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Friday Jun 17, 2022
平和経 第239話
Friday Jun 17, 2022
Friday Jun 17, 2022
右の強盗とキリスト教
民主世界が内的ならば、共産世界は外的です。右翼が内的ならば、左翼は外的です。ですから、今後来られるメシヤは、神様を尊重する民主世界の内的な基盤の上に来られ、外的な環境圏を吸収し、主流のキリスト教文明圏を中心として、様々な文明圏を統合する運動をしなければなりません。歴史の最後には、このような運動が起きるのです。そのようなことが偶然とばかりは言えません。そのような動機の種が蒔かれたので、そのような結果が結ばれるのです。
十字架で亡くなられたイエス様は、強盗殺人犯である右の強盗とともに亡くなられました。もし右の強盗がその場にいなかったとすれば、イエス様は、地上に対して、また人間に対して、関係を結ぶ何の縁も探し出すことができなかったでしょう。しかし、右の強盗が、死ぬ立場にあったにもかかわらず、イエス様の味方に立ってイエス様を擁護したのです。人類歴史上、イエス様の味方に立った最後の人は誰だったでしょうか。それは、ぺテロでもなく、イエス様の父母でもなく、イスラエルの国でもなく、ユダヤ教でもありませんでした。ただ一人、右の強盗だったのです。
死の場において、自分の因縁を通告し、死を乗り越えて、イエス様に全幅の信頼をかけた、ただ一人の人がいました。その人が、正に右の強盗だったのです。もし、右の強盗がいなければ、イエス様が復活して地上摂理を再開できなかったという事実を、皆権は知らなければなりません。
四千年の歴史を締めくくり、三十数年間の生涯を締めくくるその場において、ただ一人でしたが、初めてイエス様と関係を結び、死の道に同参してまでも、イエス様を希望の主体とし、イエス様に侍ることができた人が、右の強盗だったのです。彼が中心になっているという事実は、彼が使徒たちよりも勝っていることを物語っているのです。ペテロよりも勝っているのです。
なぜならば、右の強盗は、内容は知りませんでしたが、死の場において、その生命が尽きるときまで、イエス様に侍る方向性を備えたからです。しかし、ぺテロやヤコブのような十二使徒たちは、内容を知っていながらも、そして一つの方向性を備えるという誓いまでした人たちでありながらも、最後まで、その方向性を備えることができませんでした。ですから、右の強盗が、人類の歴史上において、地を身代わりして、未来を再起させることのできる中心的な存在になったという事実を知らなければなりません。
聖書を見たときに、イエス様が、個人的、家庭的、民族的、国家的な条件を立て、サタンと闘って完全に勝利したことがあったでしょうか。勝利したことがありませんでした。イエス様にも屈服しなかったサタンが、ましてやイエス様を信仰する人に対して屈服すると思いますか。六千年間、神様に讒訴し、神様のみ旨を蹂躙して、神様の摂理を台無しにしてきた、偽りの知恵の大王であるサタンが、イエス様を信仰する人が、「退け」と言ったからといって、退くと思いますか。そのためには、相続権が伴わなければならないのです。
私たちには、歴史的な相続権がなければなりません。アダムからノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、イエス様以後までの伝統と基盤を受け継いで、歴史的な祭物を身代わりした相続者にならなければなりません。そのようにして、サタンに、「お前は、歴史路程において、ノアに敗れ、ヤコブに敗れ、モーセに屈服したではないか。私は、彼ら全員の勝利の基盤の上に立っているのであり、摂理歴史のすべての伝統を相続したのだから退きなさい、このサタンめ!」と叫んでこそ、退くようになっているのです。
無条件に「サタンよ、退け!」といくらでも祈祷してみてください。六千年間、神様に讒訴し、蹂躙しながら、復帰摂理を破錠させてきたサタンが、「私は、イエス様を信仰しているのだから退きなさい」と言ったからといって、容易に退くと思いますか。それはあり得ないことです。「私は、間違いなく、歴史的な神様の心情を通して神様が探し求めてこられた者である。私は、イエス様の神聖な聖体に接ぎ木された者である」と言うことができなければなりません。
イエス様が神様から受け継いだ相続の系譜、すなわちイエス様をこの地に送られるときまでの四千年間の神様の心情的相続譜に載っていなければならないのです。そうして、十字架上においてサタンに勝利するのではなく、十字架にかからずに屈服させて勝利しなければなりません。肉身をもって実体復活しなければならないのです。そのような実体の相続者として認定された人であってこそ、天国に入っていくことができるのです。
霊的救いの摂理の土台を残したイエス様
今までのキリスト教は、霊肉の地上天国を願ってきたのではなく、肉的世界は放棄してしまい、霊的救いを目標として、霊的王国における霊的メシヤとしてのイエス様に侍ってこざるを得ませんでした。言い換えるとイスラエル民族には国があり、選民的国権をもつことができたのですが、今日、全世界のキリスト教は、第二イスラエルの霊的国家なのであって、主権国家、すなわち国がないのです。キリスト教徒は、霊的第二イスラエル圏内に立っているので、肉的基盤をもつことができず、霊的基盤だけをもっているのです。したがって、霊肉を中心とした地上天国を完結しなければならないという、神様の本然のみ旨を成し遂げることができなかったので、主は再び来ざるを得ないという事実を知らなければなりません。
きょうここで、皆様に一つ宣言しようと思うことがあります。それは、十字架の場においては、神様は勝利されたのではなく、サタンが勝利したという事実です。ゲッセマネの園で、イエス様が、「今は……やみの支配の時」(ルカ二二•五三)と宣布されたことを、皆様も覚えていらっしゃるでしょう。十字架の場は、神様が四千年間、準備してこられた国を失ってしまった場であり、イスラエルの教会を失ってしまった場であり、洗礼ヨハネの一党と十二弟子、右の強盗など、すべてを失ってしまった場になったことを知らなければなりません。
十字架上には、キリスト教がなかったのです。それでは、キリスト教は、いつ出発したのでしょうか。イエス様が、亡くなられてから三日目に復活され、四十日の間、自分に背いた弟子たちに会われ、聖霊が降臨した後に出発したのが、キリスト教です。しかし、キリスト教徒たちは、二千年の間、十字架の道理ではなく、復活の道理によってキリスト教が生まれたことを知らずに、信仰してきたのです。このような事実を悟るならば、皆様は、すべて悔い改めなければなりません。イエス様が復活された土台の上からキリスト教が始まったので、キリスト教は、霊的なキリスト教なのです。
イエス様のみ言を詳しく調べてみましょう。イエス様が、十字架にかけられて亡くなられることが、神様のみ旨の成就だったとすれば、ゲッセマネの園におけるイエス様の祈祷は、間違っていたことになります。メシヤとしての資格がない祈祷だった、ということになるのです。それは、全く驚くべき事実です。メシヤとして、一度ならず三度までも、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六•三九)という祈祷をすることができるのかというのです。もし、イエス様が亡くなられるために来られたのだとすれば、イスカリオテのユダには賞金を与えなければなりませんが、イスカリオテのユダについて語られた「その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」(マタイ二六・二四)というイエス様のみ言を、どのように解釈したらよいのでしょうか。
イエス様が、十字架上で亡くならなかったら、どのようになっていたでしょうか。イスラエルの国は、イエス様の教えに従って安定し、そのまま残り、ユダヤ教もそのまま残ることを、イエス様は知っておられたのです。しかし、御自身が十字架で亡くなれば、後世の数多くの人々が、十字架の道に従っていかなければならなくなるので、血を流さずしては、その道を行くことができず、数多くのキリスト教徒たちが苦労し、また、主が再び来られても苦労されることを、イエス様は知っておられたのです。
ですから、ゲッセマネの園において、イエス様は、そのような祈祷をせざるを得なかったことを知らなければなりません。今日、キリスト教徒たちは、イエス様も肉身をもっていらっしゃったので、死の苦痛が恐ろしくて、そのような祈祷をされたのだと言っています。しかし、イエス様がそのように取るに足らないメシヤだったのでしょうか。
皆様。十字架上で息を引き取られるとき、「すべてが終った」(ヨハネ一九•三〇)と言われたイエス様のみ言は、どういう意味でしょうか。イエス様は、霊肉共に救うための使命をもってこられたのですが、基盤のないこの地上では、神様のみ旨を完全に成し遂げることはできないことを悟られたのです。ですから、十字架を背負ってでも、霊的救いの摂理の基台を残し、また霊的救いの摂理を出発させることができる条件を立てるために、御自身のすべてを捧げて「すべてが終った!」と言われたのです。

Thursday Jun 16, 2022
平和経 第238話
Thursday Jun 16, 2022
Thursday Jun 16, 2022
28.神様のみ旨から見たイエス様の生涯と終末である現代に対する神様の警告
日付:二〇〇二年五月二十一日
