Episodes
Wednesday Jun 08, 2022
平和経 第226話
Wednesday Jun 08, 2022
Wednesday Jun 08, 2022
22.真の統一と一つの世界
日付:一九九〇年四月九日
場所:ソ連、モスクワ、ソビン•センター
行事:第十一回「世界界言論人会議」
親愛なる議長団、尊敬する元国家元首、首相、貴賓、そして紳士淑女の皆様。歴史的な第十一回「世界言論人会議」を皆様と共に、ソ連の首都モスクワで開催することとなり、限りなく栄光に思います。今回の大会のテーマは「世界のコミュニケーションと協力の増進」であり、これについて討論できる場所として、正にここソ連が最も適していると思います。また、今回の大会の開催は、私にとってはこの上ない喜びであると言うことができます。なぜなら、世界平和を追求する素晴らしい二つの団体の会議、すなわち第三回「世界平和のための頂上会議」と第九回「中南米統合機構総会」が同時にここで開催されているからです。今回のモスクワの訪問は、私にとって個人的にも温かい情を感じることができる良い経験になっています。ソ連政府、特に「ノーボスチ通信社」の幹部の皆様がこの地で施してくださった手厚いおもてなしに対して感謝の言葉を伝えたいと思います。私と妻、そして子女たちは、皆様の御親切に深い感銘を受けています。今、ここにいらっしゃる元国家元首および首相、各国貴賓の方々もみな、私と同様、主催国であるソ連に対して深い感謝の意を表すると思います。
最近私は、ソ連の言論人たちから、社会、経済、政治的発展の前提条件として「霊的ルネサンス」の重要性に対する見解を問われたことがあります。この機会を借りて、そのことについていくつかお話をしようと思います。「霊的ルネサンス」はとても重要だと思います。そして、このためには、人間に関する、より深い理解が必要です。
ですから、いくつかの哲学的な主題と宗教的な主題を考察してみる必要があります。これは、コミュニケーションや言論とは直接的な関連がないかもしれませんが、このことに対する理解は、世界の真の平和のために必要だと思います。その上、これは私が生涯をかけて探究し、発見し、教えてきた真理の本質でもあります。
宇宙を観察してみれば、すべての存在は、陽性と陰性の二性性相の相対的関係を結ぶことによって存在していることが分かります。これは、鉱物という次元から出発してすべての場合に当てはまります。分子は、陽イオンと陰イオンの結合を通じて形成されます。植物の場合、生存と繁殖は、雄と雌を代表する雄しベと雌しベの結合を通じてなされます。動物の場合、このような二性性相がよりはっきりとします。魚類、鳥類、哺乳類など、すべての動物は雄と雌によって存在します。最後に、神様の最高の創造物である私たち人間も、男性と女性に区分されています。最初の男性アダムと最初の女性エバは人類の始祖です。このような二性性相の存在目的とは何でしょうか。神様は、なぜこのように創造されたのでしょうか。創造主は、万物を陽性と陰性に区分して創造し、それらが互いに愛を与え合うことを通して結合するようにされたのです。愛の行為を通じて、すべての種はその数を増やし、系譜をつないでいくのです。
人間の欲望は、終わりもなく限りもありません。それでは、このような人間の限りない欲望の真の目標とは何でしょうか。女性の場合、それは男性です。そして、男性の場合、それは女性です。男性と女性は、お互いを通じてのみ真の愛を発見することができるのです。人生や宇宙、そして神様に対する歴史上の様々な見解は、解決することのできない問題ばかりを提示しました。これらの問題に対する解答は、真の男性と真の女性が真の愛の中で神様と一つになって絶対的な存在を創造するときに発見することができます。これが絶対価値の根源です。男性は女性のために存在します。女性は男性のために存在します。各々は、互いの愛の対象にならなければなりません。
神様は絶対的な愛の存在です。神様は愛の対象である人間を創造され、御自身の愛をその上に注ぐことができることを願われました。そのようにされることによって、神様は、自然に男性と女性から返ってくるその愛を受けることを期待されたのです。このような方法によって、神様は無限の喜びを感じたでしょう。アダムとエバは、まず自分たち同士が愛の中で一つになってこそ、神様の愛の完全な対象となることができたのです。したがって、アダムとエバが一組の成熟した人間となって神様に似るようになり、神様の愛を受け、また愛を神様にお返しするためには、成長と成熟の期間を必要としたのです。真の愛の模範は、仕えられることではなく他に仕えることです。神様は、最初に御自身の愛の対象を創造されるとき、御自身のすべてのエネルギー、すなわち御自身のすべてを一〇〇パーセント投入されました。このようにして神様は、真の愛の模範をつくられたのです。言い換えれば、神様は、御自身を完全に消耗し尽くす真の愛の伝統を立てられたというのです。そして、真の愛は宇宙の中心になったのです。人間を創造されるとき、神様は御自身を完全に投入し尽くしました。神様は、御自身を全く空にされたのです。大気中に低気圧の部分が生じると高気圧の部分は自動的に低気圧の方に引っ張られていくようになります。同様に誰かが他に絶対的に侍るようになるときには、常にその人を満たしてあげるためにエネルギーが結集するようになります。したがって、御自身の完全な愛の対象を創造するために神様が下さったすべての愛を、男性と女性は究極的に神様にお返ししてさしあげなければなりません。
ただ愛のみがすべての障壁を超越します。私たちが真の愛の中で神様と一つになるとき、肉的、霊的被造物に対する私たちの主管が可能になります。徹底して他のために生きるとき、私たちは初めて神様の本質に到達することができます。そうすれば、神様の思いが人間の思いとなり、神様が感じられることが自然に人間に伝達されるのです。このように生きていくとき、人間は神様の心情と愛に共鳴する器となり、二つの音叉が共鳴するように、人間と神様も常に共鳴するようになるのです。それが正に究極的な人間の原状なのです。この原状に到達するとき、神様の愛は私たちの愛となり、神様の生命が私たちの生命となり、神様の血統が正しく私たちの血統となるのです。神様の創造された世界が私たちの世界となるのです。私たちは地上と天上のすべての存在と共に神様の愛を分かち合うようになります。私たちは父母の心情で天国の民となるのです。
因果法則は歴史を通じて明白に現れます。蒔いたとおりに刈り取られるようになっています。人間始祖であるアダムとエバは、成長する過程において性的に愛を乱用しました。それにより、人間は楽園から追放されるようになったのです。神様は、アダムとエバが神様の祝福を受けて結婚するときまで、自分たちの純潔をしっかり守り、神様の真の愛、真の生命、真の血統の土台となってくれることを願われました。このようにして、アダムとエバが完成して祝福を受けていたならば、その子孫は、自然に神様の息子、娘となり、創造主の愛を享有し、地上天国と天上天国で暮らすことができていたはずです。
しかし、アダムとエバが完成期に至って神様から祝福を受ける以前、すなわち彼らがまだ十代の青少年のとき、天使長がエバをそそのかして姦淫したのです。それにより、天使長はサタンとなりました。そして、アダムもまた、堕落したエバと関係を結ぶことによって堕落しました。人間の歴史は、このように不倫の種を蒔くことによって始まったのです。その結果、今日不倫の関係が蔓延しています。特に、十代の青少年たちは、性的堕落の犠牲者となっています。先進国の社会は、聖書の中のソドムとゴモラとほとんど変わりません。神様は、このような不倫の愛を嫌われます。私たちは、神様の怒りを恐れなければなりません。
Monday Jun 06, 2022
平和経 第225話
Monday Jun 06, 2022
Monday Jun 06, 2022
21.言論の規範と記者の責任
日付:一九八九年三月二十三日
場所:アメリカ、ワシントンDC、オムニ•ショアハム•ホテル
行事:第十回「世界言論人会議」
尊敬する議長、貴賓、そして紳士淑女の皆様。ワシントンDCで開催される第十回「世界言論人会議」に皆様をお招きできたことを、誠にうれしく思います。今年は、選ばれた主題の発表者だけではなく、参加者の皆様が、歴代のどの会議よりも立派な方々がいらっしゃると聞いております。皆様にお会いできて、誠に喜ばしい限りです。ほとんどの方は、今回初めて参加されたことと思います。私が皆様にお会いして喜ぶように、皆様も私に会って喜んでいただければ幸いです。
皆様も御存じのように、私は本来、宗教指導者です。それにもかかわらず、私の活動領域は宗教に限られていません。私は言論に対しても、多大な関心をもっています。一九七五年以来、私は世界各地で多数の新聞社と出版社を設立してきました。
一九七五年に、日本の東京で日刊紙「世界日報」を創刊し、一九七六年には、ニューヨークで「ニューズ•ワールド」紙と「ニューヨーク•シティー•トリビューン」紙を創刊しました。アメリカの主要都市でスペイン語の日刊紙「ノティシャス・デル•ムンド」も発行しました。一九八一年からは、ウルグアイのモンテビデオで、日刊紙「ウルティマス•ノティシャス」を製作し、中東地域では「ミドルイースト•タイムズ」紙を発行しました。しかし私は、アメリカの首都ワシントンDCで、代案の声を出す人物として最もよく知られています。百二十八年の歴史をもつ「ワシントン•スター」紙が廃刊になってからは、ワシントンには、ただ一つの新聞だけが残りました。
「ワシントン•タイムズ」は創刊して七年にも満たないですが、優秀な新聞として成長し、秀でたデザインと編集内容で多くの受賞経歴をもつようになりました。この新聞は、アメリカで最も多く引用される三大新聞の一つとして、AP通信社によって選ばれました。
ワシントン・タイムズ社はまた、週刊誌「インサイト」と月刊学術誌「ワールド•アンド•アイ」を発刊しています。さらに、私が行ってきた韓国では主要日刊紙「世界日報」を創刊しました。この新聞は二ヵ月足らずで、発行部数が百万部を超えました。私はこのような出版物の発行に加え、言論の倫理と責任に関連した問題を探求するために、一九七八年に「世界言論人協会」を創設しました。
ここで、宗教指導者がなぜ多くの資金を投入して言論事業に力を尽くすのかという疑問があるようです。私がそのようにする理由はとても簡単です。それは言論によって支配される時代だからです。電波媒体と印刷媒体は、今まで地上に知られた最も強力で影響力ある伝達手段です。
紛争に苦しみ、互いに異なるイデオロギーが衝突する世界で、私たちが平和に暮らすのか、それとも戦争に巻き込まれるのかを決定する上で、言論は重大な役割を果たします。私の究極的な目標と願いは、恒久的な平和、言い換えれば真の価値観、すなわち真の愛に基づいた平和を実現することです。このような目標の達成は、軍事力によるよりは、言論の活動によるほうがはるかに大きい可能性をもっています。それだけに、この会場には、全世界から来られた最も影響力のある方々が集まっていると言ってこそ、正確な表現になるでしょう。言論人は人類の将来を、より良い方向か、または悪い方向に導いていける影響力をもっています。
言論は、強大な力を保有してはいますが、多くの自由国家では、世界の大多数の職業と比べ、顕著なほどにその言論活動を規制する法律がほとんどありません。そのような状況において、言論の自由という名のもとで強大な力を振りかざすことを念頭に置かずにはいられません。したがって、言論人たちは絶えず自省する努力を傾けなければならないということは自明の理です。
自由とは、神様が人間に賦与した最も大切な贈り物のうちの一つです。人間は創造されるときに、自由意思を与えられました。そして、自分の行使した自由に対しては、責任を負うように創造されました。正しい自由の意志行使に当たっては、正否に関する根本的な理解に基づく修養と節制が求められます。正否に関する定義を下す必要に迫られたとき、他人を害さなければ、いかなるものも許されるという回答をしばしば耳にします。しかし、明らかなのは、何が害することなのかを決定するための絶対的基準がそこに求められるということです。
創造主であられる神様は、人生の目的を既に定めておられます。人間の精神的幸福は、神様がお立てになった法度に従って人生の目的を実現してこそ得られます。人間がこのような原則から外れるならば、自然法則を違反したときのように自己の破滅を招くことになるのです。
