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Friday Sep 13, 2024
イエス様の生涯と愛 第18話
Friday Sep 13, 2024
Friday Sep 13, 2024
ヨセフの立場
人類の先祖となるイエス様を生み、人類の母の立場にあるマリヤを、ヨセフは天使長の立場で敬って侍らなければなりませんでした。ヨセフは僕の立場なので、サタンがエバを誘惑して不倫の愛の関係を結んだことを蕩減復帰しなければならないのです。このような立場にあるマリヤとヨセフは、絶対に一つになってはいけないのです。
これは原理的に見るとき、否定できないことです。それゆえヨセフはマリヤに、誰の息子を生もうが尋ねる権限がないのです。それでもヨセフがマリヤを迎えて暮らしながら、これは誰の子かと言ったりして、いつもけんかをするので、ヨセフの親戚や周囲の人たちがこれを知らなかったでしょうか。それでなくても、子を宿した処女を迎え入れて暮らし、数多くのけんかをするので町内の人たちはみな、変な目つきで眺めざるを得なかったことでしょう。
それだから、周囲の近所の人たちが口うるさかったのです。それゆえ親戚たちもヨセフに、「マリヤのおなかにいる子が、お前の子なのかどうなのかも分からないなんて、なんというできそこないなんだ」と、からかったでしょうか、からかわなかったでしょうか。あらゆることが起きたでしょう。それだけではなく、このような事実を両親までも知り、その親戚すべてが知ってしまったのです。
それでは、アダムの代わりとして来られたイエス様が、この地上において探し出さなければならないものは何でしょうか。正に堕落していないエバを探すことです。清い血統に生まれたエバのような新婦を探さなければならないのです。そうして天使長に侵犯されない父母の基準を決定することがイエス様の使命だったのですが、この使命を果たせずに亡くなってしまったのです。
それができなくなった原因は何でしょうか。父と母が責任を果たせなかったからです。イエス様は生まれる前から近所でも周囲の親戚にからかわれ、追われざるを得ない立場で生まれました。そしてイエス様は物心がついてから、ヨセフとマリヤの仲が良くないことを知って、その顔色ばかりをうかがいながら育つようになったのです。また周囲にいる親戚もみな、イエス様のことが理解できなかったのです。
本来はヨセフの家庭において、イエス様は神様のひとり子であり、天の王子であるがゆえに、ヨセフとマリヤは心を合わせて、将来この地上にメシヤとして登場できるように新しい家庭を建設できる、全面的な土台を築いておかなければならないのです。
神様が四千年間にわたってイスラエル民族を育てて準備した祝福の基台の上で、イエス様が誕生されたので、ヨセフとマリヤが一つになってイエス様を金城鉄壁のように保護し、彼のために命を懸けて戦っていたら、イエス様が悲惨に亡くなることはなかったでしょう。そのようになっていれば、イエス様の三年間の公生涯路程というものは必要なかったはずでした。
もしそのようになっていたならば、イエス様の新婦は自分の親戚の中から選ぶことができたはずでした。本来は愛する十二弟子も、ひどく愚かな卑しい人たちを選びたかったのではありません。
本来ヨセフとマリヤは、どうすべきだったのでしょうか。神様の息子として生まれたイエス様を中心として、その家から天の法度を立てなければならなかったのです。そのためにはヨセフとマリヤが、神様の息子として生まれたイエス様に、真心を込めて毎朝食事のお膳を差し上げ、朝夕に敬拝を捧げなければならないのです。ところが、そうでなくても町中にうわさが立ち、仲が良くないのに、そのようにできたでしょうか。
Wednesday Sep 11, 2024
イエス様の生涯と愛 第17話
Wednesday Sep 11, 2024
Wednesday Sep 11, 2024
二、イエス様の生涯
イエス様の出生の秘密
イエス様の家庭において、イエス様の父は誰でしょうか。ザカリヤです。ではザカリヤの本来の妻は誰でしょうか。エリサベツです。聖霊によって懐胎したというのですが、洗礼ヨハネも聖霊によって懐胎したといいました。
それではマリヤは、どのようにしてザカリヤの懐に入ることになったのでしょうか。誰かの啓示によってでしょうか。マリヤが入るのを見れば、啓示を受けなかったエリサベツは雷を落とすでしょうか、落とさないでしょうか。エリサベツに分からないように入ったでしょうか、分かるように入ったでしょうか。
一日目の夜に赤ん坊を身ごもったでしょうか。何回会ったでしょうか。いろいろと問題になるのです。話せばそうなるのです。それならばマリヤには、誰かの後ろ盾もなく一人でできる、そのような度胸があったでしょうか。それはお姉さん(エリサベツ)が紹介してあげなければならないのです。
