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Wednesday May 11, 2022
平和経 第209話
Wednesday May 11, 2022
Wednesday May 11, 2022
統一主義は新しい文化革命の基礎
日付:一九八三年十一月二十五日
場所:アメリカ、シカゴ、シカゴ•マリオット•ホテル
行事:第十二回「科学の統一に関する国際会議」
尊敬する議長、議長団ならびに著名な教授各位と紳士淑女の皆様が、第十二回「科学の統一に関する国際会議」に参加するためにシカゴにお越しくださったことに対し、深く感謝の意を表します。
第一回「科学の統一に関する国際会議」以来、本会議は大きく発展してきました。「科学の統一に関する国際会議」の成果は、皆様が、周囲の激しい圧力や迫害をものともせずに成し遂げた、相互協力と献身的な努力の賜物です。皆様の業績とは、全世界で誰も凌駕することのできない会議を「科学の統一に関する国際会議」で創造したことです。私は、皆様のこのような努力と寄与に対し、深い感謝を捧げると同時に、皆様が成し遂げた成果に対してお祝い申し上げる次第です。
新文化革命は絶対価値に根拠をおくべき
今や世界は、科学と技術の驚くべき発達に伴う急激な変化を体験しています。したがって、社会の既存の価値は根本から揺らいでおり、あらゆる分野で混乱と葛藤を引き起こしています。このような傾向は、次第に高まる無神論的唯物論の影響力によって加速化されてきました。簡潔に言えば、多くの難題が今日の世界を脅かしており、いまだにこのような問題に対する真の解決策を見いだせずにいるのです。
民主主義や共産主義も、社会悪を清算する方法を提示できずにいることは明らかです。根本的に、民主主義と共産主義は、人類共通の問題を解決しようという欲望から発展しましたが、民主主義は、このような課業に成功できなかっただけでなく、共産主義の破壊活動に対し、それを克服することも、阻止することもできないということが明らかになりました。
共産主義は、人類に一層大きな問題を引き起こしました。したがって、世界は苦境に陥るようになり、民主主義と共産主義は、窮地に追い込まれた勝者のいない状況に陥るようになりました。これが、私たちが直面している現実であり、人類の将来は暗鬱で予測不可能に見えるのです。
それでは、民主主義と共産主義は、なぜ解決策になり得ないのでしょうか。二つの思想を注意深く分析してみると、この二つは、いずれも究極的な意味における真理の核をもっていないのです。民主主義は、政治制度の根幹として貢献しているかもしれませんが、それは決して明確で包括的な世界観ではありません。共産主義は、包括的で体系的な世界観をもってはいますが、それは偽りの仮定と歪曲された事実に根拠を置いています。
したがって、新しい真理に立脚した運動として、第三の代案が必要です。その代案は、真理と絶対価値に立脚した、完璧で体系的な世界観である「統一思想」、「統一運動」です。新しい文化革命が起きています。私は、すべての学者と専門家の皆様が、この新しい文化の創造に参加してくださることを願う次第です。
民主主義と共産主義の欠点を知るならば、新文化革命は、絶対価値にのみ根拠を置いてこそ可能であると結論を下すことができます。このような絶対価値は、現状の変化に立脚した相対的な価値であってはいけません。むしろ、このような価値は、不変の世界の原因と結果、神様と人間と宇宙の根本的な関係に立脚した、普遍的で究極的な価値でなければなりません。
私たちは、このような第三の世界観の発展と現世の問題解決を目的として、「科学の統一に関する国際会議」を始めました。十二年前に「科学の統一に関する国際会議」を創設するとき、私は絶対価値を中心テーマとして立てました。絶対価値をテーマとしたのは、変わることのない普遍的価値は、創造世界の本質的な基礎であると考えたからです。
「科学の統一に関する国際会議」以外にも、全人類が夢見て願ってきた理想社会を建設する、その準備として、様々な会議やプロジェクトを私は創設しました。私が生涯にわたって追求してきた統一運動の目的は、新しい体系的な世界観に立脚した新文化革命を創造することです。私たちの運動は百三十ヵ国以上に拡張され、私たちの指導理念である「統一思想」が新しい真理体系として、多数の有識者たちに認められてきています。
一般的に民主世界では、「統一思想」に対して開放的であり、その潜在力に多大な関心を寄せています。一方、共産世界は統一運動に絶えず敵対し、民主主義体制を、私たちを破壊する道具として利用してきました。共産主義の指導者たちは、私たちを目の敵にし、レバレンド•ムーンに関係するすべてのプロジェクトに反対してきました。
「科学の統一に関する国際会議」の組織も例外ではありません。共産主義者たちは、レバレンド•ムーンがこの会議を創設し、常にこの会議を最も重要視していることを知っています。これが正に「科学の統一に関する国際会議」が始まって以来、受けてきた非難と迫害の重要な原因です。
統一運動に対する共産主義の反対活動
共産主義は、自由世界を衰えさせるために、あらゆる策略と暴力に明け暮れています。私が統一運動に対する彼らの反対活動を知っているように、皆様も、御自身の国における共産主義者の虚偽宣伝と破壊行為をよく御存じのはずです。
私たちはこれ以上、この問題を看過することはできません。したがって私は、すべての自由世界と統一運動に対する共産主義者たちの攻撃の実際に関して、皆様に明らかにお話しできる機会として、今回のこの席を選びました。私は、皆様御自身と学問の自由の保護、そしてすべての自由世界の守護のために、このような事実を知る必要があると思います。
統一運動の世界的な発展に伴って、共産主義をはじめとした多くの敵対勢力の迫害があり、様々な所で妨害を受けました。私たちの活動が社会にとっては有益なものであるにもかかわらず、反対を受けるのはなぜか、その理由が理解できません。そこで、反対のその実質的な根源を明らかにするために調査しました。
きょう私は、統一運動が成功し、非常によく知られている日本で明らかになった事実をお話ししようと思います。私たちの運動だけでなく自由世界を破壊しようとする共産主義の画策が世界の随所で続いているだけに、この情報が、すべての国の国民にとって有益であると私は確信します。私が明らかにする、より詳しい暴露の内容は、まもなく本として出刊される予定であり、その本が皆様に広く読まれることを願う次第です。
日本もまた、アメリカのように国民の自由を誇りにしています。しかし、その自由のもとでKGB(ソ連国家保安委員会)と日本共産党が、私たちの運動に参加することを決意した人に対して逆宣伝し、自由を破壊していることを知っている人はごく少数です。彼らは、甚だしきは裁判所の協力を受けたこともありました。
私たちのこのような調査によって、共産主義者たちが私と統一運動を破壊しようとする陰謀を計画し、うそや事実の歪曲、流言飛語を組織的に吹聴してきたことが、結論として明らかになりました。共産主義者たちは、統一運動を妨害するために、偽りの情報を組織的に流布し、大衆動員を起こして統一戦線を結成し、対立と葛藤、闘争を引き起こしているのです。共産主義者たちは、常にすべての反対者を除去するために、このような状況を助長しています。
日本共産党は、統一運動を彼らの第一の敵とみなしており、統一運動に対する闘争は、日本の資本主義やアメリカの帝国主義に対する闘争よりも急を要するものであると公式的に宣言しています。
日本共産党が一九七八年六月五日から七日にかけて開催した全国指導者会議で、宮本顕治議長は、統一運動を破壊することは「後世の歴史に記録される『聖なる戦い』」であると発表しました。さらに彼は、この歴史的課業を成就するために民主派人士たちに、団結して、すべての努力を傾注することを促しました。日本の共産主義者たちは、数百の団体を動員して私たちに反対してきました。
私は、人類と神様の究極的理想である地上天国を実現するために統一運動を創設しました。私たちの運動は、すべての人間の努力を傾注して宗教を復興させ、人間を教育する運動です。私たちのような霊的な運動が、異なった関心事や方向を宣言する既成勢力から反対を受けるのは、歴史的に避けられないことでした。
宗教運動はみな、その始まりから激しい迫害と敵意を呼び起こしました。このような困難を克服した運動だけが、未来の世代のための主流思想と指導力になることができたのです。ユダヤ教やキリスト教、さらには民主主義と共産主義さえも、このような典型的な例でした。
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Wednesday May 11, 2022
平和経 第208話
Wednesday May 11, 2022
Wednesday May 11, 2022
絶対者に対する本体論の欠如
このうちで最も重要なのは、本体論の欠如です。本体論というのは、絶対者に関する理論のことを言います。宗教ごとに、その教理が成立する根拠としての絶対者がいます。ユダヤ教の絶対者はヤハウェであり、キリスト教の絶対者は神様であり、イスラームの絶対者はアッラーです。儒教や仏教は絶対者を明示していませんが、儒教の徳目の根本である「仁」は天命と連結するので、「天」が儒教の絶対者と見ることができ、仏教では、諸法は常に変化しており、真理は諸法の背後にある「真如」から見いだすことができるとしているので、「真如」が仏教の絶対者と見ることができるのです。