私がこのようなことを話すのは、人間というのは、言論人や学者、聖職者、さらには夫や妻などの区分を問わず、誰もが神の子だからです。私たちは、自分たちを創造してくれた神様の息子であり、娘なのです。人間の神性と特有の尊厳性は神様に由来しているのです。人間の第一の責任は、神様から賦与された人間の価値を守るために、自由を行使することです。これを履行するためには、私たちは神様から賦与された根本的な道徳律に従って生きなければなりません。
アメリカは、個人の自由に高い価値を与える国です。アメリカ人とアメリカに住む人は誰でも、好きなだけ神様をあがめることができ、集会の自由があり、いかなる内容でも出版したり話したりすることができます。同時に、アメリカの建国の父たちは、自治という概念を強調しました。私たちは今日のアメリカにおいて、自由があふれている反面、自治が欠如していることを発見します。
言論が自由でなければならず、独立的でなければならないことは自明です。そして、独立的な言論は、道徳的な言論にならなければなりません。それでは、道徳言論とは何を意味するのでしょうか。道徳言論とは、神様から与えられた人間の権利と尊厳性を保護し、維持しながら、増進させるために自由を行使する言論です。人間の権利と尊厳性の保護が、すべての倫理と道徳性の基準にならなければなりません。
ですから、道徳言論は、人権と自由の守護の最前線に出なければならず、いかなるたぐいの不正に対しても対抗しなければなりません。このようにすることだけが、世界平和を保障する最善の方法なのです。道徳言論は、あらゆる形の抑圧に対抗する闘いの先頭に立たなければなりません。さらには、道徳性の回復という次元において、腐敗と人種差別主義に対抗し、不当に差別や迫害を受ける人々を保護しなければなりません。道徳言論は、麻薬の乱用と猥褻な書籍、その他、私たちの社会における多くの破滅的な悪習と対抗して闘うときに先頭に立たなければなりません。そうして、道徳言論は、私たちの社会の良心にならなければならないのです。
今年の会議には、ソ連と中国の言論人の代表の方々が初めて参加しました。私たちは、ソ連と中国から皆様をお招きできたことを誠にうれしく思います。共産主義世界は、急速に変化しています。私は、ソ連のグラスノスチとペストロイカという新しい開放・改革政策と中国が採択した改革政策に賛辞を送ろうと思います。ソ連と中国のこのような変化に対しては、両国の言論が主導的な役割を果たしています。「世界言論人協会」は、皆様が参加する今回の会議において、自由で公開的な討論が行われるように進んで努力をしています。
民主主義世界と共産主義世界は共に、腐敗と貪欲、搾取など、諸般の問題を解決するために努力しています。しかし、この両世界ともが、依然としてこの目標を実現することができずにいます。私の見解では、両社会は共に根本的な問題を抱えています。両世界は、自分たちの問題を、神様を排除したまま解決しようとしています。神様は忘れられた存在なのです。私たち人類が神様を捨ててしまったことは、今世紀の最も深刻な問題です。皆様が全体主義や無神論的世俗主義の名のもとで、神様から離れるならば、いかなる場合においても自己破滅という同じ結果を招くようになります。共産圏と西側諸国は、このような根本的な問題と闘っているのです。
私は、言論が抑圧を受ける所では、言論の自由な表現を増進するために、そして言論の自由が既にある地域では、責任言論を具現するために「世界言論人協会」を創設しました。さらに一歩進んで、私がこのように意味ある団体を立てたのは、真実報道の精神を鼓舞し、言論に携わる人たちが、妥協しない真理の闘士になるようにすることにあります。
私たちは、「世界言論人会議」をほぼ毎年開催してきており、言論人のための世界視察旅行を数回推進しました。このような実態調査の旅行の対象国家には、ソ連、中国、南アフリカ共和国、モザンビーク、アンゴラ、カンボジア、中米国家などが含まれます。言論人たちはこのような旅行を通して、現地の実状を取材し、世の中を直接体験できる機会をもつようになります。諺に「百聞は一見にしかず」という言葉があります。この言葉のように、言論人たちは事実を正確に報道するために、常に世の中の状況を見ていなければなりません。私たちが今回の会議で数日間にわたって議論するテーマは、「自由で道徳的な言論活動の考察」という重要な内容です。
最後に、皆様は、テレビや皆様の新聞で、私に関する内容をたくさん御覧になっていることと思います。皆様はレバレンド•ムーンに関する興味深い話が、新聞の販売部数を上げ、より多くの視聴者をニュース番組に引き込むのに役に立ったという事実を認めるでしょう。
このように私は、長い間、皆様のお役に立ってきたのですから、今度は私が何か一つお願いをしたとしても、御了解くださるのではないかと思います。そのお願いというのは、私の思想と生涯を一度研究していただきたいということです。心の扉を大きく開いて、一度研究してください。そして、皆様御自身で結論を下してください。今回の会議は、そのような研究を始めるのに絶好の場となるでしょう。
ワシントンDCに滞在しながら会議に参加する間、楽しい時間をお過ごしください。御参加くださったことに感謝申し上げ、神様の祝福が皆様と皆様の家庭に共にあることを祈ります。
Sunday Jun 05, 2022
平和経 第224話
Sunday Jun 05, 2022
Sunday Jun 05, 2022
20.分断された世界における言論の責任
日付:一九八七年九月二十一日
場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル
行事:第九回「世界言論人会議」
尊敬する議長、貴賓、そして紳士淑女の皆様。第九回「世界言論人会議」に参席するために、はるばる遠方からお越しくださったことを、心から感謝申し上げます。
私の祖国で開催されるこのたびの会議で、皆様に再びお目にかかり、心からうれしく思います。私は、会議という次元を超えて皆様を韓国にお招きすること自体に、個人的に大きな関心があることをお伝えしておきます。
周知のとおり、私たちは、一年後にソウルで開催されるオリンピックの準備をしております。このような栄光は韓国の歴史上初めてであり、全韓国民は、間もなく訪韓してくる数十万人もの人々の期待に応えるために、準備に忙しく余念がありません。
私は、言論に従事される紳士淑女の皆様に、事前にオリンピック大会の準備状況を見ていただき、世界に出て証人となっていただくことを願う気持ちから、今回の第九回「世界言論人会議」を韓国で開催することを勧めました。韓国人は、八八ソウル•オリンピック大会の成功と安全を保障できるほど、あらゆる苦難を克服していく強靭な信念と意志をもっている民族です。
今回の会議のテーマは、「分断された世界における言論の責任」です。韓国はこの会議の開催地として最もふさわしい場所です。ちょうどここから三十マイル北では、共産主義世界と民主主義世界が対峙しています。この二つの世界のうち、一方は神様を認める世界であり、もう一方は神様を否定する世界です。
韓半島ほど、対極的な二つの世界の違いを顕著にはっきりと現している所はありません。韓半島は、自由と独裁、善と悪、民主主義と共産主義とが闘争する全世界の縮小版なのです。
今日、私たちが好むと好まざるとにかかわらず、この二つの世界は戦争の渦中にあります。皆様は、この状況を第三次世界大戦と呼ぶかもしれません。その戦争の形態は、過去の二度の世界大戦とは全く違うものだとしても、それは全面戦争なのです。この戦争は、正に二つの人生観、二つの世界観の闘争です。二つの相矛盾する価値観は、社会全般において対立しています。それは軍事のみならず、政治、社会、経済、文化、スポーツまでもが戦略的に利用される戦争です。
一方は、神様によって賦与された神聖不可侵の権利、すなわち生命と自由と幸福の追求を主張しており、他方は、人間の運命は国家によって決定されるという立場をとっています。また一方は、人間の生を神聖なものとし、人間はすべて神の子であると認めるのですが、他方は、人間を最も高度な社会的動物以上の何ものでもないと主張しているのです。
一方は、永遠の存在と絶対価値を認めていますが、他方は、すべてのものを物質とみなし、一時的で相対的なものに固執しています。この二つの世界は、古代の闘士たちが死ぬまで戦ったのと同じように、死に至る闘争状態で固められています。
多くの人々は、この二つの世界が平和的に共存できると信じています。しかし、私はそのような楽観論に共感できないのです。この宇宙の中では、到底共存できないものであることを看破しているのです。
光と闇は共存することができません。光は闇を一掃します。真理と偽りは共存することができません。真理は偽りを克服します。また、生と死とは共存することができません。死んだ者は埋葬されなければならず、生きた者は続けて生を営まなければなりません。
今日の民主主義と共産主義の世界的対決は、光と闇の戦いであり、真理と偽りの戦いであり、生と死の戦いです。周知のように、七十年という短い歴史の間で、北朝鮮の強制収容所やソ連の集団労働収容所、東南アジアのジャングル地帯など、世界のあらゆる所における、共産主義による犠牲者は、およそ一億五千万人を超えているのであり、今日もなお、その殺戮は継続されているのです。
私は韓国動乱以前に、北朝鮮で投獄されたとき、共産体制の残虐性を、身をもって体験しました。そこは刑務所というより、正に死の収容所であり、ある囚人は六ヵ月も生存することが困難でした。
一九五〇年十月十四日、私の死刑執行が予定されていた日の前日、私はマッカーサー元帥の率いる国連軍によって救出されました。これは全的に神様の恩寵によってもたらされたものです。二年八ヵ月の収容所生活で、私は共産体制の邪悪さを骨身にしみて体験しました。
私はこの目でマルクス主義の極悪な非人間性を目撃し、もしも共産主義を阻止することができない場合には、全世界は彼らの手によって破滅させられることを知るようになりました。それ以後、私は共産イデオロギーと闘争し、これを克服するためにこの身を捧げることを決心したのです。
火を火で制するように、一つのイデオロギーはまた別のイデオロギーによってのみ克服することができるのです。ですから、今日、私たちが決着をつけるために命懸けで臨んでいる闘争は、理念の戦争です。この戦争は軍事力だけで戦うのではありません。共産主義者を買収して放棄させることはできません。共産主義に勝つ道はただ一つしかありません。光が闇を追い出すように、誤った理念は正しい理念によってのみ征服できるのです。
さらに私は、共産主義の邪悪さの核心が、神様の実在を否定するところにあることを知り、また、人間の永遠の生を否定するものであることを発見しました。人が神様を否定するとき、人間の尊厳性の根拠を失うようになります。人間が神様の位置を占有してしまうのです。このような信条に立脚して共産主義理念が出現したのです。
私たちは共産主義の本質が無神論にあることを看破するとき、これを克服するイデオロギーは、神様を認め、神様を中心とする理念でなければならないということは言うまでもありません。私たちは、このイデオロギーを「神主義」あるいは「頭翼思想」と呼びます。絶対的な神様中心の世界観こそ、共産主義から人類を解放する最も効果的な武器です。それは、「神は存在する」という真の真理のみが、「神は存在しない」という偽りを一掃することができるからです。
そして、無神論に基づいた共産主義世界は、人間の希望を充足させることに完全に失敗しました。そうかと思えば、自由世界も漸次、物質万能主義へと流れ、神様を忘れてしまいました。それは、自由世界が共産主義世界と同じような立場に転落してしまい、昨今の甚だしい世界の危機を克服するのに、何の役にも立っていない理由なのです。世界は今、混沌というものによって深い闇に覆われています。「神主義」はこのような世界に新しいビジョンを提示しているのです。
多くの人々が、私の教えと統一運動は宗教界ばかりでなく、社会の様々な側面において、この世に新鮮で建設的な衝撃を与えてきたと証言しています。共産主義の支配下で呻吟している多くの人々を解放することが、私たち自由人が団結して履行すべき神聖かつ重大な義務であることを私は信じてやみません。
そうだとすれば、私たちの目的は反共ではなく、共産世界の解放です。一九七六年、私たちはワシントン•モニュメント広場において、三十万人のアメリカ人を集めた大会を開きました。これは、私がアメリカで行った大衆演説の絶頂でした。
そして、正にその翌日、私はそのような形態の集会を、次はモスクワで開催すると公表しました。この解放運動の原動力は、憎悪ではなく、正に真の愛なのです。私たちはすべての人間が自由を勝ち取れるように努力しなければなりません。そして、全世界の隅々で自由の鐘が鳴り響くようにしなければなりません。
