Episodes

Friday Sep 02, 2022
平和経 第327話
Friday Sep 02, 2022
Friday Sep 02, 2022
皆様。今日の人間世界での愛は、自己を中心とした愛ですが、それがどこと関係があるかといえば、心ではなく体です。この体が悪魔の錨綱(いかりづな)を掛ける杭となっているのです。心が天に代わるプラスの位置にいるのですが、体がもう一つのプラスとなって、心を弄(もてあそ)んでいるのです。これを改めなければならない道が、私たち人間の生涯の義務なのです。これを御存じであられる神様が修理工場としてつくったのが宗教です。したがって、天は「心を中心として、より悪の体があるので、その体を強制的に屈服させなさい」と通告するのです。それで、「断食せよ、犠牲になって奉仕せよ」と言うのです。
体の欲望を弱め、心の言うとおりに従う習慣性を、三年から五年以上かけて伝授してもらうのです。それが宗教生活です。その次には、「絶えず祈りなさい」と言いました。それで、心は環境に引っ張られていきやすいので、中道の位置で精誠を尽くして、三倍、四倍の強い力を受けて体を引っ張っていきながら、習慣化させなければなりません。その二つの方法しか修理する道は絶対にありません。そのような修養の宗教の門を通過しなければ、本然の人間の道を求めていくことができないのです。哲学の道、知識の道、習慣的な良心の道だけではできません。
心と体が一つにならなければなりません。心は縦的であり、体は横的です。しかし、人間が堕落していなければ、最初から心と体は一つになっていたはずですが、神様の本然の理想と一つになることができなくなった事実をつくったのが怨讐です。それが正に堕落した天使長なのです。その悪魔サタンが人間を堕落させたのですが、善悪の実を取って食べて堕落したといわれています。その善悪の実を取って食べたアダムとエバはどこを隠しましたか。口を隠しましたか、手を隠しましたか。下半身を隠しました。これが悪を撒いた種になったのです。
青少年時代、成熟していないときに堕落しました。そのようにして植えられた悪の種によって、人間世界に悪の血統が及ぶようになったので、終末になると全世界的に青少年たちがアダムとエバのように愛の倫理を破壊し、退廃的な風潮に流れれば、サタンの全権時代が地上に到来したと思ってよいのです。このようになるとき、神様の鉄槌と審判が訪れるのです。
今日、アメリカ、ヨーロッパ、日本など、世界の先進諸国を見てください。東西、四方から押し寄せるフリーセックスと淫乱の波を誰が防ぐことができるのでしょうか。刹那的な刺激を求めていく享楽主義、紊乱な愛では飽き足らず、麻薬や覚醒剤を求める無頼漢の世界になりつつあるのです。それらは、体が死亡へと引っ張っていく道です。決して心の道ではないのです。
心は手を挙げて痛哭しています。天理大道において、人間を本然の始発地である神様の懐へと導いていくべき良心の使命と召命は、すべて失敗してしまいました。誰かが人類をこのような環境から救いの道に導くことができなければなりません。それが統一教会です。世界には希望がありません。
統一教会は、真の愛の理想によって神人と心身を統一する所です。神様が、真の愛、真の生命、真の血統を所有していらっしゃり、私たちはそこから出てきたので、私たちにも、真の愛があり、真の生命があり、真の血統がなければなりません。人間は、神様の真の愛を中心として、父子一身の関係をもって生まれることにより、神様の心と体が真の愛によって自然に統一されているように、私たち人間の心と体も真の愛によって自然に統一されていなければなりませんでした。
ところが、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血統を受け継いだ堕落人間となり、体と心がサタンと神様の第一線となって、闘い続けているのです。ですから、唯一このような内容をよく知っている文総裁は叫ばざるを得ないのです。
誰もが文総裁の言うとおりにさえすれば、体を屈服させて、心と一〇〇パーセント一つになるようにできるのです。そのようにして、心と体が一つになった皆様は、神様御自身の愛のパートナーとして永遠の対象となるのです。
愛には相続権、同居権、同参(一緒に参加すること)権という偉大な三大属性があるので、神様の絶対的な真の愛、不変的な真の愛と一致した立場に立つようになれば、いつでも同居できる権限をもつようになります。そうなれば、皆様は目を閉じなくても神様を見るようになり、神様の悲痛な心情を体恤した人は、道を歩いていても立ち止まって痛哭する、そのような体恤世界があるのです。堕落した世界でも、母の愛は、息子がよその地で不慮の事故に遭えば、直感で分かる場合が多々あるではないですか。寝ていても名前を呼び、大声を上げて目覚めるのです。
愛にはそのような力があるので、その愛と一つになれば、二つの世界は共存し、通じるようになるのです。言い換えれば、神様の本質的な真の愛、千年、万年ために生きても、さらにために生きようという、そのような真の愛を私の心と体に一〇〇パーセント吸収できる属性をもつようになるとき、心には真の愛の根が生じ、神様が感じるすべてのことが通じるようになり、体は自動的にそこに共鳴するようになるのです。
真の愛を中心として、心の世界の共鳴体となることができるように創造されたのが体なので、心と体の統一世界を備えるためには、神様の本質的な真の愛を回復しなければならないという課題が残っていることを知らなければなりません
このような真の愛に共鳴する論理を中心として見るとき、私たち人間がそこに一致して同一圏に入れば、神様の愛が私の愛であり、神様の生命が私の生命であり、神様の血統が私の血統であり、神様の所有である被造世界が私の被造世界であると言うことができるのです。そのような、天下を抱く父と母の心をもってこそ、天国に入籍するようになっているのです。
そのようなことを知っている文総裁が、峠を越え、川を渡り、五色人種を自分の親よりも、兄弟よりも愛するという心をもって生きていくと、今日、統一教会を世界最高の位置にまで引き上げることができました。天運が助けてくれるのです。真の愛の宿る所には天運がついてきて、神様の愛が永住するのです。
ですから、統一教会の教会員は、老若男女を問わず文総裁のことが好きです。本当に先生の生涯が哀れであることを知り、我知らずしきりに涙を流すようになれば、夢うつつに教えを受けるようになります。どれだけ霊的に明るくなるか分かりません。統一教会を信じればそのような世界が間違いなくあるのです。
皆様。御覧ください。先進国の代表といえるアメリカの青年男女、大学を出て修士号や博士号を取った人たちを数万人集めて何をしているでしょうか。アフリカ人も南米の人も東洋人も西洋人も、五色人種をすべて一つ所に集めて結婚させてあげるのです。
皆様。結婚問題はどれだけ重要な問題でしょうか。それをすべて文総裁に任せるというのですから、歴史上に新たな革命的事件が起こっているのです。
アダムとエバが堕落せずに成熟していたなら、神様の愛の対象、愛の配偶者となっていたはずです。あすには夫婦の契りを交わし、結婚式を挙げようとしているところに、盗賊が入ってきて新婦を強奪し、一緒に逃げていって暮らし、のちになって忘れられずにその女性が訪ねてきたとすれば、その男性が平然と「ああ、よく来た!」と言えるでしょうか。違います。憎しみで気が狂うというのです。
それでは、私たちの先祖であられる神様はどうされるでしょうか。同じです。神様はこの世界に手を触れたくても触れることができません。悪が植えられたために、胸痛む心情を抑えながら、悪の水が満ちて滅びるまで待っていらっしゃるのです。影の下で淫乱で蒔かれた種が、秋になり、全世界の村々に拡大した青少年の淪落として現れるのです。今が正にその時なのです。
人間は本来、神様の息子、娘となるべきだったにもかかわらず、怨讐の息子、娘となって抜け出すに抜け出せない塗炭の苦しみを味わっているのです。そのような人類を御覧になられる神様がどれほど悲痛であられるかを、はっきりと知っているキリスト教徒たちはどれほどいるでしょうか。

Friday Sep 02, 2022
平和経 第326話
Friday Sep 02, 2022
Friday Sep 02, 2022
皆様。愛する夫、愛する妻がいるでしょう。どれだけ愛していらっしゃいますか。実は、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。すべてために生きようとする真の愛のためです。男性と女性をして調和によって愛の理想を成し遂げさせるために、神様がそのように創造されたのです。
それでは、ペア•システムになっている天地の被造物の中で、神様御自身にとって最大の愛の相対であり、主人の位置に立てた傑作の存在とは果たして誰でしょうか。人間です。「女性」という言葉は男性が先にいて出てきた言葉です。また「男性」という言葉は女性を先有条件として出てきた言葉です。「上」という言葉は下を考え、「右」という言葉は左を先に認めて語る言葉です。したがって、「横」という言葉は縦を確定して語る言葉です。このように、先有条件を認めるということは、ために存在する相対圏を認めることであり、ために生きることを目的として成立したのが真の愛による創造だったというのです。
神様の真の愛は、投入し、与え、また投入して、また与えても忘れる愛です。与えたという記憶が残っている限り、愛は無限に回ることはできないのです。愛は無限に運動するものなので、与えたという記憶に留まっていてはいけないのです。与えて、また与え続けても記憶に残らないので、流れるのです。
神様は、この無限の価値をもった愛を父の立場で与えても忘れ、仮にその愛を受けた息子、娘たちが天に背いたとしてもまた与えられるので、そのような限りない神様の愛のゆえに、きょう皆様もこの場に来て座っていられるのです。したがって、真の愛の行く道は、受けるための道ではなく、与えるための道だという結論が出るのは当然のことです。それで、神様御自身も愛の相対を創造されるときは、神様御自身が与える立場に立ち、御自身のもっておられるすべてのものを一〇〇パーセント投入し、また投入したいと思うのです。