場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン•ワシントン•ホテル
行事:「ワシントン•タイムズ」創刊二十周年記念式
尊敬する内外の貴賓の皆様。きょう、このように「ワシントン•タイムズ」創刊二十周年を迎え、私としては、とても感慨深いものがあります。一九八二年五月、私がニューヨークのマンハッタン連邦裁判所において、無念な思いで宗教裁判、人種裁判とも言える裁判を受けていた最中に、天の命令に従い、「ワシントン•タイムズ」創刊のための最終決定を下したときのことが鮮やかに思い出されます。
世界共産主義の波が怒涛のごとく全世界を襲っており、アメリカさえもそれに対して、なすすベがないという時でした。私は、民主世界の最後の砦であり、第二イスラエル圏のキリスト教国家であるアメリカを共産主義から守り、天がキリスト教を中心として立てようとした平和の理想世界、すなわち地上、天上天国を創建しなければならないという、天の崇高なみ旨に従ったのです。決して、新聞社をつくって、お金を儲けようという思いからではありませんでした。これまで「ワシントン•タイムズ」だけでも十数億ドル以上を投入しましたが、決してそのことで後悔したり、誰かを恨んだりしたこともありません。それが、天と人類のための真の愛の実践だったからです。
アメリカに送る最後のメッセージ
私がアメリカに来てから既に三十年が過ぎました。今では私の年も八十二歳になり、還故郷の時が来たことを感じています。最後に私は、第二イスラエル圏国家であるアメリカと人類に、神様と霊界の実相についてのメッセージをはっきりと伝えてから、ここを発とうと思います。このメッセージは、単なるレバレンド•ムーン個人のメッセージではありません。この時代に人類が守らなければならないメッセージとして天が下さったものです。天のみ旨について、今まで人類は無知な状態で生きてきました。第一に、神様について無知であり、第二に、私たちが死んだのちに、否応なしに選択の余地なく入って暮らさなければならない霊界について無知でした。
しかし今は、人類歴史の終末を迎え、既に天上においては四大聖人をはじめとする数多くの宗教団体の指導者たちが、私の教えである「統一原理」を真の真理として受け入れました。彼らは今、真の新しい家庭編成のための祝福結婚を通して、地上の弟子や子孫に再臨協助することに総動員され、役事することを始めました。
第二イスラエル国であるキリスト教国家のアメリカのためには、特別に霊界から、イエス様を中心とする四大聖人と歴史上で有名な弟子たちが、それぞれ百二十人ずつ選抜され、統一された連合戦線を構築しました。今や彼らは、地上再臨を通して、「超宗教超国家連合」と「超NGO(非政府機構)連合」の活動を本格化させ、この地上に平和世界を完成しようとしています。
彼らは、真の父母の思想である「ために生きる生活」、すなわち真の愛の実践でなければ、人類の将来はないと叫んでいます。したがって私は、「神様のみ旨から見たイエス様の生涯と終末である現代に対する神様の警告」という題目で、アメリカと人類に、この最も貴いメッセージを伝えることによって、きょうの記念の辞に代えさせていただこうと思います。
イエス様の十字架の摂理を注意深く見ると、右の強盗と左の強盗、イエス様とバラバがいたのですが、そのような形で種が蒔かれたというのです。「自分のまいたとおりに、刈り取る」という原則ゆえに、最初に現れたのが、イエス様を中心とする「右の強盗型」と「左の強盗型」である右翼世界と左翼世界、すなわち民主圏と共産圏であり、その次に現れたのが、イエス様の十字架を中心として登場した「バラバ型」であるイスラーム圏です。イエス様によって恵沢を受けることになった「バラバ型」のイスラーム圏は、キリスト教の対立勢力を中心として出発したのです。
このように種が蒔かれた歴史は、世界の形態が四大陣営に結束するという時代の運勢に入っていくようになりました。アラブ圏のナセルは、イスラーム圏を統合して、アラブ統一国家の夢を抱きました。そうかと思うとキリスト教は、「すべての宗教を統合しよう!」と叫びながら、世界的な新しい趨勢に入りつつあります。
このような世界的な傾向を見ると悲運の種が蒔かれた歴史が、ようやく今、神様を中心とした善の結果として現れつつあることが分かります。終末時代になれば、このような現象がますます露骨に現れ、最初に蒔いたものが、それと同じ姿の実が結ばれて刈り取られるようになるのです。それは、摂理の法度によって現れざるを得ない、不可避的な現象です。すなわち、真の愛主義である「真の父母思想」によって統一されるのです。

Wednesday Jun 15, 2022
平和経 第237話
Wednesday Jun 15, 2022
Wednesday Jun 15, 2022
27.新千年における言論の統一された方向
日付:二〇〇一年一月十五日
場所:日本、東京、京王プラザ•インターコンチネンタル•ホテル
行事:「二〇〇一世界言論人会議」(代読)
尊敬する元•現職国家元首、言論界の指導者、そして紳士淑女の皆様。私たちは今や新千年が始まる時代の第一歩を踏み出しました。人類はつい十年前まで、冷戦時代の恐怖の中で暮らしてきました。当時、全世界は、恐るべき破壊力をもつ核の脅威に震えなければなりませんでした。
しかし、今日では、政治、経済、文化など、ほぼすべての分野の障壁が崩れ、世界は一つの地球共同体へと変化しつつあります。私たちは、特に時間と空間を短縮させるマスメディア技術の発展により、人類歴史上、最も幅広い変化を経験しています。過去のいつのときよりも、個人は世界と、世界は個人と、より一層密接な関係をもつようになりました。
例えばインターネットは、皆様もよく御存じのように、ニュースや娯楽情報を得る方法を変化させており、誰でも自分のささいな意見まで全世界に伝達できるようにしてくれます。同様に、世界の重要なアイデアとイシューが、すべての人のコンピューターの画面に映ります。
二十世紀の初めにおける、科学技術開発の決定的な牽引車は電気でした。この頃は、巨大な情報の高速道路であるコンピューターの伝送容量がその役割を担っています。今日、ラジオ、テレビ、新聞、インターネットなどの言論媒体を通して、たった一日で得ることのできる情報量だけでもものすごい量です。問題は、人類がこのようなあらゆる情報を十分に消化して、善の目的のために正しく活用する意志と能力をもっているかということです。
ニュースと情報がこの世に氾濫し、その過程で私たちは商業化が進んでいく趨勢を目撃しています。情報は次第に商品として売られるようになっていくのです。そして、情報のもつ倫理的、社会的、道徳的影響よりは、情報の市場性、すなわち情報がいかに多く売れるかに重点が置かれています。「情報高速道路」が及ぼす影響を正しく評価するためには、この時代の驚くべき科学技術の発展のような外形的変化を見越す見識がなければならず、また言論に影響を及ぼす様々な内的側面に注目しなければなりません。
私たちは、より本質的な立場で虚心坦懐(きょしんたんかい)に、情報化時代が人類の心と霊魂にどのようにして肯定的、あるいは否定的な影響を及ぼすのかを検討してみる必要があります。地球村時代を迎え、私たちの願う言論とはどのようなものなのかを自問しなければならないときになったのです。今日は、歴史に対する言論の責任を明確に認識しなければならない時代です。
言論は人間生活の本質と家庭、国家などの諸般の制度と世界に影響を及ぼすという面から、言論の役割について皆様と共に考えようと思います。核心的な問題は、情報の伝達を誰が掌握するかということです。現在、先端情報技術を最も活発に活用する分野としては、商業広告、政治宣伝、それから大衆文化などが挙げられます。
情報技術が飛躍的に発展したからといって、私たちがより良い人間に変化し、より健全な社会になったと言えるわけではありません。情報技術の発展には、肯定的な面がある反面、かなり否定的な面もあるのです。
親は、子女たちが勉強を疎かにし、インターネットを通して非常に非道徳的で性的に乱れた環境でチャットに熱中して夜を明かす姿を時々目撃するでしょう。大衆文化にあふれる暴力的で扇情的な娯楽物は、現実からかけ離れた世界を形成し、人をして他人の途方もない現実的な苦痛に対して鈍感にさせながら、神様の願われる本然の愛の行為までも行うことができないようにさせるのです。
二十一世紀の人類は、冷戦時代よりも一層根本的で、危険ですらある各種の懸案に直面するようになるでしょう。私たちが直面することになる問題は、東西間の対立ではなく、価値世界の葛藤です。言い換えれば、道徳と非道徳の間の世界的な戦いになるでしょう。度が過ぎた商業化は、人間の尊厳性に否定的な影響を及ぼすようになり、それによって、神様が私たちの生活の中で共にいらっしゃることができないという結果まで招くようになるのです。言論媒体は、道徳水準の高い公平な基準を強調しようと努めていますが、その過程において、価値観とは関係なしに働く利潤追求という市場論理とその力に屈服する危険性があるのです。
不幸にも今日の社会的、文化的環境は、道徳的に堕落した状態に置かれています。家庭の尊厳性が破壊され、地上のすべての国家が苦痛と絶望の沼に追いつめられており、エイズによって、すべての国家が破壊される境地に至りました。道徳的規範を認めない言論文化が、いかにして若者が自己破滅の道へと向かうのを防ぐことはできるのでしょうか。そのような言論が、いかにして麻薬犯罪、離婚の増加、家庭崩壊、エイズ、性犯罪などを防ぐ方案を提示できるのでしょうか。これに対する答えは、私が言わずとも、皆様御自身がよく御存じだと思います。