レアがラケルの立場を奪ったので、それを蕩減復帰するためには姉のレアがラケルを祝福してあげなければならないのです。そうしてこそ蕩減になるのです。啓示を受けようがどうしようが、このような蕩減原則においてそのように見るのです。エリサベツが霊的に教えられて兄弟(姉妹)が一つになる立場で、そのことが可能だったのです。
なぜでしょうか。ヤコブの家庭では、兄弟が一つになりませんでした。それならば世界的国家基準で、兄弟が一つになり得る堅固な出発が行われなかったのかという、そのような論理が形成されるのです。エリサベツが自分の夫の前に紹介してあげたそのような問題があるので、近親相姦関係が生じるのです。先進国アメリカは、このような過程を最後まで行って振り返らなければならないのです。神様が許したのでこれが生じるのであって、自然に生じることはありません。
なぜ近親相姦関係が現れるのでしょうか。自分の姉の夫を妹が強奪するのです。それを近親相姦関係というのです。なぜヤコブの家庭でレアを入れたのかというと、蕩減法において堕落したエバがいなくては復帰時代がなくなってしまうからです。女性の世界にもカインがいなくてはならないのです。同じ道理です。
イエス様の父は誰でしょうか。ザカリヤです。その妻はエリサベツです。エリサベツが生んだ子は誰ですか。洗礼ヨハネです。イエス様の母は誰ですか。マリヤです。マリヤは誰と関係して、イエス様を生みましたか。ザカリヤです。誰が紹介したのでしょうか。マリヤが夜、こっそりと駆け込んで関係したのでしょうか、誰かが紹介したのでしょうか。エリサベツが聖霊や天の指示によって、自分の夫と自分の妹を関係をもたせるようにしたのです。それは普通、イスラエルの法ではできないことです。
なぜイエス様は死んだのでしょうか。ザカリヤは、イエス様が誰の子か知っています。マリヤもイエス様が誰の子か知っています。洗礼ヨハネはどうだったでしょうか。三十歳以上になって、そのような家庭の秘密のことを人知れず聞いたことがあったかどうか考えてみてください。あったのです。洗礼ヨハネまでもが知っている事実なのです。
しかし、このような不法的な関係で自分の一家に問題を起こすようなことをして、背後が入り乱れた中で生まれたイエス様が正にメシヤになるとは、夢にも思わなかったことでしょう。
皆さんならば、そのようなイエス様をメシヤとして迎えることができますか。妾の子なのに、妾の子をどうして王に迎えられるかというのです。自分が絶対服従しなければならない王、祭司長の立場に立てることができますか。できなかったでしょう。百人いれば百人がみな、そのように考えるのが常識なのです。
Tuesday Sep 10, 2024
イエス様の生涯と愛 第16話
Tuesday Sep 10, 2024
Tuesday Sep 10, 2024
イエス様は原罪がなく生まれたので、サタンの讒訴から完全に抜け出しているのです。サタンの讒訴を抜け出すと同時に、サタンを完全に屈服させたのです。天使長を屈服させたのです。このように屈服させた立場が、神様の息子として堂々と立てる本然のアダムの立場なのです。
息子に生まれて、その次にはどのようにすべきでしょうか。新婦さえ選べばよいのです。ヨセフの家庭を中心として新婦を迎えなければなりません。ヨセフの家庭はダビデの子孫です。その家庭がイエス様と一つにならなければなりません。その家庭が一つになれば親戚も一つになり、親戚が一つになれば氏族が一つになり、氏族が一つになれば民族が一つになり、そうなれば国家も自然と一つになるのです。
イスラエルの思想を中心とし、ユダヤ教を中心とし、選ばれたダビデの子孫を中心としたヨセフの家庭で、マリヤを中心としてイエス様を完全に神様の願いどおりに、エデンの園においてアダムとエバに天使長が侍るべきだったように、ヨセフあるいはマリヤが、イエス様に侍るべきだったのですが、侍ることができなかったがゆえに、ここで事件が起こったのです。
天の家庭の中心である救世主
イエス様はいかなる存在なのでしょうか。堕落によって失った人類の真の父になり得る存在でした。長い歴史とともに、み言の実践的基盤の上に立てられたみ言の実体として、父に代わる存在として来られた方でした。ですからイエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ一四・6)とおっしゃったのです。
ただイエス様だけが道の中心であり、心の中心であり、心情の中心なのです。なぜでしょうか。イエス様が父という内容をもっているからです。それゆえイエス様は、万民の救世主であり、天地を代表する方なのです。したがってそのみ言を通して父の姿を、そのみ言を通して父の心を、そのみ言を通して父の愛をたどっていくのがキリスト教なのです。
イエス様はこの地上に来られました。無限の理想を抱いて来られました。イエス様が願った希望があるとするなら、それは神様の代わりとしての希望でした。神様の希望とは何でしょうか。創造理想、創造目的を成し遂げることです。イエス様がその希望を抱いて、個人の立場で現れた当時の環境は、善なるものではありませんでした。