ところが、そのような絶対者に関する説明が、非常に曖昧です。絶対者の属性はどのようなものであり、なぜ創造し、創造の動機は何であり、どのような方法によって創造し、いったい神様(絶対者)は実際に存在するのか、などに関する解明が、宗教ごとに明確になっていません。したがって、各宗教の徳目が成立する根拠が明確でないので、今日の宗教の説得力が弱まっているのです。
すべての宗教の教えである徳目、すなわち実践要目がきちんと守られるためには、その宗教の本体である絶対者の属性と創造の目的、その絶対者の実在性などが十分に明らかにされなければなりません。中世時代、または近世以前までは、人間の頭がそれほど分析的、論理的でなかったので、「あなたの隣人をあなたの体のように愛しなさい」、「王に忠誠を尽くし、親に孝行しなさい」と言えば、無条件にその教えが正しいと思って従順に従いましたが、科学が発達した今日においては、人間の精神がとても分析的になり、論理的になっているので、いくら宗教指導者が「このようにしなさい」と教えても、「なぜそうしなければならないのか|とその理由をしつこく尋ねてきます。したがって、その疑問に答えてあげなければ、その教えは説得力を失ってしまうのです。
宗教の教えに対する疑問には、様々なものがあります。「果たして神様はいるのか」、「神様は、全知全能であり、遍在され、至善、至美、愛であり、審判の主であり、人類の父などと表現されるが、それをどのように知ることができるのか」、「じっとしていてもよい神様が、なぜ宇宙を創造したのか」、「神様の創造の目的は何か」、「創造には方法があるはずだが、その方法とは何か」、「絶対善である神様が創造した世界になぜ弱肉強食の現象が展開しているのか」、「人間が堕落して罪の世界になったというが、完全な神様が創造した人間がなぜ堕落したのか」などの疑問です。このような疑問に対して合理的な答えが与えられない限り、今日の有識者たちは、宗教を受け入れようとしないのです。したがって、キリスト教の愛の徳目、儒教の家庭倫理の規範、仏教の修行の実践要目、イスラームのコーランの要目は、捨てられたものになってしまうのであり、時には有識者が反宗教的な行動までも起こすようになるのです。
歴史的にキリスト教の世界であるヨーロッパの土壌に、近世以後、唯物論と無神論が発生し、今日、全世界を席巻(せっけん)しているのは、その根本原因が実にこの本体論の曖昧性にあるのです。その最も顕著な例が、マルクス、レーニン、スターリン、ニーチェなどが、キリスト教の家庭に生まれていながらも、無神論者、反キリスト教者になったという事実です。
さらに嘆かわしいことは、人間の闘争を仲裁し、人間の精神を先導すべき宗教が、今日、時として紛争を起こすことによって、宗教の威信と権威をより一層失墜させているという事実です。ユダヤ教とイスラームが闘い、旧教と新教が闘い、キリスト教と仏教が闘い、甚だしくは同じ宗教の教派間で闘っています。
このような宗教紛争の根本原因も、やはり本体論の曖昧性にあります。絶対者はただ一つであり、二つや三つあるということはあり得ないにもかかわらず、各宗教の指導者たちは、「自らの絶対者だけが正しい神であり、その他の神は真の神ではない」と思っているので、結局、宗教ごとに絶対者がいることになり、絶対者が複数になるという背理が成立してしまうのです。
これを言い換えれば、すべての宗教の神様は、相対的な神様にすぎないという結論になり、各宗教を通して立てられることになっていた絶対的価値観、すなわち神様の愛と真理に関する理論は、相対的なものにとどまってしまったことを知ることができます。すなわち、今までの宗教は、混乱を収拾する絶対的価値観を立てることができないという結論になるのです。それは、すべての宗教が、絶対者に関する正確な解明ができなかったことから生じる必然的な結果だと言わざるを得ません。
このような状況下において、絶対的価値観を確立しようとすれば、文字どおり、唯一絶対の神様に対する、正確で正しい解明をしてくれる本体論をもつ新しい宗教の出現が、必然的に要求されるという論理が成立します。
従来の様々な宗教は、神様が立てた宗教なので、それらの宗教を通して絶対的価値が実現されてきたと見なすことはできますが、今日、宗教紛争が起きていることから見て、各宗教の神様は絶対神になり得ず、絶対的価値観が従来の宗教を通しては立てることができないことを確認できます。したがって、絶対的価値観の確立のためには、新しい宗教が出現せざるを得ないという結論が成立するのです。
新しい宗教と新しい本体論
新しい宗教のための新しい本体論は、従来の各宗教において絶対者とされていたものが、各々別個の神様ではなく、同じ一つの神様であるということを明らかにしなければなりません。それと同時に、その神様の属性の別な部分をそれぞれ把握したのが各宗教の神観だったことと、その神様の全貌を正しく把握して、すべての宗教は唯一の神から立てられた兄弟的宗教であるということを明らかにしなければなりません。それだけでなく、その本体論は、神様の属性と共に創造の動機と創造の目的とその法則を明らかにし、その目的と法則が宇宙の万物の運動を支配していることと、人間の守るべき規範も、この宇宙の法則、すなわち天道と一致することを解明しなければならないのです。
日月星辰の創造の法則、すなわち天道によって縦的秩序の体系が形成されているのと同じように、家庭においても、祖父母、父母、子女によって形成される縦的秩序と兄弟姉妹によって形成される横的秩序の体系が立てられると同時に、相応する価値観、すなわち規範が成立していることを明らかにしなければなりません。さらにこの本体論は、その理論展開が自然科学的知識とも矛盾してはならず、人間の良心の判断によっても納得できなければなりません。
そして、さらに歴史の中で「天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」という命題が適用されてきたことが証明されなければなりません。そのような本体論によって立てられる価値観こそが、真の美の絶対的価値観であり、このような価値観の確立とその絶対価値(絶対真、絶対善、絶対美)を理解し、実践することによって、人類の精神改革が成し遂げられると同時に、世界の混乱は次第に消えていくでしょう。
新しい本体論によって、神様に関するすべてのことが解明され、すべての宗教の神様が、結局、唯一の絶対神として、すべて同じ一つの神であることが明らかにされれば、すべての宗教は、各自の看板をそのまま維持しながらも、実質的な宗教の統一が成し遂げられ、神様の創造理想である地上天国の実現に向けて共同歩調を取るようになるでしょう。そして、すべての宗教の教理における不備な点、未解決な点が新しい本体論によって補完され、実質的な教理の一致化までも実現されるでしょう。かくしてすべての宗教は、神様が宗教を立てられた目的を完全に達成するようになるのです。
以上のように、今日の世界的な大混乱を収拾することができる絶対的価値観に関するもろもろの問題点を解決するために、新しい宗教として登場したのが統一教会であり、その内容は、広範で、理論的で、有識者までも洗脳すると言われている、かの有名な「統一原理」と「統一思想」なのです。今回の会議に参加された皆様の絶対価値に対する、たゆまぬ努力と研究がより深まることを願い、神様の加護が共にあることを祈ってやみません。ありがとうございました。

Monday May 09, 2022
平和経 第207話
Monday May 09, 2022
Monday May 09, 2022
8.絶対的価値観
日付:一九八二年十一月二十五日
場所:アメリカ、フィラデルフィア、フランクリン・プラザ•ホテル
行事:第十一回「科学の統一に関する国際会議」
私たちは今、歴史的な都市フィラデルフィアにおいて、第十一回「科学の統一に関する国際会議」を開いています。大会に責任をもつ高名な議長、および議長団と世界各国から参加された教授、および紳士淑女の皆様が、この大会を輝かしいものにしてくださったこと対して、私は深く感謝を表する次第です。
大混乱の世界と絶対真理
今日の世界を一言で表現すれば、大混乱の世界だと言うことができます。洋の東西を問わず、世界の南北を区別することなく、国家の先進後進の区別なく、社会はすべて矛盾と不条理、不正と腐敗などによって病んでいます。世界の随所で紛争、衝突、反乱、戦争などが絶える日がなく、先進国は、豊かな物質生活を楽しんでいますが、第三世界、特にアフリカでは、数多くの人々が飢餓に苦しんでおり、餓死する群れが続出しています。
このような世界的な混乱の様相が、より一層悪化し、より一層加速化されるならば、人類が滅亡の危機から抜け出すことは難しいのです。このような世界的な混乱の直接的な原因は、果たして何でしょうか。その原因は、様々に分析できるかもしれませんが、最も根本的な原因は、価値観の相克にあると見なければなりません。何が美なのか、何が真であり、何が善であるかということに対する見解が、一人一人異なり、国家ごとに異なり、人種ごとに異なり、また思想ごとに異なるので、このような混乱が起こると思うのです。
ある行為を、Aは善だと考え、Bは悪だと考えるならば、Aはその行為を何としても実践しようとし、Bはその行為に最後まで反対するでしょう。このようなときに、対立や不和が生じ、ついには衝突までも生じてしまうのは必然的なことです。このように、今日の混乱は、価値観の衝突、価値観の相違に起因すると考えざるを得ません。
