩まなければなりません。世界の数多くの民族をいかに試験してみても、韓国のように、その忠孝の熱と志操の強い国はないので、神様は韓国をお選びなって訪ねてこられたのです。
また韓国は、平和を愛好する白衣民族です。私たちは一度も侵犯したことのない人々です。このような平和愛好の民族が、五千年の固有の歴史を抱いて耐え忍んできたこと自体が、奇跡であると言わざるを得ません。これは、ただ神様の保護のもとにのみ可能だったのです。俗に言えば、私たちは神様を背景にもつ民族なのです。
五千年の歴史において、様々な強大国が、何度も私たちをのみ込みましたが、そのたびに消化不良を起こさなかった国はありませんでした。食べたら、必ず吐き出さなければなりませんでした。
これは誰の力でしょうか。神様の力でした。八月十五日の解放は、誰がもたらしてくださったのでしょうか。神様の力でした。六•二五動乱のとき、共産軍の南侵を防いでくれたのは誰の力でしょうか。神様の力でした。六・二五動乱当時、アメリカのトルーマン大統領の決心が三日遅かっただけでも、私たちは釜山の海に追い込まれて飛び込んでいたでしょう。
韓国動乱のとき、国連軍の派兵は、国連安全保障理事会においてソ連の拒否権があるので、絶対不可能なことでした。ところが、韓国派兵問題を討議するときに、ソ連代表は欠席したのです。その隙に派兵案は、一瀉(いっしゃ)千里で可決されました。国連外交史では、その時なぜソ連代表が欠席したのか、今なお誰にも分かりません。それは、誰がそのようにしたのでしょうか。神様の力だったのです。
私たちが究極的に始めるべき新しい愛の運動
韓国は、神様の特別な保護がある限り、誰が攻めてこようと指一本触れることもできません。韓国を害そうとする勢力は、神様の力によって一つ一つ敗れ去っていきます。今回、アメリカの議会で韓国を潰そうとするフレーザー議員の敗北は、その良い例です。
皆様。我が祖国韓国は、新しい時代の先駆者であり、神様の寵児です。私たちは、長い間の苦労の末に、新しい時代の王者として登場する時が来ました。このとき、私たちは悟らなければなりません。神様が韓民族を召命されたのは、韓国のみを良くするためではありません。世界を救援するために召命されたのです。韓国は、世界の救援摂理のために召命された国であることを悟らなければなりません。私たちは神様に召命されたので、神様の世界の救援摂理のために、誰よりも一番先に、自分を犠牲にできる愛の王者にならなければなりません。私たちが、神様のみ旨のために死ぬことは、すなわち生きることであり、苦労することは、すなわち栄光の位置に登る道です。イエス様が「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失ものは、保つのである」(ルカ一七•三三)と言われた意味が、正にこのことだったのです。
韓国のセマウル運動は、歴史に輝く民族の自立、更生の金字塔です。これは檀君以来、その類例を見ない課業であり、世界のどの国の歴史にも、これに匹敵する記録がありません。我が国の工業発展は、戦後の日本やドイツの復興をも凌駕する記録です。加えて、このような急速な成長を、虎視眈々と南侵を狙う北朝鮮の金日成主席の目前において成し遂げたということは、大きな意義があります。
アメリカ人たちは、私に対して、朴正熙大統領と何か密接な関係がないかと罪を着せようとしていますが、それはばかげたことです。私は、朴大統領と一度も会ったことのない人間です。しかし、成功しているのを見て、よくやっていると言うことができないのであれば、それは義人の道理ではありません。朴大統領は、この重要な時期に天が遣わされた指導者であると私は確信します。この方でなければ、我が祖国の復興は言うまでもなく、金日成主席の赤化野望から、もちこたえることさえ難しかったと私は思います。
天がこの歴史的な時点に、このような指導者を立てて、我が祖国を急速に復興させたのには理由があります。今や、韓国が新しい精神文明の発祥地となり、世界を指導して、世界に雄飛する時が来たので、その韓国が今後は、もうこれ以上苦難の中に貧しく苦しんでいてはいけないからです。いわば神様は、韓国をこれから全権特命大使として世界に送ろうとされるのですが、その大使を、ぼろぼろの雑巾のような服を着せて送り出すことはできないのです。礼服を着せて、世界の前に立たせようというのが神様のみ旨です。韓国は名実共に、世界の指導者像を備えなければなりません。これから韓国は、どの面から見ても世界各国において模範となり、羡望の的となり、彼らから尊敬を受けなければなりません。
