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Monday Jun 20, 2022
平和経 第249話
Monday Jun 20, 2022
Monday Jun 20, 2022
私たちが願う南北統一は、あくまでも怨讐さえも愛する、ために生き、犠牲となる真の愛の精神によってのみ可能です。父母が子女の面倒を見るように、兄弟同士がいたわり合うように、北朝鮮の同胞の痛みを自分の痛みとして分かち合い、神様の変わることのない真の愛の中で共に会うことができるようにしなければなりません。
真の愛を中心として、神様とアダムとエバが互いに会い定着できる交差点は、九〇度を形成するのです。なぜならば、神様と人間を縦的に連結する真の愛の道は、最短距離である垂直以外になく、完成したアダムとエバを夫婦として連結する真の愛の道は横的で水平なので、正にこの垂直と水平が出会う点は、自動的に九〇度の角度になるのです。そして、この点は絶対的な価値をもった位置として、ただ一つしかない真の愛を結ぶ中心点であり、モデルとなる点なのです。
しかし、アダムとエバが成熟する前に、天使長のゆえにこの角度がねじれてしまったのですが、これが正に堕落なのです。大工が家を建てるとき、水平を先に見るでしょうか、垂直を先に見るでしょうか。水平を先に見るとすれば、それは既に垂直を認めているのです。同じように、女性という言葉も、男性が先にあってこそ出てくる言葉なのです。また男性という言葉も、女性を先有(前提)条件として出てくる言葉です。「上」という言葉は「下」を考え、「右」という言葉は「左」を先に認めて語る言葉なのです。したがって、横的という言葉は、縦的という言葉を前提としなければなりません。
このように先有存在圏を認めるということは、ために存在する相対圏を認めることであり、ここにおいて真の愛は、相対のために生きようとする目的をもって成立するものなのです。
それならば、神様と本然のアダム、エバはどこで出会うのでしょうか。神様の愛と真の父母の愛、神様の生命と真の父母の生命、神様の血統と真の父母の血統が結合する所は、垂直と水平を連結した九〇度の角度以外にありません。この点が真の愛を成立させる公式点なのです。
神様は縦的な真の愛の父母であられ、アダムとエバは横的な真の愛を中心とした父母なので、このような二つの父母の愛と生命と血統を受け継いで生まれた自分の心は縦的な「私」となり、体は横的な「私」となるのであり、この縦的な「私」と横的な「私」が統一体になるとき、人間は永遠な神様の「真の愛の同伴者」となるのです。
神様は真の愛と真の生命と真の血統をもっていらっしゃり、私たちもそこから出てきたので、私たちの中にも真の愛があり、真の生命があり、真の血統がなければならないのです。人間は、神様の真の愛を中心として父子一体の関係をもって生まれたので、神様の心と体が真の愛によって自然に統一されているように、私たち人間の心と体も真の愛によって自然に統一されなければならなかったのです。
ところが、サタンの愛と生命と血統を受け継いだ堕落人間は、サタン側の体と神側の心を分ける一線に立って、絶えず闘っているのです。このように今日、「私」を中心とした愛は、心ではなく体と関係があります。この体が悪魔の舞踏場になってしまったというのです。悪魔の錨綱が掛けられた杭のようになってしまいました。心は天に代わるプラスの位置にあるのですが、体がまた別のプラスになり、心をもてあそんでいるのです。これを是正しなければならない道が、私たちの生涯にわたる義務なのです。これをご存じであられる神様が、修理工場としてつくったのが宗教です。
ですから、宗教は断食や犠牲、奉仕をすることによって、体を心に屈服させる教育をするのです。言い換えれば、体の欲望を弱化させ、心がすることに従えるように、三年から五年以上かけて、習慣性を伝授するためのものが信仰生活なのです。また、絶えず祈祷することを強調します。
神様は縦的な立場にのみいらっしゃるので、心が通じなければ活動ができないお方です。サタンはあらゆる所で活動しています。三六〇度いつでも活動できるので、サタンの活動に負けるようになっているのです。
心は垂直の位置にあるので一つです。垂直は横的基盤ではないので、横的基盤に出ていくことはできません。そのため、心は環境に引っ張られやすいので、垂直の立場において精誠を尽くして祈祷し、三倍、四倍の強い力を心に受け、体を自由に制御し、三年から五年かけてそのような習慣を身につけなければならないのです。この二つの方法以外に修理できる道はありません。
そのような修養を行う宗教の門を通過しなければ、本郷の人間の道を見いだすことはできないのです。哲学の道、知識の道、良心の道だけではできないのです。縦的な心と横的な体が一つにならなければなりません。
ところで、人間の心と体が神様の理想と一つにならないようにした、その堕落の起源は何でしょうか。聖書には、善悪の実を取って食べたからだとあります。それでは、その善悪の実を取って食べたあと、どこを隠しましたか。口を隠しましたか、手を隠しましたか。違います!下半身を隠したのです。ですから、サタンを中心として結婚をしたのです。これが悪の血統を繁殖する起源になったのです。
しかし、考えてみると、人間にとって真の愛と真の生命と真の血統の根源地は、正に愛の器官です。堕落によって、この神聖であるべき愛の器官が、天理を破壊した凶悪な宮殿になってしまいました。悪の本拠地になってしまったのです。ここに偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が植えられてしまったというのです。
十代の未成熟なときに人間始祖アダムとエバが堕落しました。そのようにして悪を植えつけたので、歴史的に人間の世界に悪の血統が広がっていったのです。したがって終末の収穫期になれば、全世界的に青少年たちが、アダムとエバのように愛の倫理を破壊し、退廃的な風潮へと流れていくのです。このような現象を見ながら、サタンの全権時代がこの地上に到来したことを知らなければなりません。そしてこのときこそ、神様が鉄槌を下す審判の日になるのです。
歴史的に見ると神様のみ前に淫乱の都市や淫乱の国は滅びました。ソドムとゴモラが硫黄の火によって焼かれたのも、ローマが滅んだのも、ほかの理由で滅んだのではありません。法度を守れずに淫乱に陥り、減んでいったのです。
アメリカ、ヨーロッパ、日本など、今日の世界の先進諸国を見てください。東西、四方に広がるフリーセックスと淫乱の波を誰が防ぐことができるでしょうか。乱れた愛だけでは物足らず、末梢神経を刺激する享楽主義、麻薬や覚醒剤を求める無頼漢の世界になりつつあるのです。
それはすべて、肉体が死へと引っ張っていく道なのです。決して心の願う道ではありません。心は手を上げて痛哭しているのです。天理大道において人間を本然の始発地である神様の懐へと導いていくべき良心の使命と召命は、すべて失敗してしまったのです。誰かが現れて、世界人類をこのような堕落の環境から救いの道に導かなければなりません。堕落してサタン側に立った人類は、野生のオリーブの木に例えることができます。その中でも、神様が分立させて探し出した人類は宗教圏ですが、それは神様の所有権の中にある野生のオリーブです。
ですから、神様が自由に主管できるのです。再臨主が来られれば、一遍に切って接ぎ木しやすいように準備してきたのです。そうして、野生のオリーブが真のオリーブとなり、本然の状態に返っていくのです。
ですから、宗教を信じる人も、本来の真の父を探さなければなりません。なぜなら、彼らは本来の真の父の生命の種を受けずに生まれたからです。言い換えれば、本来の真の愛を中心として、神様の血統に連結した真の息子、娘としての一体理想を果たせなかったのです。ですからメシヤが来なければならないのです。
皆様。メシヤとは何か御存じですか。メシヤは、真の父母として来られ、偽りの父母から生まれることによって植えつけられた偽りの根を取り除き、本然の形態を復帰し、サタンを追放し、皆が歓迎する自由解放の天国世界を創建しなければならない、そのような重大な責任をもって来られるお方なのです。
皆様。皆様が神様の愛、神様の生命、神様の血統を、そして真の父母の愛と真の父母の生命と真の父母の血統を受け継いだ息子、娘になれば、神様のように、皆様にも心と体が闘うことのない真の統一の起源が生まれるでしょう。そして、「私」の心と体が統一されたところから、永遠の平和の世界は出発するのです。
尊敬する「世界平和女性連合」の会員の皆様。私たちは、父母の心情を抱き、僕の体の道理を果たしましょう。私たちの汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流しながら、天地創造の大いなる主人でいらっしゃる私たちの父母の恨を解放し、一つの平和世界を建設する十字架を負い、救世の道へと前進しましょう。
私たちの目的地は世界の果てですが、私たちの出発点は、正に自分の心と体が真の愛を中心として一つになるところから始まらなければならないという事実を忘れないでください。そして、自らの家庭が永遠の幸福と真の愛の定着地になるときに初めて、私たちが願う理想の国、理想の世界が結実することを肝に銘じなければなりません。
私たちの「世界平和女性連合」の運動は、遠からず世界万民が参加する「世界平和家庭連合」の運動に昇華、発展し、五色人種(すべての人種)が永生を謳歌しながら、子々孫々がために生きてはさらにために生き、与えんとする真の愛の世界を建設するでしょう。この歴史的な聖業に私たちは決起し、先頭に立つことを誓いましょう。皆様と皆様の御家庭に神様の祝福が共にあることを祈りながら、私のお話を終わります。ありがとうございました。
Monday Jun 20, 2022
平和経 第248話
Monday Jun 20, 2022
Monday Jun 20, 2022
真の愛を中心として心と体が一つになれば、皆様は神様御自身の愛の同伴者となり、永遠の対象になるのです。そればかりでなく、神様の永遠の愛を相続する人になるのです。愛の属性には、相続権があり、同居権があり、また同参(一緒に参加すること)権があります。たとえ愛する夫が大統領で、たとえ妻が小学校すら出ていなかったとしても、愛する夫婦の関係になれば、夫のものは妻のものとなり、昼夜の別なくいつでも同居できることはもちろん同参する権限もあるのです。