そのような心をもっている本然の中心存在が、天地を創造された神様です。それで真の愛は、ために生きることにおいても一〇〇パーセント、一〇〇〇パーセント与えて真空状態になるのです。空気で言えば、絶対低気圧が生じるようになれば、高気圧は自動的に循環運動が起きるようになるのと同じ理屈です。ですから、絶対にために生きようとするところには、無限の力が連結されるのです。神様は正に、このようにさらに与えようとする本性の作用が絶えず続くことによって永存されるのです。したがって、真の愛の道には、永生の論理が介在するのです。
皆様。私たちは何を中心として、きょうも生き、あすも生き、十年、百年、千年、万年を生きたいと思うのでしょうか。お金ではありません。この世の国ではありません。統一の絶対的起源となる神様の真の愛です。このように、神様の真の愛はために生きようとするところに根を下ろしているのに反して、今日の人間世界の愛は自分のために生きてくれることを願うところに根を下ろしているのです。堕落したために生じた結果です。自分だけのために生きてほしいという、そのような論理の中には統一がありません。これは、相対圏が犠牲となって破壊をもたらします。ですから、全宇宙が独裁者を支援することはないのです。理想的な相対を破壊するもの、それが悪魔です。それで、統一教会が医者となって治癒しなければならない召命を受け、実践しているのです。
それならば、このように救世的責任をもつべき統一教会が主張する教理も、理論に合わなければなりません。真の愛を中心として、統一的理論の根拠をどこに立てるのでしょうか。神様がいて、それからアダムとエバがいますが、男性であるアダムは大きく、女性であるエバは小さいですが、神様さえ占領すれば万事OKなので、アダムが前を行き、エバはついていって神様を発見したというとき、その神様を誰が先につかまえるのでしょうか。
自分を主張するところには、統一はありません。しかし、神様と共にために生きるという立場で考えるとき、アダムが「私が先に神様をつかまえようとするのは、あなたのためです」と言えば、小さなエバが、「早くつかまえてください!」と言うのです。
また女性が「私が神様を先につかまえようとするのは、あなたのためです」と言うとき、夫も喜ぶようになります。ここで統一が成し遂げられるのです。このように、神様のために生きようとする天地の真の愛の世界から統一の理論を発見できたために統一教会が現れたのです。
私は、怨讐の側にいる衛星国はもちろん、ソ連の主要都市に統一教会の宣教師たちを配置して、救援のための準備をしたのですが、彼らが極限的な迫害の中で死刑宣告を受け、国境を越え、また越えて、一度も出会ったことのない師に従い、最後に東方の韓国に向かって「私は逝きます」と両手を合わせて祈り、最期の道を行った彼らを、引き止めることができず、生かしてあげることのできなかった文総裁の心情を皆様はお分かりになるでしょうか。
悪魔からの苦難を受け、苦痛を受けて、捕虜兵となっている彼らを不憫に思う天の心を知りながらも、昼も夜も前進を決意せざるを得ませんでした。私はまた、共産主義は七十三年を超えることができないことを、天理を通して知ったので、待ち続けました。そうしたところ、なぜかソ連は、私たち統一教会の真理を調べ、これこそが偉大な真理であり、ソ連に新しい希望を植えつける真の真理であることを知るようになったのです。しかし、このような大きな国と天宙の和合も問題ですが、私自身の和合がより先決問題なのです。
皆様。私たち人間は、人生を生きる間、自分に最も近く、天下を与えても変えることのできない主人がいるにもかかわらず、知らずに罪に捕らわれて生きる哀れな群れだということを知らなければなりません。その主人は、正に自分の良心です。この良心がどれほど皆様のために忠告し、疲れることを知らずに昼も夜も、悪い考えをすれば「おい、こいつ!」と言って引っ張り、峠を越え、川を渡るために、どれほど気をもんだことでしょうか。
真の主人の姿をもって私を保護しようとする心を裏切ったこの体、一つしかない宇宙から貴い師として与えられた先生であるにもかかわらず、その先生を容赦なくぞんざいに扱ったこの体、また私の本然の愛の心を引き継ぐことができるよう、父母の代わりに送ってくれた良心を容赦なく蹂躙したこの体、このように心の怨讐になったこの体を、皆様は愛するのですか。それではいけません!
私を守ろうとし、私の主人と師と父母の位置に立って、私を正しい人にし、天地の大父母であられる神様、天地の大師匠であられる神様、天地の大主人であられる神様のみ前に一致させるために努力する第二の主人である良心を蹂躙し、無視し、冷遇したこの体を保護すべきでしょうか、占領すべきでしょうか。体をつかんで心のようにために生きる自分になったときに、幸福が訪れるのです。そこに神様が臨在されるのです。それで、「家和万事成」という言葉があります。私の家、私個人が安らかであるためには心と体が一つにならなければなりません。

Friday Sep 02, 2022
平和経 第325話
Friday Sep 02, 2022
Friday Sep 02, 2022
8.真の愛と統一世界
日付:一九九〇年四月三十日
場所:韓国、水安堡(スアンボ)、ワイキキ・ホテル
行事:モスクワ大会勝利帰国真の父母歓迎大会
きょうのお話の題目を決めるとすれば、「真の愛と統一世界」です。「統一」という言葉は、高い人、低い人、善の人、悪の人、誰もが願い、永遠に人類が存続する限り残る言葉です。また、統一は、人間はもちろん、万物と神様までも望まれることです。人間世界での「真」の基準は変わるものであり、誰もが不可能に近い欲望をもっています。東洋や西洋を問わず、それはどこも同じです。また人間は誰しも最高の位置に行こうとする欲望の方向があることは否定できないのが現実です。
それでは、このようになりやすく、大きな欲望をもっている人間が探し求める本当の「真」とは何でしょうか。男性の前に本当の「真」は女性であり、女性の前に本当の「真」は男性です。親の前には子女が本当の「真」であり、子女にとっては親が本当の「真」です。そして、神様のみ前に本当の「真」は人間であり、人間の前に本当の「真」は神様です。以上の話は、本然の世界での話です。なぜなら、真の男女を通してのみ、統一的な真の愛を見つけることができるのであり、神様と人間も真の愛を中心としてその統一が成立するのです。真の愛を中心として見ると、男性と女性の絶対はここにあり、生命を捨ててまでも服従しようとするのです。絶対的神様も、真の愛を絶対価値の中心として最高の貴い位置に立てておくのです。したがって、神様も真の愛に絶対服従しながら生きたいと思うのです。したがって、人間の結婚というものは、男女の絶対価値である真の愛を横的にして絶対服従して生きることによって、神様の縦的絶対価値である真の愛を占領しようとするものなのです。
ここに、人生には、なぜ生まれたのか、なぜ生きるのかという原因と目的があり、神様の創造理想があるのです。人類歴史について見ると、人生観、宇宙観、神観など、すべての問題の解決は、真の男性と真の女性と神様が真の愛を中心として絶対に統一されるところにあります。これが絶対価値の根源地なのです。この世界で、人間の欲望の限界線を否定できる、そのような存在が何であるかを探してみたところ、真の愛以外にはありません。愛の中のどのような愛でしょうか。真の愛です。
文総裁を中心とした統一教会の教えは、真の愛を実践する救世の真理です。人類が永遠に必要とする真の愛である生命のみ言です。真の愛のためなら、困難も問題になりません。自分の生命をなげうってでも行くことができる力が、真の愛にはあるのです。
ところが、今までの人類歴史を見ると、「真の愛と統一世界」を成就した人はいません。なぜなら堕落したからです。統一を願うすべての人々が、その動機がどこにあるのか分からずにいるのです。それを知らなければなりません。真の統一の動機は、自分の妻と夫、息子と娘、親戚、国家、天と地など、相手側にあるのではありません。自分自身にあるのです。
私は、自分の基盤を連結し、多方面に世界的基盤を築いてきました。特に、この国と世界のために科学技術が必要であることを知り、韓国の「統一産業」とドイツの最先端機械工業、日本の先端電子技術を連結しなければならないことを知って準備してきました。このように、国家と民族のために第二次世界大戦後、四十年以上もの間、多角的に準備してきたにもかかわらず、この国、この民族は関心をもちませんでした。
しかし、これからは韓国も私に期待をかけざるを得ない時になりました。歴史を通して見ると神様の戦略戦術とサタンの戦略戦術は正反対です。神様は打たれて損害賠償まで請求して取り戻してくる作戦であるのに対して、サタンは先に打っても奪われるのです。第一次、第二次、第三次世界大戦を見てください。第三次世界大戦は思想戦ですが、すべて先に打ったほうが滅びました。
私たちのような人は、公的な人として、公的な立場に立って打たれてきたのです。しかし、歴史を見ると孔子も「喪中の家の犬」と言われました。その当代に聖人になった人がいるでしょうか。またイエス様はどのような方でしょうか。ローマ帝国に反乱罪に問われて死んだ方です。このように彼らは、その当代にはみな悲惨に死にましたが、歴史時代を経ながら次第に上がっていくのです。迫害を受けるというのは、怨讐の所有権を相続する一つの方法なのです。ですから、宗教世界では迫害を受けるときに発展します。神様が本当に愛する人は、いつも天運の保護を受けるのです。
皆様。真の愛というものは、目には見えませんが最も貴い宝です。それでは、私たち人間の中で宝のような存在は誰かと考えてみると、それは正に聖人たちです。聖人たちの教えは、気まぐれに変わるようなものではありません。ある聖人が地上で一つになることを教えたならば、霊界に行っても彼の教えは天上の法にも通じる不変のものでなければなりません。
今日のキリスト教徒たちは、神の道理が何であるのか、水がどのように流れ、起源がどのようになっているのか、天理大道がどのようなものなのかということを知りません。目はくらみ、大口をたたいたところで誰が聞きますか。ふらふらしていると、そのうち事故に遭うのです。このような無知を悟らせるために、文総裁は全生涯を捧げてこの道を開拓してきました。何のためにそのように苦労したのでしょうか。真の愛を探し出すためでした。すなわち、神様の真の愛を最高の絶対中心として立てておいたので、そこに一致するためだったのです。