韓国のセマウル(新しい村)運動は、「我々も一度良い暮らしをしてみよう!」という段階で止まってはいけません。韓国のセマウル運動は、世界を良い暮らしができるようにする運動に昇華されなければなりません。そのようなセマウル運動が、セマウム(新しい心)運動へと前進したことは、あまりにも神様のみ旨にかなったことです。セマウル運動が自分の体をよく生かす運動だとするなら、セマウム運動は自分の霊魂をよく活かす運動だからです。そして、このセマウム運動は、忠孝精神を中枢としたものなので、セマウム運動が世界に伸びていくとき、世界は私たちから真の忠孝精神を学ぶでしょう。このセマウム運動も、さらに一段階、前進しなければなりません。
私たちが究極的に始めようとする運動は、セサラン(新しい愛)運動です。セサラン運動は、神様を父として愛し、隣人を自分の体のように愛する運動です。新しい愛の極致は犠牲です。神様と世界と国と同胞のために犠牲となる運動に昇華されなければなりません。イエス•キリストの究極的な教えがこれでした。しかし、キリスト教の歴史は、このセサラン運動をするところでいつも失敗しました。自分だけ生き、自分だけのためにする運動は必ず滅びます。自分を犠牲にして相手を生かす運動こそが、永遠に残るのです。イスラエル選民たちには、正にこのような悟りがなかったので、イエス•キリストを十字架にかけてしまいました。キリスト教の全盛期を享有したローマは、自分を中心とした利己主義に翻弄されるとき、その帝国も内部から崩壊してしまったのです。
神様の召命を受けた祖国であることを悟ろう
ある時期、神様はイギリスを祝福されました。その当時イギリスは、その領土に「日の沈むことがない」と言われるほど、その威勢が全世界に広がっていました。しかし、彼らが神様の真の祝福のみ旨を忘れ、世界植民地政策が自己中心になったとき、イギリスは秋の落葉のように衰退しました。彼らも、セサラン運動ができなかったことで衰退したのです。
今日、アメリカも、ローマ帝国などを羡むことがないほどの権勢と祝福を享有しています。彼らも二百年間、セマウル運動もよくやり、セマウム運動もよくやりました。しかし、「終わりの日」に、世界のために犠牲となるこのセサラン運動ができなければ、アメリカの将来は暗澹たるものでしょう。韓国も、この神様の原理から逃れることはできません。私たちが究極的に出ていく道は、セサラン運動です。自分を犠牲にし、自分の国を犠牲にしてでも共産主義を防いで、良い暮らしができる世界にしようとする犠牲的な愛に燃えなければ、私たちもまた、一度は良い暮らしをしたとしても、今の先進国が滅んでいくその落とし穴に共に陥ることになるでしょう。
統一教会は今、そのセサラン運動を五大洋六大州、百二十ヵ国に広げているのです。そしてこの運動は、神様が共にされる運動となるでしょう。この運動によって、名実共に五色人種が一つの兄弟となる理想が実践されています。そして、統一教会が導くセサラン運動の故郷は、我が祖国、大韓民国なのです。
「私の愛する祖国よ、輝け!お前はついに神様の召命を受けたのだ!世界を生かすセサラン運動の本郷になったのだ!」。これが本日の朝、皆様に申し上げる私の証言のすべてです。
私たち韓民族の急務は、自覚です。悟ることです。私たちは悟らなければなりません。私たちは神様から召命を受けたことを悟らなければなりません。私たちが選民であることを悟らなければなりません。自分だけが良い暮らしをするための選民ではなく、世界が良い暮らしができるようにする選民であることを悟らなければなりません。この使命を悟り、一致団結してこのことを実践するとき、神様の祝福は永遠に私たちの祖国と共にあり、私たちは神様の王子となる立場で新しい時代の先駆者となり、祖国の栄光も永遠無窮となるでしょう。最後に皆様の御家庭と社会生活に、そして大韓民国と指導者の皆様に、万福が臨むことを祈りながら、きょうの朝のお話を終わりにしようと思います。ありがとうございました。
Tuesday Aug 16, 2022
平和経 第312話
Tuesday Aug 16, 2022
Tuesday Aug 16, 2022
アメリカで起こる不吉な徴候