愛にはこのように相続権、同居権、同参権という偉大な三大属性があるので、神様の絶対的な愛、不変的な真の愛と一致した立場に立つようになれば、神様のいらっしゃる所に私たちも加担することができ、いつでも同居、同参できる権限をもつようになるのです。
そうなれば、目を閉じなくても神様を見ることができるようになり、涙を流すようになるのです。神様の悲痛な心情を体恤した人は、道を歩いていても立ち止まって痛哭するような体恤の世界があるのです。堕落したこの世の中ですら、母の愛は、もし我が子がよその地で不慮の事故に遭えば、直感で分かるような場合がたくさんあります。寝ていても名前を呼ひ、大声を上げて目覚めるのです。
もし、神様の本質的な真の愛、千年、万年をために生きては、さらにまたために生きようという、そのような真の愛を自分自身の心と体に一〇〇パーセント吸収できる内容をもつようになるとき、心には神様の真の愛の根が生え、神様の感じるすべてのことに通じるようになり、体は自動的にそこに共鳴するようになるのです。心の世界の真の愛を中心として共鳴体になるように創造されたのが体なので、心と体の統一世界を成し遂げるためには、神様の本質的な真の愛を回復しなければならないという課題が残っていることを知らなければなりません。
このような真の愛に共鳴する論理を中心として見ると、私たち人間がそこに一体化して共同一体圏に入れば、「神様の生命が私の生命であり、神様の血統が私の血統であり、神様の所有である被造世界が私の被造世界である」と言うことができるのです。したがって、天下を抱く父母の心をもって、天国に入籍するようになるのです。
それでは、愛が先でしょうか、生命が先でしょうか。それは愛が先なのです。人間の生命は愛によって、愛の理想を中心として宿るものなので、人間の生命の本質は正に愛なのです。ですから、愛を本質として生まれた生命は、ために生きるのが天理であり、また人間は生まれたときから他のために生まれたと言えるのです。「私は自分だけのために生まれた」、「すべてが私だけのために存在しなければならない」ということであれば、決して愛の概念は成立しません。相手のために与え、他のために犠牲になろうとするところから、愛は誘発され始めるのです。家庭のために犠牲になれる人は、家庭の愛を誘発させることができるのです。
他のために犠牲になれば、すべてを失うかのように思えますが、それは全く反対です。むしろ愛の主体となり、すべての主人となるだけではなく、さらに高い次元に飛躍するようになるのです。級友たちのために犠牲になり、奉仕する人は、そのクラスの委員長になるのであり、村のために犠牲になる人は、その村の指導者になるのです。ひいては国のために犠牲になり、奉仕する人は、その国の主人になるのです。
愛というのは、より大きなもののために犠牲になればなるほど、その愛の等級が高まっていくのが原理です。より大きなもののために犠牲になれば、それに吸収されていくのではなく、その大きなものの中心の場に立って新しい次元を迎えるようになるのです。キリスト教がイエス様の復活によって出発できたのも、他のために犠牲になりなさいと教えているからなのです。
イエス様はゲッセマネの園で、「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と祈祷され、罪なく死んでいく十字架上においてさえも、自分を槍で刺すローマ兵に対しても、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三•三四)と神様に切願したのです。これが正に神様のようにために生き、犠牲となって生きる生涯の標本であり、復活の歴史をつくり出す起源となり、キリスト教の核心的伝統思想にならなければならなかったのです。他のために命までも捧げ犠牲になるとき、さらに高い次元の命を得るようになるのです。
親愛なる女性連合の会員の皆様。私は一九九一年十一月三十日、夫と共に北朝鮮を訪問し、金日成主席や他の多くの指導者たちと会ったことも、考えてみれば命懸けの冒険でした。
皆様もよく御存じのように、文鮮明総裁は、彼ら北朝鮮の指導者たちが最も怨讐視してきた宗教指導者であり、国際勝共連合の指導者だったがゆえに、彼らは私の夫を葬り去ろうと国内外においてあらゆる工作をしてきた時だったのです。そのような所に、ただ神様だけを頼りに北朝鮮に入っていき、「『主体思想』では統一できない。『神主義』でのみ統一は可能である」と主張できたのは、ただただ心から彼らを生かしたい、ために生きたいと思う真の愛の心があったからです。それにまた、祖国統一の門を開くためならば、いかなる犠牲も甘受しようという、殉教者の精神をもっていたからなのです。「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」という言葉を実践されたのです。
真の愛こそ、地獄までも占領できる土台となるのです。皆様が真の愛を所有するようになれば、すべての悲しみや苦痛も、真の愛の中では喜びに昇華されます。言い換えれば、この個人的な権力、知識、財力などをもって主張するそれ以上の絶対的権限として残したいと思うものが、人間の本性の欲求である真の愛なのです。
このような観点から見ると歴史を通じて、人間を救おうとされる神様の戦略戦術と、これに反対しようとする悪魔の戦略戦術は正反対に行われてきました。神様の戦略戦術は打たれて取り戻してくる作戦であるのに対して、サタンは先に打って奪われていくのです。第一次、第二次、第三次世界大戦を考えてみてください。先に打ったほうが滅んでいきました。しかし、神様は、裏切られ奪われたからといって、その人の命を奪って取り戻してくるわけではありません。神様は宇宙の主人として堂々と現れ、打って取り戻してくる能力をもちながらも、打たれてあげるのです。
父母は犠牲になることによって、不孝者を悔い改めさせる道を行くのです。神様は、天理の公道を立てるために自らサタンを訪ねていき、主人が来たらああしなさい、こうしなさいと教えてくださるのです。
しかし、歴史的に見ると、教えて導こうとして行った主人が、むしろ打たれたのです。しかし、打たれたのちはどうなるか御存じですか。孔子も多くの迫害を受けました。イエス様は、ローマ帝国に、罪人として命を奪われました。みな歴史が過ぎたのちに、聖人の名がつけられたのです。在世中に聖人になった人はどこにいるでしょうか。
このように、彼らは、その当時においては悲惨に死んでいきましたが、歴史の時代を経ながら、少しずつ上がっていくのです。打たれたことへの損害賠償を請求するのに、十年、二十年で終わらせてほしいとは言いません。期間が延びれば延びるほど、世界を完全に占領するようになるのです。数千年の間、耐えに耐えて、損害賠償額をすべて計算してみると銀行に預金したお金に利子がどんどんと付いて、のちにはその銀行まで買い取っても余りあるお金になるのです。
神様は待ちながら訪ねてこられる方です。打たれて取り戻してくる戦略戦術を取られる方なのです。悪のこの世が全面的に迫害して破壊しようとすれば、天運が助けてくれて、すべてを乗り越え跳躍させてくれるということなのです。
神様は私と夫にも、そのような多くの体験をさせてくださいました。迫害を受けるというのは、怨讐の所有権を相続する、また一つの秘法なのです。このようにして、神様から愛される人は、常に天運の保護を受けるのです。殺してしまいたいような怨讐がいても、神様はなぜ罰を与えないのかというと、それでもその人を愛する父母や妻、息子、娘がいることを御存じだからです。神様も涙の谷間を越えてこられたお方であるがゆえに、その怨讐を誰よりも愛する父母や妻、そして子女たちの心情を体恤されるとき、むち打つことができないのです。
そのような神様の心情を本当に感じるようになれば、怨讐を打つことができるでしょうか。それを思うと逆に怨讐を助けてあげなければならないのです。そうしてこそ、天理の大道である愛を中心として、一つに抱こうとするその大道の前に私たちは近づくようになり、そこに天地が振動しながら神様も涙を流すようになるのです。神様も御自身に似たと喜ばれるのです。
このような立場で見つめられる神様であるがゆえに、「怨讐を愛しなさい」という言葉が理解できるのです。そのような力が生まれるところは、知識でもなくお金でもありません。権力でもありません。真の愛のみにあるのです。ですから、皆様は愛する息子、娘、父母のために、南北が敵視するその峠を越え、ために生き、犠牲となる真の愛をもって統一を願わなければなりません。
Monday Jun 20, 2022
平和経 第247話
Monday Jun 20, 2022
Monday Jun 20, 2022
4.理想世界の主役となる女性I
日付:一九九二年五月十一日
場所:韓国、仁川、仁川室内体育館
行事:「世界平和女性連合」全国二十一カ所市道大会(真のお母様)
尊敬する内外の貴賓の皆様、ならびに「世界平和女性連合」会員の皆様。きょう、このように各界の女性指導者の皆様が満場の盛況を呈してくださる中で、世界平和のための私の所信の一端をお話しできますことを、この上ない光栄と存じます。
きょう、私がお話し申し上げる題目は、「理想世界の主役となる女性」です。今日の時代は、正にイデオロギーの障壁や言語、文化の違い、また人種の葛藤を越え、一つの世界へと突入する重要な転換期を迎えています。私たちは、今やこの地上からあらゆる戦争と抑圧と搾取がなくなり、ただ真の自由と平和と繁栄の未来だけが約束されることを念願しているのです。
これまで、私の夫である文鮮明総裁が主唱してきた「神主義」の理念は、過去の力だけに基づいた男性たちの激しい反対と迫害を克服し、脱冷戦時代の門を開く決定的な役割を果たしました。今後は、和解と協力を指向するこの歴史的な転換の時代に、私は「神主義」を基本とした永遠の平和世界を建設するための大原則を提示するに際し、未来の世界を開拓していくべき女性たちの目標とするために、文総裁が発表した「頭翼思想」を、いま一度皆様にお伝えしたいと思います。
