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Friday May 27, 2022
平和経 第216話
Friday May 27, 2022
Friday May 27, 2022
13.真の愛と統一世界
日付:一九八六年十一月二十七日
場所:アメリカ、ワシントンDC、マリオット•ホテル
行事:第十五回「科学の統一に関する国際会議」
敬愛する議長と議長団、著名な教授、ならびに紳士淑女の皆様。御多忙中にもかかわらず、このたび第十五回「科学の統一に関する国際会議」に御参加いただき、心から感謝の意を表する次第です。
この時間、私は「真の愛と統一世界」と題してお話ししようと思います。今日の世界における混乱は、その根本を突き詰めると唯心論と唯物論の対立、善側と悪側の対立であり、また善神と悪神との対決であるとも考えることができます。
人類の願いは平和ですが、平和は統一によってのみ成し遂げられます。統一には、世界の統一だけではなく、国家の統一、家庭の統一、個人の統一もありますが、これらのうち、最も基本となるのは個人の統一です。そのような統一運動において、今日、レバレンド•ムーンは、名実共に現実社会では欠かせない人物となりました。
神様の願われる平和の世界を実現するためには、第一に、統一運動は、思想界で頂上の位置に立たなければなりません。既存の哲学思想だけではなく、宗教思想とも闘って勝利しなければなりません。第二に、統一運動は、科学技術の分野において最先端の位置に立つと同時に、科学技術を平準化させなければなりません。今日まで、先端を行くアメリカは南米を従属させ、ヨーロッパはアフリカを従属させてきましたが、この弊害をなくすためには、科学技術の平準化が必要です。第三に、経済問題です。今日、世界は国際金融危機に直面しています。これを調整する道は、世界の数多くの財閥が株主となって超国家的な銀行を設立することです。第四に、言論界においても頂上に上がらなければなりません。現在、「ワシントン•タイムズ」を基盤として、アメリカの千七百五十以上の新聞の頂上に上がりつつあります。これにより、情報分野を席巻することができます。現在のリベラルな「ニューヨーク•タイムズ」と「ワシントン•ポスト」を凌駕し、アメリカのみならず、世界中から重要な情報を続々と入手し、世界を指導しなければなりません。
しかし、いくら思想、科学、技術、経済、言論、情報分野などで頂上を極めたとしても、なおも問題が残っているのです。その問題とは、国家と民族を越えることができる人をいかにつくるかということです。自分の祖国を中心とした人が責任をもつようになれば、アメリカ人ならアメリカ人に一元化しようとし、イギリス人はイギリス人に一元化しようとし、フランス人はフランス人に一元化しようとするでしょう。したがって、世界的な平和統一を構想する前に、このような民族性をいかに克服するのかが問題です。
世界の半分を赤化した共産主義でさえ、それ自体の国家や民族を抜け出すことができず、「民族的共産主義」に転落してしまいました。二十世紀の後半から、ほとんどの人たちは、神様の存在有無の問題に対し、「神はいない」というヒユーマニズムに傾き、物質万能主義となり、世界の半分が物本主義である共産主義の手に落ちてしまいました。神様を見いだすべき哲学は、神様を探し求める中で失敗し、神様と共に生きるべき宗教は、神様を失い、無気力になってしまいました。
世界統一に当たり、問題は人間です。世界を統一する前に家庭統一、家庭統一の前に人の統一がなければなりません。人の統一とは、個人の統一のことをいい、心と体を統一することです。個人が苦しめば家庭も苦しみ、家庭が苦しめば国家も苦しみ、国家が苦しめば世界が苦しみます。ですから結局のところ、一人の真の人間を見いださなければなりません。世界と宇宙がために生き、神様が信頼できるような真の人間を探し求めなければなりません。
人間は変わらないものを好みます。ですから、宝石を好むのです。ダイヤモンドの硬さ、金の輝き、真珠の優雅な色合いなどは、常に不変なものだからです。人においても、変わらない人が貴いのです。そのような人が真の人間です。したがって、誰しもが、変わらない夫、変わらない父母、変わらない師、変わらない主権者、変わらない国を願うのです。
今日、多くの人々は神様が明確には分かりません。それは個人において、心と体が闘っているからです。へーゲル左派の流れをくむ人は、宇宙の根本法則を矛盾として捉え、「神はいない」という闘争理論がより一層確固たるものとなってしまいました。しかし、いくら神様を知らない人でも、「人間は何かが間違っているのではないか」と考え始めれば、「神はいるかもしれない」という論理も立てられるようになるのです。そのようにして、宗教でいう堕落や救いなどといった概念を通して、神様を発見できるようになるのです。
公的なものと私的なものとのうち、公的なものとは全体のためのものであり、私的なものとは自己のためのものです。皆様が御自身のことを静かに反省すると、自分が公的なものと私的なものとの狭間にいることに気づくでしょう。ですから、宗教は、自己を中心として進んでいこうとする体の欲望を主管するために、「断食せよ、苦行せよ、柔和、謙遜であれ」と教えるのです。
神様は明らかに存在します。真の人間とは神様に似た人のことです。そのような真の人間が暮らす世界を実現しようとすれば、人間革命ではなく、人格革命を起こさなければなりません。神様の神格に似ることが人格革命です。神格と同等になり得る基準まで至るようにするのが人格革命です。神様は、知識も、お金も、権力も必要ありません。
聖書のヨハネによる福音書第三章十六節に「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」とあります。これは、ある特定の教派だけのために、神様はひとり子を遣わされたのではないということを意味します。全人類を愛しておられるがゆえに、イエス様を遣わされたのです。ですから、神様は、死に至るまで世界を愛するそのような子女を願っておられるのです。神様が最も喜ばれるのは愛の文化です。神様が人間に願われているのは、お金持ちになることでも、学者になることでもありません。愛する人になってほしいと願われているのです。聖書には、「敵を愛しなさい」、「隣人を愛しなさい」、「信仰、希望、愛のうちで最も大いなるものは愛である」など、愛に関する教訓がたくさんあります。妻は夫を、弟子は師を、国民はその国を心から愛しているでしょうか。
皆様。男性にとって最も貴い存在は何か御存じでしょうか。それは正に女性です。同じように、女性にとって最も貴い存在は男性です。人間が生まれた目的は、男性は女性のために、女性は男性のために生きることなのです。男性と女性は、お互いのために生きることを目的として生まれたのです。身体の骨格や愛の器官が、そのようになっています。このような事実を皆様がはっきりと知ったならば、皆様は百科事典よりも貴い真理に精通したことになります。知恵の偉大な王である神様は、愛の器官を互いに取り替えてもつように創造されました。
ですから、自分のもつ愛の器官の主人は、自分ではなく、愛する相対なのです。したがって、愛は相対からくるものです。これを知らず、愛の器官をいい加減に使う夫や妻は、審判を受けなければなりません。夫婦がこの事実を悟って仲むつまじく暮らすならば、そこから孝子、孝女が生まれ、それが成長すれば、忠臣と烈女になり、聖人と聖女になり、神様の子女である聖子となるでしょう。夫婦間に互いに相対的な横的愛を見いだせないならば、神様の縦的愛を見いだす道はありません。もし人間が堕落していなければ、天国は家庭から始まるようになっていました。家庭を拡大したものが、世界の人類だからです。ですから、家庭は、天国に入るための愛の修練所なのです。
神様の愛を所有する人だけが、天と地の権勢を相続できる特権を得るのです。生命が先か、愛が先かというとき、愛が先です。愛は宇宙の第一存在であり、生命は愛から生まれた第二存在です。家庭でも父母の愛によって子女が生まれます。ですから、子女は、父母の愛に同参した立場で生命を受け継ぐことのできる特権をもつようになるのです。愛の関係を結べば、対等な立場である同位(一緒に参加すること)圏に立つことができます。神様は、愛の相対として人間を創造するとき、御自身が人間のために生きる、そのような立場で創造されたのです。ですから、人間も神様を手本として他のために存在するようになっていたのですが、堕落によって、自分だけのために生きる人間になってしまったのです。愛は相対から来るものなので、「ために生きよ!」という哲理が生じたのです。
今日の人間社会は腐敗し、多くの哲学は自己を中心としています。そのような哲学を一掃するのは、ただ神様の愛、真の愛のみです。真の愛は、ために生きる愛であり、いくら与えても、すべて忘れてしまうのです。神様の愛と関係を結べば、主管性、独立権、相続権をもつ特権が与えられます。神様の対象圏を確定し、愛が不変であることを悟るようになるとき、人間の愛を中心として永生の倫理を妥当化させることができます。
神様は、そのような対象圏を求めてさまよう哀れなお方です。神様は、アメリカにいる数多くの聖職者を差し置いて、獄中にいる私を愛の対象者と思って訪ねてこられ、ニカラグアにおける事態の収拾を命令されました。韓国の南北統一をはじめとした世界統一は、軍事力では決して達成できません。それは怨讐の国までも愛する神様の愛によってこそ可能なのです。
私は今日までこのことを実践してきました。第二次世界大戦の時に敵同士だった韓国と日本、日本とアメリカ、アメリカとドイツのそれぞれの国の人たちが互いに愛し合うように、愛の道を実践させています。怨讐の国の人々を自国の人々よりも愛する伝統を立てなければ、世界の統一は実現しません。怨讐の国を自国以上に愛することができるのは、ただ神様の愛だけです。