ところが、そのアメリカは、一九四五年の第二次世界大戦の勝利から今日に至るまで、神様の本然のみ旨を離脱していく不吉な徴候が見えており、これは甚だ恐ろしいことであると言わざるを得ません。私はアメリカを愛するがゆえに、このことを語るのです。次の話は、アメリカの国会議員たちが集まった講演会において語ったことです。誰かがアメリカを悟らせなければならないので、この話をしました。
第一に、二度の世界大戦を勝利に導いたのは神様であり、またアメリカをして世界国家型である国連を編成させたのも、神様のみ旨でした。神様のみ旨から見れば、本来、国連はキリスト教精神を中心とした世界の国々が結束する本営にならなければなりませんでした。共産主義国家を含む国連は、絶対に神様のみ旨ではありませんでした。
またアメリカは、戦勝後、戦後処理を誤りました。第二次世界大戦に勝利した連合国と敗戦した同盟国家が統治した国々まで正しく保護し、天のものとして管理する責任がアメリカにありました。万一、アメリカが神様のみ旨をはっきりと知っていたら、サタン側国家であるソ連を堂々と制圧して、世界万邦の自由国家を集めて民主世界に結束させ、神様のみ旨の中で全世界を復帰できる良い機会だったのです。しかし、アメリカは、アジア諸国と東欧衛星国家を共産側に渡してしまい、韓国とドイツを両断させる悲劇を招いてしまったのです。
第二次世界大戦の勝利は、神様が、自由世界の版図を広げて共産主義を制圧できるよう祝福されたものだったのですが、結果的にアメリカは、若者たちの血の犠牲を無駄にして、神様を否定する不俱戴天の怨讐である共産主義世界を有利にしただけでした。若者たちの怨恨と血の訴えが、今もやんでいません。のみならずアメリカは、自由陣営を守護しなければならない聖職から後退することによって、ベトナムのようにアメリカの保護下にあった国々を、一朝にして共産圏に供え物として渡してしまったのです。これによってアメリカの国際的威信は地に落ち、恨みの声は日に日に高まっていきます。
今日国連は、その本然の機能を喪失したまま、共産主義国家の宣伝の舞台となっています。アメリカでは、様々な尋常でないことが日ごとに増えています。白人と黒人の人種問題が正にそれであり、若者たちを腐敗させる麻薬問題がそれです。青少年の淪落と家庭の破錠、そして日ごとに激増する暴力犯罪など、それらのどれ一つをとってみても、深刻でないものはありません。その中で浸透してくる共産主義の問題は、最も致命的な打撃です。極度の個人的な人生観と価値観によって肉的享楽に飛び込んでいくアメリカの現社会において、このままでは神様は間違いなく離れ、アメリカが神様の願いと希望と計画を失敗に導くことは、火を見るより明らかです。
この時点で、神様はどうされるでしょうか。神様は、このアメリカの現実を如実に見ておられます。ですから、神様はアメリカがこのようになることを予想されていた、と言っても過言ではありません。物質文明を中心とする西欧文明が、今日のアメリカのような事態を引き起こすことは、必然的な結果であると言えます。物質文明は、どこまでも体であって、心ではありません。今日のアメリカが神様の造られた体とすれば、この体に注入する心は、本来、東洋から起こすことを計画された神様です。そして、東洋の心と西洋の体が合わさって一つになるとき、初めて世界は欠点のない人の役目を果たせるように設計されました。今、西欧文明は一大心情革命、あるいは精神革命を待っています。しかし、この精神的革命は、西欧社会では期待できない立場です。これは必ず、東洋から起こらなければなりません。
ここでしばらく、イギリスの碩学アーノルド•トインビー博士の予言について触れてみることにします。彼は有名な歴史家であると同時に哲学者です。彼の透徹した歴史観はあまりに鋭く未来を見通すため、彼は歴史家の領域を脱し、一人の預言者とまでみなされ、尊敬を受けた人です。トインビー博士は、驚くべき予言をしました。「キリスト教を中心とする西欧文明は、今、その滅亡の直前にさしかかった」と、西欧文明の没落を予言したのです。そして彼はまた、次のように言いました。「歴史の目的は文明の発達にあるのではなく、文明の興亡は、実は高等宗教の出現のための手段である」と。言い換えれば、トインビー博士は、「歴史の流れにおいて、歴史の目的は文明を発展させることにあるのではなく、文明はあくまでも手段であり、むしろ宗教の進歩発展こそが歴史の真の目的である」と言ったのです。そして彼は、「没落する西欧文明を救い出す新しい高等宗教は、東洋から湧きいずる」と言いました。「光は東方より!」この言葉は、トインビー博士の有名な予言です。
韓国から上がる新しい宗教理念の烽火