み旨の前に立てなかった環境は、イエス様に対して反旗を翻しました。イエス様は、その場で倒れるようなことがあったとしても、自分の心中に抱いた志操だけは地上に残していかなければなりませんでした。ですから聖書によれば、イエス様は「私はあなた方の父であり、あなた方は私の子女である」という因縁を強調されているのです(イザヤ書九・6)。
真の父母は、真の父と真の母がいなければなりません。イエス様が亡くなられたのちに、母格として来られた方が聖霊です。
この地上で霊肉を合わせた実体として、息子、娘を祝福できる一日をもてずして逝ったことが、イエス様の悲しみです。語るべきみ言を語り尽くせず、天国の家庭の基準を立てられずに通ったことが、イエス様のです。天国の家庭を築けなかったので、家族を中心とした氏族、氏族を中心とした民族、民族を中心とした国家、国家を中心とした世界を築けなかったのです。
国家的基盤を備えなければならなかったユダヤの国であり、選ばれたイスラエル民族でしたが途絶えてしまい、イエス様はユダヤ教団から追われるようになりました。天もどうにもできない、惨めな反逆者として追われたイエス様でした。のちには十二使徒にまでも裏切られるイエス様となったのです。地上に天の心情に通じ得る一つの血族も因縁を結べずに逝ったことが、イエス様の悲しみだったのです。
神様の願われた神様の家庭を建設できなければ、神様が願われる民族も立てられず、民族を立てられなければ、国も世界も立てられないがゆえに、家庭を探し求めるために闘ったイエス様は、そのみ旨を果たせずに逝くときに、人類の前に「私は新郎であり、あなた方は新婦」という命題を残されたのです。それが何の意味か分かりますか。家庭が神の国の中心であるということなのです。
Monday Sep 09, 2024
イエス様の生涯と愛 第15話
Monday Sep 09, 2024
Monday Sep 09, 2024
本然の因縁を回復するために来られたイエス様
信仰の理念で生きてきたユダヤ民族の精神とは、何であったのでしょうか。それは神様を信じる信仰でした。彼らは神様に頼る信仰で、神の国が建てられることを願いました。そのような願いを結実させることが、正にイエス様がこの地に降臨された目的でした。
ですからイエス様は、自分は万王の王だとおっしゃったのです。それから生活的な立場ではどのような話をされたかというと、自分は新郎であり、あなた方は新婦であると言われました。これは夫婦の一体理念を生活圏内に立てるためのみ言でした。それゆえイエス様は、亡くなりながらも御自身と聖霊を通した父母の役事を約束されたのです。
ある面から見れば、イエス様がこの地に来られた目的は、地を創造された神様は目に見えないので、見えない神様を証するための人間の代表者として、あるいは神様の代わりとして来られたと言えます。
では、このような使命をもってこの地に来られたイエス・キリストの視野は、どういうものだったでしょうか。まずイエス様は、天地を創造された神様を父と呼び得る立場であったことを知らなければなりません。
今日数多くの人間が、堕落圏内、すなわちこの地に生きていますが、イエス様の視線と堕落した人間の視線とは異なります。イエス様は神様を「我が父」と呼ぶ、この一つの問題に心のすべてを注ぎました。さらには、我が父だけが一番であるという因縁を実現されるために苦心されたのです。そして人間に対して、自分が新郎という名詞を立てようとされました。ところがイエス様は、神様の前に人類の新郎の資格を備える前に、天の前に新婦の立場を完結する段階を経られたのです。
創造主の理念を実現させるには、人間を生む父母の因縁と、生活のための夫婦の因縁と、活動のための国家の因縁と、宇宙的な因縁が結ばれなければなりません。このような宇宙的な創造の理念が、人間の生活環境に探し立てられなければ、神様は臨在することができないのです。
イエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ一四・6)と語られました。イエス様が行かれた道はどのような道かというと、父母の因縁、夫婦の因縁、国家の因縁を連結する道でした。またイエス様は、天倫の心情に通じた方であり、天国の心情に通じた方であり、摂理歴史を主管なさる創造者の心情に通じた善の中心であられました。
イエス様は「わたしは道である」と言われましたが、その道とは何の道のことを言っているのでしょうか。愛の道のことを言っているのです。また真理は、十字架の真理です。それから命は、全体的な生命を指して言っているのです。ですから、イエス様を信じなければならないのです。
真の父母として来られたイエス様