共産独裁の統治下に生きている、二十億に近い人々が解放の日を渇望しているという事実を私は知っています。自由人たちが躊躇し、優柔不断で、義務感を喪失している間に、他方で数百万人もの人々が、毎日死んでいることを私たちは忘れてはいけません。
このような戦争の中で、言論は、その勝敗を決する重要な要因になるか、または決定的な要因になるかもしれません。理念を表現する言論人である皆様は、民主主義と全体主義の闘争で、主要な役割を果たしています。
このような使命を悟っている言論人は、勝利的結果に大きく貢献できる一方、この責任を忘却する言論人は、必ず敵に利用され、巧みに操られてしまうのです。今までになく「ペンは剣より強し」という格言が、重要な意味をもつようになりました。その権限が大きくなればなるほど、それに正比例して、その責任も大きくなることを知らなければなりません。言論の絶大な力は、開かれた自由社会の正義を擁護するために、大きな責任を有しているのです。
私は自由言論の信奉者です。それでいながら、その自由言論は「責任言論」でなければならないと確信する者です。そして、責任言論は、すなわち「道徳言論」でなければならないと信じています。それでは、道徳言論というのは何を意味するのでしょうか。私たちは人間が神様から賦与された権利と尊厳性をもっていることを認めています。人間の権利と尊厳性の擁護が、すべての倫理と道徳性の標準とならなければなりません。ですから、言論は、自由を守護し、不義と闘う最前線に立たなければなりません。
言論は、全体主義に対抗する闘争をリードしていかなければなりません。さらに道徳言論として、腐敗と人種差別主義に反対しなければならず、不当に迫害されている人々を擁護しなければなりません。道徳言論は、麻薬の乱用や猥褻な本や映画など、社会の様々な破壊的な非行に対抗し、憤然と立ち上がって闘いをリードしていかなければならないのです。すなわち、言論は社会の良心とならなければなりません。
私は、言論が抑圧されているところには言論の自由を促進させるため、そして既に言論の自由があるところには、責任言論を具現するために、「世界言論人協会」を創設しました。また私は、すべての言論人が真理のためには妥協しない、真理の闘士となれるようにするために、同協会を設立したのです。
私たちはこの「世界言論人会議」を毎年開催してきました。そして、ソ連、中国、南アフリカ共和国、モザンビーク、アンゴラ、カンボジア、中南米など、全世界にわたって言論人たちが共に旅行しながら、多くの事実を学び体験する言論人世界視察旅行を数回敢行しました。このような旅行は、真理を模索する旅程であり、言論人たちが世界を肌で感じる機会を提供するためのものです。
私は、この「世界言論人協会」が過去九年間にわたり成し遂げてきたその業績を誇りに思っています。皆様がテレビや新聞を通して、私に関しての多くの話を聞いておられるとしても、私に直接会うのは恐らく今回が初めての方々が多いのではないかと思います。レバレンド•ムーンに関する数多くの興味ある話は、皆様の新聞をますます売れるようにし、皆様の番組の視聴者を増加させました。
このように、私は長い間、皆様の事業を援助してきましたので、今度は私が皆様に一つお願いしても御理解いただけるのではないかと思います。それはほかでもなく、私の思想と生涯を一度研究してみてほしいということです。心の扉を大きく開けて、一度研究してみてください。そして、皆様御自身の結論を出してくださるようお願いします。韓国はこのような研究を始めるには、絶好の場となるでしょう。
もしもここでの私たちの努力が、自由世界の理念具現に重大な貢献をすることができるならば、私たちはその高貴な目的の達成のために、自身のあらゆる努力と資源と生命までも捧げなければならないでしょう。私は、この価値ある課業における皆様の御参加を心からお祝いする次第です。神様の祝福が共にあることをお祈りします。
Friday Jun 03, 2022
平和経 第223話
Friday Jun 03, 2022
Friday Jun 03, 2022
19.言論の信頼性と社会的責任
日付:一九八四年十一月二十日
場所:日本、東京、ホテル•ニューオータニ
行事:第七回「世界言論人会議」
名誉議長、共同議長、そして紳士淑女の皆様。東京にて開催する第七回「世界言論人会議」に皆様をお招きできたことは、私の喜びとするところです。私が東京に行くことができないのは残念ですが、私の心は皆様と共にあると思っていただき、どうか御了解くださることを願います。
私は、日本人および日本という国に対して、最高の敬意を抱いております。日本は、現代世界において優秀な国の基準になっています。現代において奇跡的な経済発展を遂げ、世界の強大国の一つとなったアジアの国、日本から、私たちは学ぶべきことが数多くあると思います。電子機器および活字を駆使しながら言論界に従事する一員として、皆様は現在、地球上で最も強力かつ影響力のある選ばれたグループを代表しています。自由主義諸国のほとんどの国では、他の職業に比べて、言論の活動を規制する法律はほとんどありません。それは良いことです。自由の中で暮らせる恵沢を受けた人々は、自由な報道が、専制主義に対して最も強力な歯止めになることを知っています。
政治的、経済的、あるいは学術的な手段よりも、言論が社会に与える影響は迅速です。これが正に「世界言論人協会」の信念です。しかし、外部からの規制がない場合、それによる威力の乱用という問題が提起されることもあるのです。自由とは、実に創造主から与えられた最も貴重な賜物の一つです。人間は自由な精神的存在として創造されています。しかし、人間は、自由な存在として創造されると同時に、神様から責任も与えられているのです。自由というのは、自己規律と自己抑制とを必要とするからです。
自由は法則から離れて存在することはできません。宇宙には物理的法則と精神的法則が働いています。それらが自由を究極的に制限しているのです。例えば、皆様は自由にホテル•ニューオータニの屋上に行って、そこから飛び降りることもできます。それは皆様の自由です。しかし、その自由な行動は、皆様の自己破滅を招きます。なぜなら、それは自然の法則に反することになるからです。また、海に入って空気の代わりに水で呼吸するのも自由ですが、自然の法則はこのときも働きます。皆様の肺はそれに耐えることができず、結局のところ皆様の生命が破壊されてしまうでしょう。誰もこれには異論がないはずです。
精神的法則はそれほどはっきりしたものではありませんが、自然の法則と同様、絶対的なものです。精神的法則を知るためには、人間が宇宙の中で神様によって創造された最初の精神的存在であることを認識しなければなりません。神様は創造主として、自ら創造目的を定め、精神的法則を定められました。すべての価値は神様から始まります。人生の目的や、人間がいかにしてその目的を成就するかは、既に神様によって定められているのです。これが絶対的価値の基盤です。この絶対的価値の基盤の上に道徳の源が立てられます。これらの道徳の源が精神的法則を構成するのです。
人間は精神的存在として創造され、精神的法則によって生きています。私たちは、創造主が定めた人間の根本的な目的を成就するために、この地上に存在しているのです。人間の精神的幸福は、人間が神様によって定められた道徳律に従って、個人としての責任を果たすことによって増進するようになっています。人間がこの法則に違反すれば、自然の法則に違反したときと同様、自己の破滅を招いてしまうのです。
皆様は、言論人である前に、まず人間です。人間の第一の責任は、基本的な道徳的原則に従って、自由を行使することです。言論人にとって報道の自由は、すべての自由人に共通する道徳の基準によって行使されなければなりません。ここに言論における責任の重要性が問題となってくるのです。このような理由で、私は「世界言論人会議」の創設者として、報道の自由とともに言論の道徳的責任を強調し、そのために闘っているのです。
トーマス•ジェファーソンが、「報道は人間の心を啓発し、人間を理性的、道徳的、社会的存在として向上させるための最良の道具である」と言っているのは、全く正しい見解です。ジェファーソンは、私たちの自由そのものが報道の自由に依存しており、報道の自由は決して制限されてはならず、少しでも制限されるならば、すべてが失われてしまうとまで語っています。この言葉の中には、大変含蓄のある真実が込められています。しかし、私たち自身がまず理性的、道徳的、社会的存在にならずして、どうして人の心を啓発したり、人をして理性的、道徳的、社会的存在となるよう、人を鼓舞したりできるでしょうか。私たちがそのような道具となるためには、何が道徳的であり、何が非道徳的であるかを決める基本的原則を先に理解しなければなりません。すなわち、私たちは、神様の精神的法則を基本的に理解できなければならないのです。
民主主義は、報道の自由なくしてはその機能を発揮できません。そして、報道の自由は、道徳的責任と共に行使しなければ、真の自由とはなり得ません。自由な報道とは、道徳的な報道であると私は信じています。言論を職業としている私たちは、この点に特別の誇りをもっています。言論人が社会の中で、特別な位置を占めていると言えるのは、正にこのような理由によるのです。言論人は、不正に対して闘う正義の闘士であり、自由の守護者です。
しかし、最近の報道は、道徳的で責任あるものとなっているでしょうか。アメリカにおける報道の例を取り上げてみましょう。アメリカは民主主義制度が最も模範的に運営されている国とみなされています。報道の自由は、アメリカ合衆国憲法で保障されています。それにもかかわらず、言論の信頼性と評価が低下しつつあるのは明らかです。
調査によれば、以前に比べてニュース•キャスターを信用しないという人の数が徐々に増加しています。言論は傲慢であって信頼に値しないという人の数が徐々に増加しているのです。そのような認識が、次第に社会組織の中で広まりつつあります。昨年、アメリカ軍がグレナダに派遣されたとき、言論人たちは現場から除外されました。NBCの夜のニュース解説で、言論界の多くのメンバーがどう感じているかを報じていました。それによると「アメリカ政府は、大衆の代表が誰も見ていない所で、やりたい放題のことをやっている」というものでした。
しかし、手紙や電話でNBCの各支局に続々と寄せられた反応によると、六人中五人の視聴者が政府の行動を支持していることが分かったのです。ABC放送のアナウンサーは、グレナダから報道陣を閉め出したレーガン大統領の決定に対し、投書の九九パーセントがこれを支持していると語っていました。「タイム」誌にも多くの投書が寄せられましたが、それらは九人中八人が報道機関の見解に反対するものでした。
一九七六年に全米世論研究センターが行った世論調査では、「報道を大いに信頼する」と答えた人は、アメリカの人口の二九パーセントにすぎないことが分かりました。当時でも、一般大衆の評価指数は非常に低いものでしたが、八年後にはその数字がさらに低くなっています。
最近の調査では一三•七パーセントになっており、日に日に下降の一途をたどっています。それはどうしてなのでしょうか。人々はなぜ言論を信頼しないのでしょうか。大衆はニュースの背後にある利己的な動機を疑い、言論の行動が、全般的にますます無責任で煽動的かつ無節制になってきたと見ているからです。
言論の信頼性が低下の一途をたどっていることに無関心でいることはできません。世界の将来に対する責任に対して知らないふりをし、目をつぶっていることはできません。皆様は、言論媒体の創設者として、オーナーとして、また報道に携わる者として、世論や歴史の判断、そして神様の審判台に堂々と立たなければならないのです。
「世界言論人会議」および「世界言論人協会」の役割は、言論の信頼性の低下を回復し、言論の質を健全な水準にまで引き上げることです。ですから、今年のテーマを「言論の信頼性と社会的責任」としたのです。私たちは大衆の信用を回復し、歴史を正確に記述し、創造主であられ、私たちすべての最終的な審判官でもあられる神様の承認を得なければならないのです。自由世界の将来と同様に、言論も岐路に立たされています。一方において、法的手続きによって報道の自由を制限しようとすれば、自由のすべては破壊されてしまう確率が高く、また他方において、言論が規制からはずれて好き勝手に行動をすれば、真摯な大衆の信用を失うことになり、その結果、報道の自由の基盤を失ってしまう危険が生じるからです。
このジレンマに対する唯一の有効な解答は、健全な立場を失うことなく、独立性を堅持するように自ら努めることです。言論のもつ権力の乱用を防ぐことのできる人は、言論関係者である皆様しかいないことを忘れないでください。