きょうの朝、革命的な発言になるかもしれませんが、私は、トィンビー博士が言われるその「光」、すなわち世界を生かすことのできる新しい宗教理念は、韓国から出現すると躊躇なく宣言する次第です。その精神革命の烽火は既に韓国から上がり、世界に向かって赤々と燃えています。既に西欧文明の中に飛び火して、超国家、超民族的次元で、数十万の若者たちの胸に火がともりました。彼らには、新しい価値観と新しい人生観が打ち込まれました。徹底した道徳革命が起こっています。世界人類救援のための犠牲的な奉仕が実践されています。その精神革命の烽火が、すなわち統一教会運動なのです。
この精神革命がしっかりとアメリカの物質文明と接ぎ木されれば、心と体が出会うことになります。その瞬間から、アメリカは心と出会うので望みがあり、韓国は体と出会うので望みがあります。さらに韓国とアメリカが一体となって世界救援運動に携わるとき、世界には望みがあるのです。この精神革命の力は、共産主羲に打ち勝つことのできる力です。この精神革命の衝撃がいかに大きいか、次のような実例を挙げて申し上げましょう。
アメリカで多くの物議を醸した私に対する非難の焦点は、アメリカの若者たちを洗脳するということでした。私たちの精神運動の衝撃があまりにも大きいので、賢いアメリカ人たちは私に、「自分たちを洗脳している」と言うのではないでしょうか。私は一九七五年十二月十八日、アメリカの下院議員たちの前で講演したとき、このように言いました。「賢明な議員の皆様に一言質問いたします。アメリカ人たちは韓国から来たこの人、いつも通訳をおいて説教するこのレバレンド•ムーンに洗脳されるほど、愚かな人たちですか」。私のこの言葉に、議員たちは名答を得たということでした。
アメリカの統一教会内に密かに侵入した一人の新聞記者は、統一教会の棚の隅々をくまなく探し、レバレンド•ムーンが洗脳工作に使う薬の瓶を探すのに血眼になったそうです。何か薬を飲ませて洗脳しているものと思ったようです。そのうち、彼は一和の高麗人蔘茶の瓶を見つけたのです。「ああ、これだ!」と言って持っていったのですが、いくら飲んでみても、何の精神的な変化も起こらず、気分だけが良かったそうです。
アメリカの青年たちは、私が持っていった何かの薬を飲んで洗脳されたわけではなく、神様が私に下さったみ言を聞いて、人格革命が起こるのです。韓国の地を通して神様が下さった新しいみ言は、一度聞けば人格革命が起こります。極めて利己主義的なアメリカ人たちが、世界のために犠牲になろうと立ち上がります。麻薬の奴隷から解放されます。淫乱の過去から解放されます。父母には孝行、国には忠誠、神様には生命を捧げて奉仕しようとする、高潔な人格者となっていくのです。のみならず、彼らは、共産主義を神様の怨讐として認め、共産主義と闘おうという信念が、この世のどの信念よりも強く燃えるようになります。
なぜ神様は、この世を救援しようとする最終理念を、私たちの祖国大韓民国を通して現すのでしょうか。「終わりの日」にこのような選ばれた国になったのは、韓国にいかなる資格があるからなのでしょうか。一言で言えば、韓民族は神様の事情を知り得る民族だからです。歴史上において、神様が喜びの方ではなく、悲しみの帝王であられることを、知る人がいませんでした。神様は、創世の時から子女を失った父母でした。いかに帝王であろうとも、子女を失った父母は悲惨でかわいそうです。歴史の中におられる神様は、かわいそうな父でした。そのかわいそうな父にとって、最大の孝行息子は、その父の痛みと悲しみを身代わりする息子です。韓民族は正にそのような立場で選ばれたのです。
Monday Aug 15, 2022
平和経 第311話
Monday Aug 15, 2022
Monday Aug 15, 2022
メシヤの再臨のための第二イスラエル
それでは、神様は過去二千年間、どのような歴史をつくってこられたのでしょうか。そして、新しい歴史の糸口はどのように解けるのでしょうか。神様が第二のメシヤを遣わす前にまずされることは、もう一つの選民を起こすことです。基礎がなくては家を建てることができないのと同様に、選民という基盤なしに、メシヤを遺わすことはできません。ですから、イエス•キリストの降臨の前に、神様はイスラエルという選民を準備されたのです。
結論的に申し上げるなら、新たに来られるメシヤを迎えるために世界的選民として築いた土台が、すなわち今日、世界的版図をもつキリスト教です。ベツレヘムの馬屋で生まれたイエス様の教えは、これまで二千年の歳月が流れる中で、世界的な宗教となりました。これはどこまでも、再臨という一時を望みながら世界的な選民を造成しようとされる神様の摂理から来た結果なのです。