世界の統一を果たすには、その前に国家の統一、そして家庭の統一が先に果たされなければならず、家庭の統一が果たされる前に、個人の統一が果たされなければなりません。個人の統一とは、愛による心と体の統一のことであり、この個人統一の土台の上に、愛による夫婦の統一が果たされ、家庭統一、国家統一、世界統一へとつながっていくのです。それが新文化世界を実現する唯一の道です。
したがって、ここに参加してくださった多くの教授の皆様も、心と体が一つになるように努力なさると同時に、夫婦が互いに愛し合い、統一世界、新文化世界の建設に寄与してくださることを願ってやみません。終わりに、今回の大会におきましても大きな成果が上がることを心から願いながら、これで私のお話を終わりにしようと思います。ありがとうございました。
Friday May 27, 2022
平和経 第215話
Friday May 27, 2022
Friday May 27, 2022
神様の真理と愛を中心とした新文化の創造
私は「科学の統一に関する国際会議」が出発する以前から、善と希望に満ちた未来社会を築くに当たって、学者たちが決定的な役割を果たすべきであるという信念をもっていました。過去十数年間の「科学の統一に関する国際会議」に対する私の支援と情熱は、世界の諸問題を解決するための学者の方々の潜在力に対する尊敬と期待から生まれ出たものです。そのような潜在力が、「科学の統一に関する国際会議」を通して啓発、結集され、責任感のある学者たちが新文化革命の実現に積極的に貢献されることを願うのです。
「科学の統一に関する国際会議」は、今回で十四回目を迎えました。統一教会では、七数は三数とともに完成の意味をもつ重要な数です。そして、十四数は七数の二倍です。これまで「科学の統一に関する国際会議」は、学問(科学)の研究を、「絶対価値の発見とその実現」と結びつけることに没頭してきました。さらに「科学の統一に関する国際会議」は、知識の統合、すなわち、学問の各分野間の協同および統合的アプローチのためにも力を注いできました。絶対価値の基準は、すなわち絶対愛の主体である神様であり、また絶対価値を軸として立てない限り、学問の統合的アプローチは不可能です。今や多くの人々が、絶対価値の必要性を認めるようになりました。今まで議長団ならびに準備委員の皆様が、無理解の中でも開拓者の道を歩んでこられたことに対して、私は有り難く思っています。
これから、「科学の統一に関する国際会議」はどこへ向かって行くべきでしょうか。毎年恒例の行事として集まって討議するだけで満足できるのでしょうか。私が近年になって新文化革命を強調してきた内容をもって、これにお答えしようと思います。今日、人類は悪からの、最も本質的かつ深刻な挑戦に直面しており、人類の本然の理想と幸福を実現する潜在力や素質が根本から破壊される、そのような危機に処していると思います。
「科学の統一に関する国際会議」の皆様は、新文化世界の創造を必ず成就すべきその大業に積極的に乗り出さなければなりません。絶対価値の探求は、探求自体で終わってはいけません。真理は永遠の方向性を内包しており、絶対価値を中心とした理想世界は必ず実現されなければなりません。そのためには、私たちの信念に基づく決行と現実の困難を跳び越える跳躍がなければなりません。
今日の世界は変わらなければなりません。神様の真理と愛を中心とした新文化革命を目指して、学者たちは責任をもって先頭に立たなければならない時です。新文化革命とは、人類と被造世界のための、神様の理想を指向しなければなりません。この理想を実現しようとすれば、私たちは各自が、知識の実現ではなく、真の愛の絶対価値の実現において責任を果たさなければなりません。
人類は今や飛躍しなければならないのです。人間が感じる現実の限界状況を根本的に克服するような新しい次元の文化的創造行為が求められています。人間の本性の深い所で感じられる神様の期待や、激動する歴史の背景にある神様の摂理と何の関係もなしに、人間自らの理性的能力によって自己完成と世界完成が可能であるという幻想と傲慢さから目覚めなければなりません。私たちは、人間の限界を謙虚に認め、神様の摂理によって到来した歴史的契機を見失ってはならず、跳躍によって神人合一の理想を成就しなければなりません。人間のための神様の創造理想でしたが、その理想は、神様の総合的な配慮の上に人間が応答することによって成就されるというのは、当然の帰結なのです。
絶対価値を実践する勇士となろう
尊敬する学者の皆様。私は神様のみ旨に対する人間の応答、すなわち人間の責任分担を全うするために、生涯を捧げてきました。それがいくら険しい開拓の道だったとしても、避けていこうとはしませんでした。例えば、私はニュースと情報の既存の報道姿勢と体制に対して代案を準備することを決心しました。私は報道機関が大衆に正しい情報や間違った情報を伝える過程を深刻に観察してきました。多くの方々も御存じのように、私は経験を通して、報道媒体の力の誤用が、真実を歪曲し、善を蝕むことがあるという点を知りました。
ですから、私は過去数年間、多大の犠牲を甘受しながら、「ワシントン•タイムズ」を育ててきたのであり、最近、ニュース週刊誌「インサイト」を発刊し、さらに月刊誌「ワールド•アンド•アイ」を来月創刊する予定です。これらのプロジェクトは、真理や普遍的善の価値に貢献する教育やニュース、および公的情報伝達の代案的媒体となることを目的としています。
特に皆様は、「ワールド•アンド•アイ」誌に積極的に寄稿をしてくださり、持続的真理探究とその暢達(ちょうたつ)に参与なさることによって、新文化革命の旗手となってくださるよう勧告いたします。さらに、「世界平和教授アカデミー」の基盤と「パラゴンハウス出版社」の出版活動を連結して、絶対価値に立脚した学問の諸分野の専門事典の編纂を計画しています。これらのすべては、絶対価値のもとにおける、人間の本性に対する正しい洞察となり、正しい教育資料となる人間事象の大百科事典を編纂するための準備作業の一環です。
尊敬する学者の皆様。既存の矛盾する世界を、代案なしに傍観、放置しながら、自分の指導的力量と社会的責任を果たしたと言えるでしょうか。一時的な契機ではなく、神様が歴史的、世界的にお許しになったこの貴重な契機を逃すことなく、私たちは模範を示さなければなりません。私たちは万民に、不義に対する確固とした覚醒を悟らしめ、私たち自らが跳躍することによって、模範を示さなければなりません。飛躍には、冒険がつきまとうものです。逆説の基盤の上での立体的な冒険は、より大きな困難が予想されます。しかし、真理のあるところには、それに伴う実践があるものです。私たちは絶対価値を実践する勇士となって、積極的に世界を指導しなければなりません。
今回の会議が、自由討論の場から有益な結論が導き出される会議となるだけではなく、私たちの決意によって、陣痛の中で身もだえする世界をして、身ごもった新文化世界を一日も早く出産せしめるように促進する歴史的な行事となることを願います。最後に今回の会議のための準備委員会の会員の皆様の労苦に感謝しながら、参加者の皆様と皆様の御家庭に神様の祝福が臨むことを祈ります。
Friday May 27, 2022
平和経 第214話
Friday May 27, 2022
Friday May 27, 2022
12.跳躍と契機
日付:一九八五年十一月二十九日
場所:アメリカ、ヒューストン、インターコンチネンタル•ホテル
行事:第十四回「科学の統一に関する国際会議」
尊敬する議長、高名な教授、および科学者の皆様、そして紳士淑女の皆様。ここヒユーストンで、第十四回「科学の統一に関する国際会議」を開催するに当たり、この会議ならびに「絶対価値と新文化革命」と題する今会議のテーマに深い関心と支持を寄せてくださった皆様一人一人に感謝申し上げます。昨年ワシントンDCで開かれた第十三回「科学の統一に関する国際会議」に、私は参加することができませんでした。それだけに、きょうの朝、こうして皆様の前に立つことができた私の心は、格別に感慨深いものがあります。
人類の大覚醒と跳躍の必要性
周知のとおり、私はアメリカの刑務所で十三ヵ月間過ごし、今年(一九八五年)の八月二十日に出監しました。これまで私の身辺と無念な事情を御心配され、刑務所まで訪ねてこられ、ねぎらいの手紙を下さり、多くの努力と精誠を尽くして当局に嘆願をしてくださった皆様に、この場をお借りして、改めて感謝を捧げます。
私を何としても犯罪人に仕立てあげ、迫害し、投獄することに血眼だった人々は、莫大な予算と時間と労力を投入して、私の天命遂行を妨害しました。しかし、そのような反対にもかかわらず、統一運動は世界的に成功を収めています。私が収監されれば、統一教会の活動が瓦解するであろうという彼らの予測に反して、既成キリスト教の聖職者をはじめとした社会各界から、前例のない理解と支援の表明を受けてきました。このような出来事を通して「神様を中心とする正義は、迫害を受けることによって勝利する」という私の持論を改めて確認しました。
私は刑務所において、世界が深刻な危険に直面していることを、はっきりと経験し、また、全人類的な大覚醒と跳躍の必要性を痛感しました。結果的に私は、世界平和と人類の繁栄のために、私自身と統一運動が、さらに大きな犠牲を甘受してでも、先頭に立って走らなければならないという決心と緊迫感を抱いて出監したのです。
今日の世界は、驚異的な科学の発達、便利な技術、そして物質的な豊かさにもかかわらず、世界の随所で不幸な事態が続いています。国家間には絶えず緊張と戦争が継続しており、地球上の多くの所で、いまだに窮乏と貧困、文盲と疾病の困苦があり、世界の至る所の暴力と犯罪、麻薬と精神疾患、社会的不条理と不平等、青少年の淪落と家庭破綻など、数多くの問題点が地球星の未来を陰鬱なものにしています。
多くの指導者たち、とりわけ良心的な碩学たちが、幸福な理想世界を実現しようと努力してきたにもかかわらず、不安と苦悩の危機は日ごとに加重されていく、その理由は何でしょうか。その根本は、人間の精神的枯渇と道徳的、霊的危機によって引き起こされたと見なければなりません。そうして従来の価値観が、かつてないほどの速度で移り変わる現実社会を受容することができなくなり、また倫理と道徳が、その本来の機能を喪失し、善の基準も消え失せてしまいました。これらの問題の中で、個人の生活や社会全般にわたって、矛盾、葛藤、分裂が連続して引き起こされているのですから、道徳的基準や永遠性というものを、どこに立てることができるというのでしょうか。