神様が父であり、私たちが子女であるならば、父が先にやってみてもいないのに子女に「やりなさい」と言うことができるのでしょうか。これは論理的に不条理なことです。ですから、神様が私たちに絶対服従を命令するためには、神様御自身もその貴いものに絶対服従してから命令しなければならないのです。
このように、神様までも絶対服従しながら生きたいと思う真の愛こそが、地獄までも占領できる基盤になります。皆様が真の愛を所有するようになれば、すべての悲しみと苦痛も、その真の愛の中で消化され、喜びとなるのです。それでは、真の愛はどこから来たのでしょうか。根本となる神様の真の愛から来ました。神様もそのような愛を望んでいるので、そこに由来しているのです。
結婚しようとしている男性と女性に聞いてみてください。新婦は心の中で「男性は私よりも立派であってほしい」と思い、新郎も「新婦が自分よりも立派であってほしい」と願います。また、親は誰しも自分の子女たちが自分たちよりも立派になってほしいと期待しながら生きるのです。そのような心は神様から来たものであり、真の愛を中心として言っているのです。神様の根本がこのようなものであることを、帰納的に結論を下すならば、神様も、真の愛の対象が御自身よりも立派であることを願う心をもっているというのが本性の起源になるのです。それで、神様は投入し、また投入しようとされるのです。神様が真の愛の相対として造られたのが人間です。
「万物之衆唯人最貴」(マンムルチチュンユインチェキ)(万物の中で人が最も貴い)という言葉は理にかなった言葉です。神様も愛の相対的パートナーが必要で造られたのが人間です。ですから、中心である人間をかたどり、和合し吸収されるように、すべての万物を創造したのも、愛の理想のためです。
被造世界を見てみると、鉱物世界を見ても、プラス・イオンとマイナス・イオンが作用しています。元素と元素同士も、くっつけたからといって必ずしも結合するわけではありません。相対的要因が合わなければ、神様も思いどおりにできないのです。たとえレベルは低くても、このように鉱物世界の作用も、愛の創造理想型モデルの核に反応することができ、そこに通ずることができるように造ったのです。
したがって、真の愛の本質を中心とした場合、堕落していない人間は、神様の心情からすべての万物、動物世界まで通じるようになっているのです。その位置に入るようになれば、岩とも通じるのです。皆様がそのような位置に入ってみることができなかったことが事件です。私たちは、深い神秘境に入るようになれば、森羅万象がすべて友になるのです。喜悦に満ちた愛の境地に入り、私が笑えばすべての万物と神様までも和動します。

Thursday Sep 01, 2022
平和経 第335話
Thursday Sep 01, 2022
Thursday Sep 01, 2022
13.世界と南北の統一は真の愛で
日付:二〇〇〇年二月十日
場所:韓国、ソウル、オリンピック公園体操競技場
行事:「二〇〇〇世界文化体育大典」開会式および真の父母様御聖誕八十周年記念式
世界と南北の統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。今、正に始まった新千年紀は、分裂と葛藤の前世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村、一つの家族の理想が実現される時です。皆様の各家庭に、新千年紀の祝福が共にあることをお祈りいたします。
初めに、私の八十歳の誕生日を祝賀してくださるために、世界と全国の各地からお越しくださった皆様に心から感謝申し上げます。何よりも、この日まで見守ってくださり、共にあってくださった神様に、このすべての栄光をお返しいたします。私の過去の生涯を振り返ってみるとき、一時も平坦な時期はありませんでした。韓半島を取りまく列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史とともに歩んできました。私は、十六歳(数え)の少年時代に、祈祷をしている最中、突如として天のみ旨に接し、それから生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全身全霊を尽くしてきました。その中で、人間の不幸の根本原因は、人類始祖が堕落することによって霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果だったということを知りました。それによって私たち人間は、神様と人生、そして宇宙の根本問題などについて無知に陥ってしまったのです。
これまで私は、世界各地の公式の場で、一万回以上にわたり、み言を通して「神主義」に立脚した真の人生観、世界観、歴史観を提示してきました。これは、世界十二ヵ国の言語に翻訳され、既に三百巻以上の書籍として出版されています。これは、文献による総合的な研究や、学問的な探求の結果として解明されたものではなく、有形と無形の世界を自由に行き来しながら、原理的で根本的な答えを説き明かしてきたものです。きょう私は、この意義深い場を感謝しながら、我が民族の宿願であり、世界の冷戦の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「世界と南北の統一は真の愛で」という題目で、お話ししようと思います。
人類歴史は蕩減復帰摂理歴史
我が国の統一は、単に国土の統一だけでなく、これは、堕落によって分かれた人間の心と体の統一問題から始まり、東西の二大世界に分かれた全世界の統一のためのモデル的路程です。したがって、この問題は、神様の救援摂理史的な側面から理解しなければならない事案であり、したがって、摂理的な次元で解いていかなければならないのです。人類歴史は、人間始祖が堕落によって失ってしまった本然の世界を、再び取り戻すための蕩減復帰の摂理歴史です。ですから、歴史は、神様の創造理想の実現を目標とした、サタン側と天側との間で起こる善悪闘争の歴史なのです。
歴史の背後ではいつも、善の側には善霊が協助し、悪の側には悪霊が協助してきました。人間の堕落によって始まった分裂の歴史は、家庭、氏族、民族、国家、世界へと範囲を拡大しながら、結果的に人本主義と神本主義の根幹となった無神論と有神論の対決として現れたのです。
二千年前、ユダヤ民族がイエス様を受け入れていれば、イエス様はユダヤ教を基盤として、ユダヤの氏族と民族を統一し、十二支派の子孫たちが住んでいたアラブ圏を統一していたでしょう。さらに、イエス様の思想が中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播され、一方では、ローマ帝国と全ヨーロッパを掌握し、イエス様の時代に統一された一つの世界が成し遂げられていたでしょう。最終的には、イエス様を中心として一つの新しい宗教文化圏を形成し、万王の王にならなければならなかったのです。しかし、イエス様が十字架にかけられたのち、外的な肉身を中心とした文化圏である人本主義のへレニズムが先に発達し、ローマの中心文化を形成しました。
一方、内的な心の文化圏である神本主義のヘブライズムを代表するキリスト教は、四百年の間、ローマからあらゆる迫害を受けたのです。
人間始祖の堕落によって分かれた善と悪の闘争歴史の背後で、サタンは今、何を狙っているのでしょうか。神様をはっきりと狙っています。永遠、不変、絶対、唯一であられる神様が、太初に理想とされた基準も、永遠、不変、絶対、唯一でなければなりません。サタンはそのような神様の絶対的なみ旨を破壊しようとするのです。
神様にお尋ねしてみれば、神様は、その事実を認められるでしょう。サタンが神様に、「神様!最初に、私を天使長として立てられたときには、一時的な愛で立てられましたか。それとも、永遠の愛のために立てられましたか」と質問するならば、神様はどのように答えられるでしょうか。神様は、「永遠に愛するために立てた」と語られるでしょう。一時的な愛で立てたとするならば、一時的な愛の神様となります。永遠に愛するという基準をもたなければ、いつかは、サタンの前に神様の権限を行使できなくなるのです。ですから、神様は、サタンがどんなに反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないというのです。
サタンを自然屈伏させるための神様の戦法
それで、神様は悪に対しては「無抵抗主義者」なのです。それはどうしてでしょうか。神様は、この地球上に天国理想の世界を成就する時まで、いかなる環境の中でも、堕落してサタンになった天使長を愛さなければなりません。神様は、サタンがいくら暴れ回ったとしても、罰したり、打ったりすることができないのです。いかなる状況でも愛したという条件と基準を立て、サタン自身が「ああ、本当に神様は神様であられます。降服します」と告白しない限りは、神様は、完全な勝利を果たすことができません。それが問題なのです。神様がそのようにサタンを愛することによって屈服させることが、復帰原理的な道であるならば、神様の子女である私たちも、その道を歩まなければなりません。世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立っても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。このような側面から、悪を自然屈伏させようとする神様の戦法は「怨讐を愛せよ!」というものでした。言葉は簡単ですが、今までこれが神様とサタンの間で勝敗を分ける境界線となってきたことを誰も知りませんでした。
神様がサタンを敵や怨讐とみなし、彼に対して復讐しようという思想をもったとすれば、絶対に勝利の絶頂を占有することはできません。反対に神様は、「怨讐を愛せよ!」と言って、愛の作戦を展開してきました。神様のひとり子であるイエス様は、サタンが役事(働き)して自分の命を奪おうとする怨讐に対して、「彼らを赦し給え」と祈ったことは偉大なことです。もしイエス様が十字架で死んでいかれながら、怨讐に対して敵愾心を抱いたならば、摂理は逆転していたでしょう。福を祈る、愛する心をもって死を克服したので、サタンが自然屈伏したのです。