今日のキリスト教徒の使命は、神様がメシヤを再び遣わされるとき、そのメシヤを歓迎して、彼に侍ることです。二千年前のイスラエル選民たちのように、絶対に彼を再び十字架につけてはならないのです。今日、キリスト教は名実共に第二イスラエルの位置に立ちました。
それのみならず、神様には、メシヤを再び遣わす前に必ず成就しなければならない、二つの重要な宿題がありました。その一つは、高度な物質文明の発達です。神様のみ旨が成就するということは、すなわち地上天国が成就するということですが、それは霊的な天国だけを意味するのではなく、肉的天国、または物質的楽園をも意味するのです。ですから、メシヤの降臨とともに成就される高度な精神文明を入れる器、いわば高度な物質文明の世界を準備する必要がありました。さらに、神様の理想では、世界が一つの国なので、その世界が科学の発達によって、交通と通信手段が高度に発達し、全人類が一日生活圏内に暮らすということは、地上天国の建設においてこの上なく重要な要素です。これは統一世界文化の創造に必要不可欠な条件です。ですから、イギリスで起こった産業革命を始発点として、わずか数世紀の間に高度な物質文明を成し遂げたことは、神様の設計図の中に計画されていたことなのです。最近、アポロ十一号の月面着陸を全世界の人類が同時にテレビを通して見たこと自体が、今日、人類が共同生活圏内に住んでおり、神様の時が満ちたことを意味するのです。
神様が準備されたもう一つのことは、メシヤが降臨できる環境を造成することです。これはどんなことでしょうか。それは、みだりに人を捕らえて命を奪うことができない法治制度の創建のことをいうのです。イエス様の時代では、人の命は権力者の前でははえの命のようなものでした。イエス様は、為政者や権力者たちが願えば、いつでもはえを取るように捕まえて命を奪ことができた、無法天地の制度下に生まれました。根本的な人間革命を叫んだ革新的なイエス様のみ言は、その社会制度のもとでは容認されませんでした。イエス様が十字架につけられたことは、当時の制度下においては避けられない事情だったと言えます。これをよく御存じであられる神様は、メシヤが再び来る再臨の時に何よりも必要なことは、人々をみだりに捕まえて命を奪うことができない法治制度であることを知っておられたのです。
このために、二千年間、汗水流して準備された制度が今日の民主主義です。民主主義は人権を尊重する制度です。民主主義というのは、少数派も多数派の中に混じって生き残ることができる制度です。民主主義は自由を保障する制度です。その自由とは、すなわち言論、宗教、結社、出版、集会の自由です。
その民主主義の代表と見ることのできるアメリカの憲法を見れば、自由の中で最も絶対視する自由が宗教の自由であり、アメリカ議会と政府は、宗教を規制するいかなる法もつくることができないようになっています。この制度は、たとえ神様の息子が再び現れて革命的な布教をしたとしても、彼がそのことによって再び十字架にかからずに生き残ることができるようにするための制度なのです。これは神様が再臨の日のために努めて準備された制度です。ですから、身近な例を挙げれば、革命的な新しい真理を伝える統一教会が、いくらアメリカ人たちの気分を多少害するとしても、今日のアメリカのもつ法と制度によっては、これを十字架にかけることができないのです。
アメリカは神様の摂理の中心国家
そして、いざ再臨の時が近づいてくれば、神様は第二イスラエルの世界的版図の中から、神様が中心となるキリスト教国家をお選びになる必要があります。これは、どういうことでしょうか。神様が成し遂げようとされる究極の地上天国の理念は、この地上に実際に成就する理想なので、ある中心点から出発して、漸次世界へと波及しなければなりません。いわば標本となる国家がなければならないということです。そしてさらに、言うまでもなく、終末にその中心的な神様の摂理を十分に担うことのできる国として、かなり以前から予定され、その予定に従って選ばれた国が、すなわちアメリカなのです。