皆様は政府からの干渉にも抵抗できるほど強く、かつ自由でなければなりません。それと同時に、道徳的で正しく、正義のためには立ち上がらなければなりません。さもなければ皆様は、人々の信頼を悪用することになり、結局は報道の自由を失うようになるでしょう。歴史は、権力を乱用すれば自由を喪失する結果をもたらすことを教えています。
皆様が偉大な言論人になるためには、神様の道徳律に従って生きる偉大な人間にならなければなりません。また、正しい言論が存在するためには、まず道徳的で正しい人間になることから始めなければなりません。
私は、第七回「世界言論人会議」において、言論が自己の番人となる必要性をよりよく認識するのに役立つ一つの方法として、言論倫理委員会を構成することを提案いたします。このような委員会は、いかなる政府の影響をも受けないものでなければなりません。それは世界言論界の著名な代表者で構成され、次のような目的のために奉仕するものでなければなりません。
一、言論界における特定の事件、問題、あるいは支配的な傾向を監視すること。
二、共通の報道倫理を採択するために、探求可能な現実的実施基準を、各報道媒体の代表者に要求すること。
三、言論による権力の乱用を強く指摘し、大衆の前に明らかにし、言論自らの行動を問題視するとともに、言論人の倫理のために貢献した個人や団体を評価すること。
四、「言論倫理賞」を創設し、言論の最高の理想を具現化し、また言論界に対する信頼性を高めることに最も貢献した個人や団体にその賞を授与すること。
この会議がこのような新しいことを誕生させる出発点となるならば、それは自由な報道を守ることに貢献するとともに、言論の責任を促進し、高める、歴史的に記念すべき善を成し遂げたと言えるでしょう。私は言論こそ自由の守護者であり、真実の擁護者であるという確固たる信念を抱いています。自由で責任ある言論を促進することほど、全体主義体制と闘う良い方法はありません。
私はいま一度、「ペンは剣よりも強し」という格言を繰り返したいと思います。現代においては、ペンに加えてマィクやカメラも含まれます。そのように見るとき、「世界言論人会議」は、地上における最強の勢力の集会です。この強力な勢力がその力を正しく行使していくならば、全人類の自由と全世界の平和を確保することができると私は確信しております。
紳士淑女の皆様。私はこのメッセージを、コネティカット州のダンべリーにあるアメリカ合衆国連邦刑務所から送ります。私は誰よりも自由の尊さを理解しています。しかし、自分自身の自由のために原則を曲げることはできません。私は自分の自由に対してだけでなく、地球上の何百万もの抑圧されている人々の自由に対して加えられている不義や、政府の侵害に対しても闘っているからです。
皆様と東京において皆様が進める「言論人会議」の上に神様の祝福が臨むことをお祈りします。ありがとうございました。
Thursday Jun 02, 2022
平和経 第222話
Thursday Jun 02, 2022
Thursday Jun 02, 2022
18.社会の諸問題と言論の責任
日付:一九八二年十月四日
場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル
行事:第五回「世界言論人会議」
尊敬する議長、内外の貴賓、ならびに紳士淑女の皆様。第五回「世界言論人会議」に参加するために韓国を訪問してくださった皆様に、深い感謝の意を表す次第です。
「世界言論人会議」は、著名な言論界の重鎮たちが集まり、今日の社会における言論の責任という命題について理解を深めようとするところから出発しました。
韓半島は世界の縮小体
本言論人会議の範囲は全世界的であり、私たちが追求し達成しようとする理解は、国際的な理解です。そのような意味で、本会議が今から三十二年前、北朝鮮の共産党による不法韓国侵略当時、自由世界の二十一ヵ国が団結し、その侵略を打ち破ったことのある、この韓国で開催されることに、より大きな意味があると思います。このような自由諸国の団結した実力行使は、崇高な国際協力の標本として、その類例をほかに見ることができません。
韓国人は、六•二五動乱当時、祖国が危機に瀕し、世界平和が脅威にさらされていたとき、国連の名のもとに世界の多くの自由国が韓国の自由守護に貢献してくれたことに対し、決してその恩を忘れることはできません。また私は、本会議が韓国で開催されることに、もう一つの重大な意義を見いだしています。それは今日、韓国が世界のあらゆる主流文化の融和点となりつつあるという事実によるものです。
韓国は、アジア諸国の中でも特異な国です。韓国は、過去五千年間、東洋固有の文化と生活様式を保ってきました。ある意味では、最も純粋な本然の東洋文化の神髄が維持されている所が、正に韓国であると言えます。また韓国には、世界の主流宗教が入って栄えました。今は西欧文明の精神的核心と言えるキリスト教が、韓国に深く根を下ろし、発展の一途をたどっています。世界各地の教会が、閑散としていくのとは反対に、韓国のキリスト教会では昼夜、礼拝と祈祷の声が高まっていっています。
韓国のキリスト教は、西欧の精神文明の根となるへブライ思想の結実と言えます。古代へブライの預言者によって証され、キリスト教の聖者によって継承されて、今日の世界の主流宗教となってきたキリスト教は、正にへブライ思想を根源としたものであると言うことができます。そうかと思えば、休戦ラインの以北の北朝鮮では、へブライ思想とは正反対の伝統を継承してきたヘレニズムが極端な形で結実しています。これが正に唯物思想に立脚した、神様を否定する共産主義です。この相反する二つの主義をそれぞれ信奉する二つの世界が、正にこの韓国において互いに衝突しているのです。
朝鮮戦争は、この二つの主義の世界がぶつかった戦争でした。ですから、朝鮮戦争は局地戦争ではなく、それぞれ結束した共産主義世界と自由世界の二つの陣営が正面から対立して戦った世界戦争でした。したがって韓半島は、世界の縮小体と見ることができます。世界のすべての問題が縮小され、韓半島で引き起こされているのです。したがって、韓国で得られる経験と成功した解決策は、韓国における問題の解決策であるのみならず、世界問題の解決策になるのです。それでは、私たちはどのような形態の解決策を求めているのでしょうか。
共産世界と自由世界の対決は、一言で言えば理念の対決です。さらには哲学の対決であり、究極的には主義と思想の対決です。もし神様がいるとすれば無神論はうそになるのであり、もし神様がいないとすれば、唯物論は真理になるのです。神様を中心として、いるいないという、相反する二つの主義が、どちらも真理であるということはあり得ません。ですから、この二つの主義は、宿命的に必ずぶつかるようになっており、二つのうちの一つ、すなわち真の真理だけが残るでしょう。
ですから、神様の実在を信じる私たちは、その神様を私たちの日常生活で、実証をもって見ることができなければならず、世界が否定できない神様として浮き彫りにしなければなりません。「神はいない」という思想に対しては、「神はいる」という徹底した実証さえあれば勝つことができます。そのようになれば、共産主義問題はその根本から崩れていくでしょう。そのような使命をもって始まった精神運動が、正に私たちの統一運動であり、またこの運動が、ここ韓国から始まらざるを得ない論理的根拠があるのです。
社会問題の解決方案と言論の責任
私はこの機会をお借りして、私が統一運動を起こすことになった背景を説明したいと思います。弱冠十六歳(数え)だった年のことですが、当時、私は北朝鮮の地におり、その時、極めて意味深い一連の霊的な経験をしたのです。
幼い時に体験したこの体験を、言葉でもって、皆様にすべてを表現することは非常に難しいことです。一言で言えば、霊的な世界が突然、私の前に開かれて、私はその霊的な世界にいる聖賢たちと自由に、思いのままに交流できるようになりました。北朝鮮の地、静寂な山中で、私は何度もイエス•キリストと直接対話をしました。そのときから啓示された真理の内容が、今の「統一原理」の核心なのです。
最近アメリカの法廷で、私はイエス様とモーセと釈迦と会ったことがあると証言しました。そのとき、世界の言論は大きな衝撃を受け、全く信じ難いことであると言いました。しかし、私は、経験した本当の事実を語ったにすぎません。私が宣布したいことがあるならば、それは、「霊的世界は厳然として存在し、人間の生命は永遠である」という真理です。このような体験をして以来、私は統一教会を創立し、その統一教会から統一運動が始まりました。この統一運動は、今日、人類と世界の前に置かれた深刻な問題に対し、解決策をもたらそうとする運動なのです。
第一に、統一運動は、共産主義問題に対して積極的な解決策をもたらす運動です。共産主義問題の解決のためには、自由世界に新しい心霊的覚醒が訪れなければなりません。そして、この心霊的覚醒が基礎となり、人類のすべての実際問題に対する解決方案が出てくるようになるのです。
第二に、統一運動は、世界のすべての宗教が相互協力できる足場を構築する運動です。世界のすべての宗教は、お一人の神様を信じる勢力として団結しなければなりません。人間の本心は、創造主、または人類の父であられる神様を認知できるようになっています。お一人の神様を人類の父としてお迎えする所に、一つの世界統一家族が具現されるのです。
第三に、統一運動は、道徳的な世界を具現する運動です。これは、今日の若者たちにとってより重要なことです。今日、絶対的な道徳基準がないために、非道徳が蔓延しているのです。貪欲的で利己的な生活、人がどうなろうと関係なく、また人を利用してでも自分だけが利益を得ようとする風潮が助長され、蔓延しつつあります。このような状態が続くようになれば、結局、社会は破滅を免れないでしょう。
善の世界を建設するための価値観の絶対道徳基準は、創造主であられる神様を離れてはあり得ません。なぜなら、神様だけが永遠、不変であられるからです。その神様は、観念の神様ではなく、私たちの一日一日の生活に臨在されなければなりません。世界の善男善女が神様と常に交流しながら暮らすとすれば、そこに非道徳はあり得ないのです。
これは厳然たる真理です。真理の前に偽りは砕かれるものであり、その偽りがたとえこの上なく大きな経済力と政治力、社会的力によって支えられているとしても、結局その偽りは真理を克服することができません。強大な力をもつ共産主義であっても、彼らの主義が真理に立脚していないならば、必ず真理の前に砕かれる時が来るのです。
このような「統一思想」運動を展開する中で、私は世界各地で言論から多くの誤解を受けてきました。言論に対し、甚だ遺憾に思うような立場にある人がいるとすれば、私こそ正にそのような立場にあると言わざるを得ません。
しかし、私は、言論の攻撃に対して悔しく思い、報復しようとする代わりに、むしろ言論が私に対して多大な関心を寄せてくれて、有り難く思っています。もちろん、私は言論人たちに貴重な奉仕をしてきました。皆様が使える数多くの資料を提供しました。レバレンド•ムーンを追い回せば、言論は決して倦怠感や退屈さを感じる暇がないでしょう。
実際、私は言論人たちに対して嫌悪感を抱いていません。私は、言論がもつ善の無限の可能性が達成される日が来ることを堅く信じているからです。今まで私は多くの誤解を受けてきました。その誤解は無知によるものであり、その無知と誤解によって歪曲された記事が生まれたのです。きょう、私が皆様にこのように演説するのも、結局は、皆様と私の間の理解を深めようとするところにあります。私は、言論を忌避しようとはせず、どんなに不可能に見えたとしても、真実を伝えることにあらゆる努力を傾けるでしょう。
映画「オー!仁川」の製作目的
最近、私と映画「オー!仁川」の製作をめぐって、多くの話題が行き交っています。この映画には、五千万ドルという多額の製作費が費やされ、ハリウッドの名高い俳優たちが動員されました。多くの人々が、宗教指導者である文牧師がなぜハリウッド映画に関心をもつようになったのかといぶかしく思いました。私自ら、その理由を説明しようと思います。
この映画に関心をもつようになったのには、二つの大きな理由があります。一つ目は、朝鮮戦争の侵略者が誰なのかということを歴史的事実として証することに目的があります。過去三十年間、共産主義者たちは、歴史的事実を歪曲するために不断の努力を続けてきました。彼らの宣伝がとても効果的だったためか、今日、多くの若者が、アメリカと韓国が北側を侵攻した侵略者であると思っています。しかし、実際のところは、北朝鮮の共産党が、ソ連と中国の支援を受けて韓国を侵略してきたのです。これにより、数百万の罪のない人々が彼らの侵略の前に犠牲の供え物となりました。この歴史的事実は明白に描かれなければならず、共産侵略者たちの正体が正確に記録されなければなりません。この映画「オー!仁川」は、正にこの目的のためにあるのです。