本来神様は、喜びを得るために、愛する相対を造られました。彫刻家は一つの作品を作るために、昼夜の別なく若さを燃やしながら全力を投入しますが、そのような心はいったいどこに由来するのでしょうか。それは、喜びを味わうために愛の対象を創造された神様の心に似たのではないでしょうか。存在世界を見ると鉱物界、植物界、動物界、そして人間世界までも、すべてペアになっていることが分かります。なぜ、すべてがペアで存在しているのか御存じですか。それは互いに作用するためなのです。
鉱物界ではプラスイオンとマイナスイオンが作用します。元素同士でも、互いに近づけたからといってすべてが結合するわけではありません。相対的要因が合わなければ、神様であっても結合させることはできません。それとは逆に、互いに相対的要件が合うときは、神様も結合をやめさせることはできません。次元は低いのですが、このように鉱物界の作用も、愛の創造理想型のモデルになるように造られたのです。
ですから、真の愛の本質を中心とするときには、神様の心情と人間の心情と万物、動物界までも互いに通じるようになっているのです。その境地に入れば、岩とも通じるのです。皆様がそのような境地に入れないことが問題です。深い神秘の境地に入ると森羅万象のすべてが友になるのです。喜悦にあふれた愛の境地に入って自分が笑えば、すべての万物と神様までもが和動するのです。
皆様。愛する夫、愛する妻がいらっしゃるでしょう。どれくらい愛していらっしゃいますか。愛する妻を、一千億ウォンのお金を上げるからと言われて、そのお金と取り替えますか。心から愛する夫を、天地のすべてを上げるからと言われて取り替える妻がいるでしょうか。実は、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。すべてがために生きようとする真の愛のためなのです。男性と女性が陰陽の調和によって愛の理想を成就するために、神様がそのように創造したのです。真の男性と女性を通してこそ、統一された真の愛を見いだすことができるのであり、神様と人間も真の愛を中心として統一が成立するのです。
結婚というものは、男性と女性の絶対価値である真の愛を横的に連結したのちに、神様の縦的絶対価値である真の愛によって占領されるのです。このように絶対者であられる神様は、真の愛を絶対価値の中心として最高の貴い位置に立てたのです。
真の男性と真の女性と神様が真の愛を中心として完全に統一されるところに、私たちの人生観、宇宙観、神観など、あらゆる問題に対する解決の糸口を見いだすことができるのです。神様の真の愛は、投入してはまた投入し、与えてはまた与えて忘れる愛なのです。与えたという記憶が残っている限り、愛は無限に回ることはできません。愛は無限に運動するものなので、与えたことが記憶にとどまってはいけないのです。続けて与え、また与えても、記憶に残っていないがゆえに流れるのです。
それでは、天地と引き換えることのできない価値のある愛を、誰が皆様に与えてくれたのでしょうか。皆様の父母が与えてくれたのです。言い換えれば、根本に入ると神様が与えてくれたということです。神様はこの無限の価値をもつ愛を、父の立場で与えてくださりながらも、それをお忘れになります。その愛を受けた息子、娘たちが天を裏切るようなことがあったとしても、さらに与えようとされるがゆえに、そのような果てしない神様の愛のお陰で、きょう皆様もこの場に参加できるようになったのです。
ですから、真の愛が行く道とは、施しを受けるための道ではなく、ために生き、犠牲となる道なのです。ですから、神様御自身も愛の相対を創造されるときは、神様御自身がために生きる立場に立たれて、御自身が所有しているすべてを一〇〇パーセント投入しては、さらに投入したいと思うのです。このような心をもち得る本然の中心存在が、天地を創造された神様なのです。
ですから、真の愛は、ために生きることにおいても、一〇〇パーセント、一〇〇〇パーセント、すべてを与えて真空状態になるのです。空気でいえば、絶対低気圧が生じると自動的に高気圧の循環運動が起こるのと同じことです。ですから、絶対的にために生きようとするところには無限の力が発動するのです。
親愛なる「世界平和女性連合」の会員の皆様。「女は弱し、されど母は強し」という言葉があります。女性自体はこの上なく弱いのですが、女性が母として愛の主体的立場に立ったり、または妻や娘として愛の中心的役割を果たしたりするときには、女性はこの上なく強くなるのです。なぜならば、女性は母、あるいは妻や娘として愛の主体的立場に立って、一〇〇パーセント相手のために与えたならば、その空白を神様の愛が満たしてくれるからなのです。神様の愛の能力が発動し始めるのです。
だからこそ女性だったとしても、神様に似て燃えるような愛の主体的立場に立つようになれば、その愛の能力は家庭を生かし、国を生かし、世界を生かす驚くべき力として現れるのです。柳寛順のような十六歳(数え)の少女が、国全体に独立運動の波を起こさせたことは、正に国を生かそうとする熱き愛国の衷情が起こした奇跡だったのです。
神様も、このように人間に対し、ために生きて与える愛の主体的な立場に立たれ、与えてはまた与えようとなさる本性がその作用を続けることによって永存できるのです。ですから、真の愛の道には永生の論理が成立するのです。神様にとって真の愛の同伴者として造られた人間が、神様の願いどおりに成熟し、絶対不変である真の愛を神様から相続していたなら、人間世界には、根本的な統一の歴史が展開されるのであって、戦争や血を流すような悲惨な歴史はなかったはずです。
Saturday Jun 18, 2022
平和経 第243話
Saturday Jun 18, 2022
Saturday Jun 18, 2022
2.世界女性時代の到来
日付:一九九二年四月十日
場所:韓国、ソウル、オリンピック•メーンスタジアム
行事:「世界平和女性連合」創設大会および「アジア平和女性連合」ソウル大会
韓鶴子総裁、満場の「アジア平和女性連合」の会員の皆様、そして各国から参席された代表の皆様。私はきょうのこの大会が今後、韓国の女性史はもちろん、全世界の女性史において重大な意味を記す偉大な集会となることを信じて疑いません。
なぜなら、今日まで歴史を発展させ導いていく主体的な力量は男性によって発揮されてきましたが、きょうのこの大会が「世界女性時代の到来」を宣布する世界的転換の契機となるからです。
私は、今日まで男性が主導してきた世界の実情を一言で言うと、闘争と罪悪の歴史であると結論を下さざるを得ません。ですから人類は、このような罪悪と闘争の世界から解放される、善と平和が満ちあふれる幸福な世界を夢見てきたのではないでしょうか。
人類を子女として造られた創造主の神様がいらっしゃるならば、人類が今日まで数千年間戦争と罪悪の中で、どうにもなすすべがなく苦しんできたその現場を見つめながら、人類を救援する方策を講じずにはおられませんでした。それがすなわち、宗教による人類救援の摂理です。
私は宗教指導者として、宗教による神様の救援摂理だけが人類に残された最後のただ一つの希望であることを説いてきました。有史以来今日まで、数多くの偉人や英雄たちが身命を賭して努力してきましたが、戦争と罪悪の世界は一度も根本的に変化したことがありませんでした。すなわち、政治的や経済的な方法によってはこの罪悪世界を変える道はないのです。
それは今日、世界的な強大国であり先進国だと自負する国々の現実を見れば、あまりにも明白な事実です。道徳の退廃は、人類の未来を脅かしています。不倫と退廃は、家庭の存立基台までも破壊してしまいました。経済的な富に比例して、道義の退廃と性道徳の乱れ、麻薬の拡散は深刻な事態に至っています。人類は、今やこの性的退廃という持病のような一番の罪悪からいかにして逃れるかという問題に直面しています。このような退廃の沼から人類を救援する道は、政治や経済、軍事力によっては不可能なのです。
女性連合の会員の皆様、そして各国の代表の皆様。今から七十二年前、私が生まれた一九二〇年の頃、韓国は日帝の植民地下にありました。そのとき私は、強大国に蹂躙される弱小民族の苦痛と悲しみがいかなるものかを骨身にしみて体験しました。青少年時代だったその当時の私は、この悲惨な戦争と罪悪の世界を救援する道とは何であるかを深刻に悩まざるを得ませんでした。結論は、政治や軍事、または経済力による救援は表面的、一時的なものにすぎず、宗教による救援だけが根本的な道であることを悟ったのです。
なぜなら、宗教を通じた神様の救援摂理は、悪のサタン勢力が奪っていったすべての所有権を、反対を受けながら取り戻す戦略だからです。悪の勢力は善を打ちながら滅んでいき、善は打たれながら悪を自然屈伏させるというのが、宗教による解決方法なのです。そのようにして私は、十代の青少年時代以降、今日まで六十年以上の間、ただ一つの道である宗教的真理の悟りと教え、その実践運動に全生涯を捧げてきました。今や私の解き明かした真理の大系である「統一原理」は、全世界百六十ヵ国以上に広がっており、その中には共産国家だったソ連や東ヨーロッパはもちろん、北朝鮮の地にも急速に伝播されているばかりでなく、イスラーム圏である中東地域にも多くの信徒が生まれつつあります。
今まで韓国をはじめ、いくつかの国で統一教会が多くの迫害と苦難を受けてきました。しかし、統一教会は今や、地球星のどこにおいても、誰も抜き取ることのできない確固不動の根を下ろしました。
満場の女性連合会員の皆様。神様がこの罪悪世界を救援される根本的な手段であるすべての宗教では、メシヤ、すなわち救世主を待ち望む思想がその中心に入っています。
キリスト教ではイエス様の再臨を信奉し、仏教では弥勒仏の顕現を期待し、儒教やイスラームでも、その教団の教主が再来して罪悪と闘争の世界を審判し、全人類が願う善の理想世界、すなわち天国を実現するようになると預言しています。すなわち、すべての宗教が、その教主の再臨によってのみ、この罪悪の世界が救援されると教えているのです。これがすなわちメシヤ思想です。ですから、すべての宗教的教えの根本を統一し、全宗教人たちが待ち望むメシヤ、弥勒仏、真人、正道令などの役割を果たすことのできる真理の指導者、真の愛の指導者でなければ、この世の中を救援できないのです。