今しばらく、アメリカの国家の形成過程を探ってみることにしましょう。アメリカ大陸は、あのように途方もない大陸でありながらも、一五〇〇年代までは発見されないまま放置されていた大陸です。これは「終わりの日」に、神様が特別に使おうと密かに隠しておいたものと解釈することができます。またアメリカは、その国家形成が移民によってできた国です。言い換えれば、アメリカは主人のいない国でした。原住民であるインディアンがいましたが、インディアンは主人の役割を果たせませんでした。結局、主人がいないということは、神様が主人なのです。ですから、神様がお選びになった特別な人々だけが行き、住むようになった国です。
ヨーロッパ大陸ではアメリカを新天地と呼び、最初に新天地に望みを抱いて移民した人々は、すなわち、信仰の自由を求め、神様に侍るためにやって来た人々でした。旧時代の圧政下において完全に望みを失ってしまい、「仮に大西洋の海で命を失ったとしても、ただひたすらに神様に心ゆくまで侍ることのできる所に行こう」と言って、悲壮な心で出発し、メイフラワー号という帆船に乗り、五十七日間の難航海の末に、アメリカのニューイングランド地方に上陸したのが、すなわちアメリカの先祖である清教徒たちでした。
彼らは航海中に多くの犠牲者を出し、上陸して初めの冬を越すときに、またその半分が犠牲となりました。彼らは、神様と信仰を、命よりも大切にした人々でした。彼らが間もなくアメリカの先祖となり、彼らの精神がアメリカの建国精神になったことは、偶然だとは絶対に言うことができないのです。
神様に侍る唯一の国、すなわち「神様のもとの一つの国家」というモットーが、アメリカの建国精神になったことは、この国を建てて、メシヤを再び迎える世界キリスト教国家の中心にしようとした神様のみ旨を、明確に立証するものです。そして、神様が隠しておいたこの肥沃な大陸に、神様を信奉する五色人種(すべての人種)が集まり、超民族的キリスト教国家をつくったのですが、これは、将来つくられる地上天国のモデルなのです。
今やアメリカは、神様のみ旨を中心として世界救援の旗手となり、教会と国家が一つに団結し、神様の歴史的な願いである世界救援のみ旨を達成し、神様の世界家族、そして統一文化を成し遂げなければならない重大な使命を背負うようになったのです。また、終末に起こる人類歴史最後の悪の勢力である共産主義に備えるために、神様はわずか二百年の間に、この荒地から生まれた新生国家アメリカを、世界の最強国家にされたのです。
今、アメリカ国民が悟らなければならないことは、今日、アメリカが享有している神様の祝福が、アメリカのためだけの祝福ではないということです。この祝福は世界のためのものであり、神様のみ旨を成し遂げるための祝福なのです。今日、アメリカ国民は、キリスト教精神で完全に武装し、世界人類救援のために、いかなる犠牲と十字架をもはばからないという決意に燃えていなければなりません。そして神様のみ前において、アメリカがもつ最も重大な使命は、共産主義の魔の手から自由世界を保護し、究極に至っては、共産主義さえも解放できる原動力にならなければならないということです。
Monday Aug 15, 2022
平和経 第310話
Monday Aug 15, 2022
Monday Aug 15, 2022
2.祖国よ、輝け
日付:一九七八年十月十九日
場所:韓国、ソウル、朝鮮ホテル
行事:韓国地域社会開発研究院招請朝餐講演会
尊敬する各界の指導者の皆様。きょうの朝、この意義深い集会に私をお呼びくださり、国家中興の大課業において中枢的役割を担当していらっしゃる皆様に、お話し申し上げる機会を与えてくださり、心から感謝申し上げます。
神様に選ばれた韓国
私は海外において、様々な逆境の中でも、ひたすら神様の国の具現のために宣教事業に没頭し、二年半ぶりに再び懐かしい祖国の土を踏みました。普通ならば、その間に何度か帰ってこなければならなかった祖国ですが、今回は、執拗に捕らえて放さないフレーザー委員との熾烈な対決において、最終的決着をつけようとしているうちに、懐かしい祖国への帰りが二年半も遅れてしまいました。
フレーザー議員は、去る九月十二日、民主党の予選でついに落選しました。人間的に見ると彼は大変かわいそうな人です。私は、「怨讐も愛さなければならないので、彼のために祈りなさい」と信徒たちに勧めました。彼は今回、負けられない闘いで負けました。その理由は何でしょうか。彼は天意に背反したことによって、敗北したのです。聖賢の言葉に、「天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」とあります。いわば彼は、神様の審判を受けたのです。