永遠に、神様の子女として残ることができる資格が、そこで生じたのです。サタンもこれを是認し、「あなたは、本当に神様の息子である」とサインするのです。ですから皆様も、神様のみ前で、「サタンよ、私は神様の息子であることに間違いないだろう」と問えば、「はい、間違いありません」と答え、それだけではなく、「神様の息子として相対圏を拡大していくであろう。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界圏に拡大するのに異議はないだろう」と言えば、「はい、それは原理と原則なので、仕方がありません」と答えるように行動しなければならないのです。
神様は、このような条件に従って、キリスト教文化圏を中心として摂理を推進してきました。犠牲の道、殉教の場、血まみれの境地においても、神様を愛し、怨讐までも愛する運動を展開してきたのです。私たちは、家庭、社会、国家、世界においても、この運動を展開しなければなりません。キリスト教の愛の精神によって、激しく迫害を加えてきたローマ帝国が屈服しました。キリスト教は、そのようにして世界的な宗教になりました。これまで、クリスチャンは、個人的な怨讐だけを考えてきたのですが、そうではありません。怨讐国家や、さらには怨讐世界も愛さなければなりません。
怨讐国家の中心に天国の出発点があるので、そこに真の愛の伝統基盤をつくって出発しなければ、地上天国は成し遂げられません。このようにして、伝統が立てられれば、これ以上の思想、これ以上の消化すべき主義は生じません。韓国が日本帝国主義治下にあったとき、韓国を含めた日本、ドイツ、アメリカの主要摂理四大国家は、互いが怨讐の関係でした。その当時の状況では、日本と韓国が怨讐同士であり、日本とアメリカが怨讐同士であり、アメリカとドイツが怨讐同士だったのです。
私は、このような怨讐関係にあった日本人とドイツ人をアメリカに連れていき、「アメリカが神様を無視して失ってしまえば、滅びて死んでしまうので、アメリカを活かさなければならない」と言って、真の愛の道理を実践しました。日本人やドイツ人に、「敵対関係のアメリカを、自分の祖国を愛する以上に愛する伝統を立てなければ、天の願う新しい世界理念を立てることができない」と強調し、真の愛の伝統を教えたのです。
怨讐の関係である国家を、自分の祖国以上に愛する基盤と伝統を築かない限り、この地上に天国は顕現できません。このような歴史的伝統の樹立は、神様の真の愛の中でのみ可能なのです。
私は、アメリカ連邦政府から屈辱を受けながら、罪なく法廷に立ったとき、アメリカの未来を心配しながら保守紙「ワシントン•タイムズ」を発行したり、放送局を設立させたりするなど、むしろアメリカのために、あらゆる努力を尽くしたのです。近来では、共産主義の没落以降、ロシアと中国の未来を心配し、数十種類に及ぶ各種の教材を出版して、青少年を中心とした倫理教育に多くの支援をしています。

Thursday Sep 01, 2022
平和経 第344話
Thursday Sep 01, 2022
Thursday Sep 01, 2022
祖国光復のために私たちはいかにすべきか
イエス様も、国を建てるために来られました。祖国がなければ、かわいそうなのです。祖国がないので、宗教人たちは悲惨でした。審判しようとするならば、個人と家庭、氏族、民族、国家、世界が不変の基準に立ってこそ、その基準を土台として審判するのです。祖国は最後の希望です。祖国の中には、民族も、氏族も、家庭も、個人もすべて含まれています。この三千里半島(韓半島)が祖国になったでしょうか。そのようになっていないのですから、清算しなければなりません。神様が望まれ、イエス様と聖霊が望まれる祖国を創建するために、私たちは一片丹心で努力しなければなりません。善とは何でしょうか。家庭のために個人が犠牲になり、氏族のために家庭が犠牲になり、祖国光復のために氏族が犠牲になることが善です。祖国光復のためにすべてが犠牲になって、祖国光復が成し遂げられれば、すべての人が愛国の忠臣となるのです。国家的基準の前に忠誠を尽くして国家基準を立てれば、家庭と氏族の基盤を築いたという公認を受けるようになります。道の基準は、神様のために絶対的に忠誠を尽くすことです。そのようにすれば、その過程のすべては認められるのです。
私たちはいかにすべきでしょうか。イエス様は「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と言われました。ここにおいて、「わたしの思い」とは世の中の思いであり、「みこころ」とは神様のみ旨のことです。統一教会員である皆様は何をしましたか。忠臣の道理を立て、またその実績をもってきましたか。孝子の道理を果たして、その実績をもってきて、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な闘争をする覚悟ができていなければなりません。
イエス様は祭物の使命を果たして逝かれました。皆様は世界的な闘争をしていきながら、民族的な基盤を築いていかなければなりません。メシヤとの相対的な価値を備えなければならないのです。指導者が世界を開拓するところにおいて、指導を受ける皆様は、民族的な道を築かなければなりません。数多くの人々が光復の道を願いながら死んでいきました。いつになるとしても「必ず成し遂げられる」という信念をもって死んでいったのです。
統一教会員は、個人から民族と国家基準まで築いてきました。今からは、全世界の人類とすべての国家を動員しなければなりません。私たちは、祖国光復、自由、平等、幸福の日を探し求めていかなければなりません。その道が困難であっても行かなければなりません。それが、私の見つめる観点であり、神様が願われる甚準です。イエス様はこの基準を望みつつ、歩まれている途中で亡くなりました。私たちは祖国光復の過程において、苦労しながら行かなければならないのです。
韓国は、私たちが責任をもたなければなりません。あすも変わることのない祖国創建という覚悟と信念をもって、イエス様の祖国、聖霊の祖国、預言者と烈士の祖国、神様の祖国を建てられなかった恨を解かなければなりません。そうでなければ、面目が立たないのです。私たちは、祖国を探し出さなければなりません。祖国を探し出そうとするならば、祖国のために生きなければなりません。祖国のために生きることができない人は祖国を探し出すことはできません。それでは、どのように生きることが祖国のために生きることなのでしょうか。世界を自分の祖国と思って、世界のために生きなければなりません。そのような人は、祖国を創建することができます。食べること、寝ること、歩いていくこと、すべての生活と行動が祖国創建のためのものにならなければなりません。
ですから、私たちは、たとえ共産党から刃物で刺されることがあったとしても、行くという覚悟をもって闘っているのです。この民族ができないときは、私たちがしなければなりません。この民族が行くことができなければ、私たちが行かなければならないのです。そのためには、誰よりも祖国を愛さなければなりません。御飯を食べるのも祖国のために食べ、結婚するにしても祖国のために結婚するのです。私たちの祖国のためにです。
まず神の国と神の義とを求めよ
今は、私が話せば、聞くことのできる群れが生じ、私が方向を提示すれば、動くことのできる群れが生じましたが、それで幸福を感じるような男ではありません。統一教会を犠牲にしてでも、祖国光復を約束できる、そのような土台を広めていくつもりです。六千年摂理の中心的なみ旨として立てた家庭を信奉できる教団と民族、そして国家がなければなりません。神様を信奉できる土台を準備し、それが一時に連結することを願って送られたのですが、それが粉々に壊れたので、再び収拾しなければならない運命が残るようになったのです。これを収拾するためには、先頭に立って走らなければなりません。
夜になって寝床に入る時間にも、その希望の国とともに寝なければなりません。今は国がありませんが、その国の国民の一員として、その国のために眠るのであり、目覚めるときもその国を建国するための一員として眠りから覚めなければなりません。見て、聞いて、感じるすべての感覚も、祖国という命題を思うことなくしては感じてはならないのです。その日が来るまでは、死んではなりません。その日が来るまでは忙しいのです。そのことを成し遂げるためには、激しい受難と逆境を克服しなければなりません。やるべき仕事があれば、寝るのが遅くなったとしても解決しなければならないのです。祖国の光復というものは、時間を中心とした犠牲の量を加重させてこそ得られると思うとき、自分の涙と精誠の量を、きょうこの時間を通じて、少しでも加えるべき責任があるのにもかかわらず、安らかに寝て、伸びをしながら起きられるでしょうか。
起きては腰を曲げて、「お父様!あなたが訪ねていかれるあすの安息の住みかであり、あなたが行使することを願われた世界を統治する勝利的国家の土台に向かっていく、寂しく孤独な男の行く道が、このように悲惨であることを感じます。私自身がそうなのですから、天が探し求めてこられる道はもっと悲惨なのではありませんか」と祈らなければなりません。
疲れたからといって思いのままに横になることはできないのです。死んでも国のために死ななければなりません。ですから、年を取って疲労を感じる、そのような立場、自分がもし死の場に行くとすれば、その場で残すことができる一つの願いが何かというとき、それは「天のためにできることはすべて果たした。その国のためにできることはすべて果たした」という言葉を残すことです。イエス様は、「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ六・三一・三三)と言われました。このように聖書の主流思想は「神の国」です。「神の国」を求める思想なのです。自分の幸福を求める思想ではありません。国の民として生まれ、夫をもったとしたら、その夫は国を代表した夫です。ですから、国を愛した後に夫を愛さなければなりません。妻も国を代表した妻なので、国を愛したのちに妻を愛さなければならないのです。
死ぬにしても、自分のもつ力をすべて使い果たし、自分はこれ以上できないというその立場で「死なせてください」と言えなければなりません。「これをやっておけばよかった」という言葉を残して死んではなりません。ですから、どんな仕事も、やってもやっても忙しいのです。行っても、また行かなければならないのです。ほかの人が休む時間に、私たちは一歩でもさらに進まなければなりません。「サタン世界よ、休んでいろ!サタン世界よ、お前は何もせずに遊び暮らしていろ。我々は神の国のために歩むのだ」と思わなければならないのです。