それでは、そのような価値観の相違は、どこに起因しているのでしょうか。それは第一に、利己主義に起因しています。極めて少数の例を除いては、個人は個人なりに利己主義にとらわれており、国家は国家なりに、人種は人種なりに利己主義を追求しています。
第二に、思想の違いに起因しています。世界には様々な種類の思想があり、それぞれ多くの追従者の心を捕らえ、特に共産主義と民主主義は、相反する価値観をもって人類を大きく分けています。
したがって、人類を滅亡の窮地から救い出す道は、第一に、利己主義の清算にあり、第二に、思想的相違の解消にあると言わざるを得ないのです。利己主義を清算しようとすれば、まず人間が自己中心主義に陥るようになった経緯を知らなければならず、思想的相違を解消しようとすれば、人間になぜ思想的相違が生じるようになったのかを理解しなければなりません。
人間が自己中心になり、各々異なる思想をもつようになった遠因は、堕落して神様を失うことによって、神様の愛を喪失し、神様のみ言を失ってしまったからです。神様の愛は、価値の根本です。したがって、神様の愛は、絶対価値の基台であり、絶対価値はすべての徳目の根本、すなわち統一価値なのです。
そして、神様のみ言は、すべての真理の根本であり、絶対真理です。また統一的な真理です。人間は、堕落して神様を失うことにより、絶対価値と絶対真理を喪失し、統一価値と統一真理を失ってしまいました。絶対価値と絶対真理から絶対的価値観が立てられます。「観」とは観点であり、見解であり、理論です。したがって、今日の世界的混乱を収拾する方案は、絶対的価値観を確立することだと言わざるを得ないのです。
神様は、愛と真理を人間たちに伝えて人間を救済しようと宗教を立てました。時と地域によって様々な宗教を立てました。例えば、約二千四百年前にインドに仏教を立て、中国に儒教などを立て、二千年前には、ユダヤにキリスト教を立てました。したがって、絶対的価値観は、神様を信奉する宗教を通して初めて立てることができるという論理が成立するのです。すなわち、宗教を基盤としない人の思想や哲学によっては、今日の混乱を収拾できる方案を立てることは難しいのです。言い換えれば、人類を混乱から救い出すのは、ただ神様を中心とした宗教によってのみ可能なのです。
歴史を顧みるとき、儒教、仏教、キリスト教、イスラームなどは、各々一定の時代と一定の地域で社会的不安と混乱を一掃し、平和と安全の基台の上に輝かしい文化を花咲かせました。例を挙げてみましょう。中国の漢朝における儒教文化がそうであり、ヨーロッパの中世におけるキリスト教文化がそうであり、古代インドのアショカ王時代の仏教文化がそうだったのです。また中東におけるイスラム文明(サラセン文明)もその顕著な例の一つです。
しかし、残念ながら、今日に至って、あらゆる宗教が、混乱を収拾する機能と人間精神を指導する能力を喪失してしまいました。今日の宗教は、ますますその生命を失っていきつつあり、信仰はますます形式化されつつあります。人類は既に、宗教から関心が次第に遠ざかりつつあり、本来、烈火のように燃え上がるべき信仰の姿勢は、少数の例を除いてはますます消えていきつつあります。これは、実に重大な事態であると言わざるを得ません。
なぜなら、人類の精神を先導しなければならない宗教が、その機能を完全に喪失した場合、世界は無法天地と化し、人類はあらゆる暴力と乱行と殺戮の海の中に落ちてしまうからです。実際に、今日そのような現象が起き始め、共産主義の策略によってそれが加速化しています。これを一言で、宗教的価値観の崩壊現象と表現することができます。
それでは、その崩壊の原因は何でしょうか。それは第一に、科学技術の発達と経済成長などによって、人間の精神が物質主義へと流れているからであり、第二に、共産主義をはじめとした各種の無神論と唯物論思想が急速かつ広範に蔓延していっているからであり、第三に、政教分離の名のもとに、国家の教育政策において、宗教を教科目から排除することにより、幼い頃から無神論思想を注入するという結果をつくり出しているからであり、第四に、共産主義者が赤化工作のために、残っている価値観さえも意図的に破壊する戦略を取っているからであり、第五に、宗教的価値観を理論的に守護すべき確固たる本体論が欠如しているからです。

Sunday May 08, 2022
平和経 第206話
Sunday May 08, 2022
Sunday May 08, 2022
絶対的価値である神様の愛
歴史的に、上流層と下流層の人を一体化させるためには、上流層の人々は下流層に同化させ、下流層の人々は上流層へと引き上げなければなりません。そうするためには、絶対的価値の中心点が必要です。それが神様の愛なのです。
神様の愛とは何でしょうか。それは最上級の人とも共有でき、最下級の人とも共有できるものです。神様の愛は一方的なものではありません。神様の愛は、球形で回転作用をする力です。最上から最下に至るまで自由に移動することができます。それがどこに現れても、すべての所で全体から歓迎されます。そして、いつでもどこでも同化します。
また、神様の愛は、いつでもどこでも絶対的な価値をもっています。私たちが神様の愛の中にいれば、幸福で、すべてが満たされ、保障されます。最下の所にいても最上の人を愛することができ、最上の立場にありながらも最下の立場にある人を愛することができます。このように極めて自由なのです。
このような神様の愛の中にいる人は、世界のどこへ行っても大歓迎を受けるでしょう。これが、統一教会の会員たちが世界中のどこに行っても、人々が心から喜んでついてくる理由なのです。
統一教会は、救いを神様の愛に求めてきました。そして、統一教会が掲げた新しい理念が、共産主義や資本主義よりもはるかに優れたものであるということを知り、神様の愛によって地上天国が実現されるなら、万民はこれを喜んで受け入れるでしょう。
今日の世界情勢を理解するためには、神様のみ旨のある韓国の事情を理解しなければなりません。なぜなら、韓国それ自体の中に、世界のすべてが縮小されて存在しているからです。例を挙げれば、韓国は、現在の世界における主要思潮である民主主義と共産主義をはじめとして、キリスト教と仏教、儒教、イスラームなどの四大宗教がすべて存在し、高い水準を形成しています。東西文化の接点であると同時に、四大強国の政治勢力がこの地を中心としてぶつかり合っています。すべてが韓国自体の中に象徴的に存在しているのです。韓国は、必然的にそれらをみな融合させようとする神様の摂理的運命を担っているのです。
結論的に、韓国は、統一運動を中心とした、次の四つの大きな課題を克服しなければなりません。第一に、超教派超宗派運動による宗教の統一、第二に、勝共運動を通した唯物共産主義の克服による思想的統一、第三に、東西文化を融合した新しい生活様式による文化の統一、第四に、新しい理念による経済の統一です。
そして、私たちの統一運動は、絶対価値である神様の愛で万民を親兄弟以上に愛することによって、統一世界を形成し、地上天国を実現するでしょう。そうして、神様と人類が願う新しい世界の創造が完成されるのです。神様の愛においてのみ、真の勝利があり、真の平和と真の幸福が永遠にあるのです。
韓国を中心としたアジアの将来
先に列挙した四つの点において、韓国は、統一運動によってすべてを統一する能力があります。そのうち、最初の三つの点においては、既に成し遂げられつつあると言うことができます。しかし、最後の経済問題に関しては、今、成し遂げようと努力しているところです。韓国は今、経済が急速に発展しています。しかし、いまだに世界的な先進水準に到達したとは言えません。
それでは、どのようにすれば、これを成し遂げることができるのでしょうか。これを成し遂げることが、私たちの統一運動の使命です。この目的のために、私は高度に発達したドイツの機械技術と韓国の産業との提携を図っているのです。霊的には既に統一運動は、日本とアメリカを連結することに成功しました。アメリカとヨーロツパは文化的に既に連結されています。
今まで神様はこのような摂理を成就するために、第二次世界大戦後、ドイツと日本を経済的に復興させました。特に日本は、今日、世界的な経済大国になりました。ドイツさえも、日本の経済的成功に脅威を感じています。ドイツがこれを防御するためには、韓国と手を結び、品質の良い物を廉価で生産して日本に販売する道と、第三世界圏を同位利益圏に参加させる道以外には希望がありません。そのようにして、日本を参加させれば、世界的な経済統一の道が新たに開かれるようになるでしょう。
現実的に世界に共産主義勢力の侵略政策が存在する限り、世界平和の到来はあり得ず、また経済的統一も不可能です。もし韓国とアメリカ、ドイツ、日本、そして中国が一体となれば、世界的にソ連の侵略に対抗することができます。現在、中国は共産国家ですが、自国の近代化のために日本やアメリカ、ドイツに対して友好関係を維持することを望んでいます。歴史的に見て、中国はソ連に接近することを願わないでしょう。
アメリカは、ソ連に対抗するために軍備の強化を急いでいます。日本、ドイツ、中国とも手を握ろうとしていますが、日本は過去の事情や国内の事情により、軍備増強に意欲的ではありません。
一方、韓国は現在、国家的立場から見ると軍備増強に極めて意欲的です。アメリカとしては、韓国を軸にしようとする考えもありますが、韓国だけではあまりにも小さいので、韓国と中国を合わせて対ソ防衛の軸とすることを考えるでしょう。しかし、中国は、自国の重工業の発展を願ってはいても、その基盤が貧弱なので、今後も相当な期間を必要とするでしょう。