現代の通信技術は、言論の自由の範囲を広げてくれています。インターネットによって、誰もが出版できるようになりました。おかしな表現に聞こえるかもしれませんが、私たちは今日、表現の自由があまりに多く、その中に溺れてもがいているのです。したがって、表現の自由をいかに行使するかは本当に重要な問題です。
今回の会議のメーンテーマは「新千年における言論の統一された方向」です。このようなテーマに対し、皆様のなかで一部の人は異なる意見をもつかもしれません。言論の自由という概念は、明らかに中心的方向がないことを意味するからです。しかし、ここで言う「統一された方向」というのは、言論の自由を行使する量的拡大よりは、人間の尊厳性と真の家庭、信仰の価値に重点を置いた社会規範を正しく立て直すための言論の質を念頭に置かなければならないことを意味します。
個人の価値と尊厳性は、真の家庭の安定した基盤の上で一層高揚され、光り輝くようになります。家庭は、男性と女性が互いに尊重し合い、和合しながら暮らすことを学べる最高の場所です。結局、人々は、人生で最も重要な要素である真の愛を、家庭の中で完全に学ぶようになるのです。世の中に対する価値認識は、一次的に両親や兄弟姉妹から影響を受けるようになります。家庭は、愛を学ぶ最初で最高の学校です。家庭こそが、理想社会と平和世界の礎石なのです。ですから、真の家庭の価値は、言論によって保護され、尊重されなければなりません。
いくら社会が豊かで自由であり、すべての家庭にコンピューターがあって、光ファィバーによるインターネット•サービスが可能な環境を造成できていたとしても、その社会が家庭崩壊を防ぐことができないとすれば、市民に幸福をもたらす健全な社会にはなり得ないのです。
人間の尊厳性の根拠は、どこにあるのでしょうか。人類は本来、神様によって、神様の子女として創造されました。私たちが神様のことをしばしば「父」と呼ぶのはこのためです。そして、私たちの目標は、神様に似た子女として成長し、神様の神性を相続することです。さらに神様を中心とした個人は、同様に神様を中心として生活する家庭を形成するようになります。結局、全人類は、この真の家庭で、真の父母であられる神様の愛と生命と血統を受け継ぐようになるのです。
人間社会における宗教の役割は、人間と神様の関係を向上させる上で重要なものです。そのような意味で、信仰は必須的なものです。皆様がいかなる宗教を信じたとしても、その宗教が提示する皆様と神様との関係が核心となります。特に人間が信仰を通して、絶対、唯一、永遠、不変であられる神様と一つになるときに、人間の内的価値も、絶対、唯一、永遠、不変になります。ですから、信仰は、人間の尊厳性に必須不可欠な価値をもっているのです。
そのような意味で、信仰の自由、信仰生活、信仰に基づいた活動などは、理想社会を建設するための柱になるのです。このような信仰的価値観を土台とした人間の生活は、ために生きる神様の真の愛の世界へと人類を導いていくでしょう。すべての宗教が、信仰を土台として真の愛を実践するとき、世界は神様のもとの一つの兄弟姉妹として結ばれるようになるのです。
私が一九七八年に創設した「世界言論人会議」は、言論が抑圧されている地域では、言論の自由な表現の増進のために努力し、言論の自由が既に保障されている国家では、責任ある言論の自由を行使できるようにすることに寄与してきました。私は今回の会議が、今日の新しい環境において、言論の最善の行動指針を設定することに貢献することを期待します。
言論人は、人間の生で最も価値ある要素と世界平和を実現できる最善の方法に関する真理を伝達し、人類を啓蒙する、そのような勇気をしばしば見せてくれました。未来は、言論人である皆様の努力により、人類の絶対、唯一、永遠、不変の尊厳性が花咲き、私たちを世界平和へと導く真の家庭を実現する時代にならなければなりません。
そのような観点で、きょうはとても意義深い日です。世界各国の言論界の指導者である皆様は、今夜、私がお話しした内容を胸の奥深くに刻み込んでくださるようお願いします。健全な家庭と理想社会、そして平和世界の構築という使命は、私だけに与えられたものではありません。このような課業に、皆様も参加することを神様は願われています。
情報化時代に生きる皆様は、世界のどの地域にも行くことができ、世界のどの場所とも即刻的に意思疎通が可能なのです。しかし、皆様と皆様の国と世界のための神様のみ旨を成し遂げるために、皆様はニュースと情報がいかなる価値をつくり出し、世界にいかなる影響を及ぼすかということに対して責任感をもたなければなりません。さらに皆様御自身の生活は、真の価値をもつ生きた手本にならなければなりません。それさえできれば、皆様は、神様に栄光をお返しし、人類には希望と幸福をもたらすことができるでしょう。
私は今回の会議で、皆様の真摯な努力が、立派な結実を収めると期待しています。私たちは、すべての情報とニュースの伝達に必要な技術を、既に確保しています。皆様は神様と結ばれた中で、このような技術を効果的に適用できる真の人間の心情的価値と本性に関心をもってくださることをお願いします。神様の祝福が、皆様と皆様の御家庭に共にあることを祈ります。ありがとうございました。

Monday Jun 13, 2022
平和経 第236話
Monday Jun 13, 2022
Monday Jun 13, 2022
世界人類を苦しめる最も大きな問題は不倫と退廃
皆様。レバレンド•ムーンのこのような歴史と世界の変化に対する予知能力はどこから来るものでしょうか。それは言うまでもなく、私は宗教指導者として、神様との深い交流と、人類の未来に対する神様の計画とみ旨を具現しようとする私の絶対的な献身に起因したものであることを、きょう皆様に率直に公開する次第です。
私はいつも、神様の御計画にある未来世界の建設に対する準備を委託された現在の各界各層の指導者たちに、その責任を全うすることを訴えています。今や、冷戦時代は、終止符を打ちつつあります。人類は今、地球星で一人の神様のもとで全人類が兄弟姉妹として共生、共栄、共義の新千年のために準備しなければならない重要な時を迎えているのです。今はもう、共産主義か民主主義かと言って、いたずらに争い、競っていた時代は終わったのです。
二十一世紀以降の世界は、人類が、戦争のない平和の世界で自由と繁栄を謳歌しながら、愛と幸福を共有するようにしなければならないのです。東西間の理念対決の問題が終わったので、南北間の貧富の格差問題も、このような観点からアプローチしなければならないでしょう。
私がかつて科学技術の平準化を唱えて国際平和高速道路の建設を主唱したのも、世界が一つの家に統合され、相互依存せざるを得ない、そのような未来に対する洞察に起因したものです。
このような東西冷戦が終わり、科学技術が日に日に発展して、全世界が一つの共同体になるならば、二十一世紀において人類は、何の問題もなくすぐに平和と幸福を謳歌できるようになるのでしょうか。それはあり得ないことです。
冷戦時代よりも根本的で危険な問題が二十一世紀の人類社会を脅かすようになるのです。世界で人類を苦しめる最も大きな問題は、私が洞察したところによれば、正に家庭の価値を破壊する不倫と退廃の問題です。道徳的退廃こそは、人類を苦痛と絶望のどん底に陥れる原罪なのです。
未来の世界は、家庭の純潔を保存し、家庭の価値を守護する道徳律が定着するかしないかによって、天国と地獄の岐路に置かれるようになるでしょう。世界各国が共に悩む青少年の退廃と絶えず起こる麻薬犯罪、増加する家庭破壊と離婚、エイズの猛威、性犯罪などを政治権力で解決できるのでしょうか。現在の学校教育や宗教的教えでも解決できずにいるのです。
すべての家庭の悩みが解決されずにいる社会が、経済的に豊かになって何をし、政治的に自由になって何をするというのでしょうか。人類は今、家庭の価値を守護し高揚できる教えとその方法を探し出さなければならないときに来ています。冷戦以後の時代は、正にこの家庭の価値を守護し高揚しなければならない時代です。これはきょう、この場に世界の言論人を代表して参加した皆様に、レバレンド•ムーンが伝えたい最も重要なメッセージです。
二十一世紀の人類のための革命は祝福世界化運動
今、ワシントン市内一円で開催されている第三回「世界文化体育大典」のすべての行事と二十九日のRFKスタジアムと全世界で挙行される国際合同祝福結婚式の行事は、当初三百六十万組が参加する予定でした。
ところが、驚くべきことに、当初の目標の十倍を超え、三千六百万組となり、それ以外にも数百万組が参加することになりました。このような汎人類的祝祭こそ、未来世界のために家庭価値を守護し高揚する、人類の決断を促す荘厳な出発となるでしょう。
今後この行事は、三億六千万組に達する全世界的祝福行事へと発展していくので、言論人の皆様と今回の大会に参加された指導者の皆様が、国家的次元で積極的に協力してくださることをお願い申し上げます。この真の家庭運動を世界的な運動に拡大、定着させることが、二十一世紀の人類のための最も貴重な精神革命、文化革命運動となるでしょう。
私は去る六月に、「ワシントン•タイムズ」創刊十五周年記念講演で、世界百八十五ヵ国に新聞を創刊し、全世界を地域共同体に連結させる新聞の発行と通信サービスを始める予定であることを発表しました。このような巨大なプロジェクトは、先ほどお話ししました未来世界に対する私の信念に基づいており、未来世界で生きていく人類のための私の献身的な贈り物です。この場に参加された各国の著名な言論人の皆様の参与と御協力をお願い申し上げます。