その指導者は、人類の始祖が堕落することで罪悪と闘争の世界になったその原因を明らかにするでしょう。あらゆる罪悪の根本の根である原罪を解明することによって、人間を罪悪から解放する真理を究明するでしょう。人類の始祖アダムとエバは、自分らの犯した原罪によって偽りの父母になったため、再臨されるメシヤは人類の善の始祖として、全人類を新しく生み直す真の父母として来られるようになるのです。真の父母は、空中で雲に乗って再臨されるのではなく、今日この時代、私たちが生きているこの地上に、韓国人として来られ、平和の統一世界を主導されるようになるのです。
私は過ぎ去った七十年の生涯にわたり、数多くの迫害を受けてきながらも、屈することなく、このような教えを全世界で実践してきました。このように見ると私の妻である韓鶴子総裁は、私と共にこの苦難の道を歩んできた全世界の女性の代表者であると言わざるを得ません。私が、天のみ旨に従い正義の道を歩む間、不義の勢力から迫害を受け、投獄される辛苦を共に味わいながら、私の妻は良心的で正義感のある女性たちによる新しい平和運動を起こす決意をしたのです。それが正にきょうのこの大会として結実したのです。
民主と共産に分断された韓半島は、世界の中心地であり、私は、南北統一こそが世界平和統一の鍵になることを知り、今日まで世界の至る所で、この課業のために全身全霊を傾けてきました。昨年(一九九一年)の十一月、私が北朝鮮を訪問して金日成主席と会談をしたのもこのためでした。今や世界のすべての宗教が統一される日も遠くありません。韓半島における南北統一の日も遠くないのです。
私の妻が総裁を務める「アジア平和女性連合」のソウル大会に世界七十ヵ国以上の女性代表が列席する中で、きょう「世界平和女性連合」を創設する趣旨もここにあるのです。大韓民国が神様の救援摂理の中心国家であり、その祖国だからです。あらゆる宗教を見ると、女性が男性よりも多くの精誠を尽くし、数的にも男性を圧倒しています。聖書には、来られる再臨のメシヤを新郎として迎えるために、新婦の準備をすることがキリスト教信者の真の信仰であると記録されています。このみ言は、すべての宗教は来られるメシヤの前に、女性、すなわち新婦の使命を果たすために準備されたという意味でもあります。
今やメシヤとして来られる真の父母の前に、今まで男性たちが主導してきた戦争と暴力、抑圧と搾取、犯罪の世界を終結させ、平和と愛、そして自由があふれる理想世界を実現する真の働き手が、正にこの時代の女性たちなのです。今まで正義と善を打って反対し迫害してきた悪の勢力が、これ以上横行できないようにすることも、女性たちの使命です。きょう、この場に列席した十五万人の韓国の女性たちは、韓鶴子総裁を尊敬し、「世界平和女性連合」の基本理念である「頭翼思想」と「神主義」で武装し、訪ねてくる世界の女性たちを教育できる指導者にならなければなりません。
人類の真の父母となられるメシヤが再臨するこの時代、韓国と北朝鮮が愛と真理で統一されるこの時代、世界のすべての宗教が一つになる正にこの時代、全人類が人種と理念を超越して、平和の新世界を創造するために召命された皆様に、神様は無限の祝福を与えてくださるでしょう。「アジア平和女性連合」ときょう創設される「世界平和女性連合」の前途に、神様の偉大な祝福と栄光があることを祈りつつ、これで私の激励の辞を終わりたいと思います。どうもありがとうございました。
Saturday Jun 18, 2022
平和経 第242話
Saturday Jun 18, 2022
Saturday Jun 18, 2022
神様は、人間を創造されるとき、なぜ男性と女性が互いに相対となるように造られたのでしょうか。それは真の愛ゆえにそのようにされたのです。真の愛の中で、夫は妻と、妻は夫と愛を分かち合うようにするためにです。夫と妻がこのように互いに横的な愛を分かち合うことによって、夫と妻の根源であられる神様の愛を所有するようになるのです。
すなわち、横的な男性と女性の愛によって、人間は縦的な神様と愛で結ばれるようになるのです。言い換えると男性と女性が結婚するのは、真の愛を中心に互いの世界を横的に占有するためであり、縦的には神様の愛を占有するためなのです。真の愛には相続権があるので、創造主と被造物が自分の所有となります。人間の欲望は、ここにおいて達成されるのです。
このような点から、女性は男性がいなければ神様の愛と出会うことができず、男性は女性がいなければ神様の愛を所有できないのです。そのため、男性と女性は、神様の愛を所有するという立場において、互いに平等な価値をもつことになり、一体になった夫婦が神様の真の愛のパートナーになると同時に、創造主と人間は、真の愛を中心として平等の価値をもつようになるのです。
このようにして、神様によって最初に造られた男性と女性が真の愛を成就すれば、彼らは真の父母となり、神様の愛を実現する始発点となるはずでした。しかし、不幸にも、人類は、神様の代身として真の愛の実体となるべき真の父母を失ってしまったので、このような真の父母の理想を再び回復し、真の愛を中心とした真の家庭と社会、国家、世界を実現する起源をつくらなければならなくなったのです。
ですから、これからの世界は、単に地理的に近くなる地球村時代ではなく、真の愛を中心としてつながる地球家族時代を迎えなければならないのです。文鮮明牧師は、この真の愛の絶対的な道を知るがゆえに、数多くの迫害と苦難を受けながらも、自分のためではなく、神様と人類のために生きてきたのであり、その結果、今日のこの世界的な統一教会の基盤を築いたのです。
のみならず、このように世界的な仕事をしてきた文牧師の妻として、私自身も、この真の愛を中心とした勝利の縁があるので、夫の痛みを骨身に深く刻みつつ家族全体と分かち合うことができたのであり、いかなる困難にぶつかったとしても、孤独な立場である夫のことを思いながら、表情に出さず、笑顔を失わないように努力してきたのです。
そのようにして、女性としての真の幸福を、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛の中に見いだそうと、ために生きる生活を続けているうちに、自然と私の生涯の目標が、真の愛を中心として、きょうはきのう以上にために生きて感謝し、またあすはきょう以上にために生きて感謝しながら、一層努力する人生になったのです。また私が今日、立派に成長した十三人の子女の母親として、その役割をうまく果たし得たのも、やはりこのような真の愛を中心として私の家庭が一つになれたからだと思います。どの家庭でも神様が臨在されれば、父母も子女もみな、神様の愛と生命と希望を共に分かち合うことができるからです。
尊敬する「アジア平和女性連合」の指導者の皆様。来たる二〇〇〇年代は、米ソ両国の対立時代でも、多国による混乱の時代でもなく、神様の真の愛を中心とした神様の世界にならなければなりません。経済力や軍事力による世界支配の論理が存在していた弱肉強食の時代は過ぎ去り、今や神様の真の愛を教える「神主義」に基づいて、東と西、南と北、そしてすべての文化と人種と思想が一つに溶け合い、一つの世界をつくらなければなりません。
「神主義」は今、アジアから出発して、アジア太平洋文明圏を建設しなければなりません。「神主義」を中心としたアジアは、これ以上の反目や葛藤、闘争があってはなりません。自分のためよりも、全体のために生きようとする真の愛の実践によって、アジア人自らが世界平和を成就する見本を示さなければなりません。
世界から富の祝福を受けた日本の行くべき道は、今や世界のために生きる「真の愛の精神」を土台として、世界の痛みを自分の痛みとし、世界の問題を自分の問題として、世界のために犠牲となり、奉仕することによって、世界平和建設の主役にならなければなりません。
既に文鮮明牧師は、今年の八月二十七日と二十八日に、韓国のソウルで「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」を結成しました。地球上の諸宗教は、唯一の神様を中心として全人類を結集させ、真の愛をもって結束させる使命をもっているにもかかわらず、歴史の流れとともに数百、数千に分かれてしまい、かえって宗教相互間の葛藤や闘争はおろか、真の神様を指向する人類の信仰の道までも、混乱に陥れてきたのが現実です。
宗教の名のもとに無実の人々を罪ある者と決めつけ、神様の名を借りて血を流す戦争を数多く経験してきた歴史的事実を直視したとき、このような宗教が一つにならなければ、人類の心の世界は一つになれないばかりか、地上の平和世界ははるか遠くに追いやられてしまうしかありません。このような点から見て、今年、世界の宗教が連合する機構が結成されたことは、正に歴史的な壮挙と言わざるを得ません。
また過去、第一次世界大戦時には国際連盟、第二次世界大戦時には国際連合が、それぞれ戦後の問題を解決するために設立されましたが、今日、第三次世界大戦と言える、過去四十数年間の冷戦時代が残してきた数多くの深刻な問題を解決するには、全く力不足であるというのが実情です。
人種や文化の葛藤の解決、貧富の格差の解消や自然保護、そして真の倫理的価値観の確立などが、現代の人類が世界的次元で新たに取り組んでいかなければならない課題です。このような観点から、「世界平和連合」という新しい国際機構が、真の愛と「神主義」という新しい理念を中心として設立されたことは、実に時宜にかなったことだと言わざるを得ません。
さらに一歩進んで、人間の心と体を代表するこの「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」が共に、世界平和という共通の目標に向かって一致した方向を取り、互いに協力し合うことのできる相互基盤が築かれたという事実は、既に世界平和の建設が目前に迫っていることを示すものです。また、文鮮明牧師は、世界平和のための重要な環境的条件を、既に準備したのです。
尊敬する日本の女性代表の皆様。これから皆様がアジアと世界のために与えようとする真の愛の実践者となるならば、きょうのこの歴史的な大転換の時点は、日本はもちろんのことアジアが世界へと飛躍できる重要な出発点となるでしょう。