逆説的な契機を肯定的に消化しなければならない
このような現実の中で、もし神様がいないとするなら、人間は完全な理想や幸福を永遠に期待することはできず、世界は滅びていかざるを得ないという結論に到達することになるでしょう。しかし、もし絶対なる神様がいるとすれば、現実の否定的な契機を踏み台として、一つの標準、すなわち絶対価値に向かって跳躍することによって、絶対(完全)肯定の境地に変える摂理をされるという結論を下すことができます。真の愛をもった、人間の父母であられる神様の、人間に対する否定の摂理は、破綻を目標としたものではなく、前進と飛躍のための過程的否定であり、希望的な新たなものをあらかじめ準備された上での否定なのです。
私たちは、歴史の中で多くの跳躍の契機があったのであり、現実に対する完全否定の契機と跳躍の過程を通して、超越者であられる神様に接した事例を、多々見ることができます。ありきたりの契機が跳躍の踏み台となることはまずないでしょう。先覚者たちは、逆説的な契機を肯定的に消化することによって跳躍し、驚くべき新たなものをつくり出しました。イエス様は、十字架上において完全に否定される切迫した契機を、完全肯定に変えながら跳躍される、神様の摂理を証したのであり、その結果として復活摂理の新たな一ページが開かれたのです。
私自身や統一教会は、迫害の歴史の中で、世界的な記録をもっていると思います。しかし、そうした迫害は、統一教会にとって必ずしも悪いものではありませんでした。無念の苦難にもめげず、むしろこれを契機に跳躍し、神様のみ旨に従って生きるならば、苦難それ自体は絶対者を中心とした永生の準備となるでしょう。そのように見るとき、私たちは、今日の現実に対して絶望とばかり見るのではなく、神様が私たちに新しい文化世界へと飛躍する契機を与えようとなさっていると解釈しなければなりません。
人間が科学を発達させた究極の動機は、人類の平和と繁栄の実現にありましたが、専門化された科学の具体的方法は、当初の価値的方向と一致できませんでした。人間の科学に対する期待は、主体である人間の福利でしたが、科学の成果は、人間の対象である物質的環境の開発が大部分だったと思います。したがって、機械技術による物質的生活の向上を試みた科学や政治、経済的平等の理論が、人類の真の幸福を保障することは難しくなったので、科学者たちは、もう一つの使命を自覚しなければならない、という結論が導かれるのです。科学時代に生きている現代人は、人間の内面性の洞察を通して、絶対秩序を根本にした新しい倫理的標準を確立することを強調しています。その新しい倫理は、自然を愛し、人間の価値を再検討し、人間相互間の愛、そしてその愛の根本である神様を探すように、私たちに求めています。学者たちは、外的な科学技術革命とともに、人間の完成と平和世界の理想を成就する文化革命、精神革命を成し遂げる課題を抱えているのです。
Wednesday May 25, 2022
平和経 第213話
Wednesday May 25, 2022
Wednesday May 25, 2022
11.絶対価値と新しい文化革命
日付:一九八四年九月三日
場所:アメリカ、ワシントンDC、マリオット•ホテル
行事:第十三回「科学の統一に関する国際会議」
尊敬する議長、著名な教授、学者、そして紳士淑女の皆様。私は、第十三回「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」に御参加いただいた皆様に、深い感謝の意を表します。直接お会いすることはできませんが、私の心は皆様と共にあります。十三年間、私はこの著名な学者たちの会議で演説をする中で、全世界的な状況と問題を解決すべき科学と学界の責任に関する疑問を提起してきました。
私の演説の中で扱った内容は、毎年多様に変わりながらも、その基礎となるテーマの焦点は変わることがありませんでした。その焦点には二つの核心があります。一つは、一般的に科学と知識の統一の必要性を強調することであり、もう一つは、科学は絶対価値と人類の福祉を保障するという目標によって導かれるべきであるということを強調することです。
神様は、宗教的真理の根源であるだけでなく、科学的真理の根源でもあります。神様は、最初の説教者であると同時に、最初の科学者でもあります。私はこの事実が宇宙の根本真理であると固く信じており、私の人生の課業は、そのような前提に基づいたものでした。私は、生きておられる神様の使徒として、全被造世界に、実体的にも、霊的にも明らかに現れておられる神様の本質的な存在のすべての面を、より一層広く、深く、また明確にし、統一させることを試みてきました。人間存在の物質的福利を増進させようという欲望とともに、その人生の意味を探求するということは、私が十六歳(数え)の時にこの道を出発して以来、様々な障害を越えながら、全生涯をかけて課業を成し遂げる、その背後の動機的な力となってきました。現在、知識を追求する中にあって最大の悲劇の一つは、学問分野が分裂しているということです。機械を分解するように、科学と知識を部分ごとに細かく専門化するということは、究極的には、全体的な機能を麻痺させることであり、科学をしてその使命を成就できなくさせてしまうのです。
私たちがどう考えようと世界は一つです。ある分野が他の分野よりも、ある事実に関して完全な見解をもっているといった考えや、異なった分野における発見や発展は互いに関連性がないという考えは誤ったものです。科学や学問のあらゆる分野は、互いに絡み合っています。すなわち、各分野はそれぞれ特異性をもってはいますが、実際は、全体における部分的な見解にすぎないのです。すべての研究分野が、事実に関する統合された見解を形成するために、共に研究するということは、人類の全体的な進歩や幸福にとって有益なことです。しかし、私が申し上げた科学と学問の統一に関する見解というものは、すべての知識を単に一つの学問分野に縮小させよということを意味するのではありません。それは、究極的目標に基づいた統一を意味するのです。
科学には多くの分野がありますが、そのすべては人間の幸福実現を追求しています。今日の学問は、細分化されてばらばらになっているという問題に直面していますが、より重大な脅威ゆえに、私たちは、「絶対価値の探求」という、この「科学の統一に関する国際会議」でずっと取り扱ってきたテーマに関心を向けざるを得ません。ほとんどの科学者と学者たちが、平和と繁栄を実現しようという切実な熱望をもってたゆまぬ努力を続けてきたにもかかわらず、貧困と文盲、疾病と分裂と戦争は、先進諸国でもいまだになくなっていません。科学と技術は非常に発展しましたが、人類は、悲しみと苦痛と貧困によって苦しみ続けているのです。多くの指導者たちは、このような不幸を取り除き、真の平和と安定を実現しようと努力していますが、世界では平和に対する形ばかりの約束が繰り返されているだけです。民主的資本主義や共産主義的社会主義のいずれも、世界の問題を解決することができずにいます。どちらも、世俗的人本主義をして人間存在を唯物論に陥らせ、生命の価値を落としてしまいました。いわゆる自由世界といわれる体制は、その無気力と方向性の喪失によって、このような状況をもたらし、共産世界は唯物論という理念体系によってこのような事態を引き起こしました。
目的喪失の状態が全世界に広がり、混乱をより一層加重させています。なぜこのような状況が起きるようになったのでしょうか。その主要な原因は、人間の行為を規制する価値基準が徐々に弱まったからです。倫理と道徳がその力を失ったために、善の基準というものが、ほとんどなくなってしまったのです。このような力の喪失の原因は、部分的には科学の基盤が誤った方向へと引っ張られたことにあります。
価値中立的であろうとするあまり、科学はその発展過程において、人間性と道徳的価値に関する問題を除外してきました。科学は次第に分化し、各分野はより一層専門化され、分析的、物質的になり、道徳と価値に関する問題については顧みなくなりました。その結果、人間の科学に対する支配が、この地球星において誰も人間の運命を確信することのできない状況にまで弱まってしまったのです。
価値と道徳を喪失するようになった、もう一つの理由は、過去の価値と道徳の基準では、現代の有識者たちをこれ以上満足させることができないということです。新しく妥当な道徳と倫理は、現代人にとって明確で適応し得る新しい価値基準に由来すべきです。その基準はひとえに、過去や現在の世俗的、または宗教的な思想を統合することのできる、超越的で統一された思想体系から引き出されるのです。
私は長年、宗教と哲学と科学が追求しなければならない目標に対して関心をもってきました。既に申し上げたとおり、私が主導してきたこの会議は、正にこのような関心から始まったものです。宗教が形而上学的なものや道徳的な問題に関連する反面、科学は空間と時間における自然法則とエネルギーと運動との間の変化に対する理解にとどまっています。科学が、過去数百年にわたって知識の驚くべき発展に貢献したことは事実です。しかし、それを導くことのできる価値基準をもてなかった科学は、世界を破壊へと導くこともあり得るのです。神学から科学に至るまでのすべての範囲における知識は、それらを正しく導くことのできる、認識された目標や価値基準なしには無意味だというのが私の見解です。私は、このような価値の方向と基準は、ひとえに神様を中心とした宗教から始まると信じています。これは、数多くの偉大な科学者たちの哲学的な著述が知られている科学界においては、さほど驚くことではありません。