今回の大会で皆様が討論し、議論する多くの内容に、より一層価値ある結実を期待します。ありがとうございました。

Monday Jun 13, 2022
平和経 第235話
Monday Jun 13, 2022
Monday Jun 13, 2022
26.世界化と世論、二十一世紀を展望しながら
日付:一九九七年十一月二十六日
場所:アメリカ、ワシントンDC、JW•マリオット・ホテル
行事:第十四回「世界言論人会議」
尊敬する議長、そして著名な発表者、会議の参席者および紳士淑女の皆様。私は、アメリカのワシントンDCで開催される第三回「世界文化体育大典」の一環として開かれる、第十四回「世界言論人会議」に御参加くださった皆様に、深い謝意を表する次第です。
急変する言論を取り巻く環境
私は、今回の会議において参席者の皆様が、数年後に到来する二十一世紀の世界化時代に対応すべき言論の諸般問題を主題として討論することは、非常に意義深いことだと思います。なぜなら、地球の環境の変化があまりにも急速に進んでいるこの時代において、言論が他のどの分野よりも迅速、かつ正しく対応しなければ、人類の未来は、より一層混乱と不安に満ちるようになるからです。
今、地球を変化させている最も重要な要因は、通信手段の光速化にあるというのです。一言で言うと時間と空間を超越して、全世界の隅々をたった数秒間でつなぐ科学技術が日増しに開発されているということです。
今まで新聞の編集者は、取材記者に地域の便りをどこの誰よりも早く入手し、速やかに報道することを求めてきました。しかし、二十一世紀をわずか三年後に控えた一九九七年の世界の現実はどうでしょうか。
取材記者が地域共同体を考えるとき、自分が住んでいる物理的、地理的地域だけを考えるのではなく、電子メールをはじめとして、つながっている全世界の同僚、隣人たちのことも一緒に考えるようになりました。彼が様々な問題について取材をするとき、インターネットを通して、全世界を相手に情報を探さざるを得ません。情報を取材する人たちにとって地域共同体とは、自分の住む地域を意味するのではなく、全世界を意味するようになったのです。
二十世紀が始まった百年前でも、ニュースは、汽車、汽船、時には鳩を通して伝達しました。ですから、第一次世界大戦の戦場の状況といった重要なニュースも、数日または数週間待たなければ知ることができなかったのです。
しかし、二十一世紀を目前に控えた一九九〇年代後半である今は、インターネットと電気通信技術が、ニュースを瞬間的なものにし、主要なニュースは全世界がほとんど同時に知ることができるようになったのです。ですから、地球全体が正に私たちの地域共同体となり、地域のニュースとは、すなわち世界のニュースを意味するようになったのです。
このように電気通信技術が全地球を一つに結んだことによって、経済交流と文化交流は既に国境のない時代に入りました。地球市民全体が、共に影響を与えたり、受けたりする時代が来たのです。ですから、いかなる地域、またはいかなる国の経済といえども、世界的な影響を受けざるを得ません。したがって、私たちは、全世界を一つの共同体として認識しなければならないのです。ここにおいて、私たちは、「世界化時代の言論」とは、どのような形式と内容でなければならないのか、という問いを提起せざるを得ないのです。
世界化時代における言論の責任
このような問いに対して、皆様が今回の会議で、多様な話題による多くの討論と発表を通し、有益な結実を収めることを願います。私もきょうこの席で、「二十一世紀における世界化と言論」について、いくつかの見解を表明しようと思います。
まず世界化時代の言論は、正に「機能言論」から「価値言論」へとその方向を定めなければなりません。言論とは、ニュースを事実のとおりに読者たちに報道することだけで、その使命を果たしたことになるのではありません。なぜなら、論評と批判を通して、彼らに真実を呼び覚まし、社会の精神的で道徳的な価値を高揚し、先導することもしなければならないからです。
二十一世紀の世界化、情報化時代は、国境を越え、民族相互間で深い影響を及ぼし合うようになるので、ある主導国家の非道徳的な文物は、容易に他の国に否定的影響を及ぼすようになるのです。情報通信産業と先端技術の発達によって情報化された世界こそが、すべての人類に情報の共有化を催促する根本的な要因です。
このように情報化された世界では、ニュースを事実のとおりに報道することは、あまりにも初歩的な機能にならざるを得ません。その事実をいかに解釈して評価し、いかなる方向に教え導くかが言論の重要な使命になるのです。ここで私たちは、言論機関と言論人のもつ世界観、人生観、歴史観という価値認識に注目するようになるのです。
言い換えれば、言論人は、人類と世界全体の繁栄と平和に対する、肯定的で理想的な価値観を共有しなければなりません。それはつまり、世界的な視角をもとうということです。読者の低級な欲望と趣向に、単なる商業的動機だけで迎合する言論が大勢を占めることを放って置けば、二十一世紀は一層憂鬱で不幸な世界になってしまうでしょう。
私たちは、二十世紀の最も深刻だった理念戦争を体験しました。冷戦時代の理念戦争では、いわゆる共産主義と弁証法的唯物論という無神論的物本主義が、社会の各分野に攻勢をかけてきました。自由世界の数多くの知識人や言論人までも、その影響下で混乱をきたしたのが、わずか数年前のことです。
私は、その時代を誰よりも深刻に対処してきました。数多くの誤解と非難を甘受しながら、一方で自由世界の理念的、道徳的混乱を収拾するために「統一思想」運動および理想家庭実現運動を主導し、他方では、共産陣営を解放し、共産圏の知識人と青年学生に、共産主義のあとの世界に備える価値体系を教えました。
私は冷戦の渦中で、自由陣営が最も大きな困難に直面した一九八二年に「ワシントン•タイムズ」を創刊しました。当時世界の首都ともいえるワシントンDCには、新聞が「ワシントン•ポスト」しかなかったときです。
私は既に「ソ連共産帝国は間もなく終焉を告げるであろう」と警告したことがあります。一九八五年、ジュネーブで開かれた第二回「世界平和教授アカデミー」世界大会のテーマを「ソ連共産帝国の滅亡」とするように世界の碩学たちに通達しました。
学者たちは、初めはもちろん当時の米ソ関係を見て、私のこのような主張にとまどいながら、非常に困り果てた様子でした。しかし、私の説得力ある主張を受け入れて、その大会のテーマが私の提案どおり採択されました。
第十一回「世界言論人会議」が一九九〇年四月、モスクワで開催されたとき、私は「ワシントン•タイムズ」を中心につながっている自由世界の言論人たちを多数伴い、ゴルバチョフソ連大統領(当時)に会ったのです。私は、ゴルバチョフ大統領に会ったとき、無神論的唯物論の未来は自己破滅しかなく、唯物論を放棄して、宗教を中心とした霊的価値観の復活を試みるように忠告しました。
その後、二年もたたないうちに、共産主義帝国は崩壊に至りました。一九八五年にソ連帝国の終焉を主張した私の予見は的中したのです。そして、この事実を知った数多くの学者たちは、私に対して改めて驚嘆しました。

Sunday Jun 12, 2022
平和経 第234話
Sunday Jun 12, 2022
Sunday Jun 12, 2022
真の家庭は真の平和世界の出発地
きょうから三日後の金曜日の朝、私と私の妻は、全世界的に三十六万組の聖婚式を主宰します。この式はソウル•オリンピック競技場で開かれるのですが、その競技場がいくら韓国では最も大きい施設だとしても、そこには十万人しか収容できません。ですから、残りは世界の主要都市に集まり、衛星中継によって、聖婚式を挙行する予定です。
私たち夫婦は、一九六〇年から始めて、今まで五万組以上を祝福してあげました。したがって、今回、金曜日の行事は、今まで実施した祝福行事の中で最も大きな規模になります。
このように数多くの人々が人種と国籍と宗教と文化と伝統的な慣習を超越して、一カ所に集まり、一生で最も意義深い聖婚式を共に挙げるということは、様々な面で大きな意味をもっているのです。これは、このすべての人たちにとって共通で、誰もが尊敬する一つの価値観が実在するという事実を物語っているのです。
さらに一歩進んで、これは神様の真の愛を中心として一つとなった真の家庭を成し遂げることを、皆が望んでいるという事実を実証するのです。互いに異なる人種と文化背景をもった夫婦だとしても、神様の真の愛で一つとなった家庭をつくったとき、そこから生まれた子女たちの間に人種や文化的な葛藤はあり得ません。
仮に皆様の父親が黒人で、母親が白人であるならば、どうなるでしょうか。また仮に父親がアラブ人で、母親がユダヤ人の家庭で育ったとすれば、果たして皆様はどちらか一方の人種や文化に対して悪い偏見をもつことができるでしょうか。
皆様は父母を愛するそれ以上の心をもって、両方の文化と伝統を愛し、大切にするでしょう。世界各地で深刻な社会問題になっている人種間の葛藤を、政治的にのみ、あるいは経済的にのみ解決しようとすれば、その結果は失敗にならざるを得ません。
人種差別は、赤ん坊の揺りかごから始まるものなので、真の愛を中心とした真の家庭の理想をもたなければ、この問題の根本的な解決は不可能なのです。したがって、たとえこの祝福行事が大規模なものだとしても、その中心理想はやはり、お一人の神様の真の愛を中心とした真の家庭を成し遂げることです。