南北統一を熱望する愛国同胞の皆様。特に女性の使命は、子女格である青年男女および学生たちを、真の教育を通じて真の子女として復帰しなければなりません。さらに、母と子女が一つになって模範を示し、教育を通じて夫までも真の天の息子として復帰し、真の父母に従い、神様を中心に侍り、地上天国の理想を復帰しなければなりません。
きょうのみ言が、韓国と北朝鮮が共に真の愛で出会う、その日を早める国民運動になることを願いつつ、私の話を終わりたいと思います。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

Thursday Sep 01, 2022
平和経 第343話
Thursday Sep 01, 2022
Thursday Sep 01, 2022
それでは、「神の国」を建設できる人とはどのような人でしょうか。自らの一身を否定し、切ない心で天のために生きる人です。自分を否定して社会と民族、国家、世界のために生きる人が、正に「神の国」を建設できる人なのです。さらには、国家と世界を否定しても、天のために生きる人が天国を建設できる人です。また、いかなるつらい環境にぶつかったとしても、自分一身のゆえに悲しむのではなく、社会と国家、世界、さらには天のために悲しむ人であってこそ、「神の国」を建設できるのです。
それだけでなく、皆様は、「神の国」と「神の義」を探し立てるその過程において、サタンとの闘いに敗北せずに勝利して、個人から家庭、社会、民族、国家、世界を一つに連結させることができなければなりません。すなわち、皆様がいかなる立場に立ったとしても、そこでサタンと闘って勝利する人にならなければならないのです。社会に出れば、その社会のいかなる環境の中にあっても、サタンと闘って勝利すべきであり、国家に出れば、その国家の最も難しい問題に責任をもち、サタンと闘って勝利しなければならないのです。
六千年間神様を縛りつけてきたサタンが、そのまま素直に「ああ、私は降参します」と言って目を伏せて帰っていくと思いますか。皆様は、雑巾であっても、捨てようとすればもったいないと思うでしょう。雜巾でも、ひっくり返して臭いを嗅いでみてから捨てるのです。ですから、サタンはそのまま退いてはいきません。がむしゃらな闘いをしてくるのです。したがって、中心に合わせなければなりません。統一教会の文総裁も、中心から外れるようになる時には負けてしまうのです。方向が合わなければ発展しません。「神の国」を探し出すことは、世界を探し出すためであり、世界を探し出すことは霊界のためなのです。
そうして何をするのでしょうか。神様を地上にお迎えし、そして定着し、万国が神様を中心に侍り、その神様のみ前に勝利の栄光をお返しして差し上げるために行くのです。そのような闘いをすることが統一教会の使命であることを知らなければなりません。私たちは、裸足で乗り出していき、祖国を創建しなければなりません。食ベ残したもので、この国を生かすことができるでしょうか。食べること、着ること、乗って行き来することに、いつ神経を使っていられるでしょうか。裸足と素手で開拓していかなければなりません。そのようなことを行う所が統一教会なのです。
皆様は祖国を探し出さなければならない勇士ですか、それとも祖国を滅ぼす亡士ですか。勇士とは国を代表し、他の人ができない仕事をできる人のことをいうのです。誰もができる仕事をする人は勇士とは言いません。そのような人は兵士です。同僚たちができずに後退するとき、その仕事をやり遂げることができる人ならば、その人は勇士です。勇士の「勇」の字は「すばしこい」という意味があります。誰よりも速く走り、鉄砲の玉もよけられるほどにならなければなりません。誰もができる仕事をする人は勇士とは言えないのです。
祖国光復を成し遂げる土台
「神の国」を建国するに当たり、開拓の勇士となるべき、先鋒に立つ将軍は誰でしょうか。「神の国」を成し遂げることができる土台はどこでしょうか。一つの国を成し遂げようとすれば、主権がなければならず、国土がなければならず、国民がいなければなりません。それでは、天の国を中心として見るとき、国土となる土台は何でしょうか。それは、教会の財産しかないのです。それから、天の国の国民とは誰でしょうか。教会員です。また、主権者は誰でしょうか。皆様です。皆様が里長の代身者であり、面長の代身者であり、郡長の代身者であり、道知事の代身者です。
皆様。主体者になりましたか。サタン世界から爆弾を載せて攻繫しようとしたら、最初に飛び出して準備していかなければなりません。そのような心がありますか。そして、お金が一銭でもあれば、教会を広げるために使うのです。その国の版図を広め、国民を結集させることに使うのです。教会の責任者は主権者の代身です。里長を身代わりし、父母を身代わりするのです。このような伝統的思想を残さなければなりません。
しかし、私たちには何もありません。この韓国に立てられる国はどのような国でしょうか。互いが流通し、交流するようになる時は、共産国が立てられるでしょうか、それとも今日の大韓民国としてそのままになるでしょうか、それとも、どちらでもない、新しい国を追求するのでしょうか。このような問題について考えると、私たちの時もだんだんと近づいてきていることを感じるようになります。皆様がこれをきちんと処理し、責任を負うべき統一の群れであるならば、それに対する責任感をどのくらいもち、またどの程度の犠牲の代価を払う決意ができているでしょうか。休戦ラインを越えて北朝鮮に入り、北朝鮮の五つの道の市、郡を中心として、私たちの基地を準備しなければなりません。
人員が不足なこの時に、誰が北朝鮮の地、定州ならば定州の責任者になるのかを考えなければなりません。定州の郡ならば、定州の郡を中心として私が責任者にならなければならないと考え、十年、二十年準備し、それでもできなければ、子孫に「お前は、一生懸命に勉強し、一生懸命に準備をして、その日を迎えたら、定州の地において、天との関係を代表する責任者になりなさい!」と遺言して死ぬことができる、そのような精誠を尽くす皆様になってみましたか。私は、今まで、そのように考えながら準備しています。そのようなことを考えると、若い人たちは、地方に帰って自分の子女と妻を連れて、笑いながら暮らすようになっているでしょうか。そのように暮らすようになっているでしょうか、いないでしょうか。死んでも国を残してから行かなければなりません。死んでも、子女たちに国は残してあげなければなりません。ですから、新たな決心をしなければならないのです。
「私は、あのソ連と満州に隣接する地方に行って、共産党と額を突き合わせ、朝夕に銃声を聞きながら、国境地帯の見張り役をする責任者にならなければならない。国が理解してくれず、誰も理解してくれなかったとしても、生命と引き換えても、神の国を愛する忠節の心は変わらない」という決心をしなければなりません。それでこそ満点なのです。世の中は理解してくれなくてもかまいません。霊界に行けば、すべてが明らかになるようになっているからです。
このようなことを考えるとき、人手が足りないことを皆様は知らなければなりません。人が不足しているので、かかしのような男性であっても、ラッパを担がせ、あるいはロボットをつくって北朝鮮の地を歩き回らせ、ラッパを吹かせたいというのが、私の心情であり、神様の心情です。口があり、感情をもった男性として生まれ、それも二十歳、三十歳の若い心と体をもっていながら、原理のみ言を語ることができないというのでは話になりません。夜は眠らずに勉強をしなければなりません。おなかがすいて骨と皮だけになったとしても、準備をしなければなりません。そのようにしてやせこけた体が、天の愛をことごとく受ける体になるのです。神様は、そのか細い一人の男性ならば男性に、すべての期待をかけることができるのではないでしょうか。

Thursday Sep 01, 2022
平和経 第342話
Thursday Sep 01, 2022
Thursday Sep 01, 2022
ですから、私たちは、夜も昼もその国のために食べて、寝て、生きているのです。そのことゆえに生まれたことを知らなければならず、天地を中心として誓う生活をしなければなりません。寝るときにも、世界の数多くの人々のベッドを集めて、その頂上で寝ていると考えなければなりません。食膳を見てもそのように考え、どこにいても自分一人で座るのではなく、世界の数多くの人種を集めた頂上に座っているという心をもたなければなりません。天の息子はそうでなければならないのです。
サタン世界の権限を凌駕する位置、栄光の位置を占有して生きなければならないのが天の息子、娘の生活であることを、皆様は知らなければなりません。神様が息子と娘を愛そうとするなら、そのような息子と娘を愛するべきであって、サタンにも劣る息子、娘を愛すれば、父としての威信が立ちません。皆様は、そのような信念をもって、今後、全世界と手を結んで日々の生活を送ろうと、新たに決心しなければなりません。そこにおいて、統一戦線基盤は確固たるものになると思うのです。
「私は、たとえサタン世界の圏内にいたとしても、天の密使である。天の大使である」と考えなければなりません。密使には、その国の国王と直接連絡できる道があるのです。そのような密使の使命と威信のために生きているという信念をもっていかなければなりません。これを皆様は、はっきりと知らなければなりません。国の国王も密使の報告を待っているのです。同じように私たちがこの地上で、そのような使命を果たそうとするならば、神様も私たちの報告と私たちの要望を待っておられるようになるのです。
したがって、私が密使の立場で「至急に願うものを送ってください」と言えば、あらゆる冒険を克服しながらでも送ってあげようとするのではないでしょうか。それと同じように、皆様がそのような信念をもって神様の特権的な栄光の息子、娘であることを認識しながら、「私はこれを願うので、成し遂げてください!」と言えば、成し遂げてくれるのです。そのようにすれば、生きていらっしゃる神様を発見でき、生きていらっしゃる神様が働かれることを見ることができるのです。そのようになってこそ、指導者になることができ、病気の人がいれば病気を治すことができ、困難な時には、神様が直接助けてくださるようになるのです。そのような生活を通じて多くのことを学ばなければなりません。それでこそ自信が生まれ、それでこそ信念をもって、すべてのことを打開していくことができるのです。