イエス様は、いかなる方として来られたのでしょうか。堕落した父母が生じたので、堕落した人類の原罪を清算する父母として来られたのです。その父母が霊界の父母として来てはいけません。地上の私たちと同じように肉体をもった姿、神様がアダムとエバを土で造られたように、そのような姿で来なければなりません。アダムが完成して、神様の愛の中で神様の血族になっていたならば、真の父母の歴史を中心として、人類は真の神様の直系の子女として完成し、完成した世界である理想的世界、神様の主管される愛の世界で暮らしたことでしょう。
人類がメシヤを願うのは、堕落したからです。堕落したので、メシヤを願うのです。その願われていたメシヤが来て、何をするのでしょうか。真なる父母として来て、新しく生み変えてあげなければならないのです。新しく生み変えてあげるのです。それゆえ地上のすべての人々は、新たに来られるメシヤ、すなわち父母を通して、メシヤを訪ねていき、再び生まれ変わらなければならないのです。
サタン世界の人は、ただそのまま直行していける歴史時代がないのです。メシヤを迎えて…。堕落世界においてメシヤを迎えるその道は、この堕落世界を否定する道です。サタン世界はメシヤを迎えられないように反対しているのですが、メシヤを迎えていくその道は、サタン世界を否定する最先端の場なのです。
そのような場でメシヤを迎えることになるのですが、メシヤを迎えてからは、この反対する世の中と関係のない、新しい世界へと乗り越えていかなければなりません。あたかも分水嶺を乗り越えるようにです。こちらはサタン世界なのですが、メシヤを中心として再び生まれ変わる、真の父母の第二の血肉の因縁を経た群れは、こちらの世界に生きる人ではありません。分水嶺を越えて、向こうの世界の人として移らなければならないのです。
Tuesday Sep 03, 2024
イエス様の生涯と愛 第14話
Tuesday Sep 03, 2024
Tuesday Sep 03, 2024
新たな命を接ぎ木するメシヤ
真の愛と真の生命の種をもったアダムを失った神様は、サタンの讒訴条件がない新しい種をもった息子を探し立てなければなりません。これは途方もないことなのです。神様自身は探し立てられないのです。人がそれを探し立てた立場に行かなければなりません。創造時に、アダムを最初につくられたように、再創造摂理である復帰摂理も(堕落した) アダムと関係のない息子を最初に立てなければならないのです。これがメシヤ思想の根本です。
メシヤが来なければならない根本が、ここにあるのです。失った神様の血統と直結し、永遠に神の国を受け継げるその人が、神様の息子になるのです。長子です。アダムはそのような長子になれなかったのです。
メシヤは、サタンの主管下にある堕落した血統をもつ人々の生命を否定し、新しい生命の種を接ぎ木してあげるために来られる真の人です。皆さんに援ぎ木をしてあげるために、今このようなことをするのです。家庭も接ぎ木してあげるために、このようなことをするのです。
根は神様にあるのですが、後のアダムとして来て、アダムによって引き起こされたことを清算すべき人がメシヤです。メシヤは真の父母です。神様が能力だけで役事する超人を、メシヤとして送れない事情がここにあるのです。
この地に神様の愛と生命の種をもって生まれるためには、まず母親がいなければなりません。母親が息子を生むとしても、ただ単に生むことはできません。必ず復帰の公式を通して生まなければならないのです。
復帰摂理の中に現れた母子協助は、すべて天の息子がサタンの讒訴を抜け出した新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。母子共に、サタンの攻撃を抜け出し得る条件を立てた土台の上で、サタンを代表する長子を屈服させることによって、サタンが先に占有した愛と生命と血統を復帰していけるのです。
メシヤを通した血統転換
信仰の息子、娘を中心として、いくら困難な環境でも、その環境に打ち勝つことによって初めて、アダムの立場を蕩減して戻ってきた位置に立つのです。そのようにして戻ってきたとしても、それは血統的にサタンの血筋を受け継いでいるので、天の前に帰れないのです。ですからメシヤは、絶対的に血統復帰をして、サタンが汚した血筋を転換させなければなりません。それゆえメシヤは、必ず来なければならないのです。
メシヤはなぜ、地上に来なければならないのでしょうか。それは根が違うからです。血統が違うからです。メシヤを迎えて血統転換をしなければならないのです。私たちは根が違うのです。今までのすべての芽を取り除き、根を取り除いて、メシヤを中心として接ぎ木をして、メシヤの根からメシヤの芽へと進んでいかなければならないのです。接ぎ木をすれば、同じ根の実を結ばなければなりません。
それゆえ既成の慣習というのは、絶対に許されません。自分は大韓民国の人であるという意識をもつことそれ自体が、サタン側であることを自証するものです。ですから国家や民族を超越し、国境を超越して克服しなければなりません。私は天の国の民であり、私は神様の直系であり、私の根は神様であって、サタンとは関係がないと言わなければならないのです。