親愛なる言論界の指導者の皆様。人類が歴史の始まりのときから神様と一つになっていれば、人類は真の愛を中心とした真の家庭を成し遂げて、ために生き続ける真の愛を実践することによって、真の国家と真の平和の世界を既に成し遂げていたのです。
しかし、人間始祖であるアダムとエバが堕落し、サタンと一つになることによって、神様とサタンが人間を真ん中に置いて闘う立場になりました。心はいつも神様に向かい、体はサタンの主管を受けるようになっているので、心と体はいつもぶつかり合い、闘わざるを得なくなりました。
したがって、たとえ人類が偶発的な第一次、第二次、第三次の世界大戦は避けられたとしても、この心と体の闘いは決して避けられないものでした。結局、この心と体の闘いは歴史を通して、個人、家庭、社会、国家、世界的な次元へと拡大してくるようになったのです。
この歴史的な闘いを終息させるためには、神様に帰らなければなりません。まず神様を中心として、個人の心と体が一つにならなければなりません。そして、そのような真の男性と真の女性が、神様を中心として真の家庭を成し遂げることによって、その中に神様を再び迎えるようになるのです。したがって、真の愛を中心とした真の家庭こそ、神様が住まわれる地上基地になるのであり、さらには真の国家と真の平和世界の出発地になるのです。そして、これによって真の自由と幸福の世界が開かれるというのです。
先導的役割と責任を全うしなければならない言論人
昔から人類が熱望してきた地上での夢は、「いかにして自由と平等の理想を共に実現できるか」ということでした。自由の理想のもとでは、平等の実現が極めて難しい課題だったのです。その反面、平等のスローガンのもとでは、自由の理想が激しい抑圧を受けるようになったという事実を、歴史的に経験しました。
そうかと言って、そのうちどちらか一つだけでは、決して人類の欲望を完全に満足させることはできませんでした。このような理念上の根本的な矛盾は、もっぱら真の愛を中心とした真の家庭の理想の中でしか克服されません。すなわち、真の愛の中でのみ、真の自由が保障されるのであり、真の愛によってのみ、真の平等が可能なのです。
したがって、自由と平等が共に実現された真の平和世界の実現は、真の愛の根源である神様を見いだし、神様と一つになってこそ可能なのです。このような事実は、今日、「神はいない」とか「神は必要ない」と主張する無神論者たちにとっては、大きな警鐘であると言わざるを得ません。したがって、歴史が新しい次元へと転換されるこのときにおいて、有神論的な宗教的価値観を強調しなければならないことは、言論人であるすべての人に与えられた必然的な課題とならざるを得ません。
今日、世界各地で行われた世論調査を見ると、言論媒体に対する不信が次第に高まっていることが明らかになっています。言論と大衆媒体が独善的であり、自分たちだけの利益を追求し、家庭と社会を堅持する価値観を軽視しているという批判です。
様々な面で一般大衆のこのような叱責は、ある程度根拠をもっていると思われます。それは、人類全体が共通に尊重し、追求しなければならない絶対的な価値基準と言論媒体の多様な見解との間に、激しい格差があるという意味でもあります。したがって、互いが尊敬し、尊重される、神様の真の愛を中心とした真の家庭が、言論と社会に共通した絶対的な価値基準として確実に定着しなければなりません。
人類が希求する真の平和の世界は、上から下へと形成されるものでもなく、下から上へとつくられるものでもありません。神様を中心にすべての個人が真の家庭をつくり、神様に侍って暮らしてこそ、自由で平和な永遠の世界が建設されるのです。
尊敬する世界の言論指導者の皆様。新しい時代は既に明けつつあります。有史以来、分かれた神様と人類が、真の家庭の理想の中で共に出会うときが来たのです。
言論人の皆様は、この貴重な時代において先頭に立つ人となり、その先導的役割と責任を全うしてくださることを願います。迫りくる未来は、共生、共栄、共義の時代になります。誰よりもまず神様のみ旨と一致して、歴史的勝利者として残る言論人になってくださることを期待します。この会議が成功裏に開催され、大きな成果を収めることを願います。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に共にあることを願います。ありがとうございました。

Sunday Jun 12, 2022
平和経 第233話
Sunday Jun 12, 2022
Sunday Jun 12, 2022
25.二十一世紀の言論の方向と役割、そして責任
日付:一九九五年八月二十二日
場所:韓国、ソウル、新羅ホテル
行事:第十三回「世界言論人会議」
尊敬する議長、ポール•ジョンソン博士をはじめとするすべての発表者と大会の参加者、そして内外の貴賓の皆様。私はこのたび「世界文化体育大典」の一環として開催される第十三回「世界言論人会議」に参加するために、世界各国の各地域からここ大韓民国のソウルを訪問してくださった皆様に、心より感謝と歓迎の言葉を申し上げます。
特に「言論の責任と役割」をテーマに開催される今回の「世界言論人会議」は、私たち人類が今、二十一世紀の新時代を目前に控えており、わずか五年後には、紀元二〇〇〇年代へと進入する歴史的な大転換期を迎えるという事実を考えてみたとき、非常に時宜にかなった、意義深い会議であると思わざるを得ません。
言論の役割と責任が強調される時代
今まで人類は、歴史を通して安楽な生活環境のための物質的開発とより合理的な社会制度の改善のために、あらゆる努力を傾けてきました。しかし、私たちがより安らかな環境を整えて自由な生活を営むほど、私たちには新しい霊的覚醒が必要だという事実をますます痛感せざるを得ません。今こそ全人類は、人間の本質的な価値問題に視線を転じて、新しい次元の生き方を模索しなければならない時を迎えているのです。
私たちは次の二つの観点から、言論の役割と責任が強調される時代に暮らしていると言えます。第一に、世界の全域に広がった民主主義の成長によって、言論の自由が持続的に伸張してきたという事実です。特に民主的な手続きを踏んで指導者を選ぶ現代の政治体制においては、大衆と最も密接な関係をもっている言論の役割と影響力が、非常に大きく、重要であると言わざるを得ません。
第二に、世界のニュースを伝えてくれる通信技術が極度に発達したという点です。その中でも、電波媒体と印刷媒体は、その技術が最も効果的でかつ広範に開発され、時間と空間を最大限に短縮してくれています。通信衛星や、地球村の国々を連結した世界的なインターネットといった新しい通信技術は、一個人の考えが、正しい正しくないにかかわらず、世界中の誰にでも思いのままに伝達できるようにしてくれます。
このように自由な先端技術を土台とした諸般の環境は、今日の言論をして世論形成に多大な影響を与えるのです。政治的な面では、一国の政府を、高く尊敬される立場に立てたり、没落の道を歩かせたりします。また、社会が高い道徳的基準をもつように先導することもできれば、その社会を混沌の渦の中に追い込むこともあります。
さらには、歴史とは、歴史的事実そのものよりは、歴史的事実に対する一つの記録としてつくり上げられるものである、という観点を考えた場合、このような転換期において、一瞬一瞬の歴史を記録していく言論媒体の責任は、他のいかなる分野よりも重大なのです。このように見るとき、言論の役割と責任は、絶対に歴史的な認識と分離して考えることができないのです。
したがって言論のもつ様々な機能、すなわち事実報道から、事実に対する評価や批判のそのすべてが、歴史の正しい方向性と歴史的責任を前提として形成されなければならないのです。宗教指導者として私が見つめる人類歴史には、明らかな方向性があります。
なぜなら、神様によって創造された人類歴史の背後には、必ずその目的を成し遂げようと摂理される神様のみ旨が内在しているからです。したがって、歴史を記録していく言論人の皆様は、神様のみ旨をはっきりと悟り、神様のみ旨と一致した観点で、歴史的事実を記録していかなければならないのです。
尊敬する言論界の指導者の皆様。第二次世界大戦が終わったのち、人類が体験してきた過去半世紀は、言論の役割と責任を最も切実に覚醒させてくれる時期でした。この時期において言論に与えられた最初の使命は、共産主義の虚構性とその戦略を暴露し、その共産主義の脅威を自由世界に悟らせることでした。しかし、かえって大部分の言論自体が、この時期に非常にリベラルな視角をもつことによって、混沌たる状態になってしまったのです。
特に世界を導いていくべきアメリカの首都ワシントンDCに、たった一つのリベラルな言論だけが陣取り、世界を誤った方向に導いているという事実が、私をして重大な決心をさせたのです。そうして私はあらゆる精誠と精魂と力を傾けて、十三年前に「ワシントン•タイムズ」を創刊しました。保守言論の旗手として共産主義と闘うために、私は莫大な財政的負担はもちろん、あらゆる謀略と誹謗を一人で耐え抜かなければなりませんでした。
私には、偽宗教家というレッテルが貼られ、捏造された脱税疑惑によってアメリカで刑務所生活まで体験しました。しかし、世界の流れは、神様のみ旨に逆らうことができませんでした。今、私は、「ワシントン•タイムズ」が、共産主義に勝利し、世界の自由を守るに当たって数多くの決定的な貢献を果たしたことに対し、深い賛辞と共に、これを歴史的な名誉として大切に残そうと思います。
言論が世界統一の先頭に立つべき