私は、「科学の統一に関する国際会議」で行った演説を通して、「統一神学」と「統一思想」こそが、神様を中心とした、統一された新しい思想体系の基礎になるものであると宣言してきました。この理念によると、人間は存在自体として価値を所有しようとする本性をもっています。そして、人間は、神様との間に、親子という唯一の関係をもつようになっているのです。したがって、すべての人は、真の愛の関係を確立しようとする神様の創造目的に立脚した明確な価値観をもって人生を生きていくように創造されたのです。そこで私は、私たちの追求する絶対価値は、神様の絶対的な真の愛に基づいているという事実を提案しようと思います。
絶対的な美、真、善とは、正に真の愛の基盤の上で形成されているのです。すべての科学者と学者が、道徳的価値に対する確固たる見解の基盤の上に、各々の分野を発展させ、物質的で分析的な方法だけでなく、精神的で統一的な方法も採択することによって、人間の尊厳性を高めることを、私は切に願うものです。世界の問題に対する解決は、このような人間存在に対する全般的なアプローチによってのみ可能になるのです。断片的なアプローチの姿勢とその理想との衝突よりは、集合的な知恵と知識を中心とした調和の取れた努力が、この会議にお集まりになった著名な学者の皆様に求められているのです。私はこの会議が、神様が世界をおつくりになられた時に実現しようとされた理想のために寄与することを心より願います。皆様の努力が、真の愛と善と平和と幸福の世界を成し遂げる、新しい文化革命の実現に、必ず貢献することを願います。
Tuesday May 24, 2022
平和経 第212話
Tuesday May 24, 2022
Tuesday May 24, 2022
韓国で世界大会を開催する理由
それでは、私がなぜ皆様を韓国にお招きして、勝共国民大会と共に、第一回「世界平和教授アカデミー」世界大会を開催したか、ということについて、若干の説明をいたします。
第一に、韓国は、昔から地政学的に大陸と海洋の橋頭堡である半島国家で、強大国の勢力拡大のための要衝となって、歴史的な犠牲を払ってきました。現代でも、東西両陣営の要衝であり、ソ連と北朝鮮の侵略の野望によって真っ先に試練を受ける立場に立っている国です。韓国は共産主義の犠牲となるか、自由世界の一員として生き残れるかの岐路に立つ、世界的な試験台の上に置かれている国です。私は、このような韓国の状況を神様の摂理的観点から、世界と歴史の縮小体として見ています。
ですから、すべての歴史的関係と世界的問題が直接•間接的にここに連結されており、したがってここでの問題解決は、すなわち全体解決であると考えます。今回このように世界の碩学たちが集まって発表する決議や宣布は、すなわち皆様の国と世界全体と関連するものなので、世界的な関心事となり、世界的に波及する影響力をもつようになります。
第二に、韓民族は、約五千年の悠久なる歴史をもった文化民族であり、早くから敬天思想を信奉し、豊かな精神的生活をしてきました。私たちの先祖は、仏教と儒教を受け入れ、その文化を燦然(さんぜん)と花咲かせ、長くはないキリスト教伝来の歴史にもかかわらず、今日名実共に世界を代表する篤実なキリスト教国家となりました。
それだけではなく、この様々な高等宗教は、民族の精神文化の中に溶け込み、調和して、善の影響を及ぼしており、現実においても、この地は諸宗教が共存している特異な様相を見せています。本来、敬天思想が強い韓民族の本性を考えれば、無神論の共産主義が韓半島に根を下ろすようにはなっていなかったと思います。神様が生きていらっしゃるならば、韓民族を立てて、共産世界を打破する模範を世界に見せることと私は確信しています。
第三に、韓民族はその気質が活動的であり、奇抜であり、義に酔い、積極的に行動します。韓民族が一般的に時代観と歴史の発展推移に鋭敏な反応を見せるのも、この気質のゆえです。韓民族が一旦「共産主義は悪い」ということが分かれば、直ちに実践し、行動に移すようになるので、実践的な勝共活動は世界を指導する標本運動となるでしょう。
第四に、韓国は東西文化の交流の接合点です。既に皆様も御存じのように、多くの碩学たちが西洋文明の未来を悲観的に予測しており、これに対する解決方案として、新しい宇宙的、精神的一大転機が到来することを待ち望んでいます。西欧社会が東洋に対して徐々に多大な関心をもつようになり、東洋精神や東洋宗教に心酔するのも、東西文化の調和統一が成就されることを予告しているものと言えるでしょう。
平和理想実現の障害要因である無神論共産主義
東洋で生まれたレバレンド•ムーンが動機となり、中心となって、世界の碩学たちが人類平和と理想世界の創建のために、「世界平和教授アカデミー」を組織し、「科学の統一に関する国際会議」を開催し、学界に新しい転機をもたらすことは、過去の歴史になかったことであり、新しい文化が胎動する歴史的な壮挙だと言えるでしょう。
神様を父母とする「世界は一家庭、人類は一兄弟」という理想から見れば、東洋と西洋の最短距離の調和統一体は、宗教思想を中心としてのみ可能です。
「世界平和教授アカデミー」が本当に世界平和を目標とし、学問的な良心と知性を尽くしてこの目標を成就することを願うならば、私たちには再覚醒と再決意が必要だと思います。真の人類平和というものは、価値観の異なる人間相互間の平面的関係の改善だけでは得られるものではありません。神様を求心点とした絶対価値のもとにだけ真の平和世界を見いだすことができるのです。
この平和理想実現に対する根本的な障害要素は、無神論的共産主義です。私は、資本主義も神様が願われる主義ではないことをはっきりと教えています。しかし、共産主義は、神様の存在自体を否定しているので、「神主義」の前に一次的な障害となるのです。
私は、以前にシカゴで開催された「科学の統一に関する国際会義」の際、共産思想を学者たちが積極的に防がなければならないと既に宣布いたしました。ある人は、皆様に対する私の宣布と勧告があまりにも強い表現であると言うかもしれません。流れる時間の中で、きのうときょうが同じように繰り返されますが、歴史と摂理の中においては節があり、重要な転機があります。いつも繰り返されているような時間ではなく、決定的な意味をもって決断を下す時があるのです。今が正にその時です。私は人類の将来に対して深く感じることがあって、このように勧告をするのです。
急を要する明確な価値観による後進養成教育
皆様が後援する韓国における今回の勝共国民大会は、皆様の祖国と自由世界の至る所で行われなければならない標本となる大会です。自由世界の指導者たちが共産主義に対して決断を下し得ず、優柔不断であるならば、世界制覇の野望をもつ共産主義の膨張運動は防ぐことができません。特に教授の皆様が、一時的な安逸や一身の無事を願うがゆえに、正しいものと間違ったものを区別して積極的に証し得ないとすれば、若者たちの将来を誰に期待すればよいのでしょうか。教授の皆様の断固たる決心と明確な価値観による後進養成教育こそが、この時代の要請であるばかりでなく、教える者の基本姿勢でもあります。この点で、宗教指導者と教授には共通点があると思います。というのも、私たちは、知識を伝達し、また研究結果を教育するだけではなく、人生について責任をもって教えなければならないからです。
きょう、この場にお集まりの七十二ヵ国の代表の皆様。世界平和のための「世界平和教授アカデミー」の歴史的目標を達成しようという確固たる決意と、また有神論に立脚した献身的な信念は、皆様の国のみならず、勝共の世界的な民間連合基盤を構築する決定的な契機になると私は確信する次第です。
皆様の国と皆様の御家庭に、神様の祝福が共にあることをお祈りしながら、私の話を終わらせていただきます。ありがとうございました。
Saturday May 21, 2022
平和経 第211話
Saturday May 21, 2022
Saturday May 21, 2022
10.世界平和教授アカデミーと私たちの決意
日付:一九八三年十二月十八日
場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館
行事:第一回「世界平和教授アカデミー世界大会」
尊敬する世界大会議長、「世界平和教授アカデミー」の七十二ヵ国の議長団の皆様、そして韓国の「世界平和教授アカデミー」会員教授の皆様。きょう、この意義深い「世界平和教授アカデミー」世界大会において、これまで私が抱いてきた所信の一端を表明できますことを、誠にうれしく思う次第です。
「世界平和教授アカデミー」の究極の目標
きょう、この場に外国から来られた多数の議長団の皆様は、去る十一月末にシカゴで開催された「科学の統一に関する国際会議」を終え、お別れしてからほんの数日もたっていないときに、突然の通達により、それも一週間のうちに集まってくださるように連絡を差し上げたにもかかわらず、六大州から駆けつけてくださいました。既にあった御計画や年末の忙しいスケジユールを取り消され、私の招待に応じてくださったことに対し、心から感謝を捧げます。
常識的には理解し難い招待を受け、難しい条件を乗り越えて集まってこられた皆様の今回の大会が、歴史的なものであり、摂理的な意味があることを、徐々にお分かりになるでしょう。
私は、歴史を収拾し、人類の理想を実現するために、学者たちの研究業績と良心的な決断、そして人類を先導する先駆者的な実践が非常に重要であるということを当初から考えてきました。そうして、一九六八年、困難な教会運営にもかかわらず、「国際文化財団」を創立し、一九七二年から「科学の統一に関する国際会議」を毎年開催してきています。
このような大会は、個人や宗教団体で主催するものではなく、国家主権の後援のもとに開かれなければならないものです。しかし、誰もこの点に関心を向ける人がいないため、最初に思い立った私自身が実践しなければならないという信念で、国際会議を開催したのです。そして、今年は「世界平和教授アカデミー」がここ韓国で創立されて十周年を迎える年でもあります。
今日、人類は数多くの危険を抱えています。その中で最も深刻な問題は、人類が正しい価値観を確立し得ず、思想的な対決と混沌の中で、世界大戦の可能性と核の恐怖に直面しているということです。