また中国としては、ドイツなどの進歩した産業技術を導入しようとしても、地理的にあまりにも距離が遠く、文化の差も相当に大きいので、それは非常に無理があることです。しかし、ここで中国にとっては良い選択肢があるのですが、それは中国東北部に居留する三百万の朝鮮族を起用することです。
そのような面で韓国とドイツの技術を大幅に活用できるので、統一教会は韓国とドイツを連結しようとするのです。韓国の同胞たちは、中国と日本とアメリカを連結しています。韓国は、過去の歴史的経緯を見ても、他国を侵略した例がないので、中国としては無理なく提携していこうとするはずです。日本は軍備を強化することは願わないとしても、武器を作る技術と能力はもっているので、中国で生産することができるのです。
ここで私たちは一つの結論に到達します。もし韓国が統一教会と共に一つの役割を担当するとしたら、日本とドイツ、そしてアメリカの技術を中国に移転して対ソ防衛を強化し、第三世界圏に最高の技術を連結させて、平和世界へと進み出るでしょう。
これらの国々が韓国を仲介として相互連結することが、様々な面で有益であるということを理解するでしょう。このようにして、アジア三国の経済的連合が形成されると同時に、アメリカとドイツも同時に連結されるので、ソ連共産主義の脅威を防止するだけではなく、勝利の道が築かれるものと見ています。韓国も、そのような意味で東西文明の新基地となり、太平洋文明の中心地として登場しつつあるのです。
私の提案
以上のような内容の結論として、私から一つ提案したいことがあります。それは中国から韓国を通り、日本に至るアジア圏大平和高速道路を建設し、全世界に通じる自由圏大平和高速道路を建設することです。中国大陸から韓半島を縦断して、トンネルか鉄橋で日本列島に連結し、日本を縦断する自由が保障される国際平和高速道路圏のことをいうのです。
もしこれが建設されるならば、アジア三国は文字どおり、平和高速道路で連結され、一体化することができます。そのようになれば、経済や文化交流が頻繁になり、文字どおりアジア文明共同体が形成されるでしょう。中国もこれに賛成し、韓国はもちろん、日本も言うまでもなく賛成するでしょう。アメリカとドイツも自然に加担するようになるのです。
このように、私たちが提唱する理念によってこの案が成就すれば、アジア各国の国民は、お互いに自由に往来できるようになり、その結果、北朝鮮は軍事力による侵略の野望をあきらめて、平和的統合の道を選択せざるを得なくなるでしょう。こうしてアジア人の結束を固め、黄色人種を中心とした上下層を連結するようになるのです。
そして、このような理想を具体化するために、私たちを中心として、日本とアメリカと中国に居住する韓国同胞を結束させ、技術圏を形成するのです。そうすれば、日本とアメリカの方向も自動的に一致し、全世界的に自由が保障された新経済基盤の上に平和高速道路圏を発展させるのです。このようにして歴史的宿願だった上層圏と下層圏を一つにする理想が果たされ、アジアの自由高速道路が完成することによって、黄色人種の大移動が実現されるのです。
私たちはアジアを起点として、絶対価値である神様の愛を中心に、現実的統一経済圏を実現して、東西新文明を結合し、新しい世界の平和を具現しようというのです。このように西洋文明が東洋文明と結合し、新しい太平洋文明を迎えようとする、そのような文明の移動期において記念するに値する、韓国で開かれる「科学の統一に関する国際会議」に参加された百数ヵ国の著名人の皆様の洞察と理解と具体的な協力があることを希望してやみません。ありがとうございました。

Sunday May 08, 2022
平和経 第205話
Sunday May 08, 2022
Sunday May 08, 2022
7.絶対価値と新しい世界の創造
日付:一九八一年十一月十日
場所:韓国、ソウル、世宗文化会館
行事:第十回「科学の統一に関する国際会議」
尊敬する議長、議長団ならびに著名な教授各位と紳士淑女の皆様が、第十回「科学の統一に関する国際会議」に参加するために韓国にお越しくださり、深く感謝の意を表します。
韓国は私の故国でもあります。皆様は、韓国動乱の時に参戦した十六ヵ国の軍人たちの犠牲に思いを馳せられるでしょう。また、韓国は南北に分断された哀れな国ですが、大きな意味のある国でもあります。韓国とアジアを知り、研究してくださることを願ってやみません。これから私がお話しする内容は、政治的というよりは、高次元的な宗教的内容の話として理解してくださることと思います。
人類社会における上下階層間の統一
今日の人類社会には、多様な対立闘争が存在します。人種や民族、あるいは社会において、上下の階層間の対立がありますが、その中でも最も深刻な問題は、貧富の差による上下間の対立です。
白人を中心とした北半球において、アメリカとヨーロッパの先進諸国の人口は概して八億ほどと推定され、世界的に見ると上流層に属しています。それに比べ、中国やインドなど、アジア諸国には三十億の人口が住んでおり、中間の位置を占めています。ここに、五億のアフリカ、中南米、オセアニアなどの黒人を中心とした勢力が、経済的に最も貧困な下流層を形成しています。このような経済的貧富の差は、今日の世界における最も深刻な問題であり、いわゆる「南北問題」として国連などでも常に取り上げられている問題です。
このような問題の解決に対して最も可能性のある道は、欧米の白人社会とアフリカの黒人との中間に位置するアジア人を中心として、上下層を融合することです。二十世紀の今日において、あらゆる重要な問題は、世界的な規模で解決されなければなりません。そのような観点から見るとき、上流層の人々にいかにして自らの意志で進んで下に降りてくるようにさせるかが問題になります。
それだけではなく、有史以来人類は、この上下層間の格差を解消する方向へと歩んできたのは、紛れもない事実です。このような潮流の中で最も代表的な例が共産主義です。共産主義思想は、人類社会における階級間の搾取をなくし、階級のない社会を建設しようとするものです。しかし、共産主義の最大の問題点は、無神論であるということであり、神様を否定した土台の上にそのような理想世界を建設しようとしたところに問題があります。また、共産主義は一部の独裁者の私意によって、すべてを行おうとしたところに問題があるのです。
このような諸問題を克服し、新しい解決の道を探すためには、私たちが今まで固守してきた人本主義を離れ、神本主義による新しい思想、すなわち新しい中心核が必要になります。上下を中心核に一致させる中心的機能が必要です。それがすなわち宗教です。個人や一家庭の救援よりも世界救援を目指している宗教は、本来このような使命を成就しなければなりません。このような上中下の各層を結集するためには、その中心核的使命を果たす宗教が必要になります。
それでは、統一教会とは一体いかなる宗教でしょうか。正にこのような歴史的な使命を果たす運命をもっているのが宗教なのです。この目的のために私は開拓の道を歩んできました。世界の多くの人々が私に会おうとするのは、実に歴史的に見て避けられないことなのです。
韓半島の文明的位置
私たちの住む地球は、陸地と海洋とに分かれています。その中でも半島は、地理学的に見ると大陸と海洋を連結する中間的位置にあります。したがって、古くから半島は、文明の形成において常に注目に値する場所となってきました。古代文明が繁栄したギリシャやローマも半島であり、イベリア半島にあるスペインとポルトガルの文明も半島で発達しました。しかし、このような文明は、今日、世界へと拡大し、新しい東西文明が出現しなければなりません。アジアの韓半島は、正にこの文明の出現地なのです。
世界文明の方向は、世界を一周しながら発達していきます。すなわち、エジプトの大陸文明、ローマとギリシャの半島文明、イギリスの島嶼文明、アメリカの大陸文明へと発達し、そして文明は西進して太平洋を渡り、日本の島嶼文明へ、ついには韓半島文明として結集するためにアジアに連結されているのです。ここで結束した文化は高次元的な文化として新世界を創造するでしょう。
島国の日本は、アジアで初めて西洋文明を定着させました。次は半島文明時代です。韓半島は、東洋と西洋の文明が一致する場所です。歴史学者シュペングラーが指摘していますが、文明は、一年に春夏秋冬があるのと同じように、興亡を繰り返してきました。今は、大西洋文明時代が過ぎ去り、太平洋文明の時代が訪れるときです。
韓国の地政学的現状を見ても、アメリカ、日本、中国、ソ連という四大強国の中央に位置しています。アメリカはソ連に対抗するために多大な努力を傾注しています。そのソ連が、ヨーロッパではドイツを東西に分割して半分を占拠し、またアジアにおいては韓半島を南北に分けてその半分を支配圏に置いています。
ところが、その四ヵ国の勢力が対立しているのは、ヨーロッパではなく、韓半島を中心としたアジアです。ですから、アメリカは、より大きな大陸であるアジアに関心をもたざるを得ない立場にあります。このような情勢から見ても、韓国はすべての面で東西南北間の宿命的対決を解決すべき、そのような基本的役割を果たす国であると思います。
ここで現実的な可能性を見ることにしましょう。韓国人は正義感が強く宗教的で、極めて有能であり、多方面に能力を発揮します。一つのことで行き詰まれば、直ちに大胆かつ勇敢に他の所へと方向転換できる適応能力があります。これは韓国人の優れた特徽であると十分に見ることができるでしょう。