血統を通して何が相続されるのでしょうか。天の心情が相続されます。その心情の伝統が、どのように相続されてくるのかが問題です。いかにして今日、神様の心情が私たちに連結してくるのかというと、それは血統復帰によって可能なのです。善なる絶対的な神様を中心とした、一つしかない血統、絶対的な血統を中心として、それを自分が感じ、そこで体験することによって神様の心情圏が形成されていくのです。
Tuesday Sep 03, 2024
イエス様の生涯と愛 第13話
Tuesday Sep 03, 2024
Tuesday Sep 03, 2024
堕落で失ったアダムとエバを探し立てる
本来、創造理想が成就されていたならば、再臨とか救いの摂理とかいうものは必要なかったことは、よく知っていると思います。そのときすべてが成就し、一つの世界になって、地上天国と天上天国が連結しなければなりませんでした。そのように出発したとすれば、その家庭が地上天国家庭であり、天上にも家庭ができて、氏族、民族、国家、世界へと歴史が発展していったことでしょう。霊界も同じです。
それゆえアダムの家庭は、一つの家庭でしたが、未来に世界を築き得る中心となり、国家の中心、氏族の中心、家庭の中心なのです。アダムの家庭は、全体の理想を実現し得る一つのモデル家庭です。それはアダムの家庭が完成していたならば、氏族も完成され、国も完成され、世界も完成され、天宙も完成されるという意味です。そのようなアダムの家庭は、すべての理想の代表的家庭であり、中心家庭なのです。
そのように見ると、アダムとエバは何でしょうか。彼らは天地を代表した王と女王です。人はみな、王や女王になりたいという欲望をもっています。そのキングシップ (王権、王位)とクイーンシップ(女王の位)が、永遠に家庭天国から氏族、民族、国家、世界天国まで連結されるのです。
誰が代を引き継いで、そのキングシップを縦的、横的に拡大させるのでしょうか。長孫(長男の長男)がするのです。世界にずっとこのように連結するのです。家庭単位の標的を中心として完成した家庭がたくさん連結すれば、氏族になり、さらに多くなれば民族になり、国家、世界になるのです。家庭を中心として拡大すれば世界になるのです。
愛ゆえに血統的に問題になったので、血統を正さなければ天は着陸することができません。神様がいるとするならば、どうして救いの摂理が延長し、どうして人類が今日のように滅亡しなければならないのでしょうか。
今日の現実的なすべてを見た場合に、善の世界とは思われない結果になったのは、堕落のためです。堕落することによって、サタン世界が築かれてきたのです。サタン家庭、サタン氏族、サタン民族、サタン国家、サタン世界まで成してきたので、今やサタンの「終わりの日」が来たのです。このようなサタン世界に救いの摂理が入り込み、一人、二人と変え、すべてを天の側に戻すのが救いの摂理なのです。
血筋がサタンの愛によって始まったので、神様の愛を中心として神様の血筋を定着させ得る根源的起源になっていないのです。堕落することによって、サタンを中心としてアダムがついていき、エバがついていき、カインがついていきました。本来は、神様を中心として、アダム、エバ、カイン、アベルとつながるようになっているのです。
今日の世界は、何の世界でしょうか。サタン世界でしょうか、天の世界でしょうか。サタン世界です。サタンの愛は、偽りの愛です。天の世界は真の愛です。サタン世界には、真の愛と真の血統が存在しません。血統は必ず愛を通し、夫婦を通してつくられるのです。ですから問題は何でしょうか。救いの摂理の歩みを見ると、アダムとエバの偽りの愛から始まったので、真の愛を中心としたアダムとエバを探し立てることが、救いの摂理の目的なのです。
Tuesday Sep 03, 2024
イエス様の生涯と愛 第12話
Tuesday Sep 03, 2024
Tuesday Sep 03, 2024
腹中から侍られるべきだったイエス様
イエス様の誕生日は、神様にとっては喜びの日になりませんでした。その意味も知らずにクリスマスを迎えるということは、おそれ多いことです。イエス様がもしローマの王子に生まれていたら、どれほどの栄光の中で誕生されたでしょうか。まして神様のひとり子として来られたとすれば、なおさらではないでしょうか。それにもかかわらず、イスラエル民族の中には、イエス様を迎える人は一人もいませんでした。東方の博士を送って、イエス様を証させるとは、神様はどれほど気の毒に思われたことでしょうか。
異邦人が訪ねてきて、イエス様に贈り物を捧げたということは、イスラエル民族の恥であり、彼らに対する冒涜なのです。なぜイスラエルには、東方の博士ほどの人物がいなかったのかということです。イエス様は四千年の全歴史を総蕩減するために来られました。そのようなイエス様が飼い葉桶に寝かされていたとは、話にならないことです。