このような脅威は、人間の心霊を正しく導いていくべき宗教が本来の責任を果たし得ずにいる間に、様々な政治的、経済的欲求を中心とした体制やグループが、科学的知識を誤用したことにより、より一層加速化されています。このような脅威は、人類文明それ自体を根本から危うくしています。
地域を超越した相互協力と共同研究
私は「世界平和教授アカデミー」が、人間の英知を啓発するために一生を捧げて尽力してきた有識者の皆様によって、この危機の時代を転換させ、世界平和の根源を模索する牽引車のような機構になることを願いながら、これを創立したのです。
「世界平和教授アカデミー」の究極の目標は、平和と繁栄のための新しい理念と方法論を研究しようとする勇気ある学者たちの献身的な努力によって、正義と調和と秩序の世界を創造することです。
また、「世界平和教授アカデミー」は、今日の時代において危機意識をもっている学者や指導者に、人類が直面している最も根本的な問題を検討するのに必要な資料を提供しなければならないと思います。
皆様が既に御存じのように、十二回にわたる「科学の統一に関する国際会議」を行ってきたその背後には、容易なことばかりがあったわけではありません。莫大な財政負担は言うまでもなく、このような意義あることをしながらも、多くの嫉妬と誤解と耐え難い迫害も受けました。最近において、皆様をはじめとして、多くの碩学たちが積極的に呼応して、世界が段々と私の動機に理解を一層深めてくださっていることは、私にとっては大きな慰めです。
歴史的に人類は平和を念願してきましたが、この地上には依然として戦争が存続しています。不幸にも強大国や権力者たちは、「平和」という言葉をたびたび誤用してきました。彼らは平和をうんぬんしながらも、実際には内面的にも外面的にも、人々を平和でないものによって苦しめてきました。特に共産主義者たちは、挑発を事としながら、「平和」という言葉を口癖のように使ってきました。このように「平和」という言葉は、多くの場合において、ただ不義を実現する手段として利用されてきたのです。
真の平和は、知識や富、そして社会的な地位や政治的権力のような外的条件によるものではありません。この世では、世界的関心事を公平に判断する絶対的基準がないので、変化していく世界の中で衝突する利害関係に縛られ、真の平和の維持は不可能なのです。真の平和は、ただ真の愛の基盤の上に立ち得るものであり、愛の関係は、人類を一つに結びつける、神様を中心とした絶対価値を理解するときにこそ、体験するのです。
私の考えでは、「世界平和教授アカデミー」はその目指す目標から見て、国際的、汎専門的でなければならず、また未来指向的、実践的知性の機構にならなければならないと思います。今世紀の人類が直面している諸問題を解決するためには、ある一分野だけで、または局地的処方だけでは解決不可能です。国家や地域を超越した相互協力と専門を超越した共同研究が絶対的に要請されているのです。
今日の学問は全般的に専門化されており、その課題もまた広大で、特定の学者やある学問分野のもとだけに一元化することはできません。問題解決のためには、多様な訓練を積んだ専門家たちの協力を通じたアプローチが求められ、そのアプローチもまた、個人的次元ではなく、全体的、宇宙的な均衡を取ってしなければならないので、そのための組織的機構や有効な運営は容易なことではありません。
それのみならず、没価値的な方法論が、学問研究の基準であるように認識されてくる間に、研究の結果が多くの場合において、より大きな上位の目的や善の意志に反して、策略家たちに利用され、人類の悲劇を招きました。このような不条理を解決するために、私は絶対価値を中心テーマとした「科学の統一に関する国際会議」で、その代案を求めようと努力しているのです。
平和実現のための「世界平和教授アカデミー」の実践方法
絶対価値はもろもろの価値の基準となるので、すべての学問の中心点になります。もしも専門化された学問が没価値的な方法によってのみ研究され、また人によってその価値基準が異なる場合、人類の本性が願う共同理想を実現する基準は、どこから見いだすことができるのでしょうか。また、人類は真の生き甲斐と価値性の保障をどこから受けることができるのでしょうか。
例えば、自由について考えると価値基準の異なる個人相互間、あるいは社会や国家などの体制相互間においてぶつかり合う矛盾、すなわち自由の陰でもたらされる不公平な犠牲は、どこでその補償を受けることができるというのでしょうか。
善を指向する人類の本性を見ても、絶対善の基準が求められていると言えるでしょう。また世界は次第に一日生活圏に縮小され、地球村を築きつつあり、人類が宗教や人種、国籍を越えて緊密に協力し、調和せずにはいられない歴史的な趨勢から見ても、絶対価値の基準は打ち立てられなければなりません。
世界が抱えている問題を克服するためには、多くの指導者が必要です。私は、「世界平和教授アカデミー」の会員である全世界の教授の皆様が、受動的ではなく能動的な、人類の理想の研究と実現に、積極的に参与してくださることを望んでやみません。ですから、「世界平和教授アカデミー」は、研究のみならず、世界福祉のために実践し、その手本を示す機構とならなければなりません。
この点において、他の様々な学者の集まりとは異なると思います。すべての会員は、学生たちを積極的に支援するだけではなく、社会世論に影響を与え、歴史を引っ張っていかなければならないと思います。
私たちは、非暴力的な態度で、それでいて所信をもって、この時代の最も難しく複雑な哲学的、社会的課題として人類が直面している未解決の問題を解決することに心酔し、献身的でなければなりません。「世界平和教授アカデミー」の目標である平和の実現は、理想と理論の基準においてではなく、実践的方法によって到達される目標です。
私は、「国際文化財団」と「世界平和教授アカデミー」の基盤を通した世界大学連盟の理想を抱いてきました。今や実現する段階となり、六大州に少なくとも七十の総合大学を順次に設立し、高い次元で若い世代を育成、指導するでしょう。大学相互間の交換教授制度、交換学生制度、協同研究などを通して、体系性を帯びた教育により、人類が一つの兄弟となる平和世界の理想を実現しようと思う次第です。
そして、「国際文化財団」のシニア•コンサルタントたちには、絶対価値に立脚した大百科事典の編纂計画を既に発表したところであります。現在、権威ある大百科事典がないわけではありませんが、一貫した価値観に立脚して集大成された新しい大百科事典は、後進のための絶対的な要請なのです。私の考えでは、十年以上の時間が必要だと思いますが、全世界の「世界平和教授アカデミー」の会員たちが動員され、この歴史的な作業が成就されなければならないと思います。
それだけではなく、生活を通した大衆教育のために、世界的な新しい月刊雑誌を一九八五年一月から刊行する予定で、既にその準備作業が始まっています。一千ページ以上の膨大な内容が収録されるこの雑誌は、一度見て投げ棄てるような内容ではなく、生活全般にわたって知性の泉となる指針書であり、生活の教育書になるものと期待しています。
また、良書を大量に出版し、人類社会を底辺から教育する計画を立てました。本の質や内容よりも収益性のほうに焦点を合わせている出版界の現実ゆえに、良い本が出版される機会が少なくなっています。数年間は膨大な出血をしたとしても、今後十年間に最低三千巻の本を出版する予定であり、既にその作業が始まっています。
Saturday May 14, 2022
平和経 第210話
Saturday May 14, 2022
Saturday May 14, 2022
共産主義の戦略戦術を克服すべき
このように、当初からレバレンド•ムーンと統一運動は、宗教の領域だけでなく、政治、経済、文化、科学、技術、言論、教育の領域で、途方もない誤解と非難、迫害と試練に耐えてきました。私たちは一般大衆と為政者から社会全般にわたって、反対と迫害を受けてきました。
ある意味では、全世界のすべての人々に、直接、または間接的に統一運動の運命に対して責任があります。しかし、世界的な反対は、特に共産主義者たちによって利用されてきました。共産主義者たちの標的には、いかなるものにも、レバレンド•ムーンの名前がついています。
これまで、ほとんどの人たちが、統一運動について正しく理解することは非常に困難でした。人々が私たちに関して見聞きすることのほとんどは、反対者たちが数年間、吹聴してきたうそと扇動的な非難でした。統一運動とレバレンド•ムーンに関して、人々が信じやすいのは、ただ単に、昔、捏造された流言飛語の繰り返しにすぎない言葉でした。
「うそも百回繰り返せば真実となる」というレーニンの教えに従い、共産主義者たちは人々に確信を与えるために、同じ偽りのうわさを繰り返し続けてきました。例えば、過去十二年間、日本共産党は彼らの宣伝機関紙である「赤旗」と彼らの出版物二十六億枚の反統一運動の記事を印刷しました。それは日本の国民一人当たり十六枚に相当する悪意に満ちた宣伝でした。
これは私たちの運動を破壊しようとする共産主義者たちの陰謀の中の一つにすぎません。反統一運動の宣伝は、中国、北朝鮮、東ドイツ、ソ連、キューバ、ニカラグア、リビアとその他の国々からも絶えず流れ続けています。このような偽りの宣伝は、公務員、政府指導者、知識人、宗教指導者、言論媒体と一般大衆に浸透しています。そうして、人々が歪曲された内容を数えきれないほど聞くようになり、結局、それが事実であると信じるようになるのです。
しかし、最も下品で卑しい行為は、統一運動に参加している人に対して非人間的処置を行う、いわゆる「ディプログラミング(脱洗脳)」というものです。それは共産主義者が協力していることは明らかです。人権の擁護者である裁判官と裁判所は、しばしば基本的な宗教の自由の権利を侵害することに協力することがあります。皮肉なことに、その権利の侵害は、人権と宗教の自由を最も声高に叫ぶ国家で発生しているのです。