皆様がアジアの母、世界の母として生活舞台の幅を広げ、次元を高めて、新しいアジア、新しい世界建設の先頭に立ってくださることを切に願うものです。これこそが、誰も避けることのできない、歴史が今日の私たちに与えた宿命的課題なのです。
アジアが神様の真の愛を中心として正しく立つとき、アジアの未来は無限に明るくなります。さらに、この世界に永遠の平和の秩序が定着する希望の未来が約束されるのです。新しいアジアの平和と世界の未来のために、より一層の努力をしてくださることを切にお願いいたします。ありがとうございました。
Friday Jun 17, 2022
平和経 第241話
Friday Jun 17, 2022
Friday Jun 17, 2022
1.アジアと世界を救う真の愛運動
日付:一九九一年九月十七日
場所:日本、千葉、東京ベイNKホール
行事:第一回「アジア平和女性連合」日本東京大会(真のお母様)
尊敬する大会委員長、「アジア平和女性連合」の会員の皆様、来賓の皆様、そして日本全国各地から集まってこられた女性指導者の皆様。今日の歴史的な大変化のただ中にあって、これまでわずか五年足らずの間に、「アジア平和女性連合」がこれほどの成長を遂げ、かくも立派な大会を開催することになり、衷心よりお祝いを申し上げます。
皆様の国、日本は、終戦の廃墟の中から立ち上がり、「現代の奇跡」と呼ばれるほどに、わずか四十年で世界一の経済大国を建設し、世界の人々の羨望の的となっています。さらに幸いに思うのは、このような驚くべき産業発展を遂げながらも、日本は東洋に受け継がれてきた伝統的価値を失うまいと努めながら、家庭と社会教育の問題に多大な関心と努力を傾けてきたことです。このような立派な成功の背後には、誰よりも女性の皆様が、細やかで犠牲的な母として、また献身的な主婦として、家庭を健全に育て守ってこられたことが、その大きな基礎となっていることを、私もやはり女性の一人として、誇りに感じています。
「アジア平和女性連合」の指導者の皆様。世界は今、歴史的な大転換期を迎えております。一九一七年のロシア革命以来、七十年近くにわたって、世界の半分以上を席巻しながら数億人もの人々の血を流し、全人類を恐怖と戦慄のるつぼに追い込んできた共産主義の宗主国ソ連が、ついにその赤い旗を降ろし、歴史の彼方へと消え去ることになりました。
これは取りも直さず、神様を否定する無神論の世界観が敗亡したことを意味し、葛藤と闘争と憎悪の哲学が、その限界を露呈し、共産党による一党独裁体制がその破滅を宣言したものです。しかし、このような共産主義の滅亡は、私たちに一つの重要な事実を悟らせてくれます。それはすなわち、共産主義の滅亡は、決して自由民主世界の勝利を意味してはいないという点です。経済的平等を主張して出発した共産主義が、かえって経済的な破綻によってその終焉を告げたように、自由の理想を唱えて立ち上がった自由民主世界もまた、その自由というものの陰で、性道徳の紊乱や暴力、麻薬中毒など、激しい価値観の混乱による社会的破綻を迎えているのです。
戦後四十数年にわたる冷戦時代は、結局のところ、左右双方が敗者となって勝者なしのゲームの幕を下ろすことになったのです。今こそ共産主義世界だけでなく、自由民主世界も新たに救済されるべきときであることを悟らせてくれているのです。
このように、西洋を出発地とした資本主義と共産主義は、いずれもそれ自体が物質的価値に基礎をおいているため、精神と肉体を兼ね備えている人間の真の欲望を満たすことができず、その限界があらわにならざるを得なかったのです。そのため、今日の世界においては、精神的価値を強調してきた東洋社会の中心的役割が、絶対的に必要な時代になりました。歴史的にも、アジア大陸は世界の精神文明の産室となってきましたが、ついに今や東洋が精神的な主体として、世界史的使命を果たす時が来ているのです。今の時代が「アジア太平洋時代」と呼ばれるのもその意味であり、これは実に、「もう一つの歴史的大転換期」と呼ばれるようになるのです。
尊敬する女性指導者の皆様。過去半世紀にわたり、日本が産業を発展させ経済的に豊かになりながらも、日本社会がその歴史的価値を立派に守ることができたのは、女性たちが自発的に、献身的、犠牲的に家庭を守ってきたからであると私は思っております。事実、歴史的価値の中で最も重要なものは、家庭を中心とした価値観であると思います。
昔の諺に「家和万事成」という言葉があります。これはすなわち、家庭こそが平和の根本であるという意味です。
そして、このような家庭を築く上で最も重要な要素が真の愛です。真の愛とは、愛の中でも神様を中心とした絶対愛のことをいいます。すなわち、愛せないものまでも愛するのが真の愛なので、真の愛によれば怨讐までも愛さざるを得なくなるのです。さらに相手のために生命までも捧げる犠牲的な愛が真の愛です。そのため、真の愛のもとでは、個人はもちろん、社会や国家間の対立や葛藤さえも完全に超越し、溶かされて、真の平和が成就するのです。
この真の愛は、創造と繁殖と発展の原動力となります。つまり、すべてのものは投入すれば消耗し、終わってしまいますが、真の愛は投入すればするほど大きくなり、さらに増加して返ってくるのです。そのため、このような真の愛の中でのみ「永生」という言葉が可能となり、真の愛を実践する家庭と社会は永遠に滅びることなく発展するのです。
このような点から見ますと、私の夫である文鮮明牧師が教えてきた「ために生きる」という言葉は、平和な世界を建設する基本的な指針となるものです。このような真の愛の起源は、神様にあります。そして神様は、このような真の愛を実現するために人間を創造されたのです。
Friday Jun 17, 2022
平和経 第240話
Friday Jun 17, 2022
Friday Jun 17, 2022
盲目的信仰の時代ではない
皆様は、このようなことは夢にも考えなかったでしょう。神様のみ旨を成就するために、サタンの国を滅亡させ、サタンの王権をなくし、人類を取り戻そうとされた主が、このように悲惨に死んでいかれたという事実を今からでも知って、キリスト教とユダヤ教は悔い改めて、一つにならなければなりません。一つになって、再び来られる主を迎える準備をしなければなりません。
真理は、理論に合わなければなりません。今こそ、盲目的な信仰の時代をはねのけ、新しい世界に向かって、この世界を収拾し救うために、全世界のキリスト教徒は、一つに団結しなければならないときが来ました。ですから、「統一」という言葉が必要な時が来たことを知らなければなりません。
イエス様が亡くなられた後、三日間、苦しみを受けられたという事実は、何を意味するのでしょうか(ベテロI三•一九)。天地は死亡圏にあり、地獄も死亡圏の因縁をもっているので、イエス様が天地を主管されるためには、この死亡圏を下にも乗り越え、上にも乗り越えなければならなかったのです。ですから、地獄のような、一番底の境地に行って苦痛を受けたとしても、それを乗り越え、生命の関係を追求し、神様を慰労する希望の道を行かなければなりませんでした。
したがって、イエス様が、地獄のようなその環境を経ることによって、希望の天国に向かって再出発できる道がつくられたのであり、地上では、捨てられ、追われ、死の道を行かれながらも、希望の道を後世に残すことができたのです。ですから、イエス様は、三日路程を行かざるを得なかったのです。
三日間、イエス様は、地獄を見物するために行かれたのではありません。地獄を知らないイエス様ではありませんでした。イエス様は、そこに行かれて判決を下し、死亡世界から生命の世界に行く道を開いておかなければならなかったのです。そのようにして、死亡の地獄世界であるこの地上に、勝利の基盤を築かれたのであり、天国に行くことのできる起源をつくっておかれたのです。
イエス様は、教団の前では異端者として、民族の前では律法の破壊分子として追われました。御自身の氏族から追われ、家からも追い出されました。洗礼ヨハネの一党からも追われました。それで、イエス様は荒野に出ていかれたのですが、そこでもまた、サタンに追われたのです。しかし、それだけでは終わりませんでした。最後には、全体が動員されて、十字架の死の道、ゴルゴタの道に追いやられたのです。
しかし、反逆者として追いやる民族に向かって、かえって涙を流されたイエス様でした。イエス様は、ユダヤ教団から異端者として扱われたのですが、イスラエルのいかなる祭司長よりも、彼らのために、より多くの血の涙を流された人でした。その時代の誰一人として、御自身の味方になってくれる人がいなかったのですが、イエス様は、その時代の友でした。民族の反逆者として迫害されたのですが、民族の忠臣であられたのであり、教団の異端者として迫害されたのですが、教団の忠臣であられたのです。
イエス様の道は、始めから終わりまで、引き裂かれ、追われ、倒れる、十字架を背負った凄惨な歩みでした。しかし、それだけだったでしょうか。むちを持った無謀な悪党たちによって追いやられるという、そのような境遇に追い込まれることもありました。このような立場で、もし、イエス様がエリヤのような人だったならば、彼も、「ただわたしだけ残りました」(列王紀上一九・一〇)という祈祷をしたでしょう。
しかし、イエス様は、ゲッセマネの園で、三人の弟子を後ろにおいて祈祷されるとき、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六•三九)と祈られました。そのことが偉大だったのです。御自身の事情も哀れでしたが、自分の一身は民族の祭物であり、人類の祭物であり、天倫の祭物であることを御存じだったのです。
イエス様の悲しみと神様の恨
そのようなことを御存じだったイエス様は、御自身の悲しみも悲しみではありましたが、天の悲しみがどれほど大きいものかを心配する気持ちのほうが大きかったのです。民族のために現れたにもかかわらず、民族に裏切られる、そのような自分を見つめられる天の悲しみのほうが、どれほど大きいかということをより心配されたのです。イエス様は、天の王子であられ、万宇宙の主人公であられ、メシヤであられました。そのようなイエス様が、「凄惨な十字架で落命とは、どういうことでしょうか」と言って嘆息しようとすれば、この宇宙を動員して嘆息することもできたのですが、嘆息できない自分であることを感じられたので、追われる立場に立つようになったことを、むしろ天に面目なく思われたのです。