二つ目は、マッカーサー元帥の功績に対し、尊敬と賛辞を送ることに目的があります。マッカーサー元帥は、神様を愛し、人類を愛し、また人類と神様の一番の敵である共産主義を正確に知って嫌悪していた偉大な将軍です。一九五〇年、北朝鮮が南侵してきた危急な状況にあって、韓国と韓国人たちの存亡が危うくなったとき、マッカーサー元帥は共産侵略を防ぐことこそが神様のみ旨であると信じました。神様を信じる信仰の中で、彼は仁川上陸作戦を計画して実践しました。これは軍事戦略の傑作であり、不可能な条件を偉大な勝利へと導いた歴史的功績となりました。
マッカーサー元帥はまた、戦略の天才であるだけでなく、この上ない人類博愛主義者でした。第二次世界大戦当時、日本の降服に次いで、マッカーサー元帥は征服された日本の最高司令官として君臨するようになりました。彼はその権力の座で暴君になることもできましたが、それとは正反対に、敗戦国の日本を、父のような愛と慈悲で統治しました。
マッカーサー元帥は、朝鮮戦争をいかに究極の勝利へと導くかということとアジアでの共産主義問題を完全に解決する方案が何かということを正確に知っていました。もしそのとき自由世界が彼の忠告に従って、マッカーサー元帥の意図することを実践していたなら、韓国が分断される悲劇はなかったはずであり、アジア全域における共産主義の膨張と無限の犠牲はなかったはずです。自由世界に羞恥と汚点を残したべトナム戦の敗戦もなかったでしょう。
私は、今日の世界の若者たちがマッカーサー元帥の偉大さについて理解してくれることを熱望しています。また、彼らがマッカーサー元帥を英雄として推戴し、マッカーサー元帥の歩んだ道を模範として、神様と人類に奉仕する働き手となってくれることを切実に願っています。
最後に、この映画を作るに当たり、私にとって個人的に忘れられないもう一つの縁があります。朝鮮戦争が起きたとき、私は北朝鮮の共産刑務所に収監されていました。その刑務所の悲惨な状況は、とても言葉では表現することができません。そこに収監された政治思想犯たちのある者は、六ヵ月足らずで死んでいきました。
私は神様の特別な御加護のもと、三年近い長い歳月をその刑務所で耐え抜きました。仁川上陸作戦に続いて国連軍が北へ北へと攻め上がっていく中で、焦った共産主義者たちは、収監されていた政治思想犯を処刑し始めました。私に最後の瞬間が迫ってきていました。ところが、私は連れていかれて処刑される前の日に、劇的に国連軍の助けによって解放されるようになりました。ですから、「オー!仁川」という映画は、私がマッカーサー元帥に捧げる感謝のしるしとも言えるのです。
私は、マッカーサー元帥に生前に会うことができませんでした。しかし、この朝、幸運なことに、私たちはマッカーサー元帥の甥である、ダグラス•マッカーサー二世大使を基調演説者として迎えることになりました。私はこの瞬間、マッカーサー大使からマッカーサー元帥が実際に来られていることを感じています。マッカーサー大使をお招きできたことは、実に大きな喜びにほかなりません。マッカーサー大使とラッシャー議長が参加され、この壇上にいらっしゃる貴賓と世界各国の著名な言論人が参加された、この「世界言論人会議」に、私は大きな期待をかける次第です。
ぜひ、これからの数日間、熱心に会議に臨んでくださることをお願いし、この会議が終わり次第、皆様を招いて、短い間でも楽しい時間を過ごせるようにしたいと思います。私は、皆様に我が国のことを詳しく紹介したいと思っており、皆様が韓国を発つとき、この国にまた来たいという気持ちをもってお帰りになるのなら、それ以上に大きな栄光はありません。
最後に、皆様がこの会議に参加してくださったことに改めて感謝しつつ、神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。
Wednesday Jun 01, 2022
平和経 第219話
Wednesday Jun 01, 2022
Wednesday Jun 01, 2022
16.絶対価値と新しい世界秩序
日付:一九九二年八月二十日
場所:韓国、ソウル、インターコンチネンタル•ホテル
行事:第十九回「科学の統一に関する国際会議」および第五回「世界平和教授アカデミー世界大会」
尊敬する議長、著名な学者各位、来賓ならびに紳士淑女の皆様。第十九回「科学の統一に関する国際会議」と第五回「世界平和教授アカデミー」世界大会の開幕総会において、皆様の前でお話しできますことを大変うれしく思います。併せて、皆様が私の祖国である韓国に来られましたことを心より歓迎いたします。
宇宙の原理の根源は神様
昨年私たちは、科学者大会以外にも、非常に特別な二つの会議に参加しました。それは、正に「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」です。この二つの機構は、新しい世界秩序の構築のために創設されたものです。特に「世界平和宗教連合」は、世界平和の建設を目的として、世界の宗教を一つにすることに貢献するようになりました。最近の湾岸戦争で、皆様は、世界がどのように宗教戦争に陥るのかを目撃しました。また、宗教による地球の災難は、今後も起き続けるでしょう。
これまで多くの政治家たちは、自らの目的のために宗教間の対立を利用してきました。それにより、宗教は無力化し、混乱するようになりました。また、宗教者たちは、世界平和のための責任を明確に悟ることができずにいます。今後、「世界平和宗教連合」を通して、全世界から来た宗教指導者たちは、互いに和解するようになり、平和のための指導者となるでしょう。
すべての文化において、宗教は中心核でなければならず、公義の標準でなければなりません。各宗教は、自らの伝統を絶え間なく守り続けてきたことに対して、誇りをもっています。それぞれが、自分の宗教は他のあらゆる宗教よりも優秀な宗教であると考えているのです。しかし、宗教的な教えは、宇宙的な要素をもっているだけでなく、それ自体は神様から出てきたものです。お一人であられる神様は、すべての宗教の神様です。したがって、宗教は自らを浄化させなければならず、宇宙的な原理として昇華させなければなりません。宗教の中心的価値は、神様の真の愛です。真の愛は「人のために生きなさい」という教えによって説明することができます。個人は家庭のために生き、家庭は社会のために生き、社会は国家のために生き、国家は世界のために生きるのです。同様に、各宗教は他の宗教のために生きなければなりません。このような原理が真理なのです。
宇宙的原理の根源は神様であられます。宇宙を創造されるとき、神様は御自身の創造物のために、御自身のすべてを投入されました。また歴史を通して、自分勝手に生きる堕落した人類を救うために、絶えず犠牲になってこられたお方が、正に神様なのです。神様のみ旨を知った預言者と聖人、そして賢人は、自らの人生の中で神様の願いに従いました。
そして、自分たちが真理を守ることでは満足せず、他の人々を指導するために犠牲の道を歩みました。モーセ、孔子、釈迦、ムハンマド、ソクラテス、そしてイエス様などは、苦難を受け、人々を指導する際にも迫害を受けた聖人たちでした。人類を呼び覚まし、解放させるために、自らの人生を犠牲にしました。
「世界平和連合」は、世界平和のための政治家と国家機関の協力機構です。今日の世界は、国家主義では支えることができません。現在、東ヨーロッパで燃え上がっている民族の紛争は、民族主義の破壊的な特性を立証しています。民族的誇りや民族自決というのは、ただ世界共同体に貢献する中で得られるときにのみ、正しく善のものとなるのです。自国のみを優先し、他国に対する憎しみを増幅させる覇権主義は、ために生きるという宇宙の原理に相反するものです。宇宙の原理に反する主義はすべて、消滅するようになるのです。
今、数々の国が、ヨーロッパ共同体のような多国籍連合体に加入しようとする傾向を見せています。このような傾向は、今後、より一層深化するでしょう。したがって、今後すべての国家は、地域共同体として連合するでしょう。すなわち、ヨーロッパ国家連合、東アジア共同体、イスラム共同体、アフリカ共同体、南北米共同体などです。
先行されるべき宗教間の調和と統一
政治家たちが、国家的利己主義を超越するためには、他の国々と共有できる統一された価値観がなければなりません。それでは、ヨーロッパの国家を連合できるものとは何でしょうか。それは経済政策だけでは不十分です。ヨーロッパには、いまだに産業国家と農耕国家との間に多くの葛藤があります。また、ヨーロッパ国家連合における社会政策は、もう一つの論争の的です。もし私たちがヨーロッパ統合の要素を見つけようとすれば、それは正にキリスト教文化圏にほかなりません。
中東人や東洋人と比べるとヨーロッパ人は多くのものを共有しています。すなわち、共通の文化、共通の社会慣習、そして最も重要なのは共通の論理と世界観を共有しているということです。このような共通するヨーロッパ文化の根は、キリスト教精神です。キリスト教文化は、ヨーロッパの知的、社会的、政治的生活の基礎となっています。
しかし、ヨーロッパのキリスト教それ自体が、根強い歴史的な分裂によって苦しんでいるのです。北アイルランドやユーゴスラビアなどでの紛争に見るように、私たちは彼らの葛藤がプロテスタントとカトリック、そしてギリシャ正教との間における、解くことのできない宗教的紛争によるものであることを悟ることができます。したがって、宗教の調和と統一は、政治的、社会的な平和と統一よりも先行される必要性があるのです。
新しい世界秩序は、国家共同体によって形成され、各共同体は、共通の宗教文化によって結ばれた基台の上で、経済的、政治的に円満な関係を通して結びつくでしょう。私はこのような歴史の流れを、数十年前から予見していました。これが、四十数年間にわたり、多くの犠牲を顧みず、宗教間の対話と和合を図る活動を増進してきた理由です。
新しい世界秩序が実現されるためには、宗教間の対立と戦争を防止しなければなりません。このような問題を解決するために、私はすべての宗教を抱く基盤を築こうと、惜しみなく苦労してきました。私は聖職を始める前に、霊界にいるイエス様と釈迦と孔子、そしてムハンマドに、私が啓示を受けた原理を提示しました。彼らは私の原理が正しいことを認めました。志のある宗教指導者たちは、世界平和のために、すべての宗教者たちが本来の教えを中心として互いに和合し一致する実践運動に立ち上がるべきであることを悟っています。神様を中心として宗教を一つに統一することが、神様が私に下さった使命です。
「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」は、各々、心と体の関係をもって共に有機的に働くでしょう。堕落した人間は今まで、体が個々人の人生を支配することを許し、自分の喜びのために他人を抑圧し、排撃する、利己主義的な人間による悪の世界をつくってきました。
これこそが地上地獄です。それとは反対に、少数の人々だけは宗教を追求し、体の誘惑を振り切りなさいという良心の善の声に従ってきました。ただこの少数の人たちだけが、神様に会うことができ、地上に天国をつくることができるのです。同様に、国家の政治家は、誰も宗教の声に耳を傾けませんでした。政治的な喧騒の中で、道徳的で霊的な価値の声は、かすかに聞こえただけです。
東洋だけでなく西洋でも、政治家たちは神様とは関係なしに、経済的、政治的政策だけで繁栄を成し遂げようと努力しました。しかし、彼らの努力は無駄に終わりました。いかなる国も、神様の祝福なしには繁栄することができません。神様は、心と体、そして宗教と政治が一つとなって「ために生きよ!」という原理を実践する国だけを祝福するのです。
しかし、天の権能について考えようとしない、見境のない政治家たちは、いまだに地上ばかりを眺めています。
共産主義の指導者たちは、七十年以上もの間、神様を抜きにして富を実現しようと努力してきましたが、彼らの国は既に破産してしまいました。同様に、西欧諸国も景気後退、犯罪、社会的腐敗などで、恐ろしい熱病を患っています。