ディプログラミングに使われる方法は、共産主義の政治犯の収容所で施行される方法と同じです。ディプログラマーたちは、少数派宗教の信仰をもつ人を監禁するために、親や親戚を利用して精神病院に委託したりもしました。その他の典型的なディプログラミングの手段としては、拉致、不法監禁、暴力、精神的な脅迫、睡眠妨害、アルコールと麻薬使用への誘引、性的誘惑と強姦などが含まれています。
このような脅迫と嫌がらせ、手練手管(てれんてくだ)により、職業的ディプログラマーたちは信仰を捨てるように強要します。多くの人々が、このような犯罪行為によって、肉体的にも、精神的にも傷つくようになります。
私の愛する多くの人々が、その信仰と理想ゆえに苦痛に遭うのを見るときに感じる私の深い悲しみを、皆様は想像すらできないでしょう。信じられないことに、ディプログラマーたちは、自分たちの行っている方法を私たちが使っていると言って非難しています。皆様は、なぜ共産主義者たちがレバレンド•ムーンと統一運動に対して、そのように敵意と恐れを抱いており、なぜ彼らがそのように命懸けで私たちを破壊しようとするのか、不思議に思われるでしょう。
皆様も御存じのように、共産主義の究極的目的は、無神論的唯物論の旗のもとに、全世界を征服し、共産党独裁を実現することです。実際に、労働価値説、剰余価値説、弁証法的唯物論、史的唯物論のようなマルクス理論は、真理と正反対であり、暴力革命を正当化するために主張されたものです。今まで、共産主義の恐るべき実体を克服できるものが何一つとして存在しませんでした。
「統一思想」は共産主義を克服する実体的基盤
しかし、「統一思想」は共産主義の虚構を暴露しています。彼らはこのような事実を知っているので、統一主義を根源的に根絶しようとしているのです。共産主義者たちは、自分たちの正体を暴露するすべてのものに対して恐れを抱いています。
これまで無知ゆえに数百万の人々が共産主義に利用され、無慈悲に虐殺されてきました。少数の人々だけが勇気をもって戦いましたが、理念と組織の力が弱かったために、彼らは孤立し、弱まり、簡単に敗れました。
今日、数億の人類が絶望の涙を流しながら、共産主義からの解放を待ち望んでいます。私は、三年近くの間、金日成独裁下にある北朝鮮の思想犯収容所で過ごしました。彼らは私をそこに投獄し、命を奪おうとしました。しかし、私は生き残り、結局、国連軍によって自由の身となりました。その時から、私の生涯の使命は、共産主義よりも優れ、共産主義から世界を解放できる絶対的真理をいかにして樹立するか、ということに集中してきました。
今や、私が目撃したその犯罪の数々に関して、明確に話すことができます。私は、共産主義に対して批判し、闘い、共産主義を克服するための実体的基盤をもっています。
以上のことから、皆様は、なぜ共産主義者たちがレバレンド•ムーンとその組織を恐れるかということについて理解できるでしょう。共産主義者たちにとって非常に理解し難いのは、なぜレバレンド•ムーンの運動は、あらゆる反対と迫害と中傷にもかかわらず、成功裏に成長し続けているのかということです。例えば、「国際勝共連合」の会員は、日本に三百五十万人以上います。
第一に、共産主義者たちは、神様が生きておられることと実際に統一運動の背後で神様が働いておられることを悟れずにいます。第二に、彼らは、宗教の真の本質を理解できず、また人間の本心は、ただ神様の真理と愛によってのみ、本当の満足を感じるという事実を理解できずにいます。最後に、彼らは、霊的な世界とこの宇宙を統治する神様の法が、弁証法的唯物論によって動くものではないことを悟れずにいるのです。
統一運動は、宇宙の根本的真理に基づいた深い宗教的体験と鍛錬によって触発され、裏づけられています。ですから、私たちは世界と人類の本心を動かすことができるのです。統一運動に参加する会員は、許すということを知るようになりました。彼らは、自分を迫害した人々を恨むのではなく、むしろ迫害と試練を霊的成長の糧として受け入れています。簡単に言えば、統一運動の真の会員は、いかなる反対にも屈せずに推進する力と揺らぐことのない信仰をもっています。これは、既に私たちが確固たる世界的基盤を確立したという事実から証明されているのです。
世界の各地に新文化革命の火を燃やそう
レバレント・ムーンと統一運動は、神様と人類のための生死をかけた重大な使命を担っています。しかし、この使命は、統一運動の独占物ではありません。この運動の会員たちは、良心的で理想を抱いたすべての人々と共に、新しい文化革命の隊列で働くことを願っています。自由世界の人々、特にキリスト教徒をはじめとした宗教者たちはみな、統一運動の偉大な友とならなければなりません。悲惨にも彼らは、共産主義者たちの戦略に対して無知であり、友と敵とを区別することができませんでした。結果的に彼らは、たびたび自分の真の友を攻撃し、破壊してきました。
しかし、最近の状況は変わりつつあります。人々は共産主義の不義と威嚇に対し、憤慨するようになりました。最近の事件は、共産主義者たちが初めから使ってきた戦略と戦術を明確に暴露しています。自由世界と宗教の未来に関して、より一層憂慮するようになった良心的な学者、経済人、宗教指導者が、統一主義の普遍的な旗のもとに集まり始めました。また人々は、道徳的退廃と闘うその力と共産主義に対抗するその潜在力のゆえに、統一理念に魅力を感じるようになりました。
今日、皆様は、私と共同の運命に直面しています。共産主義から学問世界を保護し、歴史がこの時代の私たちに与えた課題を成し遂げるために共に働きましょう。私と統一運動の会員たちは、この実に困難な課題にぶつかることを決意しました。全世界の学者たちは、きょうから各分野で指導力をもつために合流しましょう。
共産主義者側では、マルクス主義の学者たちが、学生とキャンパス活動を指導することによって指導力を行使しています。彼らは労働階級および少数民族の組織者たちと提携し、究極的には人間の真の幸福を破壊することになる途方もない理念的、社会的戦線を構築しました。したがって私たちは、教授と学生の責任ある協力を通し、組織的で社会的な基盤を、一刻も早く確立しなければなりません。
私は、この悪の世界では、正義を擁護する人が、何らかの実質的基盤をもてなければ簡単に除去されることを骨身にしみて悟らされました。したがって、学者と学生の連合戦線とともに、キリスト教徒をはじめとしたすべての宗教の信仰者たちは、共に働かなければなりません。
このような、歴史で最も重要な時代に生きている私たちは、生死の岐路に立たされています。私は、皆様が大志を抱いた義の学者、教育者として、世界に実質的で建設的な変化を起こすことを熱望しています。人生のすべての領域を包容する、統一された戦線で共に働きましょう。そして、歴史の頂点に立って、世界の各地に新文化革命の火を燃やしましょう。
神様のあふれんばかりの恩賜が皆様の国と皆様の御家庭、そして皆様と共にあることを願います。神様がこの第十二回「科学の統一に関する国際会議」総会における皆様の討論を、お導きくださることをお祈りします。ありがとうございました。
Wednesday May 11, 2022
平和経 第209話
Wednesday May 11, 2022
Wednesday May 11, 2022
統一主義は新しい文化革命の基礎
日付:一九八三年十一月二十五日
場所:アメリカ、シカゴ、シカゴ•マリオット•ホテル
行事:第十二回「科学の統一に関する国際会議」
尊敬する議長、議長団ならびに著名な教授各位と紳士淑女の皆様が、第十二回「科学の統一に関する国際会議」に参加するためにシカゴにお越しくださったことに対し、深く感謝の意を表します。
第一回「科学の統一に関する国際会議」以来、本会議は大きく発展してきました。「科学の統一に関する国際会議」の成果は、皆様が、周囲の激しい圧力や迫害をものともせずに成し遂げた、相互協力と献身的な努力の賜物です。皆様の業績とは、全世界で誰も凌駕することのできない会議を「科学の統一に関する国際会議」で創造したことです。私は、皆様のこのような努力と寄与に対し、深い感謝を捧げると同時に、皆様が成し遂げた成果に対してお祝い申し上げる次第です。
新文化革命は絶対価値に根拠をおくべき
今や世界は、科学と技術の驚くべき発達に伴う急激な変化を体験しています。したがって、社会の既存の価値は根本から揺らいでおり、あらゆる分野で混乱と葛藤を引き起こしています。このような傾向は、次第に高まる無神論的唯物論の影響力によって加速化されてきました。簡潔に言えば、多くの難題が今日の世界を脅かしており、いまだにこのような問題に対する真の解決策を見いだせずにいるのです。
民主主義や共産主義も、社会悪を清算する方法を提示できずにいることは明らかです。根本的に、民主主義と共産主義は、人類共通の問題を解決しようという欲望から発展しましたが、民主主義は、このような課業に成功できなかっただけでなく、共産主義の破壊活動に対し、それを克服することも、阻止することもできないということが明らかになりました。
共産主義は、人類に一層大きな問題を引き起こしました。したがって、世界は苦境に陥るようになり、民主主義と共産主義は、窮地に追い込まれた勝者のいない状況に陥るようになりました。これが、私たちが直面している現実であり、人類の将来は暗鬱で予測不可能に見えるのです。
それでは、民主主義と共産主義は、なぜ解決策になり得ないのでしょうか。二つの思想を注意深く分析してみると、この二つは、いずれも究極的な意味における真理の核をもっていないのです。民主主義は、政治制度の根幹として貢献しているかもしれませんが、それは決して明確で包括的な世界観ではありません。共産主義は、包括的で体系的な世界観をもってはいますが、それは偽りの仮定と歪曲された事実に根拠を置いています。
したがって、新しい真理に立脚した運動として、第三の代案が必要です。その代案は、真理と絶対価値に立脚した、完璧で体系的な世界観である「統一思想」、「統一運動」です。新しい文化革命が起きています。私は、すべての学者と専門家の皆様が、この新しい文化の創造に参加してくださることを願う次第です。