過去半世紀において、言論に与えられたもう一つの使命とは、人類をして人間の本質的価値を回復させ、道徳社会を建設させることです。一九九一年、冷戦時代が幕を降ろし、東西間の緊張と葛藤が終わりを告げるとき、私たちは、これから平和時代が到来するものと期待していました。しかし、冷戦以後には、かえって社会的な葛藤と不安がより一層加重されつつあるというのが実情です。アメリカだけを見ても、フリーセックスや同性愛のような乱れた性道徳が徹底的に家庭を破壊しています。
急増する離婚率は、道でさまよう青少年たちを日々増加させています。彼らは麻薬に陶酔し、暴力に没頭するようになり、挙げ句の果てには自殺の道を選択するようになります。十代の自殺率は、三十年の間に倍に増加しました。エイズをはじめとする数多くの病気は、乱れた社会生活に起因しています。アメリカとヨーロッパの一部地域では、既に同性結婚が合法化されるまでに至りました。実際、多くの生態学者や環境論者たちが語る植物や動物の絶滅危機は、深刻な警告として受け止められながらも、人類種族の破壊現象に対しては、みな無感覚で無防備な状態です。
私たちは、これが既に世界のある地域だけの問題ではないことをよく知っています。このような現象は、人類の危機であると同時に、神様の危機なのです。家庭が破壊されることによって、人類生活の最も高貴な要素である愛が、その立つ場所を失い、神様の愛を大切に保管する基盤が崩れてしまうのです。
ですから、私は「ワシントン•タイムズ」創設十周年を迎える会場で「真の家庭の重要性」を力説しながら、人間の本質的な価値観の回復に関心を傾けることを強力に促しました。これは「ワシントン•タイムズ」にだけ与えられる勧告ではありませんでした。全世界の言論と指導者たちに与えられた神様の啓示でした。
今、「ワシントン•タイムズ」は、誰よりも声を高めて、真の家庭の回復と道徳再建を叫びながら、アメリカと世界を生かすために先頭に立っています。アメリカの新しい精神革命の旗手になっているのです。皆様も御存じのとおり、今、アメリカだけでなく、世界の各地で、家庭の重要性は、社会問題の次元を越え、教育、宗教、文化、そして政治および経済分野にまで重要な問題になっているのです。私が一九七八年に「世界言論人協会」を創設したのも、言論人の皆様に言論媒体の倫理および責任に関連した問題を討議する場を提供することによって、このような最も根本的な問題解決に役立てようとしたのです。
三番目に私が強調しようと思うことは、言論は世界統一の先頭に立たなければならないということです。今日における交通と通信の発達は、既に人間の意思疎通を遮るすべての自然的障害物を克服できるようにし、物理的な距離を短縮し、世界中の人類を近づけました。「世界は地球村である」という言葉がとても実感できる時代です。しかし、いくら科学と技術が空間的な障害物を人類から取り除いてくれたとしても、人類を一つの地球家族と呼ぶには、あまりにも多くの人為的な障壁が人類を分けています。
私たちは、ヨーロッパで行われる人種戦争のニュースに、毎日のように接しています。慣れ親しんだ故郷を離れる長い避難民の行列、愛する家族を失って嗚咽する場面、苦痛と疾病で苦しむ姿は、今ではもう見慣れないことではありません。同じ国の手の平ほどの地域の中でも、人種、言語、文化、宗教、慣習または政治や経済的体制の差によって、熾烈な葛藤と戦争で血を流すのが今日の現実です。それだけでなく、一年に数百数千万の人命が飢餓と疾病で失われているにもかかわらず、何の対策もないのが実情です。人類自らがつくったこの様々な利害関係の鎖を、どうしたら克服できるのでしょうか。
それは、人類が外面的に現れる人種、言語、文化、政治、経済面などでは異なるとしても、その本来の根は実は一つだったということを教える方法しかありません。人類の根はお一人の神様です。神様の真の愛と真の生命と真の血統が人類の根源です。その神様のみ前に全人類は、共に愛を分かち合える同じ子女たちです。一つの血統、一つの生命から出た兄弟姉妹なのです。

Sunday Jun 12, 2022
平和経 第232話
Sunday Jun 12, 2022
Sunday Jun 12, 2022
人本主義思想の膨張
今日、自由世界の中には、共産主義に劣らぬ社会悪が台頭しています。それは、物質中心の人本主義思想であり、そこから派生する極度の個人主義と利己主義の膨張です。いつの間にか私たちの社会に、黄金と財物が神として君臨するようになりました。
私は、人本主義を頭から排撃するわけではありません。問題は、社会における人本主義が、徹底した無神論に立脚していることにあります。もし人本主義によって神様の実在と創造主の創造の意義が否定されるならば、人間は一握りの土に転落してしまうか、せいぜい一つの機械とみなされるでしょう。
これが、マルクス•レーニン主義が犯した過ちではないですか。神はいないと考えるのですから、人間は動物と大した違いがありません。そして、そこには宗教に基づく道徳があり得ず、霊魂や永生を認めないので、人間は人間に対して無慈悲になり、人間が人間に対して行うあらゆる暴悪を正当化することが可能になるのです。
このような風潮の中にあって、共産主義の解放に勝利感をもつべき自由世界の先進諸国の様相はどうでしょうか。極端な利己主義と個人主義は享楽主義を生み、すべての社会生活に腐敗が氾濫するようになりました。家庭は破綻し、政治的な腐敗は深まり、経済は衰退し、未来の主人である若者たちは、非道徳と麻薬と犯罪によって、その良心が姿をくらましつつあります。そのような彼らにどうして二十一世紀の主役を期待することができるでしょうか。
私は、「明けゆく二十一世紀は精神文明の時代である」と宣布しました。物質文明の時代は暮れかかっています。私たちの世界が、暮れかかった闇を退かせて生き返るには、共産体制の滅亡によってもたらされた理念の空白を穴埋めしてあげ、自滅の日か審判の日を待っている自由世界を、共に救い出す精神的ルネサンスが起きなければなりません。これはすなわち、精神的人間革命を敢行できる新しい思想と理念の創出がなければならないということを意味しています。
神様は人類の父
皆様。私はこれまでにも、言論人大会で、私が召命を受けた摂理的な使命に対し、幾度か表明したことがあります。私は新時代の開拓者としての使命を受けました。それは、二十一世紀を目指す新しい精神文明の開拓者であるという意味です。
私は、神様が下さった、新しい時代の確固たる理念を宣布しています。その理念とは正に「神主義」であり、「頭翼思想」です。科学が発達すればするほど、神様の実在は、否定しようとしても否定できない真理となっていきつつあります。私は、その真理の宣布にとどまらず、生きておられる神様に侍り、神様を実感しながら暮らす人生観を教えているのです。
神様は、観念的なものではなく、私の生活圏の中に生きておられる、肌で感じることのできる神様です。私は神様の脈拍を聞きながら生きています。また、神様と呼吸を共にし、神様の体温を感じながら生活しています。私は神様の心情の中に、人類の堕落による悲しみが満ちていることを知り、とめどなく涙を流しました。
私はまた、その神様が今、私たち人類に願っておられることが何であるかを、あまりにもはっきりと見ました。最も重要な事実は、その全知全能であられる神様が私の父であるということです。神様は人類の父であられます。
ですから、神様が人類を御覧になる心情は、親の心情です。人間社会でも、最も熱く切実で無条件の愛が、親の愛ではないでしょうか。
神様の本性は真の愛です。その神様の真の愛を見習い、すべての人間が親の愛によって世の中を見つめ、真の愛を実践することを願っておられるのです。そのような真の愛の実践によってのみ、永生が確保されるのです。真の愛は、与えても忘れる愛です。
神様は天地を創造し、人間を創造されるとき、一〇〇パーセント投入し、また投入したことを完全にお忘れになりました。なぜでしょうか。人間においても、愛する相手や自分の子女が自分よりも優れていることを誰もが願うように、神様も、そのように投入し、また投入しても忘れてしまうのです。
皆様。これまでの人間の歴史は、兄弟時代の歴史でした。兄弟はけんかをするのが普通です。ですから、兄弟時代は闘争の時代であり、戦争の時代でした。人類歴史は、兄弟げんかから闘争の歴史が始まりました。人間始祖アダムとエバの子であるカインとアベルがけんかをし、結局、兄が弟アベルの命を奪うことによって人類の罪悪歴史が出発したのです。
第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして思想的な第三次世界大戦に至るまで、これらのすべての歴史は、兄弟国家間の争いでした。しかし、第一次、第二次、第三次世界大戦が終わった今日、神様の摂理歴史は、新しい次元へと突入しました。
今や兄弟の歴史時代は終わり、父母の歴史時代が到来しました。父母の時代は真の愛の時代です。神様が私たちを父母の心情で御覧になり、愛されるように、私たちも父母の心情で人類を見つめ、愛する時代です。
ここには涙があったとしても闘いはあり得ません。真の愛の中に、闘争の概念はありません。私が宣布した「神主義」は、すなわち「真の父母主義」であり、「真の父母主義」は、すなわち「真の愛主義」なのです。
新しい言論の使命
私は昨年の十一月三十日、不倶戴天の怨讐である共産主義国、北朝鮮を訪問しました。生涯を反共と勝共のために生きてきた私が北朝鮮に行ったという知らせは、全世界を驚愕させました。しかし、私は金日成主席の温かい歓迎を受けました。