教団を糾合し、民族を糾合して、天の王国を建設し、世界を父の懐に抱かせてさしあげなければならない責任を担われたイエス様は、その使命を残したまま十字架の道を行かれるようになるとき、恨みは何も感じられませんでした。イエス様が、「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と祈祷されたのも、自分の一身の死が悲しかったからではありません。自分の一身の死によって、民族の悲しみと天の悲しみが加重されることを知っておられたので、そのように祈られたのです。
イエス様は、自分が十字架で倒れれば、後代の世界人類に加重されることになる十字架が残され、そのことによって、悲しみの歴史は終わらないことを御存じでした。ゴルゴタの道が終わらないことを御存じでした。死の道が終わらないことを御存じだったのです。そして、自分がゴルゴタの道を行けば、自分に従う人々もまた、ゴルゴタの道を歩まなければならないことを御存じでした。
十字架だけでなく、それ以上の困難な道が残されることを御存じのイエス様でいらっしゃったのです。両手両足に釘が打ち込まれ、わきを槍で突き刺されて血を流す立場、茨の冠をかぶる立場に立ったとしても、それが自分で終わらないことを御存じだったイエス様は、天に向かって「すべてが終った」と言われました。そのみ言は、人間世界において、十字架の道がすべて終わったということではありませんでした。十字架のために涙しながら案ずる心の訴えが、天に通じたことを示しているのです。このように、イエス様は、数多くの預言者や烈士が、天に対して犯したすべての過ちを背負われ、天を慰労してさしあげるために、自分自身を生きた祭物として天に捧げられたという事実を、私たちは知らなければなりません。
それでは、ここでイエス様に対する神様の心情は、どのようなものだったでしょうか。死にゆくイエス様のその姿、天を案じながら十字架の峠を越えていくその姿を見つめられるとき、人間世界に対する憤りがあるとすれば、これ以上の憤りはなかったはずであり、天の四千年間の歴史路程を見ても、これほど大きな憤りはなかったでしょう。しかし、イエス様御自身は、死にゆくその中で、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三•三四)と言われました。神様には、即座に、ノアのとき以上の審判をしたいという思いがあったのですが、イエス様が、民族をつかんで亡くなられ、教団をつかんで亡くなられ、十字架をつかんで亡くなられたことによって、人間を捨てることができず、そのままつかんでこられたのです。そのような心的な関係が、後代の人間、残されたイスラエル民族と結ばれていたので、神様は、背反する後代の教団と人間たちを捨てることができずに、つかんでこられているのです。
四千年間、復活摂理を通して救いの役事をしてこられた神様は、イエス様を復活させる摂理だけでは、天上のみ旨と地上のみ旨を合わせて完結させることができないので、新しい契約を立てられ、それをもって、天上と地上のみ旨を合わせて、約束された本然の園を取り戻す摂理をしてこられたことを、皆様はよく御存じだと思います。
聖書を見るとイエス様は、与えた杯とパンが、すなわち新しい契約であるとおっしゃいました。イエス様が昇天されたのちに、私たちは、そのイエス様の血と肉を受けたのですから、これは、やがて成し遂げるべき全体の生命を身代わりすると同時に、全体の摂理を身代わりしたものであることを、皆様は知らなければなりません。イエス様の血とイエス様の肉を受けるということは、何を象徴するのでしょうか。それは、イエス様一個人の血と肉を意味するのではありません。大きくは、天と地を意味するのであり、小さくは、中心と個体を意味するのです。また、肉は真理を象徴し、血は神霊を象徴します。これらすべてのものを、イエス様は、私たちに何の条件もなしに下さったのです。
神様と人間との間を塞いでいるものは何でしょうか。天のみ旨が地上に現れ、地上の全体の状況が、天のみ旨に帰結され、一つの目的をもって動かなければならないのですが、それが塞がってしまったのです。
イエス様が、新しい契約を立てていかれたので、彼が亡くなったあとは、霊的な世界と肉的な世界が、人、すなわちイエス様に従う使徒を中心として連結されなければならない、という条件が残されました。イエス様が亡くならなければ、イエス様を中心として、天と地が連結されて一つになっていたのですが、亡くなられることによって、イエス様は、天に代わって条件を立てるようになったのであり、聖霊は、地に代わって条件を立てるようになったのです。
今は天一国を安着させるとき
尊敬する貴賓の皆様。しかし、今や時が来ました。神様が六千年間、待ち続けてこられ、キリスト教徒が二千年間、待ち望んできた超宗教、超国家、超NGO(非政府機構)圏次元の平和統一世界である地上、天上天国を建設すべき天の時が来たのです。ついに天運が到来したのです。天上のイエス様とぺテロ、ヤコブなどの弟子たちはもちろん、数千、数万の宗教指導者が一心一体となって、自由自在に地上に再臨し、真の父母様に侍って、神様のみ旨である「天一国」、天と地が一つになって、永遠の平和を享受して暮らす天国を、必ずやこの地上に安着させるでしょう。
今や、第二イスラエル圏であるキリスト教国家のアメリカが、先頭に立つべき時が来ました。銃剣によるのではなく、真の愛と真の生命と真の血統を基盤とした、真の真理とために生きる真の愛で、全世界の人類を教え導かなければならない責任が、アメリカにあるという点を、私はきょう、この場を借りて満天下に宣布する次第です。
最後に、このような崇高な天命に従い、「ワシントン・タイムズ」とUPI通信のような主要言論媒体も、これからは、超宗教的な側面と超思想的な側面を通じた汎人類教育に、より一層、積極的に乗り出してくださることをお願いする次第です。併せて、霊界の指導者たちが送ったメッセージを収録した冊子を配布しましたので、熟読してくださるようお願いします。ありがとうございました。
Friday Jun 17, 2022
平和経 第239話
Friday Jun 17, 2022
Friday Jun 17, 2022
右の強盗とキリスト教
民主世界が内的ならば、共産世界は外的です。右翼が内的ならば、左翼は外的です。ですから、今後来られるメシヤは、神様を尊重する民主世界の内的な基盤の上に来られ、外的な環境圏を吸収し、主流のキリスト教文明圏を中心として、様々な文明圏を統合する運動をしなければなりません。歴史の最後には、このような運動が起きるのです。そのようなことが偶然とばかりは言えません。そのような動機の種が蒔かれたので、そのような結果が結ばれるのです。
十字架で亡くなられたイエス様は、強盗殺人犯である右の強盗とともに亡くなられました。もし右の強盗がその場にいなかったとすれば、イエス様は、地上に対して、また人間に対して、関係を結ぶ何の縁も探し出すことができなかったでしょう。しかし、右の強盗が、死ぬ立場にあったにもかかわらず、イエス様の味方に立ってイエス様を擁護したのです。人類歴史上、イエス様の味方に立った最後の人は誰だったでしょうか。それは、ぺテロでもなく、イエス様の父母でもなく、イスラエルの国でもなく、ユダヤ教でもありませんでした。ただ一人、右の強盗だったのです。
死の場において、自分の因縁を通告し、死を乗り越えて、イエス様に全幅の信頼をかけた、ただ一人の人がいました。その人が、正に右の強盗だったのです。もし、右の強盗がいなければ、イエス様が復活して地上摂理を再開できなかったという事実を、皆権は知らなければなりません。
四千年の歴史を締めくくり、三十数年間の生涯を締めくくるその場において、ただ一人でしたが、初めてイエス様と関係を結び、死の道に同参してまでも、イエス様を希望の主体とし、イエス様に侍ることができた人が、右の強盗だったのです。彼が中心になっているという事実は、彼が使徒たちよりも勝っていることを物語っているのです。ペテロよりも勝っているのです。
なぜならば、右の強盗は、内容は知りませんでしたが、死の場において、その生命が尽きるときまで、イエス様に侍る方向性を備えたからです。しかし、ぺテロやヤコブのような十二使徒たちは、内容を知っていながらも、そして一つの方向性を備えるという誓いまでした人たちでありながらも、最後まで、その方向性を備えることができませんでした。ですから、右の強盗が、人類の歴史上において、地を身代わりして、未来を再起させることのできる中心的な存在になったという事実を知らなければなりません。
聖書を見たときに、イエス様が、個人的、家庭的、民族的、国家的な条件を立て、サタンと闘って完全に勝利したことがあったでしょうか。勝利したことがありませんでした。イエス様にも屈服しなかったサタンが、ましてやイエス様を信仰する人に対して屈服すると思いますか。六千年間、神様に讒訴し、神様のみ旨を蹂躙して、神様の摂理を台無しにしてきた、偽りの知恵の大王であるサタンが、イエス様を信仰する人が、「退け」と言ったからといって、退くと思いますか。そのためには、相続権が伴わなければならないのです。
私たちには、歴史的な相続権がなければなりません。アダムからノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、イエス様以後までの伝統と基盤を受け継いで、歴史的な祭物を身代わりした相続者にならなければなりません。そのようにして、サタンに、「お前は、歴史路程において、ノアに敗れ、ヤコブに敗れ、モーセに屈服したではないか。私は、彼ら全員の勝利の基盤の上に立っているのであり、摂理歴史のすべての伝統を相続したのだから退きなさい、このサタンめ!」と叫んでこそ、退くようになっているのです。