当時、イスラエルには、メシヤに腹中から侍る人が一人もいませんでした。もしそのような人が一人でもいたならば、その人がいくら病気の身であったとしても、神様は愛さざるを得なかったでしょう。そしてキリスト教も、異邦人の宗教にはならなかったはずであり、神様の摂理もローマに移ることはなかったのは、当然のことなのです。
腹中にいるメシヤが分かったので、アンナはマリヤの僕になり、腹中にいるメシヤをあがめなければなりませんでした。しかし、彼女は証しましたが、侍ることができませんでした。東方の博士や羊飼いたちも証しただけで、みな去っていってしまいました。
メシヤの意味
なぜメシヤは来なければならないのかという問題を、私たちははっきりと知らなければなりません。サタン世界の主権を奪って、人類を贖罪して天の国へと帰らせるため、本然のみ旨の世界へと連れて入るために来られる世界の救世主が、メシヤであるという事実を知らなければなりません。
救いとは何でしょうか。本然の位置から落ちたので、それを再び尋ね求め、復帰していくという意味です。したがって復帰の道が、救いの道であることを知らなければなりません。今日におけるキリスト教などの宗教圏をなぜつくったのでしょうか。それは、悪なるサタンから分立して、本然のみ旨の世界に入るようにするための準備の土台なのです。
神様はこの悪魔サタンの主権を奪うためには、どのようにしなければならないのでしょうか。個人をもってしてはできません。それゆえ、天の側に立つ強力な一つの国を形成しなくてはならないという結論が出るのです。それで今まで神様が、主流的な立場で選んで準備した国がイスラエルの国であり、その宗教がユダヤ教です。それゆえ今私たちは、救いの摂理の過程にあることを知らなければなりません。
この救いの摂理のみ旨は、本来、神様が計画されたそのようなみ旨ではありません。救いの摂理を終わらせて、堕落しなかった本来の世界に帰れるようにする責任者として来られる方が救世主です。メシヤがこの地に来て、本然の世界に帰っていくその時には、宗教も終わり、救世主の使命も終わり、地獄も終わり、悪魔サタンとこの世界のサタンの国のすべてが終わるのです。そうして神様を中心とした天の国、神様が統治する本然のみ旨の世界へと帰っていくのです。
今日、私たちのこの世界は堕落した世界に違いないので、私たちは救い主を願わざるを得ない立場にあることは確実です。メシヤが来るそのみ旨とは、神様の本然の世界へと返すことであると知りました。
さらに本然の世界に帰ろうとするならば、個人よりも国家形態を備え、世界形態に拡大させて、天の側の強固な土台を広め、サタン世界を屈服させてサタンの主権を奪わなければならないことを知りました、そのようにして天の側に返すことが、メシヤの使命であることを、はっきりと知りました。
Tuesday Sep 03, 2024
イエス様の生涯と愛 第11話
Tuesday Sep 03, 2024
Tuesday Sep 03, 2024
原罪と関係のないイエス様
腹中から勝利した土台の上に、善の血統を中心として、先祖たちのそのような伝統を受け継ぎ、忠誠を尽くしたイスラエル民族の女性たちの精誠のこもった代を継いで、二千年後、マリヤに至りました。マリヤは、タマルを中心として腹中復帰に勝利した血統的な伝統を受け継いで、初めてイエス様を身ごもったのです。普通の人なら、腹中に子をはらめば既にサタンが讒訴します。そして、「この場は私の場であり、ここにはらんだ人はみな、誤った愛によってはらんだのだから、すべて私のものだ」と主張するのです。
けれどもイエス様は、蕩減復帰の原則によって、タマルの腹中で天側であるペレヅが勝利した血統的な基盤の上で、マリヤの腹中を通して生まれました。したがってイエス様は、腹中に宿った時からサタンが讒訴する条件がなかったのです。イエス様と一般宗教の指導者たちとの違う点がそこにあります。生まれた根本が違うのです。腹中からサタンと戦って勝利した基盤の上で、サタンを屈服させ、長子の基準を立ててイエス様が生まれたので、神様の息子として生まれても、サタンが讒訴できる条件がなかったのです。そのようにして初めて二千年後に、イエス様がこの世にお生まれになったのです。
それならば、なぜ二千年後にイエス様がお生まれになったのでしょうか。復帰はカイン、アベルの復帰、すなわち兄弟復帰なのですが、サタン世界の国家は、先に生まれたカイン型の国です。このカイン型の国々を復帰するためには、アベルの国が新たに生まれなければならないのです。このアベルの国が正にイスラエルの国です。それで神様は、イスラエル民族を二千年間育てて、一つのアベル的な国を築き、サタン世界の数多くのカイン的国家を屈服させようとなさったのです。
イエス様自身について見ると、イエス様はマリヤの腹中に宿って生まれましたが、歴史的な勝利の土台の上に、サタンが讒訴できる内容をすべて取り除いた立場ではらまれ、誕生したので、サタンが讒訴できる何の条件もないのです。サタンが讒訴できる条件がないということは、原罪がないということです。