しかし、このような問題は、宗教指導者たちが目を覚まし、それらの真の原因を発見するまでは解くことができません。また、宗教指導者たちが、神様を中心とする一つの平和世界の建設を目指して心を一つにしてこそ、政治家たちが宗教の教えに従うようになるのです。そのとき初めて、心の世界を代表した宗教と体の世界を代表した政治および経済の協力が形成され、世界の国々が自然と一つになるでしょう。「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」は、このような原理的基盤をもっているので、国連など多くの国際機構の腐敗とその他の多くの誤りを止揚するところから出発し、成功を収めるでしょう。
この時代における最も大きな課題
尊敬する学者の皆様。新しい世界秩序のための学者の役割は非常に重要なものです。全人教育のためには、社会の各分野の連携が必要です。人々は、家庭、教会、学校と社会の中で人格を学ぶようになります。文明社会を発展させることのできる人材を育てるために、家庭、教会、学校と社会は、絶えず協力し合わなければなりません。この時代における最も大きな課題は、多元的な地球村社会において、いかに全人教育を実施するかということです。皆様は、この社会における知識の宝庫です。皆様の学生たちは、皆様が教える知識よりも皆様自体からより多くのことを学びます。
学生たちは師の習慣を模倣し、師の社会に対する態度を学び、師の価値観から深い影響を受けます。皆様は常に師の立場に立たなければならず、未来に対して望ましい人間のモデルとならなければなりません。神様を中心とした絶対価値である真の愛が基本となる、新しい文化の伝統を立てるという皆様の使命は、非常に貴いものなのです。
皆様も御存じのように、今回の大会は第一回「世界文化体育大典」の一環として行われます。人類の精神文化を収拾し、人間の幸福のための真の価値を探求し、神様と人間と万物が調和した平和で新しい文化世界を目指す歴史的な行事です。全世界の学者、宗教者、言論人、政治家、青年の代表が地球村家族の一員として一つ所に集まり、人類の和合のための知恵と経験と実践を結集する祝典です。
特に(一九九二年)八月二十五日には、世界全域から集まった約三万組のカップルが、聖なる祝福を受け、神様を中心とした新しい家庭の伝統を確立することを誓います。家庭は、国家と社会の最も基本的な単位です。社会問題の解決は、家庭問題の解決から始まります。人種を超越した「真の愛による世界は一家族」の理想は、平和世界の具現に直結します。人類は、神様を中心とした家庭において模範的な夫と妻となることを誓約し、祝福家庭となることによって、正しい論理を実践し、道徳の模範を示すようになります。このようになるとき、真の愛が実現される理想的な家庭、社会、国家と世界を成し遂げることができるのです。全世界から、約六万人が祝福を受けるために一カ所に集まるという事実は、神様と真の父母のもとに一つになったことを象徴します。
皆様を、この歴史的な祝福の場に御招待いたします。最後に、私が計画し、推進している三つの事業を皆様に御紹介したいと思います。一つ目は、思想と宗教世界を統一するための一つの経典を既に発刊したことであり、二つ目は、二十一世紀の人類の知識と文化の結集を試みる「国際文化財団」が大百科事典の編纂を始めたことであり、最後の三つ目は、知識の交流と全世界の教授と学生たちの相互交流を推進する「世界大学連盟」のためにブリッジポート大学を引き継いだことです。この三つの新しいプロジェクトは、未来の地球村の新文化世界を創造し、増進することに大きく寄与するでしょう。
改めて、この意義深い会議に参加するためにソウルまでお越しくださった皆様に、感謝の意を表します。そして、科学者大会の議長を務めてくださるゲルホルム博士とカプラン博士に、特別に感謝を申し上げます。今回の会議でも皆様の討論が大いなる実を結ぶことを願います。皆様と皆様の御家庭に神様の御加護と祝福がありますようお祈りいたします。ありがとうございました。
Tuesday May 31, 2022
平和経 第221話
Tuesday May 31, 2022
Tuesday May 31, 2022
真の愛を土台とした理想世界
神様と人間の本然の関係は、真の愛を中心とした関係です。神様と私の共同所有、全体と私の共同所有、また隣人と私の共同所有など、様々な場合がありますが、神様の真の愛が中心となった感謝する心をもって共同所有するようになっているのです。
神様の愛を完成した人間がつくりあげる理想世界においては、全体目的と個体目的は自然に調和するようになっています。人間には欲望もあり、愛の主体性をもっているので、個人所有や個体目的が許されているのです。だからといって、無制限な個人所有、あるいは全体目的を害する個体目的を追求することはありません。完成した人間は、自らの良心と本性によって、自分の分限に合った所有量を取るようになるのです。
特に、真の愛による万物の真の主人の人格をもった理想的な人間の経済活動は、愛と感謝を底辺とするので、欲張ることや不正はあり得ないのです。同時に全体目的に反して地域や国家の利益が強調されることはあり得ず、経済活動の目標は、利潤の追求ではなく、全体の福祉に焦点が絞られるのです。
共栄主義とは、神様の真の愛を基盤として共同参加し、自由、平等、幸福の理想が実現される政治を追求する主義です。共同政治参加の形式は、代議員を選出することになります。しかし、政治の単位が愛中心の家族関係の拡大であることを理解するとき、代議員の候補者は互いに敵対関係にはなり得ません。一人の神様を父母として侍る兄弟関係によって周辺から推薦され、奉仕する使命感をもって候補になるのです。
そして、いくつかの選出段階の過程を経るときや最後の決定には、不純な人為的条件が介入されることなく、神様のみ旨に従って決めなければなりません。すなわち、祈祷と厳粛な儀式によって抽選で当選者を確定する方式になるのです。神様のみ旨と天運によって当落が決定されるので、みな感謝し、その結果を喜ばしい心で受け入れます。理想世界の国家の重要機関と部署は、共同目的のもとで、互いに円満な授受作用をしながら調和します。ちょうど人体の様々な器官が、頭脳の指示による共同目的のもとで、合目的的、あるいは自律的に協助し合うのと同じです。
共義主義とは、真の愛を中心とした普遍的な倫理、道徳を守り、構成員すべてが善と義の生活を追求する主義のことをいいます。これは、神様の真の愛による絶対価値のもとで、万民が倫理と道徳を普遍的に実践する道義社会を目指す思想となるのです。
理想世界は、理想家庭と完成した人間を前提としています。真の愛による理想的な父母、理想的な夫婦、理想的な子女の統一的な調和が理想家庭の要件になります。また、完成した人間は、真の愛によって心身が調和統一を成し遂げた人です。このように完成した人々が、真の愛の基地である家庭生活、またその拡大である社会生活において、主体的に善と義を行う最高の愛の世界、道義世界が正に理想世界なのです。
いかなる専門的な知識があったとしても、真の愛に比べればそれは十分なものではありません。私たちは、何が人間を幸福にしてくれるのか、ということに対する知識をもたなければなりません。その知識というのは、正に全知全能であられる神様のみ旨なのです。ですから、真の知識とは、神様のみ旨を知ることです。神様が理解され御覧になるのと同じ基準で、世界と歴史と人間を理解して見ることができなければなりません。
すべてを御存じであられる神様が創造された、結果の世界に対する一部の知識を習得したからといって、自慢したり、独裁者のように振る舞って他人を支配したりすることは、学者として望ましい道理ではありません。皆様の目標は物理学と化学、そして生物学などの新しい発見を論じることだけではありません。そのような発見や学問的な成就が、個人と人間の全体社会にいかなる利益となるのか、そして人間と世界と万物との調和の取れた関係をいかに成し遂げるのか、ということに関しても理解し、検討しなければなりません。
科学の発見は、あまりにも頻繁に、一個人、あるいは一国家の征服や繁栄のための利己的な目的に誤用されてきました。学問的な発見や発明は、神様が人間に与えてくださった大いなる祝福です。神様は、人類全体と世界のために、このような祝福を下さるのです。もしも祝福によって得られた学問的成果が、ある部類の利己的な目的にだけ利用されるのだとしたら、それは善の可能性が悪に変わってしまうのです。
「世界平和教授アカデミー」に対する期待
ゲルホルム議長、これまで第二十回「科学の統一に関する会議(ICUS)」のために注いだ教授の努力に対して、個人的に深甚なる感謝を棒げます。教授は、「ICUS」の創設以来、ずっと共に働いてきており、また「ICUS」のビジョンの最高の位置を代表しています。
今回の会議に、遺伝学と生物学、そして人間の老化問題など、最近の数々の研究に関する論議のために、全世界の碩学たちを集めました。これらの研究は、新しい可能性を切り開きましたが、その正しい使い方のための新しい道徳的、あるいは社会的挑戦が付きまとうことと思います。私は、今回の「ICUS」が甲斐ある収穫を収め、世界に大きく寄与する成果があることを祈ります。
「世界平和教授アカデミー」は、一九七三年、世界平和のための学者たちの積極的な探究と実践のために創設されました。特に、大学社会において、世界平和のための能動的な研究と実践の機会を提供してきました。世界に山積した問題は、良心的な碩学たちの指導を待っています。
教授たちは、理論を教えるだけでなく、学生たちに人格と価値を植えつけてあげるのです。教授たちは、学生たちの人格形成と発展に重要な影響を与えることになるので、彼らを善の道に導き、助けなければなりません。
私と私の妻は、「世界平和教授アカデミー」を通して、世界の若者たちが、超国家、超宗教的に和合する未来社会の立派な指導者となるよ宗教育することを目標に、「世界大学連盟」を開設しました。尹世元(ユンセウォン)総長とルーべンシュタイン総長の知恵深い指導のもと鮮文大学とブリッジポート大学を中心に、私の構想が実践されることを期待しています。
「世界大学連盟」の活動によって、世界各地の学生たちは、世界最高の学者たちの教えに接し、また教授たちは、国境を超越して多くの学生たちを指導することができるので、より良い未来のために、より大きく寄与するようになるでしょう。教授たちは若者に多くの影響を与えます。しかし、人は父母を通してより大きな影響を受けるのです。個人の性格と人格形成に最も大きな影響を及ぼすのは家庭です。
人生において、家庭は、最も重要な愛の学校です。子女たちは、家庭において父母だけが行うことのできる愛の教育、情緒教育を通して、心情の深さと幅を育てられます。これが子女の人格をつくる礎石となります。また、家庭は、子女に美徳と規範を教育する学校です。人は、このような情緒教育と規範教育を受けた土台の上で、知識教育、体育、技術教育を受けなければならないというのが天道です。
父母は、子女に真の愛を施す真の父母になると同時に、真の師となって心情教育と規範教育を正しく行うようになっています。たとえ父母が真の師であることを自覚できなくても、子女は、父母からありのままの姿に似て学ぶようになるのです。父母の役割は、このように重要です。子女は、父母が与える真の愛と父母の愛の生活に似ていきながら、愛の人格が形成され、霊性が啓発されていくのです。今日、全世界にわたって、家庭が変わりつつあり、伝統的な家庭は様々な面から挑戦を受けています。産業化と現代化が加速するにつれて、人類の価値観は崩壊し、倫理と道徳の基準が揺さぶられています。さらには、個人主義、快楽主義、拝金主義などによって人間性が抹殺され、フリーセックスと不倫はますます助長され、家庭が破壊されつつあるのです。
真の家庭を立てるために先頭に立つべき
尊敬する学者の皆様。これはどれほど不幸な風潮でしょうか。このまま放置すれば、人類は、未来に希望をもつことができなくなります。いくら社会的条件が変わったとしても、父母と子女の関係の重要性を揺るがすことはできず、家庭の大切さもまた変わりません。重ねて申し上げますが、愛は人間の幸福と喜びの源泉であり、家庭はその幸福と平和の基台になるのです。
数日後に私が執り行う歴史的な三十六万組の祝福結婚式は、私が生涯を捧げ、理想家庭に対して教育をしてきた結実の一つです。祝福儀式に同参する人は、理想家庭を築くことを既に神様に誓約し、不変の愛を祝福によって許された人たちです。神様の真の愛を中心に真の夫婦となり、父母となって真の家庭を築く人たちです。祝福行事は、一教団の結婚儀式だけではなく、病んだ人類を生かし、愛の秩序を回復させ、家庭の危機を救う救世の儀式なのです。統一教会でこの祝福行事のモットーを「理想家庭を通じた世界平和」に定めた理由もここにあるのです。