神様の真の息子、娘の行くべき道
尊敬する内外の貴賓の皆様。私たちが行くべき所はどこでしょうか。個人を訪ねていくことが、私たちの行くべき目的ではありません。また、家庭を訪ねていくことが現在の私たちの目的ではありません。私たちがいくべき道は、国を訪ねていくことなのです。父も、母も、子女も区別なく、これを探し出さなければならないのです。ところが、今日の統一教会の教会員たち、祝福を受けた家庭、氏族圏内にいる人々は、「ああ、国だとか、教会だとか、私とは関係ない」と言います。そのようになれば、すべて落第です。原理的にそうなのです。
死ぬ時まで国を探し求め、あらん限りの精誠を尽くし、それこそ天国の光復のために勝利の凱歌を上げることのできるその時が来なければなりません。イエス様の言葉ならば何であっても、それがすべてだと思うようでなければなりません。方向を提示するときは、二つではなく一つです。その方向に行こうと言えば行かなければなりません。そのようになっています。それでは、夫を捨てて、子女を捨てて、家庭を捨てて行こうと言えば、どうしなければならないでしょうか。それでも行かなければならないでしょうか、行ってはならないでしょうか。統一教会のためにそのようにするのではありません。国のためにそのようなことができなければならないのです。
今、北朝鮮では、家庭の戸籍をすべて作り直しています。それはどういうことだと思いますか。サタン世界が先に行っているのです。国のためには、自分の夫や妻、父母、子女を問わず、すべて捨てて進み出ることができなければなりません。そうでなければ、希望の国を探し出すことができません。その国を探し出したとき、その国と共に父母を得ることができるのです。国を探し出すことができなければ、血を流す父母を見なければならず、血を流す妻を見なければならず、血を流す子女を見なければなりません。それ以上に悲痛なことがどこにあるでしょうか。
ですから、国を探し出す前には、妻を愛することができないのであり、父母を愛することができないのであり、子女を愛することができないのです。これがキリスト教の行く道であり、統一教会の行く道なのです。皆様は、自分を否定して「神の国」と「神の義」のために生きる人にならなければなりません。いかなる困難な環境にぶつかったとしても、皆様は、自分に対するお父様の希望があることを思いながら、その環境と闘って勝利する人にならなければなりません。そのような皆様になって初めて、神様の真の息子、娘だと言うことができるのです。

Thursday Sep 01, 2022
平和経 第341話
Thursday Sep 01, 2022
Thursday Sep 01, 2022
私たちの行くべき地上の第一目的地
内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。今から行くべき道は何でしょうか。いくら氏族を編成したとしても、サタンの国の主権が残っている限り、皆様は国のない人々です。ここが皆様の国でしょうか。皆様には国がないのです。たとえ氏族があったとしても、その主権が天を中心とした主権でない場合は、主権が民族を排除してしまうこともできるのです。
ですから、天が歓迎できるその国を探し求めていかなければなりません。今日、この地上における第一イスラエル圏というものは、天全体が歓迎でき、個人も歓迎し、家庭も歓迎し、氏族も歓迎し、民族も、教会も歓迎できる、そのような地になるべきなのですが、今日の統一教会を中心として見ても、既成教会を中心として見ても、大韓民国を中心として見ても、全体が歓迎する立場に立っていません。そのようになることができませんでした。方向が違います。大韓民国が進んでいるのは外的です。神様を中心としたものではなく、世の中を中心として外的に進んでいるのです。この国の主流的な思想がありません。したがって、この国の主流的な思想を中心として天と連結させ、新しい立体的、あるいは平面的内容を備えた新しい国家観を形成し、その形成された国家観を、今日の国家以上の内容をもって実現しなければ、祖国光復を迎えることはできません。
今日の解放というのは第一の解放です。今、統一教会においては、第二の解放が必要です。大韓民国も第二の解放が必要です。ここで大韓民国が第二の解放を迎えれば、国家と民族は、そのことによって願いを成就できるかもしれませんが、統一教会は第三の解放を必要とするのです。そのようになるのです。大韓民国は第一の解放により、初めて内外において今の国家形態を備えましたが、第二の解放が必要な時が来ました。南北が統一されなければならないのです。その国はどのような国でしょうか。その国は、歴史過程において、民族が悲惨な路程をたどらなければならず、蕩減復帰原則に一致する国民性をもたなければならず、歴史的な伝統を引き継いできた国でなければなりません。その国はどのようにならなければならないのでしょうか。完全に統一された国にならなければなりません。
今日の大韓民国がそのような国になろうとすれば、どのようにしなければならないでしょうか。その国の基準に上がっていくためには、南北を統一しなければなりません。北朝イスラエルと南朝ユダのように分かれた韓国と北朝鮮を一つに統一しなければなりません。カイン国家とアベル国家に分かれたように、南北に分かれたのですが、これを統一しなければ、一つの勝利的なイスラエル国家が現れないのです。
それでは、大韓民国を中心として、北朝鮮と韓国は、どのように統一されなければならないのでしょうか。それは、新しい世界主義的な思想をもたなければ統一できません。この時に備えて、「新しい思想をもって進んでいこう」というものが、今日の統一教会が主張する「統一思想」です。
今後、私たちは、二つのことをしなければなりません。世界において、いかなる国家もついてくることのできない団結した民族を形成しなければならず、そして、いかなる宗教もついてくることのできない鉄のような信仰で団結した宗教国家をつくらなければならないのです。このような思想を中心として、南北が統一された国家を成し遂げなければなりません。そうでなければ、神様の国、世界に誇る天国の主権は誕生しないのです。これが、今日の私たちの行くべき地上の第一目的地であることを知らなければなりません。
祖国を得ることができなければ、サタン世界の国家を凌駕できる、天を中心とした一つの国をもつことができません。その国をもつことができなければ、世界のサタン国家を打つことはできません。押し出せないのです。統一教会ではできません。統一教会の思想を中心として、国が方向を定めて進んでいかなければならないのです。
そのような問題が残されていることを知らなければなりません。このような点から見るとき、イスラエル国家の精神的な支柱がユダヤ教だったように、今日の韓国において統一教会がユダヤ教のような立場であるならば、統一教会の思想が韓国の主流的な思想になるのです。今後は、国教にまでなるべき時が来なければなりません。ある人たちは、そのように言うのです。国会議員たちもそのように言います。統一教会の思想を国教にすれば、共産党は問題ありません。
祖国光復の密使として取るべき姿勢
紳士淑女の皆様。今日、天のために行く人々は、サタン世界に派遣された密使です。個々人において、大きい小さい、広い狭い、高い低いという差はあるかもしれませんが、各自が置かれている生活自体においては、密使の生活を離れてはいけません。ここには、いつも生死の脅威が介在しています。まかり間違えば、永遠の生命の問題が左右される立場に立つようになるのです。
ですから、永遠の生命を支えることができ、永遠の生命を保護してくれる私たちの祖国を探し出すという観念が、その環境より何百倍も強くなければ、密使の生活はできません。その祖国の栄光を願う心をもって祖国の恨を解いたとき、すべての万民が喜ぶということを考えて、新しい歴史を創建し、祖国光復の一日を迎えるその時に、自らの功労が表れることを思いながら、現在の立場にとらわれないようにしなければなりません。そのような心が先立たなければ、密使の使命を遂行することはできないのです。
言い換えれば、祖国光復のための希望が現実の希望より千倍、万倍強くなってこそ、今の生命と引き換えるようなことがあったとしても、それを克服して密使の使命を遂行できるのです。もしそのように責任を果たそうとして、不意の事故で犠牲になったとしても、その位置には新たな密使を再び派遣できるのです。既にその人が死んでしまったとしても、その人の友人になることができ、その人の味方に立つ人々が現れるはずです。彼が模範となる立場で生きてきたので、たとえ彼が犠牲になったとしても、そこには彼の味方に立つ人々が残るのです。
そのような人々が残っている限り、神様はその基台の上に代わりの人を送ることができるのです。しかし、そうでない立場で死んだ場合には、そこで彼がいくら苦労したとしても、それで終わってしまうのです。
このような立場で、皆様は、今や新しい時代を迎え、いかなる姿勢を取らなければならないのでしょうか。祖国光復のための信念が、何よりも強烈に胸の中で燃えていなければなりません。言い換えれば、六千年間、神様が待ち望まれた祖国を建設する旗手となり、先鋒に立った精鋭部隊の一員として開拓者になるという、この途方もない使命に責任をもっているという自負心を感じなければなりません。過去に生きた数多くの人々がもつことを望みましたが、もとうとしても、もつことができなかった特権、一つしかなく、この一時にしかない特権的な使命を担ったという厳粛な責任感をもたなければなりません。
したがって、食べること、寝ること、行くこと、来ること、すべての生活が祖国創建のためのものでなければなりません。神様から特別に派遣された密使として、凜々しく「見事にこの使命を遂行するのだ」と言って立ち上がってくれることを、神様がどれほど待ち望んでいらっしゃるでしょうか。今までは、激しく追い込まれ、追い回されました。国家の基台を備え、全体の内容を提示して一度も広げてみることができなかった天のそのみ旨、祖国を立てることができる、そのみ旨を立てなければなりません。今までそのみ旨を、一度も立てることができなかったのです。