私はこのような韓国民族の中で生まれ、統一教会はこのような背景で発展してきました。私たちはこのような歴史的結実として、黄色人種を中心として上下階層の人々を融合、一体化させる世界的な使命を果たすべきであると思っています。統一教会はこのような目的を果たして余りある宗教的な内容を具備しています。この目的のために、私は世界の至る所で、あらゆる部門において最善を尽くす決意をもっています。

Sunday May 08, 2022
平和経 第204話
Sunday May 08, 2022
Sunday May 08, 2022
6.絶対価値と人類平和のための模索
日付:一九八〇年十一月二十七日
場所:アメリカ、マイアミ、フォンテンブロー・ヒルトン•ホテル
行事:第九回「科学の統一に関する国際会議」
尊敬する議長、著名な科学者、学者各位、ならびに紳士淑女の皆様。第九回「科学の統一に関する国際会議」に参加してくださった皆様を、心より歓迎する次第です。本大会はこれまで、科学と絶対価値に関して真摯な討議と研究を重ね、大きな成果を上げてきました。また、それだけではなく、私はこの会議が人類の切実な願いである平和の模索にも、多大に寄与したと考えております。
今回の会議のテーマは「絶対価値と人類平和のための模索」です。このテーマに関して、「いかにすれば世界平和は達成されるのか」ということに対する私の見解を表明したいと思います。
人類平和を渇望する今日の世界
皆様も既に御存じのように、今日の世界は、ますます混沌とした状態に陥りつつあり、これに比例して、人類は日増しに平和をより一層渇望しています。それならば、平和はどのようにして達成されるのでしょうか。
今日の世界は、秩序が破壊された状態にあります。したがって、平和を成し遂げるということは、破壊された秩序の回復を意味します。秩序を回復するためには、主体と対象が自らの位置を知らなければならず、相互に統一された関係を確立しなければなりません。
平和は、世界的段階に限って求められるものではなく、国家や社会、または家庭の段階においても願われています。さらには、個人においても心と体の平和を渇望しています。このような平和に対する様々な段階のうちで、最初に成し遂げられなければならないものはどれでしょうか。先に世界平和が成し遂げられるならば、その基盤の上に国家、社会、家庭、そして最終的には個人の平和も成し遂げられるだろうと考えがちです。しかし、これは誤った見解です。
それは、実際に平和を成し遂げるために必要な順序とは反対です。ですから、先に個人的な平和が実現されなければなりません。その次に、家庭の平和が成し遂げられ、そのような基盤の上に、社会と国家、そして世界といった、それぞれの平和を期待することができるのです。これは個人が家庭の基本単位であり、家庭は社会と国家の基本単位だからです。
多くの指導者たちは、優れた組織と立派な思想を通して、社会秩序と世界平和を回復することができると信じています。しかし、現実において、ただ単にこのような二つの手段だけでは、人類平和は絶対に実現されません。
国連のような国際機構と共産主義や民主主義などのような思想体系は、それぞれ独自の方法で世界平和を実現するために努力してきました。しかし、平和はまだはるか遠く、世界は時間がたつにつれ、ますます混乱状態に陥っていくのです。
絶対愛で一つになってこそ真の平和が実現
平和に対する追求が個人の平和から出発しなければ、それは再び失敗せざるを得ません。それでは、個人の平和はいかにして成し遂げられるのでしょうか。
それは、個人が絶対愛を所有し、それを実践することによって成し遂げられるのです。なぜなら、愛はすべての統一の前提条件だからです。統一は愛の基盤の上で成し遂げられ、平和は統一の基台の上でのみ達成されるのです。
愛には、相対的な愛と絶対的な愛があります。相対的な愛というのは、時と場所によって変わりますが、絶対的な愛は、変わることのない永遠の愛です。相対的な愛は、自己中心的なので、利害関係によって変わりますが、絶対的な愛は常に人のために生き、全体に奉仕する不変の愛です。このような愛こそが、正に神様の愛に違いありません。
相対的な愛によっては、統一は決して成し遂げられません。ただ絶対愛によってのみ、統一は可能なのです。個人は、絶対愛によって心と体が一つになるとき、そこで平穏、喜悦、満足、生き甲斐などを体恤するようになります。そのような個人においてのみ、平和の基準が確立されるのです。
一つの家庭において、父母と子女、夫と妻、兄弟姉妹などが各自の位置で絶対愛を実践するとき、その家庭の統一は成し遂げられるのです。そのようになるとき、その家庭には幸福と調和、そして何よりもまず平和が満ちあふれるでしょう。
したがって、このような平和の家庭が集まって形成される社会もまた、平和の社会になるのです。家庭と家庭が互いに調和して助け合うようになれば、その社会は明るく平和な社会になることは疑う余地がありません。なぜなら、秩序が確立され、統一が成し遂げられるからです。同様に、このような平和の社会が集まって統一された国家は、間違いなく平和の国家となるのです。
神様の愛が基盤となった世界平和
国家というものは、様々な社会の単なる集合によってのみ形成されてはいけません。国家は、愛の個人と愛の家庭を基盤として成立した有機的な構成体でなければなりません。そこで完全な秩序と統一が成し遂げられなければならず、それでこそ国家において真の平和が実現されるようになるのです。
言い換えれば、国家が平和を実現し、維持するためには、神様の愛を必ず必要とするという意味です。いくら国家の基礎になる家庭が絶対愛の中にあったとしても、有機体としての国家は、国家的な水準で絶対愛を実践することができなければなりません。そして、内的には、政府と国民が統一体を形成しなければならず、外的には、隣国と絶対愛で一つになることによって国家間に真の平和が立てられるようになるのです。
言うまでもなく、世界平和は、すべての国の平和が成し遂げられるとき、初めてそれを基盤として成就することができるのです。各国が、貿易や交流の面で自国の利益を優先する国家的利己主義を清算し、絶対愛で他国と世界に奉仕する国家となるとき、そして各国がそのような国際的な風土を恒久的にもち続けるとき、人類の永遠の平和が保障されるのです。
世界平和は美、真、善の絶対価値の実践から
以上のことから、世界の平和は、個人の平和に始まり、家庭の平和を経て、社会、国家の平和へと拡大した結果、樹立されるということが、はっきりと分かります。このような観点から、私は絶対愛と絶対価値についてお話ししようと思います。美、真、善などの価値は、愛を土台として形成されます。例えば、愛の実践は善として評価されます。すなわち愛が実践されるとき、善として現れるようになっています。したがって神様の愛である絶対愛を実践するとき、そこに絶対善が現れるようになるのは自明なことです。
そして、平和のために絶対愛を実践する個人の行為は善です。同様に、平和のために愛を実践する家庭の行為もやはり善となります。社会や国家、世界においても同じです。言い換えれば、個人、家庭、社会、国家を問わず、真の平和を樹立するためには、絶対価値、すなわち絶対美、絶対真、絶対善を実現しなければならないのです。特に絶対的な善の実践が切実に求められます。そのようになれば、秩序を乱し、破壊する、いかなる悪の要素も介入することができないからです。ところが、美、真、善などの精神的価値は愛を土台として成立するので、絶対愛、すなわち神様の愛を知らなければ、絶対的な美、真、善は実現されません。
このような絶対価値が実現されない所に、真の平和は存在することができません。したがって、人類の真の平和のためには絶対愛が実践されなければなりません。ところが、絶対愛が実践されるためには、まず絶対愛に対する理解がなければならないのです。
私は先ほど、絶対愛は利他的で、全体に奉仕する愛であり、永遠不変であると言いました。それでは、なぜ絶対愛は利他的であり、不変なのか、また、なぜ平和は、ただ愛を通してのみ成し遂げられるのか、という疑問が解決されなければなりません。
真の平和のためには絶対者を正しく理解しなければならない
このような疑問を完全に解くためには、絶対者がどのような方であり、その方が宇宙と人間を創造した動機と目的が何かということが明らかにされなければなりません。創造の動機と目的は、愛の実践、平和の樹立において不可欠な標準となるからです。概して、いかなる計画も、それが実践されるためには必ず一定の目的が先に立てられます。目的を立てない行為は無意味なものです。
人間が絶対者によって創造され、絶対者の愛を実践するようにつくられたとすれば、人間の創造に動機と目的があったことは明らかです。その動機と目的を明らかにするためには、絶対者がどのような方かという問題、すなわち正しい神観がまず立てられなければなりません。
このように正しい神観が立てられることによって、絶対者の創造の動機と目的が明らかにされるのであり、それによって平和のために絶対愛を実践しなければならないその理由も明白になるのです。そのように見るとき、人類の真の平和のためには、絶対者を正しく理解することによって、その方の愛を実践できるようになり、最終的にはその方の絶対価値を実現できるようにならなければならないという結論に至るのです。これが、私が皆様にお話ししようとする結論です。
最後に、皆様がぜひ、今回の会議を通して輝かしい業績を上げられ、人類平和の探求に大きく寄与されることを衷心より願いながら、私の話を終えたいと思います。ありがとうございました。

Sunday May 08, 2022
平和経 第203話
Sunday May 08, 2022