家庭の未来を診断する今回の「世界平和教授アカデミー」世界大会を開催するために御苦労されたカプラン議長の指導力に感謝申し上げます。百二十ヵ国から参加した碩学たちと共に真の家庭像を打ち立て、不正と不倫の現世代に挑戦しなければならないと思います。皆様は、問題の分析や理解だけではなく、責任を負って、理想家庭を創造し、指導していかなければなりません。理想家庭によって社会を先導し、明るい未来を創造すると期待しています。
今回の期間に、神様の加護のもとに行われる全体会議と分科会議が、皆様の熱を帯びた討議によって立派な成果を収め、さらに皆様が韓国に滞在する間、意義のある、有益な経験をすることを願ってやみません。皆様の家庭と皆様が携わるお仕事の上に神様の御加護があることを祈りなから、これで私の話を終わりにしようと思います。ありがとうございました。
Sunday May 29, 2022
平和経 第220話
Sunday May 29, 2022
Sunday May 29, 2022
17.真の知識、真の家庭、そして世界平和
日付:一九九五年八月二十二日
場所:韓国ソウル、シェラトン•ウォーカーヒル•ホテル
行事:第二十回「科学の統一に関する国際会議」および第六回「世界平和教授アカデミー世界大会」
世界百二十ヵ国からお越しの学者、国内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。韓鶴子総裁と私は、韓国のソウルで皆様を歓迎することができ、大変うれしく思います。皆様は、今日、私たちの世界が抱えている最も深刻な問題を討議するためにここにお集まりになりました。
科学の発達と人類の危機
二十世紀は、科学の驚くべき発展によって生活条件が大きく発達した世紀です。しかし、その反面、世界的な紛争と道徳的混乱の世紀でもあります。科学知識と文明の発達は、人々に豊かな生活を享受できるようにした反面、自然と環境の破壊、地球の温暖化、大気中のオゾン層の破壊など、全地球的な問題が生じるようになりました。一方では、産業化と現代化の過程において、家庭が破壊され、麻薬とエイズが蔓延し、暴力、犯罪が頻発し、人間の内面における深刻な問題が人類の危機を予告しています。人々は、様々な面で平和と幸福を継続して追求してきましたが、満足のいく成果を得ることができませんでした。
第一次、第二次世界大戦が終わり、戦争を阻止するために結成された国際連盟と国際連合の両機構が展開してきた世界的な活動でも、平和の世界は訪れませんでした。宗教団体の努力によっても、幸福な世界は実現しませんでした。国際共産主義の理想とファシズムの夢でも、理想世界の実現は失敗しました。高度な技術によっても、政治的な努力によっても、人類に平和と幸福をもたらすことはできませんでした。
今も、世界の各地で悲惨な戦争が起こっています。ボスニア、チェチェン、ソマリア、そしてラオスなどの各地で紛争は続いています。平和と人間の幸福は、人々の道徳性と霊性の啓発にかかっています。平和な世界や平和な国も、その構成員個々人と家庭によって形成されるからです。科学と技術も善の人々によって活用されるとき、それは人類の生活向上のために義なるものとして使われるのです。
歴史を通しても聖賢や偉大なる師が、平和で幸福な世界のために、家庭、社会、国家の指導に身を捧げてきました。私たちは二十一世紀に挑戦するため、道徳的に、霊的に完璧な指導者を育てることのできる人類の真の父母、真の師、真の主人を必要としているのです。
神様は真の愛の本体であられるので、この世界と人間を、御自身の愛する実体対象であり、喜びの対象として創造されたというのが、私の確固たる信念です。神様は人間の父母であり、人間は神様の子女です。父母であられる神様は、人間の喜びや苦痛を共に感じるのです。神様は、子女である人間に真の愛を相続させてあげることを願っておられます。
神様の真の愛は、人間の幸福と喜びの源泉であり、人間はこの真の愛を体恤することによって完成するようになっています。愛は経験と生活を通して体恤できるのですが、人間の成長期間は、正に愛を段階的に体恤する貴重な期間です。
言い換えると人間は、成長期間を通して神様の愛を体恤するのですが、最初は子女の心情、二番目は兄弟の心情、三番目は夫婦の心情、四番目は父母の心情、このように四段階で体恤するのです。神様の愛が結実する最小単位が家庭です。したがって家庭は、人間の幸福と理想と生命の基台となるのです。私が生涯を通して家庭の大切さを教育し、理想家庭のための祝福行事を世界的に主導してきた理由も、ここに由来しています。
今日、世界は、人々が平和に共存し、すべての民族、文化、宗教を包括できる理想社会のモデルを必要としています。私は、今年三月と四月に「サンパウロ宣言」と「ニューホーブ•ファーム(新しい希望農場)宣言」を発表し、まずブラジルをはじめとする南米数ヵ国でモデル社会を建設し、徐々に様々な国に拡張していくことを促しました。
真の愛の共同体と共生共栄共義主義
現在、四十ヵ国の代表たちが集まり、このような社会を建設する作業に取り掛かっています。調和の取れた一つの社会は、その構成員間の生活水準が同等でなければなりません。このような共同繁栄は共同責任の土台の上で、愛によって自発的に進められなければなりません。理想社会では、いかなる不正や差別、さらに堕落も存在してはいけません。このすべては真の愛の実践が前提とされるときにのみ可能なのです。それは、民族や肌の色、伝統が異なる人々が、真の愛の共同体をつくる歴史的な運動なのです。
私たちの世界は、深刻な環境危機に直面しています。環境汚染と自然破壊は、神様が創造された美しく神聖な世界を冒瀆するのと同じことです。真の愛のない人は、自然世界を単に利己的に利用しようとばかり考えます。堕落がもたらした深刻な結果の一つは、アダムとエバが神様の真の愛を相続できなくなることによって、人々や動植物や地を正しく愛することができなくなったことです。万物は、人間の真の愛を待ち望んでいます。私は南米で、模範的な理想社会の建設と共に、人間が自然と正しい愛の関係を結ぶように、一つの模範を示そうとしています。
私はまた、飢餓のない世界をつくろうとしています。科学技術が発達した今日においても、いまだに飢餓によって数百万の人が犠牲になっている残忍な現象が起こっているのを傍観しているわけにはいきません。私は既に二十年以上も、数千万ドルを支援しながら、海洋産業を開発してきました。高蛋白質のフィッシュ•パウダー(魚粉)を開発し、「国際救護親善財団(IRFF)」を通してアフリカなどの地を支援しています。ブラジルとアルゼンチンなどの各地の農場で生産された食糧や農業収益を、世界の飢餓問題の解決のために投入するつもりでいます。
私は、共生、共栄、共義の社会建設を教えてきました。理想世界は、経済的には共生主義であり、政治的には共栄主義であり、そして倫理的には共義主義の社会です。共生主義とは、神様の真の愛を基盤とした共同所有をその中心内容とします。共生主義社会の基本となる典型は家庭です。単純な物質的所有だけではなく、神様の愛を基盤とした共同所有です。家庭におけるすべての財産は、たとえ法的には父母の名義になっていたとしても、実質的には父母と子女、すなわち全家族の共同所有となっています。それと同時に、家族の個々人は、各々部屋と衣類、そしてお小遣いをもつようになります。
このように、家庭においては、家族が共有を基盤として個人的な所有も認められ、全体目的と個体目的が調和するようになっています。このような愛が基盤となった家庭の理想的な所有形態が社会、国家、世界へと拡大されたものが、理想社会の所有形態です。
Friday May 27, 2022
平和経 第218話
Friday May 27, 2022
Friday May 27, 2022
15.絶対価値と現世の再評価
日付:一九九一年八月二十四日
場所:韓国、ソウル、シェラトン•ウォーカーヒル•ホテル
行事:第十八回「科学の統一に関する国際会議」
尊敬する議長と分科委員長、著名な学者ならびに紳士淑女の皆様。私の祖国である韓国で、皆様に再びお会いすることができ、大変うれしく思います。この韓国の地で皆様と共に「未来の世界文明」について議論してから、はや十年になります。そのとき私は、東アジアから始まり全世界を連結する国際平和高速道路プロジェクトを提案しました。また私たちは、皆様の学問的研究成果を出版し、全世界の新しい世代に肯定的な影響を与えることを目的とする計画にも着手しました。十年前は、このような計画が夢のように感じられましたが、今ではその輪郭が定まり、基台が既に造成されています。既に、日本と韓国をつなぐトンネルの基本設計図が作製され、試験トンネルが建設中です。
私たちは、皆様の論文や著作物を出版する「パラゴンハウス出版社」をもっており、雑誌「ワールド•アンド•アイ」を出版しています。昨年提唱し、皆様に案内状をお送りした、「世界平和連合」と「世界平和宗教連合」が、この度、皆様の立ち会いのもとに創設されるでしょう。
尊敬する世界の碩学の皆様。私たちは、再評価を要する転換期の現代世界で生きています。価値問題を重要視した私たちの会議のテーマは、以前には単なる予言的なものとしてしか捉えられなかったかもしれませんが、今日に至っては、所々で新しい価値に対する要求が起きており、現実の重要課題となっています。東ヨーロッパとソ連で起きた劇的な変革以後、さらに普遍的に、これを実感するようになりました。人々は、共産圏の没落以後、西欧社会の既存価値と体制の優秀性を語り、自負心をもっています。しかし、共産圏と対決した自由陣営を含む、その他の世界はどこへ向かっているのでしょうか。人類の幸福を保障する、希望的な前進をしていると思いますか。現世界のもつ問題点は、共産陣営の没落だけで解決されるのではなく、根源から原因を究明して解決しなければなりません。現代社会は、すべての体制と生活様式が根本的に再評価されなければならず、覚醒された人類の新しい心に適応することが求められています。
結論から言えば、今日の価値体系の混乱は、根源的に神様と人間との本然的な縦的秩序が崩れたことに由来します。正しい軸を失って横的に立てた人為的な秩序、すなわち世界の中の様々な体制と価値が、方向を失ったまま揺れ動き、ぶつかり合っているのです。
宇宙は、個々の物質だけを基盤として存在するのではありません。世界は孤立して、独立した個体の単純な集合体ではありません。物質は関係性を通して現れる一次的エネルギーによって存在しています。社会は、個体間の授受と相対関係の中で生存、繁栄、発展します。二つの物質の関係性の背後に、また二つの個体の授受関係の背後に、共同の動因と目的性を付与する高次元の縦的秩序が先に存在しています。例えば、人間には、神様と人間自身のために、至高な喜びと愛を感じることができるように自由が与えられています。人間がその存在目的を成し遂げるためには、まず神様の真の愛を相続しなければなりません。
人間生活の中で、ために生きる真の愛がすべての相対関係の基本ですが、これは父母の真の愛を動機として体恤するものです。神様の真の愛を根とした父母の真の愛によって、人間の個体は完成するようになります。完成した個体が、真の愛の理想的な夫婦となった家庭で、その子女に真の愛を伝授するのが、創造の秩序なのです。地上の理想世界は、完全な一人の人から、真の愛による家庭、社会、国家、世界へと拡大していくのです。現在の世界は、このような理想世界とは、その出発から異なっている世界です。人間が、神様の創造原則のうちで最も貴い真の愛の秩序から離れた、そのような堕落の結果が拡大して現れた世界です。神様の創造秩序を度外視したまま、人為的な組織形態や法則、秩序ばかりを重視する今の世界は、理想的な個人、家庭、そして民族を養成することはできません。人類の真の明るい未来は、何によって保障されるのでしょうか。
尊敬する碩学の皆様。皆様は自然界と社会の発展について、誰よりもよく御存じのはずです。私たちの自然と社会は、毎日、暴力と毀損が絶えません。私たちが普段、呼吸する空気、飲んでいる水、口にする食糧が、日増しに汚染されています。私たちの社会は、科学が発達し、生活が便利になっていくにもかかわらず、絶望的現象が加重されつつあります。二十一世紀の人間は、宇宙を創造した神様の根本原理を逸脱しては、これ以上地球星の主人として存在することはできないでしょう。人々が願わなかったとしても、人類の未来は、より密接な人間関係を求めています。将来、人々が地域と民族と肌の色の違いを超越し、より一層近く交わって生きていかざるを得ない「地球一家族時代」が近づいています。多様な宗教や伝統、文化、そして互いに異なる生活意識を、利害関係の次元を越えて、互いに調和して受け入れざるを得ない世界が近づいてきています。個人やある集団が、利己的な選択により自分だけの分別された逃避先を所有することはできなくなります。人間は、自然万物をこれ以上利己的な目的だけで強制的に占領することはできず、全体と後代のための、より大きな目的のもとに活用し、開発しなければなりません。