無条件に「サタンよ、退け!」といくらでも祈祷してみてください。六千年間、神様に讒訴し、蹂躙しながら、復帰摂理を破錠させてきたサタンが、「私は、イエス様を信仰しているのだから退きなさい」と言ったからといって、容易に退くと思いますか。それはあり得ないことです。「私は、間違いなく、歴史的な神様の心情を通して神様が探し求めてこられた者である。私は、イエス様の神聖な聖体に接ぎ木された者である」と言うことができなければなりません。
イエス様が神様から受け継いだ相続の系譜、すなわちイエス様をこの地に送られるときまでの四千年間の神様の心情的相続譜に載っていなければならないのです。そうして、十字架上においてサタンに勝利するのではなく、十字架にかからずに屈服させて勝利しなければなりません。肉身をもって実体復活しなければならないのです。そのような実体の相続者として認定された人であってこそ、天国に入っていくことができるのです。
霊的救いの摂理の土台を残したイエス様
今までのキリスト教は、霊肉の地上天国を願ってきたのではなく、肉的世界は放棄してしまい、霊的救いを目標として、霊的王国における霊的メシヤとしてのイエス様に侍ってこざるを得ませんでした。言い換えるとイスラエル民族には国があり、選民的国権をもつことができたのですが、今日、全世界のキリスト教は、第二イスラエルの霊的国家なのであって、主権国家、すなわち国がないのです。キリスト教徒は、霊的第二イスラエル圏内に立っているので、肉的基盤をもつことができず、霊的基盤だけをもっているのです。したがって、霊肉を中心とした地上天国を完結しなければならないという、神様の本然のみ旨を成し遂げることができなかったので、主は再び来ざるを得ないという事実を知らなければなりません。
きょうここで、皆様に一つ宣言しようと思うことがあります。それは、十字架の場においては、神様は勝利されたのではなく、サタンが勝利したという事実です。ゲッセマネの園で、イエス様が、「今は……やみの支配の時」(ルカ二二•五三)と宣布されたことを、皆様も覚えていらっしゃるでしょう。十字架の場は、神様が四千年間、準備してこられた国を失ってしまった場であり、イスラエルの教会を失ってしまった場であり、洗礼ヨハネの一党と十二弟子、右の強盗など、すべてを失ってしまった場になったことを知らなければなりません。
十字架上には、キリスト教がなかったのです。それでは、キリスト教は、いつ出発したのでしょうか。イエス様が、亡くなられてから三日目に復活され、四十日の間、自分に背いた弟子たちに会われ、聖霊が降臨した後に出発したのが、キリスト教です。しかし、キリスト教徒たちは、二千年の間、十字架の道理ではなく、復活の道理によってキリスト教が生まれたことを知らずに、信仰してきたのです。このような事実を悟るならば、皆様は、すべて悔い改めなければなりません。イエス様が復活された土台の上からキリスト教が始まったので、キリスト教は、霊的なキリスト教なのです。
イエス様のみ言を詳しく調べてみましょう。イエス様が、十字架にかけられて亡くなられることが、神様のみ旨の成就だったとすれば、ゲッセマネの園におけるイエス様の祈祷は、間違っていたことになります。メシヤとしての資格がない祈祷だった、ということになるのです。それは、全く驚くべき事実です。メシヤとして、一度ならず三度までも、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六•三九)という祈祷をすることができるのかというのです。もし、イエス様が亡くなられるために来られたのだとすれば、イスカリオテのユダには賞金を与えなければなりませんが、イスカリオテのユダについて語られた「その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」(マタイ二六・二四)というイエス様のみ言を、どのように解釈したらよいのでしょうか。
イエス様が、十字架上で亡くならなかったら、どのようになっていたでしょうか。イスラエルの国は、イエス様の教えに従って安定し、そのまま残り、ユダヤ教もそのまま残ることを、イエス様は知っておられたのです。しかし、御自身が十字架で亡くなれば、後世の数多くの人々が、十字架の道に従っていかなければならなくなるので、血を流さずしては、その道を行くことができず、数多くのキリスト教徒たちが苦労し、また、主が再び来られても苦労されることを、イエス様は知っておられたのです。
ですから、ゲッセマネの園において、イエス様は、そのような祈祷をせざるを得なかったことを知らなければなりません。今日、キリスト教徒たちは、イエス様も肉身をもっていらっしゃったので、死の苦痛が恐ろしくて、そのような祈祷をされたのだと言っています。しかし、イエス様がそのように取るに足らないメシヤだったのでしょうか。
皆様。十字架上で息を引き取られるとき、「すべてが終った」(ヨハネ一九•三〇)と言われたイエス様のみ言は、どういう意味でしょうか。イエス様は、霊肉共に救うための使命をもってこられたのですが、基盤のないこの地上では、神様のみ旨を完全に成し遂げることはできないことを悟られたのです。ですから、十字架を背負ってでも、霊的救いの摂理の基台を残し、また霊的救いの摂理を出発させることができる条件を立てるために、御自身のすべてを捧げて「すべてが終った!」と言われたのです。
Thursday Jun 16, 2022
平和経 第238話
Thursday Jun 16, 2022
Thursday Jun 16, 2022
28.神様のみ旨から見たイエス様の生涯と終末である現代に対する神様の警告
日付:二〇〇二年五月二十一日
場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン•ワシントン•ホテル
行事:「ワシントン•タイムズ」創刊二十周年記念式
尊敬する内外の貴賓の皆様。きょう、このように「ワシントン•タイムズ」創刊二十周年を迎え、私としては、とても感慨深いものがあります。一九八二年五月、私がニューヨークのマンハッタン連邦裁判所において、無念な思いで宗教裁判、人種裁判とも言える裁判を受けていた最中に、天の命令に従い、「ワシントン•タイムズ」創刊のための最終決定を下したときのことが鮮やかに思い出されます。
世界共産主義の波が怒涛のごとく全世界を襲っており、アメリカさえもそれに対して、なすすベがないという時でした。私は、民主世界の最後の砦であり、第二イスラエル圏のキリスト教国家であるアメリカを共産主義から守り、天がキリスト教を中心として立てようとした平和の理想世界、すなわち地上、天上天国を創建しなければならないという、天の崇高なみ旨に従ったのです。決して、新聞社をつくって、お金を儲けようという思いからではありませんでした。これまで「ワシントン•タイムズ」だけでも十数億ドル以上を投入しましたが、決してそのことで後悔したり、誰かを恨んだりしたこともありません。それが、天と人類のための真の愛の実践だったからです。
アメリカに送る最後のメッセージ
私がアメリカに来てから既に三十年が過ぎました。今では私の年も八十二歳になり、還故郷の時が来たことを感じています。最後に私は、第二イスラエル圏国家であるアメリカと人類に、神様と霊界の実相についてのメッセージをはっきりと伝えてから、ここを発とうと思います。このメッセージは、単なるレバレンド•ムーン個人のメッセージではありません。この時代に人類が守らなければならないメッセージとして天が下さったものです。天のみ旨について、今まで人類は無知な状態で生きてきました。第一に、神様について無知であり、第二に、私たちが死んだのちに、否応なしに選択の余地なく入って暮らさなければならない霊界について無知でした。
しかし今は、人類歴史の終末を迎え、既に天上においては四大聖人をはじめとする数多くの宗教団体の指導者たちが、私の教えである「統一原理」を真の真理として受け入れました。彼らは今、真の新しい家庭編成のための祝福結婚を通して、地上の弟子や子孫に再臨協助することに総動員され、役事することを始めました。
第二イスラエル国であるキリスト教国家のアメリカのためには、特別に霊界から、イエス様を中心とする四大聖人と歴史上で有名な弟子たちが、それぞれ百二十人ずつ選抜され、統一された連合戦線を構築しました。今や彼らは、地上再臨を通して、「超宗教超国家連合」と「超NGO(非政府機構)連合」の活動を本格化させ、この地上に平和世界を完成しようとしています。
彼らは、真の父母の思想である「ために生きる生活」、すなわち真の愛の実践でなければ、人類の将来はないと叫んでいます。したがって私は、「神様のみ旨から見たイエス様の生涯と終末である現代に対する神様の警告」という題目で、アメリカと人類に、この最も貴いメッセージを伝えることによって、きょうの記念の辞に代えさせていただこうと思います。
イエス様の十字架の摂理を注意深く見ると、右の強盗と左の強盗、イエス様とバラバがいたのですが、そのような形で種が蒔かれたというのです。「自分のまいたとおりに、刈り取る」という原則ゆえに、最初に現れたのが、イエス様を中心とする「右の強盗型」と「左の強盗型」である右翼世界と左翼世界、すなわち民主圏と共産圏であり、その次に現れたのが、イエス様の十字架を中心として登場した「バラバ型」であるイスラーム圏です。イエス様によって恵沢を受けることになった「バラバ型」のイスラーム圏は、キリスト教の対立勢力を中心として出発したのです。
このように種が蒔かれた歴史は、世界の形態が四大陣営に結束するという時代の運勢に入っていくようになりました。アラブ圏のナセルは、イスラーム圏を統合して、アラブ統一国家の夢を抱きました。そうかと思うとキリスト教は、「すべての宗教を統合しよう!」と叫びながら、世界的な新しい趨勢に入りつつあります。
このような世界的な傾向を見ると悲運の種が蒔かれた歴史が、ようやく今、神様を中心とした善の結果として現れつつあることが分かります。終末時代になれば、このような現象がますます露骨に現れ、最初に蒔いたものが、それと同じ姿の実が結ばれて刈り取られるようになるのです。それは、摂理の法度によって現れざるを得ない、不可避的な現象です。すなわち、真の愛主義である「真の父母思想」によって統一されるのです。
Wednesday Jun 15, 2022