Sunday May 08, 2022
5.科学の限界と神様
日付:一九七九年十一月二十三日
場所:アメリカ、ロサンゼルス、センチュリープラザ•ホテル
行事:第八回「科学の統一に関する国際会議」
親愛なる議長、ならびに参席者の皆様。この度、第八回「科学の統一に関する国際会議」に参加してくださったことを感謝申し上げます。皆様が参加してくださることで、この会議の重要性が年々高まりつつあることを、本会議の創始者として光栄に思います。
今回のテーマである「絶対価値の追求における学術的責任」に関連した「科学の限界と神様」について、いくつかの意見を述べたいと思います。近来の科学の発達に伴い、人類は大きな期待をもち、科学技術の進歩を通して、霊的、物質的困難から抜け出せるものと信じてきました。
人類に貢献することを本来の使命として自覚してきた科学者たちは、究極的な科学的真理を追求すると同時に、科学技術が人間の生活におけるすべての面で応用できるように努力してきました。その結果として私たちが得たものは、目覚ましい経済的発展、物質的豊かさ、そしてそれ以前には見いだすことのできなかった肉体的平安でした。
しかし、このような功績にもかかわらず、今日の科学技術は大きな欠点をもっており、公害、資源の枯渇、非人間化、核兵器の蓄積といった問題をもたらしています。すなわち、人類の幸福を目的として始まった科学は、その成功とともに恐怖と不安感までももたらすようになったのです。その理由は何でしょうか。それは、科学的中立性を固守するあまり、目的や価値に関して考慮しなかったからです。
私がここでお話ししようと思うのは、人間は、その起源から価値をもっているということです。人間は神様の創造物です。そして、人間は創造目的に一致した明確な価値観をもって生きるように創造されました。本来、非常に大きな価値を所有してきた創造物であるにもかかわらず、人間はその価値観を無視して科学の万能性を信じ、それを万能薬としています。その結果、科学技術は次第に損害を増大させる原因となっているのです。
科学は、人間生活において単なる手段であって、目的にはなり得ません。人生の目的は、神様の創造目的を実現するところにあります。人間は霊と肉の結合体です。したがって人間は肉的な生命を土台として、価値ある人生、すなわち愛と真、善、美の生活をするようになっています。便宜的に言えば、科学技術は、霊的生活に適合した肉的生活に必要なものです。
ですから、価値ある生活を強調しなかったり、無視したりする科学は、かえって価値観の破壊をもたらし、今日のような恐怖と不安の現実を招くのです。真の価値観を追求し、発見することによってのみ、この不安な現実の中から人間を救うことができるのです。したがって科学は、絶対価値に基づくこの価値観に一致しなければなりません。
それでは、この絶対価値はどこで発見することができるのでしょうか。私の考えでは、絶対価値は神様の愛の中でのみ見いだすことができ、神様の愛による真理と善と美こそが、正しく絶対価値なのです。結論的に、科学技術の悪用による被害から人間を解放するためには、科学自体が神様を認識し、神様の愛と同じ方向に沿ってその技術を応用しなければなりません。
次に、自然界の真理を追求するためには、科学だけでは限界があるということについてお話ししたいと思います。二十世紀に入り、科学はついに哲学の領域に入って真理を追求するようになりました。東洋と西洋の古代哲学がそうだったように、科学は宇宙の起源に関する問題を扱わずにはいられなくなったのです。
特に物理学と生物学は、これまで長い間議論されてきたにもかかわらず、いまだに解決点を見いだすことができずにいる本体論の問題に直面しています。実際に量子物理学や分子生物学における一部の実験は、このような本体論的問題を探求するために行われました。
すなわち、物理学は科学的な実験を通して、物質の本質が何であるかという疑問をもって、本体論を研究してきました。最初の回答は原子であり、二番目の回答は素粒子でした。結局、量子力学の回答は、物質の素粒子をエネルギー自体に結びつけるものでした。同様に、生物学では生命の本質とは何かという本体論的問題を扱った結果、生命の秘密はDNAの特性にあるという回答を得ました。
このようにして、宇宙の真理を追求する中で自然科学は多くの事実を発見し、驚くべき知識の数々を集めています。しかし、これらも人間が提起する問題を究極的に解決するにはほど遠いと思います。
量子物理学は、物質の土台がエネルギーであることを確信していますが、私たちはいまだにエネルギーの根源を知り得ず、それ以前の存在段階が何かも分からずにいます。また、エネルギーがなぜ、どのようにして、それ以前の段階から存在の段階へと移行するのかも分かっていません。なぜ多様な分子が存在するようになったのか、なぜ分子は陽イオンと陰イオンという独特な形態をもっているのか、などという問題は、いまだに明白になっていません。
分子生物学は、生命の本質がDNA情報に含まれていると主張していますが、そこにも重大な問題が残っています。すなわち、DNA情報を構成する四つの構成単位は、どのようにして、その情報を得るようになったのか、などの問題です。
科学が真理を追究する中で、驚くべき発展を遂げたにもかかわらず、このように、いまだに科学自体に多くの問題が解かれずに残っているという事実は、何を意味しているのでしょうか。これらの残された科学的問題は、今日、自然科学の領域の外にあるものと考えるしかありません。
今日までの科学は、真理を追究するに当たって、特定の現象に対する直接的原因を研究してきましたが、存在の全体的動機や理由に対する探求を扱ったことはありません。したがって、科学が直面した最後の挑戦は、存在の究極的理由に対する問題です。物質の本質とは何かという問題において、いまだに探求されていないのが「存在の理由」です。生命の本質とは何かという問題において、生命の存在理由それ自体が探求されていません。
私が提起しようとする内容をさらに明確にすれば、まず目的性を認めなくてはならず、その目的性を認める前にその目的をつくり出した意志、すなわち万物を超越する宇宙的意志を認識しなければならないということです。この宇宙的意志を「神様」と呼ぶとき、未解決の問題を明確にする第一段階は、神様の創造目的を悟ることであり、第二段階は、物質と生命の現象において、物理学的、化学的要素とともに、各自を一定の目的へと向かわせる原因的動機の存在を感知することです。
以上の内容を整理すると、人間の幸福のために発展してきた科学は、今日、人間の生活に障害と被害までもたらしました。このような被害から抜け出す唯一の方法は、神様の愛を中心とする真の価値観のもとで科学を発展させるところにあるのです。より多くの科学者たちが、科学が限界に達したことを認めるようになれば、その限界を超越する鍵が、すべての物質および生命的現象の背後で、神様の創造目的に従って動く動機にあるということを、彼らは発見するようになるでしょう。
以上、私が申し上げた点が、今日、科学が直面している最も重要で切実な問題であると確信する次第です。著名な学者の皆様が今回のテーマに関して討議なさる際に、このような内容が参考になれば幸いです。
最後に、絶対真理に関する皆様の研究と真理の追究が成功することを願います。この会議の発表に現れる皆様の努力の結実が、世界平和に貢献することを確信する次第です。ありがとうございました。

Sunday May 08, 2022
平和経 第202話
Sunday May 08, 2022
Sunday May 08, 2022
病気と宇宙力の保護
この広大無辺な大宇宙は、主体と対象の共同目的体なので、それ自体を保護する宇宙力をもっており、同時に主体と対象が完全に一つとなった存在を保護し、育成します。その一方で、主体と対象が一つになれない存在や、一つになったものを侵害する存在があるときには、これを排斥する作用をするのです。
ですから、存在の永続性が可能なのです。このように助ける力を相応作用といい、反対の力を相克作用と言うことができます。あるいは作用、反作用とも言うことができます。
これは物質世界においても人間世界においても同じです。私たちの心と体が一つになっているときは、これを助ける宇宙力の保護を受けているので喜びを感じるようになりますが、心と体が一つにならないときは苦痛を感じて反発するようになります。
病気によって受ける苦痛も同じです。体内で主体的な要素と相対的な要素が調和統一されない場合、宇宙的な保護力を喪失する一方、その反作用によって苦痛を感じるのですが、それが大きな病苦となるのです。このとき、早く主体と対象が調和統一する道を開いてあげるためのものが、医者の診断による投薬です。これは個人でも家庭でも同じです。
結婚前は、男性は男性同士、女性は女性同士で一緒にいることを好んでいたとしても、結婚後には、夫婦となった二人の間に誰かが介入してくることを喜ばないのも同じ道理です。結婚後の家庭は、主体と対象が完全一体化して、宇宙的保護力に力を与えられて、幸福と満足を感じるようになるのですが、そこに第二の女性や第二の男性が介入してくると夫婦が一つになる力が破壊される恐れがあるので、反発作用を起こすようになるのです。
その反発作用というのは、必ずしも悪いというわけではなく、このような刺激によってその人もその夫婦のように、早く出ていって主体あるいは対象を迎え、一体を成し遂げることによって、宇宙力の保護を受けて永続するように促進する、そのような力になるのです。すなわち、完成を促進させる力になるのです。