そして、私は彼と熱い抱擁を交わしました。彼は私のことを怨讐視し、命を奪おうとしていた人であり、三年もの間、監獄に閉じ込めた人でした。私はその怨讐を抱擁したのです。私の胸中に彼が怨讐であるという思いがあったとしたら、どうしてこのようなことが可能だったでしょうか。
私は、父母の心情で北朝鮮の地を訪ねていきました。そして、父母の心情で金日成主席を抱擁しました。私は真の愛を実践するために行ったのです。そこには闘争の概念はなく、憐憫の情があるだけでした。与えては与え、さらに与えても足りないという、温かい父母の心情だけがあったのです。
皆様。私が宣布した「神主義」、すなわち「真の父母思想」は、二十一世紀をリードする真の平和の真理であることをここに明言します。この「神主義」と「頭翼思想」によって、二十一世紀の平和世界を建設することができるのです。その核心は、父母の心情であり真の愛です。二十一世紀は真の父母の時代であり、すべての人が霊的、心情的に成熟して、真の父母になる時代です。
世界の言論人の皆様。私は過去に、自由言論と責任言論を強調してきました。自由言論のない所には自由言論を与え、自由言論がある所では責任言論を実践しようというのが、私が「世界言論人会議」を始めた理由です。
私は最近、新しい言論の使命を設定しました。それは、道徳言論という新しい使命です。したがって私は「ワシントン•タイムズ」に、今後十年間の目標として「道徳社会の具現に貢献する言論となりなさい」という命題を与えました。そして、「世界平和に寄与する新聞」、その世界平和は理想家庭をつくり出すことによって初めて可能になるので、「家庭の倫理を育む新聞になりなさい」ということです。
平和世界具現の重要な使命をもつ言論
言論は、立法、司法、行政に次ぐ、第四の権力と言われるほど、社会に強大な影響力と権力を行使しています。その強大な言論の権力は、善のために使われるべきであり、世界平和のために寄与する権力になるべきであると信じています。
言論人である皆様も、専門職の人間である前に、本来は神の子です。皆様は、神様が願われる道義世界、真の平和の世界に特別に召命を受けた平和のチャンピオンであられます。このような言論人の自由討論の広場として、究極的な道義世界の具現を目標とした「世界言論人会議」が存在するのです。
世界言論界の指導者の皆様。全世界と人類が、神様の摂理の中を、究極の真の平和世界に向かって進むこのときにおいて、言論は、神様の召命を受けた平和世界具現の重要な使命があることを悟らなければなりません。
言論は、平和を熱望する他のすべての人々と連合し、地球村時代に人類大家族の理想を具現するために強大な影響力を行使して、真の平和、道義世界実現の主役となり、勇敢に、そして大胆に前進しなければなりません。これからの数日間、より意義深い討議と研究を通して、より根本的な言論の使命を考えてくださることを願います。
最後に、皆様の携わるお仕事と皆様の御家庭に、神様の祝福が満ちることを祈りながら、創始者の演説とさせていただきます。ありがとうございました。

Friday Jun 10, 2022
平和経 第231話
Friday Jun 10, 2022
Friday Jun 10, 2022
24.二十一世紀における言論人の使命
日付:一九九二年八月二十二日
場所:韓国、ソウル、ヒルトン•ホテル
行事:第十二回「世界言論人会議」
敬愛するマッカーサー議長、尊敬する貴賓、そして言論界の重鎮の皆様。私は、皆様が第十二回「世界言論人会議」に参加するために私の祖国である大韓民国を訪ねてくださり、深い感謝の意を表する次第です。
世界平和建設のための様々な活動
今年の第十二回「世界言論人会議」は、例年とは異なり、「世界文化体育大典」という非常に大きな枠組みの中の一環として行われています。「世界文化体育大典」は、私が生涯をかけて成し遂げてきた、すべての事業と業績を一カ所に集め、神様のみ前にまとめて捧げる一大祝祭期間として設定され、開催されています。
ここには、十九年の歴史をもつ「科学の統一に関する国際会議」に参加するために来た学者たちの集まりがあり、宗派と教派を超越した世界の著名な宗教指導者たちの集まりである「世界宗教議会」があり、元大統領や国家元首、そして首相を網羅し、世界の著名な政治家たちの集まりである「世界平和のための頂上会議」があります。さらには、世界の著名な女性指導者たちは、私の妻が総裁を務めている「世界平和女性連合」のシンポジウムに集まり、世界の若者たちは、「世界大学生大会」の旗印のもとに体育大典を開き、二十一世紀の指尊者を目指す熱気あふれる討論も行われる予定です。
私が、一生を通じて渾身の努力を尽くしてきたすべての事業の究極的な目的は、世界平和の建設にあります。
一九九一年に「世界平和連合」と「世界平和宗教連合」を創設したのも、そのためです。
私は世界平和の核心を家庭に置き、これまで「理想家庭を通した世界平和」を唱えてきました。このような平和理念の具現として、三日後の八月二十五日には、空前絶後で地上最大の国際合同祝福結婚式が挙行される予定です。百三十数ヵ国から集まった善男善女が、国境と人種を超越し、創造主である神様の真の愛の中で一つとなって理想家庭を実現し、それによって世界平和の働き手になろうというこの莊厳な儀式は、真の未来世界の平和の働き手の創造を意味するのです。
皆様は言論人なので、このような地上最大のイベントを目撃することを望まれると思い、世界の言論界の重鎮である皆様を、貴賓としてその場にお招きしました。これは、皆様に報道記事の特ダネを提供するわけですから、実際は、皆様が私に大きな代価を払ってしかるべき、歴史的な空前絶後の出来事です。
しかし、皆様は、この行事を単なる地上最大のショーとして見るのではなく、真の意味での世界平和軍団の創設として御覧になり、心からお祝いしてくださることと思います。これからは、言論界と言論人全体が、先にお伝えした世界平和の大構想の中で和合し、渾然一体となって、私たちの念願である世界平和の理想を実現していかなければなりません。
皆様。私は去る五月にアメリカのワシントンで、私が創設した「ワシントン•タイムズ」創刊十周年を記念する晩餐会で講演をしました。私が一九八二年に「ワシントン•タイムズ」の創刊を発表したとき、アメリカの朝野では嘲笑の声が上がりました。ある専門家は、「レバレンド•ムーンがまともに新聞を発刊すれば、『ワシントン•タイムズ』は資金不足で六ヵ月ももたないだろう。あるいは、統一教会の宣伝紙に転落し、読者なき週刊誌のようになるのが落ちだろう」と予想しました。
しかし、十年が過ぎた今日、「ワシントン•タイムズ」は、名実共にアメリカの千七百五十の日刊紙の中で、最も影響力を行使する三大日刊紙の一つに数えられるようになり、アメリカ大統領が朝、目を覚ますと読む新聞となり、去る八月十三日には、アメリカのジョージ•ブッシュ大統領が、今この会議に出席中の「ワシントン•タイムズ」のウェズリー•ブルーデン編集局長との単独インタビューに応じ、「ワシントン•タイムズ」に特筆大書したことがあります。これは、ブッシュ大統領が初めて応じた日刊紙の単独インタビューでした。
「ワシントン•タイムズ」は、新聞のデザインにおいて毎年優秀賞を受け、去る一九八九年には、審査員十二人の満場一致で決定された最優秀賞を受けるに至り、論説面においても二年連続で論説部門最優秀賞を受けました。これは、アメリカ言論界の歴史にかつてなかったことです。
共産主義の終焉に決定的な役割を果たす
皆様。私はこのような「ワシントン•タイムズ」をつくるために、これまでの十年間、約十億ドルを投入しました。もし私が、政治的影響力や宗教的宣伝、個人的な富の追求が目的であるなら、そのように投入することはなかったでしょう。
私が「ワシントン•タイムズ」をつくつた理由は、一言で言えば、神様のみ旨を成し遂げるためでした。私は、神様がアメリカを愛しておられることを知っています。そして、アメリカは、伝統的ユダヤ教とキリスト教の本山であり、キリスト教精神の揺りかごです。ですから、神様は、このアメリカが全世界を救い出す中心的役割を担うことを願われ、薄れていく神様中心の伝統的価値観を守っていくことを望んでおられるのです。
その上、冷戦時代の絶頂にあって、神様はアメリカを先頭に立たせ、共産主義の世界制覇を防ごうとされました。このような神様のみ旨を中心として見た場合に、何よりも重要なことは、哲学と理念のある新聞として、アメリカ国民と特別にアメリカの政治指導者たちを正しく教え導くことにほかなりません。
私は、アメリカの首都ワシントンDCを、リベラルで容共的な新聞である「ワシントン•ポスト」の奴隷として放って置くことはできませんでした。十年が過ぎた今日、結果はどのようになったでしょうか。共産圏はついに、一九八九年十一月九日、ベルリンの壁の崩壊とともに、その崩れる音が聞こえたかと思いきや、一九九一年十二月二十五日のクリスマスを期して、七十四年の間、世界を恐怖のるつぼに追い込んだ、無神論に立脚した共産主義帝国が地上から完全に消滅してしまいました。
そして、私は「ワシントン•タイムズ」が、このすべてのことをやり遂げたとは言いません。これは神様の摂理歴史の中で、なければならない必然的な結果です。しかし、神様も、地上のことは人間を通してなされるのです。私は、「ワシントン•タイムズ」が共産主義の終焉をもたらす決定的な役割を果たしたと堂々と主張することに対しては、いささかの疑いもありません。