今からはそのような祖国を立てることができます。その祖国には主権があり、国土があり、国民がいます。また、そこには、単一民族の血統の関係が結ばれており、他の民族がもつことのできない歴史があります。このような祖国のために、私たちは密使の使命を遂行しなければなりません。そのような使命を自分自ら早いうちに完遂すればするほど、祖国光復の基台が自分によってどんどんと近づくのです。きょう、苦労の代価を払うことが祖国光復の一日を早く迎えることのできる基台になるのです。このような事実を思いながら、皆様は生きて密使の使命を完遂するという決意をもって進んでいかなければなりません。そうでなければ、これから神様が私たちに与えてくださる世界史的な祝福と天運を、私たちのものとして迎えることができません。私たちは、天国を地上に建設しなければなりません。地上でその国を探し出し、その国の中心と一つになって、天が願った希望の基準を備えて帰ってこそ、お父様の前に面目を立てることができるのではないでしょうか。
皆様に国がありますか。ないことを考えると死ぬに死ねません。死んだら、どこへ行くのでしょうか。行って、その面目のない立場と恥をどのように免れるのでしょうか。私の生命の寿命は制限されているので、その期間内にしようとするのですから、どれほど忙しいでしょうか。そのうえ、悪のサタンの環境が私たちに反対し、怨讐たちが私たちの道を妨げるのではないでしょうか。これを切り開いていこうとするのですから、いつも密使のような行脚の路程を避けることはできないのです。私が行くことも、来ることも、その国を探し出すため、祖国光復の建国の功臣になるためです。そのような使命を果たすために、天の密使として指令を受け、今日の悪の世界に来てこのことを行っているという事実を思いながら生きていかなければなりません。そのようにしなければ、皆様は、今後訪れる国の国民としてその威信と体面を立てることができないことを知らなければなりません。
皆様は個人的に影響を与えたいですか。家庭的に影響を与えたいですか。国家的ですか、世界的ですか。どのように影響を与えたいですか。世界的に影響を与えたいでしょう。しかし、世界的な舞台に上がっていこうとすれば、一人ではできません。国がなければなりません。しかし、皆様の国がありますか。

Thursday Sep 01, 2022
平和経 第340話
Thursday Sep 01, 2022
Thursday Sep 01, 2022
神様の祖国光復はどこから実現されるのか
統一教会が願う国が建設されれば、統一教会の看板を外さなければなりません。そして、統一教会が願う世界が形成されれば、統一教会が立てた国はなくさなければなりません。大韓民国の韓民族を中心とした文化と人格だけのための宗教は捨てなければなりません。世界のための宗教であってこそ、これからも残る宗教になるのです。
満場の内外の貴賓、紳士淑女の皆様。神様のみ旨を受け継ごうとする人がいるならば、その人はいかなる主張をしなければならないと思いますか。この世の人々が好む、そのような方向に行きなさいという主張は絶対にできません。むしろその反対の道に行きなさいと主張しなければなりません。それに該当する代表的な標語が「愛の心をもって怨讐を愛しなさい!」というものです。「怨讐を愛せ!」というこのみ言は、誤った歴史を元に戻すことができるものとして、台風に押し流される船の錨のようなものであり、錨綱のようなものです。しかし、復帰摂理歴史を通じて「怨讐を愛せ!」というみ言を実践してきた人はいませんでした。もし、怨讐を愛する人々がいるならば、そのような人々によって一つの組織的な形態を備え、世界的な版図を確保しなければなりません。このような結論が出るので、そのような運動を神様が提示されなければならないのですが、神様によって提示されたその運動の反映体が、歴史に現れた宗教運動なのです。
今まで、神様が最も愛する人は誰でしょうか。イエス様です。イエス様は、争っているこの世界に新しい方向を提示してくれました。ローマやイスラエルのように、抑圧国家と被抑圧国家との間には、互いに怨讐視し合う高い障壁があるのですが、イエス様の哲学は、それを壊してしまわなければならないというものでした。イエス様は「ローマよ、お前は力で私を征服しようとするが、私はその反対に愛をもってお前を征服する」と考えたのです。それで、十字架にかかりながらも、怨讐のために福を祈ってあげたのです。そのような思想は、ローマの兵士たちのために「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三•三四)という驚くべき祈りとして現れているのです。イエス様がそのようにされることによって、世界のすべての国が互いを怨讐視することを乗り越えることができ、二つの国家間の国境を乗り越えることのできる一つの原型、または模範となりました。
イエス様は、個人的な怨讐がすべてではないことを知っていました。家庭的な怨讐があり、氏族的な怨讐があり、民族的な怨讐があり、国家的な怨讐があり、世界的な怨讐が四方から縛りつけていることを知っていたのです。これは、私に従い、私が行く道を行こうとする人には、数多くの怨讐が待ち受けているということなのです。そして、家庭的に行けば家庭的な怨讐が待っており、氏族的に行けば氏族の怨讐が待っていて、熾烈な闘いが予想されるのですが、そのたびに怨讐を愛しなさいという言葉なのです。このような精神をもっていれば、いつかは勝利できるのです。
それでは、神様の理想国家の実現、すなわち祖国光復はどこから実現されるのでしょうか。怨讐を愛するという思想をもった個人から出発するのです。ですから、神様がいらっしゃる限り、愛で国境を崩し、すべての環境と文化的な垣根を越えて、怨讐までも抱こうという運動を提示したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。大豆を植えれば大豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、真っ赤な花の種からは真っ赤な花が咲きます。同じように、恨みを晴らす悪魔サタンの種を蒔けば、恨みを晴らす悪の木が育つのですが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つのです。これは自然の道理なのです。
神様の祖国は、どこから、どのような道を通して訪ねてくると言ったでしょうか。それは、怨讐を愛する道、個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、国家と世界の怨讐を愛する伝統を残す道を通して訪ねてくるのです。そのような道でなければ、神様の祖国は現れることができないことを、皆様は知らなければなりません。
考えてみてください。アメリカが反対し、国務省が反対し、国会が反対したので、私は、国会で勝利したという賞状を受け、国務省から勝利したという賞状を受け、アメリカで勝利したという賞状を受けることができる時が来るはずです。それで、反対する国務省の中にも友人ができ、国会の中にも友人がたくさんできています。勝利は、私に返ってくるようになっています。私は、そのような友人が一人もいなかったとしても、あらゆる反対を克服して勝利に導くことができるという確信があります。反対されれば反対されるほど、怨讐を愛するこちらの気持ちがより大きくなるので、たとえ反対が大きいからといって落胆する必要はありません。
自然の道理は、一方が低気圧ならば、もう片方は高気圧になるようになっています。一方が高気圧になれば、もう片方は低気圧になるのです。アメリカの国務省が高い所から反対するとき、私が低気庄圏を形成していれば、高気圧が低気圧に吸収されるように、アメリカの国務省は私に屈服してしまうでしょう。私は、非難されながらも闘わずに彼らを愛していったところ、彼らは私の友人になり、友人の家庭ができ、友人の氏族ができ、友人の国ができたのです。
怨讐を愛する精神をもった人々によって構成された国が現れれば、その国は、神様が願う理想郷となることができ、人類が入っていく理想郷になることができることを知らなければなりません。私、文総裁は、みすぼらしい男です。皆様は「そうではない」と言いますが、世の中の人たちは、私を愚かな人と思っています。しかし、神様は、私のことが一番お好きです。世の中が私を愚か者扱いしたとしても、神様が認めてくださるので、世の中に対して堂々とした立場で攻撃できるのです。
怨讐を愛する心をもてば、語れない言葉がありません。なぜでしょうか。神様が送った男性を美男子というならばそのような人が美男子であり、すてきな人というならばそのような人がすてきな人であり、堂々として勇ましい人というならばそのような人が堂々として勇ましい人であると考えるので、私は、それを光栄に思い、世の中に対して自信をもって攻勢をかけるのです。
私一人がその境地に浸って活動すれば、何が起こるか御存じですか。このようにすることによって、神様が喜ぶ青年男女が生まれ、神様が喜ぶ五色人種の家庭が生まれ、神様が喜ぶ民族が編成され、神様の祖国光復が可能になるのです。「怨讐を愛しなさい」とあるので、最も憎むべき人でも愛さなければなりません。一番の美男子に一番の醜女を結んであげたとしても、怨讐を愛する以上に愛さなければなりません。そのような人は、この世の怨讐を愛することにおいて、最高の王子の旗を掲げて前進する候補者です。事実そのような人がいるならば、どれほど素晴らしいか考えてみてください、そのような人は、民族の国境を越えることができるのです。愛する心さえもって暮らす日には、すべての障壁が崩れていき、復帰摂理歴史が短縮され、天国が近づいてくることを知らなければなりません。
私の哲学は簡単です。より大きなもののために犠牲となり、奉仕をすることです。私は、やってみなかったものがありません。農民にも、労働者にもなってみました。やれることはすべてやってみました。漁夫になってまぐろも釣りました。そのようにして生涯を送ってみると、一人だと思っていたのに、あとからイギリス人もついてきて、アメリカ人もついてきて、世界の数多くの人々がついてきています。ついてきてはいけないと蹴飛ばしても、またついてきて、後ろに行ったと思っても、またついてきます。

Thursday Sep 01, 2022
平和経 第339話
Thursday Sep 01, 2022
Thursday Sep 01, 2022