すべての存在物は第一原因に似て繁殖する
電気作用も、主体であるプラスと対象であるマイナスが一つになれば、円満に作用しますが、プラスとプラス、マイナスとマイナスの間では反発するようになっています。いかなる存在であれ、このように主体と対象を探し求めて関係を形成すれば、同じ法則によって安定と喜びを感じるようになるのです。
以上のような論理により、ある主体と対象が授受作用によって一つになれば、宇宙的な保護圏に入っていくようになるのです。私たちが見る宇宙の中のいかなる作用も、第一原因的存在に由来する結果的作用なので、その中心となる原因的作用体としての存在があるということは当然の理論です。子女が父母に似るように、結果は原因に似るので、万物を見てその原因的存在を究明することができるのです。
すべての植物の種を見れば、その内部は相対的に二片になっていますが、それが完全一体となったまま一つの皮の中で胚子を通じて授受作用をすることによってのみ、生命を繁殖するのです。卵を見ても、黄身と白身の間に胚子があるのですが、一つの殻で包まれて一体になっているのです。人間の胎児も同じです。
すべての生物は、主体と対象が授受作用によって一体化すれば、人間なら人間、植物なら植物は、その原因に似て繁殖し、結局根本に還元するのです。これらすべてが究極の第一原因に似ているとすれば、その第一原因的存在も主体と対象が完全に一体化した基本形態をもっており、すべての存在に対して主体格の立場にあるという結論になります。
宇宙万物の段階的生成の目的
それでは、宇宙万物のこのような段階的生成の目的は何でしょうか。人間という存在のために形成され始めたと見るのです。すなわち人間は、すべての存在世界の実であり、縮小体であると同時に、モデルと言えるので、鉱物と植物、動物のあらゆる要素をすべて合わせもっている最も高次元の存在なのです。しかし、人間もあくまでも結果的存在なので、ある第一原因的存在があり、それに似て生じたという結論が成立するのです。
すなわち、人間を対象とする絶対主体的存在が必ずあるのですが、私たち人間が人格的存在であるならば、その主体も明らかに人格的存在に違いないのです。その第一原因的絶対者のことを、哲学では原存在と言い、宗教では神様と呼ぶのです。
今日、進化論や唯物弁証法、認識論、唯心論、唯物論などにより、世界の思想界は矛盾と混乱に陥っているので、これを再検討し、絶対真理を樹立してこそ絶対的価値の世界の形成が可能です。絶対価値的な存在は永遠、不変、唯一の存在です。それでは、宇宙の中で、永遠、不変、絶対の原理とは何でしょうか。それは原因と結果、主体と対象の関係であるという結論になります。
これを人間社会に適用すれば、親子関係と夫婦関係がその核心になるのですが、一つは縦的な主体と対象の関係であり、一つは横的な主体と対象の関係です。両者は次元の高い主体と対象の関係にありながら、縦的に合わさったものが新しい主体となり、横的に合わさったものが新しい対象となり、円満な授受作用を通して、渾然一体となって立体化し、調和した球形運動をするのです。
それが愛を中心とした力の作用であり、人間社会の基本単位である理想的家庭のモデルです。そのような意味で、愛を最も価値的なものと認めざるを得ません。
絶対価値の永遠の幸福が約束される世界
愛の究極的な根源は、私たち人間から始まったのではなく、絶対不変の原因的主体から始まったので、それを中心とした愛の家庭が、人間社会の理想を具現する基本単位となるのです。ここで初めて絶対価値の理想実現のための愛の家庭から、国家、世界へと拡大し、愛を完成した統一圏の世界、それこそ絶対価値の永遠の幸福が約束される理想世界が必ず訪れるのです。
私は今回の大会が、今日直面する人類社会の諸般の問題を解決して、今後の進路を正し、「絶対価値の探求」という共同目標を達成するために、学問が調和、協力することによって、人類の平和と幸福と愛を成し遂げた理想世界を建設することに大いに貢献することを願いながら、お話しいたしました。ありがとうございました。

Sunday May 08, 2022
平和経 第201話
Sunday May 08, 2022
Sunday May 08, 2022
4.科学の調和と絶対価値の探求
日付:一九七六年十一月二十七日
場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン•ホテル
行事:第五回「科学の統一に関する国際会議」
尊敬する議長、著名な科学者、そして教授、学者の皆様。きょう、このように第五回「科学の統一に関する国際会議」に参加された皆様を心より歓迎する次第です。特別にこの会議に引き続き参加してくださった皆様。誠にうれしく思います。
皆様は、多年にわたって絶対的な価値の問題を討議してこられましたが、今年も「絶対価値の探求」というテーマのもとに、きょう再びここにお集まりになりました。
人間と宇宙万象の存在の始原
絶対的な価値を究明しようとすれば、人間と宇宙万象の存在の始源を明らかにしなければなりません。宇宙の始まりが「有」からか、「無」からかということが問題になりますが、皆様も御存じのように、自然科学も、社会科学も、哲学や宗教も、無の世界から真理を探求するのではなく、有の世界からある原因的存在を探し出し、そこから始まって生成された人間を含む森羅万象の存在と運行の原理を見つけだそうというものです。結局、存在の内容を明らかにし、存在物の間を関係づけることによって、すべての存在の理由と価値を探し立てようということなのです。
物質形成に必要な最小単位を元素とすれば、それは有として規定されています。その元素形成の基本が無であるはずはなく、絶対に有から始まったという論理が成立するのです。現代科学は、物質の最小単位である原子までも、その根本となるある力によって存在すると見ていますが、その力もやはり有から生じたという結論に達するのです。
極小から拡大した大宇宙であり、原因から出発した結果だという観点から考えるとき、私たち人間も原因的な存在ではなく、あくまでも結果的な存在なので、その原因的な存在が必ずあるということが分かります。
無から有が発生したという一部の学者たちの非論理性を是正し、起源となる絶対有から小有、大有に生成、発展したという論理体系を立てるということは、すなわち、この上なく科学的な存在がまず存在し、それが万有の原因となり、その結果である小有から大有までを連結して有機的に作用するようになるということなのです。
このような点から見て、従来の進化論は再検討されなければなりません。進化しようとすれば、作用しなければならず、作用しようとすれば、力によってのみ可能なのですが、それならば、作用しながら、より大きい力を生み出すことができるのでしょうか。作用では力を消耗するだけであって、より大きい存在をつくり出す力が生じるということは絶対的に不可能なことです。力は作用すれば消耗するのが原則なのですが、それが退化するのではなく、逆に進化することが可能なのか、そしてより価値ある、高次元的なものへと発展する方向性をもてるのか、ということが問題です。
相応作用と相克作用による宇宙の発展
一見進化のように見えますが、宇宙万物の段階的生成過程において、ド•フリースの言う突然変異とい説明は決して成立しません。より価値のある発展的なものになろうとすれば、そこに第三の力が加えられずしては不可能なことです。今日、すべての動物が進化せず、人間で進化が停止したとすれば、結果的な存在である人間を生み出した第一原因的な存在の究極的目的が、明らかに人間だったということは否定できません。ここで私たちは、まず「第一原因的存在が先にあった」という論理を確立できるのです。
次は、この宇宙の中で、存在が先か、力が先かが問題になります。いかなる存在も、何らかの力なしでは、生存し、作用することができません。各存在の個体内で作用する力と存在と存在の間の作用を可能にする力があります。それでは、このような力はいかにして生じるかということが問題です。力が生じるためには、それに先立って、何らかの主体と対象がなければ絶対に生じることができません。
すなわち、主体と対象の関係が先有条件となって、力が生じるのです。例えば原子にも、主体である陽子と対象である電子があって、初めて作用するのです。力の作用は、主体と対象が一つになるための目的から始まるものなので、力が先か、主体と対象が先かと問う場合は、間違いなく主体と対象が先であって、力の作用は、主体と対象が一つになるための過程的現象なのです。
そして、この主体と対象との関係の差と軽重によって、力の作用がそれぞれ異なるので、様々な力が作用するたびに、その方向性と目的性が変わるようになっており、それによって多種多様な存在世界が形成されるのです。このように、いかなる主体と対象の間の力の作用にも、方向性と目的性を帯びて作用するようになっているのは、第一原因的存在の中で基本的な主体と対象が先に存在し、方向性と目的性を帯びて作用しているからなのです。
個体内で主体と対象が完全に一つとなった存在は、他の存在と関係を結ぶために、主体的立場、あるいは対象的立場を取り、それと一つになることによって、より大きな方向性と目的性を帯びた存在へと発展するのです。主体的存在と対象的存在が作用するところでは、常にある共同利益のためにやりとりしながらより大きな存在に発展するのです。

Sunday May 08, 2022
平和経 第200話
Sunday May 08, 2022
Sunday May 08, 2022
3.科学と絶対価値
日付:一九七四年十一月二十二日