神様は、「ワシントン•タイムズ」を道具としてお使いになり、歴史上一度もなかった共産主義という独裁勢力に終止符を打ち、数千万の市民たちに自由を抱かせることに決定的な役割を担わせたのですから、十億ドルどころか、百億ドルを使ったとしても、これ以上に価値ある投資がどこにあるでしょうか。しかし、そうかと言って「ワシントン・タイムズ」の使命が終わったわけではありません。
共産主義の崩壊が自動的に平和世界をもたらすわけではないからです。神様の願う理想世界も自然と実現されるわけではありません。今日、自由世界は、勝利の祝杯を挙げるには、あまりにも緊迫した問題が心胆を寒からしめています。

Friday Jun 10, 2022
平和経 第230話
Friday Jun 10, 2022
Friday Jun 10, 2022
私がアメリカの衰退を案じて、「アメリカ自由連合」を設立するようにしたのも、ダンベリーの監獄でのことでした。「アメリカ自由連合」は、全国的な組織網を通し、一般国民を対象に、より良い社会を建設するための教育をしています。私は最近「アメリカ奉仕連合」を発足させました。この組織は、神様の真の愛でキリスト教を覚醒し、再結合させる運動をしています。
この国が私のことを拒否し続けても、私は引き続き、アメリカが摂理的な責任を負っていることを諭すために、最善の努力をしてきました。神様が人間を救うための作戦は、まず打たれて奪われたのちに、奪われたものを利子までつけて、ゆっくりと取り戻してくるというものです。
一方、悪は、先に打って、最初は勝利を主張しますが、最後にはすべてを失ってしまいます。皆様も御存じのように、第一次、第二次世界大戦と冷戦期間にも、先に打った国家は、結局敗北しました。イエス様の生涯は、このような原則を最もよく示してくれる事例です。
イエス様は、激しい迫害を受けて悲惨な状況で亡くなりましたが、結局は数十億もの人類がイエス様に従って神様のもとへと戻ってきています。義なる人が迫害に耐えるようになれば、信念を守るための彼の努力は、迫害者の良心に尊敬と称賛の種を植えるようになるのです。この種は成長したのちに、多くの世代の心を変化させます。このような心情の静かな革命が、天の秘密兵器なのです。私は正に真実な世界平和の道を開拓するために努力しながら、言葉では言い表すことのできない苦難を経てきました。
私が「ワシントン•タイムズ」を設立したとき、協力はおろか、私の意図を理解してくれる人は、ほとんどいませんでした。しかし、私はこれが神様の勝利の戦略であるということを知っていたので、事を進めました。私は「ワシントン•タイムズ」が、私と私の統一運動を犠牲にしたとしても、アメリカと世界を救う道具となることを予見したのです。
神様と人間の愛は、垂直の一直線である軸を形成します。一方、アダムとエバ一組の愛は、横に走る水平な軸を形成します。したがって人類は、神様、そしてアダムとエバという二つの父母の愛と生命と血統を相続するために、神様を垂直的父母とし、アダムとエバを水平的父母として侍らなければなりません。ところで、垂直的自我である心と水平的自我である体は、真の愛で一体となります。この地点において、人類は神様の永遠の対象となるのです。神様と人間は、父と息子のように、真の愛の中で一つにならなければなりません。
人間の心と体も、神様の心と体のように真の愛で統一されなければなりません。しかし、堕落によって、人類は、サタンの愛と生命と血統を受けるようになりました。それで、私たちの心は神側に立っていますが、私たちの体はサタンの支配を受けているのです。私たちの心と体は、その内部の矛盾と絶えず闘っているのです。
今やアメリカが目を覚ますとき
このような状況を克服することが私たちの一生の課業です。神様はこのことを御存じであられ、私たちを修理する工場のような宗教を立てられたのです。宗教は、心が体に対する自然な支配権を取り戻す方法を教えてくれます。断食と犠牲、他人に対する奉仕など、いつも修道者の苦行が、すべての宗教の修行の必須要件になるのは、正にこのためです。
聖書には、アダムとエバが善悪の実を食べたことによって堕落したことが記述されています。しかし、その果実を食べたのち、アダムとエバはどのようにしましたか。アダムとエバは、口や手を隠さず、下半身を隠しました。それは、アダムとエバが、神様を中心とするのではなく、サタンを中心として自分たちの家庭をつくつたことを意味します。悪の種はそのときに蒔かれ、邪悪な血統の根源となって代を継ぎ、繁殖するようになったのです。
人間の先祖は、彼らが神様の愛の中で完成する前の若い頃に、神様から遠ざかって堕落しました。これが、今日までも世界各地の若者がアダムとエバの場合と同様に、愛の道義を破って淫らな性行為を続ける原因となったのです。これは、歴史的にも、淫らで非道徳な文明が滅亡する原因として、常に作用してきました。歴史的に見るとき、ソドムとゴモラ、そしてローマまでも淫乱ゆえに滅亡しました。もしアメリカがそのような道をたどるならば、アメリカもまた、滅亡することになるでしょう。
アメリカは今や、目覚めなければなりません。この先十年間、私たちの課業は、実により一層困難になるでしょう。私たちは、単に共産主義との戦いが終わったからといって、緊張を緩めるわけにはいきません。最も先進化され、文明化された国々、例えばアメリカやヨーロッパ、そしてアジアの主要国家で、どのようなことが起きているか、見回してみてください。
地球村を襲っている淫乱の波を、誰が防ぐことができるのでしょうか。世の中は享楽的な生活を重視し、ますます肉体的な欲求を刺激する生活ばかりを追求しています。麻薬との戦争は、完全に、そしてはっきりと失敗に終わりました。麻薬は、その流通を増し続けて、氾濫しています。これは、心の求めている道ではありません。体が追い求めているものです。また、これは死に至る道となります。誰かが立ち上がって、このような堕落した環境から人類を救い、彼らを救いの道へと導かなければなりません。
紳士淑女の皆様。皆様は、メシヤが誰なのか御存じでしょうか。メシヤは人類の真の父母として来られます。真の父母は、偽りの父母から始まった偽りの根を絶やし、すべての人が真の愛の中で暮らす、自由な天国を建設するようになるのです。真の父母は、このような重大な責務を帯びて来られる方です。
私たちが、神様の真の愛の起源を見つけ、自分の心と体が一つに統一され、心から人のために生きたいと思うようになるとき、永遠に変わることのない平和の世界が訪れるでしょう。それは、私たち皆が願う栄光の日となるのです。
何週間か前に、ロサンゼルスで発生した人種暴動は、単に警察力をより多く動員したり、法を強化したり、あるいは資金をさらに投入したり、政治的交渉をしたりすることでは解決できない問題です。地上に神様の真の愛、すなわち他のために生き、犠牲になる愛がなければ、このような問題を根本的に解決することはできないのです。
真の愛の革命を通した世界平和
私たちに必要なのは、道徳的な革命です。私はこれを「真の愛の革命」と呼んでいます。そして、このような革命は、どこにおいても必要とされています。私と私の妻は現在、韓国でこのような仕事をするための組織をつくっています。
尊敬する指導者の皆様。他のために与え、犠牲になることが、皆様を真の家庭、真の社会、真の国家の指導者にする唯一の道であることを悟るように願います。皆様の家庭と社会、そして国家が、皆様に従って、ために生き、犠牲になる真の愛の大原則を実践するようになれば、皆様は世界平和実現の闘士となるのです。
皆様も御存じのように、私は昨年の十一月に北朝鮮を訪問しました。そのことは世界を驚かせました。私は一生を通して共産主義に反対する立場を取ってきたので、北朝鮮を訪問することは不可能なことのように思われました。私は以前、一九八五年に、共産主義とソ連の崩壊を予言し、宣言した人です。
北朝鮮訪問は、私と妻にとって、生命の危険を顧みない旅でした。私は、自分の国を愛する心で、そして母国の統一を渇望しつつ、北朝鮮を訪問しました。私は金日成主席と会い、意義深い意見を交わしました。
見解の差はあったとしても、対話というものは、いつも有益なものです。しかし、孤立はいつも危険を伴います。金主席は、核問題について、アメリカが満足できるように収拾すると私に約束しました。この問題に対する真相が明らかになる瞬間が、遠からず訪れるでしょう。全体的に見るとき、私の北朝鮮訪問は、アジアと世界の緊張緩和に大きく寄与したと確信しています。
私は、無神論の北朝鮮で、神様と真の愛について説破しました。真の愛は、国家的統一と恒久的な平和のための基本原理であり、精神だからです。ビリー•グラハム牧師が、共産主義国家で初めて説教したことに対し、常に自負心をもっていることを知っています。しかし、今回私は北朝鮮で、それよりも一段階前に進みました。
「ワシントン・タイムズ」とその姉妹紙は、きょう、アメリカと神様に対して奉仕する新たな十年に向かって出発します。しかし、私たちの前には実に、より大きな挑戦が立ちはだかったいます。このあらゆる挑戦を克服するために、皆様すべてが闘士にならなければなりません。この先十年間、道徳的なアメリカと道徳的な世界、そして私たちの子女たちのために、より良い世の中をつくりましょう。皆様は、私の支援を十分に期待していただいて結構です。
紳士淑女の皆様。「ワシントン•タイムズ」は、皆様の新聞です。私たちは共に、この有力な新聞をさらに影響力のある新聞へとつくりあげることができるでしょう。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に共にあることをお祈りいたします。ありかとうございました。