平和経 第237話
Wednesday Jun 15, 2022
Wednesday Jun 15, 2022
27.新千年における言論の統一された方向
日付:二〇〇一年一月十五日
場所:日本、東京、京王プラザ•インターコンチネンタル•ホテル
行事:「二〇〇一世界言論人会議」(代読)
尊敬する元•現職国家元首、言論界の指導者、そして紳士淑女の皆様。私たちは今や新千年が始まる時代の第一歩を踏み出しました。人類はつい十年前まで、冷戦時代の恐怖の中で暮らしてきました。当時、全世界は、恐るべき破壊力をもつ核の脅威に震えなければなりませんでした。
しかし、今日では、政治、経済、文化など、ほぼすべての分野の障壁が崩れ、世界は一つの地球共同体へと変化しつつあります。私たちは、特に時間と空間を短縮させるマスメディア技術の発展により、人類歴史上、最も幅広い変化を経験しています。過去のいつのときよりも、個人は世界と、世界は個人と、より一層密接な関係をもつようになりました。
例えばインターネットは、皆様もよく御存じのように、ニュースや娯楽情報を得る方法を変化させており、誰でも自分のささいな意見まで全世界に伝達できるようにしてくれます。同様に、世界の重要なアイデアとイシューが、すべての人のコンピューターの画面に映ります。
二十世紀の初めにおける、科学技術開発の決定的な牽引車は電気でした。この頃は、巨大な情報の高速道路であるコンピューターの伝送容量がその役割を担っています。今日、ラジオ、テレビ、新聞、インターネットなどの言論媒体を通して、たった一日で得ることのできる情報量だけでもものすごい量です。問題は、人類がこのようなあらゆる情報を十分に消化して、善の目的のために正しく活用する意志と能力をもっているかということです。
ニュースと情報がこの世に氾濫し、その過程で私たちは商業化が進んでいく趨勢を目撃しています。情報は次第に商品として売られるようになっていくのです。そして、情報のもつ倫理的、社会的、道徳的影響よりは、情報の市場性、すなわち情報がいかに多く売れるかに重点が置かれています。「情報高速道路」が及ぼす影響を正しく評価するためには、この時代の驚くべき科学技術の発展のような外形的変化を見越す見識がなければならず、また言論に影響を及ぼす様々な内的側面に注目しなければなりません。
私たちは、より本質的な立場で虚心坦懐(きょしんたんかい)に、情報化時代が人類の心と霊魂にどのようにして肯定的、あるいは否定的な影響を及ぼすのかを検討してみる必要があります。地球村時代を迎え、私たちの願う言論とはどのようなものなのかを自問しなければならないときになったのです。今日は、歴史に対する言論の責任を明確に認識しなければならない時代です。
言論は人間生活の本質と家庭、国家などの諸般の制度と世界に影響を及ぼすという面から、言論の役割について皆様と共に考えようと思います。核心的な問題は、情報の伝達を誰が掌握するかということです。現在、先端情報技術を最も活発に活用する分野としては、商業広告、政治宣伝、それから大衆文化などが挙げられます。
情報技術が飛躍的に発展したからといって、私たちがより良い人間に変化し、より健全な社会になったと言えるわけではありません。情報技術の発展には、肯定的な面がある反面、かなり否定的な面もあるのです。
親は、子女たちが勉強を疎かにし、インターネットを通して非常に非道徳的で性的に乱れた環境でチャットに熱中して夜を明かす姿を時々目撃するでしょう。大衆文化にあふれる暴力的で扇情的な娯楽物は、現実からかけ離れた世界を形成し、人をして他人の途方もない現実的な苦痛に対して鈍感にさせながら、神様の願われる本然の愛の行為までも行うことができないようにさせるのです。
二十一世紀の人類は、冷戦時代よりも一層根本的で、危険ですらある各種の懸案に直面するようになるでしょう。私たちが直面することになる問題は、東西間の対立ではなく、価値世界の葛藤です。言い換えれば、道徳と非道徳の間の世界的な戦いになるでしょう。度が過ぎた商業化は、人間の尊厳性に否定的な影響を及ぼすようになり、それによって、神様が私たちの生活の中で共にいらっしゃることができないという結果まで招くようになるのです。言論媒体は、道徳水準の高い公平な基準を強調しようと努めていますが、その過程において、価値観とは関係なしに働く利潤追求という市場論理とその力に屈服する危険性があるのです。
不幸にも今日の社会的、文化的環境は、道徳的に堕落した状態に置かれています。家庭の尊厳性が破壊され、地上のすべての国家が苦痛と絶望の沼に追いつめられており、エイズによって、すべての国家が破壊される境地に至りました。道徳的規範を認めない言論文化が、いかにして若者が自己破滅の道へと向かうのを防ぐことはできるのでしょうか。そのような言論が、いかにして麻薬犯罪、離婚の増加、家庭崩壊、エイズ、性犯罪などを防ぐ方案を提示できるのでしょうか。これに対する答えは、私が言わずとも、皆様御自身がよく御存じだと思います。
現代の通信技術は、言論の自由の範囲を広げてくれています。インターネットによって、誰もが出版できるようになりました。おかしな表現に聞こえるかもしれませんが、私たちは今日、表現の自由があまりに多く、その中に溺れてもがいているのです。したがって、表現の自由をいかに行使するかは本当に重要な問題です。
今回の会議のメーンテーマは「新千年における言論の統一された方向」です。このようなテーマに対し、皆様のなかで一部の人は異なる意見をもつかもしれません。言論の自由という概念は、明らかに中心的方向がないことを意味するからです。しかし、ここで言う「統一された方向」というのは、言論の自由を行使する量的拡大よりは、人間の尊厳性と真の家庭、信仰の価値に重点を置いた社会規範を正しく立て直すための言論の質を念頭に置かなければならないことを意味します。
個人の価値と尊厳性は、真の家庭の安定した基盤の上で一層高揚され、光り輝くようになります。家庭は、男性と女性が互いに尊重し合い、和合しながら暮らすことを学べる最高の場所です。結局、人々は、人生で最も重要な要素である真の愛を、家庭の中で完全に学ぶようになるのです。世の中に対する価値認識は、一次的に両親や兄弟姉妹から影響を受けるようになります。家庭は、愛を学ぶ最初で最高の学校です。家庭こそが、理想社会と平和世界の礎石なのです。ですから、真の家庭の価値は、言論によって保護され、尊重されなければなりません。
いくら社会が豊かで自由であり、すべての家庭にコンピューターがあって、光ファィバーによるインターネット•サービスが可能な環境を造成できていたとしても、その社会が家庭崩壊を防ぐことができないとすれば、市民に幸福をもたらす健全な社会にはなり得ないのです。
人間の尊厳性の根拠は、どこにあるのでしょうか。人類は本来、神様によって、神様の子女として創造されました。私たちが神様のことをしばしば「父」と呼ぶのはこのためです。そして、私たちの目標は、神様に似た子女として成長し、神様の神性を相続することです。さらに神様を中心とした個人は、同様に神様を中心として生活する家庭を形成するようになります。結局、全人類は、この真の家庭で、真の父母であられる神様の愛と生命と血統を受け継ぐようになるのです。
人間社会における宗教の役割は、人間と神様の関係を向上させる上で重要なものです。そのような意味で、信仰は必須的なものです。皆様がいかなる宗教を信じたとしても、その宗教が提示する皆様と神様との関係が核心となります。特に人間が信仰を通して、絶対、唯一、永遠、不変であられる神様と一つになるときに、人間の内的価値も、絶対、唯一、永遠、不変になります。ですから、信仰は、人間の尊厳性に必須不可欠な価値をもっているのです。
そのような意味で、信仰の自由、信仰生活、信仰に基づいた活動などは、理想社会を建設するための柱になるのです。このような信仰的価値観を土台とした人間の生活は、ために生きる神様の真の愛の世界へと人類を導いていくでしょう。すべての宗教が、信仰を土台として真の愛を実践するとき、世界は神様のもとの一つの兄弟姉妹として結ばれるようになるのです。
私が一九七八年に創設した「世界言論人会議」は、言論が抑圧されている地域では、言論の自由な表現の増進のために努力し、言論の自由が既に保障されている国家では、責任ある言論の自由を行使できるようにすることに寄与してきました。私は今回の会議が、今日の新しい環境において、言論の最善の行動指針を設定することに貢献することを期待します。
言論人は、人間の生で最も価値ある要素と世界平和を実現できる最善の方法に関する真理を伝達し、人類を啓蒙する、そのような勇気をしばしば見せてくれました。未来は、言論人である皆様の努力により、人類の絶対、唯一、永遠、不変の尊厳性が花咲き、私たちを世界平和へと導く真の家庭を実現する時代にならなければなりません。
そのような観点で、きょうはとても意義深い日です。世界各国の言論界の指導者である皆様は、今夜、私がお話しした内容を胸の奥深くに刻み込んでくださるようお願いします。健全な家庭と理想社会、そして平和世界の構築という使命は、私だけに与えられたものではありません。このような課業に、皆様も参加することを神様は願われています。
情報化時代に生きる皆様は、世界のどの地域にも行くことができ、世界のどの場所とも即刻的に意思疎通が可能なのです。しかし、皆様と皆様の国と世界のための神様のみ旨を成し遂げるために、皆様はニュースと情報がいかなる価値をつくり出し、世界にいかなる影響を及ぼすかということに対して責任感をもたなければなりません。さらに皆様御自身の生活は、真の価値をもつ生きた手本にならなければなりません。それさえできれば、皆様は、神様に栄光をお返しし、人類には希望と幸福をもたらすことができるでしょう。
私は今回の会議で、皆様の真摯な努力が、立派な結実を収めると期待しています。私たちは、すべての情報とニュースの伝達に必要な技術を、既に確保しています。皆様は神様と結ばれた中で、このような技術を効果的に適用できる真の人間の心情的価値と本性に関心をもってくださることをお願いします。神様の祝福が、皆様と皆様の御家庭に共にあることを祈ります。ありがとうございました。