民主主義と共産主義の欠点を知るならば、新文化革命は、絶対価値にのみ根拠を置いてこそ可能であると結論を下すことができます。このような絶対価値は、現状の変化に立脚した相対的な価値であってはいけません。むしろ、このような価値は、不変の世界の原因と結果、神様と人間と宇宙の根本的な関係に立脚した、普遍的で究極的な価値でなければなりません。
私たちは、このような第三の世界観の発展と現世の問題解決を目的として、「科学の統一に関する国際会議」を始めました。十二年前に「科学の統一に関する国際会議」を創設するとき、私は絶対価値を中心テーマとして立てました。絶対価値をテーマとしたのは、変わることのない普遍的価値は、創造世界の本質的な基礎であると考えたからです。
「科学の統一に関する国際会議」以外にも、全人類が夢見て願ってきた理想社会を建設する、その準備として、様々な会議やプロジェクトを私は創設しました。私が生涯にわたって追求してきた統一運動の目的は、新しい体系的な世界観に立脚した新文化革命を創造することです。私たちの運動は百三十ヵ国以上に拡張され、私たちの指導理念である「統一思想」が新しい真理体系として、多数の有識者たちに認められてきています。
一般的に民主世界では、「統一思想」に対して開放的であり、その潜在力に多大な関心を寄せています。一方、共産世界は統一運動に絶えず敵対し、民主主義体制を、私たちを破壊する道具として利用してきました。共産主義の指導者たちは、私たちを目の敵にし、レバレンド•ムーンに関係するすべてのプロジェクトに反対してきました。
「科学の統一に関する国際会議」の組織も例外ではありません。共産主義者たちは、レバレンド•ムーンがこの会議を創設し、常にこの会議を最も重要視していることを知っています。これが正に「科学の統一に関する国際会議」が始まって以来、受けてきた非難と迫害の重要な原因です。
統一運動に対する共産主義の反対活動
共産主義は、自由世界を衰えさせるために、あらゆる策略と暴力に明け暮れています。私が統一運動に対する彼らの反対活動を知っているように、皆様も、御自身の国における共産主義者の虚偽宣伝と破壊行為をよく御存じのはずです。
私たちはこれ以上、この問題を看過することはできません。したがって私は、すべての自由世界と統一運動に対する共産主義者たちの攻撃の実際に関して、皆様に明らかにお話しできる機会として、今回のこの席を選びました。私は、皆様御自身と学問の自由の保護、そしてすべての自由世界の守護のために、このような事実を知る必要があると思います。
統一運動の世界的な発展に伴って、共産主義をはじめとした多くの敵対勢力の迫害があり、様々な所で妨害を受けました。私たちの活動が社会にとっては有益なものであるにもかかわらず、反対を受けるのはなぜか、その理由が理解できません。そこで、反対のその実質的な根源を明らかにするために調査しました。
きょう私は、統一運動が成功し、非常によく知られている日本で明らかになった事実をお話ししようと思います。私たちの運動だけでなく自由世界を破壊しようとする共産主義の画策が世界の随所で続いているだけに、この情報が、すべての国の国民にとって有益であると私は確信します。私が明らかにする、より詳しい暴露の内容は、まもなく本として出刊される予定であり、その本が皆様に広く読まれることを願う次第です。
日本もまた、アメリカのように国民の自由を誇りにしています。しかし、その自由のもとでKGB(ソ連国家保安委員会)と日本共産党が、私たちの運動に参加することを決意した人に対して逆宣伝し、自由を破壊していることを知っている人はごく少数です。彼らは、甚だしきは裁判所の協力を受けたこともありました。
私たちのこのような調査によって、共産主義者たちが私と統一運動を破壊しようとする陰謀を計画し、うそや事実の歪曲、流言飛語を組織的に吹聴してきたことが、結論として明らかになりました。共産主義者たちは、統一運動を妨害するために、偽りの情報を組織的に流布し、大衆動員を起こして統一戦線を結成し、対立と葛藤、闘争を引き起こしているのです。共産主義者たちは、常にすべての反対者を除去するために、このような状況を助長しています。
日本共産党は、統一運動を彼らの第一の敵とみなしており、統一運動に対する闘争は、日本の資本主義やアメリカの帝国主義に対する闘争よりも急を要するものであると公式的に宣言しています。
日本共産党が一九七八年六月五日から七日にかけて開催した全国指導者会議で、宮本顕治議長は、統一運動を破壊することは「後世の歴史に記録される『聖なる戦い』」であると発表しました。さらに彼は、この歴史的課業を成就するために民主派人士たちに、団結して、すべての努力を傾注することを促しました。日本の共産主義者たちは、数百の団体を動員して私たちに反対してきました。
私は、人類と神様の究極的理想である地上天国を実現するために統一運動を創設しました。私たちの運動は、すべての人間の努力を傾注して宗教を復興させ、人間を教育する運動です。私たちのような霊的な運動が、異なった関心事や方向を宣言する既成勢力から反対を受けるのは、歴史的に避けられないことでした。
宗教運動はみな、その始まりから激しい迫害と敵意を呼び起こしました。このような困難を克服した運動だけが、未来の世代のための主流思想と指導力になることができたのです。ユダヤ教やキリスト教、さらには民主主義と共産主義さえも、このような典型的な例でした。
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Wednesday May 11, 2022
平和経 第208話
Wednesday May 11, 2022
Wednesday May 11, 2022
絶対者に対する本体論の欠如
このうちで最も重要なのは、本体論の欠如です。本体論というのは、絶対者に関する理論のことを言います。宗教ごとに、その教理が成立する根拠としての絶対者がいます。ユダヤ教の絶対者はヤハウェであり、キリスト教の絶対者は神様であり、イスラームの絶対者はアッラーです。儒教や仏教は絶対者を明示していませんが、儒教の徳目の根本である「仁」は天命と連結するので、「天」が儒教の絶対者と見ることができ、仏教では、諸法は常に変化しており、真理は諸法の背後にある「真如」から見いだすことができるとしているので、「真如」が仏教の絶対者と見ることができるのです。
ところが、そのような絶対者に関する説明が、非常に曖昧です。絶対者の属性はどのようなものであり、なぜ創造し、創造の動機は何であり、どのような方法によって創造し、いったい神様(絶対者)は実際に存在するのか、などに関する解明が、宗教ごとに明確になっていません。したがって、各宗教の徳目が成立する根拠が明確でないので、今日の宗教の説得力が弱まっているのです。
すべての宗教の教えである徳目、すなわち実践要目がきちんと守られるためには、その宗教の本体である絶対者の属性と創造の目的、その絶対者の実在性などが十分に明らかにされなければなりません。中世時代、または近世以前までは、人間の頭がそれほど分析的、論理的でなかったので、「あなたの隣人をあなたの体のように愛しなさい」、「王に忠誠を尽くし、親に孝行しなさい」と言えば、無条件にその教えが正しいと思って従順に従いましたが、科学が発達した今日においては、人間の精神がとても分析的になり、論理的になっているので、いくら宗教指導者が「このようにしなさい」と教えても、「なぜそうしなければならないのか|とその理由をしつこく尋ねてきます。したがって、その疑問に答えてあげなければ、その教えは説得力を失ってしまうのです。
宗教の教えに対する疑問には、様々なものがあります。「果たして神様はいるのか」、「神様は、全知全能であり、遍在され、至善、至美、愛であり、審判の主であり、人類の父などと表現されるが、それをどのように知ることができるのか」、「じっとしていてもよい神様が、なぜ宇宙を創造したのか」、「神様の創造の目的は何か」、「創造には方法があるはずだが、その方法とは何か」、「絶対善である神様が創造した世界になぜ弱肉強食の現象が展開しているのか」、「人間が堕落して罪の世界になったというが、完全な神様が創造した人間がなぜ堕落したのか」などの疑問です。このような疑問に対して合理的な答えが与えられない限り、今日の有識者たちは、宗教を受け入れようとしないのです。したがって、キリスト教の愛の徳目、儒教の家庭倫理の規範、仏教の修行の実践要目、イスラームのコーランの要目は、捨てられたものになってしまうのであり、時には有識者が反宗教的な行動までも起こすようになるのです。
歴史的にキリスト教の世界であるヨーロッパの土壌に、近世以後、唯物論と無神論が発生し、今日、全世界を席巻(せっけん)しているのは、その根本原因が実にこの本体論の曖昧性にあるのです。その最も顕著な例が、マルクス、レーニン、スターリン、ニーチェなどが、キリスト教の家庭に生まれていながらも、無神論者、反キリスト教者になったという事実です。
さらに嘆かわしいことは、人間の闘争を仲裁し、人間の精神を先導すべき宗教が、今日、時として紛争を起こすことによって、宗教の威信と権威をより一層失墜させているという事実です。ユダヤ教とイスラームが闘い、旧教と新教が闘い、キリスト教と仏教が闘い、甚だしくは同じ宗教の教派間で闘っています。
このような宗教紛争の根本原因も、やはり本体論の曖昧性にあります。絶対者はただ一つであり、二つや三つあるということはあり得ないにもかかわらず、各宗教の指導者たちは、「自らの絶対者だけが正しい神であり、その他の神は真の神ではない」と思っているので、結局、宗教ごとに絶対者がいることになり、絶対者が複数になるという背理が成立してしまうのです。
これを言い換えれば、すべての宗教の神様は、相対的な神様にすぎないという結論になり、各宗教を通して立てられることになっていた絶対的価値観、すなわち神様の愛と真理に関する理論は、相対的なものにとどまってしまったことを知ることができます。すなわち、今までの宗教は、混乱を収拾する絶対的価値観を立てることができないという結論になるのです。それは、すべての宗教が、絶対者に関する正確な解明ができなかったことから生じる必然的な結果だと言わざるを得ません。