このように迫りくる新しい時代、新しい社会の基本秩序は何であり、その社会の主人はいかに養成されるべきでしょうか。それは、神様の創造の秩序、真の愛の秩序を基本軸としてこそ、その答えを得ることができます。
尊敬する世界の学者の皆様。生涯を捧げて、一貫して神様のみ旨を実践してきた私が、二十年間に十八回もの「科学の統一に関する国際会議」を続けて開催してきた理由を、そのような点から理解することができるでしょう。既に数十年前に、到来する未来社会を予見した私は、周囲の無理解の中にあっても、確信をもって、この大会のために物心両面の支援をしてきました。一九七二年、本大会が初めて開催された時から、通例を打破した構成で、自然科学者と人文•社会科学者を一つ所に招き、諸学問間の調和と統一を強調してきたのも、未来の人類のためにという一念によるものでした。
各学問の分野別の特性や研究の専門化は重要ではありますが、学問研究が相互に協力し合い、補完されなければならず、その研究成果が、善の目的を中心として統合され、活用されなければなりません。科学者たちにとってはさほど歓迎できない「絶対価値」を主題として価値問題を強調してきたことも、その理由からでした。今では、皆様を含む世界の多くの学者が、私の意向に共感し、協力して会議を組織し、研究を続けてきてくださっていることを有り難く思っています。
絶対価値を軸として、総合的な学問研究をする「科学の統一に関する国際会議」は、これから、その研究成果を積極的に教育し、実践しながら、人類の将来に寄与する段階へと飛躍しなければなりません。「科学の統一に関する国際会議」が産室となって、世界の九十数ヵ国に「世界平和教授アカデミー」が組織されたのも、文化世界を成し遂げる事業に、各地の学者たちを積極的に参加させるためです。
良心的な碩学たちの実践運動に、多くの人々が期待を集めています。社会において最も尊敬を受ける有識者たちが率先し、次世代の若者たちに正しい価値観と世界観を伝授することこそ、専攻分野の教授に劣らず重要なことであると思います。既に、韓国と日本で実施して良い成果を上げたように、世界の学者たちがチームを構成し、各国を歴訪しながら幅広く指導することも重要です。現代人、特に若者たちを、麻薬と享楽、暴力と戦争の罠から保護し、彼らにビジョンを植え付ける運動に、学者たちの全世界的な参加が求められています。私は、「科学の統一に関する会議」を母体とした皆様の創意的な実践が、新しい文化世界を創建することを確信しています。
最後に、私の祖国で開催される今回の大会で、多くの有益な討議が行われ、良い結論が導き出されることを期待する次第です。私は、韓国が受難の歴史の中でも、家庭の伝統をはじめとする美しい文化遺産を守ってきたことを誇らしく思います。また、連続した戦禍の中から急速な繁栄を成し遂げた韓国経済の基盤にも感心しています。皆様がこの国に滞在される間、韓国を訪問した価値を感じていただければ幸いです。神様の御加護が共にあることを祈りながら、私の話を終えたいと思います。ありがとうございました。
Friday May 27, 2022
平和経 第217話
Friday May 27, 2022
Friday May 27, 2022
14.絶対価値と現代社会の再評価
日付:一九八七年十一月二十七日
場所:アメリカ、アトランタ、ストーファー・ウェーバリー・ホテル
行事:第十六回「科学の統一に関する国際会議」
尊敬する議長団、分科委員長団、著名な教授の方々、そして紳士淑女の皆様。私は、「科学の統一に関する国際会議」の提唱者として、このように第十六回「科学の統一に関する国際会議」に参加してくださった皆様を、心から歓迎いたします。今年の会議のテーマは「絶対価値と現代社会の再評価」です。
現代社会の再評価が必要な理由
今日、世界は、各分野に対する再評価が切実に求められています。このような再評価を行うに当たって、知識のすべての分野を代表し、またすべての文化、宗教、人種、および国家を代表する碩学たちの集まりである「科学の統一に関する国際会議」のような優れた評価団体を、私はほかに知りません。
世界のあらゆる学術自体の中で、「科学の統一に関する国際会議」のみが、科学の真の目的と統一性を発見しようと根本的に努力していると思います。今日の世界のあらゆる学者の集まりの中でも、「科学の統一に関する国際会議」は歴史的な使命をもっていることを、皆様に知っていただきたいと思います。世界が抱える複雑な問題は、学問の個別分野の偏狭な視野からだけでは十分に理解することができません。
現代世界に対する適切な再評価は、個別的な専門学会の能力の範囲をはるかに超えています。それは、世界の問題は、根本的に人間の問題だからです。人間は、物質的欲求の感性をもつ肉身と霊的欲求の感性をもつ霊人体をもっています。
正にそのような二重構造をもつ人間たちが、一定の秩序のもとで相関関係を形成したものが、国家社会であり、世界なのです。世界の問題の解決のための学問の共同研究に、宗教、文化、芸術などの要因が大きく関与しなければならない理由も、ここにあると言えます。
今日、私は、「科学の統一に関する国際会議」で、現代世界を再評価することは、結局、現存する東西の両陣営とその体制について再評価すると同時に、科学の両体制における役割がどのようなものであり、またそれが科学の究極的目標にどれほど近い立場で影響力を行使したのか、ということも再評価しなければならないと思います。
そして、今日、東西の両陣営の指導者たちがいかに弁明しようとも、既存の体制や秩序が、人類の真の幸福を保障することに対しては、既にその限界をあらわにしており、現存の世界自体が没落しつつあるという事実は否定できないのです。
世界の再評価のための統一的な標準とその中心点
「科学の統一に関する国際会議」が今日の世界を再評価するためには、統一的な基準とその中心点がなければなりません。その中心点は、人間の肉身と霊人体との二重的な欲望を共に関連づけなければなりません。中世の神本主義思想と宗教的独断論が、科学的探究を阻害し、肉体的充足を制限したと私は認識しています。
しかし、啓蒙思想の時代から、人本主義の思想家たちが「宗教的信仰は人間の理性よりも劣るだけではなく、人間の霊性の要求は人間の理性と相反する」と主張してきたことも、大きな誤りでした。
啓蒙主義や人本主義が合理性を強調したことは、科学者が自然界の合理的法則を探求する、大きな推進力として働いてきました。しかし、理性だけでは、二重構造をもつ人間の究極的目的から離れていき、独自的に立つことができず、正しい方向を立てることさえもできません。
人間の霊性を無視し、理性と知的成果に満足しているうちに、人類は自己の究極的目的に関連した先決問題を検討せずに放置してきました。その結果、人間は唯物主義と物本主義に陥り、基本的な人間の尊厳性までも喪失してしまいました。
真理は一つであり、それは自然と人間世界を治める一つの原理です。自然におけるこの原理は宇宙万物万象の根源です。人間においてこの原理は、その霊性と肉性の調和を通して人格を完成し、美、真、善を実現するように導く真の愛の絶対的価値なのです。
私は、今日までの神本主義や人本主義、そして物本主義のそれぞれの主張の対立を、互いに和解できない価値同士の争いとしか見ていないというわけではありません。むしろ、それぞれが一つの原理、つまり絶対的価値についての、未完成で一面的な表現であり、不完全な主張だと見ています。人間と現実世界の諸問題を根本的に解決するためには、既存の主義や主張を超越し、全体を収拾できる絶対価値である一つの原理を見いださなければなりません。
絶対的価値は究極的に、神様についての根本的な問いにたどり着きます。神様が実在することを受け入れることは、自然界と人間世界に恒久的に作用する一つの普遍的原理の存在を認めることになるのです。そのような土台の上で相対的なものとして現れる様々な価値は、絶対価値の基盤の上に、相互に密接な関係があるものとして理解し得るのです。
神様の愛に土台を置く絶対価値
絶対価値は、今日の学者の間では人気のあるテーマではないことを、私は知っています。まずは絶対価値と絶対主義とを混同する過ちを犯さないでください。
私は「科学の統一に関する国際会議」で、数回にわたって絶対価値とは神様の愛に土台を置いたものであると強調してきました。神様の愛は党派的なものではありません。神様の愛は、人間の本性の奥深いところにある心情にあり、その生活の中に真の愛を噴出させる根となっています。
ですから、神様の愛は、万人が一つの心情的同化圏をつくる根本要素となり、すべての相対的な価値を包括、受容します。ですから、神様の愛に基づいた絶対価値は、一連の理性的な前提、あるいは相対的な主義や信念に基づいた価値よりも、深く、広く、また恒久的なのです。
絶対価値は、合理的思考と矛盾するものではなく、むしろ背後にあるその究極的な目的を再発見させてくれるのです。私たちを人間たらしめるのは、何も理性だけではありません。知的分析が、情緒や意志、そして霊性までも十分に評価しなければ、欠陥だらけになります。理性的探究は、それが真の愛に基づいた絶対価値によって導かれるときに、初めて人間の真の幸福に貢献するようになるのです。
私は、「科学の統一に関する国際会議」が、今日の世界に対する包括的な再評価を始めることを要請いたします。因習的な心や姿勢は、現実の山積した諸問題を扱うには不十分でした。
現代社会が直面する問題の収拾は、人間の事情だけでは解決できません。さらに、人類歴史に対してこられた神様のみ旨が成就しなければなりません。したがって、神様の愛に根を置いた超国家、超主義、超世界的な絶対価値に立脚して、現代社会は再評価されなければならないのです。
ただ一つの絶対価値を発見してこそ学問の統一は可能
そして、今日の知識人たちが相対主義的観点に支配されている限り、科学の統一や、人種間、文化間、宗教間における和合統一も、決して実現できないのです。したがって、ただ一つの絶対価値観のために、自ら進んで危険を顧みず、激しい迫害に耐えることのできる勇気ある先駆者が必要です。言い換えれば、数多くの既存の部分的観点が、一つの一貫した原理の中に編入されていくためには、困難を克服すると同時に大胆な決断が必要なのです。
私たちは、今日の科学と哲学が世界の問題を解決するのに、しばしば失敗してきたことを認めなければなりません。自然科学がしてきた偉大な約束は、悪の方向に利用されることが多く、人類の真の幸福のためだけに利用されたわけではありません。
社会科学の分野も、利己的で党派的な政権の影響のもとで、あまりにも腐敗し、多くの場合に本来の目的から外れて機能してきました。哲学もまた、善や人間の究極的理想を目指した偉大な探究を放棄したまま、命を失った学問となってしまっています。そのような傾向は、学者たちの無気力と消極的な態度によって、ますます深刻になりつつあります。
学者たちは、自らの研究の業績だけで満足するべきではなく、積極的な指導を必要とする世界の要請に応えなければならないと私は思います。世界は、正しい価値観によって主体的力量を行使する学者たちの責任ある実践を求めています。そして、自覚した有識者たちによって、学問の研究成果が誤用されることを防がなければなりません。さらに学問の業績は、部分的、相対的価値にするのではなく、宇宙と人類全体のための絶対価値にかなったものにしなければならないのです。
急がれる「絶対価値と学問の統一性」に関する論議
学者たちは、政治、経済、社会などの潮流に押し流されるのではなく、歴史的な眼識と使命感をもって全体を教え導く、積極的な役割を発揮しなければなりません。現代社会は、いつの時よりも、超国家的、超人種的な協力を通してのみ解決する問題を山のように抱えています。国際化し、多元化した社会においては、特殊分野の個別的研究成果に劣らず、行動する多くの有識者たちが調和、協力しながら実践することが貴いと言えるでしょう。
世界の多くの学術会議の中で、「科学の統一に関する国際会議」のみが「絶対価値と学問の統一性」という究極的な問題をテーマとしています。これ以上に切迫した問題はありません。一つの絶対価値を発見することができなければ、学問の統一性という問題の解決は不可能です。私はこの使命を皆様に託しました。
この集まりが現代社会を正しく評価し、新文化創建の門を開く、歴史的な課業が果たされることを願います。神様の祝福が皆様の仕事と皆様の御家庭に共にあることをお祈りいたします。