罪とは何でしょうか。神様のみ言に違反したことが罪だというのですが、サタンが讒訴できる条件を提示することが罪です。怨讐が食い下がる条件を提示することが罪なのです。ですから、原理原則、法度から外れれば神様もどうしようもないのです。サタンに引っ掛かってしまうのです。イエス様は、生まれるときにサタンが讒訴し得る立場を抜け出した立場で生まれたので、原罪がない方なのです。
真の生命の種をもった方
天の真なる男性が生まれました。この地上に神様が苦労されて、再び完成したアダムが生まれたのです。完成したアダムは、昔、エデンで堕落したその時代のアダムではありません。サタン世界に個人的に勝利し、家庭的に勝利し、氏族、民族、国家、世界的にすべて勝利して、人類歴史のすべての蕩減条件を清算して、サタンが再び讒訴できないように整備した、解放の立場で生まれたアダムを意味するのです。
天の真なる男性が生まれました。サタン世界は知っているのです。この男性が生まれ、真の新郎となり、真の父となることをサタン世界は知っているのです。この男性が真の新郎です。
今日、サタン世界において復帰摂理を進める際に、宗教を通すその目的とは何でしょうか。母一人を立てるためです。サタンに汚された母を、解放された母として立てるためです。
そのように立てられたエバは、何を願うのかというと、新郎です。新郎ならば、どのような新郎でしょうか。真の愛をもって来る新郎、真の愛を中心として真の生命の種をもってくる新郎です。今まで真の愛と真の生命の種をもった人は、一人もいませんでした。サタンが汚すことによって、すべてサタン的血縁関係によってサタンの生命の種を受け継いだので、創造理想を完成した立場で神様が願われた理想的真の愛を中心として、生命の種をもった男性がいなかったのです。これをつくり上げなければならないのです。
神様と一体になって、世界の歴史上初めて勝利者になり、サタン世界の個人、家庭、国家、世界、天宙を取り戻してくるようになりました。ですから復帰が可能だというのです。今まで世界にある個人の立場は、歴史時代を経て世界に展開した全体を合わせた個人です。ですから世界的個人は、世界史的でしょう?世界史的個人、世界史的家庭、世界史的氏族、世界史的民族という意味です。そのような段階を乗り越えなければなりません。その八段階を上がらなければなりません。個人とは、世界を代表した個人です。その「世界的」の「的」というのは接尾辞でしょう?世界の個人をいうのです。分かりますか。初めて勝利者になったのです。
Sunday Sep 01, 2024
イエス様の生涯と愛 第10話
Sunday Sep 01, 2024
Sunday Sep 01, 2024
第二章 イエス様の誕生とその目的
ー、イエス様の降臨の目的
神様の理想とイエス様の降臨
人間を救うためにこの地に来られる方とは、どのような方でしょうか。その方は人間を代表する立場にあるだけではなく、神様と永遠に切れない因縁を結んで現れる主人公であられます。
このような因縁と使命を帯びて、この地に降臨された方が正にイエス・キリストであられます。ですから、イエス様は福音を伝播しながら、「私は神様の息子だ」とおっしゃったのです。また、「神様と一体になっている」とおっしゃいました。
これは、驚くべきみ言です。普通の人には類を見ないみ言です。ですから、神様と愛を中心とした血統的に因縁をもって現れたキリストであられたので、歴史にない中心として、新しい変遷の役事を起こすまいとしても起こさざるを得なかったのです。そのような面で、イエス様の血と肉は、父の血と肉であり、すべてが父のものだったと言えるのです。このように神様とイエス様とは、切っても切れない因縁が結ばれていたのです。
ではなぜイエス様は、そのような方でなければならなかったのでしょうか。堕落した人間は罪悪の血統を受けて生まれたので、父の血肉に代わって接ぎ木をしてあげられる一人を、神様はこの地に送るしかなかったのです。このような摂理的な必然性によってイエス様は、この地に来なければならなかったのです。
イエス様がこの悪なる世に来られて叫ばれたみ言は、地の言葉ではありませんでした。イエス様のみ言は、今までなかった真なる真理のみ言であり、地上にあったものとはあまりにも異なる新しい理念であり、革新的な事実を提示するものでした。
神様は、自らの内的な理想を実体的に感じ得る一つの中心存在として、人間を創造されました。それで神様によって秘められた天の美と天の愛と天の栄光を、人間であるアダムとエバの生活を通し、生涯を通し、永生の路程を通して成し遂げ、いつの時も絶えることのない喜びの世界をつくろうとなさいました。
人間が堕落することによって、神様が意図されたそのような本然のみ旨は、根本的に途絶え、人間は願ってもいなかったサタンを神様の代わりに立てて、そのサタンの主管圏内にとどまるようになりました。神様に栄光と喜びを返し、神様に侍る生活をすべき人間が、神様の代わりにサタンを中心として、サタンに侍って従う侮辱の歴史を繰り返してきたのです。