韓国を第二のベトナムに仕立てようとする彼の努力は、韓国を選んで天の大きな摂理を全うしようとする神様のみ旨とは正反対の努力でした。そのような神様の摂理を知ってみれば、韓国は重要な国なのです。韓国は、今後世界が共産化されるのを防ぐ、決定的役割を果たす国です。神様は、共産主義の究極的目標である世界制覇を許すことはできません。それは、神様御自身の敗北を意味するからです。そして、この歴史的な有神と無神、二つの理念の最終対決において、韓国は神様の選手として選ばれたのです。
ですから、韓国を破壊しようとするフレーザー議員の陰謀は、とても容認し難いことでした。私は、神様の審判が彼に下ることを明確に予知できました。彼は天に逆らう者の立場に立っているので、いかに彼の威勢が盛んだったとしても、彼の末路が悲惨なことを知っていました。誰でも、天理に背反しては生き残る者がいないのです。今回のフレーザー議員の敗北は、神様の審判であると言わざるを得ません。
このように、こよなく韓国を愛される神様を骨髄にしみて実感しながら帰ってきた、今回の帰国の道でした。何度も降り立った金浦空港ですが、今回はいつになく私を喜んで迎えてくれているようであり、故国同胞の温かい歓迎は、私の霊魂を揺さぶりました。帰るやいなや私は、祖国の地、錦繍江山(クムスガンサン)(=韓国の別称)千五百里を、南北にわたって走ってみました。韓国の山河は、とりわけ青々と美しく、世界に類例を見ない秀麗な山河でした。民族中興に向かって突き進む祖国の復興の姿は、十分に満足して余りあるものでした。
故国にいらっしゃる皆様。本当にお疲れ様でした。私たちは、ただ先進国家につき従っていくことに満足する国となってはいけません。私たちの祖国大韓民国を通して、神様は偉大な課業を成し遂げようとされておられます。二千年前、人知れぬ小さな村、ユダヤの国ベツレヘムの地に、偉大な思想が出現しました。それがすなわち、イエス様の思想でした。神様は、その救世思想を中心として二千年間、救世運動を推し進めてこられました。今、もう一度、共産主義の魔の手から世界を救い出し、地上に天国を建設する新しい救世理念の誕生地として、神様は、東方の小さな国、韓国を訪ねてこられるのです。私たちは、神様が与えてくださるこの任務を甘受しなければなりません。これは正に、私たちの祖国大韓民国が、永遠に栄える道であり、いつまでも光り輝く道です。
堕落によって創造理想と正反対になった世界
きょう、私は皆様をお迎えし、私のこのような所信の一端を披瀝しようと思います。世界のすべての宗教は、宇宙の根本原因を、創造主または神様という方として認定するところから出発します。その神様は善であり、永遠不変であり、唯一であり、絶対的な方でなければなりません。その神様がこの世をお造りになったとするならば、そこには必ず創造目的が先行したはずです。そして、その創造目的も、やはり永遠、不変、唯一、絶対的なものでなければなりません。
神様の創造目的は「喜び」です。喜びを得ようとして、人間と世界を造られたのです。その喜びというのは、一人では感じることができません。喜びを感じるためには必ず対象、または相手が必要です。主体と対象が互いに相対基準を結んで与え合うとき、喜びを感じることができるのです。そして最高の喜びは、愛を与え、受けるときに感じることができます。そのように、神様が私たち人間を対象として造られ、その対象とともに無限の愛を与え合い、永遠に喜びを得ようとされたのです。それが、すなわち創造目的だったのです。
このような創造目的を果たすために、人間始祖として一男一女を造られたのですが、聖書では彼らを「アダム」、「エバ」と呼びます。そのアダムとエバが、神様の完全な喜びの対象となり、愛を与え合いながら、善の子女を繁殖していれば、その家庭が拡大して社会となり、その社会が発展して国家となり、その国家は世界に発展して、この地球は、このアダムの一族で満ちあふれ、この地上には神様の善と愛を完成した喜びの世界が築かれていたのです。その世界を、すなわち天国と称し、その天国は明らかにこの地上にできたはずだったのですが、その世界は、すなわち地上天国と言わざるを得ないのです。
この地上天国は、神様を中心とした一つの家庭であり、人類はすべて一つの兄弟です。そこには一つの伝統と一つの文化がある一つの統一世界にほかなりません。そこには人種差別はあり得ず、言語の衝突もなく、国家の分裂も、理念の対決も、殺戮して相争う戦争もあり得ません。このような神様の理想世界を描きながら、今日の現実を眺めてみるとき、私たちは、神様の理想とは正反対の世界に住んでいることを痛感させられます。まず私たちの一つの体の中に、心と体の分裂を見ることができるのです。