場所:イギリス、ロンドン、ロイヤル•ランカスター・ホテル
行事:第三回「科学の統一に関する国際会議」
尊敬する議長、高名な科学者、著名な教授、ならびに学者の皆様。「国際文化財団」により発起された第三回「科学の統一に関する国際会議」に御参加された皆様を、心より歓迎する次第です。
過去二回の大会が、第一回は一九七二年十一月にアメリカのニューヨークで、第二回は一九七三年十一月に日本の東京で開催されたことは、皆様も御存じのことと思います。本大会の期間、自由で率直な意見交換が行われる雰囲気がつくられ、持続することを願い、そのような雰囲気づくりのために私は最善を尽くしてきました。また大会による豊富な成果に大いに満足し、その成果のために物心両面から協力してくださった関係者の方々に感謝の意を表す次第です。
科学の発達と人類の当面の課題
今日においては、ますます深刻な問題が発生し続けており、それらが人類の当面の課題として登場しています。このような挑戦的な問題に対する解決には、偏向的、あるいは局部的なアプローチよりも、全世界的なアプローチが求められます。ですから、本大会にお集まりになった多くの著名な学者の方々の英知と知識が実に求められ、渇望されているのです。
私も一科学者として、多大な関心をもって科学と技術の発達を注目しています。科学や技術、そしていわゆる科学的方法と呼ばれるものが、人類の生活に多大な影響を及ぼしてきたことを私は知っています。科学は、現象界を観察し、研究することで、肉体の感覚によって感知できる枠を越えて、現象界を拡大、拡張させてきました。
顕微鏡によってのみ見えるバクテリアの存在を私たちは知っています。人間の心など及びもつかないほど、天文学的なスピードで計算するコンピューターに導かれ、月の世界へ旅行した人もいる反面、それを日常的に可能なものにしようと語っている人もいます。
肉眼で見れば地球は平らに見えます。しかし、科学は私たちをして地球が丸いことを認めさせたのです。ダイヤモンドは固い固体のようですが、実際それは真空の空間を回転している散乱状態の原子群であることが分かるとき、驚かざるを得ません。より抽象的な次元になると、ある実体から拡大された実体への変化は、古典力学から量子力学への変化と決定論的方式から蓋然(がいぜん)的方式への変化とによって描写されるのですが、その二種類ともが、常識的に生きている人々を当惑させるのです。
科学の発達は私たちに途方もなく多くの知識を提供してはくれますが、私たちはいまだにその知識を自分のものとして受容できない無能さと、情報を体得し、その知識がより深く暗示するところを十分に理解できない苦痛を味わっているのです。この無能力は、不安と混乱と半信半疑の状態へと引っ張っていくのですが、それは確固たる思考の基盤と基準を喪失してしまったところに起因するものです。結局、私たちは、自分自身と科学の発達によって突然膨張した現実との間において、不均衡な状態に置かれていることを感じているのです。
超国家的世界観と協力の必要性
人間の限定された思考機能の不調和と不均衡に対する解答を、私たちが精神界で探し出す可能性を考えるとき、禅や瞑想、そしてその実践が東洋で長いこと行われ、また大切にされてきたことが、最近、西洋でも科学的研究の論争対象になっていることは決して偶然ではないと言えます。霊感に関する研究は、学問世界で学者の相当な関心を引いてきました。特に、いるかが人間と明らかにコミュニケーションがとれるという発見は、注目に値します。同じ分野で、植物が人間の愛と感情の状態によって反応することが実験で立証されてきました。このような発見は、動物や植物の世界が意識や理性的な面で欠けているという現在の私たちのもつ見解が、限定されたものかもしれないということを示唆するものです。
人間と別の被造物との間に調和の取れた共存の実現が可能であり、すべての存在の中心である人間が、本質的な調和と一致の中で全被造世界を回転させる回転軸として役立っていることを私たちはまた想像することもできます。他に注目に値する事項としては、教育者と医者の役割です。それらは途方もなく多くの量の情報を正確かつ速かに処理するコンピューターの能力によって、徹底して影響を受けると言っても過言ではないでしょう。素粒子と宇宙論に関する未来の研究が、空間と時間に対する私たちの観念を変化させるかもしれないと幾人かの科学者たちは示唆しています。
ローマクラブによって示されたある研究は、近い将来に公害、人口増加、天然資源の枯渇、そして急速な工業化によって悲惨な結果がもたらされることを告げています。最近繰り返される核実験のために、オゾンが減少していることが発見されています。皆様も御存じのように、大気圏におけるオゾンの存在は、地球上の生物の生存にとって絶対必要不可欠なものです。なぜなら、オゾン層がなくなる場合には、蛋白質の分子が破壊されるからです。このような諸問題に対する解決策は、科学者たちだけの努力や、ある特定の人やグループまたは国家の努力だけで見いだされるものではありません。先ほど言及したローマクラブの研究は、世界の資源と環境の限界を明確に指摘し、このような世界的な問題に対する妥当で完璧な解決のためには、全世界的なアプローチと協力という努力が絶対に必要であることを明白に提起しました。
このような問題は、世界のすべての民族間に献身的態度と協力を必要とし、いかなる社会や国家の利益をも超越した世界観を必要とするものです。そのような協力精神は、全人類が同じ家族の構成員であると自覚する時にのみ、成し遂げられるでしょう。そのようなイデオロギーに対する人間の革命的な変化は、長い間必要とされてきたのであり、またそれは人間の生存のために必要不可欠なことです。そして、世界のすべての国の教育制度において、競争に勝利した人だけが獲得できるという競争の長所と適者生存の論理が過度に強調されてきました。これは平和な共存の世界へと導くための健全な人間の努力を侵食する伝染病のようなものです。いずれにせよ、現在の有識者の間では、そのような競争の強調が変わりつつあり、生存のために協力が不可欠な要素であることを悟り始めているのです。このような見解に照らしてみるとき、教育の目的とその哲学は、深層から変革が起きなければならないのです。
過去に人間生活を豊かにすることに対する科学と技術の貢献を、私たちは深い反省もなしに受け入れました。今や私たちは疑問を抱き始めています。いくつかの不安に満ちた疑問が心に生じているのです。私たちはより幸せになっているのか。私たちは道徳的により健全になっているのか。他の人を愛し、関心をもち、思いやりをもつようになりつつあるのか。
このような問題に対する解答は、統計的な結果分析によって単純に発見されるものではありません。なぜなら人間は、別々に測定することのできない、数多くの様相として現れるからです。実例として愛、理想、創造の喜び、神様に対する信仰を、皆様各自が考えてみてください。このような人間らしい人生の姿を保存し、啓発する問題は、私たちの探求すべき最大の課題として残されているのです。
科学を正しく利用する問題
このような課題を考えれば、科学的探求の発見によって考案された莫大な量の情報を判断し、正しく利用するという問題は、深刻かつ真剣なことです。科学の価値を過度に強調する風潮を再検討しなければならないかもしれません。科学的真理というのは限定的なものです。すなわち、一時代の科学的真理が、次の時代には認められないこともあり得るのです。限られた事実に基づいて設定されたモデルの設定過程で、理想化、単純化、近似化の過程を繰り返します。結局、真理に近いものを知ることができたとしても、絶対的真理は知ることができないのです。科学は高度に成長し、それが人間を支配する様相を示しています。
科学は事実の決定に際しては、厳格に徹頭徹尾、精密で細密でなければなりません。しかし、科学情報や業績を活用する段階に際しては、人間の創造力の一領域として、その位置を忘れてはいけません。科学は、美術や音楽作品のように、使われ、調整され、評価されるように、人間の領域内にとどまらなければならないでしょう。
人類歴史を振り返ってみるとき、いかなる時代でも、新しい未開拓の分野、文化の発展である程度の頂点、そして医学や他の科学の全盛期など、多くのものの発展が歴史上にありました。それでも過去における科学と技術の発達は、自然の征服と開発を主な目標としてきました。
今日、正にその科学は、私たちに、新しい倫理的基準の確立を要請しています。その新しい倫理は、自然を愛し、人間の価値を再検討する問題、そして人間相互間における協力の必要性と関連していなければなりません。地球上のすべての生物が調和して共存する理想世界を建設できる新しい価値観と新しい倫理、道徳的基準を確立できるよう努めなければなりません。
科学と技術の発達は、私たちが人間として存続し、私たちの生活の中で人間愛を大切に守っていくことが必須不可欠であることを真剣に反省するよう促す論争点を提示してきました。科学技術界が、人類の福祉のために動員され、人間活動の協力精神が科学技術を扱う人間にとって有効なときにのみ、これらすべてのものが可能であると私は確信します。
私は、皆様からそれに対する解答が出てくることを心より渇望し、期待しています。皆様の見解と知恵に従い、各自の研究結果を収集することによって、これは間違いなく実現されるでしょう。現在の世界をより高い次元と絶対価値の世界へと連結させて導いていく架け橋の役割を遂行してくださることを、私は心から強く求めてやまない次第です。御清聴いただき、誠にありがとうございました。