神様には、人を中心として取り戻すべき栄光が残っており、人を中心として愛すべきみ旨が残っており、人を中心として勧告すべきことが残っているので、今まで摂理してこられたのです。サタンは反対に、神様の栄光、神様の愛、天の生命を破壊するための戦い、今日、人間を自らの手中に縛りつけて、これを神側に渡すまいとする戦いを続けてきているのです。
それゆえ、今や神様は、人を立ててサタンを恨み得る一つの条件を立てなければならず、人を立てて神様にお返しすべき栄光を中心として、神様の代わりに人間から愛を受けているサタンに対して、抗議し得る条件を立てなければならないのです。
また神様の代わりに、サタンが全体の生命の権限をもっているので、神様はこれも抗議できる人を立てなくてはならないのです。このような責任が神様に残っているのです。神様が探し求めていらっしゃる創造本然の人間、サタンに対して攻撃できる一人の主人公が現れなくては、再び神様に栄光を返す道がなく、愛を返す道がなく、生命を返す道がないのです。
この一人の中心存在をお立てになるために、神様は四千年間、苦労しながら摂理をしてこられました。そうしてついに神様は、万民の前に探し求めてきた一人の信仰の中心、人間の代表的な中心を、神様の栄光を証し、神様の愛を証し、神様の生命を証するためにお立てになったのです。その方が誰かというと、イエス・キリストだったのです。
Sunday Sep 01, 2024
イエス様の生涯と愛 第9話
Sunday Sep 01, 2024
Sunday Sep 01, 2024
この世に、そのようなことがあるでしょうか。これが聖書にある内容です。ところで、なぜそのようにしたのでしょうか。そのようにせざるを得なかったからです。堕落した結果がそうだったので、そのようにしなければ天道が解けないのです。
ユダは、タマルとそのような関係を結んだのち、自分の印を与えて別れました。舅のユダは道端でそのような関係をもったのですが、その相手が嫁であるとは知りませんでした。そうこうしているうちに、タマルについてうわさが広まりました。
寡婦が子を身ごもったので、「殺せ」と大騒ぎになりました。タマルは死ななければならない立場でした。そのとき、ユダは族長でした。そのうわさはユダの耳に入りました。それでユダの命令によって殺そうとすると、タマルは事情を話しました。自分は不法な行為をしたのではない、この子の父はユダであると言ったのです。
タマルは子供を生むことになります。その子供は双子でした。ところが、その双子が腹中で争ったのです。リベカは、自分の腹中でエサウとヤコブが争うので神様に祈祷すると、神様は「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」(創世記二五・23)とおっしゃいました。これと同じように、タマルの腹中でも争いが起きたのです。子供を生んでから交替するのではなく、腹中で交替しなければならないのです。
聖書の創世記第三十八章にこのような内容があります。ユダの息子が生まれたのですが、最初がペレヅで、そのあとにゼラが生まれました。彼らが生まれるとき、兄が先に出るために手を出しました。それでその手に赤い糸を結びました。ところが、弟のペレヅが兄を押し退けて先に出てきたのです。これが腹中の闘いです。
胎中で兄を押し退けて、弟のペレヅが兄として生まれることによって、兄と弟をひっくり返そうとする神様の摂理に勝利の結果をもたらすことになりました。これはとりもなおさず、人を逆に胎中に取り込んで、胎中で闘って兄弟をひっくり返した結果をつくったのです。このような歴史は、聖書以外にはありません。それゆえ、これは神様の摂理と言わざるを得ないのです。
胎中で勝ちましたか、負けましたか。勝ったので、その胎中を通して勝利したその基盤を通し、貞操をもって命を捧げることを覚悟しながら、その思想を受け継いだ女性を通して、神様のみ旨を立てることができたのです。
神様は、血統的に汚された血筋を交替するために、このように二千年の間、歴史的な摂理をしてこられました。そうしてヤコブを経て、ユダの家庭を通して、初めてこのことが決定されたのです。結局、血筋を中心として闘い、天の側が勝利した基盤を築いたのです。それゆえ、イエス様はユダ支派を通して現れなければならないのです。
イスラエル民族が、サタンの国以上の国を成し遂げるまで二千年という期間を待って、そのように清まった血統、勝利した伝統的な血筋の因縁をマリヤが引き継ぐ位置に立ったので、マリヤの腹中を通してサタンが讒訴できない、初めて神様だけが愛し得る息子として生まれた方が、イエス様なのです。
有史以来、このように血筋を清めて生まれた人は、イエス様しかいません。それゆえ、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ一四・6)という決定的なみ言を語ることができるのです。イエス様は有史以来、神様の愛を受け得る一番目の息子として生まれたので、ひとり子であると主張できるのです。