このような状況下において、絶対的価値観を確立しようとすれば、文字どおり、唯一絶対の神様に対する、正確で正しい解明をしてくれる本体論をもつ新しい宗教の出現が、必然的に要求されるという論理が成立します。
従来の様々な宗教は、神様が立てた宗教なので、それらの宗教を通して絶対的価値が実現されてきたと見なすことはできますが、今日、宗教紛争が起きていることから見て、各宗教の神様は絶対神になり得ず、絶対的価値観が従来の宗教を通しては立てることができないことを確認できます。したがって、絶対的価値観の確立のためには、新しい宗教が出現せざるを得ないという結論が成立するのです。
新しい宗教と新しい本体論
新しい宗教のための新しい本体論は、従来の各宗教において絶対者とされていたものが、各々別個の神様ではなく、同じ一つの神様であるということを明らかにしなければなりません。それと同時に、その神様の属性の別な部分をそれぞれ把握したのが各宗教の神観だったことと、その神様の全貌を正しく把握して、すべての宗教は唯一の神から立てられた兄弟的宗教であるということを明らかにしなければなりません。それだけでなく、その本体論は、神様の属性と共に創造の動機と創造の目的とその法則を明らかにし、その目的と法則が宇宙の万物の運動を支配していることと、人間の守るべき規範も、この宇宙の法則、すなわち天道と一致することを解明しなければならないのです。
日月星辰の創造の法則、すなわち天道によって縦的秩序の体系が形成されているのと同じように、家庭においても、祖父母、父母、子女によって形成される縦的秩序と兄弟姉妹によって形成される横的秩序の体系が立てられると同時に、相応する価値観、すなわち規範が成立していることを明らかにしなければなりません。さらにこの本体論は、その理論展開が自然科学的知識とも矛盾してはならず、人間の良心の判断によっても納得できなければなりません。
そして、さらに歴史の中で「天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」という命題が適用されてきたことが証明されなければなりません。そのような本体論によって立てられる価値観こそが、真の美の絶対的価値観であり、このような価値観の確立とその絶対価値(絶対真、絶対善、絶対美)を理解し、実践することによって、人類の精神改革が成し遂げられると同時に、世界の混乱は次第に消えていくでしょう。
新しい本体論によって、神様に関するすべてのことが解明され、すべての宗教の神様が、結局、唯一の絶対神として、すべて同じ一つの神であることが明らかにされれば、すべての宗教は、各自の看板をそのまま維持しながらも、実質的な宗教の統一が成し遂げられ、神様の創造理想である地上天国の実現に向けて共同歩調を取るようになるでしょう。そして、すべての宗教の教理における不備な点、未解決な点が新しい本体論によって補完され、実質的な教理の一致化までも実現されるでしょう。かくしてすべての宗教は、神様が宗教を立てられた目的を完全に達成するようになるのです。
以上のように、今日の世界的な大混乱を収拾することができる絶対的価値観に関するもろもろの問題点を解決するために、新しい宗教として登場したのが統一教会であり、その内容は、広範で、理論的で、有識者までも洗脳すると言われている、かの有名な「統一原理」と「統一思想」なのです。今回の会議に参加された皆様の絶対価値に対する、たゆまぬ努力と研究がより深まることを願い、神様の加護が共にあることを祈ってやみません。ありがとうございました。
Monday May 09, 2022
平和経 第207話
Monday May 09, 2022
Monday May 09, 2022
8.絶対的価値観
日付:一九八二年十一月二十五日
場所:アメリカ、フィラデルフィア、フランクリン・プラザ•ホテル
行事:第十一回「科学の統一に関する国際会議」
私たちは今、歴史的な都市フィラデルフィアにおいて、第十一回「科学の統一に関する国際会議」を開いています。大会に責任をもつ高名な議長、および議長団と世界各国から参加された教授、および紳士淑女の皆様が、この大会を輝かしいものにしてくださったこと対して、私は深く感謝を表する次第です。
大混乱の世界と絶対真理
今日の世界を一言で表現すれば、大混乱の世界だと言うことができます。洋の東西を問わず、世界の南北を区別することなく、国家の先進後進の区別なく、社会はすべて矛盾と不条理、不正と腐敗などによって病んでいます。世界の随所で紛争、衝突、反乱、戦争などが絶える日がなく、先進国は、豊かな物質生活を楽しんでいますが、第三世界、特にアフリカでは、数多くの人々が飢餓に苦しんでおり、餓死する群れが続出しています。
このような世界的な混乱の様相が、より一層悪化し、より一層加速化されるならば、人類が滅亡の危機から抜け出すことは難しいのです。このような世界的な混乱の直接的な原因は、果たして何でしょうか。その原因は、様々に分析できるかもしれませんが、最も根本的な原因は、価値観の相克にあると見なければなりません。何が美なのか、何が真であり、何が善であるかということに対する見解が、一人一人異なり、国家ごとに異なり、人種ごとに異なり、また思想ごとに異なるので、このような混乱が起こると思うのです。
ある行為を、Aは善だと考え、Bは悪だと考えるならば、Aはその行為を何としても実践しようとし、Bはその行為に最後まで反対するでしょう。このようなときに、対立や不和が生じ、ついには衝突までも生じてしまうのは必然的なことです。このように、今日の混乱は、価値観の衝突、価値観の相違に起因すると考えざるを得ません。
それでは、そのような価値観の相違は、どこに起因しているのでしょうか。それは第一に、利己主義に起因しています。極めて少数の例を除いては、個人は個人なりに利己主義にとらわれており、国家は国家なりに、人種は人種なりに利己主義を追求しています。
第二に、思想の違いに起因しています。世界には様々な種類の思想があり、それぞれ多くの追従者の心を捕らえ、特に共産主義と民主主義は、相反する価値観をもって人類を大きく分けています。
したがって、人類を滅亡の窮地から救い出す道は、第一に、利己主義の清算にあり、第二に、思想的相違の解消にあると言わざるを得ないのです。利己主義を清算しようとすれば、まず人間が自己中心主義に陥るようになった経緯を知らなければならず、思想的相違を解消しようとすれば、人間になぜ思想的相違が生じるようになったのかを理解しなければなりません。
人間が自己中心になり、各々異なる思想をもつようになった遠因は、堕落して神様を失うことによって、神様の愛を喪失し、神様のみ言を失ってしまったからです。神様の愛は、価値の根本です。したがって、神様の愛は、絶対価値の基台であり、絶対価値はすべての徳目の根本、すなわち統一価値なのです。
そして、神様のみ言は、すべての真理の根本であり、絶対真理です。また統一的な真理です。人間は、堕落して神様を失うことにより、絶対価値と絶対真理を喪失し、統一価値と統一真理を失ってしまいました。絶対価値と絶対真理から絶対的価値観が立てられます。「観」とは観点であり、見解であり、理論です。したがって、今日の世界的混乱を収拾する方案は、絶対的価値観を確立することだと言わざるを得ないのです。
神様は、愛と真理を人間たちに伝えて人間を救済しようと宗教を立てました。時と地域によって様々な宗教を立てました。例えば、約二千四百年前にインドに仏教を立て、中国に儒教などを立て、二千年前には、ユダヤにキリスト教を立てました。したがって、絶対的価値観は、神様を信奉する宗教を通して初めて立てることができるという論理が成立するのです。すなわち、宗教を基盤としない人の思想や哲学によっては、今日の混乱を収拾できる方案を立てることは難しいのです。言い換えれば、人類を混乱から救い出すのは、ただ神様を中心とした宗教によってのみ可能なのです。
歴史を顧みるとき、儒教、仏教、キリスト教、イスラームなどは、各々一定の時代と一定の地域で社会的不安と混乱を一掃し、平和と安全の基台の上に輝かしい文化を花咲かせました。例を挙げてみましょう。中国の漢朝における儒教文化がそうであり、ヨーロッパの中世におけるキリスト教文化がそうであり、古代インドのアショカ王時代の仏教文化がそうだったのです。また中東におけるイスラム文明(サラセン文明)もその顕著な例の一つです。
しかし、残念ながら、今日に至って、あらゆる宗教が、混乱を収拾する機能と人間精神を指導する能力を喪失してしまいました。今日の宗教は、ますますその生命を失っていきつつあり、信仰はますます形式化されつつあります。人類は既に、宗教から関心が次第に遠ざかりつつあり、本来、烈火のように燃え上がるべき信仰の姿勢は、少数の例を除いてはますます消えていきつつあります。これは、実に重大な事態であると言わざるを得ません。
なぜなら、人類の精神を先導しなければならない宗教が、その機能を完全に喪失した場合、世界は無法天地と化し、人類はあらゆる暴力と乱行と殺戮の海の中に落ちてしまうからです。実際に、今日そのような現象が起き始め、共産主義の策略によってそれが加速化しています。これを一言で、宗教的価値観の崩壊現象と表現することができます。
それでは、その崩壊の原因は何でしょうか。それは第一に、科学技術の発達と経済成長などによって、人間の精神が物質主義へと流れているからであり、第二に、共産主義をはじめとした各種の無神論と唯物論思想が急速かつ広範に蔓延していっているからであり、第三に、政教分離の名のもとに、国家の教育政策において、宗教を教科目から排除することにより、幼い頃から無神論思想を注入するという結果をつくり出しているからであり、第四に、共産主義者が赤化工作のために、残っている価値観さえも意図的に破壊する戦略を取っているからであり、第五に、宗教的価値観を理論的に守護すべき確固たる本体論が欠如しているからです。