今日の私たちの世界は、分裂の世界です。国家の分裂、言語の分裂、文化、伝統、人種、理念、愛の分裂など、このような分裂の中で、人類歴史は殺戮の闘争と戦争の連続でした。これはどう見ても、天国と言うことはできません。私たちは地上地獄に住んでいるのです。これは、人間始祖アダムとエバの堕落によってもたらされた結果です。堕落したということは、神様に逆らったということであり、神様から離れたということです。それによって、神様が臨在できない歴史が始まりました。人類歴史は、神様に逆らう歴史の連続によって今日に至りました。
人間世界の救援のために遣わされたイエス様
私は先ほど、神様の創造目的が、永遠、不変、唯一、絶対的であると言いました。たとえ人類始祖の反逆によって堕落世界ができたとしても、神様の根本理念とみ旨は変わることはありません。神様は必ず初志を貫徹される方です。神様は必ず、神様本然の創造理想を果たさなければなりません。人間の堕落以後、神様は無為無策だったわけではありません。人間の堕落以後の神様のみ旨は、堕落した人間を救援する「救援の歴史」でした。
「救援」とは何でしょうか。病にかかった人を病気以前の状態に治すことが救援です。病にかかったこの堕落世界を、堕落以前の本然の世界に戻すことが、すなわち救援です。ですから、救援というのは、本然に帰ること、すなわち復帰なのです。ですから神様は、この堕落世界を清算し、堕落以前に神様が計画された本然の理想世界へと復帰するみ業をされて、歴史を歩んでこられているのです。
今から二千年前、神様は、イエス•キリストを救世主、メシヤとして、この地上に遣わされました。彼を遣わした目的は、正に堕落人間の救援です。救援は、すなわち復帰のことをいいます。メシヤがこの世を救援されるということはすなわちこの世を天国へと回復するということです。ところが、二千年前、メシヤは明らかにこの地上に来られましたが、いまだにこの地上には、天国が建設されていません。これは重大な問題です。イエス様は、「天国は近づいた」と天国の到来を宣言されましたが、その天国の到来が成就した痕跡はありません。むしろイエス様は、罪を着せられ、十字架に打ちつけられるという悲運を招きました。これはつまり、神様がメシヤを遺わされたみ旨が、二千年前に完全には成就されなかったことを立証しているのです。
その理由は何でしょうか。その理由は、イスラエル選民の無知と不信にあったのです。神様がメシヤを遣わされる以前の四千年間、イスラエルという選民を集めて摂理されてきたのは、メシヤが来られるとき、そのメシヤを迎えて、神様のみ旨を成就することを願ったからでした。しかし、イスラエル選民は、いざメシヤが来られたとき、神様のみ旨を正確に知ることができませんでした。彼らは、メシヤが来れば、ロ—マの虐政下にいる自分たちの怨讐を討ってくれ、力でローマを征服し、一躍、選民イスラエルが君主の権勢をもって、世界に君臨することを夢みました。彼らが望んだメシヤは、権力のメシヤ、武力のメシヤでした。
しかし、メシヤの天国理念は、武力で成し遂げるものではありません。神様の天国理念は、真理と愛で果たされるのです。その上、メシヤは、イスラエルだけを解放して彼らに王権を与えようとして来られる方ではなく、むしろ、イスラエル選民を犠牲にさせてでも、世界の救援を計ろうとして来られることを、彼らは知りませんでした。政治的な勝利と利己的な権勢争奪を夢見たイスラエル民族の目に映った裸足のみすぼらしい無力なイエス様の姿は、メシヤとしては受け入れ難い姿でした。
それでイスラエル選民は、メシヤを十字架にかけてしまいました。これは、神様にとってこの上ない悲劇であり、人類にとってこの上ない不幸です。神様の天国実現のみ旨は、その時点では成し遂げられず、未来のある時点で、再びメシヤを地上に遣わさざるを得ない破局を招いたと言えるのです。神様が、メシヤ、すなわち救世主を再び遣わされる日を、私たちは「再臨の日」と呼びます。神様のみ旨は、イエス様の時に完結することができず、再臨の日まで延長されてきました。イエス様が十字架につけられたその日から、神様は、再臨の日を準備することに余念がありませんでした。それから歴史は約二千年が流れました。今は、正に終末であると叫ぶ声が高まり、メシヤの再臨を待望する声は四海に満ちています。