14.神様の王子、王女が行くべき生涯路程
日付:二〇〇〇年三月八日
場所:韓国、全羅南道、木浦室内体育館
行事:真の父母様御聖誕八十周年祝賀南北統一前進大会
南北統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。今正に始まった新千年紀は、分裂と葛藤の前世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村、一つの家族の理想が実現される時です。皆様の各家庭に、新千年紀の祝福が共にあることをお祈りいたします。
初めに、私の八十歳の誕生日を祝賀してくださるために、世界と全国の各地からお越しくださった皆様に心から感謝申し上げます。何よりも、この日まで見守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすべての栄光をお返しいたします。
私の過去の生涯を振り返ってみるとき、一時も平坦な時期がありませんでした。韓半島を取り巻く列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史とともに歩んできました。私は、十六歳(数え)の少年時代に、祈祷をしている最中、突如として天のみ旨に接し、それからのち、生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全身全霊を尽くしてきました。その中で、人間の不幸の根本原因は、人類始祖が堕落することにより、霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果だったことを知りました。それによって私たち人間は、神様と人生、そして宇宙の根本問題などについて無知に陥ってしまったのです。
これまで私は、世界各地の公の場で、一万回以上のみ言を通して、「神主義」に立脚した真の人生観、世界観、歴史観を提示してきました。これは、世界十二ヵ国の言語に翻訳され、既に三百巻以上の書籍として出版されています。これは、文献による総合的な研究や、学問的な探求の結果として解明されたものではなく、有形と無形の世界を自由に行き来しながら、原理的で根本的な答えを説き明かしてきたものです。
きょう私は、この意義深い場を感謝しながら、我が民族の宿願であり、世界の冷戦の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「神様の王子、王女が行くべき生涯路程」という題目で、お話ししようと思います。
世界のすべての国家の起源はどこか
内外の貴賓の皆様。皆様はどの国の国民ですか。ほとんどが韓国の国民であると思います。韓国が皆様の祖国です。それでは、神様の祖国はどこになるのでしょうか。神様の祖国は、今はありません。この世界のすべての国家の起源はどこでしょうか。神様が起源になっているのでしょうか、それとも、他のところが起源になっているのでしょうか。このような国家の歴史的な起源が問題になっているのです。
この世の国々は、闘いによって分かれて生じました。ですから、ある二つの国があるとき、その二つの国の境界線は、深い恨みのこもった境界線になっている場合が多いのです。第三国、第四国との境界線よりも、隣接した境界線を中心として、より熾烈な闘いを繰り広げ、より多くの血を流した歴史的な事実があることを私たちはよく知っています。このように二つの国家間、二つの民族間の障壁が最も高いのです。
闘いは常に、何万里も離れた所に行ってするのではありません。昔から、隣接する二つの国家の境界線を中心として闘いが展開してきました。ですから皆様も、最も近い隣人と闘うようになっているのです。なぜなら、人間が堕落したからです。隣人との間で闘いが起きるのは、堕落による結果なのです。
堕落とは何でしょうか。神様と人間との間に葛藤が生じるようになったことであり、神様とサタンとの闘争が起きるようになったことであり、人間とサタンとの闘争が起きるようになったことです。人類歴史において、この地球上に数多くの国があったということは、数多くの闘争があったことを証明するものであると結論を下すことができるのです。そのようにして生じた国々はどこに行くのでしょうか。すべての国が平和の世界を追求するのですが、平和の世界に行くことができるのでしょうか。このような問題が、今、人類共通の課題として残されているのです。
平和の世界というのは結果の世界ですが、誤った出発、すなわち誤った原因から平和の世界に到達するということは、論理的な矛盾と言わざるを得ません。ですから、このような戦争の起源を克服して越えていく運動を展開することにおいてのみ、理想世界に向かう出発点を探し出すことができるのです。原因が完全なので結果が完全であり、平和で始まったので平和の過程をたどることができ、平和の目的に到達できるということは、理論的に妥当なのです。
このように見るとき、自分の国と隣接している国が歴史的な怨讐国家だからといって、憎み続けようとすれば、永遠に平和の世界には到達できないのです。それでは、いくら理想郷を慕い、理想郷に向かって前進したとしても、その目的達成は不可能です。このような闘いが始まったその動機を否定し、誤った歴史を消し去るためには、その反対方向の内容をもって主張する運動が必要なのです。
私たちが探し出さなければならない祖国とは
内外の貴賓の皆様。皆様は、国のない民と同様です。それでは、過去には国があったでしょうか。歴史上に、「私の国だ」と言うことができる形態の国があったでしょうか。そのような国の形態も、もつことができなかったのです。それは、その国を探し出すために苦労する人がいなかったからでしょうか。
そういうわけではありません。その国は、過去の歴史時代の人が考えた位置では、探し出すことができないために迎えることができなかったのです。その時代圏内において、内外を備えた基準を中心としてその国を探し出すことができなかったので、その国を迎えることができなかったのです。私たちが探し出さなければならない祖国というのは、今日、この地上に存在する、歴史と伝統をもった国ではありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。
私たちは、次元の違うその国を受け継ごうとするならば、そのようにできる思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。しかし、その主体的な思想は、絶対的な創造主がいるとすれば、その創造主の思想と一致する思想でなければなりません。絶対者が願う国をつくろとするならば、その国の主権を中心として国民が一致できる国になることを願わなければなりません。そのような国民性を備え、国家の形態を備えなければなりません。
一つの国が形成されるためには、主権がなければならず、国民がいなければならず、国土がなければなりません。天の国もやはり同じです。主権に代わるものが父母であり、国民に代わるものが息子、娘であり、国土に代わるものが国なのです。このうちどれ一つとして欠くことはできません。これは鉄則です。最も重要なことは何でしょうか。世界と国のために生きることです。そのようにさえすれば滅びません。
国のために生きる基準で、実際に行動をしている中で死んでいった人々は、死んでもその国の国民になるのです。その国がなくなる時まで残されるのです。国が形成されるためには、国土がなければならず、国民がいなければならず、主権がなければならないのですが、主権とは何でしょうか。根源的な神様と関係を結ぶことです。国を統治する人は、国民が深く寝入った後に、神様と関係を結んで政治を行わなければなりません。そして、主権者は、国民と一つにならなければなりません。国民と一つになり、自分にあるすべてのものは自分のためのものではなく、国のためのものであると考えなければなりません。そのようになれば、その国は繁栄するのです。
そのような観点から、地上に天国を実現するという問題を考えてみるとき、天国の主人は誰でしょうか。主権者は誰でしょうか。間違いなく神様が主権者です。そして、国民は万民です。国土は地球星です。
地上天国は誰に似たのでしょうか。「私」に似たのです。一つの国を見れば、主権、国民、国土があります。これは人間と同じです。地上天国は「私」に似ていて、「私」という個人が集まって国になるので、「私」に心があるように、国にも主権がなければならず、人格体なので国民がいなければならず、人間に万物があるように、国土がなければならないのです。このような原則から、国土は人に統治され、国民は主権に統治されるのです。この国土、国民、主権が、国家形成の三大要素です。そのようになっています。
人を見ると、心は体を統治し、体は万物を統治するのが原則です。この原則があるために、全世界を見れば「天、地、人」であるという決定的な結論が出るのです。「天」は何でしょうか。人間の心と同じなので主権と同じです。「人」は国民であり、「地」は万物です。結局、国は誰に似ているのでしょうか。「私」に似ているのです。
いくら大きい社会、いくら大きい国家だとしても、人に似なければならないのです。それは、神様が御自身の形状に似たものを好まれるからです。それでは、人が最も好むものは何でしょうか。自らの形状に似たものです。ですから、理想的な国家とは、何に似なければならないのでしょうか。人に似なければなりません。「天地人」に似なければならないのです。
統一教会の用語で「祖国」というのは、大韓民国という一つの国ではなく、世界的な国のことをいうのです。「世界的」という言葉は、堕落した世の中でも使われるので気分が良くありません。このような「祖国」を探し求めていく主義を統一教会では「天宙主義」というのです。その祖国は、大韓民国ではありません。神様が願われる祖国は大韓民国でもなく、アメリカでもなく、共産国家でもありません。その祖国は神様が願う祖国です。ですから、私たちは、新しいその祖国の文化を成し遂げなければならず、その祖国の歴史を成し遂げなければなりません。
私たちは、新しい理想的な祖国を立てるために、新しい基準を定めて私たちの生活を変えなければなりません。その世界は、今のこの世界と全く違います。言葉も違うのです。「原理結果主管圏」や「相対基準」、「相対基台」、「復帰基台摂理」といった重要な言葉を、世の中の人々は知りません。ですから、違うのです。